したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

歴史掲示板

10343管理人:2020/05/20(水) 01:32:52
日田の古墳状地形群
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010899M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010899_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010899_3M.png

以前、日田に二つの古墳状地形があることをお知らせしましたが、その双方の位置関係について再考してみたところ、次のようなことが明らかになりました。

まず図1のように、図左下の古墳状地形?(日田市日高・魏の曹操墓出土の鉄鏡と同類の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡を出土したダンワラ古墳に隣接)があり、その東に日田古代史研究会の方が発見した古墳状地形?(日田市日高)があります。

そして、図のようにその北方にもうひとつ古墳状地形?(日田市有田)があることに気づきました。

図2はその3つがある地域の航空写真です。

この3つは、その古墳状地形周辺の道路からみてもわかるように前方後円墳状をしています。

そして、その後円部の中心点を結んだのが図1、2の青ラインです。

こうみると、30度、60度、90度の直角三角形を成していることがわかります。

距離的には1:2:√3になることは、その距離表を見てもわかるように、819m:1634m:1428mとなっていることからも明らかです。

なお、この直角三角形は図中の分度器のように9〜10度偏角を有しており、これは古墳時代前期の奈良や各地の古墳を結ぶ方位区画にみえる偏角で、北極星などを北とした場合の偏角のようにも考えうるでしょう。

距離尺としては、819m/2=409.5m=1里 もしくは、1428×3=4284m/10=428m=1里の尺単位のような気がしますが、どちらでしょうね。

また図2で、それらの古墳軸の向きに注目すると、古墳状地形?の古墳軸は古墳状地形?のほうを向いており、また古墳状地形?の古墳軸?の向きが古墳状地形?のほうを向くとともに、その古墳軸?の向きは古墳状地形?の古墳軸の向きと平行です。

これらのことから、この3つの古墳状地形の位置と方向が意図的になされたものであり、人工物であったことが明らかにしうるでしょう。

あと、図3は今回指摘した古墳状地形?の断面図ですが、サイズ的には250〜300mの箸墓サイズで、平坦に削られる前の元の高さは30m前後あったのではないでしょうか。これも箸墓の高さ30mに近いものです。

その「あやめ台」の字名のように、若干の台地になっていることからみて、その住宅地造営の際に、台地の上部を削ったことがわかります。その周囲を低地(掘)が囲んでいたはずで、そこが現在河や道路になっているのでしょう。

そのそばを求来里川が流れており、その求来里(ククリ、キュウクリ)に古い語源を見出しうるかもしれません。

その西方の會所神社で祀られる比佐(久)津媛(ひさつひめ)の久=キュウ音に関係しそうですね。

また求来里(ククリ、キュウクリ)は高句麗(コウクリ)の発音にも似てますが、同じく西方にある法恩寺山古墳群の壁画などは、後代の高句麗系渡来人とやはり関係してくるのではないでしょうか。元は高句麗と同族関係がある北燕遺民=新漢人との関連ですね。

とくにこの古墳状地形?の位置が、先日も邪馬台国の女王・台与との関係を考えた与止日女社⇔吉野ヶ里遺跡(高床倉庫群)⇔安国寺甕棺墓群⇔日田古墳状地形?を結ぶ方位ライン上にあることが重要ですが、この件についてはまた後日、改めて考えなおしてみたいと思います。






掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板