① 物質面を中心とする経済成長は、地球環境にとっては悪である。と言いながら、その物質的経済成長による豊かな生活という果実を、自分自身は拒否せず喜んで最大限享受しているのであります。自然との共生に人生目標を置くならば、もっと徹底して文明の利器の使用を拒否して、自然との共生生活に入るべきであります。しかし、彼は決して原始的自給自足の穴倉生活や柴の庵の生活を送る勇気などは持ち合わせていないのです。
② “脱原発”を掲げるのは良いとしても、無責任な評論家態度の即廃止は社会的には受け入れられるものではありません。雅宣総裁は、真理面から観ての脱原発の根拠については何も言及せず、ただ放射能災害の危険性をいうだけであります。どうして、実行可能な具体的政策を伴なっての漸次的廃止論を言わないのか? 即廃止による大幅な電気料金の値上がりと日本経済のコスト上昇による庶民生活への影響、更なるデフレ経済の深刻化、さらに火力発電の増強による膨大なCO2の排出等の関連項目に関しては彼のブログを見る限り、完全黙秘であります。「漸次的原発廃止に代わる安全な代替エネルギー開発企業に、森のオフィス建設の150億円を政府を通して寄付し役立てて貰う」とは考えないのか? 森のオフィスは総本山の自然の中の建物で十分代替できるとは考えないのか? とにかく、雅宣総裁の脱原発論には真剣さと真面目さが欠けているのであります。金持ちのボンボンが自己顕示欲に駆られてアドバルーンを上げているだけで、本質に於いては無責任な発言をする評論家と何ら変わらないのであります。
③ 霊的文明が花開くためには、ある程度の物質文明の発展が必要である、という事には雅宣総裁は考え及んでいないのであります