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歴史掲示板

1管理人:2012/01/12(木) 17:24:57
古代史掲示板を新設しました
古代史掲示板を新設しました。画像・動画等の投稿も可能です。古代史関連の投稿をお待ちしています。

10267管理人:2020/02/22(土) 01:31:11
弥生人と南インド
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010818M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010818_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010818_3M.jpg

https://www.amazon.co.jp/弥生文明と南インド-大野-晋/dp/4000023233



10268鳩摩羅童子:2020/02/22(土) 13:13:27
「こめかみ」の語源 のつづき
https://ja.wikipedia.org/wiki/こめかみ

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10269管理人:2020/02/23(日) 01:26:59
海のシルクロード
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010820M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010820_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010820_3M.jpg

http://www5a.biglobe.ne.jp/~mt2000/Kyushu2a.htm



10270鳩摩羅童子:2020/02/23(日) 05:18:18
タミル・ナードゥ州 の件 in [10818]
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/240px-Karthigai_Deepam.jpg

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10271アストライアの会:2020/02/23(日) 15:00:56
(無題)
タイムカプセルから現れた美しい人たち
 日本考古学史上の一大発見として世間の耳目を集めた高松塚古墳の玄室壁画、とりわけ
西壁の鮮やかな色彩の女子群像は、額田(ぬかだ)の王(おおきみ)もかくやと思われる鮮やかさで、後に「飛鳥
美人」の呼称で親しまれることとなる。
しかし保存の不行き届きにより、やがて絵に黒カビが生じ、一部では剥落が始まっていた。
この知らせを受けた関係者たちの顔色がみるみる土色(つちいろ)に変り、部屋の空気が重苦しく沈ん
でゆくのを、当時居合わせた講師は目撃しているという。墓を暴いた祟りで次々と人が亡く
なって行ったという風説とともに、この文化遺産に暗い影を投げ掛け、修復の見通しは未だ
公表されていない。

それはそれとして、この古墳はいわゆる古墳時代の末期に作られた円墳で、時代的には紀元700年前後の飛鳥時代の終わり、奈良に都が出来る前の藤原京を中心に白鳳文化が栄えていた。大宝律令が完成し、歌人の柿本人麻呂などが活躍した頃でもある。墓は何のために
作られ、どんな願望が秘められてていたのか、再考して行きたい。

「世界古代文明の謎を探る」(41)高松塚古墳とその時代
主 催 アストライアの会  協 力 日本セカンドライフ協会
ゲスト 谷口陽子筑波大学准教授
日 時 令和2年3月27日(金)午後2時から5時
会 場 豊島区イケビズ第2会議室(池袋駅西口約9分)
費 用 お茶代込み参加費二千円
連絡先 TEL049(258)3218 松原まで



10272国家元首:2020/02/23(日) 19:10:06
日本と古代インド
顔つきとか雰囲気だけで言うと、千葉県・茨城県の一部に、インド人ぽい人たちがいます。政治家とか、活躍している人が多い感じがします。

インド人の源流の一つに、千葉・茨城県人がいると考えるべきなのか、千葉・茨城県人の中に古代インドの一部が流れ込んだのか。

石原慎太郎は、自分の父はインド人みたいで、母は中国人みたいだったと言っています。そういえば、子供たちには、濃い顔をした人たちがいますね。

ちなみに、慎太郎の母親は、中国人だったという説があります。裕次郎と母親が違うというのですね。

10273管理人:2020/02/24(月) 00:52:10
九州支石墓方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010824M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010824_2M.png

http://www5a.biglobe.ne.jp/~mt2000/Kyushu2a.htm



10274秦野北斗:2020/02/24(月) 10:53:19
【出雲弁】からさでさん
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010825M.jpg

https://chashi-uniwa.com/blog/2017/12/21/【基礎知識】天津神と国津神の違い。/



10275鳩摩羅童子:2020/02/25(火) 03:03:55
沖縄弁語彙は、インド弁語彙の完全部分集合
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/oki.gif

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10276管理人:2020/02/26(水) 00:09:59
朝鮮支石墓方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010827M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010827_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010827_3M.png

https://map.konest.com/



10277 史実探偵: 平 素人:2020/02/27(木) 01:13:12
[402] 大量の銅鐸銅剣、地名繋がり!
https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-0.html



10278管理人:2020/02/27(木) 01:37:42
朝鮮方位ライン02
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010829M.png

また昨晩の続きで、朝鮮の支石墓群の方位ラインについて考えているのですが、昨晩紹介したものとは別に図1のようなラインも別に見えてきます。

ここでは、まず起点となる下通理五流川支石墓⇔大洞徳山里支石墓の南北ライン、下通理五流川支石墓⇔駕鶴洞支石墓⇔八道山支石墓群⇔新基支石墓へと延びる50度偏角のラインがあります。

また同じく下通理五流川支石墓⇔康津松江里支石墓⇔邑里支石墓⇔済州島記念物2号支石墓へと延びる5度偏角のラインがあります。

そして、その済州島記念物2号支石墓⇔鶴山里支石墓⇔茂渓里支石墓⇔新基支石墓⇔倉平洞支石墓群へと延びる50度偏角のラインがみえます。

さらに、その倉平洞支石墓群⇔近南面守山里支石墓群を結ぶ南北ライン、そして、その近南面守山里支石墓群⇔下通理五流川支石墓ラインが20度偏角となります。

図のように、これらの拠点は方格メッシュ(黒ライン)上に載ることから、正確な距離尺の下で、上記の5度、10度偏角単位で測量をしていたことは、先日からお知らせしている支石墓のラインと同様です。

あと、九州の支石墓ラインとの接続については、また後刻別途お知らせいたします。



10279管理人:2020/02/27(木) 02:12:14
九州・朝鮮支石墓方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010830M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010830_2M.png

https://ir.lib.shimane-u.ac.jp/files/public/4/40627/20171010171851736889/cheonghak8_202.pdf



10280管理人:2020/02/28(金) 01:41:55
朝鮮支石墓方位ライン03
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010831M.png

追記;20/03/02 また添付図に支石墓とラインを追加し文面も追加修正しました。これで概ねの韓国の支石墓群はこのライン上に掲載したことになります。

ちなみに、図の方格メッシュ(黒線)の1区画が約36.5km前後なので、これがそのまま当時の尺単位となっていたことがわかります。元は36.5m×千里の尺度になるでしょうか。36.5m×2≒73m尺でいわゆる短里=75m説に近くなるでしょう。後代の朝鮮や九州の弥生遺跡を結ぶ52.5m×千里の超短里(秦野さんご指摘の秦野距離)とは異なりますね。

追記:20/02/29、昨晩の添付図と文明の一部を追加・訂正しました。
−−−−

また昨晩の続きで、朝鮮の支石墓を結ぶ方位ラインを作成しています。

今回は、また先日の朝鮮支石墓方位ラインに、あらたに複数の支石墓群を入れてライン図を作成してみました。添付の図1のとおりです。

こうみると、以前弥生時代の九州の遺跡を結んだ際にみえたような四角形の方格区割が複数見えてきます。

具体的には図のように、江華支石墓群⇔大洞徳山里支石墓⇔海南蓮井里支石墓群へと延びる西端の南北ラインがあり、また東端には倉平洞支石墓群⇔近南面守山里支石墓群の南北ラインがあります。

そして、江華島支石墓群⇔洪川君業里支石墓群の東西ラインや高敞支石墓群⇔丹月里支石墓群⇔昌寧支石墓群の東西ラインあたりも、それらの方格区割の四角形を構成しています。

また目立つラインとしては、江華島支石墓群⇔駕鶴洞支石墓⇔八達山支石墓群⇔清道凡谷里支石墓群⇔新基里支石墓群へと延びる50度偏角のラインがあり、さらに江華支石墓群⇔扶安亀岩里支石墓群⇔康津松江里支石墓⇔莞島古今島支石墓群⇔邑里支石墓⇔済州島記念物2号支石墓へと延びる西5度偏角のライン、済州島記念物2号支石墓⇔広里支石墓⇔新基支石墓⇔倉平洞支石墓群へと延びる50度偏角のラインがあります。

その他、康津松江里支石墓⇔鳳西里・求礼竹麻里支石墓群⇔近南面守山里支石墓群へと延びる50度ライン、高敞支石墓群⇔鳳西里支石墓群⇔新碧洞支石墓⇔鶴林里支石墓⇔広里支石墓を結ぶ20度偏角のライン、大洞徳山里支石墓⇔鳳西里支石墓群⇔新基里支石墓を結ぶ10度偏角のライン、海南蓮井里支石墓群⇔康津松江里支石墓⇔高興桃原里支石墓⇔広里支石墓を結ぶ10度偏角のライン、扶安亀岩里支石墓群⇔昌寧支石墓群⇔新基支石墓を結ぶ10度偏角のライン、清道凡谷里支石墓群⇔早洞里支石墓群⇔鉄原郡の支石墓を結ぶ60度偏角のライン、康津松江里支石墓⇔和順碧松里支石墓⇔丹月里支石墓群⇔如意谷支石墓群⇔早洞里支石墓群への70度偏角ライン、八道山支石墓群⇔孟里支石墓群⇔早洞里支石墓群への20度偏角ラインなどにも注目すべきでしょう。

そして図の方格メッシュ(黒線)上に支石墓群および方位ラインの多くが載ることからみても、その距離・位置どもに正確な尺度のもとで、10度偏角単位で測量されていったことがわかります。

あと、さらに沢山の支石墓群があるので、それも考慮していく必要があるのですが、ともあれ、大まかな朝鮮の支石墓の方位ラインの構造はこれで明らかになったと思います。

年代的には日本でいけば支石墓の現れる縄文時代晩期から弥生時代初期、中国ならば戦国時代の構築となりそうですが、朝鮮半島でいえば、その紀元前500年代となると、北部の箕子朝鮮や燕、あるいはその南にあったとされる真番や馬韓の影響下にあったことが予想されますね。

そして、先日お話したように、インド南部から中国華南、東南アジアを経て、朝鮮南西部から、これらの支石墓や甕棺墓を構築した集団が、九州含めて朝鮮周辺に渡来したと考える場合、この朝鮮の支石墓の分布の特徴として挙げうることとしては、済州島や江華島など、島地や海岸沿いに支石墓をしていることでしょう。

これは、同じ朝鮮の方位ラインでも、その前代の夏・殷代に関係するそれや、後代の漢代のそれとも異なり、海洋民的な特徴を備えた立地といえるでしょう。

この件は先日の九州の長崎、島原、糸島半島といった海岸沿いの支石墓群を結ぶ方位ラインにもみられる特徴です。

ここから、航海民の交易拠点としての位置づけがこれらのライン分析から明らかにしうるのではないかと感じますね。

その航海民としての特性が、また言語面や習俗にも関連してみえてくると面白いのですが、また皆さんのほうで、何か気づくことありましたら、よろしくわかちあいください。




10281管理人:2020/03/30(月) 03:23:05
東アジア支石墓方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010832M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010832_2M.png

https://baike.baidu.com/item/石棚墓



10282管理人:2020/03/04(水) 01:57:16
中国の支石墓と倭人
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010833M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010833_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010833_3M.png

https://baike.baidu.com/item/棋?山/18183009



10283鳩摩羅童子:2020/03/04(水) 03:23:50
Re [10833]
>奄美群島のハジチ
>奄美・琉球では「ハジチ(針突・ハドゥチ・パリツク・ピッツギ)」と呼ばれる入れ墨文化があった。

沖縄弁の検証
【タミル語】paccai(= 1. green colour 緑色; greenness; 2. emerald; 3. pulse or cereals; 4. betel leaf; 5. seaside Indian saltwort; 6. a fragrant grass; 7. ★tattoo 入れ墨;) ハジチ

【タミル語】paccaippoTTu (= 01 a round mark ★tattooed on the forehead おでこの入れ墨) ハドゥチ (c-t)

【タミル語】poTTukkuttu-tal(= to ★tattoo with a kind of vegetable extract 野菜の汁で入れ墨をする) ピッツギつ

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10284国家元首:2020/03/04(水) 21:48:52
支石墓
支石墓(読み)しせきぼ (ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)

「朝鮮半島を中心として,中国東北地区から日本の北九州地方にまで広がる巨石墓の一種。ドルメンと共通する要素が多い。扁平な4枚の板石を地上に立てて四角に組み,その上に大きなふた石を載せた卓子式 (北方式) 支石墓と,地下に石棺や石室をもち,数個の支石の上に塊石を載せる碁盤式 (南方式あるいは変形) 支石墓がある。前数世紀頃から紀元前後頃までの初期金属器時代のものである。日本では弥生時代の前・中期に行われ,その分布は北九州が中心となっている。」


まあ、誰しも思いつく形ですから、民族の分布や移動を考える場合のヒントにはなりにくいものだと思いますね。

世界のあちこちに、似たようなものがあるようですし。

しかし、日本では北九州を中心に分布している、というのは、民族的な背景がありそうですね。


10285管理人:2020/03/05(木) 00:13:34
支石墓の種類とルーツ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010836M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010836_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010836_3M.jpg

http://inoues.net/ruins/sito_sisekibo.html



10286国家元首:2020/03/05(木) 22:13:44
誰が作っても同じようになる。
支石墓のアイデアは平凡で必然的。大きな石を立てて、大きな石を載せたら、自然にああなる。

どこの誰でも思いつきうるし、同じような構造になる。

広域・長時間の範囲における、支石墓の種類と分布に関しては、とくに重要な意味はないと思う。


エチオピアにゲタと(コーヒー)茶道があると聞いたことがあるが、

それも日本のゲタと茶道と関係があると、必ずしも考える必要はない。

ゲタについては、あるいは何か関係があるかもしれないが。

両国とも「失われたアークがあるのではないか」という話があるし。

10287管理人:2020/03/07(土) 02:28:08
アジア支石墓ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010838M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010838_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010838_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/サータヴァーハナ朝



10288三国志マニア:2020/03/07(土) 18:26:46
近畿説は破綻だな
 今年に入り、あるブログで近畿説を徹底批判していたので読んでみたが、その中で紹介されてた中島 信文 著「陳寿『三国志』が語る 知られざる 驚異の古代日本」を読んでみたが、これが文献学的にすごい。ブログ者も述べているが、近畿説はこの作品に対して反論できないであろうし、近畿説を主張するなら、この本を否定できる論証を出すべきと言ってるくらいだ。
 邪馬台国所在論議をする人間は、この本を読んで検証すべきだね。近畿説は完全に破綻だよ。

10289秦野北斗:2020/03/07(土) 19:25:43
[10839] 近畿説は破綻だな
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010840M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=dhHFr26Vp5g



10290鳩摩羅童子:2020/03/08(日) 22:27:47
『沖縄弁は、言語での東洋のガラパゴス』と教科書に載せよう
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/Grimm's_Law_in_J_20_O.html

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10291鳩摩羅童子:2020/03/08(日) 23:58:09
『沖縄弁は、言語での東洋のガラパゴス』と教科書に載せよう
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/Grimm's_Law_in_J_20_O.html

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10292管理人:2020/03/10(火) 00:58:45
韓国古墳方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010844M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010844_2M.png

https://translate.weblio.jp/web/korean?lp=&url=https://www.google.co.kr/search?source=hp&ei=_ERmXu3IIfKEr7wP8YGSuAI&q=%EA%B3%A0%EB%B6%84&oq=%EA%B3%A0%EB%B6%84&gs_l=psy-ab.3..0j0i30l7.828651.828651..829641...1.0..0.154.297.0j2......0....2j1..gws-wiz.....6..0i362i308i154i357.N2QHWNB91gE&ved=0ahUKEwjttpqRwI3oAhVywosBHfGABCcQ4dUDCAg&uact=5&rdt=tl&sentenceStyle=spoken



10293秦野北斗:2020/03/13(金) 16:29:38
美人≠きれいな Beautiful woman
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010845M.jpg

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10294鳩摩羅童子:2020/03/13(金) 19:22:31
RE 美人≠きれいな Beautiful woman
https://ja.wikipedia.org/wiki/首里

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10295管理人:2020/03/14(土) 19:25:50
九州神籠石・支石墓ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010847M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010847_2M.png

秦野さん、童子さん、わかちあいありがとうございます。
美人王族といえばやはり・・・卑弥呼でしょうね・・・、沖縄とも関係するか・・。

先日の九州の支石墓を結ぶ方位ラインと、同じく以前分析した九州の神籠石を結ぶ方位ラインとの関係を図にしてみました。図1のとおりです。図2はその拡大図です。

まず、先日の分析でも指摘したように、大野台支石墓群、桑田遺跡、志登支石墓群あたりの縄文晩期から弥生初期の支石墓群がラインの起点となります。

その大野台支石墓群⇔風観岳支石墓群⇔桑田遺跡ライン、同じく大野台支石墓群⇔菜畑遺跡⇔志登支石墓群ラインも、先日指摘したとおりで、その菜畑遺跡、桑田遺跡からは、ジャポニカ米のプラントオパールが出土しています。

そして、図のように大野台支石墓群⇔高良山(神籠石)⇔玖珠方面にいたる東西ラインがあり、また志登支石墓群⇔高良山(神籠石)⇔国見山⇔阿蘇山(高岳?)に至る45度偏角のラインがあります。

ここで、図のように、この国見山と阿蘇山(高岳もしくは中岳)あたりがこの当時の測量の目印となっていたことがわかります。

すなわち、国見山を起点とするものとしては、桑田遺跡⇔国見山⇔把木神籠石へと至る南北ライン、原山支石墓群⇔国見山⇔玖珠付近へと至る40度偏角のライン、国見山⇔女山神籠石⇔大野台支石墓群への10度偏角のライン、国見山⇔高良神社の東西ライン等があり、また阿蘇山を起点としたものとしては、阿蘇山⇔風観岳支石墓群の東西ライン、阿蘇山⇔おつぼ山神籠石⇔大野台支石墓群への20度偏角のライン、阿蘇山⇔玖珠周辺への南北ライン等があります。

なお、図の方格(黒線)を見てもわかるように、他の多くの拠点がその方格上に載ることに比して、阿蘇山の位置は、その方格上には載っておらず、これは自然地形を測量起点とした際に、その尺度・位置を変更できないことによるものです。

この図をみるかぎり、最初の測量起点は最西の大野台支石墓群、あるいは最南の桑田遺跡であり、また阿蘇山⇔国見⇔高良山神籠石⇔志登支石墓群の45度ラインをもとにして、その他の周辺拠点の位置を定めたのではないでしょうか。

あと、志登支石墓群を起点としたものとしては、新町支石墓群⇔志登支石墓群⇔板付遺跡北部⇔宇美神社周辺へと至る東西ライン、また志登支石墓群⇔金立支石墓群⇔桑田遺跡へと至る70度偏角のライン、志登支石墓群⇔吉野ヶ里遺跡北部(北墳丘墓付近)⇔女山神籠石へと延びる60度偏角のライン、志登支石墓群⇔原山支石墓への南北ライン等があり、ここも二次的な測量起点だったことがわかります。

その他、菜畑遺跡⇔おつぼ山神籠石周辺⇔原山支石墓群への75度偏角のライン、菜畑遺跡⇔国見山への25度偏角のライン、大野台支石墓群⇔金立支石墓群⇔吉野ヶ里遺跡最北辺⇔把木神籠石へのライン、新町支石墓群⇔おつぼ山神籠石付近⇔風観岳支石墓群へと至る10度偏角のラインなども見えてきます。

ただ、把木神籠石やおつぼ山神籠石の位置などが方位ラインから若干のずれがあり、これが山城としての性格を保つために、海岸部や平地を避けた結果だと考えれば理解しやすくなります。

関連して以前会報でも指摘した宇美神社⇔大野城(大城山)⇔基肄城(基山)⇔女山神籠石への南北ラインについては、それぞれ魏志倭人伝の不彌国⇔烏奴国⇔支惟国⇔(不彌国の南の)邪馬台国方面へと至る諸国であることは、先日も述べたとおりです。

そして、これらの支石墓群や神籠石、弥生遺跡が、その倭人伝の諸国の中心拠点であったことは間違いないでしょう。

また先の測量拠点としてみえてくる国見山については、全国各地にある国見山が国を見渡す場所とのことで支配や測量地点を意味することがあり、その件は先日お話した奈良の秋津にある国見山と天香久山、三輪山を結ぶ方位ラインの件からもうかがえます。

阿蘇山と同様に、この国見山、あるいはその両者の延長線上にある高良山あたりが起点となっていることも、その支配・測量拠点としての意味合いが強かったことを示しますが、高良山の場合は特に神籠石という形で石列が残っており、その石造加工技術が、また支石墓のそれとも関係し、元はインド中南部の支石墓文化にあった可能性も考慮すべきでしょう。

少なくとも、上記のように5度、10度偏角単位での測量は、先日お知らせした中国、朝鮮の支石墓群を結ぶ方位ラインと同類であり、その技術系譜をこの弥生人が継承していることはあきらかです。

そして、そのインドの場合は当時すでに高度な鉄製道具による石材加工技術があり、これらの石材加工技術が、中国華南を経て、南西諸島経由で、九州に至ったと考えるならば、そのルート沿いにも同様な石造物が残っていることも考えうることです。

特に沖縄のグスク群については、高度な石材加工技術が見られており、その起源は弥生時代まで遡るのではないかともいわれているとおりです。

そして華南やインドにも同様な石造物や石材加工技術の系譜がたどれるならば、ここまで明らかにしてきた支石墓や甕棺、タミル語に類似する語彙を日本にもたらした集団がいたことの傍証となるかもしれない点で重要です。

さらに言えば、邪馬台国についても、弥生時代がはじまった当初からあったその支配に相応しい神聖な場にある拠点を、その図のライン上から導きだすことによって、明らかにしうるのかもしれません。高良山、女山の位置とその神籠石の存在は、それに適う場であるように感じます。



10296秦野北斗:2020/03/15(日) 21:16:56
首里(しゅり、沖縄方言: シュイ)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010848_2M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/首里



10297管理人:2020/03/16(月) 14:26:48
新銅鐸方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010850M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010850_2M.png

http://japantemple.com/2017/03/28/post-2321/



10298管理人:2020/03/17(火) 22:35:08
元伊勢方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010851M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010851_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010851_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/元伊勢



10299fourfours:2020/03/21(土) 18:30:23
「群れ」と*pleukの対応について
金平さんのブログから引用します。
mとpが対応する語が存在するのは、以下???のようなカラクリがあるのでしょう。
?「固さ」を表す語が「集まり」を意味するようになる語になることの説明
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jojikanehira.com%2Farchives%2F1988759.html

?「氷」を表す語が「固さ」を意味するようになる語になることの説明
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jojikanehira.com%2Farchives%2F14818949.html

?「群れ」(もしかして*pleukも?)の元々の言葉の詳細についての説明
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jojikanehira.com%2Farchives%2F10052106.html


また、私は言語学を専攻しているわけではありませんが、日本語の起源解明のためには、以下の6項目を念頭に入れることが、早期解決のための必要十分条件でしょうね。そのように感じます。

i) 比較言語学の拡張をすること
ii) 予想できないような音韻対応を発見すること
iii) 日本語とアルタイ諸語を過度に結び付けないこと
(起源が複数存在する可能性を捨てないこと)
iv) 琉球語も視野に入れ、再構を試みること
v) アイヌ語・朝鮮語・ニヴフ語などの周囲言語の再構も試してみること
vi) 日本語が完全に孤立言語である可能性を捨てないこと

10300fourfours:2020/03/21(土) 22:11:04
「涙」を意味する言葉の様子
閑話休題、「涙」を意味する言葉についてです。

「水」を表す語が「水」以外の液体を表すことはあると思いますが、「涙」を表す語は「目」と「水」を組み合わせて作るケースが多いですよね。

例えば東アジア・東南アジアの言語では、
・朝鮮語 nunmul(nun「目」+mul「水」)
・インドネシア語 air mata(air「水」+mata「目」)
・チベット語 mig chu(mig「目」+chu「水」)

と組み合わせています。

なので、モンゴル語もひょっとして
「目」と「水」の組み合わせではないのかと考えるようになりました。
現代のモンゴル語で「涙」は"nulims"です。(古形は"*nilbusunと推測されることが多いようです)
また、「目」は"nud"、「水」は"us"です。「目」と「水」の組み合わせだとしたら、"nulims"の前半部分"nu~"の部分が「目」でありそうです。では、"ms"の部分は何なのでしょうか。特に"m"の部分は、格助詞ではなさそうであり、「水」が"ms"に対応しそうです。

もしこれが正しければ、元来、モンゴル語の「水」は唇音(上唇と下唇を使って作る音)が初めに来たのかもしれませんね。

現在、契丹語は言語学者によって再構の途中ですが、契丹語の「涙」が解明すると、モンゴル祖語がどのような語であったか解明でくるでしょう。
ツングース祖語にも結びつけられるのかもしれません。

10301秦野北斗:2020/03/22(日) 00:32:29
[10854] 「涙」を意味する言葉の様子
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010855M.jpg

https://www.google.com/search?q=閑話休題&rlz=1C1ASRM_us-enJP559JP586&oq=閑話休題&aqs=chrome..69i57.1450j0j8&sourceid=chrome&ie=UTF-8



10302鳩摩羅童子:2020/03/22(日) 05:44:13
re 10855「涙」を意味する言葉の様子
>「泪」は千利休の後悔「なみだ」の意味でしょうな。

>文脈から後悔になれば、正解ですな。

千利休の茶杓の名の「なみだ」は、「後悔」の象徴なのですか?。  --- 知りませんでした。

インド弁で 「後悔」 を確認しました。
【サンスクリット語】manastApa (= m. `" burning of the mind "' , mental pain 精神的痛み, anguish 〔精神的・肉体的な激しい〕苦痛、苦悶、苦悩, ★repentance 後悔 MBh.) なみだパ
【タミル語】man2astApam(= 1. grief 悲しみ, heart-burning 焦燥; 2. displeasure, aversion; 3. being illdisposed, being on unfriendly terms; 4. ★repentance) なみだーの
【サンスクリット語】kaukRtya(= n. (fr. %{ku-kRta} , or %{-kRtya}) , evil doing , wickedness L. ; ★repentance L.) ぐ ぐやしー (R-y)

■涙(なみだ)とインド弁
【宮城弁】べんぞ(= (泣き)べそ。)
【賛】 bASpa (= m. (sgl.) ★tears 涙(なみだ), vapour.) べんぞ
【賛】 bASpakaNTha (= f. {I} choking with tears (lit. having ★tears in the throat) 涙で喉が詰まった.) べそかいた
-なみだ 系-
【賛】 nirmath  (= or %{manth} P. A1. %{-manthati} , %{-te} RV. ; %{-mathati} , %{-te} MBh. ; %{-mathnAti} Ka1t2h. (fut. %{-mathiSyati} ind. p. %{-mathya} MBh.) ; to grind (fire) out of (wood) , to produce (fire) by rubbing (wood together) , rub or churn anything out of anything (double acc.) RV. ; to stir or churn (the sea) MBh. ; to ★tear or draw or shake out of , extract MBh. ; to shake , agitate (the mind) MBh. ; to grind down , crush , destroy MBh. : Pass. %{-mathyate} (p. %{-yamAna}) , to be rubbed or churned &c.) なみた◎
【民】 nIrmuTTu-tal  (= 01 1. to be full to the the brim, as eyes with ★tears; 2. to make water) なみた ◎
【韓】 ヌン?ムル? 〇 --- 近い。

■世界
【アッカド語】nadû (nadā'u) (= v.; 1. to throw water or fire....3.to excreate, discharge saliva 唾, mucus 粘液, ★tears 涙, blood 血, feces 糞, semen 精子, vomit げろ, sweat 汗, ... 涙(なみだ)[涙が代表として、動詞が日本で名詞に化けた。 or 目+水(めみず→なみだ)である。]) なだ  △

もっと似ているのは、アフリカ。
file 11-300. 涙(なみた) - tears | mundi (=★tears) @Niger ナイジェリア/ Benin, manyochi (=★tears) @Tanzania タンザニア, nyembezi (=★tear, tears) @South Africa 南アフリカ (Zulu)
c. アフリカ・オンパレード でおます。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10303秦野北斗:2020/03/22(日) 08:02:04
[10856] re 10855「涙」を意味する言葉の様子
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010857M.jpg

https://sengoku-his.com/836



10304管理人:2020/03/23(月) 00:52:41
夔鳳鏡方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010859M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010859_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010859_3M.png

http://wi12000.starfree.jp/forGmap/html/kihou_kyou.html



10305管理人:2020/03/25(水) 01:43:31
楽浪・九州方位ラインと金銀錯嵌珠龍文鉄鏡
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010860M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010860_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010860_3M.png

http://wi12000.starfree.jp/forGmap/html/kihou_kyou.html



10306秦野北斗:2020/03/26(木) 00:13:17
[10860] 楽浪・九州方位ラインと金銀錯嵌珠龍文鉄鏡
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010861M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010861_2M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/楽浪国



10307管理人:2020/03/26(木) 02:21:59
高良山北の古墳状地形
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010862M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010862_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010862_3M.png

まず、昨晩の夔鳳鏡を出土した古墳を結ぶ方位ラインを一部修正しました。昨晩の投稿図を新しいものに入れ替えておいたので、ご確認ください。

訂正箇所としては、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡を出土した日田ダンワラ古墳⇔(誤・楯築墳丘墓→正・七つぐろ古墳)⇔一之宮神社古墳となります。赤ラインでそのラインを示しておきました。

その七つぐろ古墳は銅製、一之宮神社古墳は鉄製の夔鳳鏡を出土しているので、日田の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が夔鳳鏡と一緒に取得(賜与)・分配されていたことが、このことから一層明らかにしうるでしょう。

そこで、また昨晩最後に触れた、夔鳳鏡を出土した十三塚遺跡と金銀錯嵌珠龍文鉄鏡を出土した日田ダンワラ古墳(そばに巨大古墳状地形がある)を結ぶ方位ライン上にある高良山北部の古墳状地形について調べを進めていますが、この古墳状地形の位置は、昨晩もお話したように、十三塚遺跡とダンワラ古墳から2:3の位置にあること等から、測量拠点として設置されたことを考えますが、その古墳状地形の航空写真は図1のとなります。

また図2の上図はその古墳状地形の測量図と、この古墳状地形の東方に位置する弥生時代末期の高地性集落の白岩遺跡、さらに古墳時代前期の箸墓の測量図を比較したものです。

こうみると、白岩遺跡等にみられる左右不均等なバチ型の前方部(右か左に大きくバチが開く)や、初期の前方後円墳にみられる多角形状の後円部をこの古墳状地形が有していることがわかります。

また図2の下図はこの古墳状地形の断面図で、箸墓のそれと比較したものですが、こうみると箸墓と同様な後円部を持つように見えます。左右均等の円墳状であることは、その方格(黒線)をみていただくと理解できるでしょう。

その前方部は山の尾根を流用する初期の前方後円墳の形をしており、箸墓のそれとはことなりますが、ただその前方部の尾根の切れ目の位置が、図のように箸墓のサイズと同じ270m前後で切れ目があり、後円部の長さも同様にほぼ同じで120〜150mとみられること、そしてその高さも30〜40m前後であることも近似するように見受けられます。

したがって、後代の箸墓・纏向型の規格に沿っている可能性がありますが、先のように形状自体は高地性集落時代の不均等な形状をしていることからみて、この古墳状地形のほうが、定型化した後の纏向型前方後円墳より古いのではないでしょうか。

ライン面で接続する日田のダンワラ古墳の上にある巨大古墳状地形も同様な左右不均等な形状をしていることは、先日もお話したとおりです。

そして、魏の時代のものとされる金銀錯嵌珠龍文鉄鏡や、2世紀後半〜の夔鳳鏡がこのライン上の古墳から出土していることからみて、2世紀後半〜3世紀中葉までの間にこの古墳状地形が造営された可能性が高いでしょう。

さらにこのラインと平行関係にある与止日女神社⇔吉野ヶ里遺跡⇔安国寺甕棺墓群において、その与止日女神社に関わる豊姫を、女王・台与とみなせるならば、3世紀中葉あたりの造営と考えうるでしょう。その場合も箸墓よりは古く、夔鳳鏡を出土する桜井茶臼山あたりと同年代となるかもしれません。

あと図3のように、この古墳状地形は祇園山古墳⇔鷲尾岳(大社歴代宗主墓)⇔奥社(武内宿禰墓?)を結ぶ20度偏角の方位ラインと関連づけうることがあり、すなわち、祇園山古墳⇔古墳状地形ラインの偏角20度偏角となり、また鷲尾岳⇔古墳状地形の偏角が45度となります、図の方格(黒線)上の交点に位置してきますので、やはり意図的にこの角度・位置にこの古墳状地形の後円部が設置されたことが明らかになります。

すでに祇園山古墳はその60体にも及ぶ殉葬の痕跡から、侍女百人が殉葬されたと記載される卑弥呼の墓とも指摘されているところで、その祇園山と同様な方墳状の鷲尾岳(歴代宗主墓)、および武内宿禰墓ともされる奥社の古墳状地形も同時代のものであろうことは以前指摘したとおりです。

そこで、この3者(ライン)と、今回の北部の古墳状地形のどちらが古いのか?が問題となるのですが、鷲尾岳(歴代宗主墓)の真北に横隈山遺跡があり、そこに5世紀中ごろとされる帆立貝型の前方後円墳がありますがここは弥生遺跡ともされており、元は纏向型前方後円墳などのもっと古い時代の墳墓だったのではないでしょうか。

その2点間の距離が14055mとなり、×3=42165mとなるので、420mの漢尺を使っているように見えます。

尺度面から考えると、この鷲尾岳あたりに、弥生時代(前漢〜後漢)の方墳があり、次に同様な方墳として弥生時代末に祇園山古墳が造営され、その後の古墳時代初期(魏・晋)にこの古墳状地形が造営されたのではないでしょうか。その魏晋尺がこの古墳状地形設置に関して使用された件は昨晩お話したとおりです。

なお、祇園山古墳出土の後漢鏡とされる鋸歯文縁方格規矩鳥文鏡と同型鏡は、先の夔鳳鏡を出土した十三塚遺跡からも出ており、年代を決めるヒントとなりそうですが、またその辺のことについては、明日あたり考えてみましょう。




10308鳩摩羅童子:2020/03/27(金) 08:16:45
豊国(とよくに) = 邪馬台国(やまたいこく)。【サンスクリット語】vimudra
https://www.youtube.com/watch?v=nFL33uoIm54

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10309秦野北斗:2020/03/27(金) 12:04:21
[10863] 豊国(とよくに) = 邪馬台国(やまたいこく)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010864M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010864_2M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=nFL33uoIm54



10310管理人:2020/03/27(金) 15:03:37
朝鮮支石墓・神籠石ラインと邪馬台国
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010865M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010865_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010865_3M.png

http://www.yoshinogari.jp/contents3/?categoryId=28



10311秦野北斗:2020/03/30(月) 21:52:38
[10865] 朝鮮支石墓・神籠石ラインと邪馬台国
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010866M.jpg

http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_05.html



10312鳩摩羅童子:2020/03/31(火) 16:50:06
re [10866] 豐葦原之千秋長五百秋之水穗國 は、どこ?。
https://ameblo.jp/indiaindia-27/entry-11950704367.html

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10313秦野北斗:2020/03/31(火) 19:30:47
[10867] re [10866] 豐葦原之千秋長五百秋之水穗國 は、どこ?。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010868M.jpg

鳩摩羅童子さん、正解は、図添付で身近なんです。
おまけ、古事記に勾玉は水穗國に似せて、長の百が造ったとのこと。
現在、馬山は埋め立てされ、勾玉の輪郭だけですな、津(入り江)だったのですが・・・





10314鳩摩羅童子:2020/03/31(火) 21:37:46
re [10868] ・・豐葦原之千秋長五百秋之水穗國 は、どこ?
https://ja.wikipedia.org/wiki/馬山市

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10315秦野北斗:2020/04/10(金) 00:00:32
[10869] re [10868] ・・豐葦原之千秋長五百秋之水穗國 は、どこ?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010870M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=ItL8wF0vpD0



10316秦野北斗:2020/04/11(土) 04:44:04
高志之八俣遠呂智、毎年來喫
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010871M.jpg

http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_03.html

http://



10317鳩摩羅童子:2020/04/11(土) 06:46:34
[10869] re [10868] ・・豐葦原之千秋長五百秋之水穗國 は、どこ?
https://www.youtube.com/watch?v=LkWhxZN46c0&feature=youtu.be

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10318鳩摩羅童子:2020/04/11(土) 07:27:06
鉾(hoko), 彦(hiko), 肥後(higo), 日向 (hyuga), 卑弥呼(himiko) の空耳アワーの件
福永晋三 は、奈良の大和三山は、豊国の英彦山(ひこさん)、がルーツ、で、奈良は copy だ
と言っている。

英彦山は、大昔は、単に、彦山(ひこさん)と呼ばれ、英彦山が有る田川(たがわ)は、鷹羽(たかは)
と呼ばれていた。鷹 hawk ホーク。 英彦山の3つの神様は、鷹、の関係者。

鹿児島 (kago-shima) も、hiko が kago に化けた ? 。

九州の名前は、何故、 hiko の関係者なのか?。 偶然とは思えません。

鉾 hoko の青銅器文化をもった渡来人が立てた国だから、hiko の名が入っている ?。

---- 誰か、教えて。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10319管理人:2020/04/12(日) 03:41:17
彦・日子
秦野さん、童子さん、面白そうな話をしてますね・・・!

彦については、卑狗が倭人伝に記されており、その分布が対馬・壱岐あたりにまで及んでいることが、朝鮮南部にまで及び可能性を示すように感じます。

馬韓に数多みえる卑彌(ヒミ)、卑難(ヒナ)のつく国名なども、どこかしら、卑弥呼とか、卑狗と関係しないでしょうか。

先日の契丹古伝を考慮すると、太陽信仰にちなむ日子の可能性が高くなりますね。日女。

そこに賀茂とか八咫の烏が関わってくる。

ご指摘の鷹も日鷹、日高と関係して、太陽信仰と関わらないでしょうか。

ある意味、そのご指摘のホークも、確かにヒクに近いのかな・・。日向もヒコウとなるのか・・。日高はどうかな?

やはり、日本語祖語を考え直す必要がありますね。また後日、日本語祖語と印欧祖語、アイヌ語との比較についての鳴海さんの本について、いくらか紹介します。

10320秦野北斗:2020/04/20(月) 01:23:55
[10872] [10869] re [10868] ・・豐葦原之千秋長五百秋之水穗國 は、どこ?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010875M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010875_2M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=LkWhxZN46c0&feature=youtu.be



10321秦野北斗:2020/04/22(水) 01:31:04
[10873] 鉾(hoko), 彦(hiko), 肥後(higo), 日向 (hyuga), 卑弥呼(himiko) の空耳アワーの件
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010876M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010876_3M.jpg

http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_05.html

http://



10322管理人:2020/04/06(月) 00:01:40
キングダム
秦野さんへの答えになるかどうかわかりませんが、今晩の0時15分からキングダムとかいう以前ルーツさんが話してたアニメが放送されるようです・・・・。面白そう!


■あらすじ
紀元前、中国西方の秦国(しんこく)に、今は亡き親友と夢見た「天下の大将軍」を目指す若き千人将・信(しん)がいた。

かつて王都で起きたクーデターに巻き込まれ、現在の秦王・嬴政(しんおう・えいせい)と運命的に出会った信は、自身の夢をかなえ、嬴政が目指す「中華統一」をともに成し遂げるため戦場に身を置くことになる。戦地で散った師・王騎(おうき)の死を乗り越え、蒙恬(もうてん)や王賁(おうほん)ら同世代の隊長たちと切磋琢磨しながら、着実に夢への階段を上ってゆく信。 一方、嬴政もまた、壮大な目標に向け、相国・呂不韋(りょふい)から国の実権を奪い返すべく宮廷内での勢力拡大に力を注ぐ。

そんな中、軍事最重要拠点のひとつ山陽(さんよう)の攻略に成功した秦国は、これにより中華統一へ一歩近づくこととなった。だが、七国の勢力図を塗り替えかねないこの一手に危機感を抱く趙国(ちょうこく)の天才軍師・李牧(りぼく)は、楚国(そこく)の宰相・春申君(しゅんしんくん)を総大将に、楚、趙、魏(ぎ)、燕(えん)、韓(かん)、斉(せい)の六国による合従軍を興し秦国への侵攻を開始する!

未曾有の危機に、秦国は持てるすべての武力を結集して、合従軍を迎え撃つ!!

/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww6.nhk.or.jp%2Fanime%2Ftopics%2Fdetail.html%3Fi%3D6317

10323秦野北斗:2020/04/06(月) 21:09:43
[10877] キングダム
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010878M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=9cz3HLwy11s



10324荊の紀氏:2020/04/07(火) 07:29:53
会報誌 注文の件
 会報第8号発行おめでとうございます。
荊の紀氏めに 1冊 ですが お分け下さい
送金先の口座もよろしくお願いいたします。


10325管理人:2020/04/07(火) 23:39:39
会報
さっそくキシさん、ご注文ありがとうございます。

とりあえず、送料含めて2000円となりますので、到着後お手数ですが、お振込みよろしくお願いします。2年分・625ページあるので分厚いです。

また、皆さんのほうでもご注文されたい方おりましたらお知らせください。

10326管理人:2020/04/08(水) 00:22:00
徐福と御嶽
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010881M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010881_2M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/御嶽_(沖縄)



10327秦野北斗:2020/04/08(水) 08:45:52
御嶽
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010882M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010882_2M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/御嶽



10328鳩摩羅童子:2020/04/09(木) 05:02:24
YouTube 『沖縄弁は、言語での東洋のガラパゴス』と教科書に載せよう
沖縄県の掲示板で、沖縄弁の単語と対応インド弁の単語を、毎日投稿していたら、
YouTube に投稿して欲しい、と言われまして、....。

そんなこと言われても、作るのは私なので、疲れます。
しかし、呼び水として、おもちゃのビデオを作りました。 スライド+音声合成ソフト、の合作※。

https://www.youtube.com/watch?v=33PUn3bAc-o

※ free のビデオ編集 tool にマトモのものが無く、 water mark というロゴを付けてくる。エゲツ無いったら、ありゃしない。
beecut の中国語?、や、 filmora とか。日本の free の toolは、AviUtl でロゴは付かないが、 spec. が古過ぎて動かない。どう見ても、技術立国日本とは言えない。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10329秦野北斗:2020/04/09(木) 11:40:06
[10883] YouTube 『沖縄弁は、言語での東洋のガラパゴス』と教科書に載せよう
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010884M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010884_2M.jpg

>沖縄県の掲示板で、沖縄弁の単語と対応インド弁の単語を、毎日投稿していたら、
YouTube に投稿して欲しい、と言われまして、....。

いいですね、沖縄、インド・・・伝説など、YouTubeに投稿しては、これは、誰にもまねはできない・・
現代語でお願いいたします。



10330管理人:2020/04/09(木) 23:28:56
YouTube
童子さんのユーチューブ拝見しました。頑張っておられますね!

最近は、コロナの件もあり、講演会なども中止となることが多く、YouTubeや生放送の需要が増えてきているようです。その辺の活用法についても、今年は考えてみたいですね。

10331秦野北斗:2020/04/11(土) 18:53:23
高千穂宮の住所が判明
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010886M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010886_2M.jpg

http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_07.html



10332管理人:2020/04/13(月) 15:50:18
古代科学史掲示板の新設
新年度になりましたので、少し研究会のほうも整理をしはじめようかと考えてますが、まず縄文・超古代史掲示板のほうを、あらたに古代科学史掲示板に名称を改めました。科学ネタについては、下記の古代科学史掲示板で論議しましょう!

古代史科学史掲示板
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8023.teacup.com%2Fshimoeda%2Fbbs%3F

また、こちらの歴史掲示板では、超古代史から近現代史まで、一般の歴史全般にわたって論議していただいて構いませんので、今後ともよろしくお願いします。


10333管理人:2020/04/18(土) 00:23:27
夷洲
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010888M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010888_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010888_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/衛温



10334秦野北斗:2020/04/18(土) 12:11:27
[10888] 夷洲
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010889M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010889_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010889_3M.jpg

http://www.chukai.ne.jp/~a-yamataikoku/entrance3.html



10335管理人:2020/04/21(火) 00:27:13
夷州の古代犬
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010890M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010890_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010890_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/犬食文化



10336秦野北斗:2020/04/22(水) 13:37:22
[10890] 夷州の古代犬
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010891M.jpg

https://kotobank.jp/word/?髪-1321947

http://



10337管理人:2020/04/24(金) 00:48:44
亶州
秦野さん、お返事ありがとうございます。

そう、その隋書というと、夷州の記載がありましたね。


「都斯麻國迥在 大海中又東至一支國又至竹斯國又東至秦王國其人同於華夏以爲夷州疑不能明也 又經十餘國 達於海岸 自 竹斯國以東 皆附庸於倭」

この場合、秦王国、つまり周防国のことでしょうか、ここの習俗が中国のそれと似ているので、ここが夷州(夷人の住む島々の意味?)であるとは思えない、理解できないと言っているわけです。ある意味、中国的でない周辺の島々はみな夷州と呼ばれていた可能性もありそうです。

しかし、それに対して「会稽東県人海行有遭風流移至亶洲者 所在絶遠卒不可得至 但得夷洲数千人還」の亶洲ですね、これがさらに夷州より遠くにあるとされてます。

その亶については下記のような意味があります。

?あつ(厚)い。ゆたか。 ?まこと。まことに。 ?ほしいまま。もっぱら。類専・擅(セン)

/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.kanjipedia.jp%2Fkanji%2F0004613900


なぜ、この亶をおそらくは琉球・沖縄方面に充てたのかが解せない感じです。

夷というのは、中国周辺の異民族を意味する用語のように感じるんですね。ある程度、従属の意を示す場合がある。

それに対して、亶は、ほしいままに好きなように生きている、つまり中国の従属圏にいない、動物や魚のような異民族という具合の観念だったと考えるとどうでしょう。

それに似た観念として、同じく琉球方面を指すと考えた会稽の東のテイ(魚へんに是)の記載がありましたね。

後漢書東夷伝
「会稽の海外に、東テイ(魚へんに是)人あり。分かれて20余国となる。また、夷洲 およびセンさんずいに亶)洲あり。 伝に言う「秦の始皇(帝)、方子の徐福を遣わし、童男・ 童女数千人を将(ひき)いて海に入り、蓬莱の神仙を求めしむれども得ず。徐福、誅(殺)を恐れ、あえて還らず。ついに此の洲に止まる」と。
   世々相承けて数万家あり。人民、時に会稽に至りて市す。会稽東冶の県人、海に入り行きて風に遭い、流移してセン(さんずいに亶)洲に到る者あり。所在絶遠にして往来すべからず。」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkamodoku.dee.cc%2Fgokanjo.html

つまり、徐福が住み着いて戻ってこなかった20国となるのですが、ここを亶洲としている。

ここでさんずいを用いるのは、水つまり海に関わる「亶」を意味しているはずですから、やはり魚のようなきままな存在を示しているのではないでしょうか。

そして、そのテイ=魚+是でイワシの意味でしたね。半魚人とでもいうべき表現の仕方です。

ただ、徐福の子孫なら、習俗も中国風だったでしょうから、夷つまり異民族風ではない可能性もあったでしょう。

だから台湾=夷州と、その遠くにある琉球方面=亶州は区別する必要があったのではないでしょうか・・・・。20国あるというのも、国として交易・通交できるだけの文化があったことを示している。

それゆえ、孫権は興味を示したのかもしれません。文化的に高ければ、戦力・財力になりますからね。しかし、結果として夷州に行っただけで、そこからあまり戦力にならない1000人を連れて帰ってきたので怒ったのでしょう。

そういう意味では、亶州については、別格の文化地域との観念が中国人にあった可能性が見えてくるでしょう。

グスクや支石墓、御嶽に見られるような高度な石造文化もそうですね。当時からそれらは存在していて、縄文時代晩期には、海のシルクロードを経て華南経由でインド系のそれらが稲作とともに琉球方面へともたらされ、一部が九州へと伝来していく。

徐福の話というのは、山海経の分析からみても、それ以前にあった同様な逃亡民の移住伝承を元にしていることもあり、それらが亶州の観念として形作られていったのでしょう。

そして亶州と邪馬台国ですね。ここがこれから重要なポイントとなってきます。


10338秦野北斗:2020/04/24(金) 21:19:02
[10892] 亶州
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010893_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010893_3M.jpg

さっそく亶州 (センシュウ)ですか・・・

『隋書』倭国伝(裴世清、聖徳太子)
明年(六〇八年)、 上遣文林郎裴?使於俀国。 度百濟行至竹島 南望?羅國經「都斯麻國逈在大海中。 又東至一支國 又至竹斯國 又東至秦王國 其人同於華夏以為夷洲疑不能明也 又經十餘國達於海岸 自竹斯國以東皆附庸於俀。」
『隋書』倭国伝の抜粋ですか・・・「・・・」部分です。この文章は既に翻訳済みです。
管理人さん、説明とは異なります、

意訳、翌年(六〇八年)、上(天子)は文林郎の裴世清を俀国に遣わす。百済(倭)に渡る、竹島(済州島)に至り、南に耼羅国(五島列島の宇久島)を望み、都斯麻国(対馬)を経て、大海中を巡る。また東の一支国(壱岐)に至り、また竹斯国(志賀島)に至り、また、東の秦=奉王国(末盧国(まつるこく)、香椎)に至る。「そこの人は華夏(中華)と同じ、以って夷洲となす。」疑(うたが)うも、解明は不能である。また十余国を経て、海岸に達した。竹斯国より以東、皆俀に属する。奉=秦、倭=俀、この2文字は異字体、書き間違い。紛らわしいな。

「都斯麻國迥在 大海中又東至一支國又至竹斯國又東至秦王國其人同於華夏以爲夷州疑不能明也 又經十餘國 達於海岸 自 竹斯國以東 皆附庸於倭」倭を書き換えてますな。

この場合、秦王国、つまり周防国のことでしょうか、ここの習俗が中国のそれと似ているので、ここが夷州(夷人の住む島々の意味?)であるとは思えない、理解できないと言っているわけです。ある意味、中国的でない周辺の島々はみな夷州と呼ばれていた可能性もありそうです。管理人さんの推測ですな、・・・

詳細は古事記に書かれている、夷洲、澶洲、蓬萊の図を添付。澶洲に邪馬台国があるにです。

http://



10339fourfours:2020/04/24(金) 23:43:52
東アジアの遺伝子分布が明らかになりつつあります
記事が英語ですが、191体の東アジアの古人遺伝子データから、東アジア地域の8000年来の人の群れの起源、移動と混合の歴史を解析した論文が2020年3月25日に公開されました。

/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.biorxiv.org%2Fcontent%2F10.1101%2F2020.03.25.004606v1


東アジアの地域では最大規模の調査です(調査地域:モンゴル・中国北方・台湾・アムール盆地・日本)。
デイヴィッド・ライク「交雑する人類」でも挙げられていた「アムール盆地集団」は紀元前6000〜前3600年に遡り、かつて北ユーラシアに広がっていたようです。また、モンゴル内では、東方(アムール盆地集団)と西方(アファナシェヴォ文化の集団、トカラ語を話しているという説が有力)などが混ざり合ったそうです。

また、縄文時代の狩猟民族についても議論がされていました。
詳しくは、下記のURLを参照してください。

/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.biorxiv.org%2Fcontent%2F10.1101%2F2020.03.25.004606v1.full

10340管理人:2020/04/28(火) 00:03:42
遺伝子
fourfoursさん、さっそく最新情報お知らせありがとうございました。

英語論文・・・、頭が英語・遺伝子モードに切り替わるまで時間かかりそうです(汗)

またゆっくり拝読させていただきますね。

10341秦野北斗:2020/04/28(火) 00:06:31
[10892] 亶州 徐福
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010897M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010897_3M.jpg

https://www.weblio.jp/content/



10342管理人:2020/05/12(火) 03:44:53
亶州 徐福
東の鯷人の件で、その鯷は一般的にイワシと解釈されているようですね。

秦野さんご指摘のように、イワシの種類によって形状に相違がある点は興味深く感じます。

なぜ、イワシと呼んだか?も課題ですが、航海民であることに加えて、頭部に比して目が大きいという意味もあったのではないでしょうか。琉球方面に多い人種のように感じます。

縄文人に近く、比較的小柄で目が二重で大きく彫が濃い人種だったのかもしれませんね。

その人たちの中に、ある時期に徐福伝承のモデルとなった集団が逃亡していったわけですね。

山海経でいけば、以前指摘した困民でしょう。逃亡伝承があります。

この集団は、江南方面から琉球、さらに九州へと移住していった可能性を考えます。

10343管理人:2020/05/20(水) 01:32:52
日田の古墳状地形群
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010899M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010899_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010899_3M.png

以前、日田に二つの古墳状地形があることをお知らせしましたが、その双方の位置関係について再考してみたところ、次のようなことが明らかになりました。

まず図1のように、図左下の古墳状地形?(日田市日高・魏の曹操墓出土の鉄鏡と同類の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡を出土したダンワラ古墳に隣接)があり、その東に日田古代史研究会の方が発見した古墳状地形?(日田市日高)があります。

そして、図のようにその北方にもうひとつ古墳状地形?(日田市有田)があることに気づきました。

図2はその3つがある地域の航空写真です。

この3つは、その古墳状地形周辺の道路からみてもわかるように前方後円墳状をしています。

そして、その後円部の中心点を結んだのが図1、2の青ラインです。

こうみると、30度、60度、90度の直角三角形を成していることがわかります。

距離的には1:2:√3になることは、その距離表を見てもわかるように、819m:1634m:1428mとなっていることからも明らかです。

なお、この直角三角形は図中の分度器のように9〜10度偏角を有しており、これは古墳時代前期の奈良や各地の古墳を結ぶ方位区画にみえる偏角で、北極星などを北とした場合の偏角のようにも考えうるでしょう。

距離尺としては、819m/2=409.5m=1里 もしくは、1428×3=4284m/10=428m=1里の尺単位のような気がしますが、どちらでしょうね。

また図2で、それらの古墳軸の向きに注目すると、古墳状地形?の古墳軸は古墳状地形?のほうを向いており、また古墳状地形?の古墳軸?の向きが古墳状地形?のほうを向くとともに、その古墳軸?の向きは古墳状地形?の古墳軸の向きと平行です。

これらのことから、この3つの古墳状地形の位置と方向が意図的になされたものであり、人工物であったことが明らかにしうるでしょう。

あと、図3は今回指摘した古墳状地形?の断面図ですが、サイズ的には250〜300mの箸墓サイズで、平坦に削られる前の元の高さは30m前後あったのではないでしょうか。これも箸墓の高さ30mに近いものです。

その「あやめ台」の字名のように、若干の台地になっていることからみて、その住宅地造営の際に、台地の上部を削ったことがわかります。その周囲を低地(掘)が囲んでいたはずで、そこが現在河や道路になっているのでしょう。

そのそばを求来里川が流れており、その求来里(ククリ、キュウクリ)に古い語源を見出しうるかもしれません。

その西方の會所神社で祀られる比佐(久)津媛(ひさつひめ)の久=キュウ音に関係しそうですね。

また求来里(ククリ、キュウクリ)は高句麗(コウクリ)の発音にも似てますが、同じく西方にある法恩寺山古墳群の壁画などは、後代の高句麗系渡来人とやはり関係してくるのではないでしょうか。元は高句麗と同族関係がある北燕遺民=新漢人との関連ですね。

とくにこの古墳状地形?の位置が、先日も邪馬台国の女王・台与との関係を考えた与止日女社⇔吉野ヶ里遺跡(高床倉庫群)⇔安国寺甕棺墓群⇔日田古墳状地形?を結ぶ方位ライン上にあることが重要ですが、この件についてはまた後日、改めて考えなおしてみたいと思います。



10344秦野北斗:2020/05/22(金) 02:25:49
[10898] 亶州 徐福
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010900M.jpg

後漢書東夷伝を集団が逃亡ですか、 山海経でいけば、以前指摘した困民でしょう。逃亡伝承があります。
後漢書東夷伝、山海経は逃亡伝承なんですな。古代史は魏誌倭人伝に始まるが、管理人さんには、陳寿が
書いた逃亡伝承なんでしょうな。[10899] 日田の古墳状地形群 は、どう見ても、ウンコの盛り土でしょうな。

>ある時期に徐福伝承のモデルとなった集団が逃亡していったわけですね。
山海経でいけば、以前指摘した困民でしょう。逃亡伝承があります。
この集団は、江南方面から琉球、さらに九州へと移住していった可能性を考えます。

後漢書東夷伝
會稽海外有東鯷人,分為二十餘國。又有夷洲及澶洲。傳言秦始皇遣方士徐福將童男女數千人入海,求蓬萊神仙不,得徐福畏誅不,敢還遂止此洲,世世相承,有數萬家人。民時至會稽市。會稽東冶縣人有入海行遭風,流移至澶洲者。所在?遠不,可往來。

意訳:会稽海の外に東鰯人、分れ成す20余国、また、夷洲、及び 澶洲あり。伝わる言葉、秦始皇帝使い正に侍、徐福將、童息子、娘、数える頭人、入海し、求める蓬莱に天津神、仙人なく悟る。徐福は賢く責めるない、敢えて再び、遂に止まる、この洲で行き年、受継ぐ、受ける有る数える万(よろず)、家人。民は其の頃に到る会稽市、會稽東冶縣人、入海道、遭う習わし有り。慰め移り到る澶洲といえる。所在る渡る遠いない、聞くに古(いにしえ)に来る。



10345秦野北斗:2020/05/31(日) 04:56:51
令和  お楽しみに・・・ 
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010901M.jpg

令和の出典は万葉集からであると公表されていますね。万葉集の「梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文」の一部にあたります。

万葉集巻第五「梅花謌卅二首 ?序」の序、を全訳する。お楽しみに・・・

天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾蓋、夕岫結霧、鳥封縠而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是蓋天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以攄情。請紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。



現在の令和の訳、

白文:于時初春令月氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香
初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす
読み:しょしゅんのれいげつにして、きよくかぜやわらぎ、うめはきょうぜんのこをひらき、らんははいごのこうをかおらす




10346fourfours:2020/05/31(日) 09:51:57
[10894] 補足
みなさん、[10894]の記事に関心を持ってくださりありがとうございます。
大変な時期にありますが、お体にお気を付け下さい。

雑記帳さんのブログ記事に日本語でまとめてありました。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsicambre.at.webry.info%2F202004%2Farticle_41.html

もしよろしければ、ご参照ください。

10347秦野北斗:2020/05/04(月) 15:53:49
[10901] 令和 
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010903M.jpg

天平二年(730年) 土岐(時)の元服(げんぶく、げんぷく)になる。

于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。

於いて土岐(とき)、初春(うぶ、とし)令月(おさ、つき)、壱岐(いき)は淑(しと)やか習わし倭、梅開く鏡前(かがみ、まえ)を飾る。蘭薫(あららぎ、かおる)帯び玉、遅れ此れ香(かぐわ)しい

原文:天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾蓋、夕岫結霧、鳥封縠而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是蓋天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以攄情。請紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。

意訳:天平二年正月十三日、集まる、於いて帥老(しろう)これ家、重ねる宴(うたげ)に集まるなり。於いて土岐(とき)、初春(うぶ、とし)令月(おさ、つき)、壱岐(いき)は淑(しと)やか習わし倭、梅開く鏡(かがみ、)前(まえ)を飾る。蘭薫(あららぎ、かおる)帯び玉、遅れ此れ香(かぐわ)しい。加わる以ち、曙嶺(あけぼの、みね)を移し行く、松(まつ、)掛かり連なる、然るに覆し被う、夕峰(ゆう、みね、)透(す)く霧(きり、)、鳥(とり、)封じる縠(から、)然るに惑う多い。庭弄(にわ、もてあそ)ぶ、沙羅蝶(さら、ちょう)、虚ろ贈る元雁(もと、かり)、於いて此れ被う、天座る津地、迫る膝、跳ぶ盃、忘れる言葉、初家(うぶや)此れ裏、開(はだ)ける衿(えり、)、烟(けぶ)る霞(かすみ、)此れ外(そと)。うすい然り、自ら赦(ゆる)す、快い然り自ら足す。汝非(なんじ、あら)ず飛ぶ盃、何(いず)れ以ち述べる心、請(う)ける記す村、梅此れ篇(ふみ、)。古(いにしえ)今は夫、何(いず)れ妖(あや)しいだろう。宜しく分かつ庭(にわ)、梅を楽しむ成る、短く詠う。




10348管理人:2020/05/04(月) 23:26:33
Re: [10894] 補足
fourfoursさんへのお返事です。
>
> 雑記帳さんのブログ記事に日本語でまとめてありました。
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsicambre.at.webry.info%2F202004%2Farticle_41.html
>
> もしよろしければ、ご参照ください。

さっそく和訳ありがとうございました。また後でゆっくり拝読させていただきます!

10349管理人:2020/05/05(火) 00:55:55
日田の超巨大古墳状地形
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010905M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010905_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010905_3M.png

https://www.shundaichi.com/37034393402148822269123923506937444.html



10350fourfours:2020/05/06(水) 23:56:31
「水」にみられるような語彙変化はかなり多彩だったのか?(序編)
ゴールデンウィークも終わりますが、いかがお過ごしでしょうか。

再び、金平譲司さんのブログ記事を引用いたします。興味があれば、お読みください。

金平さんによれば、日本語(縄文時代で話されていた系統ではなく、大陸で話されていた系統のほう)は、「遼河流域」で話されており、のちに「山東省」に移動し、弥生時代に話されていた言語へと進化したそうです。

「山東省」には、春秋戦国時代(BC770年〜)より若干前の時代に、
「遼河流域」には、BC6200からBC2200年の流域砂漠化までの期間にいることを想定しています。その言語は、ウラル語族(以下UR)と同祖であると推定されています。

「山東省」では、「インド・ヨーロッパ系の言語(以下IE)」「テュルク系の言語(以下TU)」「モンゴル系の言語(以下MO)」「シナ・チベット語族の言語(以下ST)」「ベトナム系の言語(以下AA)」「タイ系の言語(以下TK)」と接し、

「遼河流域」では、「かつて北ユーラシアに存在した複数(4〜5ほどを想定されている)の言語群」と接していたと仮定しています。

それぞれの言語には「水」を表す語がありますが、「水」そのものを表す語と「水」そのものを表さない語があります。

「水」そのものを表さない語は外来語であると考えられ、「川」「湿り」「干潟」「氷」「雪」「霧」「水の隣接部分」「隣接部分の盛り上がり」「高さ」「山」「天」「境」「床」「群がり」「糸」「島」「印」「方法」「向き」「耳」「手・腕・肩・脇」etc....などの意味で残っているそうです。意味変化は、非常に多岐にわたります(びっくりだ!!!!)。


現時点で、大昔に東アジア・北ユーラシアに存在した言語群のなかで、「水」のことをどういっていたかで9種類公開されています。今後新種のものが増えるかもしれません。「水」を表す語は変わりにくいため、同じように言っていれば起源が同じとしています(ただし決定事項ではありません)。

これをまとめると以下のようになりますが、バリエーションが多いことが分かります。バリエーションが多いのは、長い期間経っているためです。特に外来語として入ってくる場合変化します。
バリエーションが多いものは、より古い時代から存在していることが言えます。


?wat-/d-,wit-/d-,wut-/d-,wet-/d-,wot-/d- :UR,IE
※ただしwの部分はv,bに変わっているケースあり

?jak-/g-,jik-/g-,juk-/g-,jek-/g-,jok-/g- (jはヤ行音) :インディアン系の言語のうちの1つ,ST,AA,ニヴフ語
※ただしjの部分は?,?,?,?,t,d,s,z,lに変わっているケースあり
※jの部分は消えていることがあり
※k-/g-の部分はi-/j-に変わっているケースあり
※「母音」と「k-/g-」の間に子音nが挿入されているケースあり、それに伴い「k-/g-」が「ŋ-(ガ行の鼻濁音)」に変化しているケースあり(「jaŋk-/g-」のような語形)、さらにk-/g-がとれているケースあり(「jan-」のような語形)

?am-,um-,om- :?とは別のインディアン系の言語のうちの1つ
※mの部分はb,pに変わっているケースあり

?mVrk-/g- (Vは任意の母音) :アイヌ語・朝鮮語・ツングース諸語
※ただしmの部分はw,b,p,v,fに、rの部分はlに変わっているケースあり
※rk-のrの部分は後ろの子音に同化しkk-に変わっているケースあり
※さらにrまたはkが消えているケースあり

?sam-,sim-,sum-,sem-,som-:TU
※ただしm-の部分はb-,p-,w-,v-に変化しているケースあり
※TU(テュルク系の言語)はw-またはv-として残っているものが多い

?kata-:語源不明(遼河流域近辺)
※日本語などで外来語としてのみ存在(方、潟、片、肩など)
※?????のような意味変化をしていることが確認されている

?sula-:語源不明
※UR,IEなどに外来語としてのみ存在(フィンランド語 sulaa「溶けた」、ラテン語insula「島」)

?tura-:語源不明
※日本語などに外来語として存在(つらら、弦(turu)、蔓(turu))

?us-,is-,es-:MO(モンゴル語族)
※日本語では「石(isi)、磯(iso)」として入っていると想定
※「石」は「水や川の隣接部分に存在している」ために表すようになったのでは

≪参考≫
?to-:
※これは北アメリカのインディアンの諸言語のもので、東アジアの言語には存在していないかもしれません。


情報過多となってしまいましたので、ここまでといたします。
近いうちに続きの投稿を書きます。そこで、私の考察を加えます。


ここまでの話は、過去の金平さんのブログ記事のバックナンバーをもとにまとめています。詳しくは、バックナンバーをご覧ください。下記URLから確認することが出来ます。

http://www.jojikanehira.com/archives/list



10351秦野北斗:2020/05/07(木) 17:03:43
石上?宮
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010907M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010907_2M.jpg

http://www.isonokami.jp/



10352fourfours:2020/05/07(木) 23:09:05
Re: 石上?宮
秦野北斗さんへのお返事です。


> 石上神宮[いそのかみじんぐう]をご存知ですか、石(isi)をいそ磯(iso)と読みます。
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.isonokami.jp%2F
> 金平譲司さんの言語は紀元後の様ですな、
>
> 石上神宮は、古事記 神武東征に記される、所在は、奈良県天理市に在り、石上神宮[いそのかみじんぐう]は古事記に基づき、建てられた神宮になる。本来、石(いし)=美し(うまし)と読む、現在の学者には、読めない。美しは、韓国になる、韓国は660年までは、日本の領地であった、現在の韓国人は古代の歴史など知らない。正式名は、石上?宮(うましほとりかみみや)
>
>
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.isonokami.jp%2F


ご返事ありがとうございます。崇神天皇7年に建てられたといわれているのですね。
「石」をisiといったり、isoといったりしていましたが、砂子(isago)のように、*isaといっていた場合もあると思います。

日本語は子音で終わることが出来ないため、「i」や「a」や「o」を補って日本語として入っていったことが分かります。

崇神天皇は紀元後2〜300年頃に生きていたとするならば、2〜300年代には、「石」のことを、「いし」「いそ」「いさ」とバラバラになっていたということですが、それは、もともと日本語にあった語ではなく、近くに存在した言語群から入ってきたことを物語っています。奈良時代の日本語にも、母音の揺れが存在する単語はありますが、それらは外来語であると考えられるでしょう。

崇神天皇の生存していた時代に大陸からの移動があったかはわかりませんが、弥生時代ごろの日本語の話者が子音の連続を避けるためにiまたはuまたはaという母音を挿入していたのがわかります。

その言語群がモンゴル系の言語だということです。
ただし、後の投稿でも触れますが、「モンゴル系言語→アイヌ系言語→日本語」で日本語に入った可能性があり、否定はできません。アイヌ語にも「iso(磯)」という言葉があり、長い間アイヌ民族と大和民族は接触していました。アイヌ語はアイヌ語で過去にモンゴル語と接していた可能性はあります。そうすれば崇神天皇時代の「いし」「いそ」「いさ」のばらつきも説明できるかもしれませんね。

ひょっとしたら借用の向きは逆で「日本語→アイヌ語」もあるかもしれませんが。


長文、失礼いたしました。




10353管理人:2020/05/07(木) 23:31:48
Re: 石上?宮
fourfoursさんへのお返事です。

>
> 「石」をisiといったり、isoといったりしていましたが、砂子(isago)のように、*isaといっていた場合もあると思います。
>
> 日本語は子音で終わることが出来ないため、「i」や「a」や「o」を補って日本語として入っていったことが分かります。
>

そうですよね、母音で終わるのは現代の日本語の大きな特徴です。


> 崇神天皇は紀元後2〜300年頃に生きていたとするならば、2〜300年代には、「石」のことを、「いし」「いそ」「いさ」とバラバラになっていたということですが、それは、もともと日本語にあった語ではなく、近くに存在した言語群から入ってきたことを物語っています。奈良時代の日本語にも、母音の揺れが存在する単語はありますが、それらは外来語であると考えられるでしょう。
>
> 崇神天皇の生存していた時代に大陸からの移動があったかはわかりませんが、弥生時代ごろの日本語の話者が子音の連続を避けるためにiまたはuまたはaという母音を挿入していたのがわかります。
>
> その言語群がモンゴル系の言語だということです。


私も、同様に特に高句麗祖語あたりが日本列島へと入るときに、母音が加わっていく過程があったように感じてます。

逆に言えば、母音を抜くことによって、モンゴル語とか、さらにはアラム語系統の言葉などへと復元できる語彙が多いのではないかとも感じてますが、その件はまたの機会に。。


>
>

10354fourfours:2020/05/07(木) 23:54:56
Re: 石上?宮
管理人さんへのお返事です。

ご返事ありがとうございます。

アフロ・アジア語族、ドラヴィダ語族、その他南アジア・西アジアで話されていた消滅言語(例えばシュメール語)、南アジアの孤立言語(たとえばクスンダ語)、さらにはアフリカで話されている言語は日本語と結びつくかもしれませんが、「弥生時代の言葉」に関しては、間接的は関係もあったかもしれません。

例えばある言語Aが存在したたときに、A→日本語、A→タミル語に伝わった可能性はあるかもしれません。

これらも、生き残っている言語の単語を綿密に調べることによって、示すことができますね。

また、さらに進むと、縄文時代に話されていた言語については、上記に挙げたような言語と系統関係もひょっとしたら示されるかもしれませんね。



10355管理人:2020/05/07(木) 23:55:57
九州北部の古墳状地形方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010911M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010911_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010911_3M.png

先日お知らせした日田の巨大前方後円墳状地形と、以前からお知らせしてきた北九州各地の古墳状地形を結ぶ方位ラインを作成してみました。以前も同様なものを作成はしているのですが、今回は最新版です。

図1がその古墳状地形を結んだラインとなりますが、まず先日指摘した日田の巨大前方後円墳状地形?と、同じく先日分析した高良山北部にある前方後円墳状地形とが図のように東西ラインで接合してきます。その延長線上に印鑰神社があり、ここに邪馬台国時代の役所があった可能性を指摘したとおりです。

次に、この日田の古墳状地形?とその北西の伊川の巨大前方後円墳状地形(図2参照)を結ぶライン上に鎌田原遺跡(図3の前方後円墳状地形がある)が綺麗に載ることがわかります。ほぼ誤差がないことからみても、これらの二つ(日田と伊川)の1000m級の巨大古墳状地形が人工的な位置に構築されたことがわかります。

また、その伊川の巨大古墳状地形は、図1のように赤村で発見された前方後円墳状地形の真西にあたり、その延長線上に、初期の(纏向型)前方後円墳である名島4号墳が接合することも以前指摘したとおりです。

さらに、その伊川の巨大古墳状地形の真南に平塚川添遺跡があり、また図1のように鎌田原遺跡(前方後円墳状地形)と高良山北の古墳状地形を結ぶライン上に、この平塚川添遺跡が載ることもわかります。

その平塚の字名もおそらくは古墳が存在したことによるものであり、この地域が弥生時代から邪馬台国時代の中心的な都市機能を有していたであろうことは先学が指摘しているところです。

そして、これらの古墳状地形が人工的・意図的に構築されたことは、図の方格(黒線)上の交点にこれらが載ることからも確認することができ明らかです。

これらは特定の距離尺と方角に造営されたのであり、高精度な技術で測量されていると言えるでしょう。

ほぼ偏角なしの直角三角形を多用した測量を行っていることからみて、偏角がある弥生時代前期のものではなく、より精度の高い後期の測量によったことが予想されます。

これらの古墳状地形を結ぶ中に邪馬台国の諸国があり、また女王・卑弥呼・台与の都・墳墓もあったのかもしれませんが、その是非については、これらの未発掘の古墳状地形を調査することから、徐々に明らかにされていくのではないでしょうか。今後の発掘調査に期待したいところです。



10356秦野北斗:2020/05/08(金) 09:00:23
[10908] Re: 石上?宮
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010912M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/石上神宮



10357fourfours:2020/05/08(金) 09:34:00
Re: [10908] Re: 石上?宮
秦野北斗さんへのお返事です。

失礼いたしました。

紀元前1世紀であれば、なおさら「弥生時代の言語」と関係が深そうですね。

10358fourfours:2020/05/08(金) 09:36:29
「水」にみられるような語彙変化はかなり多彩だったのか?(中編)※完成版です。お騒がせいたしました。
http://www.jojikanehira.com/archives/15703219.html

http://www.jojikanehira.com/archives/list



10359fourfours:2020/05/08(金) 10:48:30
Re: 石上?宮
管理人さんへのお返事です。

高句麗祖語を話していた人々が遺伝的に解明できると、他言語との関連性も見えてくるかもしれません。

今後も注目したいところです。

10360荊の紀氏:2020/05/08(金) 11:11:04
飯塚市遺跡情報システム
様々な情報が地図と共にご覧になれます
飯塚市遺跡情報システム /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftrc-adeac.trc.co.jp%2FHtml%2FImageView%2F4020505100%2F4020505100300010%2Fiseki-map%2Findex.html
飯塚市の遺跡情報システムのサイトでは、飯塚市に所在する「遺跡(埋蔵文化財包蔵地)」についての様々な情報が地図と共にご覧になれます。 利用上の注意 遺跡(埋蔵文化財包蔵地)は、調査の成果等によってその範囲を変更する場合や、現在空白となっている地点に新たに登録されること ...


10361鳩摩羅童子:2020/05/09(土) 04:49:07
Re[10907] 石上?宮 うましほとり..
> 引用 start
石上神宮[いそのかみじんぐう] 〜:
石上神宮は、古事記 神武東征に記される、所在は、奈良県天理市に在り、石上神宮[いそのかみじんぐう]は古事記に基づき、建てられた神宮になる。本来、石(いし)= 美し(うまし)と読む、現在の学者には、読めない。美しは、韓国になる、韓国は660年までは、日本の領地であった、現在の韓国人は古代の歴史など知らない。正式名は、石上?宮(うましほとりかみみや)
> 引用 end

の 「石(いし)= 美し(うまし)」 をインド弁辞書の 「石 stone」 で検証してみる。

【タミル語】umicam 又は ummicam(= 1. groove in the frame work of a jewel in which ★stones are to be set 石がセットされる宝石のフレームワーク(枠組み)の溝; 2. notch V字型の刻み目[切り込み] 。階段 (TLS)) うましの、いその (m 無音)

何かのヒントになりますかネ。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10362秦野北斗:2020/05/09(土) 11:55:39
太 安万侶
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010918M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010918_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010918_3M.jpg

https://kobun.weblio.jp/content/美し



10363fourfours:2020/05/09(土) 23:03:39
「水」にみられるような語彙変化はかなり多彩だったのか?(後編)
http://www.jojikanehira.com/archives/15703219.html

http://www.jojikanehira.com/archives/list



10364fourfours:2020/05/10(日) 23:50:50
[10906][10914][10919]について
長文を多く投稿してしまいました。
うまくまとめられたかはわかりませんが、読んでいただければ幸いです。

今後もよろしくお願いします。

10365アストライアの会:2020/05/11(月) 12:13:29
銛(もり)とイルカと縄文人
昔より海の幸に恵まれて
 温暖な気候に恵まれた日本列島の縄文時代も、後期になると徐々に寒冷化が進み、環境も
 大きく変化していった。しかも東京、神奈川の辺りでは、箱根山や富士山が噴火したこと
で、食料を山野だけで確保する事が難しくなっていた。そのため寒さの影響を受けにくい貝
や魚などの海産物を確保するため、殊に入り江や遠浅(とおあさ)の海岸に恵まれた地域などで、漁労へ
のシフトが進み、その捨て場所である貝塚が各地に多く出来て行ったと考えられる。
貝塚からはアサリやハマグリなどの貝のカラは勿論のこと、銛(もり)や釣り針などの骨角器、魚の骨、土器や石器の破片などが出土し、当時の自然環境や食生活、縄文人の暮らしを知る上で、極めて重要な手段となっている。時には人骨が発見される事も有り、貝塚は単にゴミ捨て場ではなく、死者の埋葬の場をも意味し、破棄(捨てる)という行為そのものも、現代とは違う事が伺い知れる。
横浜の称名寺(しょうみょうじ)貝塚からはイルカの骨が多数出土し、丸木舟で漁(りょう)をしたものと思われる。この貝塚の研究者である講師により、漁労の民としての縄文人の暮らしの再現を試みたい。

「世界古代文明の謎を探る」(45)「銛(もり)とイルカと縄文人」
主 催 アストライアの会  協 力 日本セカンドライフ協会
ゲスト 高橋 健 横浜ユーラシア文化館学芸員
日 時 令和2年8月25日(火)午後2時から5時
会 場 豊島区イケビズ美術室(池袋駅西口徒歩約9分)
費 用 お茶代込み参加費二千円
連絡先 TEL049(258)3218 松原まで
備 考 後半はゲストを交えたお茶会です。



10366秦野北斗:2020/05/12(火) 14:37:12
イワシは、何語
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010922M.jpg

鳩摩羅童子さん、イワシ(鰯・鰛・鰮)中国語イワシ(鯷・鮷)ですが、インド弁saaradain
鮷:カタクチイワシ 鰯:沙丁魚、Sardine 鯷:ウルメイワシ?
イワシは何語ですか、

後漢書倭伝
會稽海外有東鯷人,分為二十餘國。又有夷洲及澶洲。傳言秦始皇遣方士徐福將童男女數千人入海,求蓬萊神仙不,得徐福畏誅不,敢還遂止此洲,世世相承,有數萬家人。民時至會稽市。會稽東冶縣人有入海行遭風,流移至澶洲者。所在絶遠不,可往來。

 会稽海(上海)の外に東鰯人、分れ成す20余国、また、夷洲、及び 澶洲あり。伝わる言葉、秦始皇帝使い正に侍、徐福將、童息子、娘、数える頭人、入海し、求める蓬莱に天津神、仙人なく悟る。徐福は賢く責めるない、敢えて再び、遂に止まる、この洲で行き年、受継ぐ、受ける有る数える万(よろず)、家人。民は其の頃に到る会稽市、會稽東冶縣人、入海道、遭う習わし有り。慰め移り到る澶洲といえる。所在る渡る遠いない、聞くに古(いにしえ)に来る。

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