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創作メモ

1管理人:2012/03/08(木) 21:43:03
管理人の備忘用。

51管理人:2012/03/19(月) 22:40:36
〜前回までのあらすじ〜
>>50
一体どうなってしまうのか!?

実は王様の家はもぬけのからでした。スミノエノナカツの反逆に気付いた平群ツク、物部オホマエ、アチノオミは
履中に報告するが、履中はへべれけである。そこで仕方なしに三人で王様を担ぎ上げ、馬に乗せて逃げさせた。
「神輿やないねんから!」ってな状態だろうか? 一説によると、物部オホマエが一人で背負って逃げたとも。物部すげえ。
羽曳野辺りでようやく履中は目を覚まし、燃えとる難波を見て、一大事に気付いたらしい。
で、なんやかんやがあった後、石上まで逃げたとさ。石上は物部の本拠地である。

さて、そこに弟のミズハワケ(後の反正)が兄貴が心配でやって来た。履中はすっかり疑心暗鬼に陥っており、会おうとしない。
二心は無いと言うミズハワケに対し、「スミノエノナカツを倒したら信じたるわ!」と言ってひきこもってしまった。
ミズハワケは履中が信頼している平群ツクを同行させ、やれやれだぜ、ってな感じで難波へ赴いた。
さて、スミノエノナカツにはサシヒレ(書記/古事記ではソバカリ)という名の隼人に近衛役をさせていたのだが、
こいつを金品で釣り、スミノエノナカツが用を足している隙に殺させた。

ところが、サシヒレに功はあるが、主君殺しの罪もある。どないしょ? ってな理屈が生まれ、
サシヒレを盛大にもてなした後、処刑した。ひでえ。その後、履中は磐余で即位する。

52管理人:2012/03/19(月) 23:32:37
履中は五〜六年後に病気で崩御するのであるが、とりあえず登場人物の嫁や部下を見ておきたい。
このへんをチェックしておくと、だいたいの勢力図が見えるので、便利である。
・イザホワケ(履中)
 嫁はクロヒメ。>>50で弟に寝取られた嫁である。本人は暗くて気付かんかったらしい。
 これの父親はアシタ。羽田ヤシロと書かれている箇所もあり、だとすれば武内系氏族である。
 子供は市辺のオシハの他、青海皇女=飯豊皇女の名が見える。
 臣下では平群、物部が信頼を得ているようだ。即位時には重用したのは>>43のとおり。平群・蘇我・葛城が武内系、物部は古参。
・スミノエノナカツ
 父母ともにイザホワケに同じ。臣下に阿曇連ハマコ、倭直アコゴがいる。どっちも許されたらしい。
 阿曇はよく分からんが、倭直は神武代あたりに出てくる水軍集団だったはず。アコゴも先代の世に半島へ派遣された記事がある。
 墨江ってのは難波の港であり、スミノエノナカツは水運系を管理していたのではなかろうか。
・ミズハワケ(反正)
 これも父母ともにイザホワケと同じ。履中崩御後に近つ飛鳥エリアを宮としたらしい。
 歯並びが良く、身長が280センチくらいあったらしい。化けモンじゃねえか。他に大した記事はない。
 嫁は二人いるが、どっちもワニ系。丁丑年に崩御なので、437年没か。珍の朝貢は438だが、当時の交通ならそんなもんだろう。

アチノオミについて。>>51に出てきた人。東漢氏の祖である。近来の渡来人(大陸系)と思われる。
書記の応神二十年に大勢で渡来したと書かれており、応神三十七年に呉(東晋or宋)に派遣したと書かれてある。
書記の○年はアテにならんのだが、この応神三十七年は>>28のどれかに当たるのであろう。

53管理人:2012/03/20(火) 14:21:25
ちなみに>>51の展開は書記なのだが、古事記では阿知直(=アチノオミ?)が一人で履中を連れ出して逃げている。
そして羽曳野辺りで履中が目を覚まし、「ここ何処?」などと言ってくれる。
古事記では阿知直を大蔵大臣みたいな役職に据えたことも書かれてある。

履中代・反正代はこんなもんである。(それにしても反正とは、後代に付けたものだが、妙な名前だ。)
どっちも短い。推測するに、履中・反正・允恭と兄弟が続くので、先代(四世)が長生きしたのではなかろうか。
したがって、要介護、みたいな状態になってるのではと無茶苦茶な妄想をしておく。
個人的には、履中にはかなり好感が持てる。慕ってくれる臣下がいっぱいいるというのは、素晴らしいこと思う。
やっぱり讃≠履中であってほしい。(何故?)

<允恭代・古事記>
宮は遠つ飛鳥→氏姓の統制→甲午年崩御→木梨軽王子の話
<允恭代・書記>
允恭は病弱→反正没→誰が王様になる?→四世の子には允恭とオホクサカがいるよ→允恭「俺、病弱やからいらんわ」
→允恭の嫁「(允恭に)おまえがやれよ」→允恭「しゃあないなー」→嫁のために刑部制定→新羅の医者が允恭を診察
→氏姓の統制→允恭の浮気話→木梨軽王子の話→崩御→新羅の弔使・オホハツセとトラブル

54管理人:2012/03/20(火) 15:04:19
甲午年崩御、ということは454年没か。それにしても履中・反正とも早く死んだと思ったら、
允恭は出てくるなり病弱である。それを理由に即位を渋っていたりもする。
でもまあ、渡来の医者に診てもらったからかどうかは知らないが、履中・反正よりは治世が長いようである。

・ワクゴノスクネ(允恭)
 履中・反正の同母弟。嫁はオシサカノオオナカツヒメ(長いから忍坂姫と呼ぶわ)。嫁の出自は応神系。主要な子供をあげると、
 木梨軽、クロヒコ、アナホ(安康)、カルノイラツメ、シロヒコ、オホハツセ(雄略)、といったところ。

さて、よく分からんのだが、上のカルノイラツメの扱いが古事記と書記とで違う。
どっちも木梨軽の近親相姦事件の相手であることは一致しておるが、古事記では別名:衣通姫とされ、事件は允恭崩御後に起こり、
木梨軽の伊予道後流刑時にカルノイラツメは彼を追っかけていき、最終的には心中するのである。
ところが書記ではカルノイラツメと衣通姫は別人で、衣通姫は允恭の浮気相手であるオトヒメ(忍坂姫の妹)の別名である。
また、木梨軽事件は允恭存命時に起こっており、流罪にされるのはカルノイラツメの方である(木梨軽は失脚するだけ)。
古事記では木梨軽は事件後、物部オホマエの家に逃げ込み、オホマエから連れ出され、伊予に流されている。
書記では允恭死後、木梨軽が失脚してオホマエの家に逃げ込み、オホマエの家がアナホの軍勢に囲まれ、木梨軽が自害して安康即位となる。

允恭の浮気話も、なんとなく謎めいている。どうってことはない話なのだが、なんかヘンなのである。
古事記に記載がなく、衣通姫の扱いが異なることもそうなのだが、書記の記載はやたら詳しく、いろんな人名地名が出てくる。
それがなんかヘンなのである。

55管理人:2012/03/20(火) 15:27:42
<允恭の浮気話(書記)>
・ワクゴノスクネ:允恭である。
・オトヒメ:忍坂姫の妹。超絶美人。あまりにも美しいので、その美しさが衣を透けて
 見えるほどだという。だから衣通姫とも呼ばれている。允恭が一目惚れ。
・中臣イカツ:允恭の舎人(雑用係)。渋るオトヒメを允恭の元へ連れて行こうと頑張る。
・皇后:忍坂姫。激しく嫉妬。
・大伴ムロヤ:允恭にオトヒメとのノロケ話を聞かされることになる。

オトヒメ登場・允恭一目惚れ→オトヒメを呼び寄せるためイカツ派遣→姉の心中を察して渋るオトヒメ
→飯も食わず(かれいひのみ)粘る一週間イカツ→折れるオトヒメ・厚遇されるイカツ・闇のオーラを放つ皇后
→オトヒメを藤原に住ませる→皇后がオホハツセ出産中に允恭が藤原訪問→怒って産屋に火をつけ、死のうとする皇后
→慌てて皇后のご機嫌取りに走る允恭→事なきを得たものの、その後もしょっちゅう藤原へ行く允恭
→気が引けて遠くへ引越したいオトヒメ→オトヒメが泉州引越→しょっちゅう泉州へ行く允恭→ムロヤにときめきを熱弁する允恭

以上なのだが、やっぱりどうってことはない話である。
ちなみにこの皇后には、「ガキの頃に馬鹿にされた男に対し、皇后になった後、怒ってその男を格下げする」という
エピソードもある。随分と気性の激しい女性であるように書かれている。そういや允恭は病弱で即位を渋っていたのに、
「お前が王様になれよ(>>53)」などと言っている話もあった。なんとなく、ある意味で典型的なキャラではある。

56管理人:2012/03/20(火) 16:49:50
病弱だとか言ってたのに、医者に診てもらった後は随分と盛んですこと。
それはともかく、このどうってことはない話の何が「なんかヘン」なのかというと、
①皇后の出産と神話のコノハナノサクヤ姫が被る。垂仁妃のサホヒメとも被る。
②中臣は下っ端。
③皇后と磐之媛も被る。允恭と仁徳も被る。オトヒメと磐之媛も状況的に被る。

ってな点だろうか。だいたい記紀には同じネタの使い回しが多い。
まず①なんだが、これは神話によくあるパターンらしく、この時生まれた王は大抵すげえ感じになるのだ。
サクヤ姫は天孫ニニギの嫁。一夜だけで身ごもったサクヤをニニギが訝しんだところ、
怒ったサクヤは火をつけて出産するのである。その時に生まれたホオリは別名山幸彦であり、神武の祖父である。
サホヒメは垂仁の嫁である。サホヒメの兄であるサホヒコは垂仁に反逆し、サホヒメは兄につく。
サホヒコが討ち取られる際、運命を共にしたサホヒメが火の中で垂仁の子供を産むのである。
その子はホムツワケというらしいが、その後の神話っぽいエピソードに絡んでくるのみで、詳細はよく分からない。

まあ、そんな感じなわけだが、サクヤ姫・サホヒメ・忍坂姫の話を3つ並べて、その相関を調査すると、
いろいろ見えてくるのではないか、と思う。結局管理人は何も分からんかったが。
オホハツセ=雄略に凄さを与えるエピソードだろうか? 気合い入れて検証した割に、何も分からんかったのが悲しい。

57管理人:2012/03/20(火) 17:23:02
>>56の②について。これは結構重要だと思うのだ。
中臣は允恭代以前、下っ端だったわけだ。もしくはこの時期の新参か? 中臣の出自がよく分からんのだが、
おそらくこの頃から台頭しはじめたと思われる。が、しかし、問題がある。>>19である。
仲哀の重臣が中臣、大三輪、大伴、物部なのだ。しかも中臣の名前が同じイカツである。
仲哀代に重臣だった中臣が允恭代に落ちぶれているのもおかしいんじゃないか?
これは推測ではあるが、記紀の製作に不比等一族が絡んでいるわけであり、さも古くからの重臣であったように
見せかけるため、仲哀代に勝手なことを書いたと思うんだが、どうだろうか。
だとしたら名前くらい変えとけよ、ってなことになるが、うっかりミスってことでええやん。

中臣氏ってのは忌部氏とともに神事・祭祀を司ってた氏族、などとwikiに書かれており、アメノコヤネを祖とする、
などと書かれている。中臣氏に押し出された忌部氏が腹癒せに『竹取物語』を作った、などとよく言われている。
この允恭浮気のエピソードに藤原という地名が出てくるのも、中臣イカツと関係があるのだろうか?
管理人が頻りにこの記事について「なんかヘン」と言っているのは、いわくありそうでなさそうで、実態が掴みづらい点である。
何かを隠蔽しているような、逆に示唆しているような、実は何も意味していないような、そういう造りになっている点が不気味なのだ。

アメノコヤネ。藤原氏のルーツってことで、春日大社や枚岡神社に祀られている。ニニギと一緒にやってきた神らしい。
ところで春日大社は藤原の氏神である鹿島・香取・枚岡をまとめ併せて祀ったような由来があるのだが、
もともとは春日氏の基盤であったらしい。東からやって来た中臣がワニ系の春日と結託したんだろうか?

58管理人:2012/03/20(火) 17:53:38
なんでこんなに細かいことにこだわっているのかというと、履中代・反正代は身内の反乱こそあるものの、
何となく王家を中心とした一体感があるように感じるのだが、今後、雄略朝に向けて破綻していくぽいからである。
当然、有力氏族が争ったわけで、雄略の武断専制はそれへの巻き込まれ型、またはアンチテーゼとしての親政にも見えるのだ。

今まで見てきたところでは、履中代・反正代までは古参(大伴、物部など)、神功代からの参画①(武内を祖とする葛城、平群、蘇我など)、
神功代からの参画②(タケフルクマ系のワニ)、新参の渡来(アチノオミを祖とする東漢はここに入るか)、あたりが割と付かず離れずで
活動しているようなのだが、一気に雲行きが怪しくなってきたような気がする。
この後、木梨軽・オホクサカ・安康・マヨワ・クロヒコ・シロヒコ・市辺のオシハなどと主要人物がガンガン死んでいき、
国内も大いに乱れたと推測される。しかも雄略代以降、継体代を挟んで欽明代頃まで、いまひとつどうなっているのかよく分からない。
葛城→平群→大伴→物部→蘇我の順で今後二百年くらいかけて没落していくので、その先生きのこる中臣の祖が気になった、という次第である。

>>56の③である。仁徳代・磐之媛の嫉妬のエピソードにも同じような話があるのである。
ただし、嫉妬する側とされる側が仁徳と允恭では逆になっている。
磐之媛のキャラに忍坂姫のキャラが投影されていると思うのだが、どうだろうか? 前にも書いたが、国史記録を始めたのが履中以後であり、
仁徳の嫁を描く際、直近の出来事を参考にしてキャラ付けをした、なんていかにもありそうではないか。
また、その使い回しシステムは近過去である応神代・仁徳代をますますややこしくしていくことにも繋がっただろう。
そのせいで管理には困っているのだ。

59管理人:2012/03/20(火) 21:00:39
さて、木梨軽はスキャンダルのため人気がなく、やがて流罪or死亡となる。そこで弟のアナホ(安康)が即位。
この先はもう、ひどいものである。AがBに殺され、BがCに殺され、Cが……、の繰り返しである。
それまでは、ヤマモリやスミノエノナカツのようなお家騒動くらいはあったようだが、
臣下のメンツを見る限り、大した動きはなかったようだ。ところが今後はそうはいかない。滅茶苦茶である。

・オホクサカ:履中・反正・允恭の弟である。ネノオミの讒言により、アナホに討たれる。オホクサカの嫁もアナホの皇后になる。
・アナホ(安康):嫁(上記・オホクサカの元嫁)との会話を連れ子のマヨワ(オホクサカの子)に聞かれ、寝ている間に首を切られる。
・マヨワ:当時7歳。大王暗殺後、葛城ツブラの家に逃げる。アナホの弟であるオホハツセ軍に囲まれ、抵抗するも諦めて自害。葛城氏滅亡?
・クロヒコ&シロヒコ:マヨワ討伐前のオホハツセに、ついでに殺される。雄略キャラ付けのための創作だと思われる(名前が適当すぎ)。
・市辺のオシハ:履中の息子。狩の最中にオホハツセに暗殺される。オシハの息子二人が播磨へ逃亡。

全部が全部信用できるとも思わないが、ひどいもんだ。ただ、継体に正統性を与えるため、雄略系をひどく書いている部分もあるのかも。
ちなみに安康没年は古事記に書いていない(?)ようだ。まあ、いずれにせよ、治世は数年で終わったと思われる。

60管理人:2012/03/20(火) 21:50:36
いよいよオホハツセ=雄略である。この人は割と有名である。本名:オホハツセ=ワカタケル。
初瀬朝倉宮で即位。即位前に政敵を潰しまくっている。良くも悪くも強烈な個性の持ち主であっただろう。
記紀には「人々から大悪天皇と呼ばれた」などと書かれている。異常なほど逞しかった、とも書かれている。

政権がゴタゴタしてきたときに個性的な王が立つと、親政をやりたがるものである。
そしてその結果はあまり芳しくないのが常である。称徳もそうだし、後鳥羽もそうだし、後醍醐もそうである。
雄略の場合、生前は何とか保っていたようだが、死後に出てくる、顕宗・仁賢にしろ、継体にしろ、
取って付けたような印象を受ける。おそらく一つの時代が終わったのであろう。

父は允恭、母は忍坂姫である。嫁はクサカノハタヒヒメ(オホクサカの妹)である。
他に側室が三人おり、一人目がカラヒメ。葛城ツブラの娘で、子にシラカ(後の清寧)がいる。
二人目は吉備系のワカヒメ。子にイハキとホシカワ。三人目は春日・ワニ系で、カスガ皇女。
重臣は、平群マトリを大臣に、大伴ムロヤと物部メを大連にした、とある。

重臣から葛城が消えたわけだが、その娘を娶っているのはなかなか凄い。即位前に潰した家である。
責任を感じたんだろうか? もっとも、オホハツセが討ちに出たのはマヨワであり、葛城自体を攻めたわけではない。
吉備とか、懐かしい響きすらする。ワニは相変わらず。物部目っていう名前も凄い。

雄略代は出来事が沢山あるので、のんびり見ていきたいところである。


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