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創作メモ
58
:
管理人
:2012/03/20(火) 17:53:38
なんでこんなに細かいことにこだわっているのかというと、履中代・反正代は身内の反乱こそあるものの、
何となく王家を中心とした一体感があるように感じるのだが、今後、雄略朝に向けて破綻していくぽいからである。
当然、有力氏族が争ったわけで、雄略の武断専制はそれへの巻き込まれ型、またはアンチテーゼとしての親政にも見えるのだ。
今まで見てきたところでは、履中代・反正代までは古参(大伴、物部など)、神功代からの参画①(武内を祖とする葛城、平群、蘇我など)、
神功代からの参画②(タケフルクマ系のワニ)、新参の渡来(アチノオミを祖とする東漢はここに入るか)、あたりが割と付かず離れずで
活動しているようなのだが、一気に雲行きが怪しくなってきたような気がする。
この後、木梨軽・オホクサカ・安康・マヨワ・クロヒコ・シロヒコ・市辺のオシハなどと主要人物がガンガン死んでいき、
国内も大いに乱れたと推測される。しかも雄略代以降、継体代を挟んで欽明代頃まで、いまひとつどうなっているのかよく分からない。
葛城→平群→大伴→物部→蘇我の順で今後二百年くらいかけて没落していくので、その先生きのこる中臣の祖が気になった、という次第である。
>>56
の③である。仁徳代・磐之媛の嫉妬のエピソードにも同じような話があるのである。
ただし、嫉妬する側とされる側が仁徳と允恭では逆になっている。
磐之媛のキャラに忍坂姫のキャラが投影されていると思うのだが、どうだろうか? 前にも書いたが、国史記録を始めたのが履中以後であり、
仁徳の嫁を描く際、直近の出来事を参考にしてキャラ付けをした、なんていかにもありそうではないか。
また、その使い回しシステムは近過去である応神代・仁徳代をますますややこしくしていくことにも繋がっただろう。
そのせいで管理には困っているのだ。
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