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読書紹介板
40
:
神の子様
:2017/01/26(木) 00:05:52
次のような質問(問題提起)もありました。
「住吉大神」は第一義の神(創造神)ではなく、第二義の神(応現神)である。ということは「現象に悪を見た神」になるのではないか。
新羅が攻めてきて、日本が滅びるか、潰れるかというような国家の一大危機に当たっていた当時、神功皇后様は住吉大神に戦勝の祈願をなさった。
だから、榎本恵吾先生は『弟子像』79頁に
「住吉大神の前には浄化しなければならない宇宙がすでにあり、観世音菩薩の前には色々な姿にあらわされるべき救いの対象が既にあり、久遠のキリストの前にもやはり、救わるべき死と黄泉(よみ)との間をさまよっている人間があるのである。すでにあるものに対している神はすでに最始源の神であるということは出来ないのである。
これら応現神として現れられる神はすべて、最始源の神を指し示さんとして、われわれの前に現れ給うのである。そして、最始源の神へと上昇することこそが、その愛(応現神)にお応えする道なのである。それは全宗教の全説法をわがものとする道なのである。」
と書かれている――と。
それに対する回答です。
○
『弟子像』79頁前後のご文章ですが、そこで言われていることの中心は、以下の所であると思います。
(谷口雅春先生が)
『神真理を告げ給う』の補章において「あなたが信ずる神は“絶対者”でなければならぬ」として、
<神が宇宙を創造するのに、何らかの材料をもって、例えば素粒子とか、水素原子とか、中性子とかいうものを材料としてそれを組立てて宇宙を創造したというのであれば、宇宙の最初に、神が創造しないところの、神以外の材料又は材質が存在したということになるのである。そして、それは神なる絶対者以外に、何ものか“材料”となるべきものが存在したということになるのであるから、そんな“神”は既に“絶対者”という資格がない――即ち、“創造る者”とその“素材となる物”とが相対する別個のものとなるから、そんな“神”は絶対者でなくて“相対者”だということになるのである。相対者は、“相対するもの”との関係に於いて、それ自身の働きが制約されることになるから全能者ということは出来なくなるのである。>(谷口雅春著『神真理を告げ給う』159〜160頁)
と語られていること。ここが一番大切なところであると思います。
<つづく>
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