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ソメルゼさんの教学部屋

1グラスルーツ:2011/11/05(土) 18:13:28 ID:hM0xhy.I0
ソメルゼさんが教学力をご披露なさいます。

2グラスルーツ:2011/11/05(土) 18:15:33 ID:hM0xhy.I0
ソメルゼさん、こんばんは。

質問させていただきます。
「題目」とはなんですか?

3沖浦克治:2011/11/06(日) 06:11:11 ID:AJ3hr85o0
 折角立てていただきましたが、ソメルゼさんを、3日間のアクセス停止といたしました。

 3日たったら書いて下さい。

5沖浦克治:2011/11/08(火) 15:54:21 ID:AJ3hr85o0
 今夜から出張です

 明後日まで帰宅いたしませんので、ソメルゼさんのアクセス禁止を只今を持って解除致しました。
 どうぞ、皆様でここにお書きくださいませ。

6豆板醤四川麻婆:2011/11/09(水) 10:59:06 ID:tjQPYRYc0
あれ?他3人管理人いるんじゃなかったでしたっけ?
あぁ管理人さん全員で出張ですか。

7首都高バトル01:2011/11/09(水) 14:18:05 ID:zLvwUaR.0
題目は、南無妙法蓮華経

妙音は南無妙法蓮華経、その実体は御本尊。

境に数々あり。
境あって智なきもの、また智あって境なきもの。
境智不二、境智冥合の姿を、境智冥合を境とする、その境は正境である。

三無差別よりさらに分け入って、本迹を観る。
・御本尊は、本。人は、迹本不定。
御本尊は、主観客観関係なし。何と比較しようが、誰と比較しようが、関係なく
絶対究極の、本。影でも何でもない。そこに存在する、本そのもの。池に映る月は影ではある。敢えて影を言うなら、九界が影である。月そのものが御本尊。
墨にそめながしあらわされたその瞬間から、本そのもの。
人は、生命活動があるから、迹本を繰り返すが御本尊に縁(題目)して
究極を目指すのである。

教師が迹、生徒が本。
もともと教師も生徒であった。そもそもの始まりについて述べられているのである。
何故生徒が、本なのか?
教師の教えより、生徒に世世番番というより教えの内容に瞬間瞬間、生命の中から新しい発見(教えの内容)と生徒独自の新しい創造が起こるのである。
それを本と述べられている。その究極の瞬間(全ての始まり、出発点)そのものが御本尊である。教師は、広く言うと森羅万象である。ここで言う教師は御本尊ではない。森羅万象の本は、宇宙の始まり(の瞬間)である。

三無差別であるが、敢えて本迹で観るとこういう事である。

8沖浦克治:2011/11/10(木) 10:04:02 ID:AJ3hr85o0
 豆さん、おはようございます

 新しい管理人がおられて、管理なさいますよ。
 貴方はアク禁になっていますね。 
 解除しておきますよ。

9ガチニュート:2011/11/11(金) 05:09:12 ID:57PJEDu6O
ソメルゼさん いきなしアク禁かいwww

10首都高バトル01:2011/11/12(土) 07:13:50 ID:zLvwUaR.0
ジェームス・マシュー・バリーの小説「ピーター・パンとウェンディ」

>>http://www001.upp.so-net.ne.jp/meisaku/meisaku/peter/peter_s.html

ピーターパンの影は、ピーター(本体)を無視し、勝手に動き回る。

本体を仏界と見れば、仏界を知らす、仏界を忘れ、仏界を無視し、行動する事は、まさにピーターパンの影である。無明のままの暴走。主体は、それぞれの心、仏界が主体。

そう見ると、
迹に無明(根本が解らない)を主体(解らないままの行動になる。)にした迹と、法性を主体にした迹があるように思う。

三無差別、どの仏界も根本であり、主体であり、同じである。

「君の仏界見せて?」 「君の仏界は、僕のと比べたら下だな。」
と言うことは、ない。 皆同じである。

御本尊は、仏界そのもの。我々の命の中にあるのも同じである。
迹本不定の我々が、信行学に励む時、、、、である。

11首都高バトル01:2011/11/13(日) 08:10:45 ID:zLvwUaR.0
>>10

訂正
×仏界を知らす
○仏界を知らず

12首都高バトル01:2011/11/13(日) 10:12:45 ID:zLvwUaR.0
迹本不定であるが信行学に励む時、自由自在の境涯になるのである。

人は主体。
さらに主体を追及して行く。

迹本不定、違う言葉で言えば円輪具足。グルグル回る。
朝起きて、勤行唱題し、その命から仏界が湧現し(御本尊を根本、本だと信じ、唱題する心が仏界、仏界の一念・・・以信代慧。)、肉体を動かし、1日が終わり寝ると、命に心が冥伏していく。毎日グルグル回っている。 円輪具足。

これは、法華の円(爾前の円は、一念三千なし、南無妙法蓮華経なし、御本尊なし、題目なし、仏界の湧現なしの円)。

その1日の主体は、仏界である。仏界を根本、中心にして肉体を動かし毎日の生活をして行くのである。

命から仏界が湧現するが、さにあらず(諸法実相抄)。
そうであるのだけれど、もともと命は命を誕生させたいその強い思い、一念があり命は誕生する。(難解であるが宇宙も同じ)

法華の円の習慣づけ。・・・仏界を主体にして我が迹を自由自在に使いこなして行く境涯になっていくのである。その上にイノベーションサプライズをしていけば自他共に幸福になっていくのである。(最高のイノベーションサプライズは、折伏。)

人と仏界、どちらが本でどちらが迹?、、、そういう見方はない。
南無妙法蓮華経如来、仏界人(また造語を作ると怒られるかも。)を目指す。

人は仏界を主体にして生きていくのが、報中論三の生き方、本来の最高の生き方である。

13首都高バトル01:2011/11/14(月) 07:13:32 ID:zLvwUaR.0
>>12
訂正
×南無妙法蓮華経如来、仏界人(また造語を作ると怒られるかも。)を目指す。
○地湧の菩薩の使命を自覚し、広宣流布に邁進する。

14首都高バトル01:2011/11/14(月) 07:19:03 ID:zLvwUaR.0
参考
>>http://www.geocities.jp/lookoutover/youbunn/syofla.htm

>>14は、権利上問題があれば、削除してください。

管理人さん、手間をお掛けしますが問題があれば、よろしくお願いします。

15沖浦克治:2011/11/14(月) 07:41:02 ID:AJ3hr85o0
 問題があろうがなんかろうが、首都高さん、おはようございます

 この講義は私が教授になった時の教材で、小冊子になって発刊されました。
 私は大事に持っていましたが、先生が勇退された時、組織から処分するように言われ、そう致しました。
 学会版の経文も処分をせよと言われましたが、これはかくして持っていて、今でもあります。
 
 この講義をズーット探していました。
 ありがとうございます。

 権利上問題があって、文句言われたら私が責任とります。 
 
 皆様方も、メモリーに保存して、お読みになられることをお勧めいたします。

16沖浦克治:2011/11/14(月) 07:48:55 ID:AJ3hr85o0
 アドレスクリックして、飛ぶんで、序がでます。

 左端の、本文、通解、講義、をクリックすると、全文が読めます。

17首都高バトル01:2011/11/17(木) 16:55:29 ID:zLvwUaR.0
沖浦さんへ
良かったですね。

他に「生死一大事血脈抄講義」と「観心本尊抄講義」、探したのですが見つかりませんでした。

18首都高バトル01:2011/11/17(木) 17:08:05 ID:zLvwUaR.0
スレ違いかも知れませんが、
参考まで。

日蓮正宗の主張。
>>http://www.fsinetor.jp/~shibuken/SHIRYO/sp03.htm

>>http://sudati.iinaa.net/52rosen.html

こう言う主張もあります。
>>http://www.houonsha.co.jp/jiyu/

私はこちらを支持します。
>>http://kawachiheiya.blog.fc2.com/blog-category-2.html

19首都高バトル01:2011/11/17(木) 17:16:33 ID:zLvwUaR.0
>>18
一番最初のアドレス間違えました。すみません。

○>>http://www.fsinet.or.jp/~shibuken/SHIRYO/sp03.htm

20備前 ◆TtzwqSGci2:2011/11/17(木) 20:00:08 ID:AQGTb3vc0
 >>17
  こんばんは!首都高さん

 > 他に「生死一大事血脈抄講義」と「観心本尊抄講義」、探したのですが見つかりませんでした。

 全集には収録されていると思いますよ。ネットばっか漁らず買え! (笑
 yahoo のオ−クション等で出品されていると思いますよ。
 一度、覗いて見られたいかがですか?

21首都高バトル01:2011/11/18(金) 01:44:55 ID:zLvwUaR.0
備前さんどうもです。
そちらの方、覗いてみます。

沖浦さんにも同じ事、申しあげて下さい。

よろしくです。

22首都高バトル01:2011/11/18(金) 02:37:02 ID:zLvwUaR.0
沖浦さんへ
備前さんが、ご親切に無いものがあれば、取り寄せる方法を教えて下さいました。
もし他に御入り用なものあれば、
備前さんが紹介されている所で探されるのもいいかも知れないと思います。

備前さん ありがとうございます。

23備前 ◆TtzwqSGci2:2011/11/20(日) 22:58:29 ID:AQGTb3vc0
 今晩は!首都高さん

 【取り寄せる方法】と言われても・・・・・・(^^;
 本屋の出店土地勝手、オ−クションですから、【入札】という手間がかかりますよ。
 だいたい、今まで見てきたところ一冊五百円前後が最低入札価格ぐらいですか

 殆ど、入札する人がいないと思いますが、最低+五十円くらいをdと落ちるのではと
 思います。
 近在ならば、コピ−のための貸し出しぐらいは出来るのですが・・・・(^^;

24沖浦克治:2011/11/21(月) 08:24:19 ID:Mmwuiqc2o
 首都高バトルさん、おはようございます

 ありがとうございます。

25首都高バトル01:2011/12/15(木) 18:15:51 ID:zLvwUaR.0
浄土宗との問答

問うていう。
六字の名号は、善悪のなかではいずれであるか。

答えていう。
一義には、今問うところの善悪とは、世間のうえでの善悪のことか、
それとも出世間のうえでの善悪のことか。
一義には、いうところの善悪が(悪であると)決定したならば、
念仏が堕地獄であると決定するのか。
一義には、六字の名号が悪と決定したならば、堕地獄は決定するのであろうか。
一義には、念仏は無間であると確定して、そのうえで善悪を尋ねるのか。
一義には、あなたが所依とする経は、権実のいずれに属するのか。

問うていう。
念仏が無間地獄の業因だというならば、法華もまた無間地獄である。

答えていう。
一義には、法華無間とは、あなたの自義であるのか、
それとも経文によるのか。
一義には、念仏無間と決めてから法華も無間というのか。
一義には、祖師の謗法を承認して法華も無間というのか。
一義には、あなたがいうところの法華とは、三説超過の法華をさすのか、
それとも阿弥陀仏が修行して成仏した法華経をさすのか。

26首都高バトル01:2011/12/16(金) 06:26:54 ID:zLvwUaR.0
梵王(大梵天王)や帝釈(帝釈天)に仏が仰せつけて攻めさせる。
御書.P1302

梵天帝釈を動かすような信心をしないと、
破折する相手に現証が現れないのかも知れない。

と言うことは、
ネットに於いては、掲示板より集団で攻めるより、
個人ブログを立ち上げ、破折した方がいいと言うこと。(上記を御書を鑑みて)

27沖浦克治:2011/12/16(金) 07:06:19 ID:AJ3hr85o0
 ネットで攻めてもだけめでしょうね

 ネットを対面対話のきっかけにすることが大事です。

 私はそう思いますよ。

 首都高バトルさん、おはようございます。

28沖浦克治:2011/12/16(金) 07:07:21 ID:AJ3hr85o0
 それと、私はね、破折する相手がいても、その方に罰の現証を望みません。

 末席ですが、池田先生の弟子ですから。

29首都高バトル01:2011/12/16(金) 07:29:23 ID:zLvwUaR.0
沖浦さん おはようございます。

沖浦さんは、やさしいですね。

どこまでいっても粘り強く対話する。
そう言う考え方もありますね。

30首都高バトル01:2011/12/16(金) 11:15:34 ID:zLvwUaR.0

末法に於いての慈悲は、どういう事か考えてみましょう。

31首都高バトル01:2011/12/16(金) 11:32:24 ID:zLvwUaR.0
煩悩、苦をクリアしても、問題は、業やなぁ〜。

何か方法はないんかなぁ〜。

でっこぱち、いや ヤケッパチにならずに、がんばろっ〜と。

32タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/12/16(金) 11:50:25 ID:WwDrUF2wO
>>31←首都高速01さん今日は。煩悩、業、苦のクリア方法は、日蓮大聖人の拓かれた法華経の広宣流布に勤しむ事以外に近道は無しだよね〜!!!

はい。私もガタガタグチグチと、業を積む口を汚さないうちに、お題目で浄めながら、ガンバロっと!

33タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/12/16(金) 11:52:14 ID:WwDrUF2wO
首都高速になっちゃった。。ごめんなさい首都高バトル01さん失礼しました。m(__)m。。。

34首都高バトル01:2011/12/16(金) 13:51:02 ID:zLvwUaR.0
タンポポさん こんにちは good afternoonです。

煩悩、苦は、自分で直接感じるから、クリアできたかどうかわかるでしょう。

業、病気や不得意を克服するのも、できたかどうかわかるでしょう。

しかし、業(三業)の中には、
自分が気づかず、やってしまっているものがあると思います。

誰かに指摘してもらってもわからなかったり、
現証が出てはじめまして気づいたり。

業の困った所は、自分が気づくまで、人に迷惑をかけるところです。
それどころか、人を困らせたり、ひどいときは、その業(三業)で、
人を不幸にしたりもします。

何より恐ろしいのは、自分が気づいていないという事。

やはりこれかな。
(1)やることをキチンとやって信心する。
(2)やることをできるように頑張りながら信心する。

タンポポさんの日々の頑張っておられる姿は、文章で見させてもらってます。

バイタリチィーたつぷり。 げんきモリモリ。

いいおねえさんに、まっしぐらですね。

それではまた。  Let's business !

35首都高バトル01:2011/12/16(金) 14:03:49 ID:zLvwUaR.0
はじめまして気づいたり。(ウッケタ、ウケタ!自分自身に)

これも業ってか?

失礼しますか?  じゃなくて、

失礼しました。

36タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/12/16(金) 14:20:29 ID:WwDrUF2wO
>>35←こんにちは。首都高バトル01隊員殿!先輩に敬礼(^-^ゞ!!お題目しながら、思索つうもので、禅で言うところの、瞑想にあたることも同時にやれていけるところが唱題をしていて面白いんだけど、ここんとこを、お題目の祈り方に何か?思索や反省等を客観的に観る祈り方が?欠けてると、ただお題目のプールで泳いで遊楽してるだけに最近感じてそんなんでは何かもったいないお題目の時間の取り方、仕方やなって!感じています。。。。

はい。マイペースでぼちぼち頑張って行きます〜!

379071:2011/12/16(金) 17:45:41 ID:AqaNGSag0
未来の婦人部長様ってか?・・・タンポポサンこんばんわです

良いところ気がつかれましたねぇ

以前にも書いたことありましたがご本尊様はいつも自分の問いかけに

答えてくれてますご本尊様はただの紙に字がかいてあるものではありませんね

答えに築くかきずかないかは自身の境涯です

ご本尊様は薄情ではありません

迷うは凡夫悟るを仏と言うなり・・・です

なにも一生かけてぴかぴかの後光がさすような人格者になる人が仏と言われる

事でもないのです その日その時その場で どう、しようか 困ったじゃなくて

ああ、そうだっ  ああっ、そうか

そう、やってこう こう、やってこう・・・とさとって行くのです

ただし境涯によって違いがでてくる・・・っとおもいませんか?

389071:2011/12/16(金) 17:51:01 ID:AqaNGSag0
なんの兵法より法華経の兵法を用いるべし・・・

法華経なんどもいえども信心のけなげ」なる人こそ用いるべし

鬼に金棒たるべし

399071:2011/12/16(金) 17:52:38 ID:AqaNGSag0
間違えたかもしれん・・・

あとで御書開きなおすわ・・・

すんまそん・・・

40タンポポ ◆zAuUlJxdM6:2011/12/16(金) 21:19:28 ID:WwDrUF2wO
>>37←9071先輩隊員にも(^-^ゞ敬礼! 今晩は。

はい。御書に、しっかり沿わせていただきながら学び深め祈り深め自分の血と肉命の栄養源にしていきたいと存じます。なんでも、お題目にて。9071先輩隊員にも感謝で、応援の、お題目送ります〜! 大聖人さま、三代聖人さま方にあって感謝敬礼!南無〜♪

41首都高バトル01:2011/12/24(土) 21:52:45 ID:zLvwUaR.0
願兼於業;

(信心により)見事なる宿命転換を果たしたとき、
(自分だけの宿命転換に留まらず)、
私たちは同じように悩む人々の希望の光になれる。

まったく、そのとおりだと思います。

42首都高バトル01:2011/12/24(土) 22:53:56 ID:zLvwUaR.0
宿命転換の原理・・・願兼於業。

>>http://www.sokanet.jp/kaiin/kisokyogaku/tenkan/04.html

43首都高バトル01:2011/12/28(水) 06:14:06 ID:zLvwUaR.0
毎日のやることをキチンとやりながら信心を実践する、
その題目(の祈り、願い)に、日々の実践で得た、情報のパズルが揃いだし、
ひらめきや知慧となって現れる。 どんどん出てくる、湧いてくる。
功徳とは、妙法の法則に則った(叶った)、実践の結果である。

・・・・・教観双美 。

・・・・・大白蓮華 1月号 P68.

・・・・・闇証の禅師・誦文の法師。

44首都高バトル01:2011/12/28(水) 10:06:13 ID:zLvwUaR.0
全てのものは *活動* と、みます。

活動のはじまりを本とし、おわりが末。

活動がない状態でも活動は、冥伏しているとみます。

あらゆるものに、さまざまな活動が、
具し、具わっています。(人の心も、そう。)

もっとも優れた活動があります。
(誰でも具なえ持っています。 ただ知らず、気づかないだけ。)
その優れた活動を知り、実践する人は、尊い人だと思います。

そのもっとも優れた活動の源であり、
優れた活動そのものの当体を拝し、我がものにし、
つまり拝す(唱題する)ことにより、自己に具わっいる最も優れた活動を取り出す(湧現させる)。

そして、その優れた活動(生命)で、実践する。

皆が、その優れた活動を知り、
実践する日(広宣流布?)が速く来ると、いいなぁ〜。

仏界の生命とは、仏の生命とは、、、題目を唱え、自行化他にわたって実践する(仏の)生命活動である。

日々の活動、誠に ご苦労様です。
大変なこともありますが、負けないで 頑張ってください。
勝利して行きましょう。

わたしも、頑張ります!

45首都高バトル01:2011/12/30(金) 09:08:24 ID:zLvwUaR.0
「えっ? すべてのものは活動って、、、
活動は三諦の一つ、仮諦じゃないの?
中諦、つまり中道が全て、全体でしょう。」

「いや、活動が全体です。」

「どぅいうことっ?」

「中諦そのもの、全体が、活動です。」

「わっからねぇ〜」

「中諦は活動そのものであり、全体です。
中諦は無始無終で永遠の活動です。
仮諦は、有始有終と有始無終があります。

もうお分かりでしょう。そうです、
不変と随縁です。
二つの真如は、活動そのものです。」

「無始無終ってなに?」

「すべてのものには、はじまりがあって終わりがあるのと違うん?」

「はじまりもなければ終わりもない。
そのようなものが存在(活動)するということです。
これは、宇宙のはじまりもわからない、宇宙の果てもわからない、
今の人間には、説明不可能でしょう。
だって、はじまる前からはじまりがなく無限に続いていく。
わたしもわっかりませ〜ん。」

「でも誰か知っている人いたら教えて、教えて。」

46首都高バトル01:2011/12/30(金) 10:23:51 ID:zLvwUaR.0
「えっ?久遠元初、
久遠のそのかみ(当初)は、世の中すべてのはじまりじゃないの?」

「御書を見られたら解ると思いますが、
例えば宇宙のはじまりが久遠元初なら、
その時、凡夫であったと言われているので、
ビッグバンの時、それに耐えられる宇宙船の中にでも居るの?
仏ならすごい力で何とかするかも知れないけど、その時、凡夫でしょう?
つまり、その時に開悟(元初に)証得したと言われている。

その前から無始無終の活動(存在の)があると言うこと。」

「 御書は、P568の13行 〜 P569の5行 」

47首都高バトル01:2011/12/30(金) 11:06:41 ID:zLvwUaR.0
話は違いますが、
御本尊は、なぜ非情界に存在するが?

ヒントのパズル。
・随自意
(釈迦が涅槃に入るのは、ここに力点が置かれる。)に、徹するように。
・冥伏しながら、諸法実相を見せてもらっている。
・毎日毎日、当初、久遠元初の
開悟(そのものを見ている。かたちにされたものを見ている。)の瞬間に、
お目通りできること。
(釈尊は、虚空会の儀式で人々の為にその瞬間を再現している。)
(御本尊の前に居ることは、開悟の瞬間に居ること。)
・無始無終の活動(存在)そのもの。

これは、また後にして、
先に>>46の続きをやります。

48首都高バトル01:2011/12/30(金) 11:11:41 ID:zLvwUaR.0
>>47
訂正
御本尊は、なぜ非情界に存在するか?

49首都高バトル01:2011/12/30(金) 11:50:48 ID:zLvwUaR.0
「つまり法華一乗、無始無終の活動(存在)に乗っちゃう、無始無終の活動(存在)そのものになっちゃう。」

「な〜るほど」

時間がな〜い。
また後ほど。

50首都高バトル01:2011/12/31(土) 12:39:24 ID:zLvwUaR.0
>>45
>「中諦は活動そのものであり、全体です。
中諦は無始無終で永遠の活動です。
仮諦は、有始有終と有始無終があります。

もうお分かりでしょう。そうです、
不変と随縁です。
二つの真如は、活動そのものです。」

「ちょっと待って。
上の内容は、>45の内容は、おかしいんじゃない?
・一大事因縁において、三諦を展開。
・十如是の内の三如是において三身を展開。
・真如は、随縁論において、不変,随縁の真如を展開。
(衆生の仏性に約す場合と、仏身論の法身に約す場合とがある。)
・三道が、三徳と転じる時、三観・三諦と即一心に顕れる。
(題目を唱える人に。)正確にね。」

「一乗、一仏乗は、仏の境地に導く乗り物でしょう。」

「三つ、乗っちゃう。心と衆生と仏が乗っちゃうと、
心法、衆生法、仏法、そしてそれぞれに二妙を具すゆえに、
二妙(相待、絶待)を駆使することにより、
心法妙、衆生法妙、仏法妙になる。」

「三諦は法華経により三身と展開するけど、
法身如来が、無始無終、
報身如来が有始無終、応身如来が有始有終じゃない?」

[ 今、こだわっているのは、伝教大師の『守護国界章』に「有為の報仏は夢裏の権果・無作の三身は覚前の実仏なり。夫れ真如の妙理に両種の義有り。不変真如は凝然常住、隨縁真如は縁起常住なり。報仏如来に両種の身有り。夢裏の権身は有為無常にして覚前の実仏は縁起常住なり。相続の義に亦両種有り。隨縁真如相続常の義、依他縁生相続常の義なり。今真実の報仏は隨縁真如相続常の義に攝す。〜 権教の三身は未だ無常を免れず。実教の三身は倶に体倶に用なり。」

「不変真如は、不動の真如と捉えられていること。
そして活動を(即)諸法と言うこと。」

「何も不変真如が活動しなくても悩む必要はないですよぅ。」
「法華経に入って三諦論が三身論に転じるけど、
必ず一身に三身が倶わる(一身即三身)。
また三身が一身に倶わる(三身即一身)、倶体倶用の関係。」

「だから南無妙法蓮華経によって我が身に顕れる応身を通して、
充分とことん活動できるのでご心配なくぅ〜。」

「じゃあ、南無妙法蓮華経そして御本尊は、
三諦論や三身論で展開すると、どうなるの?」

「とにかく、徳一(法相宗の僧)の理論のようにならないで。」

「気になっているのでしょう。
もし無始無終の存在が不動で活動してなかったら、
、、、続く。

51首都高バトル01:2011/12/31(土) 13:18:16 ID:zLvwUaR.0
「すべてのもの(存在)は、
活動である。と言うことが否定されてしまう。
それがどうなるのか気になるのでしょう。」

「心配ありません。日本思想体系九巻P173
(おいおい、ページ数を言っても、そんなの持ってねぇよ。
、、、参考までと言うことで。)に、
「本地無作三身とは、必ず最初成道の時の証得の三身の限りにあらず。
無始本有として一切の諸法は皆三身の体なり。仏の作にあらず、
修羅・人天の作にあらず。法爾自然にして、三身にあらざるなきが故に」

「結論、
無始本有として一切の諸法は皆三身の体なり。の、
この言葉を信じるなら、
無始無終のすべてのもの(存在)は、活動そのものである。と言うことが、
論理の上から証明されたことになると言うこと。」

「よかったね。」

「はい。ありがとうございます。」

「 と言うことは、ぼちぼち本題に入って行くと言うこと? 」

「その前に、なぜ御本尊は非情界なの?があるよ。」

「それを言わないと、流れにならないでした。」

「 それは、いずれまた、、、。」

52首都高バトル01:2012/01/03(火) 11:09:29 ID:zLvwUaR.0
新年 明けましておめでとうございます。
管理人さんをはじめ、皆さん今年も宜しくお願いします。

>よって、「縁起→円融三諦→十如是→一念三千」という構造がご理解いただけるとおもいます。

ではなく、
一番最初にあるのは、絶待(無始無終、一体三身即一身)の活動自体の存在、
これが南無妙法蓮華経。
釈尊は、久遠の当初(そのかみ)に、開悟。

だから、
「絶待、円融相即、当体全是、不変,随縁真如、一体三身即一身→自受用報身→一念三千」
だと主張します。

「挨拶の使いまわしは、よくないんじゃない。」

「どうも すいません。」

539071:2012/01/03(火) 11:29:23 ID:S6oIYY/Y0
:首都高バトル01 さんおめでとうございます

今年も宜しくお願い申し上げます

でっ、ところで途中からついていけなくなりました アハッ

これだけの研鑽力があれば学問として面白いっと言うと誤弊がありますが

仏法研鑽にもっと深く辿りつけるという喜び・・・ありですね

私も貴殿みたいに深教学身につけたい・・・っと思いました

54首都高バトル01:2012/01/03(火) 11:40:20 ID:zLvwUaR.0
「 あっ! わかった!」

「 なにが? 」

「 捕るに足りないどうでもいいことなんだけど 」

「過去や未来の事考えるとどうしても、う○こがくっついてくる訳がか、いや訳が?
わかっちゃったんだよね。
過去や未来に関するものをみたとき、その情報の中に、う○こ(情報のパズルとして)混ざっていたのよね。
それは、
[ 僕の彼女はサイボーグ ]を観て、インプットされてたのよね。」

「なぜ出てくるか、わからなかったから、絶えず出て来た。
んっ?
わからなかったら絶えず出てくる?
もう一度、
んっ?
わからないから絶えず出てくる?
意味深やねぇ。」

「とにかく、
わかっちゃったから、もう出てこないでしょう。...ぅ○こは。」

「わかったから、もう言わないで。」

「 katuo fuumi no fundosi〜 」 「 ハイハイ。」

55首都高バトル01:2012/01/03(火) 12:05:09 ID:zLvwUaR.0
9071さん、今年もよろしくお願いします。
本年も元気いっぱい、ばく進しまくってください。

影か表か、わからなくなっちゃってますけど、
全力で応援しますので、張りきっちゃってください。

落ち込んだ時は、
お互い、慰め(怪しい関係ではない。)会いましょう。
(9071さんにその心配はいらない!)

フレー!フレー! 9071 !
2012・幸.多かれ〜!

すいません、
関係ないですが、言っておかないと絶えず頭に出てくるので。

紅 三四郎youtubeは、カッコイイ〜!

56首都高バトル01:2012/01/03(火) 12:59:21 ID:zLvwUaR.0
「 カピバラや〜! 腹痛てぇ。」

「 すみません。
映画(僕の彼女はサイボーグ)を観ると、わかるぅ。」

「 どうでもいいけど、かなりの映画オタクやね。」

「そうそう、
無始無終だけど、解ってないから、いろいろ想定されている。

無始無終と言えば、はじまりもなければおわりもないと言うことだけど、
有始有終が、無始無終と捉える考え方もある。」

「どういうこと?」

「つまり、
無始無終を一本の線に考えるのではなく、
有始有終のはじまりの本とおわりの末(誘導しているみたいだけど、これは、ひとつの仮説なので信じないでね。)がつながり、
円(円が出てくるとまた誘導しているみたいだけど、仮説なので信じないでね。)になっていると言う仮説、仮説。

その円(円なのか8の字にクロスしているのか?)を時の進行と膨張を拡大しながら、循環している。と言う考え方。」

「それなら、人が生まれて死なないなら、
2周目に、もうひとりの自分に逢えるということ?
3周、4周、5周なら3、4、5人の自分に逢えると言うこと?」

「ひとつの仮説なので、それぐらいで。」

57首都高バトル01:2012/01/03(火) 15:25:07 ID:zLvwUaR.0
言葉の整理。

・十界、、、難しく言えば、凡聖迷悟の一切の世界を十種(地獄〜仏)に分類したもの。
(六凡四聖の他に、
四類、五類に分けたり、四種の道、六種の道で分けたりする。)

・凡夫、、、十界の中の六界(地獄界〜天界)をその枠内の迷い、苦しみを行ったり来たりする人。(六界の人が、凡夫。)

・衆生、、、九界の迷いの境涯にいる人。(九界の人が、衆生。)
(衆生は、九界のまた苦しみ、迷いを繰り返すので、九界の生死を繰り返すと言われる、また、九界の生死の為の法が権教と言われる。)

・仏、、、完全、絶対の理を覚った人。(仏界の人が仏。)
(仏界は仏の境涯。完全、絶対の理を覚った人の境地。
仏を如来と言われる。仏界の常住の生命は、仏の法理なので実教(法華経)と言われる。)

58首都高バトル01:2012/01/04(水) 12:30:47 ID:zLvwUaR.0
>我々も大宇宙の一部(海面上の波一つ一つ)ですから「無始無終」です。
仮和合で人の姿で存在している、、、以下省略。
> それに教学上の結論は出てるでしょう?
「無始無終」の意味するところは「一念三千」だと。

仮和合は、知っていましたがうまく表現されています。

大宇宙 即 御本尊(戸田先生)と言われ、
御本尊は、人法一箇の御本尊。
人の上から久遠元初の自受用報身如来、法の上から事の一念三千。

>「無始無始無」の意味するところは「一念三千」
勉強になります。 ありがとうございます。

人として生まれて来て、御本尊様に巡り会えたことはすごいことだし、
創価の信心を実践できることを感謝しています。

今の宗門の考え方です。

・南無妙法蓮華経というものが宇宙法界に存在するということも、
これは我見なのです。
いいですか、
南無妙法蓮華経はこれを悟られた御本仏様のお心に在するのである。
すなわち久遠元初自受用報身如来たる大聖人様の一念が即三千である。
そこに妙法の当体が存するわけです。
そこを離れて宇宙法界に妙法の実体があると考えること自体が、
既に一つの我見なのです。 (日顕上人猊下御指南 大日蓮556号)

・大聖人様の御当体を離れて、南無妙法蓮華経は有り得ないのです。それを、大聖人様のところを離れて、「妙法だけが宇宙に存在して、その妙法のリズムに合わせる」というような考えを持つことは、全くの誤りであります。それでは自分自身の我見によって、外道の考え方で妙法を考えていることになってしまうのです。 (日顕上人猊下御指南 大日蓮559号)

59首都高バトル01:2012/01/04(水) 12:44:38 ID:zLvwUaR.0
訂正
× >「無始無始無」の意味するところは「一念三千」
○ >「無始無終」の意味するところは「一念三千」

609071:2012/01/04(水) 12:47:42 ID:AqaNGSag0
・大聖人様の御当体を離れて、南無妙法蓮華経は有り得ないのです。それを、大聖人様のところを離れて、「妙法だけが宇宙に存在して

その妙法のリズムに合わせる」というような考えを持つことは、全くの誤りであります。それでは自分自身の我見によって

外道の考え方で妙法を考えていることになってしまうのです。 (日顕上人猊下御指南 大日蓮559号)

素人の私にも解るわ・・・

この人アホじゃ・・・

論師論に溺れるだわ・・・

61首都高バトル01:2012/01/04(水) 12:54:44 ID:zLvwUaR.0
ごめんなさい。
擬音は、えっ?を使います。
(誰も特定していないので。)

難しぃ。

62首都高バトル01:2012/01/04(水) 21:38:51 ID:zLvwUaR.0
参考。

>>http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1426405.html

63首都高バトル01:2012/01/05(木) 05:16:00 ID:zLvwUaR.0
仏道修行、つまり実践の中で会得していくしかないように思います。

絶待とは、どういうものなのか(実践で)。
これをつかむことが、一念三千を識ることになると思います。

人生の荒波を乗り越えて行く所に、その強い心に、
一念三千は、あると思います。

絶対的幸福をつかみましょう。手にいれましょう。
頑張りましょう。

64エバ:2012/01/05(木) 16:20:47 ID:NrBJCICI0
絶対的幸福ってなんですか?

65首都高バトル01:2012/01/06(金) 13:36:43 ID:zLvwUaR.0
それは、仏界(仏の境涯)。 >>57参照。
検索、、、絶対的幸福wikipedia

>天界にも十界があるし人界にも十界があるのです。
これは、十界互具を言われています。

十界互具
http://www.sokanet.jp/kaiin/kisokyogaku/hori/05.html

絶対について、
[ 一切の比較相対を絶して妙なることを言います。
天台大師が妙法蓮華経の経題を解釈するなかで、
妙の一字について立てたもので法蓮玄義巻二上に説かれています。
法華経の法理から一切の教法を判釈するならば、大小(大乗、小乗)、
権実(方便、真実)の区別がなくなり、ことごとくが大乗であり、
真実の教えであると明かすことを言います。
麤(粗い、不完全、劣った)に対して妙というのではなく、
麤妙の相対を絶したところ、
相対的な思考や表現を超えたところを絶待妙と言います。
法華玄義巻二上には
「 法界の外を出でて、復法あって相形(あいなぞら)え比すべきもの無し。
誰を待して麤と為し、誰を形(なぞら)えて妙なることを得ん。
待すべき所無し。亦所絶無し。知らず、何に名づけて、
強いて言って絶と為さん、、、妙は不可思議に名づく。
麤に因ってしかも名づけて妙と為さず 」とあります。
また、玄義巻二下に「権を開し実を顕さば、諸麤皆妙なり。絶待妙なり。
若し上の如くんば法華は衆経を総括してしかも事は此に極まる。
仏の出世の本意なり、諸の教法の指帰なり 」 ]

南無妙法蓮華経については、
創価教学研究室(赤鬼のブログ)の十八円満抄
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1565036.html

結構難しいのですが、私も勉強させてもらってます。

これでよろしいでしょうか?
あ〜忙し、忙し。 それでは また。

66エバ:2012/01/06(金) 15:48:23 ID:NrBJCICI0
>>66
仏法にハピネス思想ってありましたっけ?

67首都高バトル01:2012/01/06(金) 17:45:21 ID:zLvwUaR.0
ごめんなさいね。 I don't know. です。

68首都高バトル01:2012/01/08(日) 14:56:31 ID:zLvwUaR.0
なるほど、なるほど。

>>http://www.sokanet.jp/shinkaiin/keyword.html

69首都高バトル01:2012/01/09(月) 15:56:53 ID:zLvwUaR.0
基礎。
・三種の法華経
「 釈尊(釈迦)の法華経 」「 天台大師の法華経 」「 日蓮大聖人の法華経 」

・三時の弘経
釈尊の滅後を三時に分け、その時代に応じた法が弘められたことを
「 三時の弘経 」と言います。
まず三時とは、釈尊の教えがどのように受け継がれ実践されるかによって
分けたもので、正法・像法・末法を言います。

、、、続く。

70首都高バトル01:2012/01/09(月) 16:08:02 ID:zLvwUaR.0
速い話、
末法(日蓮大聖人の時代〜現代〜未来永劫)には、日蓮大聖人の法華経
(南無妙法蓮華経)以外の教えを修行しても功徳がないどころか、
かえって不幸になることを知らなければなりません。

71首都高バトル01:2012/01/09(月) 16:24:54 ID:zLvwUaR.0
選時抄講義(以下、一部と勉強できる所のアドレス、第1章のはじめから観た方がいいよ。)や上行菩薩結要付嘱抄に、なぜなのか詳しく書かれています。

 正法時代一千年を過ぎた後には、インドに仏法が充満していたけれども、あるいは小乗をって大乗を破り、あるいは権経をもって実経を隠没し、仏法がさまざまに乱れたので、得道する者は漸く少なくなり、仏法によって悪道に堕ちる者が数知れず多くなった。正法一千年すぎて、像法時代に入って一十五年目に、仏法が東に流伝して漢土へわたってきた。像法の前五百年の内、初めの百年の間は、中国の道士とインドの仏法との諍論が激しく戦われていて、いまだいずれが真実か決定しかねており、たとえ仏法が真実であると決定しても、これを信ずる人の心がいまだ深くなかった。こういう状態であったから、仏法の中にも大乗小乗の別、権経実経の別、顕教密教の区別があるなどと立て分けるならば、同じ仏教の中にも相違があるので疑いを起してかえって仏教を捨てて外道につく者が出てくる。このような恐れがあったから、最初に仏教を流伝した摩騰・竺蘭は自分では知っていたけれども、大小とか権実の立て分けは何もいわないでいた。 その後.魏・晋・斉・宋・梁の五代の間、仏法の中で大小・権実.顕密をがたがいに争ったところ、おのおのの流派を生ずるばかりで、いずれが正当だと決定することができないので、上一人より下万民にいたるまで仏法に対して不審の念が多くなった。この間に南三・北七といって仏法が十派に分裂していた。すなわち南には三時・四時・五時とそれぞれの教判を立てる三派が生まれ、北には五時.半満・四宗・五宗・六宗・二宗の大乗・一音等それぞれの判教のもとに流義をたて、たがいに辺執して、その主張も水火のごとく相容れないものであった。しかれどもこれらの十派の主張する大綱は同じであった。すなわち一代聖教の中には華厳経第一・涅槃経第二・法華経第三と立て法華経は阿含や般若や浄名や思益等の経々に相対すれば真実であり了義経であり、正見であるけれども、涅槃経に対すれば
、、、続きは、以下のアドレス先へお願いします。
>>http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1425842.html

72首都高バトル01:2012/01/09(月) 17:42:16 ID:zLvwUaR.0
そう言えば、口が腐る?頭がわれる?
そういうの、あったような〜?

739071:2012/01/09(月) 20:42:58 ID:S6oIYY/Y0
う〜ん

なるほどなるほど

74首都高バトル01:2012/03/25(日) 17:21:28 ID:zLvwUaR.0
独り言コーナー3 の、704からの続き。

名字は、全体法に通じる。
観行は、部分法に通じる。

名字は、一念へ。
観行は、智慧へ。

名字観行は、1セット。
しかし(本迹)一致とみるなとは、本因妙抄(不思議一)。
1セットですが、別物。 どんだけ〜 失礼。

名字は、凡夫(名字凡夫と言うが観行凡夫とは言わない)。 どんだけ〜
これまた失礼。
観行は、釈迦多宝仏。

名字は、宝塔と言っちゃうと脱線していくので言わない。
複雑なのよね。

全ては、現れる瞬間、湧現の瞬間、その一瞬にあり。
御本尊の字体が末広がり。
勿体無い事ですみませんが。

例えば、スターウォーズのファルコン号や宇宙戦艦がワープする瞬間、
星々が線上に見えたり。
2001年宇宙の旅の最後、石板が発する光の中に入って行くような感覚の映像、
その光の線のように。

現れた瞬間、出現の瞬間、湧現の瞬間、
つまり開悟の瞬間を末広がりで表現されていると言うより、
そう見える。万象の実体、実相、諸法実相の真実。
諸法実相の真実が現れる瞬間ゆえに本そのもの。

続く。
次から一挙に行きます。

75首都高バトル01:2012/03/25(日) 18:34:51 ID:zLvwUaR.0
百六箇抄の最終結論...下種境智倶実の本迹。

種・脱の本迹は、複雑。
凡夫こそ本仏とは、目覚めた凡夫こそ本仏(また目覚め瞬間が最終にして最初の中の最初の本)。
御本尊と人(凡夫、つまり題目を唱える目覚めた凡夫)
名字即の境(御本尊)と智(人の仏界の一念)は、倶(とも)に本(本行の南無妙法蓮華経と信じ唱える一念)(九界即仏界)(名字即の自受用身は、本の迹は、迹にあらず)。→ 本因妙抄より、「此れは久遠元初[御本尊]の自受用報身無作本有の妙法を直に唱う[下種名字の凡夫]」

観行即の境(現実問題と隠れた答え)(多宝如来→部分法及びその集合体)と
智(隠れた答えをあらわにする智慧)(釈迦如来)は、
倶に迹(仏界即九界)。
観行即の自受用身は、迹(観行即による)の本(部分法)は、
本(全体法)にあらず。→本因妙抄より、「彼は応仏昇進の自受用報身の一念三千一心三観」

多宝如来を境として釈迦如来(脱益観行の仏)は、部分法の現実問題の答えを悟る智慧)
仏界の一念が観行、演繹で真実を追究する。
また迹の本(多宝如来)は、本(南無妙法蓮華経の御本尊)にあらず。南無妙法蓮華経による一念が、現実問題、その答え、実相、多宝を明らかにする。
智慧となって現れる。


続く。

76首都高バトル01:2012/03/27(火) 18:12:21 ID:zLvwUaR.0
「九界を権と為し、仏界を実と為す。
また能とは如来なり所とは衆生なり」、、、総勘文抄より。

三道が三徳に転じる、、、当体義抄。

部分観は、爾前権教。全体観は、法華経。
爾前権教は、受動(随他意)、法華経は、能動(随自意)。
爾前権教は、縁起により他から影響を受ける。
法華経は、絶待、(二妙はちょと置いといて)縁起により他に影響を与える。
法華経は、なにものにも影響されず、他に良い影響を与えていく。
一念三千は、たとえ広がりの途中に障魔や難があっても打ち破り、
本願を達成するもの。

九界を御書では、いろいろな表現をされている。
無明であったり、衆生であったり、夢。
三道が三徳に転じるように、
妙法の働きにより、無明が法性に、その九界は、
具体的な智慧(部分法)と転じる。法則がある。
例えば、自分のマイナス面が、信心によってプラスに輝くように。

心と衆生と仏に差別なし。(倶しているものは同じ、法、妙によっても)
顕現する時点から一念及び境界により、差が別れる。

続く。

77首都高バトル01:2012/03/31(土) 14:02:02 ID:zLvwUaR.0
真の一念とは、九界即仏界(名字即)、仏界即九界(観行即)の
十界互倶。
生死即涅槃(感覚→身).煩悩即菩提(認識→心)、、、
まことの時の勝利、生死一大事の勝利、絶体絶命の勝利。
一念三千は、十界互倶より起こる。
無始の古仏を納める、久遠の元初(そのかみ)の目覚めた凡夫の一念と智慧。

78首都高バトル01:2012/03/31(土) 16:26:29 ID:zLvwUaR.0
理即や、理即の凡夫の意味は、別途調べてください。

首都高バトル01は、つぎのように展開します。

続く。

79首都高バトル01:2012/03/31(土) 16:28:02 ID:zLvwUaR.0
仏法は、道理。
つまり法則性があるということ。 それが正しさの基準。

江戸川コナンもいれば、毛利小五郎もいる。
世の中を正しく見る人もいれば、正しく見れない人もいる。

理即の凡夫、、、理即(十界互具)は、動物も含め人間にそなわり、
有情界のものは、それを引き出す力を持っている。

理即(十界互具=認識[「迹」→南無妙法蓮華経と御本尊を除くにおいて]即
解決できる、解決できないを含む対処[「本」→仏界を除くにおいて]=
十如是[依報の]を持って十界[この場合、九界]を顕現する[依報は、御本尊を含まない]即十界[十界に所具する能具の十界→仏界は南無妙法蓮華経と御本尊以外に引き出す、湧現するのは無理→歴劫修行は意味がない。→
つまりこの場合九界を持ってになる。]を持って十如是を顕現する[本]。)
の凡夫。  仏界は、御本尊に題目を唱える人間しか現れないと言うこと。→
歴劫修行は意味がない。

認識と受け止める感覚→身で受ける感覚(自受用身)の迹は、
全ての根本(南無妙法蓮華経と御本尊=諸法実相の名字と
諸法実相の現れた瞬間)による迹(自受用身)において、
名字即によって御本尊を認識、受け止める感覚(自受用報身)は、
本の迹は迹にあらず(また根本[依報に存在する御本尊]の迹は迹にあらず。)
仏性が、境界として現れるので、これを根本の本とするところに対処の本が、
迹に逆転する。→倶体倶用の、さにあらずです。
根本を認識するところを主軸におくのは報中論三の考え方。

ややこしくて複雑ぅ〜。 どんだけ〜 ! やね。

御本尊に題目を唱えるのは、全てに対処する、全てに対処できる十界の中の
仏界を引き出す作業をしている。
九界の認識は、迹。仏界の認識は本(広宣流布に戦う信心の実践の中に、
また数々の具体的な物事が解決していくところに仏界が現れていると思います。)
名字即の根本の諸法実相と認識は本。観行即の九界の諸法実相と認識は迹。
九界の認識は迹。迹の本は本にあらず。
本(仏界)を認識するのは迹でなく、九界を認識するのは本でない。
迹本不定の人は、南無妙法蓮華経と御本尊を根本(本)として、
理即の凡夫は、迹。名字即の凡夫は、本。

そして
南無妙法蓮華経、御本尊と名字即の凡夫は、本。(境智冥合の)而二不二。

加えて、形而上、形而下が重要になります。
形而上で物事を見るか、形而下で物事を見るかで、
本迹が違ってきます。
続く。

80首都高バトル01:2012/03/31(土) 17:03:49 ID:zLvwUaR.0
急いでたらミスしました。(別スレに)

訂正
×理即(十界互具)
○理即(を十界互具で見ると、展開すると)

理即も十界互具の働きによる。

81首都高バトル01:2012/03/31(土) 17:50:49 ID:zLvwUaR.0
メチャクチャ、メチャメチャ、面白かったので、
また、ためになると思いますので、紹介しときます。
(そこの掲示板は、気にせず内容だけ見てネ。)

信心指導
>>http://supersaba.exblog.jp/9938615/

82首都高バトル01:2012/04/13(金) 15:20:15 ID:zLvwUaR.0
参考
>>http://www.geocities.co.jp/inae_sokagakkai/ongiku1.html

83首都高バトル01:2012/04/13(金) 15:50:17 ID:zLvwUaR.0
参考(下記アドレスの中の 諸法実相抄 )
>>http://www.geocities.co.jp/inae_sokagakkai/30b.html

84首都高バトル01:2012/04/13(金) 16:56:05 ID:zLvwUaR.0
一念の置きどころ 〜 臨終正念 。
まことの時の勝利、生死一大事の(時の)勝利、絶体絶命の(時の)勝利。
参考(生死一大事血脈抄の講義より)
講義
 生死一大事血脈といっても、強盛な大信力を起こして、南無妙法蓮華経と唱えること以外にないことを重ねて強調して、本抄を結ばれている。
南無妙法蓮華経・臨終正念
 臨終とは、死に臨むこと、死に際、正念とは、正しい念慮のことである。臨終正念とは、臨終に臨んでも、心を乱さず、正法を信じて疑わないことをいう。
 すなわち、臨終に際して、信心の一念揺るぎなく、妙法を信受できたことを無上の喜びとし、我が人生に悔いなしという満足しきった心境で、一生を終わる姿である。
 臨終は、この一生の総決算であり、未来世の第一歩ともなる。だれびとも避けることができない最も重要で厳粛な瞬間であるといえよう。この生死という人生の最大課題を直視し、生死を貫く生命の因果の法則を解明したのが、真実の仏法である。
 ゆえに、仏道修行は、とりわけ“死”という問題を解決するためのものであるともいえる。したがって「臨終正念」こそ、個人における仏道修行の究極の願いであるともいえる。
 人々は過去・現在・未来という時間の流れのなかで、瞬間瞬間を生き続けている。過去といい、未来といっても、確かな現実は、現在の“生”の姿にしかない。
 その意味では「臨終正念」といっても、それは、やがて訪れる臨終の瞬間のみをさすのではなく、現在の瞬間瞬間の生命の連続のなかにこそ「臨終」はあるともいえよう。
 したがって「臨終正念」とは、現在の瞬間における“生”を最も充実した完全燃焼の“生”として、未来に向けていく精神の姿を意味する。
 末法今時において「臨終正念」を得る道は、三大秘法総在の御本尊を信じて唱題の行に励む以外にない。
 ゆえに「南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ」と、透徹した信心を確立して真剣に祈念しておくよう、最蓮房を励まされているのである。
 そして「生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ」と戒められている。この人生のなかで透徹した信心に立ったとき、凡夫の我が身がそのままで妙法蓮華経の当体とあらわれるところから「煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり」と御教示されているのである。

・続く〜

85首都高バトル01:2012/04/13(金) 17:01:45 ID:zLvwUaR.0
・続き〜
 「煩悩即菩提」とは、人生におけるさまざまな煩悩が、妙法の力で菩提へと開いていくことを言う。
 煩悩とは貧・瞋・癡などから起こる迷いをいい、菩提とは悟りの智慧をいう。
 「生死即涅槃」とは、生死=苦しみが、そのまま涅槃=悟りとなることをいう。生死は迷いの境界であり、涅槃は悟りの境地である。
 この苦しみに満ちた生死の流転が、永遠の生命観に立った不動の境地に転ずることをいうのである。
信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり
 日女御前御返事には「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」(1244−09)と仰せである。御本尊も信心の二字におさまり、無二に信ずるなかにこそ、御本尊の仏力・法力は顕現されるという御指南である。
 「信心の血脈」とは、日蓮大聖人の正法への正しい信仰でなくては、いかに法華経を持っているといっても無益であり、成仏の道に入ることはできないということである。
法体の血脈と信心の血脈
 ここで心すべきことは「血脈」には別しての「法体の血脈」と、総じての「信心の血脈」とがあり、明確に立て分けなければならないことである。
 すなわち「法体の血脈」についていえば、久遠元初自受用身如来の再誕たる日蓮大聖人の御生命こそが、生死一大事血脈の究極であられ、その大聖人の御生命をそのまま移された法体が南無妙法蓮華経の大御本尊である。 
 したがて、第四章における「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」の御文は別しての「法体の血脈」を大前提として、総じての「信心の血脈」について述べられたものである。

86首都高バトル01:2012/04/17(火) 20:33:34 ID:zLvwUaR.0
戸田先生は、この信心を行うと、死んでもすぐに生まれてくると
言われていますが、宇宙のどこに生まれてくるのか、とにかく次の生までの死の間隔が短いということ。
日蓮大聖人は、この信心をすると来世、次に生まれて来るときは成仏、仏として生まれて来ると言われています。
もし信心をして次に生まれて来るのが地球なら、鎌倉時代から南無妙法蓮華経を信仰した人がいっぱいいるのに、釈尊のような三世を究め尽くした仏が、釈尊以降この地球に生まれて来ないのは、どうしてか? 気になります

法華経の中に「 来世得作仏 」が、前後の言葉が変われど出てきます。
また「 来世得作仏 」は、
一念三千法門の日蓮大聖人の御書にも出てきます。
すべてのものに釈尊の久遠実成、つまり成道(本果の仏になる)は訪れると思う。
本因妙が根本ですが、最終的には、本果の仏になるのではないでしょうか。

釈尊は、久遠実成以来、仏(三世を究め尽くした仏)として、
何度も何度も、 生まれ変わっていますよね?

地球に本果の仏が生まれて来ないのは、、、不思議です。
地球は、地湧の菩薩に託されている!、、、納得。

87首都高バトル01:2012/04/17(火) 20:38:10 ID:zLvwUaR.0

・一念三千法門p415 → 「 来世得作仏 」
・小乗大乗分別抄p524 → 「 例せば日本国の人・唐土(もろこし)の内裏に入らん事は必ず日本の国王の勅定によるべきが如し・ 穢土(えど)を離れて浄土に入る事は必ず法華経の力なるべし〜(中略)〜十方の浄土に生まるる者は三乗・人天・畜生等までも皆王の種姓と成って生るべし皆仏となるべきが故なり 」
・釈迦一代五時継図p642 → 「 未来世に於いて作仏することを得ん 」
・日妙聖人御書p1216 → 「 経に云く【如我等無異】等云云、法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり〜(中略)〜今法華経の行者は其中衆生悉是吾子と申して教主釈尊の御子なり、教主釈尊のごとく法王とならん事・難かるべからず 」
・松野殿御消息p1379 → 「 来生に必ず仏に成らせ給うべき期の来たりて
もよをす(催す)こころなるべし 」
・松野明殿御返事p1390 → 「 未来に仏に成り侯はん事疑いなく覚え侯 」

釈尊は、歴劫修行なのに、、、そうですよね、竜女はすごいですよね。
・一代五時継図p675 → 「 秀句の下に云く能化の竜女・歴劫の行無し所化の衆生もまた歴劫無し文。 」
その理由が知りたい、とても興味深いです。所化の衆生も歴劫無しですよ!
さらに同p675より
「 一、法華経成仏の人数の事〜(中略)〜提婆品に云く当時の衆会皆竜女を見る忽然(こつねん)の間に変じて男子と成て菩薩の行を具して即ち南方無垢世界に往き宝蓮華に坐して等正覚を成じ三十二相・八十種好普く十方一切衆生の為に妙法を演説する文。 」
この時、竜女は、、、八歳ですよね。 歴劫修行を打ち破るところがすごい!

88首都高バトル01:2012/04/21(土) 00:00:08 ID:zLvwUaR.0
参考。
大聖人は、法華経に説かれているような訪問が大日経には説かれているか、また五百塵点劫や三千塵点劫の昔の結縁を明かした法門と、浄土の三部経のなかの無量寿経に「阿難また問いたてまつる。『其の仏成道より已来、いくばく時を経とやせん』。仏の言く、『成仏してより已来、凡そ十劫を歴たり』と説かれていることが比べものになるかどうかと責めよ、と仰せである。
 無量寿経では法蔵比丘が四十八願を立てて歴劫修行の後に正覚を成じて阿弥陀如来となってから今まで、およそ十劫を過ぎていると説いているが、題目弥陀名号勝劣事に「三の巻の心ならば阿弥陀仏等の十六の仏は昔大通智勝仏の御時・十六の王子として法華経を習つて後に正覚をならせ給へりと見えたり、弥陀仏等も凡夫にてをはしませし時は妙法蓮華経の五字を習つてこそ仏にはならせ給ひて侍れ」(0115−15)と述べられている。御文の「三の卷」とは法華経化城喩品である。法華経化城喩品第七の意によれば、阿弥陀如来も大通智勝仏の十六王子の一人であり、法華経によって成道したのである。

89首都高バトル01:2012/04/21(土) 00:03:02 ID:zLvwUaR.0
教行証御書
 また手紙に、諸経の利益を挙げた場合、どう対応するかとのお訪ねであるが、これにはまず「それらでは不足である」と答えるがよい。その後に「汝らの宗の依経に、釈尊・多宝仏・十方分身の諸仏の証明があるのか」と聞くがよい。「ある」とはいまだ聞いたことがない。よもや、多宝仏・十方分身の諸仏が証明に来ることもあるまい。これらの仏は法華経の会座に来られた時、「法華経は皆是れ真実なり」と証明されたのであるから、同じ仏に二言あるわけがないというがよい。
 次に法華経に六難九易が説かれているが、他の経にこのようなことが説かれているであろうか。仏の滅後の人々が造った偽経であるかもしれないが、釈尊の五十年の説法のうちには一字もないというがよい。
 また、法華経には釈尊が五百塵点劫に成仏したことが説かれているが、諸経に説かれているであろうか。また、三千塵点劫に法華経を説法して成仏の因縁を結んだことが説かれているであろうか。また、一念信解・五十展転の功徳が説かれているであろうか。他経には一・二・三・及び十功徳も説かれていないのだから、五十展転まで説かれているなどということはまさかあるまい。また、諸経には一・二塵数の過去さえ挙げていない。いかにいわんや、五百塵点劫・三千塵点劫の過去が説かれるわけがない。

90首都高バトル01:2012/04/21(土) 00:05:26 ID:zLvwUaR.0
>>89の続きは、こちらで。
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1575038.html

91首都高バトル01:2012/04/21(土) 04:26:54 ID:zLvwUaR.0
仏説、仏の教説は、方便であり不要として、「 教化別伝・不立文字 」の
経典に依らない教義を立てているのは、禅宗。

涅槃経の「 仏の所説に順わざる者は魔の眷属である 」を引かれて、
日蓮大聖人は、天魔の所為と破折されている。
また禅宗は、釈尊が真実を説いた法華経を誹謗している。
守護国家論p75 →
→「 禅宗等の人云く〜(中略)〜法華経は未だ真実を宣べず 」

また曹洞宗の道元は、末法方便説を主張。(2ch.日蓮ってver.21で
引用しているが、全く意味なし。邪見、邪義のなにものでもない故に。)
仏法を破壊する天魔の所為ゆえに、禅宗を禅天魔と、
日蓮大聖人は、仰せられている。
竜女、迦葉は法華経によって成仏することができたのである。

くわしくは、「 早勝問答 」の禅宗問答( p163.2行〜p164.7行 )を参照。

929071:2012/04/21(土) 10:10:11 ID:GYahmowg0

バトルさんの教学には感心します
浅学の私にはとてもよく分かりやすく
納得できる説明の仕方に嬉しくも
また楽しくも読ませてもらっております
これからも時間の許す限り書き込み
頑張って下さい
ま、あまり無理しない程度でね

93首都高バトル01:2012/04/21(土) 21:47:24 ID:zLvwUaR.0
9071さんへ どうもありがとうございます。

このスレの、はじめの自分の文章を読み返してみると、
表現の仕方、内容がかなりズレていたり、
意味不明(こ〜れは、困ったで、困ったでの、小松の親分←脱線しすぎ。)な
ところもあり(それは、あかんだろう!)で、たぶんかなり深いところで考え、
表現しようとしたと思うのですが、理解するのに時間のかかる文章です。
9071さんにとって読みづらいところがあったと思いますが、
(自分が読んでもそうなので)お許しください。
日々さんをはじめ、いろんな人に言われておりまぁ〜す。

しかしこうやって書き込みさせてもらっているおかげで、
少しずつではありますが成長しているように思います。
(最近の文章は、自分で読み返しても理解できる。)

みなさんに感謝しています。
ありがとぅ〜(谷岡ヤスジでなく、谷村新司 風に)

94首都高バトル01:2012/04/22(日) 03:13:58 ID:zLvwUaR.0
以下は、教学と言うよりエッセーですね。

人の発する言葉( 名字即 )は、いかなる言葉でも発すれば関係なく、
広がりを持つ。
言葉を発するリピートの数が増えれば増えるほど、
その言葉が命に反応するところに、言葉の方向に成就していく。

「 もう終わっている 」を繰り返し発すれば、もう終わっていく。
「 きゃーるい、きゃーるいのぅ〜( うざい、しゃくにさわる )の繰り返しは、
自分だけに留まらず、聞いた、聞こえたまわりの人達まで広がり、
そのとおりに、なっていく。感応していく。
(くい止める人がいれば別、、、そうじゃないと。)
いかなる言葉も繰り返し発し命に反応すれば、
そのとおりになって行くと言うことである。
命の活動が、身口意の三業があるところに境界の世界が形成される。
南無妙法蓮華経を繰り返し唱え、幸せになっていくのは道理である。
意味がある。 法則性がある。

祈りとカラ題目。
心からそうなるように望み、願うことが祈ることである。
必ずそうなる、必ずそうなるように、そうしていく、ぞう取り組んでいく誓い、
強い祈りが、また一念を形成していく。
また一念( 一念の置き所は、前述 )、意識、身体が、
願いにひとつになっていく状態も祈ると言うこと。
カラ題目は、それぞれがバラバラと言うこと。

95首都高バトル01:2012/04/22(日) 05:29:12 ID:zLvwUaR.0
こうでないといや!っと、我を張り後退して、止まったり、
破壊に自分の生活、人生が向かう方向に持っていくことを、
わがまま(すねる)と言います。
しかし、こうでないといや!っと、前進する時、正しさを基準に
一本、筋を通していけば、わがままではなくなる。
建設していくことは、大変ですが、勝利のあかつきには、皆が認めてくれる。
NHK朝のテレビ小説「 梅ちゃん先生 」を見てそう感じました。

十如是は、行動のプロセス。
自らが、こうでないといや!っと、貫き通す時、
正しさに昇華させることが大事。
正しいことでないといや!と前進、建設しながら貫き通す。
それも一念。
やることはキチンとやる。
その行動、実践に集まってくる情報のパズルは、
何が正しいか見えてくるし、また正しい情報のパズルが集まってくる。
情報の正しいパズルが揃う時( ひらめき )、命の中、心の中から
一番正しい自発能動の行動のプロセス( 未来に自らが行動する一連の流れ)が
現れ、見えてくる。自発能動の行動のプロセスは,十如是である。
このこれから動こうとする行動のプロセスは、正しいことでないといや!
の強い思い一念( 南無妙法蓮華経を根本にした強い思い一念 → 仏界 )。
外、まわりの世界が、うざかっても、それを鏡にせず、正しいことでないといや!の心、命で立ち向かい前進し、自らの行動、
実践でうざさを打ち破り正しさを形のあるもので証明する。
( なにかに挑戦し、勝利する姿を見せる。)
たとえ外の、まわりの行動のプロセス、十如是を見て一瞬うざく見えても
自らの正しいと思う強い一念で打ち破っていく。
十如是を持って十界が顕現しても、自らの十界( の中の仏界の強い一念 )を
持って十如是( 現状を変革する自発能動の行動のプロセス )を顕現する。
・一念三千は十界互具よりことはじまれり・
最高の十如是 → これから動こう、行おうとする最高の自発能動の
行動のプロセスが意識に、
実相を正しく把握認識し、正しく対処実践しようとするところに現れてくる。
( 智慧のしくみ )
自受用報身を基準とした無作三身、一念に億劫の辛労。→
→ 祈りと実践で正しい情報のパズルを集め揃えましょう。
人間革命第10巻.一念の章〜 大阪の戦いにおいて、
山本伸一青年が勝利から逆算して、正しい信心で勝利するには何が必要か、
悩み苦しみ出された答えが、、、御本尊と御書。

96首都高バトル01:2012/04/22(日) 06:38:53 ID:zLvwUaR.0
人格者は、また深みのある人は、いごこちがいい人。

身近な所では、例えば太陽にほえろのボス、石原裕次郎。
こころの大きい人は、いごこちのいい人。
川藤幸一(ルーキーズ)もいごこちのいい人。
仏は、最高にいごこちのいい人。
真実を追求する時は誰よりも厳しく、それ以外は、とてつもなく大きい包容力。
それは最高にいごこちのいい命、こころを持っている人。
覚悟の人は、いごこちのいい命、こころを持っている。
真のいごこちのいい命、こころは、勝利のこころ、勝者のこころ、
常勝の者の知る境地、それは荒波に臨む者、かいくぐり勝ち越える者、
勝ち越える者が知るところ。
つまり、まことの時の勝利、生死一大事の勝利、絶体絶命の勝利の一念の者。
臨終正念と一体である。

発想の転換。 一眼の亀。
まわりを変えるのではなく、自分を変える。
いごこちに焦点をあてる。
いごこちのいい命、こころが、いごこちのいい勝利の場所、
勝利の世界を作り広げていく。
どこかに、いごこちいい場所、世界を求めるのではなく、
今いる場所、今いる世界をいごこちのいい場所、世界にできるなら、、、。
信心は、いごこちのいい場所、世界を作ることと、広宣流布は、いごこちのいい場所、世界を広げていくことと、折伏もその場所、その世界の一員に加えてあげることと、捉えればどうでしょう。

なんか自己啓発みたいになってきましたが、、、。
こころの中にいごこちのいい世界を作ることはできますか?
いごこちのいい命、こころを自分の中に見つけてください。
まずは命、こころをいごこちのいい命、こころにしてしまい、そして
自分の体も自分のまわりも、いごこちのいい場所、世界にしてしまう。
できたならばいごこちのいい場所、世界を広げていけばいい。
そのいごこちのいい場所、世界は、自分だけの場所、世界でなく
皆が共有できる場所、世界なら。
(本来、論語や儒教の礼に始まる人との関係についての教えも、
いごこちのいい関係を作るためにあると思う。)

続く。

979071:2012/04/23(月) 08:20:17 ID:D.MIif1M0
96
私の思うところと非常によくにた考え方だとおも思って
いつもいつもふし不思議nにかんじるのですが
だからばバトルさんの書き込みが非常によく頭にしみこんでくるのですがーーー
あなたはわたしですかっと言いたくなるくらいですもっと突っ込んで
いう言うと私が書き込みをすると多分同じようなニュアンスで
同じような説明の仕方すると思うからです
不思議です一人で納得しておりますっと

98首都高バトル01:2012/04/24(火) 06:36:14 ID:zLvwUaR.0
9071さんへ 目を通していただいてありがとうございます。
いごこちや十界互具について途中なのですが、すいません、
「 来世得作仏 」から心の中に情報のパズルが揃いだし、この世の全体像が、
ひらめきとなって見えて来ましたので優先します。

パズルの一部
・阿弥陀如来は仏になる前は釈迦牟尼佛と兄弟で16人兄弟の王子でした。
みな法華経により成仏しました。
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1424816.html
講義中頃からの、三千大千世界と現代天文学のところから、、、。
http://www.kempon.net/kejyo7.htm
・御書、一代五時鶏図p630.p631
「 文句の六に云く〜 」から大通智勝仏の十六王子の構成
・瑠璃の東園より〜
 ●十方浄土といわれるように、十方(東・東南・南・西南・西・西北・北・東北・上・下)に
  仏の浄土が考えられたが、東方の阿しゅく仏の妙喜世界、同じく東方の薬師仏の浄瑠璃世界、
  西方の阿弥陀仏の極楽世界、上方の兜率天の弥勒菩薩の浄土等が挙げられます。

     阿弥陀如来の西方「極楽浄土」
     薬師如来の東方「浄瑠璃世界」
     阿シュク如来の東方「妙喜世界」
      多宝如来は、東方「宝浄世界」
      文殊菩薩は、はるか遠くに「浄土」
      観音菩薩は、南方海中に「補陀落山」
      弥勒菩薩の浄土は、上方「兜率天」・[龍華浄土]
      釈迦如来は、私たちのここ「娑婆」

時間がな〜い!
やることがいっぱいありすぎて大変!
すみません、また時間を作って書き込みます。
本迹の種明かしについては、出来ているのですが、機が熟したら公表します。

続く!    30分だけでも横になります。

99首都高バトル01:2012/04/24(火) 07:34:53 ID:zLvwUaR.0
追記
薬師如来の話より〜
一つの世界には一人の仏さまという原則があり、釈迦牟尼仏のつぎの仏さまは弥勒仏(みろくぶつ)と決まっている。ところが弥勒仏は、まだ弥勒菩薩として兜率天(とそつてん)で修行中なのである。

弥勒菩薩が修行を終え、弥勒仏となってこの世界に生まれてくるのは五十六億七千万年も先のことであり、それまで娑婆世界の面倒を見ているのが地蔵菩薩(信仰の対象ではなく、地湧の菩薩と勘違いしていると首都高バトル01は、思う)である。

しかし、大乗仏教は空間的にも時間的にも無限の世界観を説いており、娑婆世界のほかにも宇宙には無数の仏国土があって、現在も無数の仏さまが説法しているという。つまり無数の仏さま達が、娑婆世界の私たちを見守っておられるのである。

100首都高バトル01:2012/04/24(火) 12:15:03 ID:zLvwUaR.0
今のうちに、、、。
この世の全体像の続き〜
*情報のパズル
・大宇宙も、わが生命も、森羅万象ことごとく妙法であり、蓮華であり、経なのである。宇宙生命の根源のことを、妙法蓮華経というのである。この中で、蓮華とは、八葉九尊という形式で示されている。
・ 釈には「隨縁不変・一念寂照」とある。隨縁真如の智も、不変真如の理も、ともに実在しているのが、生命(帰にあたる中心部分[南無妙法蓮華経]と宇宙<多元宇宙>を生命体と捉えるときも実体と首都高バトル01は思う)の実体であり、本質なのである。これを妙法というのである。これすなわち、三大秘法の南無妙法蓮華経である。
・「帰」というのは、迹門不変真如の理に帰するのである。「命」とは本門隨縁真如の智に命く(命にもとずくと言っているでしょう!命の中から出て来るものと首都高バトル01は思う)ことなのである。南無妙法蓮華経は、宇宙本源の絶対真理である。ゆえに妙法と唱えることによって、宇宙の本源に合致できうるのである。したがって、不変真如の理に帰したことになる。そして、その偉大なる妙法の力がわが生命活動に、生活の上に、顕現してくるのである。これ隨縁真如の智に命いたことになるわけである。結局、帰命とは、南無妙法蓮華経のことになるのである。
・ また「帰」とは、われわれの色法を意味する。「命」とは、われわれの心法を意味するのである。この色法すなわち肉体(命は肉体、物質に属し、その中にあると首都高バトル01は思う)・物質と、心法(命の中から心は出て来るものと首都高バトル01は思う)すなわち精神・心の働きが不二であると説く、日蓮大聖人の色心不二の生命哲学こそ、最高唯一の哲学なのである。
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1429788.html
・眠っている時(の宇宙)は、迹。起きている時(ビツグバンよりの宇宙)が本。どちらも共に実在しているのが、(宇宙もまた)生命。
・眠っていても起きていても心臓は活動している、生きていれば。
生命が永遠と言うことは、我々の心臓が止まって死のうが、
宇宙がなくなろうが、この世の中心の心臓及び全体は、生死を繰り返すが、見えようと見えまいと実在し、(生命活動の有る無し関係なく)この世の中心でその心臓は永遠に動いている。
・三身は全て無死無終。

この時点で、うっすらこの世の全体像が見えてきませんか?

1019071:2012/04/24(火) 13:59:22 ID:t1Th6frA0
頭飛んでしもた


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