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生長の家傍流掲示板/別板1

148初心者:2012/08/19(日) 11:34:00
さくらちゃんへ

宗教のなかで語られている言葉と自分の考えとをひたすら一致させようとする
行為は洗脳とおなじですね。通常の洗脳は、他者が意図的におこなうものですが、
こうした洗脳は、自分で自分を洗脳するようなものですね。

宗教で語られている言葉や、そのときどきの自分がおかれた立場を相対化する
ことでしか、宗教にかかわることで生じる洗脳的要素は軽減できないという気が
いたします。もちろん積極的に洗脳されることを望む、という立場もありだとは
おもいますけど。

積極的に洗脳されたがっている人たちが、他人の洗脳をとやかく言うようなこと
があれば、これは問題であるのかもしれません。

男の女の話はおぼえていますよ。これはいつも話すことですが、男がつねに外に
出て、敵と戦い獲物を追いかけていたのにたいして、女はつねに内にこもって、
子育てや周囲のこまごまとした雑事に専念せざるを得ない環境で、それこそ
数百万年ともいえる長い年月を過ごしてきたということがいえますよね。

男にとっての真理とは、必要とあらば、悪魔的世界にでも降下してゆき、そこで
戦い、勝ち取るものでもあれば、獲物を追う狩人のごとく、狩るか狩られるかの
駆け引きのなかで手に入れられるものでもあったりいたします(「人間知」を連呼
する人たちなどを見てますと、真理を狩るよりも狩られてしまう人のほうが多い
ような気もいたします)。

女にとっての真理とは、日常の暮らしのなかで、すぐそこにあるはずのものなので
しょうね。触れようとおもえばすぐにでも手がとどく。これが女にとっての真理で
あるのかもしれません。

女はたしかに、周囲と自分とを同一化させて生きてこられたのかもしれませんね。
戦いや狩りの場で周囲と自分を同一化させることなど困難でありましょうけど
も、日常の暮らしのなかではそれほど難しいことではなかったのかもしれません。
そのぶん、自分と異なるものごとにたいする嫌悪感は、男よりも強いのかもしれ
ませんね。


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