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非武装信仰板
1430
:
転載
:2018/02/09(金) 23:46:57
個人救済から大衆救済 大乗仏教の始まり
人々が抱く禅のイメージとして、「宗教ぽさ」を感じることはあまりないのではないだろうか。
「宗教ぽさ」というのは、
「神に祈りなさい」
「神に祈りが通じれば願いは必ず叶います
(その逆に神に祈らないと不幸が訪れる)」
というようような感じでのものである。
(インチキ宗教ではよくありますね)
禅宗の教義があまり宗教的ではないことの理由として
もともと仏教は宗教ではなかった
であることが大きいと思う。
インド地方の王族の王子であったゴータマ・シッダルタは、家族を捨て、王位を捨てて、修行の旅に出た。
出家である。
なぜそのようなことをしたのか?
煩悩、苦悩や四苦八苦、六道輪廻から脱出するたためである。
*四苦とは生老病死の苦しみ。八苦とは四苦にあと4つの苦を足し たもの
*六道輪廻とは、人は死ねばそれで終わるのではなく、地獄、餓鬼 、畜生、修羅、人間、天上の6つの世界を永遠に巡るという古代 インドの思想。
ゴータマ・シッダルタは、死と隣り合わせの難行苦行を行い、やがて、菩提樹の下で悟りを開く。
解脱したのだ。
あらゆる煩悩、苦悩から脱出をしたゴーダマ・シッダルタは仏陀(悟りを開いた人の称号)として煩悩に悩める人々に、その境地を語り、悟りにいたる道程として、出家と修行を勧めた。
これは宗教ではなく、修行である。
煩悩から解脱するためには、家族も家も捨てなければならない。
これは、これでいいのかもしれないが、多くの人はこの方法で助かることは不可能である。やがて、
「実際に修行して悟ることは難しい。ならばいっそ悟った人を拝むことで、拝んだ人達も助かるということにしたらどうか」
という考え方が登場した。
これが大乗仏教の始まりである。
(多くの衆人を救うことができる仏教の意味。これに対してゴータマ・シッダルタが行っていた形に近いものを小乗仏教と言う場合があるが、これは蔑称である)
大乗仏教の登場で、仏教は宗教になり、多くの人を救うことができる(可能性が)生じ、世界宗教に発展することができたのだ。
禅宗は前の日記でも書いたように、仏陀の教えの言語化できないものを会得する、つまり、「悟り」を目指すのが、その第一目的である。
が、それだけでは、一般の人にはとうていできないし、禅宗は広く民衆には伝わらなかっただろう。
曹洞宗の日本での創始者・道元は徹底した出家主義であった。
それもそのはず、釈迦から始まり28代の達磨を経て、そして道元の師匠である天童如浄まで正しく受け継いだ「釈迦の教え」を、道元は悟ることによって正当に「受け継いだ」のである。
道元の教えは、
出家して修行して(座禅をして)悟ること
これのみである。
しかし、このような教えは、広く大衆に浸透するはずもない。
(今であれば、仕事を辞めて出家するなどというのは、普通の人には不可能なことであろう)
道元の曹洞宗は、時の権勢に結びついた同じ禅宗の臨済宗や、比叡山勢力から攻撃を受けた。
やがて道元の曹洞宗は滅びかける。
だが、永平寺は現在にも残り、多くの人々が参拝、参禅している。
そして曹洞宗は日本一の門下数を誇っている。
一体何が起こったのであろうか?
この疑問に答える前に、話は少し戻って、大乗仏教について。
究極の大乗仏教ともよべる、ある意味既存の宗教の極限ともいえる
宗派が日本にあったのである。
それは、浄土宗とそれに連なる浄土真宗、時宗である。
(つづく)
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