[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
「α」についてはここで語ってください
57
:
○○番長
:2003/07/30(水) 01:05
>>56
続き
>それと、「理念と行動の一貫性」は、今考えている論点ではほとんど重要ではありません。
>相手に対して要求する力を持つ理念とは、共有されている理念によってのみ可能なのであり、
>一方がその理念を拒否している場合、その理念に基づいた要求をすることは無意味なのです。
先に書いたこととも重なりますが、αによって平和を齎すには、まずαを受け入れる
相手のいることが前提となります。そして多くの人はαの受容が可能であろうとする
根拠は、皮膚の色や国籍・宗教の別を問わず、αにしたがって生きているからという
ことになりますね。
ただ僕の理解では循環論法に思えてきます。もしαに従って多くの人が生きているなら
とっくの昔に平和を達成しているでしょう。
『理念』と『掟』の用法が完全に自己流で、説明不足でした。
理念=無条件の当為
掟=条件付の当為
くらいに考えて頂ければ宜しいかと。
『理念』は宗教的な、とりわけキリスト教的な当為を下敷きにしています。
『姦淫する莫れ』『汝の如く隣を愛せよ』など。
『掟』は共同体限定的なルールのイメージです。法律もそうですね。
ある条件を前提にした当為です。国籍、宗教、身分、治安維持など。
これは読み飛ばして頂いて結構です。
閑話休題。
ぼーんさんは言うかも知れない。今世界が平和でないのは、αが受け入れられていないからではなく、認めたαと実際の行動に矛盾を来しているだけなのだと。
そして、αを共有している故にお互いの批判・理解は可能で、その矛盾を突くことによってα違反者を矯正していけば、平和は達成されるではないかと。
うーん、どうでしょうね。αを認めたと宣してはいても、内心はどうか分らない。色々言い訳は可能です。理窟と膏薬はどこにでも付きますからね。
となれば、αを認めたかどうかより、その行動で相手の信条を測るしかないのでは?また他人の理念や信条そのものは僕らに害悪を及ぼしませんが、行動は僕らを脅かし得る。
αを認める認めないで悶着するよりは、相手の行動を評価するほうが確実ですし、掲げたお題目の如何よりは、過去の行動を基準に相手の出方を予測する方が実際的でありましょう。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板