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創作メモ

54管理人:2012/03/20(火) 15:04:19
甲午年崩御、ということは454年没か。それにしても履中・反正とも早く死んだと思ったら、
允恭は出てくるなり病弱である。それを理由に即位を渋っていたりもする。
でもまあ、渡来の医者に診てもらったからかどうかは知らないが、履中・反正よりは治世が長いようである。

・ワクゴノスクネ(允恭)
 履中・反正の同母弟。嫁はオシサカノオオナカツヒメ(長いから忍坂姫と呼ぶわ)。嫁の出自は応神系。主要な子供をあげると、
 木梨軽、クロヒコ、アナホ(安康)、カルノイラツメ、シロヒコ、オホハツセ(雄略)、といったところ。

さて、よく分からんのだが、上のカルノイラツメの扱いが古事記と書記とで違う。
どっちも木梨軽の近親相姦事件の相手であることは一致しておるが、古事記では別名:衣通姫とされ、事件は允恭崩御後に起こり、
木梨軽の伊予道後流刑時にカルノイラツメは彼を追っかけていき、最終的には心中するのである。
ところが書記ではカルノイラツメと衣通姫は別人で、衣通姫は允恭の浮気相手であるオトヒメ(忍坂姫の妹)の別名である。
また、木梨軽事件は允恭存命時に起こっており、流罪にされるのはカルノイラツメの方である(木梨軽は失脚するだけ)。
古事記では木梨軽は事件後、物部オホマエの家に逃げ込み、オホマエから連れ出され、伊予に流されている。
書記では允恭死後、木梨軽が失脚してオホマエの家に逃げ込み、オホマエの家がアナホの軍勢に囲まれ、木梨軽が自害して安康即位となる。

允恭の浮気話も、なんとなく謎めいている。どうってことはない話なのだが、なんかヘンなのである。
古事記に記載がなく、衣通姫の扱いが異なることもそうなのだが、書記の記載はやたら詳しく、いろんな人名地名が出てくる。
それがなんかヘンなのである。


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