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生長の家傍流掲示板/別板1
124
:
さくら
:2012/08/11(土) 23:47:28
二つめの、「組織運動のあり方」についてですが、これについては、個人の選択というより、
どんな組織であっても時代によって当然変化するし、むしろすべきものではないかとおもいます。
これこそ、社会に働きかけようとする組織なら、時代の流れを把握しなければならないし、歴史に学んだり、組織として外部に対応できるよう成長し体質を変えざるをえないことだと思われます。
だから、この点に関しては、旧態然として主張するのはどうかと思います。
また、宗教団体にとって大切なのは、宗教活動の本質はなにかということを考える必要があると思います。宗教組織はどういう運動を目指すべきかということです。
たとえば、政治活動や環境活動は、宗教の名を語って、宗教組織を利用して活動すべきことなのか、再考すべきではないかということです。
宗教的な信念をもっている個人が、たとえば政治を語ったり活動をしたり、また環境問題に取り組むのはよいことだと思いますが、それはそれぞれの目的に即した外部の団体に属して活動していけばよいと思います。
宗教組織の方針が偏ったものになれば、「犠牲」になるのは、実際、教えを信じて純粋な信仰を求めてきた信徒だということです。
「正しい教え」を持っている宗教組織であっても、「組織の方針」が別の方向へ行けば、
その教えを信じている信徒が間違った方向へ行く可能性が大きいといえると思います。
それはいまの組織の現状にもいえるし、過去の生長の家の歴史でも、
他の宗教組織の歴史にみることはできます。
これをタブーにしたり、善悪を判断したりせず、学ばなければならないことがあるということだと思っています。
どこの組織であるにかかわらず、考えるべきだと思うですが、どうおもわれるでしょうか。
どちらにしろ、「教えの変化」と「組織のあり方」では、考える視点が違うと思っているのです。
・・書いてあることは伝わっておりますでしょうか。
そして、トキ様が、「和気藹々とした関係」とは、どのような側面の、どういった状態についてなのでしょうか。
裁判上のことや、感情の行き違いなら、信仰以前にも社会的責任や大人の対応をしていただいいて折り合いをつけていただきたいものですが、
信じている「教えの違い」や宗教組織として活動信念の違いは、
なんでも一緒に「和気藹々」という訳にはいかないのではないかという気がします。
それぞれ尊重して自由を認めながら、別れることも、和解の一つかとも感じます。
拝
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