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生長の家傍流掲示板/別板1

116天の使い:2012/08/05(日) 07:00:50
>浄心行板80に自己レス

北方領土の件で、蛍の光の歌詞が思い起こされました:

「4番の歌詞の「千島の奥も沖縄も」は日清日露戦争のあとは文部省&ampampampampshy;によって「台湾の果て&ampampampampshy;も 樺太も 」と改変されたそうです。」しかし、一時世情の要請によって、台湾と韓半島を養子にしたんですが、現在ではそれぞれ独自の国家を作っています。

台湾は、今回の東北大震災に世界でも突出した200億円もの義援金を寄越して、育て親たる日本に過分の報恩感謝の情を示したのと正反対に、韓国は有りもしない従軍慰安婦を捏造したり、竹島を占拠して反日の奇声をあげているのは見事に対照的である。

全く、同じ養子兄弟であるのに、こうも違うとは。どっかの宗教教団にも同じような現象が見られるようである。

saya@日比谷「頑張れ!日本!」の集会にて:http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&ampampampampv=7uNpiLX_8WA

東京ソフィア混成合唱団:http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&ampampampampv=wFtkCIQ8TGI

117うのはな:2012/08/08(水) 13:50:12


1091 名前:神の子さん 投稿日: 2012/08/08(水) 10:50:21 ID:???

>>http://www.youtube.com/watch?v=MNVEYy-4XIc&ampampampampfeature=relmfu

和解は無理のようですね!

トップも擁護派も我が道を行く・・・・ああ!

118トキ:2012/08/08(水) 20:04:23
>>117

 うのはな様、少しお話をしましょう。うのはな様の好物は何ですか?

 私は、からあげ、とか、鰹のタタキが好きです。冬だとはっさくも。あまり好き嫌いはないです。

119トキ:2012/08/10(金) 20:37:23
 本板が、まもなくweb誌友会が始まるので、こちらに書きます。

 大阪教区で毎年、8月15日に開催されていた終戦記念日の戦没者慰霊祭が、今年は開催されない、という
話を聞きました。大阪の新天地という機関紙の月刊予定表に掲載されていないので、気がついたのです。単に
休館日にしてしまうみたいです。

 これは、自分は賛成できません。仮に大東亜戦争に否定的な考えを持ったとしても、戦没者を慰霊する事
は、別の問題です。ましてや、日本のために一命を捧げられた護国の英霊への感謝を怠るのは、間違っている
と思います。

 まだ、開催まで少し日があります。大阪教区の方々が、この件について、再考をして下さる事を期待して
おります。

合掌 ありがとうございます

120トキ:2012/08/10(金) 20:45:30
本板の組織板の
>>1026について

sakura様

 百万運動について触れるのは、実は、組織内のタブーになっています。スズメバチの巣を箒で叩くようなマネですから、
本来なら、私も触れたくないです。

 でも、それでは、あの運動が忘却されてしまいます。それも先達へ失礼だと思います。

 私の立場は客観的に検証する事が大事だ、という考えですが、それに異論を唱える人は多く、それも理由があります。
当然、あの運動の理想を大切にする人もいるので、それは否定する事はできないと思っています。

 sakura様にこだわりがあるように、他の人にもこだわりがあります。お互いに、それは大事にしたいですね。

では、今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

121志恩:2012/08/10(金) 20:50:15
>>119:トキさま

毎年開催されていた8月15日、終戦記念日の戦没者慰霊祭を、今年は、大阪地区は、
開催しないとは、どういうことでしょう。

これで、雅宣総裁先生が、タマゴの黄身は、変えないのだ、というのが、虚偽の発言だということが
わかりますよね。

122トキ:2012/08/10(金) 21:02:30
 たぶん、休館日にするために止めた、という程度の動機でしょうが、
残念な話です。

123さくら:2012/08/11(土) 23:46:54
本島、本流掲示板>>213
トキ様

たくさん説明いただいて、ありがとうございます。
すこし、わたしの把握の仕方に違いががあるように思いますので整理したいのですが。。
現教団がどのように説明しているか、というこは考慮せず、一信徒として主観的な把握です。

いまの組織の考える、「変化」について二つの側面を考えると、
「生長の家の教えの説き方、もっといえば教えそのもの」
「組織運動のあり方」
があるといえるのではないかと思います。
(ここで教えの変化とは、現教団がどのように説明しているかより、
現状信徒がどのように受けとめているかということを問題にしたいと思います。)

また(いろいろな立場があると思いますが)
信徒の二つの層を仮定しますと、
一つは、個人として雅春先生のみ教えを学び、生活の中で生かし、
そのための交流の場を持ちたい、という意識と、
もう一つは、そのみ教えをより集団的な活動として、組織活動として展開して社会に働きかけたいと考える意識に分けられるのではないか、と思います。

信徒の選択が自由、というのは、「教えの変化」について、
「個人として雅春先生のみ教えを学び生かしたい」方ではないかと思います。
いまの組織で、忠実な雅春先生の教えを学ぶことが出来ないのなら、
いまは学ぶ会やときみつる会などもあるし、情報など欲しければインターネットもあり、交流を広げられるし、
自分の求める意識さえあれば、個人の信徒としてそれぞれの選択はそう難しくはなくなってきているのではないかとおもわれます。
何を学び実践するか、それぞれ自由な選択をすればよいとおもいます。
信徒にとっては、聖典もどちらの組織といわず、読みたいものが手に入ればよいし、
「信仰の自由」の尊重で、信徒同士では善悪とか正偽を決めるようなことをしているより、互いに尊重しながらそれぞれ選択するしかないのではないでしょうか。
この層の生長の家の「裾野」が広がるのは、トキ様が書かれていたように、
よいことだと思います。
それぞれ個人の学びの自由の選択は、尊重はされるべきだと思います。

124さくら:2012/08/11(土) 23:47:28
二つめの、「組織運動のあり方」についてですが、これについては、個人の選択というより、
どんな組織であっても時代によって当然変化するし、むしろすべきものではないかとおもいます。
これこそ、社会に働きかけようとする組織なら、時代の流れを把握しなければならないし、歴史に学んだり、組織として外部に対応できるよう成長し体質を変えざるをえないことだと思われます。
だから、この点に関しては、旧態然として主張するのはどうかと思います。

また、宗教団体にとって大切なのは、宗教活動の本質はなにかということを考える必要があると思います。宗教組織はどういう運動を目指すべきかということです。
たとえば、政治活動や環境活動は、宗教の名を語って、宗教組織を利用して活動すべきことなのか、再考すべきではないかということです。
宗教的な信念をもっている個人が、たとえば政治を語ったり活動をしたり、また環境問題に取り組むのはよいことだと思いますが、それはそれぞれの目的に即した外部の団体に属して活動していけばよいと思います。
宗教組織の方針が偏ったものになれば、「犠牲」になるのは、実際、教えを信じて純粋な信仰を求めてきた信徒だということです。
「正しい教え」を持っている宗教組織であっても、「組織の方針」が別の方向へ行けば、
その教えを信じている信徒が間違った方向へ行く可能性が大きいといえると思います。
それはいまの組織の現状にもいえるし、過去の生長の家の歴史でも、
他の宗教組織の歴史にみることはできます。
これをタブーにしたり、善悪を判断したりせず、学ばなければならないことがあるということだと思っています。
どこの組織であるにかかわらず、考えるべきだと思うですが、どうおもわれるでしょうか。


どちらにしろ、「教えの変化」と「組織のあり方」では、考える視点が違うと思っているのです。
・・書いてあることは伝わっておりますでしょうか。

そして、トキ様が、「和気藹々とした関係」とは、どのような側面の、どういった状態についてなのでしょうか。
裁判上のことや、感情の行き違いなら、信仰以前にも社会的責任や大人の対応をしていただいいて折り合いをつけていただきたいものですが、

信じている「教えの違い」や宗教組織として活動信念の違いは、
なんでも一緒に「和気藹々」という訳にはいかないのではないかという気がします。
それぞれ尊重して自由を認めながら、別れることも、和解の一つかとも感じます。



125さくら:2012/08/12(日) 14:02:28
トキ様

返信くださるなら、誌友会終わって、どこでも構いません。

126トキ:2012/08/12(日) 18:44:06
さくら様

 ご返事が遅れて申し訳ありませんでした。今日は午前中、お墓参りの後、急用が出来て教化部へ行っていました。

 お墓参りの帰り、お寺の前に土産物屋があったのですが、向かい合わせに片方が「本家」○○屋、反対側に「元祖」
○○屋が営業しておりました。これは、昔から謎だったのですが、不思議なのは、両方とも喧嘩をせずに共存してい
るのです。で、それぞれにファンがいて、自分は「本家」贔屓だが、別の人は「元祖」贔屓とか、それぞれファン
も共存しているのです。
 おそらく、江戸時代か、それ以前に「本家」と「元祖」が分裂して、一時は対立はしたのでしょうが、今では
共存共栄をはかっているのでしょう。

 それで思い出したのですが、かって東大教授の偉い先生と飲んだ事があります。その時に、哲学を専攻している
人なので、宗教についてずいぶん質問を受けました。で、自分の信仰についての考えを説明をすると、その先生が
こんな事を言っていました。

 「中世のヨーロッパでは、カソリック教会が堕落して金儲けに走った。それに憤慨したルターがプロテスタントを
設立したが、そこで信仰の純粋性を維持するためと言って、カソリックの人間をどんどん殺していった。しかし、い
かに信仰の純粋性を守るためとはいえ、殺人は正当化できるのだろうか?」

(つづく)

127トキ:2012/08/12(日) 18:59:21
 この当時の宗教間の争いと対立については、スイスのあるヒューマニストが、

 「人を殺す事は、あくまでも人を殺す事であり、それは教義を守った事にはならない」

と喝破しています。教授のこの疑問は当然で、信仰の純粋性を看板に、全てが正当化される
訳ではないのです。が、同時にだからと言って、信仰を商売にしてはいけないのも当然です。
 自分自身、信仰者として、この質問の答えはまだ見つけていません。

 そこで、このカソリックとプロテスタントの対立に話を戻すと、カソリックはその後、自分達
の腐敗堕落が宗教改革を生んだ事を反省して、イエズス会などの運動を始めます。そして海外宣教
を始めます。まあ、この海外宣教も、当時の植民地獲得の手先だったという指摘はありますが、
ともかくも反省をした訳です。

(つづく)

128トキ:2012/08/12(日) 19:08:28
 すると、今回、こういう事になったのは、双方とも言い分はあるでしょうが、どちらが正しいとか間違っているとは言いにくいと
思います。自分自身も、組織運動を永年してきて、それは誇りですが、同時に反省点がない訳ではありません。運動をしている中で、
誰かを傷つけた事もあるし、後になって申し訳なく思う点も多々あります。そういう部分を無視して、本流復活派がどうの、とか
総裁がどうの、というのはあまり意味がないような気がします。

 率直に申しまして、私を含めた信徒全員が反省すべきだと思います。その結果、分裂するか、統合するか、わかりません。
が、真摯な反省がなされたら、自然と和解はなると信じております。仮に、分裂したとしても、本家と元祖が仲良く向かい合わせ
で「商売」をすれば良いと思います。

129さくら:2012/08/12(日) 20:30:26
トキ様

ありがとうございます。

わたしは常々気をつけているのは、例え話を持ち出されたときです。
一見分かりやすいので、ついついその場では、話の流れを分かっていただいたような
気になって、納得してしまいがちなのです。

でも、例え話は、ほんとうは難しいとおもっています。
その例え話の場合に当てはまるのが、この場合の側面と意味合いが違うのではないか、
他の側面からみたらどうなのか・・ほんとうは充分な見解が必要だと思うからです。
例え話を持ち出されたとき、そんな場合が多いので、気をつけて聞いています。

ですので、いつも、トキ様の上手な例え話にも、気をつけているのです・・笑。

カトリックとプロテスタント、
本家と元祖が仲良く「商売」。
これについても、わたしが書いた「教えの変化」と、「組織の変化」についての関わりが、
よくわかりませんでした。

トキ様は、とにかく宗教は、いろんな側面があって、
どちらが善いことで悪いことかを決めるのが難しい、と仰りたかったのでしょうか。
わたしもそのようなことを決めたい、ということではありませんでした。

130さくら:2012/08/12(日) 20:31:28
確かに、
トキ様が仰る、「純粋な信仰」というのは、難しいというのはわかります。
わたしは、この掲示板でも、「真の生長の家」という言葉が、自分の中で、ずっとひっかりました。
信仰も、「純粋であればよい」、と云うだけではないと思っています。
純粋だけの面からいったら、カルトも充分、純粋ですから。(生長の家の場合はまったく当てはまる事ではありませんが)
でも、使う方にも信念があるので、仕方がありませんね。

生長の家は、「考えることが出来る」宗教だと思っています。
考えることは、「多様性」を生みます。
違うものを理解しようと、考えることも出来るからです。
多様性は、生命にとっても生き残るための大切な法則ですし、進化、生長の形ですね。
対話も、なにも考えないものからは、生まれないと思います。
宗教も、「全体をみるような考え方」を、学んでいくことが大切だと感じます。
事が起こったときの「反応」を繰り返していては学ぶ機会を失ってしまいます。

131さくら:2012/08/12(日) 20:32:42
トキ様は、信徒全員の反省と書かれていますが、わたしもこの点は、賛成しています。
でも、何も考えない、無関心なことでは、なにも反省は出来ないと思います。
反省がなければ、また繰り返えされることがあります。
いままでだって、生命の實相があったのに、起こった問題ですから。

でも、先にも書いたように、組織に関係なく、雅春先生のみ教えを喜んで学び、
自分の生活に生かし実践していくことは、いいことなので、
この層が増えるとよいとおもっています。
それぞれの場所で、信仰を実践する多様性ある活動が生まれるとよいと思っています。

・・それにしても、聖教と「軸」がうまれた、いまの組織に対して、庇う手だて、
が、もう何もなくなったような気になりました・。



132さくら:2012/08/12(日) 20:41:13
P.S
トキ様

お墓参りや、教化部の急用などのご多用の中、
丁寧な返信を頂き、お相手していただいて、感謝しています。
なのに、例え話に気をつけてる、なんて、生意気なことを言って、
申し訳有りませんでした。
いろいろ考える機会を与えていただいて、ありがとう御座います。

わたしも先日、すこし早いお墓参りに行きました。
この時期は、先祖や日本に関わる霊に思いをはせて祈ることが
多い月ですね。

・・ありがとうございます。

135トキ:2012/08/12(日) 22:42:33
さくら様

 あまり良い文章でなくて、ごめんなさい。

 教区の立場では、あれしか書けないのは事実です。教区は本部の決定を受け入れる立場ですから・・・。

 しかし、教区の感性はあんなところかと思います。この点は、さくら様もよくご存知だと思います。

 先月の会議で、こんな話が出ました。

 私も含めて、もちろん教団側の人間ばかりが出席したのですが、その後に、本流復活派について、ある幹部がこんな話をしたのです。

 「分派は、数は少ないけど、正直、質という点では教団側よりも遥かに高い。もちろん、分派にも変なヤツは多いし、教団にもまだまだ優秀な
人材はいる。が、士気や能力、活動歴などを考えると、総じて分派は真面目で真剣だし、実績も実力もある人間が多い。信仰姿勢も尊敬できるし
教団で尊敬を集めていた人材が分派に行ったケースも多い。職員などは、安定した立場をなげうって分派活動をしているので、覚悟が違う。勉強
もしているし、行も出来ている。
 百万運動をしてきた人間が、その能力や経験を生かして活動をしているので、正直悔しいが、こちらでは太刀打ちできない。

 対して、教団側の活動者は、最近、質が落ちている。(以下、実例を挙げたが、省略)。士気は落ちているし、活動歴が浅い人が要職に
ついている場合は情熱はあるが、経験が浅いので、組織指導には無理がある。総じて、覚悟が違う。講師の中には、招神歌すらおぼつかない
人がいる。もちろん、優秀な人材が残っていて、そういう人が引っ張っているが、それも限界がある。

 そういう事情を本部は気がついていないと思う。こんな事をしていると、どんどん教団は衰退する。将来のためにも、早く和解をして
欲しい。」

 この話を聞いて、思い出したのが、沖縄決戦―高級参謀の手記 (1972年) 八原 博通という本です。

 著者は、沖縄を守っていた第32軍の高級参謀ですが、軍司令部としては唯一、生存しています。
著者の回顧では、当時、第32軍司令部の中では、公然と「和平をすべきだ」という声が出ていたと言います。
 つまり、この戦争は勝ち目がない、だとしたら、和平をすべきだ、という論法です。

 やはり、現場と本部では、感覚に差があるのは、どの時代でも同じかもしれません。

136志恩:2012/08/13(月) 00:07:00
トキさま

まだ「和解」を諦めておられないのですね。
雅春先生を大否定ばかりして、聖経「大自然讃歌」まで出してしまった雅宣総裁と、どうやって和解するのでしょう?

トキさまが「和解」をここで言われる度に、ぼろぼろ信徒が退会して行く足音が聞こえます。
いまや『和解の勧め」は
   『退会の勧め』に聞こえるようになりました。
みてくださいませ。
本流だって、ますます、掲示板をふやしているでは、ないですか。

137トキ:2012/08/13(月) 10:08:41
 和解は諦めてはいませんが、あの「新経典」はとても残念です。
部内に与えた衝撃を、本部は軽く見ていたのではないかと思います。

138うのはな:2012/08/14(火) 10:02:43

もともと大して業績よくなくても、現在事業環境悪化中で、と聞けば、
それまでは事業も絶好調だったのかと誤解する人が出て来るように、
和解はあきらめていませんが、というと、それまで、具体的に和解対策を
本部などに働きかけていたのか、と曲解する人も出てくることでしょう。

139神の子様:2012/08/14(火) 10:04:39
生長の家は和解以外にありません。

140初心者:2012/08/14(火) 11:09:19
>>137
トキ様

トキ様は「衝撃」という表現を、これまでも何度かもちいておられますが、どの
ような意味でもちいておられるのでしょうか。

現総裁は、もともとは高く評価されていたにもかかわらず、一連の失策行為に
よって「所詮はこの程度の器か」ということがバレてしまったという意味での
「衝撃」ということなのでしょうか。

それとも、もともとたいして評価されていないにもかかわらず、それが衝撃的で
あったということは、これまで思われていた以上にひどいということがわかった
ということなのでしょうか。

あるいはそれとも、「これまでとは路線がちがうではないか」という意味での
「衝撃」であったということなのでしょうか。

わたしは、現総裁がノーベル文学賞でもおとりにならないかぎり、現総裁に衝撃
を受けることはないとおもいますが、みなさま方は、いまさら何にたいして衝撃
を受けておられるというのでしょうか。

141うのはな:2012/08/14(火) 11:19:54
>生長の家は和解以外にありません。

だから何なんですか?ずっと和解しかありません、和解しかないと思っています。
和解してもらえませんかと念仏唱えてたら生長の家なのかな。
返信してもらわなくて結構です。

142トキ:2012/08/14(火) 13:26:13
>>140

 ご丁寧なお返事、深く感謝申し上げます。

 教区の会員は、従来、谷口雅宣先生が谷口雅春先生の決められた事を変更されても、
卵の黄身と白身に例えて、「谷口雅宣先生は、あくまでも谷口雅春先生の忠実な教えの
継承者。変えるのは、時代に即応して必要があるから。そして、変更する部分は、教えの
周辺部分であり、変えても問題がない部分だからです。」という説明を受けていたのです。

 ですから、総裁がなされる事を、あくまでも谷口雅春先生のご意志にそうものと思う
ように会員の多くは努力して来たのです。

 しかし、新経典は、教えの核心部分ですから、黄身の部分に当たります。こうなると、
従来、受けていた説明とは矛盾すると相当数の会員は思っています。実際、新経典を
機関誌で読んだとたん、会員の継続手続を拒絶する意思表示を事務局に電話をしてきた人
が何人かいました。

 ですから、お答えとしては、「これまでとは路線がちがうではないか」という意味での
「衝撃」だと思います。

 初心者様みたいな頭の良い人はそうでしょうが、教区の人間としては、結構、衝撃を
受けた人が多いみたいです。

143初心者:2012/08/14(火) 14:50:14
トキ様

よくわかりました。組織を離れているものからすれば、何が起きようとも実感が
ない、というだけでなく、問題となっている新経典や「軸(?)」とは何かという
ことさえ存じておらず、「衝撃」の意味をはかりかねておりました。

生長の家発祥当時の知性回帰路線を堅持するという意味では、総裁は、ご自身が
信ずるところを語りつづけておられさえすれば、それで十分であるはずですのに、
先行きの展開力が皆無といえる無用な取り組みを、意味もなくはじめられたようです。

事情は察しかねますが、現時点で言えるのは、「ご乱心」以外のなにものでもない、
ということだけです。ご返答をいただき、ありがとうございました。

144トキ:2012/08/14(火) 22:49:02
>>143

 お返事、ありがとうございました。少し考えてから、投稿します。

145トキ:2012/08/17(金) 17:10:27
>>143

>>事情は察しかねますが、現時点で言えるのは、「ご乱心」以外のなにものでもない、

 こちらのお返事も遅れてすみません。確かに、今回の「新経本」については、「ご乱心」だと思います。
もう、あれだけは、総裁を援護するつもりは全然ありません。
しかし、それ以外の部分については、単に彼だけの責任にできるのか、という気持ちはあります。

 現在の生長の家が質という面でも、数という面でも、惨憺たる状態にあるのは否定できません。
 で、今の生長の家では、谷口雅宣先生が絶対的な権力を握っているし、組織指導も全部、総裁の方針
通りにして、全部、惨憺たる結末になっているので、弁解ができないのも事実です。

 しかし、たまに総裁とは話すのですが、別にご本人は悪逆非道な人物、という印象はないです。
どうもとっつきにくい人だという印象はありますが、話せば分かる部分はあると思っていました。

 で、これは思うのですが、百万運動をしたような人達には、強引な組織指導を平気でする幹部も
いました。具体的な事は言えませんが,この点は、本島のsakura様が憤慨しているのも無理はない
と思います。だから、総裁がああいう方針を取られたのも理解はできます。

 が、いわゆる森田、安東先生の一派がいなくなったら、今後は、総裁が「暴走」を始めたのです。

 私個人は、これは、総裁がどうの、とか、森田、安東先生がどうの、というよりも、生長の家
政治連合以後の組織の体質を考えるべきだと思っています。その点はまだ宿題で、答えは出ていませんが。

 では、今後とも宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

146うめ:2012/08/18(土) 17:54:31
初心者様

「新経本」はなぜそんなに評判がわるいのですか? この掲示版の中だけであって
外では大いに評価されているのでしょうか・

初心者様はなかなか純粋な方かつ、公平な理論家のように
お見受けしますが、初心者様は「新経本」をどのように評価されているのでしょうか?

この掲示板をみて、素朴な疑問をかんじました。


よろしくお願いします。

147初心者:2012/08/19(日) 11:31:21
うめ様

じつはわたしは、新聖経についてはなにも知らないのです。なんやかんやと
いわれてますが、正真正銘の部外者なのです。ですからなにも知りません。

ただ、たとえ知らずとも、新聖経に超自然的な力を持たせることには同意
できないということを言っております。

148初心者:2012/08/19(日) 11:34:00
さくらちゃんへ

宗教のなかで語られている言葉と自分の考えとをひたすら一致させようとする
行為は洗脳とおなじですね。通常の洗脳は、他者が意図的におこなうものですが、
こうした洗脳は、自分で自分を洗脳するようなものですね。

宗教で語られている言葉や、そのときどきの自分がおかれた立場を相対化する
ことでしか、宗教にかかわることで生じる洗脳的要素は軽減できないという気が
いたします。もちろん積極的に洗脳されることを望む、という立場もありだとは
おもいますけど。

積極的に洗脳されたがっている人たちが、他人の洗脳をとやかく言うようなこと
があれば、これは問題であるのかもしれません。

男の女の話はおぼえていますよ。これはいつも話すことですが、男がつねに外に
出て、敵と戦い獲物を追いかけていたのにたいして、女はつねに内にこもって、
子育てや周囲のこまごまとした雑事に専念せざるを得ない環境で、それこそ
数百万年ともいえる長い年月を過ごしてきたということがいえますよね。

男にとっての真理とは、必要とあらば、悪魔的世界にでも降下してゆき、そこで
戦い、勝ち取るものでもあれば、獲物を追う狩人のごとく、狩るか狩られるかの
駆け引きのなかで手に入れられるものでもあったりいたします(「人間知」を連呼
する人たちなどを見てますと、真理を狩るよりも狩られてしまう人のほうが多い
ような気もいたします)。

女にとっての真理とは、日常の暮らしのなかで、すぐそこにあるはずのものなので
しょうね。触れようとおもえばすぐにでも手がとどく。これが女にとっての真理で
あるのかもしれません。

女はたしかに、周囲と自分とを同一化させて生きてこられたのかもしれませんね。
戦いや狩りの場で周囲と自分を同一化させることなど困難でありましょうけど
も、日常の暮らしのなかではそれほど難しいことではなかったのかもしれません。
そのぶん、自分と異なるものごとにたいする嫌悪感は、男よりも強いのかもしれ
ませんね。

149うめ:2012/08/19(日) 15:08:11
初心者様

お返事有難うございました。
感謝いたします。

150初心者:2012/08/19(日) 21:49:16
うめ様

お役に立てずに申し訳ありません。

153神の子様:2012/08/20(月) 13:56:46
呪詛はなさん、必死ですねwww

154うのはな:2012/08/20(月) 15:29:38
923 :「訊け」管理人:2011/07/25(月) 06:30:41

 信仰五歳児の分際でこんなことを書くと、まあ、生長の家が長い方に於か
れては感情的になってしまうと思いますが・・・基本に復(かえ)ることが
肝要なのではないでしょうか、最近そんなことを思います。

 たとえば和解に関してなのですけど、私は審判に満ち満ちた人間であった
わけなんですが、そして、そんな当時はなにをやっても気苦労が絶えなかっ
た次第なんですが、祝福行で救われたのです。それで今ではこの、元無神論
者で唯物論者だった私ですら、毎日毎日約940名の祝福行を行っております。
だいたい30分かかるのですけど、これをやるとかなり現象世界が良化される
のです。

 祝福リストはそれこそ、「こいつだけは許せない」という人も含んでいま
す。そうして毎日「○○誠魂位ィ〜」なんて唱えるわけなんですが、まあ何
故だか知らぬが、良い感じになってくるのです。そしてここで申す「良い感
じ」とは、自分が相手に妥協をすることなく、良い状況が生まれてくるとい
う意味になる次第です。
 ですんで祝福行、これを行えばたとえば、報復人事なんて起こりようがな
いと考えますけどね。

追伸

 わたしの〝敵〟は現在の金融政策担当者全員になる次第(笑)なのですが、
まあ彼らも祝福しますと、会社の財務が良化するので不思議です。それこそ
70回を70倍にしてポアしてやりたい竹中平蔵とか、小泉純一郎なんて連中で
も淡々と、「竹中平蔵誠魂位ィ〜」とやるのです。そうすると不思議なこと
が頻発するようになるのです。

 ホント、この祝福行の効果を目の当たりにするたびに私は「谷口雅春先生」
という方の偉大さ(=完璧さ)に、ただただ驚嘆するばかりという・・・

余談

 祝福リストはこの掲示板や本流掲示板、そして弊ブログの全投稿者も含ん
でおります。雅宣総裁や純子先生、貴康先生などまだお会いしたことのない
方も含んでおります。これを多数で行えば、つまりこれが冒頭述べた「基本
に復(かえ)ること」になるのですけど、基本回帰するだけで生長の家、
「大調和になるんじゃないの?」と思えてならないのですけどね。
 ここの掲示板投稿者の方々だけでも、やりません?(笑)雅春先生は「12
名が本気で祈れば、国家すら良化できる」と断言されておられるではありま
せんか。いまの私はこの御言葉、真顔で信じていますけど、いかがですかね、
皆さん。

155うのはな:2012/08/20(月) 15:31:40
>>154

それならどうして、各生長の家の掲示板から嫌がられ、事業悪化し、ウェブ誌友会では
ことごとく人の迷惑になり、責任とって司会を降板するなんてハメになったのでしょうか。

156うめ:2012/08/20(月) 23:53:19

「訊け」管理人様

祝福リストで祝福するやり方教えてください。

竹中平蔵誠魂位ィ〜はたけなかへいぞうの後何と読むのか教えてください。

ィ〜というのはどういう意味か教えてください。

ぜひ私もやりたいです。

最初は神招歌ですか? 最後はみすまるの歌ですか?

全部の文言教えてください。
お手数すみません。
                    合掌

157「訊け」管理人:2012/08/21(火) 07:28:18

>うめさま

 初めまして、よろしくお願い致します。以下で「祝福祈願」の方法を謹写致します。



<祝福祈願>

1、 只今より祝福祈願の実修を始めます。
2、 實相礼拝
3、 招神歌

――天地の創り主にましまして、我が産みの祖親にまします神よ。あなたの無限の愛と智慧と生命とを豊かに我等一同の上に流れ入らしめ給え。神の愛をもって全人類を包み給い、神の智慧をもって生活を正しく導き給い、全人類が神に於いて互いに兄弟姉妹であることを自覚せしめ給え。世界に平和を、人には健康を。生活には美と豊かさを与え給え。特にこのゆにはに集える人々、並びに祝福祈願せる人々をとりわけ愛し給いて、それぞれの願いを速やかに成就なさしめ給え。神はすでに我等の願いを聞き給うたことを感謝致します。有り難うございます。有り難うございます。

(祝福祈願の人々の名前を読み上げていく。)

○○○誠魂位(せいこんのい)
○○○誠魂位


 神の愛の御光により、全ての人々の罪は許され、全ての人々の迷いは消滅したのである。
 實相顕現心願成就、
有り難うございます。有り難うございます。



4、 会員拡大の祈り
5、 宇宙浄化の祈り

 住吉大神 出てまして宇宙を浄め給う。アーオーウーエーイー
 住吉大神 我が日の本を浄め給う。アーオーウーエーイー
 住吉大神 ここに集まれるすべての人々と祝福祈願せるすべての人々の生命を浄め給う。アーオーウーエーイー


6、 住吉大神すべてを浄め終わりて 天照大御神出てましぬ。

 天照す御親の神の大調和の 生命射照し宇宙静かなり(二回)
 二拍手。終わり

7、 實相礼拝

 これをもちまして祝福祈願を終わります。




158うのはな:2012/08/21(火) 11:30:21
 トキ管理人傍観黙認の下、病人のためだといって女信者に多大な精神的苦痛を
あたえた訊け管理人さんは、それでその病人さんは快癒したのでしょうか。

 自分の利だけしか祈っていない人っていうのは、判る人にはわかります。

159うめ:2012/08/21(火) 23:25:49
訊け管理人様

「祝福祈願」の方法お教え頂き感謝申しあげます。
早速やります。
成果が出ましたらお知らせします。

有難うございました。

160解説者:2012/08/22(水) 09:46:03
>>154
うのはなさん、すばらしいコピペをありがとうございました。

> 祝福リストはこの掲示板や本流掲示板、そして弊ブログの全投稿者も含ん
でおります。雅宣総裁や純子先生、貴康先生などまだお会いしたことのない
方も含んでおります。これを多数で行えば、つまりこれが冒頭述べた「基本
に復(かえ)ること」になるのですけど、基本回帰するだけで生長の家、
「大調和になるんじゃないの?」と思えてならないのですけどね。
 ここの掲示板投稿者の方々だけでも、やりません?(笑)雅春先生は「12
名が本気で祈れば、国家すら良化できる」と断言されておられるではありま
せんか。いまの私はこの御言葉、真顔で信じていますけど、いかがですかね、
皆さん。

「基本に復(かえ)ること」
生長の家が本来の大調和の姿を顕すキーワードだと思います。
ちなみに私、生長の家の本来の姿は、愛国運動にあるとは思っていません。
人や物、事、ひいては国や世界の実相を拝み、
それを顕しだしていくのが生長の家の本来の姿だと思います。
早速、私も多くの人々を祝福礼拝させていただきます。

感謝合掌。

161うのはな:2012/08/22(水) 10:39:04
727 名前:トキ 投稿日: 2012/08/21(火) 22:02:17 >>725

 ありがとうございました。本板に挨拶/質問板があります。そちらも宜しくお願いします。

162うのはな:2012/08/22(水) 15:51:40

訊け氏は谷口雅春に訊けブログ内女神の部屋ほかいくつかの不調和なものを
つくっていますが、その女神の部屋規約違反の何人かを書き込み禁止にします。
彼らには天謀が下るなどと書いていました。その後もリサ「さんだとかいろいろな人が
書き込みしていましたが、かれらは書き込み禁止にはならなかったようです。

無責任な訊け管理人にも落雷が落ちたらいいと思います。

  宇治にて http://youtu.be/hK-mMuP7gtM

165うのはな:2012/08/22(水) 19:09:34

うなぎのぼりブログのこともあるし、しばらくここの版から遠ざかったほうが
いいように直感します。わたしが。 訊け氏は気取ってまた専用の欄でもつくりましょうかと
いってましたが、やっぱりおかしな人だなと思いました。

 でも今度つくるとしたら、虹の女神 でお願いします。

  http://youtu.be/0MnzvKXfNfA

166解説者:2012/08/22(水) 19:33:00
「訊け」管理人様

>でも今度つくるとしたら、虹の女神 でお願いします。

よろしくお願いいたしますm(_ _)m

167神の子様:2012/08/22(水) 19:58:40
【改訂版】 生長の家 宇治 宝蔵神社盂蘭盆供養大祭で落雷が直撃!
http://www.youtube.com/watch?v=hK-mMuP7gtM

168トキ:2012/08/22(水) 20:24:10
うのはな様、他人の不幸を祈るのはよくないですよ。
私はうのはな様の幸福を祈っています。

169うのはな:2012/08/22(水) 23:00:17
 あっ、自分はいやでも他人の文の引用はしまくる、
さすが「訊け」のものまねやるだけのことあるな!

 でも冗談は通じないみたい、、、 笑う。

 ここみてるとついつい反論したくなるから、なるべく見ないように
 これから心がけます。
 不運続きの経営者のブログでからかわれた「うなぎ」のぼりなブログのためにもね。
 
 トキさんの不倫がばれないように、わたしも祈ってますよ、笑いながら。

170トキさん訊けさん:2012/08/23(木) 10:51:36
トキさん訊けさんトキさん訊けさんトキさん訊けさんトキさん訊けさん

171神の子様:2012/08/23(木) 14:47:26

>>無責任な訊け管理人にも落雷が落ちたらいいと思います。<<


 馬から落ちて落馬してしまいましたね・・・・

172トキ:2012/08/23(木) 15:35:32
>>169

ギクッ!! どうして知っているのですか・・・・というのはウソです。(笑)

173トキ:2012/08/23(木) 16:05:33
ご利用者の皆様へ

 いつもこの掲示板をご愛用下さり、ありがとうございます。

 突然ですが、この掲示板に「男性限定」板(仮称)を作りたいと思います。

 現在、本板には、「女子会」板がありますが、男性専門の板はありません。

 そこで、同じ男性の投稿者同士が情報交換し、励まし合う板を作ろうと思います。皆様のご意見も拝聴の上で、特に異論が
なければ、数日後に設置するつもりです。よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

174うめ:2012/08/25(土) 01:18:08
トキ様

いつも大変有難うございます。
この掲示板大変ありがたく拝見しております。

さて、本家と元祖というのがよくわからないのですが。
本家と元祖は同じでは?なんて思いますが
ちがいを教えてください。

         合掌

175トキ:2012/08/25(土) 09:30:24
>>174

 私も考えた事はないのですが、たぶん、形式的な正当性を主張する場合が「本家」で
実質的な正当性を主張する場合は「元祖」になるのかな、と思っています。

176うめ:2012/08/25(土) 13:55:55
トキ様

回答有難うございました。

私も今後、この概念で考えます。

それなら前に言われたトキ様のお説理解できます。
ありがとうございました。

           合掌

177goro:2012/08/28(火) 15:56:42
>>174 うめ様

本家と元祖について

 本家は一門・一族の主となる家筋または大本の家筋のことで
元祖はある物事を最初に始めた人、あるいは、
 物事の始まり、創始者の事を云います。

 店舗などの場合、 
 本家○○屋は創始者の正当な後継者。
 元祖○○屋は最初に始めた人または店。

店舗などの場合は正確な意味付けで
使用されていない場合が多いように見受けられます。

以上のような内容でご理解ください。

178うめ:2012/08/30(木) 22:05:34
goros様

合掌
ご教示有難うございました。
よくわかりました。
    合掌

179神の子様:2012/09/05(水) 21:36:37
goros → ×

goro → ○

180うめ:2012/09/07(金) 14:38:53
神の子様

合掌

私の打ち間違い、訂正くださり有難うございました。

goro 様 誠に失礼いたしました。すみません。

合掌

181goro:2012/09/07(金) 15:45:50
>>180 少しも気にしていません。
 うめ様も気にしないで下さい。

182神の子様:2012/09/07(金) 19:29:22
うめさま
訂正したのは、私ですよん。

183あかさたな:2012/09/07(金) 19:48:48
>>182
間違いに気付いたのは偉いけど、ウメさまは、ちゃんと神の子さまに御礼を言われています。あなたは、何故そんな事を書くのですか?

184goro:2012/09/08(土) 00:34:36
>>182
 だから?

185うめ:2012/09/08(土) 00:48:35

神の子様

私の間違いを、神の子様が訂正してくださり、誠に有難うございました。
感謝申しあげます。

         合掌

186神の子様:2012/09/10(月) 17:35:02
646 名前:うのはな 投稿日: 2012/09/10(月) 17:28:02 ID:2lPhm8Goしつこいから、こっちにも掲載しましょう。

 1331 名前:神の子さん 投稿日: 2012/09/10(月) 16:46:24 ID:dqizEBmE


>>1307←訊け様から「王様の耳はロバの耳様」への文  挨拶版です。

187とまどうペリカン:2012/09/15(土) 14:22:34
 宇治の永代供養を申し込むと、以前は『五部経』か『霊供養入門』が
いただけましたが、もう『五部経』はないようですね。
代わりに『真理の吟唱』をお送りするとか。

友人は自分の「生前永代供養」をずいぶん前に申し込んでおりますが、
生前は総本山に誠魂を奉安し聖経読誦 を毎日していただき
亡くなると宇治に移されるのですね。
でも、総本山ではもう、「新経本」が読まれているのでしょうか?
もしも宇治でも「新経本」が読まれだしたら、と大変恐れております。
ご親族の永代供養も沢山されていますので
ご先祖様に申し訳ないと泣いています。
『甘露の法雨』が読誦されなくなるのなら、すべて引き取るつもりも
あるようです。

純粋な信徒さん達は、とてもとまどい、悲しんでいるのです。

 悲しいニュースはもう嫌です。
http://www.youtube.com/watch?v=8PHZ6maPKGM

188神の子様:2012/09/15(土) 16:45:29
うめさま
ご丁寧に。ども.

189ダチョウ:2012/09/15(土) 17:09:33
とまどうな!! ペリカンさん!!

大丈夫なんだ!! 大丈夫だぁ〜〜〜!!  絶対に!!  絶対だ!!!

どう大丈夫かって??   霊界には『谷口雅春先生』がおられるのです!! 高弟が現界より多くいて大光明化運動をして下さっているはずですから、今霊界が浄化されているから

ここ現象界にいろいろな「悪現象が現れて消えるのみ」です。 現象界は霊界の写しを生きている と教えて戴いたではありませんか??

今、谷口雅春先生達が、生きて大運動しているから現象界がどんどん浄化していっているのですよ!

消えていっているのですから、 感謝!! 感謝!!

必要があれば、また、谷口雅春先生がこの現象界に生まれで、また私たち信徒を助けに来てくれますよ!

今、ご先祖さまと谷口雅春先生は一緒にいらっしゃいますから!!!  喜びましょう!! 絶対に大丈夫です!!

190ダチョウ:2012/09/15(土) 17:18:16

 新経本と言ったって たいした効能もなければ、害もないと思いますよ。

 偽者は消える運命にあるのですから、新狂本のことなど、気にも止める必要もないと私は思います。

 ニセモノはやがて消えるべき運命と  真理の吟唱か神示にかいてありますよ!!

 われわれは永遠の生命を生きて行くのですから、新狂本の時代などTVドラマに入るほんの少しのテレビCMの時間のようなものじゃないですか? 非常に邪魔ですね・・・CMって・・・

191ダチョウ:2012/09/15(土) 17:30:27
泣いていては、せっかく谷口雅春先生に「人間は神の子」と教えて戴いたのに

谷口雅春先生に申し訳ないと思いませんか??  先生は明るく愛深く生きて行かれることをお祈り下さっていますよ!!

今、目に見えないからと言って谷口雅春先生は消滅したと思ってはなりませぬぞ〜〜〜!! いつもいつも肉体が無くなったその日から毎日私達信徒を愛しつづけて
毎日ご愛念を送って下さっています。 それをしっかりキャッチして(受け止めて) 自分の今なすべき使命を邁進していきましょう。  目に見えない世界の方が本当の世界です!!

雅宣先生の仮の姿に引っかかって悲しんでいないで、自宅を開放して「生命の実相」 勉強会を開催しよう!!!!

がんばろう!!!  笑え〜〜〜!! 笑え〜〜〜!!!

次は笑うペリカンで出てきてください!!!

192ヒポポタマス(カバ):2012/09/15(土) 22:28:17

 訊けさん に対抗して、あたしの 詩歌

  ♬ 運のいい ヒポポタマス ♫

 運のいい ヒポポタマス
 とっても ついてる ヒポポタマス

 ラ〜〜〜
 ララ〜〜ラ〜〜〜〜

 月曜日 めでたく生まれたよ
 火曜日 だんだんでかくなった

 水曜日 きれいな 嫁さんもらった

 運のいい ヒポポタマス
 とっても ついてる ヒポポタマス

 木曜日 うれしくて 逆立ちしたら
 金曜日 スマタポポヒ になっちまった
 土曜日 バカ に なっちまった

 運のいい ヒポポタマス
 とっても ついてる ヒポポタマス

 日曜日 もう一度 逆立ちしたさ

 もとに もどった ヒポポタマス
 とっても ついてる ヒポポタマス

 シオン・ヒポポタマス

193ヒポポタマス:2012/09/15(土) 22:41:10
ひさびさに 男役で 唱ってみた ヒポポタマス

また、あちらの掲示板の人に,アホぞろいって言われそうだぜ。

194神の子様:2012/09/16(日) 07:14:08
何だ何だ、この衝撃的な詩は!
誰か有名な人の作詞?
まさか、志恩さまのオリジナルじゃないよね?!

195蘇我のイルカ:2012/09/16(日) 07:39:47


 いやこれは、志恩さま作品ではないですね。ここまで突き抜けたバカッぷりはもう、「都の西北、早稲田の隣」です。ええ、バカ田(赤塚不二夫学長)の校風を感じる次第ですんで、志恩女史芸風とは、違うものと判断します。

 ということで、月曜に生まれ、水曜には女を知るこの生き物に敬意を表し、「バカ田健児よヒポポいけ」

196神の子様:2012/09/16(日) 09:03:46
またまた訊け氏の自演w

197神の子様:2012/09/16(日) 09:26:08
196は自演という新しい言葉を覚えて、使いたくてたまらんのや。
大目に見て、こらえたってな。

198神の子様:2012/09/16(日) 15:06:18
&ampampampampgt;&ampampampampgt;194
訊けの自演に決まってるじゃんw

199神の子様:2012/09/16(日) 16:45:32
>>194 = >>196 = >>197 = >>198



終了

200「訊け」管理人:2012/09/16(日) 18:56:45


 皆さんは私を「ふざけた野郎だ」と申されます。まあそれは、認めましょう。

 でも、皆さんのふざけっぷりもまあ、なかなかのレベルですよ。

 私と誰が同一人物なのか・・・・生長の家の未来に関係するとお考えでしょうか。
 そんなに過大評価されちゃいますとこの部外者、また調子に乗りますよ。




201うのはな:2012/09/16(日) 21:21:32
 実は「みなさん」というほど、多くの人は関心もっていないのです。

202うのはな:2012/09/16(日) 21:25:07
1530 名前:うのはな 投稿日: 2012/09/15(土) 12:41:45 ID:SgYy8hFw
訊け管理人さまへ

 あなたは部室版でも出入り禁止要請がでるほど、過去にも今の3版でも
問題になっているし、以前、うのはなに貴女は歴史にお詳しくないようなのでと
決めてかかりながら薩摩藩について補足説明しますとか、要望もないのに勝手に
薩摩藩の話など書き出してきました。

そのような経過から、今後薩摩藩の話は続きは別版などでなさってください。
個人的には恥しらずの田舎サムライはいりません。

203神の子様:2012/09/16(日) 22:19:19
&ampampampampgt;&ampampampampgt;201
うのはなさんその通りです。鋭い!

204うの:2012/09/17(月) 14:14:35

 知らない人のために!そうだったのか!「生長の家教団」正式表明

 http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&ampampampampmode=res&ampampampamplog=2052

205初心者:2012/09/23(日) 12:30:39
役行者様

>現象世界とは、三界の世界のことかと存じます。
 この世、幽界、霊界でしょう、いま、甘露の法雨解釈が手元にないのではっきりとはかけませんが、霊界等を含め、念が具象化した世界が現象界かと思います。
 ですから、五感の世界は越えているかと存じます。

わたしの理解では「あるのは実相だけ」ということのようですから、現象と見えて
いるものも本当は実相であると、生長の家では考えるのでしょうか。

実相を念のレンズでゆがめて見るために、不完全な出来事として見えているだけ
で、たとえ三界であっても正しく見れば「ここは実相世界」ということになると、
こういうことなのでしょうか。

「念が具象化した世界が現象世界」ということは、念の具象化によって、実相を
現象として想像的に見ている世界が現象世界であると、このような解釈になる
ということなのでしょうか。

206初心者:2012/09/23(日) 13:21:42
元本部職員s様

>ということは、生長の家の会員ではない、ということですね。
では生長の家と全く関係ない外部の者が雅春先生を否定するようなことを書かれている、
ということであるならば・・・
ここの掲示板の趣旨に反することをしているということにもなりますね・・・?
それが許されているとしたら、トキ様も初心者様がとても面白く為になる書き込みを
され、この掲示板を盛り上げてくれる、お一人として認めていらっしゃるのでしょうね^^

どのあたりが趣旨に反している可能性があるのか、具体的に述べていただければ
助かります。

今回のように「雅春先生の教えのどこが間違いであるのか、それを述べて欲しい」
と要請されたケースについてはどうなのか。このあたりの見解についてもお聞か
せいただければありがたく存じます。

>つまり、この宇宙原理「ブラフマン」と個体原理「アートマン」が本質において同一であると、
瞑想の中でありありと直観することを目指すのが梵我一如の思想である。と、
これによって無知と破滅が克服され、永遠の至福が得られるとするのですね。
梵、すなわち「ブラフマン」と我、すなわち「アートマン」が同一であることを知ることにより、
永遠の至福に到達しようとするということで宜しいでしょうか?
ということは、人間は久遠生きとおしの生命という生長の家の真理と一致と考えて宜しいですね。

そのとおりです、「ありありと直観」できれば、書かれた文字をくり返し読まずとも、
永遠かどうかはわかりませんが、長期にわたる至福が約束されるということです。

梵我一如とは、宇宙がホログラムであることと等価です。生長の家の真理と
はたして一致しているといえるのでしょうか。

>〈無限小と無限大はおなじである。とか、これはサイズがないからなのでしょうか。
 ちがいますね。サイズの測り方に2通りあるからです。ただしサイズを測るのは人間ではありません〉
と云うまるで何か別世界から来た方のような発想にとても面白く感じております。
つまりサイズを測るのは人間でなければ、やはり゛神゛ということでしょうか?

「別世界から来た方のような発想」ではなく、これは現代物理学の考え方である
と理解しております。それが神であるのかどうかはわかりません。

>生長の家人でもなく、ましてや、「生命の実相」の本も読んでいらっしゃらない部外者さんに
対機説法すれと云われても、らちが明かないような気が致します。

対機説法とは相手にあわせて説法するという意味ではなかったのですか。
『生命の實相』を読んでいないような相手ではラチがあかない?
生長の家に属していて『生命の實相』を読んだ人だけを相手にするということですね。

>〈いまでも気が向けば、いつでも宇宙との一体感を満喫することができます。
 なんの苦労もいりません。すぐにスイッチが切り替わります。すぐにです〉
とのことですが・・・どのような方法で、そのような
いつでも宇宙との一体感を満喫することができますのでしょぅか?
詳細に教えて頂ければ有難いです。

宇宙との一体感が実現できていれば、ただ思うだけで至福の一体感が実現しま
す。特別なことはなにもいたしません。しいてあげれば、こららで何度か書いたこと
のある、ジュリアン・ジェインズのいうバイキャメラルマインドが実現されているの
ではないか、ということでしょうか。

「どのようにして実現したのか」と問われれば、「雅春先生の『無門関解釈』を精読し
たから」としか答えようがありません。予想としては「左脳の機能の抑制」がおこな
われているものと考えております。

ところで、「以上の質問、宜しくお願い致します」とのことですが、わたしの質問に
も答えていただければありがたく存じます。

207さくら:2012/09/23(日) 13:58:03
初心者さま

ありがとうございます。

あちらでは、返信頂いていたのに、申し訳ありません。
本流対策、頭だったもので、笑。

あちらで、さくらの苦し紛れの「量子スープ」発言を読んで下さったんですね、、
そういう細かなところが初心者さまの素晴らしいところですね、笑。

量子力学のことなんて、ド素人、全く門外漢で、そんな、数学的に厳密なことは、わかりません、
でも、仏教の色即是空とか、生長の家でいう、心でつくる世界とか、物質はないと言われることか、そういう宗教的真理が、証明されていくようですごいな、と思ったんです。
厳密な仕組みも分からず、そんなド素人の驚きだけです。

10のマイナス33以下の世界が、物質化される限界のサイズということですが、その物質化される境っていうのは、人間の意識では、区別がつかない世界ですよね。
わたしは、「実相と現象」と隔てて、一見、二元論的に解釈しているのは、「便宜上」であり、
本来は、この見えると感じる世界も、実は、本来無いというのは、量子力学的にも、真理的にも、全く矛盾なく真実なのではないか、と感じます。

つまり、この一見、見える世界にも、初心者さまがいう、「ほんものの宇宙」(生長の家でいう実相世界とは厳密に違うかもしれませんが、実相もまた、)は、溶け込んでいて、ありありといま「存在している」ということなのではないでしょうか。
だから、初心者さまは、スイッチという言葉をお使いになりましたよね。
生長の家でも、こころが変われば、一瞬のうちに、あらわれの世界がかわる、ということが起きています。
これが、人間の意識でとらえる、波動を合わせることだと理解しました。

物質化される仕組みについては、脳のホログラフィック理論などで、初心者さまも説明しておられました。

よく、祈ってなにもしてない、などと言われますが、とんでもないです。
人間の意識をどの波長に合わせるかで、実現する世界がほんとうに違ってきますから、ある面、祈りこそ実現力があるといえるとおもいます。

祈りとは、意識と捉えて頂ければとおもいます。


粒子が小さくなるほど、波動が細かくなっていき、物質化以前の世界というのは、あらゆる可能性や無限のエネルギーに満ちている訳ですよね。
それは、人間の意識されるまえの、流動した世界であると思うのです。

またその世界の「大きさ」の概念ですが、これは物質化された世界の概念とは、違ってきますよね。
つまり、この物質化された世界では、測れる長さなどで、判断しますが、物質化されないほど極小の世界は、無限の長さで測れる世界ととらえられ、
無限に小さく、無限に巨大であるともいえる世界になるのでは、とおもいます。

…時間の関係で、すごく大雑把で、よく読み込んでない書き込みで申し訳ありません。

とても、興味深い世界ですね。

208役行者:2012/09/23(日) 15:15:40

 初心者さま

 >わたしの理解では「あるのは実相だけ」ということのようですから、現象と見えて
いるものも本当は実相であると、生長の家では考えるのでしょうか。<

 私も生長の家だけで真理を学んでいる訳ではないので応えかねますが、違うと思います。
 生長の家でも少なくとも仏教界でも、現象はあくまでも、投影された世界であると考えていると思います。

>実相を念のレンズでゆがめて見るために、不完全な出来事として見えているだけ
で、たとえ三界であっても正しく見れば「ここは実相世界」ということになると、
こういうことなのでしょうか。<

 甘露の法雨解釈に書いてありましたが、実相の投影としての現象を真象といい、心の迷い、妄想のあらわす虚の現象を偽象というらしいです。実相が投影されている現象世界は、比喩的に「ここは実相世界」というのだと思います。ただ正確さには欠けると思います。
 あくまでも、念の投影された世界を現象世界といい、たとえ実相が投影されていようが現象世界には変わりはないと思います。

>実相を現象として想像的に見ている世界が現象世界であると、このような解釈になる<

 現象世界は投影させた世界なので、その奥に秘められている仏性を観る力が必要になってくるのではないかと存じます。
 その方の過去の集積(業)で表現された結果がいま、瞬時の人間として表現されています。ですから妄想の念が大半を占めている方の実相を観るのは大変な「行」かと存じますが、お釈迦様のように実相を体現して生きているような方の実相を観るのは比較的簡単かと存じます。
 真象を体現している方の実相は、表面に顕れているので、その方の仏性は比較的素直に観ることができると思います。ところが、現象界の酸いも甘いも知り尽くしたような方の仏性を観るには、「眼力」と「行」を必要とすると思います。かなり奥に仏性が隠されている訳ですから・・・

 現象界という投影された世界の本源が実相と思うのです。人間のエネルギーのルーツだと思います。実相そのものに業はないけど、その人間の過去(念)の集積が現象として表現されているのだと思います。

 人類で云えば、人類の今までの業が具象化していまの社会現象が表現されているのではないかと思います。
 ですから、実相をのみ現象として想像的に観ているならば、つまり、現象の奥に秘められた仏性のみを観ているなら、真象が啓かれてくるのでしょう。
 あくまでも真象が顕れていようがそこは投影された世界なので、現象世界であり、限りなく実相世界が表現された現象世界ということになるかと思います。

209元本部職員s:2012/09/23(日) 19:16:06
初心者様へ

>どのあたりが趣旨に反している可能性があるのか、具体的に述べていただければ
助かります。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&ampampampampmode=res&ampampampamplog=181

[ Ⅰ ] 生長の家根本教義の否定

1716 :初心者:2012/06/30(土) 11:46:57 ID:TfQ0e6RA

<<人間は神の子である。これは永遠に変わらぬ真理でしょうか。
ちがいますね。これは救済です。人間を神の子だと考えれば救済されることがある。
はっきりといえるのは、ただこのことだけです。・・・
「人間神の子」は、真理ではなく救済です。少なくとも、それが真理であるとする決め手は、
いまだどこにも見いだせてはおりません。

問題は、千年後も一万年後も、かりに人類が生き残っていたとしたときに、
「人間神の子」がなおも人類を救済する力を持つのかどうか、ということです。
人々の意識は時代とともに変化します。

真理の追究ということでいえば、ひたすら「超越項」のみで真理を語ろうとする雅春先生の言葉は、
もはやほとんど役に立つことはない、とわたしは考えます。
残る問題は救済です。今の時代にそれがどこまで通用するのか、これが大きな疑問です。

「真理は永遠に変わらない」。この言葉にあぐらをかいているあいだに、
時代はさらに先へと進んでゆくことでしょう。 >>

[ Ⅱ ] 開祖・谷口雅春先生の「お悟り」の否定

1740 :初心者:2012/06/30(土) 23:13:38 ID:TfQ0e6RA
「無の関門」とは言語の二項対立の問題ですよ。それを超えたところで、さてなにを得られるというのでしょう。
雅春先生は「真理を直接把握された」とありますが、その確証をあなたはどのようにして得られたのでしょう。

359 :初心者:2012/08/17(金) 15:52:54 ID:TfQ0e6RA
「解脱の手段は知識である」

58 :初心者:2012/07/08(日) 12:25:19 ID:TfQ0e6RA
倉田百三氏が語っておられたのが本物の宇宙であれば、雅春先生はそれを論破なされたのであるから、
本物の宇宙の問題は解決済み、との論法になるのでしょうけれども、
雅春先生が論破なされたというのはほんとうなのでしょうか。
「超越項」や「霊的直観」を持ち出さずに、論理だけで論破なされたのでしょうか。
雅春先生がもしも反証不可能な「超越項」や「霊的直観」を持ち出しておられたのであれば、
論破は無効と考える次第です。

[ Ⅲ ] 「實相独在」の否定

1738 :初心者:2012/06/30(土) 22:54:14 ID:TfQ0e6RA
第一あたしは、本物の宇宙の信者です。本物の宇宙は実在する、よって実相独在は間違いである、
ということを主張したいのでありますけどね。

157 :初心者:2012/07/12(木) 20:56:12 ID:TfQ0e6RA
問題があるとすれば、それは奴隷意識という枠組みのなかでしか雅春先生の教えが理解されてこなかった、
ということですね。「実相独在」という壮大なヴィジョンが打ち立てられていながら、
小市民的な欲望の充足に終始していたのはどういうことだ、って話ですね。
壮大なヴィジョンに見合った何ができるのかって話です。万教帰一、
人類光明化、日本国実相顕現とさまざまなことが言われてきながら、何が実現できたのかって話です。
実現できるのが『生命の實相』を護ることだけでよいのかって話です。救済とは、個人的な経験でいえば、
真理を味わい尽くすってことですね。真理の味わいは救済に勝るとわかれば、
真理に救済を求めようとはおもわなくなるのでは?

つづく・・・

210元本部職員s:2012/09/23(日) 19:16:58
[ Ⅳ ] 「實相世界」という言葉の否定

1747 :初心者:2012/07/01(日) 07:21:31 ID:TfQ0e6RA
本物の宇宙は存在します。雅春先生は、見せかけの宇宙のみをご覧になられて、
「現象なし」と宣言せられました。本物の宇宙の存在を雅春先生は見落としてしまわれました。
したがって、本物の宇宙にかんしての言及はいっさいなされていないというのが現状のようにおもわれます。

1754 :初心者:2012/07/01(日) 08:10:50 ID:TfQ0e6RA 訊け様
本物の宇宙と、雅春先生が説かれる「実相世界」はまったく別物なのですよ。
「実相世界」は、本物の宇宙にくらべて不完全すぎるような気がいたします。
雅春先生は、実相世界には光が存在すると、たしかいっておられますよね。
本物の宇宙には光は存在しません。光が存在するということは、
実相世界がそれだけ不完全であるということを示しているとわたしは考えますが、
実相世界にはほんとうに光が存在すると雅春先生は考えておられたのでしょうか。

[ Ⅴ ] 言霊(ことだま)の否定

310 :初心者:2012/07/20(金) 09:39:45 ID:TfQ0e6RA
言葉に意味はありません。言葉とは、いってみれば、月を見よと指し示す指先のようなものです。
指先と月は、ほんらいまったく関係がないものです。
言葉と真理のあいだに関係はまったくありません。言葉は真理を語っていません。
ただ「あれを見よ」と、真理のある方向を指し示そうとしているだけです。・・・
言葉に意味があると履き違えたところで、教義の絶対化が引き起こされ、
意味の不在を埋めるために信仰はイデオロギー化していきます。・・・
真理と言葉を履き違えたために、言葉にしばられるという現象が起きています。
雅春先生が語られた言葉以外の言葉には耳をかさない。こうした現象が起きています。
「実相円満完全」といってみたところで、この言葉に意味はありません。
この言葉は「べつの何か」を指し示そうとしています。
その「べつの何か」がわからなければ、言葉を絶対化し、暴走させるよりほかはありません。

[ Ⅵ ] 「体験談」(真理の証し)の否定

1722 :初心者:2012/06/30(土) 17:53:20 ID:TfQ0e6RA
そもそも救済とはなんなのでしょう。救済を欲する状態から抜け出すこと。
これをわたしは救済の条件にいたしたいとおもいます。
雅春先生の教えで、この条件は達せられるでありましょうか。
雅春先生の教えは、実際に救済につながっているといえるのでしょうか。
私が見るところでは、みなさま方は、雅春先生が書かれた文字に執着し、
いつまでたっても、その書かれた文字に救いを見いだそうとしておられるように感じられます。

128 :初心者:2012/07/10(火) 12:54:55 ID:TfQ0e6RA
雅春先生の教えによって実現された救済は、人々を奴隷状態から解放してきたといえるでしょうか。
むしろ実現された救済は、奴隷状態を居心地のよいものへと変えただけであるような気がいたします。・・・
いかに快適な奴隷生活を実現するか。生長の家では、このことだけが考えられてきたとおもわざるを得ない、
というのが経験的に得られた結論です。

357 :初心者:2012/08/17(金) 15:20:51 ID:TfQ0e6RA
「救済運動」の具体的なヴィジョンをお持ちなのでしょうか。
わたしは、新興宗教は、成熟した宗教となるために、「病気治し」を第一とする時期をすでに脱したとも考えておりますが、
いまだ新興宗教は「病気治し」を第一に取り組むべき時期にあるとお考えなのでしょうか。
「雅春先生は教えの問題点と限界をご存じであったのか」との問いであります。
教えの限界をまったく問題にすることなく、その完全無欠性や万能性を信じ込んでいるあいだは、
みずからの立場を相対化し、客観的に評価することなどけっしてできるはずもありません。
おのれの全能感に酔い知れ、大言壮語するのが関の山であり、
これが教えの絶対化やイデオロギー化の温床となる可能性さえあります。
役行者様は、教えの問題点や限界をひとりとして訴えるものがいないということを望まれますでしょうか。

[ Ⅶ ] 『御教え』への挑戦

1784 :初心者:2012/07/01(日) 14:00:36 ID:TfQ0e6RA
雅春先生の教えが正しいにしても、つけ加えることはまだまだいくらでもある、
ということは述べさせていただこうとおもいます。
わたし自身の体験からすれば、雅春先生の教えにとどまっているかぎりは、
これ以上さきへは進めないとする壁につねにさえぎられていたという気がいたします。・・・
正直もうしますと、雅春先生の教えだけでは限界があるということを感じます。

詳細の続きは下記にて・・・

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&ampampampampmode=res&ampampampamplog=181

211元本部職員s:2012/09/23(日) 19:17:54
>今回のように「雅春先生の教えのどこが間違いであるのか、それを述べて欲しい」
と要請されたケースについてはどうなのか。このあたりの見解についてもお聞か
せいただければありがたく存じます。

それは、初心者様が要請されて上記の内容を書かれたのであれば、例え雅春先生を否定している内容であっても、
要請されたのであれば致し方ないのではありませんか、私は反対陣営にいる方でも愛をもって接する主義ですので・・・

>対機説法とは相手にあわせて説法するという意味ではなかったのですか。
『生命の實相』を読んでいないような相手ではラチがあかない?
生長の家に属していて『生命の實相』を読んだ人だけを相手にするということですね。

対機説法とは相手にあわせて説法するという意味ではないと思います。
相手の素質・能力に従って法を説くこと、だと解釈しておりますので、

私如きが頭脳明晰な初心者様に対機説法が出来るわけもございませんし、
もちろん、例え『生命の實相』を読んでいないような相手であっても、その方の求めに応じて悩みを聞き、
今までも導いて来ておりますので、その点はやぶさかではございません・・・

私の力量の範囲内で相手の素質・能力に従って法を説くことが出来る相手であれば、
゛人を見て法を説く゛ことは可能かと思っております。

ただ、初心者様の素質・能力を垣間見まするに、私の力量の範囲以上と見てとった故の結論でした。
お気を悪くされたのなら謝ります。


>宇宙との一体感が実現できていれば、ただ思うだけで至福の一体感が実現しま
す。特別なことはなにもいたしません。しいてあげれば、こららで何度か書いたこと
のある、ジュリアン・ジェインズのいうバイキャメラルマインドが実現されているの
ではないか、ということでしょうか。

ただ思うだけで至福の一体感が実現できるとは凄いですね〜
ジェインズの仮説って、左脳には人類の心が棲み、右脳には神々が棲んでいたってことですね。

>「どのようにして実現したのか」と問われれば、「雅春先生の『無門関解釈』を精読し
 たから」としか答えようがありません。予想としては「左脳の機能の抑制」がおこな
 われているものと考えております。

「雅春先生の『無門関解釈』を精読されたとは !

素晴らしいですね〜(*^^)//☆パチパチ

予想としては「左脳の機能の抑制」がおこなわれているものと考えております。

ということは、神々が棲んでいる右脳の働きによって至福の一体感が実現できた、ということですね。

私には宇宙との一体感が実現できる方法は生長の家の神想観しか解りませんので・・・

御見それ致しました ! <(_)>

212初心者:2012/09/23(日) 22:04:00
さくらちゃんへ

>粒子が小さくなるほど、波動が細かくなっていき、物質化以前の世界というのは、あらゆる可能性や無限のエネルギーに満ちている訳ですよね。
それは、人間の意識されるまえの、流動した世界であると思うのです。

物理学者のデイヴィッド・ボームが主張した「純粋可能性の領域」、「直観知性の
領域」は、おそらくは「プランク長」以下の波動的世界についていっていたものと
おもわれます。

「直観知性」とは訳語でありますが、カントが神の思考を「直観知性」と呼んで
いたことをおもえば、「直観知性の領域」は神の世界に相当する領域であると
ボームが予想していたであろうことがうかがえる名称です。

「直観知性の領域」が「純粋可能性の領域」をつくりだし、「純粋可能性の領域」
からの影響が、「プランク長」を超えて、現象化可能な世界へと、オートポイエーシス
理論でいう「カップリング」という方式で及ぼされているものと考えます。

物質化以前の世界は、さくらちゃんがいっておられるように、「あらゆる可能性」を
秘めた無限エネルギーの世界であるということがいえるでありましょうね。そうで
あれば、現象化が可能である世界が、現象化が不可能である「純粋可能性の領域」
に秘められた「あらゆる可能性」のなかからどの可能性を取り出し実現できるか、
これが課題となるでありましょう。

これはあまりにも稚拙で大胆すぎる、ド素人の予想ですが、「ひも」はオートポイエ
ーシスであると考えます。「ひも」の固有振動が、「純粋可能性の領域」のどの波動
と同調するか。これによって現象化してあらわれてくる世界の様相は異なったもの
になるであろうと考えます(じっさいの出来事は、こうした予想を超えて、はるかに
複雑な様相を呈しているにちがいありません)。

>またその世界の「大きさ」の概念ですが、これは物質化された世界の概念とは、違ってきますよね。
つまり、この物質化された世界では、測れる長さなどで、判断しますが、物質化されないほど極小の世界は、無限の長さで測れる世界ととらえられ、
無限に小さく、無限に巨大であるともいえる世界になるのでは、とおもいます。

そうでしょうね。大きさと呼べるものがある世界とない世界とでは、サイズの測り
方がちがってくるということですね。「プランク長」以下の世界では、小さなもの
ほど大きくなるという、そういうサイズの測り方が採用されているはずであります。

213初心者:2012/09/23(日) 22:12:24
役行者様

人間は世界をどのように知覚し認識しているのでしょうか。わたしは、人間は脳の
なかで世界の映像をつくりだしていると考えています。これは脳科学の標準的な
考え方であり、実験や具体的なエピソードによっても、このことは証明されている
ものと考えます(こうした考え方に問題が残されているのはたしかなのですが)。

「人間は脳のなかで世界の映像をつくりだしている」というと、生長の家では
かならず否定されてしまいます。こうした考え方が否定されるとすれば、生長の家
では、人間が世界を知覚し認識する仕組みはどのように理解されていると考えれ
ばよろしいのでありましょうか。

このような質問をうっかりしようものなら、「そのように考えるのが人間知である。
ない世界の知覚も認識もない」と、このように答えられてしまうのがオチでありま
す。役行者様にかぎってそのような安易な回答の仕方はなさらないだろうと考え
て質問いたします。人間が世界を知覚し認識する仕組みはどのようなものである
と、生長の家では考えられているのでありましょうか。

おそらくは、客観的世界を人間はそのまま見ていると生長の家では考えるの
でありましょうけども、どうやれば外の世界をそのまま見ることができるのか、
この仕組みがどうしてもわからないのであります。

「現象はない」といわれる現象が脳内につくられた現象にすぎないとすれば、
雅春先生の教えは崩れ去ることにもなりかねません(外の世界については何も
語っていないからです)。生長の家が、現象は客観的世界でなければならないと
考える理由はここにあります。

であれば、人間はどうやって外の世界をそのまま見ているのか、この仕組みについ
て生長の家は説明しなければならないということになるはずであります。外の
世界をそのまま見ることは、はたして原理的に可能なのでしょうか。人間が外の
世界をそのまま見ることができるというのであれば、この問いに生長の家は答え
なくてはならないということになるはずであります。

「投影」の件は、この問題が解決してから考えてみたいとおもいます。

214初心者:2012/09/23(日) 22:46:23
元本部職員s様

過去の多くの書き込みを貼り付けていただいてありがとうございます。
ただこのように並べられても、どこが問題なのか判然としかねます。
書いてよいことと書いてはならないこととの境界はどのあたりにある
と考えればよろしいのでしょう。

「否定」といっても、それは疑問形であったり、「自分はこう考える」といった
程度の、個人的意見の表明であるのがほとんどであるようにもおもわれます
(断定形がありますが、これは議論の相手が断定形をもちいてきたために、
こちらももちいる必要があったためです)。

しかもほとんどが反論可能な形で述べられているようにもおもわれます。
反論できる形で述べられているのであるから反論すればよい。こうした
考え方は成り立たないのですか。

ここであえて「批判」という語をもちいますが、雅春先生の教えは批判には耐えら
れないので批判するなということなのでしょうか。このように言われるのであれ
ば、仰せのとおりにいたします。

>それは、初心者様が要請されて上記の内容を書かれたのであれば、例え雅春先生を否定している内容であっても、
要請されたのであれば致し方ないのではありませんか、私は反対陣営にいる方でも愛をもって接する主義ですので・・・

「上記の内容」は過去のものですね。わたしは、「今回のように要請されたケース」
と明記しております。過去の記述が要請によって書かれたものだとは、ひと言も
申しておりません。今回のように要請されたケースでの見解をうかがっております。

「過去にも要請があった」とわたしが主張しているがごとき方向へ誘導なさろうと
しておられますね。こうした誘導によって、いったい何を実現しようとしておられる
のでしょうか。

それと、「ここの掲示板の趣旨に反することをしているということにもなります
ね・・・?」とのことですが、少なくとも今回のケースにかぎれば、元本部職員s様
の要請によって、「教えのどこが間違っているのか」の論点で、正確にいえば
「書かされている」ということになります。

方向転換なさりたいようですが、それならなぜ、元本部職員s様は「述べて欲しい」
と要請されたのでしょうか。「雅春先生の教えはどこが間違っているのか、述べま
しょうか?」とトンチンカン様宛てに書いたのは事実です。もちろん、これが冗談で
あったことはおわかりでしょう。

元本部職員s様は、「口先だけで、どうせたいしたことは述べられまい」と、このよう
に高をくくられたのですか?「やれるものならやってみろ」。わたしには、元本部
職員s様がこのようにいっておられるように感じられました。

215ユタカ(神の子人間を生きよう:2012/09/24(月) 06:01:18
>人間は世界をどのように知覚し認識しているのでしょうか
人間は脳の
なかで世界の映像をつくりだしていると考えています。


初心者の人間とは 単に、肉体の機能のみを語っているから、つまらない。

人間の中にある目に見えない力について語ってみて! 人間の脳はツールだ!

ツールを利用して世界を認識する霊の話をやってみろよ、初心者よ!

それが分からないなら、雅宣総裁と同等のサルの脳みそレベル。。。自称哺乳類っだったしな。。。


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