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新・生長の家大論争掲示板1
3669
:
名無しさん
:2012/12/15(土) 21:26:11
★戦争の倫理的意義★ 谷口雅春
私は『大自然が催し、大自然がはかろうて自分をその境遇にまで追い寄せた現在の
生活』を百 パーセント完全に生きることが、生長の家の生き方であるといった。この
意味において『戦争』というものが吾々に課せられた場合には(現に課せられている
の であるが)それを完全に戦い抜くことが生長の家の生き方でなければならないので
ある。今与えられた環境から飛出すところの出家道は、否応の選択が働くので あるか
ら、戦争というものは魂の修養にならないというような価値判断がはたらいて、戦争
忌避や、敗戦主義に捉えられるおそれがあるが、生長の家では出征す る人にとっては
戦場が直に魂の修養の道場となり、戦争が直に吾々の魂を練るところの公案となるの
である。多くの人たちは戦争の悲惨な方面ばかり見ていて、 その道徳的、宗教的意義
を理解しない。そして動もすれば戦争を忌避するのであるが、戦争は実に真剣な、否
応なしに左右をいわずに、ただひたすらに至上命令 に従うところの激しき宗教的行事
なのである。しかも同時に、肉体の『無』を理屈でなしに実証するところの行事であ
る。かの天華の修行に天華の教祖渡辺薫美 が修行者たる一婦人に課したところの『千
仭の谷へ、今跳べ!』の必至命令の如く、否やの選択を許さぬ絶対命令と同じことで
ある。『爆弾を抱いて、そのまま 敵のトーチカに跳び込め!』これに対して、軍人は
ただ『ハイ』と答えて跳び込むのである。宗教の修行においては、たとひ教祖の命令
通り跳び込まなくとも、 『修行が足りない、まだ心境がそこまで達していない』位で
許されるだけに、それは修行の『型』をやっているだけである。また、その命令者が
教祖という個人 である。しかし戦争においては否応はない、言葉通り肉体の生命が放
棄せられる。そして軍隊の命令者は天皇であって、肉体の放棄と共に天皇の大御命令
に帰一 するのである。肉体の無と、大生命への帰一とが、同時に完全融合して行われ
るところの最高の宗教的行事が戦争なのである。戦争が地上に時として出て来るの は
地上に生れた霊魂進化の一過程として、それが戦地に赴くべき勇士たちにとっては耐
え得られるところの最高の宗教的行事であるからだと観じられる。
(『谷口雅春選集』谷口雅春著 潮文閣、1941年、302−303頁)
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