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避難用作品投下スレ3

1管理人★:2007/10/27(土) 02:43:37 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

519(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 16:59:19 ID:WLKNz3/g0
「そ、そうなんだ……うん、まぁ、そういう見方もあるわよね」
 藤林杏や折原浩平、立田七海に再会できたときにはそっちに意見を聞いてみよう、と郁乃は思うのであった。

「ふぅ……」
 何はともあれ、少しは休憩した方がいいだろうと考えた郁乃は椅子を引いてそこに腰掛ける。ごく自然な動作だったが、それは郁乃の努力の賜物、というべきものであった。
 無論、郁乃本人はまだそれに気がついていないのであるが。
 頬杖をつき、どのくらい時間が経っているのだろうとふと気になったので時計を探してみる。
 が、置いていないのかそれとも死角に隠れているのか、どこを見渡しても時計らしきものは見当たらない。散らかっているくせに、なんと物のない家なんだ、と郁乃は息をつく。

「どうされました?」
「ああ、うん、時間が気になって」
「それでしたら、現在は日本時間の16:30を回ったころになります」

 再び郁乃は周りを見回す。どこにも時計のようなものはない。どうして分かるの? と尋ねるとゆめみは明朗に、
「わたしには体内時計機能も内蔵されておりますので。壊れていなければ、いいのですが……ここが世界のどこに位置するのか分かりませんので、調整しようにも出来なくなっているんです。申し訳ありません……」
 ああ、なるほどと納得する。確かに元がメイドロボであるHMXシリーズのOSを使っているのならそれくらいはあってもおかしくはない。

 しかし、もう夕方のだったのかと郁乃は時の流れの速さに驚かずにはいられない。病院にいたころには一日はあまりにも長く感じられたのに。
 そしてこの間にも人はどんどん死に絶えている。一体何人が命を落としたのだろうか。姉は無事なのだろうか。離れ離れになったみんなはどこにいるのだろうか。様々な不安が郁乃の中に蓄積されていく。それで何が変わるでもないと分かっていながらも、考えずにはいられないのだ。

 いや。今こそ行動を起こすべきなのではないだろうか。ゆめみも高槻もどちらかと言えば積極的に動くのは反対意見だ。当てのないまま動いても人を見つけられないという意見は、確かに郁乃も理解はできる。

520(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 16:59:44 ID:WLKNz3/g0
 だがそれは大人の見方ではないのか。黙っていてどこそこに誰々がいる、という情報が入ってくるとでも言うのか。
 結局、自分の足で動かなければ情報は得られない。例え、それが徒労になるものだとしても。
 何より――今の自分には足があるじゃないか。

 しかしそれを提案したところでゆめみはともかく、高槻は首を縦には振らないだろう。
 高槻の目的はあくまでも脱出。悪く言ってしまえば自分が生き残れればそれでいいという自分本位の考え方だ。恐らく優先順位としては杏、浩平、七海を探すことよりも岸田洋一の残している可能性のある船を探すことの方が上のはずだ。
 分かっているのだ。高槻の言葉の裏に、郁乃を始めとして他の仲間たちをそれほど重要視していないというのが見え隠れしているということを。
 郁乃には、分かっていた。人の顔色を見ることは、得意だったから。
 しかし一方で、度々郁乃を守り、かばってくれた高槻の姿もまた真実である。それが、高槻の自己満足的な行動だったとしても、だ。
 だからこそ、郁乃は高槻に対する思いを決められずにいたのだ。彼の『善意』を信じるか『悪意』を信じるか。

 とかく、初めての経験が多すぎた。誰かに相談しようにも、ゆめみはそこまで人の心に通じてはいない(ゆえに郁乃は話しやすいと考えていたのであるが)。まだ、それを決められるほどには、郁乃は大人ではなかったのだ。
 そして、大人ではなかったがために――彼女は、迂闊な決断をしてしまったのだ。

「ゆめみ、ちょっとお願いがあるんだけど」

     *     *     *

521(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:00:11 ID:WLKNz3/g0
「北海市場!激安食品販売店です!食費が今の半分になります!」
「北海市場!激安食品販売店です!食費が今の半分になります!」
「北海市場!激安食品販売店です!食費が今の半分になります!」

 何故かその台詞が連呼される夢を見ていた俺様が目覚めたのは、日の傾きかけたころだった。
 ああ、よく寝た。思えばこの島にやってきてからというもの、ついぞ寝た覚えがなかったな。さっき寝てたって? バカ、あれは気絶って言うのさ。大体犬の王子様のキッスで起こされるなんて最悪だ。お前らもそう思うだろ?

 ……つーか、やけに静かじゃねえか。よくよく見れば郁乃もゆめみもいやしないじゃないか。なんだ? これはビックリドッキリ企画か?
 ハハア。どうせポテトあたりでも使って何か良からぬ企みでもしているんだな? バカめ、そうそう俺様が引っかかるか。
 俺様はすっと立ち上がると実に久々の、初めてポテトと出会ったときのように拳法の構えをとってポテトの奇襲に備える。

 ……と、そこまでしたところで、今は殺し合いの真っ最中だということに気付いた。よく考えてみりゃいかに毒舌女王様の郁乃とボケの大魔神ゆめみ様と言えどもそんなことをするわけがない。
 ならどうして誰もいないんだ? 一言も言わずにここから出て行った、とでもいうのか?
 郁乃も、ゆめみも、ポテトもか?

 見捨てられた。
 そんな言葉が俺様の頭を過ぎる。
 ……まさか。郁乃もゆめみも、そんなことをする奴らじゃない。そんなわけがないだろ、常識的に考えて……

 待て。
 どうして俺様は動揺してるんだ?
 いつものことじゃないか。どこでだって俺様は嫌われ、罵られ、怨嗟をぶつけられてきた。その自覚もあったし、人の道を外れた行為なんていくらでもしてきたじゃないか。
 いつものこと。せいせいして、また一人になれて気楽気ままになったと喜ぶ。それが俺様じゃあないのか?
 なんだよ、まるで、自分が自分でないみたいじゃないか。ムカツクな……もやもやとしやがる。

522(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:00:38 ID:WLKNz3/g0
「クソッ」
 悪態をつき、床に唾を吐く。それでも収まりがつかなかった。
 もういい。もうどうでもいい。適当にしてりゃいずれ分かる。またいつも通りにやればいいんだ。
 再び床に座り込み、二度寝に入ろうと俺様が目を閉じたときだった。

「ぴこぴこ、ぴこーーーーっ!!!」

 懐かしい、とさえ思ってしまうくらいに、実に久々に聞いたような、そんな声(というか鳴き声な)が耳に飛び込んできて、俺様は反射的に身を起こす。
 暗い家屋を照らす、一条の光。
 僅かに開けられた扉から、俺様を導くように……いや、叱咤するように、そいつは出てきた。
「ポテト……? てめえ、今まで何を」
 その時は、僅かに嬉しかったのだ。何故うれしかったのかなんて分かるわけがなかったから、またムカついたのだ。再会に感動する、なんて俺様のキャラでは考えられないからな。
 だからとりあえずいつものようにお仕置きでもしてやろう。そんな風に考え、俺様はポテトに駆け寄った。

 だが。何故か、どうしてか、ポテトの体は土に汚れ、弱弱しく俺様を見上げていたのだ。
「おい、なんだよ、それ」
 またもや訳がわからない。ポテトが何か悪戯でもして、郁乃あたりにでも投げ飛ばされたか?
 はは、ざまねえな。俺様ならこんなヘマはしないってのによ。

「ぴこ……っ!」

 何をやっているんだとでも言うように、ポテトは力を振り絞って吠えやがる。なんだよ、この必死さは。
 まさか……
「ぴこ!!!」

 いや、分かっていたはずなのだ。ただ、その可能性を認めたくはなかったのだ。
 在り得る可能性としての、郁乃とゆめみがいない理由。
 それは――

「クソッタレめ!」

523名無しさん:2008/04/27(日) 17:00:58 ID:xYL3nTsE0
.

524(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:01:06 ID:WLKNz3/g0
 俺様は認めたくなかったのだ。目の当たりにしたくなかったのだ。
 弾かれるように走る。外へ、砂浜へと向かって。
 否定するために、ポテトの必死な目線が悪戯なんだと証明するために。
 しかし――嘘つきな俺様は、とうの昔に神様に見捨てられていたらしい。
 そこに、そこにあったのは――

     *     *     *

 その場所には、民家が立ち並んでいた。
 多少の違いはあれど、基本的には似たような作りの日本建築の家。
 普段であれば掃除機の五月蝿いモーター音、子供達が騒ぐ声、あるいはギターをかき鳴らす音色があるかもしれない。
 だが、そこには一つとして音はなかった。ただ一つ、気だるそうに、徒労に引き摺られるようにした足音があった。

「クソッ、骨が何本か逝ってやがる」
 防弾アーマー越しながらもごわごわと感じる自身の異常に、岸田洋一はイライラしていた。
 たかが、女二人にここまでの手傷を負わされたのだから。
 戦利品は申し分ない。狙撃銃のドラグノフ、89式小銃、二本目の釘打ち機(ただし釘だけ抜き取ってしまったが)。攻撃力は二度目の高槻の敗北の時と比べると月とスッポンである。

 だが、それでもなお残留する鈍痛という事実が彼の心を満たしはしなかった。とかく、また誰かを殺害――それも坂上智代と里村茜などとは比べ物にならないくらいの凄惨な殺し方でなければ気がすまない。
 いや、それでさえも彼の心は満足しないだろう。最終的な目標は、あくまでも岸田をコケにするように見下してきた高槻という男への復讐。
 奴の取り巻きどもを目の前で無残に殺し尽くし、憎悪をむき出しにして殺し合いを挑んでくる高槻を下し、絶望的な敗北感を味わわせる。
 これこそが極上の美食であり、最上の贄。岸田は早くそれに舌鼓を打ちたくて仕方がなかった。
 お腹が空いたと食べ物をせがむ、無邪気な子供のように。

「しかし、止むを得なくなったとは言え高槻から遠のいてしまったかもな」
 七瀬彰、七瀬留美、小牧愛佳が駆けていった方向とは逆に、岸田は移動していた。いくら岸田が強靭で逞しく、戦闘経験が豊富とはいえ傷ついた体で全力の戦いを何度も続けられるかと問われれば、岸田本人でさえ首を横に振るだろう。
 ある程度の休息が必要だった。それでもまだ十分に戦える状態ではあったのであるが。

525(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:01:33 ID:WLKNz3/g0
 民家の森を抜けた岸田に、思わず目を細める光景が映る。
 海と砂浜。寄せては返す波の群れが彼を出迎えていた。場所こそ違えど、海は岸田の出発点でもある。
「そうだ、あのクソ忌々しい女もいずれブッ殺す必要があるな……」
 この島において初めて出会った人間にして、隙をつかれ苦汁を舐めさせられた女。笹森花梨の存在を、岸田は改めて思い返していた。
 高槻ほどではないが、花梨の存在も岸田には腹立たしかった。彼の辞書に敗北の文字は許されるはずがなく、汚点を残した花梨は全力で殺すべきだと認識を新たにする。

「まあいい。しばらくは海沿いに歩いてみるとするか。考えてみれば島の内陸部ばかり歩いていたからな」
 正式な参加者でない岸田に地図は支給されていない。道沿いに行動しては出会ってきた人間を襲うばかりだった。
 探索を楽しむのも一興と、砂浜へと向けて歩みだそうとした、その足がピタリと止まる。

 ある種の喜悦というものを、岸田は感じた。宝物を見つけた少年の瞳の如き輝きを、同じくその目に宿している。
 これまでの徒労が、憤怒が、花火のように弾け飛んで笑いという形で飛び出しそうにさえなった。

 誰かが言っていた。
 一度目は偶然。
 二度目は必然。
 三度目は運命。

 まさしくそうである、と岸田はそれを言った人物を褒め称えたくなった。
「そうか、そういうことなのだなぁ?」
 まるで無邪気な声ながらも、その内に潜む残忍さと冷徹さが、声のトーンとボリュームを下げる。
 柄にもなく、岸田洋一はワクワクしていた。

 そう、これはパーティの開演。
 全てが岸田洋一という一人のためだけに作り上げられた会場。
 この状況を、彼ならば何と言い表すだろう?
 決まっている。一声に、狼煙は上げられた。
「サプライズ・パーティー……開幕だっ!」

     *     *     *

526(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:01:56 ID:WLKNz3/g0
「はい、何でしょう」

 お願いがある、という小牧郁乃の言葉に、ほしのゆめみはこれまでのように応える。わたしに可能な事柄でしたら、と付け加えるが。
「少し、外に出たいんだけど。ほら、こんな狭いところばかり歩き回ってても仕方ないじゃない? 少しは凹凸のあるところで訓練したいんだけど」

 郁乃の本音は、少し違う。単に訓練だけではない。拠点である民家の周りを歩き回って僅かでも仲間の探索を行いたかったのである。
 高槻の真意は、今でも推し量れない。馬鹿でお調子者だが大人であるがゆえの冷徹さを持ってもいる。
 いや、それも演技であるかもしれない。考えてみれば郁乃を助けてきた理由も、共に行動している理由も曖昧に誤魔化されたままだ。
 分からない。結局、分からない。
 信じるにも信じないにも、不確定要素が多すぎるのだ。

「それは……わたしは反対です。危険だと考えます」
「あいつが……そう言ったから?」
「それもあります、が状況から判断しましてバラバラに行動するのは好ましくありません。特に小牧さんは、まだ本調子ではないようですし」
「大丈夫よ。それに、一人で行くなんて言ってないでしょ。ゆめみにサポート役としてついててもらいたいんだけど……それでもダメ?」
「……高槻さんは、どうなされるのですか?」

 未だに高槻はすやすやと静かな寝息を立てて(郁乃には意外だったが)眠っている。寝ている人間を放置して出かけるのはそれも危険だと、ゆめみは判断したのだが郁乃はあまり心配していないような口調で答える。

「少しの間だけだから。それにこの家の周りをちょこっと歩くだけだから起きても探しに来るでしょ? ……そうだ、ポテト」
「ぴこ」

 高槻の隣でじっと待機していたポテトが、郁乃の呼びかけに応じてぴこぴこと寄ってくる。

「もしあいつが起きたら、私たちに知らせに来て。すぐに戻るから」
「ぴこ……ぴこ?」

527(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:02:20 ID:WLKNz3/g0
 頷きかけて、ゆめみの方を見上げる。意見を伺っているかのようだった。
 ゆめみはそれならば、とようやく納得したように頷き、
「分かりました。ではわたしがお供します。ポテトさん、高槻さんをよろしくお願いしますね」
 恭しく頭を下げるゆめみに、任せろとでも言うようにしっぽを動かすポテト。

 実に奇妙な光景である。普段の郁乃なら思わず突っ込みを入れる場面だろうが、このときの彼女はとにかく外に出られるのならという気持ちで一杯になっており、そちらに意識が傾いていたのでそれをすることはなかった。

「決まりね。なら早速行きましょ」
「あ、少しお待ちください」

 玄関の方へ移動しようとする郁乃の後ろでゆめみがデイパックを抱える。万が一を想定して、武器類を持っていくことにしたのである。
 その準備の時間すら、郁乃には長く思えて仕方がなかった。
「……先に出るわ。ま、遅いからすぐに追いつけるはずだけど」

 結局、郁乃は先に出ることにする。とにかく、早く外に出たかった。
 恐らく、この場に第三者がいれば、明らかに郁乃が焦っているということは手に取るように分かったことだろう。
 歩行訓練のときはまったく意識していなかった時間という言葉が、重く圧し掛かっていたのである。
 これまでの仲間だけでなく、姉の愛佳や、他の知り合いも……
 ひょっとしたら危機に立たされているのではないか。そう考え始めると、それを考えないようにするのは不可能だった。
 幾分かの慢心にも近い、油断のようなものも無意識の内にあった。
 数時間前までとは違う。今はそれなりに行動でき、多少は戦える。そんな思いが。
 訓練に集中していたときに考えなかったことが、今一気に噴き出してきた、その結果だった。
 加えて、高槻へのほんの些細な疑心と反発。
 少しずつ、少しずつ。
 要因は、積み重なっていた。

 それが――
「では、わたしも行ってきますね。ポテトさん、高槻さん」
 寝ている高槻からは返事はない。ポテトだけが「ぴこ!」と元気に返事しようとした、その瞬間だった。
 たん、と何かが弾けたような、そんな感じの形容しがたい音が響いてきた。
 ――最悪の、状況を導き出すことになった。

528(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:02:53 ID:WLKNz3/g0
「え……?」

 何の音か理解できなかったゆめみが呆然とそれを聞いていたのと対照的に、ポテトが玄関へと向けて走り出す。
 その白い姿で、ようやく我を取り戻したゆめみがそれに続くように駆け出す。
 いや、正確にはあの音が特別に危険な代物であると、コンピュータが推測したからだった。
 そう、その音は、銃声に、酷似していたのだ。
 ゆめみとポテトが乱暴とさえ言える勢いで外に出る。
 玄関の扉を開けた、すぐ前の砂浜で……

「小牧さんっ!」
「ぴこっ!」

 小牧郁乃は、うずくまるようにして、白い砂浜を赤く染めていた。
 そして、その真横に悠然と、されど傲慢に立つ男。
「……なんだ、奴はいないのか? まぁいい、前座にはぴったりだ。そうだろう、ロボットに糞犬」

 岸田洋一、その男が笑っていた。

「ぴこーーーーーーーっ!」

 その言葉を聞き終えるが早いか、ポテトは真っ直ぐに岸田へと猛進していた。
 小牧郁乃から離れろ。彼女を汚すな。ポテトの目はそう語っていた。
 地面を蹴り、砂を巻き上げるその脚力はポテトの小柄な姿からは想像もできないくらいに力強い。あんな小さな犬と侮っていた人間ならまずその速度に驚愕し、牙による一撃を腕か足か、どちらかに受けていただろう。

529(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:03:16 ID:WLKNz3/g0
 だが今の岸田にはそれはお遊戯程度でしかなかった。
 軽く身を捩って躱し、そればかりか飛び掛かって空中にいたポテトの頭を掴むと、そのまま近くの木の幹へと投げ、叩きつける。
 したたか打ち付けられたポテトが力なく落ち、痙攣を繰り返す。
「犬如きが、何をできると思った!? 図に乗るなッ!」
 恫喝するその声は、もはや無学寺での面影はない。殺人鬼の名称ですら相応しくない、まさに狂戦士の姿である。

 ふん、と侮蔑にも満ちた視線で一瞥すると、次はそれをゆめみへと向け――鉈を取り出した。
「小牧さんから……離れてください!」
 まるで予測していたかのように、ゆめみが忍者刀を振り下ろしてくるのを、岸田はあっさりと受け止めていた。

「ほぅ、以前よりはマシになっているじゃないか……だが、そんなもので俺が満たせるかッ!」

 力任せに押し戻すと、岸田はバランスを崩したゆめみに向かって思い切り前蹴りを見舞う。
 モロにそれが直撃したゆめみは砂浜を転がりながらも、すぐに起き上がる。そこに岸田が間髪入れず、鉈を振り下ろす。
 プログラムによって運動能力が向上していたゆめみは、それを間一髪ながらも避ける。もしも以前のままであれば頭部のコンピュータごと唐竹のように割られていただろう。代わりに散ったのは、長く、美しい浅黄色の髪の一部。

「せあっ!」

 再び、刀で岸田目掛けて切りつける。やや単調な攻撃ではあるが、早さだけ見るならそれは並大抵の男よりは十分に早い攻撃だ。
 しかし事もなげにそれを防御し、そればかりか受け止めつつ左フックを顔面目掛けて放つ。
 首を捻ってそれを回避したかに思えたゆめみだが、またもや体勢の崩れたところを今度は膝蹴りで吹き飛ばされる。
 人口皮膚を通してパーツの一部がギシッ、と悲鳴を上げたのがゆめみには分かった。

 背中から砂浜に打ち付けられ、砂が服の中に入り込むが、それをどうこう感じるようなゆめみではない。もとよりそのような機能は備わっていない。
 ただ、かつて郁乃を傷つけたばかりか沢渡真琴を殺害したこの男を放置しておくのはあまりにも危険だと、そう考えるが故に。
 ゆめみは、立ち上がり続ける。

「まだまだ……わたしは動けます!」
「ポンコツの癖に、粋がるなッ!」

530(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:03:44 ID:WLKNz3/g0
 三度、ゆめみの刀と岸田の鉈がぶつかる。
 力では勝てないと経験則で判断したゆめみは手数で攻める。
 あらゆる方向から薙ぎ、どこか一箇所でも傷をつけようと攻めを繰り返すも、躱され、受けられ、流される。
 それでも繰り返せば当たると、そう判断するゆめみは斬撃を続ける。それでもなお攻撃は当たるどころか、掠りさえしなかった。

「ふん、貴様、それで俺を殺すつもりなのか」
 その最中、岸田が口を開く。
「さっきから腕や足ばかり狙いやがって……俺を殺すつもりがないのか! 殺すなら、突いてみろ! 俺の胸を! 切り裂いてみろ! 俺の喉をッ!」
 胸を指し、顎を持ち上げて無防備にも喉を見せる岸田だが、ゆめみは手を変えようとはしない。あくまでも腕や足を狙うのみ。

 何故か?
 それは、彼女が……ゆめみがロボットだからだ。
 ロボット三原則。
 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
 今ゆめみがしている行動は、矛盾している。
 人間に危害を及ぼさないために、別の人間に危害を及ぼそうとしている。本来ならエラーを起こすくらいの重大な問題ですらある。
 だが、今回は特別であった。岸田洋一という男を放置しておけば、よりたくさんの人間に被害を与える。そう判断できたからだ。
 しかし、それでも、人間を殺害するというその行為だけは、ゆめみにはできなかったのだ。
 岸田洋一もまた、人間であるために。

「殺しません……殺さずに、小牧さんを助けてみせます!」
「殺さない!? 殺さないと言ったか! そんな中途半端なことで……俺が負けるわけがあるかッ! だから貴様はクズなんだよッ!」

 一瞬、岸田の姿が大きくなったように、『ロボットであるのに』ゆめみは錯覚した。
 錯覚という事象を判断できず、ゆめみの動きが数瞬、停止する。岸田がそれを逃すはずはなかった。
「今ここで貴様をぶっ壊すのはやめだッ!」
 岸田の放った鉈の一撃が、ゆめみの手から刀を奪う。続けてゆめみを蹴り倒すと、起き上がらせる間もなく岸田はゆめみを足蹴にし続ける。
「貴様も! 小牧郁乃も! 高槻の目の前で殺してやるッ! バラバラに砕いて、絶望に慄く姿を見ながら、楽しみながらな! 貴様のような、貴様のような! 口だけの甘ったれが! 戦いの場に出てくるんじゃないッ!!! 大人しく死んでいれば……いいんだよッ!!!」

531(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:04:04 ID:WLKNz3/g0
 一際強く、ゆめみの頭部を蹴り飛ばす。あまりの勢いで体ごとその体が吹き飛ぶ。
 そして、それ以降、ゆめみの体は動かなくなった。
「……こんなのにも耐えられないとはな。所詮、ゴミクズはゴミクズか」
 吐き捨てる岸田。その背中に、かかる言葉があった。

「ひどい……なんて、ひどいことを……!」
 足をドラグノフで狙撃され、そのまま倒れこんでいた、小牧郁乃の声だった。
 撃たれた足からはじくじくと血が流れ出し、赤で砂浜を染め上げている。
 岸田は不敵に笑いながら、憎々しげに見上げる郁乃の頭を、砂浜にめり込ませるかのように踏みつける。ぐっ、と短い呻きが漏れる。

「どの口がそんなことをほざく? 貴様さえここにいなければあの犬もあのガラクタもああならずには済んだのかもしれないじゃないか? ん、どう思う小娘」
「何よ、他人事みたいに……!」

 強気な口調ながらも、心の底では岸田の言葉を、郁乃は否定しきることができなかった。
 『また』。また、自分のせいで誰かが傷つき、倒れる。
 沢渡真琴が骸と化したあの光景が、郁乃の頭に描き出される。
 しかし、今回も、『また』、そうなのか?

「違う……! 私が、私がみんなを……助けるんだ!」
 周囲の音全てをかき消す怒声に気圧され、岸田のかけていた圧力が弱まる。郁乃はその機を逃さず岸田の踏み付けから逃れ、ごろごろと転がりながらあるものを掴み取る。
 岸田は身軽に戦うため、自分のデイパックを砂浜に放り出していた。また、その時にふと零れてしまったのか、拳銃(ニューナンブM60)が転がっていたのだ。

 郁乃が取ったのは、まさにそれだった。
「形勢逆転よ! あんたが走ってもこの距離なら外さない!」
 ニューナンブの銃口が、岸田の真正面に立つ。予想外の反抗に、岸田は苦虫を噛み潰したような表情になった。
 装備は手持ちの鉈だけ。伏せているこの体勢ならばそうそう外すことはない。
 勝った、と郁乃は思った。

532(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:04:26 ID:WLKNz3/g0
「……威勢はいいようだが、撃てるのかな? 人を殺したことはないんだろう? だいたい、本当に撃てるならとっくに撃ってるはずだからな。どうした、そら、撃ってみろよ」
 岸田は必死に虚勢を張るが、明らかに動揺しているのが見て取れる。哀れみにも似た感情を、郁乃は抱いた。
「それじゃあ、お望みどおりにしてあげる……あんたの罪を、ここで償えっ!」

 躊躇うことなく、郁乃はトリガーを引いた。
 ぱん、という軽い音と共にそれが岸田の真正面に命中する。
「……ほ、本当に……撃ちやがった……」
 がくりと膝を落とす岸田。このまま体の上半身も倒れ、そのまま骸となるのだろう。
 これがあの殺人鬼の最後なのだろうか。あっけないものだ――

「なぁんてな」

 腹を抱え首を垂れていた岸田が顔を上げたのは、郁乃がそう思った瞬間だった。
「え……っ!?」
 気が緩みかけていた郁乃に、再びニューナンブを構えるだけの時間はなかった。
 いや、構えようとしたときには、岸田は既に郁乃に向けて全力の蹴りを放っていた。
 どん、という鈍い感触と共に、郁乃の体は宙に浮いていた。まるで、サッカーボールのように。

「か……はっ」
 ニューナンブを奪いに行ったときよりも数倍の勢いで転がる。その勢いに圧され、ニューナンブは郁乃の手から離れてしまっていた。
「く……な、なんで……?」
 止まったときには仰向けであった。目に映るのは一面の空だけ。ひどく綺麗だった。
 体中に痛みを感じながら、郁乃はそんな疑問を漏らす。

「なんだ、もう忘れたのか」
 影が差すように、空を遮って岸田の顔が現れる。その表情は喜悦に満ちていた。
「まったく、学習能力がないなお前は。忘れたか? 俺が着ているものを」
「あ……っ!」

533(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:04:48 ID:WLKNz3/g0
 そうだ。どうして忘れていたのだろう。
 岸田は、防弾アーマーを着ていたということを。
 愕然とした郁乃の顔を見た岸田が、さらに嗤う。

「仲間を助けるんだとか言って、自分に酔いしれていたんじゃないのか? 笑わせるな、小娘」
 郁乃は息を詰まらせる。そんな、そんなはずはない。
 しかし失念していたのは確かだ。愚かなのには違いなかった。
 歯噛みする郁乃を見てひとしきり顔を歪めると、一転して表情が不機嫌なものへと変わる。

「……しかし、今のは痛かったぞ。ごわごわするんだ……ああ、肋骨の一本でもイカれたかもしれない。そこだけは、やってくれたな」
 身も凍りつくような、とはまさにこれだと郁乃は思った。
 視線の先から滲み出る悪意。それに射られただけで体がすくんで動けない。
 カチカチ、と音が鳴っている。それが理解できたのは、岸田が振り上げた鉈の刃に移る自分の姿を見たときだった。
 震えているのだ。そう思ったときには鉈が郁乃の足に振り下ろされていた。
 めきっ、と何かがひび割れるような感触があった。それに続いて、今まで感じたことのないような熱さと痛みが、足から這い上がりたちまち郁乃の全身へと広がった。

「ぅあああああっ!」
 悲鳴を上げ、砂浜でのたうつ郁乃。
 奇妙なダンスだった。何かを求めるように、手が空をさ迷う。苦痛を和らげるものがないか、探すかのように。
「くくく、はははははっ! どうだ、大切な足をザックリやられた感想は!? せっかく歩けるようになったのに、これでまた車椅子生活だなぁ? まったく、無駄な努力になってしまったなぁ!」

 郁乃の努力を、生き方を嘲笑うように岸田は嗤い続ける。
 郁乃は苦痛に喘ぎながらも、悔しくてたまらなかった。怒りを感じていた。
 自分のミスにも、岸田の冒涜するような行いにも。

「はっはっは……さて」
 まだまだこれからだ、とでも言わんばかりに岸田はまた鉈を振り上げ、今度は反対の方の足へと鉈を振り下ろす。
 また嫌な音がしたかと思うと、苦痛が倍になって襲い掛かってくる。いや、倍などという生易しいものではなかった。累乗と言っても差し支えない程の痛みが、郁乃を苦しめる。自分の悲鳴すら、今の郁乃には届いていなかった。

534(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:05:19 ID:WLKNz3/g0
「いい鳴き声じゃないか。そら、もっと鳴いてみろ。そら」
 傷口を直接、岸田は足でぐりぐりと擦りつける。100万ボルトの電流を流されたような痛みが追加され、郁乃は気を失いそうになる。
「あ……がっ……この……外道……!」

 ほぅ、と岸田は感嘆にも似た声を漏らす。絶対に屈しないという意思を集約したかのような目で、郁乃は抗い続けていた。
 ますます愉快そうに、岸田は嗤った。簡単に堕ちるようでは贄の役割は務まらない。無駄な抵抗を踏み躙る事こそ器を満たす液体。
「光栄だな。では、ご褒美だ」

 三度目の鉈。今度は手のひらの中心へと刃が落ちた。
 続けて四度目。さらに反対の手のひらにも振り下ろされる。
 既に、悲鳴はなかった。朦朧として霞む意識で、郁乃は耐え続けるしか抵抗する術はなかった。

「くく、これで物も満足に握れなくなったってワケだ。さしずめ達磨さんといったところかな……そうだ、どうせなら切り落としてやろうか? どうだ、ん?」
「……か……」

 勝手にしろ、という言葉すら痛みにかき消されて出てこない。意識を繋ぎとめるだけで精一杯なのだ。
「潮時か。まあ、お前はよく頑張ったよ。まだ見えているなら、俺があのポンコツを壊す様をじっくりと見てるんだな」
 岸田の興味は、既に倒れているゆめみに向けられている。蹴られたときの衝撃でシステムがダウンしているのか、ぴくりとも動かない。

 いけない。まだだ、まだ注意をこちらに向けさせないと――
 激痛を必死に堪えて、口を開く。
「……!」

 岸田の体の向きが、変わる。
 やった、また、注意を向けさせることができたのだ。大量の失血により薄れゆく意識の中で、郁乃はそう思っていた。
 しかし、違った。郁乃は結局、声を出せなかった。岸田が引き付けられたのは、郁乃の声にではない。

535(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:05:44 ID:WLKNz3/g0
「……来たか。待った、この時を待ちかねたぞ……!」

 そこに、一人に男が駆けて来たからに他ならない。

「高槻ッ!」
「岸田ァ!」

 そして、二人は同時に叫んだ。

「「ブッ殺してやるッ!」」

     *     *     *

 ゆめみが転がっていた。
 郁乃が倒れていた。
 何故二人が外に出ようとしたのかなんて、俺様には分からない。だが、今の状況を作った原因が、奴のせいだということはすぐに分かったさ。

 三度目だ。奴とこの島で会うのは三度目。
 三度目の正直とはよく言ったもんだ。二度逃がした結果が、これか。
 くそっ、畜生!
 何で俺様はこんなに頭にきてるんだ?
 郁乃もゆめみも、赤の他人じゃねぇか。別にどうなろうと知ったこっちゃない。そう思ってたってのによ。ああもう、分からん。

 俺様が、俺様を分からない。
 だが、これだけは言える。
 奴だけは……岸田洋一、奴だけは絶対に許さん!

「高槻ッ!」
「岸田ァ!」

536(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:06:06 ID:WLKNz3/g0
 俺様は懐にあったコルト・ガバメントを抜きながら叫んだ。

「「ブッ殺してやるッ!」」

 ちっ、ハモるとはますます気分が悪くなるぜ。
 俺様はまず一発、発砲する。奴の武器は鉈だ。なら距離を取って戦えばいい。
 だが岸田はそれを予測していたようで、身軽な動きでサイドステップしてこちらに迫る。

「飛び道具はつまらんぞ! せっかくの決闘に、そんなものを持ち込むなッ!」
「うるせぇッ! お前も今までさんざ使ってきたじゃねえか!」

 円を描くように振り回される斬撃の応酬を、俺様も飛び跳ねながら避ける。クソッ、あいつ、今までより動きが良くなってやがる!
 銃を構えようとしても照準を向ける前に鉈が迫ってくる。赤い鉈が。
 だが奴だっていつまでも振り回し続けられるはずがない。疲れて動きが鈍ってきたところに、一発叩き込んでやる! 今度はヘマはしねえ、ドタマをブチ抜く!

「どうした、避けてばかりいないで反撃してみたらどうだ!」
 言われずともそうしてやるさ。奴の攻撃もだんだん大振りになってきた。次を躱したときが……チャンスだ!
「っ、さっさと当たれ!」
 岸田が大きく鉈を振りかぶる動作をする。よし、今だ――!?

「フェイントだッ!」
 ニヤリ、と岸田は笑ったかと思うと、目にも留まらぬ勢いで鉈を振ってきやがった! 疲れていたように見せていたというのか!
 俺様はギリギリで反応し、体に当たることだけは防いだ、が、運悪くガバメントに鉈の刃が当たり俺様の手から弾け飛んで遠くへと放物線を描いていってしまった。
 ぐっ、と手を押さえる俺様に、岸田はトントンとてめえの頭を指しやがる。

「俺を、今までの俺だと思うな、高槻」

 何か言い返したくなるところだが、確かに奴は今までとは違う。何かが洗練され、研ぎ澄まされたような感じだ。……そういえば。野郎、俺様のことを名前で呼ぶようになってやがる。今までクズだのカスだの言ってたくせによ。は、ここにきてようやく人間に格上げですか。そりゃまあクソありがたい事ですね。

537(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:06:37 ID:WLKNz3/g0
「さぁ、お遊戯は終わりだ。そこの刀を取れ、高槻。極限の状況、互いが互いの殺意を向け合う決闘では、肉体と死の感触を得られる格闘戦こそ相応しい」

 岸田が、まるで用意されたかのようにあった、俺様のすぐ横にある忍者刀(だったかな)を鉈で指す。どうも奴はこだわりがあるようだ。
 冗談じゃない、奴のこだわりとやらに付き合う暇も、余裕もない。……しかし、アレ以外に、近くに武器がないのも、確かなことだ。
 だったら、奴の決闘ごっこに付き合いつつ、銃を拾い、こっちのペースに持っていくしかない。
 俺様が刀を握るのを見届けた岸田が、ようやく満足そうな笑みを浮かべる。クソッ、気に入らない。

「そうだ、それでこそ、あの贄どもの意味も出てくるというものだ」
「贄……?」

 オウム返しのように、その言葉の意味を尋ねると、岸田はさも愉快そうに説明を始める。

「あぁ。愉しかったぜ、必死で抵抗するあの小娘の四肢を切り刻んでやったのはな……見せてやりたかったぞ高槻。あいつは、せっかく歩けるようになったというのに、この俺の手で二度と立てないようにしてやったんだからな! いや、ひょっとしたらあのまま死んじまったかもな、はっはっは!」
「な……に?」

 あいつは、歩けるようになるまで、必死に頑張っていたというのか? 俺様が寝ている間の、何時間という間を。
 それを、こいつは、その何十分の一という時間で、全部台無しにしやがったってのか?
 小賢しい知恵が、俺様の頭から吹き飛んでいく。代わりに流れ込むのは憤怒。どうしようもない思いだった。

「ついでに手も切ってやったしな。これであの小娘は一人じゃ何にも出来なくなったってワケだ。悔しそうだったぜ、あの時の顔は」

 郁乃の、ほんのささやかなプライドすら……野郎は、踏み躙ったってのかよ?
 ……許せねえ。
 何が許せないか? 岸田もそうだが、それ以前に……

「まぁ、あえて文句を言うならあそこでみっともなく助けでも求めてくれれば――」
「――黙れ」

538(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:06:57 ID:WLKNz3/g0
 それ以前に。『俺』の、俺自身のあまりの小ささが、矮小さが、許せなかった。

「ん? 何か言ったか? 聞こえんぞ?」
「黙れェェェェェェェッ!!!」

 刀を持ち、俺は真正面から突撃していった。今までにない感情に、押し出されるようにして。
 岸田は一瞬驚いたような表情になって、俺の斬撃を受け止める。金属同士がぶつかり合う甲高い音と一緒に、互いの力と力が激突する。

「貴様……貴様だけはッ!」
「ぐっ……! だが、いい顔になったぞッ! それでこそ俺が殺すに相応しい男だ!」

 全くの同じタイミングで弾いて距離を取ると、今度は岸田が先手を撃って横薙ぎに鉈を振るう。
 俺はしゃがんでそれを躱すと、岸田の足に向かって斬りつける。
 だが岸田もそれを飛んで回避すると、落ちるときの、落下の勢いを加えた振り下ろしで攻撃してくる。
 鉈の重たい斬撃は、俺の刀では到底受け止められない。転がってそれを避け、立ち上がる。同時に、岸田も体勢を立て直していた。

「いい動きだ高槻! そうだ、これこそ決闘! これこそ殺し合いだッ!」
「ほざけッ!」

 俺が斬撃を繰り出せば、奴がそれを受け止める。
 奴が鉈を振りかぶれば、俺は避けてその隙を突こうとする。
 そんなことの繰り返しだった。ただ悪戯に時間を消費していくだけだが、どういうことか俺様も、岸田も体力が減ったような気がしない。
 まるでそこだけ時間が止まったように。

539(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:07:23 ID:WLKNz3/g0
 岸田の十数度目の一撃。今度は小さく飛び跳ねるように、僅かな放物線を描くように飛び掛かってきた。
 小さくバックステップしてギリギリ、射程の外に移動する。――が、更に追撃をかけるように奴はその長身を生かした蹴りを俺に放つ。
 切磋に腕でガードして直撃だけは免れたものの、ジンジンとした痛みが腕に残った。
 さっきから、幾度となく攻防を繰り返しているのにまるでパターンというものが見受けられない。
 どれもこれも予測もつかないような攻撃ばかりだ。本気を出した岸田洋一という男の、実力がこれだと言うのか。クソッ、悔しいが、強い。

「どうした高槻! それが貴様の殺意か!? そんな憎しみでは、憎悪では、俺は殺せんぞ! 否定してみろ! 俺の全てを!」
「憎悪だと――!?」
「そうだッ!」

 岸田が、まるで舞踏会のように、華麗に、あらゆる方向から鉈を振り回してくる。
 俺はそれを受けつつ、時に避けつつ、反撃の機会を待った。

「俺は貴様が憎いッ! 惨めにも貴様の前から敗走を繰り返し、背中を見せ、しっぽを巻く羽目になった! 俺のプライドを! 貴様はズタズタに切り裂いたんだッ! しかも、貴様のような、貴様のような、悪党の癖にヒーローを気取ってやがる気障な野郎にだッ!!!」

 斬撃の直後、俺が避けた後の僅かな隙を突くように。岸田は肩からタックルをかまし、俺の体勢を無理矢理崩した。
 よろめく俺に、岸田の放った拳が俺の顔を衝く。強烈すぎる圧力に、鼻が曲がりそうになった。

「だから、貴様は完膚なきまでに叩き潰す! 俺の全力を以って、正々堂々と、真正面からな! 何をしても、絶対に俺には敵わないんだということを思い知らせてやる! 俺の鬱憤はそうしないと晴らせないんだよ!」

 再び顔を潰そうと、奴の拳が迫る。だが二度目はねえ!
 空いた方の手で岸田の拳を受け止める。押し切る事が出来ず、ならばと振り上げた鉈は下ろす直前、俺の刀に阻まれる。

「高槻も同じはずだ! 仲間とやらを一度ならず二度までも襲われて、貴様もプライドに傷がついたはずだ。我慢する必要はない。本能のままに、いがみ合い、奪い合い、憎しみ合えばいいんだ。それが人の本性なのだからな。そして、それが美しくもある……だから見せてみろ! 貴様の憎悪という『芸術』を! 俺がそいつを粉々に打ち砕いてやるッ!」
「――違う。岸田よぉ、お前こそ、少しも分かってない」

 憎悪。それが全くのゼロかと問われると、そうではないとは言い切れない。だが、奴の言っていることは明らかに見当違いだ。
 俺が本当に憎んでいるのは、岸田じゃない。いや正確には、岸田以上に憎んでいるのは。

540(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:07:47 ID:WLKNz3/g0
「分かってない、だと」
「けっ、教えて欲しそうだが、教えるかよ。俺はお前が大嫌いなんだ」

 ここにきて、ようやく自分の心と向き合えたこと。
 つまり……沢渡や郁乃を犠牲にするまで、向き合おうともしなかった自分の情けない心が、憎いのだ。

「まだ……まだ、ヒーロー気取りか! だから貴様には苛々するんだ!」
「奇遇だな! 岸田の存在にはこっちが苛々するんだよ! そろそろ、決着と行こうぜ!」

 互いの拳と、得物を弾き、もう一度距離を取る。
 その間は……大体5メートルってところか。次の一閃。そいつで決める。
 俺は刀を両手で握り、ありったけの力を篭められるように神経を集中させる。
 岸田もこれが最後と、俺を待ち受けるようにドシンと構えてやがる。

 寄せては返す、波の音が聞こえる。そのお陰だからか、体はこんなにも煮え滾っているのに頭ん中はとても静かだ。
 今なら、なんだって出来そうな気がする。
 俺は、静かに笑った。

 ――勝つ。絶対にだ。

「行くぜッ! うらぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
 駆ける。俺の人生の中で、最速の疾走。そこに、剣先にありったけの力を――!?
「馬鹿だな、やはり、貴様は」

 岸田が地面を、いや、砂浜を蹴り上げる。
 そこに舞うのは砂塵。大量の粒が俺の目に侵入してきやがった! 野郎! 目潰しとは!
 まともに喰らった俺は、その場で動きを止めてしまう。

「クソッ! 正々堂々じゃなかったのかよ!」
「ふん、『正々堂々と』策を用いたまでだ! もう何も見えまいッ!」
 見えずとも、分かった。岸田の野郎は、嬉々として鉈を振り上げているのだろう。

541(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:08:11 ID:WLKNz3/g0
「猿(モンキー)が人間に追いつけるかッ! 貴様は! この岸田洋一にとっての猿(モンキー)なんだよ、高槻ィッ!」
 畜生……! ここで、ここで俺は終わりなのか!?
「終わりだッ! 死……」

 そんなとき。ぱん、と何か軽い、ひどく乾いた音がした。
「あ……ガッ? こ、これ、は……ぐっ……!」
 僅かに、視界が開けてくる。そこには、足を押さえてうずくまる岸田と――

「……バーカ……」

 血まみれで、しかし必死に拳銃を構えて、呟いていた、郁乃の姿があった。

「こ、小娘ェッ!!! 貴様ァ、殺してや」
「死ぬのはそっちだ、岸田洋一」
「!? しまっ……」
 視界はあやふやなままだったが、関係ない。てめぇのその馬鹿でかい声で丸分かりだ。それが……命取りだッ!

「がは……ッ!!!」
 岸田の背中に、防弾アーマーの少し上を行くように、刀が突き立てられる。恐らくは、綺麗に、墓標のように。
 血反吐を撒き散らしながら、岸田は断末魔の声を上げる。

「クソ野郎……! 貴様、貴様だけは、俺が……」

 まるで縋るように、岸田は俺へと向き、手を伸ばす。しかしそれは俺に届くことなく、途中で落ちた。

「そのまま地獄に落ちやがれ、ゲス野郎」

 俺がそう吐き捨てると同時に。岸田洋一という悪党の生は、そこで途絶えた。

     *     *     *

542(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:08:30 ID:WLKNz3/g0
 ゆめみが、目を覚ました(正確には、プログラムの復帰だが)ときには、既に決着がついていた。
 忍者刀を突き立てられた岸田洋一と、それを見下ろす高槻。そして、その先に血まみれで倒れている、小牧郁乃。
 ああ、また間に合わなかったのだ、とゆめみは思った。

「ぴこ」
 その隣に、疲れたように鳴く、ポテトの姿があった。
 返答など得られないと知りながらも、ゆめみはポテトに話しかける。

「わたしは……また、お役に立てなかったのでしょうか」
「ぴこ……」

 分かっているのか、いないのか、しかし首を横に、ポテトは振った。
 痛みは全くなく、強いてあげるとすれば僅かにパーツが軋むくらいだったが、概ね行動に支障はない。
 なのに、ゆめみは起き上がることすらできなかった。

「申し訳ありません……申し訳、ありません」
 罪悪感のような意識が、ゆめみを苛んでいた。ポテトがいくら、その肩を叩いてもゆめみはそう呟くばかりだった。
「おい、郁乃……」
 その先で、高槻は郁乃に話しかけていた。まるでいつものように。

「……遅いのよ、いつも、いつも」
「……悪い」

 歯切れの悪い会話。原因はいくつもあった。それを吐き出すように、郁乃がか細い声で呟く。もう、彼女の中に残る命は殆どなかった。

「何よ、らしくないじゃない……怒ってよ、今回は、私が……悪かった、のに」
「……チャラにしてやるよ。さっき、助けてもらったしな」
「そりゃ、どうも……は、ざまみろって感じ、よね」

543(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:08:50 ID:WLKNz3/g0
 郁乃の手には拳銃を繋ぐように、赤い布が巻かれている。握れないのなら、無理矢理にでも握らせてやる、とでも言うように。
 それは、文字通り郁乃の命を削って生み出された、最後の一撃であることを示していた。

「ね、ゆめみは、無事なの?」
 話題に出されたゆめみの思考が、一瞬停止する。倒れたまま、どうすればいいのか分からなかったゆめみだが、ポテトが叱咤するように顔を舐める。
「はい、わたしは、大丈夫です」
 言葉以上に弱い足取りで、ゆめみは立ち上がった。高槻も少し驚いたように、「良かったな、ピンピンしてやがるぜ」と言った。

「そう……なら、良かった……私……何も守れなかったわけじゃなかったんだ……ゆめみ、どこ?」
「何言ってんだ、すぐ近くに」

 そう言い掛けて、高槻は郁乃の異変に気付く。既に、彼女の瞳は虚ろだった。
「はい、わたしは、ここに……」
 見ているほうが泣きそうなくらいの表情で、ゆめみは郁乃の手を掴む。その温度は、暖かさは、薄れてしまっている。
「ゆめ、み。自分を……責めないで……すごく、立派だったから……ここの、誰よりも」
 誰もが誰かを殺そうとしていた中、最後の最後まで不殺を貫いていたのはゆめみだけだった。例え、それがプログラムによるものだとしても、その意思は、何より気高いものには違いなかった。

544(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:09:09 ID:WLKNz3/g0
「……光栄です」
 それを否定するのは、郁乃の思いも否定することになる。そう判断したゆめみは、震える声で、応えた。
「……高槻。ごめんなさい、少しだけ、疑ってたの。最終的には、私たちを見捨てるんじゃないか、って。でも、やっぱり私が間違ってた。……ヒーローだった。誰がなんと言おうと、あんたは私のヒーローだった……は、気付くのが、遅いのよね、馬鹿みたい、私」

 高槻は応えない。黙って、郁乃の言葉に耳を傾けていた。あるいは、何か思うところがあるのかもしれないと、ゆめみは思った。
「だから、さ、さいご、まで、あんたは、あんたのしんじる、み、み……ち、を……すすん、で……」
 やっとの思いで、言葉を吐き出した郁乃の目は、そこで、閉じられた。

「小牧、さん……」
「……畜生」

 高槻が、空を見上げる。その空はどんよりと曇っていて、今にも泣き出しそうな空だった。
 どうして、晴れにしてくれないんだよ。
 そんな呟きが、空しく吸い込まれていった。

545(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:09:38 ID:WLKNz3/g0
【時間:2日目・15:30】
【場所:B-5西、海岸】

覚醒した男・高槻
【所持品:忍者刀、日本刀、分厚い小説、ポテト(光一個)、コルトガバメント(装弾数:6/7)予備弾(6)、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:激しい疲労、左腕に鈍痛。主催者を直々にブッ潰す】
【備考:忍者刀以外の所持品は民家の中。ガバメントは海岸に落ちている】

小牧郁乃
【所持品:ニューナンブM60(3/5)、写真集×2、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、ほか支給品一式】
【状態:死亡】
【備考:ニューナンブ以外の所持品は民家の中】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者セット(手裏剣・他)、おたま、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動かない。運動能力向上】

岸田洋一
【持ち物:ニューナンブの予備弾薬4発、鉈、カッターナイフ、投げナイフ、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、ドラグノフ(0/10)89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2】
【状態:死亡】


【その他:鎌石村役場二階の大広間に電動釘打ち機(0/15)、ペンチ数本、ヘルメットが放置】
→B-10

546(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:16:23 ID:WLKNz3/g0
うあ、時間ミスってる

【時間:2日目・15:30】
【場所:B-5西、海岸】



【時間:2日目・17:30】
【場所:B-5西、海岸】

ということで…

547今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:35:24 ID:6dCcGcdg0
 全ての人に墓を掘る、
 俺達七人で墓を掘る、
 男も女も老人も子供も、
 全ての人に墓を掘る。

 佳乃の墓を掘っていたらふとそんなフレーズが頭に浮かんだ。
 俺達二人で墓を掘る。
 道具もなくひたすらに。
 中々にこの世界も地獄じゃないか。
 近しい者を集めての殺し合い。
 騙し騙され殺されて。
 全ての人は墓の下。
 佳乃と同じく墓の下。
 佳乃が死んだ。殺された。
 その最後は当然眼に焼き付いている。
 が、頭の一部ではもう冷静に状況を判断している。
 目の前で泣きながら墓を掘っている少女のように純粋には泣けていない。
 素直に泣くには俺は死に触れ過ぎている。
 佳乃の最後の誓いを忘れたわけじゃない。当然守るつもりでいる。
 だけどやはり頭のどこかで醒めたまま考えている。
 守ること以上に主催者を皆殺しにすることを。
 恐ろしい魔法使いを倒す為に、少年もまた恐ろしい魔法使いになったのでした。
 全く因果な職業だ。
 糞主催者共よ。
 貴様等は一体何がしたい?
 俺やリサ、エディに醍醐、挙句篁まで連れ出して。
 命? ないな。んなら最初にやられてるだろうしな。
 金? 馬鹿げてる。篁一人無傷で拿捕できる実力ありゃいくらでも稼げる。
 酔狂? 在り得ねえ。それでこの面子集められる奴がいたらとうに世界は崩壊してる。
 トップエージェントの抹殺? 無関係な人間巻き込みすぎだがやる奴には関係ないだろうな。だけど結局命と同じ。最初に捉えられた時点で終わり。大体そんなことが出来る奴がいたらエージェント抹殺する必要すらない。それだけで世界最強だろ。
 しかしそれ以外に俺が狙われる必然も思いつかない。
 狙われたのが俺じゃなかった? 他の119人に目的があった。同じだ。回りくどすぎる。大体無関係な人間を捕まえる必要もない。俺やリサが目的じゃないんなら捕まえる必要なんてないはずだ。捕まってから一日。篁が消えて俺が消えてリサが消えたこの状況。アメリカも篁財閥もエージェントも。時間が経てば必ず動く。無用なリスクが多すぎる。
 糞。想像もつかねえ。
 エディがいてくれれば……な。
 エディ……何で死んじまったんだよ……
 如何しようもねえ馬鹿餓鬼一人ほっぽりだしてあの世で楽しくやってる場合かよ。
 無茶苦茶小僧が馬鹿みてえにつっこまねえように後ろで手綱握っててくれよ。
 糞……糞……畜生……
 ……――
「誰だ」
「へっ?」
 千客万来。
 運命の女神様は酷だねぇ。リサに乗り換えたのを根に持ってるのかね。
「今俺はムカついてる。敵ならさっさとかかって来い。そうじゃねえなら両手上げて出て来い」
 沈黙。
 風のそよぐ音と古河の身動ぎだけが伝わってくる。
「宗一さん……勘違いじゃ……」
 それはない。確実にいる。
 幸いにして既にある程度墓穴は掘れている。最悪撃たれたら古河をここに押し込めば当たる事もそうないはずだ。
 むずがる古河を手で制し、気迫を眼光に乗せて睨み付ける。どう出る。
「出て来い」
「それは出来んな。うー」
 数瞬の間を置いて、抑揚のない女の声が返ってきた。

548今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:36:04 ID:6dCcGcdg0
 耳を劈く炸裂音。轟く大きな爆発音に分校跡に向かっていた二人は反射的に木陰に隠れる。
「なぎー。今の」
「はい。爆弾か何かだと思います」
 破裂音の発生源に眼を向ける。
 その先からは薄く煙がたなびいていた。
「るーさん。どうしますか?」
 問われた少女は、溜息を以って答えた。
「仕方あるまい。ハンバーグは後回しだ」


 木陰や茂みに身を隠しながら慎重に進む二人の少女。
 赤い制服を着た薄桃色の髪の少女が黒光りする無骨な銃を抱え先行する。
 割烹着を着た漆黒の髪の少女が自動拳銃を持ち背後を警戒する。
 そうしていつしか二人は爆源地まで辿り着いた。
 木の陰に隠れてそこに眼を向けると。
 二人の少女の視界に、爆発の中心らしき跡地と。
「あれは……」
「穴掘り?」
 二人の男女が穴を掘っている姿が入る。
 素手を地面に突き刺して、掻き上げ土を放り出す。
 黙々とそれを繰り返す。
 片方は泣きながら、片方は表情を凍て付かせ。
 延々とそれを繰り返す。
「落とし穴……」
「を彫ってるようには見えませんね」
 口付けるほどに顔を寄せ、互いが聞き取れるかの僅かな声量で遣り取りをする。
 していた。はずなのに。
「誰だ」
「!!」
 男の誰何が飛んでくる。
 瞬間二人は身体を強張らせ、直後一切の動きを止める。
 薄桃の髪の少女は呼吸を鎮め体の力を抜き、眼を閉じて気配を探ることに集中する。どの道木の陰にいる以上互いに互いを見る事は出来ない。
 割烹着の少女はただ動きを止めたまま手元の銃に意識を集める。発砲せずに済む事を祈りながら。
「今俺はムカついてる。敵ならさっさとかかって来い。そうじゃねえなら両手上げて出て来い」
 男の挑発が通り過ぎる。
 少女達は動かない。相手が動いた時即座に対応する為に。
 沈黙。
 風のそよぐ音と押し殺した目の前の少女の息遣いだけが伝わってくる。
「出て来い」
 殺気が言葉に乗って飛んでくる。
「限界……か」
 薄桃の髪の少女が自分にすら聞こえない声で呟き、割烹着の少女に掌を向け無言で押し留める。
 ――ここにいろ、と。
「それは出来んな。うー」
 故意に一人気配を振りまき、茂みを蹴り木の陰から相手を視認して返答した。

549今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:36:31 ID:6dCcGcdg0
 漸く会話に乗ってきた。女性か。木の陰に隠れてこちらを見ているのが見える。
「ほう……何故だ?」
「うーの正体も分からぬまま投降しろと? ふざけるな」
 まぁ当然か。さてこいつは。敵か、味方か。
「じゃあどうする? このままいるわけにもいかないんじゃないか?」
「……聞かせろ。何をしていた」
「見ての通りだ。穴を掘っていた」
 天下のナスティボーイが化かし合いとは。似合わないこと山の如し。
「何の為にだ」
「次はこっちだ。何故ここに来た?」
「……爆音だ」
 当然か。あれはここ一帯に響いただろうし。故はどうあれ見過ごす事は出来ないだろう。
「るーの番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「いや。まだ浅い。何故ここに来たかきっちり答えろ。爆音が響いただけで理由になるか」
「……爆音が響いたから、戦闘があったんだろうと思って来た」
 ち。逃げられたか。
「るーの番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「死んだ仲間の墓にするため」
「! 宗一さん!」
 隣で古河が叫ぶ。今ので名前が知れた。一つ質問失ったか。
「次。何故戦闘がある場所に来る?」
「戦闘区域には人がいるからだ」
 やりにくい。
「何故墓を掘っている。この島で全てのうーの墓を掘るつもりか?」
「二つだな。仲間を埋葬する為だ。うーってのが分からんが……少なくともそっちの奴のを掘る気はない。この糞ゲームの主催者達のもな」
「うー達は」
「三つ目か?」
「……」
「次。何故人を求めている?」
「……探しているうーがいる」
「じゃあもう一つ。そいつに逢ってどうするつもりだ?」
「頼み事がある。それを頼むつもりだ」
 こいつは……嘘はなさそうだが……
「うー達は」
 どうするか……俺だけならともかく失敗したら古河も巻き込む。
 疑心暗鬼になっているだけかもしれないが、あいつらに騙されたのが未だに尾を引いている。
 エディー。助けてくれー。
「主催者を、どうするつもりだ?」
「ぶっ倒す」
 ぶっ殺す。古河には言わないが。
「お前はその知り合いに何を頼むつもりだ?」
「……」
 答えない。出ていた顔を引っ込める。そこに鍵があるのか。さっきからの質問を鑑みるに、こいつは対主催者……味方と考えていいんだろうか。
 郁未達と違って具体的な行動をしている。多分頭もいい。情けないな俺。トップエージェントの名が泣く。じゃねえ。んなもんどうでもいい。
 ブラフ? だったら大した役者だ。
「答えないのか?」
「……その前にもう二つ、答えてくれ」
 言いながら、薄桃色の髪をした女の子が木の陰から出てくる。両手は上に伸びていた。
「……何だ?」
「お前は、非戦闘民をどうする気だ?」
「守る」
 あいつとの約束だ。可能な限り守る。
「……ならもう一つ。るー。るーの名前はルーシーマリアミソラ。仲間が一人、ここにいる。今は主催者に対抗するための戦力を集めている。るーの……仲間にならないか?」
 そう言って女の子は上げた両手で大きく伸びをする。
 どうするか。古河を見る。頷き返される。
 仕方ない。万一こいつが優勝狙いだとしても俺がずっと古河に張り付いていればいい。
「お受けしよう。お嬢様」

550今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:36:55 ID:6dCcGcdg0
 などと思っていた自分を恥じた。
「るー」
 ルーシーと遠野の話を聞いてそして読んで海より深く反省。俺やっぱ冷静にはなれないよエディ。感情に支配されるようじゃエージェント失格だっていつも言ってたのにな。
 二人ともに相当な修羅場を潜っている。その上で尚も折れていない。
 分かっている。この上また騙される可能性だってゼロじゃない。それは十分に分かってる。
 それでもこの二人を疑う事は俺にはもう出来なかった。
 それに、偶然だがエディと皐月の事も知れた。
 全てが最悪に等しいタイミングで訪れ、皐月はエディを撃ち抜いた。
 その時のあいつの絶望は如何ばかりのものか。想像するもおこがましい。
 エディを失ってからこのCDを手に入れたのもまた皮肉。
 きっちゃない顔してたが腕は一流の上に超が二つも三つも付く最上のナビ。
 あいつがいればハッキングなんざ痔の時の糞より簡単にやってくれただろうに。
 俺もできないこたないけどやっぱ不安は残る。つーか機械任せだし。良くないなー。帰ったらちゃんと自力で出来るようになっとかないと。
 りさっぺならいけるだろうか。あの腕なら……多分、大丈夫だよな?
 ああでもそう言えばこの二人誰かを探してるっつってたか。
 ハッカーの当てでもあるのかね。
「そういや二人は尋ね人がいたんだよな。誰を探してたんだ?」
 CDが知れているならまぁこの位なら大丈夫だろう。それにあまりに情報隠し続けると気付いてる事に気付かれる。
「るーのたこ焼き友だちだ」
「は?」
 ルーシーが頭をこつこつと叩く。
「姫百合、珊瑚だ。確か、このうーのそういう事に関しては得意だと言っていたはずだ」
「得意って……んな素人の自称程度……待て」
 姫百合? それってあれか。来栖川エレクトロニクスの秘蔵っ子。世界最先端のメイドロボの第一人者。年齢に見合わない異常な天才振りから表に出すと危険だからって存在自体が秘匿されてるあの姫百合か?
 とんだ鬼札じゃねえかよ!? 俺やリサなんかじゃ問題にもなんねえ。エディをして規格外と言わしめる化け物がなんでこんなとこに。
『ルーシー、それってメイドロボのあの姫百合か?』
『そうだ。うーるりの為にうーイルを作り上げたと言っていた』
 確定だ。個人の為にメイドロボ作り上げる奴が二人もいるか。
「却下だ。やっぱどう考えても素人の自称よかエージェントのがマシだ」
『その娘、探すぞ。戯れに衛星から大統領のノーパソまでハック出来る奴以上のプロなんざ他にいるとも思えねえ。その娘以上の適任はない』
「エディがいてくれたら任せたかったんだが……俺の知る限り、リサが一番いいと思う。性根も戦闘力も申し分ない。あいつを探そう」
 周囲を見渡す。現状これ以上の策はない。と思う。まぁリサにせよ姫百合と言う娘にせよ歩かなきゃ見つけられないんだけど。
「わたしは宗一さんに従います。宗一さんがそう決めたのなら、そうします」
「私も構いません。いい案で賞。進呈」
 ぱちぱちぱち、とか言いながら何か渡される。紙? お米券? なんでこんなもの持ってんだ。
「るーもそれでいい。が、その前に……」
 む。何か見落としてたか? 俺の気付かない穴があったのか。
「るーはハンバーグが食べたい。食材調達にいかないか」
「却下」
「るぅ……」

551今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:37:30 ID:6dCcGcdg0
【時間:二日目15:00頃】
【場所:G-2】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 0/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:腹部打撲、中度の疲労、ちょっと手が痛い、食事を摂った】
【目的:佳乃の死体を埋葬。[死んだら弔われるべし]と言う渚の希望により綾香の死体も埋葬。最優先目標は宗一を手伝う事】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数11/20)、包丁、SPAS12ショットガン0/8発、ほか水・食料以外の支給品一式】
【状態:腹部に軽度の打撲、疲労大、食事を摂った】
【目的:佳乃の死体を埋葬。渚の希望により綾香の死体も嫌々埋葬。渚達と共に珊瑚を探し、脱出の計画を練る。可能ならリサと皐月も合流したい】

遠野美凪
【持ち物:予備マガジン×1(ワルサーP38)、包丁、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン、予備弾薬8発(SPAS12)+スラッグ弾8発+3インチマグナム弾4発】
【状態:強く生きることを決意、疲労小、食事を摂った。お米最高】
【目的:るーさん達と行動を共にし、珊瑚を探す。ハッキングを絶対に成功させる】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意、疲労小、食事を摂った。渚におにぎりもらってちょっと嬉しい】
【目的:なぎー達と行動を共にし、たこ焼き友だちを探す。なぎーを手伝う】

B-10

552今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 23:38:47 ID:6dCcGcdg0
 漸く会話に乗ってきた。女性か。木の陰に隠れてこちらを見ているのが見える。
「ほう……何故だ?」
「うーの正体も分からぬまま投降しろと? ふざけるな」
 まぁ当然か。さてこいつは。敵か、味方か。
「じゃあどうする? このままいるわけにもいかないんじゃないか?」
「……聞かせろ。何をしていた」
「見ての通りだ。穴を掘っていた」
 天下のナスティボーイが化かし合いとは。似合わないこと山の如し。
「何の為にだ」
「次はこっちだ。何故ここに来た?」
「……爆音だ」
 当然か。あれはここ一帯に響いただろうし。故はどうあれ見過ごす事は出来ないだろう。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「いや。まだ浅い。何故ここに来たかきっちり答えろ。爆音が響いただけで理由になるか」
「……爆音が響いたから、戦闘があったんだろうと思って来た」
 ち。逃げられたか。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「死んだ仲間の墓にするため」
「! 宗一さん!」
 隣で古河が叫ぶ。今ので名前が知れた。一つ質問失ったか。
「次。何故戦闘がある場所に来る?」
「戦闘区域には人がいるからだ」
 やりにくい。
「何故墓を掘っている。この島で全てのうーの墓を掘るつもりか?」
「二つだな。仲間を埋葬する為だ。うーってのが分からんが……少なくともそっちの奴のを掘る気はない。この糞ゲームの主催者達のもな」
「うー達は」
「三つ目か?」
「……」
「次。何故人を求めている?」
「……探しているうーがいる」
「じゃあもう一つ。そいつに逢ってどうするつもりだ?」
「頼み事がある。それを頼むつもりだ」
 こいつは……嘘はなさそうだが……
「うー達は」
 どうするか……俺だけならともかく失敗したら古河も巻き込む。
 疑心暗鬼になっているだけかもしれないが、あいつらに騙されたのが未だに尾を引いている。
 エディー。助けてくれー。
「主催者を、どうするつもりだ?」
「ぶっ倒す」
 ぶっ殺す。古河には言わないが。
「お前はその知り合いに何を頼むつもりだ?」
「……」
 答えない。出ていた顔を引っ込める。そこに鍵があるのか。さっきからの質問を鑑みるに、こいつは対主催者……味方と考えていいんだろうか。
 郁未達と違って具体的な行動をしている。多分頭もいい。情けないな俺。トップエージェントの名が泣く。じゃねえ。んなもんどうでもいい。
 ブラフ? だったら大した役者だ。
「答えないのか?」
「……その前にもう二つ、答えてくれ」
 言いながら、薄桃色の髪をした女の子が木の陰から出てくる。両手は上に伸びていた。
「……何だ?」
「お前は、非戦闘民をどうする気だ?」
「守る」
 あいつとの約束だ。可能な限り守る。
「……ならもう一つ。私の名前はルーシー・マリア・ミソラ。仲間が一人、ここにいる。今は主催者に対抗するための戦力を集めている。私の……仲間にならないか?」
 そう言って女の子は上げた両手で大きく伸びをする。
 どうするか。古河を見る。頷き返される。
 仕方ない。万一こいつが優勝狙いだとしても俺がずっと古河に張り付いていればいい。
「お受けしよう。お嬢様」

553今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 23:39:22 ID:6dCcGcdg0
 などと思っていた自分を恥じた。
 ルーシーと遠野の話を聞いてそして読んで海より深く反省。俺やっぱ冷静にはなれないよエディ。感情に支配されるようじゃエージェント失格だっていつも言ってたのにな。
 二人ともに相当な修羅場を潜っている。その上で尚も折れていない。
 分かっている。この上また騙される可能性だってゼロじゃない。それは十分に分かってる。
 それでもこの二人を疑う事は俺にはもう出来なかった。
 それに、偶然だがエディと皐月の事も知れた。
 全てが最悪に等しいタイミングで訪れ、皐月はエディを撃ち抜いた。
 その時のあいつの絶望は如何ばかりのものか。想像するもおこがましい。
 エディを失ってからこのCDを手に入れたのもまた皮肉。
 きっちゃない顔してたが腕は一流の上に超が二つも三つも付く最上のナビ。
 あいつがいればハッキングなんざ痔の時の糞より簡単にやってくれただろうに。
 俺もできないこたないけどやっぱ不安は残る。つーか機械任せだし。良くないなー。帰ったらちゃんと自力で出来るようになっとかないと。
 りさっぺならいけるだろうか。あの腕なら……多分、大丈夫だよな?
 ああでもそう言えばこの二人誰かを探してるっつってたか。
 ハッカーの当てでもあるのかね。
「そういや二人は尋ね人がいたんだよな。誰を探してたんだ?」
 CDが知れているならまぁこの位なら大丈夫だろう。それにあまりに情報隠し続けると気付いてる事に気付かれる。
「私のたこ焼き友だちだ」
「は?」
 ルーシーが頭をこつこつと叩く。
「姫百合、珊瑚だ。確か、このうーのそういう事に関しては得意だと言っていたはずだ」
「得意って……んな素人の自称程度……待て」
 姫百合? それってあれか。来栖川エレクトロニクスの秘蔵っ子。世界最先端のメイドロボの第一人者。年齢に見合わない異常な天才振りから表に出すと危険だからって存在自体が秘匿されてるあの姫百合か?
 とんだ鬼札じゃねえかよ!? 俺やリサなんかじゃ問題にもなんねえ。エディをして規格外と言わしめる化け物がなんでこんなとこに。
『ルーシー、それってメイドロボのあの姫百合か?』
『そうだ。うーるりの為にうーイルを作り上げたと言っていた』
 確定だ。個人の為にメイドロボ作り上げる奴が二人もいるか。
「却下だ。やっぱどう考えても素人の自称よかエージェントのがマシだ」
『その娘、探すぞ。戯れに衛星から大統領のノーパソまでハック出来る奴以上のプロなんざ他にいるとも思えねえ。その娘以上の適任はない』
「エディがいてくれたら任せたかったんだが……俺の知る限り、リサが一番いいと思う。性根も戦闘力も申し分ない。あいつを探そう」
 周囲を見渡す。現状これ以上の策はない。と思う。まぁリサにせよ姫百合と言う娘にせよ歩かなきゃ見つけられないんだけど。
「わたしは宗一さんに従います。宗一さんがそう決めたのなら、そうします」
「私も構いません。いい案で賞。進呈」
 ぱちぱちぱち、とか言いながら何か渡される。紙? お米券? なんでこんなもの持ってんだ。
「私もそれでいい。が、その前に……」
 む。何か見落としてたか? 俺の気付かない穴があったのか。
「私はハンバーグが食べたい。食材調達にいかないか」
「却下」
「むぅ……」


以上。訂正終わり。

554今日は金曜日/Deathrarrle:2008/05/01(木) 00:25:50 ID:0rBBkFcg0
「それは出来んな。少年」
 数瞬の間を置いて、抑揚のない女の声が返ってきた。


 耳を劈く炸裂音。轟く大きな爆発音に分校跡に向かっていた二人は反射的に木陰に隠れる。
「なぎー。今の」
「はい。爆弾か何かだと思います」
 破裂音の発生源に眼を向ける。
 その先からは薄く煙がたなびいていた。
「るーさん。どうしますか?」
 問われた少女は、溜息を以って答えた。
「仕方あるまい。ハンバーグは後回しだ」


 木陰や茂みに身を隠しながら慎重に進む二人の少女。
 赤い制服を着た薄桃色の髪の少女が黒光りする無骨な銃を抱え先行する。
 割烹着を着た漆黒の髪の少女が自動拳銃を持ち背後を警戒する。
 そうしていつしか二人は爆源地まで辿り着いた。
 木の陰に隠れてそこに眼を向けると。
 二人の少女の視界に、爆発の中心らしき跡地と。
「あれは……」
「穴掘り?」
 二人の男女が穴を掘っている姿が入る。
 素手を地面に突き刺して、掻き上げ土を放り出す。
 黙々とそれを繰り返す。
 片方は泣きながら、片方は表情を凍て付かせ。
 延々とそれを繰り返す。
「落とし穴……」
「を彫ってるようには見えませんね」
 口付けるほどに顔を寄せ、互いが聞き取れるかの僅かな声量で遣り取りをする。
 していた。はずなのに。
「誰だ」
「!!」
 男の誰何が飛んでくる。
 瞬間二人は身体を強張らせ、直後一切の動きを止める。
 薄桃の髪の少女は呼吸を鎮め体の力を抜き、眼を閉じて気配を探ることに集中する。どの道木の陰にいる以上互いに互いを見る事は出来ない。
 割烹着の少女はただ動きを止めたまま手元の銃に意識を集める。発砲せずに済む事を祈りながら。
「今俺はムカついてる。敵ならさっさとかかって来い。そうじゃねえなら両手上げて出て来い」
 男の挑発が通り過ぎる。
 少女達は動かない。相手が動いた時即座に対応する為に。
 沈黙。
 風のそよぐ音と押し殺した目の前の少女の息遣いだけが伝わってくる。
「出て来い」
 殺気が言葉に乗って飛んでくる。
「限界……か」
 薄桃の髪の少女が自分にすら聞こえない声で呟き、割烹着の少女に掌を向け無言で押し留める。
 ――ここにいろ、と。
「それは出来んな。少年」
 故意に一人気配を振りまき、茂みを蹴り木の陰から相手を視認して返答した。

555今日は金曜日/Deathrarrle:2008/05/01(木) 00:26:10 ID:0rBBkFcg0
 漸く会話に乗ってきた。女性か。木の陰に隠れてこちらを見ているのが見える。
「ほう……何故だ?」
「お前の正体も分からぬまま投降しろと? ふざけるな」
 まぁ当然か。さてこいつは。敵か、味方か。
「じゃあどうする? このままいるわけにもいかないんじゃないか?」
「……聞かせろ。何をしていた」
「見ての通りだ。穴を掘っていた」
 天下のナスティボーイが化かし合いとは。似合わないこと山の如し。
「何の為にだ」
「次はこっちだ。何故ここに来た?」
「……爆音だ」
 当然か。あれはここ一帯に響いただろうし。故はどうあれ見過ごす事は出来ないだろう。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「いや。まだ浅い。何故ここに来たかきっちり答えろ。爆音が響いただけで理由になるか」
「……爆音が響いたから、戦闘があったんだろうと思って来た」
 ち。逃げられたか。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「死んだ仲間の墓にするため」
「! 宗一さん!」
 隣で古河が叫ぶ。今ので名前が知れた。一つ質問失ったか。
「次。何故戦闘がある場所に来る?」
「戦闘区域には人がいるからだ」
 やりにくい。
「何故墓を掘っている。この島で全ての人間の墓を掘るつもりか?」
「二つだな。仲間を埋葬する為だ。少なくともそっちの奴のを掘る気はない。この糞ゲームの主催者達のもな」
「お前達は」
「三つ目か?」
「……」
「次。何故人を求めている?」
「……探している友がいる」
「じゃあもう一つ。そいつに逢ってどうするつもりだ?」
「頼み事がある。それを頼むつもりだ」
 こいつは……嘘はなさそうだが……
「お前達は」
 どうするか……俺だけならともかく失敗したら古河も巻き込む。
 疑心暗鬼になっているだけかもしれないが、あいつらに騙されたのが未だに尾を引いている。
 エディー。助けてくれー。
「主催者を、どうするつもりだ?」
「ぶっ倒す」
 ぶっ殺す。古河には言わないが。
「お前はその知り合いに何を頼むつもりだ?」
「……」
 答えない。出ていた顔を引っ込める。そこに鍵があるのか。さっきからの質問を鑑みるに、こいつは対主催者……味方と考えていいんだろうか。
 郁未達と違って具体的な行動をしている。多分頭もいい。情けないな俺。トップエージェントの名が泣く。じゃねえ。んなもんどうでもいい。
 ブラフ? だったら大した役者だ。
「答えないのか?」
「……その前にもう二つ、答えてくれ」
 言いながら、薄桃色の髪をした女の子が木の陰から出てくる。両手は上に伸びていた。
「……何だ?」
「お前は、非戦闘民をどうする気だ?」
「守る」
 あいつとの約束だ。可能な限り守る。
「……ならもう一つ。私の名前はルーシー・マリア・ミソラ。仲間が一人、ここにいる。今は主催者に対抗するための戦力を集めている。私の……仲間にならないか?」
 そう言って女の子は上げた両手で大きく伸びをする。
 どうするか。古河を見る。頷き返される。
 仕方ない。万一こいつが優勝狙いだとしても俺がずっと古河に張り付いていればいい。
「お受けしよう。お嬢様」

556今日は金曜日/Deathrarrle:2008/05/01(木) 00:27:03 ID:0rBBkFcg0
 などと思っていた自分を恥じた。
 ルーシーと遠野の話を聞いてそして読んで海より深く反省。俺やっぱ冷静にはなれないよエディ。感情に支配されるようじゃエージェント失格だっていつも言ってたのにな。
 二人ともに相当な修羅場を潜っている。その上で尚も折れていない。
 分かっている。この上また騙される可能性だってゼロじゃない。それは十分に分かってる。
 それでもこの二人を疑う事は俺にはもう出来なかった。
 それに、偶然だがエディと皐月の事も知れた。
 全てが最悪に等しいタイミングで訪れ、皐月はエディを撃ち抜いた。
 その時のあいつの絶望は如何ばかりのものか。想像するもおこがましい。
 エディを失ってからこのCDを手に入れたのもまた皮肉。
 きっちゃない顔してたが腕は一流の上に超が二つも三つも付く最上のナビ。
 あいつがいればハッキングなんざ痔の時の糞より簡単にやってくれただろうに。
 俺もできないこたないけどやっぱ不安は残る。つーか機械任せだし。良くないなー。帰ったらちゃんと自力で出来るようになっとかないと。
 りさっぺならいけるだろうか。あの腕なら……多分、大丈夫だよな?
 ああでもそう言えばこの二人誰かを探してるっつってたか。
 ハッカーの当てでもあるのかね。
「そういや二人は尋ね人がいたんだよな。誰を探してたんだ?」
 CDが知れているならまぁこの位なら大丈夫だろう。それにあまりに情報隠し続けると気付いてる事に気付かれる。
「私のたこ焼き友だちだ」
「は?」
 ルーシーが頭をこつこつと叩く。
「姫百合、珊瑚だ。確か、この星のそういう事に関しては得意だと言っていたはずだ」
「得意って……んな素人の自称程度……待て」
 姫百合? それってあれか。来栖川エレクトロニクスの秘蔵っ子。世界最先端のメイドロボの第一人者。年齢に見合わない異常な天才振りから表に出すと危険だからって存在自体が秘匿されてるあの姫百合か?
 とんだ鬼札じゃねえかよ!? 俺やリサなんかじゃ問題にもなんねえ。エディをして規格外と言わしめる化け物がなんでこんなとこに。
『ルーシー、それってメイドロボのあの姫百合か?』
『そうだ。瑠璃の為にイルファを作り上げたと言っていた』
 確定だ。個人の為にメイドロボ作り上げる奴が二人もいるか。
「却下だ。やっぱどう考えても素人の自称よかエージェントのがマシだ」
『その娘、探すぞ。戯れに衛星から大統領のノーパソまでハック出来る奴以上のプロなんざ他にいるとも思えねえ。その娘以上の適任はない』
「エディがいてくれたら任せたかったんだが……俺の知る限り、リサが一番いいと思う。性根も戦闘力も申し分ない。あいつを探そう」
 周囲を見渡す。現状これ以上の策はない。と思う。まぁリサにせよ姫百合と言う娘にせよ歩かなきゃ見つけられないんだけど。
「わたしは宗一さんに従います。宗一さんがそう決めたのなら、そうします」
「私も構いません。いい案で賞。進呈」
 ぱちぱちぱち、とか言いながら何か渡される。紙? お米券? なんでこんなもの持ってんだ。
「私もそれでいい。が、その前に……」
 む。何か見落としてたか? 俺の気付かない穴があったのか。
「私はハンバーグが食べたい。食材調達にいかないか」
「却下」
「むぅ……」


次こそは。

557少女世界:2008/05/01(木) 18:49:14 ID:997LS.yM0


ぜぇ、と響く音は喘鳴に等しく、鉄の臭いに満ちていた。
それが己の肺腑から立ち昇るものか、それとも周囲に転がる肉塊の撒き散らすものなのか、
既にその区別もなく、湯浅皐月は立っている。

ひ、と引き攣るような音は呼吸音と呼ぶにはあまりにか細い。
折れ砕けた頚椎の中で神経信号が散逸している。
びくびくと痙攣しようとする身体を精神力で統御しながら、柏木楓は立っている。

他に動くものとて残っていない閑静な住宅街、その一角を赤と褐色とに染め上げた少女二人、
ただ相手を斃すという、その意志だけが、死を超えて肉体を支えていた。
周りを取り囲んでいた砧夕霧の群れの姿は既にない。
大多数は東へと行軍し、残りは死に尽くした。

「―――ぁぁ……ッ!」

闘える、という事象が唯一の生の定義となった空間で、先に動いたのは楓である。
ふうわりと飛んだ、その軽やかとすら見える跳躍はしかし、傍らのブロック塀へと足をつくや一転。
引き絞られた剛弓から解き放たれた矢もかくやという突撃と化した。
鏃は真紅の爪。幾本もが折れ、或いは欠け、当初の美しさの見る影もなくなったそれは、
だが鋭さという一点においては今だ健在であった。

「―――ォォ……!」

正確に正中線を狙うその紅矢を、皐月は躱そうとしない。
既に余すところなき濃赤色となった血染めの特攻服をはためかせた仁王立ちのまま、
代わりとばかりに突き出されたのは左手である。掌には見るも無惨な貫通創。
同時に右の拳は腰溜めに引かれていた。堅く握られたそちらとて、乾いた血の中に垣間見えるのは
剥き出しとなった中手骨である。

「―――!」

558少女世界:2008/05/01(木) 18:49:39 ID:997LS.yM0
交錯に声はない。
幾つかの硬い音だけが残った。
アスファルトに転がったのは楓である。
すぐにゆらりと立ち上がるが、その青黒く腫れ上がった顔には新たな痣が増えていた。
吐き出す歯は、果たして何本めであったか。

「……いいかげ、ひぅ……ひぅ、死に、ませんか」
「あんた、こそ……がぁ……っ、何度、殺せ、ばぁ……っ、く、たばる、のさ」

短いやり取りすら、既に言葉にならない。
互いに咥内はずたずたに裂け、折れた歯の欠片が食い込み、舌は深く切れている。
楓の持つ治癒ですら傷の多さ、深さにまるで追いついていなかった。

「どぉ、して……くれんだぁ……、これ……ぇ。け、っこん……しきとかぁ、が、はぁっ……!」

咳き込んだ拍子に真っ赤な飛沫を散らしながら、皐月が左手を掲げてみせる。
その手首から先は、既に人の手と呼べる状態ではなかった。
骨の代わりに挽き肉を詰め込んだような掌はまるで巨大な螺子回しで捻られたように渦巻状に折れ曲がり、
その先にあったはずの五指は既に、それらしきものの残滓が覗くのみであった。
先刻の突撃を受けきった、それが代償である。

「だいじょう、ぶ……です、心配……はぁ、するのは……お葬式の、は、手配……だけ……」

返した楓とて、腫れ上がった顔の中、片目は白く濁ってあらぬ方を向いている。
折れた眼窩骨の突き刺さったものであった。
皮膚を裂き、肉を分けて骨を抜き去らねば、いかな鬼の力とて眼球を回復することは叶わない。
痛みはない。ただ脳を焼き鏝で掻き回されるが如き感覚の雑音が、楓を麻痺させていた。
延髄の損傷と合わせ、楓の脳機能に深刻な障害が生じていることは間違いなかった。
その場に倒れこみ、泣き叫びながら反吐の海でのた打ち回っても何ら不思議はない肉体を
今だ支えているのは、ただ矜持である。
鬼としてのそれではない。人鬼の境など、この闘いはとうに超越していた。

559少女世界:2008/05/01(木) 18:50:00 ID:997LS.yM0
楓を支えていたのは、眼前の相手のすべてよりも自身が優越しているべきだという、
少女としての矜持である。
それは肥大した自我の産物であり、愚かな片意地であり、視界の狭小なエゴイズムに他ならない。
だがそれは同時に、思春期に至った少女すべてが紛れもなく己のうちに飼っている、
この世で最も美しく猛々しい獣であった。
その獣の噛み合いこそが、少女という世界のすべてである。
柏木楓はその存在のすべてをもって、湯浅皐月を打ち倒す、そのためだけに立っていた。
そうしてそれはまた眼前の少女とて同じだと、楓は確信している。
少女の矜持は常に死を超越し、世界に君臨する。
矜持の故に少女は死なず、ならばその優越を粉砕し、蹂躙し、淘汰してようやく、楓は勝利できる。
血を流し、拳を砕き、その遥か先で心の折れ果てるまで、闘争は続くのだ。

だから、楓に散る赤は少女、湯浅皐月の流した血と、楓自身からの返り血の更に撥ねたものと、
その二つの交じり合ったものであるべきだった。
そうでなければ、ならなかった。
決して、決して、脳漿と、頭蓋の欠片と脳細胞と、血液と髄液と眼球と頬と舌と唇と、
そんなものの入り混じった何かであっては、ならなかった。

560少女世界:2008/05/01(木) 18:50:33 ID:997LS.yM0
半ば呆然と、その頬に飛んだ何かを拭おうとして、己の爪で小作りな顔に新たな一文字の傷をつけ、
流れ出すどろりとした血がその何かを洗い流してくれるような気がして、楓は、膝から崩れ落ちた。
ゆるゆると視線を上げた先に、湯浅皐月が、否、湯浅皐月であったものが、立ち尽くしていた。
それは既に、ひとのかたちをしていない。
両の肩が平らな線で結ばれ、その上は存在しない。そんな人間など、ありはしなかった。
湯浅皐月と呼ばれていたものは既に、此岸の存在ではなくなっていた。
それでもなお倒れず仁王立ちのままでいたのは、それが少女のあり方であったからだろうか。

「……、あ……」

震える手を伸ばし、物言わず立ち尽くすその姿に触れようとした、刹那。
湯浅皐月であったものが、薙ぎ払われた。
誇り高い骸がくの字に曲がり、抗う術もなく大地に叩きつけられ、汚れた地面を転がる様を、
楓はその眼で見ていた。

「どう……、して……」

掠れた声は、決して深手の故でなく。
浮かぶ涙は、決して苦痛の故でなく。

「どうして、」

軋んだ叫びは、

「……千鶴、姉さん……!」

決して愛慕の故でなく。

561少女世界:2008/05/01(木) 18:50:53 ID:997LS.yM0
 
 【時間:2日目 AM11:23】
 【場所:平瀬村住宅街(G-02上部)】

柏木楓
 【所持品:支給品一式】
 【状態:満身創痍・鬼全開】

湯浅皐月
 【所持品:『雌威主統武(メイ=ストーム)』特攻服、支給品一式】
 【状態:死亡】

柏木千鶴
 【所持品:なし】
 【状態:復讐鬼】

→736 769 ルートD-5

562終焉幻想:2008/05/01(木) 18:51:42 ID:997LS.yM0
 

ぽたり、と垂れたのは血の雫だった。
拡がる血だまりに落ちて、小さな真紅の王冠を形作った。

のろのろと手を伸ばし、指を浸した。
冷たくて、粘ついていて、気持ち悪い。
血はいつだって、こんな風に気持ちの悪いものだった。

私の中を流れる血。
私から出ていく血。
おりものと一緒に染み付いたそれを見るとき、私は無性に体を掻き毟りたくなる。

呪われた血。
穢れた血。
鬼の血。
鮮血。
血。

私の体を流れるものは呪われていて、だから私は呪われていて。
この体を裂いてみても、傷はすぐに塞がってしまう。
呪いを閉じ込めるように、穢れを溜め込むように、私の体はできている。
それが疎ましくて、それが悔しくて、私は何度も私の体を傷つけた。
今ではもう、痕すら、残っていない。

563終焉幻想:2008/05/01(木) 18:52:01 ID:997LS.yM0
「どうしたの? 楓」

声が聞こえる。
優しげな声。優しげで、冷たい声。
懐かしくて、耳障りで、親しげで、何故だかひどく気持ちのざわつく、声。
だから私は返事をしない。
ただ粘つく指先を弄ぶように、ずっと俯いたままでいた。
喪われたものを、いとおしむように。

「……そう、ならそのままでいいわ。聞きなさい」

ああ、この人はいつだってそうだ。
家長として、鶴来屋の代表として、いつだってこういう風に物を言う。
正しくて、息が詰まりそうなくらい正しくて。
なのにいつも女の匂いをさせて、それが嫌いだった。
この人が男と交わる姿を想像して吐いたのは、もう何年も昔のことだったけれど、
その頃から何一つ、変わっていない。
化粧の臭いと、糊のきいたスーツ。
それが血化粧と、真っ赤に染まった服に変わっても、この人は変われないのだ。
この人の中の女は、もう凝り固まっている。

564終焉幻想:2008/05/01(木) 18:52:19 ID:997LS.yM0
「私と一緒に来なさい、楓。こんなところにいる必要は、もうないの」

何かを言っている。
聞こえない。聞かない。
聞きたくない声は、聞こえない。

「もうすぐ世界は終わってしまうの。だからこんな、下らない争いに意味なんてないのよ。
 だけど安心して。私は力をもらったの。世界の終わりから、あなたを守ってあげられる」

よく動く唇には口紅がさされている。
血みどろの世界でも、この人はそういう、女の準備を忘れないのだ。
ぼってりとしたそれは、もぞもぞと蠢く紅い芋虫みたいだった。
あの芋虫を噛み潰せばきっと、甘い匂いのする汁が出てくるのだろう。
たくさんの男がそれを嘗めとろうと、この人の唇に吸い付くのだ。
背筋の真中、心臓の裏辺りに冷たい針を差し込まれたような感覚に、私は想像を打ち切った。

「ね、私がずっと守ってあげるから。だから、一緒に行きましょう」

話が、終わったらしい。
目の前に差し出された手は白く、指は細くて、気味が悪いほどに艶かしかった。
整えられた爪は塗られていない。
鬼の手のことがなければ、きっとくらくらするような色で彩られるのだろう。
ひらひらと舞う南国の蝶のように。
紅い芋虫が脱皮して、きっとこの人の指になるのだ。
宝石で飾られた芋虫の成れの果て。
そんなものが目の前にあった。
だから私は、それを振り払う。
それが潰れて、怖気の立つような匂いを振りまいてしまわないように気をつけながら。

565終焉幻想:2008/05/01(木) 18:53:04 ID:997LS.yM0
「……っ! 楓……!?」

我慢の限界だった。
同じ部屋の中で、涙が出るくらいに立ち込めた化粧の臭いの中でご飯を食べてきた。
ごちそうさまをした後で、トイレに駆け込んで吐いていた。
同じ家の中で、媚びたような視線が男たちに向けられるのを見てきた。
叔父さんが、耕一さんが、何か汚い汁をかけられて、嫌な臭いのする色に染まっていくような気がして、
あの人たちの服を擦り切れるくらいに洗った。
もう嫌だった。

「楓、あなた……」

いつの間にか、爪が出ていた。
黒く罅割れた手は、私の中の暗くてどろどろした水が染み出しているようで、心地よかった。
この人を見ていると、そういうものが湧き出してくる。
これは嫌なものだ。これは私をざわつかせる。
だからそういうものが私から出て行くように見えるのは、気持ちのいいことだった。
振れば黒い水が飛び散るような錯覚。

「楓……!」

一歩を下がるそのうろたえたような声が、私を加速させる。
いつも偉そうなことばかり言う口が、こんなときだけ許しを請うような響きを帯びる。
それが、小気味いい。
それが、苛立たしい。
相反する二つは私の中で矛盾なく暴れ回る。
突き動かされるように爪を振った。

「……っ!」

たまらず飛び退ったその目が、私を睨んでいた。
薄く朱に染まった瞳。
私を殺したくてたまらないのを抑えているのだろう。
必死に自制しているのが、ひどく滑稽だった。
この人はずっとそうだった。
薄皮一枚の向こう側に怒りと憎悪を押し込めて、私達に笑顔を向けていた。
だから私もずっと、軽蔑と嫌悪を押し込めて笑顔を返していた。
家の中では、ずっと。
もう、無理して笑う必要なんてない。

566終焉幻想:2008/05/01(木) 18:53:32 ID:997LS.yM0
「……そう」

手を押さえながら呟いたその瞳は酷薄で、笑顔はやっぱり、消えていた。
私の向けた嫌な気持ちが感染したみたいな、嫌な顔だった。
家の中ではごくたまに、それもほんの一瞬しか見せなかった顔が、私をじっと見つめていた。

「なら、いいわ。無理にとは言わない。……少し落ち着くまで、時間も必要でしょう」

言って踵を返した背中を、私はもう見ていなかった。
どこか目に付かないところに行ってくれるというのだから、辟易したような声も気にならない。
嫌な臭いが遠ざかっていく。
大きく深呼吸すると、私の中の嫌な気持ちも小さくなっていった。

「だけど……これだけは聞いて、楓」

立ち止まったような気配に、嫌な気持ちが黒雲のように湧き上がってくるのを感じて、
私はしゃがみ込む。抱えた膝は温かい。
乾いた血がぱりぱりと落ちていくのを眺めていた。
もう、あの人の声は聞きたくなかった。

「私はずっと、待っているから。家族はもう……この世でただ一人、あなただけなのよ」

だから、その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。

567終焉幻想:2008/05/01(木) 18:53:51 ID:997LS.yM0
家族はもう、たったひとり。
たったひとり。
梓姉さんは死んだ。知っている。
初音も死んだ。知っている。
だけど、それはおかしい。
たったひとりに、なるはずがないのだ。
私の家族は、柏木の家には、あの息苦しい、化粧の臭いのする家には、もうひとり。
もうひとりの家族が、いるのだから。
たったひとりに、なるはずがない。
なるはずがない。
だから、それは、おかしいのだ。
柏木耕一は、柏木耕一という人は、私の家族なのだから。
たったひとりなんかに、なるはずがない。

「待っ……、」

待って、と言おうとして顔を上げたときには、もう誰もいなかった。
嫌な臭いも、嫌な声も、何もなかった。
鳥の声もしない、静かな紅い住宅街の真中で、私は今、独りだった。

568終焉幻想:2008/05/01(木) 18:54:07 ID:997LS.yM0
のろのろと、周りを見渡す。
何かを考えれば、何かの結論が出てしまいそうで、だから何も考えたくなかった。
立っているのが億劫で、ぺたりと座り込んだ。
ほんの、すぐ傍に転がるものがあった。
顔のない、躯だった。

手を伸ばした。
届かない。
手を伸ばした。
届かない。
手を伸ばした。
届かない。

手を伸ばして、届かずに、ようやく私は、座り込んだその場から一歩も動いていないことに気がついた。
立ち上がろうとした。
手を伸ばそうとした。
目の前が、光に埋め尽くされていた。
指先の、ほんの少し向こう側の全部が、白く染まっていた。

熱い、とは思わなかった。
光はほんの一瞬で、何かを思う前に消えてしまっていた。
手を伸ばしたその先の、何もかもを巻き込んで。

そこには、もう何もなかった。
ぐずぐずに融けたアスファルトと、黒く煤のついたブロック塀と、立ち昇る陽炎だけがあって、
他にはもう、何もなかった。

はらはらと、舞い落ちるものが見えた。
燃え落ちた布きれの、焼け焦げた切れ端だった。
金糸の刺繍がただ一文字、燃え残って眼に映った。

 ―――風、と。

伸ばした手はもう、届かない。

569終焉幻想:2008/05/01(木) 18:57:53 ID:997LS.yM0
 

 【時間:2日目 AM11:29】
 【場所:平瀬村住宅街(G-02上部)】

柏木楓
 【所持品:支給品一式】
 【状態:喪失】

柏木千鶴
 【所持品:なし】
 【状態:復讐鬼】

→972 ルートD-5

570東方行進劇:2008/05/01(木) 23:10:12 ID:dNXD8tIY0
 日が傾きつつあった。
 しかし一日目は燃えるように真っ赤な夕日だったそれは、二日目の今は雲に覆われ、暗さを増して夜を早めているようであった。

 ああ、今晩くらいから雨が降るのかもしれない、と篠塚弥生は空を見上げながら思った。
「なんや、ぼーっと空を見上げたりたりして、なんかあるんか」
 話しかけるのも苦しそうに、けれども本来は誰かと会話したりするのが好きなのだろう、神尾晴子が横から口を出していた。

 今一時的にとはいえ同盟を結んでいるこの二人。
 あの決戦の後、寝転がりながらいくらか情報交換や自己紹介を通して、少しばかり体力は回復したもののまだまだ好調というわけでもなく、効率的に傷を癒せる場所を探そうという弥生の提案に晴子も従い、荷物をまとめた後、現在は山を下って無学寺方面へと歩みを進めている。
 弥生は、ゆっくりと首を振って返事する。

「いえ、特に理由は」
「……はぁ。頼むでホンマ。お互いにボロボロやから手を組もう言い出したのはアンタやで。ウチだけに仕事させんで欲しいんやけど」

 咎めるように晴子は口を尖らせる。仕事、というのは周囲の警戒のことだろう。別にそこまで気を逸らしていたわけではないのだが、確かにそうであったので、弥生は律儀に「申し訳ありません」と謝罪しておくことにする。

「……ま、ええけどな。万事そんな調子で堅っ苦しくされても疲れるだけや、そういうヘンなところで人間くさいの、ウチは嫌いやないけどな」
「まるで私が人間ではないように言いますね」
「第一印象がそんな感じやったからな。喋り方も考え方も理詰めの計算ずくだけか思てたけど、ちょっとしたところで綻びが見えて、今ではそうでもなくなってきた」

 かったるそうな口調ではあるが、晴子の観察力には目を見張るものがある、と弥生は感心していた。
 直情怪行のきらいは随所に散見されるものの、基本的には冷静で目的を見失ったりしない。裏を返せばそれだけ娘という、神尾観鈴のことが大切なのだろう。
 その部分では森川由綺のために戦い続ける弥生とも意見は一致している。
 もう少し早くに出会っていれば、もっと多くの参加者を殺害できたのかもしれない、と思った。それほどまでに相性はいいと弥生は考えていた。

571東方行進劇:2008/05/01(木) 23:10:42 ID:dNXD8tIY0
「貴女こそ、意外と計算高いところがありますわ。先程の戦いでも、機を見計らったような登場でした」
「まぁな。足りへん知恵絞って色々苦労してるねん。頭脳労働は嫌いなんやけどなぁ……なーんにも考えずに、暴れて殺しまくったろ思てたんやけど……上手くいかへんさかい、しょーがなくこうせざるを得なくなった、ちゅう感じやな」

 苦笑い、といった様子で晴子は笑う。要するに、難しく考えるのが性に合わないのだろう。
 しかし目的の為なら考えを改め、様々に考えながら行動する。臨機応変を本人も意識しないうちにやっている。
 これが母親というものなのだろうか、そう、弥生は思う。
 弥生の人生はそこまで深くはなく、森川由綺との出会いでようやく転機を迎えるかもしれない、そんな段階であった。
 いや、そんな段階だったからこそ、それを奪ったこの殺し合いが憎くあり、それ以上に由綺を渇望している弥生自身にも気付けた。
 それはある意味では、幸福とも言えたのかもしれない。

「けど、一番信じられへんのが、アンタがこのゲームの主催とやらが言う、『優勝者には願いを叶える。死者を蘇らせることでさえ可能だ』なんて言葉を信じてることやな。そんな絵空事、どうして信じるんや?
 言いたかないんやけど、アンタの大切な人……森川由綺っちゅうアイドルはもう死んでしもとるんやろ?
 死者は蘇らへん。当たり前のことやんか。そんな魔法みたいなことができると、アンタは本当に考えとるんか?」
「確証に近いものはあります」

 即答にも近い弥生の返答に、晴子は目を丸くする。加えて、弥生の言い方がひどく真面目だったから、尚更であった。
 晴子が呆気に取られているのにも構わず、弥生はその根拠を告げる。

「勿論、魔法だとか呪術だとかの類は私も信じてはいません。『生き返らせる』も、それは本来と別の意味だと考えています」
「どういうこっちゃ?」
「クローン、という技術は神尾晴子、貴女にも分かりますよね」
「ああ、あのテレビなんかでよくやっとる……って、アンタ、まさか」
「その通りです。恐らくは、クローンによる『複製』こそが『蘇生』の正体だと、私は考えます。そして、私の願いはそれで由綺さんを生き返らせることです」
「そりゃ、まあ、それやったら信じられへんこともない……確かに、技術的には可能だと、散々言われとるしな……」

 盲点をつく発想だったのか、晴子は唸りながらうんうんと頷いている。
 弥生は更に続ける。

572東方行進劇:2008/05/01(木) 23:11:13 ID:dNXD8tIY0
「加えて、これだけの殺し合いを開催できるくらいの資金力、人材、技術。どれをとっても世界でトップレベルであることは間違いありません。あの篁財閥の総帥たる人物でさえ、この殺し合いの参加者なのですから。……もっとも、既にこの世の人ではなくなっていますが」
「篁財閥……詳しいことはウチも知らんけど、確か世界でもトップの企業、やったか? そいつも参戦してるのなら、間違いないんやろうけど……」
「唯一分からないのはこの殺し合い自体の開催理由です。わざわざこんな面倒にする意図が掴めません。金持ちの酔狂だと言えばそれまでですが」

 弥生からしてみれば、ただ殺し合いをさせたいのなら、闘技場(コロシアム)のように逃げも隠れもできないような場所で各々好きにさせればいい。
 武器だってハズレのようなものを割り当てるより全員に銃器などを行き渡らせた方が効率がいいに決まっている。
 不可解なことばかりだ。
 それとも、恐怖に怯え、逃げ惑う人間の姿を見て楽しもうとでもいうのだろうか。いや、それなら島のあちこちに監視カメラを仕掛けている。
 しかし注意深く見渡してみても小型カメラがある様子さえ見受けられない。それとも、衛星カメラか? だとすると、このような森の中での戦闘はどのように中継する? 殺し合いを楽しむような狂人どもが見たくないと思うわけがない。
 いくつか推論を立ててみても、結局は決め手に欠ける。こればかりは弥生にも判断しようがなかった。

「は、金持ちなんてみんな頭おかしいもんやろ? 大方あの映画の再現でもしてみよう考えたに違いあらへん。まあそれはええわ。それよりもアンタ、それでええんか?」
「……それでいい、とは?」

 晴子の問いがよく分からず、聞き返してしまう弥生。晴子は、「うーん、まぁ、感性の違いなのかもしれへんけど」と前置きしてから言った。
「いくら姿かたちが一緒やからって、クローンはクローン。オリジナルやない。ここに来る以前のアンタと一緒やった『森川由綺』とはちゃうねん。それでもアンタはええんか」
「……」

 晴子の言わんとしていることは分かる。そう、どんなに精巧なクローンだとして、それはまがい物。決して本物ではないのだ。
 可能ならばあの由綺と、アイドルを目指して頑張っていたあの由綺と過ごしたい。
 だが、それが叶わぬ願いだというのは十分に理解している。現実を受け入れまいと子供のように足掻くには、大人である弥生には無理な話だった。

「構いません。たとえ本質的に偽者であっても、この世に一つしかなければそれが本物です。そう、私は考えます」
「……なるほど、な」
「神尾晴子。貴女こそ、もし……もしも次の放送で神尾観鈴の名が呼ばれたとき、きっとそう考えるはずです」
「観鈴は死なへん」

573東方行進劇:2008/05/01(木) 23:11:52 ID:dNXD8tIY0
 きっぱりとした拒絶の意思。僅かな敵意が晴子から滲み出ていた。弥生はなるべく興奮させないように、慎重に言葉を選びながら、
「可能性として提示しただけです。ただ、もしもその時になったら……貴女も、きっと私と同じ考えになります。何故なら……本質的に、貴女と私は同じなのですから」
「……忠告だけ、受け取っとくわ。やけど、ウチは観鈴を絶対に生かして帰す。それだけはアンタもよう覚えとき」

 それきり、二人の間に会話が生まれることはなかった。
 ただ黙って、歩き続ける。
 ますます日は傾き、夜のとばりが姿を現そうと準備を始めたころに、その目的地は見えた。








【場所:F-09 無学寺前】
【時間:二日目午後:17:30】

神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、大きなハンマー、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済みだが悪化)、全身に痛み、弥生と手を組んだ】
【備考:蘇生の情報には半信半疑】
篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、全身(特に腹部と背中)に痛み、晴子と手を組んだ】
【備考:蘇生の情報は一応理解を示している】

→B-10

574名無しさん:2008/05/05(月) 17:10:19 ID:rjytJX2E0
今回、かなり長くなったので2分割させていただきます。まとめの人、度々ですみませんが、よろしくお願いします
では、投下いきます

575Trust:2008/05/05(月) 17:10:52 ID:rjytJX2E0
「……ここまで来れば」
 平瀬村で自らが起こした惨劇の後、逃げるように村から南下し十分に距離を取れたと判断した藤林椋は弾む呼吸を抑えるようにゆっくりと道なりに歩き出し、これからの方針について計画を立てることにした。

 基本は姉の藤林杏を守り、二人だけで生き残ること。まずは杏を探す事が大前提になるが中々見つからない。運が悪い、というとそれまでになるがとにかく探し出さねばならない。この島には恐ろしい殺人鬼どもがうようよしているのだから。
 そして、そんな奴らと杏を遭遇させないためにも片っ端から殺していく必要がある。とにかく信用などならない。仲間仲間などとほざいてはいるが実のところ皆利害関係でくっついているだけだ。役立たずになれば、窮地に立てば平気で見捨てる。殺す。裏切る。危うく椋自身も殺されそうになった。
 だから、もう信じない。裏切られる前に裏切る。殺される前に殺す。見捨てられる前に見捨てる。

 やらなきゃ、やられる。

 お守りを握り締めるようにぶつぶつと繰り返しながら思考を移す。
 真っ直ぐ南側に逃げているが、このまま進んでしまってよいものだろうか。
 道なりに進むと次は氷川村に辿り着く。以前椋と、殺害した長瀬祐介が滞在していた場所であり、椋の出発点とも言うべき地点である。
 それが問題だった。

 あの長瀬祐介には一応共に行動していた人間がいるようだったし(柏木初音と、こっちは知っているが宮沢有紀寧)、今頃は祐介が死んだと感づいているはず。あるいは椋が知らぬだけで既に現場を目撃されている可能性だってある。
 さらに上手く騙して殺害した倉田佐祐理と行動していた柳川裕也は今頃椋を探して奔走しているに違いない。常識的に考えて各地の村を探し回っているはず。あの神社と氷川村は比較的近い場所であるからして、今まさにここに柳川が潜んでいることは十分に考えられた。

 つまり、ここに逆戻りするのは非常に危険を伴う。さりとてここで平瀬村に戻ったところであの惨劇の生き残り達と鉢合わせし、一対多数の戦いを強いられることすら考えられる。つまり、椋は逃げ道を間違ったせいで進退窮まってしまったのだ。
 残された道はこの中間地点である平瀬村−氷川村にある民家、あるいは山中に隠れ耐え忍ぶかしか思いつかない。
 ただこの辺りに民家があるとしてそれはかえって目立つ施設となりかねないし、村を捜索し終えた連中が道すがらそういうところを尋ねてくるかもしれない。極力、隠れようとするならそういう場所にいてはいけないのだ。
 となれば、もう山中、すなわち地図で言うならH-4の地点に隠れるしかないのだが……

576Trust:2008/05/05(月) 17:11:15 ID:rjytJX2E0
「私に、登れるんでしょうか……」

 山の方は切り立った崖のようになっていて行こうとするならよじ登る、即ちロック・クライミングの要領で登らなきゃならないし、それだけならいいがデイパックのこともある。これを抱えて登れるか、と問われると残念ながらノーと言わざるを得ない。運動は苦手なのだ。
 崖の高さは精々5メートルほどなのだが……この時ばかりは杏の運動能力が心から羨ましくなった。
 結局のところ、あの山に入れる場所を探してこのまま歩くしか当面の解決策はなかった。しかもそれで道が見つからないものなら……
 慎重派の椋にとってはとかく安全策がないと不安で仕方ないのだ。

(お姉ちゃんなら、きっとこんな時でもどーんと構えているんだろうなあ……)

 何とか姉のことを考えることで不安を晴らそうとするが、やはり気分は曇り空のように晴れない。一人、というのもあった。
 そう思い始めるとどっ、と疲れが押し寄せてきて椋の体が重石を載せたようになる。それはある意味当然である。
 祐介殺害以降慣れない行動、運動の連続で肉体的には既に限界を超えている。それに眠ってもいないし、食事すらしていない。

「……ちょっと、疲れました」

 ここまで緊張感で抑え込まれてきたものが一度に噴き出してきたのだ。休憩したいとの誘惑に負けてしまうのも無理からぬことだった。ふらふらと目立ちにくいと思われる岩陰に隠れ、腰を下ろす。途端、何とも言えぬ脱力感が椋の足先から全身に駆け上がり、はぁ……とため息をつかせる。
 これが柔らかい布団であるならどんなに良かったことだろうと椋は思ったが文句よりも先に食欲の方が催促を告げる。誘われるようにして椋の手がデイパックに伸び、いくらかくすねていた携帯食を取り出し、元気のなくなった小さな口で咀嚼する。

「美味しい……何でこんなに美味しいんだろ」

 普段なら何とも思わない味であるのに、抑えられた僅かな甘味が絶妙に身体に浸透し、疲れた体を癒していくようだ。
 支給品である水もまるでアルプス山中から直に取ってきたもののように喉から沁み込んで体全体を潤していく。
 はぁ、と先程の脱力感から来るものとは違うため息が椋の口から漏れた。
 そのまま今度は、強い眠気が襲ってくる。こんなところで寝てしまえば襲われて死ぬかもしれないというのに――既にその欲求に、体は降参しかけていた。

(ちょっとだけ……ちょっとだけなら)

 誰にともなく言い訳するように、椋の瞼が、少しずつ閉じられていった。

     *     *     *

577Trust:2008/05/05(月) 17:11:39 ID:rjytJX2E0
「で、腹の調子はどうよ、相棒」
「まあまあだな。つかお前、なんか俺が腹を下してるみたいに言ってねぇか?」
「なに、違うのか?」
「おい」
「はっはっは、冗談だって。だから殺虫剤を向けない。俺は害虫じゃないぞ」
「……楽しそうだね」
「にはは、仲良しが一番」

 氷川村の南から迂回するようにして、相沢祐一、藤田浩之、神尾観鈴、川名みさきはD-6にある学校へと続く街道をゆっくりと歩いていた。傷が塞がっていない観鈴と、怪我をしている浩之に配慮してのことだ。
 浩之が怪我をしている都合上、祐一がずっと観鈴を背負って歩いている(もっとも、浩之がみさきと手を繋いでいることもあったが)。道は診療所に行くときと違って平板な道だったので祐一には割りと余裕もあったし、そもそも観鈴が軽いのでしばらくは問題ない。むしろ問題なのは浩之だ。

「で、本当大丈夫なのか。無理すんなよ? 血ぃ吐いたんだからな」
「ああ、まあ、見た目ほど怪我は酷くない。気分が少しばかり悪いだけだ……あの戦闘で」

 腕を曲げたり首を左右に動かしたりしながら、浩之は体の調子を確かめているようであった。表情などに変化はなく、概ね好調のようである。
 急ぎたいのはやまやまな祐一ではあるが強行軍はリスクが伴う。ただでさえボロボロだというのに、これ以上の危険は避けたい。
 それは皆も同じだろう。だからこそゆっくり進もうという意見に賛同してくれたのだと、祐一は思っていた。
 もうこれ以上、誰も危険な目に遭わせる訳にはいかない。

(五体満足に近いのは、俺だけだからな……俺が神尾や川名を守らないと)
 頼れる『大人』である緒方英二のいない今、男として皆を守っていかなければならない――そんな責任感のようなものが、祐一の肩に深く、強迫観念のように圧し掛かっていた。今はデイパックにあるワルサーP5を、常に持っていないと不安に感じるくらい。

「ところでさ、神尾はどうなんだよ」
 そんな風に考える祐一の後ろで、浩之が声を掛ける。そうだ、忘れてはならないが、依然として神尾観鈴も重傷である。いや、それは既に十分理解していることであるが、怪我の度合いはどうなっているのだろうか。少しはマシになっているのだろうか。
 まあ、同じ怪我人の浩之に心配されるのはどうなんだろうな、とも思わないでもなかった祐一だが、そこには触れないようにすることにしておく。

578Trust:2008/05/05(月) 17:12:01 ID:rjytJX2E0
「にはは、イタイけど、たぶん大丈夫」
「「……」」
 顔を見合わせる二人。恐らくはまだ完治どころかズキズキと痛むのだろう。しかし耐えられないほどの苦痛でもなさそうだ、ということでまだ背負って歩いた方がいいだろう、と意見を(無言だけれども)一致させる。

「しかし、まぁ、俺もお前も、不運と言えば不運だな。一体何度襲われたよ?」
「確か……えーと、四回くらいは戦闘に巻き込まれてるかもな。よく覚えてない」

 考えてみれば、気の休まるときがなかった気がする。行く先々で戦闘に巻き込まれてきたのだ。それはもう、疫病神がついているのではと疑いたくなるくらいに。

「四回……お、多いね……」

 みさきが心配そうな視線……らしきものを二人に向ける。先の戦闘を除けば、みさきと浩之は以前のチームをバラバラにされた巳間良祐との戦いだけしか遭遇していない。だからこそ雄二とマルチのコンビに苦戦したと言えばしているのだが。

「全くだ。しかも、仲間を何度も殺されて……何度も逃げる羽目になって……俺の力のなさを痛感させられたよ」
「ごめんなさい、わたしのせいで……」
「神尾のせいじゃないさ。原因は全てあいつなんだからな……」
「……」

 観鈴を撃った人物であるまーりゃんこと朝霧麻亜子に憎悪に近い感情を抱いているであろう祐一を前にして、観鈴は複雑な気持ちになる。
 環はまだ麻亜子は同じ時を過ごした仲間であり、説得できる余地も残っていると考えていた。なるべくだって人が死ぬのを避けたい観鈴も、説得できるならそれに賛同したい。
 しかし祐一があのように考えることも当然だろうと理解していたし、たとえ説得に成功してもわだかまりは残るだろう。
 それでも、時間さえかければある程度は緩和されるだろうし、何よりもここから脱出するためにはいがみあっている場合ではない。
 しかし、そんな先のことを考えたって仕方がないのは観鈴にも分かる。今はとにかく霧島聖を探し出すことが先決だ。

579Trust:2008/05/05(月) 17:12:25 ID:rjytJX2E0
「ところで、あの時は色々ドタバタしてて深く聞けなかったが、この三人について何か少しでも知っていることはないか?」
 観鈴がそんな風に考えていると、祐一がポケットから診療所にあった例の置き手紙を改めて三人に見せる。

「あぁ、確かナスティボーイってのが世界一のエージェントなんだっけ? 俺もよくは知らないけど……」
「うーん、後は確か『ポテトの親友一号』と『演劇部部長』……だったかな? 私の知り合いに演劇部の部長さんはいたけど……もう、雪ちゃんは」
「……みさき」

 既に鬼籍に入ってしまった深山雪見のことを思い出しているのか、みさきが肩を落とす。場が少しばかり重い空気になりかけたところで、ほぐそうとするように観鈴がわざと明るく言った。

「あ、あの、わたしにも見せて欲しいな。ほら、観鈴ちん、こっからじゃちょっと遠くてよく見えないから」
「あ、ああ。そうだな。ほら」

 それを察して、浩之が手紙を回す。改めて観鈴はしばらくそれを食い入るように、署名された三人の名前を見つめていたが、時折首を捻ったりするばかりで知っていると思われる人物はいなさそうであった。

「心当たりはないか?」
 少しでも会話を挟むべきだと思った浩之が尋ねると、「うーん」と靄の晴れない表情で言った。

「ポテト、って名前は往人さんが何回か口にしてたんだけど……わたしには分からないかな。往人さんなら知ってるかも」
「そうか……」
「ごめんなさい……」
「ああ、いいんだ。おまけみたいなものだしな。どうせ、先に行くのは学校だ。それに、もうそいつらだって移動してるかもしれないしな」

 素性が少しでも分かればより味方かどうかの判断がつく。安全性を高める上で限りなく重要な情報ではあるのだが、そこまで心配するほどでもないだろうと考えた結果である。

580Trust:2008/05/05(月) 17:12:52 ID:rjytJX2E0
「やっぱこんなところか……」
 若干の失望を残す祐一の声に、悪いな、力になれなくて、と浩之が告げる。みさきがそれに口添えするように、仕方ないよ、私こそ雰囲気悪くしてごめんね、と謝る。しかし浩之はいやいやと首を振って、
「そんなことはないって。あの反応は当然だ。俺がみさきでもそうするさ」
「……うん、ありがとう」

 言ったかと思うと、今度は何やらいい雰囲気になっている。ぴったりと手を繋いでくっついているその姿は、誰だって言わずとも分かる。

「バカップルだな……」
「うん、バカップルさん」
 うんうんと、二人は納得していた。

「あ、そうだ……えっと、祐一さん、ちょっといいかな」
「ん? どうした?」
 少し遠慮した物言いだったが、なるべく気さくに祐一は返事する。観鈴はその雰囲気に少し安心したように続ける。

「えっと、その……わたしのことは、観鈴、って呼んで欲しいな……にはは、ダメ、かな」
「……ああ、そんなことか。別に構わないぞ。もっと早く言ってくれても良かったのに、『観鈴』」
「……ありがとう」

 嬉しそうにはにかむ観鈴。今まで癇癪持ちで、同世代の人間から名前で呼ばれることがあまりなかったから……本当に嬉しかったのだ。

「もういいのか? 何だったら俺のことは『祐一お兄ちゃん』って呼んでくれてもいいぞ」
「もういいよ。早くいこっ、祐一くん」
「……スルーっすか」

 見事なスルーの観鈴と、肩を落とす祐一。その後ろではいい雰囲気の浩之とみさき。
 今は幸せな四人。
 そのもう少し先からは、一人の人物が忍び寄ってきていた。

     *     *     *

581Trust:2008/05/05(月) 17:13:32 ID:rjytJX2E0
 藤林椋が目を覚ましたのは、既に夕方近い時刻になっているときだった。
「!?」

 その時になってから、ようやく椋は自分が浅くはない眠りに落ちていたことに気がついた。
 果たして眠っていたのは数十分か、数時間か?
 いや、いずれにしろこんなところに居ては危険が大きい。

(とにかく、はやくどこかに逃げないと)
 どこか? どこに? 果たして逃げるところはあるのだろうか。
 そんな疑問を持ちながらも、とりあえずこれまでのように、南へと移動していく。

 その道中で、ゆっくりと移動している四人組を発見する。遠目なのでよく分からないが、何やら怪我をしているようにも見受けられる。
 さて、どうする。
 まだ相手がこちらに気付いていないことを生かして奇襲か、それともこれまで通り内部から切り崩していくか。
 このままぼーっと突っ立っていても良いことは何もない。それこそ、今にでも後ろから迫っているかもしれないあの生き残りどもが拳銃を向けて――

(し、仕方ないです……!)
 下手に討って出てそれが柳川裕也のような戦闘力のある人物でも困るし、万が一仕留め損なって逃げられると後々厄介なことになる。何せ敵は大人数だ。
 やはり安全策に出た椋ではあったが、結果的にそれは椋も、そして遭遇する祐一、浩之、観鈴、みさきの四人にとっても取り敢えずは命を繋ぐことになった。

「あ、あの……」
 こそこそと様子を窺うようにして出てきた椋に、浩之と祐一が思わず身構えた。
「わ、わ……ご、ごめんなさい」

 萎縮するように身を縮こませる椋に対して、警戒心を高めていた二人、そして背中にいた観鈴も、戸惑いの雰囲気を感じ取ったみさきも顔を見合わせる。
 見れば目の前の少女はいかにも大人しそうでそればかりか怪我をしているようにも見受けられるではないか。どうしてこんなところに、一人で?
 四人にそんな疑問が浮かんでくるのは当然だった。目の前の椋は「あの、あの……」とおどおどするばかりで話そうとはしない。仕方なく、という風に浩之が質問を投げかける。

582Trust:2008/05/05(月) 17:13:52 ID:rjytJX2E0
「……あの、そんなに警戒しなくてもいいぜ。俺達は殺し合いに乗っているわけじゃない。それより、どうしてこんなところにいるんだ?」
 構えを解いてなるべく、といった風だが優しく話しかける浩之に、椋は未だびくびくしたように、しかし心中では「しめた」と思いながら事情を説明し始める。

「実は……私はさっきまで、ここから少し先にある村にいたんです。けど……」
「けど?」
「そこで……この殺し合いに乗ってる人たちに襲われて、無我夢中でここまで逃げてきたんです。この傷もその時に負って……」

 ぐっ、と血の滲んだ左腕の包帯を押さえる。もちろん言っていることの大半は嘘だ。本当のことなど言えるわけがないし、この連中が平瀬村に向かっているとしたならばこのまま向かわせるわけにはいかない。あそこの生き残りと鉢合わせしたら椋自身の立場が危うくなるからだ。
 嘘に嘘を重ねて……引き返させる必要があった。

「何とか逃げ切ることができて、包帯を巻いたまでは良かったんですけど……その時に人を見つけて……」
「それが俺達、ってわけか」
「はい……」

 四人が顔を見合わせる。この先の平瀬村に、乗った人物『たち』がいるという事実。椋の喋り口からして嘘とは考えにくかったし、あのような目立つ場所ではそのような人物がうようよしている可能性も高い。
 幸いにして、四人の目的地は平瀬村ではない。事前に情報を手に入れられたのは、幸運だった。
 祐一たちは半ば安心したように、椋に言った。

「……そうだったのか。それは助かった。そっちには気の毒だと思うが……」
「いえ……」

 一方の椋は、平瀬村に行っていないというばかりか、こちらの言葉を鵜呑みにしてくれたことはチャンスだ、と考えていた。
 上手くいけば平瀬村の連中を敵視させ、共倒れにすることだって可能かもしれない。
 それに、椋は殺し合いに巻き込まれた哀れな被害者であり、無力な人間ということを証明する材料になる。
 つまり、それはこの集団における油断を誘う結果となり、内側から切り崩すのを容易くしてくれるということだ。
 他の連中と争そわせ、疲れたところを椋で止めを刺す。そうすれば一気に四人、あるいはそれ以上も倒す事が出来る。
 彼らと行動した先で柳川が潜んでいる可能性もあるが、その時も椋ではなく彼らに戦わせれば被害は最小限で済む。危なくなれば逃げればいいのだ。

583Trust:2008/05/05(月) 17:14:17 ID:rjytJX2E0
「……そうだ、この三人について心当たりはないか? あだ名、みたいなんだが」

 祐一は観鈴を背負ったまま器用にポケットから例の手紙を取り出して椋に渡す。
 書かれていた内容は全然信じる気のない椋だったが、署名していた三人のうち、一人は見当がついた。
 演劇部部長――つまり古河渚。何度か演劇部には出入りしていたので彼女については知っている。とは言えど信用などできるわけがない。普段の渚と、ここにいる渚が同じなわけがないのだ。生き残るために平気で他人を裏切るに決まっている。

「……知ってます。この人は。ですが……」
 またもや口を濁す椋に不安を感じる四人。若干の間をおいて、椋が『演劇部部長』の文字を指でなぞりながら続ける。
「この人たちに、襲われたんです。古河渚、っていうんですけど……」
「な、なんだって……!?」

 信じられないとった驚き方に椋は内心ほくそ笑む。そうだろう。書かれた内容とは裏腹に、裏切って襲ってきたというのだから。
「この、渚って人とは知り合いだったんですけど、私が平瀬村についたときに話しかけてきて……あ、私は吉岡チエさんと観月マナさんって人と行動してたんですが、その時に近づいてきたと思ったらいきなり包丁で刺そうとして……その時の傷が、これです」

 左手の傷を見せられ、次々と明かされる椋の『真実』に不安の色を強めていく四人。
 ……だが、観月マナの名前を聞いた祐一が椋に質問する。

「ちょっと尋ねたいんだが……観月マナ、って奴は結構前に、ちょっと話をしたくらいなんだけど、会ってたことがある。で、そいつと……河野貴明って奴が一緒にいたんだが、それは知らないか?」
「……いえ、それは知らないです」

 マナと貴明は一緒に行動していたが、ここは嘘をついておく。どうせ分かりっこないとはいえ、保険はかけておく。チエとマナと行動していた、と言ったのは椋の目で死亡を確認できたのがその二人だからだった。死者は何も語らず。
 無論、連中の誰かが生きていて、椋の嘘をばらしてしまうことも考えられたが普通に考えればあのスープの一件で椋を除く七人が殺しあっていたとすれば一人しか生き残らないのが定石である。
 さらに戦闘で傷ついていたのだとすればそこを更に誰かに襲われ死亡することも考えうる。現に渚を含む三人が平瀬村に向かった、というのだから。
 故にチエとマナと行動していた、というこの嘘はバレにくい。

584Trust:2008/05/05(月) 17:14:46 ID:rjytJX2E0
「途中で離れ離れになったのかな……向坂に伝えてやりたかったが……あ、悪い。それでここまで逃げてきたのか? ……その、残りの吉岡と、観月は?」
「……」
 黙って首を振る椋。その仕草に、話を聞いていた浩之が毒を含んだ声で吐き散らす。

「ふざけんな……! じゃあ、あれは、あの手紙は俺達を騙して殺すためのものだったってのか!? 何だよ、それ……!」
「ひ、浩之君……おちついて」

 祐一の怒りを手から直に受け止めていたみさきが、宥めるように肩を叩く。
 それで椋が少し怯えているのを見てとった浩之が、「……すまん」とだけ言って、それでも怒りの気配は隠しもせずに俯いていた。

「いや、謝るべきは俺だ……手紙の内容をストレートに伝えていなかったからってあっさり信じ込んだんだからな……こいつがいなかったら、また……」
「祐一くんも……が、がお、わたしも同じなんだけど……あ、そうだ。自己紹介してなかったよね? わたし、神尾観鈴。仲良くしてほしいな、にはは……」

 沈んだ雰囲気を何とかすべく観鈴が必死に笑顔を振り絞って椋に笑いかける。ちょっと苦痛に歪んでいるのはご愛嬌だが。
 椋にはその笑顔を信じる気もなかったが、まずは溶け込むことに成功したので返事をしておくことにする。

「ふ、藤林椋です。こちらこそ、よろしく……」
「ん、藤林……?」

 椋の名字を聞いて、反応を示した祐一にまさか、と考えた椋が祐一に詰め寄る。

「ひょっとしてお姉ちゃんを知っているんですか? お姉ちゃんの名前は杏、っていうんですけど、探してて……」
「あ、ああ。そうだ、杏だ。大分前に俺達と行動しててな。妹を探す、って出てったきりなんだが……と、俺の名前は相沢祐一だ」
「お姉ちゃん、どの辺りに行ったか知りませんか?

 祐一の名前などどうでもよかった。とにかく、杏の行方が心配で仕方ない椋は続けざまに聞く。
「いや、目的地は告げずに出て行ったからどこにいるかは分からないんだが……悪いな」
「そうですか……」

585Trust:2008/05/05(月) 17:15:08 ID:rjytJX2E0
 役立たずめ、と心中で罵りながら椋は落胆する。せっかく杏を知っていても居場所を知らないのでは意味がないではないか。
「……俺もいいか? 俺は藤田浩之。まぁ、色々あってボロボロだが、よろしくな」
「あ、どうも……」

 無意識のうちに、椋は浩之から距離を取っていた。あの態度――あの怒りの表情は、殺人も躊躇わないような、そんな雰囲気に椋は感じたからだ。
 とはいえ、かつていきなり襲ってきた向坂雄二と違ってまだ彼女には椋を殺す気はなさそうだった。ならそれでいい。
 最終的に生き残ればそれで勝ちなのだから。

「最後だけど、私は川名みさき。よろしくね」
「……ええと、失礼なんですが、その、あなたは……」
 みさきの目を見た椋が、躊躇いながら尋ねようとする。しかしみさきが先手を打つように言った。
「うん、私は目が見えないよ。でも大丈夫、浩之君がいるから」
「はぁ……」

 目が見えないという椋の憶測は、間違ってはいなかった。なら、さしたる脅威にはならない。殺害する優先順位は下だろう。
 いや、むしろ生きててもらっていた方がいい。その方がいざこの四人を殺害するときに有利だからだ。
 逆にどうしてこんな人間が人が疑い、殺しあう中で生きていられるのかが気になったが……上手く取り入ったのだろうか? ひょっとすると思いも寄らぬ知識を持っているのかもしれない。あるいは……体でも売ったか。
 ともかく、今しばらくは殺す必要もないだろう。

「相沢さん、ともかくここに留まるのは危険だと思うんです。ひょっとしたら私を襲ったあの三人組がまた来るかもしれませんし……」
「そうだな……この手紙が信用できなくなった、ってか嘘だったって分かった以上もう平瀬村に行く義理はないぞ」
「うん……わたしもそう思う。でもまずは学校に行く事が先だよね?」
「学校……?」

 首をかしげる椋に、みさきが説明する。
「うん……実は、私達の仲間の一人が危険な状態で……学校にお医者さんがいるから、呼んでこよう、ってことになって」
「……どうして、そんなことが分かったんですか?」

 学校といえば、ここからは結構遠いはずだ。そんな遠くにいる人間の位置が、何故分かるというのか。それとも、また情報に踊らされているのか?
 疑念の声を上げようとする椋に、浩之が補足する。

586Trust:2008/05/05(月) 17:15:25 ID:rjytJX2E0
「いや、実は限定的だが参加者の位置を掴めるものを持ってるんだ。詳しいことは実物を見せりゃ分かるが……パソコンがないと使えなくてな。まあ、そいつで医者が学校にいることが分かったってわけだ」
「……そうだったんですか。それは、別にパソコンに詳しくなくても使えるんですか?」
「まあな。ちょっとした操作手順は必要だが」

 その言葉を聞いて、心中で椋はほくそ笑む。参加者の位置が分かるという代物。
 生き残りを図るには最適。姉の位置を知らないといったが、中には掴めないものもあるのだろう。それならそれでいい。見つかるまで探せばいいだけのこと。
 それよりも、是が非でもこれを手に入れなければ。
 ……いや、その前に、氷川村に向かわせよう。ルート的に神社方面から向かうのは柳川達に遭遇する危険がある。
 なるべくなら、安全策をとるべきだ。

「そうですか……あの、なら、いきなりで差し出がましいようなんですが……怪我人もいらっしゃるようですし、山から行かれるのは」
「ああ。それは分かってる。今から氷川村を通ってなるべく負担がかからないように行くつもりだ。……急がなきゃ、いけないんだけどな」
「うん……ごめんね、祐一くん」

 背中の観鈴が、しょんぼりという様子でうな垂れる。それは椋にとってはどうでもいいことだったが、誘導する必要がなくなった分、それはありがたいことではあった。
「なら……その、これからも、お、お願いしますね」
 ぺこりと頭を下げ、偽りの仲間入りを果たす椋。その悪意にも気付かず、四人はそれを快く出迎えた。

 それがまた、一つの運命を、変えることになる。

587Trust:2008/05/05(月) 17:15:57 ID:rjytJX2E0
ここまでが前半です。
次からが後半になります。

588Trust:2008/05/05(月) 17:16:27 ID:rjytJX2E0
「それで、どこに行くの? 柳川おじさん」
「……氷川村だ」
 おじさんじゃない、という言葉をぐっと堪えて、先を行く柳川裕也は言った。別に年齢云々ではない。いくら言っても無駄であったからだ。

「氷川村には、確かわたし達がいました。柳川さんの言う藤林椋、という人は見てないですが……」
 後ろから懸念するように言うのは、宮沢有紀寧。彼女にしてみれば殺し合いに乗った人物が徘徊しているかもしれない集落にいくのはなるべく避けたいところだ。

 既に柳川という屈強な盾は手に入れているのだ。方針としてはこの面子で終盤まで逃げ回り、最後に残ったグループと柳川に激突してもらい、全てが終わった後に有紀寧が止めを刺す……それが理想だ。
 しかしここで意見したところで明確な反対理由もない以上あまり強くは言えない。忠告程度が関の山だろうと、有紀寧は考えていた。
 それでも言わないよりはマシだろうと、一応言ってみたが、柳川はすぐさま反論する。

「お前達がそこを出たのは朝だろう? 今は昼を過ぎている。あの女は集団の中に紛れ込むのを得意としている。そして奴は集団を探すため平瀬村か、氷川村にいるに違いない。奴だけは絶対に放置しておくわけにはいかないんだ」
「それは……確かに……ですが……」
「……お前達は人が良すぎる。この島では、危険人物は排除しなければ後々面倒なことになるんだ。気は進まないかもしれないがな」
「……うん」

 有紀寧も初音も、柳川の正論には頷くしか(有紀寧は演技だったが)ない。現に柏木初音の家族である柏木楓は殺され、共に行動していた長瀬祐介も殺害されている。加えて、祐介はこの殺し合いは乗っていなかったにも関わらず、というのも柳川の言葉に重さを持たせている。
 まあ、初音はともかく、無闇に人を信じないという点では柳川は使えると、有紀寧は思っていたのだが。

「……もうそろそろだな。見ろ、家が見えるだろう?」
 山を下ってきていたからか、あまり進んでいる感覚のなかった二人だが、木々の向こうに見える民家を見て、もう戻ってきたのか、という風に驚きの目を見せていた。

「いいか、俺から離れるな。少しでも何か気配を感じたら言え。徹底的に、だ」
 凶暴な気配を見せ始めた柳川の様子に、二人は黙って頷く、というか頷くしかなかった。

「有紀寧お姉ちゃん、あれじゃあその藤林椋って人も逃げ出すんじゃないかな……何と言うか、その、オーラが」
「ええ、分かります……わたしだって逃げますね、あれは」

589Trust:2008/05/05(月) 17:16:47 ID:rjytJX2E0
 ひそひそと話す二人を咎めるように「何をやっている」と柳川がお叱りの言葉を飛ばす。それに素早く反応して「はいっ!」とついていく二人。
 まるでカルガモの親子だった。二人とも(特に有紀寧は)不本意であったが。
 そうして、氷川村の捜索は始まった。

     *     *     *

 数時間後。
 結局、全くと言っていいほど成果らしき成果は得られなかった。
 柳川はともかく、初音と有紀寧も与り知らぬうちに、起こった戦闘から難を逃れるために、ここにいた人物達はもう他方へと逃走していたからである。
 彼らが見つけたものはといえば、民家の一つに惨たらしい姿で放置されていた天野美汐の遺体と、争いがあったことを思わせる診療所の惨状くらいであった。
 しかも既に診療所からはあらかた消毒薬や包帯などの即席で使えそうな医療器具は持ち去られており、柳川達の捜索は文字通り無駄足ということになる。
 荒らされた診療所の中で、柳川は一つ息をついた。

「ちっ、遅かったのか、あるいは他の奴らがやりあっていたのか……ロクに物がない」
「でも、その、誰の……もないから、誰も死ななかったんじゃ、ないかな?」
「……だと、いいがな」

 癒しの地にはびこる、むせ返るような死臭に心を痛めた表情をしながら、初音は思いを馳せていた。
 一体何人の人間がここで助けを求め、そして戦いに巻き込まれていったのだろうか。もしかすると、その中には耕一や梓、千鶴の姿もあったかもしれない。
 そう考えると、今すぐにでも外に駆け出し、一刻も早く家族を見つけ出したい――そんな衝動に駆られるが、すぐ近くにいる有紀寧の姿がその考えを思い留まらせる。
 長瀬祐介が死んで、その悲しみを受け止めてくれた有紀寧を放っておいてまで勝手な行動を取ることは、心優しい初音には出来なかった。
 それに、今は親類と名乗る柳川もいる。なんだかんだ言いながらも初音を守ってくれている彼の好意を無視することもまた、初音には出来ない。
 きっと、どこかで無事であるはず――そんな根拠のない憶測を、今は信じるしかなかった。

(役に立ちそうなものは、見当たりませんね。まぁ、こんな民間の医療機関に期待するのも浅はか、ですね)
 一方の宮沢有紀寧は、薬だけでなく、毒薬や解毒剤のようなものがないかと、残されたビンなどを調べていた。
 けれども収穫はまるでなく、あったものはといえば風邪薬や胃腸薬、そんな類のものばかりである。
 ないよりはマシかとデイパックに詰め込んだものの、使う機会が想像できない。それとも、風邪を引いた人間に処方してやって、信頼度でも高めるか?
 考えて、すぐにその浅はかな案を打ち消した。風邪を引くような、そんな人間はとっくに殺されているに違いない。
 まあ、重荷にはならないと判断して、結局有紀寧はそのまま持っておくことにする。世の中何が役に立つか分からないものだ。

590Trust:2008/05/05(月) 17:17:13 ID:rjytJX2E0
「柳川さん。そちらのほうは何かありましたか?」
「いや、目ぼしい物はなにもない。……率直に聞きたい。例えば、ここで戦闘が起こったとする。それも結構大きな騒ぎだ。その場合、逃げるとしたらどうする?」

 聞いて、これは今後の指針を決める質問に違いないと、有紀寧は目を細める。さて、どう答えるべきか。
 有紀寧にしてみれば今は人が少ないこの村に留まることは、安全でもないが危険なわけでもない。寧ろ危険性だけで言えばここから移動を開始する方が明らかに危険だ。
 仮に動くとしても平瀬村方面に行くのは避けたいところだ。
 何故なら、平瀬村に通じるルートはいくつか存在し、分岐点も多い。即ち人の往来もまた多い、ということだからだ。
 現状のメンバーだけで十分だと考えている有紀寧にはこれ以上の接触は困る。動くにしても、人がいなさそうな方向へ上手く誘導できればいい。
 少し考えて、有紀寧は口を開く。

「……わたしなら、東の方角に逃げます。人が多いところで襲われたのなら、また人が多い村の方面に行こうとは思わないので……
 ですが、もし一人だったとしたら、一人で行動するのも危険ですし、不安になります。
 ですから、そんなに目立たないところで、でも少しくらいなら人がいそうなところ……例えば、灯台とか、神社とかに行きます。
 事実、わたしはそう考えて神社の方へと向けて北上していましたから」
 ふむ、と柳川は眼鏡の微妙なズレを直しながら、有紀寧の意見について考えているようであった。
「成程な」

 柳川が尋ねたのは、実質藤林椋がどこに逃げるだろうかということについて他ならない。見たところ大した力もなさそうな宮沢有紀寧とは、ある意味で同種だと考えたからだ。
 集団に襲われたら逃げ切れる確率は低くなる、が一人くらいなら振り切れる可能性は高い。共に行動するにしても大人数よりは少人数の方が裏切られる可能性は少なくなる……藤林椋も、そう考えるだろう。『微妙に人間がいそうな方向に逃げる』とはそういうことだ。
 結論を出した柳川は、こう告げた。

「灯台の方向へ向かおう。神社から下ってきて、誰とも会わなかった……なら、誰かいるとすればそこかもしれない。少々遠いが、そっちはまだ大丈夫なのか。もう夜近くなっているが」
「まあ、そこに行けるくらいには……」
「有紀寧お姉ちゃんが大丈夫なら、私も大丈夫だよ」

591Trust:2008/05/05(月) 17:17:36 ID:rjytJX2E0
 賛同を得る事が出来た柳川は、満足したように頷いて歩き出した。か弱そうに見えるが、案外タフであることが分かってきたのは、柳川にとっても嬉しいことであったからだ。まあ、やや平和主義者に見えるのはいかんともしがたいところではあるが――
 そう思いながら診療所から一歩、外に出たとき。

 遠目ながら、柳川はある集団が歩いてくるのを目にする。
 普段の柳川であれば、少々警戒しつつそちらに接触しようと考えたことだろう。
 だが、このときばかりは違った。柳川の記憶に新しい、あの倉田佐祐理を殺害した人物、まさにそれが集団の中心にいたからだ。

「あの女……! ぬけぬけと……!」
 柳川を理解してくれていた、数少ない人間――それを殺した人物を、柳川は許すつもりは、毛頭なかった。
 怒りを殺気に変えながら、柳川は、走り出す。
 その背中に、彼の突然の行動に動転した宮沢有紀寧と柏木初音の声がかかる。

「や、柳川さん!? どうしたんですか!?」
「あいつを……藤林椋を見つけたっ! お前らは診療所にいろ! すぐにカタをつける!」
「待って! お、おじさん!」

 追いかけようとした初音を、有紀寧が押しとどめる。

「有紀寧お姉ちゃん?」
「初音さんは、危ないですから隠れててください。わたしが柳川さんを追いかけます」
「で、でも」
「大丈夫です、すぐに戻ります。初音さんを、一人にはしませんから」

 にこっ、と微笑むと、有紀寧も柳川の背を追って走り出した。
 一人にはしない――その言葉を受けた初音が動くことは、できなかった。

     *     *     *

 その男が溢れんばかりの殺気をむき出しにしながらこちらへと走ってくるのに、祐一達もまた動転していた。
 何せ村に入った瞬間いきなりこちらに向かってきたのである。

592Trust:2008/05/05(月) 17:18:12 ID:rjytJX2E0
「お、おい、あいつは前に会ったことがあるんだが、何だよありゃ!? なんか銃構えてるぞ!」
「……なんか知らんが、とりあえず観鈴と川名、藤林は後ろに下がってろ! 俺と浩之で前に出るぞ!」
「お、おう!」

 手で下がらせるようにしながら、祐一がワルサーP5を、浩之が包丁を持って備える。

「あ、ああ、あの人!」
 後ろに下がった椋が、怯えたような声を上げる。「ど、どうしたの?」と観鈴が聞く。

「き、気をつけてください! あ、あの人、殺し合いに乗ってるんです! 前に一度襲われたことがあって――」

 椋が言いかけている途中で、柳川が叫んだ。

「そこをどけっ! 後ろにいる女は、殺し合いに乗っている! そいつのせいで――」

「倉田佐祐理が殺されたんだっ!」「倉田佐祐理さんが、殺されたんです!」

 まるで示し合わせたかのように、二人が、佐祐理の死を告げた。しかし相反する物言いに、観鈴は「え?」と混乱するばかり。
 みさきと浩之は困惑したように顔を見合わせる。

「ひ、浩之君、あの人は……」
「確か、前に会ったはずだが……全然様子が違う。楓とかいう女の子のために泣いてた、あの時とはな……嘘、だったのかよ?」
「そんな……あの涙が、嘘だったなんて、思えないよ」
「俺もそう思うが……けど、別れてから大分経つし……くそっ、判断できねえ」

 二人が思案している中、ただ一人、祐一だけは違った。
 真実を知っているわけではない。『倉田佐祐理の死』を知らされたことが、そして同時に『二人のうちどちらかが嘘をついている』ことが怒りを呼び、彼の頭を真っ白に消去していく。

593Trust:2008/05/05(月) 17:18:32 ID:rjytJX2E0
「お前……それは、どういう事だっ! 佐祐理さんが、殺されたっていうのかよ!」
 祐一の怒りは、柳川に向けられた。ワルサーP5の銃口が、真っ直ぐに、しかし若干震えながら、柳川の胴体を捉えている。

「……そうだ。残念ながらな。だがやったのは俺じゃない、やったのは、今まさに嘘をついているあの女だ!」
 柳川の指差した先。そこにいる椋が、「ひっ」と短い悲鳴を上げる。祐一の鋭い視線が、今度はそちらに向けられる。

「そ、そんな、わたし嘘なんかついてません! 殺したのはこの人です! 本当に殺されそうになったんです!」
「貴様、まだ口から出任せを……! どけ! 邪魔さえしなければ手出しはしない! こいつは嘘をついて内からお前らを殺そうとしている!」
「信じて下さい! みなさん、わたし殺してなんかないんです!」

 涙を浮かべ、必死に無実訴える椋の顔と、悪鬼ともとれる柳川の形相。

「悪いが……俺はあんたを信じない。いきなりやってきて、佐祐理さんを殺したって……ふざけるなよ、佐祐理さんはこんな殺し合いを望むような人じゃない。藤林だってそんなことをするような人間じゃない。どう見ても、罪を擦り付けようとしているのはアンタだっ!」
「待て祐一! 俺とあの人は前に会ったことがある。その時は殺し合いに乗ってるようには見えなかったんだ! 早まるな!」

 押し留めようとする浩之だが、祐一はそれがどうしたと反論する。

「前は前だろっ!? 心変わりするなんていくらでもある事じゃないか! 俺はそのせいで何度も裏切られて、こんな目に遭ってきたんだ! それとも浩之、お前は藤林が殺し合いに乗った奴に見えるのか!?」
「それは……そうだが……」
「俺だって殺し合いはしたくない。だからアンタ、今回は見逃してやる。さっさとどっかに行けよ。俺だけは、アンタが信用できないからな」

 再び、祐一は銃口を柳川に向ける。今まで朝霧麻亜子や向坂雄二など、幾度となく裏切りの様子を目の当たりにしていたことと、これ以上仲間を犠牲にしたくないと思いつめていた祐一は、気が昂ぶっていた。メンバーの中でまともに戦えるのが祐一だけだというのも、それに拍車をかけていた。だが……

「断る。藤林椋、貴様を放置しておいては災いの種になる。悪いことは言わない、後悔したくなければどいていろ。邪魔をするというのなら……貴様らも殺す」

594Trust:2008/05/05(月) 17:18:56 ID:rjytJX2E0
 ゆっくりと、柳川はそう告げる。その目は脅しなどではなく、本気だった。
 それがかえって、浩之とみさき(みさきは雰囲気で感じ取っていた)の疑心を刺激する。
 少なくとも、あの時の柳川ならこんな言葉は言わなかっただろうからだ。
 柳川から見れば数少ない理解者であった佐祐理を殺害し、卑怯な手口で殺害して回る椋をここで逃がすわけにはいかない。退けないのは当然の心理である。
 本人は気付いていないが、それほどまでに佐祐理は柳川の心の大部分を占めていたのだ。それを切実に訴えれば、あるいは祐一の心を動かせたかもしれない。
 しかし、不幸なことに、柳川はそのような会話が苦手であった。だからこそ、今まで佐祐理がフォローしていたのは大きかった。
 それを説明する術を、今は持たない。
 そしてそんなことを知らぬ浩之やみさきからとってみれば、祐一の言うとおり、心変わりしたとしても納得がいく。今までの放送で『願いを叶える』などという言葉も出ている。あるいはそれを信じてしまったのかもしれない……そんな考えさえ浮かぶほどに。
 急速に、天秤は椋の方向へと傾きつつあった。言葉の選び方、一つで。

「そうはいかない。こっちにだって守りたいものがあるんだよ……お前こそ、後悔したくなければどっか行けよ」
「……そうか、なら、もういい。忠告はしたぞ」

 柳川が身構えるのに合わせて、祐一も身構える。浩之とみさき、観鈴は未だどうするか迷っているようだった。
 それを知っている祐一は、意識を柳川に向けたまま浩之たちに告げる。

「浩之、お前は観鈴達を連れて逃げろ。どうせその様子じゃ戦ってもすぐに倒されそうだしな」
「祐一……おい、その言い方は」
「まだ迷ってんだろ? ……悪いが、どうしても俺はあいつを信じる気にはなれない。だから時間稼ぎだ。安全なところに逃がすまで、俺が時間を稼ぐ」

 迷っていることを言い当てられ、浩之は苦虫を噛み潰したような表情になる。祐一は少し笑みを漏らしながら、続けた。
「少しはカッコつけさせろよ」
 浩之は、もう何も言えなかった。躊躇いがちに頷き、残りのメンバーを誘導する。

「浩之君……」
「逃げるぞ。時間はかけたくない。走れるか、観鈴」
「う、うん。少しなら……でも……」

595Trust:2008/05/05(月) 17:19:17 ID:rjytJX2E0
 祐一の方を気にしている観鈴であったが、割り込める雰囲気でないというのは、観鈴自身が十分に理解していた。
 少し間を置いて、やがて、意を決したように「ううん、大丈夫。藤林さんは、観鈴ちんが守るから!」と意気込んで、その手を取る。
 椋はまだ柳川に怯えているようであったが、それでも、その手をしっかりと握り返す。

「逃がすと思うか」
 逃げ出そうとする雰囲気を察知した柳川が、動き出す前にコルト・ディテクティブスペシャルを構える。
 しかしそれより早く動いていたのは祐一だった。

「こっちの台詞だ!」
 当身を喰らわせ、そのままごろごろと柳川と共に転がる祐一。
 柳川の凶暴な気配が滲み出ていたこと、そして戦闘経験を積んでいたからこそ、出来たことである。
「……! 邪魔をするな!」

 しかし流石は鬼の一族の末裔とも言うべき柳川である。圧し掛かられていたにも関わらず、体のバネ一つで祐一を押し戻す。
 押し戻された祐一は転がりつつ、素早く体勢を立て直す。横目で、浩之達が無事に逃げて行くのを確認しながら。
 幸いにして、既に拳銃では届きそうもない距離まで、逃げ切っているようだった。
 自分の反射神経もまだまだ捨てたものじゃないな、と祐一は心中で笑う。
 この場に残されたのは、柳川と祐一の二人のみ。二人の手には、それぞれ一丁の拳銃。
 距離は約4メートル程。撃つも殴るも、微妙な距離である。まさに一瞬の判断が命取りになりそうであった。

「貴様……これが最後だ。ここを通せ。これだけ言っても分からないか」
「やなこった。力づくで通ってみろよ」
「ならば、押し通るまでだ!」

 踏み込んだのは柳川だった。格闘戦に持ち込もうというのだろう。その瞬発力、そして二の腕から繰り出される速さと重さを併せ持つ拳が祐一に迫る。
 祐一はワルサーP5を持ち上げることも、殴りかかることもしなかった。
 大きくバックステップしながら、器用に空中でデイパックを開き、もう一つの武器を取り出し、持つ。

「うらぁっ!」
「む!」

596Trust:2008/05/05(月) 17:19:45 ID:rjytJX2E0
 それは包丁だった。踏み込んだ直後の柳川に向けて斬り付けるが、軽々と躱した柳川は舌打ちをしながら自らも出刃包丁を取り出す。
 すぐに追撃を仕掛けてくるだろうと踏んでの行動だったが、果たしてそれは正しかった。続けざまに伸ばされる包丁を、柳川が弾いて止める。

「甘い」
「……っ!?」

 攻撃の方向を逸らされたかと思った瞬間、繰り出された蹴りが祐一の横腹を裂く。
 横倒しになると同時に、柳川がディテクティブスペシャルを構える。しかし祐一とて何もしないわけではなかった。
 撃たれるのを覚悟で、祐一も倒れたままワルサーP5を向ける。今更回避行動をとっても遅いという判断だった。
 もっとも、半ば仲間の為に死んでも戦うという思いがあったというのもあるのだが。
 だが、この時は運命の女神が悪戯でもしたのだろうか。ワルサーを向けられたことに少し動揺し、僅かながらに逸れた柳川の銃口が、そして遮二無二向けた祐一の銃口は――

「うお!?」
「ぐっ……!」

 それぞれのもう一つの得物、即ちお互いの包丁の刃を貫き、見事にそれぞれの刀身を粉砕していた。
 驚きながらも、祐一は銃弾に当たらなかったということを認識し、距離を取るように立ち上がる。
 それと同時、祐一の倒れていた場所に銃弾が突き刺さっていた。冷や汗を感じつつ、祐一も下がりながら発砲する。
 こちらも軽々と躱されたが、動きを止めるには十分であった。
 さらに一発発砲して、木々の間へと隠れる。

「クソッ、残り何発だ……?」

 一々マガジンを取り出して確認している暇はない。が、多く見積もって1、2発というところだろう。以前の戦闘でも何発か発砲していたのだから。
 柳川も無駄撃ちを避けているのか、これ以上の発砲をしようとしない。
 暫くの膠着。それは時間にすれば十秒と満たない間だった。
 残り少ない弾薬で導き出す勝利の策。それを考え出した祐一が、飛び出る。
 だが、それを待っていたかのように、柳川の銃口が祐一にロック・オンされる。

597Trust:2008/05/05(月) 17:20:14 ID:rjytJX2E0
「迂闊だ!」
「そうかよ!」

 ロック・オンされたと同時。絶妙のタイミングで、祐一は柳川の真正面に向かって、着ていた制服を、視界を遮るように投げ入れる。
 これが祐一の作戦だった。
 視界を遮られ、何も見えなくては照準を定めることなど出来はしない。頭は狙いを変えようと、体の動きを変えろと命令を下すはず。
 しかし人間の体はそう都合よく出来てはいない。続けざまに命令を与えられ、混乱した体は僅かな間であろうとも、動きを止めるだろう。
 そこを、俺の銃弾が仕留める――!
 ……そのはずだった。

 真横に飛んで、硬直した『はず』の柳川がいる場所。そこでは、
「だから、迂闊だと言った」
 まるで何事も無かったかのように、柳川の銃口が、祐一に向けられていたのだ。

 何故だ、と呆気に取られると同時に、どん、どん、どん、と、音と同時に、祐一の体が小刻みに揺れた。
 手から、するりとワルサーが抜け落ちる。
 ああ、駄目だ。手放しては駄目だ。
 あれが無ければ、俺は、皆を、守れない――
 完全にワルサーが祐一の手から離れ、それに連動するかのように、彼の意識は、途絶えた。

「……所詮、お前では『鬼』は殺せない。いや、殺すつもりもなかったかもしれんがな」
 目を見開いたまま赤い水溜りを広げていく祐一を見下しながら、柳川はそう言った。
 所詮は素人の考えだ。
 何度か運に助けられたからといって、それで勝てると思い込む。
 殺し合いで運を信用してはならないのに。
 結局は、場数を踏み、より実戦慣れしている俺が勝った。
 ――つまらないな。

 ふぅ、と一つ息をつき、戦利品のワルサーP5を拾い上げたとき、一つ、声が登場した。

598Trust:2008/05/05(月) 17:20:35 ID:rjytJX2E0
「やはり、貴方はそういう人だったんですね、柳川裕也さん」
「宮沢……か?」

 振り返った先で、気味の悪い、蔑んだような笑顔を浮かべながら立っていたのは、宮沢有紀寧だった。
 わずかに不快感と、その言葉の意味を尋ねて、柳川が喋る。

「どういう事だ」
「分かりませんか?」

 相変わらず嘲笑するような笑みの有紀寧に眉を顰めて柳川が返事を返す。
 すると有紀寧は、やれやれ、と物分りの悪い子供に言うように肩をすくめる。

「ですから、貴方はやはり殺人を楽しむような、そんな人間だったという事です」
「何だと」
「違いますか?」
 今までとは明らかに違う有紀寧の雰囲気に敵意を持ち始めながらも、柳川は殺人鬼と形容する有紀寧の言葉を否定しようとする。

 だが有紀寧は何を今更、と言わんばかりの表情で、
「わたしはずっとあの様子を眺めていましたが……あれは明らかに暴力に訴えていたじゃないですか。何故話し合いをしようと思わなかったんです?」
「話し合いも何もない。奴は殺し合いには乗っていないと嘘を吐き、卑怯にも倉田を殺した、そんな奴だ。生かす理由が無い」
「では、藤林椋、という人とやらが本当にその倉田さんを殺した証拠でもあるんですか? ここに来るまでにその話を聞いてましたが、貴方の話を聞いている限り、戻ってきたときには殺されていた、それだけでしょう? 本当に彼女が殺したかどうかなんて、分からないじゃないですか」
「だがそれなら俺がいくら探しても出てこなかったのは何故だ。奴が殺し合いに乗っていることの証拠だ」
「そうでしょうか? 襲いかかる真犯人から逃げるために、そうせざるを得なくなったのかもしれないかもしれません。確かな証拠がない以上、柳川さんの言っていることは憶測なんですよ」
「……何が言いたい」

 回りくどい言い方に痺れを切らした柳川は、トーンを上げながら真意を尋ねる。
 せっかちですね、と全く調子を変えぬまま、有紀寧は続ける。

599Trust:2008/05/05(月) 17:21:07 ID:rjytJX2E0
「つまり、貴方は倉田佐祐理さんの死を免罪符にして、殺し合いを楽しんでいる。別に犯人が誰かなんて関係ないんです。ただ殺し合いを正当化する理由を求めていただけなんですよ」
「ふざけるなっ! そんな事が」
「違うとでも? では何故そこの男の子を殺したんですか」
「何を……藤林椋を追いかけるのを、妨害したからに決まっている」

「だからといって、殺す必要性はありましたか?
 見たところ実力差ははっきりしているようでしたし、戦闘不能に持ち込むくらいは容易いはずでした。
 なのに貴方は無常にも殺した。それも銃弾を三発も撃って。そして極めつけは、『つまらないな』ですか。
 そもそも、本当に藤林椋さんを殺したいだけならさっさと戦闘を切り上げて追いかければよかったんです。
 なのに貴方は戦闘に拘った。本当に、ええ、本当に楽しそうな表情でしたよ、殺し合いを楽しむ貴方の顔は」

 殺し合いを楽しむ、そう言った有紀寧の顔には見下すような色が篭められている。
 有紀寧は決して糾弾しているわけではない。
 ただ、殺し合いに抗うと言った人間が殺し合いを楽しんでいる、その姿が浅ましいように見えたのだ。
 ――もっとも、目的は別にあったが。
 一方、まったくの正論に、柳川は言葉を返せない。確かに、方法論としてはそうするべきだった。だが、それでも、まだ否定しなければならない部分がある。

「……お前の言う事も一理ある。だが、俺は殺し合いを楽しんでなどいない! それは事実だ!」
「は、まだ言いますか? まったく、貴方の偽善者ぶりには呆れます」

 侮蔑したように言う有紀寧だが、「どうしてそんな倫理にこだわっているのですか?」と、まるでうってかわったように優しい口調に変わる。
「貴方は殺人に快楽を求める人間なんですよ。とどめを刺したときの貴方の顔を見ていれば分かります。
 ですが、それがどうしたんですか? 楽しめばいいじゃないですか。
 ここは殺戮が許される場所……いくら人を殺したって、裁かれることはないんです。
 本能のままに身を任せ、存分に殺しあえばいいんですよ。本当は、他人なんてどうでもいいんでしょう?
 まあ、家族くらいは別でしょうが……人を殺す理由が欲しいんですよね?」

600Trust:2008/05/05(月) 17:21:28 ID:rjytJX2E0
 ゆっくりと柳川に向かって歩きながら、全てを受け入れるかのような有紀寧の言葉に、今度は否定の言葉を返すことができなかった。
 そう、ここに来るまで、柳川は日々苛む殺人の衝動に耐え、それでも耐え切れずに何人もの人間を殺害している。
 しかしそれは鬼の本能のせいだ。ここに来て以来、殺人を自発的にしようとは、思わなくなっているではないか。
 これが本来の柳川だ。そんな、血を好むような、悪しき人間であるはずなどが、ない。

「――違う!」

 だから、理由などなくてもいい。柳川は、否定し続けることを選んだ。
 自分は、決して殺人鬼――いや、快楽殺人鬼などではないと。
「俺は、そんな人間ではない! 誰が、何と言おうと……! だから、俺は、貴様を否定する……!」

 ワルサーP5を、有紀寧へと向ける。ディテクティブスペシャルは既に弾切れだった。
 何発入っているかは分からないが、目の前に立ちはだかり、誘惑したこの悪魔を斃すには十分だろう。
 ご丁寧に近づいてきてくれたお陰で、この近距離だ。避けられるわけがない。
 けれども、有紀寧は焦るどころか、苦笑いを浮かべ、余裕綽々という風に首を振った。

「全く、偽善者というものは度し難いですね……でも、貴方にわたしは殺せませんよ?」
「は、貴様は死なないとでも言うのか」
「まあ、違いますけど。正確には、貴方の家族が死んでしまう、ですかね」
「……何?」
「見てください」

 そう言うなり、有紀寧がポケットから粉末のようなものを取り出す。
 それを軽薄に、さらさらと揺らしながら、有紀寧は言う。

「これは遅効性の毒……支給品な訳ですが、ということは当然、解毒剤もある訳ですよね? さて、毒は誰に使ったと思います?」
「……! 貴様、初音に――」
「ええ、まあ。貴方が走り出した直後くらいにですが。もって24時間というところでしょうか。勘のいい貴方なら、もうわたしの言いたいことは分かりますよね?」
「……」
「解毒剤はわたしにしか分からないところに隠しました。つまり、わたしの命は初音さんの命という事です。この場でわたしを殺しても構いませんが、大切な家族の初音さんを見殺しにはできないですよね? ああ、それとも『偽善者』なんですからやはりわたしを殺しますか? いえ、『殺人鬼』でしょうか?」
「……何人だ」
「ふふ、物分かりがいいですね。取り敢えず貴方はとても強そうですから、5人程お願いしますね。ああ、それと――」

601Trust:2008/05/05(月) 17:21:52 ID:rjytJX2E0
 カチッ、と音が鳴った。続いて、柳川の首輪が赤く点滅を始める。
 何事かと有紀寧を睨み付ける柳川に、ひらひらとリモコンを取り出しながら有紀寧は告げる。

「今、24時間後に首輪爆弾を作動させるリモコンのスイッチを押しました。当然解除方法はわたししか知りません。下手なこと、しようなんて思わないでくださいね?」
 ギリッ、と歯噛みし、己の不覚を恥じながら、柳川は一つ尋ねる。

「……ということは、当然これは――」
「ええ、初音さんにも作動させてあります。解毒剤だけ見つけても無駄だということですよ。分かりましたか?」
「貴様……」
「殺したいですか? そうでしょうとも、殺人鬼なんですから、貴方は。さ、早く行った方がいいですよ。時間は、待ってくれませんからね」

 己の絶対優位を確信した有紀寧が、暢気に空を見つめる。
 まったく、柳川裕也も甘い人間だ。
 本当は毒なんて嘘で、首輪爆弾も実際には初音には起動していないというのに。
 それこそ確証のないことを信じる柳川という人間は、やはり救えない、と有紀寧は思っていた。
 柳川は血がでそうなくらいに拳を握り締めながら、聞く。

「く……一つ、最後に一つ、聞きたい。貴様……殺し合いに、乗っているんだな?」
 すると有紀寧は、何を当たり前のことを、と言って、続ける。
「ええ、そうですが? これで乗っていなければそれこそジョークです」
「……だろうな。何故、乗った」

 答えるのも面倒臭そうな様子で、有紀寧は返答する。
「決まってますよ。……死にたくないからです」
 その一言で、柳川は言うか言わまいか決めかねていた言葉を、発する。
「なら、決まりだ。貴様は……必ず、殺す」
「……楽しみにしていますよ、柳川さん」
 背を向ける柳川に向ける有紀寧の視線は、また蔑むようなそれへと戻っていた。

602Trust:2008/05/05(月) 17:22:20 ID:rjytJX2E0
     *     *     *

「もう、ここまで来れば……!」
 祐一と柳川のいる場所から少し離れた、民家の影。大きく息をついている三人を見ながら、浩之はそう言った。
 背後には、柳川の気配はない。ということは、祐一の足止めは成功しているということだ。それは彼が未だに戦い続けているということでもあったが。
「……」

 それも理解している以上、このまま突っ立っているわけにはいかない。デイパックから武器になりそうなものを取り出し、元いた方向へ一歩を踏み出そうとした浩之の裾を、みさきの手が掴む。
「浩之君……」
 不安に震える、みさきの腕。あまりに切実な感情。だが、それでも、浩之は優しくみさきの手を解かねばならなかった。
「みさき。俺は、祐一の助けに行かなきゃいけない。あいつを助けてやれるのは、俺だけなんだ」
「……悔しいよ」
 違う。みさきの手は、不安で震えてなどいなかった。

「目が、見えてれば、良かったのに」
「……」
「みさきさん……」

 観鈴と椋が、複雑な表情を浮かべる。その心中は、察するにあまりあるものだった。
「我侭だよね。……ごめんなさい、浩之君」
「……みさきにだって、守れるものはあるさ。安心だ。みさきがいるだけで、俺は安心できる。だから、待っててくれよ、笑顔で戻ってこれるようにさ」
 肩を叩きながら、浩之は笑う。その雰囲気を感じ取ったのか、みさきも笑った。

「行って来る。観鈴、二人を頼むぜ」
「う、うんっ。観鈴ちん、ふぁいとっ」
「頑張ってね、浩之君」
「……おう!」

603Trust:2008/05/05(月) 17:22:38 ID:rjytJX2E0
 最後に、かけられたその声に、力を貰ったように、浩之は駆け出し、あっという間にその背中は小さくなっていった。
 二人が、その背をいつまでも見つめている間に、もぞもぞと動く人間が、一人だけいた。

「浩之君、大丈夫、だよね?」
「大丈夫だよ。うん、心配しなくても浩之くんは大丈夫。強いし、丈夫そう。にはは」
 観鈴の笑い声に釣られるようにして、みさきも笑う。

「みさきさん、やっぱり笑ってた方が可愛いよ。その方が、浩之くんも喜んでくれるよ」
「……? どうして、浩之君の名前が出てくるの?」
「えっ? だってみさきさん、浩之くんの彼女さんじゃないの?」
「え……そ、それって……ち、違うよ〜、私と浩之君は、別に……」

 顔を真っ赤にして、俯くみさきだが、遠慮を知らぬ観鈴は追い討ちをかける。
「違うの? でも、好きなんだよね、みさきさん」
「それは、えーと、その……」

 ごにょごにょとどもるみさき。観鈴は返事を待っているのか、何も尋ねてこない。
 しばらく悩んで、同性の観鈴になら、と意を決したみさきが、顔を上げる。
「……うん、その、好き……だけど」
 ……が、観鈴から返事はない。いつまで待っても、返事はない。
「あの、観鈴ちゃ――」

 ガツン、と、何かで強烈に頭を叩かれる。そんな感覚がして、平衡感覚を失ったみさきが倒れる。
 同時に、べちゃ、という何か生ぬるい液体に触れた感覚が伝わった。
 何だろう、この生ぬるい液体は。

「……やっぱり、これくらいじゃまだ死なないんですね」

604Trust:2008/05/05(月) 17:23:08 ID:rjytJX2E0
 そんな風に考えるみさきの頭上から、ひどく冷たい声が降りかかった。
「椋、ちゃん?」
「うん、やっぱりあなた達、邪魔です。死んでください」

 理解できなかった。この声は、確かに藤林椋のそれだ。
 殺し合いなどとても望んでいるとは思えない、椋の声そのものだ。なのに、何故、あんなことを言っているのか。
 混乱するみさきに、更に声がかかる。

「ですけど、せめて楽に殺してあげます。観鈴さんのようにすぐに楽になりますから、安心してください」
「――え? 観鈴ちゃんが、あなたに」

 それがみさきの言いえた、最後の『まともな』言葉だった。
 腕にチクリとしたものが走ったかと思った瞬間、猛烈な吐き気――いや、苦しみがみさきを襲う。
「あ、あ、あああ、か……!」

 声にならない声を上げながら、血溜まりの中をのたうち、みさきは苦しむ。
 命が吸い取られていく感覚の中で、彼女は彼女のもっとも大切な存在へと、手を伸ばす。
 浩之君、浩之君、浩之君! 助けて、苦しい、苦しい、苦しいよ……!
 ひろゆきくん、たすけ……

「――」

 思いすら、最後まで言い切れないままに――川名みさき。神尾観鈴は、裏切った藤林椋の前で、無残に死んだ。
「……ふぅ。一時は、どうなることかと思いましたけど」
 みさきが完全に死ぬのを確認した椋は、額についた汗を拭いながら己の幸運を噛みしめる。

 演技が功を奏したらしく、この連中は椋の言葉を信じてくれた。
 お陰で、柳川から逃げることができたし、また二人も殺せた。
 それに柳川は強敵だ。相沢祐一はともかく、藤田浩之も無事では済まないだろう。いやこのまま死んでくれるのが望ましい。
 ともかく、ここからは離れよう。
 デイパックから使えそうなものを奪取し、観鈴殺害に使った包丁を引き抜こうとする。

605Trust:2008/05/05(月) 17:23:25 ID:rjytJX2E0
「ん〜……!」

 が、体に深々と突き刺さり、心臓まで貫いている包丁を抜くことは出来なかった。伝説の勇者でもないと無理だろう。ああ一般人は切ないです。
「まあ、いいです。包丁くらい」
 それよりも一番の収穫は参加者の人数が分かるという道具。
 結局どれかははっきりしなかったが、このフラッシュメモリが怪しい。
 パソコンに繋げば、結果は分かる。
 楽しみで仕方なかった。早く、早く姉の居場所を知りたい。
 荷物を仕舞った椋は、ふんふんと鼻歌を鳴らしながら、その場を後にした。

     *     *     *

「……クソッ、一歩、遅かったってのかよ」

 立ち尽くす浩之の前には、相沢祐一だった男の遺体が転がっている。
 無念を押さえきれぬかのように、目が見開かれている。
 既に、この場には誰の姿もなかった。あの男は、今も椋を探して走り回っているのだろうか。
 戻らなければならないと思いつつ、それでも祐一をそのままにしておくことができずに、浩之は祐一の体を整えなおし、目を閉じてやった。
 敵を、とってやると心に誓って。

「祐一、やっぱ、俺は間違っていたのか……?」

 そう呟く浩之の耳に、ひどく不快な雑音が響いてきた。
 それは、放送――
 新たな絶望の火を灯す、悪夢の時間だった。

606Trust:2008/05/05(月) 17:23:48 ID:rjytJX2E0
【時間:二日目18:00】
【場所:I-6】
【当面の目的:聖を連れ帰る】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、殺虫剤、火炎瓶】
【状態:呆然。守る覚悟。腹部に数度に渡る重大な打撲(手当て済み)】

相沢祐一
【持ち物:支給品一式】
【状態:死亡】


【時間:二日目18:00前】
【場所:I-6、南部】

藤林椋
【持ち物:ベネリM3(7/7)、100円ライター、包丁、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾2発)、吹き矢セット(青×5:麻酔薬、赤×1:即効性の猛毒、黄×3:効能不明)】
【状態:マーダー。上機嫌。左腕を怪我(治療済み)、姉を探しつつパーティに紛れ込み隙を見て攻撃する】

川名みさき
【所持品:包丁、ぼこぼこのフライパン、支給品一式、その他缶詰など】
【状態:死亡】

神尾観鈴
【持ち物:なし】
【状態:死亡】

607Trust:2008/05/05(月) 17:24:19 ID:rjytJX2E0

【時間:二日目18:00前】
【場所:I-7、北西部】

宮沢有紀寧
【所持品:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×19、包帯、消毒液、スイッチ(4/6)、ゴルフクラブ、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:前腕軽傷(完治)、強い駒を隷属させる(基本的に終盤になるまでは善人を装う)、柳川を『盾』と見なす】

柏木初音
【所持品:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:柳川おじさんに少しなついた。目標は姉、耕一を探すこと】

柳川祐也
【所持品:ワルサーP5(3/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式×2】
【状態:左肩と脇腹の治療は完了、ほぼ回復。椋を見つけ出して殺害する。他の参加者を五名殺害する】
【備考:初音が遅効性の毒にかかっていることと首輪爆弾のカウントに入っていることを信じている(実際は嘘)】
【備考2:柳川の首輪爆弾のカウントは残り24時間】

【その他:有紀寧のコルトパイソンは初音には存在を知らせてない。スイッチも同様】

→B-10

608アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:24:22 ID:MN3neXwE0
 
葉鍵ロワイアル3/ルートD-5
BLサイド・終章「アイニミチル」




******

609アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:24:38 ID:MN3neXwE0




 ―――違うよ。私たちはずっと、何かを愛していくんだ。




******

610アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:25:10 ID:MN3neXwE0


「……ここも、久しぶりですね」

地の底まで続くかのような、長く薄暗い洞窟の中に、静かな声が反響する。
点在する灯火の揺らめきに照らされるその瞳は少女らしき容貌に似合わず、
朝霧に煙る湖面の如き妖しい静謐を湛えていた。
背後には、ぼんやりと淡い光を放つ巨大な何かが二つ、存在している。
まるで従者の如く少女の歩に合わせて動くそれは、色硝子によって作られた十字架のようであった。
十字架とは元来、聖の象徴ではない。冷厳たる磔の道具である。
内部から淡い真紅の光を放つその十字架にもまた、磔刑に処されたかのような影が、あった。
ぐったりと俯いたまま動かない姿は十字架と同じ、二つ。
淡い光に浮かんだシルエットは、どちらも女のようであった。

「―――貴女がいつ、ここに足を踏み入れたというのですか、パーフェクト・リバ」

かつ、と革靴の岩肌を食む音と共に声がした。
薄闇の向こうから現れた姿は、やはり少女。
たっぷりとした長い髪を二つに編みこんで肩から垂らしている。
しかし儚げな雰囲気を漂わせるその小さな体に、不釣合いといえるものがあった。
声と、瞳である。
触れれば斬れそうな鋭さと、底知れぬ冷たさを秘めた声。
瞳はといえば、夜の森の深奥に咆哮を上げる獣のそれと同じ色の光が浮かんでいる。
場にそぐわぬ分厚い本を手にしたその姿を認めて、赤光の十字架を連れた少女が足を止めた。

「先回り、ですか。ご苦労なことですね、里村さん」

皮肉めいた言葉と共に僅かに会釈するが、名を呼ばれた編み髪の少女、里村茜は
ただ厳しい視線を向けるのみで、挨拶を返そうともしない。
無表情に近い顔の中、瞳にだけ怒気を浮かべて口を開いた。

611アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:25:56 ID:MN3neXwE0
「贄を返してもらいましょうか、パーフェクト・リバ」
「私には天野美汐という名があるのですけれど」

十字架の少女、美汐が苦笑気味に呟く。
委細構わず、といった風情で茜が一歩を踏み出した。

「貴女は私たちに与することを拒んだ。……ならば、その贄を連れまわすことも、
 この場に足を踏み入れることも赦しません。贄を引渡し、早々に立ち去りなさい」
「それも、『黙示録』の定めた事象ですか?」
「……!」

微かな笑みを浮かべて漏らされた美汐の呟きに、茜の顔色が変わる。
瞳の奥に蠢く獣が、牙を剥いて唸るかのような視線。
美汐の視線は茜の手にした分厚い本に向けられていた。

「……貴女にその名を呼ぶ資格はありません、パーフェクト・リバ」
「それを棄てた女の言葉には腹が立ちますか、やはり」

薄笑いを浮かべた美汐の言葉が、空気を一段と刺々しいものにしていく。
いつの間にか、茜の持つ本が淡い光を帯びている。
それは美汐の連れた十字架の放つものと同じ系統の、赤い光であった。
明るく澄んだ十字架のそれと比べ、茜の本から漏れ出すそれは暗く澱み、酸化した血液を想起させる。
流れ出た血の色の光をその手に纏わせて、茜がさらに一歩を踏み出す。

「素直に引き渡さないというのであれば、あまり望ましくない手段を採らざるを得ません」

言いながら歩を詰めるその眼は、既に害意に満ちている。
本から漏れ出す光が次第に強くなっていく。

「……『黙示録』はあなたの勝利を告げているのですか」
「黙りなさい」
「言葉を変えましょう。……その『黙示録』とやらに、私の名は刻まれていますか」
「黙りなさい、と言っているのです」

612アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:26:13 ID:MN3neXwE0
刃の如き言葉と同時、茜の手から光が伸びた。
垂れ落ちる血のような光が、まるで粘性の体を持つ生物であるかのようにのたくりながら美汐へと迫ったのである。
光は瞬く間に美汐の腕に絡みつく。

「……赤の力で私が止められると、そう思っているのですか」

自由を奪われた腕を、しかし表情を変えずに煙るような瞳で見やりながら、美汐がつまらなそうに告げた。
対する茜は美汐の言葉に、不敵な笑みを返してみせる。

「ええ、一時しのぎにしかならないでしょうね」
「なら―――」
「一時しのぎにはなる、と言ったのですよ、私は」

言うが早いか、茜の手から新たな光が伸び、形を成していく。
新たな光は美汐の腕を捕らえた粘性のそれとは違い、硬質な印象を与える。
伸びていく光が、人の二の腕ほどの長さでその伸長を止める。
赤光で作られたそれはまるで刃―――短刀のようであった。
一瞬の内に、茜の手には赤光の短刀が握られていた。

「また、器用な真似を」

苦笑する美汐に、ぎらりと光る刃が向けられる。
表情一つ変えぬその顔に突き込まれるかと見えた刃は、だが美汐ではなく、狭い洞窟の天井を指し、止まる。

「貴女にも―――贄となっていただきましょう」

刃を天へと翳した茜が、それを振り下ろす。
何もない中空を斬った刃が、光の粒となって消える。
奇妙な行動の成果は、奇怪となって表れた。
赤光の刃が通った軌跡、その空間が、黒く染まっていたのである。
否、空間が黒に染まったのではない。空間に、黒が染み出していた。
美汐の十字架の放つ淡い光も、点在する灯火も、茜の手にした本から漏れる赤光も、黒を照らすことはない。
光という概念を否定するかのような、それは厳然たる黒であった。

613アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:26:39 ID:MN3neXwE0
一瞬の間を置いて、黒の中に色が現れた。
蠢く、桃色。
人の皮膚を裂き、真皮を剥ぎ取った向こうに見えるような、脈動する肉の色であった。
うぞうぞと蠢く肉色が、黒を侵食するように増えていく。
清廉な黒を腫瘍が侵していくような、そんな醜悪な光景。
肉色に隠されて、次第に黒が見えなくなっていく。

ぞる、と怖気の立つような音を引きずりながら実体を持った肉色の塊がその頭を覗かせたのは、
黒が覆い尽くされて間もなくのことだった。
茜の赤光が斬ったその空間から、肉色の不気味な塊がぞるぞると這い出してくる。
絶え間なく涎を啜るような音を立てながら次々と現れたそれは、巨大な蚯蚓か、蛞蝓を連想させる。
人の腕ほどもある太さの胴は長く、そのところどころに醜い凹凸を持つ、眼も口もない蚯蚓。
全身を得体の知れない粘液でぬらぬらと照り光らせ蠢くそれは、まさしく悪夢の産物であった。

「パーフェクト・リバ……極上の餌に、この子たちも喜んでいるようです」
「……」

肉色の蚯蚓が、ぞろりと舌なめずりをするように動いた。
見やる美汐の目に恐怖の色はない。
ただどこか光を照り返さぬようなところのある瞳が無表情に、蠢く蚯蚓の群れを眺めていた。

「贄……ですか。これまで一体、幾人を捧げてきたのでしょうね」
「知ってどうします? これから蟲に犯され、呑まれる方が」
「こんなものを喚び出して、贄を捧げていれば……次第に境界が歪んでいくというのに」
「……」
「このこと……あの方はご存知なのですか?」
「答えるつもりはありません」

淡々と交わされる言葉の端々に、棘が覗く。
棘にはたっぷりと毒が塗りつけてある。
人の肉ではなくその内側を傷つけ、やがては死にまでも至らしめる、それは悪意という猛毒であった。

「……そう、ですか」
「ええ。さようなら、パーフェクト・リバ」

言葉を合図に、茜の足元に蠢いていた蚯蚓が、その鎌首をもたげた。
半透明の粘液が、どろりと糸を引いて地面を汚す。
ぞるぞるとのたくる眼球もないそれらが一体どのような器官をもってか、一斉に美汐の方を向き―――

「……あなたは少し、ご自身でも痛い目を見られた方が宜しいでしょう」

―――その動きを、止めた。

614アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:27:05 ID:MN3neXwE0
「……っ!?」

茜が眼を見張る。
一瞬の間を置いて、蚯蚓の群れがその動きを取り戻していた。
茜が、一歩を退いた。
蚯蚓の群れは、そのどろどろと粘液を排泄する頭を、一斉に茜の方へと向けていたのである。

「……!」

さらに一歩を退いた茜の革靴の踵が、何かに触れる。
ぶよぶよとした感触。
思わず振り向いた、その眼前。
息のかかりそうな間近に、蚯蚓の肉色があった。
悲鳴にも似た吐息が漏れるよりも早く、茜の手首に濡れた感触が走る。
白く細い手に、醜い肉の蚯蚓が、まとわりついていた。
どろりとした粘液が茜の掌に垂れる。

「……っ!」
「―――怖ろしければ叫んでも構わないのですよ、哀れな贄のように」

必死に悲鳴を押し殺したような茜の吐息に、美汐が微かに笑う。
いつの間に解いたものか、その腕を拘束していたはずの赤い光は既に影も形もない。

「これ、は……どういう、ことですか……、パーフェクト・リバ……!」

睨むような視線にも、美汐は意に介した風もなくそっと肩をすくめてみせる。
その仕草にあわせたように、新たな蚯蚓が茜の身体へと迫っていく。
べたりとした粘着質の柔らかいものが、茜の肉付きの悪い脛に巻きついた。
圧迫されたふくらはぎがその形を歪める。
寄せられた肉がぷっくりと膨らむところに、嫌な臭いのする粘液が塗りたくられた。
嫌悪感に表情を強張らせる茜を面白そうに眺める美汐。

615アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:27:22 ID:MN3neXwE0
「少し、講釈をしましょうか……『先輩』として」
「……くぅっ……!」

茜のハイソックスの内側に、蚯蚓が入り込んだ。
踝を嘗め回されるような、鳥肌の立つ感触。
白い布地の内側から粘液が染みて、その色を変えていく。
既に声など聞こえていないようだった。
構わず言葉を紡ぐ美汐。

「―――GLは憧憬。凛と立つ百合に添う薄暮の茜」

謡うような節回し。
細い美汐の声が、このときばかりは凛々しく張り詰めたものとなっていた。

「あなたの手にしている書の、冒頭に記された言葉です。
 GLの概念を示したものと伝えているはずですね」
「……ぁ……っ!」

まとわりつく蚯蚓を払おうと振り回されていた、茜の空いた方の手が、数匹の蚯蚓によって捕らえられた。
白い二の腕についた柔らかな肉を食むように、蚯蚓が這い回る。
その通った跡に残る粘液が淡い赤光を反射して、てらてらと煌いた。

「ちなみに、BLの使徒が持つ書の冒頭には、こう記されています。
 BLは幻想。麗しき薔薇の咲き誇るを飾る蒼穹の風、と」

両の手を押さえられ、制するもののなくなった茜の身体に、蚯蚓が我先と這い上がっていく。
ベージュのベストの裾が捲り上げられた。

「どうしてそんなことを、とでも言いたげですね。
 何故BLの書に記されていることを知っているのか、と」

茜は美汐の方に視線を向ける余裕もない。
ベストの下に纏った白いシャツのボタンが、ぷつりと弾けて飛んだ。
臙脂色のスカートの上、ほんのりと薄く紅潮した肌が外気に晒される。

616アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:28:01 ID:MN3neXwE0
「驚くにはあたりません。何せGLにせよBLにせよ、二冊の書は私が……、
 いえ、『私たち』が、書き記してきたのですから」

一瞬だけ、茜の視線が美汐を射抜いた。
しかし臍の周りを舐るように這う蚯蚓の感触の前に、すぐに俯いてしまう。

「それにしても『黙示録』とは、随分と大仰な呼ばれ方をしていますね。
 我々の頃はそう……単に『覚書』と呼び習わしていたものですから、
 図鑑、というBL側の呼称の方が余程馴染みます。……話を戻しましょうか」

臍の胡麻を嘗め取るように、執拗に穴の奥まで頭を押し付けていた蚯蚓が、ようやくにして離れる。
息をつく間もなく、そのずるずると粘る感触が茜の胴を這い上がっていく。
荒い呼吸の度に浮かび上がる肋骨の隙間を一本、また一本と堪能するかのように、蚯蚓が群がる。
終わりなく続く怖気の立つ感触に、茜の目尻にはうっすらと涙が浮かんでいるようだった。
そんな茜の様子には委細構う風もなく、美汐は淡々と言葉を続ける。

「各々の書に記されたBLとGLの概念。これは私たちが、恣意的に歪めたものです。
 より正確に伝えるならば……たとえばこんな風に言い表すべきでしょう」
「……っ!」

茜の身体が、弓なりに反った。
臍を嬲っていた蚯蚓どもが、今度は茜の白く細い脇と背筋を責めていた。
くすぐったさと薄気味の悪さ、粘液の冷たさと蚯蚓の肉の生温さ、それらが相まった、
ひどく異様な感覚であった。

「青は認める力。あり得べからざるを肯んずる心に湧く清水。
 赤は拒む力。認め得ぬ来し方、行く末の悉くを灼く想いの焔。
 相克の両儀も根は一つ。即ち―――意に沿わぬ『いま』の変革。
 青は『在る』を認め―――赤は『無き』を拒む、と」

ぷつり、ぷつりとシャツのボタンが飛んでいく。
胸元まで捲り上げられたベストの下、白く簡素な下着が見え隠れしていた。
その間にも、蚯蚓は背筋をそろそろと這い上がる。
脇を責めていた群れは、とうとう腋の下へと到達していた。

617アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:28:34 ID:MN3neXwE0
「―――それが、『私たち』が永い時の果てに見出した答えです。
 分かりますか? ……青も赤も、その根源には性など介在しないのです」

汗ばんだ腋に生えるものはない。
ただぷつぷつと毛穴だけが盛り上がっている。
そこに浮かぶ玉の汗を丁寧に掬い取るように、蚯蚓が触れては離れ、離れては触れる動きを繰り返す。
びくり、びくりと茜の身体が跳ねた。

「BLと呼ばれる青、GLと呼ばれる赤、各々が性の昂ぶりに呼応する力。
 ……そう、確かに力は性を奉ずる時、その威を増す。
 ですがそこに、明確な理由は見出せないのです。
 力の根源に性はなく、我々の使うこの力はただ、想いによって顕現する」

言った美汐の両手には、それぞれ違う色の光が宿っていた。
右には青い光。寄せては返す、南の島の波の色。
左には赤い光。夜闇を照らし、揺らめく炎の色だった。

「表裏を成す絶対具現の力―――無限を繰り返す私たちにすら、掴み得ぬ神秘」

両手を合わせると、光は一瞬だけ紫電を放ち、消えた。
後には何も残らない。

「私は、私たちには……この力で為すべき宿願があるのですよ。
 あなたもまた、そうであるように」

蚯蚓はいまや、茜の全身にまとわりついていた。
簡素な下着の上から、押しつぶすようにして茜の上体を締め上げるものがあった。
執拗に背筋を上下するものがあった。
膝から太腿にかけてを、何度も何度もねぶるものがあった。
編みこまれた豊かな髪を粘液で汚すものがあった。
白く細い指の一本一本に巻きつき、擦るものがあった。

「御機嫌よう、GLの使徒。私の可愛い後輩にして哀れな歴史の道化」

声を上げぬよう歯を食いしばって堪える茜に、最後にそう声をかけると、
美汐は暗い洞窟の奥へと歩き出す。
二つの赤い十字架もまた、滑るようにその後へと続いた。

「……っ!」

伸ばされた茜の手を、蚯蚓が引きずり戻す。
肉色の海の中に、濡れた音だけが響いた。


.

618アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:29:01 ID:MN3neXwE0


 【時間:2日目午前11時半すぎ】
 【場所:B−2 海岸洞穴内】

天野美汐
 【状態:異能パーフェクト・リバ、元GLの使徒、遊戯の王】

里村茜
【持ち物:GL図鑑(B×4、C×無数)】
【状態:GLの使徒、危険】

霧島聖
 【所持品:なし】
 【状態:気絶中、元BLの使徒】

巳間晴香
 【所持品:なし】
 【状態:気絶中、GLの騎士】

→856 912 ルートD-5


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