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読書紹介板

1トキ:2014/01/02(木) 18:13:41
 生長の家以外の本を読んで感激した事や面白かった本があれば教えて下さい。
感想も歓迎。逆に、つまらない本の評論もいいです。

 よろしくお願いします。

2トキ:2014/01/02(木) 18:19:24
 本板に書いた靖国神社参拝に関連する投稿で、生長の家に関連した海軍の提督について、
詳細を知りたいとご希望がありました。この方は、醍醐忠重中将です。この方については、
作家で、元海軍報道班員の戸川幸夫さんが「悲しき太平洋」という本に詳細を書かれています。
 
 幸い、あるブログで、本の内容を書かれているので、そちらをご覧頂くとして、少し補足説明
をさせていただきます。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1343.html

「あっぱれ日本人! 醍醐忠重中将の物語」

(つづく)

3トキ:2014/01/02(木) 19:10:54
 なお、つづきは本板の政治板に書きました。皆様もよろしくお願いします。

4かぴ:2014/01/06(月) 14:05:13
トキ様、皆様 あけまして、おめでとうございます。お正月によんだ本がよかったので、紹介いたします。

「生かされて」イマキューレー・イリバキザ著 PHP文庫

1994年ルワンダの内戦で100万人のツチ族が殺されました。フツとツチという民族同士の戦いがあったのです。昨日まで友人だった人が、自分を殺すために探し回る・・・、地獄のような中で彼女はトイレのすみで、何ヶ月も隠れ奇跡的に生き延びます。

クリスチャンの信仰だけを頼みの綱に、生き抜いた彼女は多くの友人・家族を虐殺されてなおも神様を信じ、敵を赦し、神様の恩寵を受けるのです。

世の中では、神様はこんなにも過酷な試練を与えて信仰をためされるのか?と思うような衝撃を受けました。そしてこのような貴い魂の持ち主の心にふれたような気がしましたよ。

わりとすぐ読めるので、皆様よかったらどうぞ。

5トキ:2014/01/07(火) 15:02:27
>>4

 ありがとうございます。良書のご紹介、嬉しく思います。

6トキ:2014/01/08(水) 20:23:42
 曳馬野さんが、本板で曹洞宗の禅についていろいろと書かれています。

 あちらでは、本流復活派の人達に向かって話しているので、安易に書くと妨害になるので、
こちらに書きます。

 恐山というところは、面白い事に曹洞宗なんです。昔は天台宗だったのですが、いろいろな
経過があり、禅宗になったそうです。ご承知の通り、恐山は「イタコ」で有名です。しかし、
曹洞宗は、死後の世界については「無記」つまり議論をしない、という教義になっています。

 現在の恐山の住職代理の南直哉さんは、永平寺で20年間も修行をした人です。ところが、
恐山の住職のお嬢様と結婚した事で、福井県のお寺の住職をしながら、恐山の住職代理も
勤める事になったのです。新潮新書の「恐山」にはそのあたりの事が書かれています。

 恐山という場所は、伝統的な曹洞宗の教えとはかけ離れた場所みたいです。
しかし、現実にイタコが多数集まり、死者の霊の呼び出しをしているのですから、その
姿を見て、「無記」という事はできないのです。

 例えば、イタコの「口寄せ」の順番を待っている人達の光景を見たカナダ人の観光客
が、ふざけ半分でその行列に加わった事があったみたいです。そこで、笑い乍らイタコの
家に入って行ったのですが、出て来る時には号泣していたと言います。出て来た彼が、
泣き乍ら言うのは、「イタコに母親の霊を呼び出してもらった。イタコは家の間取りも
知っていたし、自分と母親しか知らない事実も知っていた。あれは間違いなく母親の霊
だ。」と。

 東日本大震災など、愛する人を喪った人達が恐山を訪問して癒されているという現実
を見ると、その意味を感じざるを得ないと言います。

 つまり伝統的な永平寺の教学と恐山の存在は表面的には矛盾します。が、それを肯定
することは、より広い意味での仏教の趣旨にあう、というのが著者の主張です。

7トキ:2014/01/14(火) 14:56:01
 立花隆の「田中眞紀子研究」を読みました。面白かったです。

 内容については、以下をご覧頂きたいです。

http://yell-systems.com/wp/?p=364


 ただ感想も。田中角栄は悪党と言われましたが、周囲の人を
全てファンにしまう包容力の持ち主でした。この人のためなら
とみんなが誠心誠意、力を貸してくれたみたいです。

 これに対して、田中眞紀子は「家族か、使用人か、敵か」と
いう発想しかない人です。パーフォーマンスはうまいけど、実績
は何もなく、周囲の人間をことごとく傷つける言動をします。

 そういう人ですから、父親の側近は全部斥けて、イエスマン
ばかりで周囲を固めます。身近で彼女を見た人はことごとく敵に
なりますが、彼女の虚像しかしらない人は支持をします。

 古い本ですから、入手は難しいですが、面白い本でした。

8トキ:2014/01/16(木) 21:50:17
 左翼系の出版物とも言って良いですが、「沈黙のファイル」という本を読みました。
瀬島龍三さんの事がメインですが、面白かったのは開戦に至る大本営陸軍部内での
議論のあり方です。

 大本営陸軍部第一作戦課は当時の陸軍の中枢部でしたが、作戦部長の田中新一中将
も課長の服部卓四郎大佐も戦争をしたい、という考えでした。とくに戦力班長(兵站) だった
辻 政信中佐は最も熱心に戦争を主張していました。

 その中で、南方作戦の担当だった井本熊男中佐は日米戦に不安を覚え、石原莞爾中将
に相談にいきます。「支那事変をそのままにして開戦をしたら、日本は滅びるよ」という
のが石原の返答でした。

 井本はその返答に納得し、上司に猛然と日米戦反対を主張します。特に辻中佐とは
何時間も激論をします。上司からは意見の撤回を迫られますが、頑固に意見を通します。

 面白かったのは、他の参謀の証言で、「実は日米戦は危ないとは思っていた。しかし
そんな事を言ったらクビになる可能性がある。子供がいるのに、そんな事はできなかった」
という証言をしている人もいます。

 余談ですが、陸軍省軍務局長だった武藤章中将は戦争反対で、田中新一中将とは
何時間も激論をしています。が、戦後、武藤章はA級戦犯で処刑されています。反対に
辻や服部は占領軍と取引をして、戦犯を免れています。

 結果として井本中佐の主張は受け入れられませんでしたが、そういう人がいた、とい
うのは、何か慰めにはなると思います。

9トキ:2014/01/30(木) 18:31:44
 南敏雄先生の名著「炎の誓いー日蓮」を拝読しております。
探していたのですが、ようやく見つかりました。

 この本ですが、おそらくは「理想世界ジュニア版」に掲載された
ものかと拝察します。最近、日蓮正宗の信徒のグループが生長の家
を誹謗中傷する動画を公開していますが、この本を読めば、生長の家
は日蓮大聖人を尊敬している事がわかると思います。

 それにしても、この本は日蓮の不撓不屈の人生を描いています。
実に感激するような内容です。

 私も、この本を拝読し、生長の家の和解に今まで以上に奮闘する
決意を固めました。

10トキ:2014/01/31(金) 16:39:34
 本部の早朝神想観と言えば、私はすぐに磯村得弥先生を思いだします。
磯村先生は戦前の入信で、熱心な信仰者でした。若い頃に実業界にのりだ
し事業を大成功させます。しかし、ある時期に引退してから個人指導一筋
に余生を生長の家に捧げられました。先生は早朝神想観の常連で、先導の
講師が欠席すると、喜んで代役を果たされたものです。

 しかし、最近はそういう雰囲気が喪われたみたいで、残念に思います。
本部職員の先導ではなくて、教化部の講師指導になったのも変な話だと
感じます。(生長の家宇治別格本山は、職員の早朝神想観出席は義務)

 この問題は、突き詰めると、教団の官僚化、形骸化がテーマのよう
に思います。その点を考えてみます。

 少し話しが変わりますが、鈴木邦男さんが、元共産党活動家の和多田進
さんと対談をして、それが「僕が右翼になった理由、私が左翼になったワケ」
という本になっています。

(つづく)

11トキ:2014/01/31(金) 16:40:47
 この本の中で、和多田さんが、共産党内部の変化について述べています。
長くなるので、私なりに解釈します。(同書152p)

 昔は共産党というのは世間からはつまはじきで、共産党の専従職員にな
ろうというのは、大変な覚悟がいたのです。給料も薄給でしたから、家族
に収入がないと食べられなかったみたいです。(まあ、個人的には、今でも
私は共産主義には強く反対をしておりますが。)

 ところが、日本の高度成長にともない共産党もどんどん大きくなり、赤旗
が売れて経済的にも安定すると、共産党自体が一つの日本の中の部分社会に
なってしまった。すると、外の世界に出なくても共産党という社会で個人
が生活できるようになってしまった。それに家族がいたら、家族ごと共産党
という社会で生きている事になります。

 「しかし、そこから、あまり想像をしていなかったいろいろな事が始まった
のだと思うのです。簡単に言うと、組織の中で食えてしまうということが、
外へ出たら今度は食えないという現象に変わった。(中略)いくら大衆化し
たと言っても共産党員だから是非来て下さいと言って雇うような会社はまず
ないわけです。だから共産党をやめたりクビになったりした人を受け入れる
社会はやっぱりほとんどいない訳です。すると党の方針なりなんなりに異議が
あったり変だと思っても、共産党の専従として食って行くしかないという事
になる訳ですね。そういう人達が共産党に大量に生じたじゃないかと思います。
ですから、そうなった状態での除名処分は生存にかかわる事になっちゃうわ
けですよ。」(和多田進氏、同書153p)

(つづく)

12トキ:2014/01/31(金) 16:42:42
 私は教区の人間ですから、本部の事情は知りません。教区と本部の事情
はかなり違うと思います。また、生長の家と共産党とは組織文化がまるで違い
ます。しかし、上の文章は示唆にとむ内容だと思います。

 教団創設当時数年は、教区であれ本部であれ、本当の奉仕精神の人が
教団の職員になりました。
 当時は教団は財政的に厳しく、給料だけではとても生活ができないので
内職をして生計を立てていた人が多かったのです。また、谷口雅春先生の
ご希望として、信徒に多大な負担をかけたくない、というお気持ちも強く
そのため職員の給与も高くありませんでした。

 その後、教団が大きくなり、社会情勢が変わると、職員の待遇も改善
されました。もっとも、これは本部職員の事で、教化部職員の待遇は今
でも良いとは言えません。

 職員も家族がいますから、待遇が良くなったのは大変良い事だと思います。
ただ、職員の待遇が良くなったという事は、「失うもの」が出来たという事
です。生長の家の場合、共産党とは違って、世間の評価は高いです。が、
組織内にいれば、それなりの地位や名誉がありますが、組織外に出る
とそれを「失う」という点は同じです。職員の場合は、それに加えてお金
や権力もつきます。これは程度の差はありますが、本部でも教区でも似た
ような状況だと思います。

(つづく)

13トキ:2014/01/31(金) 16:44:51
 こういう状態が進むと、生長の家に限りませんが、構成員の関心は完全
に内向きになり、外部の人との接触は二の次になってしまいます。すると
組織内の論理でのみ動き、組織内の価値観のみで判断をします。

 もともと職員というのは、信仰者である事が前提になります。しかし
ここまで安定してしまうと、どの宗教でもそうですが、「なりわい」
になります。すると、給与所得者という発想になります。

 早朝神想観は、信仰的には重要ですが、活動的にはそれほど評価をされ
ません。早朝行事の指導が、本部講師から地方講師へと移った経過は知り
ませんが、少なくても本部講師が早起きをして指導をするのを嫌がったと
いう可能性があります。もし、そうならば、信仰という感性ではなくて
仕事と割り切った発想のような気がします。

 皮肉な話ですが、職員の身分が安定した事が、逆に、官僚化と形骸化を
もたらしたという事になるのでしょう。

(つづく)

14トキ:2014/01/31(金) 16:49:44
 今回、「森のオフィス」に設立にあたって、地元の「伝道禁止」という
条件を本部が呑んだ事は、象徴的な出来事です。もし、本部が本気で
谷口雅春先生の弟子である、という信念があるのなら、そんな条件は
呑めるはずは無いからです。

 また、総裁が「大自然讃歌」を出され、総本山から『鎮護国家」をはず
された事に本部内から異論が出ないという状況も、ある意味、異常な事で
す。教区の末端の信徒であるトキですら教義からの逸脱であると分かる事を
本部の人間が分からないはずがありません。ところが、それを言う人がいず、
逆に、それらを賞賛する本部職員や教区幹部の声がFacebook等ネット上に登場
する事態は、末期症状だと感じます。

 そして、真面目に活動をしたい、という職員が大量に退職し、真摯な幹部が
続々と退会している事実は、この官僚化と形骸化がいきつくところまで行った
事を示していると私は思っています。

 和多田 進さんが、上の文章で、「すると党の方針なりなんなりに異議が
あったり変だと思っても、共産党の専従として食って行くしかないという事
になる訳ですね。そういう人達が共産党に大量に生じたじゃないかと思います。
ですから、そうなった状態での除名処分は生存にかかわる事になっちゃうわ
けですよ。」と話した事態が、生長の家にも始まったという事だと思ってい
ます。

(つづく)

15トキ:2014/01/31(金) 16:54:06
(つづく)

 私の縁者の「一白鳩会員」は、本流復活派は支持しませんが、他方、現在の
総裁はもっと厳しく批判する人です。その人が、

 「ああいう総裁が出て来た、という事は、あの人個人の責任だけではない。
やはり、信徒の心構えに大きな間違いがあり、その反映ではないか。もちろん
だからと言って総裁は免責できないが、信徒のほうも反省すべき点は多いと
思う。」

と話していました。

 生長の家の信徒が願った人類光明化、その運動が発展するに従って組織が
大きくなりました。それ自体は素晴らしい事だったのですが、組織が大きく
なるに従い、部内で、官僚主義、形式主義が横行するようになったのです。
 これは、本部だけではなく、教区にも広まりました。私にも、その責任
はあると思います

 この世界は心の影という事になりますから、こういう状況が進展した結果、
その念が蓄積して、こういう事になった。それが全ての原因ではないが、
原因の一部になったとは思っています。

16名無し:2014/02/08(土) 18:17:53
> 私も、この本を拝読し、生長の家の和解に今まで以上に奮闘する
決意を固めました。

和解??? 和解するとはどうすることなのですか。

17さくら:2014/02/14(金) 20:51:06


いつの間にか、島に、多目的図書館が出来たんですね…
では、一冊…

18さくら:2014/02/14(金) 20:51:44


『日本の弓道』

オイゲン・へリゲル述
柴田治三郎訳
岩波文庫


★★★★★

相談した先生に、薦めて頂いた本の一つです。

西欧(ドイツ)人のオイゲン氏が、日本精神、武士道の真髄に学ぼうとする真理探究の姿勢が素晴らしい。

「的をあてることを考えるな。ただ弓を引き矢が離れるのを待って射あてるのだ。」

…と、禅問答のような阿波師範の言葉に当惑しながら、
オリゲル氏は、まさに試行錯誤を繰り返し、5年間もの研鑽をします。
その体験をドイツに帰国後、講演しました。

「…的は私と一体になるならば、それは私が仏陀と一体になることを意味する。そして私が仏陀と一体になれば、矢は有と非有の不動の中心に、したがってまた的の中心に在ることになる。矢が中心に在るー
これをわれわれの目覚めた意識をもって解釈すれば、矢は中心から出て中心にいるのである。
それゆえあなたは的を狙わずに自分自身を狙いなさい。
するとあなたはあなた自身と仏陀と的とを同時に射中てます」
「まあ私たちは、的の前では仏陀の前に頭を下げる時と同じ気持になろうではありませんか」

師範が、迷いのあるオリゲル氏を線香一本立つだけの暗闇の部屋に連れて行き、
目の前で矢を二本、連続的に射抜いて見せる場面は圧巻です。

その後のオリゲル氏は、上手くなろうとすることも、先生の目を気にする自意識も、疑うことも、思い煩うことも、すべて「諦めて」
無欲な心に到達した時、ついに免許皆伝されます。
その透き通った心も爽やかです。


武術の真髄といえば難しいですが、
仕事や生活、真理の学びも同じ面を感じるところがあり、

自我の方から、うまくやってやろう、悟ってやろう、わかろうとして、「頑張」るより、

既にある「実相」(中心)を信じて、それと一つになり、そこからそのままに、たんたんと、行じればよいのかな、と、

無駄な力が、抜けた気がしました。

薄い本です。

19トキ:2014/02/14(金) 21:28:26
 さくら様、お久しぶりです。武道はどれも奥が深く行き着くと信仰
になると感じます。すばらしい本のご紹介、ありがとうございました。



 合気道の塩田剛三先生の自伝「塩田剛三の合気道人生」(海鳴社)
には、こういう文章がありました。

 「とにかく合気道をなんとか極めようとする方は、常に自らの修行
の場は至ところにあると考えてあらゆる機会に稽古に結びつけること
だと思います。

 それとともに常に修行者であるという謙虚な心を失ってはならない
ことです。どんな初心者に対してもそうです。初心者が道場に入会した
とします。その人はもちろん合気道について無知です。それだけに全く
無垢なのです。無垢なだけに自分にない長所をもっているかもしれませ
ん。あるいはその人によって自分の欠点を悟らされるかもしれません

 ですから、初めて道場に入会して来た人に対しては、指導者は弟子
であると同時にわが師であると思う謙虚さが必要です。」

(45P)

20さくら:2014/02/15(土) 15:52:33

>>19
トキ様

ありがとうございます。
ご挨拶遅れまして、申し訳ありません。
邪魔しております。
お元気そうでなによりです。

そして、塩田剛三先生のすばらしいお言葉もありがとうございます。
わたしも合気道の精神に関心があり、本を読ませて頂いたことがありました。

合気道の開祖植芝翁は、雅春先生と同時期か、それ以前に「大本教」にいらっしゃったのですね?
やはり超人的なお方だったようですね。


合気道の「型」は、そのままで、宇宙の形を現しているということですが、
以前に合気道の練習見学行った時も、やはり、型の練習に始まって、型に終わる、というように稽古も徹底していたように思われました。

そういえば、わたしが生長の家に触れて間もない頃に神想観をしていて、
「有り有りと『実相世界』を観ずるというのが、よく分からないんですが、。」と質問すると、

お世話になった講師が、
「神想観は、そのままで、神の形を表しているから、自分の考えや気分に関係なく、毎朝、たんたんと、たんたんと、ただ、座りなさい。
既に在るものを信じて気づくだけでいいんだよ。」

というようにご指導いただいたことがあります。
その時、信仰にも、繰り返される正しい「型」が大切だと分かり、
それで「自分」が頑張ろうとしていた肩の力が抜け、ふつふつとした温かい喜びが湧いてきました。


生活や仕事の場、家庭も、「修業の場」だとおもってれば、教えていただくことばかりですね、お互いさまで…。

またおっしゃる通り、「初心」というのは年月のことではないのですね。
最近、「初心」とは、
拘る心、塊る心、滞る心、…の反対かな、とも自分では感じます。

自分の信じてることが絶対正しいと拘る時こそ、気をつけるようにします、
トキさまの謙虚さを、見習いたいです。

ありがとうございます。

21神の子様:2014/02/15(土) 17:48:05
397 :神の子さん:2013/02/27(水) 18:11:26 ID:51Zkhg5I追伸


 もう、「さくら」も来ないそうです。

 ですんで私もそろそろ、退散します。いやだって、人に「愛」だの「智慧」だの求める前に、反省することがあるんじゃないんですかね。「アナコンダ」「頭がおかしい」等の発言はOKです。さらには「死ね」「あの世へ行け」なんてものまで許容、されてます。一方で、上記三項目程度の話すら不能ならば、まあ普通・・・(中略)・・・もう、こんな掲示板じゃ「人が来ない」ですわ(^^)。いやだって、「ツマンネエ」もの(^^)。

22トキ:2014/02/15(土) 18:16:51
>>20

さくら様

 お越しを心から歓迎いたします。

 いやー、ますますにぎやかになるので嬉しいです。
これからもよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

23よく読め:2014/02/23(日) 11:52:54
397 :神の子さん:2013/02/27(水) 18:11:26 ID:51Zkhg5I追伸


 もう、「さくら」も来ないそうです。

 ですんで私もそろそろ、退散します。いやだって、人に「愛」だの「智慧」だの求める前に、反省することがあるんじゃないんですかね。「アナコンダ」「頭がおかしい」等の発言はOKです。さらには「死ね」「あの世へ行け」なんてものまで許容、されてます。一方で、上記三項目程度の話すら不能ならば、まあ普通・・・(中略)・・・もう、こんな掲示板じゃ「人が来ない」ですわ(^^)。いやだって、「ツマンネエ」もの(^^)。

24よく読め:2014/02/23(日) 12:01:47
376 :さくら:2013/02/21(木) 08:05:59 ID:Tvah0K9s初心者様

わたしを指導して下さった方も、同じようなことを言いましたが、
ここで、書くべきがどうかは、別の問題だと思います。

復興G様が指導者だと思っていたので、
答えを聞きたかったのですが、
指導者ではない、とおっしゃってるので納得しましたし、
もうここも見ようとはおもいません。
復興G様が写される聖典は、時々みるかもしれませんが…
真の生長の家の内容は、指導ではないと言われましたので、見ません。
いま生長の家にとっても、たいせつな時期に、
これ以上、掲示板で信仰を語るものではないとわかりました。
身近に信頼できる講師がいて良かったです。
わたしも掲示板に、長く関わったことを反省しました。
文字だけの世界で、生長の家の深い信仰の世界は語れないと、
そのようにもわかりました。
自分の想いや信仰を傷つけることになるので、
わたしは、もう信仰のことは、信頼する方にだけ、
話をしようとおもいます。

さくらと誤解されていた、「わたし様」のことばは、
真理に近いです、

信仰による、沈黙。
話されないことのなかに、多くの気づきがあります、
難しいことでもあります、

初心者様、わたしの前にかいた言葉に対しても、こころを組んでくださり、
ありがとうございました。
どんな姿でも、どんなことばでも、その奥に
「神」をみるのが、ただひとつの生長の家の信仰だということに、
迷いはありません。

25さくら:2014/03/04(火) 10:56:51
映画『利休にたずねよ』

★★★

原作は、直木賞『利休にたずねよ』

(本は、読んでません。)

海老蔵の所作やお点前がさすがに美しいのと、国宝級のお道具や建物が見応えがあるというところでしょうか。

「私が額ずくのは、美しいものだけでございます」
というセリフは、命がけで美を貫いた利休の生き様を表していて、凄味を感じさせます。

(…ただ、若き利休の、高麗からきた娘との宿命の恋(韓流?)のいきさつや、
その娘が持っていた高麗の香炉が、侘び茶の美の原点という成り行きは、やっぱりちょっと、興ざめぎみでした…。)

中谷美紀が、奥ゆかしくも、複雑な女心の激しさを好演して、美しかったので、★3つ。

26トキ:2014/03/05(水) 11:05:48
>>25

 なかな最近は映画を見る余裕がないのですが、素敵な文章を投稿して下さり、
ありがとうございました。

30トキ:2014/08/23(土) 19:55:05
戦争の話をしようか。

http://eegg.dip.jp/text/20100611002831.html

フィクションかノンフィクションか不明です。

36:2016/01/03(日) 10:20:58
なこえもうぴぶづゅぴ

37 シャンソン:2016/09/16(金) 17:21:56
橘玲 著作

リベラルが胡散臭いのには理由がある


おもしろかったです。

38神の子様:2016/12/03(土) 11:01:12
2: トキ :2013/01/10(木) 19:04:16 ID:bq3gVEgA
 「カーネル サンダースの教え」 朝日新聞出版 中野明著を読みました。
カーネルサンダースは、あの「ケンタッキー フライド チキン」の創業者です。
 この本を読んではじめて知ったのですが、彼は、あの事業を65歳の時に始めています。
それまでの彼の経歴は以下の通りです。

--------------------------------------------------------------------

小学校中退
農場の手伝いからペンキ塗り。
ペンキ塗りから再び農場の手伝い、さらに路面電車の車掌。
路面電車の車掌から軍隊入隊、除隊後に鍛冶屋見習いに。
鍛冶屋見習いから機関車の灰さらい、さらには機関士へ。
機関士からなぜか弁護士実習生に転身。
弁護士実習生から保線作業具、さらにプルデンシャル保険のセールスマン。
保険セールスマンからフェリー運航会社を設立。さらに商工会議所の秘書。
秘書を辞めフェリー運航会社からも手を引きアセチレン・ライト製造販売会社を役立。
アセチレン・ライト製造販売会社が倒産し破産。ミシュラン・タイヤのセールスマンに。
大けがのあとスタンダード石油のサービス・ステーション(ガソリンスタンド)を経営。
世界恐慌の影響でサービス・ステーションが破綻。
シェル石油のサービス・ステーションを経営。
サービス・ステーションにレストランを設置。この頃助産士の仕事もする。
サービス・ステーションにモーテルを併設し事業は大成功。
と思いきや、レストランとモーテルが全焼。それでも必死の覚悟で再建する。
第二次世界大戦中はテネシー州にある軍のカフェテリアで運営責任者に。
巨額な税金の支払いで実質破産する。
モーテル事業が再び軌道に乗ると州議会議員に出馬。しかし落選。
事業不振でレストランとモーテルを売却。65歳で無一文になる。

(同書 P14)

この90年の人生の中でカーネルには死に至るかもしれない危機が少なくとも4度あった。
最初はカーネルが36歳のときである。愛車マックスウェルを運転していたカーネルは、吊
り橋のロープが切れて約13m下の崖に転落している。頭部に重傷を負ったものの幸い命に
別状はなかった。
また、サービス・ステーションを経営しているとき、商売敵と銃の撃ち合いを演じてい
る。当時のアメリカは禁酒法が施行されマフィアが横行していた時代だ。この争いでカー
ネルの仲間が撃ち殺されている。ただカーネル自身にはけがもなく危機を逃れている。
さらに大の自動車好きでスピード狂でもあったカーネルは、居眠り運転で2度事故を起
こすかいずれも奇跡的に命拾いしている。これらに加えて度重なる破産である。
 やがてカーネルは、これら人生の危機をくぐり抜けて生きてこられた理由を次のように
考えるようになる。

「神様は何か特別なことをワシにさせるために命を救ったのではないか」

というように。
仮にカーネルの考え方が正しいとすると、絶体絶命の場面をくぐり抜けたのも、また65
歳で無一文になったのも、カーネルがフライドチキンのフランチャイズというまったく新
しいビジネスをこの世に創造するためだったことになる。
 もちろんその真偽はわからない。
 しかし彼が生きた激動の90年間を目撃すると、カーネルの考えもあながち間違いではな
いような気がしてくる。

(p19)

 サンダースは、65歳のときに破産し、その上、奥さんとも離婚をしています。
散々な人生だったのですが、破産がきっかけで再起し、ついに大金持ちになります。
90歳で亡くなりますが、前半の人生を見る限り、彼は不遇だったと言えるでしょう。

(つづく)

3: トキ :2013/01/10(木) 19:16:25 ID:bq3gVEgA
 このたび、「義春」さんが若くしてなくなったのですが、彼は、若くして優れた能力を
持っていた様です。そして、他方面で大活躍をしたようです。

 彼の友人から聞いたのですが、「義春」さんは、ガンのためにかなり痩せていたようです。
その影響からか、カンがかなり鋭く、そのためにアドバイスを求める人が各方面から彼のもと
に来られたようです。皆様がご存知のないところで、日本にも影響を与えていたかもしれませ
ん。
 その人徳と能力を考えると、もちろん、もっと長く生きて欲しかったと願いましたが、彼は
おそらく、なすべき事をなして、霊界に戻ったのだと思います。

 その意味で、「義春」さんの人生は、カーネルサンダースの90歳の人生と同じ位、価値があった
と信じています。

 最後に、カーネルサンダースは、こうも言っています。

 「もし、神の存在を信じないならば、どんなビジネスも成功しない」と。

(同書p210)

39神の子様:2017/01/25(水) 23:29:46
1449: 志恩 :2013/05/28(火) 10:37:44 ID:.QY5jUA6
>>1444:トキ様

「確かに現象を相手にする限り、時代に応じて運動を変えるのは当然です。」

ということは、

一人ひとりの救済運動その他はやめて、大自然を愛する運動、環境問題運動専門に
変えたことへの

トキ様の評価だと、閲覧者の皆様は、受け取られると思います。

1450: 神の子さん :2013/05/28(火) 12:16:06 ID:xpQcypaw

トキさんの
「確かに現象を相手にする限り、時代に応じて運動を変えるのは当然です。」のご発言。
何年か前の、雅宣総裁のご指導の講習会で、雅宣総裁から直接同じ言葉を聞きました。

40神の子様:2017/01/26(木) 00:05:52
 次のような質問(問題提起)もありました。

 「住吉大神」は第一義の神(創造神)ではなく、第二義の神(応現神)である。ということは「現象に悪を見た神」になるのではないか。
 新羅が攻めてきて、日本が滅びるか、潰れるかというような国家の一大危機に当たっていた当時、神功皇后様は住吉大神に戦勝の祈願をなさった。

 だから、榎本恵吾先生は『弟子像』79頁に

 「住吉大神の前には浄化しなければならない宇宙がすでにあり、観世音菩薩の前には色々な姿にあらわされるべき救いの対象が既にあり、久遠のキリストの前にもやはり、救わるべき死と黄泉(よみ)との間をさまよっている人間があるのである。すでにあるものに対している神はすでに最始源の神であるということは出来ないのである。

 これら応現神として現れられる神はすべて、最始源の神を指し示さんとして、われわれの前に現れ給うのである。そして、最始源の神へと上昇することこそが、その愛(応現神)にお応えする道なのである。それは全宗教の全説法をわがものとする道なのである。」

 と書かれている――と。

 それに対する回答です。

          ○

 『弟子像』79頁前後のご文章ですが、そこで言われていることの中心は、以下の所であると思います。

(谷口雅春先生が)
『神真理を告げ給う』の補章において「あなたが信ずる神は“絶対者”でなければならぬ」として、

<神が宇宙を創造するのに、何らかの材料をもって、例えば素粒子とか、水素原子とか、中性子とかいうものを材料としてそれを組立てて宇宙を創造したというのであれば、宇宙の最初に、神が創造しないところの、神以外の材料又は材質が存在したということになるのである。そして、それは神なる絶対者以外に、何ものか“材料”となるべきものが存在したということになるのであるから、そんな“神”は既に“絶対者”という資格がない――即ち、“創造る者”とその“素材となる物”とが相対する別個のものとなるから、そんな“神”は絶対者でなくて“相対者”だということになるのである。相対者は、“相対するもの”との関係に於いて、それ自身の働きが制約されることになるから全能者ということは出来なくなるのである。>(谷口雅春著『神真理を告げ給う』159〜160頁)

 と語られていること。ここが一番大切なところであると思います。
<つづく>

41神の子様:2017/01/26(木) 00:07:58

730: 復興G :2013/04/21(日) 16:33:50 ID:AB6RqYXc

<[回答]のつづき>

 「住吉大神は第二義の神で、創造神ではない」というのも、ちょっと語弊があります。

 『実相研鑽』第一集p.246以下にも、谷口雅春先生は次のようにおっしゃっています。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

≪“絶対”の中に一切のものがあるわけですから、……宇宙の大神、創造の大神、そのまま、塩椎大神、住吉大神と、いうことになっているわけです。……

 住吉大神は、その現われの面から言えば、応化神ということになって、「第二義の神様」と分類できるのですけれども、第二義というものは、第一義とはなれて、第二義があるんじゃなくって、第一義の中に第二義が包まれていて具体的な救済をのべるためにあらわれて来られるのであって、第一義の神だけで、じっとそれが無相にして、法身で、宇宙に充ち満ちていて、動かないだけでは、何の役にも立たんのでありますから、そこに具体的に救済の手をのべる働きとして人格神としてあらわれられたのが「観世音菩薩であり、キリストであり住吉大神であります。

 ――こういう意味で生長の家の神様の出現ということは、この絶体絶命の瞬刻限に於いて、この時、この日本という場所に於いて、またこの日本人という民族に於いて、現われなければならないという、そういう時と場所と人との三相応に於いて、出現して来たというのが、生長の家の人類光明化運動である。そして住吉大神となり、あるいは塩椎大神として出現せられる場合に、それは「全てを生み出す」「生みの底」(海の底)の大神という働きになっている。

 これを神話は住吉大神を龍宮の大神としているのです。「海の底」とは創造の根底世界のことであります。

 天地創造というのも結局「生み出す」こと、創造である。すなわち塩椎というのは水と火と土という陰陽ムスビの御働きによって一切を生みだすところの御働きを指すわけで、いよいよ第二の天之岩戸開きで天照大御神を現実世界に生み出して、地上に永久平和の世界を打ち建てるために、その産み出しの出口を浄化する働きをなきるのが「住吉大神」で、これは天照大御神御誕生の直前に出現し給うよう『古事記』に書かれているわけです。……

 皆さんはある意味では、すべて住吉大神であるのです。これは聖書の「ヨハネ伝」にあるところの、キリストが言われた言葉の「我ゆきて汝らに来るなり」というのに当るわけであって、すべての人間にはキリスト教的に言えば、内在のキリストが宿っているのである。また内在の「住吉大神」が宿っているのであるといえるわけであります。……

 我れ出でてこの世の中を救わずんば、救う人はないんだ」という、そういう強烈な自覚をもって各自の聖使命を遂行せられんことを希望し、皆さんに、非常に嘱望するわけであります。ありがとうございます。≫

 と。、「第二義の神」は「第一義の神」とは別である、と見るのは あらわれの面を見るからであって、実は、「別のもの」ではない。そのことを、谷口雅春先生はわかりやすく、次のようにご教示くださっています。

<一個の人間にたとえてみれば、谷口が口でしゃべっているとき、口だけがしゃべっているように見えても、口だけの働きではないわけである。第三者から相対的に見て口という部分だけを見たら、口だけがしゃべっているということにも見えるけれども、それは、そういうような面から見るから、そう見えるだけのことであります。

 ……法身即応化神ということになるわけです。そうですけれども、人間はどうも、区別して線を引いて分割したがる。(笑声)そうして、その“絶対”と“現象”とでも、それを区別するために、すじをひいて、別のようにしたがるけれども、“絶対”の中に一切のものがあるわけですから、線は、われわれが現象的に理解するために、仮にひくだけのものであって、(根本は)すじも何もなしに、宇宙の大神、創造の大神、そのまま、塩椎大神、住吉大神と、いうことになっているわけです。>
(『実相研鑽』より)


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