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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

1とはずがたり@元林道部会長:2007/09/30(日) 23:18:53

山さ行がねが
http://yamaiga.com/index2.html
ヨッキれんを応援しようヽ(`Д´)ノ
皆の実行したアホな冒険譚も求む。

453とはずがたり:2018/10/26(金) 11:30:18
知らん間に赤岩駅事実上廃止されてたようだ。

赤岩駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%B2%A9%E9%A7%85

1990年(平成2年)3月10日 - 山形新幹線の運行にあたり標準軌化工事を行う。スイッチバックを廃止。現在地に移転。
2012年(平成24年)12月1日 - この日から2013年(平成25年)3月25日まで全列車通過[4]。以降も毎年この期間は全列車通過となる。
2016年(平成28年)
12月1日 - この日より2016年度の冬季休業に入る[2]。
12月16日 - 同日付プレスリリースで2017年3月のダイヤ改正より「通年通過駅」となる旨が発表される[1]。
2017年(平成29年)3月4日 - 同日のダイヤ改正で「通年通過駅」となり、営業休止。停車列車が正式に消滅[1][2]。

454とはずがたり:2018/11/01(木) 13:57:43
150 自分:とはずがたり[] 投稿日:2018/11/01(木) 13:57:28

https://twitter.com/Harita_arayshi/status/1013722168251674625
治田 洗礫
@Harita_arayshi
フォローする @Harita_arayshiをフォローします
その他
テキサス大学のコレクションにある米軍25万分1地図は1955年頃の編集。羽幌炭鉱鉄道、天塩鉄道、留萌鉄道も描かれているが…
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/txu-oclc-6900707-nk54-2.jpg

2:52 - 2018年7月2日

https://twitter.com/AKAIWA8095D/status/1057856406949261312
いたや@北炭会
@AKAIWA8095D
フォロー中 @AKAIWA8095Dさんをフォローしています
その他
これは1955年では無く1965年以降1970年末までの地図じゃないだろうか…。羽幌炭鉱鉄道専用線(国鉄非営業線)の三毛別まで延びたのって1965年やで

21:46 - 2018年10月31日

455とはずがたり:2018/11/04(日) 18:01:03
木曽山脈に残る奇跡の廃村「大平宿」で楽しむ古民家宿泊
https://www.travel.co.jp/guide/article/21248/
更新日:2016/09/09 16:38

https://twitter.com/kooooona/status/1058544740788928513
こな
? @kooooona

適当に走ってたらいつのまにか電波が無くなってて、そのまま更に行ったらタイムスリップしたような場所に出たのでさすがに引き返してきた

人っ子一人居なかったのでビビりまくってましたが、太平宿というかつての宿場町だったところのようですね。泊まれるところもあるようなので今度じっくりいってみたいです?

19:21 - 2018年11月2日

456とはずがたり:2018/11/12(月) 08:53:42
日本 25万分の一 札幌 1950年代だったかな? テキサス大所蔵
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/txu-oclc-6900707-nk54-2.jpg

457とはずがたり:2018/11/12(月) 08:54:27
ここから行ける

http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/

458とはずがたり:2018/11/16(金) 12:48:47
“まぼろし”返上? 1カ月半続く水に驚き 矢板・おしらじの滝
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181116-00010001-soon-l09
11/16(金) 8:00配信 下野新聞SOON
“まぼろし”返上? 1カ月半続く水に驚き 矢板・おしらじの滝
1カ月半にわたって水が流れている「おしらじの滝」
 めったに水が流れず“まぼろしの滝”と言われる栃木県矢板市下伊佐野の「おしらじの滝」に、約1カ月半の間、水が流れ続けている。異例の事態で、15日も少量の水が流れた。関係者は「まぼろしと言えない状況」と驚いている。

【動画】静寂の中、滝つぼに落ちる水の音が響く「おしらじの滝」

 滝は高さ15メートルほど。条件がそろうと青く輝く滝つぼは神秘的で、最近人気が高まっている。大雨の後ですら水がないこともあるが、台風24号が過ぎた10月1日に大量の水が流れ落ち、その後も流れ続けている。

 滝近くの山の駅たかはら山口保行(やまぐちやすゆき)館長(56)は「本来は年間で十数日しか見られないのに」と困惑気味。一時的な水脈の変化の可能性を指摘し「水量は減っている。来春にはまた『まぼろし』に戻る」とみる。

 15日に友人と訪れた宇都宮市インターパーク2丁目、会社員岡野竜治(おかのりゅうじ)さん(42)は「流れていないと思っていた」と想定外の光景を喜んでいた。

 駐車場から滝までは未舗装の山道。12月1日からは冬期通行止めになる。

459荷主研究者:2019/01/02(水) 21:11:36

http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/toku/isan/CK2018121002100011.html
2018年12月9日 中日新聞
緊張の先 息のむ絶景 黒部峡谷の下ノ廊下

http://tohazugatali.web.fc2.com/risui/PK2018121002100034_size0.jpg
絶壁に沿って造られた下ノ廊下の「旧日電歩道」。はるか下に黒部川が流れる=今年10月、立山町の黒部峡谷で

http://tohazugatali.web.fc2.com/risui/PK2018121002100035_size0.jpg

 北アルプス黒部峡谷で最も険しく、紅葉の名所で知られる「下ノ廊下」。絶壁に沿った水平の歩道が続く。幅は人一人が通れるほど。はるか下を黒部川がごうごうと音を立てて流れる。緊張の連続だが、紅葉に包まれた絶景に息をのんだ。

 今秋、途中の山小屋に一泊する日程で、欅平から黒部ダムまで約三十キロの下ノ廊下を歩いた。「水平歩道」と「旧日電歩道」で構成される道は、水力発電の可能性を大いに秘めていた黒部川の開発調査のため大正時代に工事が始まり、一九二九(昭和四)年ごろに完成した。

 岩壁を削ったり、くりぬいたりし、場所によっては丸太を敷いて歩く場所を確保。何本かの素掘りのトンネルもある。当時、測量隊は大きな荷物を担ぎ命がけで運んだ。場所によっては眼下の黒部川まで百メートル以上。落ちれば生存の可能性はなく「黒部にけがなし」と言われてきた。

 その現場に立つと、人間のちっぽけさが身に染みる一方、秘境に足を踏み入れた人間の力に気付かされる。毎年、残雪が消えた後、電力会社や山小屋の関係者が安全に通れるように整備し、登山者らが歩けるのは九月から十月までの一時期。あの景色は今年の心に残る一シーンとなった。 

 (柘原由紀)

460とはずがたり:2019/02/10(日) 19:02:36
日高山地ぱねえw
思わずnoteに100円だけ喜捨w

https://twitter.com/petegari1735
??遥かなるわがペテガリ ??
@petegari1735
ハッキリ言って頭がオカシイくらい日高山脈の主に新冠川と静内川流域のマニア


https://note.mu/pegari1735
遥かなるわがペテガリ
フォロー中
日本最後の秘境と呼ばれた静内川(シベチャリ川)流域に想いを馳せる男。現地の方々からの情報、自ら足を運んで目の当たりにした風景をお伝えします。主に日高山系の渓流、ダム、山小屋、日高横断道路など閉ざされた世界に纏わる現状や昔話を掲載。酷道、廃道、林道、未成線、ダム、釣りマニア向け。

461とはずがたり:2019/02/12(火) 13:36:48
我がマップルには本流に沿って点線がある。

https://twitter.com/petegari1735/status/1087001890661969920
??遥かなるわがペテガリ ??
@petegari1735
1月20日
その他
日高横断道路は計画初期の頃、コイボク本流ではなくナナシの沢沿いに造るつもりだったらしい

このルートだとトンネルは3.7㎞

北海道道111号静内中札内線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E9%81%93111%E5%8F%B7%E9%9D%99%E5%86%85%E4%B8%AD%E6%9C%AD%E5%86%85%E7%B7%9A

21.3 kmの未開通区間があり、両町村の境界に掘削予定の静中トンネル(延長4,782m)を含む7.4 kmは未着工となっていたが、1984年の着工から2003年の19年の歳月に約540億円[1]の建設費が費やされたにもかかわらず、さらに40年近い工期と約980億円[2]の資金が必要であったため、2003年(平成15年)8月8日に北海道開発局より計画の凍結(実質中止)が発表された。

462とはずがたり:2019/02/19(火) 19:43:55

>同タワーに隣接する約400平方メートルの太陽光パネルも発電効率が悪いため撤去する予定

廃墟案件。
もう撤去されたんかな?

「廃墟」丹後王国タワー解体へ 京都・腐食や劣化激しく
https://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20180526000065

 2004年の台風23号で破損して以来、長年放置されていた丹後王国「食のみやこ」(京都府京丹後市弥栄町)内にある市所有の展望台「丹後王国タワー」について、市は解体する方針を決めた。活用方法も探っていたが、腐食による劣化が激しく補修費用が高額になるとして、解体に向けた設計委託料を本年度一般会計に計上した。

 同タワーは1998年、旧あじわいの郷の目玉施設として、建築家の高松伸さんの事務所に設計を依頼し、旧弥栄町が約2億円かけて建設。外壁にガラスや木板を用いた高さ約30メートルの円筒形4階建てで、日本海を一望できた。

 しかし、台風23号の襲来により破損し、放置された。施設を受け継いだ市は2011年に約1千万円かけて調査し、15年まで府や市商工会、京都工芸繊維大(京都市)などと活用方法を検討してきた。だが、翌年に構造を調査した結果、当初の展望機能を確保するためには建設費の約1・5倍となる約2億8千万円かかることが判明し、解体する方向となった。

 解体に向けた設計委託料約1100万円を計上し、7月に入札する方針。同タワーに隣接する約400平方メートルの太陽光パネルも発電効率が悪いため撤去する予定で、解体は計約4千万〜5千万円の見込みという。

【 2018年05月26日 12時39分 】

463荷主研究者:2019/03/31(日) 20:14:53
>>461
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/280989?rct=n_hokkaido
2019年02/27 10:28 北海道新聞
未完の道道復旧必要? 静内中札内線 災害頻発、開通めど立たず専門家「再検討を」

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190227hokkaido02.JPG

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190227hokkaido03.JPG
通行止め区間にかかる滝見橋。昨年3月の雪崩で高欄が変形した(帯広建設管理部提供)

 【中札内】昨年3月の大雪などで被害を受けた道道静内中札内線(静中線)の復旧工事が今年4月から、事業費約2億円をかけて行われる。工事区間の一部は約15年間通行止めが続き、道路建設の凍結で日高側へは通じていない。開通のめどが立たず、災害が頻発する度に行われる道の復旧工事に、専門家からは疑問の声があがっている。

 村の観光名所ピョウタンの滝を上流に進み、札内川ダムの前に差し掛かると通行止めの看板が目に入る。この先の区間では、昨年3月上旬の大雪と大雨で大規模な雪崩が発生。橋1カ所が跡形もなくなり、5カ所の落石防護柵などが損壊した。道は雪解け後から、橋の架け替えや防護柵の取り換えに着手する。

 この付近は過去15年間で雪崩や土砂崩れに5回見舞われるなど災害が多く、計17カ所を約4億円かけて修繕している。度々この道を通る男性は言う。「ここは何度壊れても、すぐに立派な道路ができあがる」

 長期間通行止めとなっている区間を災害の度に現状復帰するのは、道が維持管理の義務を負う「供用区間」にあたるからだ。

 静中線は2003年、道が財政難を理由に建設凍結を決断。村ではこれに反発する住民運動も起こり、同年、村と道が建設凍結後の対応を話し合う中札内地域活性化検討協議会が設立された。協議会で道は、道管理区間を継続して維持管理すると約束した。

 帯広建設管理部は「村側から当時、緊急車両の通行ができるようにという要望もあった。札内川ダムの管理作業にも使用されている」と道路維持を続ける理由を説明する。森田匡彦村長は「観光資源となる重要な道路。維持管理を続けてもらいたい」と話す。

 ただ関係者からは、当時の村と道の「約束」を再検討する余地があるという意見も出ている。当時村の政策調整課長で協議会事務局を務めた火山敏光さんは「道がどこまで一定の維持管理を行うか、明確に終点を設定していなかった」と振り返り「道にどの区間を管理してもらうか今後の検討課題になる」と話す。

 建設凍結時の政策評価委員を務めた北大の宮脇淳教授は「供用区間の廃止を含めた見直しも選択の一つ」と指摘。「(静中線は)先に集落もなく生活道路ではない。ダム管理は林道でも十分で、車両が通行できる道路が必須というわけでもない。供用区間だという理由で修繕し続けると財政負担は計り知れない」と供用を続けるリスクを懸念する。また「公共施設に比べ、道路は費用対効果の意識が及びにくい。人口減社会の中で、道路の供用区間の見直しは、他地域でも今後生じうる問題だ」と話している。(長谷川史子)

 <ことば>道道静内中札内線 村と日高管内新ひだか町を結ぶ約100キロの路線。1984年に着工したが、2003年、当時の堀達也知事が道の財政難を理由に建設を凍結。建設工事には約540億円が投じられたが、約60キロが通行不能のままとなっている。中札内村側の滝見ゲート―幌尻覆道ゲート間の4・2キロメートル区間は、落石の恐れがあり04年から通行止めが続く。幌尻覆道ゲート―ダムゲート間は、冬季以外は開通しているが、昨年3月の雪崩被害を受けて以降、通行止めが続いている。

464とはずがたり:2019/05/24(金) 22:41:03
廃線レポート 千頭森林鉄道 奥地攻略作戦 第22回
http://yamaiga.com/rail/senzu2/main24.html
釜ノ島到着!

<全体図>
http://yamaiga.com/rail/senzu2/zu_122.gif

<現在地>
http://yamaiga.com/rail/senzu2/map_121.gif

ヨッキ到達点
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.4.11.330N35.16.51.744/zoom/9/

柴沢
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.4.21.612N35.17.38.676/zoom/9/

林道終端点??
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.2.52.712N35.17.55.506/zoom/9/

こっちの林道は別ルートで下(千頭方面)に繋がってるようだけどこんな至近距離で繋がってないのか。
どうなってんだろ。。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.4.20.338N35.17.46.090/zoom/9/

465とはずがたり:2019/06/02(日) 19:45:11

貴重な古地図を大量に楽しめる!ゼンリンが古地図ミュージアム公開
https://mag.japaaan.com/archives/19091

466とはずがたり:2019/06/29(土) 14:45:52
楢峠+二ツ屋峠 2016
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34777702.html

r34すげえが其処から分岐する林道どものすげえ

ふるさとの森林道 水無側+東俣峠 2016
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34779424.html

r34から分岐してここに至る
http://maps.gsi.go.jp/#17/36.347325/137.030572/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

ふるさとの森林道
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34781097.html

更に伸びで此処ら。
http://maps.gsi.go.jp/#16/36.350674/136.998975/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


百瀬川林道 (東俣峠 上百瀬側 2016)
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34781254.html

此処
http://maps.gsi.go.jp/#16/36.356971/137.021879/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

西俣谷は廃道

467とはずがたり:2019/07/07(日) 17:54:01

https://twitter.com/A_hit_A/status/1147561504457101312
あびる
?@A_hit_A
フォローする @A_hit_Aをフォローします
その他
日本の山奥に存在する異世界について話したい。
ここは虹の泉と言って、三重県の山奥にぽつんと存在するんだ。全て陶器で出来ていて、たった1人のおじさんが35年の歳月をかけて死ぬまで作っていた陶芸空間。巨大作品。




10:42 - 2019年7月6日

468とはずがたり:2019/07/07(日) 17:55:43
http://nijinoizumi.blog.fc2.com/blog-entry-8.html?sp
陶芸空間 虹の泉にぜひお越しください!!

住所    三重県松阪市飯高町波瀬  国道166号線沿いにあります。


・入場料   大人500円 高校生200円 小中学生100円 
       
       頂いたお金は虹の泉を完成させるための資金とさせていただきます。


・時間    午前9:00〜午後4:00ごろまで


・休み    不定休 

       もし、しまっていて誰もいないようでしたら次の番号に連絡してください。
    
       080-1558-4612

この辺か
https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92515-1725+%E4%B8%89%E9%87%8D%E7%9C%8C%E6%9D%BE%E9%98%AA%E5%B8%82%E9%A3%AF%E9%AB%98%E7%94%BA%E6%B3%A2%E7%80%AC/@34.4304784,136.1330514,14.52z/data=!4m5!3m4!1s0x6006a141fe29732b:0xb3c1ea7eaad4b63c!8m2!3d34.4277076!4d136.1470081

469とはずがたり:2019/07/15(月) 11:08:26

今回の山いがはなかなかマニアックな行き止まり県道末端部通行止め♪

新潟県道246号西飛山能生線 飛山ダム区間 第1回
http://yamaiga.com/road/hiyama/main.html


r246から分岐のシャルマンスキー場方面への道路も間違ってr246と書いちゃってるゼンリンと訣別したグーグルマップ。
その終点は林道開設工事中とあった。
https://www.google.co.jp/maps/@37.0044969,138.0706368,3a,75y,295.65h,90t/data=!3m9!1e1!3m7!1sbJnbsBU2cDK1MyCLR1OQyw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i21

終点にはビュッフェスーシュとやらが
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92949-1322+%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C%E7%B3%B8%E9%AD%9A%E5%B7%9D%E5%B8%82%E8%A5%BF%E9%A3%9B%E5%B1%B1/@36.9912406,138.0591033,16z/data=!4m5!3m4!1s0x5ff66a6d021ffa65:0xc64988de2bffb9f6!8m2!3d36.9824929!4d138.0649891

ビュッフェ スーシュ …スキー場で、海鮮丼!!シャルマンスキー場に有るこちらのヒュッテとあるのでスキー場内施設の様だ
https://tabelog.com/niigata/A1503/A150302/15017538/dtlphotolst/?PG=1&smp=2&srt=normal&sby=D

飛山ダムへの県道よりもクロ沢へ登って行く林道の方が気になる。。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.4.23.887N36.58.42.096/zoom/9/

あと,山挟んで上越市側に東飛山がある。
飛山は名立と能生に跨がった地名らしい。

470とはずがたり:2019/07/15(月) 13:32:30
飛山ダムは県営の治水ダムらしい。つまらん。小水力設置せよ。

飛山ダム [新潟県](ひやま)
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0758

飛山ダム(ひやまだむ)
http://www.pcpulab.mydns.jp/main/hiyamadam.htm

2019-02-03
ダム探訪#7 飛山ダム 糸魚川市
https://next22c.hatenablog.com/entry/2019/02/03/220841

471荷主研究者:2019/07/28(日) 11:22:13
>1876年(明治9年)、日本初の「高速産業道路」ともいわれる生野鉱山寮馬車道(銀の馬車道)が兵庫県の生野銀山(現・朝来市)と飾磨津(現・姫路市)の約49キロを結んで開通

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46600790W9A620C1AA1P00/
2019/6/27 7:00 日本経済新聞 関西タイムライン コラム(地域) 関西
生野鉱山と播磨 貫いた「銀の馬車道」
時を刻む

472荷主研究者:2019/07/28(日) 12:06:44

https://www.toonippo.co.jp/articles/-/216107
2019年7月7日 東奥日報
100年前の森林鉄道の軌道現存/今別・与茂内林道

http://tohazugatali.web.fc2.com/tetsu/20190707too01.JPG
並行する2本のレールが今もしっかりとした形で残る与茂内林道=6月25日、今別町

http://tohazugatali.web.fc2.com/tetsu/20190707too02.JPG

 大正から昭和にかけて山間部の木材搬出に活躍した森林鉄道の軌道跡が、青森県今別町の国有林内に約150メートルにわたり残っているのが見つかった。県内の森林鉄道は廃止とともに撤去されたものが多く、約100年前のレールが枕木とともに現存しているのは珍しい。津軽半島の森林鉄道に詳しい柳澤良知さん(80)=中泊町、小泊の歴史を語る会会長=は「状態が良く、これだけの長さの軌道が残っているのはとても貴重」と驚いている。

 軌道が残っていたのは、今別町東部の大泊地区にある与茂内(よもない)林道を、与茂内川沿いに6キロほど進んだ地点。さびついたレールは与茂内川に沿って山中に延び、長さは確認できただけで約150メートルあった。レール間は約80センチで、枕木はほぼ土砂に埋もれていたが、35センチ間隔で現存するところも。沢に近づくと途切れたレールがぶら下がり、こけむした木橋も残っていた。

 林野庁の森林鉄道に関するデータによると、与茂内林道の軌道は1922(大正11)年に敷設され63(昭和38)年に廃止、延長は5262メートルとある。現地で軌道を確認した柳澤さんによると、伐採したヒバなどの木材をトロッコ(台車)に積み込み、勾配を利用して人力で起点まで搬出する役割を果たしていた。

 6月上旬、山菜狩りに入った人が偶然見つけ、柳澤さんに連絡した。林道を管理する青森森林管理署今別森林事務所の工藤聖皇・主席森林官も「レールの存在はこれまで知らなかった。予算の都合でずっと残されていたのではないか」と推測する。現場は林道からさらに斜面を下って入った森にあるため、分かりにくく、長い間見つからなかったとみられる。

 林業の近代化をけん引した全国の森林鉄道の遺構は近年、国重要文化財や近代化遺産(経済産業省)として指定・認定されるなど、その価値が高く評価されている。県内では国内初の本格的な森林鉄道となった津軽森林鉄道(本線・青森市沖館-五所川原市金木町喜良市)の遺構群が昨年、日本森林学会の林業遺産として東北で初めて認定され、地域振興にも活用されている。

 長年、津軽森林鉄道を中心に森林鉄道の廃止後の状況を調査・記録してきた柳澤さんは「与茂内林道の遺構は確認できた範囲で150メートルほどだが、終点までほぼ全て残っている可能性が高い。約100年の時を経て見つかった今、新幹線のある町として活用に向けて光を当ててほしい」と感慨深げに話した。

473とはずがたり:2019/08/06(火) 02:33:39
http://yamaiga.com/road/hiyama/main5.html
一番気になってたクロ沢への廃林道はよっきは時間もないようで探索しなかったようだ。残念。2007年からロープはあったようだw

2007.04.08 XML
空沢山(火打山北尾根)から西飛山ダムへ滑る (2)
https:// plaza.rakuten.co.jp/yamabokesya/diary/200704010000/

空沢山を目指して



本日はオプショナル・ツアーの日。火打山北尾根の空沢山(からさわやま)から西飛山ダムへ降りるエキスパート(?)グループ16名に入れてもらう。シャルマン火打スキー場へ車で約20分。標高約300mを車で登って標高500m。ドビャ-ンと正面に立ちはだかるようにV字型のコースが伸びていた。右側のクワット1本で約500mを上り、山頂に着く。気温は10度で暖かい。



13:10、668mのピークの手前で一休みした。枯れたブナの木があり、Tさんは茸に詳しいのか、「舞茸ができそうだ」と、つぶやいていた。そこから左に行くとクロ沢で、斜面を自然に下っていくとそちらに引きずり込まれそうだった。しかし、前日の下見で、クロ沢は水量が多く、渉れそうなポイントがないと判断され、右側の能生川(のおがわ)へ降りた。偵察に多謝、感謝。最後は結構、横滑りで標高を下げて行った。

能生川の川原

13:35頃、河原に降り立った。Sリーダーが、板をザックにつけるようと言った。水量は多く、瀬は勢いよく流れていた。“一体どこを渡渉するのじゃ?”と、不安げに、あちこちを見回す。しかし、幸い、その瀬を渡るのではなかった。河原を左に巻いていくと、突如、前方に100mを越す巨大なコンクリの壁が立ちはだかった。河原は西飛山ダムの底で、壁はダムの堰堤だったのだ。水が貯留していない枯れダムで、能生川とクロ沢が堰堤下の穴に流れ込んでいた。生きていないダム底には戦場跡のような、荒廃した雰囲気が漂っていた(自然破壊以外の何であろうか?!)。壁の基部近くまで行って渡渉した。水かさは足首程度だった。堰堤の左には壁沿いに階段状の道(仕事道?)がついていた。そのドロだらけのびちょびちょの道を攀じ登った。14:05、堰堤の上に出て、一休みした。お稲荷さんを持っていたのを思い出してほおばった。そこから50m位登り、林道に出た。
林道合成

沢を横切る所で一カ所悪い所があり、補助ロープがあった。その後はほとんど水平な林道を、シールを貼った板を履いたままひたすら歩いた。沢を横切る所で雪が切れており、板を頻繁にはずして手に持って渡った。15:10、Sリーダーが嬉しそうに、「ここからシールをはずして下さい」といった。そこからは舗装道路だったのだろう。滑ることができて、ほんの数分で道路に出た。通りかかった車から人が降りてきて、さかんにルートの状況を聞かれた。



474とはずがたり:2019/09/07(土) 23:13:38
<上野城・芭蕉翁記念館・忍者博物館>
川崎二郎が強い不愉快な土地柄であるけど上野城の天守閣登ったら川崎克とかが天守閣の再建に尽力したとかで伊賀土民どもの民度の低さには辟易。何時迄も有り難がってんじゃねーよ,阿呆どもめが。
芭蕉翁記念館はまあ古くて狭かったがまあまあだった。忍者博物館もまあ面白かった。ただこんな阿呆どもの住む伊賀にカネを落としたのが残念でならなかった。。
崖を降りて帰ろうとするもまあ泣いて反対するので諦めて回り道してちゃんとした道を通って帰る。まあ阿呆は伊賀の市民の方々ではなく俺である様だw

<三田坂>
本日走破してきた。我が壬生野往還の最弱点は壬生野ICの信号待ちの長さなんだけど,此処へ取り付くには伊賀一之宮IC辺りから降りれば良いので,高速度の名阪国道を数km余分に走れるメリットがある。

という事で壬生野往還が三田坂往還に変更できるかも位の熱い眼差しで注目してたんだけど,結論から言うと矢張り無駄な公共工事の誹りは免れないのではないかという事である。まあそこそこ走ってたけど,一之宮方面からのポテンシャルを全然感じさせない・・・。

R163のBP群(東端が島ヶ原BP)と三田坂BPと名阪伊賀一之宮IC辺りが有機的に繋がると面白いんだけど

●R422三田坂バイパス
http://www.pref.mie.lg.jp/TOPICS/m0039500022.htm

一般国道422号三田坂バイパスが全線開通します
 一般国道422号は、滋賀県大津市を起点に伊賀市内を南北に縦断する路線ですが、急峻な山間部である伊賀市諏訪から三田までの区間は、道幅が狭く、急カーブ・急勾配の箇所が多いことから普通車がすれ違うことも困難な未改良区間となっています。また、雨量規制区間であるため、大雨時には地域住民の生活に支障をきたしています。
 これらを解消し、地域住民の安全・安心な暮らしを支えるとともに、地域間交流を促進することを目的に整備を進めてきた一般国道422号三田坂バイパスが2月25日(日)に全線開通します。

1 開通日時  平成30年2月25日(日)16時(予定)

<諏訪〜西高倉>

この区間は伊賀コリドールロードに指定されている。

●伊賀コリドール
http://www.pref.mie.lg.jp/MURAS/HP/37112025362.htm

伊賀地区を環状で結ぶ農道である。2車線道路。

今回は走らなかったが,というか急遽多羅尾方面へ曲がった,諏訪〜丸柱はR422と平行しているが此処は二重投資しないやろうねえ。。
東側は上柘植IC以南の道路だそうな。

<御斎(おとき)峠>
家康が本能寺の変の時,堺から命からがら領国に逃げ帰った時に信楽の方から通ったのが御斎峠だそうである。(丸柱の方を通ったという説もあるそうな。)
マップルの地図では滋賀・三重・奈良ともに御「斉」峠となっている。

●県道138号信楽上野線
https://yamaiga.com/mini/233/main.html
多羅尾側の異常区間はよっきもレポしているが,この峠から三重側の区間はあんま見ない。
ゼンリン切って地図的に無能になったグーグルは掛川川根線同様にこの区間を県道扱いしてしてけつかる。
まあ向こうと違ってこちらは舗装された立派な通り抜け道路で,実際にタラオCCやそれに併設された信楽温泉からの帰途と思われるクルマと頻繁にすれ違う。R422の指定はこっちだったのではないかと思わざるを得ない。その場合三田坂PBみたいな長大な御斎トンネル掘るという寄りは頂上付近にあるタラオCCへのアクセスを便利にする感じになったのかも知れない。

<多羅尾>

多羅尾は交通の要衝であるのがこの県道標でお判り頂けると思う。先日はr5からGパーク信楽GCへ抜けようとしたが道が解らなかったが抜けられたら多羅尾に出た筈である。まあ錯綜しているように見えるけど結局平行する2本の県道で信楽と多羅尾は結ばれてるだけなのだが,まあ滋賀の甲賀のどん詰まりにしてはまあ恵まれている。というのも基本どの聚落にも県道の1本や2本通ってるのが日本ってやつなのだが,この先の童仙房はそうではないからである。
https://www.google.co.jp/maps/@34.8135746,136.0389645,3a,37.5y,178.99h,105.57t/data=!3m9!1e1!3m7!1sUUsqvqrenKLkh2kz5J6pdw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

多羅尾のどん詰まりにこんな表示が。
https://www.google.co.jp/maps/@34.8099672,136.0338823,3a,37.5y,274.78h,81.49t/data=!3m9!1e1!3m7!1sD-2vpfi4UEPAY91sE0UOEw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i44
島ヶ原・野殿(知らん)・笠置に出るか大河原に出るかの選択である様だが,R163の走行区間を成る可く減らすのが今回の目標であるので,信楽の方へ抜けるという三田坂を選択した当初からの計画が此処で正式に抛棄されることになるが先ほどの要衝で信楽へ向かう県道を選択しなかった時点で確定的であった。前回の帰省時に通り損ねた童仙房が目標となったのである。

475とはずがたり:2019/09/08(日) 09:43:12
>>474
<多羅尾〜島ヶ原>

さて,島ヶ原であるが,実は多羅尾からはまっすぐ南側にある。
しかし(三重県伊賀市内の)島ヶ原への道路はグーグルなので怪しいけど林道多羅尾線と云って(京都府)南山城村の方へ抜けて,そこで三国越林道ぶつかって終わりその三国越林道が結ぶ野殿方面と島ヶ原方面へ岐れるのである(であるから,南山城村の中心の大河原へは直結しない。)
此処は今回通らなかったので地図で確認する所,である。
https://www.google.co.jp/maps/@34.7937116,136.019298,3a,75y,222.8h,102.68t/data=!3m10!1e1!3m8!1sYzP834_DTwBFKQ6wPorFEg!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DYzP834_DTwBFKQ6wPorFEg%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D83.798584%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i44

上野=島ヶ原…多羅尾:道無し(島ヶ原迄はR163)
上野─御斎─多羅尾─信楽:一部指定無し
上野=三田坂─丸柱─信楽:R422指定大改良済

各峠の扱いの違いに一寸ここが可哀想だが,島ヶ原からは実は真北にr305という観菩提寺線が延びている。
この珍しい300番台の三重県道であるが,多羅尾迄伸ばして行き止まり県道の滋賀r334と一体化したりすれば面白いのにぃ。。

<多羅尾〜野殿〜童仙房>
さて,童仙房方面へ向かうといきなり道が狭小。。舗装はされているがすれ違いは出来ない幅員。おいおいと思いながらも進んでいく。

かなり進んで,峠下で未舗装の分岐を岐けて(マップルでは点線で野殿の方へ繋がってた。点線は車道に適さない道路である筈だが,この程度の未舗装なら攻略可能っぽいな・・)峠をやっと越える。

峠を越えると茶畑が現れ極小さな聚落が現れた。道も広くなる。おお,下界へ出たか!と思ったが,凄い勢いで道が塞がれていて再び狭くなった。童仙房の小字で牛場というらしい。
https://map.yahoo.co.jp/maps?cond=lat%3A34.81156300%3Blon%3A136.03602691%3Bac%3A25209%3Baz%3A54%3Bz%3A16%3Bfa%3Apa%3Bei%3AUTF-8%3Bp%3A%E6%BB%8B%E8%B3%80%E7%9C%8C%E7%94%B2%E8%B3%80%E5%B8%82%E4%BF%A1%E6%A5%BD%E7%94%BA%E5%A4%9A%E7%BE%85%E5%B0%BE%3Bdatum%3Awgs%3Bs%3A1450007807fd009e0d0fedd3b3a819e399db74cc10%3Blayer%3Apa%3Bplacegenre%3Aaddress%3Bopacity%3A0.25%3BclassName%3Ayolp-tilelayer%3B&
道は狭くなって,一寸した峠を越えると太陽光発電所等がありまた一寸だけ広くなっている。南山城村がこんなとこを一寸だけ拡幅しようとした意図は不明である。どっかの時点でカネが余ったのだろうか?

牛場の小字,小さな峠の手前は同じ木津川水系ではあるけど,南山城村の大半とは違って和束川の支流へ流れ込む様だ。不動の滝というのもがあるらしい。クルマで行けるとあるがどこから20分もあるけばいいのかね??無料とは云え水曜日のみ運行のバスとは。。

【野殿・童仙房】スポット紹介 不動の滝
http://www.vill.minamiyamashiro.lg.jp/contents_detail.php?frmId=714
南山城村役場から不動の滝周辺まで車で約15分
コミュニティバス(毎週水曜日運行・無料)『簀子橋』乗降口から不動の滝周辺まで徒歩約20分

バスの時刻表が変わります
http://www.vill.minamiyamashiro.lg.jp/contents_detail.php?co=ser&frmId=1538
大河原コミュニティバス
大河原コミュニティバス時刻表
高山大河原線村営バス

更に行くと三叉路に出る。山側には高麗寺へ行くらしい。ハングルも併記されているので本当に韓国・朝鮮系のお寺らしい。
調べてみるとホムペもあった。

●高麗寺

仙の森へおいで!! 高麗寺 日本にある韓国の総本山
http://souraku.net/forest/kourai_temple/index.html
…1978年(昭和53年)に、本堂ができました。 高麗寺は、日本に住む韓国人、または在日二世の心のよりどころとして開かれました。

 なぜ童仙房で? 以前、管長に聞いた話ですが、奈良時代、平城京の頃、鬼門の方角(北東)に災いを鎮めるための寺院があったと韓国の文献に記されているそうです。そのことは、日本の文献には記されていません。管長はその歴史をたどって場所を探し、奈良から北東に当たる童仙房へ行き着いたのだということです。…

この仙の森というホムペ内の地図に拠ると童仙房の9番が小字牛場辺りにも見える。
http://souraku.net/forest/map/pdf/dosenbo_map.pdf

476とはずがたり:2019/09/08(日) 09:48:40
>>475
暫く行くとまた分岐。順路はR163へ出るらしい。上の地図に拠るとこれは野殿道というようだ。
ここは一時的に童仙房から野殿に入るらしい。
現地を走っていた時はほぼ地図を参照せず盲滅法で走っていたのでR163走行を成る可く減らすという観点からこっちの太い方を忌避。

暫く進み,三叉路を曲がり(右折は行き止まりとあったが地図で確認するとその通りであった。あと少しで和束町の湯船へ抜けられそうなんだけど),暫く進むと廃小学校等が現れやっと童仙房の中心部が近くなってきた様である。

廃小学校は時計が8時で止まっていて一寸不気味な印象。だが帰って調べてみると活用されてるようだ。

●野殿童仙房生涯学習推進委員会
http://souraku.net/manabi/about/aim.html
Q1 京都大学大学院教育学研究科が野殿・童仙房地区で生涯学習の研究と実践を始めた経緯を教えてください。

A1 概要は、2006-7年の「活動一覧」として図表にしておきましたから、そちらをご覧ください。まったくの偶然が重なったとしか言いようのない出会いから出発しましたが、研究フィールドを探していた大学と地域の将来について危機感を持っていた地域双方の想いが合致してここまで来られたのだと思います。

Q2 具体的にはどのようなことでしょう。

A2 京都府相楽郡南山城村の旧野殿童仙房小学校が平成18年3月末で閉校になりました。この旧小学校を拠点としながら新しい教育空間を作ることを目指して活動を始めました。川崎良孝教育学研究科長と中村富士雄野殿区長、西村秀俊童仙房区長が生涯教育に関する協定に調印したのは、2006年6月23日のことです。

Q4 地域の歴史を教えてください。

A4 野殿は古くからある土地ですが、反対に童仙房は明治時代に拓かれた開拓村です。1969(昭和44)年に童仙房開拓百周年を迎えました。今なお開拓の気風が残っており、京大との提携を明治時代の開拓、戦後の開拓についで、第三次開拓の時代にしようと意気込む地域住民もいるほどです。

という事で気になってる童仙房だが明治期の開拓で出来た新しい村だと云う事が一旦判明,しかし明らかにその辺の地名とは違う地名にそれだけで終わる訳も無く,調べてみるとなかなか面白い。この高麗寺の由来となっている日本の文献には記されていない,韓国の文献に記されているという奈良時代、平城京の頃、鬼門の方角(北東)に災いを鎮めるための寺院ってのはこの土千房ちゃうの??平安京の比叡山的なものが早良親王の祟りだから平安時代になると直ぐに燃やされてしまって大寺院として残ってないから全て散逸してしまったのか?

南山城村の歴史(童仙房)
https://kyoto-mura.jp/village/history-dosenbo/

古代の伝説(地名の由来)
6世紀の終わりごろ、奈良に平城京ができるより100年あまりも前のこと。飛鳥の地に日本で初めての本格的な寺院ができました。現在の元興寺(奈良市)の前身で、法興寺といい、現在は飛鳥寺とよばれています。

その落慶式のおり、現在の井手町あたりに住む人たちも参詣し、その場で仏法伝受を受け、僧となりました。その1人が、自分もいつか立派な寺を建てたいものだと願い、それにふさわしい地を訪ね歩きました。

現在の南山城村大河原へやってきて、宿に泊まりました。すると、北西の方向に金色の光が見えるではありませんか。夜が明け、北西の高台へ登ると、天から紫雲たなびき美しい童子が現れ、「あなたは、徳の高い僧です。私は帝釈天の使いです。ここに寺院をお建てなさい」と告げるやいなや、消えてしまいました。

これはありがたいお導きだと、この地に大きなお寺を建て、多くの僧が集まり、お堂が1000ほども作られ、「堂千房」転じて「土千房」と呼ばれ、栄えました。

200年の時がうつり、世は平安京となりました。都のお公卿さん、藤原是公がたびたび土千房を訪れ、地元の早瀬女という女との間に男の子をもうけました。都では、無実の罪で処刑された早良親王をおとしいれたのが、藤原是公たちだと噂され、早良親王の祟りを怖れていましたが、その子がここにいる、ということで、村の人たちは怖れおののき、承和10(843)年12月7日朝に村人たちが集まって、土千房へ火を放ち、大伽藍坊舎とも、ことごとく焼き払いました。

その後は歴史の空白

この伝説は古文書に記されたものですが、真偽のほどはわかりません。明治の開拓時に瓦が多数出てきたとの記録もありますが、この伝説との関係は不明です。

童仙房に関して、江戸時代に入るまで、歴史は何も残っていません。歴史の空白地帯です。

477とはずがたり:2019/09/08(日) 17:22:52
>>474-477
南山城村の歴史(童仙房)の続き(>>476)

江戸時代の領土争い

確認できる歴史に童仙房が登場するのは、江戸時代に入ってからです。
江戸時代には、柳生藩、藤堂藩、御料が、童仙房地の所領を主張して争い、正徳4(1714)年、京都町奉行所の法廷に持ち込まれ、いずれにも属さない土地、すなわち空白地帯とされました。

明治の開拓
明治に入り、廃藩置県後、童仙房は京都府に組み込まれました。

明治2(1869)年、京都府は、童仙房の開拓を府の官営事業として行うことを決めました。官吏・市川義方を開拓責任者とし、労働者を雇用して、道路をつくり、荒れ地を開墾し、住居(三軒長屋)をつくりました。まったくの未墾の地に入植させたのではなく、ある程度まで住居や農地を用意してから入植者を募りました。

明治4(1871)年6月、開拓が完成し、162戸、560人が居住したと報告されました。これをもって、童仙房村が成立しました。

明治5(1872)年には、京都府支庁が童仙房へ移されましたが、交通の便の悪さが支障となり、7年後には童仙房支庁が廃止されました。この間、役所の他、警察署や郵便局も童仙房に置かれ、にぎわいを見せました。…大規模に開拓され、一時期、文化の中心地として繁栄したものの、童仙房支庁廃止後は、純農村となり、最盛期には200戸余りだった住民が減少の一途をたどりました。

過去探訪以上。

<童仙房〜杣田〜木屋>
不愉快な安藤のポスター等が現れる。此処で四通八通している
https://www.google.co.jp/maps/@34.7996937,135.9751292,3a,75y,290.33h,92.56t/data=!3m9!1e1!3m7!1sXLEdpHME5O-RnzjZdFSLYQ!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i44

現地には看板が出てたけどどこがどうなってるのかさっぱり要領を得ない。。。

帰って来て色々な地図と凸合させてみてやっと把握出来たが,先ほどの仙の森のpdf(>>475)だと野殿道となっていた道路が,この看板だと大河原多羅尾線(村道名?)になっていてしかも通行止め,大河原道が大河原東和束線(村道名??)となっていて通行可能なようだ。
三国越林道の方が太く書かれているし,現地でも良さそうな道路だったが方向感覚がずれていた。兎に角野殿の中心を避けて一本北の細い道路を選択したってことのようだ。

ここからどこに向かうか迷ったが,基本は和束に出てr5木津信楽線に出るのが基本戦略である。当てずっぽうで童仙房の奥の方と思われる方へ向かう。子供なんて殆ど居ないんだろうなあと云いながら進んでくと自販機の処に女の子が立っていた。

その後,一寸した分岐はあるものの,順路っぽい道路を選択してずんずん進む。

帰宅後地図で確認すると横川沿いにR163に抜けられる道路があったようで,その道路は割とスムーズ(ヘアピンが少ない)っぽかった。一部の地図では一部破線となっていたが一度試してみたい。

兎も角,三国越林道の続きと思われる道路が続き,切山へ降りる道を分ける三叉路があり,尚も直進し山の中をくねくねと走るとr62宇治木屋線に至る。杣田から和束中心部更には井手へ抜けるのも手だったが,山道にお腹いっぱいになっていたのでr62を木屋に降りてR163に入って帰って来た。。

478とはずがたり:2019/09/11(水) 15:12:59
近年は新陳代謝が進んでいないんだな。。
>消滅時期は1960〜70年代に多く,10聚落。1980年代以降は減少し,2000年代以降に消滅した聚落はない。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/79/695/79_123/_pdf
兵庫県但馬地域の消滅集落における元住民による「通い」の実態 に関する研究
甲斐・柴田・澤木2014日本建築学会計画系論文集

但馬地域(豊岡市・養父市・朝来市・香美町・新温泉町)の消滅聚落の状況:
・1960年以降14聚落
・消滅時期は1960〜70年代に多く,10聚落。1980年代以降は減少し,2000年代以降に消滅した聚落はない。
・いずれも行き止まり地形の末端聚落
・平均標高が133m

新温泉町(旧浜坂町) 鹿間 離散 1960年代
豊岡市(旧日高町) 金山 離散 1960年代
豊岡市(旧日高町) 海老原 離散 1960年代
香美町(旧香住町) 本見塚 離散 1960年代
香美町(旧美方町) 熱田 集団転出(9世帯) 1960年代
養父市(旧養父町) 熊野 離散 1970年代
香美町(旧美方町) 小長辿 集団転出(3世帯) 1970年代
新温泉町(旧浜坂町) 池ヶ平 集団転出(4世帯) 1970年代
養父市(旧大屋町) 岩井 離散 1970年代
養父市(旧大屋町) 古屋 離散 1970年代
新温泉町(旧浜坂町) 奥大味 離散 1980年代
新温泉町(旧浜坂町) 大滝 離散 1980年代
香美町(旧村岡町) 小城 集団転出(10世帯) 1980年代
香美町(旧美方町) 備 集団転出(6世帯)

479とはずがたり:2019/09/11(水) 15:16:49
>>478
新温泉町(旧浜坂町) 鹿間 離散 1960年代

(1960年) http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/28.Hyogo/Hamasaka_Shikama.html 製鉄錬用の炭焼き(1671年)→鉄山→鹿間山山論→裁判費用捻出で聚落弱体→鹿間川氾濫(1918年)→1960年最後の3世帯離村

https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.31.50.250N35.36.25.792/zoom/8/この谷筋に流れるのが鹿間川らしい。

googleでは空白地帯。。→https://www.google.co.jp/maps/@35.6113706,134.5310848,15.5z

480とはずがたり:2019/09/11(水) 15:22:41
>>479

新温泉町歴史文化遺産活用計画
http://sinonsen.core.hi5.jp/keikaku/rekishibunkaisan.pdf
【主な歴史文化遺産】
鹿間たたら場新温泉町鹿間寛文11年(1671)〜元禄13年(1700)

https://www.town.shinonsen.hyogo.jp/shinonsen/rekisi/nenpyou2.pdf
歴史年表
1958昭和33年514藤尾〜鹿間林道完成

481とはずがたり:2019/09/11(水) 15:37:10
>>478

兵庫県豊岡市(旧日高町)金山 (その3)
http://heyaneko.jugem.jp/?eid=762
2017.01.10 Tuesday 06:21

兵庫県但馬の廃村、金山(きんざん)への旅、
三方小学校金山分校は,へき地等級4級,児童数6名(S.34),昭和32年開校,昭和37年閉校。

散策情報[cn234] 金山廃村
http://youtampou.sakura.ne.jp/course/cn234/index.html
金鉱石を手堀りしていた
昭和37年(1962)に最後の一軒が離村

http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/28.Hyogo/Hidaka_Kinzan.html
阿瀬(あせ)川の上流
若林方面への分岐付近(金山口)より集落の跡まで断続的に水田の跡が続いており、かなりの面積を有する。
戦前は10軒。すべてが炭焼きで生計を立てていた。終戦後は7軒
昭和30年には関西電力から発電所を造るという話があり、実現→下記に拠ると増強(S31)の様だ
昭和32年、三方小学校金山分校が開校。
昭和37年、1戸6人だけが残る。1家族だけでは冬は越せず、離村を決意

関西電力株式会社 阿瀬発電所
http://www.suiryoku.com/gallery/hyogo/ase/ase.html
大正 2(1913)年12月  :運用開始 阿瀬川水力電氣[運開]
昭和31(1956)年 8月  :出力増加(2100kW)

阿瀬発電所
https://www.google.com/maps/place/%E9%98%BF%E7%80%AC%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80/@35.4552411,134.6722474,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x256955b41ffead07!8m2!3d35.453633!4d134.677011

482とはずがたり:2019/09/11(水) 15:50:26
>>478

但馬妙見山、木の重さと山の斜度からできる力だけで運搬する弾丸列車
http://mtrykore.no-ip.biz/110925/110925.html

豊岡市日高町海老原
https://map.yahoo.co.jp/maps?lat=35.43397490&lon=134.67058288&ac=28209&az=257&z=16&fa=pa&ei=utf8&p=%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E8%B1%8A%E5%B2%A1%E5%B8%82%E6%97%A5%E9%AB%98%E7%94%BA%E6%B5%B7%E8%80%81%E5%8E%9F

海老原
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.40.24.750N35.25.52.986/zoom/8/

海老原(えびわら・えびはら)
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/28.Hyogo/Hidaka_Ebiwara.html
最近の地図では観音寺川沿いの道は破線になっているが、だいぶ奥まで自動車で行くことができる。
観音寺の方の話では、覚えている範囲で2軒(昭和40年くらい?)。冬は家族で下に降りて暮らしていたという。
 町史によると、「海老原村」明治7年7戸25人。
 「角川」によると大字海老原は近世の気多郡海老原村。明治22年三方村(のち日高町)の大字となる。明治24年5戸男13・女13、大正9年4戸34人、昭和元年3戸22人。「現在(※刊行当時→wikiに拠ると1988?)残る1戸は冬に村を下りる生活となった」とある。

>>478だと1960年代には消滅となってるけど季節的に済んでるのは無住扱い?

483とはずがたり:2019/09/11(水) 16:01:06
>>478

兵庫県美方郡香美町香住区本見塚(もとみづか)
https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92669-6421+%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E7%BE%8E%E6%96%B9%E9%83%A1%E9%A6%99%E7%BE%8E%E7%94%BA%E9%A6%99%E4%BD%8F%E5%8C%BA%E6%9C%AC%E8%A6%8B%E5%A1%9A/data=!4m2!3m1!1s0x5fffceb0a0252b31:0xbd21b449bbe488c6?sa=X&ved=2ahUKEwjk6IWKl8jkAhUuGKYKHQfYCNAQ8gEwAHoECAoQAQ

人口統計ラボ
https://toukei-labo.com/2010/?tdfk=28&city=28585&id=38
人口総数1 世帯総数1

香美町森林研究基盤
http://www.forest.research.kamicho.jp/places/kasumi/motomizuka/
本見塚
本村、少し北側へ、カヤノ(とは註:これも地名)がある。現在、カヤノへ建物が数軒残り、道路も舗装されているが、本村へは、砂利道しかない。178号線の旧道沿いに本村への入口があり、林を抜けていくと到着するが、木々は整備されてきれいなものである。道の悪いところもあるが、作業道としては上等なものだ。

山を抜けると、本村へ到達するが、電柱が行くのと、大きな鉄塔も通過している。時折、保守のために、関西電力も山を整備しているのだろう。谷間に一大文明が築き上げられているようで、不思議な空間といった趣だ。小さな堰堤がいくつも設けられていて、水路も縫うように整備されている。

本村は無住村だが、手入れのされた建物もある。崩れた建物もあるが、早くから立ち退いたのか、民家と思わしき場所は、きれいに片付いていた。五輪塔や墓が残っている場所もある。村を行く谷は、道の崩れているところもあって、カヤノへ行く道が消えそうになっている。

地図
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.42.14.250N35.36.20.139/zoom/8/

484荷主研究者:2019/09/23(月) 15:17:05

https://this.kiji.is/541442940543730785?c=388701204576175201
2019/9/3 09:00 (JST) c株式会社東奥日報社
「日本一悪い山道」南八甲田登山道/登山客増へ国・連絡会が本格整備/標識や柵設置準備、刈り払い実施

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190903too01.JPG
幻の県道と呼ばれる南八甲田登山道。石が積まれ、観光道路として整備された面影を残す=7月

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190903too02.JPG
環境省が猿倉温泉の登山口に昨冬設置した総合案内板=7月

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190903too03.JPG
http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190903too04.JPG

 北八甲田や十和田湖周辺の雄大な山々の眺望を満喫できる環境にありながら、悪路により登山者から「日本一悪い山道」と称される南八甲田登山道。事態の改善に向け、環境省や青森県内の山岳団体で組織する「南八甲田登山道管理連絡会」が、やぶ化が進んだ登山道の整備を本格化させている。月内にも、15年近く未整備だった櫛ケ峰分岐から山頂(標高1517メートル)までの登山道確保に、新たに着手。登山客増加につなげていく考えだ。

 南八甲田登山道は、猿倉温泉と十和田湖御鼻部山を結ぶ旧県道(延長24.5キロ)。十和田八幡平が国立公園に指定される3年前の1933(昭和8)年、県が、凶作続きで窮乏する農業者を救済するため、観光バスが走る観光道路として着工し、石垣を築くなど整備を進めた。しかし、豪雨で橋などが流されるなど致命的な被害を受け、36(同11)年に廃道となった。

 同登山道に詳しい十和田山岳振興協議会理事の横浜愼一氏によると、その後、人の手が入らない自然環境を保つ南八甲田エリアで高山植物の盗掘が相次ぎ、登山道整備を巡って自然保護団体と山岳愛好者、山岳団体の間で対立が激化。長期化したことで手つかずの状態が続いたという。このころには、登山道での無断伐採が問題化した。

 2017年3月に発足した南八甲田登山道管理連絡会は、この年から猿倉温泉-櫛ケ峰間の約10キロ区間で毎年ササの刈り払い作業を実施。さらに環境省は昨冬、入山者の利便性アップを図るため、猿倉温泉の登山口に、中国語や韓国語など4カ国表記の総合案内板を設置した。

 同省は現在、登山道に標識や立ち入り禁止柵、木道を設置することなどを盛り込んだ再整備工事を計画、準備を進めている。9月中旬以降には、連絡会の有志が櫛ケ峰山頂までの刈り払いを実施する予定だ。

 同省の調査によると、18年度(7〜10月)の南八甲田の入山者数(猿倉温泉矢櫃(やびつ)橋側)は、前年度より178人多い725人。

 南八甲田の魅力について横浜氏は「シラタマソウの群生や、刈り払いして日当たりが良くなったことで登山道脇に白いショウジョウバカマといった花が見られるようになった。北八甲田にない花があり、ロングコースで(登山道が持つ)歴史をたどることができる」と説明。「海外のように立ち入りできない場所を厳重に規制するなど管理をし、環境保護の観点も忘れない登山道を目指していく必要があるだろう」と話した。

485荷主研究者:2019/09/29(日) 20:26:46

https://www.sakigake.jp/news/article/20190922AK0001/
2019年9月22日 秋田魁新報
土砂崩落事故から6年…鳥海グリーンライン1日開通

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190922akita01.JPG
来月1日に6年ぶりに開通する鳥海グリーンライン=今月10日

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190922akita02.JPG

 2013年11月に5人が犠牲となった土砂崩落により、一部通行止めとなっている秋田県由利本荘市矢島町の市道猿倉花立線(鳥海グリーンライン)が、10月1日に開通する。事故から6年。同じ悲劇を繰り返さないよう復旧工法を吟味し、排水処理にも万全を期した。市が「重要な観光道路」と位置付ける路線の開通を受け、客足が鈍っていた周辺の観光施設も期待を寄せている。

 事故は13年11月21日、市道の復旧工事現場で発生。工事を請け負った山科建設(同市)の作業員5人が土砂に巻き込まれ犠牲となった。

 亡くなった男性作業員=当時(57)=の妻(61)は毎年、11月21日に現場へ足を運び、夫の冥福を祈る。近づく復旧を受け、「不便な状態が解消されることは喜ばしいが、事故が忘れられるのは嫌。道路を通る時には、あれだけ悲惨な事故があった場所なんだということを思い出してほしい」と語った。

 現場は事故後2年間にわたり、県警の捜査のため立ち入りが規制。膨大な復旧費の財源にめどが立たなかったこともあり、6年もの間、約1・5キロの区間が通行止めとなっていた。

 市は16年度から復旧に向け動きだした。専門家も交えて協議を重ね、盛り土による復旧に着手。崩れた土砂とのり面に残った盛り土の撤去作業を17年9月に始め、約2万3600立方メートルの土砂を運び出し、固化剤を混ぜて崩れにくくした上で盛り土をした。

 事故は雪解け水と大雨により、盛り土内の地下水位が急速に上昇したことによって起きたと推察されており、復旧工事では専門家の指摘を踏まえ、排水処理も徹底。盛り土内に水を入り込ませず、入り込んでも外に排出されるように工夫した。

 市建設部によると、総事業費は約5億2900万円。うち約2億7千万円は国からの交付金を充てた。

 10月1日は午前10時から現地で「竣工(しゅんこう)安全祈願」を行う。市や業者の関係者約50人が参加予定。一般車両の通行は正午ごろから。同部は「道路管理者としては6年もの間、開通できず申し訳なかったが、ようやく復旧する。開通を多くの人に周知したい」としている。

486荷主研究者:2019/09/29(日) 20:28:35

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201909/20190922_73025.html
2019年09月22日日曜日 河北新報
国道46号の仙岩トンネルで事故多発 狭い道幅「運転するのが怖い」

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190922kahoku01.JPG
国道46号仙岩トンネルの秋田側出入り口。7月以降事故が多発している(画像の一部を加工しています)

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190922kahoku02.JPG

 盛岡、秋田両市を結ぶ国道46号の仙岩トンネル(約2.5キロ、岩手県雫石町-秋田県仙北市)で通行規制を伴う交通事故が続いている。2015〜18年度は計1件にとどまっていたが、本年度は7月以降だけで4件となった。トンネルを巡っては現在、国が新設、拡幅を視野に技術的な検討を行っている。車道の狭さが事故を誘発した可能性もあり、早期の改善を求める声が高まりそうだ。

 直近の事故は今月15日午後5時ごろに発生。一関市の50代男性の乗用車が中央線をはみ出し、対向車と正面衝突。対向車の50代女性が左腕の骨を折る大けがをした。トンネルは約1時間半通行が止められ、仙岩峠は3連休の中日に大渋滞となった。

 7月4、25日、8月20日にも交通事故による一時通行止めがあった。いずれも無理な追い越しやはみ出しが原因とみられている。続発する事故に、仙北署の担当者は「道路環境が例年と変わった点はないのに…」と首をかしげる。

 トンネルの完成は1976年。片側1車線で車道の幅は3メートルにとどまり、路肩の余裕も乏しい。近年は幅が3.5メートルの道路も珍しくないこともあり、関係者からは40年以上変わらない車道幅の狭さを不安視する声が上がっていた。

 46号は地域高規格道路盛岡秋田道路に指定されているものの、仙岩峠区間の整備は具体化していない。管理する東北地方整備局は仙岩トンネルの事故や災害のデータを収集。整備に向け、費用対効果を数値で示すための準備を進める。

 新トンネルの整備について道路計画1課の小笠原清建設専門官は「仙岩峠の図面に線を引き、事務的な検討はしている」と説明。トンネル断面を拡幅する工事も技術的に可能という。

 地元自治体は46号への新たなトンネル整備を望んでいる。仙北市の橋本定美建設課長は「市民からは『狭くて運転するのが怖い』という声を聞く。高規格のトンネルが必要だ」と話した。

487荷主研究者:2019/09/29(日) 23:48:00

『釜トンネル 上高地の昭和・平成史』信濃毎日新聞社、2017年発行

 ジュンク堂書店大阪本店の地域史コーナーで、偶然発見し即購入。2001年に出版された『釜トンネル 上高地の昭和史』を底本に、再編集と補筆、修正等を加えて復刊とのこと。

 「復刊にあたって」によると、『釜トンネル 上高地の昭和史』は絶版になっていたが、〝研究者やテレビ製作者らから内容の問い合わせを受け〟とあり、ヨッキれんもその一人なのかもしれない。

 269ページに及ぶ本の内容は釜トンに留まらず濃い話ばかりで、興味深い写真も数多く、ヨッキによる釜トンの記事を楽しく読んだ方は、必読の本と言えそう。

488とはずがたり:2019/10/27(日) 20:21:21
https://twitter.com/yokkiren/status/1187574979430240257
ヨッキれん/平沼義之
@yokkiren
昭和49年版の塔文社デラックス東北道路地図帖では、関越自動車道の予定線が、清水峠ではなく、三国峠を越えている。一方、上越新幹線の予定線は、実現した清水峠ルートで描かれている。

489とはずがたり:2019/11/04(月) 10:31:40

昨日通った。
なんだこの狭隘というか奇妙な三重県道r428のルート取りは。。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.40.44.915N34.30.7.539/zoom/9/

490とはずがたり:2019/11/08(金) 13:22:03
流石この先危険なグンマーhttps://www.google.com/search?q=%E3%81%93%E3%81%AE%E5%85%88%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E3%80%80%E7%9C%8C%E5%A2%83&client=firefox-b-d&sxsrf=ACYBGNTkLHqpXoOnMFrjeauzOQ4m4u4rIA:1573186823034&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjO-oHO4dnlAhWtIqYKHdcIBwMQ_AUIESgB&biw=1280&bih=585,三途の川だって流れているww

三途の川、群馬に流れていた 知らずに行き交う1万人超
https://www.asahi.com/articles/ASM7J3DKMM7JUEHF003.html?
有料会員限定記事
山崎輝史 2019年7月16日14時30分

 この世とあの世を隔てる三途川――というのは信仰が生み出す世界観の話。だが、現世の群馬県には本物の「三途川」が流れている。地味な小川だが、国道や鉄道が横断し、日々生者が行き来する。まだ死にたくないが、一足先に見学した。

 県南西部の甘楽(かんら)町に三途川は流れている。国道254号沿いの地域だ。かつての中山道の脇往還沿いと呼んだ方がなんとなくしっくりする。

 国道の橋のたもとに「姥子(うばご)堂」が建っている。管理する近くの宝勝寺の厳美節子(みよこ)さん(72)に開けてもらい、中に入る。

 まつられるのは白髪の老婆の像…

491とはずがたり:2019/11/30(土) 23:12:47
寧楽キタ──(・∀・)──!!!
俺の福住上三橋線のレポもそれなりに力這入ってる心算なんだけど通り抜けはしていない。。よっきなら余裕でやってくれる筈だから楽しみである。

道路レポート 奈良県道187号福住上三橋線 不通区間
https://yamaiga.com/road/npr187/main.html

道路族
福住県道3兄弟
 r186福住矢田原線http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/fukusumi/r186-000.html
 r187福住上三橋線http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/fukusumi/r187-000.html
 r192横田福住線http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/fukusumi/r192-000.html

492荷主研究者:2019/12/25(水) 22:59:35

https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=592303&comment_sub_id=0&category_id=112
2019/11/29 中国新聞
芦田川潜水橋2本復旧3本廃止へ

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20191129chugoku01.JPG
福山市が廃止を決めた御幸町の潜水橋の羽賀橋(2018年12月)

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20191129chugoku02.JPG

 福山市が西日本豪雨で損壊した芦田川に架かる5本の潜水橋(沈下橋)について、2本を復旧、3本を廃止・撤去すると決めたことが28日、分かった。潜水橋は地域の生活道の一方、国は災害時に川の流れを妨げる懸念があるとして原則廃止を市に求めていた。市は生活への影響などを踏まえて判断。国が同意したのを受け、地元説明を始めた。来秋にもそれぞれの橋について工事に入る方針でいる。

 潜水橋はコンクリート製で増水時に水面の下に沈む簡単な造り。市内に6本架かる。昨年7月の西日本豪雨ではうち5本(長さ約80〜200メートル、幅約1・8〜2・9メートル)で路面や橋脚などが損壊。通行止めの状態が続き、全ての橋について地元住民から復旧を求める要望書などが出ていた。

 市は豪雨後、橋を廃止した場合の生活への影響や橋が流れに及ぼす影響などを慎重に検討。下山守橋(駅家町)と近田橋(同)の2本を復旧、羽賀橋(御幸町)、谷橋(駅家町)、本泉寺橋(新市町)の3本の廃止・撤去を決めた。復旧はあくまで暫定的な対応との位置付けで、将来的に通常の橋への架け替えを視野に入れているとみられる。

 潜水橋について、国土交通省福山河川国道事務所は西日本豪雨で一時、芦田川で堤防が耐えるとされる最高水位(計画高水位)を上回った点を重要視。流れを妨げる構造物として復旧に消極的で、管理する市に在り方の検討を求めていた。

 市は今後、国との本格的な協議に入る。来年度、それぞれ5本の橋で測量設計を進め、出水期後の秋にも災害復旧事業として進める方針。廃止・撤去するエリアの利便性を高める方策も検討する。

 芦田川の潜水橋は府中市にも落合大橋と鴫谷橋の2本あり、いずれも豪雨で被災した。同市は「原形復旧は困難」とし、既に2本とも廃止・撤去すると決めている。(胡子洋)

493とはずがたり:2020/01/11(土) 20:09:06
なんと,よっき東京(日野)を撤収して秋田に引っ込んだらしい。。何故だ?!

http://yamaiga.com/mini/248/main2.html
これが関東を拠点に暮らした13年間最後の探索になったが(日野→秋田の引っ越しの道すがらに立ち寄った)、良い想い出になったのである。

494荷主研究者:2020/01/12(日) 16:40:05

https://www.sakigake.jp/news/article/20200110AK0038/
2020年1月10日 14時0分 秋田魁新報
これで生きる:廃道探検家・平沼義之さん 朽ちた道、探索に情熱

廃道の探索を続ける平沼さん=秋田市の仁別サイクリングロード

 近頃はスピードや効率性が何かと重視されるが、時代の潮流に流されず、自分が決めた道を歩む人もいる。令和の時代をどう生きていくのか。県内各地で、それぞれの生き方を見つめた。

 ◇  ◇

 利用されずに朽ち果てた道路を「廃道」と呼び、全国各地に足を運び続ける。「道がどのように築かれ、利用され、朽ちていったのか。歴史や変化を感じるのが好き」。秋田市の平沼義之さん(42)は、開設して20年のインターネットサイトに数多くのリポートを掲載し、アクセス数は累計4600万件を超える。

 リポートの魅力は、その場を探検しているかのような臨場感だ。道が途中で崩落したり、胸まで水に漬かったり、落石に見舞われたり。背丈より伸びた雑草をかき分けて進むこともあれば、夜の山中で孤立しかけたこともある。道半ばに終わった辺境の大型開発など、その土地の数奇な歩みも独自の視点で記録する。

 「何年も人の目に触れていない場所を探し当て、『自分だけが知っている』と思えることが楽しい。それを発表して喜ばれるのがうれしい」。とはいえ、危険に満ちた探索を最大の売りにはしない。現地での発見を一つのストーリーとしてまとめるのがスタイル。「そこに価値を置いて続けたい」

 千葉県松戸市出身。幼少期から旅行の目的地よりも、そこに至る道そのものに関心が向いた。小学6年で横浜市から潟上市に転居。休日は林道や山道をマウンテンバイクで駆け抜け、1日で250キロを走ることもあった。

 自らを「人見知りで集団生活の水は合わない」と言う。秋田高校で留年。秋田大を1年で中退し、アルバイト生活が一時期続いた。自転車で遠くを目指す非日常が心の隙間を満たしてくれた。「人間関係と違って自転車は成果が分かる。苦労した分だけ前に進んで、山頂の美しい景色なんかを見られるから」

 22歳になった1999年、インターネットで古い道路を題材にしたサイトと出合ったことが転機になった。「多くの人の役には立たないことを追究する内容に衝撃を受けた」と振り返る。廃道歩きに興味を深めつつあったこの頃、関連情報の少なさを感じていたこともあり、自ら情報発信しようと、サイト「山さ行がねが」を翌年に立ち上げた。

 廃道探索の幅を広げるため2007年に上京。全国の現場へアクセスしやすくなり、リポート内容が評判を高めていった。プロの廃道探検家として名が知られ、テレビ出演や本の執筆の声が掛かるようになった。

 昨年12月、12年ぶりに東京から秋田へ戻った。サイトの広告料収入などで生活できるめどが立ち、プロとして足場を固められたという思いがあったが、一番の理由は自らの原点への愛着だった。「秋田は居心地がいい。思索を巡らす環境としては最高」と話す。

 廃道について調べ、現地を探索し、リポートする。やるべきこと、やり続けたいことは拠点が変わっても変わらない。「社会的意義とかじゃなく、自分が楽しいからやっているだけ。秋田に根差し、魅力ある場所をもっと見つけたい」。道の先に何があるのか、心赴くままに調べ、発信していくつもりだ。

 【ひらぬま・よしゆき】77年生まれ、千葉県松戸市出身。著作に「国道?酷道!? 日本の道路120万キロ大研究」など。サイトのアドレスはhttps://yamaiga.com/

495とはずがたり:2020/02/11(火) 18:23:36
2/8(日)
まあのイトマンの後おでかけ。

大阪陸軍造兵廠の軍用側線を見に行く。

香里側線
行かなかったけど多分これ
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.40.12.124N34.46.0.859/zoom/9/

今もあれば香里ヶ丘の通勤輸送の役に立った筈。。

それは兎も角,R168のBPが中途半端に放置されている。
この辺https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.39.44.189N34.47.54.000/zoom/9/から山之上のICへ計画では繋がるけど,途中の用地買収などあって(この手の計画は土地区画整理で無料で土地が確保されないと着手されないと思われる・・),着工もされて無い模様。せめて天の川交叉点に天の川右岸の粗放な利用しかされてない土地を使って直結させれば右往左往するR168本線の大改善となる。2車線で良いので。

禁野側線
禁野という火薬庫にピッタリの地名。M30(1897)設置,S11(1936)秋に軍用側線設置とのこと。40年も線路無しにどうやって運んでたんだ?敗戦後も解体処理などにS27(1952)頃迄使われたそうな。

ここ,LPガス会社かなんかの敷地になっていたがはっきりと路盤跡の曲線沿いに駐車場として使われている土地が拡がっていた。その後の道路も知ってたけど道路跡とは知らんかった。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.42.6.328N34.48.7.224/zoom/9/

津田の2面4線の出来損ないみたいな駅構内はこいつの分岐駅の跡って事か?

いかんかったがこの辺迄延びてた。コマツや関西外大になってる。今もあれば枚方中心部(ちょい東にズレるが)と片町線を結ぶ通勤線となりえたのに。。当時は超鄙びた田舎だったのであろう。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.39.53.380N34.48.59.097/zoom/9/

川西側線
ここ,橋の撤去跡がはっきり残っていた。
此処は道路として活用して欲しいが(下狛駅前の狭い交叉点の救済に一寸役立ちそう)通勤路線として宅地開発しても良さそう♪
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.47.24.612N34.46.39.784/zoom/9/

496とはずがたり:2020/03/08(日) 10:15:14
昨日,息子とリベンジ。武田尾から名塩迄歩いて電車で帰ってきた。

中山第一トンネルには旧旧線があるようだった。よっき頼むw

それにしても整備されたとは書いてあったが昔は本当に鬱蒼としてたんだな。。

http://haisendream.web.fc2.com/fukuchiyamasen.html

497とはずがたり:2020/03/24(火) 20:52:33
本日,伝説の(氷結した坂で高田のS13立ち往生のシビック初ドライブ!その後の伊吹山の雲海など)関ヶ原明神の森にトライしようとするも入口でまさかの(いやまあ知ってたけど)通行止め。大学生の男3人なら貫通じゃんと一寸車止めどけて進むんだけどいい歳した社会人で息子づれとなると已む無く断念。折角この為にR307,南郷ICから名神経由で米原IC迄大枚2200円払って来たというのに。。

と云う事で,先ずは新垂井駅跡を探しに行く。
取り敢えず調べると垂井町大石に有ったとのことで大石を検索するとこの踏切辺りhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.30.50.824N35.23.16.690/zoom/9/,脇に安田病院とある,が怪しそう。r63を上がって取り敢えず線路脇に取り付いて進んでいく。

ここらhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.31.16.665N35.23.22.770/zoom/9/に変なコンクリートの遺物があったが例の待避線付き1面ホームの新垂井駅ではなさそう。

結局,川で遠回りしつつ,結局到達したのが将にその安田医院脇の踏切の脇が駅跡であった。
待避線は既に撤去されてホームが本線から離れて叢に埋もれていた。とはいえwikiに厳重に封がされていると云う程でも無かったけど,まあ天下の東海道本線に単線区間で下り貨物ぐらいしか走らないとは云え現役施設に立ち入って本線縦断するのは憚られて到達は断念。踏切付近から眺めて納得することにした。

それにしてもスマホで検索したネット地図にも出て無くて現地で気づいたのだが,ボロッボロの建物で農協の廃支所かと思ったがそれが安田病院であって,しかも未だ開業してるみたいで,しかも嘗ては新垂井駅前だったであろうバス停の名前が安田医院前であった。
運行業者は垂井町になってるらしいhttp://www.town.tarui.lg.jp/docs/2015012900086/files/jikoku.pdfが,嘗ての系統とは似ても似つかぬ形になってそうだから昔の新垂井駅前という表現は余り正しくないのかもしれない。。wikiには名阪近鉄バスが垂井と新垂井の駅間を運行していたらしい。

wikiには保線基地の側線有りとなっていたが駅は大石踏切(という名らしい)の東側なのに対して保線基地は西側にあるようだった。

さて一仕事終わったし掛川に向かいたい所だが消化不良は否めない。と云う事で西濃鉄道の跡地へ向かう事にした。

498とはずがたり:2020/03/24(火) 20:52:59
>>497-498
現地では全て忘れてて残されてたらラッキーぐらいの記憶であった。

r216を使ってのまずまずのアプローチ(byスキージャンプペアの茂木さん風w)。東海道線のガードをくぐると前を走っていた消石灰のタンクローリーが突如右折。一寸いぶかしいと思いながらもこちらは直進。

程なく昼飯駅跡に。前回来た時は廃貨車か休貨車が放置されてた印象だったががらんとした空き地になっていた。トラックの荷台を廃物利用した廃PCB倉庫がポツンと広場の中に造られており端の方に古い倉庫が残されていたけどすっかりなにも無くなっていた。

まあこんなもんかと一周した後にスイッチバックの大久保駅へ。因みに現地を回っていた時は昼飯線ってのは覚えてた(訓みはひるめしではない事は覚えてた程度ww)が駅名はどっちが昼飯駅かもまたもう一方の大久保駅の名前も失念していた。

大久保駅も線路は取り払われていて狭い空き地になっていた。此処も廃貨車がぎっしりであった記憶があるが,何も無くなってみると3本しか発着線のない狭い駅であった。ただホームは一つ残っていてホーム上の倉庫も未だ残っていて何かに使われているようであった。
しかしこのホームのお陰で脇の道路がとても狭く不便なので倉庫を駅跡に造って道路を拡幅する方が良さそうではあった。駅跡すら何時迄残ってるか心許ない感じであった。

さて,その超狭い道路を抜けて見ると,なんと地図上で金生山産業道路成る道路に出るではないか!さっきの消石灰トラックもこちらに回る為にあそこの交叉点で左折していったに違いない。どうろは確かに関連のダンプばかりで場違いってだけではなく部外者お断りで怒られかねない感じではあったが,宇部美祢並の(うそw)産業道路の存在にテンションあがる。美濃大久保駅もまあ産業道路直結のロケーションではあった訳だ。

という訳でそのまま乙女坂へ産業道路で抜けて後は市橋線に沿って北上。線路は光ってて使われてる感じはあったが如何せん貨車が一両もなくて感覚が鈍っていて使われてるかどうかの自信は湧いてこないw
そのまま北上すると先ず,線路の茶色と雑草が増えて明らかにさっきよりも使用レベルが低下しやっとさっきの所迄は使われてる事が自信が持ててくる。更に行くと線路が撤去され始めていて,廃墟のコンクリート製のホッパの跡等が現れる。写真を撮ったりして北上,これ以上は無さそうというとこ迄行って引き返す。

途中,赤坂本町付近? の踏切付近にいたおばちゃんに貨物列車どの位走ってますかと聞くと一日3往復とのこと。美濃赤坂駅もがらんとしてて貨車一台もいなかったが名古屋の方に出張ってる最中なのであろう。。

昼飯線の線路は未だ残っていた(けど踏切類は潰されていて廃止は確定的)ので何処迄残ってるのか辿ったら美濃大久保の手前の県道迄来たのでこの区間は殆ど残っていて,それ以遠は殆ど残ってないという感じの様子。

そのまま東海環状道の走りを大垣西ICから堪能しつつ(本当は新規に開通した大野神戸から乗りたいとこだったが赤坂迄出てしまうとちと遠かった)掛川まで帰ってきた。

帰宅後の机上調査に拠るとというかwikiに拠ると昼飯(ひるい)線の廃止は2006年で2015年位から線路の撤去が始まったそう。また西濃運輸は西濃鉄道とは全く無関係だそうな,何となく西濃鉄道の運輸部門が発展したかと勝手に思ってた。更に今は樽見鉄道が51%保有の筆頭株主の様だ。

499荷主研究者:2020/03/29(日) 17:10:13
日原には一度行ってみたいものだ。

https://toyokeizai.net/articles/-/339440
2020/03/29 5:40 東洋経済
東京にある「孤立集落」のあまりに厳しい現実
昨秋の台風で生活道路が崩落、復興作業続く

山田 稔 : ジャーナリスト

台風19号で大きな被害を受けた日原地区は今どうなっているのでしょうか。以下、写真はすべて3月中旬撮影(筆者撮影)

500とはずがたり:2020/04/01(水) 01:38:40
本日(日付変わって昨日)豊橋鉄道田口線跡探索
田口駅は酷い所にあるなあと思ったがこういう経緯だったか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E7%94%B0%E5%8F%A3%E9%A7%85

終点の三河田口駅の設置場所をめぐり問題が発生した。設立当時の田口鉄道は、宮内省が筆頭株主であった[6]。豊川の上流段戸山一帯には御料林があり、山林経営と御料木材の搬出に便宜を供するという条件で、宮内省は田口鉄道への出資を引き受けていた。この宮内省の希望と地元の希望が衝突し、終点の設置場所の選定に時間を要したのである[7]。

地元の希望は、田口の市街地への駅設置であった。この場合、清崎から田口市街地までの4.5kmで高低差約200mの勾配(1kmあたり44.4m、すなわち44.4‰)を登る必要があった。急勾配を回避するために迂回して路線の距離を伸ばす方法もあったが、多額の資金が必要で不可能であった。一方の宮内省は、段戸山から木材を搬出する森林鉄道の接続を重視しており、田口の街へ終点を置くと清崎まで森林鉄道を延長する必要があるため、豊川沿いへの駅設置を主張していた[7][8]。

清崎延伸から2年が経過した1932年(昭和7年)12月22日、三河田口駅は開業し、田口鉄道は全通した[9]。紆余曲折を経て駅が設置されたのは、豊川沿いの田尻であった。同地は森林鉄道の貯木場を設置するのに適した場所であった一方で、市街地から2.1kmの距離があり、その間には約150mの標高差が存在した[7]。

段戸御料林からの木材輸送については、駅の開業後2つの森林鉄道(通称:田口森林鉄道)が敷設された。まず1934年度(昭和9年度)に椹尾線、続いて1940年度(昭和15年度)に本谷線が開通した。この森林鉄道は軽便鉄道であり田口鉄道とは軌間が異なるため、駅には貯木場が設置され、ここで森林鉄道経由で搬出された木材を田口鉄道の貨車に積み替えていた。これらの森林鉄道は戦後、道路の整備と森林資源の枯渇により、本谷線が1960年度(昭和35年度)、椹尾線が1961年度(昭和36年度)に廃止されて消滅した[10][11]。このほかの貨物輸送については、戦後の1940年代後半から1950年代前半にかけて、津具金山の鉱石、段戸鉱山のマンガンも扱っていた[12]。

駅から離れた田口の市街地へは、当初は東三自動車運輸が連絡バスを運行した。1939年(昭和14年)11月21日より、この連絡バス路線を田口鉄道が譲り受け、直営としている。しかし太平洋戦争下のガソリン不足深刻化に伴い1944年(昭和19年)下半期に運行を中止、同年11月13日に正式に休止した[13]。戦後の1949年(昭和24年)1月、駅から市街地までのバスは運転を再開した。ただし田口鉄道直営ではなく尾三自動車の流れを汲む名古屋鉄道(名鉄)による運行で、1日3往復のみ、田口町を越えて稲武までの路線であった[14][15]。その後、東三自動車運輸の流れを汲む豊橋鉄道により、駅と市街地を結ぶ連絡バスが電車の発着時間にあわせて運行されるようになった[16]。

501とはずがたり:2020/04/03(金) 02:24:21
現地ではこの辺https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.33.50.112N34.58.51.493/zoom/9/を駅跡ではないかと推定したが,wikiの古航空写真だとこの辺https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.33.50.931N34.58.59.278/zoom/9/の様だ。

玖老勢駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%96%E8%80%81%E5%8B%A2%E9%A7%85

玖老勢駅(くろぜえき)は、愛知県新城市玖老勢にかつて存在した豊橋鉄道田口線(旧・田口鉄道)の駅。南設楽郡鳳来寺村(1956年以降は鳳来町、現・新城市)にあった駅の一つである。

駅が置かれた玖老勢は、豊橋と長野県の飯田を結んだ伊那街道沿いの農山村で、鳳来寺村役場の所在地でもあった[3]。

1957年度の乗車人員は9万6千人(1日平均262人)で、そのうち6割にあたる5万8千人が定期乗車券での利用客であった。この乗車人員は田口線全11駅において、本長篠駅・鳳来寺駅・三河田口駅・三河海老駅に次いで5番目に多い[8]。

同年度における貨物取扱量は、発送が16,235トン、到着が227トンであった。田口線の貨物取扱駅7駅の中で、取扱量は本長篠駅に次いで2番目に多い[8]。駅で扱っていた貨物の中には、鳳来寺村の西隣にあたる作手村の岩波(現・新城市作手岩波)で産出された珪石もあった[9]。

502とはずがたり:2020/04/03(金) 23:54:13
鳳来寺駅

『鉄道線路跡を歩く』では1巻と云う事もあってか割とあっさりと1頁に収められてしまっている豊鉄田口線であるが,現地では見所満載であった。『歩く』一冊のみで事前知識なしでも現代のネット地図に残る痕跡を辿って推理すると色々見えてくる。

鳳来寺駅は県道32号を行くとそれらしい所に出る。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.34.25.963N34.57.53.810/zoom/9/

県道が一寸広くなっててバスベイのある鳳来寺というバス停があり,その後ろに広場(駐車場)がある。駅跡や駅舎跡の風情である。
http://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/taguchisen/taguchisen00.html#IMG_20200331_155148s.jpg
果たして駐車場には田口線廃線50年の幟がはためき,駐車場脇には鳳来寺駅跡の看板もあった。

脇道は旧道っぽいが,線路跡は全く残ってないので現地では解らなかったが,県道の拡幅用地に取られてしまった様である。
http://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/taguchisen/taguchisen00.html#IMG_20200331_155205s.jpg

軌道敷跡が道路となったところ1 旧鳳来寺駅付近
http://www.tokai-mg.co.jp/horaijikidoshikiato.htm

『歩く』に記載のほうらいじ食堂を探すも跡形もない。wikiに寄ると
>駅舎は駅の廃止後も解体されず、改装の上1969年(昭和44年)10月10日より「豊鉄ほうらいじ食堂」として営業を開始した[22]。道路改修工事によりこの食堂は撤去されるものの隣地に新たな食堂を建設して営業を続けた[23]が、2004年(平成16年)に閉鎖され、2009年(平成21年)に[要出典]取り壊された。
との事である。
『歩く』の奥付が普通の本と違っててよく解らないのだが1995とあるのでその辺だとすると,出版後10年弱で営業終了し,15年弱で解体され,更に25年後に我々が訪れると云う時間経緯となる。

503とはずがたり:2020/04/03(金) 23:54:35
>>502
鳳来寺駅付近の廃トンネル

諦めて奥へ向かうが,脇道があるので入ってみるとビンゴ!ここhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.34.8.493N34.58.2.552/zoom/10/が交叉部であった。直ぐ横がこれ!
http://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/taguchisen/taguchisen00.html#IMG_20200331_160709s.jpg
田口線にしては珍しく塞がれてるので敢えて入らなかったが,鳳来寺バス停付近が旧駅とするとこのトンネルの出口は先程の県道脇にあった筈である。(全然気づかなかったw)

ストビューだとこれ
https://www.google.co.jp/maps/@34.9703126,137.5675887,3a,75y,309.02h,87.97t/data=!3m6!1e1!3m4!1sXEe-KqyugFwCNibVlMyEIg!2e0!7i13312!8i6656

goomapだとここ
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.34.13.125N34.58.1.710/zoom/10/

あるやんって感じで,我が走行動画だとこんな感じ。
http://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/taguchisen/taguchisen00.html#PICT6213-01.png

で,更にその先にもトンネルらしき堀割があったが子連れでもあったし入口迄覗きに行くのは止めて先を急いでしまった。
http://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/taguchisen/taguchisen00.html#IMG_20200331_160920s.jpg

504とはずがたり:2020/04/04(土) 01:37:37
>>503

鳳来寺駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B3%E6%9D%A5%E5%AF%BA%E9%A7%85
鳳来寺駅(ほうらいじえき)

会社設立前の構想では、豊川鉄道の終点長篠駅(現・JR飯田線大海駅)を起点とし、玖老勢までは豊川(寒狭川)に沿うルートとする予定であった。しかし会社設立段階になり、長篠駅より先の区間を開通させていた鳳来寺鉄道(豊川鉄道と同様にJR飯田線の前身)や鳳来寺からの出資を得るために[5]、鳳来寺鉄道鳳来寺口駅へ起点を移し、かつ鳳来寺の前を通すルートとすることになった[6]。
駅ができると、駅前には十数件の民家が集まり一つの集落が形成された[4]。1935年(昭和10年)には門谷に鳳来寺女子高等学園(のちの愛知県立鳳来寺高等学校、2011年閉校)が開校する。同校は田口鉄道によるアクセスを前提として開設されたともいえた[7]。

太平洋戦争中の1945年(昭和20年)7月27日より、駅に田口鉄道の本社が入った。もともと本社は豊橋市内にあったが、同年の豊橋空襲で被災したため移転してきたものである[8]。

戦後の1949年(昭和24年)9月23日、駅前に「田口鉄道自然科学博物館」が開館した。「東三河の地質と鉱物の会」に田口鉄道が協力して創設したもので、鳳来寺山を中心とする資料を展示した。この施設は1963年(昭和38年)に開館した町立鳳来寺山自然科学博物館の基礎となっている[9][10]。

鳳来寺の最寄り駅として毎年11月23日の鳳来寺山もみじ祭の際には、飯田線から臨時列車が乗り入れていた[11]。また1950年(昭和25年)から1954年(昭和29年)にかけて、名古屋鉄道(名鉄)の小坂井支線と飯田線を介して、名鉄の団体用臨時列車が新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)方面から乗り入れていたこともある[12]

2012年(平成24年)現在、本長篠駅と設楽町田口を結ぶのは豊鉄バス田口新城線で、新城駅近くの新城市民病院(以前の名称は新城病院前)バス停から本長篠駅前経由で田口まで運行されている[16]。門谷地内ではバスは愛知県道32号長篠東栄線を走行しており、駅のあった字笠川に「鳳来寺」バス停が設置されている[17]。

また、当駅にあった腕木式信号機は愛知県春日井市にある中部大学に移設され、保存されている。

957年度の乗車人員は20万4千人(1日平均558人)で、そのうち4分の3にあたる15万4千人が定期乗車券での利用客であった。この乗車人員は田口線全11駅において、本長篠駅に次いで2番目に多い[20]。鳳来寺高校の学生の利用が多かった[11]。

同年度における貨物取扱量は、発送が49トン、到着が71トンであった。田口線の貨物取扱駅は7駅あったが、取扱量はその中で最少である[20]。

駅の跡地
駅の跡地は上記の鳳来寺バス停付近である。駅舎跡は愛知県道32号と鳳来寺の参道(愛知県道441号)の交差点付近にあたる。線路跡は県道32号に吸収された[21]。

駅舎は駅の廃止後も解体されず、改装の上1969年(昭和44年)10月10日より「豊鉄ほうらいじ食堂」として営業を開始した[22]。道路改修工事によりこの食堂は撤去されるものの隣地に新たな食堂を建設して営業を続けた[23]が、2004年(平成16年)に閉鎖され、2009年(平成21年)に[要出典]取り壊された。

505とはずがたり:2020/04/04(土) 01:39:59
車庫や変電所のあった要衝三河海老駅だが,元々この海老が交通の要衝で豊川鉄道の競合社が海老迄の延伸を計画してたので豊川(更には新城)迄の予定だった豊川鉄道が大海(長篠)迄を条件に免許が交付された経緯があるそうな。
恐らく大海から海老へ向かうのが東参鉄道の計画であったのだろう。また当初の田口鉄道もそのルートで計画したようである。>>504

豊川鉄道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%B7%9D%E9%89%84%E9%81%93

1893年(明治26年)6月5日、愛知県渥美郡豊橋町(現・豊橋市)の加治千萬人(豊橋銀行専務)ほか16名[3](再申時21名)は、資本金5万円の豊川鉄道株式会社の設立を発起し、宝飯郡下地町(現・豊橋市)より牛久保町(現・豊川市)を経て豊川町(同上)に至る、豊川稲荷の参詣客輸送を目的とした全長約4マイル(約6.4km)の鉄道敷設を請願した。官設鉄道(東海道線)豊橋駅とは豊川を挟んで対岸にあたる下地を起点としたのは、豊川への架橋を避けて建設費用をおさえたかったためである。軌間を2フィート6インチ (762mm) としたのも、わずか4マイルの鉄道では官設鉄道と接続する必要はないため、としていた。

ところが競願者の御油鉄道が現れたため、対抗上豊川町より南設楽郡新城町(現・新城市)までの約8マイルの延長と、豊川町より国府町(豊川市)へ至る支線も追加し、前回の回答を待たずに30日に追願書を提出した。これらは1894年(明治27年)1月に開かれた第3回鉄道会議により審議されたが、この2社以外に東参鉄道(東三鉄道)が申請されており会議は紛糾。結局豊川鉄道、御油鉄道共々却下されてしまった。4月になると東参鉄道は他の勢力と合同し再申請した。内容は官設鉄道豊橋駅より新城を経由して南設楽郡海老村(鳳来町を経て現・新城市)に至る路線で軌間を3フィート6インチ (1067mm) としていた。この計画は豊川鉄道と路線が一部重複しているため、豊川鉄道は抗議し先願権を主張して陳情を繰り返した。6月の第4回鉄道会議において豊川鉄道と東参鉄道は審議にかけられたが前回同様紛糾した。結局豊川鉄道の先願権が認められたが「軌間を1067mmとすること」「新城より南設楽郡信楽村大字大海(現・新城市)までの約4マイルを延長すること」などの条件を提示された。これにより資本金を40万円とし、軌間を1067mmとし、路線を下地町より豊川、新城を経て大海に至る約17マイル(約27.4km)とする訂正願書を8月20日提出した。こうして12月5日に仮免状が豊川鉄道に下付され東参鉄道は却下となった。

三河海老駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E6%B5%B7%E8%80%81%E9%A7%85

歴史
当駅のあった海老は、豊橋と長野県の飯田を結ぶ「伊那街道」の宿場町として発展した地域である。明治に入ってもなお街道の賑わいとともにあり、次第に人口も増加して1894年(明治27年)には町制をしいて海老町となった。

海老町に鉄道が伸びるのには時間を要した。
1894年に、官営鉄道が通じていた豊橋駅を起点とする東参鉄道が海老村(当時)までの路線敷設を申請したが、先願の豊川鉄道に敷設権を取られ、同じ南設楽郡内の大海駅までの1900年(明治33年)の延伸に止まった。現在のJR飯田線南部にあたる区間である。
大正に入ってからは1923年(大正12年)に、豊川鉄道の姉妹会社鳳来寺鉄道が、大海駅から宇連川に沿って路線を伸ばした。海老町はこれらの鉄道網からは外れていたが、豊川鉄道大海駅延伸に伴い駅と町の間で乗合馬車が営業を開始し、1919年(大正8年)には大海から海老を経て田口(現・設楽町田口)へ至る路線バスが開通するなど、交通機関は確保されていた。

当駅を開設した田口鉄道は、上記の豊川鉄道・鳳来寺鉄道の系列会社である。当駅は、同鉄道の第一期線にあたる鳳来寺口駅(後の本長篠駅) - 当駅間の開通に伴って、1929年(昭和4年)5月22日に開業した。…鉄道の開通は、町に人口の減少という影響を与えた。これは、鉄道開通により中心地としての役割が薄れて人々が都会へと出ていくことが多くなったためであった[2]。

2012年(平成24年)現在、本長篠駅と設楽町田口を結ぶのは豊鉄バス田口新城線で、新城市民病院から本長篠駅前経由で田口まで運行されている。…

構造
相対式2面2線と本長篠方折返しの片面1線で構成された[14]、列車の行き違いが可能な交換駅であった[15]。構内には車庫や変電所があるなど、同線の中枢として機能していた。…

506とはずがたり:2020/04/05(日) 08:22:50
田口線関連

帝室林野局の管理する御料林(とその為の林鉄)もあった段戸山だけどなんで鷹ノ巣山みたいな凡庸な名前に変えちゃったんだ??

鷹ノ巣山 (愛知県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%B9%E3%83%8E%E5%B7%A3%E5%B1%B1_(%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C)

北設楽郡設楽町にある山。美濃三河高原に位置する。標高1,153m[1][6][7] 。愛知県有数の山である。2011年(平成23年)7月28日、関係自治体の申請により従来の段戸山から、現行の鷹ノ巣山へ名称を変更している[3]。周囲は段戸高原県立自然公園に指定されており、江戸幕府御林から明治維新後の段戸国有林に引き継がれて保護されてきた歴史を持つ。

507とはずがたり:2020/04/08(水) 18:39:29
飯豊桧枝岐線
http://yamaiga.com/road/tadaisi/zu_4.jpg

飯豊〜喜多方間
http://samidare.jp/iikanjini/box/1.jpg

37歳にしてデビューの飯豊桧枝岐線開通しましたよ〜!!
http://samidare.jp/iikanjini/note?p=log&lid=390071

…H25の7月、開通直後1月あまりで福島側の道が夏の鉄砲水で崩落、

H27年までの復旧を見込みながらも今年春、今度は山形側で大規模な土砂崩れが発生…

着工35年プラス2年かけて(この間にも多々問題があったようです)ようやく日の目を見る日が来ました!!

お問い合わせが多い飯豊桧枝岐線、一ノ木区間の状況をご案内いたします(`・д・´)ゝ

508とはずがたり:2020/04/08(水) 20:54:09
>>507
少し置いて新鶴・柳津区間30.5km

里の方は兎も角二岐(ふたまた)以南が

福島県道53号会津高田柳津線 赤留不通区
http://yamaiga.com/road/fpr53/main.html
直進するのが県道59号だが、ここで右折する同じくらい立派な2車線舗装路は、元大規模林道の飯豊檜枝岐線である(現在は市町村道らしい)。
この先の区間で長い間工事がストップしているので、道は立派だが交通量はごくごく少ないし、入口にはそれと分かる標識さえない。

恐らくその末端部。この先は作業道蛇喰線とか云う様だ。
https://www.google.co.jp/maps/@37.4451062,139.7762937,3a,75y,214.67h,78.53t/data=!3m6!1e1!3m4!1sHPGJW5z9KDH2wSbKERwNAA!2e0!7i13312!8i6656

(未通区間:約700m程?流石に腹立たしい。ここまで造ることもここまで就くって放置も。)

ここから少し離れた場所から亦始まっている。
https://www.google.co.jp/maps/@37.4374251,139.7789059,3a,75y,5.38h,89.34t/data=!3m6!1e1!3m4!1sJJ-mvkhzZk9JGapk1Xufog!2e0!7i13312!8i6656

この先はストビュー可視区間だと此処で終わりだが,この先も普通に続いていそうで不明。。
https://www.google.co.jp/maps/@37.3943141,139.7543116,3a,75y,55.59h,78.24t/data=!3m6!1e1!3m4!1skGfw43VuDamjvOmb7v_x-g!2e0!7i13312!8i6656

この先,この道を辿ると辿り辿って結局此処へ出る。この入口付近は林道漆峠線というらしい。
https://www.google.co.jp/maps/@37.4071434,139.7007568,3a,75y,40.98h,86.27t/data=!3m6!1e1!3m4!1s9_4zxOyNY7Jx5KZ-7kDTLQ!2e0!7i13312!8i6656

509とはずがたり:2020/04/08(水) 20:54:52
>>508
×ここまで就くって放置
○ここまで造って放置

510とはずがたり:2020/04/08(水) 22:26:18
>>507-508
判明!

林道新鶴柳津線
http://www.lodge-motive.com/hi-ho2/daikiborindo/minamiaidu/nisiaizu.gif

下の動画によるとスーパー林道は此処に出てくるとのこと。2車線の良い道なのにストビューが入っていない。。(2014年完成の道路工事の看板が出ている。古い・・下のyoutube動画は2019年なのでこの後完成したのであろう。)
https://www.google.co.jp/maps/@37.375275,139.6723986,3a,75y,21.65h,83.62t/data=!3m6!1e1!3m4!1suikgfKkNtpoQpKi7jTc2kA!2e0!7i13312!8i6656

【ドライブ動画】会津探索シリーズ2 幻の博士トンネル 前編 緑資源幹線林道 飯豊檜枝岐線 新鶴・柳津区間 終点〜新規開通
間〜博士トンネル
?2019/07/04
https://www.youtube.com/watch?v=EQGGx5d47Fw
【ドライブ動画】会津探索シリーズ3 幻の博士トンネル 後編 緑資源幹線林道 飯豊檜枝岐線 新鶴・柳津区間 未成部分
?2019/07/05
https://www.youtube.com/watch?v=exPMjg71mQo

で,この区間には博士トンネルがある様だがネット地図にトンネルは見当たらない。。
と云う事で調べてみるとみっけたのがこちら:

会津の大規模林道と、幻の博士トンネル
〜全通した会津坂下・新鶴区間と、未開通の新鶴・柳津区間。幻の博士トンネルを発見〜
訪問日:2009年11月中旬  掲載日:2010年1月20日
http://www.lodge-motive.com/hi-ho2/daikiborindo/minamiaidu/minamiaizu.htm

これを読むとスーパー林道のr32への出口へは出れず漆峠線の出口に出そうな感じにも見えるけど,開通したのか?

Yahoo!Mapだと繋がっているけど肝腎のトンネルがない。。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.40.54.477N37.22.6.793/zoom/9/

う〜む,やはり謎だ。。

511とはずがたり:2020/04/08(水) 22:54:37
>>510
最終兵器国土地理院にもトンネルは見当たらない。。
https://maps.gsi.go.jp/#15/37.375409/139.716654/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

因みにその後の計画。。
http://yamaiga.com/road/tadaisi/map_15.gif

北の駒止峠の旧道から北に分岐して昭和村方面へ抜ける計画だったようだ。何処迄もむかつくぜ。

道路レポート 多々石林道 机上調査編「謎の舗装路について」
http://yamaiga.com/road/tadaisi/main3.html

またあと一寸で繋がるけど多々石峠の事業は中止とのこと。此処もムカつくぜ。。

取り敢えず自民党に任せておくと税金の無駄遣いしかしないからダメと云う事。

野党も全く期待集めてくれないけど。。

512とはずがたり:2020/04/16(木) 00:50:56

グーグルマップR152の未成部分,地蔵峠南側。
ストビューは此処迄
https://www.google.com/maps/@35.4634767,138.0002976,3a,75y,10.71h,99.76t/data=!3m6!1e1!3m4!1s1BjG-jQKETT6-KqENGLV4w!2e0!7i13312!8i6656

ここから先を歩いている動画

【廃道探索】国道152号線 事実上廃道の現役国道 地蔵峠1
https://www.youtube.com/watch?v=qX0tt_RRq_c

土砂崩れしてる箇所もあるけど,まあ道としては暫くは上々。

此処,御堂沢。未だ舗装されてるそうな。
https://www.google.com/maps/place/%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%B3%E3%81%9D%E9%AB%98%E5%8E%9F/@35.4714714,138.0017657,17.5z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x6f37f87e396b7c9b!8m2!3d35.4335779!4d138.0291697

この先,未舗装になる様だ。とはいえ結構な道幅とガードレール完備。蛇洞林道よりもこっち整備しても良かったんちゃうか。
goomap上でも道が消えた(国土地理院では点線)先の川の分岐が樽ケ沢
https://www.google.com/maps/place/%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%B3%E3%81%9D%E9%AB%98%E5%8E%9F/@35.4724229,138.0020236,17.5z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x6f37f87e396b7c9b!8m2!3d35.4335779!4d138.0291697

動画だと既に川に水は無いけど,googleよりgooの方が実態を示しているのかも。川は無く堰堤っぽいマークのみある。大きな堰堤の前にと云ってるのでこの道のマークが無くなる辺りから車道はなくなるらしい。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.0.24.196N35.28.11.250/zoom/10/

513とはずがたり:2020/04/16(木) 00:51:06
>>512

【廃道探索】国道152号線 事実上廃道の現役国道 地蔵峠2
2018/12/20
https://www.youtube.com/watch?v=gaaK8RLv26I

遠山林道360mなるものがあったらしい。
堰堤の建設用道路か?

国土地理院 小さな堰堤の後ろに大きい堰堤があるのが判る。
https://maps.gsi.go.jp/#17/35.473091/138.003763/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

おにぎりは一寸小ぶりな感じがするから偽物では??

既に土砂が埋まって指定した時の地形は残ってないっぽいな。。

以下3迄あるけど遅いし寝よう。。

514とはずがたり:2020/04/16(木) 02:39:44
ここねえ。。
莫大な費用かけて長大隧道ぶち抜きよりマシだけど。。
1車線道路でも物凄い自然破壊だし。。

ただ昔,政治家さん方が皆で歩いて山越えのパフォーマンスしてたニュースが多分此処で,非常に印象深く,悲願なんだろうなと思うと100%批判はし難い。。

【なぜ?】半世紀前に計画の 酷道開通 その意味不明国道416号 why? The national road planned 50 years ago was opened
https://www.youtube.com/watch?v=NK5kpfRtRik

国道416号開通、走ってみた
小松―勝山の最短ルート、難所も
2018年9月15日 午前7時20分
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/700259?page=2

石川県側の整備区間を過ぎたあたりからほぼ1車線に。待避場がない場所ではすれ違いのためバックして戻る車の姿を何度も見かけた。場所によってはすぐ横が20メートルの崖や川が迫る区間が数キロ続く。頻繁にすれ違いがあり、その度に冷や汗がにじむ。大型車を全く見ないのもうなずける。

 時速30キロ程度で“難所”を抜け、空港に到着したのは出発から1時間40分が経過していた。走行距離は53キロだった。

 帰りは石川県白山市を抜ける国道157号経由で勝山へ。ほぼ2車線でスムーズに進み、恐竜博物館には1時間25分で到着した。距離は空港から70キロとやや大回りだがアクセスはしやすい。北陸自動車道―中部縦貫自動車道経由だと距離は70キロ、時間は1時間ですむ。

 実際に走行し、小松市側からの大型バスでの誘客は厳しい印象を受けた。ただ2市は道路幅の改良を目指しており、将来は改善する可能性もある。

ストビューは開通してへんw

石川側。通行止めのゲートで封鎖されてたようだ。
https://www.google.co.jp/maps/@36.1651256,136.5244939,3a,49.6y,149.42h,91.64t/data=!3m9!1e1!3m7!1s09y9hziBN4HmIeVonNeunA!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i26
福井側。何故此処迄なのか判らん。。
https://www.google.co.jp/maps/@36.1341007,136.5145318,3a,75y,41.86h,94.15t/data=!3m9!1e1!3m7!1sLqwkfB9aTIMGiYlriwGGNQ!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i26

515とはずがたり:2020/04/16(木) 22:17:31
>>507
飯豊桧枝岐線
http://yamaiga.com/road/tadaisi/zu_4.jpg

飯豊〜喜多方間
http://samidare.jp/iikanjini/box/1.jpg

37歳にしてデビューの飯豊桧枝岐線開通しましたよ〜!!
http://samidare.jp/iikanjini/note?p=log&lid=390071

の記事だが>>211で既出だ。

516とはずがたり:2020/04/30(木) 19:46:19
>>500-506
【伊那街道】

田口鉄道は大海から豊川沿いのルート(R257+r436)を取らずに本長篠から鳳来寺沿いのルート(r32)を取ったが,この大海から豊川沿いが本来の伊那街道だったと思われる。

ともう一つ,与良木峠も田口鉄道は外れているそうだがこちらは今では県道等の指定はないようである。田口線のルートはr389+R257で清崎で与良木峠からの道と合流する。

その後R257沿いに田口迄進み,田口からr10設楽根羽線が伊那街道の様である。

与良木峠
https://www.google.com/maps/place/%E4%B8%8E%E8%89%AF%E6%9C%A8%E5%B3%A0/@35.0508019,137.5483107,14.96z/data=!4m5!3m4!1s0x601b4931f952b631:0xa71a6d5057a8d58f!8m2!3d35.0553021!4d137.5567022

田峯駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B3%AF%E9%A7%85

田峯駅は1930年(昭和5年)12月10日、田口鉄道により開設された[1][2]。

駅のあった田峯は豊川右岸の地域で、旧段嶺村の役場所在地でもあった[4]。豊橋と長野県の飯田を結んでいたかつての伊那街道は、現在の新城市と設楽町の境を与良木峠で越えており[5]、田峯地区を経由していなかった。しかし田口鉄道は与良木峠を通らず、全長1.5kmのトンネル(稲目隧道)を開削して海老から田峯へと出ていた。

路線の廃止は1968年(昭和43年)9月1日付[1]であったが、その直前の8月29日に台風(台風10号)で被災して田峯駅から清崎駅までの区間が線路破壊により不通となり、三河海老駅から先の区間は運転していなかった[9]。

廃線となった田口線はバスに転換された。運行開始当初の代替バスは与良木峠経由であったが、稲目隧道をバス専用道路に転換する工事が1969年(昭和44年)1月15日に完成して与良木峠経由から切り替えられた。この稲目隧道は愛知県が買収し、1979年(昭和54年)3月に拡張工事を終えて二車線トンネルとされた。現在の愛知県道389号富栄設楽線稲目トンネルである[10]。

足助街道を歩く…伊那街道の位置が判る
http://kaidouarukitabi.com/rekisi/rekisi/tyuuma/asuke.html

田峯の近くにあった廃トンネル。まるっきり出入り自由っぽい。。
https://www.google.com/maps/@35.0507835,137.5405706,3a,75y,344.95h,90t/data=!3m7!1e1!3m5!1sQHn-dzzQm8MuK3n5_nIYFg!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DQHn-dzzQm8MuK3n5_nIYFg%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D347.58334%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656

517とはずがたり:2020/04/30(木) 20:25:37
>>516
wikiによる旧駅の場所。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d2/Damine_station_map.jpg

そもそもこのトンネルの出口も見当たらなかった。こっちがわはこんなに明け透けなのに。。

画面左での薮辺りが怪しいが,ここでは画面右手の廃道路トンネルの方に目を奪われていた。。
https://www.google.co.jp/maps/@35.0527902,137.5400289,3a,90y,206.11h,89.99t/data=!3m6!1e1!3m4!1sMBKuVOzz0s3DwQ3lpw9KMA!2e0!7i13312!8i6656

518とはずがたり:2020/05/01(金) 01:46:43
>>516-518
稲目トンネルの手前だからhttp://www.tokai-mg.co.jp/root1.htmに拠ると海老隧道らしい。
此処だけgoogleのストビューに写真載ってた。
https://www.google.co.jp/maps/@35.0329073,137.5555712,3a,90y,304.33h,112.79t/data=!3m11!1e1!3m9!1sAF1QipP6V7YKhDXtROUXKjJuHIm4Co7j6HTdvq0PmzRo!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipP6V7YKhDXtROUXKjJuHIm4Co7j6HTdvq0PmzRo%3Dw203-h100-k-no-pi-0-ya356.74625-ro-0-fo100!7i6656!8i3072!9m2!1b1!2i36

この手のわりかし保存の良いトンネルが連檐は言い過ぎだけど,でも軒を連ねてると云いたく成るぐらいには連続しているのが田口線の魅力。

現地では気づかなかったから此処は行けなかったが

519とはずがたり:2020/05/10(日) 17:32:14

ストビューカーも走ったんだな,此処!
https://www.google.com/maps/place/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E6%9D%B1%E7%89%9F%E5%A9%81%E9%83%A1%E9%82%A3%E6%99%BA%E5%8B%9D%E6%B5%A6%E7%94%BA+%E7%9C%8C%E9%81%93235%E5%8F%B7/@33.6282706,135.823314,12.5z/data=!4m5!3m4!1s0x60063fb81122e83d:0x66ab13a58d1058aa!8m2!3d33.6109268!4d135.8953537

https://twitter.com/yogoren/status/1259133507005079554
よごれん
@yogoren
結果、期待を裏切らない険道でした。和歌山県道235号、普通車だと内輪差で谷底に落ちそうなエキサイティングな道です。 プリウスぐらいで行くのが、ちょうどいいかもしれません。

520とはずがたり:2020/05/14(木) 22:09:55
有名な廃トンネル前のランクル。調べたら此処だった。
https://www.google.co.jp/maps/@35.1554441,140.0107222,3a,75y,149.38h,90.06t/data=!3m11!1e1!3m9!1sAF1QipNU4sdHGTCvDi8kPNxC63X3e6bAWjKxzc4jvqHO!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipNU4sdHGTCvDi8kPNxC63X3e6bAWjKxzc4jvqHO%3Dw203-h100-k-no-pi1.8141268-ya3.30558-ro3.5999734-fo100!7i5376!8i2688!9m2!1b1!2i28

521とはずがたり:2020/05/18(月) 21:07:26

赤沢廃ループ橋
https://shiranui23.com/hikyou/akazawahailoopbridge/

赤沢八幡野連絡橋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%B2%A2%E5%85%AB%E5%B9%A1%E9%87%8E%E9%80%A3%E7%B5%A1%E6%A9%8B

赤沢八幡野連絡橋(あかざわやわたのれんらくきょう)は静岡県伊東市八幡野にある道路橋(廃橋)。

概要
1976年(昭和52年)に完成[1]。前後に高低差があり鋼鈑桁のループ橋になっていた。八幡野の山間部の別荘地開発のための工事用道路として建設されたが、別荘地開発の中止に伴って破棄され、撤去もままならず荒れるがままに放置されている。1993年(平成5年)に行政が橋の一部の崩落を確認したことが報告されている。廃ループ橋などの通称で知られる。

これ
https://www.google.co.jp/maps/@34.8669403,139.0894547,488m/data=!3m1!1e3

522とはずがたり:2020/05/22(金) 21:09:14
>>53>>152
結構印象深いレポだったr248八溝山公園線だが,当時未完成だったが全通してるようだ。

茨城県道248号八溝山公園線(山行が)
http://yamaiga.com/road/ipr248/main.html

茨城県道248号八溝山公園線(wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E9%81%93248%E5%8F%B7%E5%85%AB%E6%BA%9D%E5%B1%B1%E5%85%AC%E5%9C%92%E7%B7%9A

グーグルのストビュー
https://www.google.co.jp/maps/@36.921072,140.2820927,3a,75y,85.1h,102.63t/data=!3m6!1e1!3m4!1szSXFV2TE8IGrvgfhCjjbxg!2e0!7i13312!8i6656

523とはずがたり:2020/05/24(日) 23:17:48
2010年11月29日02:18
国道廃道・旧道・隧道
国道156号線・国道148号線の旧道・廃道巡り
http://blog.livedoor.jp/koshibou/archives/3471833.html

524とはずがたり:2020/05/31(日) 00:16:18
昨日,奈良県南部に廃道探索に行って来た。

先ずは目的も決めずだらだらと南下。

?橿原高田IC

此処はR24大和高田BPの新堂ランプとほぼ同位置にある。
R165の曲川町東交叉点から橿原高田IC迄は橋脚が盛んに立っていたが,京奈和道から大和高田BPへ直接乗り入れ出来そうなジャンクション的な位置にも橋脚が立っていて直接乗り入れ出来そうでテンション上がる。

調べてみたが大阪方面とはランプ橋で直接で繋がるようだ♪
https://saitoshika-west.com/blog-entry-6001.html
更には近鉄線と中和幹線は地下で交叉し,更には中和幹線は立体化する全体計画のようだ。
なかなか☆

さて,橿原高田ICから再び自専道に入り,開通後未だ走ってない御所南以南を走るとしてとなると五條から五新線跡だなとなる。

Ⅰ五新線(未成線)跡地

現地では此処は気付かなかった。
https://www.google.co.jp/maps/@34.3489041,135.6894953,3a,75y,235.36h,90.02t/data=!3m6!1e1!3m4!1sU3saw-_M1cIEfAfg1e7gFg!2e0!7i16384!8i8192

この辺は道路になってしまったようだ。どうやら野原駅の予定地だったようだ。
https://www.google.co.jp/maps/@34.3440275,135.6934278,17z

探している途中弁天宗とかの施設や駐車場があちこちに。

①先ず見つかったのは此処。
https://www.google.co.jp/maps/@34.3395209,135.6987723,3a,75y,198.73h,83.4t/data=!3m6!1e1!3m4!1sPwj56nXq6vxQWf06bckapA!2e0!7i16384!8i8192

私有地につき一般通行禁止 五條市とある。
バスが通りますと古ぼけた看板があるものの遮断機的なものはなし。

②とはいえ(過疎路線だしバスと鉢合わせする可能性は低そうだと思いながらも)進入する度胸もなく次の交叉部を探すと見つかった。
https://www.google.co.jp/maps/@34.3357345,135.7021312,3a,75y,272.63h,75.68t/data=!3m6!1e1!3m4!1sCCzLdxucmwOmSli8ou-lyA!2e0!7i16384!8i8192
これは吃驚,平面交叉(踏切)ではないか。鉄建公団の作った新しい線路をイメージしてたがだいぶ違う。(帰宅後調べたら戦前から建設してたらしい)

③途中,車道としては廃止された橋を見付ける♪
https://www.google.co.jp/maps/@34.3337851,135.6980315,3a,75y,356.48h,98.97t/data=!3m10!1e1!3m8!1s0riAAQsD0u1PI8qHHz3mPA!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3D0riAAQsD0u1PI8qHHz3mPA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D355.89145%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i16384!8i8192!9m2!1b1!2i40

④これは走れるんちゃうかと云う気持ちが沸々と湧き上がってきたのが此処。
https://www.google.co.jp/maps/@34.3312348,135.7037678,3a,75y,84.77h,81.74t/data=!3m7!1e1!3m5!1sotLEhea9D0jYhhsYWh3w7Q!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DotLEhea9D0jYhhsYWh3w7Q%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D260.50427%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i16384!8i8192

調べてみるとバスが2014年には廃止になっていると云う。おお!それで設備も古びてるし緊張感がなんとなくなかったんだなと思ってる内に実際に軽自動車が旧バス専用道走ってきて曲がって行った。と云う事で我々も此処から進入。テンション上がるw

525とはずがたり:2020/05/31(日) 00:16:38
>>524-525

⑤生子トンネル(という名らしい)が塞がれててここからR168に戻った。わるにゃんできそうに有刺鉄線が半分無くなってるのはご愛嬌かw
http://tohazugatali.web.fc2.com/transit/IMG_20200529_135201s.jpg

その後谷底に人家と専用道跡を農道(フルーツロード)の上から確認したが接近は試みず。

⑥賀名生バス停付近。クルマを停めるには如何にも狭すぎて築堤に上がるのは断念。
https://www.google.co.jp/maps/@34.298066,135.7211981,3a,75y,104.37h,99.38t/data=!3m9!1e1!3m7!1sX7YCZ9nYRTh0SOzGXuzHmw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i40

此処から再度バス道路に侵入を試みる
https://www.google.co.jp/maps/@34.2930509,135.7254958,3a,75y,199.97h,96.01t/data=!3m9!1e1!3m7!1sVep_gLQdbxgJL9ZXTR3Hlw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i40

も,トンネル手前の橋の手前で沮止され,しかも逃げ道もなくそのまま引き返す。
http://tohazugatali.web.fc2.com/transit/IMG_20200529_140626s.jpg

その付近にある函渠に彫られた完成年。1958年(S33)と結構古くて衝撃を受ける。確かに野原駅先の台地で平面処理なのも尤もである。
http://tohazugatali.web.fc2.com/transit/IMG_20200529_140911s.jpg

⑦その後は専用道に入るチャンスもなく結局次は有名な専用道城戸駅舎である。結構感動。
南都銀行の移動ATMが停まっていて警備員にじろじろ見られる。
http://tohazugatali.web.fc2.com/transit/IMG_20200529_141448s.jpg

以下続く

参考文献

廃線探索 五新線
http://www.hotetu.net/haisen/Kansai/140119goshinsen.html
奈良の五新線バス専用道、9月30日限りで閉鎖へ
https://response.jp/article/2014/08/04/229240.html

526とはずがたり:2020/05/31(日) 21:02:40
川端貨物駅だが紀の川の水運との連絡ってイメージだったけど,川端から坂本(五新線の建設区間の末端!)迄,大和索道という貨物用のロープウェイが一直線に(天辻峠越えて)延びて居たようだ。
五新線が寄る賀名生や城戸へは西熊野街道の改良が終わっていたらしい。大正時代のことである。

『廃道をゆく4』より

527とはずがたり:2020/05/31(日) 21:04:28
>>526
因みに長殿発電所は災害で完全に破壊されて,『廃道をゆく4』ではもう過去帳入りしたかのように書いているけどちゃんと復活http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1194191152/1538している。

528とはずがたり:2020/06/03(水) 16:47:34
石切駅は鷲尾(孔舎ヱ坂)駅方面へ200m移設されたのは知ってたけど,昔はトンネルがあってそれを開削した跡だってのは知らんかった。
で,昔の駅はこの辺らしい。
https://www.google.co.jp/maps/@34.6824894,135.6537087,70m/data=!3m1!1e3

東大阪市の近鉄瓢箪山駅前のジンジャモール瓢箪山のブログです。
http://blog.livedoor.jp/jinjamall/archives/9413489.html
2020年04月26日19:00
カテゴリ瓢箪山むかしむかし
駅・トンネル・駅・トンネル

20年も前の記事。今は無き橋脚跡みたいなのがあった?駅構内にも入れてるようだし。。

近鉄日本鉄道・旧生駒トンネル
http://www.kouiki.com/yori/ikoma-tn/ikoma-tn.html

http://www.kouiki.com/yori/ikoma-tn/3832.jpg

529とはずがたり:2020/06/06(土) 23:40:35

本日もまあと,前回の五新線から天辻のレポも済んでないのに四国攻略へ。第二阪奈から出発して明石海峡大橋,大鳴門橋,備讃瀬戸大橋を全攻略する野心的なコンセプト。

ここにどう肉付けしていくか。
行く前に手に取ったよごれんさんの『酷道を走る』から193号と439号を見付けて剣山に決定!

結局,第二阪奈から新しく開通した大和川線から淡路道,土成ICで降りてR318,r12,r237,R192,学駅,R193,R438,見ノ越,R439,奥祖谷かずら橋,いやし温泉(休業中),(r32と勘違いして)r261,R438,R32,R438,坂出IC,与島と云ったラインナップに。

注目は未成道は此処
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.16.40.249N34.0.14.782/zoom/9/

その手前のこの辺も気になった。旧道?
https://www.google.co.jp/maps/@34.0083735,134.27375,3a,75y,124.49h,77.27t/data=!3m9!1e1!3m7!1sFCOgcy2fBY_ic89hCMVBVQ!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i48

林道倉羅川合峠線
https://rindonavi.com/map/detail.html?_cid=kurarakawaitouge
今日走ったコースはこの林道でショートカット出来そうだったが災害通行止めだった。惜しい。。
大平槇山線経由でr250にも抜けられそうだけどどうなんやろ。。

見ノ越トンネル
トンネル手前に気になる未舗装道路。どうやら旧道でもないらしい。。
航空写真では路駐車両がみえるようだけど。。なんやろ。

奥祖谷かづら橋
男橋と女橋と野猿と川原。野猿は回避。男橋は結構高くて怖い。
まあの手を握って亘る。

いやしの温泉郷
モノレール(??)はやってたが温泉は休業してた。。
http://iyashino-onsenkyo.com/

r261
小島(おしま)峠越え。地名や持参の古い地図に騙されて祖谷への近道r32と思いこんでr261に進入。
巨大な材木積んだトラックと離合したり後ろに着いたりする。どこで伐りだしてたのかは判らない。
途中可怪しいと気付いて熊谷林道かと思ったりもしたが全然其処迄行けてなかった。

結局R428に出て大歩危ではなく坂出に直出。でも淡路経由と比べて随分遠回りのようで坂出でも猶,淡路道経由を指定された。

R32は持っていた1999年版の地図では点線となってた綾南・綾歌・満濃BPを短区間堪能。
R428BPはR32以南にも延びたそうにしてたけど未着工の様子で,r22以北は快適。R11のBPも坂出IC迄の超短区間を堪能。
R428の峠越え区間はなかなか快適なワインディングになっていたが,この坂出付近の都市近郊型BPも何処迄延ばすつもりかは気になる。(勿論途中繋げるのが先であるのは云う迄もないが。)琴電を乗り越えて現道とぶつかる辺りで止めといて貰えると納得もするんだけど。。

530とはずがたり:2020/06/07(日) 18:17:26
>>529
淡路道(神戸淡路鳴門なんて長すぎ)だが明石海峡大橋は片側3車線で,島内は洲本辺り迄3車線対応準備工事済みの100km/h規制で洲本以南は大鳴門橋も含めて片側2車線完成形の80km/h規制っぽかった。

徳島道の徳島ICへの接続形状は醜悪だが,途中は蓮根畑が拡がって居て地質は悪そうであった。阿南方面への接続しか考えてないのかと思ったけど少しは地質の問題もあり?
接続が醜悪と云えば,高松道と徳島道も板野付近で最接近するのに連絡路がない。現状では徳島付近の大回りや徳島道が2車線主体なのがメインだと思うが川之江迄高松経由が10分程速い表示になってた。改良して松山方面への時短に役立てて欲しい。

因みに瀬戸大橋も完成片側2車線だった。北西へ逆走する徳島辺りでは勿論,坂出でも関西への最短ルートは瀬戸大橋経由ではなく淡路道経由のナビだったし国鉄脳としてはとりま宇野線で岡山出て新幹線しかないんだけど道路ではだいぶ違うらしい。岡山・姫路と膨らむのに対して,徳島の凹みは大したことないのか。。徳島迄行かずに板野辺りが南端だからな。。

531とはずがたり:2020/06/07(日) 18:31:47
徳島県のR193は途中神山町から那賀町に抜ける箇所でr253山川海南線(しかも此処以外の区間ではR193に重複)となってて,変。

因みにr260中野木屋平線やr261菅生伊良原線,r44三加茂東祖谷山線も途中が切れていて林道で繋がっている(r44は直接は繋がっていない)。

道路が繋がってるのに途中切って格下の道路で繋げる徳島方式でもあるのか?!

533とはずがたり:2020/06/07(日) 20:09:48

山の方から降りてきて里の方が未舗装で未成道っぽいのもあるなかなか気になる末端部。
https://www.google.com/maps/@34.0221592,134.153214,3a,75y,318.01h,78.67t/data=!3m6!1e1!3m4!1sA4ykw3ckAxmBSu8o3g7CSQ!2e0!7i13312!8i6656

ここ。北東の末端部には点線もある。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.9.20.846N34.1.7.767/zoom/10/
r254が極細で描かれてるのも気になる。

こんな感じ
https://www.google.com/maps/@34.0226781,134.150153,3a,30.9y,131.01h,84.85t/data=!3m9!1e1!3m7!1siC3wG2NArkhpbLnX0Z6Tww!2e0!7i16384!8i8192!9m2!1b1!2i50

534とはずがたり:2020/06/07(日) 20:24:27
>>531
勿論
①r259一宇古宮線の剪宇峠の様な未通区間県道,
②r248奥野井阿波山川停車場線,r257蔭名小野線r304木地屋赤松線の様な(山を駆け上がる)末端行き止まり県道,
③r254田方穴吹線>>533(峠で分断されてる訳ではない),r258小谷西端山線の様な未開通と末端行き止まり県道のコンボもある。(更にr258とr304は林道を介して繋がっている様だ)

535とはずがたり:2020/06/07(日) 20:38:49

ここ,R492側,橋架けてバイパス造ってた。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.12.42.667N33.55.40.308/zoom/9/

536とはずがたり:2020/06/08(月) 22:21:16

児島IC


櫃石島IC(島民専用)…櫃石島:人口236人


岩黒島IC(島民専用)…岩黒島:人口94人


与島IC(島民専用)…与島:人口115人(2010年)



坂出IC

537とはずがたり:2020/06/08(月) 22:46:39
【「隧道レポート 七泰の滝の下の謎の穴」に関連して判明した十津川第1発電所に関わる取水路の謎】

隧道レポート 七泰の滝の下の謎の穴 後編
http://yamaiga.com/tunnel/nanatai/main3.html
「建設の機械化1960年6月号」より
十津川第1発電所計画一般図



国土地理院地図
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.062732/135.800813/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

には乖離がある。

滝川沿いの水路管と村道との交点https://www.google.co.jp/maps/@34.062605,135.8014323,3a,75y,193.56h,86.44t/data=!3m9!1e1!3m7!1sAI4iUkxD6DPMLgcrDiRPVA!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i30には手持ちのマップルにも導水路前BSがあって此処から伸びる滝川の取水口が奥里取水口であるのは間違いない。

一方で,この付近は「機械化1960年」だと栗平川取水口との分岐点となっていて一気に風屋貯水池へ流出してるっぽいが,現在の国土地理院では此処には分岐はなく寧ろ栗平川取水口(計画地?)付近へ一旦大回りして栗平川取水口計画地辺りで分岐して奥里取水ダムの更に奥の取水口へ伸びてる支線(「機械化」には記述無し)と一緒になって風屋調整池へ流れ込んでいる様である。導水路前バス停付近が標高280m,栗平川取水口(計画地)付近の分岐点の標高が304mとなっているから(分岐部は地下っぽいけど)この経由はなんか可怪しい。

と,此処でググると新たな情報が。

紀伊山系直轄砂防事業の対応状況について
https://www.kkr.mlit.go.jp/river/iinkaikatsudou/ol9a8v000000s9n4-att/14_shiryou3-2.pdf

長殿>>527谷砂防堰堤群の対応状況と並んで栗平川砂防堰堤群の対応状況があってどうやら大規模な土砂崩れが此処でも起きたらしい。もしかして栗平川取水口も呑み込まれた!?と思って更に調べを進める。

https://www.kkr.mlit.go.jp/kiisankei/map/8.html
栗平川・滝川の水位・定点カメラ画像

に拠ると平成23年(2011年)紀伊半島大水害で上流で大規模な土砂崩れが発生して湛水池が出来てるそうな。

どうやら2007年度版の県別マップルには載ってないこのトンネルhttps://www.google.co.jp/maps/@34.063381,135.795878,3a,75y,11.99h,102t/data=!3m9!1e1!3m7!1sZbWGGjOr-bLKw1PBFsoX4g!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i30はこの災害復旧工事の為に建設されたものらしい。

栗平川取水口がこの災害に呑み込まれた可能性は位置的に否定された。

謎は解明されなかったが,一方で栗平川上流に巨大な湛水池が出来てるのだからいっそ治水・利水両用のダムを建設出来ないやろか??

538とはずがたり:2020/06/08(月) 22:55:54
>>537
と,此処へ来て新証言キター!!

これだと機械化1960と同じ経路で水路が描かれている。
国土地理院が敗北(水路経路が間違い)との意外な結末となった。
https://www.kkr.mlit.go.jp/river/iinkaikatsudou/qgl8vl0000004aue-att/40_4.pdf

風屋貯水池の水質混濁が問題になっているようであるが,まあそれとは関係なく我が奥栗平川ダム構想いけんちゃうか。
まあ山体崩壊とか簡単にするような地質だとやばいかね,常考・・・日本の技術力を信じたいとこ。

539とはずがたり:2020/06/08(月) 23:00:37
なおゼンリン切って独立独歩のグーグルは国土地理院も描いてない土砂ダムをしっかりと描いちゃってる。
国土交通省へ対する挑戦状か!?(笑)
https://www.google.co.jp/maps/@34.0733493,135.8251596,15z

540とはずがたり:2020/06/08(月) 23:21:04
>>535
めっけ♪

>全長2.7キロの倉羅トンネルを含む全長3・5キロのバイパス道路
一気に峠の向こうの2車線区間https://www.google.co.jp/maps/@33.9808011,134.2734922,3a,75y,314.2h,100.14t/data=!3m9!1e1!3m7!1sRYMInE6M7TV-UQ41a8FCCw!2e0!7i16384!8i8192!9m2!1b1!2i30迄ぶっ飛ばす気か!?

http://cdcdcd.sansu.org/tnl/uc/tdata-uc.htm
倉羅トンネル 2700 国道193号
倉羅バイパス 吉野川市
神山町     現道の倉羅峠の1.5車線狭路を解消。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%89%E7%BE%85%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%91%E3%82%B9
倉羅バイパス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動検索に移動
国道193号標識
倉羅バイパス(くららバイパス)は、徳島県吉野川市美郷字古井と名西郡神山町上分字名ヶ平を結ぶ国道193号のバイパス道路。

国道193号の吉野川市・神山町境にある倉羅峠区間は峠を挟んだ両地区の主要生活道路であり、また、徳島県の地域防災計画における緊急輸送路に指定されているが、線形不良で幅員も狭く、防災点検での落石危険要対策箇所が4箇所存在する。この区間に全長2.7キロの倉羅トンネルを含む全長3・5キロのバイパス道路を建設することで危険箇所を回避し、安全な交通を確保・剣山国定公園等の観光地へのアクセス向上を促進する。

当初の完成目標は2013年度前後だったが、財政難等の理由により事業の進捗は遅れており、事業主体の徳島県は2011年に完成目標を2022年度に変更したが、2016年時点でも全工程の1割程度しか完成しておらず、目標達成は難しい状況である[1]。

541とはずがたり:2020/06/09(火) 10:34:24
>>540
>注目の未成道は此処
535ではなく>>529だ。。

542とはずがたり:2020/06/10(水) 23:42:15
有名なダム湖へ消える道だけどここかな?

【千葉県】【廃道】ダム湖へと消える道、水没廃県道24号線
https://shiranui23.com/hikyou/suibotsuhaik24/

543とはずがたり:2020/06/11(木) 23:35:12
全部読破した心算で勿論忘れてるのもあるけど読めば思いだしたがこれは初見。掘り出し物の感じ。
しかも地元要請により地図不鮮明化ww

旧 佐島隧道
http://yamaiga.com/tunnel/sasima/

544とはずがたり:2020/06/11(木) 23:45:33
これも殆ど覚えてないから見落とし結構あるのかも。。

鬼怒川温泉の廃観光道路
http://yamaiga.com/road/kinugawa/main.html

545さがら療法(さがらセラピー)心の健康法うつ病の予防と改善:2020/06/12(金) 11:50:04
うつ病の予防と改善の他、引きこもり不登校いじめパニック障害潔癖症摂食障害睡眠障害不安悩みイライラストレス自信がない勇気がないなどの改善方法や人材育成の方法を紹介しています

546とはずがたり:2020/06/12(金) 14:10:44
2018.09.18
二居変電所 - 窓が素敵な緑に囲まれたコンクリート神殿
https://syasin.biz/urbex/futaihendensyo/

547とはずがたり:2020/06/12(金) 14:34:58
ネット地図には割と自信ありげに旧道の一部が記載されてて縮尺を拡大すると廃道部分も白抜きで描かれてるけど大部ちがうなあ〜。。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.46.24.750N36.51.17.611/zoom/8/

国道17号旧道 二居峡谷
http://yamaiga.com/road/r17_futai/main.html

548とはずがたり:2020/06/14(日) 00:29:07
竹内正浩氏の『ふしぎな鉄道路線』(NHK出版新書・2019)を読んでいる。
奥羽本線の秋田〜鷹ノ巣間の経路を巡る渋沢栄一vs児玉源太郎の対決等なかなかおもろい♪
これは鉄道敷設法の結果設置が決まった鉄道会議(明治25(1892)年設置)での席上の事であった。
野辺地辺りの東北本線が海岸沿いで国防上ダメだから副本線として作られた筈の奥羽本線も秋田〜能代は海岸沿いやんけとはずっと思ってたけど激論があった様である。

時は設置翌年,M26の会議での事で,児玉が主張したのが山の中を通る仁別線でこれが実施案(本命),地元代議士なども賛同して渋沢が主張したのが現在のルートに近い当て馬案の檜山線である。激論の末僅差で檜山線が通り,更にM32実際の建設を前にして,(渋沢と児玉の退任後ですんなり決まったが)檜山から能代寄りの機織に経地が変更となったそうな。

我がバイブル『駅』シリーズの『奥羽・羽越400駅』(宮脇・原田編・1984・小学館)の東能代駅の項には元々藩政の要衝檜山を通す予定だったが,能代側に寄せられ,国道の軽油からも外れて檜山は衰退が加速したと云う記述があったがこういう背景があったようだ。
すげえ繋がった。

児玉の主張する仁別線が出来てたら山行がにも恰好のネタを提供していたかも知れない。
奥羽本線のこの辺の開通は弘前方面から延びてきてて,鷹ノ巣迄明治33(1900)年,現東能代である能代(機織に改称はM42)に明治34年,秋田迄が明治35年だそうである。鉄道会議での変更時期を考慮に入れると変更後東能代経由で建設に取り掛かったのであろう。能代の経済力の勝利と云ったところであろうか。艦砲射撃が心配なら秋田ももう一寸内陸に建設しても良かった様な気もするが土崎も重要な港湾だったようである。仁別線の代替物は結局,秋田内陸縦貫鉄道で実現されたと云うべきか。

仁別線構想では実際は仁別からは北へ向かい北ノ又,南沢を経て鷹ノ巣〜二ツ井間(現前山付近?)で現在線に合流する。
仁別に関しては奥羽本線開通後の明治42(1909)年仁別森林鉄道が秋田から仁別経由で更に山側の旭又迄開通(S43(1968)年廃止)している様である。
http://yamaiga.com/koneta/koneta_93.html (路線図有り)
南沢付近には小阿仁森林鉄道があった様である。
http://yamaiga.com/koneta/koneta_138.html (路線図有り)
http://yamaiga.com/rail/minamisawa/main.html

実際にヤバいとなったら二俣線みたいに仁別線が建設されたかも知れない!?
当時,角館線は何も無く,阿仁合線も米内沢まで出来たのが昭和9(1934)年であり昭和11年には阿仁合迄完成している。
秋田,仁山,北ノ又,滑多羅温泉,南沢,上小阿仁,米内沢辺りの新線となるw
仁山や南沢には当然,二ツ井みたいな林鉄のターミナルが設置されたり南沢〜二ツ井の小阿仁林鉄は廃止になったりしただろうが,勾配とか,特に北ノ又〜南沢など,を考えるとまともに機能した感じがしないww

戦局の悪化で海岸沿いを避けるとしても秋田から大久保迄水口・笹岡・青崎を経由する鉄道会議では仁別線の一部代替案として提示された一寸だけ内陸走る五十目線(五城目街道経由)のラインで別線造るぐらいが現実的だったかも。現在線は土崎港や船川港へのアクセス臨海鉄道として活躍しつつ内陸線と海岸線で複線形成したりとか色々妄想が膨らむw

549とはずがたり:2020/06/18(木) 22:30:07
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070723570/1310 >>243

詳しく載ってる。木造の選鉱場?にホッパー。良い味だしとる。
すげえw

秩父鉄道 三峰口駅
https://red50kei.skr.jp/titibu/titibu-main.html
秩父鉄道の終端部 三峰口駅の先

三峰口から先、大滝村大滝(現 秩父市大滝)までの9.7kmの区間の鉄道開設免許を1927(昭和2)年12月に取得。
しかし、工事することなく免許失効しています。

だから、車止めから先、線路は無い。  はず・・・。   !!! 続いている!

約 30年前の姿!

雨に煙る巨大な木造構造物
暗渠の先、右奥の低木は30年を経て、暗渠出口を埋め尽くすまで生長した。

暗渠の先にあったもの。

 日窒鉱業株式会社、三峰口貯鉱場。


 群馬との県境方向に直線で約16km、両神山の西に位置する日窒鉱山株式会社(現 株式会社ニッチツ)で産出された鉱石を貯蔵し、貨車に積み替えるための施設でした。



「奥秩父」と聞くと、入川・滝川・中津川・大洞川などの軌道がすぐに思い浮かびます。
 さらに日窒といえば広河原沢軌道。

 貯鉱場の裏手にはヘロヘロ軌道が草に埋もれ、さらに山奥を目指して・・・・・。

 夢のある話ですが、鉱山では1937(昭和12)年に「鉱山-両神山八丁峠(八町峠)の南尾根-坂本の南西-納宮」までの約9.2kmの区間を、さらに1946(昭和21)年に「納宮-神明地(加明地)の北-大平・須川-間庭-古池-町分-三峰口」までの約13.0km区間を索道(鉱石運搬用ロープウェイ)開通させています。
 つまり、主に鉄鉱石のほか、珪砂、マンガン鉱などをバケット(ゴンドラ)に積み込み、鉱山から延々22.17kmを空中輸送して、この貯鉱場で貨車へと積み替えていたのです。

 因みに、先述の軌道は三峰口に向けて延びていたのではなく、秩父鉄道が影森止まりだった1919(大正8)年に三峰口から直線距離で1.3km先の強石から発電所関連建設工事のために奥に向けて建設が進んでゆきました。
 一方、1922(大正11)年からは、さらに奥に位置する川又を起点として県境方向に入川・滝川森林軌道が敷設されてゆきます。別々に拡大していった両軌道は1932(昭和7)年に栃本下〜川又の間の敷設で接続し、長大な路線となります。もっとも、木曾森林鉄道のように立派な機関車が多数の運材台車を連ねてといった大々的なものではく、最盛期でも動力車は数両程度で、奥地では自重で下ったり、また馬が牽くような規模の軌道のようでした。
 その後、道路整備とダム湖の完成で軌道は県境に向けて路線を縮小。1973(昭和48)年の滝川森林軌道廃止で終焉します。(その後入川軌道は発電所改修工事の資材運搬のため、半年ほどの期間復活)

550とはずがたり:2020/06/19(金) 10:57:18
林道置賜東部線
(あ)南陽市萩─(い)置賜大橋─(う)r3分岐─(え)r3藪中分岐─(か)長井方面市道分岐─(き)山形工科短大分岐─(く)r3交叉!─(こ)長井市五十川

(あ)林道置賜東部線東側入口(r5から分岐)
https://www.google.co.jp/maps/@38.1462212,140.1681174,3a,75y,317.33h,75.87t/data=!3m9!1e1!3m7!1ssEXxDo9mYq4fG2rJ92ltoA!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

(い)置賜大橋
https://www.google.co.jp/maps/@38.1549119,140.1444628,3a,75y,60.02h,84.99t/data=!3m9!1e1!3m7!1sDPyn8LfLXmOi62irHVYCwA!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

(う)r3分岐でのグーグル末端部
https://www.google.co.jp/maps/@38.1182929,140.1085343,3a,75y,212.41h,65.38t/data=!3m9!1e1!3m7!1sIAcqE-p4j8jBAQjy9kqgdw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

(え)r3藪の中分岐

(お)謎の置賜東部林道グーグル唐突末端
https://www.google.co.jp/maps/@38.1212469,140.1053306,3a,75y,72.49h,75.96t/data=!3m9!1e1!3m7!1s9d8jyJs0f0mUeQk2bzZVyg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

(か)長井市街地方面市道分岐

(き)山形工科短大分岐でのグーグル末端部
https://www.google.co.jp/maps/@38.1300126,140.0913293,3a,75y,291.83h,98.89t/data=!3m9!1e1!3m7!1sYgAzsbcgLWoNeuCmyybVDg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

(く)r3交叉

(け)謎の置賜東部林道グーグル唐突末端
https://www.google.co.jp/maps/@38.1354495,140.0771649,3a,75y,5.16h,74.1t/data=!3m9!1e1!3m7!1sBphwQR3wksRkf0GWiyA4qQ!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

(こ)林道置賜東部線西側入口(R287旧道から分岐)
https://www.google.co.jp/maps/@38.1380906,140.0584049,3a,75y,125.84h,85.55t/data=!3m9!1e1!3m7!1seVl4Z6J2B6fBXM_KuTR0Mg!2e0!7i16384!8i8192!9m2!1b1!2i27

551とはずがたり:2020/06/19(金) 11:01:00
>>550
途中何でも無いとこで引き返したり?しているグーグルカー。

林道の通り抜けぐらい出来ただろうに。

552とはずがたり:2020/06/19(金) 11:33:01

なにこの未成道っぽいの?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E140.6.6.494N38.10.36.900/zoom/10/

と思ったけど旧道の廃道っぽい。
https://www.google.co.jp/maps/@38.1804151,140.0987642,3a,75y,167.59h,71.5t/data=!3m9!1e1!3m7!1sYq9nFIvBaDEpKb1kS6pUAQ!2e0!7i16384!8i8192!9m2!1b1!2i27


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