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中学生バトルロワイアル part6

503名無しさん:2015/06/03(水) 22:49:16 ID:EKbdyn8U0
投下乙です!
愛と幽助は順調に青春してるなあ…末永く爆発しろ少年少女!
秋瀬君はなんか親御さんみたいになってるw ユッキー、こんなに立派になって(ホロリ
リョーマとレイは今回もお互いの距離を縮めてるようでニヤニヤ。ユッキーからしたらイラっと来るのも分かるなあw
そして最後に、これは遂に来ましたねえ……嵐の予感しかしない。いったいどうなってしまうんだ

504名無しさん:2015/06/03(水) 23:10:34 ID:IvekRI4Q0
投下乙です!

悲惨だけどどこか清涼感のあるこの雰囲気……どいつもこいつも青春してるなあ、
彼ら彼女らはALL DEAD ENDを越えて、HAPPY ENDに到達できるのだろうか

505名無しさん:2015/06/03(水) 23:24:41 ID:YIiOrq/.0
投下乙です。

ではこの物語のENDとは、如何に。
その答えを心待ちにしています。

506名無しさん:2015/06/04(木) 01:22:05 ID:kZhSO5fI0
投下乙

ユッキーの想いはユノに届くだろうか
そして明かされるエヴァの存在
不穏だぜ

507名無しさん:2015/06/04(木) 04:11:35 ID:kF4.Be6k0
投下乙
色々感想あったはずなのに最後に持ってかれた
すげえな、これ
単にエヴァ出す、巨大ロボ出すくらいならどこでもある話なんだけど
エヴァという符号がぴたりと全てに当てはまるというか
神だとか綾波だとかもあるんだけどそういうの抜きにしても、由乃だけでも完結するくらいにぴたりときてすげえってなった
あれは確かに魂保存できますよって言ってるようなものだし、由乃に親のこと持ってくるとは
うわーってなった

508名無しさん:2015/06/06(土) 15:33:51 ID:BOIx2i.Y0
投下乙です

久々にキター

509名無しさん:2015/07/15(水) 00:09:03 ID:z7qWgsAc0
月報です
話数(前期比) 生存者(前期比) 生存率(前期比)
104話(+1) 15/51(-0) 29.4(-0.0)

510名無しさん:2015/09/15(火) 07:29:27 ID:tVQax1nc0
月報です
話数(前期比) 生存者(前期比) 生存率(前期比)
104話(+0) 15/51(-0) 29.4(-0.0)

511名無しさん:2015/10/07(水) 20:24:07 ID:WB352f1Y0
その頃誰かがATフィールドの外側から中を双眼鏡で見ていたり…しないか。

512 ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:13:42 ID:lhrTcDrE0
ゲリラ投下します。

513スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:17:13 ID:lhrTcDrE0
―――それは、ちいさなころの、くだらないやくそく。ちいさなころの、ちいさなおもいで。


どうしようもなく空っぽでも、鼻で笑われるような下らない代物でも、この島では何の役にも立たないガラクタでも。
きっと、きっと己の信念に従い、正しいと感じた行動を取った先にあるものなら、嘘だって、中身がなくたって、自分にとっては本物になるはずだ。
罪も罰も、悪も善も無いこの大地の上で、踠いて、足掻いて、転んで、間違って、誰かを殺して、何かを失って。喪って、うしなって。
それでも、それだけは残る。
だってどれだけ意味がなくても、それは確かに私の始まりで、本物で。全部が終わるまで、絶対に手離さないから。
手離せば、その瞬間私は私じゃなくなってしまう。生きる理由を失くしてしまう。
だから私が私である限り、それは絶対に消さない。消させない。
そういったものは多分、誰しも一つは心の奥に持っていて、それを守る為に誰も彼もが剣を手に取り、戦うのだ。
その形は百人いれば百人が違う事だろう。色も違って、光り方も違うのだろう。大なり小なりもあるのだろう。
けれどそれをきっと……“正義”と、そう呼ぶのだ。

だからどんなに醜くても、笑われても、滑稽でも。

喩えそれが腐ってたって、間違ってたって―――――――――――――――――――――これは、正義の物語。







最初は、ただ、言い訳が欲しかった。







何もない日常、当たり障りのない生活。模範的な行動、目立ったことは何もしない。変化なんてありはしない。
当たり前の平穏、当たり前の日々。それ以上も以下もない、とことん中庸な生き方。
ただ少しだけ、ほんの少しだけ他人より機械に対して興味があっただけ。
それが私、初春飾利です。
思えば、普通である事への疑問なんてこれっぽっちも持った事はなかったように思います。
何故って、自分がレベル5になれるだなんて考えたことすらなかったですし、そんな才能が自分にない事は理解していましたから。
それに何なら、このままなんとなく生きていければ良いとすら思っていたくらいなんです。
それなりの生活、それなりの身丈。それなりの友達、それなりの学力。
なんの起伏もない、映画のワンシーンで交差点を歩くモブキャラクターの様な、よくある人生。大多数の人間が歩むドラマの無い普通の道。
それが普通に生きてきて、これからも同じ様に普通に生きていくであろう自分に合った人生だと思っていました。

でもそんなある日、ふと思ったんです。

514スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:19:17 ID:lhrTcDrE0

そんな生き方しか出来ない自分、自身のない自分、能力もない自分。でも、それって自分に甘えているだけなんじゃないかって。
それだけしか、出来ないって決めつけていただけなんじゃあないかって。
えっ? どうして、かって? そうですねえ……。可能性という言葉を、私も少しだけ信じてみたくなったんです。

“私は、少しでも変わろうと努力したことはありますか?”

私は自分の中の自分に問いました。彼女はかぶりを振ります。答えはNoというわけです。
……でも、それは本当に悪い事なんでしょうか。目立たずひっそりと、深海に漂う目の退化してしまった魚の様に、
ただ流れの止まった潮の中で餌だけを食べて平凡に生きたいと思う事の、一体何が悪いと言うのでしょう。
それでいいじゃないですか。違いますか? 彼女はそう言うと、眉を下げて悲しく笑いました。

“だけど、それは正しい生き方ですか? 綺麗な海を泳ぎたいと望む事が、悪い事?”

私は、そんな私に問いかけます。彼女は少し考えましたが、俯いてかぶりを振ります。その答えもNoでした。
嗚呼、と私は胸の中で失笑しながら座ります。分かってしまったからです。
つまるところ結局の話、怖かっただけじゃないか、と。
何もない静かな深海から、或いは平和な瀞から、敵も多く、努力して餌を取り環境と格闘する様な意識と覚悟が、私にはどうしようもなく欠けていたのです。
私は続けて問いました。“その覚悟が無いのは、貴女が全部、悪いのですか?”
彼女は答えます。“違いますよ。悪いのは……私じゃ……ない、です”

―――私じゃない。

こんな自分になったのは私のせいじゃない。私は悪くない。私はそう言ったようです。
“でも、じゃあ誰のせい?”
私は自分の中で蠢く溝色のなにかに訊きました。
“先生? 環境? 社会?”
違います。
“学校? 両親? 超能力?”
どれもいまいちしっくりきません。
私は、薄々答えを理解していながら、その質問に答えることができなかったのです。環境や、誰かのせいじゃないって、解ってるはずなのに。
ただ、それを考える度に茫漠と心の中を漂っていた暗く重い闇雲が、私の肺の中でぐるぐると巡り、私の気分を逐一害してきました。
だから私はいつもそこで考える事を止めていたのです。
無性に息苦しく重い空気と、鉛の様になってしまった足と、酷い頭痛と得体の知れない吐き気だけが、いつも後に残りました。
一言で言えば、私はきっと不安だったのです。今と、そしてこれからが、ただただ不安だったんです。
けれどその不安に手を伸ばして掴もうともがけばもがくほど、まるでそれは私をからかうかの様にぐにゃりと形を変え、私の指の隙間から溢れていきました。
胸の奥に、言いようのない不安だけがありました。煙、光……或いは水の様に形を持たない、ただ漠然と漂う、未来への得体のしれない不安だけが。

ええ、確かに深海で碌に動かずに漂うのは得も言われぬ心地良さがあります。
でも、ずっとそのまま数年数十年過ぎてしまうかもしれない未来を考えれば考えるほど、心臓が荊で締め付けられるようでした。

暫くして、私はその形容し難い不安を払拭するべく、或いはそう、“言い訳”に出来る何かを求めるように、風紀委員になろうと思いました。
突拍子もない考えかもしれません。でも、超能力の大小や有無を問われない風紀委員は私にとって好都合でした。
風紀委員に入る事で、何かが変わってくれないだろうか。私は自分勝手にも期待しました。
こんなにもとろくって、能力だって碌に無い役立たずな私でも、綺麗な珊瑚礁が浮かぶ水面で、優雅に泳ぐ事ができるのだと。
大地の上に根を張り咲き誇る事ができるのだと、何かに証明して欲しかったのです。

自分なりに答えらしきものを見つけるのは、それから少しだけあと、少しだけ暖かかった冬の日。
銀行強盗と出会った後で、燃える様な茜空の下で約束した、あの瞬間。








あの日あの時あの場所で、私の“せいぎ”は出来たのです。








黄昏が、落ちてゆく。陽が、沈んでゆく。黄金の海原の向こうへ、天蓋の終わりへ、地平線の彼方へ、世界の反対側へ。

515スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:20:40 ID:lhrTcDrE0
まるで落ちる光の残滓に染められた様に、積乱雲の輪郭は藤色にぼんやりと輝いている。
雲達はじっと見ていないとわからないくらいにゆっくりと、重なり合う様にして空を泳いでいた。
その向こう側には、鈍く白銀に光る小さな小さな一番星が見える。
闇が、宙から降りてこようとしていた。日が暮れようとしていた。血濡れた1日が、終わろうとしていた。
森が、廃墟が、街が、海が。暗く、質量のある静寂に沈んでゆく。息を吸うと、胸が詰まりそうだった。
吸い込まれそうなくらい漆黒に染まった影と、深海の様に暗い藍色の闇が満ち、世界は緩やかに夜に抱擁されてゆく。

―――夜が、来る。

少女は静かに、“瞼の裏側で”瞼を閉じる。闇に誘われる様に、黒い何かが二枚目の瞼の裏側で騒いでいた。
それはざわざわと草叢を蟒蛇が進む様な、百足が蠢動する様な、気味の悪い音。
言うなればある種の予感の様なものであり、別の名前を“不安”と言った。

不安は、化け物だ。
人の心を食う邪鬼だ。やがてそれは心から、じわじわと水が岩を浸食してゆく様に、表情と言葉に浮き上がる。
闇は恐怖の権化たり得て、転じて不安となる。そして何よりげに恐ろしきは――――――不安は“伝染”する、という一点に尽きた。
まさに、今の彼女達のように。


「どうしますか」


紫がかった黄昏色に染まったフードコートの中、キッズコーナーのソファにとりあえず逃げてきたものの、荒々しい息と共に浮かぶ一抹の不安。
縦の木ルーバーの入ったテラス席越しの窓ガラスを背に座り込み、誰も彼もがその顔に黒い影を落とし、口を噤む。
そこに水を打つ様に浮かんだ一言が、それだった。
杉浦綾乃はその声がする方を見る。口を開いたのは初春飾利だった。彼女が先ず、立ち込めていたその暗雲を振り払う為にそう切り出したのだ。
……いや、違う。違った。
何故って、それは明確な意思が裏に潜んでいる様な、僅かなしこりを感じさせる様な声色だったのだから。
その言の葉には、棘こそあれど疑問符が無かったのだ。
少なくとも飴玉を転がす様な、なんてメルヘンチックな例えはその声からは想像できないであろう事は、一度聞けば誰にでも理解できる。

「……確認するけど、それは“や”りたくないって意味?」

式波・アスカ・ラングレーは僅かに初春の言葉に口をへの字に曲げたが、やがて肩を竦めながらそう尋ねる。
それらの言葉が言わんとする意味は、ただ黙って聞いていた綾乃にも理解出来た。
詰まる所、問題は一つ。彼女達は明らかな殺意を持って此方を追う“敵”をどうするのか、その意思統一を計っていなかったのだ。
自分達ではあの水の異形には敵わない。だから逃げるか、助けを待つ必要がある。それが三人の共通の結論だった。
しかしそれでも“最悪”と、“これから”は考える必要があるのだ。
“もしも助けが来なかったら”。“もしも見つかったら”。“逃げられない状況で同じ事になったら”。
可能性だけ並べればそれこそ幾らでもあるうえ、仮に誰かが助けに来たとして、敵と戦って“どうするのか”。

とどのつまり、一言で言えば彼女、初春飾利は“敵を殺すのか”と二人に訊いているのだ。

516スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:23:53 ID:lhrTcDrE0
徒らに不安感を煽るだけの質問にも見えるそれは、この状況でするような話ではないのかもしれなかったが、しかし初春は敢えて今、それを質した。
三人が、此処から生きて脱出できない可能性もある。
なればこそ今、凡そ起こりうる全ての未来の枝を考えれば、質す事は何ら間違いではない。彼女はそう考えていたからだ。
いざという時の迷いが致命傷になる事くらいは、さしもの初春も理解していた。
非戦闘要員ではあったが、曲がりなりにも彼女は訓練を一通り受けてきた一端の風紀委員であったのだ。

一拍置いて、綾乃が眉を下げアスカと初春を交互に見た。互いに視線を動かさず、その水晶玉の様な双眸を真っ直ぐに見つめている。
思わず、綾乃はその眼差しに唾を飲んだ。
場を和ませる為の小粋なジョークでも飛ばすかとも思った(罰金バッキンガム!)が、それはどうやら野暮以外の何モノでもなさそうだった。

「さっきは正義だの何だのって話、したけど。殺らなきゃ、殺られる。この島はそういうルールなの」
沈黙に耐えかねた様に、アスカが苦い顔で呟く。
「法が通用する世界じゃないっての」

今度は初春が口をへの字に曲げる番だった。彼女は馬鹿ではない。そんな事は言われるまでもなく理解していた。
先程の放送と、この島での出来事がその答えだからだ。法は無力で、人は脆く、正義は簡単に捻じ曲がる。けれども、それ故に。
そう、理解しているからこそ、初春は反発したかった。

「なら、正義は」

だって、それは。
それは何も無かった自分が、変われたきっかけだったから。

「正義は、何処へ行ってしまうのですか」

初春は芯の通った強い口調で問う。
せいぎ、と綾乃は消え入りそうな声でうわごとの様に繰り返した。
……せいぎ。
もやもやとする頭の中で、その単語を今度は口に出さずに反芻する。
綾乃は眉間に皺を寄せた。自分にそれがあるかと言われれば、答えは否だからだ。
いや、否と断言してしまうと語弊がある。せいぎはきっと、ある。そう、あるのだ。あるのだろうが……彼女はただ、それを言葉にして発する術を知らなかった。
当然だ。彼女の世界は悪や危険に冒され、暴君に犯される様な非日常など、想像の向こう側の御伽噺だったのだから。

―――劣っている。

それは無論、意識ではなく環境そのものの違いであり綾乃自体に原因はなかったが、しかし彼女は本能的にそう捉えてしまった。
二人の話に口すら挟めない。挟む余地も、意見すらない。語るべき正義が無いのだから。
綾乃は唇を噛む。悔しかった。純粋に、悔しくて堪らなかった。
戦力にもならず、体力もなく、ただただ守られ、嘆いてばかりの弱い自分。
嗚呼、それはなんて……無様なんだろう。

「何処に行くも何も、アンタが言う正義なんてもん、最初っからあるわけないじゃない。ちゃんと答え考えてないでしょ?」

みるみるうちに劣等感に青ざめてゆく綾乃を尻目に、ぴしゃりとそう言い切ったのはアスカだった。彼女は静かに立ち上がり、ぺたりと座り込む初春を見下す。
“見下ろす”、ではない。細く鋭いその眼光は、彼女を哀れむ様に“見下し”ていた。

517スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:25:27 ID:lhrTcDrE0
「アンタの世界の話は聞いた。学園都市の平和を守るジャッジメント、結構な話じゃない。
 でも忘れてないでしょうね。今、この世界は学園都市じゃないのよ。大人どころかアンチスキルとかいう奴等もいない。
 何一つ、誰一人、その正義は守ってくれない。此処には法なんてモン、幾ら穴を掘っても出てこないし、その正義を掲げる組織も無いの。
 なら、アンタの信じる正義はただのままごとかごっこ遊びにしかならないわよって話。だからさっき訊いたの。この島に正義ががあると思うかって」

しん、と静寂が暗がりを支配する。闇を糸状にして、弓形にぴんと張ったような、そんな緊張感が肌をぴりぴりと刺激した。
アスカの科白は紛れもなく正論だった。言葉の一つ一つが、愚者に被さる荊冠の様に初春の肉にじわじわと食い込んでいく。
初春は、堪らず床に視線を落とす。ウォルナットのウッドタイルには、窓越しに背から差す藤色の薄明かりが映り込んでいた。
“ままごと”。そうかもしれない。憧れていただけかもしれない。夢を見ていただけなのかもしれない。
決してなれない正義のヒーローと同じ土俵に上がって気分になって、自惚れていただけなのかもしれない。

【やっぱり、私みたいのじゃ無理なんですかね……私とろくって……。
 でも、ジャッジメントになればそんな私でも変われるんじゃないかって志願したんですけど、訓練に全然ついていけなくって・・・】

―――ねぇ。昔の私。あの日から、私は何か一つでも、変われたのでしょうか?

「私だって、これでも元の世界ではちょっとした組織の人間で、勿論それなりにルールだってあるけど、ここではただの一般人なワケだし。
 ……兎に角、私はアンタ達を守る。でもそれは任せられたからだし借りがあるからで、あくまで目的の“ついで”なの。
 足手纏いが喚く我儘にまで律儀に付き合ってられないワケ」

突き放すように、或いは道端に唾を吐くように。何れにせよ、凡そ好意的な音が込められていない科白を、アスカが叩き付ける。
無言。
5秒間の無言が続いた。居心地の悪い、嫌な無言だった。初春は僅かに狼狽えた様に一度目を滑らせたが、やがて数拍置いてゆっくりと口を開く。

「……思いを貫き通す意思があるなら、結果は後から付いてくる。私の親友はそう教えてくれました」

「結果?」だが、その言葉をアスカは鼻で笑う。日和見も程々にしろとでも言いたげな視線が、少女の胸に突き刺さる。「結果がなァに?」

ドン、とガラス壁が振動で震える。アスカの左足が、初春の顔面を掠めてガラス壁を打ちつけていた。
そのまま足を下ろさず、アスカは左肘を膝に擡げる。それでも初春は目を逸らさなかった。

「アンタ馬鹿ァ? 甘ったれてんじゃ無いっての。思いを貫いて無様に死んでりゃあ、世話ないでしょーが。
 結果が後からついてくる? えーえーそうでしょうねぇ、安全な世界では。でも、此処は違う。結果じゃないの。過程よ、大事なのは。
 最終的な状況を憂う様な悠長な暇はないのよ。今、この状況で判断を誤らない事。大事なのはそれだけ。ねぇ、アンタだって散々見てきたでしょ?
 そうやって死んだんでしょーが、チナツも、ミコトも、七光りも!! 全員、全ッ員!
 その“ついてきた結果”が、今のこのしょーーーもない状況なんでしょ!?」

ローファーをガラスに押し当てたまま、アスカは体をくの字に曲げて初春の耳元で叫んだ。絞る様な声で、あたりに響かぬ様な小さな声ながらも、鬼のような形相で。

「結果なんてないの! そんなものを待ってる時間も余裕もない!
 過去も、未来も、結果もない! 今しかないのよ!」

アスカは左足を下げると、自分の胸を右手で押し当た。心臓の位置をつかむ様に、ぐしゃりと青い制服を握る。

.....
今しかない。


その言葉を強調するように、或いは何かに耐える様に、苦虫を噛み潰したような表情のまま犬歯をむき出しにして、アスカは言葉を続けた。

518スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:27:36 ID:lhrTcDrE0
「今しかないの! 私には、今、生きている現実しかないの!! それだけしかない!!!」
「二人共っ、こんな事してる場合じゃあっ」
「アヤノは黙ってて!」

拙い、と、きっとこの場にいる三人全員が思っていた。
よりによって今、この状況でする様な話ではなかったし、それは百歩譲っても声が拙かった。
隠れんぼの最中、何処の世界の人間が自分達は此処にいるのだと叫んで回るものか。
何より人間関係的に拙かった。こんな特殊な状況下で意見を違えれば、待っているのは崩壊以外にありはしない。それを理解していたからだ。
けれども、止まらない。止められない。
ふつふつと湧く鍋の蓋が水蒸気で押し上げられる様に、溢れてしまった黒い感情は、中学生のちっぽけな体躯には収まりきるはずがない。
少女達は、その穢い泥を外に出す以外に、この荒れ狂う濁流にも似た激情を治める術を知らなかったのだ。

「私だって……!」

数拍置いて、小さく震える声で、けれどもはっきりとした意志を持って少女が感情をぶち撒けた。初春飾利だった。

「私だって、今しかないです!」

がばりと立ち上がり、初春は肩で息をするアスカに掴みかかる。胸倉を掴まれたアスカの眉間に、びきりと青筋が浮かぶのを、初春は朧気な星明かりの下でも見逃さなかった。
怖い。
初春はアスカの鷹のように鋭い眼光を見て、素直に先ずそう思った。
全身を恐怖が電流のように駆け巡る。ばちばちと脳天から爪先まで緊張が走り抜け、全身からはどっと汗が噴き出した。
怖い。怖くて堪らない。今すぐ逃げ出してしまいたい。投げ出してしまいたい。
認めてしまえばいいじゃないか、正義なんか下らないって。何の為に、こんな事。
だってそうでしょ。実際、全部式波さんの言う通り。何も間違ってなんかない。此処にはもう、学園都市も風紀委員も警備員も存在しない。
だったら、そんな肩書きなんて形見みたく後生大事に懐に取っておかなくても、全部吐き出して楽になってしまえばいいじゃないか。

【確かに、全員が誰かを救けることができる、ヒーローじゃないけどさ】

だけど、だけど、だけど。

【それでも、初春さんが思っているよりも、人間は強いし、優しいのよ】

約束したんだ、目標にしたんだ。教えてもらったんだ。救ってもらったんだ。救いたいんだ。
だったら言わなきゃ、動かなきゃ、ぶつからなきゃ――――――――私の想いを、貫く為に。

「でも、だからこそ、そんな今を正義として生きたいと思う心は、悪じゃないんじゃないですか!?
 ただ今を、未来も結果も過去も……吉川さんや、御坂さんを忘れて生きるだなんて悲し過ぎるじゃないですか!」
「冗談! その二人はアンタがその手で殺したんでしょうが!! 私だって殺されかけたのよ!?」
「だから!! だからそれを忘れない様にする為にも、ちゃんと私は正義を貫きたいんです! それが私の償いなんです!!」
「二言目には正義正義正義! バッカじゃないの!? だいいち、償いですって!? くッだらない!!
 いーい!? 死んだ奴に出来る事なんてね、何にもないのよ!! 何もしてあげられないの!!
 全部、ただの自己満足にしかならない!!
 償いや正義云々よりも、まずは泥を啜って地べた這いずり回って誰かを殺してでも生きてみなさいよ!!!」
「やめてッ! 今争っても意味無いでしょ!!」

半ベソの綾乃が今にも殴り合いになりそうな二人の間に割って入った。

519スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:31:13 ID:lhrTcDrE0
アスカはそれを邪魔をするなと言わんばかりに、初春ごと横に弾き飛ばす。
派手な音を立てて、綾乃と初春は子供用の椅子と机をなぎ倒しながら、ウッドタイルが貼られた床に転がった。
はらりと初春の頭から花が散ったが、激情に駆られたアスカはそれを歯牙にもかける事なく舌を打つ。
構うものか。青白い星明りに照らされた少女を見て、アスカはそう思った。
この甘い考えを治さないままのコイツと居ると、虫唾が走るし何より私の命が幾つあっても足りない。
今のうちに、少なくとも私が誰かを殺そうとしている時に馬鹿げた横槍を入れてこないくらいには、無理やりにでも考えを改めてもらわないと。

「何が正義よ……」

だから先ずは、それを言う事にした。
正義正義正義。馬鹿の一つ覚えみたく喚き散らす癖に、その成果を一切上げていない阿呆を、理の懐刀で刺して刺して刺し殺す為に。
アスカはつかつかと倒れこみ呻く初春へと近付くと、そのまま彼女の胸倉を掴んで無理やり持ち上げた。げほ、と初春は苦しそうに咳き込む。
アスカは思い切り息を吸った。気に入らなかったのだ。路傍のゴミ屑に縋る馬鹿が。
許せなかったのだ。そんな光を見ることすら無駄だと、決めつける自分が。
嗚呼、或いはただ、そう、ただ納得したかったのかもしれない。

母を守ってくれなかったあの世界に。
子供に全てを背負わせる大人達しかいないあの世界に。
嘘ばかりのあの世界に、誰からも愛されない、あの世界に―――――――――――――――正義なんてものは、最初から無かったんだって。

「正義がなくても地球は廻んのよ!
 箱庭に守られた生温い正義なんて、ここでは要らない! あるとすればそれが力! 今を勝ち残る力が正義なの! 最後に信じられるのはそれだけ! それだけなの!!
 勇気も、優しさも、正義も! そんなもんじゃこれっぽっちも腹は膨れないし、居場所もできないし、
 寂しさは変わらないし、愛してくれないし、幸せになんかなれっこない! そうでしょ!?
 他人の正義なんて、所詮自分が居心地よく過ごすための口実! 違う!?
 此処じゃあ生きる事すら満足にできない! 生きる手段として誰かを殺す必要だって、そりゃあるわよ! 誰だって生きたいの!
 アンタの“せいぎ”はその願いすら裁くワケ!? それでもそうだってんなら文句はないわ!
 でもね、アンタはその覚悟は愚か自覚すらないでしょ!?
 “せいぎ”とやらが全部正しくて、犠牲も出なくって、誰もが納得するハッピーエンドで解決すると思ってる! 私はそれが気に入らない!!」

心が軋む。一言呟く度に、内臓に螺子を打たれる様な感覚。その抉られる様な鋭い痛みを隠す様に、アスカは胸倉を握る手の力を強めた。

「力が足りない馬鹿から無様に死んでくのよ! 誰かを守れずに泣いていく! 後悔も、謝る事もできずに! アンタだってそうだったでしょ!?
 そうならない為にも、アンタ達はただ黙って守られてりゃいいの! 生きてりゃいいの! ねぇ、私の言ってる意味解る? 何か間違ってる!?
 解らないなら自分の胸に訊きなさい! その薄っぺらい正義は、この島で誰か一人でも助けたのかってね!!
 それとも何? アンタのそのご大層な正義が―――“せいぎ”とやらが、大切な大切な“ジャッジメント”が、私が死にそうになった時に身を犠牲にして守ってくれるっての!?
 それともアンタが殺人鬼を甘っちょろいヒロイズムに泥酔して見逃して、今度は私とアヤノが死ねばいいワケ!?
 ……ミコトと、チナツみたいに!!!」

気付いた時には、肩で息をしていた。ぜえぜえと繰り返される荒い息だけが、凍て付いた湖の底の様にしんと静まり返った世界の空気を振動させていた。
アスカは言葉を続ける為に、口を開く。是が非でも続ける必要があった。耐え難い静寂を裂く為に、続けなければならなかった。
続けなければ、心が潰れてしまいそうだった。

「冗談じゃないわ。私は、私が大切なの。他の誰でもない、組織の為でもない、平和ボケした大衆が創り出した“せいぎ”の幻影の為なんかでもない。
 私は、私の為に戦いたいの。ただそれだけ。
 ……ねぇ、アンタのその黴臭くてくッッッだらない正義を守る為に、あと何人殺せば御満足? 教えてみなさいよ。あとどのくらいの死体が必要?
 思い上がるのも大概にしなさいよ“正義の味方【さつじんき】”―――――――――――――――――――――私を、自殺に、巻き込むな!!!」

アスカは突き放すように初春の胸倉から手を離すと、ふらふらと後退った。窓とルーバーに切り取られた星明かりが、尻餅をつく初春に縞模様の影を落とす。
星明かりが届かぬ場所まで逃げるように足を下げると、アスカはからからに乾いた唇を舐め、大きく息を吸った。

520スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:34:43 ID:lhrTcDrE0
捲し立てるように何を言ったのか、ふと思い出そうとしたが、とんと覚えはない。
なぜかと考えれば直ぐに合点がいった。“言った”ではなく、きっと“溢れた”のだ。
プラグから溢れたLCLが外へ漏れ出してしまう様に、体に収まりきらなかった言葉が、行き場を失い喉から零れ落ちたのだ。
アスカは胸に手を当てる。皮膚をばくばくと叩く心臓は、今にも体の内側から飛び出そうだった。
耳をすませば、荒い息と心臓の振動だけが、生ぬるい部屋の中を揺らしていた。
アスカは額の汗を拭うと、ぎょっとする。袖がびっしょりと濡れてしまうくらい汗をかいていた事にすら、全く気づかなかったからだ。
……どっと疲れた感覚だけが、嫌にあった。
酷く頭が痛く、鉛の様に全身は重く、足と手は関節が錆びついてしまった様に動かなかった。
機能停止したエヴァンゲリオンの如く、ただただ暗がりにぼうっと立ち尽くす。

どくん、どくん、と、胸の芯で鳴る鐘の音が鼓膜の内側を揺らしていた。

アスカは放心して隅に座る綾乃と、窓辺にぺたりと座る初春を交互に見る。
誰も彼も視線は決して交わる事はなく、少女達の双眸は暗闇の中空を意味も無く泳いでいた。
アスカは思わず、舌を打って目を細める。
目前の女のそれは心底琴線に触れる表情だと思ったが―――瞬間、アスカははっとして細めた目を見開いた。
少女の紅色の頬に何かが伝っていたからだ。
……いいや、頬を伝うものに何かも使徒もネルフもありはしない。

涙だ。
涙だった。
それは、星芒を写してきらきらと眩く輝く涙だった。

初春飾利は、嗚咽も漏らさず気丈に振舞いながらも、泣いていたのだ。
それに気付いた瞬間、鉛のように重かったアスカの全身から、重量が、力がどっと抜けていく。
そう。そうだ。当たり前の事だった。
彼女みたく地味めで少女趣味の、優しく可愛くてムカつく性格の真人間が、取っ組み合いは愚か口論すら、余程の事がないとしない筈なのだ。
それをどうして、今になって気付く。

……そんな相手に今、自分は何を言った?

アスカは体をくの字に曲げて、右目を掌で覆う。
莫迦は私の方じゃないか。冷静さも欠いて、自分の想いを無理やり押し付けてしまったのは、他でもない、私。挙句、暴力と感情に任せて酷い事まで吐き捨てた。
唇を噛みぐっと何かに耐える様な初春の表情に、アスカは舌を打つ。阿呆なのは一体どっち。子供なのは一体誰。

「……ゴメン。言い過ぎたわ」

雫を落とす様に、アスカが呟く。仲間割れしている場合ではない。そんな事、百も承知だったはずだった。

「わ、私の方こそ……すみません」

ずずっ、と赤い鼻を啜ると、初春はぺこりと頭を下げた。アスカは頭を掻きながら苦い顔をすると、ぽかんと口を開ける綾乃へ足を進めて、その小さな頭へぽんと手を置く。

「アヤノも……ゴメン」
「あ、へっ!? はっ、はい……」

521スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:37:04 ID:lhrTcDrE0
我に帰ったように驚く綾乃を見て、アスカは溜息を吐きながらどかりと床へ腰を下ろした。綾乃はきょとんとした顔でばつが悪そうな彼女を見る。

「はぁ〜〜〜〜……らしくないなぁ、ほんッと……バカは私だったってワケね……ったく……」

パン、と両頬を掌で叩くと、アスカは大きく息を吐いた。頬はじんじんと、腫れたように痛む。
これをけじめというには些か軽過ぎるのかもしれないが、今はひとまず、それでよしとしよう。

「……取り敢えず、今はこれが“ケジメ”でいい? いつか、この借りはきっと返すから。
 兎に角、私も、アンタらも気持ちを切り替えるわよ。幾ら此処が“鉄の要塞”でも、ね」

初春は、アスカの背後のシャッターを横目で見る。
入り口は鉄のシャッター。そして、バックヤードへの出口にはセキュリティのかかった鉄扉。
そう、今、このフードコートはまさに“鉄の要塞”だった。








時は逆巻き、放送直後。
敵軍から逃げるにあたり、具体的なプランを真っ先に挙げたのが、他ならぬ初春飾利だった。
風紀委員<ジャッジメント>。その仕事柄、あらゆる施設に突入する可能性を持っており、またそれは同時にあらゆる施設の構造に精通していなければならない事を意味している。
でなければ咄嗟の判断などできないし、突入作戦にも幅が出ない。学校、銀行、図書館、地下街、駅。様々な施設での作戦、突入、脱出をシュミレートしたマニュアルはあって当然だったのだ。
そしてそれは、勿論複合商業施設とて例外ではない。剰え、初春飾利は風紀委員では情報処理、作戦、撹乱等サポーターとしての役割を担っていた。
特攻員である白井黒子とは違い、そここそが彼女の守備範囲。
そう。敵味方合わせ、この場で最も体力のない彼女は―――しかし、最もこの場を庭と出来る、戦闘参謀のプロフェッショナルだったのだ。

「まず、動線の分断と、防災センターを制圧しましょう」

なればこそ、それが初春飾利の発した最初の言葉だった。初春は徐にフロアマップを広げると、ぺたりと床にマップを置き、ペンでスラスラと何かを書き足してゆく。

「何を書いているの?」
綾乃が中腰になりながら、怪訝そうに問う。
「後方通路ですよ」
初春はペンを走らせながら、当然の様に答えた。
「……まだ私達そんなとこまで入ってないのになんで分かんのよ。っていうか、防災センターって何?」
アスカが質すと、初春はペンを止め、したり顔を上げる。

「このデパートに入る時、最悪の場合を考えて建物の形状は一通り目視で確認しました。
 それに、警備員室には一回寄ってますし、防犯カメラを潰しに防災センターも寄っています。
 閉ざされてはいましたが、外部搬入口……あ、作業車や、工事業者が入る裏口の場所の事です。それと外部非常階段の位置も把握済みです」

へぇ、とアスカが顎をさすりながら唸った。初春は愛想笑いを浮かべると、しかしすぐに真面目な顔で続ける。

「複合商業施設建築のセオリーで、だいたいこの規模なら搬入口がある方角にバックヤード……後方通路ですね。
 それが階段と搬入エレベーターで、各階縦に動線が通っています。非常階段位置から見ても、多分後方はこんな感じの絵で間違いまりません。
 防災センターっていうのは、簡単に言えば複合商業施設の中枢。
 外部からの受付、電気機器、防災機器、および物流、警備など全てが詰まった部屋の事です。……これは、モール事務所とはまた別になるんですが」

二人が初春の手元を覗き込むと、簡単なスケッチ――お世辞にも上手いとは言えなかったが中学生にしては上出来かも知れない――が完成していた。
初春はペンでその落書きの通路を人差し指でなぞりながら、二人へ施設内部を説明する。

「一般的に、防災センターは搬入口から入ってすぐそば……ここにあります。
 搬入口は地下、ここです。外部駐車場から、搬入車は地下にこう、迂回する様なルートで降りていく形です。
 まずはこの防災センターを目指して、この施設の中枢を掌握します。ある程度防災センターで機器を操作したら、これを使います」

初春はそう言うと、スカートのポケットに手を突っ込み、金属音と共にそれを掲げた。落葉の残光に照らされて、それらはきらきらと宝石のように光を反射する。

522スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:40:01 ID:lhrTcDrE0
「……鍵?」
綾乃が小首を傾げて呟く。初春は、はい、と答えた。
「防炎シャッターボックスの鍵と、分電盤の鍵、後方通路カードキー、非常扉の鍵、エレベーターの鍵、その他諸々です。
 全部、さっき監視カメラを潰すついでに拝借したものですよ」
「……アンタ随分手癖悪いわね」

アスカが肩を竦めて、溜息混じりに半ば呆れたように言う。初春は非常事態ですから、と困ったように笑った。

「とにかく、この鍵で各区画の照明やBGMを付けながら、なおかつシャッターをランダムに締めながら……勿論、武器になりそうなものも拝借しつつ進みましょう」
「撹乱作戦?」

綾乃が呟く。初春はこくりと頷くと、マップを四つ折りにして、スカートのポケットに入れた。

「さて、敵もエレベーターを使ってこちらを追うはずです。ここからは話しながら移動しましょう」

アスカは思わずその言葉に目を白黒させた。初春の態度の変わりようもあったが、それ以上に場慣れが過ぎる、と先ず感じた。
言われるがまま頷く綾乃の後ろで、アスカは首を僅かに捻る。違和感、という単語で片付けてしまうとあまりに短絡的だろうか。
いや、けれどもそれは違和感以外の何モノでもないのだ。これでは、まるで別人か何かのようだ。
使命感、或いは、義務感。そんな何かを彼女の気配から感じ取り、アスカは顔を曇らせる。
それは、戦場で最も足枷になる可能性が高い感情だからだ。

「さっき監視カメラを潰す時、幾つかの区画のシャッターを閉めたり、BGMを付けたりしてきました。
 足音や気配は、これである程度誤魔化すことができます。この建物は、地下1フロア、地上5フロアの計6フロア。今いるのが5階。スプリンクラーが作動したのは1階。
 ここからはまず、あそこの曲がり角の後方通路に入って扉をロック。あの水の化け物には気休めかもですが、ないよりマシです。
 少なくとも、サムターンがロックされた鉄扉は、生身では開けられませんから。
 その後従業員エレベーターを使って、地下まで一気に降りましょう」

そう言いながら先導する初春に続き、綾乃が、そして後方はアスカが固める布陣で、三人は慎重且つ迅速に足を進める。
ドラッグストアを横切り、家電コーナーと寝具コーナーを抜け、本屋を横切って進んで行く。
アスカは二人の背を見ながら、背後を横目で確認する。気配は無い。しかし後を追ってきているならば、二人は同じフロアに居るはずなのは間違い無く、全く油断は出来なかった。
微かにに聞こえるのは階下からのBGM。こちらの足音があちらに聞かれ難いのは構わないが、それは逆も然りだ。いつ、どこから敵が現れてもおかしくはなかった。
アスカは四方に気を配りつつ、綾乃に続いて曲がり角を曲がる。ふと初春の方を見ると、手鏡の反射で曲がり角の先を見てのクリアリング。
ふぅん、とアスカは思わず唸った。
根拠の無い強気では無く、きちんと裏付けがある。どうやらズブの素人、というわけでもなさそうだ。
角を曲がると、後方通路の入り口があった。初春がカードキーを壁の機械にあてがうと、カチャリ、と鉄扉の中から開錠の音。
扉を出ると、直ぐに目的のエレベーターはあった。初春は角から顔を出し周囲を見渡すと、後ろの二人へ掌をひらひらと仰いだ。GO、の合図だ。

「アンタ、一体何? 素人……ってワケじゃ、ないわよね?」

従業員用のエレベーターのボタンを押しながら、アスカは小声で呟く。綾乃もうんうんと頷いていた。初春は小さく笑うと、それほどでも、と呟く。

「一応、これでも警察の真似っこみたいなこと、してましたから。
 私が所属していた風紀委員<ジャッジメント>って、そういう……なんていうか、凶悪犯罪から町の平和を守るような、正義の組織みたいなものだったんです」
「せいぎのそしき」綾乃が唄う様に繰り返す。「なんだか、すごいわね……」

523スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:43:23 ID:lhrTcDrE0
チン、と電子音が鳴る。エレベーターが開くと、三人は足音を立てないよう、慎重に中へと入った。

「私の話はそのくらいにして、敵は幾ら戦闘に長けていても、あくまで一般中学生。
 ここは経験と知識があり、施設全体の空間把握、防災機能を把握できているこっちに分があります。
 なら、兎に角イニシアチブを握り続けておくことが勝利の鍵になるでしょうね」

初春が、エレベーターのボタンの下の鍵穴に小さな鍵を入れながら、呟く。
アスカはアンタ馬鹿ァ? と言わんばかりに、その言葉を鼻で笑った。

「でもそれはあくまで、敵が施設に関して知識がない場合……でしょ?
 あっちの水の化物は喰らったら即アウトなんだから、油断大敵よ。頭のキレる奴がいたら、どうなるかなんて解らないんだから」

アスカが言うと、初春はエレベーターのボタンの下から機器をぞろぞろと取り出しながら、えへへ、と笑って頷く。

「はい。あの二人がデパートなんかでバイト経験があれば同じ事を考えられてしまってアウトですが……何れにせよ、先に防災センターを抑えてしまえばこちらのものです。
 それに、忘れてませんか? こっちにはコレもあるんですよ」

機械になにやら細工をし終わったのか、初春は二人へ振り返り、それを見せた。両手に収まっていたのは、携帯電話が二つ。
ぁ、と間抜けな声が綾乃の口から溢れた。

「そっか、交換日記……!」

綾乃が掌をポンと叩いて、目を丸くする。
そう、彼女らには未来視の力があるのだ。これがある限り、少なくとも絶体絶命の状況に陥る可能性は、がくんと下がる。

「でもあくまで、それはアンタの未来。私と綾乃の予知までは出来ない。頼り過ぎると痛い目みるわよ?
 ……さ、着くわよ」

チン、と鈴の音がエレベーターの中に響く。扉が開くと、そこは地下後方通路。
恐る恐る廊下に顔を出すと、非常口の行灯の緑色の光が朧げに満ちているだけで、殆ど暗闇に近かった。
細い通路、僅かな明かり。ホラーゲーム顔負けな雰囲気に、思わず綾乃は息を飲む。

「……暗い、ですね」
「しーっ。余計な事、喋らないの。カザリ、防災センターとやらにとっとと行くわよ」

恐る恐る呟く綾乃の唇に、アスカは静かに指を当て、か細い声で言った。しかし先頭に立つ初春は、携帯の画面を見て固まったまま動かない。

「カザリ?」

アスカはエレベーターから出ようとしない初春へ怪訝そうに問う。初春は何かに納得するように頷くと、静かに振り返り、携帯の画面を後ろの二人へ見せた。

「……いいえ、やめましょう」

告げられた言葉はここまでの行動を水泡に帰すにも同義なもので、二人は目を白黒させたが、しかし画面に表示された未来を見て、彼女等も納得せざるを得なかった。


『私は防災センターに向かいます。でも、部屋の中にはあの水の怪物が居ました。しかし、周りに彼らの姿は見えません。囮でしょうか』


「……ふんふむ。この段階では死までは予知されてないけど、これは確かに引くのが得策ね」
アスカは腕を組みながら言うと、小さく溜息を吐いて、続けた。
「……地下を抑えれば勝ちとか、偉そーに言ってたのは何処の誰だっけ?」

524スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:46:14 ID:lhrTcDrE0
初春が顔を僅かに曇らせる。まぁまぁ、と綾乃がアスカを宥めた。

「ま、いいわ。作戦は全部水の泡だけど、敵は頭がキレる。私達が先ず此処に向かうって予想してトラップ仕掛けてやがったんだし、
 それが分かっただけでもよしとしようじゃないの。水の化け物の能力に監視や感知も備わっていたら、近付くだけでも拙い。そのくらい警戒しても十分でしょ。
 勿論ブラフかもしれないけれど、能力の全容が明らかにならない以上は流石に冒険出来ない」
「あっちも日記を持っているんじゃ?」

綾乃が手を控えめに挙げながら呟くが、アスカはそれはないわ、と直ぐにかぶりを振る。

「……もし予知能力があれば、こんなに回りくどい方法を取る必要が無い。罠を用意してたって事は、予知の手段が無いって吐露してる様なものよ」
「それ自体が嘘って可能性はないのかしら?」

エレベーターの扉を再び閉めながら、綾乃が訊いた。どうかしらね、とアスカは肩を竦める。

「あり得ない話じゃないけど、メリットが少ないわ。そんな事するくらいなら、今この場所に水の化け物を何匹か送り込めば私達はオシマイなわけだし」
「そ、そうですよね……」

エレベーターの隙間という隙間から、水がこちらに押し寄せ、そのまま溺死。そんな自分を想像して、綾乃は思わず身震いする。

「それにしても、行動が完全に先読みされてたのがほんっと癪に障るわ」
「はい……まさか先回りされているとは思いませんでした」

親指の爪を噛みながら言うアスカに、初春も頷く。掌の上で転がされているようで、少なくとも気分は良くない。

「まぁ、あそこに水の化け物しか居なかったんなら完全ではなく、あくまで確率論での保険だろーけど。こりゃあ多分正面の風除室にも居るわよ。
 下の階から順番に私達を追い詰めてくつもりね……十中八九、入れ知恵したのはあの女狐だわ。
 ああいうタイプはねちっこくて用心深くて超々性格悪いのよねぇ……ああ絶対そうよ、そうに決まってる。
 ……カザリ、さっきのフロアマップ貸して」
「えっ? あ、は、はい」

初春が慌ててスカートのポケットから地図を出すと、アスカはそれを乱暴に開き、地下後方通路を指で追った。

「非常階段、搬入口は防災センター横……なるほど、これで地下からの脱出は封じられたってワケ。それが狙いか、もしくは本当の罠か……。
 とにかく、今は慎重に戻る他ないわ。暫くどっかに篭ってやり過ごすしかないわね、こりゃ。
 対峙しても単純にあの水人形には敵わないし、メールによる助けの手をアテにするしかないかもね」
「助けに来てくれるでしょうか?」

綾乃が心配そうに言う。アスカは諸手を挙げ、さぁ? と肩を竦めた。

「でも、存外お人好しは多いみたいよ? カザリのオトモダチもそうみたいだし。
 ま、いざとなったら私が纏めて守ってやるから、安心しなさい」

そそくさと地図を畳むと、アスカは初春に地図を渡し、続ける。

「時間稼ぎにしかならないけど、籠城して罠を作るなり作戦練るなりするなら、どこが良いと思う? 参謀」
「……参謀?」初春が一拍置いて小首を傾げた。「私の事ですか?」
「アンタしかいないでしょ?」
アスカは当然の様に応えた。そうですよ、と綾乃もそれに同意する。

525スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:49:50 ID:lhrTcDrE0
「私が切り込み隊長」
アスカは自分の鼻の頭を指差して言う。何となく分かるかも、と初春は思った。
「で、アンタが参謀」
続けて、初春を指差して言った。指を刺されて少しだけギクリとしたが、納得といえば納得だ、と初春は思った。
「……」
そうして当然の様に綾乃を指差して……アスカが口籠ってしまうものだから、エレベーターの中は気まずい空気に包まれた。
「……。えーと」
暫く指を指したまま、アスカは眉間に皺を寄せる。
「…………」
「………………マスコット?」
「疑問系!?」

最終的に出た答えに、思わず綾乃もツッコミを入れざるを得なかった。アスカはそんな様子を馬鹿にするように、ふん、と鼻で笑う。

「う、うっさいわね。メイド服着て何言っても、説得力なんかないんだから」
「うぅ……何もいえま戦場ヶ原よ……」
「ぁ、う、ええとぉ……まぁまぁ、それは置いといて……ここからだと、そうですねぇ……」

肩を落としてべそをかく綾乃(と、シュールなギャグ)を愛想笑いでなだめながら、初春はアスカからフロアマップを受け取り、エレベーターの壁に広げた。

「三階のフードコートエリアなら、フロアの端、鰻の寝床みたいな所ですから、敵の侵入方向が入り口に限られます。
 区画性質上、入り口には鉄の防火シャッターもありますし、テナントの厨房には武器もありそうです。
 おまけにそれなりに広く見渡しが良いのでいざという時もやりやすいと思います……うん、日記にもそう出てます。道中は安全みたいですよ」

交換日記を見ながら、初春が言う。アスカは腕を組みながら頷いた。

「決まりね。行くわよ。ところでエレベーター、さっき何か弄ってたけどちゃんと使えるの?」
「独立運転にしましたが使えます。特殊な動かし方しか出来ないので、敵さんは使えないと思いますが」

初春はなにやらボタン操作をしながら答える。
独立運転の事を綾乃が初春に訊くと、搬入用の、内部操作しか受け付けない特殊操作への切り替えです、と初春が説明した。

「二階から階段を使用します。そっちの方が近いので」
「オーケイ」
「了解です」

二階に着き、アスカを先頭に三人は進む。ここまで奇跡的に日記も特に目立った反応をしていない。
順調だ、と初春は思った。否、順調過ぎる。
勿論、防災センターを抑え、施設の照明を落とすなりシャッターを一斉に降ろすなりといった大規模作戦や脱出こそ防がれたものの、
少々上手く行き過ぎではないだろうかとふと考える。
形容できない不気味さを感じながら、初春は日記を見た。未来に何らおかしな部分は無い。全てが予知通り。
でも、本当にこれでいいのだろうか。何か、見落としていやしないだろうか。一抹の不安を抱えながら、初春はアスカの背を見る。
……そろそろ、階段が見えてくる頃だ。



「ねぇ、アンタ達、テレビの中の、怪物と戦う正義のヒーロー、見たことある?」



不意に、アスカが正面を見たまま思い出した様に呟いた。綾乃と初春は小首を傾げ、互いを見る。
意図がつかめないまま、二人は怪訝そうにアスカの横顔を覗いたが、彼女の目は前髪に隠れて二人からは見えなかった。

526スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:52:41 ID:lhrTcDrE0
「そりゃあ、ありますけれど……どうしたんですか、いきなり」

綾乃が目を白黒させながら言う。

「自分がそんな正義のヒーローになったらって、少しでも考えてみた事、ある?」

……巨大なロボに乗って戦う、ヒーローにとかにさ。アスカは綾乃の質問を無視する様に、足を進めながらそう続けた。

「……はい」初春は呟く。「あります」

アスカは足を少しだけ止めたが、背後を振り返る事なく、直ぐにまた足を踏み出した。角を曲がって、階段に差し掛かる。

「正義のヒーローは、街も勝手に壊すし負ける時もあるの。誰かを殺す時だってある。殺人鬼って、責められる時もある。
 でもね、正義のヒーローはそこで止まっちゃいけないの」
「どうしてですか」

初春は間髪入れずに質す。
アスカの酷く寂しそうな背中は、その話がただの“例え話”ではない事を、背後に立つ少女達に教えていた。

「オトナと社会は、そこで止まる奴は卑怯者だって、もっと責めるから」

アスカは目前の階段の先を見上げる様に、立ち止って頭をもたげると、一拍置いて答えた。
右足が1段目に乗る。こつり、とローファーが長尺シートの床を叩いた。

「自分の心も、友達も、感情も。常に何かを、誰かを犠牲にし続けて、正義は正義として、掌をすぐにでも裏返す薄情な何処かの誰かの為に死ぬまで動かなきゃいけないから」

「……正義って、なんなんだろう」
呟いたのは、ずっと沈黙を貫いてきた綾乃だった。
「私、よく分からなくって。自分にそんなもの、あるのかも」

綾乃は力無く笑うと、続ける。

「だから、2人がすごいなって思うの。今まで当たり前の平和しか、知らなかったから。すごい、本当に。私なんか全然ダメ」

「……解らないのよ」アスカは前を見たまま静かに言った。「正義がなんなのかなんて、誰にも解らない。ただ」
「ただ?」
綾乃が神妙な面持ちで問う。アスカは肩を落として笑った。

「きっと皆、口実つけて納得してるだけなのよ。
 結局、私もよくわかってないし。譲れない何かを正当化する為に、正義って名前をつけて納得してるだけ。
 だから、ちっともすごくなんかないわ」

果たしてそうだろうか。綾乃は拳を握りながらそう思った。
正義って、そんなによくわからない、何かの言い訳になるような、ふわっとした代物なのだろうか。
少なくとも、そんな卑怯で便利な言葉ではないと思っていた。芯が通った、一本の鈍く輝く槍のようなものだと思っていた。
でも……なら、“正義”って、一体なんだろう。
私だけ、分からないままだ。そんな事、少しも考えたことなかった。
私の“正義”って、何だろう。
私は、初春さんやアスカさんみたいに、はっきりとした意見を言えるだろうか。
……“正義”って、なんなんだろう。

527スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:55:19 ID:lhrTcDrE0
「正義の反対もまた正義だ、なんて何処の誰が言ったか知らないけどね。
 あんなの、てんで嘘っぱち。だって、だったらなんでもありでしょ?」

アスカが半ば吐き捨てる様に呟いた。
ナンデモアリ、と綾乃は鸚鵡の様に繰り返す。なんでもありよ、とアスカは続けた。

「だって、正義であればなんでも正当化されちゃう事になる。
 ……多分人はね、正義っていう口実があれば幾らでも残酷になれんのよ。戦争も、虐殺だってそう。
 だから多分、こぞってみんな“せいぎ”が好きなの。私はね、本当はアンタらに訊きたいくらいなのよ。知りたいの」

アスカは階段を登りきると、窓の外の空を見た。一面が藍に染まった闇の水面に、白銀の星が瞬いている。


「この空の下に、正義なんて―――――――――――――――――――――本当にあるのかって」


ぽつぽつと、冬の新東京に降る雨の様に、アスカは呟いた。その背中は酷く寂しそうで、綾乃は声を掛けることが出来なかった。
そうして口を間一門に噤む綾乃を尻目に、初春は半ば反射的に口を開く。
しかし彼女に歯向かう為の言葉も、その行方も分からず、当てもなく開いた口を閉じる。
反論すべきという理由もない反骨心だけが、初春の心の中で、水面に浮かぶ葉の如く不安定に揺れていた。

「ねぇ」

そんな気持ちを知ってか知らずか、アスカはそう言って二人へ振り返る。ふわりと天使の輪が浮かぶ栗色の毛が揺れて、煤けた空色のスカートはバルーンを作った。
綾乃と初春は、しかし思わずアスカの面構えを見て息を飲んだ。
疲れ果てた、或いは泣き出しそうな。そんな、指で触れれば崩れかねない曖昧な表情が端正な顔に浮かんでいたからだ。
それは彼女の迷いだったのか、一瞬見せた弱みだったのか。
何れにせよ、その表情は次の瞬間にはいつもの気丈なそれへと変わっていた。
廊下には、窓から漏れた星明かりが菱形に切り取られて差している。
その光はまるで壇上を照らすスポットライトの様に、三人を包み込んでいた。

「それでもアンタ達は、正義になりたい?」

アスカの問いに、二人の少女達は考える。
誰かから恨まれても、石を投げられても、それが正義かどうかも分からなくても、正義を掲げる覚悟が、自分にはあるだろうかと。
小さなことでも、そう、ゴミを拾ったにも拘らず偽善と罵倒され、倒れた自転車を直しただけで犯人ではないのかと勘繰られ。
全く見返りがなく、損しか無くとも正義だと胸を張れるだろうか。
本物に、全てを仇で返されても平気なのだろうか。少しでも、腹が立たない保証なんて、あるのか。
利が目的ではないのだと、“してあげたのに”と、僅かでも思う心は、本当に無いと言い切る事が、果たして出来るだろうか。
出来ないというのなら、それは本当に、真の正義なのか。

「……私、は……」

初春は瞳を閉じる。瞼の裏側は、夜より深い漆黒の闇だった。辺りには、星一つありはしない。

528スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 17:59:50 ID:lhrTcDrE0
とぐろを巻きながら、思考の海で光が、正義が歪み、闇へ、深淵へと沈んでゆく。光の届かぬ、暗闇へ。空気の尽きた、死の底へ。
待って下さい、と初春は闇海の中で叫んだ。声の代わりに、ごぼごぼと口からあぶくが吹き出す。冷たい水が、容赦無く細い白い四肢から体力を奪ってゆく。
もたつく足をばたつかせ、初春は必死に届けと手を伸ばした。けれども指先の隙間をくぐり抜け、少女を嘲笑うように正義は堕ちてゆく。
待って。初春は叫んだ。声はやはり水に掻き消えて、泡沫の向こう側。
暗闇に飲まれてゆく正義を、濁りきった視界で見届けながら、ただ、思考の海中をゆらゆらと彷徨う。
初春は堪らず身震いをした。得体の知れぬ茫漠とした不安だけが、やはり胸の芯をきりきりと痛め付ける。
怖い。
そうだ。何時だって怖かったのだ。
正義が何処か遠く、自分の手の届かぬ彼方へ、消えてしまうことが。
理由と行先を失って、海原を漂うことが。
風紀委員という舵を、失うことが。
初春はゆっくりと瞼を開く。正義の正体は、きっと、少なくとも綺麗なものなんかじゃあ、ないのだろう。
だけど、それでも見つけ出して、認める必要がある。

……あの日あの時あの場所で、確かに私の中で何かが“せいぎ”になったのだと思う。

でもその先があった。その先の正義だって、本当は“せいぎ”でしかなかいのかもしれない。
なればこそ正義のその先の、何かがきっとあるのだ。そしてそれは、今度は自分自身で掴み取る必要がある。
何かに頼るのではなくて。
何かに、自分を変えてくれると期待するのでもなくて。
誰かの言葉に、約束に、導かれるわけでもなくて。

初春は瞳を静かに開いた。開く視界の先には、窓の外で煌めく、何を祝福するわけでもない、数多の星の海。

「少し、待ってくれませんか」
初春は言った。
「……解らないんです。私はきっと、まだ何も知らない雛鳥だから」

嗚呼、だけど。
だけど何時だって雛は、やがて飛び方を見つけて巣を飛び立つのだ。

「考えなさい。誰かの言葉でも、何かの決まりでもない、アンタのその花が咲いてる平和な頭でね」

“正義”の先の何か、私に、見せてよ。アスカは笑ってそう呟くと、踵を返して前に進みだす。

だから、彼女は気付けなかった。
初春飾利の顔だけでなく、杉浦綾乃の顔に、黒い影が差していたことを。

529スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 18:02:59 ID:lhrTcDrE0
時は戻り、フードコート。ここで漸く状況は回転し、止まっていた時計は動き出す。

「うわ、つめたっ。……アレ? 水、こんなとこまで溢れてきてるわね」
不意に、綾乃が呟いた。アスカが覗き込むと、その水は鉄のシャッターの向こう側から、隙間を通って滲み出してきているようだった。
「多分、スプリンクラーの水でしょ。……雑巾とか無いの?」

アスカが言った直後、初春の思考を何かが乱した。混線したように、クリアだった思考がノイズと共に濁りだす。
どくん、と心臓が跳ね、嫌な汗が背筋をつうと流れた。頭のなかで、警鐘が鳴る。水。スプリンクラー。……本当に?
スプリンクラーが作動したのは、一階のはずだ。此処は三階。
スプリンクラーから溢れた水が染みてくるなど、ましてやそれが今頃になって流れてくるだなんて、有り得ない。
ならば、どうして? 決まってる。そんなことを出来る人間は、そんなことをする人間は、一人しか、いないじゃないか。
ざざあ、と、ポケットの中からノイズの音。見なくとも、画面の文字は想像できた。デッドエンド。自分達の、死の未来。

「違う!! それは!!」

初春が咄嗟に叫ぶ。え、と間の抜けた声が綾乃の口から漏れた。
辛うじてその真意に気づいたアスカも、叫んだ張本人の初春も、反応が二歩遅かった。




「みぃつけた」




何処からか聞こえた声に、ぞわり、と三者の全身に立つ鳥肌。生暖かい舌で全身を舐められるような不快な感覚が、肌を包む。
瞬間、どう、とフードコートの入り口の方から大きな音がした。いや、音というよりはそれは強い衝撃に近い何かだった。爆音か、或いは重力か。
体の芯まで音が伝わり、びりびりと妙な圧力が肺を押す。空気と、壁と、天井と、床が、何かに恐れるように震撼した。
揺れる世界に身体のバランスを崩され、弾き飛ばされながらも、三人のうちアスカだけは、その状況を確りと双眸で把握していた。
鉄のシャッターを水圧で破壊し尽くしてもなお、緩まることのない出鱈目な速度で水流が部屋に入り込んでおり、
また、砂埃と濁流の嵐の中、廊下に、一人の人間が立っていた事を。
羽織っているフード付きのカナリアイエローの雨合羽は、きっと道中で入手したのだろう。

アスカは目を細める。黄色は幸せの象徴とか言うけれど。残念、こいつだけは例外。何が幸せなものか―――ねえ、死神、御手洗清志。

「―――――――――――――――――――――逃げろッッッ!!!!!」

叫んだのは、アスカだった。
体勢を崩した初春と綾乃が、ここで漸く状況を、奇襲を理解する。
そうしてアスカを、その視線の先の御手洗を、その醜悪な顔を見て、二人は明確な死の予感に戦慄した。

「早く!!!!」

アスカが間髪入れず叫ぶ。
「い、嫌です!!」
真っ先に反論したのは、最もアスカから遠くまで濁流に弾き飛ばされた綾乃だった。アスカは目線だけで周囲の状況を確認し、溜息を吐く。
「意地ぃ張ってる場合じゃないでしょ! 馬鹿ッ!!」
「でもそんなこと見捨てるのと同じです! そんなの出来ない!!」

530スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 18:11:42 ID:lhrTcDrE0
ばたばたと近づいてくる音に、アスカはうんざりしたように舌を打った。
ふと後ろを見れば、綾乃は直ぐ側まで近づいてきている。アスカは自分の頭にふつふつと熱い血が上るのを感じた。

「近づくな! 的が一箇所に絞られるだけよ! つべこべ言わず逃げなさい馬鹿ッ!」
「でも、でもッ!!」
「でもじゃないわよ!! いいから逃げろっての!」

アスカは側に寄る涙目の綾乃を払いのけると、横目で御手洗を見る。目の前に、水兵が迫っていた。
いつの間に、と、疾い、が重なり、体が一瞬強張る。その隙を見逃すほど、御手洗は生易しくはなかった。
人型をした水兵の蹴りが、アスカの土手っ腹へめり込み、インパクトと共に体を弾き飛ばした。

「誰も逃がさないよ」

綾乃と初春は、思わず口をぽかんと開けた。
アスカが胃の中のものを空中にバラ撒きながら、まるで人形か何かのように数メートル吹き飛び、フードコートの椅子と机をなぎ倒しながら、沈黙する。
一拍置いて、綾乃の黄色い悲鳴が上がる。最悪の状況だ、と初春は思った。

「うるさいな、お前」

御手洗は無表情のまま通路に立ち尽くし、三体の水兵をフードコートの内部へ放つ。無抵抗の綾乃を、その三体は蹂躙せんと跳びかかり―――

「させ、ませんッ!!!!」

―――白煙が、それを阻害した。

「初春さん!?」

綾乃が見ると、初春の手には、赤い大きな円筒と、黒いノズル……消火器が、握られていた。
初春は重そうに抱えていたそれを放り投げると、綾乃の手を取り引っ張る。

「逃げましょう、皆で!!」

初春は叫んだ。二の句を待つこともなく、瞬く間に消火剤はもうもうと辺りを満たし、この場にいる四人の視界を封じていった。
初春は煙のまだ届いていないアスカの元へと駆け寄り、アスカの頬を叩く。アスカは何度か咳き込み血液混じりの唾を吐くと、不快そうな顔をしながら腰を上げた。

「痛ったァ……だから早く逃げろっつったのよ、このっ、馬鹿……」
「式波さん、血が!」

狼狽える綾乃の言葉に、アスカは口元を拭う。血に染まるシャツを見て、舌を打った。内蔵をやられてはいないだろうけど、一撃でこのザマだ。

「大したこと、ないっての……別に腹、痛くないし。口の中切っただけよ」
「でも、血が!」
「煩いッ! アンタらは逃げなさい。さぁ、走って! 早く!!」
「何言ってるんですか!? 皆で逃げるんです!」

531スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 18:14:35 ID:lhrTcDrE0
震える金切り声で叫んだのは、初春だった。アスカは違和感を感じて、少女の顔を見る。
一番冷静そうな彼女の顔は、しかし冷や汗でぐっしょりと濡れ、双眸は何処か焦点が合わず、紫色の唇はぶるぶると震えていた。
拙いな、とアスカは眼を細めた。同時に、部屋の中をざあざあと雨が降り始める。
いいや、雨ではない。煙にスプリンクラーが発泡したのだ。これでは折角の白煙が晴れるのも時間の問題だな、とアスカは思う。
やれやれ、そろそろ仲間ごっこも潮時か。

「……手負いの私を抱えて逃げるって? 冗談はよしなさいよ。早く逃げなさい。私のことはいいから、早く。
 いい? バラバラに逃げるのよ。生存確率を少しでもあげる為に。後方通路にはいったら二手に別れなさい。外で落ち合うの。携帯があるから大丈夫よね?」
「でもッ!!」
初春が鼻水を垂らしながら泣き叫ぶ。
「走りなさい……このままじゃ、皆仲良くあの世行きよ」
「嫌です!!!!!」
アスカの顔から笑みは消えている。本気で言っているのだ、と綾乃は理解した。
綾乃は背後を振り返る。晴れてゆく煙の向こうに、畝る水の化物と、黄色い悪魔が立っているのが薄っすらと見えた。
「走れッ!!!!!!!」
「嫌だッ!!!!!!!!!」
間髪入れず初春が叫んだ。今にも壊れてしまいそうな、酷く不安定な表情だった。アスカは大きく息を吸う。




「走れえェえぇエェぇぇェェぇえエぇェェェぇぇえェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェッ!!!!!!!!!!!!!!!」




天からの一閃、青天の霹靂。
雷が、綾乃と初春の脳天を打った。
その声に二人は肩を、体を、心を震わせる。断末魔の様なそれは最早願望の類ではなく、命令にさえ感じられた。
心、違う。或いは、いのち。その言葉には、命や魂のような何かが篭っていた。
二人は潤む瞼を必死に拭い、踵を返す。従わなければならない。本能でそれを理解したからだ。
まさに、脱兎の如く二人は暗闇へと駆け出す。納得のできないまま、ただただ背後を振り返らず、風のように後方通路へと駆け抜ける。

「そうよ、それでいいの……あんたらまで死なせちゃ、私の立つ瀬が無いっての」

誰もいなくなった部屋に立ち、アスカは天井を仰ぐ。スプリンクラーから溢れる雨を顔に受けながら、アスカは溜息を零した。
同時に、ぱちぱちぱち、と乾いた拍手の音。アスカは咄嗟にキッチンから拝借しておいたナイフを抜いて振り返った。
白い粉塵の向こう側に、ぼんやりと黄色の影。二秒遅れて白煙が晴れ、そいつは姿を現す。

「かっこいいね。正義のヒーローのつもりかな?」

悪魔の様に冷酷な笑みを浮かべながら、御手洗清志はそこに立っていた。

「はっ」
アスカは少年を鼻で笑う。
「笑わせてんじゃないわよ。アンタこそ英国紳士のつもり? その割には餓鬼臭いけど。身分不相応もここまで来るとギャグね」

御手洗はその言葉に、被っていたフードから頭を出し、にかりと嗤う。
紳士。自分には似合わない台詞だ、と思った。身分不相応、か。成程言い得て妙だ。

「僕は外道じゃあないからね。でも残念。お前もあいつらも、此処で死ぬんだぜ。今頃光子がどっちかを追ってるはずさ」

532スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 18:18:45 ID:lhrTcDrE0
成程それであの女狐が居なかったのか。存外ヤバイかな、こりゃ。
アスカは内心そう思い舌を打ったが、いいや、とすぐに思い直した。
信じる事くらいしてやらなければ失礼だ。それに、こいつを一瞬でのして助けに行けば良いだけなんだから。
ま、それが出来れば苦労はしないんだけど。

「あーら、本当にそうかしらね? あんたみたいなモヤシに私、負ける気しないけど?
 それに、あまりあの子達を舐めない方が良いわよ。“窮鼠猫を噛む”……確か、日本の諺よね?」

アスカは額に脂汗を浮かべながら、不敵に笑った。裏打ちのない口上は、虚勢以外の何物でもない。
勝率は、正直な話、ゼロに限りなく近い。アスカ自身それを理解していた。自分では勝てない。半ばその現実を認めてしまっていたのだ。
勝てない勝負はしない。戦士ならば当たり前の事だ。それを、どうして守らなかったのか。
アスカは苦笑する。不思議な感覚だった。少し前まで、誰かを殺そうとしている自分が、何故こんな下らない事をしているのだろう。
私は、誰の為に戦うんだっけ?
アスカは自分に問う。
誰の、為?

「へぇ。博識なんだ。でも、どれだけ腕っ節に自信があっても無駄だぜ。僕の水兵は無敵だからね」

余裕そうに初焼き肩を竦ませる御手洗に向かって中指を立てながら、アスカは自分を見た。
語弊がある表現だが、鼻息を荒くしている自分の背の向こう側で、冷静に自分を客観視しているもう一人が居たのだ。

「無敵っつー台詞はかませ犬の常套句なのよねぇ」

降り止まぬスプリンクラーの雨に濡れたスカートを絞りながら、アスカは呟く。
御手洗は表情だけで嘲笑った。前髪から、忙しなく水が滴る。

「ほざけよ。直ぐに挑発すら言えなくなる」

腰を低く落とし、アスカは懐からもう一本、ナイフを取り出した。
右に長めのナイフ、左に短いナイフを構え、じりじりと距離を詰めてゆく。ナイフの切っ先を、雫が滑り落ちた。

「つべこべ言わずかかってきなさいよ、クソガキ」
「言われなくともそうしてやるよ、クソアマ」

ぱちん、と御手洗が指を鳴らした。それを合図に五体の水兵が濡れた地面から立ち上がる絶望的な景色を見ながら、アスカは自嘲する。
自分がやった事は、何の事はない、ただの自己犠牲だ。
それを果たして、“守る”と言えるだろうか。自分が死んで、彼女達を逃がす時間稼ぎになったとして、それは、彼女達を守ったのだと、胸を張って心の底から言えるだろうか。
いいや、言えないだろう、とアスカは水兵の初撃を紙一重で避けながら思った。言える筈がない。
チナツにやられた事を、自分はあの二人にしようとしているのだ。この荷を全て無責任にほっぽり出して、あの二人に横から投げつけようとしているのだ。

「どこまで逃げ切れるかな?」

そこまで考えたところで、空気を震わせる生暖かい声に現実へと引き戻される。
はっとした瞬間には、既に目前へ鞭のようにしなりながら迫る水兵の薙ぎ払い。
かろうじてそれをジャンプで躱すと、アスカは中空でナイフを流れる様に投げた。
右手の一本、左手の一本、更に懐から三本。
風を切るように投擲された計五本は、具現した水兵の脇をすり抜け、御手洗の体へと正確に照準を定めていた。

533スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 18:20:27 ID:lhrTcDrE0

取った。

アスカは空中で身を翻しながら、そう確信した。
水兵の弱点は、術者が手薄になる事にある。能力に絶対の信頼を置き、かつ完全に攻撃を水兵に任せている御手洗は、安全圏でポケットに手を入れ仁王立ち。
懐は完全にガラ空きだ、とアスカは睨んでいた。故に狙うならば先ず本体から、と。

二秒と満たぬ滞空時間の狭間で、しかし―――――――――そのアスカの考えは、見事に打ち砕かれる事になる。
瞬きすら遅い、そんな圧縮された時間の中、朧げな星明りに反射するナイフの切先の向こう側。
御手洗の姿が、その表情が、アスカの網膜に焼きついた。
息すら飲めぬ刹那、二人の視線がナイフの軌跡越しに交差する。

違う。

アスカは思考を経由せず、半ば本能で誤りを理解した。
何故なら五本のナイフの弾丸を前にして、その絶体絶命な状況を前にして、けれども御手洗は―――笑っていたのだ。
御手洗が羽織るカナリアイエローの雨合羽。その隙間から、フードから、ボタン掛けから、袖から。細かい縫い目から。
彼を守る様に、或いは閉じ込める様に水が咲き、彼を中心として瞬く間に球体状の水のヴェールを作り上げた。

疾い。

アスカは舌を打ちながら思った。疾過ぎる。用意していなければ到底出来ない対処速度だ。
投擲されたナイフ達が虚しく水の壁に呑まれてゆく様を細めた見ながら、アスカは着地する。
読まれていた。アスカは苦虫を噛み潰す様に歯を軋ませる。その事実は百戦錬磨であるはずの彼女にとって、少なからず屈辱に値した。

「残念だったね。遠距離で僕を直接狙うのは想定済みだぜ!」

御手洗はくつくつと笑いながら吐き捨てる様に叫んだ。水のドームに浮かぶナイフを一本手に取ると、御手洗はそのままナイフで薙ぎ払う様に、水流のドームを解除する。
ナイフの軌跡に沿って弾ける数百の細かい雫の向こう側を、アスカが居るはずの着地点を、御手洗は睨んだ。

そう。
居る、はずの、だ。

瞬間、御手洗は思考に一瞬の空白を余儀無くされた。
二秒。
御手洗が状況を理解するまでに要した時間だ。
何故居ない、どこへ消えた。逃げたのか。そう思ったのが半秒。
もし、水兵の盾とナイフを目晦ましに利用したとすれば、と仮定を立てるまでに1秒。
ならば、敵は死角。背後だ。そう結論付けるまでに、半秒。
その二秒間があれば、アスカには十分過ぎた。



「でも、私の方が一枚上手ね」



死角からの妖艶な声と同時に、強い衝撃と鈍い痛みが御手洗の背を走った。
恐る恐る御手洗が頭を下げ背後を見れば、鬼の形相のアスカと目が合う。確りと握られた果物ナイフは、深々と背に突き刺さっていた。

534スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 18:23:32 ID:lhrTcDrE0
「アンタの手品、シーマンとやらは、オートじゃなくリモート系の操作能力。それは一回目の戦闘で解ってた。
 幾らあんたが賢くたって、だったらせいぜい動かせるのは五体が限度だろうって目算もあった。
 だから、先ずは本体を狙う。咄嗟の対処でまず間違いなく他の五体は動きが止まるから。
 次に、目を奪う。リモートなら、目視は絶対条件よね? その証拠に、アンタはわざわざ戦場に出向いてきてる。
 あの水のドームは悪手よ。アンタねぇ、わざわざ自分で死角作っちゃだめでしょーが」

アスカはナイフを刺したままぐるりと回転させ、にかりと嗤った。一泡吹かせてやった、そんな表情だった。

「敗因は、アンタが馬鹿だった事よ。覚えときなさい」

御手洗は崩れ落ちる様に、がくりと膝を床につく。
ただ。



「……は、……だ」



ただ、誤算があったとすれば。

「馬鹿は、お前だ」

アスカに誤算があったとすれば、それは御手洗の雨合羽の下の水兵が、一匹だけだと思っていた事だろう。
内臓の中から震え上がる様な、心臓の中から血が凍りつく様な、そんな冷たくねっとりとした声色で、御手洗は嗤う。
アスカは反射的にバックステップで距離を取った。
拙い。
そう思った時にはもう遅い。カナリアイエローの雨合羽がばさばさとはためき、隙間という隙間から、水が溢れ出す。

「二人も仲間を散らせた癖に、背後を防御しておかないわけがないだろ」

予想外の出来事に強張るアスカの全身へ、溢れ出した水が蛇の様に絡みつく。
アスカは、抵抗せず諦めた様に笑った。

「あーあ。私の、負けね」

……ああ、そうか。

目前に高速で迫る化け物を、腕と足を舐める様に絡まる水の触手を見ながら、アスカはようやく理解した。

呪いだったのだ。

自己犠牲は、呪いだった。生き残った人間に深い傷と自責と後悔を強い、“守る”事に異様なまでの責務を感じさせる、呪いだ。
何で、それを今更。
守る事に躍起になって、任された事を枷にして、役割を、役者になって履行していた事に、今更気付くなんて。
死んだところで、この役割が移動するだけなのだ。
守っているのではない。呪いを掛け直しているだけだ。残った者はまた自分を犠牲にして誰かを助ける。その連鎖だ。
そうする事でしか、この心の痛みも、罪も、傷も、癒えないのだ。


「参ったわね、ホント」


顔が化物の水面に沈んだ瞬間、アスカはナイフを水中で手離しながら苦笑した。

535スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 18:27:36 ID:lhrTcDrE0
視界が濁り、口からぼこぼことあぶくが出て行く。ゆらゆらと水に揺れる髪の向こう側に、屈折した星の光を見た。
冷たい海の中でアスカは、当然の様に抵抗をしなかった。無駄だと理解していたし、色々な事が心底うんざりだった。
死を享受しているのかもしれない、とアスカは思った。……死を、享受?
……本当に?
脳裏で真っ赤なワンピースを着た小さな女の子がけたけたと狂った様に黄色い声で嗤う。
ぼろ切れの様なぬいぐるみを大事そうに抱きながら、女の子は不意に嗤うのを止めて私を睨んだ。

うそつき。

そいつはただ一言、私にそう言う。
がぼり。口から大きな泡。酸素が、足りない。苦しくなって、目をかっと見開く。苦しい。苦しい。くるしい。嫌だ。
だれか、誰か。だれか、おねがい。たすけて。
水面から出ようと、手足でがむしゃらに水を掻いた。水面は訪れない。
嫌だ。アスカは叫んだ。嫌だ!
早く。くるしい、くるしい。いや、いやだ。嫌っ。いや。いきたくない。しにたくない。死ぬのは、嫌。
こんなに苦しみながら、どうして私が死ななきゃいけないの。孤独に、誰にも愛されずに、どうして、私が。

アスカは血走った目をぐるりと動かす。靄がかかった水のヴェールの向こう側の少年と、目線が交差した。
アスカはそいつに向かって手を伸ばす。殺してやる、と言ったが、声にはならず泡沫と消えてゆき、代わりに大量の水が口と鼻の中を逆流していった。

こんなに苦しいなら、いっそ助けなければよかった。アスカは歯を剥き出しにしながらそう思った。
あいつらを犠牲にして、生き抜けばよかった。私は、私の為に戦って、私の為に生きたかった。
どうして、何の為に、そこまで。あいつらを守っても、私には何もないのに。そんな事最初から理解してたのに。

でも、そう。じゃあ、なんで私は守ったのだろう。本当に呪いだったのか、そうじゃないのか、それが私の正義だったのか。
嗚呼、解らない。解らない。

ねぇ、ママ。わからないよ。わたし、どうすれば、よかったの。

アスカは落ちてゆく意識の底で、死への恐怖の中で、それでもなお考え続けた。
憎悪と、後悔と、憤怒と、そして満足感が入り混じるイドの底へ、落ちてゆく。堕ちてゆく。

正解は、誰にもわからないブラックボックスの中。















沸き上がる罪悪感に顔を伏せ、ただ、逃げる。
身体が、火を噴く様に火照っている。喉は干上がった湖の様にからからで、髪の毛の先から足のつま先まで、全身の全てが酸素を欲していた。
ぜぇ、ぜぇ、と体で息をする様に、水面に口を出す魚の様に、ぱくぱくと間抜けな顔で空気を吸う。
心臓は少ない酸素を身体の先の先までくまなく送ろうと、今にも爆発しそうな音を上げながら、胸の中心で跳ねていた。
びっしょりと、全身は生温い汗で濡れていた。シャツが肌にびったりと張り付いて、酷く気持ちが悪い。

536スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 18:29:02 ID:lhrTcDrE0
酸素が、足りない。
少女は先ず、痺れて感覚が無い手脚を全力で振りながら、そう思った。
霞む視界、縺れる足、震える手。暫くして何かに躓き、盛大に倒れ込み地面へ顔を擦った。かっと目を見開き、少女は全身を震わせる様に息を吸う。
四肢が立ち上がる事を拒否していた。乳酸が溜まった足が、ぶるぶると悲鳴を上げる様に痙攣している。
限界だった。もう、走れない。少女は己の体力の無さを呪った。

「っばァ゛! がっ、はぁ、がぁ、はぁ、ハァッ! アバァっ、ハァ……んくッ……はぁ、はっ、ハァ! うっゔ……ゔゔゔゔゔぅッ……!!」

止めてしまった。止まってしまった。
少女は、初春飾利は、身体をくの字に曲げて喉の奥から、肺の奥から、肺胞の一つ一つから、内蔵を捻じ切る様に様に叫んだ。
止まりたくなかった。走る事だけをただ真っ直ぐに考えていたかった。足も、思考も、目線も、ただ前だけを見て、前だけに進みたかった。

「ゔゔゔゔっ……ぐぅぅぅぅ゛ッ……!!」

がんがんと、初春は頭を何度も床に打ち付け、水っぽく咳込むと、身体を小さく丸めた。
涙と鼻水で顔を情けなく汚しながら、唇をぎりぎりと噛む。鉄の味がした。
なんて、情けない。なんて、無様。初春は血を絞り出す様に嗚咽を漏らした。

「な゛に、が、ぜい゛ぎっ……!!」

腹の底から、初春は叫んだ。打ち付けた額から、脂汗と血が滲む。

「ばも゛れ゛ばい゛ッ……だれ、びどり゛ッ……!!」

正義が聞いて呆れる。お前は、誰も守れない。ただの尻尾を巻いて逃げた負け犬だ。
最低の、人間だよ。少女の中で蠢く影が嘲る。
逃げたのだ。初春飾利は、式波=アスカ=ラングレーを見捨てて、あの状況から無様にも逃げ出したのだ。
迷いも何も関係あるものか。信頼も何もあるものか。あの地獄へ、一人の少女を置き去りにしたのだ。自分の命欲しさに、殺したのだ。それが結果だ。
そんな正義があるものか。そんな正義が居るものか。そんな人間が、生きていいものか。

……でも、あの状況ではああするしかなかった。そうでしょ? 私は何も悪くないよね?

胸の奥にぽっかりと空いた穴の奥で、影がそう言ってけたけたと嗤う。

ひとりでも生きなきゃいけないもん。だから、1人くらい居なくなったって平気平気。全員が死ぬより、よっぽど良いでしょ?
仕方ないよね。だって私、弱いもん。助けられないんだもん。だから、見捨てたんだよね? ねぇ、違う?

影が馬鹿にする様に言った。
やめて。初春は叫ぶ。やめてください。
声にならない絶叫がデパートの中に響いた。堪らなくなって、初春は嗚咽を漏らしながらがりがりと床に爪を立てる。
痛い。指先も、頭の中も、心も。胸が抉られる様な酷い鈍痛に、初春は堪らず競り上がる何かを吐き出した。
びたびたと吐瀉物が床を濡らす。鼻の奥から、つんと酸の臭いがした。何度か胃の中のものをぶちまけて、初春は震えながら深く息を吸う。
汚い。そう思った。自分も、正義も、世界も、現実も。全部、全部、濁っていた。視界に映る全てに吐き気がする。
助けて、と初春は小さく呟いた。だれか、だれか。

「だれでもいいんです……だすけて……おじえでぐだざい……わだじ、どおずれば、よがっだんでじょおが……」

537スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 18:38:32 ID:lhrTcDrE0
静まり返った空気は何も答えない。此処には誰も居ないのだ。
お調子者のスカート捲り魔も、突っ走りがちの正義感の塊のような親友も、そんなメンバーを纏める、みんなのヒーローも。
初春は嗚咽を漏らしながら、咳をした。脳裏に浮かぶのは、あの人の大きな背。私の、一番だいすきな、親友の背。

……佐天さん。貴女なら、どうしますか。

初春はその背に訊いた。彼女は手をひらひらと翻し、解らない、とこちらに背を向けたまま言った。

……解らないわよ、そんなの。その時にならなきゃ解らない。それに、私、初春じゃないから。
でもね。少なくとも、その時にやりたいって思った事をするんじゃないかな。正しいとか正しくないとか、きっとそーいうのじゃ、なくってさ。

彼女は続けた。力がなくても、未来が決まっていてもですか、と初春は間髪入れずに言った。
彼女は頷きながら振り返る。とびきりの笑顔だった。

当たり前じゃない。初春、忘れたの?
“想いを貫き通す意思があるなら、結果は後からついてくる”。ねえ、そうでしょ?
……だから、いってらっしゃい。

その言葉に、はっとした。胸の奥がじんと熱くなり、全身が震える。目が醒めるようだった。頬が打たれるようだった。
そうだ。そうだった。そうだったんだ。
ふらふらと立ち上がり、初春は笑う膝に鞭を打つ。ぐしゃぐしゃになった目と口元をぐいと拭うと、初春は情けない顔で背後を振り返った。
廊下の向こうまで、漆黒よりも濃い暗闇が続いている。
死の淵へと続く茨道だ。進めば、二度と戻れない。願いにも背くことになる。失望されるかもしれない。何も出来ないかもしれない。
初春は酸味の残った鼻水を啜りながら、足を床に擦りながら後退った。
怖い、でも。

―――いま、私が思う、やりたいこと。

初春は目を閉じる。赤みを帯びた闇があるだけで、そこにはもう親友は居ない。
でも、十分だった。夢幻でも、妄想だろうが、十分だったのだ。

「いってきます」

ポケットの携帯から、砂嵐に似たノイズが走る。未来が変わった瞬間だった。









538スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 18:48:21 ID:lhrTcDrE0
杉浦綾乃は走っていた。この場で最も正義に対して無知である彼女もまた、葛藤の迷路の中を突き進む。
心臓が胸を突き破って、飛び出しそうだった。周りの景色から、色が抜け落ちて見えた。周りの音は聞こえない。
匂いも何も感じず、自分の荒い呼吸と心音だけが、鈍く体の中を反響していた。何処を走っているのかも、何故走っているのかもよく判らない。
本当に、これが正しかったのだろうか? その疑問だけが、ぽっかりと空いた胸の中に寂しく転がっている。

「あ゛っ」

足を絡ませ、床にべちゃりと無様に倒れこんだ。ぜえぜえと全身で空気を吸いながら、綾乃は拳を握った。
走る事を止めた瞬間に、初春さんはちゃんと逃げたのだろうか、とか、式波さんは無事だろうか、とか、月並な心配ばかりが頭に浮かんできた。
そうじゃない。綾乃は倒れたままかぶりを振った。
私はそれでいいのかって事、杉浦綾乃。あんたの正義はなんなのって話よ。

「はっ、はアッ……わ、はあッ……わた、し……ハァ!……私、……違う……」

綾乃はゆっくりと立ち上がると、目の前を見た、下に降りる階段だ。これを降りきれば、安全に外へ出ることが出来る。
アスカはそれを望んだのだ。自分の身を呈して、与えてくれたチャンス。無駄にする訳にはいかない。
死になくなければ、降りればいい。初春だってそうしてるはずだ、と綾乃は汗を拭った。
今更戻るだなんて、むざむざ死ににいくようなもの。まだ、当分そちらへ行くつもりはないと、誓ったばかりじゃないか。
だったら、答えは出ているはずだった。彼女を見捨てて生き残る。それだけの、単純明快なお話。

「でも…………私が、見た、い、のは、そんな……未来、じゃ……」

一瞬の葛藤。階段を降りようとした瞬間、その隙をつくように、悪魔は現れた。




「あらあら、かけっこはもうお終い?」




聞こえた声に、慌てて綾乃は振り返った。窓を、月明かりを背に、女が、相馬光子が立っている。
咄嗟に距離を取ろうとするよりも早く、光子の拳が綾乃の無防備な鳩尾を抉った。

「か、ぐ……ぁ、か、はっ……」

堪らず体をくの字に折る綾乃の顔を全力で蹴り飛ばすと、光子はくすりと笑った。
綾乃にとって、それは初めてに近い殺意のある暴力だった。容赦も情けも微塵もないその悪意の塊に、綾乃は床をのたうち回る。
痛い、痛い、痛い!!! 綾乃は胃液を吐きながら思った。呼吸ができない。息を吸えても、吐くことが出来ない。
視界がホワイトアウトして、じんじんと体の内側から、内蔵を刺すような鈍い痛みが迫り上がる。
続いて、網膜の裏側に火花が散った。訳もわからず、地面をバウンドする。視界が一瞬、ブラックアウトした。畳み掛けるように、灰色の砂嵐が視界を走り抜ける。
顔を殴られたのだと理解するまで、数秒を要した。慌てて顔に手を当てると、鼻から信じられないくらいの血が流れていた。
痛さよりも、先ずは熱さが顔に広がった。続いて僅かに遅れて痛みが襲う。焼けるような激痛と、炙られるような熱だった。
周囲の状況を把握するよりも早く、綾乃は此処からどうにかして逃げることを先ず考えた。敵わない。殺される。そう思った。
鼻から血を無様に垂らしながら、綾乃はなんとか逃げようと階段の方へと転がる。

539スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 18:56:31 ID:lhrTcDrE0
「うふ、まるで芋虫ね」

光子はそんな綾乃に跨ると、その細い首へと手を回した。首がゆっくりと閉まる感覚を、綾乃は初めて体感する。
顔の奥が膨張するような、喉の奥が熱くなるような、そんな感覚だった。徐々に頭の中をぼうっと、靄がかかってゆく。苦しい。息ができない。

「ば、な…離、ぜッ……!!!!」

それは、綾乃の精一杯の抵抗だった。首を絞める光子の横腹を、思い切り右手で殴る。油断していたのか、光子は悲鳴を上げて簡単に首から手を離した。
その隙を見計らうように、綾乃は全力で体の上の光子を投げ飛ばした。黄色い叫び声と共に、何か転がるような音が耳に入る。




ばたばたばたばた、ごきゃり。




―――嫌な音だった。
びっくりするくらいに呆気無く、彼女達のキャットファイトは雌雄を決してしまう。それも、不運な事故という、あまりにも拍子抜けする形で。
何が転がって、どうなったのか、綾乃には直ぐに想像がついた。その鈍い音が何を砕いた音なのか、想像できないほど綾乃は馬鹿ではなかった。
ふらふらと立ち上がると、綾乃は数回、水っぽく咳をする。息を吸うと、鼻からどばどばと血が溢れてきた。
朧げな視界が次第に晴れていき、綾乃はここで漸く周囲を見渡す。
自分が階段の踊場に立っていることに気付き、そして、その階段の下で相馬光子が頭から血を流して倒れている事を、改めて把握する。
一瞬卒倒しそうになるが、綾乃は手摺に捕まり、なんとか立ったままこの惨状を理解した。

「ち、違うわよ……私じゃない、私のせいじゃ……」

覚束ない足取りで綾乃は階段を降り、光子の元へと駆け寄った。頭から血を流しながらも、ひゅう、と苦しそうに光子は呼吸をしている。

「……まだ、生きてる」

綾乃は自分の無意識の言葉にはっとした。最初に思った事が、助けたい、ではなく、まだ生きている、だった事に、思わずぎょっとする。
ざわざわと、何か背後から黒く蠢くものが、近づいて来ていた。それに身を委ねてしまうことがどれほど容易く心地良のか、綾乃は本能的に理解出来た。
綾乃が次に思ったことは、今なら止めを刺せる、だった。生きていたことに胸を撫で下ろす感情など、微塵も持ち合わせていなかった。
自分だって、敵を倒せるのだと。これで正義になれるのだ、と思ったのだ。しかし、そんな彼女の思考を悪と断言することは誰にもできない。
それをアドレナリンとドーパミンの過剰放出に寄る、正常な思考の欠如と結論付けるのはあまりに短絡的で、
寧ろ先刻まで自分を殺そうとしていた相手に対する感情としては至極真っ当な部類であったし、剰え相馬光子は、間接的にアスカの仇であった。
この時点でアスカが無事かどうかなど、綾乃にとっては些細な問題であり、遅かれ早かれまず間違いなくその未来は在るのだ。
綾乃はアスカの死の未来を覚悟していた。相馬光子達を仲間の仇と認識するにはそれだけで十分だった。

「貴女さえ、居なければ」

540スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 19:03:51 ID:lhrTcDrE0
綾乃の目から、光が消えてゆく。氷のように冷徹に、綾乃は光子を見下した。どくん、と心臓が跳ねる。
ふつふつと憎悪と怒りの感情が、全身に湧いてくる。ぞわり、と身の毛がよだつのを、綾乃は感じた。
全身が黒く、泥色に染まってゆく。それが生まれて始めて持った殺意の感情なのだと理解するまで、時間はさして掛からなかった。
最早膨らみすぎたその感情を抑えることなど、中学生の綾乃には出来なかった。
仲間を失った憎しみと虚しさの捌け口に、目の前の死に損ないほど調度良い存在は居なかったのだ。
彼女を生かす選択肢など、最初からありはしなかった。

正義なんだ、と、綾乃は自分を納得させるように小さく呟く。
私が正義になるんだ。悪を倒す正義の味方に。私が正義で、わたしが、わたしを、私だけが。私が、やるんだ。皆の仇を取るんだ。


「私だって」


闇の中、少女は足を踏み出した。ふらふらと、誘蛾灯に向かう蝶々の様に、そこへと歩く。
それの、相馬光子の側に立って、少女は自嘲した。心の中で、暗い感情がぐるぐると渦巻いている。
激しい後悔が、肉に牙を剥いていた。少女はふと思う。私は此所に来て何をしただろうか。
ただのうのうと生きてきただけで、あの二人と違って、ちっとも立派じゃない。
正義なんて、持ってすらいなかった。

「正義に、なれる」

式波さんは凄いですよね。誰よりも強くって、勇気もあって、冷静で。
初春さんも凄いですよね。直ぐに作戦を組み立てて、咄嗟の判断も理に適ってて、ちゃんと正義感があって。
本当は、二人は私を見捨てて助かることだって出来たはずなのに。
でも、そうしなかった。ねえ式波さん。私なんかを助けて、それで貴女は満足でしたか。
あの時、私を庇ったから手負いになったんですよね。私がいなければ、助かったんじゃあないの?
初春さんは参謀、式波さんは切り込み隊長。本当は、私はマスコットなんかじゃなくて、捨て駒だったんじゃあないですか?
私には何もない。強さも、勇気も、冷静さも、判断力も、正義さえも。
マスコットだなんて、誰にでもできるじゃないですか。
意味を下さい。役割を下さい。価値を下さい。怖いの。一人になりたくないの。私は、そこに居てもいいですか。

ああ、違うの、そうじゃない。はは。何考えてるの私。馬鹿みたい。そんなこと、どうでもいいじゃない。
……でも、もう居ないから。私の知り合い、みんな死んじゃったんだよ。
嫌だよ。怖いよ。一人は嫌だ。死にたくないよ。もう、誰も喪いたくない。私のせいで、誰かを喪いたくない。
私からこれ以上、何も奪わないでよ。

「この人を」

厚い自責の念と負の感情が、ずっしりと覆い被さる。下唇を強く噛み、私は堪らず自分の体を強く抱いた。
顔を腕の中へ埋めてみる。暖かさが呪わしい。渇き切った笑い声が耳に入った気がした。震えていたのは間違なくなく、私の喉。
瞳を開いた。ぴくりと動く目の前の殺人鬼を見て、私は固唾を飲む。喉がごくりと音を上げた。
しんと世界は静まり返って、まるで世界中に自分達しか居なくて、今までの事は全部夢なのではないかと、ふと思った。
でも、夢だなんて、そんなはずはない。これは現実で、私は敵に止めを刺せる。今なら、まだ、間に合う。
皆の仇をとって、私は、漸く皆と同じ、正義になるんだ。


「殺せば」


暗い影の中、少女は目を見開いて、ぽつりと呟く。震える指先を、ゆっくりと彼女の首に回した。
小さな正義<殺人鬼>が、産声を上げた瞬間だった。










541スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 19:06:22 ID:lhrTcDrE0
言いましたよね。アスカさん。私が馬鹿なんだって。私の正義なんて、法がないここじゃあ、何の役にも立たないって。
その通りだと思います。私の正義は、借り物でした。私は風紀委員を大樹にして、影に隠れて正義のヒーローごっこをしていただけなのかも知れません。
守られた世界で、役割を演じて安心する事で、変われた気になっていただけだったのかもしれません。
私、弱い自分から、普通の自分から、少しでも変わりたいから風紀委員に入ったんです。

“己の信念に従い、正しいと感じた行動を取るべし”

白井さんが教えてくれた、大切なこと。私も、自分の信じた正義は決して曲げないと、あの時、誓いました。
ぼんやりとしていた“せいぎ”が、霧に隠れた道が、見えた気がしました。でも、それはきっとまやかしでした。
私の道は風紀委員で、私の正義は風紀委員。私の居場所は風紀委員。じゃあ、私から風紀委員を取ったら、一体何が残るのでしょうか。
それを考えるのが、怖かった。居場所も、道も、依代も。全部失うのが、怖かった。
でも、もうこの島には何もない。だから、きっと旅立たなきゃいけないんです。飛び立たなきゃいけないんです。
自分で正しい事を決めて、向かうべき道を切り開いて、自分の居場所を決めなきゃいけないんです。

あの、御免なさい。私、やっぱりそろそろ行かなくちゃ。とろいから進むのはカタツムリみたいに遅いけれど。
道が見えないから、真っ直ぐは飛べないかも知れないけれど。空には星もないから、ゴールも道標も、見えないけれど。
でも嫌なんです。もう、誰も喪いたくない。いつまでも逃げていたくない。
逃げて助かって、やりたいこともできなくて。それで、何があるんですか。誰が救われるんですか。
アスカさんはそれで満足ですか、自分一人だけ死んで、それで本当にいいんですか。

私は、嫌です。

私は弱いし、何が出来るかなんて解らない。アスカさんにも怒られるに違いない。でもきっと、無様に逃げるよりは百倍マシ。
未来なんて、どうなるかなんて知ったことですか。そりゃあ生きなくちゃいけないんでしょうけど、だって、ね。
想いを貫き通す意思があるなら、結果は後からついてくる。そうでしょ、白井さん。佐天さん。御坂さん。
だから、だから。





「―――――――――――――――――だから、私は此処に来たんです」





少女はぼそりと、飴玉を転がす様な声で呟く。
それは余りにもか細く、か弱く、儚く。
しかしそれでいて何よりも鋭く、凛として、針のように真っ直ぐだった。

542スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 19:10:33 ID:lhrTcDrE0
少年は、御手洗清志は想定外の乱入者に泡を食った。いや、ただ乱入されただけでは御手洗とてそう激しい動揺は見せないだろう。
問題は、少女の、初春飾利の胸の中にあった。初春の胸には、水兵に囚われていたはずの式波・アスカ・ラングレーが、無傷で抱かれていたのだから。

「な、何だ……? 何をした……?」

水兵は“消え”ていた。アスカに止めを刺したと油断して少し目を離した隙に、綺麗さっぱり、最初からそこには何もなかったかのように、消えていたのだ。

「……な、ん、でよ……」

口から白い泡を吐きながら、アスカが息も絶え絶え、そう零した。
何故、此処に戻ってきたのか、と。呪うような、ホッとしたような。様々な感情に混沌のした視線が、初春に突き刺さる。

「……アン、タ、馬鹿ァ……?」
「はい、馬鹿です!!」

初春ははっきりと言った。アスカは思わず目を丸くする。

「私、馬鹿なんです、ホントに。でも、自分が犠牲になって私達を逃すだなんて、式波さんはもっと馬鹿です!!
 あとでこっぴどく叱ってあげますから、絶対に生きて下さい!!! 自分を犠牲にだなんて、そんな悲しいこと、絶対にもうさせません!!」

微塵も悪びれる様子もないその口調に、アスカは苦しそうに笑う。
水を出し尽くしたスプリンクラーが放水を止め、辺りは静寂に包まれた。アスカはゆっくりと紫色の唇を開く。

「開き直り……って、ワケぇ……? 今更無力なアンタが、何しに、来たのよ……」
「まず、答えを、言いに」
「答え……? 正義になりたいか、ってヤツ……? なによ、やっぱり……正義の、味方に……なりたいの、アンタ……? だから、来たっての……?」

初春は、口をへの字に曲げながらアスカを静かに床へと横たえる。
少しだけ頬に触れると、白くきめ細かな肌は、氷のように冷たかった。

「いいえ。それは違います。だって私は、」
「おいっ、僕を無視するなよ! 何だ、何をしたんだお前ッ?! 能力者か!?」

会話に割ってはいったのは御手洗だった。初春は振り返ると、アスカを庇うように手を広げる。

「……私は、ただ友達を助けに来ただけですよ」
「そんなことを聞いているんじゃあないっ!! 僕の水兵をどうやってッ」
「教える義理はありません」
「馬鹿が……図にのるなよ! どうやってやったか知らないが……そうマグレが都合よく何度も続くと思うな! 丸腰のお前なんかに、何が出来る!」

声を荒らげ、歯を剥き出しにして叫ぶ御手洗へ、初春は頷く。何も出来ないのだと認めるような素振りは、御手洗の神経を余計に逆撫でた。
こめかみに青筋を浮かべる御手洗へ、けれども初春は慄くこともせず口を開く。

「はい。何も出来ません。何も出来ませんよ、私には。誰かがいないと、何も出来ません。今だって、怖くて堪らないんです。
 膝は笑ってますし、歯だってががちがち音をあげて、拳も震えてます。私は、いつだって誰かに、何かに守られてばっかだったから。
 でも、だから」

初春は一息吐くと、胸に手を当てて唾を飲み込む。

543スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 19:12:15 ID:lhrTcDrE0
「今度は私が、助けたい。そう思っちゃ、駄目ですか。
 何も出来なきゃ、助けたいと思っちゃ、駄目ですか。力がなければ、駄目ですか。正義じゃなきゃ、駄目ですか。
 ううん、きっと、それは違う……違うんです。それより大切な事を思い出したから。
 私には……ただ―――――――――――――みんなが、必要だから」

初春はその手を力強く握った。
震える掌を隠すように、意志の強さを示すように、恐怖に負けてしまわぬように。

「ええ、確かに私は弱いですよ。能力はからっきし。運動だって、下手っぴ。
 精神だって、あのビデオを見てやられちゃうくらい。ちっとも、強くない。誰かの助けがなかったら碌すっぽ戦えません。
 能力者には勝てないし、誰かを倒すため、なんて考えたこともないんです。
 思えば私は最初から終わっていました。だって自分が負ける姿しか、想像できなかったから」

「待て。そんなことよりお前、見たのか。あのビデオを」

御手洗が狐に摘まれた様な表情で呟いた。初春は眉間に皺を寄せながら頷く。

「はい。貴方も、見たのですか」

疑問を投げて、少しだけ、初春は目を閉じる。
あの悍ましい邪悪な映像が、心の奥にある黒い何かを責める様に、網膜の裏にフラッシュバックした。

「……ああ。お前は、何を思った」御手洗が唸る様な低い声で訊く。「少なくとも、今まで通りではいられなかったはずだろ?」

初春は瞼を開く。御手洗は彼女の表情を見て、無意識的に息を飲んだ。現れた双眸があまりに澄んでいたからだ。
二対の宝石は光を失わず、どこまでも真っ直ぐに、この世界を見ていたからだ。

「どうして」
思わず御手洗は、かぶりを振りながら震える声で呟いた。
「おまえ、どうして、そんな、かおが、できるんだ」

「どうして、ですかね。でも、あのビデオは……その、価値観……と言ったらいいのでしょうか」

初春はぽつぽつと、一言一句に納得する様に零す。

「確かに、それはがらっと変わってしまいました。見えていた世界が、まるで違って見えました。
 世界は汚くて、善意なんて嘘っぱち。早く人間は、この星の為にも死ぬべきだと……あんなの見せられたら、きっと誰でもそう思うと思います」

瞬間、カカカ、と渇いた哄笑がフロアの中に谺した。
それは人として発する笑みにしてはあまりにも異質で粘着質な、獣的笑い声。
人並の感情は疾うに失せ、しかしそれでいて無機質ではなく、極限まで生物的。或いは、本能的。そんな魔獣の咆哮にも近い笑いだった。
あるものは、そう。黒よりも暗い底知れぬ狂気だけだ。これはきっと、同族に向けた狂気の笑みなのだ。
初春は半ば反射的に半歩飛び退いた。ざわり、と脳天から爪先に駆け抜ける悪寒。毛穴という毛穴が全て広がるような、得体の知れない気持ち悪さ。
少女が“身の毛もよだつ”という言葉を生まれて初めて体感した瞬間だった。
邪悪の権化のような表情の中心には、溝色をした酷く虚ろな目が、初春を、その奥の黒い感情を睨んでいた。
底が無く吸い込まれそうなその瞳は、全てを見透かされているようで初春は思わず目を逸らす。御手洗はくつくつと肩を震わせていたが、やがて息を深く吸い、溜息を吐いた。
そうして、唾で糸を引く口を開くのだ。

544スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 19:13:22 ID:lhrTcDrE0
「そうだろ。そうだろうさ。お前、解ってるじゃないか。それは正しい考え方だぜ。お前となら仲間にもなれたかもしれない。
 お前が言うように、人は死ぬべきだ。善人ぶってるだけで、全員中身は酷いもんさ。性善説なんて糞食らえだね。
 自分達が平和な日向で生かされてるから、ついつい錯覚しちまってるだけなんだぜ」

御手洗は一歩一歩初春に近付きながら、その能面のような表情に弧を浮かべ、続ける。

「誰もが人の本質を知らされず脂ぎった餌を貪り食って、平穏を約束された籠に良いように飼われて、
 のほほんと過ごしている……その餌や籠がどうやって出来ているのかすら碌に知らずに、いいや、知ろうとすらせずに!
 温厚無知とはまさにこの事さ。誰しもが全員、罪すら知らずへらへら笑いながら、正義だの平等だの好き勝手ほざいて生きてやがる!
 どれだけ面の皮が厚いんだか見当もつかないね! 奴等は全員、平和ボケした肥え豚共だ! 見ているだけで反吐が出る!」

御手洗は血眼になりながら叫んだ。初春は膝を震わせ、涙を目に浮かべていたが、いいえ、と強い口調で呟く。
引けなかった。引いてはならない戦いだった。

「確かに、そうかもしれません。その気持ちも理解できます。でも、そうじゃない人だっている。
 これは受け売りですけど、貴方が思っているよりも、人間は強いし、優しいんです。
 あのビデオは、汚い部分だけを抜き出して記録した、言わば洗脳道具みたいなものじゃないですか。
 アレに影響されて人を殺すだなんて、作成者の思うがままですよ」

少女は彼の中に、かつての自分を見る。目の前に居るのは、きっと幾つかの未来のうちの一つだった。
瞳を閉じれば、血に染まった自分が浮かび上がる。彼と同じように、人を殺して回る自分の、憐れな姿が。

「ふざけるなよ」(ふざけないで下さい)

目の前の少年の言葉を聞きながら、嗚呼、と初春は喉の奥で唸る。重なったのは、自分の声。
きっと私も、私みたいな人間に説得まがいの事をされたら、同じ科白を吐き捨てるのだろう。
そして、殺すのだろう。泣きながら、笑いながら。

「何が優しいもんか。お前、あのビデオを見たんだろ?」

御手洗が乾いた笑みを浮かべながら、初春へと震える声で問いかけた。初春はそれを真っ直ぐに見据える。
御手洗はウェーブのかかった髪を掻き上げながら溜息を吐いた。まるで冬の曇り空のように重く、冷たい溜息だった。

「……生きたまま錆びた鋏を背に入れられ、腸を引きずりだされる人魚を見たか?
 その隣でグラスワインを飲みながら、快楽に堕ちた表情でステーキを食べるどこぞの王族は?
 拘束された子供の前で、ゆっくりと足から捻り潰される妖獣の親子は見たか?
 血と涙と肉を飛び散らし、断末魔を上げながら助けを求めるその母親の目玉へ、鼻歌交じりで螺子を撃ち込む人間の表情は!?
 皮を剥がれ、痙攣しているところへ煮え滾った酸をかけられている鬼の子は!?
 その様子を下手な踊りだと下品に嗤い、優雅に友人と記念撮影する人間の雌餓鬼は見たか!?
 産まれたての子供を目前で掘削機でジュースにされ、それをチューブで無理矢理飲まされる母親を見たか!?
 その表情を見ながら、全部飲めるか賭けて遊ぶ下賤な人間共を見たか!!?」

御手洗は汗だくになりながら、血走った目をかっと見開いて叫ぶ。唾を撒き散らしながら、牙をむ剥き出しにしながら、両手を前に出しながら。
その形相は人としての何かを捨てた、憎悪の具現だった。

「全部見たなら理解できるはずだ!!! 正義のヒーローはこの世に居ないってな!!!!
 何が強さだ、何が優しさだ!!! 人は笑いながら人を殺せる!!!!
 何の罪もない子供を平気で拷問した挙句見捨てる事も!!
 命乞いする女の皮膚を剥ぎながら強姦する事も!!!
 欠伸をしながらストレス発散に妊婦の腹を蹴り飛ばす事もッ!!!!
 本当は人間なら誰でもできるんだぜ!!!!!
 俺達が、知らないだけでな!!!!!!!!!!」

545スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 19:16:16 ID:lhrTcDrE0
裏返り、掠れた声がデパートの中を反響する。アスカは水っぽく咳き込むと、イカれてるわ、と小さく呟いた。
それでも、初春は引かなかった。全身で呼吸をする鬼を目の前にして、それでも初春は逃げない。
恐怖、それもあったが、初春が先ず抱いた感情は同情や憐憫の類だった。
目の前にいるのは一匹の獣であり、しかしやはり同時に、かつての自分だったからだ。

「……そうですね。私もそうだったので、よく分かります」
「なら、なんでそいつを守るッ!!!? どうして豚共を殺さない!?!?」

御手洗は頭をばりばりと掻きながら、アスカを指差して叫んだ。アスカはぎょっとしたように体をびくりと震わせる。



「誰かを助けたい心に、理由は要りますか」



莫迦か、こいつは。

アスカは肩で息をしながら、その発言に対して真っ先にそう思った。敵も同じように、目を丸くして口をぽかんと開けている。当然だ。
アスカはゆっくりと腰をあげると、壁に背をどかりと預けて、その恥ずかしい台詞を吐いた莫迦女の背を見る。凝視せずとも判るくらいに、小さなその背は震えていた。
お人好しにもほどがある。アスカは咳き込みながらもくつくつと笑う。ビビってるくせに、口上だけは大したものだ。

「私達人間は確かに罪深くて、私も一時は、人殺しの道を歩みました。でも、それはきっと、私が弱かったから」

初春は胸に手を当て、恥ずかしげもなく続ける。
鳩が豆鉄砲を食ったような間抜け面をしていた御手洗は、その言葉にハッとしたように体を震わせ……みるみるうちに、その顔を赤く染めた。

「お前、それは僕も弱いからこうなってるって言いたいのか!?」
「そうです」

侮辱された怒りに叫ぶ御手洗へと、初春は間髪入れず言う。

「人を殺して、私の心は楽にはなりませんでした。友達を殺して、心は晴れませんでした。
 きっと、“そう”じゃなかったんです。得体の知れない罪悪感に支配されて、どうすればいいのか分からなくなって。
 人を殺しても……残ったのは、喪失感と、虚しさだけ。それ以外には何も、なかった。
 私達は全員が誰かを救けることができる、正義のヒーローじゃない。でも、だったら、全員が同じように、悪の魔王じゃない。
 確かに私達が思っているよりも、人間は汚いかもしれない。それは否定しません。ううん、アレを見て、否定なんか出来るわけない。
 でもきっと同じ様に、私達が思っているよりずっとずっと人間は強いし、優しいと思うんです……さっきも、言いましたけど」

初春は息を吸い、前を見る。怒りに震える御手洗とは対照的に、体の震えは何時の間にか止まっていた。

「私達は、きっと弱かった」

初春は力強く言う。
そう、風紀委員に入るより前と、本質的には何も変わってなかった。私は、弱い。

「あんな人間と同じって考えるだけで、自分すら汚らわしくて……あのビデオを、上手く心で受け止めることが出来なかったんです。
 あの女の子も、男の子も、妊婦さんも。目を閉じれば、私を見てきた。お前のせいでこうなったんだって。
 違うと思いたかった。だから自分が正義になって、あの人間とは違うって思い込んで……人の汚い部分を償いたくて、仕方がなかった。
 動かなきゃ、考え続けなきゃ罪の重さに狂ってしまいそうだった。少なくとも、私はそうでした……貴方は、違いますか?」

546スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 19:18:11 ID:lhrTcDrE0
正義のヒーローは、待ち続けても本当に現れる事はなかった。
どんな時も正義の味方は夢見る子供達の憧れで、大人には見えない存在で。漫画やアニメの中だけの偶像だった。
知るのが怖かっただけだ。認めるのが、嫌だっただけだ。
本当は解っていた。誰もが讃える正義の味方は、ヒーローは……。



「弱さと向き合いましょう。認めてください。私も、貴方も――――――――――――何かを裁く優しい正義の味方には、なれない」



せいぎには、なれない。
アスカは酸素不足にふらつく体と呼吸を落ち着けながら、初春の言葉を腹の中で繰り返す。
正義の味方になりたかったはずの小娘が、そう言った。言い放ちやがったのだ。
「漸く、据えたかぁ」
アスカは小さく零すと、表情だけで嗤った。莫迦も莫迦なりに、答えを見つけてきたのだろう。
さて、とアスカは敵を見やる。譫言のように何かを呟きながらがりがりと腕の皮膚を掻き毟る少年が、焦点を失った目でこちらを睨んでいる。

「違う……違う違う違うッ!! お前なんかに何が分かる! 受け入れてくれる場所も! 友達も! 自分の気持ちを吐ける強さも持ってる、恵まれたお前なんかに!
 お前と僕は違う! 僕には何も無かった!! 居場所も、友達も、心の強さもッ!! 何も、何も!!!
 でも僕には力はあるんだ! 全てを潰す“領域”の力が僕にはある……だから、僕なら出来る!!
 この腐りきった世界を変えられる!! それが一番のお前との違いだ!!! 僕は正しい!!!」

御手洗が腕を振るうと、皮膚に滲んだ血が床にぱたぱたと飛び散った。瞬間、水浸しの床から弾けるように水がねじ上げがり―――彼の異能、水兵<シーマン>が動き出す。

「くくく……お前がどんな手品を使ったか知らないが、もう通用しないぜ!!!
 さっきまで手足も震えて今にも泣きそうだったお前が、何をするつもりだ!!!???」

御手洗がぱちんと指を弾くと、二体の水兵が初春へと突進した。一匹は初春の頭部を狙い、一体はアメーバ状になり初春の足に絡みつくように飛び掛かる。
死角はゼロ。一切の逃げ場の無い、無慈悲な水の抱擁が華奢な少女を襲い―――――――――――――――――――――――そして、何も無かったかのように消え失せた。

まるでアイスピックで突かれた風船が弾けるように、一瞬にして、且つ、完璧に、水兵は“消えた”。
否、消えたのではない。御手洗は血走った目で辺りを舐めるように見て、その状況を漸く理解した。
文字通り、霧散したのだ。
瞬間、旋風がばさばさと辺りに吹き荒れる。湧き上がる水蒸気、はためくスカート、揺れる髪、舞う花びら。
白く濁った水蒸気のカーテン越しに、二人の視線が交差した。

「守る」

一対の掌を前に翳し、初春は呟く。なんだって、と御手洗は震える唇で零した。

「守ると、言ったんです。殺す為じゃなくて、勝つ為じゃなくて、戦う為でもない。
 私は、守る為に此処に来たんです。誰かを守る為に、此処に立っているんです。
 だから私は、止まらない。救ってみせる。守ってみせる。式波さんも、そして、貴方も」

547スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 19:22:05 ID:lhrTcDrE0
ぴくり、と御手洗の肩が跳ねる。泣き出しそうな表情が一瞬顔に浮かんだが、やがてそれは直ぐに鬼神のそれへと変化する。
少女の言うことは正論で、同時に、図星だった。自分は弱くて、泣き虫で、どうしようもなくて。
誰かに助けて欲しかった。許して欲しかった。認めて欲しかった。愛して欲しかった。手を差し伸べて欲しかった。
でも、それを、その台詞をお前にだけは。

「僕も、だって?」

友達も、勇気も、居場所も、想いも。
全部持ってるお前にだけは、言って欲しくなかったんだ。

「僕を、守る? 救う?」

僕とお前は同じだ、弱くてどうしようもない奴で、同じに、ビデオを見た。でも、お前は僕と違ってそうなれた、そんな目が出来るようになれた。

「ふざけるな……」

惨めじゃないかよ。馬鹿みたいじゃないかよ。餓鬼の駄々みたいじゃないかよ。
僕とお前の差が、友達と、勇気と、居場所と、想いの差みたいに見えるじゃないか。僕にどうしろってんだ。そんなものは僕にはない。だからそうはなれないってのかよ。
お前らはいつもそうだ。優しくこっちに手を伸ばして、僕らは一緒だとか、お前も守るとか、助けるとか、下らないこと言ってきやがる。
違うんだよ。人と人の間は、どうしようもなく深い水で満ちてる。他人と不安や後悔を分かち合って馴れ合って生きていくだなんて、クソ食らえだ。

「ふざけるなよ……」

そうじゃないんだよ。僕は、“そうなりたいけど、そうなりたくない”んだ。羨ましいだけで良かった。指を咥えて見ているだけでよかった。
お前には、きっとそれは分からないんだろうよ。死ぬまでな。


「ふッッッざけるなぁあァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!」


御手洗は大口を開けて泣く様に叫ぶ。 裏返った声は、びりびりと初春とアスカの鼓膜を揺らした。
どう、と館内の空気が揺れる。床の水が畝りながらぐるぐると渦巻き、その中から獣の形をした水兵が初春達へと襲いかかった。
初春は、襲いかかる獣を一体一体右手で触れてゆく。触れられた水兵は、掌との設置部からぶくぶくと泡立ち、派手な爆発音と共に白い煙と化していった。
その正体は果たして“蒸発”であり、それは彼女の持つ超能力『定温保存<サーマルハンド>』に由来する“熱量操作”であった。

「ふざけてなんか、ないですよ。やっと見つけたんですから。私だけの、現実を!!」

尤も彼女はレベル1で、せいぜいが保温程度の能力限界だった。
それをここまでの短時間で、掌を高温にして水を蒸発させるほどのレベル3後半相当能力に向上させることが出来たのは、
元々彼女がレベル5にも劣らぬ高い演算処理能力を持っていた故でもあったが、『自分だけの現実<パーソナルリアリティ>』の観測が、極めて苦手だった事に起因する。

548スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 19:24:12 ID:lhrTcDrE0

『自分だけの現実<パーソナルリアリティ>』は、妄想、或いは信じる力である。

これは初春飾利の持論であり、それは暗にレベル1である自らの信じる力の無さを肯定していなければ、発することの出来ない言葉だった。
初春は自分が弱い人間だと知っていたし、自分の可能性を信じることが出来ないことも知っていた。
それは彼女がそもそも常識からズレた事象、妄想、願掛けの類を嫌う傾向にある、ある種の数学的理論屋の側面を強く持っている為でもあったが、
また、とある機構を植物に模し様々な角度から想像するという彼女独自の計算式と技能が、自分だけの現実に通用しなかった為でもある。
初春はそれ故に、理論や常識で片付けることの出来ない自分だけの現実の観測が不得手であった。
初春はやがて能力向上を諦めた。自分にはそれよりもよっぽど没頭できる情報処理の技能があったし、
何より、内部的要因により自身が変わることは無理だと思っていたからだ。
そうでなければ、何かを変えてくれると期待して、風紀委員に入るものか。
初春は外部的要因で、能力外の部分を変えようと考えていたし、今までの生活においてそれに不都合はなかった。

ただ、この島はそれを拒絶した。風紀委員を取り上げ、パソコンを取り上げ、仲間を、正義を、勇気を。少女から、全てを無残にも取り上げた。
初春飾利は、内部的要因により、決断と成長をすることをこの世界に迫られたのだ。
それは彼女にとって想像を絶するストレスでもあったが、同時に自分だけの現実と改めて対峙するチャンスでもあった。
この舞台上では、信じるものが、自分の倫理観と意思以外に殆ど存在しないからだ。

そして、最終的に初春飾利は自分の正義観と、自分が出来る可能性に向き合い、足を進め、飛び立った。
理屈よりも、分かっている未来よりも、理想と信念を優先したのだ。がむしゃらに足を動かし、闇を突っ切り、此処へと辿り着いたのだ。
目の前に化物が、それに取り込まれたアスカが居たのを見て、初春は迷わなかった。
彼女を護る。助け出す。それだけを理由に、限界寸前の足に鞭を打ち、走った。
水兵に触れた瞬間、初春は不思議と何をどうすればアスカを救い出せるのかを手に取るように把握できた。
助け出すという目的が、助け出す為の手段に転じたのだ。
彼女が持つ救う為の手段はその能力しかなかったし、打開策らしいものを何も用意せずに突っ走った事が功を奏した。
自分なりの現実、答えを見つけ出し、彼女を助けられると根拠もなく信じてた彼女は、故に自分の可能性、能力も信じることが出来た。
その瞬間、彼女の能力は爆発的成長を遂げる。持ち前の演算能力を以って、数段階の進化を遂げる。

全ては、誰かを、守る為。

「アンタ、馬鹿ァ……?」

襲いかかる水兵を軒並み沸騰させ水蒸気へと気化させる初春の背へ、アスカが呆れたように訊く。

「ええ、馬鹿です! おまけにとろいし、涙もろいし。でも、それが私だった!!」
「開き直っただけで……何にも、変わってないじゃ……ない、のよ」

鼻息を荒くして口を開いた初春の吐いた科白を、アスカは苦しそうに笑った。
いいえ、と初春は応える。辺りには白雲と熱風が立ち込めていた。

「変わりましたよ。あの時の質問にだって、答えられます」

あのときのしつもん? アスカは胸中で繰り返し首を傾げたが、直ぐに独りごちた。きっと、階段で訊いた正義の話だ。

「答えは、No。だって私、正義のヒーローじゃないですから。
 私は私にできることしかできません。間違えることもあるし、助けられる人しか助けられない」
「自分勝手な……理論、垂れてんじゃ、ない……っての」
「ええ。自分勝手なんです。悪いですか?」

初春が、肩で息をするアスカへと振り向く。アスカは思わず息を呑んだ。こんな状況で、こんなにも良い笑顔をする人間を、彼女は初めて見たからだ。

549スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 19:29:41 ID:lhrTcDrE0
「だって、正義じゃないんですから。私は、“私”。
 正義じゃない。ヒーローじゃない。風紀委員じゃない。奇跡の申し子でも、主人公でもない」


向日葵の様な笑顔をアスカに向けたまま、初春ははっきりと言う。自分が正義では、ないのだと。

「分かったんです。夢は夢で、何処にも存在しなかった。あるのは私の意思だけ。
 私がそうしたいから、そうする。それで良かった。小難しい事なんて何もなかった。それだけで良かった。
 私の正義は、私のエゴ。私が気に入らないから、そうするんです。そう考えたら見返りがなくっても、石を投げられても、罵倒されても仇で返されるのも納得出来た。
 だって世界の為じゃないから。皆の為じゃないから。それでいいんですよね、式波さん。貴女の言う正義って、そういう事ですよね?
 此処に法が無いって言うなら、私が法になります。ねぇ、それだけじゃあ、ダメですか?」
「……もう一回、言葉で聞かせて。この空の下に、正義はあると思う?」

アスカは彼女の疑問に肯定も否定もせず、俯いたまま再びその問いを訊く。初春は少しだけ考えるように指を顎に当て、やがてかぶりを振った。


「いいえ。あったのは、埃をかぶった小さな想いと、それを貫き通す、カビ臭い意思だけです」


「……そう。それがアンタの現実なのね」
「はい。それが、私だけの現実です」

アスカは顔を上げると、苦しそうに笑った。憑き物が取れたような、何かに納得したような、そんな表情だった。

やがて立ちこめる白い水蒸気が晴れ、霞んだ闇の向こう側から、カナリアイエローが、少年が姿を見せる。

「死ぬ覚悟は、出来たか?」
少年は訊いた。
「救われる覚悟は、出来ましたか?」
少女は訊き返す。
「そこを、どけ」
少年はこの世に呪詛を吐くように呟く。対する少女は不敵に、世界に挑戦状を突きつけるように笑った。
ポケットから、未来の変わる音。初春は画面を見ることはしなかった。

「いいえ、残念ですけど―――――――――――――――――――――――――――――――――――」


いつも、守られてばかりだった。いつも、裏方ばかりだった。いつも、足手まといになってばかりだった。
そんな主人公になれなかった最弱の反撃が、今、始まる。


「――――――――――――――――――――――――――――――――ここから先は、一方通行です」


この空の下に、正義は無かった。ヒーローも、居なかった。汗と土と、血に塗れた現実が、全てを墓の下に沈めていった。
だけど、想いは死なない。意思は死なない。錆びて汚れ、それでも鈍く光る魂だけが、そこに真っ直ぐ立っていた。

その結果を彼女たちの探していた本物の正義と呼んで良いのなら、これも、きっと、正義の物語。

550スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 19:31:10 ID:lhrTcDrE0
【F-5/デパート/一日目 夜】

【式波・アスカ・ラングレー@エヴァンゲリオン新劇場版】
[状態]:左腕に亀裂骨折(処置済み)酸欠(現状戦闘不可) 腹部にダメージ 全身ずぶ濡れ
[装備]:ナイフ数本@現実、青酸カリ付き特殊警棒(青酸カリは残り少量)@バトルロワイアル、使えそうなもの@現地調達
   『天使メール』に関するメモ@GTO、トランシーバー(片方)@現実 、ブローニング・ハイパワー(残弾0、損壊)、スリングショット&小石のつまった袋@テニスの王子様
[道具]:基本支給品一式×4、フレンダのツールナイフとテープ式導火線@とある科学の超電磁砲
風紀委員の救急箱@とある科学の超電磁砲、釘バット@GTO、スタンガン、ゲームセンターのコイン×10@現地調達
基本行動方針:エヴァンゲリオンパイロットとして、どんな手を使っても生還する。
1:現状をどうにかする。
2:スタンスは変わらないけど、救けられた借りは返す。
3:ミツコに襲われているであろうアヤノの安否が気になる

[備考]
※参戦時期は、第7使徒との交戦以降、海洋研究施設に社会見学に行くより以前。
※杉浦綾乃、初春飾利とアドレス交換をしました。

【初春飾利@とある科学の超電磁砲】
[状態]:健康 『定温保存<サーマルハンド>』レベル3 全身ずぶ濡れ
[装備]:交換日記(初春飾利の携帯)@未来日記、交換日記(桑原和真の携帯)@未来日記、小さな核晶@未来日記?、宝の地図@その他、使えそうなもの@現地調達
[道具]:秋瀬或からの書置き@現地調達、吉川ちなつのディパック
基本行動方針:生きて、償う
1:みんなを守る。
2:辛くても、前を向く。
3:白井さんに、会いたい。
[備考]
初春飾利の携帯と桑原和真の携帯を交換日記にし、二つの未来日記の所有者となりました。
そのため自分の予知が携帯に表示されています(桑原和真の携帯は杉浦綾乃が所有しています)。
交換日記のどちらかが破壊されるとどうなるかは後の書き手さんにお任せします。
ロベルト、御手洗、佐野に関する簡単な情報を聞きました。御手洗、佐野に関する簡単な情報を聞きました。
アスカ・ラングレー、杉浦綾乃とアドレス交換をしました。

※ 『定温保存<サーマルハンド>』レベル3:掌で触れたもの限定で、ある程度の温度操作(≒分子運動操作)をすることが出来る。温度設定は事前に演算処理をしておけば瞬間的な発動が可能。
                      効果範囲は極めて狭く、発動座標は左右の掌を起点にすることしか出来ないうえ、対象の体積にも大きく左右される。
                      触れている手を離れると効果は即座に解除され、物理現象を無視して元の温度へ戻る。
                      温度に対する耐性は、能力発動時のみ得る事ができる。
                      温度設定の振り幅や演算処理速度、これが限定的な火事場の馬鹿力なのかは後続書き手にお任せします。

【御手洗清志@幽遊白書】
[状態]:全身打撲(手当済み) 右瞼に切り傷 全身ずぶ濡れ
[装備]:雨合羽@現地調達
[道具]:基本支給品一式、ブーメラン@バトルロワイアル、ラムレーズンのアイス@ゆるゆり、鉄矢20本@とある科学の超電磁砲、水(ポリタンク3個分)@現地調達
基本行動方針:人間を皆殺し。『神の力』はあまり信用していないが、手に入ればその力で人を滅ぼす。
1:獲物を始末する。
2:相馬光子と共に参加者を狩り、相馬光子を守る。そして最後に相馬光子を殺す。
3:ロベルト・ハイドンと佐野清一郎は死亡したので、同盟は破棄。
4:あかいあくま怖い……。
[備考]
※参戦時期は、桑原に会いに行く直前です。
※ロベルトから植木、佐野のことを簡単に聞きました。

551スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 19:33:48 ID:lhrTcDrE0







物語というものは、何も綺麗に終わるものばかりではない。
それは正義の英雄譚でも例外ではなく、それに漏れず、この話も綺麗には終わらない。
綺麗なものだけ視界に入れようだなんて、虫が良すぎるのだ。
誰しもが思っている以上に世界は汚くて、本当はあのビデオだって、誰かにそれを伝えようとして作られたのかもしれない。
光の裏に必ず影が出来るように、綺麗な物語の外にあるものは汚い物語だ。
誰も彼もが少なからずそれを見ないように蓋をして、視界に入れないようにしてしまっている。
いつもの道、いつもの空気、いつもの平和。その裏ではゴミ溜めが腐って蛆が湧き出ている事を、知るべきなのに。

「ぁ、ぐ……ぅっ」

閑話休題。正義というものは、一つの形にするのが難しい。式波=アスカ=ラングレーが言ったことは、恐らく、そういう事だった。
法を元にした大多数の正義は、“せいぎ”である。形のない、人間の作り出した規律を守らせるための偶像である。
それは“常識”や“都合”と置き換えてもいいかもしれない。
それは最早、正義とは言えない。リアリストである彼女にとっての正義感――便宜的にここではそう言うが――が出す答えは、即ち、そういう事なのだろう。

「ぉ、……ご、っ……あ゛……」

ただ、どうだろう。存外そういう正義の形を一方的に否定する事は、一概に出来ないのではないだろうか。
“せいぎ”があっての“正義”だと、言えないだろうか。
屁理屈や理想論者だと言われるかもしれない。
それでも、“せいぎ”すら碌に考えた事の無かった人間が、“正義”に辿り着けるかと言われれば、それは酷く難しい問題だ。
足し算を学んでない人間が掛け算を出来ないように、物事にはそれなりの順序というものがある。

「……っ、ぁ゛、お、ねが………ぃ、だ、……」

誰しもが考え付く正義は、大多数の場合“せいぎ”だ。そのせいぎを目の前で否定されては、堪ったものではない。
彼女の正義の根源を知る由は無いが、それでも、“せいぎ”を信じてきた大多数である少女には、彼女の正義感は、大きく捻じ曲がって見えた。
しかし彼女の話が的を射ていたのもまた、事実である。だから、少女は“正義”を掲げざるを得なくなった。
式波=アスカ=ラングレー、初春飾利。本当の正義を探す二人を前に、劣っている自分が嫌だったからだ。
しかし少女は思い出すべきだった。足し算も知らない餓鬼が挑戦したところで、掛け算が上手く解けるわけがないのだと。

「………っ、………ぁ゛、げ…が……ッ」

テレビで見る正義のヒーローは、誰も彼もから感謝される立派な人だ。
しかし誰かが言ったように、やはりヒーローは街を壊すし、多分、人だって知らないうちに殺している。
敵だって、警察に渡さずに滅ぼしているのだ。法と倫理は何処へ行ってしまったのだろうか? いいや、そんなの関係ないのだ。
それが正義のヒーローの条件だからだ。庶民的で常識的なヒーロー像を、誰が求めるというのか。
毎朝、ゴミの分別をチェックして主婦に注意する正義のヒーローに、誰が憧れるだろう。
かと言って、敵の怪獣が、例えば人型をしていたらどうだろう。命乞いをしてきたらどうだろう。
それを殺す事は、果たして罪になるのだろうか。
殺さなければ皆が殺されてしまうとしても、罰を受けなければならないのだろうか。
少女の腕に力が入った。一つ一つ迷いを断ち切る様に、殺す為に、ゆっくりと捻じあげる。

「……………だ……ず……………て……パ……………パ………」

552スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 19:40:25 ID:lhrTcDrE0
嗚呼、いずれにしても、それは自己満足。誰かではなくて、自分が納得できるか、否かなのだ。
せいぎも正義も、そこにはきっと関係無い。
守る為だ。少女は握る手を万力の様に強く締めながら思った。自分と皆を守る為だ。守る為に戦う事は、正義だ。正義なんだ。
少しだけ痙攣して、白い泡がぶくぶくを手の甲を伝う。
ぐるりと白眼を向いたそいつは、やがてぴたりと時を止めた様に動かなくなった。
呆気無い。人の死とはこうも簡単なものなのか。想いも、願いも、全部そこで終わってしまう。
終わったのだ。一人の女の物語が。回想もなく、一人称視点もない。情けも容赦もありはしない。
願いも想いも意思も命も平等に、全てがそこでぱったりと途切れたように死に尽くし、完結していた。

一分か、十分か。どのくらいの間、握る両手に力を込めていただろう。息を止めて一心不乱に考えていただろう。
はっと思い出した夜に、綾乃はマウントポジションから慌てて立ち上がった。ふらふらと逃げる様に後退り、膝を折る様に倒れこむ。
じんじんと熱を持つ掌と、舌をべろりと出して無残に転がる人型の何かを見る。肩で息をして、そいつを見た。
動かない胸、開いた瞳孔、合わぬ焦点、濡れた下半身、震えぬ口、鬱血した首、だらりと垂れた手足、青白い蝋人形の様な肌。
昼下がりの日曜日、お父さんと一緒にテレビドラマで見た様な、よくある殺人事件のよくある現場。
違うのは、自分が発見者でも探偵でもなく加害者で、被害者にブルーシートがかかっていない事くらい。

「私、正義でいいのよね……?」

正義を貫き、悪を滅ぼす。いつだってそれはヒーローの台詞で、だけど、いつだって崖の上で極悪非道の犯人が言ってきた台詞。
涙を流して、笑いながら、少女は泣いた。これでいい。これが正義だ。何も悪くない。自己防衛だ。生きる為だ。仕方がなかった。
悪を倒したんだ。賞賛される立派な行動じゃないか。きっと、みんなも褒めてくれるよ。
誰も殺さずにみんなで生き残る方法を見つけたい。そんなの無理だって、本当は思ってたよね。
自分だけは殺さないとか、誰かに悪を倒してもらおうとか。そんな卑怯なこと、少しは考えてたよね。
それを自分から動いたんだから、凄いことじゃない。ねぇ、だから、誰か。
だれか。だれでもいいから、私を褒めてよ。

お願いだから……誰か……だれか……。

「……助けて……」

震える唇で、絞るように呟く。
向こう側から、ぱたぱたと足音が聞こえた。来訪者が、彼女の元へと訪れる。

「お前……杉浦綾乃、だな」

嗚呼、でも、遅かった。正義の主人公が薄幸のヒロインを助けに来るには、何もかもが、誰も彼もが、遅過ぎた。
遅過ぎたのだ。



この空の下に、正義は無かった。ヒーローも、居なかった。汗と土と、血に塗れた現実が、全てを墓の下に沈めていった。
だから、正義の空席に座して悪を討つ。血濡れて汚れ、今にも黒く染まりそうな魂だけが、そこに婉曲して立っていた。

月に英雄、星には勇気、熱き血潮に正義の剣。歯向かう者へ、スノードロップの花束を。
戦おう、始めよう。踊ろう、狂おう、歌おう。誰かが死ぬまで、誰かが喪うまで。最期の一人になるまで。
最後に残った者が、正義となるのだ。異を唱えるものは殺してしまえ。
何時の時代もそうだった。正義のヒーローは、戦場で生き残った者だけが、語ることを許されるのだから。

だから、これも、正義の物語。

553スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 19:41:54 ID:lhrTcDrE0
【F-5/デパート/一日目 夜】

【杉浦綾乃@ゆるゆり】
[状態]:健康(まだ少し濡れている)
[装備]: エンジェルモートの制服@ひぐらしのなく頃、吉川ちなつの携帯電話
[道具]:基本支給品一式、AK-47@現実、図書館の書籍数冊、加地リョウジのスイカ(残り半玉)@エヴァンゲリオン新劇場版、
    ハリセン@ゆるゆり、七森中学の制服(びしょ濡れ)、壊れた携帯電話、使えそうな物@現地調達
基本行動方針:みんなと協力して生きて帰る
1:―――――――――――――――――
[備考]
※植木耕助から能力者バトルについて大まかに教わりました。
※アスカ・ラングレー、初春飾利とアドレス交換しました。

【常盤愛@GTO】
[状態]:右手前腕に打撲 、全身打撲
[装備]:逆ナン日記@未来日記、即席ハルバード(鉈@ひぐらしのなく頃に+現地調達のモップの柄)
[道具]: 基本支給品一式×6(携帯電話は逆ナン日記を除いて3台)、学籍簿@オリジナル、トウガラシ爆弾(残り6個)@GTO、ガムテープ@現地調達、パンツァーファウストIII(0/1)予備カートリッジ×2、 『無差別日記』契約の電話番号が書かれた紙@未来日記、不明支給品0〜6、風紀委員の盾@とある科学の超電磁砲、警備ロボット@とある科学の超電磁砲、タバコ×3箱(1本消費)@現地調達、木刀@GTO、赤外線暗視スコープ@テニスの王子様、
ロンギヌスの槍(仮)@ヱヴァンゲリヲン新劇場版 、手ぬぐいの詰まった箱@うえきの法則
基本行動方針:なかったことにせず、更生する
1:状況把握をして、メールの送信者を助ける
2:浦飯に救われてほしい
[備考]
※参戦時期は、21巻時点のどこかです。
※浦飯幽助とアドレスを交換しました

【浦飯幽助@幽遊白書】
[状態]:精神に深い傷、貧血(大)、左頬に傷
[装備]:携帯電話
[道具]:基本支給品一式×3、血まみれのナイフ@現実、不明支給品1〜3
基本行動方針: もう、生き返ることを期待しない
1: 状況把握をして、御手洗をぶっ飛ばす
2:常盤愛よりも長生きする。
3::秋瀬と合流する
[備考]
※常盤愛とアドレスを交換しました





【相馬光子@バトル・ロワイアル 死亡】

【残り14人】

554スノードロップの花束を  ◆sRnD4f8YDA:2015/10/12(月) 19:42:29 ID:lhrTcDrE0
投下終了です。

555名無しさん:2015/10/12(月) 20:21:48 ID:LjHljDRY0
投下乙です
読んでいるだけで心をすり減らされるような、ぐるぐるとした螺旋のそこに沈んでいくような描写でした
大人だって簡単に答えの出ない問題を、中学生が必死に考えて答えを出すのは苦しいに決まっている

初春と綾乃は違う『正義』を選択してしまったけれど、『正義』の花は実を結ぶのか散ってしまうのか、また交わることはできるのか…

556名無しさん:2015/10/12(月) 20:54:36 ID:layaz4j20
投下乙です

今のアスカはすごい美味しい立ち位置にいて、途中で三人がバラバラに成った時に、
ああ、もうこの三人を見れないのは残念だなって思ったりもしてました。
いやほんと、マスコット関係の掛け合いとかすごく好きだったんですよ、ええ。
それがこんなことになろうとは……。綾乃はやっちまっただけでもあれなのにまさかの遅れてきたヒーローでうわあ。
初春の出しきった答えがまさに綾乃のどん詰まりに対する論破になれちゃう点も救われねえ。
でも初春は本当にかっこよかった。蒸気が起こす風になびかれてるシーンとか原作絵で浮かんだもの。

557名無しさん:2015/10/13(火) 00:00:32 ID:hmDojidw0
大作の投下乙です
熱い、とにかく熱い展開でした
最初の正義論、過酷な現実の中で生きてきたアスカにとっては、初春の考え方は煮詰めた砂糖のように甘ったるいものだったんでしょうね
それでも激昂して罵倒したことが、こうして初春の覚悟完了へのきっかけになったと
正直アスカは犠牲になって死んでしまうと思っていました、悲しくても受け入れなきゃと
そこに初春が駆け付けてくれた時はほんと、嬉しかったです
そして、同じビデオを見た者同士の価値観のぶつかり合い、その上で御手洗をも救ってみせると豪語した初春
お前今、一番輝いてるぜ
一方で歪んでしまった綾乃…
幽助やアスカなら理解してあげられるがどうなる

558名無しさん:2015/10/13(火) 00:04:10 ID:hmDojidw0
あと、ひとつだけ、気になったことがあるんですが、初春の能力のことです
クロスオーバー要素として、すごく良いなと思ったんですが、水を瞬時に蒸発させるレベルの温度が使えたとして、その水に覆われてるアスカの首から上も、蒸発の際にかなりの影響が出てしまうのでは、と思います
恐らく酷い火傷になってしまうかも…

ですので、最初のアスカ救出時には別の手段で助け出して、御手洗が襲いかかってきた時に能力を使用する、という流れに変えてはどうでしょう?
あくまでパッと思い付いた提案なので書き手さんに任せますが、修正は必要なのかな?と感じました

559 ◆sRnD4f8YDA:2015/10/29(木) 16:55:24 ID:E6SRjAvY0
≫547-548
の一部を修正します。遅くなってすみません。

560 ◆sRnD4f8YDA:2015/10/29(木) 16:58:04 ID:E6SRjAvY0

御手洗は大口を開けて泣く様に叫ぶ。 裏返った声は、びりびりと初春とアスカの鼓膜を揺らした。
瞬間、どう、と館内の空気が揺れる。床の水が畝りながらぐるぐると渦巻き、その中から獣の形をした水兵が初春達へと襲いかかった。
初春は、襲いかかる水獣を一体一体右手で触れてゆく。触れられた水兵は、掌との設置部からぶくぶくと泡立ち、派手な爆発音と共に白い煙と化していった。
その正体は果たして“蒸発”であり、それは彼女の持つ超能力『定温保存<サーマルハンド>』に由来する“分子運動操作”であった。

「ふざけてなんか、ないですよ。やっと見つけたんですから。私だけの、現実を!!」

尤も彼女は本来あくまでレベル1の微弱な超能力者で、せいぜいが物体保温程度の能力限界だった。
彼女は本来の能力である分子運動の操作を、速めることも遅くすることも出来ず、“現状の運動を維持”する事しか出来なかったのだ。
それをここまでの短時間で、水分子の動きを活発化させ水を蒸発させるまでのレベル3後半相当能力に向上させることが出来たのは、
元々彼女がレベル5に負けずとも劣らぬ高い演算処理能力を持っていた故でもあったが、むしろ『自分だけの現実<パーソナルリアリティ>』の観測が、極めて苦手だった事に起因する。

『自分だけの現実<パーソナルリアリティ>』は、妄想、或いは信じる力である。

これは初春飾利の持論であり、それは暗にレベル1である自らの信じる力の無さを肯定していなければ、発することの出来ない言葉だった。
初春は自分が弱い人間だと知っていたし、自分の可能性を信じることが出来ないことも知っていたのだ。
それは彼女がそもそも常識からズレた事象、妄想、願掛けの類を嫌う傾向にある、ある種の数学的理論屋の側面を強く持っている為でもあったが、
また、“とある機構を植物に模し様々な角度から想像する”という彼女独自の計算式と技能が、自分だけの現実の分析に通用しなかった為でもある。
初春はそれ故に、理論や常識で片付けることの出来ない自分だけの現実の観測が極めて不得手であった。
やがて彼女は、能力向上を諦めた。自分にはそれよりもよっぽど没頭でき、他の追随を許さない情報処理の技能があり、また、同時にそれがアイデンティティだったうえ、
何より、内部的要因により自身が変わることは不可能だと確信していたからだ。そうでなければ、何かを変えてくれると期待して風紀委員に入るものか。
初春は外部的要因で能力外の部分を変えようと考えていたし、今までの生活においてそれに不都合はなかった。
むしろ、能力を使う機会そのものが無かったのだ。強い能力を持つ仲間、後ろ盾でもある組織、また自分の生命線である情報処理。それを最大限に発揮できるパソコン。それだけあれば十二分だったからだ。

しかし、この島はそれを尽く拒絶した。風紀委員を、パソコンを、仲間を、法を、正義を、夢を、希望を、アイデンティティを。少女から、全てを無残にも取り上げた。
外部的要因を全て失った初春飾利には、最初から、壊れてしまうか、内部的要因により決断と成長をする二択しか残っていなかったのだ。
彼女は一時は壊れてしまったものの、紆余曲折を経て結果的に今、成長と決断を迫られた。
それは彼女にとって想像を絶するストレスでもあったが、同時に自分だけの現実と改めて対峙するチャンスでもあった。
この舞台上では、信じるものが、自分の倫理観と意思以外に殆ど存在しないからだ。

そして、最終的に初春飾利は自分の正義観と、自分が出来る可能性に向き合い、彼女なりの現実へ足を進め、飛び立った。
理屈よりも、分かっている未来よりも、理想と信念と、“今”を優先したのだ。今しかない。式波・アスカ・ラングレーの言葉通りだった。
そうして彼女はがむしゃらに足を動かし、闇を突っ切り、此処へと辿り着く。

目の前に化物が、それに取り込まれたアスカが居たのを見て、初春は全く迷わなかった。
彼女を守る。助け出す。それだけを理由に、限界寸前の足に鞭を打ち、走った。走った。走り抜けた。
水兵に触れた瞬間、初春は不思議と何をどうすればアスカを救い出せるのかを手に取るように把握できた。
助け出すという目的が、助け出す為の手段に転じたのだ。
彼女が持つ救う為の手段はその能力しかなかった。打開策らしいものを何も用意せずに突っ走った事が功を奏した。
自分なりの現実、答えを見つけ出し、彼女を助けられると根拠も無く信じた彼女は、故に自分の可能性、能力をも信じることが出来た。
その瞬間、彼女の能力は持ち前の演算能力を以って、数段階の爆発的進化を遂げる。

561 ◆sRnD4f8YDA:2015/10/29(木) 16:58:41 ID:E6SRjAvY0
初春飾利の能力は、一見熱操作に見えるが、しかしその真髄は、熱ではなく分子運動の操作にある。
沸点と融点の操作だけでもそのポテンシャルは目を見張るものがあるが、もっとごく単純な話、彼女には“液体操作”が可能だった。
これは偶然にも御手洗清志の水兵と能力が合致するが、しかしその操作力には歴然の差があった。何故なら御手洗清志の水兵には、水の操作はできても水の状態の操作まではできないからだ。
即ち、水兵に出来るのはあくまでも水の状態を維持する程度までの分子運動操作。
しかし初春は、水の運動のみならず状態をも操れる。分子運動を停止させて凍らせる事、活発化させて沸騰させる事。
ただ、初春には複雑な操作や遠隔操作が出来なかった、水で人形を作るような真似は出来ないし、水を使って敵を感知したり、離れた場所で生物のように動かす事は出来ないのだ。
いずれにせよ、初春は御手洗の水兵に触れた瞬間、“水分子を操る権利”をその操作力の強さで奪い取る事が出来た。

初撃は、初春とて迷いがあった。水に囚われたアスカを助け出すには、水を蒸発する行為はNGだ。そんな暴挙に出れば、彼女を助け出すどころか火傷では済まない事態になる。
しかし、水分子の流れを操作して、水兵をアスカを中心に外部へ放射状に爆散させる事なら、初春の能力でも可能だった。
故に彼女は、熱運動ではなく、分子そのもの、水流を操作してアスカの奪取を成功させた。

操作力にて、初春飾利の“定温保存”は“水兵”の完全なる上位互換。
故に彼女の両手は、彼にとっての“幻想殺し”足り得る。
初春は、この島最強の能力者を自負する御手洗の、唯一の天敵だったのだ。

「アンタ、馬鹿ァ……?」

襲いかかる水兵を軒並み沸騰させ水蒸気へと気化させる初春の背へ、アスカが呆れたように訊く。

562 ◆sRnD4f8YDA:2015/10/29(木) 16:59:43 ID:E6SRjAvY0
修正投下を終わります。
初春の能力の解釈で問題ありましたら、ご指摘願います。

563 ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 20:56:13 ID:YiPBGXDk0
修正乙です
御手洗との対立の構図もより面白くなりましたし、これで問題ないと思います

では、こちらも予約破棄していた分のゲリラ投下をします
最初に言っておくと、実は当初の予定よりもかなり分量が多くなってしまい
前半部分だけをまず投下することにしました
破棄の上に変則的な形となってしまい、申し訳ありません

564言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 20:59:12 ID:YiPBGXDk0
正式タイトル『言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、俺は俺をだますことなく生きていく』
(タイトルが長すぎて一度エラー食らいました)

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跡形もなくなった。
違う、『跡形だらけになった』と表現すべきだろう。

天を突く塔のような建造物がひとつ、ごっそりと崩れ落ちたのだから。
ここはさしずめ神様のごみ捨て場だろうかというほどの瓦礫が、小高い丘を一面に埋めつくして鉄筋の山と成していた。
今になってもまだ瓦礫が崩れ足りないように陥没を起こす音が響いて、時おり地面を余震のように揺らす。
月灯りのしたに輪郭だけを残して、『跡形だらけ』は夜闇へと埋没していた。
百メートルは離れていようかという、この杉林にさえコンクリートの塊がごろごろと散乱している。

あの瓦礫の山の最下層に、何人もの中学生が、何十匹もの犬たちが、埋もれて眠っている。

杉林の合い間からその光景をのぞいて、悪趣味な塚のようだと七原は思った。
文字どおりの一括埋葬。破壊した者も、破壊された者も、等しく飲まれて見えなくなった。

「植木は、『死にたくねぇ』って心の中で思ったとしても、言わない奴だったんだ」

菊地善人と名乗った少年は、そう言った。
横目に見ていたのは、そんな瓦礫の雨に打たれた少年の死体だった。
崩れ落ちたホテルの中から、七原によって転移させられて。
尋常ではない量の赤い血液でその身を汚したまま、永遠に動かなくなっている。

「俺、最初は植木耕助って奴はズレてるんだと思った。
哲学者のカントっつうおっさんが『道徳形而上学言論』の中で『正義の源は行動ではなく動機にある』とか書いてるのを読んだことがあってな。
おおざっぱに言うと『正義かどうかが決まる法則は、最善の行動をしたかどうかじゃなく、自分を犠牲にして他人のために尽くす動機があったかどうかで決まる』っつう理論なんだが。
俺は最初、『植木の法則』もその類だと思ってた。最初から正しかったんだ。
でも、正しすぎて周りとズレてて、バロウが襲ってきた時も、率先して自分が盾になって。
皆を守るのが当たり前で、自分が真っ先に死ぬようなことをして。
正しいだけで、こんな場所だと何も守れないかもしれない。そういう危うい奴なんだと思ってた」

菊地善人は、片膝をたてて座ったまま話している。
少し離れた位置に横たえた植木耕助を、埋葬しようという動きは見せない。
埋めたくない気持ちは、七原にも理解できた。
植木から間隔を置いて、さっきまで一緒だった少女も寝かされているから。
誰も掘り返さないホテルの跡地に埋められる瀬戸際から連れ出したのに、また地面の中へと遺体を埋める。
弔うためとはいえ、『どう違うのだ』と思ってしまうだろう。

「話を聞く限りだと、えらく我が儘な奴だな。付き合わされたら心労で死ねそうだ」
「……そうかもしれないな。勝手だったのかもしれない。
でも、シンジが死んでからは、身勝手じゃなくなっていったんだ。
 それに、俺の考えていたことだって違ってたんだ」

565言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:00:37 ID:YiPBGXDk0
語られる植木耕助という人物像は、七原にとって意外でもあり、どこか納得する印象でもあった。
宗屋ヒデヨシやテンコと情報交換したときは、植木耕助とはたいそう頼りになるヒーローのような男だと聞いていた。
それはそれで、誤りでは無かったのだろう。少なくとも、無条件で絶対に助けに来てくれる存在なんて『頼りになる』と形容してなんら差し支えない。
けれど、それだけでもない。

「植木は、自分以外の人間が――友達が目の前で死んでいった時に、すげぇ辛そうにして、泣いてたんだ。
ほんのちょっと一緒に笑いあっただけの俺らを、あっさり気の合う仲間だと思ってたんだ。
だから――正しいからとかじゃなくて、仲間だと思ったから、本気でバロウから守ろうとしてくれたんだ。
俺は、実際のところ、そういう植木と一緒にいるのが楽だった」

ただ一緒にいるだけで、楽になったんだ、と。

「だから、アイツはAIみたいに倫理的なことを自動で判断して動いてたわけじゃねぇよ。
植木だって、俺たちと同じ中学生だったんだ。
我が儘だったとしても、仲間を失いたくないから動いちまうことぐらいあるだろ」

それは淡々とした言葉だったけれど、必死に訴えるような熱がこもっていた。
なぜだか、七原は思い出した。
死んだ結衣とレナのことでテンコと喧嘩になって、黒子から『二人はそうとしか生きられなかったんだと思います』と、言われたことを。
正しいと思ったことをしたのではなく、そうとしか生きられなかったと。
そして菊地は念を押すように、七原を見つめて聞いた。

「その植木が言ったんだな。死にたくない、って」
「ああ、自分の命惜しさで言ったわけじゃなかったけどね」
「でも、自分が生きなきゃいけないから、死にたくないって言えるようになったんだな?」

頷くと、菊地は目元でも隠すように手のひらでメガネを覆った。
口が、『ちくしょう』という形に動いた。
少しだけ、堪えるようにそうしていた。

「七原だったか。ありがとうよ。最後に植木を救ってくれて」

七原は、それには答えなかった。
まだ自分の為したことが本当に『救い』なのかどうかよく分からなかったし、七原は七原で、菊地が看取った方の人間を思うところがあったから。

「あいつは――切原は、笑って死んだんだな?」

言ってから、気づいた。
あの悪魔だった者のことを『切原』と名前で呼んだのは、これが初めてだった。

566言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:01:49 ID:YiPBGXDk0
「ああ。『お前のことを心配してるやつがいたぞ』って伝えたら……憑き物が落ちたみたいな顔してたよ」
「……帰る場所なんて無い無いってしつこかったのに、最後は『やっぱり帰る場所ありました』で終わりかよ。幸せなもんだな」

吐き捨てるように、そう言ってしまった。
その語気に、菊地がややたじろいだ反応を見せる。
それが、ささくれた七原には苛立ちとして蓄積された。
俺があいつを悪しざまに言うのがそんなに意外かよ、と。

許そう、とは思わない。
許せるはずがない。
散々に暴れて、きっちり人のトラウマを抉るように、言いたいことを喚き散らして、
身勝手な理由で少女を二人殺して、それなのに奪われた被害者ヅラをしていて。
船見結衣と竜宮レナを、殺された。
彼女たちを切り捨てようとした七原がこう言うのは傲慢かもしれないが、美味しい肉じゃがを作ってくれた子たちだったのに。
そのあげくに、『お前には七原とは違ってまだ帰る場所がある』という指摘を、半ば以上認めるような形で死んでいった。

『ワイルドセブン』の引き金は、決してそこにかけた指をおろさない。
七原にとっての何者かだった少女たちを殺した人間から、憎しみを取り消すことなど不可能だ。
一度奇跡的に心を繋げられたからといってあっさり許せるのなら、それはどんな聖人だと吐き捨てている。

その苛立ちが挙動に出てしまったのか。
菊地は申し訳なさそうに嘆息し、そして控えめな声で言った。

「すまん、俺は――あいつに命を救けられたもんだから」
「知ってるよ。――俺もだよ」

知っている。
だが、しかし、それでも、と。

567言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:02:55 ID:YiPBGXDk0
切原赤也は、おそらく『悪魔』という呼称で片付けていい存在ではなかった。
白井黒子と同じ中学生だった。
そして、彼女と言葉を交わし、戦闘を交わし、最後には心を交わした。
崩れゆくすべての中で、白井黒子を、七原秋也を、菊地善人を、全員を救けるべく動いた。
そして、七原秋也と、わずかな間でも同調(シンクロ)をした。
未だにこの身に宿るたしかな能力(チカラ)。
触れたものを転移させる、『自分だけの現実』。
それは間違いなく、まぎれもなく、白井黒子と、切原赤也が、授けていったのだ。

「最後に俺に見せた笑顔はここにいない誰か宛てかもしれないけど、それを信じさせたのは白井さんか、七原がしたことの結果なんだろうさ。
なぜなら、俺じゃないことだけは確かなんだからな」

切原赤也が、最後に信じたのは何だ。かつての仲間か――おそらくそれだけではない。
不定形の『じぶん』を信じたのだろう。白井黒子もあの海岸でそうしたように。

「白井の勝ちか――いや、あいつはそういう言い方はしないだろうな」

彼女なら言うだろう。貫いて、そして守っただけだと。
何を貫き、何を守ったか。それは――
問うまでもなく、既に七原は聞いていた。

「そうだ、あんた――七原だったな。
こんな時で悪いが、杉浦綾乃っていうポニーテールの女の子を見なかったか?
海洋研究所に探しにいたかもしれないんだ」

七原の納得したような表情の変化を、見て取ったのか。
菊地はおずおずと、そしていきなり話題を切り替えた。
もとはと言えば、その女の子を探していたんだと。
知り合ったばかりの男の前で余韻に浸っていた気まずさもあったので、さっと意識を切り替えていく。

杉浦綾乃――名前くらいは聞いたことが無いわけでもない。
赤座あかりか、あるいは白井黒子か、とにかくホテルでとりとめなくお互いの話をしていた時に、そういう名前を紹介された覚えがあるような、無いような。
つまり想像できるのは、おそらくこの菊地善人とは異なる世界からきた中学生であり、殺し合いの中で知り合ってしばらく一緒にいたのだろうということ。
おそらく、七原と白井のような喧嘩上等の関係ではなく、普通に仲良くなった関係として。
ふと、いつか親友から言われた言葉を思い出した。

――おまえたち、いいカップルに見えたんだ。さっき。

「あんたら――いいカップルだったのか?」
「は!?」

568言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:04:01 ID:YiPBGXDk0
菊地善人は、ぼけっとした。
それはもう、知り合って間もない七原でさえ『こういう顔をする菊地は珍しいのだろう』と分かるほどにぼけっとした。
だったので、七原もさすがに察した。

「いや、今のは無しだ。……俺たちは海洋研究所で切原に遭ってからここまで来たけど、誰とも会わなかったよ」
「そうか……ありがとな」

悄然と肩を落としながらも、今度の菊地は冷静だった。
噛み締めるように頷き、黙考するような素振りを取る。
もとより大きな期待は抱いていなかったのだろう。七原たちと杉浦綾乃が遭遇していて、なおかつ彼女が生存しているならば、今ここまで来ている方が自然なのだから。
こちらも、探し人の特徴を聞き出すことにかこつけて情報交換に持ち込むべきか。
七原の方もそう思考した時、菊地が「そうだ」と言った。

「浦飯幽助、常磐愛、バロウ・エシャロット……こいつらの、知り合いだったりしないか?」
「いいや。名前を聞いたことある奴はいないでもないが、特に接点は無いな」

そう答えると、今度は嘆息した。
それはまるで、がっかりすると同時にどこか安堵しているように見えた。
違和感のある態度。
七原は観察力を尖らせて、そこに疑う余地を見出す。だから尋ねた。
我ながら、意地の悪い問いかけを。

「おかしな聞き方をするんだな。もし、はぐれた知り合いを探してるんなら『そいつと知り合いかどうか』なんて聞き方はしない。
さっきみたいに『会ったかどうか』を聞く方が先決だからな。
まず『関係者かどうか』を確認する……こいつはまるで、恨みを晴らしたい相手を探る時のやり方だ」

菊地の身体に、電撃のような緊張が走り抜けるのを七原は見た。
改めて七原へと向けられる視線が、『こいつは信頼しても大丈夫なのか』と探るようなそれへと変わる。
声の出し方も少なからず硬化させて、菊地は言った。

「……言っとくが、そいつらは誰にとっても危険人物だ。
 だから殺してもいいなんて言うつもりはないけど、さっきの七原達だって『復讐は絶対にNO』って思想でも無いんだろ?」

なるほど、その通り。
先刻の戦いで、これは俺たちの因縁なのだから、殺し合いになるだろうけど手を出すなと、七原は菊地たちに公言している。

「ああ、別にアンタを責めるつもりは無いよ。ただ、気になるんだ。
俺がもし『その人達はボクの大切なお友達なんです。何をしたかは知りませんが、ボクが絶対に止めますからどうか殺さないでください』って答えたらどうしてた」

569言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:05:23 ID:YiPBGXDk0

少し、痛いところを突かれたという顔。
そんなところだろうかと、菊地の苦そうな表情を見て推測する。

「そうだな……そのときは悪いと思ったかもしれないけど、『よし分かった、あいつらが改心してくれると信じよう』にはならなかっただろうな。
第一、 お友達から説得されたぐらいで良心を取り戻す連中じゃない、あいつらは」

七原にとって、それは甘かった。煮え切らなかった。
冷徹に腹を据えているようで、まったく甘いと思った。だから七原はそう言った。

「ツメが甘いな。そこまでキマってるなら、最初からあんな聞き方しちゃいけねぇよ。
俺がその浦飯ってやつの親友だったら、お前を止めにかかってたかもしれないんだぜ?」
「手厳しいんだな。七原には、それができるぐらいに殺す覚悟が決まってるのか」

いくらか警戒を孕んだ声に、「まぁな」と軽く肩をすくめて返す。
人を食ったような返答になってしまったが、これでも内心ではひどく驚いていた。
最初から『殺して終わらせる』ことを(まだ煮え切らない言い回しだが)肯定している反抗者に出会ったのは、なんとこれが初めてのことだ。

――よりによって白井黒子が死んだ直後に、『初めて』を経験したくはなかったが。

「それより、その三人は危険だって話してくれるなら、どう危険なのかも教えてくれるとありがたいんだけどな」

己ばかり情報を吐き出す側になっていることに抵抗もあったのか、菊地はまったく正論だと頷きながらも眉をひそめていた。
しかし、語りだした。
やはり根の部分では警戒心が薄いのか、それとも七原に詳らかにしたところで、マイナスにはならないだろうと判断したのか。


◆  ◆  ◆


たびたび毒を含ませた皮肉だらけの言い回しをする、鼻につく男。
それが、ここまでの七原秋也に対する菊地善人の総評だった。
ただし、それをことさらに憤慨したり、いわゆる『こんな怪しい男と一緒にいられるか!俺は部屋に戻る!』とかやらかすほど菊地も神経質ではない。
菊地がここに至るまでに何度も仲間を失ったように、七原秋也だって多数の喪失を経験してきたに違いないのだから。
むしろ、三十数人の死体が転がっているこの場所で、未だに精神をすり減らすことなく健全そのものの中学生がいたら、そちらの正気が疑わしいところだ。
七原秋也から雰囲気として見え隠れしている凶暴さを帯びた何かも、この世界では『よくあること』のひとつでしかないのかもしれない。
それに正直なところを言えば、悪い意味でなく、驚いている。
七原の言う『覚悟』について、探りたいと思っている。

それはつまり、『敵を殺人によって排除する覚悟』ということだから。

菊地は何度も『防衛のために殺すことを否定しない』『殺人を否定するなら殺しに代わる手段を見つけろ』と綾乃たちに説いてきたけれど。
同じように、己にもそれができるのかと自問してきたけれど。
あからさまに『殺して終わらせる』ことを(断言は避けているようだが)肯定している反抗者に出会ったのは、なんとこれが初めてのことだ。

570言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:06:29 ID:YiPBGXDk0



「――待て」



七原秋也が、止めた。

「そいつは本当に、宗屋ヒデヨシか?」

宗屋ヒデヨシの臨終を聞いて、そう遮った。

「それは、どういう意味だ?」

真面目な顔で不可解な質問をされて、菊地は眉にしわを寄せる。
しかし、察しの良い方である彼は、すぐにその理由を閃いた。

「お前……もしかして、俺たちが出会う前の宗屋ヒデヨシに会ったのか?」

ここで初めて名前を登場させたはずの宗屋ヒデヨシにだけ追及をするとしたら、その可能性がまず浮かんだ。
そして……邪推かもしれないが、『それは本当に宗屋ヒデヨシなのか』という尋ね方が怪しい。
七原にとっての宗屋ヒデヨシは、『菊地が話したようなことをしない』ということなのか。
自覚的に険しい目をしていく菊地を見て、七原はひとつ嘆息した。
やれやれ、と。これからとても疲れることをするかのような、そんなため息だった。

「最初に警告しておく。俺は嘘をつくつもりはないが、信じるかどうかはアンタしだいだ」

そう言って、七原は不思議な動きをした。
右手を己の胸にあてて、少しの間だけ、目を閉じていたのだ。
まるで、話すべきかどうかを自問するように。
胸の中に、問うべき誰かでも住んでいるかのように。
そして、告げた。

「宗屋は、赤座あかりを殺したよ」


◆  ◆  ◆

571言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:07:15 ID:YiPBGXDk0

全てを話した。
最初に山小屋の近くで宗屋ヒデヨシに佐天涙子の二人と出会ったところから、
宗屋ヒデヨシの錯乱に振り回されてホテルを逃げ出し、海洋研究所に流れ着いたところまで。

「おい」

遮ることなく全て聴いた菊地は、冷たい声を出した。
言葉を探すように唾をのみ、ずれたメガネを直す。
そして声の温度をそのままに、言った。

「じゃあ何か?
お前の知ってる『宗屋ヒデヨシ』は、『だだをこねて仲間内に亀裂をいれた上、急に疑心暗鬼にかられて戦闘を妨害したあげく、発狂してなんの罪もない赤座あかりを撃ち殺して逃げていった』。
そういう奴だってことか?」
「『俺の知ってる宗屋ヒデヨシ』なら、その通りだ。アンタの知ってる宗屋はまた違ったらしいけどな」

菊地にしてみれば信じられないような話だろうが、七原からしても困惑するような話だ。
あのヒデヨシが、植木耕助たちと再会したときには本来の勇敢なヒデヨシとして行動しており、仲間のことを激励しながら希望を残して死んでいった、なんて結末は。
信じるかどうかは菊地善人しだい。
そう警告しておいたが、さて。

「……俺は、信じられないとは言わないさ。
だが、つまり、七原はどう思ってるんだ?」

質問に、質問が帰ってきた。

「宗屋ヒデヨシ君は、殺し合いの極限状況やら、桐山和雄がいるストレスに耐えられなくて発狂しました。
だから身体を張って植木君を助けてくれたのも何かの間違いです。
彼を殺しにかかっていた浦飯君たちも、もしかしたら狂った彼と戦っていただけなのかもしれません。
そういうことになるのか? そう言いたいのか?」
「そこまでは言わないさ。本当に浦飯とやらが凶悪犯なのかは正直決め打ちできないけど、
もしそいつらが襲ってきたりしたら容赦なく殺せるしな。
 だから、俺としては話の真偽がどうだったとしてもスタンスは変わらないんだ。信じるかはアンタの問題だよ」

572言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:08:02 ID:YiPBGXDk0
菊地がギリ、と唇を噛んだ。
信じられないと言いたいのか、あるいは他人事のようにスタンスが変わらないままの七原に苛立ったのか、どちらにせよ七原に対する好感情でないことだけは伝わる。
こうなるだろうからこそ、さっき話すかどうかで躊躇したのだから。

「なら、聞き方を変えるぞ。宗屋ヒデヨシは、どうして赤座あかりを殺したんだと思う?」
「分からないさ。俺たちはあんたと植木ほど『一緒にいて楽な仲間』じゃなかったからな。
主催者は殺し合いで優勝すれば生き返らせるとか抜かしてたが、その放送があったのはあの一件の後だしな。
ただ……そうだな。強いて言えば、宗屋は俺たちに知らない『何か』をポケットに隠し持ってた。
秘密兵器の支給品か何かを見て、『赤座あかりは殺さなきゃ』と思っちまうようなことを知ったのかもしれない。良くない未来を予知したとか」

あるいはその時点で発狂していたのかも、という可能性はさすがに言わなかった。
何も好きこのんで菊地を苛立たせることを言うつもりはない。
ただ、七原視点では、その可能性もあったのではないかとさえ思っている。
宗屋ヒデヨシは、『全員で欠けずに仲良く力を合わせてハッピーエンドを迎える』ことにこだわっていたから。
かつての七原秋也と同じぐらい、そう願っていたから。
それが絶望視されたときに何を思い、どんな行動に走るのかなど、それこそ『未来予知』でも使わなければ読めなかっただろう。

「俺は――あんたの話を嘘八百だと決め付けるわけじゃない。
それでも『俺の見た宗屋ヒデヨシ』を信じる」

そして、菊地はそう言った。
断固として譲らない。
菊地の声色が、メガネの奥の眼が、そう言っていた。

「宗屋ヒデヨシは、アンタの言うとおりホテルを出た時には錯乱してたのかもしれない。
でも、その後でちゃんと正気に戻ってくれたんだと、そう信じる。
だってあいつは、『後を任せた』って言ったんだ。
植木に――今となっちゃ俺に、自分のやろうとしたことを託そうとしたんだ。
錯乱して人を殺し回ってたような奴が、仲間にそんな風に託せるわけがない。
あいつは自分の過ちに気がついたんだ。でも、せっかくまっとうな道に戻れたのに、浦飯の連中に殺されちまったんだ」
「そうか」

菊地は、あくまでヒデヨシを信じる方を選んだ。
だとすれば、七原の立場からは何も言うことはない。
七原秋也は、浦飯幽助のことも常磐愛のことも知らないし、宗屋ヒデヨシが命を落とした場面も目にしていないのだから。
ただ、あれだけの事をやらかしておきながら、それでも仲間との絆を持ち続けたまま逝けたのかという虚しさだとかやっかみが少しあるだけだ。
これで宗屋ヒデヨシの話は終わり。あとは菊地善人とせいぜい傷つけ合わない関係を築ければいい。

573言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:08:43 ID:YiPBGXDk0
「それで、大事な仲間を殺された仇だから、さっきの三人は問答無用で撃ち殺すのか?
そりゃまたずいぶんと短絡的に方針転換したもんだな」

それでいい。
そのはずだった。
文句も不満も何もないし、ちょっかいを出すような権利も義務もないはずだった。
七原は浦飯や常磐に関する因縁の外にいて、完全なる第三者のはず、だったから。

「短絡的、かよ?」
「植木耕助の仲間だったにしちゃ、短絡的だなぁと思ったんだよ。
 あいつは、あの切原のことも『救けられないって諦めるのは、嫌いだ』って言ってたぜ。
 最後の時も、誰も彼も守るんだとか『正義』だとか言ってたな。
『託された』ってんなら、植木は浦飯や常磐を殺すことなんか託しちゃいなかったんじゃないのか」

菊地の顔に、石でもぶつけられたようにカッと怒りが点った。

「ああ、そうだよ。これは植木じゃない俺の――それも【正義】なんかじゃない、偽善者【さつじんき】の考えだ。
植木や杉浦が見たら、激怒して止められるだろうさ。『独善で突っ走らないことを説いた菊地先生が、どうしてそんなことをするんだ』ってな」

吐き捨てるような言葉。
ああ、そりゃあ怒るだろうなと思いつつ、しかし怒らせていることが何故かたいそう小気味よかった。
なぜ、菊池に苛立つのかがよく分からない。白井との喧嘩ではあるまいし、この状況下で争ったところで誰も得をしないのに。

「殺人鬼――ねぇ。じゃあ菊地から見て、俺も殺人鬼になるのか?」
「殺したかどうかじゃなくて、在り方の問題だよ。
たしかに俺は平和ボケした日本人として15年生きてきたけど、『殺さなきゃ殺される』って時に、考え抜いた上で殺すことを否定するつもりはなかったんだ。
極端な話、たとえ『死にたくないから殺し合いに乗ります』って考えだったとしてもな。
そういうやつらを殺人鬼呼ばわりするほど、冷たい人間にはなりたくないんだ」

最初から殺すことを否定していたわけじゃなかった。
その言葉は七原にとっては意外だったし、そこに関しては悪くない思いがした。
少なくともこの場所では、ずっと見えないところでも『お前は間違っている』と言われ続けていた気がしたから。

574言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:09:58 ID:YiPBGXDk0
「でも、今の俺はそうじゃないんだ。考えずに殺そうとしてる。まだ迷ってる。
どころか、今さら自分のやろうとすることは、間違いだと思ってる。
植木や宗屋に託されたとか言いながら、アイツ等の遺志を裏切るようなことをするんだからな。
植木は、『全員を救ってみせる』って言った。
杉浦は、『人を殺さなくても済む方法を絶対に見つける』って言ってた。
アイツ等がどんなに本気でそう思ってたか、知ってるんだ。一番近くで見てたんだから。
これからやることは、殺人である以上に仲間の裏切りなんだ。
何の相談もなしに、杉浦や植木が殺さずに救おうとしたやつらを殺すんだからな」

苛立ちを覚える理由のひとつが、分かった。
おそらく、彼は彼なりに頭が割れそうなほど苦悩しているのだろう。
見ていてそれが分からないほど、七原も想像力が劣悪ではない。
しかし七原視点では、それはそれとして無自覚に酔っているように見える。
悩みに悩んで、酔っているように。

「間違ってると思うならやらなきゃいいじゃないか。
俺だって、『仲間』の遺志を聴いた後だってのに、いきなり逆のことを言い出す奴の覚悟が本物だとは思えねぇよ」

七原だって、一度や二度の失敗で諦めを覚えたわけじゃなかった。
山のような死屍累々を見てきたから、何度も心が死にかけたから、こうなった。
似たような考えの持ち主だというなら一緒に行動するのも楽だけれど、
そいつが『改めて死人を見てナーバスになったから、間違ってることは分かってるけど、本当に本当にやりたくないけど、仲間の復讐に走るのも兼ねてアンタと同じようにします、俺は賢いから』というポーズを取っていたら。
歯ぎしりして憤慨するなという方が無理だ。
ああ、これが理由の二つめだ。
しかし。

「そんなに『いきなり』か? 」

菊地善人が、哂った。

「なぁ、俺は本当に、『いきなり』か?」

とてもただの中学生が、同い年の少年に向ける目つきではなかった。
七原がまさに、その殺したい仇であるかのような目だった。

「たしかに、植木の遺言をもらったそばからこんなことを言い出すのは仲間失格だな。
でもな。じゃあ――その植木を殺したのは、誰だ?」

575言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:11:16 ID:YiPBGXDk0
俺が七原のことを知らないように、七原だって俺のことを知らないだろう。
これが誰にも見せたことのなかった『菊地善人』だと、
夜闇の中でギラギラと光る眼に、そう言われたかのようだった。

「まさか、この崩壊がただの事故だと思ってるわけじゃないよな?
元からホテルが自然崩壊するほどボロかったら、俺たちだってあんな無用心にホテルの中を探し回ったりしなかったよ。
じゃあホテルをぶっ壊したのは誰だ。放送で呼ばれた人数を引いて、生存者は18人。
ホテルの下にいた5人を差し引いて13人だ。俺の知ってる殺し合い反対派を差し引けば、容疑者はもっと狭められるな。
今のところ、最有力容疑者はバロウだよ。あいつの『神器』を使えば、ボロボロのホテルを倒壊させるぐらいはできるだろうさ。
浦飯にもやれるだろうけど、あの光線を撃ったなら目立つはずだし、俺たちもあの遭遇からかなり急いでここまで来たからな。可能性としてはだいぶ低いってところだ。
もしくは、まだ会ったことない誰かが、俺も知らない能力だとか支給品を使ってやったのかもしれない」

冷静に、おそらくはとても頭脳明晰なのだろう、その理性で分析をしていく。
これまでにどうやって、守りたかったものを潰されたのか。

「『いまさら』なんだよ。こんな場所で、手を汚すことを否定はしないさ。けど、許せるはずもないだろ。
殺すかどうかを必死に悩んでる連中のすぐそばで、満足そうに、良心の呵責もなしに人を殺す連中がいる。
バロウは、死にたくないからとかじゃなくて、最初から自分の夢を叶えるために、自分勝手のために殺し合いに乗ったって植木が言ってた。
常盤と浦飯は、俺たちの、仲間の絆を利用して、踏みにじって、陥れて皆殺しにしようとした。
そんな連中のせいで、シンジも、神崎も、宗屋も、植木も、俺の見てる前で殺された。
……守ろうとしても、救けようとしても、主催者の手先みたいな連中がみんなみんな奪っていくんだ。こんなのって、ないだろ?」

誰もが切原のように、よりどころを奪われたせいで『悪魔』として狂ったわけじゃない。
誰もが白井と切原のように、本当は同じ場所に立っているわけじゃない。
最初から痛みもなしに人を殺せる、積極的に悪の道を選んだ中学生もいる。

「七原はさっき言ってたな。桐山和雄は『理由』も無く殺し合いに反抗してたんだって。
その逆の、『理由』もなしに人を殺す悪党もいるんだよな。
そんな奴らを生かしておくのが、がんばって生きてる奴らのためなのか?
この殺し合いを開いた大人どもだってそうだ。もし脱出するまでに連中と戦わなきゃいけないなら、七原だって大人どもを殺すんだろ?」

576言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:12:13 ID:YiPBGXDk0
間違っていることを知りながら、みんなのために殺す。
すべて喪ったと自負する七原と違って、菊地はまだすべて喪っていないのだから。
そういう意味では、彼は『一度目の殺し合い』での七原秋也なのかもしれないし、しかし今の七原と違っているのも無理はない。
喪わないために、失おうとしている。

「俺は、植木の理想が叶うんだってことも、杉浦の『答え』も、守りたいんだ。
 だから、杉浦たちが生きて『殺さないで済む答え』を見つけられるように、俺が、理想を捨てる。
 だってあいつ等には、俺と違って、まだ可能性が残ってるんだから」

本気だった。
その眼は絶望を見てきたように暗いが、七原のように冷えた眼ではない。むしろ、すがりつこうとする者の眼だ。
それもそうかもしれない。彼は七原にとっての中川典子を喪わないように、そうするのだから。
それは、七原からしても、おそらく賢いのだろうと思える決断だ。
だが。

「菊地は、間違ってないよ」

七原は、肯定する。
菊地は驚いた顔を見せ、しかし頷く。
菊池が間違っているなら、七原も間違っているようなものだ。
いや、ある意味では間違っているのかもしれないが、ある少女から『それもまた正しい』と肯定されたばかりだし、ここで自己否定に走っても埓があかない。
これが菊地善人にとっての『正義』なら、否定する理由も否定されるいわれもないはず。
だが。

吐き捨てた。
唾棄するように、吐いて捨てた。

「間違ってない――――――――けどな、気に入らねぇ」

胸のうちに、ふつふつとした怒りが宿る。
はっきりとした。
七原秋也は、こいつだけは、肯定するわけにはいかない。
理由の三つ目。
そして、一番大きな理由だ。

「ああそうだ、さっきから気に入らなかったんだよ」

気に入らない。
間違っているでも、悪いでも、くだらないでもなく。
その表現が、一番しっくり来た。
白井黒子に感じた、灼熱のような羨望と哀れみとは別のものだ。
少なくとも、七原秋也はこいつを羨ましいとか妬ましいとは絶対に思わない。
いや、『一緒にいるだけで楽になれる』なんて言葉を何のてらいもなく言えるところに関しては羨ましいかもしれないが。

577言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:13:04 ID:YiPBGXDk0
ただ――とてつもなくムシャクシャと、怒りがある。
俺の絶望(カクゴ)を、こんな半端な覚悟と同列にされたくないという憤慨がある。
何よりも、一番に気に入らないのは



「殺す理由を仲間のせいにしてんじゃねえよ、頭でっかち」



菊池の頭に青筋が浮くのが、はっきりと見えた。
構うものか。白井黒子だって、すれ違ったら『また喧嘩しろ』と言っている。
仮に黒子がこの場にいて止めたとしても、やっぱり言っていただろうけど。

「何が『みんなのため』だよ。お前はただ、復讐心を満たすために仲間を理由に使ってるだけじゃないか。
みんなのためって言えば、罪悪感が少しはマシになると思ったのかよ。
なら、殺したことのある俺から言ってやる。どんな悪党だろうと、狂人だろうと、殺したら手は汚れるんだ。傷だらけになるんだ。誤魔化すな。
桐山は理由もなしに殺す危険人物だったけどな、それでもアイツだって被害者だったことには変わらねぇんだ。正しいと思ってないくせに、正義の味方(ヒーロー)気取ってんじゃねぇ」
「は? お前今、『気取り』っつったか」

青筋を浮かせて怒る菊地が、視線を刃のように携えて七原を睨み据える。
ちっとも恐れるものではない。今の七原なら、鼻で笑えた。

「気取りだよ。俺の知ってる本物の『正義の味方(ヒーロー)』はな、一度も俺や切原やロベルトのことを『悪』とは言わなかったぜ?
 俺たちの言葉でどんなに傷ついても、『貴方たちのためにやってるのに』とは言わなかったぜ。
 道徳の教科書を丸呑みしたようなことを言ってきたけど、押し付けてきたけど、でも、それが『頼りにされたい』っていう私情で、我儘なんだってことは、否定しなかった」

『ありがとう』や『おつかれさま』を欲しがっていても、欲しがっているからこそ、『私が正義(せいぎ)を実行するのは、皆のためだ』なんて絶対に言わなかった。
七原と否定しあったけど、最後には認め合ったけど、そこだけはずっと変わらなかった。

578言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:14:09 ID:YiPBGXDk0
「それは――俺だって、自分のためでもあって……」
「さっき『仲間への裏切りになるのは分かってる』って言ったな。本当に分かってるのか?
テンコは俺のことを『犠牲になったやつがみんな正しいと思ってる』とか言ってたけどな。
でもな、俺だって、『なんで俺なんかを助けたんだ』って思わないわけじゃない。結果的にどう転ぶかなんて分からないんだ。
俺や白井の見た景色を、お前は見てない。痛みも重さも知らない、まだ堕ちてないお前が、堕ちた景色を見てきた風に語って、仲間まで巻き添えにすんな。
『俺と違って後輩には可能性が残ってる』とか、ぜんぜん感動できねぇよ。自分ができないことを人にやらせて、思考停止してんじゃねぇ」

怒りか、狼狽か、菊地の顔がみるみると鼻白んでいく。
正直なところ、少し愉快だった。
その口が開き、怒鳴り返される。

「だったら! 後輩のためにできること考えるのは無意味かよ! 俺にはそれぐらいしか、してやれることが無いんだよ!」
「無意味じゃないさ。でも、所詮は我儘なんだ。
俺を守って死んだ年上の友達はな、死ぬ時に『復讐なんかしなくていい』って言ってたぜ?
ただ、好きな女の子を守って生きてくれたら、それでいいってな。
でも、俺は、ぶっ壊そうとする方を選んだ。死んでいった連中のために壊したいって思ってたけど、そうじゃない。
俺のためなんだ。そうしなきゃ、俺が前を向いて生きられなかったんだ」

川田章吾は、最後に『国を壊すなんて、そんなことしなくていい』と言った。
その願いを踏みにじりたいわけじゃなかった。それでも、何もしないでいることは選べなかった。

「みんな我儘なんだよ。テレビの中で怪獣を倒してる正義の味方(ヒーロー)は、ついでに街も壊してる。
白井が切原を『帰そう』としたのも我儘なら、俺が『革命』しようとするのも我儘なんだ。植木が仲間を助けようとしたのだって我儘だったろうさ。
でもな、その『我儘』と呼ばれるものこそが、俺たちにとっての、正義(ヒロイズム)なんだ」

つまるところを、そう言った。
菊地にどうしろと言いたいわけじゃない。
ただ、このままだとこいつに未来があるはずないし、きっと白井のように理想のその先に行きつくような結末は得られないと、そう思った。
それに、植木耕助に向かって『想いが死なないようにする』と言ったこともある。
……本当に真からの現実主義者(リアリスト)なら、こんなことで熱くなったりはせずに、菊地のこともなあなあで肯定して利用していくのではないかという自覚もある。

「お前はさっき、自分が『正しくない』と言ったけどな、たとえ正しかったとしてもお前は『正義の味方(ヒーロー)』にはなれないよ。
 誰もが正義の味方(ヒーロー)になれるわけじゃないんだ。なろうとすることもない」

最後に、だいぶ語調を和らげて、そう言った。
誰もがなれるなら、白井だって一度狂いかけることはなかった。
それが分かっているから、七原も、菊地の感情を逆立てないようにそう言った。
だから。

579言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:14:53 ID:YiPBGXDk0

「そうかよ」

その言葉を聞いた菊地が、今までで一番辛そうに表情を歪めるとは、予想外だった。
怒ったのでも、悲しんだのでもなかった。
辛そう、としか形容できなかった。

「そっか。俺は知らないのか。
 そりゃあな。俺にはまだ喪ってない奴らがいるよ。それに、元の世界に帰ったら、まだ生きてる友達だって担任だって待ってるさ」

小声でそんなことを言いさして、その唐突な感情を引っ込める。
無の表情に戻ると、冷徹そうに矢継ぎ早の言葉を繰り出した。

「けどな――お前と同じところまで堕ちなきゃ、何か言う資格さえないのか?
お前、たびたび自分たちが一番不幸みたいな話し方になってるよな。そりゃあ実際、そういう目に遭ったんだろうな。
けど、堕ちなきゃヒーローを語れないみたいに言うな。俺だってな、『お前が俺たちよりどんだけ重いのか』ぐらいは察しがつくんだ」

どうした、まずい地雷でも踏んでしまったのかと、戸惑ったのがしばらくのこと。
そして、遅れて言葉の意味が頭に入ってきてからは、ぎくりとしたのが二割、むっとしたのが八割だった。
不幸ぶっている。それは否定できなかったし、自分の不幸に酔うなんて行為はたいそう嫌悪していたから苦い顔もしたくなる。
白井と喧嘩した時なんかは、露骨に『平和な世界』に向かって八つ当たりをした。
けど、まったく卑屈にならずに生きろという方が無理だろう。むしろ、殺し合いをやっとのこと生き延びて逃亡生活を始めたところで、別の殺し合いに招待されて、ともに生き延びた恋人をも失いました、なんて最悪の経験をしたことに比べれば、ぜんぜん不幸自慢を表に出してない方だとさえ言いたい。
『むっとした』の中身を言葉にするとそういうことで、だから『察しがつくはずない』と思っていた。
たぶん菊地からは『お前は俺よりもずっと仲間の死を見てきたのだろう』とか『お前はとっくに何人か殺してるんだろう』とか、そういうことを言われるのだろうと予想した。

だから、その次の言葉は、頭を横殴りにされるような不意打ちだった。

ペラペラとよどみなく、菊地は暗唱を始めた。
それは、七原もよく知っている言葉だった。

「『さて、『六十八番プログラム』は、そうした情勢下にあるわが国には、ぜひとも必要な実験であります。
 確かに、15歳のうら若い命が幾戦幾万と散ってゆくことについては、私自身も血涙をしぼらずにはおられません。
 しかし、彼らの命がこの瑞穂の国、我ら民族の独立を守るために役立つならば、彼らの失われた血は、肉は、神の御代より今に伝えられましたる美しき我が国に同化し、未来永劫、生き続けるとは言えないでしょうか』」

四月演説。
中学一年の歴史の教科書。
誰も顔さえ見たこと無い、総統閣下のサインがもらえて。

「――待て」

580言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:15:57 ID:YiPBGXDk0
張りつめた声で遮ると、菊地はこれ見よがしに肩をすくめた。

「控えめに言っても頭おかしい演説だよな」
「お前――俺たちと同じ世界から来たのか?」

冷静に顧みれば、『報告書』の時のように支給品を利用したという可能性もあったのだろう。
しかし、そう問い返した七原の顔はかなり間の抜けたものだったらしく、菊地が口端を上げて笑った。
もしかすると、『浦飯たちは仲間ではなく仇だろう』とずばり当てられたことを、やり返したつもりかもしれない。
無言のまま、菊地はディパックを開けて中を探ると、分厚い本を取り出して手渡してきた。
携帯電話の灯りをつけて、七原は本の表紙を確認する。
図書館にあった蔵書らしく、透明なカバーがかけられて、背表紙にはバーコード付きのシールが貼られていた。
年鑑であるらしい、その本のタイトルは『総統閣下の御言葉で振り返る20世紀』。

「杉浦が見つけてきたんだ。四月演説とやらも全文載ってたぜ」
「……一回かそこら読んだだけで覚えたのか? 記憶力がいいんだな」
「リンカーン大統領のゲスティバーグ演説を原文で覚えてみたのに比べりゃ楽だったよ」
「中学生の学習範囲じゃねぇだろ。……どうやって、俺がこの世界出身だと分かった?」

総統閣下に行幸されて歓喜にむせび泣く観衆の写真をひとりひとり油性マジックで仮想的に血まみれにしいたような不快感を抱きながら、七原は本を閉じる。

「俺は今まで少なくとも六つぐらいの世界の人間に会ったけど、大東亜共和国の世界から来た奴は一人もいなかった。
なら、いい加減に遭遇してもおかしくない頃かと思ってたんだ。
そして、仮に俺が悪趣味な殺し合いを主催する大人だったとしたら、だ。この世界から殺し合いの参加者を選ぶとして。
 俺なら普通の一般中学生より、この『プログラム』とやらを経験した中学生の中から選定するね。
だから『この世界』から来た参加者がいたら、そいつは『殺し合い』からのリピーターである可能性が高い。そう思ってたのさ。
で、さっきのアンタの発言を聞く限り、自分には帰る場所が無いみたいな言い方をしたり、殺す覚悟についてよく知ってる風だった。察しがつくには、それで充分だ」

言い終えると菊地は口端をあげたまま、年鑑を受け取ってディパックに戻す。
こいつは本当に何を考えているんだと、七原は苦々しい感情で満たされた。
確かに七原はこいつの神経を逆撫でして苛立たせてきたかもしれないが、しかしそれをやり返すためだけに相手のトラウマかもしれない過去をひけらかすように暴きたててドヤ顔をしたりすれば、その時点でもう立派な『悪者』といっていい。
それが分からないほど周りが見えないわけではないはずだ。

「すごい名探偵だな。いや、本当にすごいよ。これが殺し合いじゃなくて絶海の孤島殺人事件とかだったら菊地善人無双になるな……それで、何が言いたいんだ?」
「いや、前提条件を確認したんだよ。確かに俺はあんたから見たら半端ものなんだろうが、少なくとも俺は『アンタに比べて何も知らない』ことは知ってるんだってな。
それに、もうひとつ聞きたかったのさ。俺は本のおかげでアンタの口から喋るでもなく分かったけど、アンタは今までその身元を仲間に話してきたのか?」
「……相手によったな」

実のところ、白井黒子たちには支給品のせいで丸裸なまでに知られてしまったこともあり、執拗に隠そうとする気もいい加減に失せていたのだが。

581言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:16:52 ID:YiPBGXDk0
「なら、ホテルで白井さんと赤座さんも交えて警戒しながら話し合ってた時には、まず言えなかったってことだよな。
 たぶん、桐山が赤座あかりの友達をヘタすりゃ殺してたことも、桐山和雄に特殊な事情があったことも、桐山と七原が最終的に殺し合うことも、ずっと言えないままだったんじゃないか?」

今さらそこを問うのか、と虚をつかれた。
思えば、スイッチが『七原秋也』から『革命家』へと切り替わったのは、あの会話からだったとも言える。
桐山も宗屋も白井黒子も赤座あかりもいた、あの場所からだった。七原が大東亜共和国のことも桐山のことも伏せて、利害の関係を築こうとしたのは。

「悪いか? 仮に言ってたとしてもまた誰かが暴走するか、まず良い結果には転ばなかっただろうけどな」

あれで間違っていなかったと思っている。
あの場で、まだ互いを理解できていない関係で、『俺たちは互いに脛に傷を持っていますし、桐山にいたっては人を簡単に殺せる人間ですが仲良くやりましょう。赤座さんの友達の船見さんを殺しかけてしまったことはごめんなさい』などと釈明を始める人間がいたら、そちらの方が馬鹿だ。
だいいち白井たちが桐山に反感を持って言い争いになれば、桐山が同盟に見切りをつける可能性さえもあった。

「間違ってないよ。お前は、あの時にできるベストを尽くしたはずだ。
 たとえあの場にいたのが俺だったとしても、桐山って奴を警戒したり、白井さんの反感を懸念したりで、打ち明けたくなくなるだろうな。
 ……けどな、お前は、その後の事件を話すとき、宗屋ヒデヨシの暴走と白井さんの甘さがああいう結果を生んだかのように言ったよな。
 理想や正義で人が救えないってんなら、逆に言うけど、理屈だけで人を動かせるのかよ。
 あの時、宗屋の隣にはいつ人を殺すかしれない危険人物がいた。そいつが人を蜂の巣にするところを見て、知り合いがあっけなく死んだりもしたんだ。
しかも、『出会ったばかり』の七原は、宗屋よりも桐山とばっかり仲が良さそうに話していて。
そんな状態で宗屋に『自分を信用して何もするな』ってのは、ちと要求のレベルが高すぎやしないか?
勘違いするなよ――俺は別に、七原の責任を追及しようだとか、七原は間違ってるとか、そういうことを言いたいんじゃないんだ
『宗屋や白井さんの甘ったるい考えが招いたせいにして、それで終わらせることでも無いよな』って言いたいんだ。つまり――」

口端をあげていた菊地の顔から笑みがすっと引いた。
作り笑いを外した下から出てきたのは、こちらを真剣に見据える顔。
まるで鏡の前で笑顔の練習をしていたら、鏡に映った自分が急に笑顔をやめて真顔になったような不気味さだった。

「ただ、あんたの言葉を借りるなら――間違ってないけど、気に入らねぇ」

菊地が動いたのは、七原がまばたきをして眼を開けるほどの時間だった。
眼前に、握られた『拳』があった。

582言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:17:36 ID:YiPBGXDk0





              !?






親指を人差し指の隣にそえて握りこんだ、りっぱな『ぐー』だった。

おい待て、と思ったがそれで拳が止まるはずがない。
かろうじて、歯を食いしばるのが間に合った。



「頭でっかちで悪かったな!!」



ゴン、と鈍い音を耳ではなく身体が聴いた。
叫び声と同時に、思いっきり殴られていた。
左頬から顎にかけてのあたりをえぐり抜くような一撃だった。
そのまま体が地面を浮き、斜め後方へと吹っ飛ばされて尻餅をついた。

痛い、というよりもひたすら重い、と感じた。
なぜこんなことを、と思うより先に、『こんなに力があったのか』という驚きが先に来た。
地面に手をついて顔を上げた時に、震えの混じった菊地の叫び声が追いかけてきた。

「自分だって理屈ばっかりのくせに、人を理屈だけ呼ばわりしてんじゃねえ!!
俺だってなぁ……好きで半端だったわけじゃねぇよ!!」

殴ったそいつの姿を見れば、姿勢こそ整っているものの、視線はすっかり『ガンをつけている』人間のそれだし、真横に固くむすばれた口元は歯を強く食いしばって臨戦態勢を継続していることが分かる。
殴った拳は、怖いわけでもあるまいに構えられたまま震えていた。
よく分からないが、それでも分かったのは、逆ギレされたということ。

それを理解した瞬間に、七原の理性もまたプッツリと遮断された。

人間なんて、単純なものだ。
宗屋ヒデヨシを初めとする何人もの人間から、行動原理を非難された時よりも。
撃たれたら即死するような銃口を向けられた時よりも。
殺し合いに乗った人間と対峙した時よりも。
“いきなり殴られた”という事実の方が、簡単に『やりかえそう』というリミッターを外した。

七原秋也は、必要なら少女だろうと撃ち殺すつもりの『革命家』だったけれど、
しかし、あの白井黒子にだって、掴み上げても、突きとばしても、それでも手を挙げることだけはしなかったぐらいには『紳士(フェニミスト)』だった。
しかし、

583言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:18:36 ID:YiPBGXDk0
今目の前にいるこいつは、男だ。
いかにもお坊ちゃん育ちのガリ勉くんのような容姿をしているけれど、れっきとした男だ。
それも、おそらく。

――こいつ、歯が折れるぐらいのことは度外視して殴りやがった。

手をあげない、理由がない。



「やりやがったなテメェ!!」



人間を殴り返す時の言葉なんて、どんな状況だろうとテンプレートなものだ。
右の拳を振りかぶり、即座に踏み込む。
元運動部だったこともあってステゴロは経験豊富とはいかないが、これでも孤児院育ちだ。やり方の心得ぐらい当然ある。
だからそこそこ自信のある拳だったのだけれど、菊地は首の動きと軽い後退だけでいなしきった。
何か格闘技の経験でもあるのかと察した時には、空振りした右腕を掴まれている。
菊地の左手だけで七原の腕をねじるように捕らえたまま、二人は30センチ少々の距離で視線を交えた。
ギリ、と歯から軋みの音をさせた後、菊地はまた口を開く。
訴えるような目で、絞り出すような声で。

「資格がないことなんて知ってるさ! でも! 俺だって…………『主人公(ヒーロー)』になりたかったよ!」


◇  ◇  ◇


あらかじめ言っておくと、菊地善人はただの中学生である。
中学生相応の身体に、中学生相応の精神。
担任教師、鬼塚英吉のようなゴキブリ以上のしぶとさもなければ、彼のように何度も生徒を救い、ミラクルを起こすだけの求心力もない。
無茶に無茶をかさねれば道理も吹っ飛ばす、担任教師とは違う。
無茶に無茶をかさねても、できないことだってたくさんある。
菊地のファインプレーで鬼塚や3年4組の生徒たちが助けられたことも何度となくあったけれど、
鬼塚なら身体ひとつで解決するような誘拐事件やら学校籠城事件のような大人の犯罪に身を投じるには、まだまだ経験も実力も伴っていない。
そもそも生徒だから巻き込まれてはならない、そういう年頃の少年に過ぎない。

584言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:19:26 ID:YiPBGXDk0
ただひとつ、『天才』だということを除いては。
どんなことも平均以上、一位が当たり前。
大学のセンター試験を受けても優秀な得点をたたき出せるし、いきなり外国に放り出されても困らないぐらいには複数の外国語に堪能している。
たゆまぬ努力に因っている部分もあるけれど、その努力もひっくるめて『天才』と呼ぶに差し支えない。
しかもいわゆる社会でステイタスとなるお勉強だけに留まらず、数日以内に800万円の借金を返済する方法や、絶対に露見しないカンニングで全国一位を取る作戦を考案したりもする。
身を滅ぼさないラインを見極めた上で『物事を思い通りに運ぶ手腕』を学習していて、実践の機会さえあれば面白がっていかんなく発揮してきた。
それも、ただIQがたくさんあるだけの天才ではない。いつの間にか空手の道場に通って有段者になってしまったりと、『中学生が遭遇するかもしれないたいていのトラブル』にはあっさりと対処できる力を持った天才だ。
神崎麗美という『自分を超える天才』や、鬼塚英吉という『自分にないものを持っている人物』がそばにいたこともあって決して己を過大評価はしていないが、
それでもクラスメイトを相手に『これだから凡人は』と気取るぐらいには有能だし、有能であろうと努力している。

いつか鬼塚だって驚かせるぐらいビッグになってやると、未来の夢を見られるぐらいには。


◇  ◇  ◇


俺だって主人公(ヒーロー)になりたい。
言葉にしてみれば、なんて子どもっぽい、器が小さい、恥ずかしい、菊地様らしくない。

でも、この場所に限っては、そうなりたかった。そうあらなければと思っていた。
だって菊地善人は、最初から意識していたのだから。
『鬼塚英吉は、ここにはいない』
『鬼塚英吉でも、ここまで助けにくるのは不可能だろう』

菊地と神崎麗美が違うのは、鬼塚に対しての認識だった。
神崎は、困った時は助けに来てくれる神様のように思っていたけれど。
菊地は、一人の先生として、同じ人間として見ていた。
過剰に信頼せず、かといって全くの信頼がないとも言わず。

だから、神崎なら思わないことを、決意する。
つまり――あんな主人公(ヒーロー)のように、自分もなりたい。
先生みたいに、殺し合いなんてものを始めた悪党どもに一発キメてやると。

ましてやこの世界には、彼らの鬼塚英吉(主人公)がいなかったのだから。
そして鬼塚英吉がいない3年4組なら、クラスの参謀役である菊地善人が、それらしい役回りを演じてみようとするしかなかったのだから――

585言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:20:44 ID:YiPBGXDk0
「論破されたら暴力かよ。しかも武道を喧嘩に使っていいのか」

七原の右手を止めたのはいいけど、その直後に少し困った。
このまま押し倒しに移行するのは簡単だけれど、一方的に殴りかかって押し倒してにでは、何がしたいのかちょっと分からない。
いや、殴りたいのは本音だったけれど、一方的にフルボッコにしたかったのかと言われたら違う気がすると血が上っているなりに分析する。

「お前こそ、殺し合いの経験がどうたら言ってたくせに、全然なってないじゃねぇか!
人の殴り方も知らないのかよ!」

とりあえず売り言葉に買い言葉で言い返す。
七原の額に青筋がびしりと浮き、その頭が勢いをつけるようにのけぞる動きをした。
空いた左腕で殴っても躱される、と読んでの頭突き。
追い詰められた人間がヘタを打つ時と同じだと菊地は予想して――その予想を、完全に外された。

「だっ……!!」

頭突きではなく、噛み付き。
それも、拘束していた手の指先を、犬歯で食いちぎるように。
左手から力が抜けた隙を逃さずに七原の腕が自由になり、そして右ストレートのやり直しが菊地の腹に突き刺さっていた。
身体は鍛えていたが、それでも痛かった。

「がっ……!」
「殴り方、なんか知らなくても、殺し合いは、できんだよ!
そっちこそ、ご自慢のその拳はここじゃ役に立たなかったのか!?」

腹を曲げて身体を追ったところで、七原の蹴りが追撃する。
根性を発揮して転がるように回避。
距離をとってから身を起こしつつ、回復する間を持たせるためにも叫び返す。

「ああ、使うつもりだったさ!! 使う機会なんか来なかったさ!!
腕から鉄球を出したり鉄柱を出したり、指からビームまで出したり!
空手をかじった程度でどうにかなるレベルじゃなかったさ!!」

七原は律儀にも、菊地が立ち上がるまで待っている。
これまでに遭遇してきた敵の中では、正直、こいつが一番『中学生』らしかった。
化物じみた力を持つ者がうろうろしているこの世界。
バロウ・エシャロットも浦飯幽助も、さっき立ち会ったホテルひとつを倒壊させる規模の戦いも。
正直なところ、菊地とは違う次元にいる超人達が戦っているようにしか見えなかった。

「だったら自分(テメェ)の限界ぐらいは分かるだろうが!
 ヒーロー気取りで他人の心配する前に、死なないことを考えてろ!」

そう言い返されたことが、菊地を奮起して立たせた。
もっぺん殴る。
そのために最適化された拳を構えて、一陣の風のように飛び出す。
わざと『気づかせる間』を与えた最初のワンパンとはレベルが違う。
空手と言えば『破壊力がある』『実戦向き』というイメージが公にも知られているが、それはつまり『速い』ということに他ならない。

586言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:21:54 ID:YiPBGXDk0

しかし最善の一撃よりも早く、『ヒュン』と空気を裂く音が鳴った。

「テメ……能力を使うのは卑怯だろうがっ!」

テレポートを使って菊地の背後に回り込んでからの背中蹴りが繰り出されるのと、
菊地が咄嗟に振るった裏拳がタイミングよく激突するのは、ほぼ同時だった。
双方ともに1ヒットを稼いたことになり、顔をしかめながらよろけ、そしてまた立ち上がる。

「格闘技経験者を相手に、卑怯も何もあるか!」

というのが、頬を抑えながらの七原の弁。

考えてみれば、ステゴロと口論を並行して繰り広げる必要性はどこにもなかったのだが。
いつしか二人には、拳の応酬と怒声のキャッチボールを同時に遣り取りする流れが出来上がっていた。

右の拳を振り上げ、振りぬきながら、菊地が叫ぶ。

「でも、七原は戦ってきたじゃねぇか! そんな、能力を手に入れる前から!」

七原は覚えたてのテレポートによってまた消失し、菊地も不意打ちを警戒してその場から無作為に跳んだ。
テレポートを回避手段として使うようになったことで、双方がタイミングを見計らうようになり、通常攻撃がその分だけ浅いものとなっていく。
七原を探しながら、菊地は溜めていた言葉の続きを吐き出す。

「俺と同じ一般人なのに、負けたり、失ったり、傷ついたり……それでも、ロベルトとか切原とか相手に、ずっと前線に出てたじゃねえか!
 俺にとっては、それだけでも『主人公(とくべつ)』なんだよ!!」

主人公(とくべつ)な人間のことを、菊地はよく知っている。
漫画やドラマの主人公みたい――なんて形容は気取っているかもしれないが、それでも『吉祥学苑でそれに当たる存在は誰だ』と尋ねれば、生徒の誰もがそいつの名を挙げるだろう。
その教師は、決して天才などではなかった。むしろ、ただの人間より劣っていること多数だった。
最初は、尊敬するとか軽蔑するとか以前に呆れた。
今までに出会った人間の中でも一番の、斜め上をいくような馬鹿だったのだから。
それなのに、まさかこんな教師がいるなんて、と感嘆だけが残る。
これまでに積み重ねてきたIQ180の勉学も、タイ語や北京語なんてマイナーなものも含めてしっかりと詰め込んできた知識も、合成写真作りだとか隠し無線の制作だとかの実用的な小技も、
すべてをフル活用して勝負したとしても、とうてい敵わない『特別な人間』がいることがたいそう愉快だった。

そして、この世界にも主人公(ヒーロー)たる存在は何人もいた。
まっすぐでも歪でも、揺るがない信念を持っていて、それを貫くだけの強い心を持っていて。
彼らは菊地と同じ中学生だったけれど、菊地よりもずっと立ち向かう術を、大切なものの守り方を、知っていた。

587言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:22:49 ID:YiPBGXDk0
「勝手に憧れてんじゃねぇ! 俺が何をしたか、少しでも話しただろうが!」

連続でテレポートを使ったのだろう。
七原は菊地の眼前に出現して、いい音がする右ストレートで菊地を転ばせた。

「佐天を死なせて、典子を死なせて、桐山も、赤座さんも、竜宮も、船見も、白井も!
 死なせてきたり、殺したりの連続なんだぞ!」

知っている。菊地には七原を羨む資格はないどころか、どだい無礼かつ不謹慎な感情だろう。
だが、それでも。
全身がギシギシ軋んできたのを無視して、菊池は上体を起こした。
七原を見上げて、吐き出した。

「憧れたりしてねぇよ! でも、俺みたいな卑怯者より、ずっと頑張ってる!
俺は、皆に戦わせて棒立ちだったんだからな!」

知恵をしぼって、知略を尽くして、あるかもしれない脱出の光明を探す。
犠牲になってしまった人たちのためにも、生き残ることを考える。
人間離れした連中に襲われた時には、植木のようなヒーローが戦ってくれる。せめて適材適所として、彼らのサポートでも演じたい。
それでいいと、思おうとしてきた。割り切ろうとしてきた。
でも。
植木も杉浦も、いなくなった。
たった一人で、そんなことできやしないと分かった。

「いい先輩ぶって、後輩から慕われて、そういうのが、嬉しかったんだ!楽だったんだ!
 俺はお前みたいにできねぇよ! たった一人になっても、自分のやってることに誇りも正義も持てないんだよ!」

殴ると見せかけて、脛を思い切り払ってやった。
七原の表情に驚きが浮かび――しかしよろめきながらも、菊地の袖を掴んで引いた。
二人して、杉林の腐葉土にどさりと転倒する。
取っ組み合う。殴り合う。
拳を振り下ろしながら、振り下ろされながら、それでも合間に、息継ぎをするように怒鳴る。

「俺だってそうだったよ! 好きで――ぐっ……こうなったんじゃない!
プログラムでっ……亡くしたんだよ! 家だって無くなった!」
「俺だって、クラスメイト亡くし――だっ! 亡くしてるよ!
 全員じゃないけど……はぁっ……三年四組には、戻らないんだ!」

胴体の間に膝をいれて、膝蹴りの応用で七原を投げた。
七原の背中が腐葉土に落下する、どさりという音がする。

「急に持ち出すな――っんなの、初耳だ!」
「仕方ねぇだろ! 俺だって我慢してんだよ! 俺のが先輩だしゲェホッ……後輩の方が、ショックでかそうだったん、だから!」

吉川のぼるの名前と、相沢雅の名前が呼ばれた。
泣いていた植木耕助や杉浦綾乃がいた手前、二人の心痛を慮ることばかりに苦心していたけれど。
クラスメイトが笑顔を取り戻し、更生していく過程を見てきた菊地にとって、その死が軽くなかったはずがない。
四組のいじめられっ子筆頭だったけれど、鬼塚がやって来てからは見違えるほどの度胸をつけていった吉川のぼる。
何度も鬼塚派と敵対してきたけれど、一年の頃からクラスを共にし、四組のアルバムを作って『いつもクールな菊地クン』とかアルバムに書きこんでいた相沢雅。
植木耕助のように、戦友というわけではなかったけれど。
杉浦綾乃のように、暇さえあれば共に過ごすような密度の濃い友人という付き合いでもなかったけれど。
それでも、彼らは『四組の仲間』だったのだ。

588言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:24:38 ID:YiPBGXDk0
1人だけ涙を見せずに落ち着いていられたのは、抑えていたからだ。
植木たちがそばにいなければ、八つ当たりで手近にあったものを殴って蹴り砕いて壊しつくすぐらいのことだってしていただろう。

「何もできねぇんだよ! 年下の奴らにばっかり戦わせてきたんだ!!
だったら……だったら俺は、せめて、『先輩』としてぐらい、しっかりしてなきゃ駄目だっただろうが!」

叫ぶと息が切れて、ぜいぜいと喘いで、そして咳が止まらなくなった。
ゲホゲホと、肺から咳が出ていくたびに、弱くて汚い胸の内が吐き出されていく心地がする。

目の前で、神崎麗美をも喪った。
その死を前に、何もしてやれなかった。
もしかしたら菊地の言葉が何かを変えられたのかもしれないけれど、それを確かめる前に、
救おうとしていた神崎麗美から庇われて、救けられてしまった。
麗美のことばかりじゃない。
守るとか守れないとか、成功するとか失敗する以前の問題だ。
動くことさえ、できなかった。

バロウ・エシャロットが図書館を襲った時には、『自分にできることはないから』と正義の味方(ヒーロー)の植木耕助にすべて押し付けた。
そんな菊地のことを諭して、植木を助けた真のヒーローは、碇シンジだった。

二度目にバロウが襲ってきた時は、これまた年下の越前リョーマに戦ってもらって、綾波レイや高坂王子もそれぞれに戦ったなかで、何もせず見ていただけで。
越前や高坂は迷わずに綾波を止めようとしたのに、シンジの遺志を知っていたはずの自分はただ、止めることさえも迷っていただけだ。

軽い偵察気分でいなくなっていた間に、杉浦綾乃の身には何事かが起こっていて。
菊地は彼女がいてくれたことで、支えられてきたのに。
彼女がいなくなったのはもしかすると、菊地が杉浦のそばを離れていたせいかもしれなくて。

浦飯幽助たちとの戦いの時も、菊地が駆けつけた時にはとっくに手遅れで、宗屋ヒデヨシが犠牲になった。

ホテルでの戦いに居合わせた時には、菊地以外の全員が体を張ったおかげで生かされた。

菊地の代わりに陣頭に立っていた主人公(ヒーロー)たちの責任なんかでは断じてない。
菊地自身が迷ったり出遅れたりしたせいで、何も成せなかったのだから。

『先生』ぶってあれこれ口を出してきたけれど、そんな言葉を送った生徒の多くが死んでしまった。
生きている彼女たちだって、こんな時にそばにもいてやれない人間の言葉が、今、どれほど支えになるものか。
今だって、一刻も早く杉浦を見つけなければいけないのに、海洋研究所にいないと分かれば、もうどこに行ったのか見当さえつかない。

「俺だって――役に立つ男になりてぇよ!! 主人公(ヒーロー)みたいに――一発キメられる男になりたかったよ!!」

589言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:25:54 ID:YiPBGXDk0
未だに『悪党を排除するかどうか』なんてことに悩んでいる菊地とは違う。
自分にしかできないことを持っている、己の役割で人に影響を与えられる、そんな主人公になりたかった。
もちろん、鬼塚と菊地ではスペックが違うのだから、まるっきり彼のように真似てみるような愚行には走らなかったけれど。
それでも、『生徒(こうはい)の進む道を照らしてやる』とか『生徒(こうはい)が助けを求めていたら駆けつけて危機を救う』とか、そんなことが、できるようになりたかった。
主人公どころか、何もしていない。
役割が欲しい。価値が欲しい。じっと棒立ちのまま死んでいくのを見るなんて、もう嫌だ。活躍したい。意味をください。

まだ生きている誰かを守れる、力をください――

「――頑張ってる、とか言われたのは初めてだったよ」

腐葉土に転がったまま、七原がそう呟いた。
なんで殴られながら褒められたんだよ、とぼやくのも忘れずに。

「竜宮には立派だって言われたし、白井には正しいって言われたけどな。
 あいつらはあいつらなりに悩みを抱えてたから、頑張ってたから、逆に出てこない言葉だったんだろうな」

身体にはどっしりと疲労感が乗っている。
場違いかもしれないが、遠足や林間学校から帰った後の、熱っぽいような疲労とも似ていた。
身体はボコボコに凹んでいてもおかしくないぐらいに痛かったけれど。

「――ちょっと、偉そうに言い過ぎたな。
 役に立たなかったのは、プログラムの時の俺だって同じさ。
 俺だって、一回目は川田にほとんど押し付けてたようなものさ」
「そうでもないだろ。戦い方見てりゃあなんとなく分かったよ。
 ……正直、どっちが不幸自慢してたのか分からなかったな」

それが謝罪の代わりだったのだろうか。
そう言ったことで、本当に最後の力が抜けた。
杉林の隙間から星空が視界に入ってくる。
強敵だった。
七原の戦い方は、噛み付きやテレポートまで何でも使ってくる容赦のなさがあった。
単に、ずるい、というだけじゃない。
とっさにそれらを使う選択肢が普通にあるほど、がむしゃらに戦場を生きてきたはずだから。
七原にもまた、菊地の戦い方を知られた気がする。
さかんに『格闘技経験者』と愚痴を吐いていたが、それはつまり、基礎のスペックでは圧倒的に開きがあり――菊地がそれだけのものを積んでいたことを、認めたということだから。

拳で語れば全てが分かる、なんてクサイことは信じていないけれど。
それでも二人は、気が済むまで、喧嘩をした。

「――馬鹿だろお前」
「うるせぇなぁ。馬鹿って言うやつが馬鹿なんだよ馬鹿」
「今自分で言ったぞ馬鹿。なら俺たちはどっちも大馬鹿か」

そして。
菊地はこの時になって初めて。
友達のためではなく、自分のための涙を、少しだけ流した。


◆  ◆  ◆

590言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:27:51 ID:YiPBGXDk0

「結局、決意は固いのか?」

七原が、進路について悩んでいる学生ふたりのような平穏さで、そう尋ねた。

「ああ。頭は冷えたけど――それでも俺にはやっぱり、他の道は選べないと思う」
「それは結局、思考停止かもしれないぜ?」
「そうかもな――でもな、本当なら、今、自分の進路を決めるなんて、しなくていいはずだろ……?」
「進路、ねぇ……」
「七原だって、今日明日にでも復讐を始める予定じゃなかったはずだろ。
 プログラムが終わって、まずは生き延びて――十年計画とかで、革命のやり方でも覚えるつもりだったんじゃないか?」
「そりゃあ、な」

答えを見つけられるのは、すごいことだ。
けど、見つけられなかったからって、本当なら焦ることなんかないはずだ。
鬼塚英吉だって、和久井繭事件の時に言っていた。
10年後でいいのだと。10年後にBIGになって、見返しに来いと。

『そんぐれぇ背負って生きた方が張り合いが出るもんなんだよ人生っつーのあよ』

生徒にはみんな、未来があるはずだと。

「でも、10年後じゃ駄目なんだよ。ここでは皆、今しかない。今決めないと、死んじまう。
でも、ほんとなら『今しかない』はず無いんだ。未来が欲しいんだ」

階段に座り込んで、終わらない夢の話を、いつまでも続けられるような。
そんな未来が、菊地善人のハッピーエンドだ。

「主人公じゃなくていい。悪役(さつじんき)でいい……先生からぶん殴られたって、植木と同じところに逝けなくたって、杉浦から軽蔑されたっていい。
 未来のためなら今、殺していいなんて思わないけど。みんなが『今だけ』じゃなくなるなら、それでいい」

ハリセンを持ってダジャレを言っていた、杉浦の笑顔を思い出した。
二度目に出会った時は――正直シンジのことを思うと寂しくはあったけれど、
越前と綾波が、ずいぶんと距離を縮めていたのを思い出した。
植木耕助が気にかけていた、天野雪輝がまだ生きていることを思い出した。
初めて出会った同い年の少年、七原秋也の方を見た。

591言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:29:06 ID:YiPBGXDk0
「未来ねぇ……俺は今すぐ大人になったっていいけどな」
「七原はそれでいいんじゃないか? それに、言うほど大人でもないみたいだしな」
「大人だって殴り合いの喧嘩ぐらいするだろ」
「そこじゃない……七原が、色んなことを俺に教えてくれた心境の変化のことさ。
 現実主義者(リアリスト)なら、宗屋のことなんか、いくらでも自分に悪印象な情報はごまかして、都合のいい話を作れたはずだろ」
「さっきの放送を聞いたろ? もう二十人も生き残っちゃいないんだ。
その中で殺し合いに反抗するつもりでいる奴はもっと少ないだろうな。
より有益な情報を持ってるやつだって、既に死んじまったか分からない。
こんな状況で、お互いに情報を出し渋って、お互いに何も分からないまま自滅していくよりは、打ち明けた方がマシだとは思っただけさ」
「それだけか?」
「一応、聞いてみた。『ずっとここにいる』って言った奴がいたから、胸に聞いてみたんだ」

直後に、言いすぎたと思ったらしく、寝そべったまま顔を90度背けられた。
菊地も聞きすぎたと分かったので、話題を逸らすことにした。

「まぁ、反則スレスレの技を喧嘩で使ってくるあたりは、大人げないかもな」
「有段者が初心者をボコボコにするのと、どっちが大人気ないんだよ。
 だいたい、喧嘩ってのは勝つためなら何でもありじゃないのか?」
「いや、言っとくけど、俺はもっと本気でやろうと思えばできたからな」
「加減してたのか?」
「いや、わりと本気だったよ。ただ、喧嘩に有利な道具を持ってたけど、使わなかった」

まだ紹介をしていなかったこともあり、菊地はその携帯電話と説明書をディパックから取り出した。
元々は、宗屋ヒデヨシが持っていた説明書きと、電話番号のメモだった。

「未来日記か……?」
「ああ、さっきかけてみたら、契約の許可を出してもらえたんで、しておいた」
「ああ、話をする前に電話をかけたりしてたやつか」

七原は寝転んだまま説明書きを月明かりに透かして読み始めた。
菊地も寝転んだままディパックをまさぐり、大きなタオルを二枚取り出す。

「ほれ」

一枚を七原に投げた。
元は、神崎麗美のディパックに入っていたもので、どこかのサービスエリアの売店にあるタオルのように知らない地名がプリントされている。

「おー、ありがとよ」

七原が頭にタオルを被り、だるそうにゆっくりと汗を拭く。
菊地も同じようにした。
ただのタオルなのに、神崎が遺したものだと思うと少し切なかった。
だから菊地は、しばらく布の中で両眼を閉ざしていた。


◇  ◇  ◇

592言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:30:19 ID:YiPBGXDk0


それは、分岐点。

あの時、気分が変わって外出していなければ。
あの時、ちょっと気が向いて友達に電話していなければ。

人生には、そんな選択肢が往々に存在する。
『いなければ』の後にはたいてい、一生引きずるような大事故に遭うだとか、逆に知っていなければ大失敗をするところだった情報を知って掬われるだとか、そんな分岐点が待っている。
その時、七原秋也に訪れた選択肢も、最初は何気ないものだった。

汗を拭きながら、ふと閃いたのは、ちょっとした思いつきにすぎない。

頭には、全面を覆った大きなタオル。
右手には、無差別日記の携帯電話。

その効果は、先ほど電話番号の書かれた説明書きを読んで覚えた。
所有者の周囲で起こる出来事を、所有者は除いてむさ別に予知する未来日記。
これまでに見てきたいくつかの未来日記の中でも、極めて汎用性が高い。

そして、現在未来日記の所有者となっているのは菊地善人だ。
つまり、無差別日記は、菊地のそばにいる七原の予知ができるということになる。

体育座りのような姿勢で座って、頭からタオルをかぶってぼーっとしているようにする
そういう仕草をすることで、ごまかす。
体育座りならば膝の上に置いている両手を、それとなくタオルの内側へ。
どこかで監視なり盗聴なりしている主催者からは見えないように、布をへだてた下で携帯の画面を開く。

左手で、首輪に手を当てる。

右手にある携帯電話の、未来予知を確かめる。

これから試すのは、『首輪を外そうとすることで、未来がどう変わるのか』だ。

そして――。


◇  ◇  ◇

593言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:31:08 ID:YiPBGXDk0

結論から言えば。

この時、ほんの思いつきから行動していなければ、七原秋也は知らないままだった。
行動していたことで、七原秋也は知ってしまった。
知ってしまった真実は、ひとつ。











――七原秋也の『首輪』は、機能が停止している。

594言いたいことも言えないこんな世の中じゃ ◆j1I31zelYA:2015/10/31(土) 21:32:28 ID:YiPBGXDk0
以上、前編の投下を終了します
後編と状態表はなるべく近日中に、遅くとも次の月報までには投下させていただきます

595名無しさん:2015/11/07(土) 13:29:21 ID:/hTHtooE0
投下乙
ここでもサバイバルキャラと日常キャラの争いが!

596名無しさん:2015/11/09(月) 17:05:28 ID:q14mwtaU0
投下乙です。
全く違う、だけどどこか似ているような二人のぶつかり合いが
読み応えありました。最後の引きもニクイw
後編も楽しみにしています。

597名無しさん:2015/11/09(月) 23:14:25 ID:y5h6ibhU0
投下乙です

気のせいだったら申し訳ないけど菊地にニセアカギみたいな言い回しがあってニヤリとしてしまったw

598 ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:33:15 ID:JAKGsiC20
感想ありがとうございます
そして分割でお待たせして申し訳ありませんでした、後編を投下します

599POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:34:57 ID:JAKGsiC20

放置できない脅威がある。

しかしその脅威を排除することは、さらなる脅威を生み出すことになるかもしれない。

そんなとき……君なら、どうする?


◆  ◆  ◆


「はーっ。やっと解放されたのじゃ」

「「「「「「「おかえりなのじゃ!」」」」」」」

空席の神の座を、神の眷属たちが囲う因果律大聖堂。

一度消えていた一匹のムルムルが、凝りをほすぐように伸びをしながら姿を現した。

「ずいぶん長いこと呼び出されておったのじゃな。もう七原たちの方も、情報交換が終わりかけておるのじゃ」
「さっきの殴り合いは漫画みたいで見ものだったのじゃ。後で映像を見るといいのじゃ」

残りのムルムルたちが、各々で鑑賞していた殺し合いの光景――アカシックレコードに記録された会場の映像画面を閉じて、いっせいに出迎えてねぎらい始める。
迎えられたムルムルは、どっと疲れたときの顔で己の席についた。

「ちょうど、仮眠からたたき起こされた機嫌の悪い坂持と兵士に捕まったのじゃ。
 銃口を向けられて、会場まで『HOLON』まで復旧の手はずを整えるから案内しろと脅されるわ、アカシック・レコードの過去像を飽きるほど再生させられるわ。
 さすがに会場の方はオリジナルと会場担当ムルムルにやってもらったのじゃが」

本来なら十二人の日記所有者が立っていた円形の床にごろんと寝そべると、他のムルムルたちに囲まれえて尋問を受けた。

「しかし、どういうことだったのじゃ?」
「お主は決定的瞬間の映像を見せるために呼ばれたのじゃろ?」
「なぜ七原秋也の首輪がいきなり止まった?」
「『HOLON』がどうとか言うておったのは関係あるのか?」
「11tや坂持はどう考えておるのじゃ?」
「ゲームの進行に支障は無いのか?」
「ワシらも映像を見比べながらそれらしい考察をしたけれど、分からなかったのじゃ」

役人たちのところに呼び出しを受けていたムルムルは、面倒そうにしっしっと追い払う仕草をした。

「また説明をさせられるのか? さっきも大東亜の研究者や秘書の黒崎と一緒にさんざん説明したばかりなのじゃあ……」

しかし目の前にトウモロコシをいくつも積まれると、一転してまんざらでもなさそうに顔を緩めた。
かじかじと、トウモロコシを回してかじりながら、

「お主ら、七原秋也の首輪が機能停止したタイミングは覚えておるか?」

「もちろんなのじゃ!『HOLON』が首輪の機能停止を知らせた時間と、会場の映像を照会したのじゃ」
「ちょうど、ホテルが崩れる真っ最中のことだったのじゃ」
「会場に舞う土煙が酷くて、映像でもよく見えなかったのじゃ」
「切原赤也がホテルの中にテレポートしてから、連中が脱出するまでの間のことだったのじゃ」

600POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:38:54 ID:JAKGsiC20

「そうかそうか、ならば、何が原因だったかはお主たちもすでに察しておるのではないか?」

トウモロコシをしゃくしゃくとかじり進めながら、逆にそう聞き返した。

「それは……ひとつしか心当たりが無いしのう」
「ちょうどそのタイミングで首輪が壊れていたということは……」
「……切原赤也、そして白井黒子との『同調(シンクロ)』をして、『大能力(レベル4)』になったことしか考えられないのじゃ!」
「そう、それで正解なのじゃ。では、それでどうして首輪が止まることになったのか、分かる者は?」

かじりかけのトウモロコシを、教鞭のように揺らして尋ねる。
しかし、ムルムルたちは難しい顔をしたままだった。

「ヒントじゃ。首輪の中にある『生体反応感知センサー』は……参加者が死ぬとどうなる?」

ムルムルの全員が首をかしげて、やがて同じ答えに至る。
一匹が代表して、言った。

「もしかして……同調をした白井黒子が瀕死だったことと関係があるのか?」

トウモロコシを一口かじり、答えを知っているムルムルは頷いた。

「うむ、それが原因らしいのじゃ。一種の臨死体験というやつらしいの。
 切原赤也はビル脱出後もしばらく生存していたらしいから、おそらく白井黒子の影響だろうということじゃ。
あの瞬間、生と死の境界にいた白井黒子に引っ張られて、七原秋也も短時間だけ『そちら側』に逝ったのではないか。それを受けた首輪のセンサーが、『七原秋也の心停止、脳停止』の信号を送ってしまい、受信と生死判定をしていた『HOLON』が『七原秋也は死亡した』という判断をした。『HOLON』を任されている『守護者(ゴールキーパー)』の役人たちもそう結論づけたのじゃ」

もちろん、本来は『同調』も『自分だけの現実』も、相手が死んだりすれば自分も死ぬような類のものではなかったのじゃが、ただでさえ生きるか死ぬかの状況だったようじゃし、と付け加える。
ムルムルたちはなるほどそういうことか、と声を上げていたが、一匹だけ納得いかないと反論した。

「しかし、ちょっとやそっと仮死状態になったぐらいで、HOLONがそう簡単に死亡したと誤認するのもか?
『樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)』の演算処理器も組み込んでおるのじゃろ?」
「言われてみればそうなのじゃ。それに、そんな単純な誤作動を解明するのにお主が疲れるほど手間がかかったというのもおかしいのじゃ」

そう問われたムルムルは、己が責任を追及されたかのように目をそらした。

「死亡判定については……もともと首輪のバッテリー自体が長持ちを想定した造りでは無かったからのう。
七原秋也は『センサーが反応する→主催が首輪のスイッチを押す→爆発する』と考察しておったようじゃが、実際のところスイッチを押しているのはコンピュータなのじゃ。
 一度首輪から『死亡』の信号を送られたら、そのまま機能停止する都合になっておる以上は仕方なかったようなのじゃ。
 時間がかかったのは……実を言うとな、並行してもうひとつ事件が起こっていたからなのじゃ」
「「「「「「「事件?」」」」」」」

601POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:40:21 ID:JAKGsiC20
大聖堂に、ムルムル7匹が輪になっての唱和が響いた。
とりあえずお前ら、そろそろ仕事に戻れと語り部のムルムルがうるさそうに追い返す。
全員がポーズだけでも会場のモニターを再開するのを待って、ムルムルが説明を始めた。

「お主ら、会場の地下にある3台の『HOLON』で、首輪の管理と一緒に『未来日記』のサーバーも積んでいたのは覚えておるか?」

己もまた四角い映像を呼び出し、話しながらも会場の監視は続ける。

「もちろんなのじゃ。首輪の生死判定と連動して動かした方が、『DEAD END』の結果と照合もしやすいと聞いたのじゃ」
「『ALL DEAD END』を観測するためにも、誰がいつどのような経緯で死亡したか、会場の未来日記の予知と一致したかは、とても大事になるのじゃ」
「孫日記のサーバーも会場に設置する必要があったしの」
「我妻由乃と接触したムルムルだって、むしろそっちの見張りが本来の職務なのじゃ。知らないわけがないのじゃ」
「皆も『HOLON』に組み込んだ未来日記を見て、『ALL DEAD END』の動向を観察しておるしの」
「うむ。では前置きをする必要はないか」

実はな、と切り出した。

「当初に予知されていた未来通りならば、ホテルが崩れ落ちた時に、七原秋也は死んでいるはずだったのじゃ」

その意味が、ムルムルたちに浸透するまでにしばらく時間がかかった。
そして、浸透したムルムルたちが、次の質問を放つまでには、もっと時間を要することになった。
やがて、ムルムルたちは質問を返し始めた。

「おかしな言い方なのじゃ。『The rader』の予知が覆ったというのか?」
「それならば大騒ぎにはなるかもしれないが、大問題というばかりでも無いはずじゃ。
 どうすれば因果律を変えられるのか、手がかりになることもあるのではないか?」

当のムルムルは、どう答えたものかと改めて悩むように目をすがめつつ、

「それが、手がかりをつかむどころか、予知が覆るまで『The rader』には何の予兆もなかったのじゃよ。
 ……しかも『HOLON』は処理落ちを起こしてしまうし」

そう答えた。
「ちょっと待てどういうことじゃ」というムルムルたちの声が次々とあがるのがおさまってから、言葉を続ける。

「七原秋也がホテルから脱出した時、『ALL DEAD END』までの経過で予知されていた、『次の放送で呼ばれる人数』が一人減ってしまったのじゃ。
 それも、本来ならば未来日記が書き変わるタイミング――切原赤也と白井黒子が選択をしたタイミングで予知が書き変わったのではなく、七原秋也の生存が確認された時――これは、三人の同調らしき反応がおさまった時間とぴったり同時なのじゃが――つまり結果が出た後になってから、予知が書き変わった。
どういうことかというと、『The Rader』の予知が変化していなかった、予知が働かなかったということじゃ」

そこでもったいをつけるように、二本目のトウモロコシをかじってから、

602POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:41:29 ID:JAKGsiC20
「要するに、七原秋也の命が助かったのは、全くのイレギュラーだったということじゃ。
 そして、その推測される原因は――」

ムルムルは視線だけ会場の監視へと向けながらも、上着の中から一冊の綴りファイルを取り出して、隣の席にいるムルムルに渡した。
回し読みしろ、という意味らしい。

表紙には黒いインクで『Dream Ranker』と題字がされている。


◆  ◆  ◆


空間移動(テレポート)という能力は、『その世界』でもとりわけサンプルに乏しい素材だった。
なぜなら能力の伸びしろが少なく、レベル5に至れる可能性なんてまず無いだろうし、そんな発展性のない能力者に付き合うほど、学園都市の研究者は暇を持て余してはいないから
――なんてことは、ぜんぜん全く無い。
学生の中には、そのような流言飛語に惑わされて『見放された』と感じる者もいるけれど、もっと根本的な理由がある。
まず、絶対数が少ない。希少だから、どうしても実例の不足が否めない。
強度0から5までの格差はあれど学生230万人が全て『能力』をもっている学園都市の中でも、たった58人しかいない。
それでも複雑な計算を要求される能力なので、58人の平均レベルは他の能力者と比してもたいそう高いことは明るい要素だろう。
よって、『空間移動(テレポート)』は学園都市の中でもむしろ研究を推奨されている分野だった。
できればもう少し絶対数が増えてほしいという危機感もあって、時おり『研究者には助成金を出します』というテコ入れが行われたりもする。
学生からすれば、そういう広告を見て「ああ、空間移動系(テレポート)の研究をしたがる人って少ないんだな。確かに、便利な能力だけど『それだけ』っぽいもんね。パシリに向いてるし」と思い込み、移動能力者(テレポーター)を軽んじる者もいる。
今回の殺し合いで選出された白井黒子にも、まるで中間管理職でも見るような眼で見られた経験がそれなりにある。
しかし、単純に能力の強度だとか、伸びしろのこと話をするならば、決して『それだけ』の能力ではない。
学園都市でもっとも強い力を持つ『移動能力者』ならば、『レベル5』判定を受けてもおかしくいほどの応用性もある。
その能力者ならば総重量4トンを超える多量の荷物を、数百メートルも離れた地点へと一度に運ぶこともできる。世の中のためにも、たいそう役に立つものだ。

しかし、ただ物を移動させるだけなら、念動力(サイコキネシス)や空力使い(エアロハンド)でも同じことができる。
『空間移動(テレポート)』が他の能力よりも特異にあたるのは、むしろ『十一次元の世界を使って、ヒトやモノをやりとりしている』ことだった。
念動力も空力もそれ以外の電気も火力も読心も、そして予知能力も、多くの能力は三次元の世界で動いていることだ。
人によっては『十一次元なんてすごく計算が難しそう』と言うし、人によっては『ただの量子力学だ』と言うし、総じて研究者は『また調べ尽くされていない学問だ』という認識で一致する。
研究者の視点からすれば、決して顧みられなかったことは無い。むしろ、どちらかと言えばその逆だった。

だから、サンプルの絶対数は少ない。
しかし、研究資料としては、特に近年になってからは、そこそこの数が揃っている。

603POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:43:00 ID:JAKGsiC20
特に、『アカシック・レコード』を通じて世界で起こっているあらゆる出来事をのぞき見できる者達ならば、『学園都市』の『書庫(バンク)』には記されていない事例さえも集めることができる。
それをいいことに、ムルムルたちも『ゲーム』の開催前にはずいぶんと大東亜の研究者から依頼されて『事例集め』をやらされた。

そんな研究資料の中から、『空間移動(テレポート)』と『予知』で検索をかければ、ほどなくしてその一冊はヒットした。

「しかし『空間移動(テレポート)を使ったから予知を覆せた』というのがよく分からんのじゃ。
それができるなら、今までだって白井黒子には『The rader』を破れたはずではないのか?」
「……結局、順を追って説明するハメになるのか」

回し読みを終えたムルムルから追及されて、寝そべりトウモロコシを食みながら監視を再開していたムルムルは、しぶしぶと口を開いた。

「たとえば、日常の中でも『数時間後にとつぜん車が突っ込んできて死ぬ』とか、そんな『DEAD END』のヤツがおるじゃろ?」
「「「「「「「うむ」」」」」」」と耳を傾ける、全員分の相槌が返ってくる。

もちろん、その未来を予測できたとして『今日は別の道から行こう』と行動したぐらいでは簡単に未来は変わらない。
『DEAD END』とは回避不能の死亡予告、これが大原則だ。
未来日記を持たない一般人がどうあがいても、『事故に巻き込まれて死んでしまう』という因果律のレールが、そこには厳然と存在する。

「この時、『事故が発生する未来』へとことを運んでいる因果律は、基本的に『三次元』の枠組みで起こっていることになる」

たとえば、トラックの運転手がハードスケジュールでの勤務を強いられていて寝不足でぼんやりしている。
たとえば、運転していた大型車両のブレーキの効きが悪くなっている。
そんな流れとどこかしらで巡り合い、違う道を選んで歩いたとしても、別の暴走車両によって事故に遭う結果は変えられない。
そういった事象が生まれるのはすべて、人類が生きている現実の世界――つまり、三次元の枠組みで起こることだ。
未来予知と結果とのメカニズムは、『学園都市』の世界でもほとんど解明が進んでいない。

「しかし、空間移動(テレポート)の十一次元がどういうものか説明すると長くなるので省略するが――とにかく、人間がふだん暮らしている次元よりも上位の次元の枠組みを使って移動することになるのじゃ」

つまり、空間移動能力者(テレポーター)は、『逃げ場のない三次元の結末』に干渉できる。

その言葉を聴いた他のムルムルたちはいっせいに何か言いたそうな顔をしたが、当のムルムルは無視して説明を言い終えてしまうことにした。

「つまり、『The rader』の未来日記でも、七原秋也が『空間移動(テレポート)』に目覚めた結果として引き起こす事象にまでは、計算が及んでいなかったということじゃ。
 じゃから、七原秋也が脱出を成功させた後になってから未来が変わった。
 それが『HOLON』にとっても理解不能だったようでの。『七原秋也が死を回避する未来』が存在しないはずなのに、七原秋也が生きている、という矛盾が処理しきれずに、フリーズを起こしてしまったらしい。
 もちろん『HOLON』は3台で運用しているから1台が止まったところでゲームには支障なかったのじゃ。しかしスーパーコンピュータが処理しきれずにフリーズを起こすなんてことがそうあっていいはずも無いからの、そのせいで、大人たちがああも慌てて、わしも呼び出されておったというわけなのじゃ」

604POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:44:35 ID:JAKGsiC20

なるほどなるほどと、ムルムルたちがようやくの納得を得てうんうんと頷いた。
しかし、即座に次の疑問を呈したムルムルもいる。

「しかし、それなら七原秋也が今後どんどん未来を変え放題になるのではないか?
 そもそも白井黒子(テレポーター)を参加させるのは危険だったということにもなるぞ?」
「それは違うのじゃ。なぜなら、さっき言ったたとえは全て『人間がふだん暮らす世界で未来予測をした場合』に限ってのことなのじゃ。
 あいにくと、この世界はただの『三次元の世界』ではないのじゃ。なぜなら、10種類もの因果律の異なる世界から、参加者が集められておるからじゃ」

支給された『未来日記』が予測する範囲には、『並行世界からやって来た者』の未来さえも含まれる。
51人の中学生は、誰しもそれぞれの世界でたどるはずだった運命を無理やり捻じ曲げられて、様々な世界の法則が混在した会場で未来を予知されている。
『世界樹の設計図(ツリーダイヤグラム)』による観測の補助もあって、『The rader』で観測される未来には、あらゆる次元を超えた全ての参加者が補足されている。
――その中に、十一次元という枠組みで能力を使う者がいたとしても。

「空間移動能力者(テレポーター)が1人いたところで、予知の想定内だったはずなのじゃ。
 原因は『同調(シンクロ)』を果たしたことで、より大規模にこれが使われてしまったことじゃな。
11次元×11次元で121次元……というほど漫画みたいな答えにはならんのじゃが、多数の移動能力者(テレポーター)が次元を使って移動するとなると、『The rader』でも追いきれなかったそうなのじゃ」

もし、あのホテル崩壊の現場で『あの場にいた誰か1人』が空間移動(テレポート)を使っただけだったならば。
七原秋也か、菊地全員か。そのどちらかが救い出されずに死亡していた公算が大きかった。
あの場で使われた空間移動の強度(レベル)では、一度に運ぶことができるのは二人か多くとも三人だろう。
元から助からない傷を負っていた植木耕助と、白井黒子。
そうではない七原秋也と、菊地善人。
まったく視界が効かない暗闇の中で、七原と菊地の二人ともを、空間移動(テレポート)に必要な『接触』をクリアして連れ出せなければ、次の放送で呼ばれる名前が1人増えていたことなる。
だとすれば、本来の因果律に定められていた未来は『そこまで』だった。

「つまり、空間移動(テレポート)による予知崩しはあれ一回きりのことじゃから、ゲームはこれまで通りに続けることになるのじゃな?」
「そういうことになる。『空白の才』にせよ1人が持っているだけでは同じことはできぬから、再現性は低い出来事のようじゃし。
……坂持たちは万が一に備えて、いったん沖木島――大東亜側の連絡支部に引っ込むことにしたようじゃが」

ポイ、と食べ終わったトウモロコシの芯を、空席に置かれていたごみ箱に放り投げた。

605POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:45:25 ID:JAKGsiC20
「それで済ませるのか? 七原が生き残ったせいで『誰かを優勝させる方向に因果律を操れるかどうか』という試みに支障が出るかもしれんのではないか?」

隣席にいたムルムルが眉を寄せて懸念を示した。
モロコシを捨てたムルムルは、しれっとした顔をしている。

「現段階では、様子見しかできんのじゃ。どっちみち、七原秋也も『ALL DEAD END』までに死亡することは揺らいでおらんからの」
「そうなのか?」

何を今さら、とムルムルが酷薄そうに笑った。
感情の無い生き物が持つ、喜色はあっても気色のない、形だけの笑みだった。

「ああ、次の放送までに呼ばれる人数が一人減ったが、『ALL DEAD END』に到達する時間は少しも動いておらんからの。
これまでにも死亡する人間の内訳は変わったかもしれんが、死亡するペースは変動しておらんかったじゃろ」

確かに、と隣席のムルムルは、同じ笑みを作った。

あるいは、七原秋也でさえも次の放送を迎えるまでに死亡する可能性はある。
次の放送で呼ばれる人間が一人減っただけで、七原秋也がこのまま生き延びるとも限らないのだから。

これまでにも、『The rader』の予知を絶対基準として、主催者側の手元にある『孫日記』を使ったゲームの経過予測は行われてきた。
それらは会場で支給されている未来日記と同様に何度か『DEAD END』予測を覆してきたけれど、決して殺し合いを減速させるものではなかった。

『Day:the third quarter of the first day

式波・アスカ・ラングレーは、吉川ちなつに撲殺される。

御坂美琴は、初春飾利に焼殺される。

菊池善人は、神埼麗美に射殺される。

遠山金太郎は、天野雪輝に刺殺される。』

吉川ちなつが、式波・アスカ・ラングレーを庇って死んだ。
御坂美琴は、初春飾利の起こした爆発が死因となった。
神崎麗美は、菊地善人を庇って死んだ。
遠山金太郎は、天野雪輝を庇って死んだ。

だから大人たちも、ムルムルたちも、過程が変わった程度では焦らない。
『ALL DEAD END』への到達予定時間は――まだ変わっていない。


◇   ◇   ◇

606POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:46:34 ID:JAKGsiC20
右手には、『無差別日記』の携帯電話を持つ。
左手の指先には、首輪が触れている。

思考することは、一つだ。

『無差別日記の予知が変わるかどうかを見てから、首輪をちぎって無理やり外そうとする』

タイム・パラドックスの観点で言えばどうなるのかは分からないが、これで解答欄を先に見てから答えを記入するようなことが期待できる。
もし首輪を外すことに成功するならば、菊地の無差別日記には『七原が首輪を外すことに成功した』という予知が出ることになる。
もし首輪を外すことに失敗して爆発すれば――こちらの可能性の方がはるかに高いのだが――『七原が首輪を爆発させて死亡する』という予知が表示されるか、あるいは何も変わらない画面のままになっているだろう。
七原だって、本当に死んでしまうなら外そうとするはずがないのだから、『何も変わらない=失敗を予想して首輪を外そうとしなかった』だと解釈して、失敗だと見なしていい。

もとより、失敗するだろう前提の実験だった。
肝心の実験はこの後に行うつもりだった。
同じ方法で、『空間移動(テレポート)を使って生者の首輪を外そうとした場合』を確かめるための実験だった。

もしも本当に首輪を外せてしまったとしても、その後で七原が主催者側に目をつけられて首輪以外の方法で処分されにかかるリスクもあったわけだが、
少なくとも『空間移動(テレポート)で首輪を取り除くこと自体は可能である』と確認できれば、それだけでも収穫にはなるはずだった。

だから。
その予知が白く四角いメモ帳の上に浮かび上がった時には、己の目を疑った。

『七原が、無理やりに首輪を外そうとしたけれど首輪は爆発しなかった。
 七原が驚きの声を上げた。』

もちろん、そう日記に記されていても、本当に外そうとしてみる気にはなれなかったので、すぐに無差別日記は元の白紙に書き変わってしまったが。
驚きの声だけは、無差別日記に警告されたことで、どうにか飲み込んだ。


◇   ◇   ◇

607POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:47:59 ID:JAKGsiC20


驚愕の事実を、すぐに菊池に教えて作戦会議に移行しよう、というわけにもいかなかった。

どこかで見ているであろう主催者の目に止まらないように伝えるのが難しそうだったこともあるし、すぐに別の作業も待ち構えていたからだ。

菊地と話している間に、命令をして海洋研究所へと向かわせていた『犬』が帰ってきた。
白井黒子たちが戦っている間も、どうにかディパックの中で生き残っていたしぶとい犬だった。
命令したとおりに、海洋研究所から、竜宮レナたちのディパックをくわえて戻ってきた。
放送が終わった後ですぐに白井黒子の元へと駆けつけたために、そのまま研究所へと置いてきてしまったものだった。

ありがとよ、と犬の頭をなでて、ディパックの中身を芝生に広げる。
思えば、ホテルで赤座あかりや白井黒子と知り合った頃からの、唯一の生き残りだった。
言葉を何も発さないマスクをつけた犬が、まだこの場でしっぽを振っているというだけのことに、自分でも驚くほど安堵した。

ひとまず犬の荷物と白井たちのディパックからは、必要だと思った武器などを集めて、残りを菊地にも渡す。
「分けようぜ」と言うと、菊地は意外そうな顔をした。

「荷物をここで分け合うってことは……一緒に行動するのか?」
「バラバラに動く理由もないだろ?」
「俺たち、さっきお互いに『気に入らねぇ』とか言い合いしたばっかりのはずなんだが……」

七原としては、それはもう喧嘩をした時に何となく消化したつもりになっていたことだったので、改めて指摘されると妙に悔しかった。

「だからって、一緒にやっていけるかどうかは別問題だろ。
俺も一人になろうとしたことはあったんだけど、どうしても一人にさせてもらえなくてな。
……だから、折れた。一人になれないうちは、誰かと歩いてもいいかと思ったんだ」

そう言うと、菊地もそれ以上は聞いて来なかった。
しばらくして、こう暗唱した。

「“夢かもしれない。でも僕は一人じゃない。いつか君も手を繋いでくれるかい。その時世界は一つになるだろう”ってか」

驚いた。
驚きの度合いで言えば、『四月演説』をべらべらと朗読された時よりも大きかったぐらいだ。
とても親しんでいた、懐かしい言葉だったのだから。

「レノンを知ってるのか?」
「ジョン・レノンも知らない奴の方が珍しいだろ――ああそうか、世界が違うんだったな。
俺たちの世界でもジョン・レノンな有名なロックスターだよ。ディランも、ルー・リードも、スプリングスティーンも実在する」

言われてみれば、納得できることだった。
彼らの世界にもアメリカ合衆国は存在するのだから、ロック歌手が存在していてもおかしくない。
そんな発想も何もなく、白井黒子にロックの歌詞を説いていた己のことが、おかしくて微笑した。

608POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:49:10 ID:JAKGsiC20
七原秋也に、もうロックは歌えないと思っていた。
人と人は手をつなげるかもしれないが、それで世界が一つになるなんて夢が有り得ないことを知ってしまった。
『ウェンディ、二人一緒なら悲しみを抱えても生きていけるだろう』――七原にとってのウェンディだった中川典子は、とっくに死んでしまった。

でも、ロックという音楽は、ただ理想を歌い上げるだけの音楽じゃなかった。

―――leeps in the sand.
 Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly,Before they're forever banned.
 The answer, my friend, is blowin' in the wind,The answer is blowin' in th―――
―――(殺戮が無益だと知るために、どれほど多くの人が死なねばならないのか。 答えなんざ風に吹かれて、誰にも掴めない)―――

自分たちの問題をきちんと歌った音楽で、それを上手く伝えるためのメロディとビートがあった。
ままならない現実社会だとか、無力な自分を嘆くことだとか、世間から見たら正しくない自分に対する精一杯の強がりだとかも、歌っていた。

自分がロックだと思ったら、それがロックだ。

七原秋也は、そういうロックを好きになったはずだった。
七原はロック(理想)を歌えなくなった。
でも、ロック(理想家)は、七原秋也を『間違っている』と弾いてなんかいなかった。
いつだって、どの世界でも、ただそこにあった。プラスのエネルギーをこめて、唄われていた。

「ロックが好きなのか」と菊地が尋ねた。
「愛してるよ」と七原は答えた。

歌えるかどうかはともかく、素直にそう言えた。

そうか、と菊地は頷いて、七原の手から無差別日記の携帯電話を受け取る。
そのまま荷物を確認してディパックへと移す作業を始めた。

お互いの口元には、タバコがくわえられていた。
七原の持っていたタバコを、菊地へとわけたものだった。
タバコの煙が、二条、夜空にのぼっていった。

609POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:50:44 ID:JAKGsiC20
菊地が荷物の整理をする傍らで、七原は己の日記を使ってメモ帳にさっきの『発見』を書き込んでいった。
何が首輪の機能停止に繋がったのかを確認するために、殺し合いの中で己が選択してきた行動も全て書き込んでいく。
『七原が気づいていること』が極力ばれないように、タオルを被って監視の死角を作ったまま書き込んでいった。

菊地も『何をやっているんだろう』という視線は向けてきたけれど、七原なりに意図があって何かをしているのだろうと判断してくれたのか、何も言わなかった。
最悪、七原が死んでしまったとしても菊地ならば『七原が携帯に何かを書き込んでいた』と考察を発見してくれるだろう。
一方で菊地の方からは、さっきの情報交換では抜けていた部分――主にこれまで出会った知り合いの情報――を説明してくれた。
何もしていないと嘆いていたくせに何人もの人間とラインを作っていたんじゃないか、と七原は評価した。

「なるほどね。そうなると、杉浦さんの他にも接触しておきたいのは、天野雪輝、越前リョーマ、綾波レイ――それに合流できたとすれば、秋瀬或の一団だな。
 特に天野雪輝が『神様』の関係者だっていうのは気になる。
 一方で、確定の危険人物はバロウ・エシャロット。浦飯常磐は菊地の問題として、あとは秋瀬或を殺そうとしてたっていう我妻由乃もそうだな」
「我妻由乃もかよ。そいつはいちおう、天野雪輝の――仮にも協力者の、恋人なんだが」

植木耕助が『天野雪輝』を気にかけていた経緯もあってか、菊地は遠慮がちに口をはさんだ。

「そりゃあ状況は見て判断するさ。情報を持ってるかもしれない相手だしな。
『殺す』ってのはあくまで、我妻由乃が自分の意志で殺し合いに乗ってて、交渉の余地が無い時……たとえば天野雪輝も含めた全員皆殺しのつもりだったりした時だな。
天野雪輝からは恨まれるかもしれないが――さっきの戦いと同じように、いざとなったら俺が殺す側にまわるつもりだ。
それに、個人的な事情を言わせてもらえれば、許せないしな。切原赤也の時みたいに、理由があって『狂った』わけじゃない。最初から殺し合いに乗る気満々だった上に、主催者と繋がってるかもしれない中学生、ってのは。
お前が浦飯やバロウって連中を憎んでるのと似たようなものさ」

これだけは、『救える限りは救う』とか『ハッピーエンド(理想)を目指す』という命題とは別問題だ。

「俺にとっちゃ、同じだから――この殺し合いを開いたクソったれの『神様』とやらと、同類になるんだからな」

己が生き残るためでもなく、この状況に絶望して狂ったからでもなく、ただ『殺し合いに賛同して』殺し合いに乗った連中。
宣誓した。
宣戦布告をした。
たとえ、誰も彼もが『そいつ』を許しても、手を差し伸べても。
七原秋也だけは許さないし、伸ばさない。未来永劫に、憎み続ける。
『こんな不条理を敷いた者が許されてしまう世界』なんて、認めない。
クラスメイトが。川田章吾が。中川典子が。赤座あかりが。竜宮レナが。船見結衣が。白井黒子が。
彼らを失わせる『理不尽』そのものが肯定されるなんて、認めないと決めた。

610POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:52:38 ID:JAKGsiC20
菊地は、肯定も否定もしなかった。
菊地自身が手を汚す側に回ると宣言した手前、否定できないのかと七原は思った。
しかし、菊地は荷物を探す手も止めて、硬直していた。

「おい」

そう言った声が、震えていた。

その手に握られていたのは、切原赤也と、白井黒子の遺体から回収された携帯電話だった。
その携帯電話は、点滅を繰り返していた。
メールの受信があることを示す、点滅だった。


◆   ◆   ◆


白井黒子も、切原赤也も、放送の後にメールを読まなかったことは責められないだろう。
切原赤也は、仕留めそこねた標的がいた海洋研究所を目指すことばかりを考えていたはずだし、
白井黒子が慕っていた『御坂美琴』の名前が放送で呼ばれたことを、七原は知っている。

ただ、その受信されていた『天使メール』が菊地善人にとっては、最も欲しがっていたメールだったことが痛手だっただけだ。

「すぐにデパートに行くぞ」

七原はメールを読み終わるなり、そう言った。
「え……」と菊地は携帯を持ってしゃがんだまま、呆けた顔をしている。
その反応の遅さに、七原は苛立った。

「なに呑気な顔してんだよ。生きてる可能性が少しでもあるなら駆けつけるだろ。お前がさっき守りたいって言ったのは嘘か」
「いや……じゃなくて、」

すごく何か言いたそうに口をぱくぱくさせること数秒、菊地は立ち上がった。

「お前も普通に熱いこと言えるのかって驚いた。あと、俺の台詞取るな、俺より先に立つな」
「最後のは理不尽だろ! ……それに俺の空間移動(テレポート)を使った方が圧倒的に速いからだよ」

それに俺は元から熱い男だと、言うべきか迷ってやめた。
今回の殺し合いでは、ずっと冷たい側にいたことは事実だし、
誰かさんたちの影響かもしれない、と考えるのは癪だったから。

611POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:53:55 ID:JAKGsiC20
「俺も跳ばしてもらえるのか?」
「たしか白井は、130キロまでなら大丈夫だとか言ってたしいけるだろ。
さっきの喧嘩で跳び方には慣れたしな」

七原の体重は58キログラム。
菊地の体重は分からないが……見たところ体格は七原とそう違わないから、70キロを超えるということはないだろう。

「しっかり捕まってろよ。重くて疲れたら放り出すけどな」
「そっちこそ、いざとなったら戦ってもらうから覚悟しとけよ。なんせお前、菊地様の後輩でも中学生でもないんだからな」

同い年の中学生と、非中学生の二人。
肩を掴まれながらの歩みは、やがて駆け足となり、そして跳躍(テレポート)へと切り替わる。
加速していく。周囲の景色が飛んでいく。
おそらく時速百キロをゆうに超える世界だ。
仮に一秒で80メートル移動するとすれば、最高時速はいくらだろう。
80かける60かける60だから……とっさに暗算はできないが少なくとも250キロを超えることは間違いない。

一人ではない速さで、守りたいものの元へと跳ぶ。

自分らしい速度で。我儘を貫くために。
我が、儘に。

【C-6 ホテル近辺/一日目・夜中】

612POISON ◆j1I31zelYA:2015/11/15(日) 00:56:00 ID:JAKGsiC20
【菊地善人@GTO】
[状態]:『悪役』
[装備]: ニューナンブM60@GTO、デリンジャー@バトルロワイアル、越前リョーマのラケット@テニスの王子様、無差別日記@未来日記
[道具]:基本支給品一式×6、ヴァージニア・スリム・メンソール@バトルロワイアル 、図書館の書籍数冊(大東亜共和国の書籍含む) 、カップラーメン一箱(残り17個)@現実 、997万円、ミラクルんコスプレセット@ゆるゆり、草刈り鎌@バトルロワイアル、
クロスボウガン@現実、矢筒(19本)@現実、火山高夫の防弾耐爆スーツと三角帽@未来日記 、メ○コンのコンタクトレンズ+目薬セット(目薬残量4回分)@テニスの王子様 、売店で見つくろった物品@現地調達(※詳細は任せます)、
携帯電話(逃亡日記は解除)、催涙弾×1@現実、死出の羽衣(使用可能)@幽遊白書、バールのようなもの、弓矢@バトル・ロワイアル、矢×数本
遠山金太郎のラケット@テニスの王子様、よっちゃんが入っていた着ぐるみ@うえきの法則、目印留@幽☆遊☆白書、乾汁セットB@テニスの王子様、真田弦一郎の帽子、銛@現地調達、穴掘り用シャベル@テニスの王子様
基本行動方針:皆に『未来』を、『先輩』として恨まれようとも敵を排除する
1:一刻も早くデパートに向かい、杉浦を救ける
2:常磐達を許すつもりも信じる気もない。
3:落ち着いたら、綾波に碇シンジのことを教える。
[備考]
※植木耕助から能力者バトルについて大まかに教わりました。
※未来日記の契約ができるようになりました。

【七原秋也@バトルロワイアル】
[状態]:頬に傷 、『ワイルドセブン』であり『大能力者(レベル4)』
[装備]:スモークグレネード×1、レミントンM31RS@バトルロワイアル、グロック29(残弾5)、空白の才(『同調(シンクロ)』の才)@うえきの法則
[道具]:基本支給品一式×5(携帯電話に、首輪に関する考察とこれまでの行動のメモあり) 、二人引き鋸@現実、園崎詩音の首輪、首輪に関する考察メモ 、タバコ@現地調達、月島狩人の犬@未来日記、第六十八プログラム報告書@バトルロワイアル、ワルサーP99(残弾11)、裏浦島の釣り竿@幽☆遊☆白書、眠れる果実@うえきの法則、、ノートパソコン@現地調達
基本行動方針:このプログラムを終わらせる。
1:一刻も早くデパートに向かう。
2:走り続けられる限りは、誰かとともに走る
3:バロウ・エシャロットや我妻由乃といった殺し合いに賛同する人間は殺す。
4:プログラムを終わらせるまでは、絶対に死ねない。
[備考]
白井黒子、切原赤也と『同調(シンクロ)』したことで、彼らから『何か』を受け取りました。



[全体備考]一日目・夜中(ホテルが崩壊した時間)に、秋瀬或の『The rader』が書き変わります。次の放送で呼ばれる人物が一人減ります。

ーーーー

以上で投下を終了します

613名無しさん:2015/11/15(日) 09:55:16 ID:BjvQNaR60
投下乙です
取り急ぎ月報失礼します


話数(前期比) 生存者(前期比) 生存率(前期比)
106話(+2) 14/51(-1) 27.5(-1.9)

614名無しさん:2015/11/20(金) 16:36:00 ID:.hRW6p5s0
投下乙〜!
ムルムル達はALL DEAD ENDまでの過程に狂いはないと余裕ぶってるが、実際その中身が重要なんじゃないかなあ
ムルムル側の予知ではみんなマーダーとして誰かを殺したように描かれてるけど、現実では故意じゃなかったり庇って死んでる人が多いしね
人が脱落するタイミングに狂いがなくても、残った人に対主催が多いなら少しずつでも因果律に狂いが生じてきそうにも思える
一方で、七原達もアスカ達も今一番輝いてるからフッとその灯りが消えてしまいそうで怖くもあるな…

615名無しさん:2016/01/16(土) 00:00:59 ID:PqBzR7Mg0
集計者様いつも乙です
月報失礼します


話数(前期比) 生存者(前期比) 生存率(前期比)
106話(+0) 14/51(-0) 27.5(-0.0)

616<削除>:<削除>
<削除>

617名無しさん:2016/08/17(水) 21:56:41 ID:d7rNxI5w0
糸冬

618 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:51:22 ID:ju7RNNqk0
投下します
予約スレにも書きましたが、投下時間が長くなってしまいそうなので、ひとまず前編を投下し、期限内に後編の投下を予定しています

619 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:52:09 ID:ju7RNNqk0

私はずっと、何かになりたかったんだと思う。伏し目がちな自分とは全然違う、周囲の注目と期待を浴びて、どんな壁も一気に飛び越えてしまうような、誰かに。
それは、御坂美琴だった。あるいは、白井黒子だった。彼女たちが持つ能力が、理想を叶える力が、羨ましかった。
だけど私は彼女たちとは違う。私は、私にしかなることができない。そんな当たり前のことに気付くまでに、取り返しのつかないことをたくさんしてしまった。
これから行おうとしていることが、それらの罪に対する贖罪になるだなんて思ってはいない。私はこれから、罪を背負って生き続けなければならない。
だからこれは、最初の一歩。風紀委員(ジャッジメント)という肩書きや低能力者(レベル1)という評価を全て取り払って、最後に残った初春飾利という無力な少女が踏み出す、第一歩だ。

瞳を閉じて、深く、とても深く息を吸う。自分の身体を確かめるために。自分の存在を感じるために。
スプリンクラーからまき散らされた水はそこら中を水浸しにするだけじゃ物足りなかったのか、小さな分子の集合になって空気の中に溶け込んでいる。
じっとりと湿っていて冷たくて、どこか重いその空気を一息に吸った。怯えながら走り回って、たくさんの汗を流しているうちに渇いてしまった喉が、少しだけ潤う。
肺の奥まで飛び込んできた空気。そこから酸素を取り込んで、熱が生まれる。胸の奥で生まれた熱が全身を巡って、力になっていく。
拳を握った。濡れそぼって冷たくなっていた指先は、もう温かい。手のひらの熱は、行き場を探している。
水の怪物から逃げ出すときには恐怖に震えていた足で、地面を踏む。今度は逃げ出すためではなく、真っ直ぐ向かうために。
大丈夫。私の身体は、もう震えていない。

ゆっくりと目を開くと、夜のとばりに包まれた薄暗い世界が、視界に広がった。視界の端で、緊急用の誘導灯が青白く光っている。放水を止めたスプリンクラーから、ぴちょんぴちょんと滴が垂れている。
フードコートに設置されていたテーブルと椅子は、水の怪物が暴れ回ったせいでパステルピンクとライムグリーンの残骸の集合体になっていた。
見える。見えている。私には今、世界がはっきりと見えている。視界と世界を狭めていた恐怖や混乱は、もう何処かへ消え去ってしまっていた。
一緒に、消えてしまったものあるけれど。けっして短くないあいだ少女の中心に在った正義は、この世界の無法や不条理に晒されて見失ってしまったけれども。
それで私が、空っぽになったわけじゃない。殉じていた法がなくなろうとも、信じていた正義を失おうとも、残ってくれたものがある。

この世界で見つけた自分だけの現実と、昔からずっと抱き続けていた小さな想い。
それを貫き通すための、黴臭い古鉄のような意思。
身体の奥、心の底。初春飾利の核心にこびりついて剥がれないそれが在る限り、私は闘える。

「――私は貴方を、救います。貴方が何を言おうと。何を思おうと。それが私のやりたいことですから。絶対に譲れないことですから」

620 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:53:11 ID:ju7RNNqk0
初春は、自分に言い聞かせるように決意の言葉を口にする。
もしもここが騒がしい都会の片隅だったならば、誰にも届かないまま消えていたような、けっして大きくはない声。
だけどここでは、それで十分だった。小さいけれど感情と意思が込められた初春の声は、届けるべき相手に確かに届いた。
――その相手が初春の言葉をどう捉えるのかは、また別の問題なのだけれど。

初春と相対する少年は、身を包むカナリアイエローのレインコートの下で、身体を震わせていた。
初春の言葉によって揺さぶられた感情が、彼の身体を迸っている。それは怒り。そして憎悪だ。
御手洗清志は初春飾利の言葉を受け入れない。否定する。醜悪な人間の業など、認めてやるものかと拒絶する。

「さっきから五月蠅いんだよ……僕がどう思おうと関係ないだって? やりたいことをやるだって? だったら僕も、お前に同じことをしてやるよ!
 お前が何をしようとしているかなんて関係ない! 僕はお前たちを殺して、他のヤツらも全員殺して、人間という人間を全て殺し尽くしてやる!
 止められるなら止めてみろ! 救いたいなら救ってみせろ! どうせそんなことできやしないんだ、人間はそういう風にできてるんだからなァ!
 ……来いよ、偽善者。お前が自分勝手に押し付けている理想ってやつが、まったく現実に即していないただの幻想だってことを教えてやるよ。

 ――その理想<げんそう>ごと、殺してやる」

御手洗は、己に支給された鉄矢を握りしめた。鏃が御手洗の手のひらに突き刺さり、裂かれた皮膚から血液が流れ出るのを感じる。
共に感じるのは、鋭い痛み。これまでにも領域(テリトリー)の能力を使うたびに御手洗が感じてきた痛みだった。
さらに強く、鉄矢を握る。握りしめた拳の隙間から真っ赤な血がこぼれ落ちて床の水たまりを赤く染めた。
そして御手洗の膨れ上がる憎悪に呼応するように水たまりから巨大な手が生まれ、続いて腕が、肩が、胴体が形成される。
御手洗の能力は、己が血が混入した液体を意のままに操る能力だ。巨人、あるいは獣の形を取る自らのしもべを、御手洗は「水兵(シーマン)」と名付けた。
水兵の中こそ御手洗の領域――いわば、彼にとっての「自分だけの現実」。醜悪な現実を塗りつぶすための、ただ一つの武器。

御手洗のそばで、彼の数倍の巨躯を持つ水の怪物が唸りをあげる。
先ほどまで使役していた水兵をも大きく上回る巨体。ちょうど人間と異形の中間に位置するような造形をした水兵だった。
だが、これでもまだ足りないと、御手洗は矢を握る手に力を込める。より強く。より深く。刻まれた傷から、水兵の力の源になる血液が流れ出る。
御手洗の手からしたたる血液が床に落ち、二体目、三体目の水兵が続けて生み出された。

621 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:54:10 ID:ju7RNNqk0
血色を失い青白くなった腕をだらりと上げて、御手洗は初春を指さした。腕が、重い。血を流しすぎている。
脳に回る血液も足りていないのか、いつもより思考が鈍い。ただでさえ光が足りなくて薄暗い視界が、さらに霞んでいた。
だが、逆に好都合だと御手洗は口の端を歪めた。余計なことを考える必要が無い。余計なものを見る必要も無い。
人間<てき>を殺し尽くす。ただそれだけできればいい。アイツを殺せ、と水兵に命令を下した。

巨体に似合わぬ俊敏な動きで、水兵は初春に接近する。水兵の内部は御手洗の絶対領域だ。
もしも水兵に捕まり、その中に取り込まれてしまえば、そこから脱出することは不可能である。
――しかし、何事にも、例外というものがある。
本来ならば御手洗清志が進んでいたはずの未来において、桑原和真が次元を切り裂く能力に覚醒し、水兵と外部を隔てる領域の壁を突破して脱出を果たしたように。
本来ならば「低能力者<レベル1>」のまま一生を過ごしていたはずの初春飾利もまた、この世界の現実に打ちのめされることで、水兵の天敵といえる能力に目覚めていた。

近づく水兵に向かって、初春は右の手のひらをかざす。重要なのは、確信だ。自分の力は世界を塗り替えられると、妄信ともいえる確信を持つことだ。
初春はこの世界で、たくさんのものを失った。それは肩書きだった。それは信念だった。それは正義だった。それは親友だった。
奪われ続けて、ようやくここまでたどり着いた。奪われなければたどり着けない場所だった。
世界は優しいだけじゃない。くそったれ、と柄にもなく汚い言葉で罵りたくなるくらいに、許せないことばかりがあった。
だからこそ、思うのだ。
自分ばかりが奪われ続けるのは不公平だ。自分だって、世界にちょっとばかりの仕返しをしたっていいじゃないか。
我が儘に、あるがままに、自分を世界にぶつけてしまおう。それこそ、世界を自分の思うがままに塗り替えてしまうくらいの強さで。

「こういうのも、開き直りっていうんですかね、式波さん」

呟きとともに、自然と笑みがこぼれた。世界を塗り替えるだなんて大それたことは、今までの初春では考えたとしても実行はしなかっただろう。
臆病で、気弱で、鈍くさくて、そんな自分が世界を変えるだなんてできるはずがないと決めつけていた。それが初春の限界だった。
だけど、今ならば――!

初春の右手が、迫り来る水兵の拳を受け止めた。水兵の剛腕によって振るわれた打撃は、初春の小柄な肉体では到底受け止めきれないはずだった。
だが、打ち勝ったのは初春のほうだった。初春を吹き飛ばすはずだった水兵の腕は、肘から先が霧散し消滅していた。
これこそが、初春が見つけた自分だけの現実。彼女が世界を塗り替えるための能力。
『定温保存<サーマルハンド>』――物質の温度、ひいては物質の分子運動を操作する初春の能力は、御手洗の領域に干渉し得る強度にまで成長したのだ。

しかし――初春の顔から、笑みが消える。先ほどまでの水兵ならば、初春の手のひらが触れた瞬間に全身が霧散していたはずだ。
だが今回の水兵は、肘から上はまだ残したまま。残るもう片方の腕で、さらなる追撃を繰り出してくる。初春は、左の手のひらで水兵の追撃を迎え撃つ。
手のひらが水兵に触れる瞬間に超高速の演算を実行。目視で予測していた数値に次々と修正を加え、実際のそれに近づけていく。
水兵を構成する水分子の運動を制御。初春を襲う衝撃そのものは、初春の能力では打ち消すことができない。故に、衝撃と真逆の方向へ分子運動を加速させ相殺を狙う。
それと同時に水兵の内部状態を書き換え、爆散と蒸発を命令。初春の計算通りにいけば、これで水兵を無力化できるはず――!

622 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:55:34 ID:ju7RNNqk0
「これで……どうですかっ!?」

しかし、初春の叫びも虚しく。一瞬にして消し去るはずだった水兵は、両腕を無くしながらも未だ屹立していた。
驚愕と混乱を表情に浮かべながら、初春は自分の計算通りに水兵を消滅させることができなかった理由を探し始める。
最初に考えたのは、自分の能力が想定していたよりも低出力だったのではないか、ということだった。
初春は元々、学園都市における序列では最下層に位置する低能力者<レベル1>の一人にすぎない。
劇的な進化を果たしたといえども、せいぜい強能力者<レベル3>といったところだろう。
まして覚醒を果たしたばかりでは能力が不安定であるのかもしれない。しかし――初春側だけの問題ではないと、彼女は直感していた。

「カザリ、後ろ! ボーッとしてんじゃないわよ!」

御手洗の操る水兵によって重傷を負い、未だ動けず二人の戦いを見守ることしかできなかった式波・アスカ・ラングレーの怒号が、初春の思索を強制的に途切れさせた。
危機的な状況であると知っても、それを確認する余裕はなかった。後ろに振り返ると同時に、両手を突き出す。だが、間に合わない。
いつの間にか初春の後方へ回り込んでいた二体目の水兵の一撃が、初春を吹き飛ばした。

「ぐ、うぅっ!」

骨まで軋むような痛みが、初春の全身を苛んだ。ごろごろと床を転がって、フードコートに設置されていたテーブルの足に背中をしこたま打ち付けて、ようやく止まる。
痛みを我慢して起き上がろうとしたが、折れたテーブルのささくれが初春のセーラー服の襟に引っかかって、そのまま転んでしまう。
早く立ち上がらなければいけないと頭では考えていても、身体のほうが言うことを聞いてくれなかった。全身からSOS信号が出されている。
水兵の攻撃が正確に初春を狙っていたために、急所だけは守った『定温保存』によって威力を軽減することはできた。
衝撃の完全相殺には間に合わず、防御をした上でなお水兵の重い打撃は初春の身体を吹き飛ばすに十分だったわけだが。

容易く御手洗の水兵を霧散させていた初春の『定温保存』が不発に終わったのは、ひとえに御手洗の執念の賜物だった。
水兵にとって天敵ともいえる初春の能力だが、かの『幻想殺し』のように御手洗の領域そのものを無効化していたわけではない。
分子運動操作に特化した能力によって御手洗の領域を上書きするように水兵を操り、瞬時に爆散・蒸発させていただけに過ぎないのだ。
いわば、能力の強度差をもって強引に打ち負かしていただけ。しかも手のひらで直接触れなければ発動できず、一瞬で操作できる液体の量にも限界がある。

対する御手洗の能力は、彼の血液を媒介に液体を操るものだ。そして混入された血液が多ければ多いほど、使役される水兵はより巨大に、より強靱に、より精密に行動するしもべとなる。
御手洗は、初春飾利を殺害するというただ一点の目標のために、多くの血を流した。御手洗の血を吸い肥大化した水兵は、初春の干渉に対する抵抗力を高めていたわけだ。
結果として、初春の『定温保存』による水兵への干渉は一瞬で水兵を消滅させるほど絶対的なものにはならず、片腕を吹き飛ばす程度のものになってしまっていた。

――あるいは、初春飾利が戦闘技術に長け、経験も豊富な少女だったならば、結果は違っていたのかもしれない。
いくら初春と御手洗の能力差が縮まっていたとはいえ、優位に立っていたのは依然として初春のままだったのだから。
だが、初春は予想外の事態に慌て、二体目の水兵による不意打ちを回避することができなかった。それが彼女にとっての、どうしようもない現実だった。

623 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:56:56 ID:ju7RNNqk0
「ハッ、いいザマだな。どうだ、これで分かっただろう? お前のいう『救い』なんて、ただの幻なんだよ」

御手洗が歯を剥き出しにして、フロア中に響き渡る大きな声で笑い始める。大量の血を失ったことで青ざめながらも、その表情は喜びに歪んでいた。
床に転がったまま立ち上がることすらままならない初春の姿は、御手洗の目にはとても無様なものに見えた。
大言壮語を吐いた少女は、口にした言葉を何一つ実現させることができずに地に這いつくばっている。溜飲が下がるとは、まさにこのことをいうのだろう。

「苦しいか? 苦しいだろうなぁ! 僕が憎いか? 憎くないはずがないよなぁ!
 それでいいんだよ。人間なんてそんなものなんだよ。ただ生きているだけで他の生物を苦しめて、自分勝手に欲を満たそうとする薄汚いけだものさ!
 なぁ。顔を上げてみろよ。いつまで俯いてるつもりだ? さっきまでの威勢の良い啖呵はどうした? お前が貫きたい意地ってのは、そんな簡単に折れるような薄っぺらいものなのかよ!」

最後には、絶叫になっていた。御手洗はぺろりと唇を舐める。血を失うということは水分を失うということと同義だ。唇はかさかさに乾いて、割れていた。
霧のような空気をいくら吸っても喉の渇きは満たされなかった。身体の芯まで焼き尽くすような憎悪の炎は、言葉を吐けば吐くほどに勢いを増していった。

「おい。なんとか言ってみろよ。――この、人殺し」

ふらつきながら懸命に立ち上がろうともがいていた少女に向かって、御手洗は吐き捨てる。御手洗の言葉を聞いた初春は、身体をびくりと震わせた。
動揺を隠せない初春の様子を見た御手洗はほくそ笑み、そのまま次々と言葉を重ねていく。その言葉には重みがあった。呪いと言い換えてもいい。
御手洗と初春という、本来なら交わることがなかったはずの二人を結ぶ共通項。それは、黒の章という人間のありとあらゆる暗黒を、罪を撮影した映像。

「人を殺しておいて、よくもそんな綺麗事が言えたもんだな。お前の両手は、もう血と罪に染まってる。そんな手で誰かを救おうだなんて笑わせるぜ。
 お前もあのビデオの中で笑っていた屑どもと同じさ。外面だけはいかにも善人のふりをしておいて、その中身はあいつらのように膿んでやがる。
 お前は、本当は誰かを救いたいんじゃない――救われたいんだ! お前は悪くない、悪いのはこんな殺し合いをやらせる人間のほうだって言ってもらいたいだけだろう!
 ――甘えてるんだよ。あのビデオを見て、それでもなお自分のことを省みようともせず、犯した罪を自分勝手な理屈で責任転嫁して、赦されようだなんて思うなよ!
 思い出してみろよ。お前が殺してきた人間の、最期ってやつをな。きっとそいつらも、あのビデオの中の被害者と同じ表情を浮かべていただろうさ」

御手洗の糾弾に対して、初春は反射的に反論をしようとした。そんなことはない。御坂美琴は最期まで常盤台のエースの名に恥じない姿を初春に見せてくれた。
初春がこちら側に戻ってこれたのだって、美琴が自らの命を懸けて初春を救ってくれたからだった。彼女はきっと、絶望になんか屈しないまま、逝った。
吉川ちなつもそうだった。アスカから聞いたちなつという人物は、この殺し合いに順応できるようなタイプの人間ではなかった。
きっと、かつての初春以上に殺し合いに怯え、恐怖していたはずだ。その彼女だって、殺し合いに抗ってみせた。アスカを救ってみせた。
美琴は死に際に、最弱だって最強に勝てるくらい人間は強いんだと言ってくれた。ちなつはきっと、美琴の言葉通りの強さをアスカに見せてくれた。
そんな彼女たちの死を侮辱するような御手洗の言葉は、絶対に許せない。そう思って、反論をしようとして――だけど初春の口は、うまく言葉を紡いでくれなかった。

「桑原、さん……」

624 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:57:59 ID:ju7RNNqk0
代わりに口をついたのは、初春がこの場所に来て初めて出会った人物の名前だった。桑原和真と名乗った、とても未成年には見えない老け顔の少年の名だ。
初春が初めて彼を見たとき、やけに慣れた手つきでホームセンターの品物を根こそぎバッグに詰め込もうとしていたことを思い出す。
強面でガサツで、非常事態なら多少の犯罪行為だって大目に見てもらえるだろうという適当な倫理観を持っていて、けっして善人だといえるような人物ではなかったけれど。
不安を隠せなかった初春にかけてくれた彼の言葉の端々には、いかつい外見には似合わない優しさが見え隠れしていた。勘違いされやすいだろうけれど、根は悪人じゃないだろうなと感じていた。

「桑原? もしかして、桑原和真のことか? ……そうか、お前が桑原を殺したのか」
「っ……!」

そうだ。初春飾利は、桑原和真を殺した。それも、もっとも苦痛に満ちた死に方の一つと言われる焼死によって。
初春に支給された火炎放射器から発射された炎は、一瞬で桑原の頭部にまとわりついた。彼がごろごろと転がって火を消そうとしても、炎の勢いは衰えることがなかった。
やがて激しく暴れ回っていた桑原の身体はびくんびくんと痙攣をし始めて、最後に一度だけ大きく跳ねて、それっきり動かなくなった。
炎に反応して作動したスプリンクラーがわずかに残っていた火を消し止めて、真っ黒になった桑原の頭部が露わになった。そこには、何の表情も浮かんではいなかった。

初春はあの陰惨な光景を忘れることができない。映像だけではない。肉が焦げるあの臭いも、耳をつんざくような桑原の叫びも、何一つとして忘れ去ることなどできやしなかった。
いや、忘れてはいけない。初春飾利は桑原和真を殺したという罪と共に、あの光景も一生背負っていかなければならないのだから。

「あなたは……桑原さんのお知り合いだったんですか?」

だから、訊かなければならない。もしも目の前の少年が桑原和真の知り合いだったとしたら、初春は彼に謝らなければならない。
今にも機能停止しそうな身体を奮い立たせて、初春は立ち上がった。痛い。痛すぎる。もしかしたら骨の一本や二本は折れているかもしれない。
だけど、寝転んだままでいるわけにはいかなかった。痛みを懸命に堪えながら、初春は毅然とした視線を御手洗へ向け、自らの罪を告白する。

「あなたの言うとおりです。――私が、桑原さんを殺しました」
「……お前が思っているとおり、僕は桑原のことをよく知っている」

初春の告白を聞いた御手洗は、やっぱりな、と吐き捨てた。その視線に込められていたのは軽蔑。
御手洗の目に射竦められたように感じて、初春は身体を強張らせた。続けなければいけないはずの言葉が浮かんでこなくなった。
初春がいくら言葉を重ねたところで、桑原和真を殺したという事実は覆らない。桑原和真が生き返るわけでもない。かえって御手洗の神経を逆撫でするだけかもしれない。
それでも、御手洗が桑原のことをよく知る人物であったというならば。言わなければならない言葉がある。

「……すみません。ごめんなさい。……こんな言葉じゃ足りないことは分かってます。でも――」
「謝る必要なんかないさ」

しかし、必死に紡ごうとした初春の言葉は、御手洗の声によって制止されることになった。
薄明かりに照らされた御手洗の表情に浮かんでいたのは、冷ややかで酷薄な笑みだった。

「アイツは、僕の標的(ターゲット)だった。お前が殺さなくても、いずれ僕が殺していただろうな。だから今は、あえてこう言わせてもらおうか。
 ――『ありがとう』。僕の手間を省いてくれて。この世界から人間を一人減らしてくれて。
 アイツを殺した気分はどうだった? やっぱりお前も、あのビデオに映ってたヤツらみたいに笑いながら桑原を殺したのか? なぁ?」

御手洗から初春へ贈られたのは、感謝。そして追及の言葉だった。

625 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:58:51 ID:ju7RNNqk0
「いったいどうやってアイツを殺したんだ? 醜悪な中身を隠すように無害な振りをして、外面だけ取り繕ってアイツに近づいたのか?
 あぁ、そういえばアイツは女には滅法弱いって調査結果も出てたっけなぁ。その貧相な身体で桑原を誑かして、鼻の下を伸ばしたところで殺したのかもなぁ!
 違うか? 文句があるなら言ってみろよ! お前がいくら否定しようと、誤魔化そうと、人を殺したっていう事実は変わらないけどな!!」

御手洗は己自身の言葉に激昂し、熱くなり、汗を撒き散らかしながら喉が枯れんばかりに叫んだ。初春は何の反論もできず、ただ俯いた。
だが――御手洗の言葉を遮るように、声が、水浸しのフードコートに響いた。それは、これまでずっと二人の対決を見守っていた少女の声だった。

「アンタ、バカぁ?」

式波・アスカ・ラングレー。御手洗の操る水兵に取り込まれ、酸欠により戦闘不能に陥っていた少女が、遂に立ち上がる。

「――さて、アンタたちが長々とおしゃべりしてくれてたおかげでようやく動けるようになったわけだけど」
「おいおい、起きて早々に人をバカ呼ばわりかよ。死にかけの身体で苦し紛れの抵抗でもするつもりか? 黙って寝ていれば、苦しまずに殺してやったのにな」
「ハッ、冗談! 誰がアンタなんかに殺されるもんですか。それに、バカって言ったのはアンタに対してじゃないわ」

アスカは御手洗から視線を切ると、初春を指さしながら彼女に向かってもう一度「バカ」と呟いた。
「アンタに言ってんのよ、カザリ。このバーカ」
「式波さん……」
「ほらもう、そこですぐ黙ろうとする! すーぐ自分が悪いんだっていうような顔をする! それもうやめなさいって言ったでしょうが!」
「は、はい! すみません……」
「だから謝るなっちゅーの!」

眉間に思い切り皺を寄せ、苛々とした様子を隠そうともしないアスカは、苦々しい顔をしながらこぼした。
「答え、見つけたんじゃなかったの? それともアンタの答えは、あんななよなよした男にちょっとつつかれたくらいで見えなくなっちゃうような、曖昧なものだったワケ?」
「――違います!」

アスカの言葉を聞いた初春は、咄嗟に反論する。
アスカはあの階段で、こう訊いた。この世界に、この空の下に、この地面の上に、人の間に、正義はあるのだろうか、と。
それは気丈に振る舞うアスカが見せた、ほんの少しの弱音のようなものだったんだと、初春は思った。
だから即答できなかった。初春の中ではその答えは自明で、初春は自分自身の中にも、世界の理の中にも、確かな正義が存在していると考えていたけれど。
それはきっと、アスカが求める正義とは違う正義だったからだ。世界の命運を背負わされる14歳の少女が求める正義は、初春が考えるそれとは、きっと違っていた。
だから、それでも正義になりたいのかというアスカの問いにも、答えることができなかった。

「だったら、もう一回言ってみなさいよ。――アンタは、何になりたいの? みんなを守る法の番人? 悪の怪人から地球を守る正義のヒーロー?」
「私が……私が、本当になりたいのは――!」

626 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 22:59:45 ID:ju7RNNqk0
なりたかったものは、沢山あった。それこそアスカが言う法の番人は風紀委員として皆を律する白井黒子そのもので、正義のヒーローとは御坂美琴を表現するのにもっとも相応しい単語で。
初春が彼女たちに抱いていた憧憬は、けっして嘘偽りではなかった。彼女たちのように強くなれればと、そう思って初春なりに努力を重ねてきた。
けれど、初春は弱かった。能力の開発は進まず、基礎体力でも到底追いつけない。それでも彼女たちは初春に優しくしてくれた。友達だと、言ってくれた。
それでいいと思っていた。強さを彼女たちに任せて、弱さを初春が預かって、せめて彼女たちの支えになれれば、それでいいと。
だけど今は、それだけでは足りない。

「私は、強くなんかないです。だからきっと、英雄にも主人公にもなれない」

そっと瞳を閉じて、胸に手を当てる。御坂美琴や白井黒子の顔が脳裏に浮かんで、すぐ消えた。初春は彼女たちのような強い人には、きっとなれない。
代わりに浮かんできたのは、親友の――佐天涙子の向日葵のような笑顔だった。いつも隣にいてくれた、初春にとって一番大切な友人。
彼女の優しさに、初春はいつも救われてきた。彼女がいてくれたからこそ、背中を押してくれたからこそ、初春は後ろを振り返ることなく正義を信じることができた。

「私は――いつも誰かのそばにいてあげられる、やさしい人になりたい。法の番人でも主人公でもない、ただの初春飾利として誰かの隣に立ってあげたい。
 その人の悲しみも弱さも、全部受け止められるように、なりたいんですっ!」

眉間から力を抜いたアスカが、小さく笑った。お人好しの考えだ、と初春の言葉を受け止めながらも、その笑みに嘲りの意味は込められてはいなかった。
やりたいことをやれる限りやってみせる。以前のアスカなら、努力の足りない甘ったれた考えだと一刀両断にしていただろう。
だがアスカは、訓練も経験も積んでいない一般人の吉川ちなつに救われてしまった。だったらそれを否定するわけにはいかない。

「アンタは十分優しいわよ。こっちが辟易するくらいにね。だけどマジメすぎ。だからあんなヤツの言うことまでいちいち真に受けちゃって反論もできなくなるワケ。
 ま、日本人は本当の議論ってものを知らないからしょうがないか。だから――アンタがゆっくり考える時間を、あたしが作ってあげるわ」

アスカは支給品の特殊警棒を強く握りしめながら、御手洗を睨みつける。
――今の自分では御手洗に勝つことはできないと、アスカは理解していた。あくまで一般常識の範囲に収まる能力しか持たないアスカでは、御手洗の操る水兵に対抗することは難しい。
勝つためには互いの手の内を隠したまま駆け引きに持ち込み不利を跳ね返すしかなかったが、今となっては不可能な話だ。今のアスカにできるのは、せいぜい時間稼ぎ程度だろう。
本当のことを言えば、立ち上がるだけで精一杯だった。一度酸欠状態になった脳は、まだ完全には回復していない。ぐわんぐわんと視界は歪み、鈍痛が全身を苛んでいる。
それでも――意地があった。アスカの生来の気性が、このまま何もせずに初春任せにすることをよしとしなかった。立ち上がれるなら、歩けるはずだ。歩けるなら、闘えるはずだ。

「リターンマッチよ、ワカメ頭」
「――来いよ、アバズレ女。今度こそ叩き潰してやる」

627 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 23:00:29 ID:ju7RNNqk0
御手洗の周囲を囲むように、三体の水兵が音もなく出現した。そのうちの一体は御手洗を守るように彼の前に鎮座し、残る二体はアスカに狙いをつけ、拳を振り上げながら迫り来る!
アスカが取れる手段は、回避の一択だ。もしも水兵の指一本でもアスカの身体を掠めれば、そのまま水兵の内部に捕らえられてしまう。

「……チッ! やっぱり厄介ね!」

にゅるりと伸びた水兵の腕をなんとか回避するアスカ。不定形の存在である水兵は、そのリーチも動きも自由自在だ。人間を相手にするように回避していてはいずれ捕まってしまう。
故に、アスカは水兵から大きく距離を取るような回避を選択せねばならなかった。当然、御手洗との距離も縮めることはできず。

「どうした!? 逃げ回ってるだけじゃ僕には勝てないぜ!!」

御手洗の挑発に青筋を立てながら、アスカは状況を再確認する。
まず、アスカの第一目的は何なのか。アスカが最低限こなさなければならないのは、初春が回復するまでの時間稼ぎだ。
アスカが見る限り、初春が能力を十全に発揮できれば御手洗の水兵はほぼ無力化できる。経験豊富なアスカが初春をサポートしながら二対一の状況を作り出すことができれば、こちらの有利は確定的だろう。
――そしてそのことは、御手洗も気付いているはずだ。そうなる前にアスカか初春のどちらかを戦闘不能にしてしまえば、能力差を数の有利で覆しうる御手洗が勝利に大きく近づくことになる。
勝負の鍵は、初春が戦線に復帰するまでの時間をアスカが稼げるかどうかにかかっている。

「ったく、まさかこのあたしが前座だなんてね。まぁいいわ。――こっちはね、アンタにも言いたいことがたくさんあるんだから!」

アスカが現在所持している武器は特殊警棒とナイフの二種類。あとは壊れた拳銃に即席のスリングショット。遠距離から御手洗を攻撃できる武器はない。
ならば戦闘によって御手洗を打ち負かすのはほぼ不可能と言っていい。だったら――今のアスカが取れる最善手は、舌戦で御手洗の動揺を誘うこと。
そして、そういった打算を抜きにしても。アスカは御手洗に対して、思うところがあった。言いたいことがあった。

「あたしはカザリみたいに優しくないからはっきり言わせてもらうわ。――人間舐めるのもいい加減にしなさいよ、このクソガキッ!
 自分だけが不幸で可哀相で、自分だけが人間の真実を知ってるだなんて勘違いして、無茶苦茶なこと言って他人を巻き込もうだなんて――ふざけんじゃないっての!!」

一気呵成に吐きだした。そうだ。アスカは最初から、気にくわなかった。御手洗が否定した『人間』とは――アスカたちエヴァンゲリオンパイロットが、命を賭して守ろうとしていた存在だ。
アスカだって人間がそんなに素晴らしい生き物だなんて思ってはいない。それこそ御手洗が言うように、自分たちの繁栄のために他の生物を蔑ろにして環境を汚しているという側面だってある。
だが、だからといって――すべてを否定されれば、腹が立つ。そんなもののために命を懸けているお前は大馬鹿者だと蔑まされているような気にもなる。

「お前は、あのビデオを見ていないからそういうことが言えるんだよッ!」
「ええ、そうかもしれないわね! でもあたしなら、アンタみたいに捻くれてねじ曲がったりなんかしないわ!」
「どうしてそんなことが言える! 何も知らない、お前がッ!」

確かにアスカは御手洗と初春が見たという黒の章というビデオの内容を、二人からの伝聞という形でしか知らない。
二人の精神を狂わせたというその映像は、御手洗の言葉通りならば筆舌に尽くしがたいほどの酸鼻を極めたものに違いない。
それこそ、アスカが今までに見たことがないような地獄絵図が、そこには広がっているのだろう。
だが、それを言うならば。アスカだって、御手洗が知らない世界を知っている。

「……何も知らないのは、アンタのほうよ」

628 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 23:01:48 ID:ju7RNNqk0
エヴァンゲリオンパイロットでなければ知り得なかったはずの世界。そこには多くの思惑と策謀と暗躍があった。世界を揺るがす秘密があった。
各々の目的のために動く大人たちの行いに子どもたちは振り回され、傷つけられた。それはけっして、「優しい世界」だなんて言えないものだった。
その中でアスカは、辛酸を舐めながら生き抜いてきたのだ。自分の価値を守るために。己の意味を見つけるために。

「不幸自慢なんて趣味じゃないからやらないけどね。あたしが生きてきた世界だって、アンタには想像もつかない世界だったってことよ!
 あたしはそこで、強くなきゃいけなかった! 弱さなんて誰にも見せられなかった! 他の誰でもなく、あたしが、あたしであるためにッ!
 だから――自分の弱さを正当化するために他人を言い訳の道具にして、ガキの癇癪を叫び散らすばっかりのアンタみたいなヤツに、あたしは、負けらんないのよ!」

アスカが否定したのは、御手洗の弱さだった。いや、正確に言えば、弱さを理由に身勝手な正義を振りかざして自らの矮小さを誤魔化そうとする、その在り方だった。
弱さを他者に見せないように隠すでもなく、それも己の一部なのだと受入れることもせず。弱くて何も持っていない自分は、虐げられる自分は悪ではなく正義の側にいるのだと主張して。
それが甘えでなくて、なんだというのだ。認めない。受け入れない。初春飾利ならばそんな御手洗清志さえも救済の対象としたかもしれないが、式波・アスカ・ラングレーは違う。
御手洗が己を改めるつもりがないのならば、アスカの全身全霊をもって御手洗清志という存在を否定する。それが、アスカの中に残るプライドが出した答えだった。

「五月蠅い……五月蠅い五月蠅い五月蠅いッ!」

御手洗の怒号と共に、水兵が再び動き始める。水兵が掴んだのは、フードコートに散らばる無数の椅子。
二体の水兵がそれぞれアスカと初春に狙いをつけ、椅子を力任せに投擲する。

「――カザリっ! 避けなさい!」

初春の能力が無効化できるのは、あくまで御手洗の領域能力のみ。水兵の投擲によってもたらされる物理的ダメージに対して、初春は無力だ。
水兵が投げつけた椅子が初春の小柄な身体にぶつかる寸前、初春は身体をよじってすんでのところで回避。
転がる初春のもとへ駆けつけたアスカが、初春の手を握り物陰へと強引に引っ張り込んだ。そのまま姿勢を低くして、御手洗から隠れるように場所を変えていく。
水兵を操るには御手洗の目視が必要だということはわかっている。暗闇に紛れてしまえば、ある程度の時間稼ぎにはなるだろう。

「カザリ、大丈夫?」
「ええ、どうにか。式波さんこそ、傷のほうは……」
「このぐらいなら、まぁなんとかね。多少の無茶は承知の上よ。とにかく今は、アンタがあたしたちの生命線なんだからしっかり自覚すること! 分かった?」
「……はい!」

続いてアスカは、初春に彼女の能力について詳細を尋ねた。初春にとっても急激に成長・進化した『定温保存』については未知数の部分も多かったが、ここまでの経験と己の感覚から得た情報をアスカと共有する。
基本的には「手のひらで触れた物体の温度を操作する」能力であり、「温度変化に必要な分子操作を応用することで水流のベクトルを変化させる」こともできる。
しかし御手洗のように水を自由自在に操作するほどの応用力はなく、せいぜい一方向に向かって液体を爆散させるのが関の山。それだって攻撃手段に使えるほどの強度にはならない。

629 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 23:02:56 ID:ju7RNNqk0
「向こうだってそのことには薄々気付いてるでしょうね。だから怪物に直接殴らせず、椅子や机を武器代わりにし始めたってところかしら」
「最初に私が怪物を消し飛ばしたときに比べて、抵抗力も上がってる気がします。時間をかければ無力化は可能だと思いますが……」
「気付いてる? ……多分、アイツが能力を使うには……」

アスカが何を訊こうとしているのか察して、初春は頷いた。御手洗の能力の条件についてだろう。
御手洗との戦いの中で、彼が明らかに不自然な――本来ならば必要が無いはずの行動を取っているのを何度か目にした。
彼は自分の身体を傷つけ、その血を水に垂らしていた。おそらく御手洗の能力は、己の血を媒介に水を操る能力なのだとアスカと初春は推測する。

「これはあくまで予想ですが、血が能力の源なら、注ぎ込む血液の量を増やせば能力の強度も上がると考えるのがセオリーです」
「だからカザリの能力も効きにくくなったし、怪物自体の大きさやパワーも上がってるってわけね」
「ですが、それだけ彼は――」

二人が移動しながら小声で会話を続ける間にも、御手洗は当てずっぽうに水兵を暴れさせ、フードコート内のすべてを壊さんという勢いで破壊を続けていた。
人間に対する呪詛を撒き散らかしながら破壊の限りを尽くしている御手洗の相貌は――蒼白に染まっている。
領域の過度の行使による体力の消耗、水兵を操るための多量の出血。その両方が少年から生を奪い、死に近づけている。

「カザリ。例のビデオとかいうのを見たっていうアンタに訊くわ。――アイツは、自分が死ぬことになろうとも、人間を殺そうとすると思う?」

アスカの質問に対して、初春は咄嗟に答えを返すことができなかった。それに答えようとすれば、自分の記憶を遡ることになる。思い出したくない殺人の記憶を辿ることになる。
これが初春の傷を抉るような質問だということに、アスカは気付いているだろうか? 初春が顔を上げると、真っ直ぐにこちらを見つめてくるアスカと、視線が交錯した。
アスカの瞳の中に、出会ったばかりのころのような高圧的なそれは、なかった。初春が頑なに正義を謳っていたときに見下すような目を向けてきたアスカは、ここにはもういない。

ようやく認められたような気がした。そして、同時に気付く。初春を信頼してくれているからこそ、アスカは初春に訊いたのだと。
だから、初春も答えなければならない。桑原を殺したときのことを、ちなつを殺したときのことを、美琴を殺したときのことを思い出して。
黒の章という悪意に呑まれ、人間という種をこの世界からなくしてしまおうと彷徨い歩いていた、あのときに考えていたことを。

「……きっと。きっと、あの人も――自分が死ぬことになろうとも、その行いを止めようとはしないでしょう。
 だって、彼が殺そうとしている『人間』には、彼自身も含まれているから。自分が死ぬことすら、彼にとっては贖罪の一つなんです」

はぁ、とアスカは大きなため息をついた。理解ができないわと呟きながら、かぶりを振る。

「あたしはね、人類を守るために戦ってたの。だからあたしは強くなきゃいけなかった」

薄闇の中、アスカの握る拳に力が込められたのが、初春にも分かった。アスカの手は、震えていた。

630 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 23:04:27 ID:ju7RNNqk0
「世界のため。人類のため。みんなのため。そんなことを言われながらあたしは戦ったけど、それは全部、自分のための戦いだった」

強く在るということが、アスカの存在理由だった。強く、優秀でなければアスカを求める人間はいなくなってしまう。強くなければ生きる理由がなくなってしまう。
強迫観念に似た歪な価値観に支配され、アスカは己の価値を磨き上げ、周囲に誇示することに執着するようになっていった。

「バカシンジでもエコヒイキでもダメなの。あたしが使徒を倒さなくちゃ、誰もあたしのことを認めてくれないの。
 ……自分が死ぬことになろうとも人類を守れって言ってくる大人たちの顔、アンタは見たことある?」

そう言って、アスカは力無く笑った。そしてアスカの言葉を聞いた初春の中では――なにかが、ぱちんとはまった。
御手洗とアスカは、「自分が死ぬことになろうとも人類を殺すと決めた少年」と「自分が死ぬことになろうとも人類を守れと命令された少女」だった。
或いは、「自分の弱さを認められず世界を壊そうとした少年」と「世界に認められるために自分の弱さを殺した少女」だった。
まるで正反対のようで――その実、根本は同じだ。発露の方向が違っていただけで、始まりは同じだ。
震えるアスカの手を、初春はそっと握った。初春の手が触れる瞬間、予期せぬ接触に驚いたアスカの手がびくんと跳ねた。

「いっ……いきなり何すんのよ!?」
「すみません、つい……! でも、」

でも、という逆接の後ろに続く言葉を初春は探した。今自分が言うべき言葉は、いったいなんだろう。いくらか頭の中で考えて、しかしどれもしっくり来なくて。
「式波さんの手……冷たいですね」
水使いと対峙し、ずぶ濡れになったアスカの手に触れた感想を、そのまま言うことになった。
「……ヘンタイ」
返ってきたのは、ジト目だった。

「ち、違うんですよ!? いや、違わないというか……確かに急に触っちゃったのは私が悪いとは思うんですけど……」
「……別に、イヤって言ってるわけじゃないわよ」

初春の手が振り払われることはなかった。許容してくれたんだと解釈して、初春は少し嬉しく思う。
初春が握る手に力を込めると、アスカもまた握り返してくれた。初春の手のひらの熱が、少しずつアスカの手に移っていく。

「式波さん。こんな話を知ってますか? ……手が冷たい人はですね、心が暖かいそうですよ」
「知ってるわ。でも、非科学的にもほどがあることわざじゃない」
「ええ、科学的根拠なんてまったくありません。でも、素敵だなって思いませんか? それとですね、私が好きなのは、その逆の言葉はないところなんです」
「手が暖かかったら、心が冷たいって話は……確かに聞かないわね」
「ね? 初めてそれに気付いたとき、あぁ、なんだかいいなぁって思ったんです」

勝手に人のことを心が暖かいと認定するのも乱暴な話だけれど、心が冷たいだなんて決めつけることもないのは、とてもいいことだと思う。うん、いいことだ。

「式波さんも、優しい人ですよね。私、知ってます」
「はぁ? なによ、ちょっと一緒にいたくらいであたしのこと分かったつもりになるなんて――」
「優しくないところも知ってますよ。両方合わせたら、もしかしたら優しくないところのほうが多いかもしれませんね」
「……ちょっとアンタ、あたしのことバカにしてんの?」
「いいえ、違います。尊敬してるんです」

631 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 23:05:47 ID:ju7RNNqk0
思えば、アスカがいてくれたからこそ、初春は自分を閉じ込めていた固い殻を破り、自分だけの現実を見つけることができた。
罪の重さに潰れそうになる初春を支えてくれたから、ここまで自分の足で歩いてくることができた。
アスカは、優しい人とは言えないかもしれない。優しさ以上に厳しさがあって、周囲の妥協を許そうとしない。
だけどそれもまた、隣の誰かを奮い立たせるやり方の一つではあった。実際に、初春はアスカに救われたのだから。

「今までありがとうございました。――今度は、私の番です」
「……言葉は、見つかった?」

御手洗を説得するための言葉。それは見つかったのかと、アスカは問う。
生半可な言葉では、人間は害悪なのだと断じ、自らの命すら投げ出す覚悟を決めた御手洗には届かない。
アスカの問いに対して、初春は、小さく首を振った。だがそれは、肯定を表す頷きではなく、否定を示す横の振り。

「せっかく式波さんに時間をもらえたのに、私はまだ言葉を見つけられません。でも、やり方は思いつきました」

そう言って、初春は微笑んだ。
あぁ、とアスカは感嘆する。自分のことを無力だと卑下して、あれだけ固執していた正義を投げ捨てて、なのにこれだけ美しい笑みを浮かべられるのだから――初春飾利が、弱い人間なはずがなかった。

「――初めて私達が出会ったときのことを、覚えていますか? きっとあのとき、こうやって私たちが手を握り合う未来なんて、想像もできなかったと思うんです。
 でも今、私たちは一緒にいる。考えは違っても、思いは違っても、傍にいて、隣にいて、互いを支え合うことだってできる。
 だからきっと、彼とだって、同じことができるはずなんです。私はそう信じてるんです。信じたいんです。それが幻想なんかじゃないって、証明したいんです。
 ゆっくりと時間をかけて、たくさんの話をしましょう。一つの言葉で彼の心を動かすことができないなら、十でも百でも、千でも万でも、たくさんの言葉を届けましょう。
 ――そのための時間を、私たちで作りましょう。式波さん、ごめんなさい。もう少しだけ、あなたの力を貸してください」

繋いだ手から、初春の熱が伝わってくる。本気の熱だ。アスカの視線と初春の視線が、交わった。
こちらをじっと見つめてくる初春の瞳に、混じり気はなかった。この殺し合いの舞台で幾度も叩きのめされて、剥がされて、それでも残った純粋な感情。
単純で、だからこそ綺麗で。周りの人間すべてに疑念を向けて、ただひたすらに自分のために生きてきたアスカですら、思わず信じてしまう慈愛が、そこに在ったから。
――アスカは、素直に自分の負けを認めた。

「ま、発破かけたのもあたしだし。ここまで来たら最後まで付き合うわ」
「……ありがとうございます!」
「さ、それじゃさっさとすませるわよ。このままじゃ、あたしたちが止める前にアイツが死んじゃうわ」

632 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 23:06:49 ID:ju7RNNqk0
暴走と言ってもいい御手洗の破壊活動は、未だ翳りを見せることなく続いていた。彼が滾らせた憎悪の炎は、自身の生命まで燃やし尽くさんと暴れ狂っている。
相貌は蒼白という表現でも生温いほどに豹変し、生気の一切を欠いた土気色になっていた。美少年と形容されていたはずの整った目鼻立ちも今では憤怒に歪んでいる。
このままだと彼の命の灯火はそう遠くないうちに燃え尽きてしまうということは、誰の目にも明らかだった。彼を救うために残された時間は、あまりにも短い。

「時間がない。最短距離で突っ走って、最速でアイツを止める――アンタの能力が鍵よ、カザリ」

アスカの声に、初春はこくりと頷いた。二人が御手洗のもとへ辿り着けるかどうか。すべてはそこに懸かっている。
今の衰弱しきった御手洗が相手ならば、アスカと初春の二人が力を合わせれば彼を拘束してしまうことは難しくないはずだ。
問題は、道中に立ちふさがる水兵たち。常識外の膂力を誇る水兵に対抗できるのは、初春の『定温保存(サーマルハンド)』のみ。

「あたしが前に出て囮と盾になる。あのバケモノたちへのトドメはアンタに任せるわ」
「……お願いです。無理だけは、しないでください」
「あぁ――それはちょっと、無理なお願いね」

アスカは、初春と繋がっていた手を振り払うように離した。狼狽する初春を後目に、緑色の非常灯に照らし出される御手洗の所在を確かめる。
そしてアスカは、初春のほうを見ることなく呟いた。

「だってもう、お”願い”は先約があるもの。チナツとミコト――あの二人の”願い”で、あたしはもういっぱいってワケ。
 二人の”願い”通りに、絶対にアンタをあそこまで届けてみせる――それがあたしのプライドだから」

だから――次の瞬間、アスカは駆け出した。

「おりゃあああああああああっ!!」

アスカの叫びに反応した御手洗が、視線を向けると同時に水兵を仕向けた。総計四体の怪物が一斉にアスカを目指し向かってくる。
しかし水兵が目の前まで近づこうとも、アスカの速度は緩まない。御手洗に向かって、一直線に、ただひたすらに走る。
いち早くアスカの元へ辿り着いた水兵の腕を、身を捩りながら回避。不自然な体勢に捻れたことで、先ほどの戦闘で負った怪我がぶり返す。
身を引き裂くような鋭い痛みと熱を感じながらも、アスカは歯を食いしばり、呻き声を噛み殺し、更に加速した。
アスカに脇をすり抜けられた水兵は振り返り、再び腕を伸ばし――しかしその腕は、アスカを捉える寸前で霧散する。

「――式波さん!! 後ろは任せてください!」

水兵がアスカを捉えるよりも先に、初春の右手が御手洗の領域を塗り替え水兵を消し飛ばしたのだ。
初春の声を聞いて、アスカは頬を緩めた。アスカの後ろをついてくるだけだった雛鳥が、任せてくださいときたもんだ。
だが、今の初春になら背中を任せられる。そう思い、アスカは更に一歩を踏み込んだ。

633 ◆7VvSZc3DiQ:2016/11/03(木) 23:08:05 ID:ju7RNNqk0
以上で前編の投下を終了します
予約期限内に後編の投下をしますので、少々お待ち下さい

634名無しさん:2016/11/05(土) 03:59:01 ID:FKUv6rro0
熱いです、美しいです
後半期待してます

635名無しさん:2016/11/15(火) 00:43:53 ID:NRa082JI0
お久しぶりです
月報失礼します


話数(前期比) 生存者(前期比) 生存率(前期比)
107話(+1) 14/51(-0) 27.5(-0.0)

636名無しさん:2017/08/02(水) 20:10:45 ID:XtsQGu/A0
糸冬

637名無しさん:2017/11/07(火) 17:07:50 ID:avuANzwY0
丸一年はもうおわたくさい

638 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:39:10 ID:c.bgJDYw0
長らく企画の進行をストップさせていたこと、誠に申し訳ございません。
ひとえに私の怠惰が理由であり、他の住人の方たちに対していくら謝罪の言葉を述べても足りないことは重々承知しております。
恥を重ねる形になってしまいますが、>>619-632の後編を書き上げましたので投下させてください。
よろしくお願いします。

639 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:40:53 ID:c.bgJDYw0
続く二体目、三体目の水兵も、アスカと初春は難なく撃破していく。己の操る下僕が次々と突破されていくさまを見た御手洗は、憤怒と憎悪に顔を歪ませた。
御手洗は四体の同時操作のために分散していた思考リソースを、残る最後の一体に集中させる。今から新たな水兵を生み出している時間的、体力的な余裕はなかった。
多量の失血の影響か、意識はどんどん朧気になっていく。こちらに向かってくる二人の少女の姿さえ焦点が合わず、輪郭はぼやけてしまっていた。

そんな状態であるにもかかわらず、御手洗は迸る殺意を抑えることなく、満身創痍の身体を無理矢理に奮い立たせて、アスカと初春の二人を睨みつける。
御手洗とは決して相容れない主義を正義と主張し、自分たちの行いこそが正しいのだと言い張る彼女たちは、御手洗にとって不条理な世界の象徴そのものだった。
――だからこそ、絶対に負けられなかった。負ければ、何の意味も無くなってしまう。御手洗清志という存在の全てを、否定されることになる。
失血によってどんどん擦り減らされていく御手洗の思考は、強迫観念に似た妄執と、それに由来する殺意に満たされていく。

だが、それでも。御手洗がいくら感情を滾らせようとも。彼の感覚の鈍化は止められない。
「くそっ……! くそっ、くそっ、くそったれぇ!」
手放しかけた意識を悪態で繋ぎ止めても、それは応急処置にすらならないその場しのぎ。出血とともに失われた感覚は戻らず、御手洗の視覚は闇に沈んだままだ。
いくら水兵に己の血を注ぎ込み強化していたとしても、標的を満足に捉えられないまま闇雲に振るった拳が空を切るばかりでは何の意味もない。

「なんでだよ……! 僕は、正しいのに……間違ってるのはあいつらのほうなのに……!」

――御手洗にとっての『正しさ』が、世界のそれと決定的に違ってしまったのはいつのことだったろうか。
規範でならなければならないはずの教師が、何食わぬ顔で嘘をついたのを見たときだろうか。
それとも、いじめられていたクラスメイトをみんなが見て見ぬふりをしていたことに気づいたときだろうか。
或いは、いじめの新たな標的にされ、真冬の男子トイレで頭から冷水をかけられていた、あのときかもしれない。

『正しさ』はみんなを守るためのものだと信じていた。『正しさ』は悪に負けることなく、最後には必ず勝つものだと信じていた。
けれど現実には、正義の味方ぶってクラス内のいじめを止めようとした御手洗は新たなターゲットになり、いじめという悪はさらに加速した。

『ほらほら御手洗クゥ〜ン? お名前のとおり、みんなのトイレを綺麗にしましょうねぇ〜?』

――分かるか? みんなの前で無理やり便器に顔を突っ込まれ、黒ずんだ汚物を舐めさせられる人間の気持ちが。
少しの汚れを見るだけで拒否反応が出るようになってしまうほどの傷を心に刻まれた人間が、何を考えたのか。

「お前たちが言っているそれは……もう僕が捨てたものだ! そんなもの、僕を守ってはくれなかった! だから捨てたんだ!
 なのに……なのに! どうして今さら、そんなものを僕に突きつけようとするんだよ!!」

御手洗の悲痛な叫びが、広々としたフードコート内で反響した。同時に、御手洗が操る最後の水兵がその巨体を震わせる。
この水兵が御手洗にとっての最終防衛線。これを突破されれば御手洗を守るものは何一つ無くなってしまう。
御手洗は更なる力を求めて、鏃を握りしめようとした。だが、返ってくる感触はない。握力はとうに失われて、流れる血も残ってはいなかった。

残された力だけで、少女たちを殺すことができるだろうか。今の御手洗にはそれを考える余裕すらなかった。
御手洗の中に残った、ただ一つの執念が、人間を殺さなければならないという盲信が、彼を衝き動かす。
もう何も見えてはいなかった。視界は真っ暗で、どこを向けばいいのかも分からなくて、何があるのかすら不明瞭になっていた。
世界と御手洗を繋ぐラインがぶつんぶつんと途切れていく。自己とそれ以外が断絶され、孤立する。

640 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:42:01 ID:c.bgJDYw0
それでもなお、御手洗は足掻こうとして――彼にとっての「自分だけの現実」である領域(テリトリー)を展開した。
テリトリー。自分の場所。世界から爪弾きにされた少年が、それでもなお自分の居場所を見つけようとして、手に入れた能力。
それを御手洗は、ただ振り回した。まるで癇癪を起こした子どものように。
そんな攻撃が、当たるはずがなかった。水兵の拳は何も捉えられず、ただ御手洗の生命をいたずらに消費するだけに終わるはずだった。

だが、もう一つの領域(テリトリー)が。「自分だけの現実」が。御手洗の存在そのものを受け止めるように――

「――私はいま、此処にいます。此処まで、来たんです。貴方の傍まで、手が届くところまで。貴方の手を、掴むために!」

水兵と初春の交錯は、一瞬だった。その一瞬の間に、水兵の腕は爆散する。初春が願う現実が、御手洗の思う現実を塗り潰したのだ。
本来ならば、起こるはずがない交錯だった。水兵はまるで見当違いの場所を殴りつけていたし、初春とアスカがその横をすり抜けて真っすぐ御手洗のほうへ向かえば、それで決着していたはずだった。
だが初春は、自ら水兵の正面へと回り込み、それを受け止めた。何故そんなことをしたのか、理由は初春自身にも分からなかった。
ただ、考えるよりも先に、身体が動いたのだ。頭ではなく心が、そうしたいと願ったのだ。そうしなければならないと、叫んだのだ。
御手洗に勝つためではなく、倒すためではなく、戦うためではなく。
守るために、救うために――初春は、此処に来たのだから!

「私は――貴方の全てを受け止めて、その上で救ってみせる! それが私の、救う覚悟なんです!」
「うるっ……さいんだよぉぉぉぉぉぉ!!」

御手洗の怒号と共に、水兵は残った腕で転がる椅子を拾い直す。先の接触で、少女たちの大まかな位置は分かった。
水兵の巨体が、大きく振りかぶる。近接戦では初春に分がある。ならば近づかれる前に仕留めるだけだと水兵が投擲した椅子が、一直線に初春へと飛来する!
響くのは甲高い衝撃音。そして――水兵によって椅子が投げられたその先には。同じく椅子を握り、投擲された椅子を叩き落としたアスカの姿があった。
強引に弾き落とした反動でじんじんと痺れる手に舌打ちをしながら、アスカは初春へと言葉を投げる。

「行きなさい、カザリ! あんたが信じたもののために! あんたの願いのために!」
「――はいっ!」

頷いて、初春は走り出した。アスカは黙ってそれを見守る。それは、ほんの少し前に見た光景に似ていた。
アスカが初春と綾乃の二人を御手洗から逃したときのそれだ。あのときの初春は、逃げることしかできなかった。
だが今は、逃げるためではなく、救うために走っている。後ろではなく、前へ。過去ではなく、未来へ。
行き先を見失っていた雛鳥が、ようやく飛び立ったのだ。

「……ミコト。あんたの”願い”、ちゃんと叶えたわよ」

走る初春を目掛けて、水兵が第二射を放とうとする。振りかぶった水兵の腕から放たれた瞬間――アスカが投げつけた椅子と、空中で衝突する。

「ま、自分で言いだした手前、仕方ないか。時間稼ぎなんて性に合わないんだけど、今日だけは特別ね」

勝つ必要はない。初春が御手洗のところまで辿り着けば、自動運転ではなく遠隔操作である水兵は動きを止めるはず。たった十数秒の足止めがアスカの勝利条件。
しかしそれさえも難しいほどに、アスカもまた限界が近づいていた。水兵との連戦は容赦なくアスカの体力を奪い、受けたダメージも殆ど回復していない。
それでもアスカは、膝を折ることなく立ち上がる。それがアスカのプライドだった。初春と同じようにぼろぼろになるまで傷つきながら、最後まで残った核心だった。
水兵がゆらりとアスカのほうを向く。アスカはぎゅっと、得物を握りしめた。

641 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:42:44 ID:c.bgJDYw0
 ◇

手を伸ばせば届きそうなほどに、二人の距離は近づいていた。初春が手を差し伸べる。だが御手洗は、その手を、初春がもたらす救いを振り払った。
初春の言葉は、御手洗にとって悪魔のささやきだった。自分が――人間が犯してきた罪を赦され、幸せになる。それはあまりにも甘美な誘惑だった。
それはかつて御手洗が信じていた『正しさ』に、限りなく近い。正しく、美しく、誰もが幸せになるハッピーエンドだ。これ以上はない、最高の、理想の結末――

だからこそ。御手洗はその理想を、幻想だと断じた。

理想はあくまでも理想だ。現実はそんなに甘くはないんだ。罪を投げ捨てて幸せになるんだなんて烏滸がましいことが許されるはずがないんだ。
ヒトは、犯した罪に対して罰を受けなければならない。いくら罰を受けても償いきれないほどの罪を、人間は積み重ねてきたのだから。
御手洗は人間が犯してきた罪の数々を、黒の章に収められた映像という形で目の当たりにした。あれを見てもなお人間の存在を許容するなど、御手洗には到底出来ることではなかった。
御手洗にとって初春の言葉は全てが薄っぺらい虚飾だらけの戯言。初春の救いを肯定すれば、彼が今まで行ってきた全てを否定することになる。
かつて御手洗を襲った、人間の奥深くに棲む悪意こそがどうしようもなく現実で。自分を助けてくれなかった救いは幻に過ぎないのだと、御手洗は叫ぶ。

「幻想なんだよ! そんなもの、救いなんかじゃない! その手を取って救われるのは僕じゃない! お前なんだ! お前が罪から目を背けるために、僕を利用しようとしているだけだ!
 ――もう僕は選んだんだ! 人間という存在を、この世界から消し去ってしまうことを! お前が言う救いなんて、この世界にはないんだから!」


「……それは、違いますよ」


御手洗の叫びを聞いてなお、初春はそう言い切る。

「私は、救われたんです。だから此処にいるんです。私を救ってくれた人たちのことを――否定なんてさせません! 幻想だなんて、言わせません!」

初春の手を引いてくれた人たちが、初春の背中を押してくれた人たちが、初春の隣を歩いてくれた人たちがいた。
忘れられない人たちの存在を、忘れてはいけない人たちの思いを、初春は背負っている。だから何度でも、幾ら振り払われようとも、初春は手を伸ばす。
故に、両者の意見は平行線。交わることのない意思が、ただぶつかり合うのみ。

「だったらお前は、人間は罰を受ける必要なんかないと思ってるのかよ! あれだけの罪を重ねてきた人間たちがのうのうと生きるのを、見過ごせるのかよ!」
「私だって、罪をそのまま見過ごしていいだなんて思いません! でも……っ! 貴方がやろうとしていることは、私がしようとしていたことは、罪無き人に罰を与える行為です。
 きっとそれは、間違っている。私は貴方の間違いを見逃すわけにはいかないんです。私もそうやって、間違えてしまった人間だから!」

初春は自分と御手洗を重ねていた。夥しい悪意に飲み込まれ、正しさを、正義を見失ってしまった初春と御手洗は、よく似ている。
だからこそ分かることがある。見えてくることがある。伝えられることがある。

「貴方の質問に、答えてませんでしたよね。――桑原さんを殺してしまったとき、私が何を考えていたのか。何を感じていたのか。
 ……そこには、何もなかった。人を殺したのに、何もなかったんです。真っ暗で、真っ黒で――ただひたすらに、『無』だった。
 私は貴方に、同じ思いをさせたくない。だから私は何度だって、貴方を救うために、この手を伸ばします!」

642 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:43:26 ID:c.bgJDYw0
初春は愚直に手を伸ばす。御手洗がこの手を握ってくれるまで、決して諦めないと誓う。

――きっと。初春が御手洗を救うには、何もかも足りない。

もっと言葉を識っていれば、すぐにでも彼を止められただろう。
もっと力があれば、御手洗がここまで傷つく前に救えただろう。
もっと時間があったなら、足りないものもいつか補えただろう。

だが今の初春は、何も持ってはいなかった。
初春の手からこぼれていった、すくいきれなかった多くのもののことを、彼女は思う。
自分の手の中は、空っぽになってしまったけれど。だからこそ握れる。何も残っていない手のひらなら、何だって掴める。

――――そして。伸ばされた右手が、ついに届く。

世界を憎んだ少年と、世界に救われた少女。二人が生きる世界は、本来は決して交わることがなかった世界だ。
だが、今この瞬間。幾多の悲劇と奇跡を経て、二人の世界は交錯する。
初春の手のひらの熱が、御手洗へと伝播していく。

「やめろ……! 僕に……僕に、触れるなぁぁぁぁ!」

御手洗は初春の手を振り払おうと、必死に身を捩った。
だが多量の失血により、御手洗の膂力は初春の細腕に抗うことすら不可能なほどに弱まっている。
握ったダーツを苦し紛れに振り回すも容易く取り押さえられ、そのまま押し倒される格好となる御手洗。

「……私は、」

初春の呟きが、御手洗の耳朶を打った。細い声だ。
先ほどまでの叫びとは違う、この距離でなければ届かない静かな声。
優しさと慈しみで構成されたその声は、御手洗の頑なな抵抗をするりとかわし、彼の中に溶けていく。

「貴方に伝えたいことが、沢山あるんです。訊きたいことも、沢山あるんです。
 私を救ってくれた人たちのことを、貴方に教えたい。貴方を縛って離さないもののことを、私は知りたい。
 それはきっと、とても時間がかかることだから――だから私に、貴方の時間をくれませんか?」

――聞くな。聞くんじゃない。
御手洗は、目を閉じて初春の声を無視しようと試みる。
だがいくら目を閉じても、耳はふさげない。少女が握る手からは、温もりが伝わってくる。
かき乱される。御手洗を今まで苦しめていたもの――しかし、彼が心の奥底では求めていたもの。
初春はそれを、御手洗に与えようとしている。彼が切り捨ててきたものを拾い集めて、手渡してくる。

「違う……! 僕は、お前とは違うんだ!」
「同じです。同じ、人間です。同じところも沢山あって、違うところも勿論あって、でも同じように、生きている。
 だから――貴方だって、きっと変われます。私が変われたように。沢山の人に変えてもらったように――貴方も、変われるんです」

初春の言葉を聞いた御手洗は、多量の失血により霞んでいく一方の朦朧とした意識の中で、己の道程を思い出していく。
己の中に在った正しさを見失い、自暴自棄になっていた御手洗に新たな目的と力を与えた人物――御手洗清志という少年の本質を変えてしまった男。
それが、仙水忍だった。

643 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:44:25 ID:c.bgJDYw0
仙水は言った。人間は存在そのものが悪であり、罰を受けるべきなのだと――その生命をもって、罪を償わなければいけないのだと。
これはその証拠だと、黒の章と呼ばれる映像を見た。その中で繰り広げられていた光景は、御手洗のそれまでの価値観を覆すに十分だった。
同時期に得た『領域(テリトリー)』という名の能力はそのための力なのだと教えられ、仙水に言われるがままに人間という種を抹殺するための準備を進めてきた。
その矢先、この殺し合いに巻き込まれ――やはり人間は、罪と業を背負った存在なのだと痛感した。

そして――確かに。初春飾利が言うように、それまで御手洗清志が接してきた『人間』の中にはいなかったのかもしれない。
御手洗清志という『人間』を、そのまま受け入れ、愛してくれる『人間』が。
不意に御手洗の身体から力が抜ける。張り詰めていた緊張が解け、これまで拒絶し続けてきた初春の言葉がすんなりと耳に届く。

仙水は僕を同志だと受け入れたけれど、受け入れたのは御手洗清志という一個人じゃなくて「仙水の思想に賛同する人間」だった。
仙水が僕に与えたのは使命と役割だけで、僕が本当に求めていたもの――救われたいという心は、否定した。

だけど、僕は――いつだって償いの機会を、救われる機会を待ち続けていた。
眠るたびに夢を見る。あのビデオの中で泣き叫んでいた人たちが、僕を見つめてくる。
彼らを傷つけ、殺したのは僕じゃない。そう分かっていても、毎晩うなされるたびにまるで僕がやったことのように、心を苛まれる。
もう嫌だった。すべてを終わりにしてしまいたかった。

だから、己が傷つくことを恐れずに御手洗を受け入れようとした少女の姿に、救いを見てしまったのかもしれない。
それは心の奥底で御手洗が求めていた存在だったから。できるならば彼自身もまた、そういう者になりたいと、願っていたから。

御手洗は、ようやく気付く。少女の言葉は、既に御手洗を変え始めていたということに。

「そうか……僕も、変われる……いや、もう変わり始めてたんだ……」

御手洗がこぼした呟きに、初春は答える。

「そうですよ。私達は弱い人間ですけれど――変われるくらいの強さは、持ってるんですから」

そう言って微笑んだ初春の目尻には、涙が浮かんでいた。御手洗はそっと手を伸ばして、その涙に触れる。
それは誰のために流された涙なのか。御手洗のため? 初春自身のため? 恐らくは、その両方のために流された涙は、まだ温もりを保っていて。
ありがとう、と御手洗は呟いた。僕のために涙を流してくれる少女がいたから、僕は自分が変わったことに気付いた。

そして――御手洗は、握りしめていた鏃を、己の首元へと深々と突き刺した。

644 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:45:00 ID:c.bgJDYw0
「えっ……!?」

初春が咄嗟に御手洗の腕を抑えるも、既に傷口は深く。鮮やかな赤が、その首からは流れ出ていた。
御手洗は笑う。とても穏やかに。
大事な存在の名前を、己を変えてくれた少女の名を、御手洗は言祝ぐように口にする――

「だから僕は――光子を、僕を救ってくれたあの人を――守らなきゃ――」

相馬光子という少女が、御手洗にとっての救いだった。初春飾利と対面する、ずっと以前から――御手洗は彼女に救われていた。
血を失い、死の淵に立ってようやく気付く。御手洗の中で、人間の罪や業など、優先順位は二の次になってしまっていた。
この世界がどうなろうと、人間がどうなろうと、それよりもただ、光子だけが御手洗にとっては重要で。

彼女がけっして綺麗な存在ではないということは最初から知っていた。
いや、或いは御手洗がこれまでに出会ってきた人間の中で、彼女が一番汚れていたかもしれない。
自分だって、仙水だって、おそらくは初春も式波も、相馬光子ほど犠牲者の側にいた人間ではない。
相馬光子は彼女を取り巻く世界から虐げられ、誰よりも黒く汚れていった。
だがそれでもなお美しく咲く孤高の花は――御手洗にとっての希望となった。

もう身体は動かない。立ち上がることすらままならないだろう。こんな状態では、光子と再会しても彼女を守るどころか足手まといになるだけだ。
だったら、自分がすべきことは、彼女が最後の一人になる確率を少しでも上げること。せめて目の前の少女を殺し、逝く。
その一心で、御手洗は首筋から流れ出る最後の生命の残滓を用いて、水兵を生み出す。
視界は闇に染まったままだ。何も見えないまま、残る力の全てを懸けて、ただ闇雲に振り回す。
それが何かに当たった手応えを感じて――御手洗の意識は、ぷつんと途絶えた。

645 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:45:52 ID:c.bgJDYw0
 ◇

「――式波さん!」
「……生きてるわよ、なんとかね」

御手洗が放った一撃は、確かに初春を捉えていた。
だが、衝撃の瞬間――初春をかばうようにアスカが割り込み、一瞬だけ生まれた間隙を縫うように初春は『定温保存』を発動し、水兵の一撃を緩和させた。
勿論アスカ、初春ともに少なからずダメージを受けることにはなったが、両者ともに生命に関わるほどの傷を負ったわけではない。
戦闘の結果だけを見れば――御手洗は瀕死となり戦闘続行は不可能。初春とアスカはボロボロながらも生存と、その明暗ははっきりと分かれた。
初春とアスカは――勝ったのだ。

しかし初春は――呆然と座り込んだままだった。そこには勝利の余韻など欠片もなく、ただただ悲壮感と疲労感だけが、あった。
初春は元々、勝利など求めてはいなかった。初春が目指したのは、自分を逃がすために独り死地に残ったアスカを守り、自分の合わせ鏡のような存在である御手洗を救うこと。
だが――

「式波さん……私は、私は……っ! 彼を、救えなかった……!」

初春のやり方が、間違っていたのだろうか。或いは最初から上手くいく方法なんかなくて、ただ無駄に傷ついただけなのだろうか。
御手洗を救おうとしたこと自体が、初春のただの自己満足に終わってしまったということなのだろうか。

「……悪いけどね、カザリ。あたしはアンタが欲しがってる答えなんか、持ってないわ」

アスカもまた、全身を地に投げ出したまま答えた。
度重なる連戦と負傷で、アスカの身体ももう限界を迎えようとしている。

「でも、アンタの答えは、ちゃんと覚えてる」

「アンタは、こう言ってたわよ。アンタは、ヒーローじゃない。英雄でもない。主人公にもなれない」

でも。

「ただ、誰かのそばにいてあげられる、そんなやさしい人間になりたい――」

アスカは、御手洗を指さし、こう言った。
「アイツ――死ぬわよ」

御手洗は意識も朦朧としたまま、ピクリとも動かない。浅い呼吸の間隔はどんどん遠くなっていき、今にも止まってしまいそうだった。
もはや、指一本動かす力さえ残っていないだろう。今の初春とアスカに、御手洗を助けるための手段はない。御手洗の死は、確定していると言い切っていい。

「――このままアイツを死なせることが、アンタが望んだこと?」
「…………違い、ます……!」

震える足を必死に押さえつけながら、初春は立ち上がった。一歩ずつ、御手洗へと近づいていく。
救いは――そこに、ないのかもしれない。本当に、ただの自己満足のまま終わってしまうのかもしれない。
それでも、と初春は独りごちた。
ここで膝を折るのならば。ここで立ち上がらないのならば。最後に残った、ちっぽけなプライドすら捨ててしまうなら。
初春飾利のこれまでを、否定することになる。
彼女が関わってきた多くの人たちと、受け取ってきた多くの思いを、無かったことにしてしまう。

646 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:46:23 ID:c.bgJDYw0
御手洗のもとへと辿り着く。ここまで来てもなお、初春は自分がどうすればいいのか、分からなかった。
何が出来るのだろう。どんな言葉が紡げるのだろう。何も分からないまま、初春は御手洗に寄り添った。

――声が、聞こえた。か細い声だ。今にも消えてしまいそうな声だ。

「みつ、こ……寒い、よ……」

――きっと、今。御手洗の傍にいるべき人間は、初春飾利ではないのだろう。彼に救いを与えられる人間は、相馬光子なのだろう。
それが分かっていても、なお。なお。

初春は、語る言葉を持たない。語ればそれは、初春飾利の言葉になってしまう。それはきっと、今の御手洗が欲しいものではない。
最後まで、伝えられる言葉を見つけられなかった。時間すらも、作れなかった。
だから、ただ――御手洗の手を、握りしめた。

最初に感じたのは冷たさだった。およそ人のものとは思えないほどに冷え切った、白い手だった。
血の気を失ったその手は、しかし、柔らかかった。そして、小さかった。小柄な初春の手と比べてもさほど変わらない。
思う。彼もきっと――自分の命よりも大事なもののために、戦っていたのだと。

ぎゅっと、強く握る。ぽろぽろとこぼれる涙が、二人の手の上に落ちていく。

「みつ、こ……?」

御手洗の呟きに対して、初春は沈黙を貫いた。彼の最後に傍にいる人間が、自分であると悟られることがないように。
せめて彼が、少しでも幸せな――救いを得てほしいと、強く願う。

「……あたたかいよ、みつこ……」

現実は、辛くて、冷たくて、悲しい。だから初春は、そんな現実を塗り替えようと――『自分だけの現実』を使う。
だが、この能力には世界を塗り替える力なんて存在しない。できるのは、せいぜい――握った手を、温めるくらいのことだ。
ただそれくらいのことしかできない無力さに、初春は泣いた。でも、最後にそれができたことにも、泣いた。

御手洗の手から、温もりが消えてしまうまで。
初春はずっと、彼の手を握り続けていた。


【御手洗清志@幽遊白書 死亡】

【残り13人】

647 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:47:10 ID:c.bgJDYw0
【F-5/デパート/一日目 夜中】

【初春飾利@とある科学の超電磁砲】
[状態]:打撲 疲労(大) 『定温保存<サーマルハンド>』レベル3 全身ずぶ濡れ
[装備]:交換日記(初春飾利の携帯)@未来日記、交換日記(桑原和真の携帯)@未来日記、小さな核晶@未来日記?、宝の地図@その他、使えそうなもの@現地調達
[道具]:秋瀬或からの書置き@現地調達、吉川ちなつのディパック
基本行動方針:生きて、償う
1:みんなを守る。
2:辛くても、前を向く。
3:白井さんに、会いたい。
[備考]
初春飾利の携帯と桑原和真の携帯を交換日記にし、二つの未来日記の所有者となりました。
そのため自分の予知が携帯に表示されています(桑原和真の携帯は杉浦綾乃が所有しています)。
交換日記のどちらかが破壊されるとどうなるかは後の書き手さんにお任せします。
ロベルト、御手洗、佐野に関する簡単な情報を聞きました。御手洗、佐野に関する簡単な情報を聞きました。
アスカ・ラングレー、杉浦綾乃とアドレス交換をしました。

※『定温保存<サーマルハンド>』レベル3:掌で触れたもの限定で、ある程度の温度操作(≒分子運動操作)をすることが出来る。温度設定は事前に演算処理をしておけば瞬間的な発動が可能。
                     効果範囲は極めて狭く、発動座標は左右の掌を起点にすることしか出来ないうえ、対象の体積にも大きく左右される。
                     触れている手を離れると効果は即座に解除され、物理現象を無視して元の温度へ戻る。
                     温度に対する耐性は、能力発動時のみ得る事ができる。
                     温度設定の振り幅や演算処理速度、これが限定的な火事場の馬鹿力なのかは後続書き手にお任せします。

【式波・アスカ・ラングレー@エヴァンゲリオン新劇場版】
[状態]:左腕に亀裂骨折(処置済み) 腹部にダメージ 疲労(極大) 全身ずぶ濡れ
[装備]:ナイフ数本@現実、青酸カリ付き特殊警棒(青酸カリは残り少量)@バトルロワイアル、使えそうなもの@現地調達
   『天使メール』に関するメモ@GTO、トランシーバー(片方)@現実、ブローニング・ハイパワー(残弾0、損壊)、スリングショット&小石のつまった袋@テニスの王子様
[道具]:基本支給品一式×4、フレンダのツールナイフとテープ式導火線@とある科学の超電磁砲
風紀委員の救急箱@とある科学の超電磁砲、釘バット@GTO、スタンガン、ゲームセンターのコイン×10@現地調達
基本行動方針:エヴァンゲリオンパイロットとして、どんな手を使っても生還する。
1:体力の限界。
2:スタンスは変わらないけど、救けられた借りは返す。
3:ミツコに襲われているであろうアヤノの安否が気になる

[備考]
※参戦時期は、第7使徒との交戦以降、海洋研究施設に社会見学に行くより以前。
※杉浦綾乃、初春飾利とアドレス交換をしました。


※御手洗の所持品が亡骸のそばにあります。
(基本支給品一式、ブーメラン@バトルロワイアル、ラムレーズンのアイス@ゆるゆり、鉄矢20本@とある科学の超電磁砲、水(ポリタンク3個分)@現地調達)

648 ◆7VvSZc3DiQ:2019/05/06(月) 02:52:04 ID:c.bgJDYw0
以上で投下終了となります。
タイトルは「ストレンジカメレオン」になります。

重ね重ね、私の不徳の致すところにより企画進行を妨げてしまったことをお詫びいたします。
誠に申し訳ございませんでした。

649名無しさん:2019/05/06(月) 22:54:23 ID:qc9AcsFQ0
投下乙です
キルスコアは出せなくても初期からマーダーとして戦い続けた御手洗もこれで退場だと思うと感慨深いですね。
遅すぎたけど伸ばした手は確かに繋がって、最期は救われた。
血に塗れた現実と向き合った正義の物語の最後に相応しい話でした。


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