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不良サラリーマンのビジネスメモ

383はすぴー:2023/10/12(木) 17:45:52
「先人に学ぶ70歳からの人生論

江戸時代に活躍した浮世絵画家・葛飾北斎が描いた
『富嶽三十六景』。実は、この絵は国内のみならず、
海外にも大きな影響を与えました。
当時、北斎の大胆な構図や描写は、古典的な西洋絵画の
考え方を根底からくつがえす「斬新なスタイル」でした。
西洋の美術家たちは、北斎の絵に感銘を受け、
次第に浮世絵に憧れを抱き、その表現を自らの創作に
取り入れるようになりました。
19世紀後半には、欧米で ”日本美術ブーム” とも言える
「ジャポニスム」現象まで巻き起こりました。

73歳で描き上げた自身の最高傑作とも言える「富嶽三十六景」
ですが、実はなんと北斎自身は、まだこの絵に納得しておらず、
満足したものではなかったようです。
北斎は自身が75歳の時にこんな言葉を残しています。
「50歳から数々の画図を描いてきた。とは言っても、
70歳までに描いた物は本当に取るに足らない物だ。
73歳になって、少し動植物の骨格や生まれと造りを知ることが
できた。ゆえに、86歳になればますます腕が上達し、
90歳には奥義を究め、100歳には本当に神妙の域に達するで
あろうか。100歳を超えれば、私が描く一点はひとつの命を
得たかのように生きた物になるだろう。
このような私の言葉が世迷い言などではないことを、
長寿の神には、ご覧頂きたく願いたいものだ。」
そして、75歳での作品にも全く満足していません。
「いくらかは悟ることができた。しかし、まだ到達すべき先がある」と。

「北斎の言葉から読み取れるのは、老人の域に入ったから
といって変に満足せずに、最後まで『理想』を求める老い方
への哲学です。
老年期とは、自分が蓄積してきた人生の糧を生かし、
それを開花させる…最後のクライマックスとして、
これまで以上の仕事をしようと考える時期だったのです。 」
実はこうした「死際まで自分の道に没頭する」という考え方は
当時は珍しくなく、晩年に大成した有名人は数多くいます。
・「解体新書」や「蘭学事始」など、80歳過ぎるまで「蘭学」を究め続けた杉田玄白。
・青物問屋を40歳で家督を弟に譲って、有名な「動植綵絵」を描き始めた伊藤若冲。
・49歳で家業をすべて長男に譲って、のちに全日本地図の作成に携わった伊能忠敬。

現代に生きる我々からすると、これらの先人の生き方には、
少し違和感を覚えるかもしれません。
現代では、60〜65歳で定年退職し、仕事はひとまずリタイア。
それ以後は、無理せず、悠々自適な老後生活に入る…
そんな生き方が一般的であるため、70歳を過ぎても仕事を
究め続ける生き方には、「少し無理があるのでは?」と
感じてしまいます。

江戸時代までは社会的な「定年」の仕組みは存在せず、
有能な人は働けるまでバリバリ働くことができました。
(時には社会が老人を必要とし仕事の継続を強要されることも…)
ですが、20世紀に「定年制度」が普及し出すと、
次第に「60代で仕事はリタイアするもの」という
社会的な価値観が広まっていきましたことがある。


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