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ソメルゼさんの教学部屋

79首都高バトル01:2012/03/31(土) 16:28:02 ID:zLvwUaR.0
仏法は、道理。
つまり法則性があるということ。 それが正しさの基準。

江戸川コナンもいれば、毛利小五郎もいる。
世の中を正しく見る人もいれば、正しく見れない人もいる。

理即の凡夫、、、理即(十界互具)は、動物も含め人間にそなわり、
有情界のものは、それを引き出す力を持っている。

理即(十界互具=認識[「迹」→南無妙法蓮華経と御本尊を除くにおいて]即
解決できる、解決できないを含む対処[「本」→仏界を除くにおいて]=
十如是[依報の]を持って十界[この場合、九界]を顕現する[依報は、御本尊を含まない]即十界[十界に所具する能具の十界→仏界は南無妙法蓮華経と御本尊以外に引き出す、湧現するのは無理→歴劫修行は意味がない。→
つまりこの場合九界を持ってになる。]を持って十如是を顕現する[本]。)
の凡夫。  仏界は、御本尊に題目を唱える人間しか現れないと言うこと。→
歴劫修行は意味がない。

認識と受け止める感覚→身で受ける感覚(自受用身)の迹は、
全ての根本(南無妙法蓮華経と御本尊=諸法実相の名字と
諸法実相の現れた瞬間)による迹(自受用身)において、
名字即によって御本尊を認識、受け止める感覚(自受用報身)は、
本の迹は迹にあらず(また根本[依報に存在する御本尊]の迹は迹にあらず。)
仏性が、境界として現れるので、これを根本の本とするところに対処の本が、
迹に逆転する。→倶体倶用の、さにあらずです。
根本を認識するところを主軸におくのは報中論三の考え方。

ややこしくて複雑ぅ〜。 どんだけ〜 ! やね。

御本尊に題目を唱えるのは、全てに対処する、全てに対処できる十界の中の
仏界を引き出す作業をしている。
九界の認識は、迹。仏界の認識は本(広宣流布に戦う信心の実践の中に、
また数々の具体的な物事が解決していくところに仏界が現れていると思います。)
名字即の根本の諸法実相と認識は本。観行即の九界の諸法実相と認識は迹。
九界の認識は迹。迹の本は本にあらず。
本(仏界)を認識するのは迹でなく、九界を認識するのは本でない。
迹本不定の人は、南無妙法蓮華経と御本尊を根本(本)として、
理即の凡夫は、迹。名字即の凡夫は、本。

そして
南無妙法蓮華経、御本尊と名字即の凡夫は、本。(境智冥合の)而二不二。

加えて、形而上、形而下が重要になります。
形而上で物事を見るか、形而下で物事を見るかで、
本迹が違ってきます。
続く。


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