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非武装信仰板

1387トンチンカン信徒:2017/12/10(日) 21:00:16
♪シオンな出来事♪

♪志恩さんの告白♪

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
2253:志恩

16/12/27(火) 07:29:15 ID:6hRUvSRg
上野、その他の「恩賜公園」とは
https://matome.naver.jp/odai/2139756308971797501

知りませんでしたが、上野にある「有栖川宮記念公園」も、その1つだったのですね。
その公園は、上野駅を下車して、すぐのところにあります。

私は、新婚の頃、あの公園の近くのアパートに住んでいましたので、よく夫と二人で
散歩していた懐かしい公園です。

上野の、そこへも、わりと最近、妹や孫たちとも、行っています。
いろいろなことご存知なんですね。私は知らないことの方が多い人間です。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
<上野と御徒町近辺に集結する、志恩家>

1388シャンソン:2017/12/10(日) 21:06:33
  トンチンカン信徒さんへ

 無職老婆の話題は、部室でやるとか、
 他の版の使用を考えてください。
 誤読曲解して、捏造されるおそれがあるので。
 他の人も、あまりこの人の投稿に交わりたくないようだし、閉鎖まで
 よろしくお願いします。

1389シャンソン:2017/12/10(日) 21:14:40
  トンチンカン信徒さんへ。

 前に書きましたが、今月の機関誌などで
 高齢者の福祉活動をしていた未亡人さんの記事が
 載っています。ここに転記しようかなとも思いましたが
 また無職老婆やるん吉などにごたごたいわれるといやなので
 書きません。機関誌読んでね。

1390シャンソン:2017/12/11(月) 13:38:55
     世の中の基本的なルールを身につける

 お寺では師匠から悪いところを叱られ続けます。弟子から恨まれないような師匠は失格だと
いわれるくらい、師匠は弟子を厳しく叱ります。全人格をぶつけ合って、悪いところを指摘して、師匠が
軌道修正をしてくださるわけです。

 そうやって十年、十五年、二十年と経ち、ようやく我がとれて丸くなると、もう師匠は何もいいません。
これは親子の間柄も同じかもしれません。小さい頃、私は母親から「こういうことはしてはいけない」「これはきちんとしなければいけない」と、
厳しく躾られました。なぜここまでいわれなければならないのかと思ったときもありました。

 そのことを大人になってから母に聞くと、自分も親から同じように育てられた。自分も「なんで?」と思ったときもあったけれど、年をとってくると、それが正しかったと
わかってきたといいました。子をもって知る親の心といいますが、後々、あの厳しさは心から自分を案じる愛情だったんだということがわかります。そういう世の中の基本的なルールというものが
昔はありました。師匠が弟子を叱っても道場が空中分解しないのは、このルールがあるからです。

 何か指摘されたときには、そこで大反省をする。胸をえぐられるような痛みを伴うかもしれません。
しかし、その瞬間に、恥ずかしいことをした、申し訳ないことをしたと感じとれるようなルールがあるから師弟関係は続くのです。
このルールを小さな頃にしっかり教えると、いくら叱っても親子関係は壊れません。

     『毎日が小さな修行』 塩沼亮潤 著

1391神の子様:2017/12/12(火) 00:44:42
>無職老婆の話題は、部室でやるとか、


ここ、ほとんど全員 無職老婆

1392シャンソン:2017/12/12(火) 10:19:08
>>1391

いや、トンチンカン信徒さんも私も仕事を持っているし、納税もしていますよ。
 神の子っていうだけしかない人は、次回からここに遊びに来ないでくださいね。
 ひまなら、早く管理人に閉鎖移動の件をはっきりしろって
 メールしてください。

1393シャンソン:2017/12/12(火) 21:40:45
>>1388

きょうは朝から暇老人のおはよーございます、日記がはじまらなくて
よかったと思っていましたが、さっき新したらばを見たらさっそく
お酒をプレゼントしようとか日記をかいていました。お酒も飲めない人が
選ぶと、失敗することが多いです。たぶんボージョレーと同じく、安物の日本酒でしょうね。

1394シャンソン:2017/12/12(火) 22:05:41

 本板などで、しゃしゃり出る老婆の昔の幹部の葬儀の話などを
青年らしき人が削除要請し、我の強い老婆にしてみれば珍しくあっさりと
削除したみたいで驚きました。

 これは、以前私がひょんなことから引退した講師と雑談していて
最近は雅宣先生の本しか読んだことがない若い人がいるからいろいろと難しいと
こぼしていた話を彷彿させます。

 こういうことは、昔から予測できた事態です。
だからどうっていうわけではありませんが、現場を引退しながらも
そういった事象に対処していく信徒と、掲示板の書き込みを「引退しませんけど」などと
いっている無職老婆とは、活動の次元がちがう、ということを実感しました。

1395転載:2017/12/13(水) 14:18:26

 生長の家とは如何なるものか http://www.geocities.jp/taka19602001/seichou_2bu.htm

1396転載:2017/12/13(水) 14:23:14
国の選挙のための祈り
 
「神よ、日本の国を治める政治が神のみこころを心とする人達に握られますように、国民の心を浄めたまえ。
 神よ、日本国民が左右両派に岐れることなく、日本の国のみ栄えの為に、一心同体となって協力することができますように全国民を導きたまえ。
 神よ、今度の選挙に本当にあなたを理解し、あなたのみ心の議会に
 おける代弁者となるような善き人を当選せしめ給え。」
 
 次の歌を繰返し黙唱して、光明みちわたる世界を観想する。
 
「すめらぎの大御光みちわたり わがひのもとの国は泰けし」
 
(谷口雅春)

1397転載:2017/12/13(水) 14:26:46
自己を”神の子”であり、身体は健全であり、心気は悠然としているのであり、気宇は偉大であり、

何事にもコセコセしないのであり、常に落ち着いているのであり、物事に動じない自分であると観じて、

富嶽の如く須弥山(しゅみせん)の如く常に精神を安穏たらしめよ。

現象の変化によって自分の心を動揺せしめてはならないのである。

その時、あなたは先ず何を為し、その次には何をなすべきかが分かってくるのである。

而して常に第一のものを第一に為して、目先の利益に捉えられてはならないのである。


                              『女は愛の太陽だ』p.114

1398転載:2017/12/13(水) 14:30:17

「愛にうえている人は不幸になる」  『生命の実相』1巻(谷口雅春先生著) P168

  「本物の人間は本来神の子すなわち仏性であって
  「病気はない」のですから、
  病人というものは必ず自分の心で造った
  「観念(まよい)の牢獄」の中に閉じこもっているのであります。

  なぜ人間が自分の心でつくった
  「観念(まよい)の牢獄」の中に閉じこもるようになったかと申しますと、
  病人はきっと人間というものを冷たいものだと観ている。

  人間だけではなく「生命」というもの、
  「神」というもの、を、
  冷たいものであると観ている。

  「生命」と「生命」、人間と人間とが互いに孤立してるかのように観ている。
  あるいは「神」なんてないものだと観ている。

  あるいは「神」というものはあると思っていても、
  神と人間とのあいだに親と子の関係ほど親しいつながり、
  すなわち「愛」というものを感じることができないで、
  「神罰」とか「神の怒り」とか冷たい方面ばかりを見ている、

  こんなわけで、病人は心の底が温かい愛にうえている、
  人間と人間とを冷たく、
  なんの関係もないもののように見ている、

  とても世界のあらゆるものが北極星を中心として
  あらゆる星座が一糸みだれず動いていると同じように、
  自分を中心として自分の幸福を持ちきたすために運行している
  というような完全なつながり(愛)を感ずることができない。

  こういう心――すなわち
  人間の本性を互いに孤立した連絡のないものだと思い違っている心が、
  形にあらわれて「病気の肉体」になっているのであります。」

1399神の子様:2017/12/13(水) 18:25:55
1137: うのはな :2012/02/15(水) 18:52:29 ID:El6gIMAw
 われわれも“通訳”  先生にお供して 徳久克己 先生

 ニューヨークで、生長の家の信徒幹部が、谷口先生御夫妻をお招きして、夕食会をした時、
谷口先生が「9年前にきて、私は生長の家の真理の種を、アメリカにまいたのですが、通訳がよくなかった
ので、真理が正しく伝えられず、その種が育たず枯れてしまったようです。こんどは通訳もよいので、時間は
短かかったけれど、私の伝えようとする真理は、十分に理解されたと思います。どうぞ、この私のまいた種を、
皆さんで育ててください」

というような意味の御挨拶をされました。私は、ジーンと心を打たれました。これは、アメリカだけのことではない。
日本だって、同じことだ。先生のお伝えになろうとする真理を、私たち講師は、通訳して伝えているようなものだ。
講師が生長の家の真理を、十分に理解して、正しく伝えなかったら、通訳が悪くて、先生のお伝えになろうとする真理を、
まちがって通訳するのと同じことだ。先生は40年にわたって、御自分の身をローソクのように燃やして、真理を伝えておられるのに、
私たち講師幹部がもっともっと、先生のまかれた種を、育てなければならない、と深く反省させられました。

 ニューヨークでは、ユニティのバタワース博士の教会で朝の10時から、午後の5時までの1日御講習をされました。
その講習料は15ドル(約5000円)でした。それでも教会がいっぱいでした。
そして、先生のお話を聞いて、感激した聴衆によって、ニューヨークにあった先生の英語の御本は、売り切れてしまいました。

「私は医者ですが、もっと生長の家で、霊的な力を得て病人を癒したい。どのようにすればよいですか?」
と尋ねてきた人もいました。また、
「私はローマンカトリックの牧師なのですが、生長の家の先生になりたい。どのような手続きをとればよいですか?」
という牧師もありました。
 先生のお話を一度聞いて、現職の牧師が、それをやめて生長の家の講師になりたいというのです。生長の家の真理が
いかに高度のものであるか、ということを、私はヒシヒシと教えられました。


『真理は民族を超えて』 谷口雅春先生御夫妻海外御巡錫記念写真帖

1400独占版より:2017/12/15(金) 19:12:36
4046: シャンソン :2015/08/28(金) 15:26:58 ID:bKH5V0nE
    悪霊を祓うキンモクセイ

 前述したように、私の勤務する施設にDさんという男性がいます。
Dさんの部屋には得体の知れない絵画があり、その絵が良くない異次元につながっています。
そしてその絵からたくさんの悪霊たちが出たり入ったりしており、部屋はいつもそういう霊でひしめきあっています。

 Dさんは現在、入院中です。ですから、部屋には誰もいません。それなのに、深夜になると、たまに音がしているのです。
ある日の深夜、2時過ぎです。巡回していたら、Dさんの部屋のドアが小刻みに、カタカタ、カタカタと鳴っていました。
〝うわぁ、鳴ってるなー、中にいっぱいいるんだろうな〟と、そちらに注意を向けてドアに近づいた途端、音はピタッとやみました。
ドアの外からでも、中に霊が大量にいる気配が感じられました。

 他の日の見巡り中(これも深夜です)、ドスーン、と鈍い音がしたこともあります。
その時も、ドアの前まで行ってみましたが、そばまで行くとシーンとしていました。
中にはどれだけの悪霊がいるのかわかりませんでしたが、ドアの向こうの霊気がすごかったです。

 うっかり見るのが嫌だったので、開けて中を見ることまでしませんでした。
そんな状態のDさんの部屋です。施設では、月に1回、各部屋の洗面台のパイプ洗浄をしています。
洗浄液を排水口に入れ、一定の時間が過ぎると、水を流しに行きます。その日は、先輩が洗浄液を入れ、流す時間がないというので、
私が水を流しに各部屋を回りました。

 Dさんの部屋に入る瞬間、悪霊が大量にうようよしているだろうから、もし何かあったらお不動さんに守ってもらわねば、
と構えてドアを開けました。ところが、入ってみてビックリです!「えっ?」とあ然とするほど、全然、何もいないのです。
空間は透明でサラサラしていて、重苦しくもなく、本当にスカーッと何もいない状態でした。悪霊たちが全員、1人残らず去っているのです。

 その理由は、キンモクセイの芳香だとすぐにわかりました。
先輩が、閉め切っていた部屋の窓を開けていたのです。窓からは優しい風が入り、それとともに、キンモクセイの強い芳香も入ってきていました。
施設の向かいの家に、キンモクセイの巨木があって、満開時の香りがすごいのです。
人間にとっては癒される良い香りで、キンモクセイの巨木があって、満開時の香りがすごいのです。
人間にとっては癒されなる良い香りで、気持ちいいな〜、と胸いっぱいに吸う芳香ですが、どうやら悪霊は苦手のようです。

 ここまで空間がまっさらになるほど逃げるのか、と心底、驚きました。
そこで、気づきました。今まで線香について深く考えたことなどなかったのですが、線香には、その場の悪霊を祓う、場を清める、
という効果があるんだな、とわかりました。これは人工の芳香剤ではダメで、天然の樹木の芳香の方が何倍も力が強いようです。

 香りが強い他の樹木でも効果があるのかどうか、実験してみないと何とも言えませんが、たぶん、霊は嫌がって逃げるのではないかと思います。
なるほど〜、そうだったのか〜、と、私にはとても勉強になった出来事なので、ちょっと書いてみました。
 ちなみにその後、窓を閉めて、再び部屋は閉め切り状態になり、次に私が出勤した時は、芳香も完全に抜けていたせいか、悪霊たちは戻ってきていました。

『ひっそりとスピリチュアルしています』 桜井識子 著

1401重大なお知らせ:2017/12/16(土) 15:03:16
5010 :トキ:2015/09/30(水) 19:38:18 ID:4h78wox6すみません、皆様へご連絡です。

 この「生長の家「本流復活」について考える(したらば版)」は、皆様のおかげで
今日まで続いてまいりました。これも投稿者様、閲覧者様のおかげと深く感謝申し
あげます。

 ただ、最近、悪意のある投稿が増えており、真剣に投稿をする人から苦情が管理人
宛に届くようになりました。寛大は大事ですが、権利の濫用を認めるのは、ご本人が
悪い業を積むので、よくありません。

 そのため、今後、ある時期に、この掲示板を閉鎖し、その代わりに、別の業者の
「掲示板」を利用する予定です。よりセキュリティがあり、アラシ対策も業者が対応
してくれるので、安定した掲示板になると思います。(もっとも、有償掲示板なので
その点は残念ですが(笑))

 時期は未定ですが、決まり次第、ご連絡申し上げます。(今すぐでも可能なので
すが、皆様のご意見も拝聴したいので、今しばらく継続します。)

 個人的には、「したらば」掲示板は気に入っているので、継続したかったのです
が、このような事態になり、残念に思っています。

 以上、皆様へご挨拶とお願いを申し上げます。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

1402シャンソン:2017/12/30(土) 22:34:38
        一粒の麦

 団体から離れ、他の教団にもいかないという決断は勇気のいることでした。
自分の後ろ盾や肩書を失うということになるからです。今までの自分に死に、新しい自分を生きるわけです。
自分が最終的にどのような形になるのか分からずに進んでいきました。

 これを機会に宗教という視点から離れ、新しい角度で人生を見つめようと決心しました。そこで、自分が今まで学んできた
聖書・預言・哲学・心理学・脳科学を元に、独自のコンサルティング・カウンセリング・コーチングを作り始めました。
きっかけになったのは、友人のM氏からの依頼でした。

 彼は関西で不動産会社を経営しており、彼や社員の相談者として呼んでもらいました。これを皮切りに徐々に色々な会社、
治療院、個人から依頼を受けるようになりました。聖書にこのような言葉があります。

 「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」
(ヨハネによる福音書第12章24節)このたとえは、もし、麦が麦であることに執着をし、変化は嫌だからこのままでいようと思うと、
当然一粒の麦のままです。でも、一粒の麦であることを諦め、行きたくなかった土の中に入る決心をすると、麦から芽が出てきて苗になります。

 もう、麦の原形はとどめていません。そして、穂が出てやがてたくさんの麦の粒がなります。それと同じように、もし、今までのやり方や自分の肩書に
執着するのをやめるなら、より多くの実、つまり結果を出すことが出来るかもしれないという意味です。
 古い自分に死に、過去の栄光や過去の幸せにしがみつかない自分を作ることが、常に幸せな人生を生きるコツだと思います。
私は宗教に死に、信仰に生きたのです。

     『神の扉を開く』 毛利英慈 著

1403シャンソン:2018/01/03(水) 20:46:01
         祈りの価値

 祈りではお腹が満たされない。果たしてそうなのでしょうか?司式の仕事を辞めて1年くらいした時に
このような経験をしました。現金がとうとう底をつき、3000円しか無くなってしまったことがありました。
聖書を学びに来られる人は徐々に増えてきたのですが、生活は本当に大変でした。しかし、祈りや子供達と過ごす時間も増え、
とても価値のある時期だったと思います。

 その時、家族や祈ろうと思いました。皆を集め、テーブルに3000円を置いて、手を置いて祈ったのです。
「このお金が何十倍にもなり、家賃が払えるようになり、子供達の服が買えるようになりますように」。
私達に悲壮感は無く、むしろ神様がどのような奇跡をされるのかとても楽しみでした。

 奇跡は起こりました。予想もしない形や方法でお金が入ってきたのです。
常に祈りがお金やパンになるとは言いません。でも、私の経験上、祈りには「人知では計り知ることの出来ない力」があり、何度も危機的な状況から
救われています。

    『神の扉をひらく』 毛利英慈 著

1404志恩さんへ。:2018/01/07(日) 11:45:09
これらは、私は、前もって、別のところへ 保存してございましたので、
改めて、計上させていただきます。

これによって、ここのスレッドは、
カモの子さんとシャンソンさんの会話のことは関係ないという

シャンソンさんの言葉は、あきらかに
嘘であることは、おわかりだと思います。<

 この投稿があったあと、傍流で書いたのを読んでいませんか?
私がいったことは嘘ではありません。あのカモの子さんのデマ投稿を最初に新したらばに
移動したのは志恩さんです。そのあと、私が傍流で反論していたのに
トキ管理人がなにもやらないから、私は愛国掲示板であのカモの子さんの投稿を再掲したのです。

 それは事実で、私は、あれを再掲していません、と嘘は書いていません。
あれを再掲したら、その直後に、志恩さんが、なぜ法的措置をとられなくちゃなないのか意味不明だって
カモの子とシャンソンの会話集を載せ、妄想に狂いだしたのです。

 それでわたしがそれをおさめるために、他の掲示板に関係ないから
みんな傍流に書いています。あとはトキ掲示板でやってくださいとなだめに入ったのです。
そしたら、理解力のないあなたが、これはあえて消さないでくださいとか
やっぱりうのはなさんは第二へ削除要請にいってるとか、わかりきったことを
なんだか証拠を発見したかのように大袈裟に書いてるだけです。

 そういうことをなだめ、そんな話は傍流で書いてるから読みなさい、志恩さんはどの版を使うのか
忘れないためにも自分で決めて、ここに書いてくださいっていう趣旨ですよ。
それは理解できましたよね?

 そもそもこのスレッドに関係ないというのは、そういうあなたを説得するために書いたのです。
それをあなたが、私が迷惑なら削除してくださいというと、横から卑怯なやり方だから
削除しないでほしいとか、ひとりで愛国掲示板で書くことにこだわってるんですよ。
意味わかりますか?

1405志恩さんへ。:2018/01/07(日) 11:55:48

それから、あなたの会話集スレッドはかたておちで、私の傍流でのカモの子に対する反論なんかが
掲載されていません。それこそ卑怯な手法です。

 法的措置のことなんかも傍流で書いていますが、それらは掲載されず
 あなたのおちゃらけた投稿だけが掲載されています。それを愛国でもやりだしたので、 
 新年早々別のスレッドで書いたもの部室で書くとかいうものを消されているので、
 改めて、愛国の元のスレッドに書いてください。そしたら、なにか落書きのような
 品位のない返信投稿を掲載しましたよね。志恩さんの返信が確定するまで申し訳ないが
削除はまってほしい。あとは全削除してもらってもいい、という私の勝手な頼みを
愛国さんが我慢してくださったのか、志恩さんの落書きみたいな返信が掲載された直後に
あのスレッドは全削除になりました。

 それと第二での削除要請となんの関係があるのか、いまだに理解できません。
 しかし会話が成立しないようなので、理解できなくてもいいのでしょう。

1406シャンソン:2018/01/07(日) 12:15:16
>うのはなさんのいうことが200%正しい.......

一回コールド負けが続いていますね。
 でも訊け氏のお気に入りの、はーるばるきたぜはこだてえええ=
 の北島三郎のさんの馬は勝ったりしてるね。
 さすがに勝負運のいいわたしでした。

1407シャンソン:2018/01/07(日) 13:04:35
9413 :カモの子 :2018/01/05(金) 21:32:57 ID:0YsAkzh6
>でも、今回は、反論するのも疲れましたので


いやいや、志恩さん、解りますよ。 大概は私も、スルーしてます。

本人がこう告白しているように、この人は、私の投稿を精読していず、
 誤読曲解していいがかりをつけています。
 トキ管理人や訊け管理人の文言が論点になっているのだから、
 うのはなさんがこう書いてるけど出鱈目化どうかトキ&訊けに確認したら
 事実は判明します。もっとも、トキさんの場合は嘘をつくので完全に保証できませんが。

 こういった事実確認をやらないで、ひたすら法的措置だ、待ちましょうとか
 出たら目だとか自分の話に必死になるのは、カモの子や志恩さんの特徴です。
 だからこの掲示板の全面閉鎖に同意しています。私は別の端末を使って
 新したらばのこのスレッドに反論や事実を掲載しにいこうと思っていましたが、
そすると、新したらばはトキさんがセキュリティが「しっかりしているといっていた。
 だから、傍流の人たちは怒り狂って移民してこない、と必死で解説していた老婆の
 努力や妄想が無駄になってしまいます。
 それを考えるとあとでどんな泣き言やデマを書かれるかもしれないし、
 タイ古式マッサージ師からも「どこがこっているというより、疲れすぎだ」と
 いわれた体力不安もあります。職場でゴミをひらっては相殺しているなんていう
 バカげたオーエルとちがって、役職からはずされたくないし、無職老婆に
 時間をとられるのもうんざりです。ですから、新したらばに投稿するのはやめました。

1408神の子様:2018/01/08(月) 22:34:18
誤読曲解誤読曲解誤読曲解誤読曲解

1409トンチンカン信徒:2018/01/09(火) 01:03:09
>>1407
シャンソン署長※

※カルト三姉兄弟は、各地の、掲示版を、荒らすゴロツキです※

(年末→カルト三姉兄弟の内訳→あくまで、推理)

1、志恩さん→トンチンカン(姉)

2、トキさん→アクエリアン(兄)

3、るん基地→縄文人(弟)

※カルト三姉兄弟内訳で、いずれも、新羅民族です♪

1410シャンソン:2018/01/09(火) 09:46:01

 トンチンカン信徒さんの奇想天外顛倒妄想ぶりは
 この傍流隔離病棟ではハイレベルすぎます。
 新したらばの横道それまくり老婆と迷惑OLの会話スレッドに
 行かれたら、その特異な才能を発揮されることと思いますですたーい!

1411シャンソン:2018/01/09(火) 09:48:20
>>1408

こらっ、そこの粗忽もの!非武装版で
 誤読曲解念仏を唱えるな!
 老婆に汚染された人は、この高貴な板に出入り禁止です。

1412シャンソン:2018/01/09(火) 09:49:36

 劇場版「いただきます」みそをつくるこどもたち
   http://itadakimasu-miso.jp/

1413トンチンカン信徒:2018/01/10(水) 00:32:45
>>1410
本島版では?

訊け師?アクエリアン?縄文人?トンチンカン?登場してます?

<統一協会>とか?訊け師が?叫んでます?


商売上手な、人たちですね?シャンソン署長?

1414シャンソン:2018/01/10(水) 08:07:30
>商売上手な、人たちですね?シャンソン署長?

 だから、無職老婆が二人のことは仕方がないでしょう?と決めつけて
妨害し、トキさんが計算高い友人から使われるがまま寝込んでしまう性格じゃなかったら
もっと早く低次元バトルの現象が収まっていたんですが、皮肉なことに
訊け氏が商売上手だったおかげで、3ケタくらいの計算メモをたたきつけ
人を撃つときに交換条件として決算書の要求をして、乱射音が静かになっていったのです。撃たれ続けた
私が払った代償は大きいですが。

1415トンチンカン信徒:2018/01/10(水) 08:55:49
>>1414
シャンソン署長

<訊け師>は?<統一協会とか?出稼ぎしたようですね>

<<<<<<<<<<<
5967:「訊」

18/01/09(火) 13:42:53 ID:klcg1RUc

 新年1本目の投稿を「統一協会へ帰りましょう」掲示板に書き込みしました。

 彼等も御教えの否定に必死です。雅春先生の愛読者はあれら「教団や学ぶ会による雅春先生否定の動き』に対し、粛々と対処して参ろうではありませんか。


 彼等教団や学ぶ会が、どうな狡猾に否定しようとも、雅春先生の御教えは不滅です。昨年も黒字決算の当社でしたが、雅春先生なかりせば、どうなっていた事やら・・・・

<<<<<<<<<<<<



本島版→志恩・アクエリアン・るん基地・訊け(カルト変身版)に、なりましたね♪♪♪

1416シャンソン:2018/01/10(水) 09:13:42
5968 :るん吉 :2018/01/10(水) 00:13:17 ID:BkrCf1DI
wow!訊けさんだ!お久しゅう〜〜。<

><訊け師>は?<統一協会とか?出稼ぎしたようですね<

  毎年この二人や、志恩さんなどは、年末年始にトラブルを起こし
そして恒例の温泉旅行の話なんかするのが常ですが、
 今回は他の掲示板まで出稼ぎにいって業を増やしたみたいですね。

1417シャンソン:2018/01/10(水) 10:01:25
2437 :神の子様 :2018/01/09(火) 22:58:39
http://megalodon.jp/2012-0626-2139-39/blog.livedoor.jp/con5151/archives/65605964.html

↑久しぶりに見たけど笑ったわwwwwwwww

うの、7年前と何ら変わらないんだねwwwwwwwwwwwwwwww<

 しかし、大義名分のために人を撃つ男の応援団長みたいな
 奥さんは未亡人になったりして、周囲の状況は変わったみたいよ。
 これは、うのさんが自分で自分のことをばかだといった、
 うのさんが美容院へ行ってアフロになってしまう!
 っていう、遊園地のない地方都市で小学生が絵日記をかいているものだ
 と御理解ください。

1418神の子様:2018/01/10(水) 18:30:47

665: 復興G :2012/07/17(火) 18:25:41 ID:84pogn5s

SAKURAさ〜〜〜ん。

あなたは本当に素直ですばらしい方ですね。
私の娘のような思いで、幸せを祈ってますよ。

皆々さま。

この掲示板には、人を○○派だとか何だとかと言って差別してイジメたりする人は一人もいませんよね。

「イジメ」 というと、いま社会問題になってますが、「泥かぶら」 という演劇、ご覧になった方はいらっしゃいますか? 私は50年も前に青年会の同志といっしょに見に行った記憶があります。とてもすばらしく、感動しました。

作家・評論家の戸板康二も、かなり前に、絶賛した感想文を書いてました。
以下、戸板さんの感想文を抜粋紹介します。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「泥かぶら」(眞山美保作・演出、新制作座公演。昭和27年10月初演。文部大臣奨励賞・第7回菊池寛賞受賞作品。平成17・18年度 文化庁「ほんものの舞台芸術体験事業」に採択)は、美しい作品である。こんなに人の心をやさしいものにし、どういう人間にも生きる喜びがあるということを、しみじみ思わせてくれる名作は、あるまい。

 眞山美保さんは、戦後の荒廃した日本が、泥にまみれ、屈辱に顏をゆがめている時に、これを書いた。泥かぶらは、当時の日本だったと、いえなくもない。

 しかし、いまの時点でも、いやむしろ現代においてこそ「泥かぶら」は一層観客の気持ちに、切実に、訴えるともいえる。 醜く、すさんだ生活をしている少女が、いじめられる。西洋にもそんな事があるかも知れないが、かなしいけれど、日本の子供には、弱いもの、欠点のあるもの、動物などをいたわる性質がとぼしいような気がするのだ。教育の至らなさでもある。

 社会問題になっている学校での「いじめ」の実状を思い、昔の泥かぶらが、どんなにつらい日々を送迎したかと考えると、涙が出て来る。

 しかし、この芝居で、みにくくても、その顔を恥じず、いつでもニッコリ笑い、人のために尽くそうとすれば、その人間は、かならず美しくなるということを、教えられる。ぼくは客席にいて、久しぶりに、声をあげて泣きたいほどの感動を受けた。こういうドラマを、全国の人々に見せるなら、どんないい教訓になるだろう。

 演劇は、いわゆるお説教という形でなく、作品と演技者とが舞台から、直接大切な、生涯忘れがたい、すばらしい真理を、与えてくれるものである。「泥かぶら」は、そういう意味において、みんなに吹聴したい公演である。 (以下略)

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 最近に――と言っても、1年くらい前に、ノートルダム修道女会シスター・ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんが講演されたDVDの宣伝文がうちに舞い込んできました。「泥かぶら」 の話を紹介しながらの講話録です。こらがまたすばらしく感銘を受けましたので、ご紹介します。

 渡辺さんは、「私たち一人一人は、みんなある意味で泥かぶらだと思うんです」 と言われるんです。

 私も、自分は「泥かぶら」だ――と、思いました。
 <つづく>

1419伝統第二から:2018/01/11(木) 16:00:14
《神は公平な存在である》 -&nbsp;伝統
2018/01/11 (Thu) 04:22:01

       *『 生長の家 』(昭和25年1月5日の法語)より

   願わくは 神よ、あなたの目を開き、耳を開きて
   吾が祈りに心を傾け給え  ―― 

   これを十回ばかり繰返して 一心不乱に神に心を集中するのは、
   よき祈りであると同時に一種の精神統一法である。

   然(しか)し何を 吾々は 如何(いか)に祈るべきか
   ということは大切なことなのである。

   私はこれを 「 祈りの科学 」 の中に詳しく書いたつもりであるが、
   まず第一に知らなければならないのは
   神は決して吾々の頼み込みや、泣きつきや、賽銭(さいせん)に
   よって動かされ給うような偏頗(へんぱ)な存在ではない
   ということである。


   → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/02290f48d5de56fac7b2be28b7359247

            <感謝合掌 平成30年1月11日 頓首再拝>

1420シャンソン:2018/01/13(土) 11:24:23

 あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。
 神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。
 いったい、父に訓練されない子があるだろうか。
 だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、
 それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。

    へブル人への手紙大12章7〜8節

1421訂正:2018/01/14(日) 22:00:50
>へブル人への手紙大12章7〜8節

   第12章7〜8節

1422シャンソン:2018/01/14(日) 22:07:39
      信仰と現実、どちらも見すえる

 信仰には力があります。なぜなら、信じること自体に力があるからです。
「信じる者は救われる」という言葉は真理です。だからこそ何を信じるのかが問題で、
もしそれが妄想であれば、間違った方向に私達を導いてしまいます。どうしたら真の信仰であるかを
見極めることができるのでしょうか。

 私はよく皆さんに「信仰と現実の両輪が必要です」と言います。
もし、あなたが信じていることや、やっていることが現実になっていかないのであれば、それはただの妄想なのです。
時間やお金をかけるに値しません。

1423神の子様:2018/01/14(日) 23:57:09
>>1403>>1422

後日、転記を続けます。

1424レモン:2018/01/19(金) 19:09:04

 北海道での大学生活で、南国出身のみつろうのために
 何人もの人が、「雪道で転ばない歩き方」を教えてくれた。
 でも、みんなそれぞれ、方法が違う。

 ある人は、「転ばないためにはつま先から先に雪を下ろす」
 ある人は、「秘訣はかかとから下ろすこと」だと言った。

 何よりも驚いたことは、「絶対に転ばない秘訣」を持っている北海道の人の全てが、
 誰一人例外無く、絶対に雪道で転ぶということだ。

 人間は、つまづかないための持論をそれぞれみんな持っていて、
 そして、例外なく全員、絶対につまづく。
 上手に生きるための方法が、人の数だけ幾通りもあり、みんな絶対に転ぶんだ。

 『毎日が幸せだったら、毎日は幸せだと言えるだろうか?』 さとうみつろう著

1425シャンソン:2018/01/23(火) 11:38:53

 谷口雅春先生のメッセージ http://hikarinoshingun.giri.jp/02-gyouseki/0201gysk-sendou-kouen/03sekai-kouen.htm

1426シャンソン:2018/01/23(火) 11:45:11

  谷口雅宣の噂・評判
 https://killy.biz/star/谷口雅宣

1427神の子様:2018/01/24(水) 00:16:41

 ニーバーの祈り http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_niebuhr.htm

1428転載:2018/01/29(月) 21:44:56
510: うのはな :2013/02/10(日) 21:57:00 ID:vkulhJXI
    過去に縛りつけられてはいけない

 これから紹介するのは、グレールメールによって知り合った一人の青年の話です。
 この青年はトラックの運転手でした。しかし、赤信号で停止中にトコトコと前に出てきた二歳の
 男の子に気づかず、前輪で巻き込み死亡させてしまうのです。

 意図してやったわけではなくても、法的には過失致死と見なされます。
 事故を起こして以来、青年は「あと五分早く出ていたら」「あの場所に止まってさえいなかったら
 あんなことにならなかったのに」と悶々と悩み、自己を責め裁くようになります。
 私と出会ったのも、まさにそういう時でした。

 青年の裁判を担当したのは一人の国選弁護士でした。弁護士はいたく落ち込んだ彼を見かねて、
 次のように話しかけました。
 「人生では何も悪いことをしていないのに、思いがけない災難に遭うことがある。
  〝なぜこうなったのか〟と思い悩めば、心の中に新たな二次災害を引き起こしてしまう。
  だから、とにかくいまやることだけに心を集中し、過ぎ去ったことは考えないようにしなさい。
  辛い出来事にも深い意味があったと、いつか気づく日が必ず来るはずだから」

 荷を積み上げる重労働の現場に配属になった青年は、弁護士のこの言葉に大きな勇気を得、
 一つひとつの作業に気持ちを集中しようと心に決めました。
 しかし、労働を終えると事故の記憶が甦ってきて、そうなると頭はパニック状態でした。
 ある時、弁護士は青年を呼んで自分が辿ってきた歩みについて、しみじみと話し始めました。
 それは弁護士がまだ新聞記者をしていた若い頃の話でした。

 実はこの弁護士も国道で車を走行中に、真っ暗な中でうずくまっていた老人を撥ね、死亡させた
 経験があるというのです。老人のポケットからは「自殺したいが死ねない。轢いてほしい」という
 自筆のメモが見つかり、自殺と認定されたものの、弁護士にとっては自分が死んでしまいたいほど
 耐え難い苦しみでした。

 しかし、心身ともにボロボロの中にあって、一つの思いが込み上げてきたといいます。
 「この苦しみには、もしかしたら自分で知り得ない深い意味があるのかもしれない」
 この気づきは弁護士の人生を大きく変えました。彼の心に浮かぶのは、事故を起こしたという
 自責の念で心の二次災害、三次災害を引き起こし、人生をメチャクチャにしてしまう人たちのことでした。
 そいて、自分と同じ悩みで苦しんでいる人たちの救済のために人生のすべてを捧げようと一大決心をするのです。
 新聞記者をやめ、猛勉強の末に司法試験に合格。そして今日まで弁護士として人生に傷ついた人たちのために祈り、
 救いの手を差し伸べ続けています。それが弁護士が自らに課した使命でした。

 この話を聞いた青年の表情には次第に明るさが戻り、グレールメールの内容も変わっていきました。
 弁護士との出会いが青年にとっては、かけがえのない「計らわれた出来事」の一つだったことは改めて
 言うまでもないでしょう。いまはまだ苦しくとも、彼が自分の置かれた環境に意味を見出してくれることを
 信じて疑いません。
 
 キリストの言葉にあるように、私たちは自分でも気づかない計らいの中で生かされています。
 辛い過去にいつまでも縛りつけられるのは愚かです。
 いまは分からなくても、そこに深い意味があると信じる。
 未来は天にお任せするつもりで、いま、この瞬間、やるべきことに精一杯の努力をしていく。
 そういう生き方をしていれば、必ず明るい未来がもたらされると私は確信しています。

 私たちの人生には、時として理不尽としか言えない災難が降りかかってくることがあります。
 自他の非を責め裁いて苦しみ、精神的な病を患う人も少なくありません。
 この苦悶を抜け出すには、過去や未来を思わず、いま、ここを精一杯生きることです。

 『幸せになるキーワード』 鈴木秀子 著

1429シャンソン:2018/02/02(金) 00:14:36

追悼 平賀玄米さま http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=7702987

1430転載:2018/02/09(金) 23:46:57

個人救済から大衆救済 大乗仏教の始まり
人々が抱く禅のイメージとして、「宗教ぽさ」を感じることはあまりないのではないだろうか。

「宗教ぽさ」というのは、

「神に祈りなさい」
「神に祈りが通じれば願いは必ず叶います
 (その逆に神に祈らないと不幸が訪れる)」

というようような感じでのものである。
(インチキ宗教ではよくありますね)

禅宗の教義があまり宗教的ではないことの理由として

もともと仏教は宗教ではなかった

であることが大きいと思う。

インド地方の王族の王子であったゴータマ・シッダルタは、家族を捨て、王位を捨てて、修行の旅に出た。

出家である。

なぜそのようなことをしたのか?

煩悩、苦悩や四苦八苦、六道輪廻から脱出するたためである。

*四苦とは生老病死の苦しみ。八苦とは四苦にあと4つの苦を足し たもの
*六道輪廻とは、人は死ねばそれで終わるのではなく、地獄、餓鬼 、畜生、修羅、人間、天上の6つの世界を永遠に巡るという古代 インドの思想。

ゴータマ・シッダルタは、死と隣り合わせの難行苦行を行い、やがて、菩提樹の下で悟りを開く。

解脱したのだ。

あらゆる煩悩、苦悩から脱出をしたゴーダマ・シッダルタは仏陀(悟りを開いた人の称号)として煩悩に悩める人々に、その境地を語り、悟りにいたる道程として、出家と修行を勧めた。

これは宗教ではなく、修行である。

煩悩から解脱するためには、家族も家も捨てなければならない。
これは、これでいいのかもしれないが、多くの人はこの方法で助かることは不可能である。やがて、

「実際に修行して悟ることは難しい。ならばいっそ悟った人を拝むことで、拝んだ人達も助かるということにしたらどうか」

という考え方が登場した。

これが大乗仏教の始まりである。
(多くの衆人を救うことができる仏教の意味。これに対してゴータマ・シッダルタが行っていた形に近いものを小乗仏教と言う場合があるが、これは蔑称である)

大乗仏教の登場で、仏教は宗教になり、多くの人を救うことができる(可能性が)生じ、世界宗教に発展することができたのだ。

禅宗は前の日記でも書いたように、仏陀の教えの言語化できないものを会得する、つまり、「悟り」を目指すのが、その第一目的である。

が、それだけでは、一般の人にはとうていできないし、禅宗は広く民衆には伝わらなかっただろう。

曹洞宗の日本での創始者・道元は徹底した出家主義であった。

それもそのはず、釈迦から始まり28代の達磨を経て、そして道元の師匠である天童如浄まで正しく受け継いだ「釈迦の教え」を、道元は悟ることによって正当に「受け継いだ」のである。

道元の教えは、

出家して修行して(座禅をして)悟ること

これのみである。

しかし、このような教えは、広く大衆に浸透するはずもない。
(今であれば、仕事を辞めて出家するなどというのは、普通の人には不可能なことであろう)

道元の曹洞宗は、時の権勢に結びついた同じ禅宗の臨済宗や、比叡山勢力から攻撃を受けた。

やがて道元の曹洞宗は滅びかける。

だが、永平寺は現在にも残り、多くの人々が参拝、参禅している。
そして曹洞宗は日本一の門下数を誇っている。

一体何が起こったのであろうか?

この疑問に答える前に、話は少し戻って、大乗仏教について。

究極の大乗仏教ともよべる、ある意味既存の宗教の極限ともいえる
宗派が日本にあったのである。

それは、浄土宗とそれに連なる浄土真宗、時宗である。
(つづく)

1431レモン:2018/02/12(月) 15:50:29
   
 「真理」とは私たちが断定を行なうさいに名称を正しく並べることである。
故にこのことを知るならば、正確な「真理」を探究する者は自分の用いるすべての名称が
何を表わすかを記憶し、それに従って正しく配置しなければならない。もしさもないと鳥もちにかかった鳥同様、
ことばのわなに巻き込まれてしまい、もがけばまがくほどことばにとらえられる。(中略)

 したがって言語(スピーチ)の最初の効用は、名称の正しい定義にある。それこそが学問(サイエンス)の獲得である。
名称についての誤った定義と無定義とに、ことばの最初の誤用があり、そこからすべての虚偽、あるいは無意味な教説が生じる。

   (『リヴァイアサンI』ホッブズ著 (永井道雄、上田邦義訳)

1432トンチンカン信徒:2018/02/12(月) 18:11:51
>>1430
何かの、文章の、抜け書きだね。

半端な、内容だね。

1433トンチンカン信徒:2018/02/12(月) 22:20:43
>>1432
カルト宗派の文章に、似た、文言を、良くみかけるよ♪

ネットとかでもね♪

1434転載:2018/02/13(火) 22:20:01

   顕斎の時は今 谷口雅春先生
 http://blog.livedoor.jp/con5151-5151/archives/13387763.html

1435転載:2018/02/16(金) 22:41:52

 横田夫婦の石碑 吉水神社 https://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/65287562.html

1436レモン:2018/02/19(月) 13:41:27

 幸せを決めつけないこと。
 目標は大切。夢を叶えることもいい。
 でもその道からはずれてしまったとき
 不幸かと言えばそうじゃない。

 登る途中にみえた新たな景色に
 幸せをみつけるかもしれないよ。

 いつか来る悲しみに
 おびえている暇はない。
 せっかくの今。

 かみさまにお願いするなら「幸せの方向に導いてください」。
 成功がなにかを決めつけてお願いするのはもったいない。 
 なにが幸せにつながるのかなんてわからないから。

 『優しい人には優しい出来事がありますように』 もくもくちゃん 著

1437シャンソン:2018/02/21(水) 17:49:45
    真実や事実を大切にし、支援する人たち

ダライ・ラマ 

 チベット問題について私見を申しあげますと、このチベット問題は、単なる政治的な問題に
留まるものではなく、古代から続いてきた世界のなかの一つの大きな伝統文化が保護されず、消滅の危機に
晒されているという問題です。

 仏教にかぎっていえば、明らかに、私たちチベット人が千年以上も継承してきた伝統は、現存する仏教のもっとも
完全な形を保つものです。われわれチベット人は、皆さま日本の方々よりも、はるかに詳しく広大な仏教に関する知識を
伝統として継承してきた、と申しあげることも可能です。

 このようなことからも、今回、日本の国会議員の皆さまが、チベット支援のための議員連盟を設立してくださったことに、
深く感謝申しあげます。チベット問題は単なる政治問題にとどまりません。現代社会にも有益な、人類が古代から継承してきた知的遺産に
関する問題でもありません。人類の文化、宗教遺産を保護する意味できわめて世界的な課題となるのです。この局面で、破壊は許されざることです。
保護する責任は、中国政府にもあります。

 また、政治的問題について、再度確認しておきたいことがあります。私たちは独立を訴えているわけではありません。過去の歴史は別とし、私たちは前向きに考え、
共存共生を望んでいます。私たちチベット人は「中華人民共和国」という枠組みのなかに留まろうとしています。それは私たち自身にとって、経済的な恩恵を受けることでもあります。
私たちは、中国の指導部が私たちチベット人に、チベット固有の文化・言語・そして特にチベットの環境保存のために必要な自由と権利を与えるべきだと考えています。

 そして、それは必ず双方に利益をもたらすでしょう。
いまも中国政府は「ダライ・ラマは分裂主義者である」と論難していますが、国会議員の皆さまが彼らと会う機会があるのならば「ダライ・ラマ自身がはっきりと自分で独立を望んでいないといっている」と
おっしゃっていただきたいと思います。皆さまがチベットを支援してくださいますのは大変ありがたく、感謝申しあげます。

 最後になりますが、いつも支援者の方々に申しあげているとおり、皆さまが支援しているのは単に「チベット」ではありません。
皆さまは「真実や事実を大切にし、支援する人たち」です。私たちは、この活動を「非暴力」という手段を通じて全うすることに全力を捧げています。皆さまは「非暴力主義」を支持・支援してくださっているのです。
このことについては私は六〇〇万人のチベット人を代表し、同時に、いまも世界各地で不正義な制度によって苦しんでいるすべての人びとを代表し、心から御礼申しあげます。

    『チベット自由への闘い』 櫻井よしこ 著

1438靈界光明化版:2018/03/05(月) 13:10:02
554: うのはな :2013/05/27(月) 10:28:53 ID:BBIBg7eY
      神から人へ    

 神から人。
 神から人へ、教え下ろして、人に広げて、さらに後の世、次の世代へ、
 継がれ残され、伝わるように、人は考え、行動せよ。
 神の教えは絶対なれば、この世が変わり、時移り、世代が代わりて、変遷せども、
 神のことばは受け継がれ、一部の人間、書物の内に、必ず残され、語り継がれん。
 なれば、残せよ、心配せずに。

 案じ憂えて、何もせず、時の来るのを恐れるのみの、偽の宗教、世にはびこらん。
 なれど惑うな、だまさるるな。嘘の教えはいつか滅びん。
 滅び忘られ、跡なく消えん。

 真の教えを残してゆけよ。後に生まれる子孫のために。後の世作る子らのため。
 教えは絶対、普遍なれば、時の移ろい、時代の変化、科学の進歩も発展も、
 教えを変えることのなければ、人は信じて行うべし。

  後略
 
 『神から人へ』下巻 ひふみともこ 記  今日の話題社

555: a hope :2013/05/27(月) 10:55:12 ID:edEDolt2
My Dear うのはなさま!

>>554

またまた、タイムリーな書き込み、ありがとうございます。
うのはなさまは、真のシャーマンですね!
そして、わたしの守護神?

<<神から人へ、教え下ろして、人に広げて、さらに後の世、次の世代へ、
 継がれ残され、伝わるように、人は考え、行動せよ。>>

ここの部分が、『真理を伝える方便』に当たる部分なのだと思います。
それにしても、短い言葉の中に、不朽の真理をうたった素晴らしい詩ですね!!

これから、手帳に謹写してから仕事に行きます。

感謝 合掌。

1439神の子様:2018/03/05(月) 21:21:28
志恩様に申し上げます。 (17989)
日時:2017年08月04日 (金) 22時43分
名前:鳥唐宇崎

>>>一青年であろうが、老人であろうが、
それを取り上げたことで、また、反論を載せたことで
個人批判だとか、ゲスの勘ぐりだとか、神の子はどこへ、
などと書く人はそれこそ、生長の家とは、
かけ離れた自由の発言もできない、
お気の毒な閉鎖的な考えの方々だと思います。<<<

志恩様・・・
論点を勘違いされていませんか?
それとも分かっていても敢えて話を反らしておみえですか?

日野君の主張や行為に対して、
批判したり反論する事がダメだなどと誰も言っていません。

日野君の論争に加わっていない、親や兄弟の事を、
実名まで挙げてあれこれ詮索したり、
他の掲示板からそのような内容の記事を抽出して、
張り付けて拡散しようとする行為、

これに対して疑念と憤りを抱いているのです。


>>>ご自分の自由意志で実名で参加した人のことを
ハンドルネームで書いた人が批判をしたら、
アンフェアーだという考え方は、道理が通りません。>>>
・・・・・・
志恩様の仰る「道理」とは???

志恩様・・お尋ね致します。

もし仮に・・・のお話で恐縮ですが。
志恩様の弟様が自分の実名を使って
インターネッなどで言論をしていたと致しましょう。

弟様の主張に対して、反論したり非難したりすることは
当然許されます。

それは実名であっても、ペンネームであっても同じです。
(こんなことあたり前のことです)

ここで・・・
志恩様の弟様の言論やそれに付随する行為にに対し、
強い反感をを持つ人がいたとします。

その方が、弟様の両親の実名や職業を調べネット上で拡散し、
兄である志恩様の情報もネットで晒し、
父親はどういう仕事をしているとか・・・
兄弟は・・・どういう人間なのか・・・

このような憶測や噂話の領域の情報をネット上で
拡散されたと致します。

このような場合、
志恩様は、「道理に叶っているから当然のこと」
と思われるのでしょうか?

・・・・・

鳥唐宇崎(ペンネームです)の感想・・・

「道理」という言葉が重みを無くしてしまうような気がします。

1440シャンソン:2018/03/06(火) 09:34:12
>>1439
うわあぁ~ なにこれ?
鈍感志恩さんが、またなんかゴタゴタを起こしてるの?
どこの転載記事か知らないけど、この非武装掲示板はバトルをや議論の場所じゃないし、
汚い人間の話は、べつの版でやるようにお願いします。

1441シャンソン:2018/03/06(火) 09:42:43
志恩様に申し上げます。 (17989)
日時:2017年08月04日 (金) 22時43分

 なんだ、去年の過去記事でしたか。びっくりした。
 日野君にどう指導接したらいいのでしょうかとか
 みなさん、どう思いますかとか、
 他で何を見当違いしてるんだってかんじですね。
 
 まるで最初から入学許可のない子供の親が、
 入学式になにを着ていけばいいでしょうかって聞いてるみたい。

1442転載:2018/03/09(金) 05:16:19
神は愛なり③ - 伝統
2018/01/07 (Sun) 03:53:28
《神は無限の愛であり給う》

         *「光明法語」(1月7日)より

吾らは決して神の護りからのがれることは出来ない。
神の無限の智慧からのがれることは出来ない。
また神の無限の愛からのがれることは出来ないのである。

神は吾々神の子に対して与えとうて与えとうて仕方がないのである。
吾々は神の無限の供給からのがれることは出来ないのである。
神はわが親であり、わが供給であり給う。

神は決して人間の貧しきことを欲したまわないのである。
神は決して人間の不健康を欲し給わないのである。

神は無限に完全なる生命を吾らに与え給うて、
吾等の全身を健全ならしめ給うのである。

・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「神は愛なり①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=6704251

(2)伝統板・第二「神は愛なり②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=7079818

         <感謝合掌 平成30年1月7日 頓首再拝>

1443ブッダ:2018/03/09(金) 10:24:46

  一本のろうそくから
  何千本ものろうそくに
  火をつけることができる
  それで最初のろうそくの
  寿命が短くなることはない。
  幸福は、分かち合うことで
  決して減らない。

1444レモン:2018/03/09(金) 21:28:55

● ランプの灯を灯し続けるには、たえず油を注がねばならない。(マザー・テレサ)

 国や民族の壁を越え、弱者救済に尽くしたマザー・テレサ。この言葉は、
 ある孤独な老人を訪ねたときのものだ。老人の部屋でテレサはホコリまみれの美しいランプを
見つけた。「どうしてこれをつけないの?」「誰も会いに来ないので必要ない」、
「シスターたちが訪ねたらつける?」「人の声が聞こえたらつけるよ」。

 その後、老人からテレサに伝言があった。
「あなたのつけてくれたランプは今でも燃え続けています」と。
テレサは「こういう人たちと私たちは知り合わねばならない」という。

 求められているのは手をさしのべてくれる他人、愛してくれる心。
「物ではない。お金以外のものをあげて欲しいのです」ともいう。

    『人生を動かす賢者の名言』 池田書店

1445シャンソン:2018/03/10(土) 15:34:07

ホピ族の少女の言葉 https://www.youtube.com/watch?v=i7SEwoR3Bhg

1446神の子様:2018/03/15(木) 20:04:09
7620 :縄文人 :2018/03/15(木) 17:59:50 ID:eQlzc37c
いいものみつけた、虹色アーチ、古事記と現代の預言/谷口雅春・著
2018/3/15 17:32:33

→ラジオ配信中! - 虹色アーチラジオ:https://twitcasting.tv/c:nijiiroarch

1447レモン:2018/03/17(土) 15:09:49
    伝道の書 第三章 『旧約聖書』



天が下のすべて事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを始めから終わりまで見きわめることはできない。

1448神の子様:2018/03/17(土) 16:03:02


   本当に 主は 生きておられます
   そして 光へ光へと導いてくださっている
   光への希望があれば・・・
   心を開いて光の温もりを分かち合おうとすれば・・・
   人が繋がっていく 愛が連鎖していく 感謝で心が満たされていく

   「私の名によって ふたり さんにん 集まるところに私はいる」
   「この地で繋がれるものは 天でも繋がれるであろう」(聖書より)

1449星野富弘さんの詩:2018/03/17(土) 16:07:58

          山へいこう

          そして あなたの造られた風景を見よう

          花のまわりに 囲いがあるだろうか
    
          崖の上に柵があるだろうか

          小さな心にさえ囲いを作っている私

1450シャンソン:2018/03/18(日) 21:52:14
食事をすると、肉体はそれを血液、骨格、骨髄に変える。食事をすると、肉体はそれを意識、思考に変える。奇跡が毎瞬起こっている。各細胞、何百万もの細胞がほとんど不可能に見えるほど組織的に、正確に、内部の秩序に従って機能する。ひとつの肉体のなかに7百万もの細胞がある。7百万の魂だ。それぞれの細胞にはそれぞれの魂がある。それらは、ひじょうに整った統率、リズム、そしてハーモニーのうちに機能する。同じ細胞が目になり、同じ細胞が皮膚になり、同じ細胞が肝臓になり、心臓、骨髄、心、脳になる。そして、それらはいかにして動き、ひじょうに精妙に静かに働く。肉体のなかに神が表出する。あなたは内側に入る必要がある。あなたはまだこの寺院で自分自身と対面していない。神を遠い空のかなたに探し求めてはならない。自らの肉体のなかに探すがいい。

出典
私の肉体は私の友人だ | OSHO | Meditation - Mindfulness and the Science of the Inner

1451転載:2018/03/18(日) 22:05:02

宇宙人たちは、ケンカをすることがありません。おたがいの意思が100%完全に伝わるため、常に相手の立場も考え方も理解できるためです。
宇宙空間を通してほかの星の人たちとも、テレパシーで意思疎通をはかっているのだそうです。
彼らにとって心外なのは、地球人たちが彼らを「攻めてくる」生き物だと考えていることなのだとか。
宇宙では皆が平和に交流するのが常識なのに、地球人はやたらと宇宙人を怖がって恐ろしいもののように扱うのでとても悲しいそうです。
映画や小説に搭乗する宇宙人が攻撃的で恐ろしいものとして登場するのは、先入観に基づく演出だからやめて欲しいと主張しています。
宇宙人にとって、地球を攻撃するメリットなどまったく何もないのに、わざわざ戦争などするはずがない、と。「そもそも、我々には武器というものがない」のだそうです。
宇宙人は怖くないことを地球人には分かって欲しい、と彼は強く願っているとのことでした。

by 水の

1452神の子様:2018/03/19(月) 13:46:18

「『父と母を敬いなさい。』これは約束を伴う最初の掟です。
 『そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる』という約束です。」
                                            
(エフェソ6:1-3)

1453転載:2018/03/19(月) 13:54:31

伊勢神宮の神官、渡会(わたらい)氏の祖先は
乙乃古命(うるのふるのみこと)だそうです。
シュメールの言葉でウルのフルとは、
「ウル(牛)のフル(都)」という意味になります。
この乙乃古命は、但馬から伊勢に移り、
素盞嗚命に従って熊野の到着、志摩半島を周って
伊勢湾沿岸に分布した人々の族長であった
という事ですが、
現代日本での当地の名産、松坂牛はその流れを溯れば、
但馬牛→神戸牛→松坂牛という経緯であるのは、
つまり惟神(かんながら)にそうなっているのでしょうか?
元々シュメール文明には農法もあるので、
牛は食べ物としての、命の糧としてだけではなく、
神聖視する意味があるようです。
バール神と同じ角があるからというだけかもしれませんが。
こちらの方の記事です
(惟神、随神=神の御心のまま人為を加えないこと
         神と共に生活するということ)

1454転載:2018/03/19(月) 13:57:16
>>1453 https://ameblo.jp/yuki8low/entry-11345261022.html

上記 ↑

1455シャンソン:2018/03/21(水) 15:49:21

  谷口雅春先生著 ひかりの語録より 平賀玄米様
 http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&amp;mode=res&amp;log=1020

1456転載:2018/03/21(水) 19:02:15

 カネを貸すのは拒んでもいいが、本を貸すのは拒んではいけない。

   タルムード (ユダヤ教の聖典)

1457ブログ紹介:2018/03/22(木) 21:33:27

   僧侶でアナウンサー川村妙慶の日替わり法話
 http://blog.livedoor.jp/rococo8787/archives/51546745.html

1458ユダヤの名言:2018/03/22(木) 21:35:42

 病んでいる人が病んでいる人のために祈るときは
  祈りの力は倍になる

1459神の子様:2018/03/22(木) 21:42:05

 いちばんいけないのは
じぶんなんかだめだと思いこむことだよ

          ドラえもん

1460レモン:2018/03/22(木) 22:50:50

  自分自身を愛していなければ、
  結局幸せにはなれないのよ。

      レディー・ガガ

1461シャンソン:2018/03/26(月) 13:34:28
       人はガンでは死なないのよ

 私がさらに「希望」を持つことができた忘れられないエピソードがあります。
抗ガン剤治療を終えた頃のことです。抗ガン剤治療で髪はすべて抜け落ち、体力も落ちたままで、
体を持て余すように生活していました。けれど、抜け落ちた髪の毛一本一本にもありがとうとお礼を言い、今という時を
大切に、それまでになく穏やかに過ごしていました。

 抜け落ちた髪の毛に泣きながら「ありがとう」と言っている私を目撃した次男に、「母さん、この特別な状況を楽しまなんよ(楽しまなきゃね)」
と言われたのです。その言葉に私の遺伝子のスイッチがまた音を立てて入ったようでした。
「そうだ、私はこれまで楽しむという選択をしていなかった」そう気付かされました。楽しむことを選択するのも、苦しむことを選択するのも自分。だとしたら、楽しむことを
選択したほうがいいに決まっているじゃない!そう思ったのです。

 残り少ない人生を思いっきり楽しむたに次男が用意してくれたのは、カツラでした。ただのカツラではありません。金髪のカツラです!「母さん、おもいっきり楽しんで!」という気持ちが
伝わってきました。そのときから私はただ気分よく過ごし、どんな状況でも楽しむことにしました。
 
 その日は病院に経過を見るための検査に出かけました。次男から買ってもらった金髪のカツラを被っています。その後の経過を見るための検査ということで、さすがに少し緊張しています。
待合室で検査結果を聞くために呼ばれるのを待っていたときです。そばにいた女性が声をかけてきました。「あなた、どこが悪いの?」八十歳くらいのお年でしょうか。気品があり、見とれるほど素敵な方です。
優しい笑顔でそうお尋ねです。素敵な方だなと思いながら、私も負けないほどの笑顔で元気に答えました。

「はい!わたし、ガンです!」その方は、さらに優しい笑顔になり、目を細めながら、「そうなの!良かったわねぇ!」とおっしゃったのです。
まさかそんな答えが返ってくるとは思いません。意外な答えに、さすがに私は笑顔でいられなくなり、真剣な顔でその女性に聞きました。「どうしてですか?」
その方はこう答えられたのです。「人はガンでは死なないのよ、死ぬときは寿命で死ぬの!」

 なるほど。確かにそうです。人は寿命が尽きるまで生きるのです。ガンになっても、寿命が来ないことには死ねません。私がこの世にいなくなるとき、寿命が尽きたとき。そう考えたら、なんだか拍子が抜けました。
ガンかどうかは、私の寿命とは関係ないのかもしれません。とても気持ちが楽になりました。その言葉を聞いてから、自分のガンことをあまり気にしなくなりました。その方ともそれっきりそこで別れたのですが、その言葉には何度なく
勇気づけられました。以来、私の話を聞きにいらっしゃる方々にも、このエピソードをたびたびお話させていただいています。

 『「ありがとう」100万回の奇跡』 工藤房美(余命一ヵ月と告げられて生還した主婦)

1462転載:2018/03/28(水) 10:29:39

ガンが消滅していく生き方 http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=7632675

1463🌷:2018/03/28(水) 15:26:01
838: うのはな :2011/08/31(水) 14:20:40 ID:iM0b0bt6

心の浄き者の受くる悦び

“山上の垂訓”のその次の訓えは、「幸いなるかな、心の浄きもの、その人は
神を見ん」であります。谷口清超先生は、その著『基督』の中で、
「幸いなるかな、心清く、我執なく心素直なる人、その人は凡ての人を神の顕現
(あらわれ)として拝むことが出来るであろう」と注釈しておられます。
自分自身が清くならないと、相手に宿る清き神性がわからないのです。
私が全然私心なく人類を光明化する愛の運動のために、“生長の家”をやっておりまし
ても、心が汚くして、その清らかなる動機を見ることができない人は、ある評論家みたいに
、まるで金儲けの企業として生長の家をはじめたように批評しておる。
だけどもこの『生命の實相』や『眞理』の印税でもみな、戦後の遺児・弧児を
輔育している“財団法人生長の家社会事業団”に寄付されている。
私自身の私的収入になるんだったら、『生命の實相』を買って読みなさいというのは、自分の
儲けのために勧めるようで、気が引けて勧めにくいけれども、そうでないから非情に
勧め易いのであります。それでも、まだ、生長の家は金儲けのためんか何かのためにやっている
位に思っている人もある。それは自分の心が清くないから、神をみることが出来ないで、
人の内に宿っている神がわからないのです。
「人を見たら泥坊と思え」というのは、自分が泥坊根性だから、他を泥坊と思うのであります。
心の中に泥坊のない人は、泥坊を見ることができない。


『日常生活の中の真理』 無門関・聖書篇 P281 日本教文社

1464神の子様:2018/03/28(水) 18:21:32
699: 流氷 :2014/04/28(月) 13:12:05 ID:59t/JsO6
  < エル・シャッダイ じゅうぶんすぎる神 > ダニエル・カウフマン

 スーフィ教には神を呼ぶすばらしい言葉があります。エル・シャッダイ、「じゅうぶんすぎる神」という意味です。
すすんで受けとる意思のある者に授けられる限りない祝福、みずから愛に満ち、愛を受けとる意思があればうず高く与えられる愛、そして
天使の世界のゆたかな美と、体験する意志があれば生まれるわたしたち自身の地上の楽園の妙なる美ーエル・シャッダイはこれらを表現する、
わたしのお気に入りの用語です。

 自己憐憫の苦しくて停滞した瞬間を解放する鍵は、感謝だとずっと感じてきました。
そのようなときわたしは、天使たちと感謝の守護者に人生における無数の祝福を思いださせてくれるように頼みます。
自分には見える目があり、物にさわり絵を描き文章を書く手があり、愛する妻と赤ん坊にキスする口も、人生を楽しむ(そして解決すべき問題を生みだす)頭脳も、
何百万回も自動的にポンプ作用で動く心臓も、愛を感じる能力もあることを思いだすと、とても自己憐憫にふけってなどいられません。

 これらの祝福はエル・シャッダイの気前のよさを反映しています。このように恵まれたうえ、手伝ってくれる天使がいて、友だちも空気も水もあり、しかも一九四九年五月四日の
ニューヨークにたまたま誕生したおおぜいの人間に混じって、やはり偶然のごとく生まれたというだけの理由で自由と機会の国に暮らし、こんなにも多くの方法で愛と楽しみと充足を見いだすことができるのですから。
まさに「じゅうぶんすぎる」ほどです。自分を知り、外の世界に認識するのとおなじ美を自分のなかにも見いだす能力をもって生まれたことこそ、すなわち創造主、宇宙原理の無限の愛と慈悲です。

 ふたつのものがわたしに畏怖の念をいだかせる。頭上の星と、内なる精神の宇宙。
                                      アルバート・アインシュタイン

『天使の贈りもの』 テリー・イン・テイラー 著

1465🍋:2018/03/30(金) 12:37:41

「私は神の子である イエス・キリスト」の意味とは?
 ヨガナンダ講話集より http://paramahansa.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-68ba.html

1466神の子様:2018/03/31(土) 18:05:32

   あなたとお釈迦様とインディアンと生命地球
 https://ameblo.jp/aoisoradaisuki123/entry-12316778898.html

1467🍋:2018/04/04(水) 12:47:38
129:ハマナス 2012/01/19(木) 16:19:19ID:u5mC.eb2

『碧巌録解釈』後篇――『碧巌録』終講の辞より

宇宙の真理と云うものは、それを長廣舌を揮って詳密鄭寧に書けば一生涯続けても、
書き終わるを得へく簡単なものではないが、それを百歳の長寿を保って最後の時が来るまで書き続けても書き終わり得るべきものでもない。もう九十三歳の歳を迎えているので
何時、私の霊魂も現世から他界へ移住するよう神から命ぜられるかもわからない。
『碧巌録』の最後の章まで毎月一章づつ書いているのでは、それをとても書き了える
日時まで現世の寿命を保ちえるという保証も自信も私にはないのである。好き機会に終講のチャンスを捉えて諸君とのお別れの挨拶を書いて置くのも老人の智慧であると
思いついてので、読者諸賢に、今まで御愛読下されたそのご愛念に感謝の辞を述べて
置くのが老人の智慧であり、礼儀でもあると思いついたのである。

それで、そのような意味のご挨拶を述べさせて置いて貰った方が、一言の挨拶を
述べないで頓死してしまったような無ざまな死に方をするよりも、行き届いて
生前の御礼を言って置いて、何時他界しても皆さまに挨拶もしないで別れて
行くよりも、此の世に思い残すことがなくなり、もう何も此の世でして置くことは
残っていないと心の肩の荷を卸して、他界へ移転して行く方が思い残すことが
何もない、気楽な気持ちで他界へ移住することが出来ると考えついて、私は今、
この様なあいさつ文を書いているのである。

1468神の子様:2018/04/08(日) 22:04:58

 実相について https://ja.wikipedia.org/wiki/実相

1469🌞:2018/04/08(日) 23:05:08

 ⁑夢を描け 『生命の實相』第20巻 聖詩篇より⁑
  https://www.youtube.com/watch?v=LwK0SbfxFDA

1470🌷:2018/04/09(月) 15:18:32
「ニライカナイ・ユー」という沖縄の言葉

 🌸神と人々と生きとし生けるあらゆる者とが共に敬いあい
 生きていける世の中を私たちに賜れ

 という祈りの言葉です。

 参考『ただの主婦にできたこと』 山田征 著

1471シャンソン:2018/04/09(月) 16:40:58

    パラオ英霊供養 森下ご住職と
 https://ameblo.jp/doumyou/entry-12215778614.html

1472シャンソン:2018/04/09(月) 16:56:00

   台湾からの「しあわせ運べるように」
 https://www.youtube.com/watch?v=OGnE-5JKF1w

1473トンチンカン信徒:2018/04/09(月) 17:38:31
♪北斗の拳も、続編には、ナチスも、日本軍も、満州も、出てくる♪

♪千葉周作の北辰一刀流も、北斗の剣だよ♪

1474神の子様:2018/04/12(木) 21:44:14

   仏教は肉食禁止ではありません
 https://ameblo.jp/myouenjiblog/entry-12091370095.html

1475🐵:2018/04/12(木) 21:47:37

 今世紀最大の著作権無駄遣い 北斗の拳🍓味

1476🐻:2018/04/12(木) 21:48:12
  https://dic.pixiv.net/a/北斗の拳イチゴ味

1477🍋:2018/04/14(土) 14:26:13

  伝道に肩書はいらない 神様の眼
 https://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19735591.html

1478転載:2018/04/14(土) 14:29:17

  「自分の宝を地上に積むのはやめなさい。
  そこでは、虫とさびでキズ物になり、また盗人が忍び込んで盗み出したりする。

  自分の宝は、天に蓄えなさい。
  そこでは、虫もさびもつかず、盗人が忍び込んで盗むこともない。
  自分の宝のあるところに、自分の心もあるからだ」(マタイによる福音書6章19〜21節)

1479👼:2018/04/15(日) 22:18:20

ギャレットがリーディングのことをあまりよく思っていないのはわかっていた。
霊能力については、ずっと柔軟な姿勢で支えてくれていたけれど、リーディングが生活の大きな一部を
占めるようになると、心配になったようだ。

「悪魔につながらないって、どうやって保証できる?」そう聞いてきた。
そう思う気持ちもよくわかったけれど、わたしにいえることは、悪魔ではないことがわかる、ということだけだった。
リーディングでやってくるメッセージはどれも美しくて、愛に満ちていたから。けれども、このときわたしはまだリーディングをたくさん
やっていたわけではなかった。どれもいいメッセージだと思ってはいたが、もし悪いものだったら、わたしのせいで家にとんでもないものを
持ち込んでいるとしたら。

 答えは見つからなかった。そしてある日、わたしと同じくらいの年齢の女性のリーディングをした。わたしと同じように娘がいたが、その人の娘ヘイリーは、三歳で
亡くなっていた。りーディングで、わたしは圧倒的な悲しみを感じ取り、この女性がその悲しみに押しつぶされているのがわかった。この女性は娘を助けられなかったと、重い罪悪感に
苛まれていた。家に引きこもり、祝祭日も祝わず、友人にも会わないで、四六時中、苦しんでいた。

 人生と心と魂がすべてめちゃくちゃに壊れていて、生きる術を失ってしまっていた。リーディングをはじめてすぐに、「向こうの世界」から小さな女の子がやってきて、母親について教えてくれた。
娘を助けられなかったことでどんなに自分を責めているか、どんなに悲しみで凝り固まっているか。そしてお腹に手をやってみせた。何を伝えようとしているのかすぐにわかった。
「娘さんが来ています。自分が死んだのは肝臓のせいだといっています。お母さんがなんとかできるようなことではなかった、自分はこの世に長く生きる運命ではなかったのだからと。この世に生まれてきて、
無条件の愛を感じることは決められていたけれど、ずっといるさだめではなかった。

 悲しみと罪悪感をまぜこぜにしないで、といっています。罪悪感は捨ててと。娘さんを救えなくて母親として失格だと思っているかもしれないけれど、あなたは娘さんを救う役割を与えられなかったのです。あなたの役割は
ただ愛してあげることだったのです」長い沈黙のあと、電話の向こうで静かなすすり泣きが聞こえた。この女性の、かわいらしく果敢な娘がやってきて慰めている。母親が癒されるのを助けようとしている、それは本当に心を打たれる光景だった。
何日か経って、この女性から小包が届いた。

 リーディングのおかげで悲しみが癒された、また前を向いて生きていくことができそうだ、と書いてあった。娘が自分と一緒にいることがわかり、すべてが変わった、本当に久しぶりに外出して友達に会ったと。娘に命を救われたのだ。
手紙と一緒に梱包材で丁寧に包まれた何かが入っていた。小さな天使の陶器の置物だ。娘が病気になる前に、娘に似ているからと買ったものだという。娘が亡くなったあと、この陶器の天使はこの女性の宝物だった。命をもぎ取られてしまった娘との唯一の
つながりだったのだ。いまその天使をわたしに持っていてほしいという。いまでも大切なものだけれども、もう必要ないからと。

 この手紙と天使をわたしはギャレットに見せた。ギャレットは手紙を読んで、リビングを出た。しばらくして戻ってきてから、わたしの隣に座った。手に陶器の天使を持っていた。
「君のリーディングが、この人の人生を変えたんだね。悲しみでがんじがらめになっていて、引きこもってもう生きるのも嫌だと思っていた人だ。でも君と話したあと、また生きようと思ったんだね。この手紙に書いてあることは、本当に純粋で美しい話だ。まさに癒しね。
君がやっているのは、人は癒すことなんだ」

 ギャレットの言葉で、わたしの心は決まった。自分の霊能力とずっと闘ってきたけれど、この霊能力を大切にしようと思った。夫がいなければ、そう思えたかどうかはわからない。夫と一緒に、そう考えることができるようになったのだ。

 『魂の呼び声に耳をすまして』奇跡の霊能者のメッセージ ローラ・リン・ジャクソン 著

1480神の子様:2018/04/30(月) 14:16:29

 霊界物語 谷口正治録 https://ameblo.jp/motoharu567/entry-12214918717.html

1481シャンソン:2018/05/03(木) 20:51:41

 最初のころにやったリーディングでもうひとつ、許しの力を教えてくれたものがある。
バーバラという五〇代の女性で、やはり友達からわたしのことを聞いたという。バーバラはペンシルベニアの自宅の
キッチンからわたしに電話をしてきた。

 リーディングのあいだ、わたしがいっていることことをバーバラがそばにいるご主人のトニーに伝えているのが聞こえた。
「夫はこういうことを信じないんです。死んだらそれで終わり、ただ土に埋められて終わりなんだと考えています。でも、話してあげてくれますか」
わたしが遮る前に、バーバラはトニーに受話器を渡した。

 困った、うまくいくはずがない、とわたしは思った。信じない人にも「向こうの世界」はやってくるのだろうか。トニーは機嫌が悪そうに挨拶をした。自分はこんなことを信じていないと、暗にいいたかったのだろう。
わたしは深呼吸をしてから「向こうの世界」を待った。すると誰かがやってきた。トニーの父親だ。「ロバート」と名乗ったトニーの父親は、息子にどうしても伝えたいことがあるという。
「お父さんがいらっしゃっています。何かとても大切なことを伝えたいそうです。そしてそのことをわたしがきちんと理解して、すぐにお伝えすることが大切だと。お父さんはベルトのことについて、本当に悪かったと謝っていらっしゃいます」
トニーは何もいわなかった。わたしは続けた。

 「お父さまが『向こうの世界』にいらっしゃって、自分の人生を振り返ったとき、あのときあなたが何をしていたのか、やっとわかったんだとおっしゃっています。そしてベルトのことは本当に悪かったと謝っていらっしゃいます。どうか許してほしいと」
トニーが静かに泣き始めたのがわかった。トニーの父親はそのできごとの詳しい様子を見せてくれた。わたしが「動画」と呼んでいる形で。幼いトニーが、自分の部屋のベッドに座っている。ドアは閉まっている。手にベルトを持っていて、それがトニーにとってとても大事なものだということがわかる。
このイメージをトニーに伝えると、トニーは少し落ち着きを取り戻して話をしてくれた。それまで誰にも打ち明けたことがなかった話だという。

1482シャンソン:2018/05/03(木) 20:52:28
>>1481

 ある一二月の寒い夜、七歳のトニーは、ボーイスカウトのミーティングに行った。そこで手作りできる革のベルトキットをもらった。父親へのクリスマスプレゼントにしようと思いついて、トニーはわくわくした。そのミーティング
トニーは一生懸命ベルトをつくった。模様を彫って、ベルトの穴を開けてバックルを付けた。そして家で仕上げようと思い、コートのポケットに隠して持って帰った。自分の部屋に入って、仕上げの作業をはじめた。夢中になりすぎて、毎日やる約束のお手伝いだったゴミ箱を外に出すことを忘れてしまった。
このお手伝いを忘れてしまったのは、はじめてではなかった。忘れると父親はいつも腹を立てたが、この夜はトニーの部屋まで足音荒くやってきて、かんかんになってドアを開け放った。父親はベルトに気がつくと、それをつかんでトニーを打った。ほんの数秒のことだった。けれどもこのことで、トニーと父親のあいだの大切な何かが、壊れてしまった。

「結局ベルトは父にあげなかったんですよ。ベルトのことを教えたこともない。でも、ずっとそのことで悲しかったんです。父さんを裏切ってしまったように思ったから」
トニーの父親がまたやってきた。「違う、裏切ってしまったのはわたしだ、そうお父さんはおっしゃっています。あのときはわからなかったんだと。でもいまはどういうことだったのかわかる、本当に悪かった、許してほしい。あなたのことを本当に大切に思っているし、素晴らしい息子だと思っていると」
わたしは涙をおさえるのに必死だった。それはこの悲しい物語のせいではない。トニーと父親のあいだに、美しい光の道がみえたからだ。トニーはこれまでずっと、傷を抱えて生きてきた。そしてその傷をいまやっと解き放つことができたのがわかった。父親と息子のあいだで素晴らしい癒しが生まれたのがわかった。父親が亡くなったあとで。

「父さん、もういいんだ。もう大丈夫だ。どうか、父に大丈夫だと伝えてください」深い愛情に突き動かされた声でトニーはそういった。
「わたしにいわなくても大丈夫です。ご自分で伝えてください。お父さんはいつもあなたのそばにいらっしゃいます。いいたいことをおっしゃれば、お父さんには聞こえます」
トニーは、受話器を妻に戻した。トニーが何度も繰り返しているのが聞こえた。「父さん、大丈夫だ。もういいんだよ。本当に大丈夫だ」

 このリーディングでわかったことがある。わたしたちと大切な人たちをつなげる光は、亡くなったあとも絶対に壊れることがない。その光は揺らぐこともない。それどころか強くなるのだ。
トニーとジョアンのリーディングで、人との関係は人が亡くなったあとでも広がり続けることがわかった。トニーの父親は、生きていたときはわからなかったことが、亡くなってからわかるようになった。わたしたちの考えや行動は、「向こうの世界」にいる人たちにとって
大きな意味を持つ。わたしたちの愛と理解で進み続けることを助けられる。

 わたしたちには、亡くなった大切な人を癒す力があるのだ。

 『魂の呼び声に耳をすまして』 ローラ・リン・ジャクソン 著

1483「考える」管理人◇日野:2018/05/03(木) 22:46:57
日蓮聖人は菜食主義者であったが、今の時代は日蓮宗・法華宗・日蓮正宗等の僧侶の多くは肉食をしているという。
中でも日蓮聖人を「大聖人」「末法の本仏」と呼んで崇拝している日蓮正宗の僧侶が肉食を行うのは不可解である、と思っていると、彼らは日興上人の次の言葉を肉食容認の論拠にしているようだ。

「先師の如く予が化儀も聖僧たるべし。但し時の貫首或は習学の仁に於ては、設ひ一旦の媱犯有りと雖も、衆徒に差し置くべき事。」(「日興遺誡置文」より)
<意訳>
「師の日蓮上人のように私も聖なる僧として(肉食禁止等の戒律を守って)きた。しかし、もしもその時の貫主や修行中の僧侶が一度戒律を破ったことがあったからといっても、そのまま門下にしておくべきである。」

要するに「私は日蓮聖人を見倣って肉食はしてこなかったけど、それが出来ない弟子がいても赦してあげよう」という程度の意味である。
元々、日蓮聖人の教えに「末法無戒」というのがある。
これは「今の時代は末法の世であるから、戒律を守ろうにも守れない人がいる」ということであり、日興上人の言葉もその延長線上にあるだろう。
だからと言って例えば「不殺生戒なんか末法の世にはどうせ守れないんだから、いくらでも人を殺してよいのだ」という意味ではない。
むしろ、日蓮聖人は「武士の家の仁昼夜殺生の悪人なり」と言われた。
つまり、戦闘を職業とする武士ですらも「悪人」なのである。決して「不殺生戒など守れないから無視しても良い」等という意味で「末法無戒」を言ったわけではないのだ。
それでは日蓮聖人は「武士は人殺しの悪人だから救われない」と言ったのかというと、そういうわけではない。日蓮聖人は次のように仰っている。
「阿闍世王は父を殺害し母を禁固せし悪人なり、然りと雖も涅槃経の座に来つて法華経を聴聞せしかば現世の悪瘡を治するのみに非ず四十年の寿命を延引したまい」
「法華経の心は当位即妙・不改本位と申して罪業を捨てずして仏道を成ずるなり」
どういうことか、簡単に要約するとこうなる。
「現象において父を殺して母を幽閉するような悪人であっても、『法華経』の真理を聴くと救われるのである。」
「『法華経』は現象的に罪を背負ったままの状態であっても解脱をなしうる(実相を顕現させる)功徳を持っているのだ。」
ようは「仮に親殺しの悪人であっても救えるのが『法華経』の教えである」ということだ。
日蓮聖人の立場からすると肉食は良くないことである、日興上人もその立場を引き継いでいる。
だが、日興上人は「親殺しの悪人であっても救えるのが『法華経』の教え」だという信念から「仮に私の弟子が肉食をしたとしても、その弟子を追放するようなことはしない」と言ったのだ。
「罪業を捨てずして仏道を成ずるなり」とは、深い宗教的真理が込められている。
このような日蓮聖人と日興上人の思いを無視して「肉食を禁ずるのは時代遅れである」と言わんばかりの言動を行うのは不誠実であろう。
ある日蓮正宗の信者はブログに次ように書いている。

「当然、末法無戒を宗是(しゅうぜ)とする本宗においても、この期(ご)に及(およ)んで、あえて肉食・妻帯をタブー視していく必要もなくなり、明治・大正・昭和と進んでくるなかで肉食・妻帯が通例化(つうれいか)してきたのである。」

これは日蓮聖人の教えを歪曲するものではないのか?
日蓮聖人はあくまで「肉食は悪業であるが、それでも『法華経』の真理で救われる」という立場であり、決して肉食を「通例化」すべし、とは言われなかったのである。

https://www.facebook.com/tomoki.hino.5/posts/1249605018502940

1484👼:2018/05/04(金) 22:49:23

 【インド哲学】 生長の家とは何だったのか
 https://blogs.yahoo.co.jp/indianphilosophy2005/folder/1261890.html

1485神の子様:2018/05/05(土) 00:12:24

  生長の家はカルト教団だと、お思いですか?
 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1261897752

1486質問:2018/05/05(土) 00:15:15

  生長の家の信者さんへ。入会を考えています。
 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13188645508?query=%E7%94%9F%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%AE%B6&amp;status=solved


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