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読書紹介板

6トキ:2014/01/08(水) 20:23:42
 曳馬野さんが、本板で曹洞宗の禅についていろいろと書かれています。

 あちらでは、本流復活派の人達に向かって話しているので、安易に書くと妨害になるので、
こちらに書きます。

 恐山というところは、面白い事に曹洞宗なんです。昔は天台宗だったのですが、いろいろな
経過があり、禅宗になったそうです。ご承知の通り、恐山は「イタコ」で有名です。しかし、
曹洞宗は、死後の世界については「無記」つまり議論をしない、という教義になっています。

 現在の恐山の住職代理の南直哉さんは、永平寺で20年間も修行をした人です。ところが、
恐山の住職のお嬢様と結婚した事で、福井県のお寺の住職をしながら、恐山の住職代理も
勤める事になったのです。新潮新書の「恐山」にはそのあたりの事が書かれています。

 恐山という場所は、伝統的な曹洞宗の教えとはかけ離れた場所みたいです。
しかし、現実にイタコが多数集まり、死者の霊の呼び出しをしているのですから、その
姿を見て、「無記」という事はできないのです。

 例えば、イタコの「口寄せ」の順番を待っている人達の光景を見たカナダ人の観光客
が、ふざけ半分でその行列に加わった事があったみたいです。そこで、笑い乍らイタコの
家に入って行ったのですが、出て来る時には号泣していたと言います。出て来た彼が、
泣き乍ら言うのは、「イタコに母親の霊を呼び出してもらった。イタコは家の間取りも
知っていたし、自分と母親しか知らない事実も知っていた。あれは間違いなく母親の霊
だ。」と。

 東日本大震災など、愛する人を喪った人達が恐山を訪問して癒されているという現実
を見ると、その意味を感じざるを得ないと言います。

 つまり伝統的な永平寺の教学と恐山の存在は表面的には矛盾します。が、それを肯定
することは、より広い意味での仏教の趣旨にあう、というのが著者の主張です。


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