[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
| |
巷では、あまり話題になっていない口蹄疫の大流行について
25
:
キラーカーン
:2010/06/19(土) 00:52:08
これらのことから考えて、少なくとも、口蹄疫というような広範囲に影響が及ぶような事案においては、 「国は県に口を出すな」 というような解釈は妥当しないというのが私の主張であり、日本国内でも私の主張に賛同するのが多数派ではないかと推測します。菅首相も
口蹄疫は国家的な危機
であると表明していますから、少なくとも現時点において(私は農水省が「対策本部」を立ち上げた時点以降が妥当すると考えます)は、菅首相も私の解釈の方が 「正しい」 と支持しているということになります。
つまり、上記「1」「2」のどちらが正しいというのは、 「法律論」 の次元ではなく、口蹄疫の蔓延という 「事実」 の重みとそれを放って置けないという 「感情」 によって判定されたのであり、「法律論」で判定されたというわけではありません。それは、菅内閣発足に伴い、赤松農水相が再任されなかったことからも伺えます。
したがって、事情が変われば、私の解釈・主張が 「誤っている」 と判断される場合も十分ありえます。
一般論で言えば、結果さえ良ければ、どちらを選択しても 「正しい」 ということであり、それは法律論でいくらでも正当化できます。しかし、それ以後は「法的安定性」という観点から、この選択に 「拘束」 されます。これが、法治政治における先例拘束性の実際上の意味。
ということで、上記の「1」「2」のうちどちらかを「正しい」と主張するのは、突き詰めれば、主張する人の「意思」、「感情」の次元の話です。まぁ法律学上の言葉で言えば、「社会通念上」、「社会正義上」相当かどうかということで表現できますが、それも、俗な言葉で言えば、その主張にどれだけの人が共感・賛成できるかという 「意思」、「感情」 の次元の話に還元できます。
法律改正についても、当事者が、この法律では都合が悪いので法改正しようという 「コンセンサス」 が出来たということです。コンセンサスが出来なければ(あるいは多数の意思が調達できなければ)、憲法9条のように 「解釈改憲」 という場合もあります。もちろん、法改正しなければどうにもならないことも存在しますが。これも、突き詰めれば、法律論ではなく、 「意思」、 「感情」 の問題に還元されます。
この(解釈・運用指針に関する)問題でコンセンサスが取れない限り、 「法律論」 で何が出来て、何が出来ないか議論しようとしても、 「空理空論」 という 「法匪」 の領域に足を突っ込むか、あるいは、憲法9条論争のように 「神学論争」 に陥るのは目に見えています。私の政治学の師匠(と勝手に呼んでいる人)の一人は
法律学の(助)教授同士の議論があれほどイデオロギー論争になる(イデオロギッシュ)とは思わなかった。これにはびっくりした
という内容のことを述べていました。これも、法律学の解釈論争では、その論者の 「意思」 というものが必ず入り込むという 「必然」 を示したものでしょう。
そういえば、殺処分しようにも埋葬する土地がないので、県が国有地の提供を要請したのにもかかわらず、現地の状況も確認をしなかったために、埋葬できる土地を提供できず、挙句の果てに、 「金を出すから、勝手に土地を買い付けろ」 というオチになった。
農水相は「県有地、私有地 (除く 「国有地」) など隠している土地を吐き出させろ」という旨の発言をしたらしい。
後は「天漢日乗」というブログに詳しいです。
まぁ、東京のマスコミは、農水省の 「失態」 ひいては 「民主党政権の失態」 を隠蔽するために、東国原知事を 「悪者」 に仕立て上げたい。そのために、宮崎県の初動に問題があったのが 「(唯一)最大」 の原因としたいという方向で一致しているのでしょう。宮崎県在住の親戚が、東京に来た際、宮崎と東京都の報道の温度差にびっくりしていました。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板