したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

不良サラリーマンのビジネスメモ

1はすぴー:2001/11/14(水) 10:56:39
準備の為の準備
仕事が出来る人を観察すると、共通してタイミングと
いうものを心得ているような気がする。
タイミングの良い人=段取りが良い
グットタイミングの気の利く仕事をするポイントは
「準備の為の準備」が用意周到である。

これによって相手の立場に立った仕事が出来るようになっ
てくるのではないだろうか。
彼らは社内でも社外でも頼りにされ「○○君に任せれば
大丈夫」「○○さんなら何とかしてくれる」と信頼され、
よい重要な仕事を任されるようになってくる。

377はすぴー:2023/05/11(木) 13:27:47
企業・個人の老化を防ぐ

2021年倒産企業の平均寿命は23.8年(東京商工リサーチ)で、1955年Fortune500
の企業で現在も残っている企業は60社となっています。
一方、個人については日常生活に制限のない健康寿命は男性72.68年、
女性は75.38年(厚生省)となっています。
ある精神科医によると老化の一番の原因は人との交流や外出を避ける等で、
同じ行動・考え・環境の繰り返しを行い新たな経験や刺激に対する意欲をなくす
ことだといいます。それを改善するには使ってない脳を使うようにすること
だそうです。
行ってみたことのない場所に行ってみる、今まで会ったことのない人物と話す機会
をつくる等、少しの行動パターンの変化でも脳は刺激されます。
又、企業においても創業期・成長期・成熟期・衰退期という過程があります。
人間同様、同じビジネスモデル・マネジメント・商材・スキルの繰り返しでは
企業としての老化が早まります。

 お会いする多くの企業経営者からよく「指示したことは実行するが、今後のために
創造的・自発的・意欲的に行動できる人材の育成が必要」ということを伺います。
これは企業にとって常に課題である様に思います。一般的に業界のスタンダートな
ビジネスモデルは大体20年で寿命を迎えると言われています。技術の進化が加速
している現在ではその期間はもっと短いのかもしれません。その変化に対応し、
企業を老化させない為に新規顧客の開拓、市場のニーズに対応した新たな技術や
ビジネスモデルの開発、そしてそれに伴ってマネジメントも変わっていかざるを
得ません。
 新たな分野や技術にチャレンジしていく際には期待した成果が得られなかったり、
すぐにヒットするような商材を生み出せないことが多いものです。
そこで中断した場合はその試みは「失敗」で幕を閉じることになりますが、
試みの過程と結果を社内で記録・共有し、目的のビジネスモデルを確立すること
ができれば企業の「進化」と言えます。冒頭で記載した存続している60社の
企業はその過程を乗り越えてきたものと思われます。組織の意欲を低下させない
マネジメントも必要となります。私個人は先人達から下記の点において大きな
影響を受けました。

「ほめてやらねば人は動かじ」【山本五十六】
 →欠点ではなく長所探しのマネジメント
「撃墜した数ではなく、部下を戦死させていないことが自慢」【坂井三郎】
 →業績が悪い時に精神的に現場を傷つけない
「身と口と心」【恩師のご住職】
 →行動・言うこと・思うこと が一致していない人間は信用されない

上記の3つをマネジメントにおいていつも心にとめています。

378はすぴー:2023/05/18(木) 12:34:56
感謝の気持ち

企業でのキャリア開発においては、
未来のありたい自分の姿(キャリアビジョン)を描くことだけでなく、
現在の担当業務の意味を捉え直す「ジョブクラフティング」も
大きな意味を持つようになってきました。


毎日、担当業務をコツコツ続けていると
いやでも業務に対する見方は固定化していきます。
慣れて熟達することはいいことですが、それが過ぎるとマンネリ化。


何のためにこの仕事をやっているのだろうか?
自分はこの仕事に向いているのだろうか?
この仕事で自分はちゃんと成長しているのだろうか?
だんだん不安になってきて、隣の芝生が青く見えてきます。


自分だけの固定的な見方を元に仕事や会社に見切りをつけて
転職に踏みきる人は実際に多いです。
後に後悔とならなければいいのですが。。。
企業にとっても手は打てたはずなのに、大きな損失ですね。
実にもったいないです!


視野を広げて、現在の担当業務を捉え直してみると、
誰かの役に立っている大切な仕事であることに気づいたり、
その業務を通して成長できていることに気づいたり、
まだまだ自分を活かす余地が残されていることに気づいたり、
周囲からチャンスやサポートをもらえていることに気づいたり、
これまで「当たり前」に思っていたことに
『結構、私、恵まれてるじゃん!』と
感謝の気持ちが芽生えることも多いです。


「感謝」って言うとベタですが、
働く人のウェルビーイングにとって大切な要素。
もちろん、満たしていく積極的な施策は大切ですが、
満たされていることに気づくことも大切なのです。

379はすぴー:2023/06/01(木) 07:51:41
「ダイソー」の創業精神は「石門哲学」

5月23日の産経新聞に矢野博丈氏が
「100円の男」の哲学で投稿されてました。
100円ショップ「ダイソー」の創業者です。
参考になりましたので、要約します。
*****
大学卒業してから5年ほどで9回の転職を
重ねた末、100円ショップ「ダイソー」
の原点となる矢野商店(後に大創産業」を
創業したのが昭和47年の事である。
偶然通りかかった公民館に大勢の人が集まって
いるのを見た。
覗くと、移動販売の店であった。
大阪の問屋で商品を詰めるだけ積んで各地を
転々としながら売り歩く「サーキット商売」。
荒物や鍋、やかんがどんどん売れているのを
見てその業者の親方に弟子入りし独立した。

全ての商品を100円で売り始めたのは
ほんの偶然の事だった。
自宅から30分ほどの空き地で露店を開く
予定だったその日、天気予報は終日雨だったが、
10時ごとから晴れてきた。
前日、チラシをまいていたこともあり仕方なく
現地に行くと、既にお客様が大勢集まっていた。

お客様が一斉に降ろした荷物を勝手に開けては、
「これいくら?」と迫ってくる。
商品は数百種類あるので、値札を張る余裕もない。
「全部100円!」
思わず口にいていた。
商品が飛ぶように売れたのは言うまでもない。

値段を張る苦労から解放される安堵感もあり
その後も100円均一で売るようにした。
原価98円の商品でも100円で売り続けると
お客様の反応が変わった。
「これも100円?」「本当に100円なの?」
ダイソーがここまで大きくなれたのは
「儲けようとか大きくしようとか」考えず、
会社がつぶれなければいい。そういう姿勢が
要因かもしれません。

商売というのは、商品に対してお客様が
持つ価値観と値段が合致して生まれる。
お客様の価値観を上回る儲けをしよう
とした時点で逆に儲からなくなるものだ。
*****

「100均」で儲けは少なかったで
しょうに、儲けに目がいくことなく、
お客様の反応への気づきと実行力が
すごいですね。
お客様第一、薄利多売そして誠実。
石田梅岩の説いた「石門哲学」です。

380はすぴー:2023/06/29(木) 07:35:00
感銘を受けた著書「望めば叶う」
著者:ルータイス(教育学者)

高校教師兼フットボール・コーチとして
そのキャリアをスタートさせて以来、
「人間の無限の可能性」に対するゆるぎない
信念を持ち続け、自分が望んだ思いを現実化し
今日世界で最も尊敬を集める教育者の一人となりました。
本の内容は、
「自分の思いを強く持てば、自然と解決策が浮かび
思いが実現する方法に行動し、思いが実現する」
という内容ですが、この手順を認知科学、機能脳科学
の観点から教授法TPI(The Pacific Insutitute)
を作り上げました。
TPIの手法でいうと、現在の皇后陛下雅子さまが
「愛子様を出産されて、子供を持った母親にずいぶん
と気づくようになりました」とおっしゃられた。
脳に子育てというアンテナが立ったことで情報への
気付きと選択ができているのであると言います。
この考えは、独立して事業を立ち上げる時に
とても役立ちました。
事業を立ち上げるためのアイデアが湯水のように
出てきたのを思い出します。
著書にもう一点記憶に残る詩がありました。
*****
詩人で起業コンサルタントでもある
デビィッド・ホワイトは、著書「目覚めた心」
の中で、
数年前にAT&Tのマネージャーを集めて開いた
ワークショップについて次のように書いている。

わたしたちが考えていたのは、
「人間はなぜ、仕事と成功という祭壇に捧げる
ために、
自らの聖らかな欲求や個人的ビジョンを犠牲に
しなければならないと思い込むのか」、
ということだった。
すると、一人の女性が次のような詩を書いた。
会場のうしろの方でゆっくりとこの詩を読み上げた
彼女は、自分がどれほどの衝撃を与えたか気づか
なかったが、聴衆は水を打ったように静まり返った。

10年前・・・・・・・
わたしはほんの一瞬、顔をそむけた
その一瞬が一生になった

自分は与えられた最上の贈り物を十分に活かし
ていないかもしれない。ビジョンや魂、目的意識を
失っているかもしれないと認めた時にはじめて、
その気になれば、正しい人生を取り戻す第一歩を
踏み出すことができる。
*****
人から教えられたり、気づいた良いことは
必ず一生懸命に実践するようになりました。
すると、いろんな悩みが消えていきました。
松下幸之助氏もダム式経営の講演で
「どうやったらおっしゃるように資金に余裕のある
ダム式経営ができるのですか?」の問いに、
「まず、そうしようと思はなきゃいけない。」
と応えられた。
聴衆は皆笑ったが、
稲盛和夫氏は「そうか!!」と相槌を打ち、
実践されたそうです。
ルータイスより早く幸之助氏は気づいていた
ことになりますね。

381はすぴー:2023/07/13(木) 11:20:07
月刊三橋事務局(経営科学出版)のメルマガから
「江戸はなんて綺麗な都市なんだ…」

*****
女性のシンボルともいえる
ハイヒール、ドレス、香水...
実はこれらはウンコ対策のために
作られたということを知っていましたか?

例えば、約300年ほど前のパリの街…
パリといえば花の都と言われるように、
華やかなイメージがありますが、
実は町中がうんこまみれだったのです。

そのため、
・汚物を踏まないためにハイヒールが開発され...
・立ったまま排泄を
 できるようにドレスが開発され...
・臭いを消すために香水が開発されたのです。
このようにパリの街は不衛生な街だったのですが、
これは何もパリに限ったことではありません。

イギリスの都市・ロンドンも、
そのような状態だったのです。

でも、なぜ汚物の匂いが
漂うような状態だったのでしょうか?
(なぜそもそも外に汚物が散らばっているのか...)
それは、トイレや水道の設備が
十分に整っていなかったからです。

しかし、当時のヨーロッパと比べると、
路上に汚物がないほど綺麗で、
世界一綺麗と称賛された都市がありました。
その都市とは、江戸です。

実際、江戸に訪れたイギリス人外交官・
オールコックは、
このような言葉を滞在記に記していました。
「よく手入れされた街路は、
 あちこちに乞食がいることを除けば、
 きわめて清潔であって、
 汚物が積み重ねられて通行を
 さまたげるというようなことはない。
 これは私がかつて訪れたアジア各地や
 ヨーロッパの多くの都市と、
 不思議ではあるが
 気持ちのよい対照をなしている」
と江戸を称賛していたのです。

このように、江戸は、
ヨーロッパ人が驚くほど綺麗で
清潔な都市だったのです。
でもなぜ、ヨーロッパの技術力を持ってしても、
清潔な都市を作ることはできなかったのに、
江戸はそれができたのか?

この謎を解く鍵は、江戸幕府を作った偉人...
そう、徳川家康の知られざる偉業
上・下水道の整備に隠されていたのです。

「お江戸の科学」を引用すると、
上水道は、 江戸の町は、もともと海岸に近い湿地を
埋め立てた造成地が多かったため、井戸を掘っても
塩分の強い水が出るなどして、当初から飲料水の確保
に悩まされていた。
そこで1590年、井之頭池を源泉とする日本最初の上水、
神田上水(当初の小石川上水から発展したもの)を、
1654年には玉川から四谷の水門まで43キロメートルに
達する玉川上水を開設。 当時のロンドンを凌ぐ世界最高
と言える給水システムを作り上げた。
ポンプなどを使わず、高低差のみで水を運ぶしくみを
「自然流下式」と呼ぶが、玉川上水は水源から水門まで
43キロメートルもあるが高低差がわずか92メートルしか
ないことにも、その技術の高さがうかがえる。
下水道は、肥料として使うし尿処理の仕組みが町と
農家でできており、欧州のような問題は生じていない。
*****

上水道もさることながら、江戸時代に出来上がった
文書行政は、現在のデジタル庁によって変更になります。
実に400年続いて問題を生じなかった仕組みです。
徳川家康もすごい偉人と言えます。

382はすぴー:2023/08/10(木) 09:13:56
筑波大学名誉教授の村上和雄氏より

 サムシング・グレートがどんな存在なのか、具体的なことは私にも分かりません。しかしそういった存在や働きを想定しなければ、小さな細胞の中に膨大な生命の設計図を持ち、これだけ精妙な働きをする生命の世界を当然のこととして受け入れることは、私には到底できないことでした。
 それだけに、私は生命科学の現場で研究を続ければ続けるほど、生命の本質は人間の理性や知性だけでは説明できるものではないと感じるようになりました。
 進化生物学者の木村資生氏によれば、この宇宙に1個の生命細胞が生まれる確率は、1億円の宝くじが100万回連続で当たるくらいの、とんでもなく希少な確率だそうです。となれば、私たちの存在はとんでもなく「有り難い」ものだと言うことができるでしょう。
 さらに言えば、世界の富をすべて集めても、ノーベル賞学者が束になってかかっても、ごく単純な大腸菌1つ元から創れないのが現実なのです。にもかかわらず、私たちの身体には、約37兆個の細胞(最近の研究で明らかになった数字)が存在し、お互いに助け合いながら、喧嘩することなく調和を保って生きている。これは本当に不思議なことです。
 それだけに、我われは大自然の不思議な力で生かされているという側面を決して忘れてはならないと思うのです。

383はすぴー:2023/10/12(木) 17:45:52
「先人に学ぶ70歳からの人生論

江戸時代に活躍した浮世絵画家・葛飾北斎が描いた
『富嶽三十六景』。実は、この絵は国内のみならず、
海外にも大きな影響を与えました。
当時、北斎の大胆な構図や描写は、古典的な西洋絵画の
考え方を根底からくつがえす「斬新なスタイル」でした。
西洋の美術家たちは、北斎の絵に感銘を受け、
次第に浮世絵に憧れを抱き、その表現を自らの創作に
取り入れるようになりました。
19世紀後半には、欧米で ”日本美術ブーム” とも言える
「ジャポニスム」現象まで巻き起こりました。

73歳で描き上げた自身の最高傑作とも言える「富嶽三十六景」
ですが、実はなんと北斎自身は、まだこの絵に納得しておらず、
満足したものではなかったようです。
北斎は自身が75歳の時にこんな言葉を残しています。
「50歳から数々の画図を描いてきた。とは言っても、
70歳までに描いた物は本当に取るに足らない物だ。
73歳になって、少し動植物の骨格や生まれと造りを知ることが
できた。ゆえに、86歳になればますます腕が上達し、
90歳には奥義を究め、100歳には本当に神妙の域に達するで
あろうか。100歳を超えれば、私が描く一点はひとつの命を
得たかのように生きた物になるだろう。
このような私の言葉が世迷い言などではないことを、
長寿の神には、ご覧頂きたく願いたいものだ。」
そして、75歳での作品にも全く満足していません。
「いくらかは悟ることができた。しかし、まだ到達すべき先がある」と。

「北斎の言葉から読み取れるのは、老人の域に入ったから
といって変に満足せずに、最後まで『理想』を求める老い方
への哲学です。
老年期とは、自分が蓄積してきた人生の糧を生かし、
それを開花させる…最後のクライマックスとして、
これまで以上の仕事をしようと考える時期だったのです。 」
実はこうした「死際まで自分の道に没頭する」という考え方は
当時は珍しくなく、晩年に大成した有名人は数多くいます。
・「解体新書」や「蘭学事始」など、80歳過ぎるまで「蘭学」を究め続けた杉田玄白。
・青物問屋を40歳で家督を弟に譲って、有名な「動植綵絵」を描き始めた伊藤若冲。
・49歳で家業をすべて長男に譲って、のちに全日本地図の作成に携わった伊能忠敬。

現代に生きる我々からすると、これらの先人の生き方には、
少し違和感を覚えるかもしれません。
現代では、60〜65歳で定年退職し、仕事はひとまずリタイア。
それ以後は、無理せず、悠々自適な老後生活に入る…
そんな生き方が一般的であるため、70歳を過ぎても仕事を
究め続ける生き方には、「少し無理があるのでは?」と
感じてしまいます。

江戸時代までは社会的な「定年」の仕組みは存在せず、
有能な人は働けるまでバリバリ働くことができました。
(時には社会が老人を必要とし仕事の継続を強要されることも…)
ですが、20世紀に「定年制度」が普及し出すと、
次第に「60代で仕事はリタイアするもの」という
社会的な価値観が広まっていきましたことがある。

384はすぴー:2023/11/16(木) 09:43:23
スカイツリーのモデルは「法隆寺」
*****
塔としては世界一の高さを誇る
スカイツリーには、
・世界最速クラス時速36kmで
 展望デッキまで行ける高速エレベーター(東芝製)
・2000台の照明器具を搭載。
 フルカラーの演出を可能にした
 照明・時間制御技術(パナソニック)
など、日本企業の
最先端技術を駆使して作られています。

そんなスカイツリーですが、
建築するのに最大の難関になったのが…「地震対策」
日本での地震の発生件数は…
・世界中で起こる地震の10%以上を占める
・日本での地震の発生件数は年間1,500回以上(2019年度の記録)
・マグニチュード6以上の地震発生回数は世界の17.9%
と世界有数の「地震国」です。

スカイツリーの建築時には、大地震に耐えられるかどうかが
大きな課題となりました。
この手本にしたのは
今より1400年以上前の技術…

世界最古の木造建築として現代まで残る
「法隆寺 五重塔」の技術が使われていました。
五重塔の建立以来、
日本ではマグニチュード7.0クラスの地震が
40回以上起きていますが、
高さ32mにおよぶ五重塔は
一度も倒れることなく現代まで残っています。

そこには、
・塔の幅を上層へいくほど狭く 軽い設計にすることで、
 各階の庇(ひさし)の重量の違いから
 ずれて振動するようになり、塔全体の揺れを打ち消しあう。
・塔の中心部にある「心柱(しんばしら)」を地面から
 数センチ浮かして立てることで、
 心柱が塔の揺れを抑える方向に働く。
など、地震の揺れを軽減するための
緻密な設計がありました。

1400年以上前の飛鳥時代の技術を応用して
作られたのがスカイツリーであり、
世界一の高さを誇る塔が完成したのです。
飛鳥時代に、高い建築技術をもった
職人や設計士がいたとは驚くべきことです…

ですが、
実は、この五重塔が作られた飛鳥時代は
建築技術だけでなく、あらゆる技術や思想・芸術が
発展し現代日本の基盤になっています。
「この飛鳥・天平時代は文化的にみても 芸術的にみても、
 思想的にみても、世界最高の水準を達成しています。
 例えば、仏像・仏画群。これは世界最高峰の芸術的達成
 といえるでしょう。

 また、法隆寺の建築は
 非常に技術的にも高度なものを達成しています。
 さらには『万葉集』をみても文学的な表現の豊かさは、
 群を抜いたものがあります。

 それから、聖徳太子の十七条憲法が達成した思想水準の高さ、
 おそらくいずれをとっても世界最高の水準を達成しており、
 現代もそれを凌駕するものを見出すことができません」
*****
と述べられています。
確かに、聖徳太子の業績を見ると、
建築だけではなく、そのすごさが分かります。
神仏習合は、今も世界で争っている宗教戦争を無くし、
十七条の憲法は、明治憲法の第一条「万機公論に徹すべし」
と言う自由主義の根幹を述べているし、
冠位十二階は、実力主義の世界を描いてます。
外交で活躍した小野妹子は最高位に列せられています。
日本人は誇るべき多くの先賢を持っていますね。

385はすぴー:2024/01/11(木) 09:49:06
土光敏夫氏の秘書をやっていた吉良節子が
土光氏の回顧録を「365人の仕事の教科書」
(致知出版社)に投稿されてましたので、紹介します。
*****
昭和六十一年、電電公社や国鉄の民営化をやり遂げ
臨調は解散。その功績で民間人では初めて
「勲一等旭日桐花大綬章」を受賞されました。
神奈川の鶴見にひっそりと佇む土光家。
「地味で質素」を絵に描いたようなその家はおよそ
東芝の社長や経団連の会長を歴任されたお宅とは思えません。
門は「ギーギー」と轟音が響く、廊下は「ギシギシ」
と鳴り、クーラーもない。
修理やクーラー設置を申し出ても、「まだ使えます」と。

受勲の際、土光さんは「個人は質素に、国は豊かに」
と仰ったとおりの人生でした。
メザシが一番のご馳走で着飾ることを嫌い、
背広もカバンも使い古したものを大事に使う。

色紙を求められると「日新 日日新」と書かれた。
その意味は、「一日を有意義に暮らすためには、
その行いは昨日よりきょう、きょうよりも明日は
新しくなるべきだ」です。
そして、話されていたことは、
「一日の決算は一日にやる。毎朝「今日精いっぱい
に生きよう」と誓い、全力を傾けて生きる」と。
*****
日本には良い先達が多いですが、土光氏は別格です。
凡人の私は身につまされます。
少しでも学べればと思います。

386はすぴー:2024/01/26(金) 12:26:55
 老年学者のカール・ピレマーは、著書のなかで、米国の高齢者1000人にインタビューを行い、彼らが長い人生経験から学んだもっとも重要な教訓は何かを探った。

 ピレマーは次のように書いている。

誰も―1000人のうち誰1人として―欲しいものを買うためにもっと一生懸命働いてお金を稼げば幸せになれたと言った人はいなかった。

誰も―同じく1000人のうち誰1人として―周りの人と同じくらい裕福であることが大切で、さらに裕福ならばそれが本当の成功だと言った人はいなかった。

誰も―同じく1000人のうち誰1人として―将来にいかに高収入になれるかを基準にして仕事を選ぶべきだと言った人はいなかった。

 彼らが大切にしていたのは、温かな友情、高貴で大きな目的のための活動への参加、子どもたちとゆったり過ごす充実した時間などだった。

 モノではなく時間こそが、人生を幸せに導く――これが、人生経験豊富で、あらゆる体験をしてきた人生の先達からのアドバイスなのだ

387はすぴー:2024/02/01(木) 10:28:43
「365人の仕事の教科書」の「ストレスに負けない生き方」

*****
かって、医療社会学者のアーロン・アントノフスキー
が強制収容所から生還した人たちの健康調査を
継続的に行い、一部の人たちはとても長生きしている
ことを見つけた。その人たちは共通して
三つの特性を持っていたと発表している。

その三つの特性とは、
1.有意味感
辛いこと、面白みを感じられないことに対しても、
意味を見出せる感覚。
仕事で言えば、望まない部署への配転や仕事に
対しても「将来何かの役に立つかもしれないし」と
思って前向きに取り組むこと。

2.全体把握感
「いつかは戦争が終わって解放されることも
あるだろう」とか、仕事で言えば、
土日出勤になっても「なんて忙しんだ」と
思うんではなく、「今週は休めなかったけど
、来週のこの辺は少し余裕があって休めるな」
等、先を見て心の段取りが取れること。
仕事を計画的に段取りできる。

3.経験処理可能感
最初は、こんなことは絶対できないと思っても
「そういえばあの時も出来ないと思ったけど
意外とできたよな。今回も出来るんじゃない
かな。」と思えること。
過去の経験からこの程度まではでき、その先は
未知分野だなと分析でき、
対処法が明らかになり易くなる。
*****

確かに、悩むくらいなら、一所懸命に前向きに
取り組んで失敗したことはないですね。

388はすぴー:2024/04/18(木) 10:07:19
「運命をひらくもの」からの抜粋。
*****
将棋の永世七冠・羽生善治さんは、
「一つのことに対して十年二十年三十年、
同じ姿勢、同じ情熱を傾けられることが
才能だと思う」とおっしゃっている。
こういう人を「天才」という。
天才とは「天の力を借りられる人」である。
稲盛和夫氏もその典型であり、
「一生懸命ひたむきに努力していたら、
あいつはかわいそうだといって、
天が智慧の扉を開いて力を貸してくれる」
と仰っている。
二宮尊徳も「之を勤め之を勤めてやまざれば
また天助くべし」
「本業に無我夢中である」ことが運命を拓く
第一である。

運命はどこから来るのか?
運命が発展していくのも廃れていくのも
人の心次第である。運命は人の心が創るのである。
稲盛氏が生前の公園で引用されたジェームズ・
アレンの言葉がある。
「人間の心は自然と似ている。放っておくと
雑草が生い茂る。・・・・・
素晴らしい人生を生きたいのなら、自分の心を
掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、
その後に清らかな正しい思いを植え付け、
それを育み続けなければなりません」
心の雑草を取り除くには、いい人、いい教え、
いい言葉に触れることが必須である。

病を契機に五千日の下坐行(げざぎょう)に徹して
開眼した常岡一郎氏は「人生には栄えゆく者と
滅びゆく者の流れがある」という。
「さあ、一つ災難がすんだ。さっぱりした。
しっかり勉強しよう。修養、反省の時間が出来て
良かった。こう思う人は節から芽を出して茂る人である」
松下幸之助氏も不遇の時代を経て運命を拓いた人である。
「悲運と思われる時でも、決して悲観し、
絶望してはいけない。その日その日を必死になって
生き抜くことが大事。その内、きっと思いもしない道
がひらけてくる。」
「すべてを善意に考える。すべてを修行と考える。
そこから必ず、道がひらけてくる」
*****
すごいですね。
良い運命を導くには、コツコツ弛まず、あきらめず
やり続ける。そしてまた続けるということですね。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板