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音楽スレ(2021~ )

1korou:2021/01/01(金) 16:34:02
2020年までで938書き込み。
「名曲300選」の途中とはいえ
それは1000書き込みで完結しない見込み。
となれば、年の途中でスレが変わるのもどうかと思うので
新スレをスタート。

49korou:2021/03/13(土) 18:38:51
ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第11番”セリオーソ”」「同 第13番」を聴く。

「第11番」はこじんまりとしていて
特に”☆”をつけるほどでもなし。
「第13番」は結構理詰めで聴きやすいが
”☆”には今ひとつ魅力不足と感じた。
今回はここまで。

50korou:2021/03/16(火) 15:41:15
ベートーヴェン「弦楽四重奏曲 第14番」 「同 第15番」「同 第16番」を聴く。

14番までブダペストQで聴いて
たまたまの理由で15番、16番はブッシュQで聴いて
それぞれの推薦盤としていたが
今回、それらの曲を両方で聴いてみて
甲乙つけ難いことが判明。
あえて変更しないことにした。
ブダペストQのステレオ盤も
聴き直してみると悪くないことが判明。

ベートーヴェン「大公」を
ハイフエッツ他で再チェック。
やや重たい、単調な印象を受け
ナクソスで一番再生されている内田光子他の演奏で聴いてみたが
やはりこちらのほうが細部の繊細さが
録音の良さもあずかって鮮明に分かるので
今回、推薦盤を内田盤に変更。
この演奏なら、☆まではいかないものの
また聴いてみようかという気にさせられた。

51korou:2021/03/21(日) 15:06:41
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ「春」「クロイツェル・ソナタ」を聴く。

どちらも、シュナイダーハン&ケンプの演奏で聴いたが
「春」は文句なし。曲自体にもっとふくらみがあれば最高なのだが
まだ若書きなので仕方ない。
「クロイツェル」のほうは、やや物足りなく思えたので
別の演奏もチョイス。
結局、フェラスとバルビゼの演奏が
より緊迫感があってベートーヴェンらしく感じられたので
今回はシュナイダーハン盤に替えて、こちらをベスト盤にした。
いずれも二度と聴かないということはあり得ない。
ただし、ヴァイオリン・ソナタは苦手な分野なので”☆”はつけない。

52korou:2021/04/12(月) 17:01:33
久々のチェック。
久々過ぎて、一体何の作業を、どのような手順で
やり続けていたのかが分からなくなっていた。
それでも、一応、ベートーヴェンまで
「保留」と「もう聴かない」の分類を済ませることができた。
前回の書き込みを参照しながら、その作業をすれば良かったのだが
何となく推測で全部済ませて
今、前回の書き込みを見てアララという感じだ。
まあ、内田光子他の演奏は
演奏そのものの良さよりも、曲自体の退屈さのほうが勝ったりするので
それはそれとして
「春」は無条件に良くて「クロイツェル」はイマイチという評価は
今回も変わらなかったので、これでよしとしよう。
なお、「フィデリオ」は今回初めてyoutubeで、
最初のほうだけしっかり聴くことができた。
思ったよりもベートーヴェンらしい誠実な良さが感じられ
それをベームが見事に再現しているのが素晴らしかったので
「保留」を超えて「OK」の曲目に加えた。
それに対し「ミサ・ソレムニス」は
聴き辛かったので「もう聴かない」に分類した。

53korou:2021/04/12(月) 17:09:58
Excelの表の整理の途中で
300選の番号と、一番基本の対照表シートのNo.が
食い違うことに気付いた。
逐一あたってみて、その相違の原因は判明したので
修正を施したが
その過程で
モーツァルト「クラリネット協奏曲」が
"もう聴かない”に分類されていることに気付いた。
そこに分類した過程は、自分のしたことなので覚えているが
今見ると、いくらなんでもこれは酷い。
とはいえ、そこに書いてある演奏では確かに面白くない。
何かいい演奏はないものかと探すと
ナクソスでベーム指揮VPOで、ウラッハの後任のプリンツの演奏が
さすがのベームの重厚さで聴かせる演奏であることを発見した。
プリンツは、絶妙というレベルではないが
全然気にならない自然な吹きっぷりで
情感も必要程度込められて好感が持てる演奏だった。
これで「聴いたことのある曲(かつ良い演奏)」に分類し直した。

さて、この続きは
「保留」シートにある残りの曲目を
「聴いたことはないが良い曲」と「もう聴かない曲」に振り分け
どうしても分類不能なものに限り「保留」のままにする作業をすることになる。
それが終わったら、「聴いたことのある曲」「聴いたことはないが良い曲」のなかで
☆印にしたい曲を選ぶことにする。

54korou:2021/04/22(木) 10:39:16
まず、ベルク「ヴァイオリン協奏曲」から。
これは無調音楽とはいえ、
独特の音階を基準に作られていて(Wiki参照)
その音階の部分部分を取り出すと、複数の調性が引き出せるので
そこにあてはまるフレーズには調性を聴きとることができるが
その一方で
そうでない接続詞部分には規則性のない無調が感じられる
という構成になっている。
そうした細部と全体の絶妙な関係が
この音楽を、単なる実験性の高い現代音楽以上のものに
しているように思えた。
これは、何度も聴く価値のある音楽だと直感した。

次にビゼー「カルメン」。
これは、最初のチェックの際にすでに
カルロス・クライバー指揮の映像を確認していたので
今回も同じものを再試聴した。
前回よりも目のコンディションはまあまあだったので
第一幕、およそ46分間を通して鑑賞。
クライバーの棒は素晴らしい。
音楽の急所を最小限の動きで最大限に表現していて
聴いていて爽やか、かつ内容も濃く、満足度は限りなく高い。
歌手も抜群で圧倒的とまではいかないまでも、何の不満もない。
これは、オペラでなければ100%”☆”レベルだが
残念ながら、今の自分にはオペラで”☆”はあり得ないので
とりあえず、何度も聴く価値アリとの判定にとどめるしかない。

55korou:2021/04/22(木) 16:18:52
今日2回目の確認作業(近所の家の改修工事の騒音がうるさいのでほかのことに集中できない)

ブラームス「ハイドンの主題・・・」は
何度聴いても面白さが湧いてこない。
多分全部聴き通すことができるのはカラヤン&BPO盤だけだろう。
ジュリーニ&VPOはもっと情緒がこもって名演なのだが
そうなると、曲そのものへの物足りなさが
逆に目立って聴けなくなってしまうのだ。

ブラームス「ピアノ協奏曲第1番」は
ナクソスの筆頭にあるラトル&BPOとツィメルマン盤を
第1楽章を通して聴いた。
これは、ツィメルマンとラトル、BPOそれぞれの良さが
前面に出た好演だ。
丁寧でかつ情熱の盛り上がりも十分。
これなら、かつてチェックしたルービンシュタイン盤(ライナー&CSO)を
上回るのではないかと思ったが
ユンク君サイトで聴いてみると
これは想像以上の名演だった。
やはり、最初のチェック時には
耳が疲れていたのだ。
これは文句なし”☆”。何度も聴きたい名演だ、
演奏、録音ともに文句なし。

56korou:2021/04/24(土) 15:32:08
本日はブラームス「ピアノ協奏曲第2番」

まず、ナクソスのトップにあるポリーニ、アバド&VPOで第1楽章を鑑賞。
アバドの素朴で暖かい音色が全体を覆うなかに
ポリーニのソリッドなタッチから匂うがごとく音楽の光と影がくっきりと露わになってくるさまが
重なり合って出来上がる音楽の美しさは
何ともたとえようもない。
ポリーニもアバドも、また録音におけるVPOも全然好きではないのだが
それでも、この名演奏まで否定する気には到底なれない。

引き続き、前回決定したアンダ、カラヤン&BPOも聴いてみる。
これは、冒頭から信じられないくらい上手い管楽器の名人芸で惹き込まれる。
アンダのピアノはソリッドだが、ポリーニのように光と影を露わにするのではなく
淀みなくリズムを刻んで音楽を止めないように前へ前へ進んでいく感じだ、
そして主役はカラヤンの巧みな構成力で
それをBPOのメンバーの名人芸が支えて、聴かせどころで聴く者の心をつかむのである。
これは、この音楽をシンフォニーに擬態させた名演だ。
あくまでもピアノ協奏曲として美しいポリーニ盤とは好対照で
シンフォニーとして愛すべき音楽を聴きたいときはアンダ盤を聴くことになるだろう。
個人的好みとしては、アンダ盤になるが、
ポリーニ盤も時々聴きたくなることもありそうだ。
”☆”まではいかないが、絶対にまた聴きたくなる音楽として認定。

57korou:2021/04/29(木) 16:19:00
ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」の再チェック。

これは時間がかかった。
曲自体、ピアノ協奏曲よりさらに重量感があって
耳が冴えていないと、ついつい眠くなってしまう、退屈してしまうことになって
結果的に良い演奏に巡り合ったものの、なかなかこの再チェック作業は大変だった。

これも、結局、シンフォニーの応用編として聴くのがベターだと感じ
その意味で
最初に選択したフェラス(Vn)、カラヤン&BPOの演奏に
勝るものはないと思えた。
とにかく、ピアノ協奏曲のときと同様で
BPOがめちゃめちゃ上手いので、それだけで聴き惚れてしまう。
フェラスもその透明な響き、うっとりとする響きに溶け込んだ佳演で
全く問題ない。
しかし、コンチェルトとしてこの曲を聴くとなると
ヌヴー(Vn)、イッセルシュテット&北ドイツ放送響の演奏が断トツに優れている。
ヌヴー、天才とはこういう人のことを言うのだろう。
他のどのヴァイオリニストともレベルが違う超名演を聴かせてくれる。
彼女の演奏を聴いた後では、あのオイストラフですら凡演に聴こえてくる。
若き日のイッセルシュテットの指揮ぶりも素晴らしいし、オケも立派な響きだ、
1948年の録音にしては、驚くほど音が鮮明なのも良い。
一応、いつでも普通に聴けるカラヤンをトップにしておくが
ポリーニとアンダのときと同様、優劣など全くない、

58korou:2021/04/30(金) 16:02:19
ブラームスの室内楽2つ、弦楽六重奏曲第1番、クラリネット五重奏曲。

どうやってもシンフォニーには置き換え不可能な正真正銘の室内楽で
そうでなくても苦手なジャンルなのに、ましてブラームスのまじめさ、重厚さで前途多難。

まず、弦楽六重奏曲は、
選定済みのカザルス、レコ芸推薦のアマデウスQなどは
なんとか聴き通すことができそうだが
演奏そのものは水準を遥かに超えるクオリティと直感できるものの
肝心の曲自体があまりに心に訴えてくるものに乏しく
まあ、アマデウスの第2楽章あたりぐらいしか、
また聴いてみようという気にならない。
「保留」グループにジャッジ。

クラリネット五重奏曲は
それに輪をかけて曲との相性がよろしくなく
どう聴いても眠たくなる。
これは「もう聴かない」グループにジャッジ。

本日は以上。

59korou:2021/05/04(火) 17:38:51
ブラームス「ヴァイオリン・ソナタ」を再チェック。

まず第1番から
ナクソスの最上位のパールマン&アシュケナージで聴いてみたが
どうもピンとこない(=眠たい)。
続いて、2番候補のデュメイ&ピレシュを聴くと
なかなかよろしい。
相性がいいというのか、どちらも清純で美しいタッチの音を持っているので
武骨な感じのブラームスが極めて上品に響くように思えてくる。
ところが緩徐楽章になると、その清純さが逆に力弱く思えてきて
音楽が前で推進していかない(=眠たい)。
そこで、前回推薦盤にしたシェリング&ルービンシュタインを聴くと
これは実に力強く、音楽が颯爽と前進していくので心地よい。
緩徐楽章も問題なく前進していくのだが
今度は逆に音楽の全貌がやっと見えてきた途端
この音楽の間口の狭さが露わになってくる。
この狭さは今の自分に合わない。
最上の演奏でさえ合わないと直感させるのだから
これは仕方ない。
”もう聴かない曲”へ分類するほかない。
以上。

60korou:2021/05/04(火) 18:13:28
引き続き、ブラームス「ドイツ・レクイエム」を再チェック。

「もう聴かない曲」に分類すれば済み、と考えて
軽くチェックしたのだが
全然そうではなかった。
youtubeで「ドイツ・レクイエム」と検索すると
真っ先に出てくる動画が素晴らしい。
hr-Sinfonieorchesterと書いてあるのは、hr交響楽団のことで
2005年までフランクフルト放送響の名称で親しまれていたオーケストラのことらしい。
指揮をしているのはデイヴィッド・ジンマンという人らしい。
とにかく合唱の声が鮮明に聴こえるのが素晴らしい。
それだけでも聴く価値がある。

https://www.youtube.com/watch?v=ZXU9vqVdudM

時々聴くことにしよう。
心がよどんだ時とか。

61korou:2021/05/05(水) 17:01:05
ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲」を再チェック。

これは最初のチェックのときと同じ結果となった。
ハイフエッツとチョンの演奏、どちらも優れた演奏だが
曲自体にぜひ聞きたいというほどの魅力が感じられず残念、という次第。
”たまに聴く”という評価で、ただし”☆”は入れておきたい。
また、同等の評価なので
普通にユンク君でも聴けるハイフエッツのほうを推薦盤とする(チョンも決して遜色ないのだが)

ブルックナー「交響曲第3番」を再チェック。
これは普通によく聴く曲に混ぜても大丈夫だが
ティントナーの演奏だけが傑出して優れているというより
クナッパーツブッシュもヨッフムも優れていて
それぞれの個性に応じて聴き分けられるべき類のものかもしれない。
とりあえず、ティントナーからヨッフムに変更しておくことにする(迫力の面でやや好みがこっちに寄ったようdな・・・)

62korou:2021/05/07(金) 14:38:21
ブルックナー「交響曲第5番」の再チェック。
クレンペラー。クナパーツブッシュ、ヨッフム、カラヤンなどを聴きまくったが
どれを聴いても眠くなった。
明らかに曲調のせいである。
思い切って(ブルックナーではあるけれど)”もう聴かない曲”に分類することにした。

カントルーブ「オーヴェルニュの歌」の再チェック。
ナクソスで検索すると「テ・カナワ盤」ばかり出てくるのだが
そのテ・カナワの声はあまりに力強く、好みからは程遠い。
他の演奏がなかなか見当たらなくて、時として好ましい声質のものもあるのだが
1曲のみだったりして、なかなかうまくいかない。
曲そのものは決して”もう聴かない”とまではいかないのだが
肝心の演奏が検索できないのではしようがない。
これも”もう聴かない曲”に分類した。

63korou:2021/05/10(月) 16:22:27
ショパン「スケルツォ」の再チェック。

前回はポリーニで妥協したが
今回聴いてみて、やはり満足できず、他を聴いてみることに。
珍しくショパンなのにリヒテルが推薦盤に上がっていたので聴いてみると
適度な幻想味と響きのいいタッチ、録音が好ましく、これはポリーニより断然良い。
フランソワの名前もあったので、これも聴いてみると
これはもう断然天才の演奏で
聴いていて日常でないどこか未知の世界まで連れていかれるような演奏。
幻想味といっても、リヒテルとフランソワではそのテイストが異なり
リヒテルの幻想は日常とつながっている幻想、フランソワの幻想は天才だけが再現できる突出した幻想。
フランソワのほうの録音は、最初は響きがこもっていて慣れないが
演奏の素晴らしさがすべてを超越して、すぐに録音のことなどは気にならなくなる。
とはいえ、リヒテルの録音の精巧さは特筆モノで
こうなると甲乙つけがたい。
そしてどちらも文句なしに”☆”のレベル。
とりあえず今回は、フランソワで全4曲を聴いた(リヒテルも1番・2番を聴いた)。

ショパン「ノクターン」を再チェック。
こちらは曲の感銘度がスケルツォに比べてかなり落ちるので
極上の演奏であっても”☆”にはならないのが残念。
フランソワもさすがに素晴らしいが(なぜかユンク君にはなくナクソスで聴いた)
曲との相性、録音の鮮明さの点でピレシュのほうがさらに素晴らしいので
これは”普通に愉しんで鑑賞”の部類で、曲の出来栄えの点で”☆”はナシとする。
(最初に保留で選んだアシュケナージは、この両者と比較すると、かなり落ちる)

64korou:2021/05/11(火) 18:23:43
ショパン「ワルツ」を再チェック。

やはり、フランソワが幻想味たっぷりで
曲の中に秘められた深い部分を露わにして
狂気と天才の境目にある音楽を聴かせてくれる。
ブーニンも評価していたが
今回聴いてみて、普通のタイプの演奏としては最上のテクニックで素晴らしいのだが
あくまでも普通なのである。
さらに今回発見したことで
ホロヴィッツのワルツ第3番のライブがナクソスで聴けるのだが
これが胸を揺さぶられる、というか思わずハッとさせられる超名演で
何も特別なことはしていないのに、その音を聴いただけで涙があふれ出てくるような演奏だった。
ホロヴィッツのショパンは、なかなかまとまったものがないので
今回のように曲別に推薦盤を探す作業だと
うまくハマらないのだが
どうも1950年前後の演奏で録音状態がまずまずのものに関しては
ほぼハズレがないようなのだ。
ハズレがないというより、他のピアニストとは全く違う次元で素晴らしい。
これこそ本当のショパンなのだろう。
ホロヴィッツでしか再現できないショパンの魂、涙、情熱、愛、夢、それが伝わってきて
胸が熱くなる。
でもリストには書けない。だから自分自身でしっかりと覚えておこう。
とりあえず、ワルツはフランソワ、そしてやはり”☆”。

65korou:2021/05/12(水) 16:04:25
ドビュッシーの音楽の再チェック。

まず交響詩「海」から。
アンゲルブレシュトの演奏から聴いた。
確認すると、これでもう3回目の試聴となるが
たしかに推薦盤のレベルとはいえ、いろいろ聴いてみた今の感想を記せば
曲自体に魅力を感じられないので、その点どうしようもない。
ジュリーニ、バレンボイムも同様で、指揮者の個性はにじみ出ているが
それだけのように聴こえる。
マルティノンを最後に念のために聴いて終わりにしようかと思い聴き始めると・・・うーむ、困った。
これは、以前チェックしたときにはそこまで思わなかったのだが
こういう曲で古い録音のものを聴くごとに思ってしまう「最新の録音で鮮明な音の響きで堪能したい」という欲望を
ほぼ100%叶えてくれる音質の演奏であり、かつ演奏もシャープで聴き惚れるほどだ、
哲学的な渋みなどは一切ないので、自分の基本的な嗜好とは食い違うのだが
時にはこういうシャープで鮮明な音の洪水を聴きたいときもあるのも確かだ。
これはマルティノンの演奏に限り、「時々聴く音楽」のジャンルに入れておこう。
そして「たまにしか聴かない」ジャンルに分類しながらの”☆”というのもヘンだが、そうしておこう。

「牧神の午後への前奏曲」も、マルティノン、ブーレーズ、フルネ、モントゥーと聴き比べた感じでは
やはりマルティノンの音の鮮明さが一番だった。
ただし、曲そのものが一層静かに流れていく感じで、もはや嗜好とのズレはいかんともし難い。
これは「もう聴かない曲」リストに分類する。

66korou:2021/05/13(木) 13:47:57
ドビュッシーの再チェック。

「夜想曲」
デュトワ&モントリオール管で再チェック。全3曲のうち、2曲目の「祭」が比較的聴き易い。
1曲目の「雲」は耳がドビュッシーに慣れるまでやや退屈し戸惑う。
3曲目の「シレーヌ」は、歌詞なしの合唱が曲に馴染んでいないように聴こえ、まったく好みに合わない。
全体として、やはりムリして聴くほどの内容ではないように思えるので「ボツ」。

「弦楽四重奏曲」
ナクソスで最初に現れるエマーソンQで聴いてみると
この不可思議な和声に満ちた曲が
実は論理的にも解釈可能なのだという驚きを体験できる。
これはたまに聴いてみるのも良い、その価値がある。
かつて聴いたアルバン・ベルクには、そういう面白さはない。

「映像」
ギーゼキングで聴いてみたが、以前聴いたときほどの感銘はない。
フランソワは未チェックだったので、今回聴いてみて
やはり一番はこの人だろうと感じた。
幻想味はドビュッシーのそれというよりフランソワのそれなのである。
演奏家が作曲家を超えている。
エマーソンQとは別の意味で、論理的に解釈可能にしている。
ギーゼキングも悪くはないのだが、予想できる範囲内での名演であり
それではドビュッシー全体から受ける印象の範囲内で「ボツ」でしかない。
フランソワの想定を超えるファンタジーなら、たまに聴いてみても面白いはず。

67korou:2021/05/17(月) 17:20:28
ドビュッシーの再チェック。

「前奏曲集」を聴く。
ギーゼキングを聴くと、音質の古さを超えた素晴らしさがある。
ナクソス上位のポリーニを聴いてみたが、これが思ったよりこの曲に合っているので驚いた。
そして、多分これが一番かなと予想しつつフランソワを聴く。
悪くはないのだが、曲のイメージと微妙に合っていない感じがする。
フランソワの幻想味よりも、ポリーニの丁寧なきめ細かな解釈のほうが
曲想の新鮮さを際立たせて、曲の価値を高めているように思えるのだ。
・・・と思って第2集もポリーニで聴いてみたら、今度は幻想味ある演奏のほうが合っている曲想。
たしかにフランソワの演奏のほうが、この第2集には合っている。
そして、元に戻ってギーゼキングの第2集を聴いてみると
特に変わったことは何もしていないのに、普通に幻想味が出ているのには参った。
第1集のほうのギーゼキングはといえば、確かに曲想の新鮮さを出していたのだ。
というわけで、これは、それぞれにポリーニとフランソワの佳演があるのだが
全体を通してみればギーゼキングの演奏で十分本質的なものは聴き取れる、しかも素晴らしいという結論。
「たまに聴いてみたくなる」ジャンルへ。

「子供の領分」・・・これはフランソワで十分。他の人のを聴くまでもなく「たまに聴いてみたくなる」ジャンルへ。
「ベルガマスク組曲」・・・    同上

68korou:2021/05/19(水) 16:35:23
再チェック。

ディーリアス「管弦楽曲集」。
こういうタイトルでは検索は難しいが
とりあえず有名な指揮者としては、ビーチャム、バルビローリしか見当たらないので
それで検索して聴いてみる。
何曲かは聴き応えする曲もあるのだが
全体として、以前の試聴時にも感じた単調さが目立つ。
ドビュッシーをどこか匂わせる雰囲気のグリーグ風旋律が延々と続くのである。
特にこういう曲を聴く理由はないのでボツ。

ドヴォルザーク「スラヴ舞曲集」。
これも”ドボルザーク”とか”スラブ舞曲集”では検索でヒットしないので要注意。
クーベリック&バイエルンの演奏は素晴らしいが
曲自体がCD音源等で繰り返し聴いて愉しむ類のものではないだろう。
音楽鑑賞的にみてボツ。

ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」。
これは、もともと”聴き馴染みのある曲”に入れるべき曲だ。
そして、ワイラースタインのチェロにビエロフラーヴェクがチェコ・フィルを指揮した演奏が
やはり素晴らしい。
いつまでも聴いていられる。

69korou:2021/05/20(木) 16:11:22
再チェック。

ドヴォルザーク「弦楽四重奏曲”アメリカ”」
ヤナーチェクQで聴く。素晴らしいの一言。かつて聴いていたアマデウスよりも
評価が高かった演奏らしい。そのアマデウスは、ナクソスで聴くと音質が貧弱で聴くに堪えない。
スメタナQがNo.1らしいが、ユンク君にもナクソスにも音源がないので、この結果に。
そして、ヤナーチェクQのような佳演があるのだから、当然”たまに聴く”ではなく”聴き馴染み”に分類替えだ。

エルガー「エニグマ変奏曲」
バルビローリで聴いてみたが、演奏自体は素晴らしいものの、曲が変奏曲という自分にとってはつまらない代物だけにどうしようもない。
ボツ。演奏についていえば、コーリン・デーヴィス&ロンドン響のほうがさらに優れているのだが、ナクソスではヘンなところで曲が細切れに
なっていて集中できないので、曲そのものを聴く場合はユンク君のバルビローリ&ハレ管が一番良い。演奏自体はこれに切り替え。

ファリャ「三角帽子」
アンセルメで聴いてみたが、やはり突然聴くには馴染みが無さすぎてキツい。フラメンコ風の強い拍手のリズムに独特のソプラノ声が続く展開は
とても馴染んで聴けそうにない。ボツ。なお、演奏は、ロメウ (ms)、カサド&マーラー室内管のほうがローカル色が濃く、曲が濃厚に味わえる。

70korou:2021/05/22(土) 14:44:47
再チェック。

フォーレ「レクイエム」をyoutubeで試聴(クリュイタンス&パリ音楽院管)。
訳詞もあるので、前回聴いたコルボの演奏と差し替え。
同じくフォーレ「歌曲集」は、曲調からして女声のほうが適当。
よってアメリンクで決定。
ただし、どちらもあえて聴かない曲として認定(声楽はどうも・・・)。よってボツ。

フランク「ヴァイオリン・ソナタ」
これは前回聴いたティボー&コルトーも良かったが、
パールマン&アルゲリッチの演奏はその上をいく。
けれど曲があまりに小振りなのでボツ。

71korou:2021/05/23(日) 21:05:25
再チェック。

グリーグ「ペール・ギュント組曲」
最初のチェックの際も困った楽曲。暫定的にカラヤンの演奏を選んだが
今回聴いてみて、カラヤンにしては表現意欲が乏しく魅力薄な感じがした。
ナクソスの上位にある無名のオケとか、レコ芸推薦のヤルヴィ、バルビローリなどを聴いたが
いずれもピンと来ない(ヤルヴィは全曲盤で推薦されていたので、それは未聴)。
ブロムシュテット&サンフランシスコ響の演奏で、やっと満足いく演奏に出会った。
表現し過ぎず、しかし温かい音色は忘れず、聴かせどころは抑制気味ながらきちんと歌っている。
ブロムシュテットの演奏を推薦するとは思いも寄らなかったが
もちろん優れた指揮者であることに異論はない。
しかも、これは聴き馴染みのある曲なので
そこへ分類替えとする。

72korou:2021/05/24(月) 10:15:40
再チェック。

グリーグ「ピアノ協奏曲」をチェック。
初回は、迷いに迷って。フライシャー&セルを候補にしたが
今回もっといろいろ聴いてみて
ギーゼキング(p)、カラヤン&フィルハーモニア管の演奏が
どんな時でも集中して聴ける演奏と確信できた。
何といっても、ギーゼキングのピアノが凄まじいのである。
カラヤンも1951年の指揮ぶりだから、かなりザッハリッヒな、かつ誠実なものだが
ギーゼキングのピアノが絡まない部分では、やはり物足りなさも感じたりするのだが
そこにピアノが入ると俄然音楽が引き締まって
他の演奏では聴かれない壮絶というか白熱というか
ザッハリッヒの極めのような感じになるのだ。
そして、単なる整然とした演奏などという代物ではなく
もう誰をも黙らせる厳粛な音楽、音と無音が交互に押し寄せ、重なり合い、響き合い、宇宙の神秘を黙示する
偉大な瞬間を現前させていくのである。
グリーグには似合わないのかもしれないけど
もはや似合う、似合わないとかいうレベルではない。
似合う似合わないのレベルで言えば、最もグリーグらしいのは
やはりセルの指揮ぶりなのだが
このギーゼキングはそれを上回る演奏だと言えよう。
曲そのものが「聴き馴染み」のあるものだけに、こうした演奏を知った以上
これも”分類替え”とする。

73korou:2021/05/25(火) 16:02:31
再チェック。

ヘンデル「水上の音楽」
初回は全く音楽に馴染めず、アーノンクール待望の願望だけで「未聴」で推薦するという”暴挙”で終わっていた。
今回、ハーティ版による原典無視の近代オケ用編曲版と、
原典に沿った古楽器演奏版の2種類の違いを意識してそれぞれ聴いてみた。
たしかに後者(古楽器)は聴いていて全然馴染めない、というか
これだけだったら「もう聴かない」ジャンルに即分類するところ。
しかし、前者(近代オケ)のセル&ロンドン響の演奏などを聴くと
たしかに古楽器演奏の出現前までの現代人の耳には
この音色でこの曲は意識されていたはず、と確信できる。
古楽器に良い演奏がない以上(というか原典版で聴く価値を見出せない以上)
このセルの演奏で「たまに聴く」ジャンルに分類するのが妥当と思えた。
確かに、機会音楽の類ではあるが、優れた部分も多い曲のようにも思えるので。

ヘンデル「合奏協奏曲 Op.6」
ヘンデルの合奏協奏曲は、本人が関与せずに勝手にまとめられたOp.3(全6曲)と、本人がまとめたOp.6(全12曲)とがあり
他に「アレクサンダーの饗宴」というのがあり、結局のところ、単に合奏協奏曲と言った場合はOp.6を指すようだ。
初回は、古楽器のアーノンクールの演奏で気に入って、時間をかけて全曲聴いたりしたが
今回は、近代オケのものも聴いてみた。
共通してアップされていないと比較しにくいので、Op.6の第4曲で比較試聴。
シューリヒトのものは録音が不明瞭で演奏が伝わってこず残念。
それに比べて、ボイド・ニールの指揮はまるで古楽器の演奏のようで
引き締まった表情が清々しい演奏になっている。
かなりオススメなのだが、ヘンデルで古楽器の演奏のものが1つもないのもどうかと思われるので
初回通りアーノンクールで変更なし(ジャンルは「聴き馴染みはないが良い曲」)

74korou:2021/05/25(火) 16:03:47
再チェック

ヘンデル「メサイア」
優れた曲だと思うが、youtubeでどうやっても対訳付き動画が出てこない。
残念ながら「もう聴かない」ジャンルに分類するほかない。
(対訳付きがアップされれば見直せるのだが・・・)

75korou:2021/05/27(木) 15:21:28
再チェック。ハイドン。

弦楽四重奏曲「皇帝」。
初回のときはイタリアQをアルバン・ベルクQとの比較で推薦。
今回は、ユンク君にあるブダペストQ、ナクソス上位のコダーイQ、アマデウスQ、ゲヴァントハウスQなども
聴いてみた。
やはりイタリアQの美しい旋律の歌わせ方が一番しっくり来る。
ゲヴァントハウスQの中庸で常識的な響きも悪くはないが。
にしても、積極的に聴きたいとは思えないので「たまに聴く」ジャンルに分類。

オラトリオ「天地創造」。
初回ではyoutubeの動画を参照していないようなので
カラヤンのを聴いてみたが、どうも訳がないようだ。
かなり音質が悪いが、サヴァリッシュがN響を振ったときの映像のものに
訳がついている。
演奏も良いのだが、やはりこの種の音楽を積極的に聴くことは
これからはなさそうに思えるので「たまに聴く」ジャンルになるが
さて、前回推薦のヨッフムの演奏はどうしたものか。
と思ってチェックしてみると、いやはや凄い気迫の演奏で
これはアジアの片隅で演奏された代物と比較すべきではないことを納得。
一応、対訳がyoutubeにはあるということを注記しておけば良いかな。
対訳があるということで「たまに聴く」ジャンルとなる(「メサイア」と雲泥の差があるわけではない)

76korou:2021/05/28(金) 17:13:13
再チェック。ホルスト「惑星」。

1時間半以上も聴き続けたので、耳がヘンになった。
結局、1945年のモノラル録音ながら
ボールト&BBC響の演奏が一番「こけおどしがなく」「音質も古い割には鮮明」なので
推薦とした、
初回推薦のレヴァインと比べると、遥かに音質は落ちるが
2曲目で突然飽きてしまうというようなことは起こらない。
(それでも全曲聴き通すと、途中で眠たくなってしまうのは否めない)。

ユニークなのは、1961年のカラヤン&VPOの演奏で
カラヤンはカラヤンで熱気むんむん、やる気満々であるのに対し
VPOはそんなカラヤンを適当にあしらい、各パートが名人芸を次々に披露するという
実に「古き良き時代」の演奏であったこと。
ただし、聴いていくうちに、
カラヤンの熱気がどうも曲の本質と違う方向を向いていることを直感でき
その点でボールトの演奏には及ばないのだが
VPOの美音に浸るとしたら、これほどの名演はない。
(後年のBPOとの演奏は、このVPOとの熱演と比べると気の抜けたビールのようでいただけない)

今聴いているハンドリー&ロイヤル・フィルの演奏は
ゆったりとしたテンポの時は最高に響き合って素晴らしいが
強奏の部分がどうも決めが甘く、そこだけが惜しい(他はかなり理想に近いのだが)。

結局、ボールト&BBC響の演奏で「聴き馴染んだ曲」に分類替え。

77korou:2021/06/01(火) 14:55:03
再チェック。

本日から再生ブラウザをIEからChromeに変更。
IEの賞味期限切れ間近ということもあるが、最近ユンク君サイトがIEだと異様に重たいので変更を決定。
なぜかChromeだとすぐに再生できるので便利。

ヤナーチェク「シンフォニエッタ」
作曲の経緯から言えば深みのある音楽とはいえないので
結構感銘を受けても(初回はマッケラスの演奏で”☆”)
やはり「たまに聴く」ジャンルのように思える。
今回は、マッケラス&VPOでもさほど感銘を受けなかった。
むしろ、純粋音楽として結晶度の高いセル&クリーヴランド管の演奏のほうに
惹かれるものがあった。
このセルの演奏で「たまに聴く」ジャンルに分類。

コダーイ「ハーリ・ヤーノシュ」
初回はドラティだけ聴いて推薦盤としていた。
今回は、たまたまフリッチャイをユンク君で聴いてぶっ飛んだ。
緊張度が並々ならぬ様子で、この娯楽風楽曲が全然違って聴こえた。
時期的にみてフリッチャイの”白鳥の歌”となる演奏であり、さもなんである。
ドラティも再聴してみて全然悪くないのだが(曲そのものを素朴に愉しむにはこっちのほうが良いかも)
曲そのものが「たまに聴く」レベルのものである以上、フリッチャイの演奏の深さには
そのジャンル分けそのものを悩ませるものがある。
「たまに聴く」で”☆”が妥当か(本当は「聴き馴染みはないが演奏は良い曲」というジャンルに入れたい。そういうのは少ないので
新たにジャンルを作るのも迷うところ)。

78korou:2021/06/01(火) 15:11:53
本日の再チェック、続き。

クライスラー「小品集」
初回推薦のシェリングは、今回聴いてみて、やはり表現が直線的すぎてイマイチな印象。
やはり、こういう曲は音色の美しさなどが重要視されるわけで
その点で、ミンツとシェリングは甲乙つけ難いのだが
ミンツには、さらに表現意欲の活発さが感じられ
こういう俗っぽい曲調の場合、ますます聴き易くなるのは否定できない。
よって、ミンツの演奏で、曲自体は「たまに聴く」程度でいいだろう。

ラロ「スペイン交響曲」
レコ芸推薦のパールマンと、前回推薦のグリュミオーを比較試聴。
パールマンはあくまでも普通で、欠点もないが特徴もない。
グリュミオーは内に情熱を秘めたような表現、音色で
フルネの指揮もぴったり寄り添っていて冴えている。
これは、演奏は初回推薦のままで、曲自体は「たまに聴く」ジャンルに分類。

79korou:2021/06/02(水) 16:27:37
再チェック。

レハール「メリー・ウィドウ」。
”1993年12月 メルビッシュ湖上ライヴ”という動画を
youtube上で日本語訳付きで鑑賞可能だ。
初回推薦のマタチッチのほうが、演奏として優れているかもしれないが
やはり翻訳付き動画に勝るものはない。
しかし、やたらメロディ抜きのセリフの場面が最初から多いのと
音楽も平和な感じで変化に乏しく、魅力薄な気がする。
少なくとも63才までこういう方面に興味がなかった人間を
あえて振り向かせるほどのものではない。
”もう聴かないだろうオペラ等”に分類。

レオンカヴァルロ「道化師」
これもカラヤン指揮の動画がyoutubeにあるが
日本語訳詞がないので、やはり内容はちんぷんかんぷん。
”もう聴かないだろうオペラ等”に分類。

リスト「ピアノ協奏曲第1番」
これは超名演揃いで圧倒された。
まずバレンボイム。堂々たる演奏でケチのつけようがない。
しかし、普通ならこれ決まりのレベルなのに、これを上回るファンタジーあふれる演奏が
3種も存在するのだから驚きだ。
まず、一番幻想味を客観視して距離を置いてなおかつファンタジックに聴かせるのがアルゲリッチの演奏。
それよりももっと直截的に音楽の中に入り込んで自由自在に楽想を操るかのような演奏がリヒテル。
さらに、リヒテルよりももっと曲想への切込みが鋭く鮮やかそのものなファンタジーが現前してくるのがフランソワ。
もう、以上4つのタイプの演奏に優劣なんてつけられるわけがない。
4人併記して、”聴き馴染みはないが良い曲”に分類して”☆”をつけておこう。

80korou:2021/06/03(木) 11:18:15
再チェック。

リスト「ピアノソナタ」
初回はポリーニで”☆”までつけて推薦としたが
今回聴いてみて、それほどのものとは思えなかった。
そもそもが曲調が暗く大袈裟で、ロ短調という調性のせいか
全体に見通しが悪く、やたら力感だけが目立つ曲で
あまり好きになれない。
本当はリヒテルのような幻想味のある演奏のほうがリストには好ましいのだが
「たまに聴く」程度であれば、もっと軽い聴き易い演奏のほうが良いだろう。
となれば、立派だけど重たいポリーニなどよりも
しなやかに弾くツィメルマンの演奏をとりあえず押さえておくという結論になった。
「たまに聴く」ジャンルで、ツィメルマンで。

81korou:2021/06/03(木) 14:23:49
再チェック。

マーラー「復活」
バーンスタインとワルターを併記して推薦としていたが
今回も結論は同じ。
曲想にうまくハマればバーンスタイン、イマイチ気持ちが乗らないときは悪ワルターという使い分け。
ただし、これも度々聴く音楽ではないので
「たまに聴く」にジャンル分けしたい。

82korou:2021/06/08(火) 15:47:35
再チェック。「復活」やり直し。

やはり時間を作ってマーラーは聴くべし、と再考(コロナ禍で時間もあるし)。
まず、ワルターの新旧盤について感想。
新盤(NYP)を支持したい。これは旧盤(VPO)が悪いわけではなく、恐らく旧盤のほうが優れていると思われるのだが・・・
単なる録音の問題で、しかも新盤の出来も旧盤に比して随分劣るわけでもなく
むしろ鮮明に聴こえる分だけ長所もあるので、ここは新盤の流れの良さに注目したい。
その耳でバーンスタインの旧盤(NYP)を聴くと、明らかに曲への立ち向かい方が異なり
冒頭の低弦の響かせ方が全く耳障りでなく、その後の各フレーズの処理も納得のいく、まさに腑に落ちる演奏だった。
ユンク君で確認できる演奏としては、後はショルティ(AC管)だけとなったが
これはこれで面白い演奏で、曲そのものがショルティのような外面を楽譜通りに磨き上げる手法に向いているのである。
ナクソスに移って、まずシャイー(AC管)を聴いてみた。
抜群の録音という記述も見たが、実際にナクソスで聴く分にはそれほどでもない。
ただし、演奏はまさに常識的に妥当なラインを辿り続けていて、AC管の上手さもあって、聴き映えは意外と悪くない。
曲そのものを聴くには最上かもしれない(ショルティも楽譜通りだが、音の強弱に彼独特の個性が出てしまう面がある)。
ショルティの新盤(シカゴ響)は、期待したほどの名演ではなかった。
旧盤に比べて弱音部分の緊張度が低く、強音部の充実した張りのある美しさとの落差がひどい。
こういうのはカラヤンにはないので、それがこの両指揮者の違いだろう(そのカラヤンの演奏はWebでは聴けない。
「復活」は振っていない?)
「復活」といえばキャプランだが、そのVPOとの演奏は、もはや素人の物好きでは済まされない優れた演奏だった。
しかし、ナクソスの仕様で、楽章の途中でぷちぷち音が途切れる(つまり違う箇所に分離している)ので、これは致命的な欠陥。
アバドの新盤(ルツェルン祝祭管)の演奏は、ワルター新盤でも感じられたあの”突然悪寒のようにやってくるこの世界への絶望感”
といったものが感じられない健康な模範生の演奏に聴こえる。マーラーでそれはまずいのではないか。他には欠点はないのだけれど。
もうくたびれたので、最後にバーンスタインの新盤(VPO)を聴いてみる。
旧盤の良さを失わず、さらに濃厚な表情が色付けされ、しかもVPOの音色の良さ、能力の高さを存分に引き出していて
この曲を深く聴くには最高の演奏であることは間違いない。
結局、深く聴く→バーンスタイン&VPO、軽く聴く→ショルティ&AC管という結論。
(まだまだ聴けていない名演の類は多いのだけど、この曲の比較試聴というのは大変だ)

83korou:2021/06/08(火) 15:55:47
↑の訂正
ショルティの旧盤は、AC管でなくロンドン響だった。

それと、マーラーの交響曲は
どんなに優れていても「巨人」以外は「たまに聴く」に分類するのが妥当だろう。
時間をそれだけ割く余裕がないので。

84korou:2021/06/08(火) 16:36:03
再考。
マーラーについては、「もう聴かない」に分類することはあり得ず
かといって「たまに聴く」以外のジャンルになることもあり得ないわけで
どうしたって「たまに聴く」ジャンルになってしまうのではないかと
今さらながら気づいた。
そのなかで名盤を探る試みをしても
結構、比較試聴するにしても膨大な時間がかかり
その割には最初の結論から変わらないことも多い。
今回の「復活」にしても、バーンスタイン&VPOは不変で
ワルターがショルティに変わったくらい。
それもムリに変更しなくても良かったのでは思うこともある。
やはり、ワルターに戻しておこう(深く聴く、などの注釈は不要で)。

ブルックナーも長時間なので、すべて「たまに聴く」にしたほうが妥当かと思ったが
これは部分的ながら実際には頻繁に聴いているので
現状のままとする。

よって、次回は
マーラー「さすらう若人の歌」から再チェックスタート。

85korou:2021/06/10(木) 15:42:51
再チェック。

マーラーの歌曲「さすらう若人の歌」「亡き子をしのぶ歌」
いずれも、今回ちょっとだけ聴いてみて
こういう純粋なクラシックの歌曲集はもう耳が受け付けないということがよく分かった。
ただし、「さすらう」のフルトベングラー、「亡き子」のカール・ベームは
マーラーの録音をほとんど残していない大指揮者だけに
そこを堪能するという愉しみは否定できない(だから初回は好意的に評した)。
とはいえ、歌曲なのでフィッシャー=ディスカウをどうとらえるかが一番であり
その大仰な表現は、他の歌手を圧倒する技量とはいえ、やはり耳が受け付けない、
というより、歌曲そのものが耳に入ってこない。
「多分もう聴かない曲」ジャンルに分類。

マスカーニの「歌劇”カヴァレリア・ルスティカーナ”」
これは日本語訳の動画見当たらないため、評価のしようがない。
よって「多分もう聴かない曲(オペラ)」に分類。

メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」
レコ芸がプレヴィンを絶賛するのだが、今回聴いても全く心に響かない。
曲のお粗末さだけが伝わってくる(残念ながらデュトワ、マークなども同様)。
ところがクレンペラーだけは別格なのである。
ほぼ「たまにしか聴かない」ジャンルに分類しかけていたが
クレンペラーの演奏を聴いて、完全に思い直し、ジャンルを変更した。
なぜかクレンペラーだけは最後まで聴いてしまうのである。
そしてなかなかよく出来た曲だと思ってしまうのである(不思議!)

(再チェックとは別に)
最後に、時間があったので、ついでにマーク指揮の「イタリア」も聴いてみた。
このマークは素晴らしい。初回の推薦も間違っていなかった。

86korou:2021/06/13(日) 16:58:10
再チェック。

モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」。
独唱入りの曲で、古風かつ素朴な曲調で
今後聴くことはそうないと思われる。
「もう聴かない曲」ジャンルに分類。

モーツァルト「リンツ」。
まずナクソス第1位のカラヤンを聴いてみたが
案の定、序奏部分は荘厳で素晴らしいが、主部の速い部分になると
あまりにも感情のこもらないスタイリッシュな仕上げに違和感を覚える。
前回はクレンペラーを推薦したが、今回聴いてみて、それほどの充実感は感じられなかった。
あれっ?と思い、ベーム&BPOを聴いてみると、クレンペラーより響きに生命感が感じられ
これで決まりかなと思いながら
ワルターで検索するとコロンビア響との演奏があったので
念のため聴いてみる。
このコロンビア響は、その後組織されたコロンビア響とは違うような気もするが(NYPっぽい響き)
さすがにワルター、細かいニュアンスはベームをも上回る。
ユンク君には、その新しいほうのコロンビア響の演奏もあったので、それも聴いてみる。
これは、オケの音色が薄く明るい感じでモーツァルトの音楽との違和感も感じられるが
ワルターの含蓄はさらに深まっているようで、テンポの妙、リズムの愉しさなど、他では聴けない音楽になっている。
甲乙つけ難いワルター&コロンビア響の新旧の演奏だが
ユンク君でDL可能でもあるので、新盤のほうを推薦としたい。

前回は今と違う感性で聴いていたのか「リンツ」だけ名演選びに苦心していたが
今回は全然抵抗なかった。
ただし旋律などは聴き覚えがないので「聴き馴染みはないが良い曲」ジャンルに入れることにする。

87korou:2021/06/13(日) 17:10:13
再チェック、モーツァルト「リンツ」の続き。
クリップスの再聴を忘れていた。
聴いてみると、全然問題ない。他の交響曲と同様、オケの音色、リズム、テンポすべてに満足いく出来。
なぜ、初回に違和感を感じたのか?その感性こそ今思えば違和感そのものだ。
ワルターは撤回(オケの音色が微妙なので)、クリップス&AC管で決まり。

他の「ハフナー」なども「聴き馴染みがない」はず。
ちょっとチェックが必要だ。
「第29番」「第31番”パリ”」「第35番”ハフナー”」はいずれもクリップス&AC管で
「聴き馴染みがないが良い曲」に分類替え。
さすがに「第25番」は聴き馴染みがあるので、コープマンの演奏でそのまま。
「第38番”プラハ”」からは聴き馴染みありでそのまま。

以上で今日の作業は終わり。
残る再チェック作業は
モーツァルトのディベルティメント2曲のみになった。

88korou:2021/06/14(月) 11:01:52
再チェック。

モーツァルト「ディヴェルティメント K.136〜138」
弦楽合奏曲として作曲されたモーツァルト初期の楽曲(16才?)が
勝手に「ディヴェルティメント」と銘打って発表された作品。
弦楽四重奏なのかオケによる弦楽合奏なのか演奏スタイルも確定していないので
いろいろなパターンの演奏が聴かれるが
個人的には、コープマンの演奏でこの曲を「発見」しただけに
小編成オケによる弦楽合奏の形がしっくりくる。
いろいろと聴いてみたが
初回推薦のコープマンを上回るものはない。
小沢征爾&サイトウキネンの演奏のみ、速いテンポの楽章が個性的で面白かったが
緩徐楽章になると急激にダレてしまい、残念。
モーツァルトの若書きなので、しょっちゅう聴いて愉しめる類のものではない。
「たまに聴いて愉しむ」ジャンルに分類することにした。
コープマン以外に良い演奏がないこともあるし。

同「ディヴェルティメント第17番」
これはモーツァルト20代半ばの作品で、ボリューム感は増しているし、構成も深まっている。
しかし、もはやここまで深くなってくると、省略の妙というのも必要であり
それはディヴェルティメントという形式にはそぐわないということもあり
現代人が聴く音楽としては、どうしても冗長の感は拭えないのも事実。
初回推薦のウイーン八重奏団の演奏は、耳がやはり慣れないので
今回はいろいろ聴いて、ユンク君所収のザンデルリンク&レニングラード・フィルが
最も音楽性豊かな演奏と判断した。
そしてこれも(音楽性豊かだが冗長でもあるので)「たまに聴いて愉しむ」ジャンルに分類。

これで再チェックは一通り終了。

89korou:2021/06/14(月) 11:40:25
今、エクセル互換で作ったファイルをみたら
今回の再チェック終了時点以降の曲について
「たまに聴く」と「もう聴かない」の仕分けができていないように思える。
全部聴くのもうっとうしいので
これはさすがに「たまに聴く」だろうという演奏を
初回推薦の演奏で聴いてみて
さすがにもう聴かないだろうというのだけを振り落とした上で
残りの作品を「たまに聴く」に分類替えすることにしたい。

☆「たまに聴く」に分類替え作業
モーツァルトは、さすがに300選にまで絞られた中で「もう聴かない」ジャンルはあり得ないと思うので、全部「たまに聴く」に分類替え。
ラベル「ボレロ」も「もう聴かない」は事実上あり得ない。

パガニーニ「カプリース」(ファイルにはパールマンとあったが、判断過程を読むとユリア・フィッシャーが良いとあるので、その確認)
ラベル「弦楽四重奏曲」(否定的記述がない。アルバン・ベルクQの演奏を再度聴いて判断)
シューマン「交響曲第1番」(クレンペラーだけは何とか聴けたようなので、再確認)
R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」「死と変容」「ツアラトゥストラ」「ティル」&「アルプス交響曲」(時間があれば再確認)

※ほぼ曲自体が300選というチョイスに残るほどの内容がない、という意味での「もう聴かない」なので、案外、以上の4点だけの確認で
 済むようだ。

90korou:2021/06/15(火) 15:04:57
チャック再確認。

パガニーニ「カプリース」
たしかにパールマンよりはナクソス1位のユリア・フィッシャーのほうが音色が綺麗。
しかし曲そのものが300選に値しない(ただの練習曲のよう)。

ラベル「弦楽四重奏曲」
アルバン・ベルクQの演奏で聴くと、たしかに思ったより面白く聴ける。
しかし、馴染の無い曲でもあるし、頻繁に聴かれる曲でもないので
あえてジャンル替えする必要性は感じない。

シューマン「交響曲第1番」
まず若手代表のヤンソンスで聴いてみて、それからクレンペラーで聴いてみた。
両者の差は歴然としている。
というか、クレンペラー以外でこの曲を面白く聴かせられる指揮者などいそうにもない。
曲はシューマンの欠点が全面的に出てしまっているので、しばしば聴くまでにはいかないが
全く聴かないのは勿体ない。
「たまに聴く」に分類替え。

以上で確認作業終わり。
今度は、「聴き馴染みのある曲」について、ユ・ナの区別をつけるだけの作業。
気が向けば、推薦演奏以外も聴いてみたい。

91korou:2021/06/18(金) 16:28:20
チャイコフスキーの「P協」「Vn協」を連続して聴く。

「P協」でアリゲリッチを推奨していたのには我ながら驚いた。
聴いてみて、かなり彼女にしては不調だったのではないかと思われる出来だった。
特に終楽章でのミスタッチは痛々しいほどで
これはいかに正統派であろうと、リヒテル&カラヤンの牙城を崩すほどのものではないだろう。
日を改めてリヒテルの演奏を聴いて再確認してみよう。

「Vn協」のフェラス推奨も考えものだ。
これは初回選考の際に、もっと広く聴くべきだったと反省しているとおり
もっといろいろと聴く必要がある。
ただし、第2楽章でカラヤンが引き出したBPOの重厚な響きは聴きものだ。
これだけは他の演奏を凌駕しているだろう。

92korou:2021/07/26(月) 11:47:59
ブラームス「第3」を比較試聴。

ジュリーニ&フィルハーモニア管が断然良い。
かつての試聴では、ジュリーニ&VPOについて
聴き通せばVPOの音色の魅力がフィルハーモニア管それよりも勝ると判断して
VPOのほうを推薦盤にしていたが
改めて聴くと、最初からVPOの音色がほとんど録音できていない演奏で
しかもテンポがかなり遅くなってきていて、その分魅力薄になっている。

併記して推薦していたヨッフム&ロンドン・フィルの演奏も
さほど滋味を感じず、ムダな繰り返しもあったりしたので
ここはジュリーニの旧盤のみを推薦盤に書き替えすることにした。

93korou:2021/08/09(月) 13:38:20
久々に音源チェック。

ベートーヴェン「第1」「第2」について。
「第1」のシューリヒトは悪くはないのだが
ワルターの演奏を聴いてしまうと
ベートーヴェンらしい響きの点でワルターに軍配をあげざるを得ないので
併記で推薦は取り消すことにした。
最近の指揮者だとなかなかこの響きは出せないわけで
その意味では、シューリヒトは未来っぽい演奏をしていることになる。

「第2」は、いまだ他の演奏を聴いていないのだが
おそらく凄い演奏を聴いたとしても
それだけでワルターの演奏を外すようなことはあり得ないので
ワルターを推薦のまま残すことにした。

よって「第1」「第2」ともにワルター&コロンビア響で決まり。

94korou:2021/08/13(金) 21:42:12
「エロイカ」の再チェック。

こんな大曲を、しかもいつもと違って夜に比較試聴したので
再チェックできたかどうか・・・

やはり、この曲にはドイツの魂が匂ってこないと個人的には満足できない。
だから、セル&クリ―ヴランド管の演奏は、どんなに立派でも、その点で魅力薄なのである。
たしかに、いろいろ残った録音の中では、ユンク君の説明通り、1957年のものが最高だとは思うのだけれど。

その点で、最初のチェックで推薦盤にしたシューリヒトの演奏は
その基準でいうならば物足りない。
オケがフランスの二流オケというのも物足りない。

だから、今回いろいろ聴いてみて
結局のところ、ワルターとフルトヴェングラーに落ち着いたのである。
(ということで、あとはドイツ系の指揮者でいろいろ聴く作業が残った。
 イッセルシュテット、ベーム、カイルベルト、カラヤン、E・クライバー、クラウス、クレンペラー、ケンペ等々)

それと、前回のチェックでマルケヴィッチの演奏に感銘を受けていたので、それも聴いてみた。
確かに凄い。個人的にはセルなんかよりよっぽど凄い。曲の個性を思えば、シューリヒトよりも良いかもしれない。
それは、シンフォニー・オブ・ジ・エアーの凄さでもある。このオケだからこそ、マルケヴィッチの芸術が生きている。
本当にこのオケの底力は凄い。1955年の時点で合奏力という観点で言えば世界最高だったのではないか。
ただし、ドイツの匂いがない(当たり前だが)。だから推薦盤にはしない。
今、ブラームス「第1」の最初のほうを聴いている。これはそこまでドイツ臭を要求しないので満足して聴ける。凄い。

95korou:2021/08/14(土) 15:11:04
「エロイカ」再チェックの続き。

クナパーツブッシュのブレーメン響との演奏には驚いた。
まだ完成前のリハーサル中の演奏のごとく、未熟な演奏だ。
それに比べて、同じクナのミュンヘン・フィルのほうの演奏は堂々としている完成形で
即興の美しさにおいてフルトヴェングラーと双璧だが、あれほどの真剣さは感じられない。
クナの即興は、何か真剣さとは別の土台の上で組み立てられているように思われ
そこがベートーヴェンの音楽の核心とは遊離しているのが、この演奏の弱点だろう。
その点、フルトヴェングラーの真剣さは、ベートーヴェンの音楽の個性と一心同体のように思える。

メンゲルベルク&AC管の演奏も、それに似て、この大指揮者の個性は十分に発揮されているものの
その音楽の行き着く先はベートーヴェンの音楽の真実とはかけ離れているようだ(それに録音も悪すぎる)。

エーリッヒ・クライバー&AC管は不思議な演奏で、主題提示部の音楽の流れは申し分なく、あらゆる演奏の出来を凌駕するくらいだが
展開部に入った途端に音楽が渋滞し始める。これは、この日のクライバーのコンディションによるのではないか?

カラヤン&フィルハーモニア管は、予想以上に優れた演奏で、音楽の流れをクライバー並みに巧く把握できていて
それが展開部になっても破綻していない。これは逆にこの日のカラヤンのコンディションがベストだったのだろう。
このカラヤンの解釈をステレオで聴きたくなり、約10年後のBPOの演奏に切り替えてみたが
これは失望する結果に終わった。
今度は展開部で緊張度がバラバラになり、優れた部分は凄いのだが、そうでない部分も相当混じっていて
その未整理な部分はBPOのソロ奏者が目立ちすぎる結果を生んでいる。
かなりテキトーに聴けば、提示部は立派で、展開部も部分的に立派なので、もともとの曲の素晴らしさと相俟って
非常に印象的な、近代オケの合奏力のレベルの高さを示した演奏という風に聴けてしまうのだが(これが今までの印象)
今回、フィルハーモニア管と比較試聴してみて、その雑なまとめ方に気づいてしまった。
この時期(60年代前半)のカラヤンは忙し過ぎたに違いない。
だから、50年代の名演と比較すると、レベルは落ちているのだろう。

96korou:2021/08/14(土) 15:54:52
「エロイカ」続き。

コンヴィチュニー&ライプチヒ・ゲヴァントハウス管の演奏は
最初は異様なほどスローテンポに思え違和感ありありだったものの
そのテンポに慣れてしまうと、今度はオケの薄さに違和感を覚え
しかしその薄さにも慣れてくると、最終的に温かみのある手作りの良さのような質感が伝わってくるという
つまるところ、徐々に印象が良くなる演奏だった。
音楽の細部のどこにも不自然な節回し、不自然な流れなど見当たらず
自然に音楽が奏でられていくこの心地よさは、なかなか他の演奏では聴けない良さだ。
「エロイカ」が持つ激しさ、劇的な感動といった側面はまるで再現されないままだが
こういう名演もあるのかという発見。

ベーム&BPO(1962)の演奏も一見不可解な演奏。
とにかく展開部途中まで、提示部全体を含めて何をしたいのかよく分からないのだが
展開部途中から突然人が変わったように劇的な音楽に切り替わり
これは凄いぞと思わせたのも束の間、再現部はまた平坦な音楽に戻る。
どちらにせよ「エロイカ」とベームの相性は悪そうだ。

ヨッフム&BPO(1954)は、それとは真反対の分かりやすい演奏。
提示部のテンポがクライバー並みの妥当な感じで(クライバーほど音楽的美しさには乏しいが)
そのまま展開部に突入してもレベルは落ちないし、今度はフルトヴェングラーを連想させる絶妙のテンポの揺れで
音楽の深みを表現できているので、途中までは凄い名演だと思った。
ところが、どういうわけか、展開部が進行していっても感動するところまで行き着かず
なぜか巧い演奏にとどまってしまっている(その点でアプローチは全く違うが、カラヤン&フィルハーモニア管と同じレベル)。
聴きやすいのだが、感動は与えてくれない。ドイツ的なんだけど、その良さが空回りしている。

97korou:2021/08/15(日) 17:22:04
今日もしつこく「エロイカ」再チェック。

ケンペン&BPOの演奏。筋肉質で締まった演奏だが、音楽が細部でふくらまず
厳しい姿勢で交通整理をしている警察官のような演奏に聴こえる。

カイルベルト&バンベルク響の演奏は
一見(一聴?)特に何も特徴がないように聴こえるが
次第に心が馴染んでいく不思議な演奏だった。
第1楽章だけ聴いて、演奏とは全く別次元の理由で睡魔が訪れたので
再度聴いて、もう少し分析することにする。
今回はここまで。

98korou:2021/08/17(火) 15:16:10
「エロイカ」再チェック。

カイルベルト&ハンブルク響の演奏を再度チェック。
やはり眠くなった。何だろう。あまりにスムーズな響きなのだろうか。
思うに、エロイカという大曲の数々の決めどころに、それらしい演出が皆無なので
退屈してしまうのではないだろうか。
やはりどうあがいても、エロイカを淡々と演奏してしまっては、曲の本質から離れてしまうのではないだろうか。

クレンペラー&フィルハーモニア管の演奏も同じようなことが言える。
新旧2種あって、ステレオのほうはユンク君も書いているとおり、響きが単純に広がり過ぎて(当時のステレオ技術の限界?)
あまり魅力的に響かない難点が目立つ。
その点、モノラルの旧盤のほうは、響きが重々しくいかにもベートーヴェンぽくなっているが
解釈があまりに淡々としていて、エロイカらしくない。

ケンペ&BPOは意外な拾い物で
録音の良さもあるのだが、いかにもベルリン・フィルらしい重厚な響きがたまらない。
ドイツのオケの音色を愉しむことだけで言えば、十分推薦盤に値する。
終楽章まで通しで聴いてみたが、音色の響きは変わらなかった。
ただし、デモーニッシュな解釈は皆無で、そういうのを求めるときには今一つだろう。

99korou:2021/08/17(火) 16:03:11
「エロイカ」続き

ナクソスでヤンソンス&バイエルン放送響で聴く。
超特急、超高速のスタイリッシュな演奏で、いかにも21世紀を思わせる快演だが
何も心に響いてこない。時間のムダだ。

ネルソンス&VPOもさわりだけ聴いてみた。
ヤンソンスと全く同じ傾向の演奏で、VPOの腰が重い分だけ重厚に聴こえるだけのことだ。
ブルックナーであれほどの名演を聴かせる指揮者が
エロイカではこれほど凡庸なのかと嘆きたくなる思い。

ベーム&バイエルン放送響の演奏もあったので聴いてみる。
これは解釈としてはBPOのときとほぼ同じだが
オケの音色を録音がよくとらえていて、見事にドイツ的な響きだ。
ただし、その意味でケンペの演奏と似ていて、音色以外に聴くべきものは少ない。
ヤンソンス、ネルソンスの後で聴いたので、安心感は抜群だったが
ベームの世代ならこのくらいは当然だろう。

カラヤン&BPO(1984年)の演奏はヘン。軽すぎる感じと薄っぺらい録音でベートーヴェンが台無しだ。
ジュリーニは何度聴いてもテンポが遅すぎて音楽が入ってこない。
バルビローリは珍しく老醜をさらしている演奏、本来はもっと快活な演奏なはずなのに。

100korou:2021/08/17(火) 16:05:42
「エロイカ」の続き。
もう7書き込み連続なので、いい加減ケリをつけたい。

突如、耳の調子がヘンになったので今日は終了。
あとフリッチャイとマタチッチを聴いて「エロイカ」は終わりにしたい。

101korou:2021/08/18(水) 16:17:36
「エロイカ」最終チェック。

フリッチャイ&BPOの演奏は
とにかく第1楽章の出来が素晴らしい。
まだまだ最晩年の深みには達していないのかもしれないが(そのあたりも確かめたいところ)
曲想の要所要所でキメ細かく、かつベートーヴェンらしい音色で
この曲が表現しようとしているものを的確に再現できている。
残念ながら、2楽章以降は、当方のコンディション不良で睡魔に襲われ
きっちりと聴けていないのだが
後日きっちりと聴くことにする。

マタチッチ&チェコ・フィルの演奏は
録音の音質がステレオ録音としては明るすぎて軽すぎるようで
マタチッチの演奏個性にふさわしくなく聴こえる。
イヤホンで聴くのが不適切なのかもしれない。
今、たまたま片方の耳のほうを外して聴いてみたら
なかなかシンフォニックに響いていい感じだった。
ただし、もしその響きであったとしても
これだけ細かいニュアンスが要求される音楽の演奏としては
あまりに豪快すぎるかもしれない。
ブルックナーこそ、こういうシンフォニックな響きがふさわしい。

ということで、次の書き込みで総括。

102korou:2021/08/18(水) 16:26:46
「エロイカ」比較試聴の総括

今回の総括で印象に残った演奏は
コンヴィチュニー、カラヤン(旧盤。フィルハーモニア管)、ケンペ、フリッチャイ、マルケヴィッチ。

ただし、もう1回念のため再聴してみて、カラヤンの旧盤とシューリヒトを比較してみて
カラヤンのほうが上という評価にはムリがあったので訂正。

総括すると
ドイツ的響きとエロイカの巨大さを表現できているのは、フルトヴェングラー&VPO
エロイカの巨大さと繊細さを同時に余すことなく表現できているのは、ワルター&コロンビア響
この2つの演奏が双璧。
次点として、まさにベートーヴェン的精神状態を再現できている奇跡の演奏として、フリッチャイ&BPO

ドイツ的響きをもっぱら愉しもうとするならば、コンヴィチュニー&ライプチヒ・ゲヴァントハウス管、ケンペ&ハンブルク響

ドイツ的響きはないが、シンフォニックな厳しさを求めるのであれば、マルケヴィッチ&シンフォニー・オブ・ジ・エアー
同じくドイツ的ではないが、音楽的な美しさの極致を愉しむのであれば、シューリヒト&パリ音楽院管

ということで、最終的にフルトヴェングラー、ワルター併記での推薦とする結論に至った。

次回は「第4」。

103korou:2021/08/27(金) 16:13:37
ベートーヴェン「第4」の再チェック。

前回はワルター&コロンビア響が推薦盤。
この曲に関しては、特に新しい世代の指揮者ではどうにもならない面があり
どうしても旧世代の指揮者の演奏の比較となってしまうのは仕方ないところ。
曲そのものがベートーヴェンにしてはいかにも不出来であり
簡単に言えば「要を得てない」曲なので
どんなにスタイリッシュにキメても、ベートーヴェンらしさのかけらも出てこないのである。
(その典型がカルロス・クライバー&バイエルン放送響の演奏。一般的にはこの演奏がベストらしいが、とんでもない話だ)
そのあたりが「英雄」とか「運命」とは決定的に違うところ。
その点、トスカニーニ、フルトヴェングラーの両巨匠の場合
個性的であると同時に、その個性が曲の物足りなさを十分に補い、聴くに足る演奏になっている。
しかし、その個性による補いを最小限に聴かせ、曲そのものを活き活きとしたものに再現したのが
巨匠ワルターの芸術である。
今再聴しているが、この演奏が一般的にはベストで間違いないだろう。

ナクソスにムラヴィンスキー&レニングラード・フィルのライブ演奏で1955年のものがあり
試しに聴いてみたところ、これは物凄い演奏で、ある意味、あらゆる演奏を超越して最高級の演奏と思えた。
ムラヴィンスキーについては、宇野功芳氏が1949年の録音の演奏を「録音さえもっと良ければ」という留保付きで推薦されていたが
これは、恐らくその1949年盤よりもはるかに音質が良いようだ。宇野氏が書かれたニュアンスが十分に聴き取れる。
この聴き慣れた曲が、まるで違う曲のように聴こえるのには驚かされる。
こういうのを天才と言うのだろう。
ワルターと併記して推薦盤としたい。
心の安らぎも同時にというときはワルター、この曲からもベートーヴェンらしさを求めるときはムラヴィンスキー、という
聴き分け?(妙な言葉になったが)が最高だ。

104korou:2021/08/28(土) 14:29:27
(補遺)ベートーヴェン「第4」

バーンスタイン&VPOの演奏は、最もベートーヴェンらしい響きの演奏で
若い時ならこれがベストの演奏だったかもしれない。
しかし今や曲そのものへの疑念が深まってきているので
この正統派解釈が残念に聴こえる(意欲十分なのに曲がそれに応えていない)。

ベーム&VPOの演奏は、音楽的に正しいという意味においてワルターと双璧、
オケが上手いので、こちらがベストかもしれない。
そして、どうしても納得できなかった第1楽章の展開部の緩さが
ベームの解釈により、ここはオペラのような広がりの展開を意味していると分かり
凡庸な解釈でやたらアクセント、アッチェランドをかけてたたみかけようとする演奏の愚かさを
しらしめてくれたのはさすがだ。
しかし、そうなれば、ベームの非情なまでのリアルな解釈が今度はうとましく感じられ
ワルターの歌心に満ちたフレージングが懐かしく思えてくるのである。
ワルターも展開部を広がりのある音楽として解釈していたに違いない(鈍い自分にはすぐには分からなかったが)。

最後にカイルベルト(&バンベルク州立フィル)。
宇野氏が言うようなオケの響きの美しさについては
ずっとVPO、それもVPOにしては随分と優秀な録音でそれを聴き続けた後なので
それほどまでには感じない。
解釈は若々しく、バーンスタインとベームの老熟した指揮ぶりとは対照的。
そして、展開部はベームと同じでゆったりとして、決して若さのまま勢いで突っ走らないところが
やはりドイツの正統派解釈なのだろうと感じた。

この3つの演奏はすべて優れた演奏だが
ワルター、ムラヴィンスキーの牙城を揺るがすには至らない。

105korou:2021/09/02(木) 17:35:33
「運命」再チェック、
第1楽章を「意志の発現」と採るか、「運命の描写」と採るか。

今まではベートーヴェンの意志として聴いていた。
しかし、このような激しい感情の吐露をメインにした音楽を
もはや我が事として共感できなくなっているここ最近の感性で聴いてみれば
意外なほど客観的に響いてくるのには驚いてしまう。
これはモーツァルトの「第40番」のような”神の摂理”の描写なのだ。
第2楽章も同じく”神の摂理”で、より内面的な精神の状態を表わしている。
第1楽章が神の摂理を自らを取り巻く”環境”の摂理として表現しているとして
第2楽章は”自分の精神そのもの”のなかに神の摂理を見出そうとしている。
外と中、激情と瞑想、それらはゲーテが感じた悪魔めいた近代人の姿としてではなく
あくまでも18世紀までの世界観のなかで表現されている。
しかし、その視点そのものが新しい。独創的で誰も成し得たことのない新時代の視点だ。
そして、第3楽章から第4楽章にかけて
そうした視点で獲得した地点からの旅立ちを表現する。
だから、絶望的な状況のなかであっても、力強さを感じさせる状況であっても
どこかにその絶望と歓喜を見つめている冷静な視点を持っていなければ
新しい時代はやってこない。新しい人間像は生まれない。

こんな風に解釈すれば、今の気分にぴったりだ。
でも、これは本当に難しい。
以上のニュアンスを全うしながら、あくまでもベートーヴェンの響きでなければならないのだから。
ほとんどの演奏は以上の条件を満たさない。皆失格だ。

106korou:2021/09/02(木) 17:47:06
「運命」再チェック。

トスカニーニなどの古い録音は論外だ。ニュアンスも何もあったものではない。録音の古さが全てだ。
フルトヴェングラーの1947年盤も同じ。
フルトヴェングラーの1952年盤は、昔聴いていた記憶からすれば、ユンク君で聴くその音質の良さは画期的だ。
十分にニュアンスが聴き取れる。
ベートーヴェンの響きという点で、これほど力強く、内面から湧き出る力を感じさせる指揮者は他に居ない。
ただし、解釈の基本が、この作品全体を通して、新しい人間像を直接表現しているという立場をとっている。
だから、今の自分には不自然な重たさ、物々しさをもって聴こえる。

ワルターも想像以上に古い解釈だった。
NYPとの旧盤、コロンビア響との新盤ともに、物々しい(よく歌っているので重たさは感じないが)。
最近のお気に入りだったエーリヒ・クライバーの解釈も
こうして聴いてみれば時代の制約を感じてしまう。
出だしからすっかりベートーヴェンっぽく物々しい(切れ味は鋭いので重たさは感じないが)。

かつて偶然エアチェックして聴いていたバーンスタイン&NYPの演奏、これが良かった。
第1楽章は完全に古典派のシンフォニーの解釈で、しかも読みが深い。かつバーンスタインの個性の美点が出て
ベートーヴェンの作品らしい響きに満ちている。
第2楽章も、音量の変化などが想像以上に繊細で満足な出来。
第3楽章から第4楽章はやや平凡だが、それまでの満足感を損ねるものではない(というより、この部分のベストとなると
自分にはイメージが湧かない。どう表現すればベストなのか?)
というわけで、現時点ではバーンスタイン&NYPが推薦盤となる(なおカルロス・クライバーは響きがベートーヴェンでない)。

107korou:2021/09/05(日) 17:50:04
「運命」再チェック。

ユンク君サイトで、スタインバーグ、オ-マンディ、オッテルロー、アンチェルなどを聴く。
どれも悪くはないのだが、あえて聴くほどのものでもなかった。
どの指揮者も「運命」、そしてベートーヴェンが特に得意な指揮者でもないが
ひょっとして意外な拾い物があるかもしれないと期待したのだが・・・

最後にベーム&BPOの1953年盤を聴いた。
これが最初から重厚な響きでいかにもベートーヴェンらしく
またベームらしく一見機械的な処理のように見えて、実は内面からよく歌い上げられていて
この曲の前半の後期モーツァルト風な悲愴美をよく表現していて
その意外なほどの響きの良さに驚かされた。
第2楽章の強音が、録音のせいもあって耳に優しくない響きになってしまうのが唯一の難点。
第3楽章から第4楽章にかけての見事なデモーニッシュな響きは
モーツァルト後期の悲愴美から、ベートーヴェンのみが達し得た近代人の模範となるべき勇気、意欲、力の表現を
最大限に再現していると言ってよい。
この曲に関して
前半はバーンスタインの分かりやすい説得力十分の演奏を聴くべきだが
後半はベームの心の内面から爆発していく人間の精神の
高貴さを聴くべきだろうと思う。

今のところ、この2つの演奏が推薦盤で、多分これ以上の演奏はないようにも思えるが
もう1回他の演奏を聴けるだけ聴いて、「田園」に移る予定。

108korou:2021/09/08(水) 17:51:58
ベート―ヴェン「運命」最終試聴チェック。

1週間ほど試聴し続けて、またまた嗜好が変わった。
基本的に遅いテンポの演奏が頭に入らなくなり(多分、試聴という方式のせいだろう)
バーンスタインの演奏が、それほど良いものに思えなくなってきた。
その一方で、トスカニーニの1939年盤の気迫のこもった演奏に特別な印象をもったりした。

やはりベーム&BPOがベストだと思う。
ただし、クレンペラー&フィルハーモニア管の演奏もそれに匹敵する凄さをもっている。
クレンペラーの指揮は、ひたむきな情熱を感じさせない点で
ベートーヴェン「運命」の演奏としては、最初はどうかと思ってしまうのだが
聴いているうちに、一音もおろそかにしない集中力と堂々とした揺るぎないテンポに圧倒されていき
特に「運命」という曲のキモである第3楽章から第4楽章への突入部分での気持ちの入り方が凄まじく
ベームの燃焼力、内面の強さと好一対であるように思えるのである。

その点、カイルベルト、ヨッフムなどの純ドイツ系指揮者の指揮ぶりは
第1楽章から第2楽章にかけて安心の音色で気持ちよく聴けるのだが
そこから先の音楽がそれ以上に止揚されないまま、安定した感じでフィナーレに至るところが
やはり「運命」としては物足りないのである。

よって「運命」推薦盤の最終結論。
クレンペラー&フィルハーモニア管が1位、ベーム&BPOが2位。
クレンペラーを優先するのは、後半の楽章の切れ目がなく継続して聴けるからで、それ以上に理由はないが、この点は大きい。
次回から「田園」。

109korou:2021/09/09(木) 17:19:34
ベート―ヴェン「田園」の再チェック。

どうも、疲れているときにこの曲はムリなようだ。
どれを聴いても眠たくなる。
疲れてなければワルターでもモントゥーでも美しく聴こえるのだが
たまたま今現在のように睡眠不足だったりすると(本当にたまたま)もうダメだ。
この曲は今回パスすることにしよう。
ワルターはさすがに他と違うのは分かるので
モントゥーを消して、同等のランクでジュリーニを候補に入れておくことにしよう。
次の機会には、ベーム、クレンペラー、シューリヒト、E・クライバーを含めて
比較試聴したい。

ということで次回は「第7」

110korou:2021/09/16(木) 17:45:30
ベートーヴェン「第7」の再チェック。

まずはナクソスから、
トップがベーム&VPOだったので驚いたが(普通はもっと新しいコンビなのだが)
聴いてみると、いきなりの美しいウィーン・フィルの音色に、さらに驚かされた。
VPOの場合、録音の悪さでうんざりさせられるのが常だったので。
演奏もベームらしい重厚なものだが、その個性が「第7」に合致しているかというと
意外と合わないように思えた。
1975年の来日ライブにしても、どちらかいえば沈潜する表現が最終楽章でまさにクレンペラーの演奏のような
えも言い難い感動を生んだわけだが(当時はクレンペラーの演奏の感動を知らなかったので、唯一無二のように思えたが)
つまり、それはベームらしい重厚かつ内省的な響きという個性のゆえ、というわけではなかったのである。
この演奏も、最初のほうで音色からくる感動を味わった後は、意外と平凡で、飽きがくる演奏になっていった。

第2位はラトル&VPO。いかにもラトルらしい鋭くも軽やかなリズムで個性を見せるが
ラトルのベートーヴェンはまさに現代の感性そのもので
どうにも自分には馴染めない。

第3位はカルロス・クライバー&バイエルン放送響による1983年のライブ盤で
これはかつて聴いた1975年のスタジオ録音とは違って、興味深い演奏だった。
第3楽章の途中までは、全く飽きさせず、個性あふれる表現で才能を感じさせたのだが
第3楽章の最後に至って、時間の経過による音楽の深化が感じられないことに気付く。
第4楽章に至っては、ただ単にテンポの速いスポーティーな演奏という印象しか残らなかった。
これがこの人の限界なのだろう。

ということで、今日は、推薦盤発見には至らなかった。

111korou:2021/09/17(金) 16:56:42
ベートーヴェン再チェック。

「第7」のクレンペラー&フィルハーモニア管の1960年盤を再聴。
立派な演奏には違いないが、やはり第3楽章までは、聴く時のコンディションを選ぶかもしれない。
しかし、いかなるコンディションであれ、どんな環境であれ
終楽章のコーダ突入の際の低弦のうなるような響き、その上でインテンポを守りながら凄い集中力で上昇していくメロディ、
そして、いよいよ来るべきときが来たという瞬間に、凄まじいクレッシェンドで突入してくるトランペットの咆哮!
それらを聴いたときの、心が震えるような感動は、この演奏でしか味わえない。
外すわけにはいかないが、これは番外編として併記して
スタンダードな名演をもう1つ探そう。

寝る際の音楽を入れているSDカードの中身を入れ替えてみた。
その作業のなかで、ベートーヴェン「第8」について
ヨッフム&BPOの演奏が優れていることに気付いた。
シューリヒト盤の音の響きの悪さ、ヌケの悪さが気になり始めているので
この曲についてもシューリヒトよりヨッフムのほうに惹かれ始めている。

「第7」と「第8」を並行して作業してみることにする。

112korou:2021/10/13(水) 17:25:39
ベートーヴェン「第8」を再チェック。

今のところ、クリップス&ロンドン響がベスト。
前の書き込みでヨッフムを推奨してみたが
改めて聴くと、BPO盤(ユンク氏)は音が汚く薄いといういつもの録音の問題があり
AC管盤(ナクソス)は自然な音質で聴き易いのだが、肝心の音楽がいつもの豊かなヨッフムの音楽とは程遠い。
ただし、同じように、音質OK・表現物足りずのイッセルシュテットの指揮よりは、ヨッフム&AC管のほうが好みである。
シューリヒトも再々聴してみた。やはり名人芸というべきか、細部の表現が個性的で聴くべきものはあるし
よく聴くと伝わってくる奥底に秘めた情熱、力で、
まさにベートーベンの音楽の本質を、意外な方向からではあるが十分に表現し得ている。
聴く側の緊張感、集中力の問題かもしれない。

(推薦)クリップス&ロンドン響(ナクソスで。ユンク氏のサイトで再生すると微妙に回転数が違うので感動がイマイチになる)
    シューリヒト&パリ音楽院管(クリップス盤にはないベートーヴェン本来の力、情熱を感じたいときは、こっちになる)

クリップスの演奏は、ワインガルトナー、イッセルシュテットといったウイーンの伝統の感性を
ロンドン響の現代的な響きで再現したもので
全体の造型、細部の表現、テンポ、リズム、どれをとっても不満な点はない純音楽的な愉しみに満ちたものである、
そこにないのは、ベートーヴェンらしい力強い生命力、勇気づけられるイメージのみで
それはシューリヒトで味わうのが本筋である。
(最後にクナ&BPOを聴く。まあ凄い演奏である。こんな表現は他の指揮者では聴いたこともなく、もう二度と現れないだろうと
 思わせる。全体に流麗な感じが皆無なので推薦盤にはできないものの、たまに「第8」という曲の別の側面を堪能するという
 意味合いでは絶対外せないだろう。規格外の名盤と言える)

113korou:2021/10/13(水) 18:02:07
ベートーヴェン「第9」の再チェックに突入!

バーンスタイン&VPOの演奏は評価が高いが、今回聴いてみてもやはり重たすぎる。
音楽の深層のリズムは、バーンスタインの場合、どうしても変化しないようで
そうなると若い頃のNYP時代のほうがまだマシということになりそう。
イッセルシュテット&VPOを今聴いているが、これが結構聴ける演奏で驚いている。
VPOの録音としては最上級のもので、弦、金管、木管のどれも最上級の音色の美しさだ。
造型も確かで、「第8」のように難しい構成ではないので、実にスムーズに音楽が紡がれていく。
もっともベートーヴェンらしいか?「第9」らしいか?と言われれば、そうではないので
準推薦という扱いにせざるを得ない(純音楽としての美しさは最上級なのだが。その意味でワルターがコロンビア響で
「第8」「第9」に名盤を残せなかったので、「第8」はクリップス、「第9」はイッセルシュテットがその代わりということになる)

数日前にネルソンス&VPOの演奏を聴いて、その聴き易さに驚いたのだが
今回のイッセルシュテットと比較すると、やはり世代の有利さということはあるだろう。
ネルソンスは恐らくその世代において最も上手く「第9」を指揮できる人のはずだが
やはり、その解釈にはフィルターが入っていて、全体をスタイリッシュにまとめることに重きが置かれている。
イッセルシュテットの指揮だと、そうした考えを意図的にもたなくても、自然に音楽が流れていき
スタイリッシュなことを気にしなくても、無意識に十分にスタイリッシュなのである。
その分、イッセルシュテットの音楽は一層無手勝流とでもいうべきか、自然な音楽の流れ、愉しみに満ちていて
これはウイーンの伝統というものを19世紀末の雰囲気まで受け継ぐことのできた世代の有利さという他ない。
ネルソンスは、その不利な条件のなかで、最大限に美しい「第9」を表現している。
オケの響きも、VPOならという期待に十分応えているし、現代のベートーヴェンとしては最上のものと言えよう。
そして、イッセルシュテット同様、準推薦のベートーヴェンということになる。

114korou:2021/10/14(木) 17:28:24
ベートーヴェン「第9」再チェック。

今日は朝比奈隆とヨッフムの試聴。
朝比奈は、ナクソスで、大フィルとN響の2種類があったので両方、最初のほうだけ試聴。
ゆったりとしたテンポの部分(冒頭など)の意味深い響きはさすがで
これぞベートーヴェンという響きを(どういう仕掛けでそう聴こえるのか不思議だが)聴かせてくれるのだが
勢いをつけるフレーズや強音の部分になると、オケの響きが濁っていて鈍く聴こえるのが残念すぎてどうにもならない。
特に大フィルの音は致命的に鈍い。現代のリスナーは、いろいろな音を聴き続けているので、
今の自分のような”やっとこの年になって満足な音質を手に入れた”ような者にとっては、これは残念すぎて聴けない。

ヨッフムは全部通して聴いた。
第1楽章からずっとオケの響きは有機的で、適度に意味深く、適度にキレの良さがあるので、ずっと聴いていられる。
終楽章の合唱、独唱が素晴らしかったという印象があったのだが、確かに素晴らしい出来ではあるけれど
そこが格別に目立って印象に残るということではなく、一緒に奏でているオケも相変わらず素晴らしい。
そして、以前も感じたように、これは戦中、戦後の混沌、混迷をくぐり抜けてやっと本来の音楽の愉しみを奏でられる喜びに
満ちた演奏なのである。「第9」の演奏として、これほどふさわしい状況、雰囲気はなかなか他には見当たらないのではないか。
やはり推薦盤の1つとして不滅である。

115korou:2021/10/20(水) 14:05:00
ベートーヴェン「第9」再チェック、続き。

こういう大曲を比較試聴するのは大変なのだが
第1楽章冒頭のある種不穏な雰囲気からエネルギーが爆発するような部分だけでも
ある程度判断できることに気付いた。

フルトヴェングラー&バイロイト祝祭管の演奏は
部分的には他のあらゆる演奏を寄せ付けないほどの絶対的な表現が満載だが
冒頭があまりにも残念すぎる。
これは彼の演奏スタイルからして仕方ないのだが
「第7」であれだけ霊感を感じさせる冒頭の響きを出せる人が
こんな平凡な楽譜をなぞっただけのような冒頭の響きになること自体が信じられない。

トスカニーニ&NBC響の演奏は
その点で申し分ないし、途中までは物凄いスピード感で圧倒されるのだが
速いパッセージもそのスピードで突っ切ってしまうので、そこで音楽が死んでしまっている。
こんな単純な過ちになぜトスカニーニは気がつかないのだろうかと思えるほどで
自らの演奏スタイルに酔っているとしか思えない。

メンゲルベルク、ワインガルトナーの演奏は音質が悪すぎて、批評の対象になり得ない。

116korou:2021/10/20(水) 14:22:24
ベートーヴェン「第9」再チェック、続き。

カラヤン&フィルハーモニア管は
あまりにもカラヤンすぎる演奏で、冒頭の不穏感が皆無、これはベートーヴェンではない。

クリュイタンス&BPOの演奏は
これといって欠点の見当たらないオーソドックスなもので
じゃあ何度も聴きたい演奏かと言われれば、決してそうはならないという類の演奏である。
ベートーヴェンを表現するには、あまりにも上品なスタイルと言えるのだが
そう思えば、冒頭の不穏感の出し方など、自らの個性のなかでよりベターな響きを出している点は
さすがと評価できる。でも全体としてはどうでもいい演奏。

シューリヒト&パリ音楽院管については
何とも不思議というべきか、冒頭の響きが不穏感とは程遠いながら、それでいて全然違和感がないという奇跡。
でも、全体にベートーヴェンらしくない響きであることは確かで、さらにオケの音色が明るすぎて「第9」らしくない。
シューリヒトの棒なら、ドイツもしくはオランダのオケで聴きたかったところだ。

ワルター&NYPの演奏は、まさにワルターらしい細やかな表現が聴きどころなのだが
その豊かな感性を邪魔しているかのようなNYPの弦の音色の鋼鉄のような響きが恨めしい。
しかも、これはワルターがアメリカの聴衆向けに磨いた音色のように思えて二重に恨めしい。
ミュンシュ&ボストン響も、音色といい、表現の基本スタイルといい
ワルターの小技がない分だけもっと徹底して50年代のアメリカのオケの音色を代表するかのような演奏だ。
ところが、その分爽快さは際立っていて、さらにトスカニーニのときには無茶苦茶に聴こえた部分、速いパッセージにおいても
この超特急スピードのスタイルながら不自然に聴こえないのが不思議である。
これはこれで”極めた演奏”なのではないかと思えた。
ある意味素晴らしい!

117korou:2021/10/20(水) 15:22:43
ベートーヴェン「第9」再チェック、続き。

ミュンシュ&ボストン響の演奏について補足。
素晴らしいのだが、このスピードで演奏するとリズムに粘り、ニュアンスが出ないのは当然なので
その意味で決して推薦盤のレベルではない。
ただ、数多くある速いテンポの演奏の中では最高のレベルと言える。

クレンペラー&フィルハーモニア管は
あまりにも霊感に乏し過ぎるというか、これはクレンペラーにしてはあまりにも不出来な演奏である。
どこをとっても魅力に乏しい表現になっている。

コンヴィチュニー&ライプチヒ・ゲヴァントハウス管については
とかく明るい音色になりがちなオケの個性をよく修正してベートーヴェンらしい重厚な響きにもっていった
コンヴィチュニーの指揮ぶりが注目の演奏だが
それ以上の聴きどころはない(録音は秀逸)。

アンセルメ&スイス・ロマンド管の演奏は、もはやアンセルメ独自の響きが耳について、どうにも批評できない。

ワルター&コロンビア響については、冒頭の不穏感が皆無ながら、フルトヴェングラーのそれと違って
なんとかそこは聴き続けることが可能で、そこから先に進むと、いろいろな箴言を聴くことができる演奏になっている。
ただ、あまりにもベートーヴェン臭が無さ過ぎて物足りないことも事実。
なかなか「第9」というのは難しい曲だ。

118korou:2021/10/20(水) 15:52:50
ベートーヴェン「第9」再チェック、続き。

フリッチャイ&BPO。
シリアスな響きはいかにもベートーヴェンらしいのだが
どういうわけか健康的な響きにも聴こえ、その点で堂々としていながら妙に残念なオイストラフのヴァイオリンと
よく似ている。
もう少し晩年に近いフリッチャイなら、もっとできたはず。

カラヤン&BPO。
以前のフィルハーモニア管との演奏と比べると雲泥の差で、冒頭から見事な不穏感を醸し出す。
その直後のフォルテの響きは感心しないのだが、それを除けば、何という見事なベートーヴェンらしい響きの連続。
カラヤン独特のレガート、フォルテの響きの軽さに目をつぶれば、断然「第9」らしさにあふれた演奏。
何といっても、この60年代前半のカラヤンのベートーヴェンでしばしば聴かれる圧倒的な気迫が素晴らしく
徐々にレガートも響きの軽さも気にならなくなり、聴き入ってしまう。

マルケヴィッチ&ラムルー管の演奏については
以前は推薦盤にしたものの、こうして多く聴いてみると
数多くあるテンポの速いスタイリッシュな演奏のなかで特に目立って出来が良いというわけでもなく
聴き直してみるとかなり平凡に聴こえた。
マルケヴィッチとカラヤンを入れ替えて、今回の「第9」の再チェックは終了としたい。

推薦、ヨッフム、カラヤン。

119korou:2021/11/05(金) 14:53:15
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」を比較試聴。

このところこの曲ばかり2週間以上聴いているのだが
決定盤が出てこない。
以前推薦盤にしたケンプ&ケンペンの演奏は
やはりオケの音の出し方にデリカシーが乏しく
モノラルの音質ということもあって広がりもないので却下。
広がりという点では、
ルービンシュタインとクリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エアの演奏が
録音も優秀、ニュアンスも豊かで広がりがあり
これを推薦盤とするほかない。
曲自体が形式的なリズムに陥っていて、ベートーヴェンにしては不出来な曲なのかもしれない。
その点で、ルービンシュタインは極めて主観的な弾き方をしていて
宇野功芳氏の指摘のとおりなのだが
こういう曲の場合、こうした個性的な弾き方でないと
最後まで飽きずに聴くことは難しいように思う。
今ずっと聴いているのだが
第2楽章は、ピアノ、オケとも素晴らしい出来で
これに関しては文句なしの名演だと思った。
両端楽章も、曲の出来栄えからみてこれ以上のものがあるようには思えない。

(推薦)ルービンシュタイン(P)、クリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エア

120korou:2021/11/08(月) 17:13:42
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」の再チェック。

結論から言えば、前回推薦のアラウ&C.デイヴィスで決まり。
他の演奏はほぼすべて音色が明るすぎて、この曲のモーツァルト風な側面だけが浮き彫りになっているが
アラウはさすがで、この淡泊な曲からベートーヴェンなるもののエキスを磨き出している。
デイヴィスの指揮も信じられないほどアラウの演奏に沿った見事なもので
協奏曲のバックの指揮の理想ともいうべき、音色を遠景にとどめて
ともすればベートーヴェンの楽譜から導き出されがちなオケの出しゃばり具合が完璧にセーブされて
ベストのポジションでオケが鳴っている。
ドレスデン・シュターツカペレの音色もいかにもベートーヴェンにふさわしく
録音も超優秀でその音色を100%再現できている。

アラウの精神性あふれる高貴な演奏は他の演奏とは隔絶して素晴らしいが
それに匹敵する深い精神性を、こんな明るい淡泊な曲から導き出しているのが
コンラート・ハンゼンのピアノ、フルトヴェングラー&BPOによる戦時中のライブ録音である。
アラウの悠然迫らぬ境地、すべてを見通したかのような演奏とは対照的に、
当時40代のハンゼンは緊迫した雰囲気、凄まじい集中力でもって
この曲の精神性を表現している。
フルトヴェングラーの指揮も、得意ではないはずの協奏曲におけるサポートという立場のなかではベストに近い出来で
ハンゼンのピアノがこの巨匠の音楽と渾然一体となって聴く者の心に迫ってくるのである。
録音もこの時期のものにしては驚くほどクリアだ(ただし、ナクソスで検索して最上位に出てくる録音は冴えないので、
Russian Compact Discというレーベルのもので再生する必要アリ。なお、ユンク君には音源ナシ)

その他に、グルダ、ルービンシュタインを聴いてみたが
悪くはないのだが一長一短があり、上記2点と比べると聴いていてもどかしい。

(推薦盤)アラウ(p)、C.デイヴィス&ドレスデン・シュターツカペレ

121korou:2021/11/12(金) 15:00:50
ベートーヴェン「皇帝」の再チェック。

第3番に続いて苦戦。やはり曲自体の出来が良くないので、名演を探すのが難しい。
今のところ、前回推薦のグルダ、シュタイン&VPOがやはり一番なのだが
それでももっと良いものがあってもおかしくない直感にとらわれるのは何故か。

グルダの音は若々しく、軽快でいて、全然軽い音色の欠点を感じさせない唯一の音である。
「皇帝」は重々しい音色がふさわしいはずなのだが
グルダの演奏で聴くと、この曲がベートーヴェンの若い頃に書かれた曲であることを改めて再認識させられ、
こうした若々しさを感じさせる軽やかな音で弾かれるべき曲なのかもしれないと思わせるのである。
これは他のピアニストの演奏では決してたどり着かない感想なのである。
シュタインの棒は的確で、すでにピークではないVPOの演奏力から最大限のものを引き出していて好感が持てる。

同じVPOでも、ベームの棒にかかると、さすがに見事な音を奏でだす。
ここでは若き日のポリーニが弾いているのだが、残念ながらニュアンスに乏しく、ただ弾いているだけの感じなのが残念。
VPOの音は最高なのだが。
VPOがもっとハイレベルな時代に録音されたイッセルシュテットの指揮はオーソドックスで良いのだが
肝心の録音にクセがあって、弦の音などにふくらみが乏しく感じられる。
バックハウスのピアノはさすがで、この音色と落ち着きは、ちょっと聴いただけでもベートーヴェンそのものだ、
ニュアンスがどうのこうのなどこの演奏には無用なのだが、それにしてもオケの音質が残念すぎて決定盤とはし難い。
ニュアンス関係なしといえば、ホロヴィッツの演奏も凄いものだが、バックハウスと対照的に
このピアノの音色はどこまで聴いてもベートーヴェンではないように思えてしまう。
ライナーの指揮は秀逸なのだが。

他にもいろいろ聴いているのだが、書き切れないので略。
次回で最後にして、当面グルダを暫定推薦盤としようか。
「皇帝」だから名盤を期待するほうがムリなのかも。

122korou:2021/11/18(木) 10:57:53
ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」を再チェック。

「皇帝」がまだ済んでいないのだが、ついつい次の曲へ。
とはいえ、どれを聴いてもしっくりこない。
そもそも自分の嗜好として
協奏曲というジャンルに何も見いだせないような感じさえしてきて唖然とする。

そのなかでもまあ聴き易い、安心して聴けるというのは
やはり前回推薦盤のパールマン、バレンボイム&BPO盤となるだろう。
緊張を持続させて聴き続けることができるというレベルではないのだが
耳元でずっとなり続ける音として、ベートーヴェンの「Vn協」ならこんな感じかなという
いい意味での既視感がある。

シェリング、イッセルシュテット&ロンドン響の演奏も
パールマン盤に似た印象で安定感があるが
シェリングの音色が透明すぎ、パールマンの幸福感あふれる音色と比べると
自分の嗜好としてはやはりパールマンを採りたい。

クライスラー、クーレンカンプ、ヘンデル、五島みどり、クレーメルなどを聴いてみたが
いずれにせよ、メロディの起伏が霊感に乏しく、名曲とは思われない。
ベートーヴェンにとって、ヴァイオリンソロの名曲を書くことは
かなり苦痛だったのではないだろうかとさえ思える。

というわけで、この曲の再チェックはまたの機会として
今回は前回推薦盤の通りとしたい。

123korou:2021/11/18(木) 11:15:32
ベートーヴェン「皇帝」再チェック(最終)

やはりグルダ盤を推薦盤とするが
今回、ゼルキン、バーンスタイン&NYP盤を聴いて
その前進するエネルギーの熱さと、ゼルキンの心のこもった弾きっぷりに
感銘するところがあり
両者併記ということで。

音楽的な充実感ということだとグルダ盤(ナクソス)、
ベートーベンを感じたい演奏とすればゼルキン盤(ユンク氏)
という感じになる。

124korou:2021/11/21(日) 15:40:24
ベートーヴェン「悲愴」再チェック。

宇野氏推薦のホロヴィッツは、ナクソスにもユンク氏にも音源ナシ。
ギレリスについて、前回のチェックでは主部のテンポが急すぎて違和感アリと評したが
今回聴いてみて、そういう印象は受けなかった。
堂々とした立派な演奏だったのだが
その直後にケンプを聴いて
やはりケンプの素晴らしさというか、自然に音楽がこぼれ出るような見事さに
圧倒されてしまった。
ベートーヴェンの初期のピアノソナタは
再チェックの必要がないかもしれない。
あまりにもケンプと他のピアニストとの差があり過ぎる。

ということで
「テンペスト」までは、ケンプ中心にさらっと復習するだけにしたい。
「ワルトシュタイン」からいろいろ聴いていこうと思う。

次回は「月光」

125korou:2021/11/22(月) 17:54:59
ベートーヴェン「月光」再チェック。

しばらくケンプで再確認、と書いたものの
この「月光」だけは曲調が合わないのでケンプはパス(一応聴いてみたが、やはりダメ。厳格な曲調にこの流暢すぎる自由すぎる
ケンプのスタイルは合わない)。
なぜか、推薦盤のエクセル表だと、ホロヴィッツの1946年盤が推薦盤になっているのだが
その選考過程を書いた文章が出てこないので詳細が分からない。
ホロヴィッツの演奏は、1946年は音が古すぎて迫力が出てこず、表現自体ももっと”ホロヴィッツの月光”なら出来たはず。
1956年盤も聴いてみたが、出だしから平凡で聴くに値しない。
その点、最初の選考で文章に残してあるギレリスは
今回聴いても素晴らしかった。
何よりも、特殊な表現を聴かせるといった余分なものが全くなく
ほぼ聴こえる音の100%がベートーヴェンそのものであるのが心地よい。
第3楽章を久々に真剣に聴くことができて、ベートーヴェンの骨太で真摯な精神に触れ得た気がして
思わず感涙した。

ギレリスを推薦盤とするが
あとほんの少しだけいろいろ聴いてみることにする。

126korou:2021/11/25(木) 15:09:14
ベートーヴェン「田園」「テンペスト」を再チェック。

「田園」はケンプで決まり。
その結論を出してから数日経ってしまい、他に何を聴いたのか具体的に思い出せないが
最初のチェックの際に感じたことと同じだったことは覚えている。

「テンペスト」のケンプは、「月光」と同じ緩さが出ていて、ベートーヴェンらしさが感じられない。
リヒテルとギレリスは同じようなタイプの演奏で
ゆったりとしたテンポで緊張感を醸し出しながら、大振りな演奏で圧倒的な響きを出しているのだが
曲調がそうだとはいえ、やや劇的演出に走り過ぎているようにも聴こえ、次第に辟易してくる。
特にギレリスの場合、「月光」で素晴らしかったはずのその個性が
同じように弾いた「テンペスト」ではさほど感銘を生まないのは不思議という他ない。
その直後に聴いたナットの演奏は、演奏効果など皆無で真摯に弾いていて、いつもながらスタンダードで好ましい。
さらにバックハウスも、同様に真摯に弾き切り、さらにベートーヴェンらしさがナット以上に出ていて、素晴らしい。
ここはバックハウスを推したい。

(推薦)「田園」ケンプ、「テンペスト」バックハウス

127korou:2021/12/03(金) 15:12:53
べートーヴェン「ワルトシュタイン」を再チェック。

この曲に関しては、ギレリス、バックハウス、ホロヴィッツが抜きん出ているように思え
この3名の偉大なピアニストの演奏を聴いた直後では、他の演奏を聴く気にはなれず
以上全部を推薦盤としたいところだが、やはりその中でもバックハウスを推したいと思うのである。

ギレリスの演奏は、80年代の音楽評論家が一致して推している演奏で
自分も良い録音で余韻も楽しみたいというのであれば、断然ギレリスだと思っている。
どこにも欠点が見当たらず、よくぞここまで緊張を持続して集中力抜群な演奏で弾き切ったものだと感銘さえ受ける。
ただし、ベートーヴェンとしての根源的な力強さ、胸が震えるほどの感動という面では
何か物足らず、せっかくベートーヴェンを聴いているのに、という思いも残る。
ホロヴィッツの演奏もベートーヴェンよりも演奏者を意識させている点では、ギレリスと同様である。
しかし、この演奏は超絶的でホロヴィッツ以外に誰もこんな演奏はできないと言ってよいだろう。
物凄いテクニックなのに、単なる速弾きに終わらず、音楽の急所がすべて押さえられているのは奇跡に近い。
豪胆かつ繊細というのはこういう演奏のことを指すのだと実感する。

バックハウスの演奏は、この二者の演奏と比べれば圧倒される要素はかなり低いものがあるのだが
そうした表面的なものを乗り越えた真のベートーヴェン弾きとしてのクオリティに満ちている。
どこをとりあげても、演奏者自身ではなくベートーヴェンの音楽だけが伝わってくる至高の音楽。
これこそベートーヴェンを聴く、その手になるピアノソナタを聴く醍醐味ではないだろうか。

それにしても、本来なら表面を磨き抜いたギレリスもホロヴィッツも格段下の演奏となるはずなのだが
そうではなくバックハウスに匹敵するものを表面から引き出しているのだから
それも凄いと言わざるを得ない。
他の人の演奏が聴けなくなる最高峰の演奏、三者三様ということ。

(推薦)「ワルトシュタイン」 ⇒ バックハウス

128korou:2021/12/08(水) 12:18:09
ベートーヴェン「熱情」を再チェック。

まず、ギレリスから。
「ワルトシュタイン」同様、見事な集中力、緊張の高さを感じさせる演奏だが
この「熱情」に関しては、さすがに曲のもっと深部にベートーヴェンの爆発的な精神を表わす部分があるだけに
この冷静さはどうなのかと思わせる。
リヒテルも聴いてみたが
ギレリスとそっくりなスタイルで、リヒテルらしさが感じられない。

アラウも同じように冷静なタッチなのだが
旧ソ連勢のようなよそよそしさがない分、違和感は少ない。
ただし、アラウとしてみたら際立って優れた出来でもなく
これならバックハウスで十分ということにもなる。

ケンプが予想以上に素晴らしい。
「ワルトシュタイン」あたりではタッチが軽く感じられたのだが
この「熱情」は速いパッセージでもきちんと音の深みが伝わってきて
ゆっくりとした部分はさすがはケンプという感がある。
ケンプを聴くまでは断然バックハウスとするつもりだったが
これは「熱情」演奏の双璧とすべき名演に思えた。
第1楽章のテンポが遅すぎないのも良い(他のピアニストもいくつか聴いたが、皆テンポが遅い)。

バックハウスは不滅である。
相変わらずどこを切ってもベートーヴェンらしい雰囲気を醸し出していて素晴らしいのだが
特に第3楽章の最後の部分でテンポが一層上がる箇所は、いつ聴いても興奮する。
ベートーヴェンはこうでなくてはならない(その点、ケンプはここだけはあまりに美し過ぎる。それも悪くはないのだが・・・)

(推薦)「熱情」 ⇒ バックハウス

129korou:2021/12/13(月) 17:52:59
ベートーヴェン「告別」(Pソナタ・No.26)を再チェック。

まずバックハウスから。
不覚にも睡魔が訪れてしまった。曲調が独特で、いつものようにしっくりとはこない。
ケンプも同様。しっくりこない上に音質も軽い。

そこでナクソスに移り、曲調から考えてアシュケナージが良さそうに思い(300選では推薦盤の一つ)
聴いてみる。
これは正解で、たっぷりと抑揚をとって情感たっぷりに弾く感じが
うまくハマっている。
とはいえ、部分部分で納得できないテンポの動きもあるので
同じようにじっくりと弾きこなすギレリスを聴いてみた
(本当は推薦盤1位のアラウを聴きたかったが、音源がなかった)。
すると、ギレリスはアシュケナージよりも重厚に弾きこなしていて
それでいて曲調にも合っていて、これこそベストと思われた。

他の後期ソナタとは曲調が異なるので
あまり耳に馴染みがなく、ある意味聴き辛い曲。
このへんで聴き比べは止めておくことにした。

(推薦盤)「告別(No.26)」 ⇒ ギレリス

130korou:2021/12/15(水) 16:32:00
ベートーヴェン「ハンマークラヴィーア」を再チェック。

まずナクソスでレコ芸推薦の演奏からチェック。
ポリーニはさすがで、音の粒がこれ以上ないくらい精密で、強弱のメリハリも抜群、
ポリーニのベートーヴェンとしては最上の出来だろうけれど
この演奏は、曲中のデモーニッシュな部分の表現を拒否しているので
どこまで聴いても、こんなに立派な演奏なのに、ベートーヴェンの魂は感じられない。
ギレリスの演奏はいつも通りで、本来ならこういうタイプの演奏としてベストのはずだが
今回だけはポリーニの集中力がさらにそれを上回っていると思う。
それにしても、本当ならポリーニとギレリスで双璧と評したいところなのに
この曲自体が何か聴く者の心に故意に届かないように創られているかのようで
全然馴染めない感じが強く、どうにも心に響いてこない。
なお宇野氏推薦のゼルキンは、あまりにも音質が悪すぎて聴くに堪えないので除外。

ということで、ベートーヴェン弾き三大巨匠ともいうべきケンプ、バックハウス、シュナーベルを
ユンク君で聴いてみる。
ケンプは、確かに宇野氏のいうとおりで、かなりの熱演なのだが
どういうわけか、いつものエオリアンハープの親しみやすさが出てこず、熱演の割には心に響かない。
バックハウスは、この曲に関しては録音の音質がイマイチで(他の曲だとそうは思わないのだが)
立派な演奏ではあるが推薦するまでには至らない。
シュナーベルは、物凄い速いテンポの演奏でホロヴィッツを連想させる異例の演奏だが
そのテンポが功を奏しているとは言えないのが不思議。曰く言い難い説得力はあるのだけれど。

こうしてみると、曲自体が自分の好みに合わないということで
「告別」とセットで”聴き馴染みアリ&好みと合う”リストから”超名曲だが保留”リストに移動させることにした。
その上でポリーニがベストということで。

(推薦盤)「ハンマークラヴィーア(No.29)」 ⇒ ポリーニ

131korou:2021/12/30(木) 15:41:17
(ベートーヴェンの最後の3つのピアノソナタは
 あまりにマニアックなベートーヴェンの音楽なので
 「好みの音楽」ではなく「たまに聴く音楽」に分類替え。
 今回どの演奏で聴いてもピンと来なかったので、オススメの
 演奏者はバックハウスのまま)

ベルリオーズ「幻想交響曲」を再チェック。
カラヤン&フィルハーモニア管を就寝時に聴いて
意外と聴き易く破綻も少ないように思われたので
まずこれから試聴することに。
やはり細部の魅力に乏しいのが残念なところで
となれば、50年代当初のカラヤンよりもステレオで聴くカラヤンかなと思い
BPOとの組み合わせのものをナクソスで試聴。
70年代カラヤンのレガート誇張の演奏で
これなら旧盤のほうが好ましく思えた。
ミュンシュ&パリ管なら迫力と優美を備えた演奏かもと思えたのだが
実際に試聴してみると、案外迫力ばかりが聴こえてくる。
これも、案外、ボストン響との旧盤のほうが良いのかもしれない(世間の評価とは逆だが)。
そこでユンク君で、クリュイタンス&フィルハーモニア管という懐かしい演奏を試聴。
先に同じオケでカラヤンの演奏を聴いた直後なので
両指揮者の個性がここまで浮彫になるとは、さすがのフィルハーモニア管!
えもいわれぬ「軽み」、重みに対比されるべき「軽み」の極めの演奏で
全くしつこくなく音が絡みあって美しい演奏だ。
ステレオならこれが一番かもしれない。
もう少し聴き続けてみよう。

132korou:2022/01/05(水) 21:09:01
ベルリオーズ「幻想」を再チェック(続き)

ナクソスで、マルティノン&ORTFフィル(フランス放送フィル)の演奏をチェック。
じっくりと溜めた落ち着いた演奏で、熟成感があり、録音も優秀。
クリュイタンスの演奏をもっとモダンにした感じで
この演奏は入門編として最適かもしれない。
ベストは、やはりモントゥー&サンフランシスコ響になるが
ここへ併記ということで。

(推薦)ベルリオーズ「幻想交響曲」・・モントゥー&サンフランシスコ響、(入門編)マルティノン&ORTFフィル

133korou:2022/01/17(月) 20:06:46
ブラームス「第1」で再チェックをしようとしたが
重たい曲調なので比較試聴を積極的にする気になれず、ひとまず中断。

クラシック音楽のレビューサイトを探していたら
モノラル録音の巨匠時代の演奏には目もくれず
ひたすら新録音の演奏で大体1970年〜2010年代発売のCDでの演奏を
レビューしているサイトを見つけた。
ナクソスで聴ける演奏について、参考になるかもしれない。

まず、昨日は
そのサイトの文章を参考に
ビシュコフ&チェコ・フィルの演奏で
チャイコフスキー「第5」を聴いた。
微温的な演奏で、悪くはないが、すでに今日現在、語るべき言葉が出てこない。

今日は
マイケル・ティルソン・トーマス&サンフランシスコ響の演奏で
マーラー「巨人」を聴いた。
指揮者として20年以上も同交響楽団を率いているだけあって
オケとの息はピッタリ。
特に緩徐部分の表現は、うっとりするくらい美しく
これは聴いて良かったと思えた。

まあ、しばらくはこんな感じで聴き続けてみようか。

134korou:2022/01/18(火) 17:25:35
(ほぼ全文書き終えたのに・・・一瞬の操作ミスで文章が全部消えた・・・負けんぞ・・・もう1回書く・・・ふぅ。。。)
今回は、マーラー「復活」を
ブロムシュテット&サンフランシスコ響ほかの演奏で全部聴き通した。

「ききくらべ」氏の評価通り
ブロムシュテットは
楽譜に示されたあらゆるニュアンスを的確に示して
テンポの揺れ、音の強弱、楽器の音の重なり具合、全体の造型すべてにおいて
楽譜以下でも楽譜以上でもない音楽を
見事なまでに再現している。
サンフランシスコ響も
これほど上手いオケだったとは
(昨日のT・トーマスとの演奏といい)予期していた以上のクオリティだった。

ブロムシュテットは、94才の今も現役のはず。
こういうタイプの指揮者は
かつては敬遠していたのだが
今はじっくりと聴けるようになってきた。
またライブ放映があれば
ぜひ聴いてみたいと思わせる「復活」の名演だった。

135korou:2022/02/09(水) 15:22:38
今日から新しい試み「レコ芸推薦盤全記録(上巻)を年代順に聴いていく」
(HPにしたかったがHP作成ツールがないので断念)

(1952年の新譜から)
チャイコフスキー「悲愴」(トスカニーニ&MBC響、1947年録音)
★★★★★★★☆☆☆
この頃は実際の録音年から約5年で、日本での新譜としての発売となっていたようで
この演奏も1947年の録音ながら、この年の新譜としてレコ芸で評価されているようだ。
録音年代の割には音は鮮明で、随所で当時のNBC響の音響の凄みが聴こえてくるのは嬉しいところ。
かつてLPで、貧しい痩せた音質で聴いていた頃が嘘のようである。
演奏は、いかにもトスカニーニそのものの個性が出ていて
がっちりとした構成で筋肉質にまとめているのだが
やはり、この種の音楽を聴く愉しみである「頽廃感」「饒舌感」には乏しい。
ないものねだりになってしまうのだが仕方がない。
録音の意外な良さでオケの地力が聴こえてくるところを評価して、7点とした。

136korou:2022/02/09(水) 15:32:49
(1952年の新譜から)
ドボルザーク「スラブ舞曲第10番、第12番」(ターリッヒ&チェコ・フィル、1950年録音)
★★★★★☆☆☆☆☆
スラブ舞曲の第2集の第2番が
第1集の計8曲から通算して数えて第10番という扱いになっていて
同様に第12番というのは第2集第4番ということになる。
演奏そのものは、今となってはどうということもなく
感じ取れる人には懐かしきチェコ・フィルの音色がたまらないだろうし
そうでない人には単に記念碑的演奏ということに止まることになる。
管弦楽曲の場合、シンフォニーとは違って
楽想の形而上学的な深まりという要素は乏しいことになるので
どうしてもオケの音色で勝負ということになると
最新の鮮明な録音のほうを採らざるを得ないのだが
この演奏も当時の録音技術からすれば平均的な出来とは言え
どうしても音の古さにもどかしさを感じざるを得ないのである。
この小品に関しては、その後に優れた録音で出された演奏が数多くあり
決してターリッヒの実力を示したものにはなっていないはずである。
今評価するとしたら、5点程度かなということになる。

137korou:2022/02/09(水) 15:55:50
(1952年の新譜から)
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第1番」(ギーゼキング、ロスバウト&ベルリン・シュターツカペレ、1937年録音)
★★★★★★★★☆☆
これは優れた演奏。録音はこの年代にしてはまずまず良好。
ギーゼキングのピアノは、余計な解釈を一切排して、ストレートに楽想を伝えてくる。
その明晰な演奏を支えるオケのほうも、堅実そのものだ。
あまり聴き馴染みのない曲だが、この演奏ならずっと聴ける。
両端の速い楽章も、中間の緩徐楽章も
どちらもキリっとして明快で気持ちよい。
1937年という年代を考えると、超モダンと言えよう。
とりあえず8点をつける価値ありと判定。

138korou:2022/02/10(木) 10:11:30
(1952年の新譜から)
ベートーヴェン「ピアノ、ヴァイオリンとチェロと管弦楽のための三重協奏曲」
(ワルター指揮 ニューヨークフィル (P)ワルター・ヘンドル (Vc)レナード・ローズ (Vn)ジョン・コリリアーノ 1949年3月21日録音)
★★★★★★★☆☆☆

初めて聴いた曲で、ベートーヴェン中期の作品としては珍しく駄作と言われている曲らしい。
確かに、全般に貴族のサロンで上品に演奏されそうな無難な曲で
劇的な盛り上がりとか、人間賛歌が胸にこみ上げてくるといった感動は皆無だ。
とても「英雄」と「熱情」の間に作られた曲とは思えない。
そんな凡庸な曲を、明確な表情づけで立派に聴かせているワルターはさすがだ。
ピアノのヘンドルはハイフエッツの伴奏指揮者としてのみ著名だが
ここでのピアノは堅実そのもの、悪く言えば個性に乏しいが、かといって特に問題もない。
チェロのコリリアーノも、いくらか表情づけが見られるが
もともと米国の著名オケでのリーダー格ということで
いかにも全体に合わせている感じはヘンドルと同様。
ヴァイオリンのローズは、NYPのコンマスということで
この三重協奏曲という珍しい企画を立てるにあたって
オケがNYPということで自然と選ばれることになったのだろうが
独奏者3名のなかでは一番雄弁に弾いている(勝手知ったるオケでの演奏だから当然か)
全体として、ワルターとローズの明確なラインに沿って、
他の演奏者もよくそれに合わせているといった感じ。
曖昧なところが何一つないので、初めて聴いたが、飽きは感じなかった。
評価しようにも他の演奏を知らないので難しいが
平均で7点というところか。

139korou:2022/02/10(木) 11:49:42
(1952年の新譜から)
ドボルザーク「チェロ協奏曲」(カザルス、セル&チェコ・フィル、1937年録音)
★★★★★★★☆☆☆

驚くほどクリアな音質で、とても1937年録音とは思えないほどである。
大芸術家であるカザルスの演奏が、それも壮年期の力強い弾きっぷりが
こうして見事な音質で残されているのには、関係者に本当に感謝したい気持ちになる。
カザルスは偉大なのだが、今までその名声にふさわしい演奏を聴いたことがなく、
今回これを聴いて大いに納得。
好みという点からいえば、もう少しゆったりとした情感あふれる弾きっぷりのほうがいいのだが
何というか、このカザルスの演奏には
そんな小さい「好み」などを超越した人間性を感じてしまう。
オケも、若き日のセルも、まるでそんなカザルスの”引力”にひきずられて
平常以上の水準の演奏を引き出してもらったかのように聴こえる。
セルは、この頃からオケの底力を引き出す力はあったに違いないが
カザルスのオーラがそれをさらに底上げしている。

とはいえ
(ベートーヴェンにこのクオリティのチェロ協があれば文句なしなのだが)
さすがに民族音楽としてチェコ、アメリカの音楽を駆使した特殊な曲だけに
カザルスの人間性だけで全てOKというわけにもいかない。
これはドボルザークの音楽の真髄を極めた演奏というより
カザルスという超絶なチェリストを知るための録音というほうがふさわしい。
その意味では、カザルスには申し訳ないが、標準の7点ということになる。

140korou:2022/02/10(木) 17:13:28
(1953年の新譜から)
ベートーヴェン「第2」(ワルター&NYP、1952.3.17録音)
★★★★★★★★☆☆

他の演奏家はともかく、ワルター盤に関しては
この時代にあっても迅速に輸入されていたようで
この演奏などは録音の翌年には新譜として日本でも発売されている。
ワルターほどのビッグネームがベートーヴェンの名曲を振るとなると
何回も演奏機会があるので、簡単には特定できないという
新しい問題が生じてきたのだが
この演奏に関しては、詳細なワルターのディスコグラフィーがネット上にあったので
1952年録音分をレコ芸で推薦していることが特定でき
その演奏はユンク君で聴くことができたので
安心して確認することができる。
それにしても、単純に4、5年経って日本で新譜として発売と見做していたので
1952年のワルターの推薦盤についても見直して確認の必要が出てきた。

それはともかく、演奏そのものは定評のあるもので、さすがである。
ただし、最近の自分の嗜好がこういう曲調に馴染まないので
本当なら☆9つでもいいのだが、今の気分としては☆8つが妥当のように思える。
さらに言えば
NYPの音色が、セル&クリーヴランド管のようなモノトーンな感じなのが物足りない。
(とはいえ、その音色のままでブラームス「第2」のような名演もあるのだが)

141korou:2022/02/12(土) 18:00:21
(1967年の新譜から)
ベートーヴェン「英雄」(オーマンディ&フィラデルフィア管、1961.4.9録音)
★★★★★★★☆☆☆

ずっとモノーラル録音の演奏を聴いていると
それはそれで以前より遥かに聴き易い音質のものを
ユンク氏が保証してくれているとはいえ
さすがにステレオ音質のものを聴きたくなってくる。
そこで、今回から
今参照中の小冊子の末尾から逆に辿るルートも開始することにした。
今日はその第1回で、1967年の新譜のオーマンディのベートーヴェンである。
1961年録音であれば、もうこの時期であれば、2年以内には新譜になるはずなのだが
データを見ると”C→CS”とあるので
これは1960年代前半にコロンビアから出た新譜を
1967年のCBSSONYレーベル開始において、改めて新譜として再発売したものとも考えられ(違うかもしれないが・・・)
その過程で、当時見逃されてきたこの演奏が再評価されたのではないかと解釈してみた。

オーマンディのベート―ヴェンなんか始めて聴いたのだが
予想よりも遥かに良かった。
鳴っている音が実に堂々としていて、揺るぎがない。
ベートーヴェンらしい内部から発せられる緊迫感、攻撃性という要素が皆無なのが
いかにもオーマンディらしく、その意味では予想通りなのだが
それに代わる要素はこれほど耳に心地よく響くとは思ってもみなかった。
本質的なところが抜けているので高評価にはならないが
かといって問題外の演奏ということでもなく
よって☆7つの標準点とした。

142korou:2022/02/13(日) 15:03:58
(1953年の新譜から)
ベートーヴェン「第4」(ワルター&NYP、1952.3.24録音)
★★★★★★★☆☆☆

「第2」よりはいろいろな箇所でやり足りない感じが目立ち
☆7つとした。
曲そのものも、今となっては名演が難しい類になっている気がする。
この曲想を煮詰めていくと「第7」になるのではないかと思えるが
「第7」の完成度を思えば、かなり不出来な曲に感じられる。
「第4」の名演を探さなければ。

143korou:2022/02/13(日) 15:55:48
(1953年の新譜から)
ベートーヴェン「英雄」(ワルター&NYP、1941.1.20録音)
★★★★★★★☆☆☆

1941年の録音によるものが1953年の新譜というのも妙だが
データを確認すると、どうもSPからの復刻版のようだし
ワルター&NYPによる一連の新録音シリーズを発売するにあたって
「エロイカ」の新譜も入れなければということから
戦争の関係で新譜の入荷が途絶えていた時期のものを復活させたのではないか
と推測されるのである。
録音状態も1952年新録音と比べて決して遜色ないので
当時としても違和感はなかったと思われる。

演奏は、後年のもっと優れた名演を知っている我々にとっては
ワルターの「エロイカ」はこんなものではないと言えるのだが
個性あふれる解釈が流布していた当時としては
このすっきりしたストレートな響きは歓迎されたはずである。
今聴くと、第1楽章ではもっとテンポを揺らして曲調を高めることはできたはずだし
第2楽章ももっと劇的に盛り上げることができたはずである。
それに比べて後半2楽章は、さすがの解釈で個性が出ている。
第3楽章の短さにはちょっと驚かされたが、ソロ楽器の響かせ方にワルターらしい魅力が聴けるし
終楽章に至っては、他の指揮者ではなかなか味わえない絶妙のテンポルパートが見られる。
渡米して間もない時期だけに、楽団員に細かい指示を出すには
「エロイカ」の前半部分は、あまりに巨大すぎたのではないか。
そんなことを思わせる前後半の出来不出来の差がある演奏だ。
☆は標準で7つということで。

144korou:2022/02/14(月) 16:33:08
(1953年の新譜から)
ベートーヴェン「運命」(ワルター&NYP、1950.2.13録音)
★★★★★★★★☆☆

一連のワルター&NYPのモノーラルのベートーヴェン推薦盤の最後は「運命」。
これは、今までの演奏とは違って、ワルターの細かい配慮が行き届いた名演に聴こえた。
欲を言えば、第1楽章の展開部でもう少し劇的な感じが欲しいのと
第4楽章に突入するときの髪の毛が逆立つような興奮がもっと欲しかったのだが
それ以外は、スタイリッシュなワルターとしては最上の出来のように思われた。
今書いたように曲の急所に物足りないところがあるので
(それとモノーラル録音なのでワルターの細かい指示が聴き取れないのがもどかしい・・・)
★は8つに止めておくのだけれども
第2楽章の冒頭の気持ちを込めた表現など
他の指揮者では聴くことのできない箇所が幾つもあって素晴らしかった。
第1楽章であれほど苦悩しておいて、第2楽章はなんと能天気な音楽なのだろうと
聴くたびに思っていたのだが
今日ワルターのこの演奏を聴いて、このように第2楽章も苦悩に満ちた音楽になれば
連続性が出てきて、曲としての統一感も増すのだと実感した。
全体で32分にも満たない速いテンポの演奏でもあり
これは「運命」のスタンダードではないのだが
いろいろな意味で、曲の細部の真実を抉り出している演奏だと思う。

145korou:2022/02/16(水) 11:04:03
(1953年の新譜から)
ベートーヴェン「第九」(トスカニーニ&NBC響ほか、1952.3.31〜4.1録音)
★★★★★★★☆☆☆

実に見事な「第九」で、この演奏に決定的な不満を述べることは
誰にも許されないと言ってもよいくらい。
しかし、それでいて「第九」の真髄をこれほど素通りすることは
いかにトスカニーニの流儀とはいえ
指揮者の権限でそこまで許されていいのだろうかという疑いは
残ってしまうのも否定できない。
とはいえ、圧倒されるというか
この偉大な曲にも、まだこんな演奏の仕方が残っていたのかという驚きが強く
それらの思いが聴くにつれて錯綜として絡まっていき
結局、★7つの普通の評価で終わってしまうのである。
どこにもドイツ風の思い入れ十分な曲想のふくらみなど無い演奏であるから
絶対に★9つ以上の絶賛はできない。
しかし、★6つなど否定的な見解はあり得ないのも間違いない。
第1楽章は秀逸で、まさにユンク氏の言うとおり、この偉大な建造物を
こんな風に登ることもでき、こんな風景があったのかと
新しい発見に満ちた体験が堪能できるのだが・・・
第2楽章の意外なほどのテンポの落とし方で、スケルツォの立体感というのも絶妙なのだが・・・
第3楽章は高尚な響きで凡人の鑑賞力を超越しているのだが、高尚なのはわかるとして・・・
終楽章がこんなにあっさりとしていいのかという根本的な疑問、しかしベートーヴェンの意図は?
結局わからずじまいで★7つとなるのである。
トスカニーニはよく分からないというのが正直なところだが
かといって全然理解できない・・・どころか、どの音も明晰で分かり過ぎるくらい分かるのだから
始末に負えない。

146korou:2022/02/17(木) 10:31:00
(1953年の新譜から)
ブラームス「交響曲第2番」(オーマンディ&フィラデルフィア管、1953.2.15録音)
★★★★★★☆☆☆☆

またまたオーマンディの指揮に出会う羽目に。
今まで半世紀以上クラシック音楽を聴いてきて
1週間のあいだにオーマンディが振った独墺系音楽を2回も聴くという体験は
絶対になかったはずで
これはこれで貴重な経験と言える。
前回のステレオ盤の「エロイカ」は、さすがにオケの響きが流麗で感心させられたものだが
今回はモノーラルということもあり、その点でオーマンディが苦心したはずのサウンド作りを
堪能するまでには至らなかったというのが正直なところ。
ただし、ブラームスのなかでも超古典的な構成であるこの「第2番」において
オーマンディの手堅い音楽作りの一端は窺えたように思う。
とにかく余計なことは一切せず、淡々と楽譜に向き合い、忠実にその通りに音を鳴らしていく
こういう指揮者は他に存在しないのではないか。
唯一、響きを華麗に流麗に、という個性のみが感じられて
しかし、その響きを何か意味深いものに持ち込む意図は全くないという不思議さ。
1953年の日本において、響きそのものだけでも感動を覚えたかもしれないが
これほど情報が増えて多彩な表現を簡単に知ることができる2022年の現代では
このオーマンディのような演奏を高評価することは難しいはずである。
(ただし、もはや死語文化のようなベートーヴェンの音楽に関しては
 混迷のイメージを払拭する見事な響きこそ意味を持つという逆説も成り立つ、ということか・・・?)
このブラームスに関しては、残念ながら★6つの低評価とした。

147korou:2022/02/19(土) 13:22:44
(1967年の新譜から)
ブルックナー「交響曲第3番」(シューリヒト&VPO、1965.12.2〜4録音)
★★★★★★★☆☆☆

再びステレオ録音が聴きたくなり、次の該当曲はとリストをたぐってみると
またまたオーマンディのベートーヴェン「第7」「第8」!
ワルター&NYPの硬質な音色のモノーラル、またはオーマンディのモノorステレオの連続!
これはちょっとイレギュラーで敬遠したくなり
その次のステレオはと覗いてみるとシューリヒトのブルックナー。
へぇー、まだこの年代でも録音していたんだと思い
少々長い曲だがチャレンジしてみることに(大げさか)。

シューリヒトの最後の録音のようで
体調はボロボロ、オケをろくにリードできなかった風に
ユンク君は書いている。
確かに第1楽章はあまりシューリヒトらしい鋭さがなく、音が平板に鳴っているように聴こえる。
しかし(ユンク君も指摘のとおり)第2楽章の寂寥感には胸を打たれるものがあり
一度この透明感を体験すると、続く第3楽章、第4楽章も
いくらか無力感は感じるものの、それほど平板な感じはしなくなってきたのも事実。
むしろ、VPOの美しい音色がステレオで響き渡り
いつになく豊かな音質で録音されていることに気付いたりする。
シューリヒトの第2楽章、VPOの第3、4楽章を堪能する演奏だ。
深い何かを感じさせてくれるのが第2楽章だけというのが惜しいので
★は7つ(普通の出来)に止めるが、いわゆる不出来でも愛聴盤という類。
また聴く機会はきっとあると思う。

148korou:2022/02/20(日) 12:28:59
(1953年の新譜から)
ブラームス「交響曲第4番」(ワルター&NYP、1951年録音)
★★★★★★☆☆☆☆

ワルターの個性とブラームスの音楽には親和性が高いのだが
多分、これほどその期待を裏切った例はないのではないか。
これはワルターとしては最悪の演奏である。
第1楽章のどこを切り取っても繊細なフレージングが見られないのには驚かされ
それは第2楽章になっても変わりない。
あまりに酷いので、第3楽章途中からイヤホンで聴くのをやめて
スピーカー出力にしたのだが
たしかにこのくらい大雑把に音を把握したほうが聴きやすい。
考えてみれば、ステレオ録音による優れたブラームスの演奏を聴き続けた結果
かつて聴いたモントゥーやワルター&NYPによるブラームス「第2」などの名演なども
今聴くと案外感動の度合いが低くなっているのではないだろうか。
ブラームスは本当に繊細で
かつその繊細の度合いが高まっていった結果の高揚感なのであり
それは各楽器の音の絡まりが明晰に聴こえてこないと味わえないはずである。
このワルターにしても、演奏そのものはもっと繊細だったのかもしれないが
この録音では(モノラルとしては決して悪くはないレベルだが)伝わってこないのである。
そして、この時期特有の表面的な磨きだけが如実に伝わってきて
晩年のワルターとはあまりにも違い過ぎて、受け入れ難い演奏に聴こえるのである。
ユンク君はある意味高評価を与えているが、残念ながら同意できないので★6つ。


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