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「α」についてはここで語ってください

54○○番長:2003/07/29(火) 01:17
>>53 続き
理念と行動の整合性だけでは、他者へ何かを要求する資格を得られない。僕らはそう考えてきたし、これからもそうでありましょう。僕らの思考・感情の基礎には、自他を対等と見做せという格率があります。そしてそれを無みする者には、対等の資格を付与しないでも良いという報復の感情も。宗教を奉じる人たちはどうか分りませんが、この格率と報復の感情は、先に書いた『理念と行動の整合性』を問う姿勢とともに、かなり普遍的ではないでしょうか?
あくまで私見ですが、ぼーんさんの提唱するαは、不犯の理念というよりも、こうした掟に類するものと推察します。掟は論理ではありませんから、αを否定する者に対等の扱いをする必要はありませんし、そのことの矛盾を突かれても『それがどうした!?』と言い返すことが可能です。それなら僕にも合点がいくんですよ。

ただ、理念としてしまうと綻びが出てくる。無条件な当為としてしまうと人間は身動きが取れない。それはそうです。掟でさえ守るのは至難の業ですが、理念にまで高めてしまえば、それを掲げた瞬間から人はαに反せざるを得ません。十字架を背負うことになる。誰もに守ることの出来ないルールは、もはやルールではありません。少なくとも社会を律する規範にはなりえないし、まして野望と悪意の渦巻く国際社会に対しては蟷螂の斧であります。

では掟として提唱すればことは解決するのか?と云えば、僕にはそう思えないのです。掟なら今でも数多くある。『神を信じるもの全てに云々』『この地に生まれたもの全てに云々』『国家に忠誠を誓うもの全てに云々』と、条件付α或いはαもどきなら枚挙に暇がないほどです。ここに新たな掟としてのα(理念・無条件的当為としてのαとは既に別物ですが)を掲げるのは、屋上屋を架す振る舞い以外の何ものでもないというのが、僕の考えであります。


批判・反論をこそ歓迎いたします。

おやすみなさい。


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