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鬼和尚に聞いてみるスレ part5

543<削除>:<削除>
<削除>

544そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/06/03(水) 21:05:11 ID:2A0R7gMc0
鬼和尚
仕事の話しをしていて、相手の言うことが、
その人がその人の目先の苦や不安を取り除きたいためだけにその話しをしている、
ということがもの凄くよく分かるようになりました。
以前であれば、私も相手の言うことに対する単なる反応として、何かを言い返すところでした。

545鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/03(水) 21:16:44 ID:4i0eCajE0
>>542 自分を観る事を決意して観察するじゃ。
 自分に自分を観る覚悟をさせるのじゃ。
 どんなに醜く小さく卑怯な自分でも、隠さず全て開示する決意をするのじゃ。
 その意志が無ければ止観も数息観もどんな技も無意味なのじゃ。
 逃避するのも自分の意志なのじゃ。
 逃避をやめるにはその意志を止めなければ成らんのじゃ。
 
 もはや逃避をせずにどんなに醜く小さく卑怯であっても自分を観ると覚悟して自分を観察するのじゃ。
 全ての執着も自分で原因を観る意志があれば滅することができるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>544 良かったのじゃ。
 自分の心がわかれば他人の心もわかるものじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

546避難民のマジレスさん:2015/06/04(木) 00:55:01 ID:0BkCcnUo0
和尚様
やっぱりある程度己に自我を投射してちょっとイラって生きていた方が不安定で腹に気がたまってたりして充実した時を過ごしませんか?
それは精神の成長となって悟りにもつながるかもしれないように最近思えてきました
どうお考えになられますか

547避難民のマジレスさん:2015/06/04(木) 09:11:17 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さんに質問します。

私が思考に気づきながらただそれを厳格に観照し続けたならば、やがて思考はおとなしくなり 観照者は消えて
観照だけが残る残るのでしょうか。

548避難民のマジレスさん:2015/06/04(木) 20:52:15 ID:6I0OJoUY0
鬼和尚様
>>542 に回答いただきいましてありがとうございます。
和尚様のブログでも同じようなことを書きましたが、
両方にお答えいただき感謝しております。

言葉というものが、やはり投射を起こす要因であるのは理解ができ
言葉を用いない観察を成功率が低いなりにやり始めました。

言葉を用いないことで、パターン化された投射が止まり、
止観が行いやすくなるのですが、これでよいのでしょうか。

というのも、自分は自我と向き合う必要を感じており、
投射があったほうが自我をより深く見れるのではないかと思いました。

549鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/04(木) 20:57:46 ID:Lb5RB4xk0
>>546 すでに自我を投射しているのじゃ。
 それ以外できないのじゃ。
 それが観察できれば無我になるじゃろう。

>>547 思考が消えただけではまだ自我は消えないのじゃ。
 さらに観察して自我が見られれば観照なのじゃ。
 それが出来れば観照も消えるのじゃ。
 自我が無ければもはや観照することもないのじゃ。

550鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/04(木) 20:59:21 ID:Lb5RB4xk0
>>548 それでよいのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

 自我の投射は今此処でも行われているのじゃ。
 それを観察すればよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

551避難民のマジレスさん:2015/06/04(木) 21:52:19 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さん、私は過去に一度だけ観照が起こったことがありましたが
それを自我が後から思い出すという形で認識したのだと思います。
何度も観照が起こらなければ自我がが消える事はないのでしょうか?

552避難民のマジレスさん:2015/06/05(金) 05:01:18 ID:rjrCqQY20
追加の質問です。
自我そのものには実体がない事は、自我それ自体は気づいているのです。
それはそれとして、それに踊らされないように安全運転をしているのが今の状態ではないかと感じています。
しかしまだまだ未熟なためいつ何時事故るやもしれませんが…。
自我そのものは運転者として最後まで下車する事は許されない事ではないのでしょうか。

553避難民のマジレスさん:2015/06/05(金) 05:06:35 ID:rjrCqQY20
肉体を車に喩えたとしてではありますが…。

554避難民のマジレスさん:2015/06/05(金) 15:54:55 ID:BzfDf4WI0
和尚、三十二の体の部分を見つめる瞑想で、
各器官に集中するという方法を知ったのですが、
具体的にはどのように器官へ集中するのでしょうか。

単に意識を器官へ置いておけばよいのでしょうか。
それとも、例えば内蔵であった場合、
この内蔵は粘膜に包まれており…という感じで、思考を使って脳に美しくないものだと理解させていくのでしょうか。

555避難民のマジレスさん:2015/06/05(金) 18:31:48 ID:0BkCcnUo0
目を開けた時最初に飛び込んでくるものは何ですか?

556鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/05(金) 20:48:49 ID:Lb5RB4xk0
>>551>>553 観照が完全に行われれば自我はもはや在り得ないのじゃ。
 恐れが生じたとかで途中で中断してしまったのじゃろう。
 自我が観念であるとはっきり気づくのが観照であるからのう。
 わずかな恐れでもあれば心は気づきも止めてしまうのじゃ。
 いまがその最後なのじゃ。
 ただ恐れが在れば自我を滅するのはいつかのもっと先のことにしたいと思えるのじゃ。
 何度でも自分の心を観察しなおすのじゃ。
 恐れを観ればそれも超えて進むことが出来るじゃろう。

>>554 そうじゃ、意識をおいてその働きを感じるのじゃ。
 鼻ならば呼吸をしてにおいを感じるのを意識するのじゃ。
 眼ならば光を受けていると感じるのじゃ。

 考えるのは観察ではないのじゃ。
 何も感じられないのならば、何も感じないと意識すればよいのじゃ。
 それもまた今此処にある感じに気づいている事であるからのう。

>>555 光なのじゃ。

557避難民のマジレスさん:2015/06/06(土) 07:33:00 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さん、仰る通り私は恐れているのだと思います。
和尚さんや他の方々のお蔭で私は今、近年にない程心静かに暮らすことが出来て
これまでのこの世界から早く逃げ出したい衝動も起こらず、生まれてはじめて周りの愛する人たちの役に立ちたいと願っています。
身近な人たちを守るために長生きしたいと思ったのも生まれてはじめてのことなのです。
それも自我の処世術だとは思いますが、それに乗るのも悪くないかと思う自分もいるのです。

しかしそれは言い訳でしかないのだと思います。
仰る通り何度でも自分の心を観察し直したいと思います。

ありがとうございました。

558避難民のマジレスさん:2015/06/06(土) 11:57:54 ID:BzfDf4WI0
>>556
ご教授ありがとうございました。
引き続き実践に励みたいと思います。

559避難民のマジレスさん:2015/06/06(土) 17:37:01 ID:0BkCcnUo0
和尚様から見て優れた人生観や哲学ってどないですん?

560避難民のマジレスさん:2015/06/06(土) 17:44:21 ID:0BkCcnUo0
真にやることがなくなればすることがないがゆえに脱力し思考や感覚もなくなるんすよね?

561避難民のマジレスさん:2015/06/06(土) 20:22:22 ID:fDmYjxio0
548です

仰る通りに行を続けます。
やりかたが正しいのか間違っているのか、疑問が沸いてくるので
先達の指導が嬉しいです。

物を認識したときにそれが自分の望んでいるか、好き嫌いかを
判断している己にきづきました

見性のあとに言語能力の喪失や思考できなくなる人間もいる
そうなんですが、これの起きやすさはどのように決まるんでしょうか
さらに欲がなくなって働かなくなる人間もいるそうなんですが・・・

562鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/06(土) 21:05:23 ID:79rLlUrQ0
>>557 良かったのじゃ。
 人として善事を行い続けるならばそれもまた道なのじゃ。
 老病死を越える道を行けば永遠の安らぎに達するのであるがのう。
 自ら悔い無き道を行くのじゃ。

>>558 そうじゃ、実践あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>559 それらが無いことが優れているのじゃ。
 なにか固定した思想があれば囚われて進めなくなるからのう。
 なにものにも囚われずに進むのじゃ。

>>560 自我があればやる事をつくり、自我を存続させるじゃろう。
 自我が無ければやることもなくなるじゃろう。
 何でも試してみるのじゃ。

563鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/06(土) 21:07:31 ID:79rLlUrQ0
>>561 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。

 それは意志によるのじゃ。
 話そうとする意志があれば言語があり、動く意志があれば動けるのじゃ。
 誓願の力などにより、悟っても意志は起こせるのじゃ。

564避難民のマジレスさん:2015/06/07(日) 15:31:02 ID:0BkCcnUo0
和尚様・・・悟ってお暇でしたらネトゲでペアハントしていただきたいのですが
度重なる仕様悪化によって私の引退中に一人での活動が最も効率的な自閉的ゲームになってしまって・・・己の利益を追求する人々を誘えません

565避難民のマジレスさん:2015/06/07(日) 15:41:50 ID:IU6lj9DI0
幾つか質問があります。お願いします。

私は人の目を気にしすぎてしまいます。自分がどう見られているのかとても気になります。
こういう自分の反応にはもうウンザリし始めています。これを克服するために原因を知りたいです。
瞑想中は積極的に原因を探しだすのですか?例えば状況を思い出して、自分の反応を観察するようなことですか。
それとももっと受動的というか意識に上ってきたものを観るのですか。

原因がないと苦しみもないと観察する。というのがよくわかりません。
何か楽しいことに集中していて痛みを忘れていたというように、苦の種が思考としてなければ苦しみはないということを観察するのですか?
原因となる思い出を再体験して解釈を正すというようなものとは違いますか。

意識は何重にもあるといいます。コーヒーを入れている自分と、全く関係ないことを思考している自分と確かに何重にもあるのがわかります。
どこに定点を持って観察すべきか迷っていしまいます。手の動きを観察したり、視線を観察したり、思考を観察したりよくわからなくなってきます。
より自分とするものを見つけるのが良いのですか?なにかアドヴァイス下さい。

それからいつも毎度ありがとうございます。

566鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/07(日) 20:46:30 ID:79rLlUrQ0
>>565 それにまつわる過去の記憶を思い出すのじゃ。
 昔、何か人の眼を気にする原因となった出来事があったじゃろう。
 親に常に恥ずかしくないようにと教えられたとか、外面を良くするように教えられたとかなのじゃ。
 その原因から人の目が気になると観察するのじゃ。
 もしその原因が無かったらと、イメージして、人の眼がきにならないことをも観察するのじゃ。
 
 始めは手を観察すると良かろう。
 それから感覚、感情、思考とより抽象的な捕らえにくいものを観察するのじゃ。
 迷ったら手などの肉体を観察することにな戻ればよいのじゃ。

567避難民のマジレスさん:2015/06/07(日) 22:03:08 ID:QMm34KcU0
鬼和尚は他人の目などは全く気にならないのですか?

他人からどう思われようが、自分がしたいように行動しているのですか?

568避難民のマジレスさん:2015/06/08(月) 03:59:24 ID:0BkCcnUo0
鬼さん、幾多もの不明瞭な質問に答えて下さりありがとうございました
私はこのスレから出家いたします

569避難民のマジレスさん:2015/06/08(月) 10:46:19 ID:9jY3uYWM0
鬼和尚、
サンユッタ・ニカーヤ第一篇第八章 断ち切って の第六節 老いない に関して、

〔神曰く、〕
    「何ものが、老い、何ものが老いないのか?
      (中略)
    何ものが、<清らかな行ない>の汚れであるのか?
    何ものが、<水を必要としない沐浴>であるのか?
    それをあなたにお聞きしたいと思って、ここに来たのですが、われらは
    どのようにしたら、それを知ることができるでしょうか?」

 〔尊師曰く、〕
    「人々の物質的なすがたは老い朽ちる。しかし名で示される氏族は老い
    朽ちる事がない。
(中略)
    女人は<清らかな行ない>の汚れであり、人々はこれに耽溺する。
    苦行と<清らかな行ない>とは、<水を必要としない沐浴>である。
(
    それらをすっかり除去せよ。」

とありますが、ダンマパダでのお釈迦さまの言葉、例えば諸行無常や中道の教えなどと矛盾があるように思います。
この違いは対機説法によるものなのでしょうか? それとも時代を経るうちに元の言葉が変わってしまったのでしょうか?あるいは、お釈迦さまがそのときは間違って説法してしまったのでしょうか?

570鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/08(月) 20:51:01 ID:79rLlUrQ0
>>567 そうじゃ気にならないのじゃ。
 法に触れない程度に生きればよいのじゃ。
 犀の角のように独り歩むのじゃ。

>>568 どういたしまして、またおいでなさい。

>>569 確かにかなりおかしいようじゃ。
 翻訳の間違いとかがあるのかもしれん。
 長い間に意味がわからなくなったのかも知れん。

 そのようなところは棄ててよいのじゃ。
 止観と縁起がわかればそれで悟りへの道は完全に開かれているのじゃ。

571避難民のマジレスさん:2015/06/08(月) 20:52:42 ID:IU6lj9DI0
>>566
もう一つ聞きたいことがあります。
苦の原因が、親の発言とか親の世界観などが要因としてあったのなら、
長年の苦しみは親のせいだ、親が自分の評価を下げさえしなかったらと考えてしまいます。
というか今そういう感情があります。この私の考えはすごく子供だと思います。
こういう感情はどうすればいいのでしょう。聞いてばっかで申し訳ないす。
なんとか兆しが見えています。ありがとうございます。

572避難民のマジレスさん:2015/06/08(月) 21:39:37 ID:y4sOcl9c0
ttps://www.youtube.com/watch?v=2rd8VktT8xY&list=RD2rd8VktT8xY
この方なんですけど、悟ってますか?
恐ろしく静かで不動な感じがするんですがどうですか?
目の焦点あってないとことか、マハルシそっくりな印象を受けました。
ちなみにこの方は、この後、数か月後に亡くなられたそうです。

573避難民のマジレスさん:2015/06/09(火) 12:38:33 ID:6p4ETLTs0
>>570  ありがとうございます。
サンユッタ・ニカーヤの該当部分も、特に古い経典なのだそうですが、
やはり、かなりおかしいようなのですね。
経に囚われる危険を知りました。そのようなところは棄てて進みます。

悟りを得たい人がさしあたり読むお釈迦様のことばは、ダンマパダとスッタニパータで十分ということでしょうか?

574避難民のマジレスさん:2015/06/09(火) 21:00:25 ID:V7QCtwwo0
鬼和尚
経典に書いてある通り、ほとんどの人間は死ねば地獄に堕ちると思いますが
地獄に行かない人はどのくらいの確率で居ますか?
また仏教などの瞑想修行をせずに普通に善を積んで天界に行くなどかなり困難なことではないでしょうか?
やはりある程度止観の修行を積まないと善い処に行くのは非常に困難なのではないかと思います

575鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/09(火) 21:31:45 ID:79rLlUrQ0
>>571 怨んでいてよいのじゃ。
 無理に許そうとしなくてよいのじゃ。
 無理をすれば心に嘘をつくことになるからのう。

 それをまた観察するのじゃ。
 怨む原因をも観察するのじゃ。
 それは親にもっと完璧であって欲しいとか、過去がこのようであったらよいとかの執着かも知れん。
 観察によってその原因がわかれば、それもまた自然に消えていくのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>572 悟っていないのじゃ。
 疲れていたのかも知れん。

>>573 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。

 それでよいのじゃ。
 理解が進めばアーナパーナ・サティ経とか小縁起経とかを読むとよいのじゃ。

576避難民のマジレスさん:2015/06/10(水) 17:10:35 ID:d1p2ARo.0
>>575 ありがとうございます。
アーナパーナ・サティ経は見つかったのですが、小縁起経は見つけられませんでした。
阿含経典の中の縁起に関する経典、例えば
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480094711/
あたりでしょうか?

577鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/10(水) 20:54:11 ID:79rLlUrQ0
>>576 それかもしれん。
 大縁方便経などもよんでみるとよいのじゃ。
 観察する方法としらない翻訳家によって意味がわからなくなっているところもあるが、参考になるのじゃ。
 全ては自分の心を観察する方法なのじゃ。

578避難民のマジレスさん:2015/06/11(木) 11:53:44 ID:BzfDf4WI0
和尚さま

薬物やセックスなどの快楽を得ると、
脳の物質が過剰になったり欠乏したりすることによって普段の生活での快楽を感じることが少なくなってしまったり、
不安やネガティブな感情に陥ったりしてしまうらしいのですが、
禅定によって得られる喜悦や快はこのようにならないのでしょうか。

579避難民のマジレスさん:2015/06/11(木) 13:51:48 ID:V7QCtwwo0
鬼和尚
ほとんどの人間は死ねば地獄に堕ちると思いますが
地獄に行かない人はどのくらいの確率で居ますか?
一昨日私の質問を見落とされてたようなので、同じような質問になりますがよろしくお願いします

580避難民のマジレスさん:2015/06/11(木) 20:53:04 ID:psqJkcBY0
テーラワーダ仏教会のHPを最近見ておりましたが
「布施などの徳を積みその得を衆生や亡くなった人に回向する」ということが書いてありました。
このようなことは可能なのですか?

581鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/11(木) 20:59:44 ID:79rLlUrQ0
>>578 ならないのじゃ。
 それらの快楽は健康を害したり、体のエネルギーを失う故に生活が苦になるのじゃ。
 瞑想などによって得られる快はエネルギーを充実させ、健康に成る快であるから気分も良くなるのじゃ。
 俗世に興味を失う事はあるかもしれんがのう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>579 すまんのう見落としていたのじゃ。
 半分ぐらいじゃな。
 娑婆世界にも善い者も多くいるのじゃ。
 やはり宗教などで教育していると善事も行い、善い所に生まれるものも多いじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

582避難民のマジレスさん:2015/06/11(木) 21:03:52 ID:lOje8bmY0
>>577 ありがとうございます。
大縁方便経は、長阿含経の中に見つけました。
ざっと読んでみたところ、縁起がたくさん出てきました。
それらは観察例で、お釈迦様の心の中に連想として現れたものとして理解して良いでしょうか?
また、それらの観察例を参考にして、自分の心の縁起を順逆に観察するというやり方で良いでしょうか?

583避難民のマジレスさん:2015/06/11(木) 21:28:18 ID:V7QCtwwo0
>>581
そうなのですか、自分が聞いた説とは大分違うようですね
人や宗派によっても見解が違ってくるのかもしれません

584そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/06/11(木) 22:05:16 ID:2A0R7gMc0
鬼和尚
人と仕事の話しをしている時、自分の喋り方に抑揚がほとんどなくなっていることに気付きました。
話題がつまらないとか興味がないとか、そういうことは関係ありませんし、
無理に抑揚を抑えているわけではありません。
また、相手の言うことに対して自分が返答する時は、以前に比べて何かを思うことがほとんどなくなっています。
それでも話題の目的に添った返答を瞬時にできます。
これは、雑念が少なかったり、観念への囚われが少なかったりするからなのでしょうか。

585そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/06/11(木) 22:41:06 ID:2A0R7gMc0
鬼和尚
他人のしたこととしなかったことを見ないのがお釈迦様の教えですが、
私は仕事で他人がやった仕事を見る機会がよくあります。
他人の仕事を見ていて、単にいいとか悪いとかではなく、
その人が過去の記憶や常識、常套手段に基づいていて、
その焼き直しをしているのがよく分かるようになりました。

私は他人のやった仕事を自分なりにやり直す機会もよくあります。
やり直す時、他人には見えていないものが私にはよく見えます。
ここをこうすればもっとよくなる、ということがよく分かります。
記憶や常識、常套手段は一旦置いておいて、
ありのままに観察すればほんとによく見えます。

鬼和尚の言う記憶に依存するということがどういうことなのか、
少しは分かった気がします。

586避難民のマジレスさん:2015/06/12(金) 17:05:14 ID:BzfDf4WI0
>>581
ありがとうございました。
興奮による快楽ではなく、リラックスによる快楽のようなものですか。

言葉は同じなのに意味は正反対ですね。
よく言葉に捕らわれるなと聞きますが、改めて実感できました。

俗世の興味はむしろ無くしたい方なので、安心して実践に励めます。
ありがとうございました。

587鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/12(金) 20:52:10 ID:79rLlUrQ0
>>582 お釈迦様はもう既に心の中に何も現れなかったじゃろう。
 衆生の為に説いたのじゃ。

 それでよいのじゃ。
 参考程度にして自分の心の中に現れる縁起を観察するのじゃ。
 経とは違うように自分の心の中の縁起があると観察したならば、それを観察してよいのじゃ。
 全ての修行者は自らの心の中に起こる縁起を、ありのままに観察するべきなのじゃ。

>>583 宗教の中には自分達の教義などを知らなければ地獄行きとか言うものもあるからのう。
 実際に観察してみれば悪い者と善い者が半分ぐらいとわかるのじゃ。
 
>>584 そうじゃろう。
 囚われが少なくなり、心の働きが良くなったのじゃ。
 さらに精進あるのみなのじゃ。

>>585 良かったのじゃ。
 自分の条件付けがわかれば他人のものもわかるものじゃ。
 さらに実践あるのみなのじゃ。

>>586 どういたしまして、またおいでなさい。

588鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/12(金) 21:39:28 ID:79rLlUrQ0
>>580 すまんのう見落としていたのじゃ。
 無理なのじゃ。
 お釈迦様の教えにも矛盾するのじゃ。
 人は自分のした事の報いを受け取るのみなのじゃ。
 ダンマパダにはこのように言っておるのじゃ。

 165 、 みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。
 浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることができない。

589避難民のマジレスさん:2015/06/12(金) 23:22:55 ID:00GAxWQU0
>>588
お答え有り難うございます。
HPよく読むと死者には回向出来ないとありました。私の勘違いでした。

確か死んだものにはコチラからは何も出来ないと勉強していたので
そのようなことができるのか?と思った次第です。

和尚様は以前夢の中で死者に対して供養はできると言うことを書いていたと思いますが
それはできるということですか?

祈りや願いで衆生に徳のエネルギーのみを送ることは出来ないのですね。
ただ行為が出来るだけと。

590そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/06/13(土) 00:02:53 ID:2A0R7gMc0
鬼和尚
最近は資産作りに取り組んでいます。
以前書き込んだ方法とは異なる方法です。
そのせいで一日当たりの睡眠時間が以前よりもだいたい2時間くらい減っています。
睡眠不足は感じていますが、まったく苦になりません。
それに朝寝坊することもありませんし、昼間の仕事中に眠くなることもありません。
睡眠不足が苦にならないのは修行の成果でもあると思いますが、
睡眠時間を減らしたまま長期間過ごすのは、肉体の疲労が回復できないと思います。
このあたりのさじ加減はどのように図っていけばよいのでしょうか。

591避難民のマジレスさん:2015/06/13(土) 09:57:37 ID:P.PEnNUg0
>>587 ありがとうございます。
心に現れなかったにも関わらず、お釈迦様が衆生のために12縁起を説いたということは、自分の心の中の縁起を観るための良いヒントになるということですね。
以前、ブログで生→老死に関して解説して下さっていましたが、改めて
無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死  
それぞれの定義を少し詳しく教えて下さいますでしょうか。

592鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/13(土) 21:05:12 ID:ZdlnzaYI0
>>589 今生きている者にも心遣いや優しい言葉で慰める事が出来るように、死者も心を込めて供養すれば慰められるのじゃ。
 行いとその報いを他人が変化させる事は生きている者にも死んだ者に対してもできないのじゃ。
 例えば現世の法律でも犯罪をした者の身代わりになることなどできないようにのう。

>>590 昼寝するとか瞑想を長くするとよいのじゃ。
 少しの時間でも寝たりする事が出来る者は、忙しくても元気なのじゃ。
 瞑想によって眠りを補うとか、ヨーガのシヴァアーサナなどをして肉体を休めるとよいのじゃ。

>>591 無明とは自分があるという観念なのじゃ。
 行とは分別の働きなのじゃ。
 職はそれによって物事を認識する事なのじゃ。
 名色は言葉とイメージなのじゃ。
 六処は六つの感覚器官なのじゃ。
 蝕は感覚なのじゃ。
 受は感受することなのじゃ。
 愛は愛着なのじゃ。
 取は執着し欲することなのじゃ。
 有はものごとが有るという観念なのじゃ。
 生は生あるものという観念なのじゃ。
 老病死は人のもつ苦なのじゃ。

593避難民のマジレスさん:2015/06/13(土) 22:34:02 ID:hzMYYWtw0
>>592
死者でも慰めることは出来るのですね。カルマや徳は誰にも渡せないと。
ありがとうございます。

594避難民のマジレスさん:2015/06/13(土) 23:06:20 ID:tHj0j65Y0
鬼和尚さん、便乗質問みたいですが死者というのは心の中の死んだ人の存在のことでしょうか?

595避難民のマジレスさん:2015/06/14(日) 10:40:44 ID:OdMybscU0
>>592 ありがとうございます。
識は阿頼耶識、行は末那識と理解して良いでしょうか?

また、私が通常行なっている苦滅の法の縁起では
触→受→愛→取→苦
というようなものが多いように思います。
自我を観る場合にはさらに微細になり、
触→受→識→行→名色(認識対象)→識→行→六処→識→行→自我(六処に投射)
というような縁起になるのでしょうか?
識と行の順番が分かりません。

あと、無明は自分があるという観念ですから、自分という観念(=自我) とは厳密には違いますよね。
鬼和尚は説いていますが、お釈迦様が12縁起で自我を縁起によって観るように説かなかったのはなぜでしょうか?
当時の人々は自我に相当する言葉を持っていなかったのですか?

596鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/14(日) 21:20:45 ID:79rLlUrQ0
>>593 そうじゃ、自らの心と行いを清めるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>594 死者は生きている者と同じように、心の中の観念としてあり、存在としてもあるじゃろう。
 心の内と外に境界を作れば迷いと成るのじゃ。
 全ては意識であり、生きながら意識の表れである人が、死んでも意識の現われとしてあるのじゃ。
 肉体と言う現に見えるものが無くとも、意識としてあり続けるのじゃ。
 生きている者には夢とかでしか会えないから、心の中にのみあるとか思うのじゃ。
 内も外も同じと知れば死者もまた意識の現われなのじゃ。

>>595 そのような理解でよいのじゃ。

 それはおぬしの心の中にだけ起こっている働きである故に、他の誰もわからないのじゃ。
 それを自らの注意深い観察によって明らかにするのじゃ。
 それがおぬしだけが出来る、おぬしだけの道なのじゃ。
 
 そのようなものじゃ。
 昔の人は王様とかバラモンが死ねとか言うと命令どおり死ぬような
 共同体による幻想観念が人の肉体をも支配していたからのう。
 個人的な自我などは近代の産物とも言われるのじゃ。

597避難民のマジレスさん:2015/06/15(月) 02:29:43 ID:QMm34KcU0
>>595
>個人的な自我などは近代の産物とも言われるのじゃ。

それはよくいろいろな人が言っていることですが、一部のインテリたちの
間違った見解ではないでしょうか?

お釈迦様の時代から、個人的な自我を持っていたからこそ起きる
さまざまな確執や争いがあったはずで、「俺が〜」、 「私が〜」 という
個人的自我が目覚めていなければ 「悟り」 を目指す意味もないはず
です。
ソクラテスの周りでもそうですし、孔子様の周りもそうですし、日本の昔
の社会を見ても、弥生時代頃からは個人的な自我が出て来ていると
思われます。

598避難民のマジレスさん:2015/06/15(月) 05:07:51 ID:tHj0j65Y0
>>596
> 心の内と外に境界を作れば迷いと成るのじゃ。

そのあたりもっと観察してみたと思います。ありがとうございます。

599素人A:2015/06/15(月) 06:43:52 ID:IWxIjSAg0
ブラフマンいや仏教では編だ如来が編み出した正解いや世界だから求めれば阿弥陀になる空、それから枝分かれして法も変化
に変換されて此の世うになつた私たちの不味い煩悩も元を正せば阿弥陀の性格が影響している。暢気に南無阿弥陀仏と難解も
唱えれば救うのか?いい加減な阿弥陀仏貴方の不味い考えでこの世うになつた。でも阿弥陀さんが我々とたいして代わらん人
だと解れば、人のいい私としては何とか役に立とうと思うけど?頭も知恵もないし、阿弥陀さん皆でアートため息つけば少し
は気が晴れて空には満点の星の輝きがある風景だ。浄土真宗やキリスト教は考えが唯物論のようで、毎日とななえれば毎度
コントロールされて唯仏論になつたのに効き目なく唯物論のいま。死んでも修業は至難だろう?でも我々じゃ証が無い世ね、
でも此の世も元々の阿弥陀の応用というかパクリから出来ている法と思えば、即死してもあまり代わり映えのしないと思うが
正解いや世界だと妄想する。嘘でも何でも毎日現れればほんとになる。よくわからん正解は無とは何もないということでは
無いようだし私の能力では無理解という事か、つまり私の頭や目や身でぼんやり身ても一部しか身縁し今朝も妄想?

600避難民のマジレスさん:2015/06/15(月) 17:07:20 ID:wzaF4XgM0
>>596
自分の心の中がどんな縁起になっているのか、観られるのが楽しみです。
これまで生まれ変わって過ごしてきた時間のうちで、今が最大のチャンスだと思います。
このチャンスを活かして自己の観察に励みます。
お答えくださりありがとうございました。

601鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/15(月) 21:29:28 ID:79rLlUrQ0
>>597 それらの多くは同族的な帰属意識でも起こるものじゃ。
 わが国とかわが民族のためとかじゃな。
 未だにそれを自我の一部として受け入れている者もいるじゃろう。
 どこにも帰属しない本当に独立した個人の観念こ現代でも珍しいものじゃ。
 それも論じるべきものではなく、観察によって気づくべきものなのじゃ。

>>598 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>599 それらは頭で考えるものではないのじゃ。
 ひたすら集中し、感得するものなのじゃ。
 集中すれば一体になった感覚が得られるのじゃ。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

>>600 そうじゃ、それはおぬしだけが出来る未知への挑戦なのじゃ。
 少しずつでも進めばやがて悟りはやってくるじゃろう。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

602避難民のマジレスさん:2015/06/15(月) 22:04:42 ID:TuyaCvks0
和尚様

愛する物の別れが苦しい場合もやはり原因がなければその苦が
生じないと観るのでしょうか

また私が想像ができないので、お聞きするのですが
そのような愛着の存在しない人生とはどのようなものでしょうか

603鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/16(火) 21:15:44 ID:79rLlUrQ0
>>602 そうじゃ、そのような場合は執着が原因となるじゃろう。
 執着が無ければ愛別離苦もないと心の中に観察するのじゃ。

 執着が無くとも愛はあるのじゃ。
 昔、一休和尚が説法の折に見かけた美人に一晩付き合えとなんぱしたのじゃ。
 その美人は人妻であったから断り、旦那に告げたのじゃ。
 旦那は一休の信奉者であったから、せっかくだから行って見よと言ったのじゃ。
 人妻が一休の家に行くと、もうその気がうせたから帰ってよしとか言ったのじゃ。
 それを聞いて旦那はさすがは一休和尚じゃ、とますます尊敬したのじゃ。

 そのように愛はあっても執着が無いから苦も無いのじゃ。

604避難民のマジレスさん:2015/06/17(水) 00:34:34 ID:aO61iQho0
例えば、鬼和尚さまの生活している家に1000匹のゴキブリが出たとします。
寝ている時にも口の中に入ってきたり、飯を食べている時も茶碗の中に侵入したり。
そういう時、鬼和尚さまはどう対処なされますか?慈悲をもってバチンと叩き潰されますか?
そもそも鬼和尚さまは、ゴキブリに恐怖心はありますか?

605そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/06/17(水) 19:28:20 ID:2A0R7gMc0
鬼和尚
私はよく、
ある特定の思い、考えをするとき、
きまって身体がこわばるのを感じます。
これは、自我が強烈に投射されているということなのでしょうか。

606鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/17(水) 21:01:26 ID:79rLlUrQ0
>>604 身動きしたときに潰してしまうかも知れんから追い出すのじゃ。
 何も恐れはないのじゃ。
 ゴキブリは人を噛む訳でもないのに恐れるのは習慣から来るものじゃ。
 本当は体も清潔だと言うからのう。
 観念から来る恐れを観察してみるのじゃ。

>>605 そうじゃろう。
 その考えに何か強い思い入れがあるのじゃろう。
 過去の記憶から来るものかもしれん。
 良く観察してみるのじゃ。

607避難民のマジレスさん:2015/06/18(木) 21:41:33 ID:fP2nC2Nc0
いつも教えていただき、感謝しております。

花粉症などのアレルギー症状は、
肉体の免疫反応が、何らかの理由により、
正常に働いていないことから起こるものと考えられます。

このような症状が現れている時、
鼻がむずむずするなどといった肉体の感覚を観察することで、
くしゃみ鼻水炎症といった症状は改善しますか?
それとも、症状は改善しないけれども、苦がなくなるのですか?

608避難民のマジレスさん:2015/06/19(金) 18:47:38 ID:aO61iQho0
>>606
ゴキブリが怖くないんですかw
僕は超苦手です。黒いテカリ、俊足、飛翔、嫌悪感が凄いです。
自我を観察していきたいと思います。有難うございました。

609避難民のマジレスさん:2015/06/19(金) 19:04:35 ID:QfX3qKd.0
そもそも生命として生まれるという概念がすべての苦の原因ということですか?
苦から脱出するには要は生まれなければいい?
少なくとも人間界以下に生まれなければいい?

老病死にも色々なレベルがあると思いますが不治の病、殺される、
又はどうしようもない事故、災害での死は前世の業とは関係ないのでしょうか?
それともやはりそれまでの行いの結果として起こるのでしょうか?
これはどのような行いをしても避けられない生命として元々包含されているもの
であって不幸な病や死 などは行いに関係なく誰にでも起こるということでしょうか?

610鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/19(金) 21:18:23 ID:79rLlUrQ0
>>607 観察するだけならば症状は改善しないのじゃ。
 しかし集中していると気が集まって血行が良くなり、改善する事もあるのじゃ。
 観察よりも集中がいるのじゃ。

 観察出来れば苦はなくなるじゃろう。

>>608 そうじゃ、そのような感覚こそ観察してみるのじゃ。
 強い感情は観察が容易になるのじゃ。
 何でも試してみるのじゃ。

>>609 生あるものという観念が無ければ良いのじゃ。
 観念が無ければ苦は無いのじゃ。

 そのような事が起こる可能性がある世界に生まれる事が報いなのじゃ。
 そこで起こることの一つ一つが報いと言う事でもないのじゃ。
 偶然もあるじゃろう。
 たんなる不養生で病になることもあるのじゃ。
 全てが報いではないが、それが起こる環境にしか生まれなかった事が報いなのじゃ。

611避難民のマジレスさん:2015/06/20(土) 17:39:18 ID:6EUkWmiQ0
>>610

>生あるものという観念が無ければ良いのじゃ。
>そのような事が起こる可能性がある世界に生まれる事が報いなのじゃ

生まれる環境が一番業に関わってくるのですね。それは意志と言うか好みでは選べないと。
ありがとうございます。

612鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/20(土) 21:14:41 ID:79rLlUrQ0
>>611 そうじゃ、それが行いの報いなのじゃ。
 善いことをすればそのような事も無い世界に生まれる事も出来るのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

613避難民のマジレスさん:2015/06/21(日) 07:18:58 ID:fP2nC2Nc0
>>610

教えていただきありがとうございました。

集中とは、数息観をすることでしょうか。
数息観をすると、花粉症などのアレルギー症状が
緩和しますか?

614避難民のマジレスさん:2015/06/21(日) 17:15:31 ID:HF1Z5IZA0
鬼和尚、
以前己の追求に関して、

> 先ずはその自分という感覚がどのようなものであるか見極めるが良いのじゃ。 常に観られるようにするのじゃ。
> そして主体という観念がそれにどのような影響を及ぼしているかとか、何が原因でそれが強くなったり弱くなったりするかとかを、追及し観察すると良いのじゃ。

との回答をいただきました。
結局主体という観念があるときには、自分という感覚に、「それは実際に自分が行なっている」というような現実感を与えていると観察しました。
さらにそれが強くなったり弱くなったりするのは、集中の深さと浅さが原因となっているようです。

試しに自分のイメージを呼び起こしているときには、主体の観念は、現実感が感じられる主体の感覚として、思い出している行為に投射されており、想起された自分のイメージ自体の現実感は強くないです。

このように自我の観察には進歩が見られているようですが、未だ自我の観照には至りません。
もしかして、しっかりと観察できているのではなく、おぼろげながら観察したことについて推論を加えて答えを得ているのではないかという疑念があります。
そのように観察ではなく観念の遊戯に陥っている場合は、ご指摘いただければありがたいです。
またもし何かアドバイスなどがありましたら、お願いします。

615鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/21(日) 20:54:10 ID:79rLlUrQ0
>>613 数息観は集中力を身に付けるためのものなのじゃ。
 集中は文字通り患部に意識を集中するのじゃ。
 そうすれば血行が良くなって良くなる事も在るじゃろう。
 原因がわかって治る事もあるじゃろう。
 試してみるのじゃ。

>>614 推論しているのかも知れん。
 それでも少しは自分が見えているじゃろう。
 自我の観念によって起こる事も観てみるのじゃ。
 自分があると思えば、自分の好みも起こり、好む事への執着も起こるものじや。
 そして好むものへの執着によって苦も起こるじゃろう。
 それら全ての縁起が観られれば全体を観た事になるのじゃ。
 そして自分と言う観念が無いとき、自分の好みもなく、好むものへの執着も無く、苦もないと観察するのじゃ。
 そうすれば観念との自己同一化も消えるじゃろう。

616避難民のマジレスさん:2015/06/22(月) 20:30:03 ID:fP2nC2Nc0
いつも教えていただきありがとうございます。

>観察するだけならば症状は改善しないのじゃ。
>しかし集中していると気が集まって血行が良くなり、改善する事もあるのじゃ。
>観察よりも集中がいるのじゃ。

>集中は文字通り患部に意識を集中するのじゃ。

言葉の定義上で、私に混乱があります。
観察・・・患部の感覚に意識を向ける
集中・・・患部に意識を集中する
このふたつの違いがよくわかりません。ご教授お願いいたします。

617鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/22(月) 20:36:37 ID:79rLlUrQ0
>>616 集中している時は感覚は無視してよいのじゃ。
 実際に強い集中のサマーディでは肉体の感覚が無くなり、針を刺しても平気に成るのじゃ。
 ただひたすらに患部に集中するだけなのじゃ。
 気が集中して患部は熱くなるじゃろう。
 試してみるのじゃ。

618避難民のマジレスさん:2015/06/23(火) 12:56:52 ID:9jY3uYWM0
>>615 
自我の観念によって起こる事も観てみました。
自我の観念により、かなりの自由が制限されていることが分かりました。
1人で過ごす分には、もはや自我を持つ事には何のメリットもないようです。
ただ、やはり観察して得られた結果に推論を加えているようにも感じられます。
縁起だと、
気づき(そうか!)→推論(だとすると…)
でしょうか。
推論は思考ですので、推論が起こっているのかどうかも観察して確かめようと思います。
ありがとうございました。

619鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/23(火) 21:13:31 ID:79rLlUrQ0
>>618 そうじゃ、全てを観察するのじゃ。
 推論も観察できれば止まるじゃろう。
 それでこそ推論するものも観られるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

620避難民のマジレスさん:2015/06/24(水) 21:03:32 ID:fP2nC2Nc0
>>617 患部である鼻は感覚なしでは捉えられないようです。
集中力が足りないのだと思います。
もっと集中力をつけてから再チャレンジしたいと思います。
ご指導ありがとうございました。

621鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/24(水) 21:08:21 ID:ZdlnzaYI0
>>620 そうじゃ、何でもやってみるのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。
 またおいでなさい。

622そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/06/25(木) 01:19:09 ID:SUG5z7PM0
>>592
ヨーガのシヴァアーサナを毎日続けてみました。
肉体の疲労は軽減するような感じがします。
それと、私は10年前から慢性的に皮膚に湿疹ができていたのですが、
このヨーガをやり始めてから、それが少しずつ消えていっています。
いろいろな皮膚科に診てもらったのですが、原因は分かりませんでした。
塗り薬を継続して使ってきましたが、完治に至っていなかったものです。
これからも続けてみます。
ありがとうございました。

623鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/25(木) 21:46:09 ID:79rLlUrQ0
>>622 良かったのじゃ。
 安静にしていれば肉体の治癒力も最大限にまで発揮されるものじゃ。
 肉体の細胞は極小の働きで肉体を治療しているから、安静にしなければうまく働けないのじゃ。
 安静になる姿勢こそ万病に効く薬と言えるのじゃ。
 さらに続けると良いのじゃ。

624避難民のマジレスさん:2015/06/26(金) 12:34:50 ID:EO4mNeKg0
鬼和尚、
鬼和尚の言う「一つの意識」と凡夫の持つ観念の関係についてお教えください。
観念は実体ではないので、一つの意識には入らないのでしょうか?

625鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/26(金) 21:33:09 ID:DsxvzEZE0
>>624 観念も意識の現われではあるのじゃ。
 それは本来智慧の基盤として働くべきものなのじゃ。
 言葉とイメージによる記憶が観念を形作っているのじゃ。
 それを自我が無い状態で働かせれば、真実をありのまままに知るための道具となるのじゃ。
 
 しかし自我があれば観念を実体と混同し、それに執着したり、好悪によって真実を歪めて迷いの元となってしまうのじゃ。
 そのように意識の表れであり、真実を知る道具として仕えるのが本来の観念なのじゃ。

626避難民のマジレスさん:2015/06/27(土) 18:17:54 ID:2eLvpbuk0
>>625 ありがとうございます。
実体感の有無は、その対象に自我が投射されているかいないか、特に主体の観念があるかないか
で決まるように思うのですが、それは正しいでしょうか?
例えば、自分のイメージを想起してみても、それはイメージであり、実体感は感じられません。

もしそうだとすると、なぜ、主体という観念が認識から起こされたときに、それを実体とを混同してしまうのでしょうか?
もうそろそろ、自我の牢獄から出たいものです。

627:2015/06/27(土) 20:20:28 ID:jgzvPgN.0
鬼和尚。この世界は夢であり、アーラヤ識の投影でまちがいないですか?

628:2015/06/27(土) 20:55:04 ID:CBNb7nl20
アーラヤ識から送り込まれてくるイメージ(世界観)を変える方法はあるでしょうか。

629鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/27(土) 21:25:59 ID:POreMENg0
>>626 そうじゃ、それらによって自己同一化が行われていれば実体感かもあるじゃろう。
 
 その観念との自己同一化は習慣によって起こるものじや。
 今思い浮かべたイメージには実体感が無くとも、何度も思い浮かべていればそう感じるじゃろう。
 それも慣れるにしたがって自己同一化が起こるからなのじゃ。

 そしてそれが習慣によるものであるから観察によって瞬時に滅する事も可能なのじゃ。
 生来のものであれば観察やその他の手段によっても滅する事は出来ないがのう。

>>627 そうじゃ。
 そのような理解で良いのじゃ。
 各自の記憶によって作られた幻影なのじゃ。

>>628 それも記憶や知識が改まれば変わるじゃろう。
 昔の人は世界がお盆のようであり、ふちから海水がこぼれていると思っていたのじゃ。
 今は宇宙があるとしているが、それも実は知識でしかないのじゃ。
 今までの宇宙論が実は間違いであったとかでも変わるじゃろう。

630避難民のマジレスさん:2015/06/28(日) 20:16:14 ID:I70fPQRo0
>>629
主体の感覚がどのように起こってくるのかをもっと詳しく観察できるように、普段からさらに縁起の観察に励むようにします。
ありがとうございました。

631鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/28(日) 20:41:55 ID:POreMENg0
>>630 そうじゃ、自我の抵抗もあるから見難いが勇気を持って進むのじゃ。
 進み続ければ悟りは訪れるじゃろう。
 またおいでなさい。

632避難民のマジレスさん:2015/06/29(月) 20:40:49 ID:y4sOcl9c0
自分は最近、文章を書くことに興味があるんですが、
書くことにおける悟りの境地とはどのようなものなのでしょうか?

633鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/29(月) 21:22:47 ID:POreMENg0
>>632 それも他の道と同じく何度も書くうちに忘我になるじゃろう。
 忘我では思いもよらぬ書もかけるじゃろう。
 そして忘我から無我になり、融通無碍に書けるようになるじやろう。
 更に書くことも忘れ、文字もなくなるじゃろう。
 一切を忘れて滅し尽くして悟りは完成されるじゃろう。
 その時にはもはや書くことも、書くものも無いのじゃ。
 使い終えた法として捨て去られるのじゃ。

634避難民のマジレスさん:2015/06/30(火) 17:54:44 ID:Rd7bBL2U0
>>633
結局どの道を選んだとしても行き着く先は同じだということですね。
返信ありがとうございました。

635鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/06/30(火) 21:17:25 ID:MSCg2gco0
>>634 そうじゃ、極め尽くせば同じなのじゃ。
 途中でやめれば何にも成らないのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

636避難民のマジレスさん:2015/07/01(水) 07:56:00 ID:w3pMYdIY0
お絵かきあてゲームというオンライン対戦型ブラウザゲームがあり、
ランダムに出題されるお題にしたがって順番が回った一人が絵を描き始め他の参加者全員でそれを早い者勝ちで当て得点とするのですが
どのような訓練をしたり、意識の配分をすれば描き始めのうちに絵のお題を推定できますでしょうか

637避難民のマジレスさん:2015/07/01(水) 16:25:29 ID:U/LsaFRw0
前世を覚えている方がもっと善を積んで次はもっといい環境に生まれようと
すると思いますがなぜ殆どの人は前世を記憶してないのですか?
思い出しては何か都合がわるいことでもあるのでしょうか?

産まれた環境に絶望して悪を起こすほうが多いと思います。
産まれた環境が前世の自業自得とわかってれば進んで悪を起こそうと思わないと
思うのです。

来世にいいところに生まれたいと願って善をするのがダメということでしょうか?
来世に悪いところに産まれたくないという強制的な恐怖心から行う善ではあまり意味が
無いということですか?

638鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/01(水) 20:41:32 ID:POreMENg0
>>636 相手の心に集中して自分が書いてるような気でいればわかりやすくなるじゃろう。
 自分が描く気でいれば描き始めからわかるものじゃ。
 心が離れると判らなくなるじゃろう。
 試してみるのじゃ。

>>637 それは恐れがあるからなのじゃ。
 自分が生まれる前に記憶をさかのぼるのは誰でも恐ろしいものじゃ。
 死んだときの事を思い出すからのう。
 特にひどい死に方をしていれば恐れもひどくなるものじゃ。
 自らの心を観察してみるのじゃ。

 それでも良いのじゃ。
 善を積めば善いところに生まれるじゃろう。
 喜ぶものが多ければ善も多いのじゃ。
 気にせず善を積むと良いのじゃ。

639避難民のマジレスさん:2015/07/02(木) 01:00:04 ID:GI6xw29U0
やっぱり根底に寂しさ みたいなものが強くあります

640避難民のマジレスさん:2015/07/02(木) 06:02:51 ID:4hkv64.20
ありがとうございました 次回から試してみたいと思います

641避難民のマジレスさん:2015/07/02(木) 09:02:32 ID:JBWg8Yus0
>>638

>それは恐れがあるからなのじゃ。
>気にせず善を積むと良いのじゃ

私は心身的に虚弱のようで生まれつき家庭環境も悪く性格も決して良くないと思います。
現在も正直無職で経済的にも全くダメで自分が一体何をしたためにこの環境に
産まれついたのかわからないと自暴自棄になりそうです。

私は前世は何を行ったのでしょうか?教えてもらえますか?

642避難民のマジレスさん:2015/07/02(木) 20:58:22 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんは(´・(ェ)・`)/

瞑想中の幻覚や幻聴、あるいは神仏の実在感等は無視すべき事柄であると思いますが、それと、同様に内心の実感であるところの、観照できたことによる無我の実感は区別がてくものなのでしょうか。

643鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/02(木) 21:33:25 ID:MSCg2gco0
>>639 個我の観念があれば常に孤独感や寂しさがあるじゃろう。
 例えばどこかに旅行に行って素晴らしい景色に感動していれば孤独感はない。
 しかしそこに誰もいない自分独りと思えば孤独感や寂しさが起こるじゃろう。
 自分という個我の観念が起こった故に、孤独感や寂しさも起こったのじゃ。
 そのように寂しさが心の中にある個我の観念から起こる事を観察してみるのじゃ。

>>640 そうじゃ、何でも試してみるのじゃ。
 またおいでなさい。

644鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/02(木) 21:49:26 ID:POreMENg0
>>641 それはおぬしが自分の心身を大事にしなかったからなのじゃ。
 同じように周りのものも大事にしなかったからなのじゃ。

 それ故に心身も環境も良くないように生まれたのじゃ。
 そして今自暴自棄になれば同じ事を繰り返し、更に悪い心身と環境のところに生まれるじゃろう。

 少しでは在るが自由意志のある人間は、今の状況を変えることが出来るのじゃ。
 今からでも心身を大事にして、周りのものも大事にするようにすれば変わっていくじゃろう。
 心を改善にするには瞑想をして、心を観察して清めるのじゃ。
 体も西式健康法とかさまざま健康法を研究し、実践することでよくなるじゃろう。

 周りのもの常に感謝の心で接していれば変わって行くじゃろう。
 自他共に利益となる方法を常に探し、実践していけば誰にも喜ばれるのじゃ。
 そのようにしてこの世で改心して踏みとどまり、自他の為に善を積み重ねて代わるのじゃ。

>>642 区別が付くじゃろう。
 もはや迷う己が無いから迷いも無いのじゃ。
 無我でも常に安らぎがあり、智慧も生じるのじゃ。
 それは忘れてしまえば効果が無くなる観念とは違うものとして常に在るから間違えはしないのじゃ。
 例えば人が長い間、旅行に出ていても家に帰れば安らぎよその家と間違わないように、無我になれば本来の安らぎが戻る故に区別が付くものなのじゃ。

645避難民のマジレスさん:2015/07/03(金) 02:21:26 ID:GI6xw29U0
本当に勉強になります
ありがとうございます
酒に溺れてましたが精進します

646避難民のマジレスさん:2015/07/03(金) 10:12:49 ID:2wl2DDJA0
>>644
>それはおぬしが自分の心身を大事にしなかったからなのじゃ。
 同じように周りのものも大事にしなかったからなのじゃ。

 それ故に心身も環境も良くないように生まれたのじゃ。
 そして今自暴自棄になれば同じ事を繰り返し、更に悪い心身と環境のところに生まれるじゃろう。

お言葉有難うございます。
たしかに私は現世に居たくないっていう破滅願望があるように思います。

このような環境にはもう2度と産まれたくないので
自分にも人にも優しくできるよう努力いたします。

647鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/03(金) 20:38:00 ID:MSCg2gco0
>>645 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>646 そうじゃ、今善を行い続ければこの世でも福楽は訪れるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

648避難民のマジレスさん:2015/07/03(金) 20:58:43 ID:LC3de7YgO
>>644
鬼和尚、ありがとうございます(´(ェ)`)/
がんばります。

649避難民のマジレスさん:2015/07/04(土) 09:49:29 ID:fP2nC2Nc0
仕事で同社員に認められたいという執着による苦を消したいです。
止観の法で消せますでしょうか。
また、執着を消すと仕事のやる気がなくなるのでしょうか。

650鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/04(土) 20:14:53 ID:MSCg2gco0
>>648 そうじゃ、精進あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>649 消えるじゃろう。
 その原因を探すと良いのじゃ。
 親に認められたいという執着が残っているのかも知れん。
 そのような原因がわかれば消えるじゃろう。

 その執着だけが仕事の原動力になっていればやる気はなくなるじゃろう。
 お金とか精進の希望とかがあればやる気は無くならないじゃろう。
 自分の心を観察してみるのじゃ。

651避難民のマジレスさん:2015/07/05(日) 16:15:00 ID:w3pMYdIY0
自我を投射すべき正しい存在があるのに、錯誤して別のものに・・・というならともかく
本当は自我を投射すべき対象などなく、全て観察によって遠離してしまうのですよね
ということは投射という行為自体が自我と密接に関係有るのですよね
投射とは何なのでしょうか

652鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/05(日) 20:40:20 ID:POreMENg0
>>651 それは記憶による分別の働きなのじゃ。
 人が何かを見た時、例えば石を見た時は知覚した物体を記憶と照合し、
 記憶の中から石という名前とイメージを知覚したものに結びつけるのじゃ。
 そのように記憶を結びつける働きを投射というのじゃ。

 知覚したものは本当は石ではないかも知れないが、それに石の名前とイメージを投射してしまうのじゃ。
 その働きがあれば知覚の主体に自己の名前とイメージが付き纏い、苦も起こるのじゃ。

653避難民のマジレスさん:2015/07/05(日) 23:06:40 ID:6I0OJoUY0
和尚さま
恩という概念は、道のじゃまになるでしょうか
何かから与えられたから、その恩を返さなければならないという
概念は邪魔になると思うのですが
悟った先にも、恩を感じることはあるのでしょうか

654避難民のマジレスさん:2015/07/06(月) 03:29:33 ID:w3pMYdIY0
仏の智慧を教えてくださってありがとうございました@@

655鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/06(月) 20:23:46 ID:POreMENg0
>>653 囚われなければならないのじゃ。
 どのような概念もそれに囚われて修行をやめてしまえば道の邪魔になるのじゃ。
 囚われなければ何も邪魔にならないのじゃ。
 
 感じようと思えば感じられるのじゃ。
 感じなくしようとすれば感じなく出来るのじゃ。
 もはや概念の奴隷ではないから自在なのじゃ。

>>654 どういたしまして、またおいでなさい。

656避難民のマジレスさん:2015/07/06(月) 21:30:46 ID:fP2nC2Nc0
>>650
苦が消えると聞き大変うれしいです。
止観の法をがんばります。

人から認められたいという欲求は、
きっと後天的なものなのでしょうね。
ありがとうございました。

657653:2015/07/06(月) 22:04:29 ID:6I0OJoUY0
和尚様

返信ありがとうございます。悟りの境地は、
何者にも囚われることなく自在であるのですね。

精進します

658鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/07(火) 20:55:29 ID:POreMENg0
>>656 そうじゃ、全ては消す事が出来る観念なのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>657 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

659避難民のマジレスさん:2015/07/07(火) 22:40:59 ID:fP2nC2Nc0
>>658
いつも教えていただいてありがとうございます。

苦を生じさせて、体の感覚を観察していますが、苦の原因がわかりません。
苦の原因とは、いったいどのように知れるものなのでしょうか?
何を第一の手がかりとすべきですか?

660避難民のマジレスさん:2015/07/08(水) 20:37:32 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、生きることはたった一回のことだと思うのであります。

悟りを目指すこと以外に何か他にあるとしたら、何か・・・ありませんよね

661鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/08(水) 20:58:31 ID:POreMENg0
>>659 苦の原因となるのは大抵、執着が第一なのじゃ。
 何かに執着する事があれば、それが苦の原因となるじゃろう。
 執着があるから観念に囚われ、苦を起こすのじゃ。
 自分の心に何か執着がないか、良く観察してみるのじゃ。
 それが判れば句の原因もわかるじゃろう。

>>660 悟りを目指すのが一番の道なのじゃ。
 しかし、悟りは得ずとも人々に尽くそうとするのも善いことじゃ。
 その道を選ぶのも自由なのじゃ。
 自ら後悔しない道を選んだら良いのじゃ。

662避難民のマジレスさん:2015/07/08(水) 22:44:34 ID:zmlx3PgM0
教えていただきありがとうございました。

1)直接の苦の感覚を観察し続けることで、原因が判る
2)可能性のある執着をひとつひとつ想起することで当たっていき、
直接の苦の感覚が再現されるものが原因と判る
1)と2)どちらが適切でしょうか?
今は1)を行っています。

663避難民のマジレスさん:2015/07/09(木) 18:18:30 ID:w3pMYdIY0
他人の目を必要としない芸術行為はあり得ますか

664鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/09(木) 20:56:52 ID:POreMENg0
>>662 それはおぬしのやり易い方を選ぶのじゃ。
 何度も試してみて自分がやり易く、判りやすいほうを体得するのじゃ。
 全ての者にやりやすいという方法はないからのう。
 実践してみて自分には何が適切な法なのか、選ぶ事も修行なのじゃ。

>>663 在り得るじゃろう。
 芸術家が自分のために作品を作る事も良くある事じゃ。
 死んでからわかったりするがのう。
 自分を満足させるのも芸術なのじゃ。

665避難民のマジレスさん:2015/07/09(木) 23:58:34 ID:Uus.3Yrk0
もし自分が死んだ際に心がけておくべきことは何かあるでしょうか?

666避難民のマジレスさん:2015/07/10(金) 20:32:17 ID:fP2nC2Nc0
>>664
1の実践は、体の反応の観察が、苦の原因究明に至るメカニズムが、
理性で理解できないため不安になったのでした。
(2はなんとなくわかる気がする)
しかし、自分的には1のほうがよいように感じるので、
メカニズムがブラックボックスでも、こちらでトライしたいと思います。

貴重な教えをありがとうございました。

667鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/10(金) 21:19:25 ID:dPYpivQs0
>>665 一切の執着を捨てて、全てに感謝して逝くと良かろう。
 もはや行いは出来ないから心を清めるのじゃ。
 今までの生涯であった全てに感謝して終わりを良くするのじゃ。

 執着があればこの世に縛られるのじゃ。
 潔く次の世に逝くと良いのじゃ。

>>666 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

668避難民のマジレスさん:2015/07/10(金) 21:40:45 ID:wopGbEH.0
鬼和尚
私は慈悲心を著しく失ってしまい(=自我が肥大化)、それによってもの凄く執着心が強くなりました
元の自分くらいの慈悲心を取り戻すにはどうしたらいいでしょうか?
取り戻すのはもの凄く大変な気がしてならないのです、多少の慈悲の行いをしてもすぐ
今の慈悲の無い心に戻ってしまうからです
慈悲心を取り戻さないと悟りを求めるどころではないですしどうしたらいいでしょうか?
毎日生き地獄です

669避難民のマジレスさん:2015/07/11(土) 17:41:37 ID:3V/YOenE0
>>667
臨終の際でもできることはあるのですね。
執着せずきっぱりあっさりさよならする、そのように心がけます。
ありがとうございます。

670鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/11(土) 21:30:30 ID:dPYpivQs0
>>668 慈悲は心の中にあるものじゃ。
 今もおぬしの心にあるじゃろう。
 習慣によって見ないようにしているだけなのじゃ。
 
 自我がどれほど肥大しても人はたった一人ならば生きる意味も無いものじゃ。
 ただ独りでいて周りに衆生がいないならば、自我が大きくとも小さくとも何の意味があるじやろうか。
 常に周りの者との関係で、自我も肥大したり執着も強くなるじゃろう。
 それを自分の心の中に観察するのじゃ。
 自我が肥大したのも、執着が増したのも周りの者達との関係によって起こった事じゃろう。
 それを観察して気づいたならば、泥の中にも宝石が埋もれているのを見出すように、慈悲は初めから心の中にあったと気づくじゃろう。

>>669 どういたしまして、またおいでなさい。

671避難民のマジレスさん:2015/07/12(日) 14:54:23 ID:V7QCtwwo0
>>670
ありがとうございます
気づくことによって苦が少なくなれば幸いです

672鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/12(日) 20:22:14 ID:ebGS7o0w0
>>671 そうじゃ、気づく事によって人は重荷を下ろし、苦を滅して楽になるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

673避難民のマジレスさん:2015/07/12(日) 23:40:00 ID:2Pcbq20M0
鬼和尚の仏教勉強会という本を出版されてたんですね
びっくりしました

674避難民のマジレスさん:2015/07/13(月) 11:13:37 ID:Hagm7lPQ0
えっ、本当?
出版社は?値段は?

675避難民のマジレスさん:2015/07/13(月) 12:52:02 ID:zz3du5Nk0
鬼和尚、
大縁方便経を読んでいて、その実践方法が分かったように思いますが、以下で正しいでしょうか?
つまり苦滅の法と同様に、例えば老死と出てきたら自分の中の老死という観念を呼び出して、その原因は何かとか、その原因が無ければ老死という観念が無くなるとかを縁起の例を参考にして観察するということです。

難しいのは「老死」を一般的な概念ではなく自分自身のこととして思い浮かべて観察することでした。
しつこくやっていると、具合が悪くなったり世界が揺らぐような感覚が生じるのですが、それだけ効果は大きいと考え、続けてみようと思います。

また、これらの縁起の観察に関して質問があります。
大縁方便経では、
言葉とイメージ→阿頼耶識(識)→言葉とイメージ→感覚(触)→感受(受)→愛着(愛)→執着(取)→ものごとが有るという観念(有)→生あるものという観念(生)→老死などの苦(老死)
という縁起が説かれています。
この中では記憶に依存した観念として、言葉とイメージ、有、生、老死があり、
それ以外の今・ここで観察できる実在の心身の働きとして、識、触、受、愛、取があると思いますが、そのような理解でよろしいでしょうか?
とすると、「言葉とイメージ→感覚」など(観念→実在)の縁起の観察はどのようにすれば良いのでしょうか?
思い浮かべて生じる感覚は、感覚というイメージであり、実在ではないようです。

676避難民のマジレスさん:2015/07/13(月) 20:21:59 ID:sMw.o/uo0
鬼和尚、
身体の厭離についてですが
脳の厭離はどうすればいいのでしょう

677避難民のマジレスさん:2015/07/13(月) 20:29:05 ID:sX9nOJOw0
鬼和尚

希望とは何でしょうか。

自分は希望がないと抑うつ的になってしまう気がするのですが、
何を希望にして生きていけばよいですか。

678鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/13(月) 20:55:51 ID:dPYpivQs0
>>673>>674 そうじゃ、誰かがネットで出したとかいっていたのじゃ。
 わしのブログは著作権フリーであるから誰でも出せるのじゃ。
 おぬしも出して良いのじゃ。

>>675 そのように自分で想起してしまうと、観念を観ているだけになるのじゃ。
 観念が自然に連続して起こる心の働きを観察するのじゃ。

 それは自ら想起しなくとも、常に起こっている働きなのじゃ。
 何かを見たり聞いたりして認識した時、そこにすでに自我は投射されているのじゃ。
 認識そのものが自我にとってどのような関連があるか、分別しているからなのじゃ。
 
 それをありのままに観察するのじゃ。
 自らの意思による想起ではなく、起こっては消えていく連続した心の働きをただひたすら観察するのじゃ。
 自我もその中に起こっては消える観念として観察されるじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

679避難民のマジレスさん:2015/07/14(火) 06:27:56 ID:w3pMYdIY0
普段使っているドライヤーの温風のような風に家の内外が常に包まれているのですがどのようにして死を回避したらよいでしょうか
絹を自作する実験キットでカイコに同じことをしたので因果応報ですか?

680避難民のマジレスさん:2015/07/14(火) 18:52:36 ID:B61mFmrc0
鬼和尚。たまには鬼和尚のホームページの質問コーナーにもに書き込みお願い致します

681避難民のマジレスさん:2015/07/14(火) 19:10:48 ID:HH3XytK.0
>>678
行を間違ってすすめるところを、ご指摘くださりありがとうございます。
自我の観照のためには余計なことをせず、自然に心に起こる縁起をただひたすら観察しつづけるのが良いのですね。

以前、経を読む場合には、同時に観察をすることを意識せず、他人事と思わずに自分に引き比べて読むと述べられていましたが、大縁方便経なども同様で良いでしょうか?
また、お釈迦さまは何度も12縁起などで観察の例を挙げていたようですが、弟子たちはその言葉を一心に聞いているときに自然に観察が起こったのでしょうか?

682鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/14(火) 20:44:41 ID:ebGS7o0w0
いろいろ見落としていたようじゃ。すまんのう。

>>676 脳もまた観察の対象となり、その働きを感じることも出来るのじゃ。
 何かをものすごく考えると、脳の前辺りが熱くなったりするのじゃ。
 感情にも脳の一部が熱くなったり反応するのがわかるのじゃ。
 そのように脳もまた観察の対象となるものじゃ。
観察すれば厭離もできるじゃろう。

 最近の脳が全てという唯脳主義に囚われていると、脳が主体だから観察できないと思うのじゃ。
 脳もまた主体ではなく観察の対象なのじゃ。

>>677 修行して悟りを得る事を希望とするが良いのじゃ。
 不死の境地に至り、智慧が生じ、もはや一切の苦が永遠に無くなるのじゃ。
 全人類の大いなる希望なのじゃ。

>>679 水をどんどん飲んでデパートとかコンビニとか図書館とかに行くと良かろう。
 
 違うのじゃ。
 懺悔をして二度としないと誓えば許されるのじゃ。

>>680 近く行くじゃろう。
 楽しみに待つのじゃ。

683鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/14(火) 20:54:00 ID:dPYpivQs0
>>681 良かったのじゃ。
 ありのままに観察すればそれが真の変容を引き起こすじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

 そうじゃ、それこそが経を読む効果を生むのじゃ。
 お釈迦様の弟子達もそのように聞く事で観察が起こり、厭離が起きたのじゃ。
 経の最後にはそれを聞いた弟子達が優れた境地を得たと書いてあるものもあるのじゃ。
 わしも経を読んで変容が起こったのはそのような因があったからなのじゃ。

684避難民のマジレスさん:2015/07/14(火) 22:49:46 ID:sX9nOJOw0
鬼和尚、有難うございます。

悟りを得たならば、人生の意味や存在の意味など哲学的な根源的な問いの答えは得られますか。
それとも、こういった問いを考えなくなるだけですか。
逆に言うと己の死を受け入れられないから、こういった疑問が沸き上がってくるのでしょうか。

685避難民のマジレスさん:2015/07/15(水) 19:09:44 ID:F3Uh0Ekk0
>>683
鬼和尚もいつか、スッタニパータの「二種の観察」の現代版を、
ここかブログで説いてください。
経も読みつつ、止観に精進します。
ありがとうございました。

686676:2015/07/15(水) 19:49:56 ID:A9HqdV1A0
>>682
鬼和尚、ありがとうございます。
がんばって実行してみます。
で、ですね
脳も観察されるものだとすると
それを観察してるものはどこにいるのですか?
体内ですか?体外ですか?
連続の質問ですみません。
どうかお教えください。

687鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/15(水) 21:40:25 ID:dPYpivQs0
>>684 悟りを得たならば智慧が生じ、幾らでも答が出るものじゃ。
 人生も存在も悟りを得るためにあったと意味をつけることも出来る。
 その問題が不安から起きたと知ることも出来るじゃろう。
 自ら正しいと思う答が正しいともわかるじゃろう。
 観念には観念の答を幾らでもつけられるともわかるじゃろう。
 
>>685 いつかかくじやろう。
 精進あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>686 観察があれば観察するものが居るというのが観念なのじゃ。
 恐れを乗り越えて観察が観察するものなく起こっていると知るが良いのじゃ。
 うちでもなく外でもなく、どらでもないのでもないのじゃ。
 内外共に観念でしかないのじゃ。
 それを気づくために修行あるのみなのじゃ。

688686:2015/07/15(水) 23:40:08 ID:1xOGKUXM0
>>687
鬼和尚、ありがとうございます。
その境地に辿り着くのは
来世になってしまう気がしなくもないのですが
行けるところまで行ってみます。
ありがとうございました。

689鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/16(木) 20:23:19 ID:hkx4Bhrw0
>>688 そうじゃ、精進あるのみなのじや。
 またおいでなさい。

690避難民のマジレスさん:2015/07/17(金) 21:00:30 ID:LC3de7YgO
鬼和尚こんばんは(´・(ェ)・`)/
ここ数ヶ月、座れていません。せっかく毎日2時間〜 数回に分けて座る習慣ができていたのに、決して時間がないわけでもなく、ただ心に感じるストレスが瞑想から遠ざけています。

ただ、そのことにより、瞑想実践以前の状態に逆戻りする訳でもなく、瞑想から自分を遠ざけてる原因であろうストレスも、何となく瞑想を通して体得した小手先のわざ(?)で解消できてしまいます。

どうかこんな龍明にカツを入れて下さい。

691そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/07/17(金) 23:57:43 ID:wHLj.9TM0
鬼和尚
自分の雑念としての思考の端々に、他人の言葉で印象に残った言葉というかフレーズが現れていて、
それを利用して思考していると気付きました。
他人とは、上司だったり先生だったり、テレビから聞こえてきた声もあるかもしれません。
幾つかの同じフレーズを何年にもわたり繰り返し用いていました。
言葉と共に、その人の声も記憶から蘇り、その声が思考にオーバーラップしています。
自分の思考のようでいて、実は他人の思考でもあります。

692避難民のマジレスさん:2015/07/18(土) 17:01:28 ID:StfavwL20
鬼和尚

なぜ人を殺してはいけないのでしょうか。
この問いに関して、生命の尊厳について説いてください。

693そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/07/18(土) 19:44:47 ID:wHLj.9TM0
鬼和尚
修行する前よりは感情的になることは減って、
さまざまなことをスルーすることができるようになりましたが、
それでも声を荒げてしまうこともあります。
しかし、自分が声を荒げてしまったことさえもスルーしてしまいます。
こんなのでも修行は進んでいるのでしょうか。

694鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/18(土) 21:36:51 ID:NXT3XNx20
>>690 そのような時は老病死などの苦が何時でも来るかもしれないと思うのじゃ。
 特に老死の苦は悟りを得るまでは続くものじゃ。
 死は容赦なく全てを奪うが、修行は全てを与えるものじゃ。
 死は超えるのに困難であるが、修行はやり易いものじゃ。
 そのように老死の苦が迫ってきた時に後悔しないように、修行するが良いのじゃ。
 
>>691 そうじゃ、観念は伝わるものじゃ。
 しかしそれが如実のものでもないのじゃ。
 他人の観念と自分の観念はどこか違うものじゃろう。
 それも観察してみるのじゃ。

>>692 お釈迦様は自分の身に引き比べて殺したり、殺さしめたりしてはいかんというのじゃ。
 全ての衆生は暴力や殺されたりすることを嫌うからのう。
 自分が嫌い恐れる事は他人にもしてはいかんのじゃ。
 
>>693 進んでいるじゃろう。
 それがいかんと判っていればやがてむ行いも直っていくものじゃ。
 その他の手段を日頃から幾つも考えていれば、その時にもやらないですむのじゃ。
 よく考えてみると良いのじゃ。

695避難民のマジレスさん:2015/07/19(日) 00:12:43 ID:w3pMYdIY0
脳は使えば衰えないというのはどこまで本当ですか?
情報処理が脳にとって生物的な時間経過現象であれば使いすぎによって老化が早まる気がします

696避難民のマジレスさん:2015/07/19(日) 00:31:07 ID:w3pMYdIY0
ポテチで一番美味いのはどれですか?

697避難民のマジレスさん:2015/07/19(日) 17:01:58 ID:LC3de7YgO
>>694
鬼和尚、ありがとうございます(´・(ェ)・`)/
ここまで、不安や劣等感や自らの様々な感情に苦しむことから逃れたくて、瞑想をやって参りました。

座ることをしばらく休むと、瞑想に取り組む以前の状態に戻ってしまいそうな時もありますが、それに気づき、心の有り様を整えようと意識すると、おさまります。

なんか、小手先のわざだけ覚えてそのことで満足してしまい、怠け者の本性があらわれているようであります。

なんとか、がんばります。

698避難民のマジレスさん:2015/07/19(日) 20:02:00 ID:V7QCtwwo0
鬼和尚
懺悔して罪が消えるというのは罪障のことで報いは自我がある限り逃れられないでしょうか?
また地獄行きの業を造っても懺悔すれば地獄を逃れることは可能でしょうか?

699鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/19(日) 21:18:02 ID:NXT3XNx20
>>695 そうじゃ、使っていれば衰えないのじゃ。
 使いすぎれば衰えるのじゃ。
 筋肉などと同じなのじゃ。
 生体は大体そのようなものじゃ。
 脳も肉体の一部であるから同じ性質を持っているのじゃ。

>>696 ノンフライじゃな。
 油を使っていないから体に良いのじゃ。
 
>>697 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>698 報いはあるじゃろう。
 しかし懺悔告白し自戒すれば報いを小さくする事も出来るのじゃ。
 アングリマーラは999人殺したが、懺悔告白する事で地獄行きの罪を免れたのじゃ。
 現世で人々に罵られ、石を投げられたりはしたが、それが地獄行きの代わりの報いとなったのじゃ。
 
 そのように懺悔告白し、二度しないと誓えば地獄行きの報いも小さくなるのじゃ。

700避難民のマジレスさん:2015/07/19(日) 22:06:01 ID:V7QCtwwo0
>>699
そうなのですか、報いが小さくなるとは知りませんでした
私は今のままでは地獄に行くことが確実ですので、死ぬまでに何とか地獄の解決が出来るようがんばりたいです

701避難民のマジレスさん:2015/07/20(月) 03:17:37 ID:w3pMYdIY0
ノンフライ、買ってみます ありがとうございました

702避難民のマジレスさん:2015/07/20(月) 20:00:31 ID:w3pMYdIY0
最近、民族的意識とか集合的無意識というものにハマっているのですが、妄想でありましょうか

703鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/20(月) 21:13:35 ID:NXT3XNx20
>>700 そうじゃ、以前には悪を行っても善によって償うならばよいのじゃ。
 善事を心がけていれば報いも軽くなるじゃろう。
 善事に励んで良いところに行くと良いのじゃ。
 現世でも福楽が付き従うじゃろう。

>>701 どういたしまして、またおいでなさい。

>>702 あると思う者にはあるのじゃ。
 無いと思う者には無いのじゃ。
 惑わされないようにするのじゃ。

704避難民のマジレスさん:2015/07/20(月) 21:28:34 ID:V7QCtwwo0
>>703
ありがとうございます

705避難民のマジレスさん:2015/07/21(火) 05:41:28 ID:w3pMYdIY0
和尚様 ではAmazonのウィッシュリストを晒しますので和尚様の法力でそこからノンフライヤーを出してください

706避難民のマジレスさん:2015/07/21(火) 14:41:05 ID:4WlRTdpI0
鬼和尚は現代日本の覚者と言われているダイジやEOについてどう思われますか?
死人禅とか面白そうなので興味を持っているのですが手を出さないほうが無難でしょうか?

707鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/21(火) 21:32:59 ID:NXT3XNx20
>>704 どういたしまして、またおいでなさい。

>>705 ノンフライヤーで検索じゃ。

>>706 悟っていないのじゃ。
 金儲けに夢中のようじゃ。
 自分を騙しているのじゃ。
 何をしているのか自分でもわかっていないのじゃ。
 死ぬ時にわかるじゃろう。

 盲人が盲人に導かれると二人ともどぶに落ちるということわざもあるのじゃ。
 瞑想によって起こる自分の智慧を導きの手とするのじゃ。
 そうすれば少なくとも自分は目を開く事が出来るのじゃ。
 そして金儲けに夢中なものがどぶにはまっているのがわかるじゃろう。

708避難民のマジレスさん:2015/07/22(水) 04:35:15 ID:w3pMYdIY0
和尚様 疑問なのですが、圧倒的な市場占有率を背景に市民のプライバシーと財産を危険に晒し続ける欠陥OSを売り続けるマイクロソフトにも因果の報いは訪れるのでしょうか
私も先日ここのOSを購入しましたが、プレイしようとしているほとんどのゲームがWindowsOSでしか動かないためであり、消費者の目で他社製品と比較して優れていると考えたわけではありません
どうせ致命的なバグにより誰もが私のPCを操作できるようになると思っていました

709避難民のマジレスさん:2015/07/22(水) 04:37:52 ID:w3pMYdIY0
ちなみに消費者としてOS買い替えを検討していたその時の私にとってMSの存在は苦そのものでした

710避難民のマジレスさん:2015/07/22(水) 12:03:37 ID:7rD9T5220
鬼和尚、
スッタニパータの第四 八つの詩句の章の四、清浄についての八つの詩句について、お教えください。

788 「最上で無病の、清らかな人をわたくしは見る。人が全く清らかになるのは見解による」と、このように考えることを最上であると知って、清らかなことを観ずる人は、(見解を、最上の境地に達し得る)智慧であると理解する。

789 もしも人が見解によって清らかになり得るのであるならば、あるいはまた人が智識によって苦しみを捨て得るのであるならば、それでは煩悩にとらわれている人が(正しい道以外の)他の方法によっても清められることになるであろう。このように語る人を「偏見ある人」と呼ぶ。

790 (真の)バラモンは、(正しい道の)ほかには、見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想のうちのどれによっても清らかになるとは説かない。かれは禍福に汚されることなく、自我を捨て、この世において(禍福の因を)つくることがない。

ここで、いくつか「見解」が出てきますが、788の「見解」と790の「見解」は矛盾するように思います。788と789の「見解」は「観察」ではないでしょうか?
あと、これら3つの詩句の解説もお願いします。

711鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/22(水) 21:29:15 ID:hkx4Bhrw0
>>710 それは正しいのじゃ。
 つまり見解によって悟りを得る事は無いということなのじゃ。

 788 で「人が全く清らかに成るのは見解による」と考える者は結局間違っているのであるというのじゃ。
789ではそれが間違いであり、偏見ある人でしかないと解説しているのじゃ。
 790で見解や知識や思想等では悟りは得られないと明言しているのじゃ。

 全てその通りなのじゃ。
 見解や知識思想信条主義主張などでは悟れないのじゃ。
 観察によって自我に気づき、厭離する以外に悟りに至る方法は無いのじゃ。
 サマーディによっても結局は自我を観察する事になるのであるからのう。

712避難民のマジレスさん:2015/07/23(木) 12:09:50 ID:qYQvs9ck0
>>711 
789は788を指していたのですね。
先入見があり、正しく読めていませんでした。
ご指摘ありがとうございました。

続けてで恐縮なのですが、同じくスッタニパータ第三 大いなる章の12 二種の観察 での言葉の意味をいくつか解説してください。

(まとめの句)
真理(諦)と、生存の素因と、無明と、諸々の形成力と、第五に識別作用と、接触と、感受されるものと、妄執と、執著と、起動と、諸々の食と、動揺における震動と、物質的領域と、真理と苦とで、十六である。

この中で、生存の素因、諸々の形成力、妄執、起動、諸々の食、動揺における震動、物質的領域がそれぞれ何を指すのかお教えください。観察のヒントにしたいと思っています。
あと、心の解脱と智慧の解脱が出てきますが、これらについてもお教えください。

713鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/23(木) 20:59:57 ID:NXT3XNx20
>>712 生存の素因は執着なのじゃ。
 諸々の形成力とは行とも言われる分別なのじゃ。

 妄執とは妄想に対する執着なのじゃ。
 普通の執着のように金銭とか女子とかの確固とした対象が無く、自らの妄想によって思考が混乱し、その妄想を捨てられない状態なのじゃ。

 起動とは心の働きが縁によって起こる性質がある事を示すのじゃ。
 連想記憶と同じものなのじゃ。
 一つの対象による刺激があれば、他の記憶が次々に起こる心の働きそのものなのじゃ。

 諸々の食とは普通に食べる食料の他に、目鼻耳舌皮膚等による刺激の教授でもあるのじゃ。
 それらの感覚刺激は肉体の食事と同じく、感覚による自我の生存を起こすものであるからそういうのじゃ。

 動揺における振動とは刺激を受けて起こる全ての心の働きなのじゃ。
 物質敵領域とは肉体を持つ存在が生存するこの娑婆世界なのじゃ。

 心の解脱とはサマーディなどの強い心の集中によって起こる悟りなのじゃ。
 智慧の解脱とは集中力は少なくとも、師匠に教わった観察などの智慧による悟りなのじゃ。

714避難民のマジレスさん:2015/07/24(金) 01:23:43 ID:iRWtHi2Y0
鬼和尚なんでこんなに難しそうな質問に答えられるの?
何者ですか?

715避難民のマジレスさん:2015/07/24(金) 01:29:11 ID:w3pMYdIY0
和尚様は以前、ゴキブリを何故怖がるか分からないとおっしゃっていましたが、それは悟られる前からそうだったのですか?
先ほど机上のブックスタンドの数冊の本の上をページ数にして15枚程度の大きさのゴキブリに似た黒い虫がゆっくり縦走しておりまして
裁断部分が滑らかな本の上に来たところをコースターの裏で恐る恐る叩き殺したのですが、その虫は足が少々長く、本体が地面から浮いており
形は全体的に丸く、中央の羽の隙間部分が尖っており、色はかなり黒いのでゴキブリだとすると割合珍しい種類だと思います
死体を目の前にしてもなお、普通の甲虫だと思うと怖くなく、ゴキブリだと思うと恐怖が湧きます
ただの思考のプログラミングでこんなことが起きているとしたら不都合であります

716避難民のマジレスさん:2015/07/24(金) 12:55:10 ID:BwDSqr2o0
>>713
分かり易い解説をしてくださり、ありがとうございます。
追加で一つ質問があります。生存の素因は執着とのことですが、二種の観察ではお釈迦様は別に執着を説いています。これは苦の原因の例が執着であることを言葉を変えて繰り返し示したいうことなのでしょうか?

717鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/24(金) 21:17:35 ID:arkQZP/20
>>714 ただ悟っただけなのじゃ。
 おぬしも悟れば同じように判るじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

>>715 子供の頃は平気だったのじゃ。
 皆が怖がると怖いのかと思ったのじゃ。
 目覚めた後は何も怖くないのじゃ。
 それも観念によって起こるものじゃ。
 この機会に観察してみると良いのじゃ。

>>716 それはお釈迦様が示したいろいろな観察の例であるから、同じ執着でもそのものとか、
 生存の素因としての執着とか様々に説いているのじゃ。
 執着の種類としてもう一つ妄想に囚われる妄執があるようにのう。
 同じ心の働きでも人により、時期により、違って見える事もあるからのう。
 全てをそのままに観察するのではなく、幾つか自分の心に合うものを実践すると良いのじゃ。

718避難民のマジレスさん:2015/07/25(土) 01:50:36 ID:Fr/mrHgM0
歩いているときにふと気付くと特に意識せずとも足が勝手に動いている感覚になることがあるんですが、僕は無我を垣間見たんでしょうか

719避難民のマジレスさん:2015/07/25(土) 08:40:11 ID:tHj0j65Y0
>>713
とてもわかりやすく勉強になります。

720鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/25(土) 20:41:16 ID:arkQZP/20
>>718 そうじゃろう。
 本来、肉体は自我無く動いているものじや。
 動いた後に自我を投射して自分が歩いたとか思っているのじゃ。
 
 足が自分無しで動いていると感じたならば無我も垣間見えたといえるじゃろう。

>>719 良かったのじゃ。
 またおいでなさい。

721避難民のマジレスさん:2015/07/25(土) 22:41:04 ID:Fr/mrHgM0
>>720
では自分とされているこの体のすることや思うことはどこまで制御といかコントロールできるんでしょうか
つまりはその責任はどこにどの程度あるのかという風にも言えるかもしれませんけども

722避難民のマジレスさん:2015/07/26(日) 00:53:07 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんは。
日常会話調のシナリオを、台詞の微妙な「間」に対する相手の反応から、その心理を読み取りつつ繰り返すような作業を長時間続けるようなことを修行の役にたてることは可能でしょうか。
あたかも、単純な工作作業を繰り返すように、単純なコミュニケーションを繰り返すようなことです。
(´・(ェ)・`)ゞ

723避難民のマジレスさん:2015/07/26(日) 16:10:50 ID:T98tCOnQ0
>>717
無理に合わせようとせずに、自分の心に合うものを実践すればいいのですね。
新しく得た知識にも囚われないようにして、実践を続けます。
ありがとうございました。

724避難民のマジレスさん:2015/07/26(日) 20:53:22 ID:V7QCtwwo0
鬼和尚、2つの質問よろしくお願いします
・私は尋常ではないほど自我肥大(慈悲の失解)していますが禅定を得て地獄に堕ちない境地を得ることは可能でしょうか?
・また私はまだ精神がマトモだったころは漠然とした寂しさ・虚しさがありましたが
今は寂しさが全く分からなくなりました。世間の欲の幸福への虚しさがなければ悟りへの出発点に立つ
ことは難しいように思うのですが、どうなのでしょうか?

725鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/26(日) 21:01:51 ID:arkQZP/20
>>721 大体二分ぐらいならば自由意志があるといえるじゃろう。
 残りは過去の記憶による囚われとか、恐れや不安などによってほぼ自動的に言動が決まってしまうものじゃ。
 囚われも恐れも無ければ悟りを得る事も容易になるじゃろう。

 しかし社会的な責任は100%負う事になるじゃろう。
 それも仕方の無い事じゃ。

>>722 集中してやれば役に立つじゃろう。
 集中力を養う事が出来るからのう。
 それも道になるじゃろう。

>>723 そうじゃ、法を自分に合わせるのじゃ。
 精進あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

726避難民のマジレスさん:2015/07/26(日) 23:06:06 ID:LC3de7YgO
>>725
鬼和尚、ありがとうございます。

仕事を修行として取組ます。

(`(ェ)´)/

727避難民のマジレスさん:2015/07/26(日) 23:09:57 ID:fP2nC2Nc0
つい早飯になってしまいます。
もっと味わって丁寧に食べたほうがよいですか?
初心のものですが、修行的観点からの、おすすめの食事作法を教えて下さい。

728避難民のマジレスさん:2015/07/26(日) 23:36:02 ID:Fr/mrHgM0
>>725
その2分というのは24時間のうち2分という意味ですか?
あるいは水の中で息を止めていられるのが2分というような1回ごとの話ですか?

それと囚われや恐れがなくなれば悟りが容易になるということは囚われや恐れがあっても悟りは可能ということですよね?
悟りへの道筋を教えてください

729避難民のマジレスさん:2015/07/27(月) 18:16:47 ID:w3pMYdIY0
和尚様 今日マックのとんかつバーガーを食べてしまいましたら、吐き気を催し、久しぶりに、死んでしまうと思いました
苦しむということは私はここにあるのではないでしょうか 苦は私に何の恨みがあるのでしょうか

730避難民のマジレスさん:2015/07/27(月) 18:38:34 ID:V7QCtwwo0
鬼和尚、724の質問の回答よろしくお願いします

731鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/27(月) 21:03:35 ID:arkQZP/20
>>726 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>727 おぬしの好きなように食べたら良いのじゃ。
 それがおぬしの作法なのじゃ。
 食べる自分を観察していれば良いのじゃ。

>>728 一割二分とかの二分なのじゃ。
 2パーセントじゃな。

 それがあっても悟りは得られるじゃろう。
 乗り越えれば良いのじゃ。
 身体、感覚、心の働き、縁起などの観察を行えば良いのじゃ。
 自我は消え、その無我を観るものさえきえれば悟りなのじゃ。

732避難民のマジレスさん:2015/07/27(月) 21:04:55 ID:8Xi9hwHo0
>>729 我なんて概念的な存在だけど人間に苦を感じる機能が備わっている以上は避けられないんじゃない?鬼和尚ならそう言うと思うけど、もしそう言わないならただのクソコテだわな

733鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/27(月) 21:09:13 ID:arkQZP/20
>>729 苦があるからおぬしがあるということは、苦が無くなればおぬしは消えるのじゃろうか。
 自分と認識するために何かの刺激が必要であるという事が既に妄想なのじゃ。
 よく観察すればわかるじゃろう。

>>730 すまんのう見落としていたのじゃ。
 >>724 悪事をせず善事を行えば良いところにいくじゃろう。

 苦があれば苦から逃れたいという事が悟りへの出発点なのじゃ。 
 以前の状態に囚われなくて良いのじゃ。
 それこそが以前の自己イメージへの囚われなのじゃ。
 何ものにも囚われずに進むのじゃ。

734避難民のマジレスさん:2015/07/27(月) 21:09:31 ID:Fr/mrHgM0
>>731
常に2パーセントあるんですか?

735避難民のマジレスさん:2015/07/28(火) 03:36:06 ID:w3pMYdIY0
苦が忘れられているだけだという事実は正直恐ろしすぎましたTT
精神年齢をぶっち上げすると苦に突っ込んでいくようですが、それでも克服ではありませんか?

736避難民のマジレスさん:2015/07/28(火) 10:47:49 ID:V7QCtwwo0
>>733
ありがとうございます

737鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/28(火) 21:17:48 ID:arkQZP/20
>>734 平均2パーセントじゃな。
 欲望に100パーセント囚われてしまって犯罪に走るものも居るじゃろう。
 逆に自らの意思と考えが100パーセントで動く事が出来るときもあるじゃろう。
 そのほうが少ないじゃろう。
 人により、状況によって違うがそれが平均じゃろう。

>>735 克服ではないのじゃ。
 それでも老病死や他の苦がいくつも起こるじゃろう。
 全ての苦を克服するためには悟りを得るしかないのじゃ。
 修行あるのみなのじゃ。

>>26 どういたしまして、またおいでなさい。

738避難民のマジレスさん:2015/07/29(水) 01:48:53 ID:Fr/mrHgM0
>>737
欲望と意思のどっちかに強く偏るのも才能ですよね
自分は究極の善にも究極の悪にもなれそうもないです
究極の善を行ける人はお釈迦様や良寛のように生きて究極の悪を行ける人は人を殺しても何とも思わないでしょうし、ある意味この善悪の範囲の中で自由意思なく動いていて、でもそれが紛れもなく望もうが望むまいが自分の道であって、そこに平均2パーセントの自由意思の入り込む余地があるというのが人生という認識で間違ってませんでしょうか?
それとその2パーセントの部分はイコール理性というわけではないですよね
自分には人間の本能とは相反するあるひとつの考えを持っていますが、その考えも自分の本能と同様に変え難いものに思えます
とすると鬼和尚の言う2パーセントの意思は理性そのものというわけではなさそうですよね
でもそれが理性から出てくるものということはわかります
2パーセントの自由意思はどのように湧き出てくるどのような思考なんでしょうか
ご教示お願い致します

739鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/29(水) 21:27:38 ID:arkQZP/20
>>738 そのような理解で良いのじゃ。

 自由な意志は観察から起こるものじゃ。
 思考や論理さえも欲や囚われの影響を受けるが、観察した事をありのままに受け入れればその影響も最小限になるのじゃ。
 現代の科学も実験とその結果の観察によって、現実に有効的なものを作ったり出来たのじゃ。
 
 人が思考よりも観察の結果を受け入れ優先する時、真実に従う自由意志が生まれるのじゃ。

740避難民のマジレスさん:2015/07/29(水) 22:39:31 ID:Fr/mrHgM0
>>739
従うのに自由意思なんですか?

741避難民のマジレスさん:2015/07/30(木) 20:40:04 ID:fP2nC2Nc0
>>731
教えていただきありがとうございました。
観察しようとする意思が行為に干渉するためか、
本来の(ものと思われる)行為の観察ができているのかわからなくなります。
手の加わっていない自己を観察することは可能なのですか?

742鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/30(木) 20:44:02 ID:arkQZP/20
>>740 人が真実に従う時、そこに苦は無く楽があるものじゃ。
 例えば人が脳乱して重力の法則に従わなければ、高い所から落ちて苦しむじゃろう。
 そのように自由な意思がない人間は楽になるための真実を知らないか、知っても従うことが出来ないのじゃ。
 実際に既に苦しい環境に居ながら、他人や家族までも苦しめてますます苦しくなる人間は多いものじゃ。

 そのように真実に従うことこそ自由な意志が無ければできないのじゃ。

743避難民のマジレスさん:2015/07/31(金) 09:02:10 ID:Fr/mrHgM0
>>742
知っても従うことができない原因としてどんなことが考えられますか?

744避難民のマジレスさん:2015/07/31(金) 16:21:42 ID:V7QCtwwo0
鬼和尚
過去に恐ろしいパニック障害の恐怖で苦しんだ経験が1ヶ月くらいあるのですが
かなりのトラウマになっていると思います。
このような恐ろしい経験の囚われを無くすいい方法を教えて頂けないでしょうか?
過去の経験を消そうと記憶を観ようとすると余計捕われてしまうかもしれません。

745鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/07/31(金) 21:14:13 ID:arkQZP/20
>>743 自己破滅願望とかいろいろあるじゃろう。
 ギャンブルをしていれば破産するとわかっていながらやめられないのじゃ。
 異性への執着などもストーカーになって逮捕されるとわかっていながらやめられないのじゃ。
 自由意志を無くす原因はそのよう人によってさまざま在るじゃろう。
 観察して気づくのじゃ。

>>744 それも原因があるからなったのじゃ。
 経験は消さなくて良いのじゃ。消えるものでもないのじゃ。
 観察によって反応がなくなれば良いのじゃ。

 その反応を又恐れて見ないようにしているのが今の状態なのじゃ。
 それを観察してみるのじゃ。
 恐れがあれば映画を見ているつもりで、自分の身を離れて観察してみるのじゃ。

 原因を追究し、その原因から反応が起こり、原因が無いときには反応が無い事を観察するのじゃ。
 今はその反応が無いじゃろう。
 原因が思い起こされていないからなのじゃ。
 思い起こせば反応が出るじゃろう。
 少しずつでも観察していけばやがてその反応が消えるのじゃ。

746避難民のマジレスさん:2015/07/31(金) 21:34:37 ID:V7QCtwwo0
>>745
ありがとうございます
思い起こされて余計執着が増さないか不安ですが、やってみようと思います
経験が原因なのでかなり沢山原因があるかもしれません

747避難民のマジレスさん:2015/07/31(金) 22:54:03 ID:Fr/mrHgM0
>>745
ギャンブルをやめられる人とやめられない人の違いはどこにあるんですか?
なぜ自由意思が働かなくなってしまうほどに執着してしまうんでしょうか?
やめられる人はなぜやめられるんでしょうか?
本当にそれは自由意思なんですか?
こうして話を訊いていると本当は自由意思なんてないんじゃないかという気がしてきました

748鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/01(土) 21:13:16 ID:arkQZP/20
>>746 そうじゃ、実践してみるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>747 本当にやめようと思えばやめられるのじゃ。
 本当にやめようと思っていないから執着してしまうのじゃ。
 本当にやめようと思ったからなのじゃ。
 意志は自由なのじゃ。
 2パーセントはあるじゃろう。

749避難民のマジレスさん:2015/08/02(日) 00:43:11 ID:Fr/mrHgM0
>>748
もっと身近な事でいえば朝起きなきゃいけない時間に起きるときに起こす気持ちのことでいいんでしょうか

750避難民のマジレスさん:2015/08/02(日) 10:03:00 ID:w3pMYdIY0
和尚様の執着のない視点で、価値のある脳機能を順位づけて教えて下さい

751避難民のマジレスさん:2015/08/02(日) 14:54:32 ID:fP2nC2Nc0
映画を見るように自分を観察するときのことですが、
映像的には三人称視点になるのでしょうか。
三人称視点で自分を見ることはどうすれば可能ですか?

752避難民のマジレスさん:2015/08/02(日) 17:38:12 ID:tgFmSTDA0
先日鬼和尚さまから教えて頂いた肥田式強健術を行っていたところ、数日で気力が
漲ってきたのですが、副作用として胸のあたりが痛くなりました。腹式の深呼吸を
して胸筋の深部が硬くなったのかなと推察しています。
このダメージを和らげるためのストレッチやレスキュー法ががあれば、ご教授ください。

753鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/02(日) 21:28:20 ID:arkQZP/20
>>749 そのようなものじゃ。
 おきようとしても直ぐ怠けて寝たくなったりするのじゃ。
 やはり2パーセントぐらいなのじゃ。

>>750 ①意志も必要なのじゃ。
 ②観察する機能じゃな。
 ③集中する機能も大事なのじゃ。
 ④思考と感情は同じ位じゃな。
 ⑥記憶は依存がなければ良いものじゃ。
 
>>751 そうじゃ、三人称になるのじゃ。
 映画を見るように、自分の行いや感情を投射するのじゃ。
 何度も行えば可能になるのじゃ。
 補助に自分の録画とか写真などを見てイメージしてみるのも良いのじゃ。
 日々行えばうまくなるじゃろう。
 精進あるのみじゃ。

>>752 マッサージをするとよいのじゃ。
 http://mododemo.blog.so-net.ne.jp/2013-09-21
 このようなマッサージで簡単に治るのじゃ。
 やってみるとよいのじゃ。

754避難民のマジレスさん:2015/08/02(日) 22:59:37 ID:tgFmSTDA0
>>753
早速マッサージを試してみたいと思います。
ご教授ありがとうございました。

755避難民のマジレスさん:2015/08/03(月) 01:18:00 ID:SFAw1WK20
自死はやはり来世にとってはいいことではないのでしょうか?
それとも理由如何によってよくも悪くもなるのでしょうか?
自己犠牲によって救われる他者がいる場合と単に自己欺瞞で自死する場合はやはり
違いますか?人間ではまず無いでしょうが何かの食料になるためとか。

安楽死すること、又は意思に基づいて安楽死させることはどうでしょう?

756避難民のマジレスさん:2015/08/03(月) 17:27:50 ID:zEBi07yM0
阿羅漢にも色々な段階があると聞いたのですが具体的にどんな段階があるか教えてもらいませんか。
というのも、最近マハルシとクリシュナムルティの本を読んで、同じ大悟者であっても両者の間にかなり差を感じたので。

757避難民のマジレスさん:2015/08/03(月) 19:09:22 ID:Fr/mrHgM0
>>753
なるほど
今までありがとうございました

758鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/03(月) 22:03:09 ID:arkQZP/20
>>754 そうじゃ、実践してみるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>755 そうじゃ、動機によって違うのじゃ。
 他に苦から逃れる手段がないと思うような時は仕方がないじゃろう。
 自己犠牲ならば良いことなのじゃ。
 自己欺瞞ならば悪い事なのじゃ。
 自分が他に手段がなく行うならばそれほど悪くもないじゃろう。
 他人を楽にさせる動機で安楽死させるならば良いことにもなるじゃろう。
 他に手段がない場合だけなのじゃ。

>>756 阿羅漢に至るまでには段階があるが、阿羅漢になれば同じなのじゃ。
 目覚めても教えを説くまでの知識や経験から、語ることも違うのじゃ。
 説く対象の人によっても違うのじゃ。
クリシュナムルティは西洋的な教育を受けて、主に西洋人に向けて説いたから今までのものとはかなり違うのじゃ。

>>757 どういたしまして、またおいでなさい。

759避難民のマジレスさん:2015/08/04(火) 14:51:35 ID:c7QpE3sE0
>>758
他に取りうる手段がもうなく苦しみを終わらせる時は自己犠牲の自死も
安楽死することもさせることも善にもなるのですね。
ありがとうございます。

760鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/04(火) 20:44:32 ID:arkQZP/20
>>759 そうじゃ、動機によって同じ行いでも善悪の違いが起こるのじゃ。
 慈悲によって行う事が善なのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

761避難民のマジレスさん:2015/08/04(火) 23:30:49 ID:fP2nC2Nc0
>>753
教えていただきありがとうございました。

762避難民のマジレスさん:2015/08/05(水) 21:10:20 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんさ(´・(∀)・`)/

鬼和尚に占っていただいたとおり、大きな窓の会社に7月再就職し、現在しかられてばがりいます。

長くいれば良いことあると思うのです、仕事に集中します。

しばらく座禅はやめますが、そのぶんも仕事に集中します。

執着ではない集中を目指します。

763鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/05(水) 21:10:25 ID:arkQZP/20
>>761 どういたしまして、またおいでなさい。

764鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/05(水) 21:12:29 ID:arkQZP/20
>>762 良かったのじゃ。
 新人はしかられるのが仕事のようなものじゃ。
 中には自分のせいではないような事さえあるが忍耐なのじゃ。
 やがてしかられないようになるじゃろう。
 それまでがんばるのじゃ。

765避難民のマジレスさん:2015/08/05(水) 21:40:46 ID:LC3de7YgO
>>764
(´(∀)`)/鬼和尚、ありがとうございます。

厳しさは、集中するためにはありがたいことでありますので、この機会に、仕事を通しどこまで集中力を高められるかチャレンジしたいと考えております。

仕事後のクールダウンのためのサワーを体か欲しなくなったら、瞑想を再開します。

766避難民のマジレスさん:2015/08/06(木) 06:25:31 ID:T8pQSVd2o
鬼和尚は最近いつセックスしましたか?

767避難民のマジレスさん:2015/08/06(木) 06:54:55 ID:OoO6MHAw0
どんな生き方をするのが一番ですか?生きている間に何をして過ごせばいいんでしょうか?ちなみに死後の世界とか魂のようなオカルトは信じていません

768避難民のマジレスさん:2015/08/06(木) 12:37:54 ID:qYQvs9ck0
鬼和尚、
ダンマパダで

296 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に仏を念じている。
297 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に法を念じている。
298 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常にサンガ(修行者のつどい)を念じている。
299 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に身体(の真相)を念じている。

とありますが、この「よく覚醒していて」と「念じている」の意味を解説して下さいますでしょうか?
実践しようとするのですが、具体的にどのような行動なのかがよく分かりません。

769鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/06(木) 20:47:20 ID:arkQZP/20
>>765 そうじゃ、がんばるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>766 もはや覚えてもいないのじゃ。
 30年ぐらい昔かのう。

>>767 一番は悟りを求め、一切を捨てて修行に精進するのじゃ。
 永遠の安楽が得られるじゃろう。

 二番は善事をしながら苦を滅し、人に尽くして生きるのじゃ。
 苦はなくなり、福楽が常にあるじゃろう。

 三番は善事を行うのじゃ。
 苦はあっても福楽は付き従うじゃろう。

>>768 今の言葉で言えばよく集中して、気づいているというような事なのじゃ。
 常に注意しているとか、はっきり自覚して観察しているというようなものでもあるのじゃ。
 日常でも常に観察して注意していれば、自我に気づく事も容易になるのじゃ。

770避難民のマジレスさん:2015/08/06(木) 21:51:15 ID:LC3de7YgO
>>769
鬼和尚、ありがとうございます。
がんばりますo(´(ェ)`)o

771避難民のマジレスさん:2015/08/06(木) 22:47:34 ID:CPT01Hp.0
鬼和尚そんなに歳いってるんですか
やはり悟ってもオナニーはすることはあるのですか?

772避難民のマジレスさん:2015/08/07(金) 13:06:17 ID:zXulYfnQ0
>>769 ありがとうございます。
念は強く心に思うことではなく、気づいているとか自覚して観察しているというようなことなのですね。
要は仏や法やサンガや自分の身体の真相を観察して注意せよということでしょうか。

また、スッタニパータの彼岸に至る道の章で、下記のような文があるのですが、これも常に注意してはっきり自覚して観察するというような意味なのでしょうか? 特に1068句の解説をお願いします。

1066 師は言われた、
「ドータカよ。伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り越えよ。」
1067 「偉大な仙人さま。わたくしはその最上の安らぎを受けて歓喜します。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り越えましょう。」
1068 師は答えた、
「ドータカよ。上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、──それは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない」と。

773鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/07(金) 21:31:39 ID:arkQZP/20
>>770 そうじゃ、精進あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>771 そうじゃ、d@d@eukd@'>

もはや無なのじゃ。

>>772 そうじゃ、サティは気づきであるが、念と翻訳されるのじゃ。
 気をつけるのじゃ。
その通りじゃ。
 常に仏法僧や心身などに常に注意を向け、観察をするのじゃ。
 そうすれば俗世間に染まらず、修行も進むのじゃ。

 それも観察し、自覚すべき事なのじゃ。
 認識の対象は全て執着すれば苦をもたらす故に、気をつけていなければいかんのじゃ。
 そのようなことを説いているのじゃ。

774龍昇:2015/08/07(金) 22:42:27 ID:SAfdkZxI0
>>771 そうじゃ、d@d@eukd@'>

↓(かな入力)

>>771 そうじゃ、じじいなのじゃ。

775避難民のマジレスさん:2015/08/08(土) 09:01:59 ID:fP2nC2Nc0
金剛般若経(中村元訳)の4番で、
求道者はものにとらわれて施しをしてはならない、
とありますが、同書の解題にあるように、利己的な動機で他者に施しをしてはならない、
という意味で正しいのでしょうか?
また、同経における「施し」とはどのような行為を指しているのでしょうか?

776避難民のマジレスさん:2015/08/08(土) 10:39:50 ID:YWqLYYqo0
>>773
確かにお釈迦様は、経のあちこちで観察するようにと述べていますね。
おかげさまで経の理解が深まりました。ありがとうございました。
自我の起こりが観察できるよう、引き続き精進します。

777鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/08(土) 21:42:51 ID:arkQZP/20
>>774 そうじゃ、ごくろうさんじゃ。
 じじいなのじゃ。

>>775 それは金剛経の特殊な方法であり、我とか個我の囚われを離れ、受ける者という囚われを離れ、
 施すものという囚われをも離れて施すことなのじゃ。
 そのように施せば大きな報いがあるというのじゃ。
 さらに読み進めば明らかになるじゃろう。

 全ての施しなのじゃ。
 食物などの物でも、教えを与える事でも全てが布施となるのじゃ。

>>776 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

778避難民のマジレスさん:2015/08/09(日) 08:22:26 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さん地球全体の人が完全に悟り地ーん黙々したら不味いとブラ不満は思うのでしょうか?
まあ色々な夢が観られなく少しの悟ったひと位が満足なんですか?でも蛸足配線の夢は
私はだれ此処はどこと元を忘れているのですかでもある物はある無い者は無いか

779避難民のマジレスさん:2015/08/09(日) 19:41:03 ID:Xu2JjkC.0
人が多い場所に入ると、
少しだけ喉と胸の当たりが絞まって固くなる、
刺激があって、感覚があって、体が反応する。
自動でおこるというか、反発を感じるというか。磁石の同じ極と極を合わせるような感じ。
こういうのが、縁起なのか?

この緊張が無くなれば、人生楽になると思うんだが、
家に帰って座禅を組んでも、自分の部屋だから刺激がなく、緊張も起こらない。

胸、喉の緊張を積極的に思い出してみて、
どのような考えが、その緊張を作ってるかを探るっていう方法は間違ってるか?
似たような質問を何回かしてるが失礼。おねがいします。

780鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/09(日) 21:00:32 ID:dGpDObYM0
>>778 そのような事は思っていないのじゃ。
 多くの者が悟りを得られないのは本当は悟りを得たいと思っていないとか、恐れがあるからなのじゃ。
 それもいずれ必ず死ぬという自分の状況がわかっていないからなのじゃ。
 本当に死を超えた悟りが得たいと思うならば、直ぐにでも悟りを得られるのじゃ。

>>779 そのような反応が縁起なのじゃ。
 それも原因がわかれば滅する事ができるじゃろう。

 考えではなく記憶なのじゃ。
 執着とか恐れとかの記憶が原因となるのじゃ。
 よく観察して原因を探すのじゃ。

781避難民のマジレスさん:2015/08/09(日) 22:32:57 ID:LC3de7YgO
>>780
鬼和尚、こんばんは(´・(ェ)・`)/

>多くの者が悟りを得られないのは本当は悟りを得たいと思っていない・・・からなのじゃ。
 それもいずれ必ず死ぬという自分の状況がわかっていないからなのじゃ。
 
「死」を真剣に意識することは、思いの外難しいです。

だいぶ以前「水垢離」等も、身体に死の危機感を感じさせることにより、眠っている生命力、脳の能力、火事場の馬鹿力みたいなものを発揮させる修行法であるという事を読み(「象気功」)、困り果てた時に試したことがあります。

これも、慣れると爽快感のある単なる健康法みたいになってしまいますが、
貧弱な想像力故に真剣に自己の「死」を思えぬものにとって、たとえ一時的にも身体に「死」を意識させるような、冬場の冷水浴びのような行為は、有効でありましょうか?

782避難民のマジレスさん:2015/08/10(月) 01:04:27 ID:w3pMYdIY0
認識力が大人のまま子供と同じ目線で遊ぶってどんな感じなんですか?

783避難民のマジレスさん:2015/08/10(月) 10:26:40 ID:HH3XytK.0
鬼和尚、
例えばダンマパダに、

144 鞭をあてられた良い馬のように勢いよく努め励めよ。信仰により、戒しめにより、はげみにより、精神統一により、真理を確かに知ることにより、知慧と行ないを完成した人々は、思念をこらし、この少なからぬ苦しみを除けよ。

のようにありますが、ここでの信仰は以下の辞書(デジタル大辞泉による)ものと異なるように思います。
1 神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。
2 特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと。

お釈迦様の説く、信仰と信じることについてお教えください。

784避難民のマジレスさん:2015/08/10(月) 13:06:18 ID:fP2nC2Nc0
>>774
教えていただきありがとうございました。

ケチなので布施をする場面で苦が生じます。
その苦の状態を観察し、しかし結局布施しないというのは正しいでしょうか?

785鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/10(月) 20:21:50 ID:arkQZP/20
>>781 そのようなことも自分を知る役には立つじゃろう。
 何でも試してみると良いのじゃ。
 昔は死人を見て修行したというがのう。
 今は無理であるから自分の身で試すしかないのじゃ。

>>782 楽しいじゃろう。
 おぬしも楽しんでみると良いのじゃ。
 忘れていた情熱が蘇るじゃろう。

>>783 お釈迦様は別の所で何ものも信じるなかれとも言っているのじゃ。
 信じることなく、自ら止観によって確かめたる事で確立するのが信仰なのじゃ。
 それは宗教よりむしろ科学の者が他人の言葉を鵜呑みにせず、実験や観察によって確かめる事に近いのじゃ。
 そのようにして修行の道を行くならば、迷う事も惑わされる事もないのじゃ。

>>784 しなくてよいのじゃ。
 自由なのじゃ。
 金銭などを布施しなくともよい無財の七施というのもあるのじゃ。
 わしのブログなどを参考にするのじゃ。

786避難民のマジレスさん:2015/08/10(月) 21:05:26 ID:LC3de7YgO
>>785
鬼和尚、ありがとうございます(´・(ェ)・`)/

「死」は最大の「苦」であるはずなのに、それを思い描くことはつくづく難しいと思います。

鬼和尚が以前、 どうしても死を克服しなければならない事情があったので修行に真剣に取り組んだと言った趣旨のことを書いていらした記憶があるのですが、それって、具体的にはどんなことだったのでありますか?

787避難民のマジレスさん:2015/08/11(火) 10:02:33 ID:HH3XytK.0
>>785 ありがとうございます。
何ものも信じるなかれというのは、下記のカーラーマ経「自ら確かめよ」でしょうか。

1. 人々の耳に伝えられるもの、例えば秘伝や呪文(じゅもん)、神の啓示などに頼ってはいけない、
2. 世代から世代へと伝え承けたからといって頼ってはいけない、
3. 古くからの言い伝え、伝説、風説などに頼ってはいけない、
4. 自分たちの聖書や教典に書いてあるからといって頼ってはいけない、
5. 経験によらず頭のなかの理性(思弁)だけで考えることに頼ってはいけない、
6. 理屈や理論に合っているからといってそれに頼ってはいけない、
7. 人間がもともと持っている見解等に合っているからというような考察に頼ってはいけない、
8. 自分の見方に(見(けん))に合っているからというようなことだけで納得してはいけない、
9. 説くものが立派な姿かたちをしているからといって頼ってはいけない、
10. 説いた沙門が貴い師であるというような肩書などに誤魔化されてはいけない、
(http://www.j-theravada.net/kogi/kogi12.html より)

自ら止観によって確かめ、まことであるものをまことであると知るのですね。
お釈迦様は「疑いを滅ぼして汚れなしにおもむく(ダンマパタ295)」と説いています。
私の場合、例えば自我の成り立ちを全て観られたら無我になるというのは、サマーディなどの体験から
95%くらいは本当だと思っていますが、残り5%くらい疑いが残っているように思います。
それで、100%本当かどうか、自分でどうしても確かめたいという心の動きがあります。
このような場合、苦滅によってこの疑いを消して進んだほうが良いのか、それともこのまま進めて良いのか、
お教えください。

788避難民のマジレスさん:2015/08/11(火) 10:49:38 ID:fP2nC2Nc0
>>785
ブログ拝見いたしました。
自分はモノのみならず心もケチだったと感得しました。
無財の七施から実践していきたいと思います。
ありがとうございました。

789そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/08/11(火) 19:52:04 ID:vD63OfvA0
鬼和尚
ダンマパダの
「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。」
ですが、悟ったら心はどうなるのでしょうか。

790鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/11(火) 21:20:14 ID:arkQZP/20
>>786 わしは子供の頃死にかけたのじゃ。
 それ故に死に付いて考えるようになったのじゃ。
 現世の活動も全て死によって絶たれるのじゃ。
 死を超越しない限り生きていることも無意味と気づいたのじゃ。
 おぬしも死について考えてみるのじゃ。

>>787 他にも在ったのじゃ。
 経の名前は忘れたのじゃ。
 それでもよいのじゃ。

 疑いが修行の妨げになったら消すと良いのじゃ。
 そうでなければ持ったままでも良いのじゃ。
 何故ならば一旦、観照が起こったならば、もはや観念が邪魔になることもないからなのじゃ。
 一瞬の気づきによってすぺてが変わるのであるからのう。
 そのまま進んだら良いのじゃ。

>>788 そうじゃ、実践してみるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>789 全てが心であったと気づくのじゃ。
 それでないものなどなかったとわかるのじゃ。
 そうであるから心によって全ては作り出されるのじゃ。

791避難民のマジレスさん:2015/08/12(水) 12:38:28 ID:Zcl18UUU0
>>790 ありがとうございます。
疑いが修行の妨げになったら消そうと思います。
ここのところずっと、自我の観照のために自分の観察に励んでいるのですが、進んでいるのか戻っているのか、妨げがあるのかないのか、よく分からなくなっています。
先日、苦が減っていると思っていたら、実際は修行が進んで苦が無い自分という偽りのイメージを持っていたことに気づきました。
自分自身に対してできるだけ正直でいたつもりが、苦滅の意志を起こすことを避けるために、苦を自分自身に隠していたと知り、驚きました。
他にも善を為す自分とか、不動心を身につけた自分とか、智慧がついてきた自分とかのイメージに囚われている可能性があります。
このような状況なのですが、何か修行のアドバイスをいただけますでしょうか。

792避難民のマジレスさん:2015/08/12(水) 12:53:47 ID:B3W5kGZY0
鬼和尚さん
わたしも、>>788 さんと同じく無財の七施、とくに眼施をしようと思います。
わたしは道を歩いているときや街を歩いているときなど、人や自転車を警戒しているので、目付きがあまり優しくありません。
それを直したいのですが、良い方法はありますか?
優しい眼差しというのは、どうすればできていると言えるでしょうか?
変な顔や目付きになっても良くないので、何かコツがあれば、ぜひ教えてください。

793鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/12(水) 21:04:13 ID:arkQZP/20
>>791 そのように自分の今の状態に気づく事があれば進んでいるのじゃ。
 自分に気づく事を目指して止観があるのであるからのう。
 正しい方向に進んでいるといえるのじゃ。

 先を予測すれば不安は尽きないものじゃ。
 今の自分を観る事に専念すれば不安もないのじゃ。
 そして悟りも自ずから遣ってくるものじゃ。
 自分の心を全て観察し尽くすことに専念するようにするのじゃ。

>>792 笑顔で見れば良いのじゃ。
 笑顔の眼は人に癒しをもたらすものじゃ。
 眼の下の筋肉に力を入れれば笑顔の目になるのじゃ。
 鏡を見て研究すると良いのじゃ。

794避難民のマジレスさん:2015/08/13(木) 01:43:08 ID:Own5k0sI0
酒、女はしないのですがタバコとパチンコがヤメられません。
パチンコは半端に勝つので余計ヤメられず煙草はやめても
ひと月が限界でした。

好きくらいならいいのでしょうが中毒、執着、依存にならないためには
どうすればいいでしょうか?

795避難民のマジレスさん:2015/08/13(木) 09:42:49 ID:nRbSMXGI0
>>793
鬼和尚さん、ありがとうございます。
目の下に力を入れるのは、ちょっとまだ上手くできませんが、
鏡を見て研究してみます。
とにかくあまりむっとした顔にならないようにしてみます。
ありがとうございました。

796避難民のマジレスさん:2015/08/13(木) 13:59:59 ID:pImkm.yg0
和尚さま

タイムマシンとか未来予知とかって、
理論上は可能と思われますか?
それともただの妄想概念でしょうか。

797鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/13(木) 21:17:52 ID:arkQZP/20
>>794 そのような習慣があるのは何か利益を得ているからなのじゃ。
 不安が紛れるとか、何かから逃避しようとしているとかなのじや。 
 それをよく観察し、どのような原因でその習慣があるのか気づけばやめられるのじゃ。
 それによって自分を知る事にもなるのじゃ。
 心の中を観察し、原因を追究してみるのじゃ。

>>795 そうじゃ、実践してみるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>796 少しは出来るじゃろう。
 しかし先の事は人の意志によって変化する故に、完全にはならないのじゃ。
 それでよいのじゃ。
 誰でも努力すれば悟りを得る可能性があるからのう。

798避難民のマジレスさん:2015/08/14(金) 10:12:51 ID:LKt8X8Po0
>>797
決まった未来はないということですね。
ありがとうございました。

799避難民のマジレスさん:2015/08/14(金) 10:35:29 ID:pImkm.yg0
和尚さま和尚さま
もうひとつ質問させてください。

例えば丁半の博打があるとして、
丁と張れば半になる。
半と張れば丁になる。

こりゃたまらんとなって、
丁を張りたいけど逆をいってくるから半だって感じで、
半に張ればしかし丁になる。

こんちくしょう。お金がなくなってしまったではないか。
意志と逆の張り方をしていれば今ごろホクホクだったのに。
まったく運がない。

というような場合があったとします。この時、

①場の流れと意志との波長がまったく合わないのは、何かしら別の意志によるためでしょうか。
②それともそんなものに関係なく、ただの偶然の産物にすぎないのでしょうか。
③そもそも、運がある、運がない、なんてもの自体が妄想概念なのでしょうか。

800避難民のマジレスさん:2015/08/14(金) 17:57:28 ID:W9x6FqRY0
>>793
確かに今以外を思い、迷走していました。
できるだけ今の自分を観て、自分の心を全て観察し尽くすことに専念します。
アドバイスありがとうございました。

801鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/14(金) 21:58:49 ID:arkQZP/20
>>798 そうじゃ、今の実践によって未来は変わるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>799 ① 別の意志ではないのじゃ。
  おぬしの潜在意識が破滅を求めているとそのように賭けてしまうのじゃ。

 ② 偶然でもないのじゃ。
 自らの隠された意志なのじゃ。
  
 ③ 自ら破滅を求めていれば運が無い自分の環境を作り出してしまうのじゃ。
  それも観念ではあるがそのような自己イメージがあれば、ますます自分を破滅に向けてしまうのじゃ。

>>800 どういたしまして、またおいでなさい。

802避難民のマジレスさん:2015/08/14(金) 23:29:26 ID:Xu2JjkC.0
いつも回答ありがとう
呼吸について質問がある。
自分はいつも、息を吐く時に腹を締めて、吸う時に緩める(凹ませて戻す感じ)。
人によっては緊張と弛緩が逆らしんだけど、鬼さんはどちら?

803避難民のマジレスさん:2015/08/14(金) 23:40:27 ID:pImkm.yg0
>>801
和尚さま、ありがとうございます。
求めていた以上のお答えをいただき、とても感謝しております。
もう少し質問させてください。
(真理を求めている方々がいるような場所で、こういう俗世にまみれた相談をして申し訳ありません)

>おぬしの潜在意識が破滅を求めているとそのように賭けてしまうのじゃ。

賭け事に限らず、うまく行かなくなると
やることなすこと裏目に出るのはなんでだろうと不思議に思っておりました。

表面では「勝ちたい、取り返したい」と思っていても、
深いところでは「こんなの勝てるわけがない。このまま行けば破滅だろう。ああ、はやく楽になりたい」というような
意識を働かせてしまっているのかもしれませんね。

そして自分が負けているイメージを抱きながら賭ける。
そんなだから実際に負けたとき、ほらやっぱりイメージ通りだったじゃないかと確信してしまい、
さらに負のイメージを強化していくことになる。そうこうしているうちに裏目人間の出来上がりという感じでしょうか。

であるなら、

①例えば負けた時はスルーして勝った時は素直に喜ぶなど、今までとは逆のパターンを意識して行うことによって
潜在意識にあるイメージの書き換えも可能となってくるのでしょうか。

②書いていて思ったのですが、よくあるポジティブ思考で幸運をうんぬんという話は、つまるところこういうことなのでしょうか。

③そもそもなぜ、一個人の意識の持ち方ひとつで、ここまで違った環境を作りだしてしまうのでしょうか。
  川の流れそのものが変わるのでしょうか。
  それとも川の流れは一定で、自らが流れる場所を移動しているのでしょうか。

804鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/15(土) 20:56:17 ID:arkQZP/20
>>802 同じなのじゃ。
 腹式呼吸なのじゃ。
 胸式の者も居るじゃろう。
 好きなようにして良いのじゃ。

>>803 ① そのような方法では変わらないのじゃ。
 言葉によるアファメーションとか、
 密教などで行う神仏のイメージを自分のイメージと合一させる方法などで変わるのじゃ。

 ② そのようなものじゃ。
 自分のイメージが良いと幸運を呼ぶ行いも自然に出来るのじゃ。

 ③ 流れは変わらないのじゃ。
 見る物が変わるのじゃ。
 良いイメージの者はチャンスを見ることが出来るが、悪いものは破滅のチャンスを見るのじゃ。

 お釈迦様もものごとは全て心によって作り出されると言っているのじゃ。
 自分の言葉とイメージが、自分の世界を作っているのじゃ。

805避難民のマジレスさん:2015/08/16(日) 18:13:30 ID:pImkm.yg0
>>804
和尚さま、ありがとうございます。

コップ半分の水を見て、
半分しかないと思うか、半分もあると思うかの違いみたいなものですね。

前者は渇きを感じて後者は幸福を感じる。
確かに流れも変らず場所も変わらず。
見ている物が変わるのですね。

また自己イメージの大切さも勉強になりました。
ありがとうございました。

806鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/16(日) 20:48:15 ID:arkQZP/20
>>805 そうじゃ、運も自分が作り出すものじゃ。
 またおいでなさい。

807避難民のマジレスさん:2015/08/17(月) 00:56:05 ID:y96ppHCY0
>>797

>>794 そのような習慣があるのは何か利益を得ているからなのじゃ。

お答え有り難うございます。お礼が遅れました。

パチンコではなんとか微々たるものですが金銭という利益を得ています。
ですがもっとよく見てみると「やることがなくて暇だ」というのが一番
強いと思います。
ただ生きているだけでは充実感がなく心が虚ろなんだと感じました。

タバコは試しに1日やめてみましたがやはりそれが限界でした。
ストレス感じない程度に節度を守って吸うのがいいかなと思いました。

酒や女性には感じないんですけどねぇ。。好みの問題でしょうか?

808避難民のマジレスさん:2015/08/17(月) 06:16:53 ID:fP2nC2Nc0
いつもご教授ありがとうございます。
例えば、電車で席をゆずるという施しをする際に、
1.席をゆずるという行動をしたいが為に、まずは自分の席を確保する
2.最初から席を確保することはしない
という2つの行動がある場合、人に喜びを与える、という観点から
1のほうがすぐれた功徳の積み方と言えますでしょうか?

809避難民のマジレスさん:2015/08/17(月) 10:32:30 ID:WWQkaV3A0
>>808
そんなのは成り行きで良いのじゃ。

810避難民のマジレスさん:2015/08/17(月) 10:38:41 ID:pImkm.yg0
和尚さま和尚さま

よく思考を止めればいい、と聞きますが、
意もまた六根のひとつであり、刺激に対して法というアウトプットを行うのであれば
見るつもりもないのに目が物を見てしまうのと同様に、思考を止めることは不可能ではないでしょうか。

止める、というのは、
例えば何かに集中しているときに話しかけられても気が付かない、
声は耳に届いているけど、音に対してのアウトプットを行わないというように、

呼吸や腹の凹みなど別のことに集中することによって、
意が受けた刺激を反応させないということなのでしょうか。

811sage:2015/08/17(月) 18:59:36 ID:QMm34KcU0
>>808
>席をゆずるという行動をしたいが為に、まずは自分の席を確保する

それは人に喜びを与えるのではなく、人を恐縮させるだけだから
「功徳」の正反対でしょう。「我」を強めるだけの愚かな態度です。

812鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/17(月) 20:47:24 ID:arkQZP/20
>>807 そうかもしれん。
 暇だと思ったら何か別のことをしたら良いのじゃ。
 瞑想とか、スポーツとか好きなことをするのじゃ。
 それが習慣になればやめられるじゃろう。
 実践してみるのじゃ。

>>808 同じなのじゃ。
 どちらも席を譲るという行いをするものであるからのう。
 行いで判断するのじゃ。

>>810 瞑想が深くなれば思考が止まる事もわかるじゃろう。
 思考が止まっても意識はあるのじゃ。
 反応もなくなるじゃろう。
 もともと無かったものであるからのう。

813避難民のマジレスさん:2015/08/17(月) 22:26:13 ID:fP2nC2Nc0
>>812
教えていただきありがとうございます。

では、通勤の満員電車で、
1.席に座りたいのに座らない。
2.座れることなら座って、落ち着いて自己観察をする。
の2つとではどちらが功徳を積むことになりますか?

814そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/08/18(火) 01:50:23 ID:8./NUO520
鬼和尚
肉体の感覚(視覚、聴覚、触覚など)についてですが、
無思考になぞらえて言うと、
無感覚というのはあり得るんでしょうか。

815避難民のマジレスさん:2015/08/18(火) 11:43:47 ID:F9pNORl.0
鬼和尚いつもお疲れ様です

816避難民のマジレスさん:2015/08/18(火) 13:59:44 ID:LKt8X8Po0
>>812
和尚さま、ありがとうございます。

意識と思考は別物なのですね。
明確な境界というのはあるのでしょうか。

例えば瞑想しているときに、ごーんと鐘がなったとした場合、

鐘の音が耳に届いて、
なんか複雑な回路をとおって、
これは鐘の音だと認識して、
それに関する記憶の妄想が始まるのですが、

どのあたりまでが意識なのでしょうか。
それとも、これらとはまた違ったものなのでしょうか。

817避難民のマジレスさん:2015/08/18(火) 15:55:57 ID:WWQkaV3A0
細かいことはどうでもエエのじゃ。

818避難民のマジレスさん:2015/08/18(火) 21:13:18 ID:wzaF4XgM0
鬼和尚、
金剛般若経の空観の実践についてお教えください。

例えば、
10.c … 如来は、『体、体、というがそんなものはない』と仰せられたからです。それだからこそ、<体>と言われるのです。
師よ、それは有でもなく、また、無でもないのです。それだからこそ、<体>と言われるのです。」
のようにあります。

鬼和尚が以前ブログの金剛経解説で、何度も繰り返せば認識の働きが止まる効果があると述べられていますが、
これは、金剛般若経を自分に説かれてることとして真剣に繰り返し読むということで良いのでしょうか?
あるいは、日常生活で実際にものを観た時に、例えば机を観たときには、「これは机ではない。それだからこそ、机と呼ばれる。」
などのように頭の中で繰り返し唱えるのでしょうか?

819鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/18(火) 21:29:06 ID:arkQZP/20
>>813 1じゃろう。
 他人に座らせるために立っていれば功徳なのじゃ。
 自分の修行は功徳のためではないのじゃ。

>>/814 出来るじゃろう。
 目で見ても見えず、耳で聞いても聞こえない事も出来るじゃろう。
 集中が深くなればそうなるのじゃ。
 お釈迦様は瞑想中に隊商が横を通ったが何も見ず聞こえなかったというのじゃ。

>>815 おぬしもご苦労さんなのじゃ。

>>816 思考も意識の働きなのじゃ。
 自我が無ければ真実を知るための能力として働くのじゃ。
 全ては意識なのじゃ。
 違いは無いのじゃ。

>>818 日常生活で実際にものを観た時に、行うのじゃ。
 それが実践なのじゃ。
 繰り返し行えば確かに効果は出るじゃろう。

 経を何度も読むのも良いのじゃ。
 助けになるじゃろう。
 読む度に新しい発見があるじゃろう。

820そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/08/18(火) 23:10:02 ID:CA022eks0
鬼和尚
昔からよくある自分の行動パターンについて、なんでこうなっちゃうんだろうと思ってたんです。
先日その行動パターンが出た瞬間に、潜在意識とでも言うのでしょうか、それがチラッと垣間見えたんです。
それで分かったんですが「なっちゃう」のではないんですね。
自らそうなるように「している」んですね。

821避難民のマジレスさん:2015/08/19(水) 02:42:57 ID:8dvcmnIA0
以前にも臨死体験と本当の死語についてお答えいただきました。

臨死体験で自分の体を上から見た、又は手術中の経過を見た、
屋根に普段ないはずの物があるのを見た、という報告で
実際に第三者が事実確認している事例もそこそこありますよね。

これはつまり現世においてまだ身体機能、脳機能が少なくてもあるためにいわゆる
すべてのことが見通せる状態、になっていたということでしょうか?
臨死中で自我の働きが失せたためお釈迦様が世間を見渡せたような境地と
同じことが起きていたのでしょうか?

完全に死に落ちると以前和尚様に教わったとおり深い夢の中で混沌とした
観察さえも大変な次元になると。

822避難民のマジレスさん:2015/08/19(水) 10:38:00 ID:pImkm.yg0
>>819
和尚さま、ありがとうございます。

>自我が無ければ真実を知るための能力として働くのじゃ。

やはり自我をなくすことが全てなのですね。

その自我を無くことですが、座禅をしている最中に起こるものなのでしょうか?
よく、蛙が池に飛びこんだときの音や、小石が竹にあったときの音などで見性したという話は聞くのですが、
座禅の最中に起こったという話はあまり聞いたことありません。

であるなら、座禅における修行とは何を意味するのでしょうか。
それを起こすための下ごしらえのようなものなのでしょうか。

823避難民のマジレスさん:2015/08/19(水) 12:57:31 ID:2xof5STw0
>>819 ありがとうございます。
日常生活で実際にものを観た時に、行うのですね。
このことについて、もう少し詳しくお教えください。

例えば机を見て、机という言葉が思い浮かんだ瞬間に、
「これは机ではない。それだからこそ机と言われる」
と、頭の中で、繰り返し唱えれば良いのでしょうか?
それで、頭の中に机という言葉とイメージが浮かばなくなれば成功ということですか?

824避難民のマジレスさん:2015/08/19(水) 19:59:17 ID:VhAK0xtc0
ご教授いただきありがとうございました。

苦が修行の動機になるとすれば、
功徳を積み、来世によい環境に生まれた場合、
修業の道とは反対の方向に向かいませんか。
また、修行を積むことは、功徳を積むことにならないのでしょうか?

825避難民のマジレスさん:2015/08/19(水) 20:02:31 ID:q3e6w7wk0
鬼和尚さん、また質問させてください。
ある人に嫌なことを言われて、嫌な気持ちになってしまったのですが、こういう場合の、苦の滅し方の適用の仕方を教えてください。

まず、原因を探ると、自分の存在を軽く見られた気持ちがすることと、
そんなことを言う人とは思っていなかったので、その人に対する失望感が、
嫌な気持ちになっている原因です。
これらの原因がなかった場合を想像するには、どうしたら良いのでしょうか?
その人がそんなことを言わなかったと想像すればいいのですか?
それとも、その人はそんなつもりではなかったと想像すればいいのですか?
いまいち苦を滅するのが上手く行かないので、教えてください。

826鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/19(水) 21:44:52 ID:arkQZP/20
>>820 そうじゃ、自分で仕向けているのじゃ。
 そのようにして心は自分の環境を作っているのじゃ。
 良い気づきなのじゃ。

>>821 肉体以外の意識の作用なのじゃ。
 肉体はそれを記憶に照会して意味づけしているだけなのじゃ。
 まだ自我はあるのじゃ。
 無我によって起こる智慧とは違うものなのじゃ。

>>822 深い瞑想の最中に、サマーディにまで至れば自我を忘れるのじゃ。
 離れて観察して自我が観念でしかないと気づけば、無我になるのじゃ。
 通常の集中状態をヨーガではダーラナと呼ぶのじゃ。
 それから深化して努力しなくても集中が続く状態をディヤーナというのじゃ。
 禅はその音訳の省略したものなのじゃ。
 更に深くなれば自我を忘れるサマーディに入るのじゃ。
 その時、刺激があると自我は忘れられるものであり、観念であると気づくのじゃ。

>>823 そうじゃ、そのように実践するのじゃ。
 何度も繰り返せば実際に効果はあるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

827鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/19(水) 21:50:29 ID:arkQZP/20
>>824 そのような事もあるじゃろう。
 しかし、お釈迦様のように恵まれた環境でも老病死の苦はあると気づいて修行の道に入る事もあるのじゃ。
 
 功徳は他人を喜ばせることから生じるのじゃ。
 自分の修行は功徳はないが最も安楽に近づくものじゃ。
 
>>825 そのように感じるということは自分の心の中に他人への期待があったからなのじゃ。
 その期待が無くとも嫌な気持ちになるのか、心の中にイメージしてみるのじゃ。
 期待が無ければ嫌な気持ちになることもないと観察するのじゃ。

 原因は常に自分の心の中にあるものじゃ。
 心の中の執着が苦を起こすのじゃ。

828避難民のマジレスさん:2015/08/20(木) 08:18:23 ID:w3pMYdIY0
和尚様 殺意とは何ですか? 分類できる場合は分類して教えてください

829避難民のマジレスさん:2015/08/20(木) 09:31:03 ID:WWQkaV3A0
>>828
人を殺したいと思うことだ。

830避難民のマジレスさん:2015/08/20(木) 12:01:41 ID:w3pMYdIY0
アホか貴様 殺すぞ

831避難民のマジレスさん:2015/08/20(木) 12:15:16 ID:eF3dyhpk0
>>826
般若心経の空観では「空」としてのイメージを持ってしまい、実践がうまく行かなかったので
空観自体が自分には向かないかと思っていました。
しかし今回の金剛経の空観では、机が机で無くなる感覚が分かりました。
おかげさまで、観察に加えて空観も修行に取り入れられそうです。
金剛経も繰り返し読もうと思います。
ありがとうございました。

832避難民のマジレスさん:2015/08/20(木) 12:36:48 ID:pImkm.yg0
>>826
和尚さま、ありがとうございます。
少し確認させてください。

>深い瞑想の最中に、サマーディにまで至れば自我を忘れるのじゃ。
>離れて観察して自我が観念でしかないと気づけば、無我になるのじゃ。

①これはサマタとヴィパッサナのことでしょうか。

>それから深化(進化?)して努力しなくても集中が続く状態をディヤーナというのじゃ。

②これは瞑想時でなく普段の状態でもジャーナの状態が維持できるということでしょうか。

>その時、刺激があると自我は忘れられるものであり、観念であると気づくのじゃ。

③そのような状態の時に、蛙が古池に飛びこんだ時の音(刺激)などを聞いて、それが起こるということでしょうか。

833避難民のマジレスさん:2015/08/20(木) 13:01:43 ID:q3e6w7wk0
>>827
鬼和尚さん、ありがとうございます。
その人に期待していたものが確かにあったと思います。
ただ、これからも付き合っていく人なので、その人に期待しない状態がイメージできません。
それどころか、わたしは周りのすべての人に、はっきりしない無意識の漠然とした期待を四六時中持っているような感じです。

例えば、乱暴な運転をしている自転車が向かってきたら腹が立つし
掲示板で人を傷つけるような書き込みを見れば腹が立ちます。
でも、こういう、周りの人への漠然とした期待もすべて執着なのですか?
そういった期待をしないでいるコツはありますか?

常に期待して生きてきたようなものなので、何をどうしたら、期待していない状態になるのか、わからないです。
期待していない状態をどうしたらイメージできるでしょうか?

834鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/20(木) 20:54:23 ID:arkQZP/20
>>828 >>830のような感情じゃ。
 怒りによって起こるのじゃ。
 三毒の一つなのじゃ。

>>831 よかったのじゃ。
 またおいでなさい。

>>832 ① そうじゃ。心が止まり、観察が可能になったのじゃ。
 ② 普段ではなく瞑想中なのじゃ。
  努力しなくとも集中状態が続くようになった段階なのじゃ。
 ③ そうじゃ、忘れていた自我が思い出された瞬間に観察できるのじゃ。

>>833 その期待もまた原因によって起こるものじゃ。
 孤独感とか、不安とか、体験の記憶とかで起こるじゃろう。
 そのような原因から期待が起こり、原因が無ければ期待も無いと観察すると良いのじゃ。

835避難民のマジレスさん:2015/08/20(木) 21:07:16 ID:IrTmcwvc0
>>824
教えていただきありがとうございました。

お釈迦様は、「求道者の道に向かうものは、とらわれずに施しをしなければならない」
とおっしゃいましたが、功徳を積む(施しをする)ことは、修行とは関係ないのですね。
施しは、修行の成果には、つながり得ないという理解で正しいでしょうか?

836避難民のマジレスさん:2015/08/20(木) 22:04:19 ID:w3pMYdIY0
懇切丁寧に教えて頂いて うーれしくて感動で頭が┗(^o^)┛パーーン

837避難民のマジレスさん:2015/08/21(金) 10:13:44 ID:pImkm.yg0
>>834
和尚さま、ありがとうございます。

>普段ではなく瞑想中なのじゃ。

瞑想時のことは何となく理解ですのですが、疑問なのは普段時における見性のことです。
掃除中に瓦のかけらが青竹にあたる音を聞いて見性しり、風呂に入ってる時に見性したり、
桶の底が抜けて水が落ちたのを見て見性したり。

和尚さまも金剛経を読んでいる時に起こったとブログで書かれているようですが、

①これらは突然に起こるものなのでしょうか。
②割合で言えば、瞑想時よりも普段のときに起こる方が高いのでしょうか。

また、修行をしていても、てんで上手くいかない。
いつまでこんなこと続くのだろうか、と悩んでいた僧が、
作務の最中に見性して悩み苦しみがふっ飛んだ、という話も聞いたことありますが、

③苦悩という煩悩がある状態であっても、見性は起こるということでしょうか。

重ね重ねの質問となりますが、前々から疑問に思っていたことでありました。
なにとぞご教授ください。

838避難民のマジレスさん:2015/08/21(金) 12:45:57 ID:CfikwJtk0
>>834
鬼和尚さん、ありがとうございます。
期待にも原因があるとは思いつきませんでした。

どうして周りの人に無意識の期待をしてしまうのか、原因を探ってみました。
たぶん、子供の頃ずっと、周りの人すべてを大切にしなさいと教えられてきたからだと思います。
さらに、そうやって、みんなが周りの人を大切にし合うような社会が理想的な社会だとも教えられてきました。
たぶん、これが自分の思考の土台のようになっていて、だから人を大切にしていない人を見ると怒りが起きるのだと思います。

そういう教育を受けなかったと想定してみると、そんなに人に期待しないでいられる気がします。
かわりに、自分の行いだけを見て、他人の行いは見ない、という教育を受けたことにしようと思います。
まだ完全ではないですが、人に期待しない状態がイメージできてきた気がします。

鬼和尚さんのおかげで、いろんな気づきがありました。
ありがとうございました。

839鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/21(金) 21:27:32 ID:arkQZP/20
>>835 そうじゃ、善事は環境を良くするのじゃ。
 修行は自分の心を清め、整えるのじゃ。
 善事を行えば修行の助けになることもあるのじゃ。
 両方に励むのじゃ。

>>836 どういたしまして、またおいでなさい。

>>837 普段でも時折、人は自我を忘れている瞬間はあるのじゃ。
 その時に観られることもあるのじゃ。
 
 ① 突然起こることもあるじゃろう。
 ② 瞑想中のほうが多いじゃろう。
 それを目指しているのであるからのう。
 ③ 煩悩は悟る寸前でもあるものじゃ。
 三毒の欲や怒りや愚かさであるからのう。
 完全に消えるのは悟った後なのじゃ。

>>838 良かったのじゃ。
 良い気づきなのじゃ。
 止観の素質があるようじゃ。
 更に修行を積むと良いのじゃ。
 またおいでなさい。

840避難民のマジレスさん:2015/08/22(土) 07:00:50 ID:RKrUXRoI0
>>839
ありがとうございました。よくわかりました。
混んでいる電車では、立つようにします。
その際、「私は座りたかったのにあえて、他人に席を譲ったのだ」などと
自我が生じると思いますが、そのときは、その心を観察するようにしてみます。

841避難民のマジレスさん:2015/08/22(土) 08:36:05 ID:7rD9T5220
鬼和尚、
お釈迦様も鬼和尚も、法を金で売らないように述べられましたが、オショーは、そうではなかったようです。
https://www.youtube.com/watch?v=yRo_L1RiGWw
お釈迦様と鬼和尚のその見解の理由をお教えください。

また、上の動画ではオショーは値段がついていないと人は法の価値を理解しないからだと述べていますが、その見解について鬼和尚はどのように判断されますか?

悟りを得るための方法として、自分の本心を観ることを勧めている点で三者は共通ですが、その他のことで見解が異なるのが興味深いです。

842避難民のマジレスさん:2015/08/22(土) 14:20:20 ID:pImkm.yg0
>>839
和尚さま、ありがとうございました。
おかげでも疑問が解けてすっきりしました。

これからも精進に励みますです。

843鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/22(土) 21:22:47 ID:arkQZP/20
>>840 そうじゃ、実践あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>841 出家とは社会の全てを捨てて乞食行によってのみ生きることであるから、法を売って金を得てはいかんのじゃ。
 法を売る者は詩歌を売って生活するものと同じなのじゃ。
 金によって法を売れば金によって曲げられる事もあるじゃろう。
 そのようなことを避けるのじゃ。

 オショーにはお金を手に入れてやることが在ったのじゃろう。
 それは自由なのじゃ。
 金を出して買ったものにしか価値が無いと思う者も居るじゃろう。
 
>>842 そうじゃ、精進あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

844避難民のマジレスさん:2015/08/23(日) 13:54:22 ID:BwDSqr2o0
>>843
金は囚われやすいものの一つですので、私も法を売るようなことをせず、精進しようと思います。
法を売ることについてお答えくださり、ありがとうございました。

845鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/23(日) 20:43:44 ID:arkQZP/20
>>844 どういたしまして、またおいでなさい。

846避難民のマジレスさん:2015/08/24(月) 17:22:17 ID:WWQkaV3A0
>出家とは社会の全てを捨てて乞食行によってのみ生きることであるから、
 法を売って金を得てはいかんのじゃ。

山頭火は出家したといえるでしょうか?

847鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/24(月) 21:08:34 ID:arkQZP/20
>>846 悟りを求めて全てを捨てなければ出家とはいえないのじゃ。
 詩を売っていては出家とはいえないのじゃ。
 名誉も捨てるべきであったのじゃ。
 酒も飲んではいかんのじゃ。

848避難民のマジレスさん:2015/08/25(火) 04:11:47 ID:w3pMYdIY0
牛丼屋チェーン店のうちどれが一番お好きですか

849避難民のマジレスさん:2015/08/25(火) 10:40:49 ID:w3pMYdIY0
悟った人の動画を見ていたらワーキングメモリが無さそうに感じましたが喋る内容を聞くに使ってはいると思います
どうなのでしょうか

850鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/25(火) 21:38:29 ID:arkQZP/20
>>848 特にどれというものは無いのじゃ。
 施されればなんでも食べるのじゃ。
 生臭物は食べないのじゃ。

>>849 あるのじゃ。
 使っているのじゃ。
 それを使う主体があるという謬見が無いのじゃ。
 そのような謬見が無ければむしろ正確に素早く使えるのじゃ。
 それが智慧と呼ばれるのじゃ。

851避難民のマジレスさん:2015/08/25(火) 23:05:56 ID:w3pMYdIY0
和尚様 それやりたいっす

852避難民のマジレスさん:2015/08/26(水) 14:36:54 ID:pImkm.yg0
和尚さま、きのう瞑想していたら、
思考のものを後ろから見ているような状態になったのですけど、
そういう感じでよろしいのでしょうか。

853避難民のマジレスさん:2015/08/26(水) 14:41:34 ID:pImkm.yg0
思考のもの → 思考そのもの の間違いです。

今までは意識を特定の場所に置きつづけるよう意識していたのですが、
昨日は後者の意識をも、どこかで見ているような感じになりました。

854鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/26(水) 19:48:04 ID:arkQZP/20
>>851 自分というイメージと名前を消してみるのじゃ。
 それが原因から起こる観念であると気づくのじゃ。
 観察によってそれは起こるじゃろう。

>>852 それでよいのじゃ。
 思考も主体も観られるものにとわかったのじゃ。
 それらが消えても未だ意識はあると気づくようになるじゃろう。
 恐れずに進むのじゃ。

855避難民のマジレスさん:2015/08/27(木) 02:12:12 ID:w3pMYdIY0
未開人の自我について考えさせられることがありまして、今回のことは役に立ちました
なるべく正確に使いたいと思います!ありがとうございました!

856避難民のマジレスさん:2015/08/27(木) 05:25:42 ID:QMm34KcU0
鬼和尚さん、誰かが鬼和尚さんの導きを受けて鬼和尚さんと同じ悟りの境地に
なったら、鬼和尚さんにお礼を言うのでしょうか? もう個人意識がなくなって
いるので、お礼を言うということもなくなるのでしょうか? 「個人性の消えた悟り
の意識」と「個人性のあると分別の意識」の関係についてお教え下さい。

857避難民のマジレスさん:2015/08/27(木) 05:30:52 ID:QMm34KcU0
>>856 の訂正

(×) 「個人性の消えた悟りの意識」と「個人性のあると分別の意識」の関係についてお教え下さい。

(〇) 「個人性の無い悟りの意識」と「個人性の有る分別の意識」の関係についてお教え下さい。

858避難民のマジレスさん:2015/08/27(木) 10:38:56 ID:pImkm.yg0
>>854
和尚さま、ありがとうございます。

きのうは上手くいきませんでした。
前回のような感じを、という意識が働いてしまい、
それが障害となったようでした。
ですが主体というのが何なのか、何となくわかりかけてきました。

引き続き精進に励みます。

859避難民のマジレスさん:2015/08/27(木) 12:45:52 ID:BOHsfH1A0
鬼和尚、
なぜ苦行は悟りを得るのに役立たないのでしょうか?

860鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/27(木) 21:22:41 ID:dGpDObYM0
>>855 どういたしまして、またおいでなさい。

>>856 言おうと思えば言うじゃろう。
 言わなくて良いと思えば言わないじゃろう。

 個我が消えれば無我なのじゃ。
 それでは未だ小悟なのじゃ。
 それでも平等なる智慧が起こるのじゃ。
 自他の区別が無いからのう。

 個我があれば自他の区別があり、自分の欲目で分別も偏るのじゃ。
 自分は偉いから世の中の人は全員自分の言う事を聞くべきであるとか思ったりするのじゃ。
 それが無明による無知なのじゃ。
 それもまた謬見によるものではあるがのう。

>>858 そうじゃ、精進あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>859 自分を観る事が無いからなのじゃ。
 自分を観なければ悟りは訪れないのじゃ。
 苦行は苦に囚われてしまうからのう。
 自分を観る事は無いのじゃ。

861sage:2015/08/27(木) 22:03:17 ID:QMm34KcU0
鬼和尚さん、856-857 です。
質問の意味が正しく伝わっていないようなので、再度、質問させて下さい。
悟っても「個人性のある分別」というものはありますよね。それが全くなければ、
鬼和尚さんもご自身とお母様の区別ができないはずですね。他人を他人として
意識して話をすることもできませんよね。
私がお聞きしているのは、悟った人の中における 「個人性の無い意識」 と
「個人性の有る意識」 の関係です。
これらは重層的に同時に存在しているのか、瞬時瞬時に入れ替わって出て来るのか、
また、それ以外のあり方なのか、ということです。 よろしくお願いします。

862避難民のマジレスさん:2015/08/27(木) 22:57:50 ID:CPT01Hp.0
鬼和尚、金や食欲、快楽、性欲などに執着してしまいそうなときはどうすれば執着から離れられるのでしょうか?

863グルジェフファン:2015/08/28(金) 08:21:07 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さん

人間は既に悟っているのに、悟っていることに気づいていない。

グルジェフは、これを「人間は眠っている」と表現したのでしょうか?

864避難民のマジレスさん:2015/08/28(金) 19:05:12 ID:Kg/t8K1Y0
若い頃、大型バイクに乗っていました
高速道路で250キロぐらいで走ると恐怖でひたすら前方を観ることしかできなくなり
走り終えた後、とてつもない恍惚感に包まれました
違法行為ですがこの状態はサマーディとは違いますか?
また宅間守や加藤のような無差別殺人犯はその犯行中、サマーディ状態にあったのではないでしょうか?
バラついた意識を統合したくて犯行に走ったのと違いますか?

865避難民のマジレスさん:2015/08/28(金) 19:31:51 ID:byGhGyc60
>>860
鬼和尚が以前述べられていたように、全ての修行は自分の本心を観るためなのですね。
とすると、自分を観るのに役立つなら良い法ということで、自分で判断できますね。
引き続き精進します。
ありがとうございました。

866避難民のマジレスさん:2015/08/28(金) 21:05:07 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんは(´・(ェ)・`)/

再就職して1ヶ月とちょぴっと経過いたしました。

順調であります。

過去や未来に思いを馳せることなく、今この瞬間に一所懸命臨んでおります。

失業中に鬼和尚に教えていただきながら取り組んだ修行、集中と観察が失業中には気分の落ち込みから私を救い、仕事を得た今は、ちょぴっと上手く行ってものぼせたり高揚し過ぎたりせずに平常心で日々臨めることに繋がっているように思います。

ありがとうございます。

867鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/28(金) 21:50:02 ID:arkQZP/20
>>861 それはただ仮に言っているだけなのじゃ。
 分別は無くとも感覚はあり、人の分別に従ってあれこれがあると言っているだけなのじゃ。
 意識が違う事も無いのじゃ。
 一切は無分別と知りながら、衆生のために分別がある言葉を語っているのじゃ。

>>862 それらも原因を知れば執着を離れられるじゃろう。
 大抵は劣等感とか孤独感などが様々な執着の原因になるものじゃ。
 その原因から執着が起こり、原因が無ければ執着も無いと観察してみるのじゃ。
 執着も滅するじゃろう。

>>863 そうじゃろう。
 眠りから覚めたのが目覚めた者じゃろう。
 夢を見ているかのよう幻想を現実と思っているのが寝ている人間なのじゃ。
 幻想を幻想と知るから目覚めたのじゃ。・

868862:2015/08/28(金) 21:55:04 ID:CPT01Hp.0
鬼和尚ありがとうございます。

869鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/28(金) 22:04:31 ID:arkQZP/20
>>864 違うのじゃ。
 忘我が無ければサマーディではないのじゃ。
 長い緊張から開放されればそのような感覚になるのじゃ。
 変性意識状態なのじゃ。
  
>>865 そうじゃ、精進あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>866 良かったのじゃ。
 実践すれば心も整えられるのじゃ。
 またおいでなさい。

870避難民のマジレスさん:2015/08/29(土) 20:44:22 ID:QMm34KcU0
>>867
>衆生のために分別がある言葉を語っているのじゃ。

>意識が違う事も無いのじゃ。

鬼和尚、「衆生」を意識することも分別ではないのですか?
(悪い分別ではなく、良い分別だとしても。)
悟りの意識の真っ只中では仏も衆生も区別がないのでは
ありませんか?
その区別がない悟りの意識と、衆生を認識する意識には
違いがあるのではありませんか?

871鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/29(土) 21:35:24 ID:arkQZP/20
>>870 例えば朽ち縄を蛇と思っていた者が実は縄と気づいても、未だ気づかない者達には蛇として語るじゃろう。
 縄を縄と気づいた者は、蛇としても語ることが出来るのじゃ。
 そこに意識の違いなども無いのじゃ。
 
 分別を止めよとは記憶に依存した認識を観察し易くするための心得なのじゃ。
 既に本来の認識に回帰すれば、真実を知りながら人の分別も語れるのじゃ。
 悟って分別に不自由になるならば、それは悟りではないのじゃ。
 智慧も生じて既に自在に語ることが出来るのじゃ。

872避難民のマジレスさん:2015/08/30(日) 05:50:20 ID:QMm34KcU0
>>871
鬼和尚、ありがとうございました。
「意識」そのものに違いはなく、殻に覆われた状態で見ているか、殻が破れて
自分がなくなった広大な世界に入って見ているか、の違いと言ってももいいの
ですね。 精進を続けたいと思います。ありがとうございました。

873グルジェフファン:2015/08/30(日) 07:55:14 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さんは、超能力はありますか?

テレパシーやサイコキネシス等の超能力はこの世に存在しますか?

874鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/30(日) 22:04:19 ID:arkQZP/20
>>872 どういたしまして、またおいでなさい。

>>873 智慧が超能力と呼べるならあるといえるじゃろう。

 そのようなものもあるじゃろう。
 スポーツと同じで才能のある者が練習すれば人が驚くような能力も身に付けられるのじゃ。
 ヨーガスートラに詳しく書いてあるのじゃ。
 実践してみると良いのじゃ。

875グルジェフファン:2015/08/31(月) 13:08:52 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さん 

ありがとうございます。

大和田菜穂さんは、悟ってますか?

釈迦の「慈悲」と、キリストの「愛」の違いは何ですか?

876避難民のマジレスさん:2015/08/31(月) 16:54:15 ID:Zcl18UUU0
鬼和尚、
他スレで、
> 自ら死のうと思う事もあったのじゃ。
と述べられていましたが、もう少し詳しくお教えください。

また、私も無常を思っていて、何もかもが空しく感じられることがあるのですが、
そのような修行中の危険と、その危険を脱する方法をお教え下さい。

877そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/08/31(月) 20:07:32 ID:IELU7IwE0
鬼和尚
自重トレーニングを毎日続けてきたのですが、
筋肉がついたせいか、瞑想で座る姿勢がとても安定してきました。

878鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/08/31(月) 21:22:55 ID:dGpDObYM0
>>875 悟っていないのじゃ。
 
 同じようなものじゃ。
 他人を自らと同じものとして労わる心なのじゃ。

>>876 それは苦を逃れようとする心なのじゃ。
 死ねば苦も無いから楽になるかとおもうのじゃ。
 しかし、悟った後に間違いと知ったのじゃ。
 苦を永遠に逃れる道は悟りを得るしかないのじゃ。

 自ら死ねばもっと苦しくなると知り、自ら苦を滅しようと意志を起こすのじゃ。
 そして苦を滅して楽になると良いのじゃ。
 苦を滅する修行を行うのじゃ。

>>877 良かったのじゃ。
 姿勢が良くなれば瞑想も深くなるものじゃ。
 またおいでなさい。

879素人A:2015/09/01(火) 10:07:40 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さん苦しんで自殺に逃げたら苦しい思いは死んでも生きていて
延々と苦しみ画続くのですか?もう一度生き返って苦しみから逃げない
人間になつて修行するのですか?死んでからの修行はあまり実にならず
活き居る修行が身のある修行が出来るのですか?私は何故か人に聞くと
出鱈目でも自分で答えてしまう会話下手で。でも会話は本とはうんそうや
といってもらいたいだけで?相手されないと少し寂しい気楽だけど
私は自問自答の独り言が出来るからまあ良いかそんなに寂しくないし
繕スレは基地師さんが無事立ててくれました

880グルジェフファン:2015/09/01(火) 15:48:41 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さん

シンクロニシティはありますか?

グルジェフが言う「彼の言うこと、為すこと、考えること、
感じること、これら全てはただ起こるのだ。」は、
シンクロニシティが「偶然の一致」ではなく、
「必然」で起こることだと言えますか?

881鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/01(火) 21:15:18 ID:arkQZP/20
>>879 そうじゃ、死んでも苦は終わらず、むしろ苦しみ続けるのじゃ。
 生まれ変わって苦を滅すればなくなるじゃろう。
 死の意識では修行は無理なのじゃ。
 生きていれば苦を滅する事も出来るのじゃ。
 今、精進して苦を滅するのが一番良いのじゃ。

>>880 あるじゃろう。
 お釈迦様はものごとは心によって作られるといっているからのう。
 心が同調すれば同じ事が起こるのじゃ。
 
 グルジェフのその言葉は人間が殆ど自由意志が無い事を言っているようじゃ。

882素人A:2015/09/02(水) 09:15:04 ID:gOqWUDAs0
此処路とは私だけの心だけではなく公共の道路でもあつたのですか
間矢ルール守って有る苦のですか

883避難民のマジレスさん:2015/09/02(水) 17:05:18 ID:WWQkaV3A0
>>882
意味が通じるように書け。

884グルジェフファン:2015/09/02(水) 17:45:15 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さん

ありがとうございます。

ラメッシ・バルセカールは、悟ってますか?

個人の魂としての釈迦の生まれ変わりが、現在、
存在している可能性はありますか?

885素人A:2015/09/02(水) 18:27:28 ID:gOqWUDAs0
882 間が抜けたいや時が抜けていた訂正する時間があつたけど今訂正?
此処路とは私だけの心だけではなく公共の道路でもあつたのですか
間矢ルール守って有る苦のですか ようするに心はほんとうは大きいのだろうか?
でも小さくても安心があればいいよねで

886素人A:2015/09/02(水) 18:34:36 ID:gOqWUDAs0
あまた間違った間矢とは?時間 よく考えずに書くから墓穴をほるし
意味を通すには左脳が大事か私は脳修行が足りない

887鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/02(水) 20:58:39 ID:arkQZP/20
>>882>>885 そうじゃ。
 おぬし自身が法則を知って歩くとよいのじゃ。
 実践あるのみじゃ。

>>884 悟っていないのじゃ。
 教義は暗記しているが所々おかしいのじゃ。

 居ないのじゃ。
 もはや現世に生まれ変わる事は無いのじゃ。
 おぬしの心の中に居るのじゃ。

888避難民のマジレスさん:2015/09/02(水) 23:13:25 ID:GJYUXH5M0
スマナサーラ長老はかなりいいこと言ってると思うのですがだめなんですか?

889グルジェフファン:2015/09/03(木) 02:09:23 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さん

地球外の宇宙人は存在しますか?

後編
https://www.youtube.com/watch?v=-C0M0IduSXM

すべては宇宙の采配
http://ddnavi.com/news/145065/a/
http://happism.cyzowoman.com/2013/06/post_2642.html

「すべては宇宙の采配」に記載されている、
人類が滅亡する可能性はありますか?

890グルジェフファン:2015/09/03(木) 02:12:36 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さん

言葉の単語に、それぞれ無意識のイメージがついてます。
そのイメージを観ることは修行になりますか?
例えば、CMを見て6億円という言葉を認識した瞬間に、(「6億円」というイメージ)+
(「欲しい,所有したい等」複数のイメージによる欲)が発生する。

上記が修行になるとしたら、そのイメージを観るだけで良いのでしょうか?


また、呼吸を感じてる存在に意識を集中することは、修行になりますか?
これが修行になるとしたら、集中してるだけで良いのでしょうか?

891グルジェフファン:2015/09/03(木) 02:21:11 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さん

①私は、他人と接するとき、自分がされて嫌なことはしない。
(たまにできないときもあります。生理的に受付ない人や
客観的に見て人に対して嫌な対応をしてる人とかには、
私も同じように嫌な人になって、その人に対応(無視)します。
でも、権力者の嫌な人の場合、我慢して、その権力者にとって
良い人であろうとしてしまいます)

②人のため(人を守るため)に嘘をつくことは良い。どうしても自分のために嘘を
ついてしまうときは、その心の動きを観る(無意識的な嘘をつかないこと)ようにする。

(家族と接するときは、上記①,②の事は実行しにくいです。
自分がされて嫌な対応(平気で怒ったり,無視したり)を両親にしてしまいます。
嘘もついてしまいます。両親の前で笑顔になれません。)

①、②の行為は、当たり前のことだと思いますけど、私のモットーとしてます。
(過去を省みて書いてみると、全然モットーを守ってないような気がするんですが、
正しく行動できてるのでしょうか?)

このような生き方で大丈夫でしょうか?

892グルジェフファン:2015/09/03(木) 02:25:21 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さん

悟った人でも、恐怖心は発生しますか?
また、性欲はありますか?

性欲が無くなるとしたら、
性行為できなくなるのでしょうか?
それとも、性行為しようと思えばできるのでしょうか?

893グルジェフファン:2015/09/03(木) 02:34:42 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さん

仏教に「自灯明・法灯明」という言葉があります。

これは、たとえ悟った鬼和尚さんの絶対的真理(「物理的・心理的」な宇宙の法則)の回答でも、
自我である私が過去の経験(たくさんのシンクロニシティ、グルジェフの「全てはただ起こるのだ」等)の
積み重ねを元にして、受け入れられないと思った場合には、
自分(自我)の考えを信じて、行動しても良いということでしょうか?

ちなみに、私は、仏教の「法」をほぼ知らないです。

894グルジェフファン:2015/09/03(木) 02:39:40 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さん

この世に、ツインソウルの魂は存在しますか?

895避難民のマジレスさん:2015/09/03(木) 04:21:06 ID:V2/moIC.0
鬼和尚さま

ラメッシ・バルセカールの意識は語るという本を読むと
ラメッシに悟りが起こったと師匠のマハラジから認められたような記述がありますが、
鬼和尚さまがラメッシを見て悟ってないと判断したのは
例えばどのようなあたりでしょうか?
小悟はしていても大悟してないというようなことでしょうか?

マハラジはどうしてラメッシにそういう言動で接したのでしょうか?
何かの誤解でしょうか?

ラメッシはマハラジに最も近い弟子のひとりだったようですが、
そのラメッシが悟ってないならマハラジの弟子で悟った人は
いないか、かなり少なそうですね。
マハラジのような覚者のもとでもそんなにみな悟れないものなんですかね

896避難民のマジレスさん:2015/09/03(木) 20:18:22 ID:UPS9n5q.0
鬼和尚はグルジェフをかっているみたいですが、『ベルセバブの孫への話』は読みましたか?
彼自身は、彼の本を人類へのかなり重要な遺産として遺したように思われますが、鬼和尚は、悟ったグルジェフが遺した文学?や思想書に関しては、どのような感想を持ちますか?

897鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/03(木) 20:38:29 ID:arkQZP/20
>>888 お釈迦様はこのように言っておる。

 158 、 先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。
 そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むひとが無いであろう。

159 、 他人に教えるとおりに、自分で行なえ。
 自分をよくととのえた人こそ、他人をととのええるであろう。自己は実に制し難い。

 先ず自分を整えなければ他人に何を言っても無駄なのじゃ。
 更に修行を積むとよいのじゃ。

>>889 居るじゃろう。
 
人類もいつかは必ず滅びるじゃろう。
 その前に悟りを得て永遠の安らぎに入ると良いのじゃ。

>>890 自分のイメージを観察するのじゃ。
 それが止観の目的なのじゃ。
 世間にある全てのもののイメージを見ていたら人生が終わってしまうのじゃ。
 自分のイメージだけを観察するのじゃ。

 呼吸に集中する時は呼吸への集中だけをするのじゃ。
 そうしなければ混乱してしまうのじゃ。
 
>>891 自分で書いている通り、行動できていないのじゃ。
 反省するべきところは反省し、行いを改めるのじゃ。
 そうすれば行いも変わるじゃろう。
 両親とは離れたら良いのじゃ。

>>892 もはやないのじゃ。
 しかし恐れを感じることも行う事も出来るのじゃ。
 自在なのじゃ。

898鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/03(木) 20:50:20 ID:arkQZP/20
>>893 それは他人の反応によって生きていてはいかんということなのじゃ。
 親とか誰かが言う事に反発して行動するとか、逆に盲目的に従うことの無いようにという事なのじゃ。
 自ら悟りを得ようと思うならば、法の通りに行うのじゃ。
 もはや悟りなどいらないと思えば法も捨てると良いのじゃ。
 自分で道を選んで自主的に生きるのじゃ。

>>894 無いのじゃ。
 観念なのじゃ。
 おぬしがあることにしようと思えばおぬしの世界にはあることになるのじゃ。

>>895 それはラメッシの本に書いてあるのであれば、ラメッシが好きなように書けたじゃろう。
 マハラジが空を飛んでラメッシは悟ったと言っていたとかのう。
 信じ過ぎてもいかんのじゃ。

 心が止まっていないのじゃ。
 自分が幻の観念ではなく、まだ在るものと思っているのじゃ。
 教義だけを暗記しても真の理解は得られないのじゃ。
 悟りを得て後に自己が観念と気づくのじゃ。

 恐れずに自らを捨てて良いと思わなければ無我にも達しないのじゃ。
 
>>896 少し読んだのじゃ。
 なかなか面白い工夫がしてあるのじゃ。
 元商人らしい教えなのじゃ。

899避難民のマジレスさん:2015/09/03(木) 21:25:47 ID:UPS9n5q.0
鬼和尚は世俗に疎そうではありますが、商売に関する相談も大丈夫ですか?

900グルジェフファン:2015/09/03(木) 21:30:14 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さん

ありがとうございました。

901避難民のマジレスさん:2015/09/03(木) 22:12:09 ID:V2/moIC.0
>>898
ラメッシに関してのお答えありがとうございました。

ちなみにその人の心が止まっているかどうかというのはどのへんでわかるのでしょうか?
言動のようなものからの物理的な判断でしょうか?
直観や第六感のようなものでしょうか?
悟った人は相手が悟っているかどうかどのへんであるいはどうやってわかるものでしょうか

902避難民のマジレスさん:2015/09/03(木) 23:02:47 ID:DFVTR58o0
ギャンブル依存症から解き放たれるにはどうすればいいでしょうか?
負けても負けても結局お金入れば行ってしまいます。
心が貧しいのが原因でしょうか?心に空虚感がいつもあります。

903グルジェフファン:2015/09/04(金) 01:42:22 ID:7.whBBmU0
私が好きになるのは、私の中に「好きなもの」があり、
私が嫌いになるのは、私の中に「嫌いなもの」があるからですか?

これが「観念」ですか?

今、自分がどんな状態かわかりません。(私がわかりません)

904避難民のマジレスさん:2015/09/04(金) 02:57:58 ID:w3pMYdIY0
お章sま また技術とか能力の話なのですが
自我が無くても”上手くやろう”と思っても良いのでしょうか

905避難民のマジレスさん:2015/09/04(金) 19:16:02 ID:DZ0gjVsA0
>>878 
苦滅で楽にはなっているのですが、学行に励むにつれ、結局は何をしても、悟りを得ない限りは根本的な解決にはならないという確信が生まれています。
どこまで行っても自我ばかりで骨は折れますが、観察が自我に向かうよう習慣づけているということで、一歩一歩進みます。
ありがとうございました。

906避難民のマジレスさん:2015/09/04(金) 20:44:12 ID:ODf4ymH60
鬼和尚。
この世には実は自分しか居ないと言うのは本当ですか?
他者が存在すると言うのは妄想なのでしょうか?

907鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/04(金) 21:28:25 ID:arkQZP/20
>>899 何でも相談して良いのじゃ。
 わしが知っている限り答えるじゃろう。
 知らない事は知らんというのじゃ。
 間違えた事は間違えたというのじゃ。

>>900 どういたしまして、またおいでなさい。

>>901 心が止まれば体も止まるのじゃ。
 オショーとかマハリシの動画を見てみるのじゃ。
 特に理由も無く死人のように体が止まっているのじゃ。
 心が止まっているから肉体も止まるのじゃ。
妙観察智によってわかるのじゃ。

>>902 本当は勝ちたいのではなく、破滅したいからやっているのかもしれん。
 そのような本当の心の動機を追及してみるのじゃ。
 瞑想をして本当は自分をどうしたいのか、自分にどこまでも聞いて見るのじゃ。
 その答えに自分でも驚くかも知れんが、受け入れて己を深く知ると良いのじゃ。
 そうすれば行いも変わるじゃろう。

908鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/04(金) 21:30:11 ID:arkQZP/20
>>903 そのようなものじゃ。
 
 それを起こすのが観念なのじゃ。
 わからないという事は判っているのじゃ。
 何が知りたいのか、何を知るべきなのか、自分自身に聞いてみるのじゃ。
 その答を受け入れて自らを理解していくのじゃ。

>>904 良いのじゃ。
 それも意志なのじゃ。
 自我が無くても意志はあるのじゃ。

>>905 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>906 自分も居ないのじゃ。
 自分が居ないから、他人も居ないのじゃ。
 自他の分別も幻想なのじゃ。
 全ては一つなのじゃ。

909避難民のマジレスさん:2015/09/04(金) 22:58:27 ID:V2/moIC.0
>>907
お答えありがとうございます。
心が止まり肉体も止まっているのですか。

ヴィパッサナーの「ミャンマーの瞑想」という本に
「在果定の間、聖者の心は、諸行の滅尽し、停止している涅槃という対象のみに存在しています。
涅槃以外のあらゆる対象については意識がなくなっています。」
とありますが、
悟った人の心が止まるということはそういうことなのでしょうか?

910グルジェフファン:2015/09/05(土) 00:30:04 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さま

過去の苦い記憶が浮かんで、その情景に巻き込まれ、
耐え切れなくなって、一瞬、無意識(真っ暗闇)みたいな感じになったら
「全ては必然」と口走ってました。

これは、自我が現実逃避する(そう思い込ませる)ために、
起きた出来事でしょうか?

911避難民のマジレスさん:2015/09/05(土) 03:23:27 ID:w3pMYdIY0
ありがとうございました

912グルジェフファン:2015/09/05(土) 11:32:32 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さま

以前、シンクロニシティの質問で回答していただいたとおり、
この世は、物質ではなく心で作られてることを実感しました。

何で実感できたのでしょうか?

913避難民のマジレスさん:2015/09/05(土) 13:38:17 ID:.TxL/Nb20
>>908
たとえば他人を傷つけても
傷つけた自分も傷つけられた他人も居ないのですか?

914避難民のマジレスさん:2015/09/05(土) 14:37:53 ID:OdDNzuM60
この世が心で出来ているのだとすると、例えば、織田信長が天下統一寸前までいったり、直前で暗殺されたことも偶然ではなく、彼の心理状態の反映なのでしょうか?
例えば、やたら隣の家の犬が吠えるのようなことも、心理状態の反映ですよね?
この先に何が起きるかも、今現在の心理状態に関係していますよね
時間と言うのが幻想ならばまさに今、このときの心理状態があらゆる一切を生み出しますよね
無に撤することを決意するならば、不幸や幸福も自己も他者も宇宙すらも生じないと。

915避難民のマジレスさん:2015/09/05(土) 14:51:10 ID:OdDNzuM60
もし、無に撤しようと誰かが決意すれば、その思いを打ち消すような現象が生じますか?
例えば、釈迦が悟りを開こうと菩提樹の下で瞑想を始めた途端にマーラ(悪魔)が邪魔をし始めたように。
信長が天下統一を意識した途端、今川義元が攻め込んできたように。
日本を素晴らしい国にしようと望んだ途端、アメリカにボコボコにされたり
逆説めいたことが起こりますか?
幸せに成りたいと思えば思うほど不幸せが起きたり
特に悟りを開こうなどと思うひとには、これでもか、これでもかと、絶望的な出来事が起きるのではありませんか?
何故なら、絶望を超越することが悟りなのですから
このようなスレに集まる人には、嫌なことや不幸なことが押し寄せて来ても不思議ではないですよね

916長文失礼します:2015/09/05(土) 18:18:32 ID:OdDNzuM60
親が私の人生の安定や安心を望むのですが、いつも悉く裏目に出て、私を苦しめます。
まず、大学受験です、
私は両親の期待の狭間で病気になり、低偏差値の高校に行きましたが、何故か、両親、特に母親にとって子供が大学に行かない人生は有り得ないらしく
高卒の友人とつきあったり、高卒で働こうとすると、人生終わったみたいな絶望的な顔をするのでした。
私は死ぬほど努力して大学に受かったのですが、その為に失ったものは途方もないものでしたが
結局、大学で専攻した分野の仕事にはつかず、
高卒で十分と言うか、大学で学んだことは邪魔にしかならないような世界で生きており、なんであそこまで大学に拘ったのか、今となると全く不明ですが、
恐らく、大学に入ったから言えることで、もし、高卒で就職していたら、母親は私の人生を本質的に認めなかったと思われ、私も深いトラウマを負ったと思います。
そこで私が学んだことは、幸せの条件など無いし、
全ては幻想であり、執着は苦を生むと言う事です。
でも、正直、親が学歴に執着しない人だったら、私は高卒だろうが、晴れやかな気分で人生を生きていたと思います。
人間は身近な人間の意識の影響を受けるのも確かなようです。
続く

917長文失礼します:2015/09/05(土) 18:44:31 ID:OdDNzuM60
私は人生の前半、学生時代、非常に苦労しましたが、その苦労の根本原因は、母親の愛にあったように思います。
子供の幸せを思うとは言葉は美しいですが、今のありのままの状態では不幸だとする意識の裏返しです。
今から思うと、学校の勉強が出来なくても全く問題無かったし、むしろ、学校をサボって遊んでた方が社会勉強になり良いくらいだと思いますが、何故かそのような「自然な」 生き方は認められない人なのでした。
もっとも親の価値観が正しいのかそうでないのかは、人生の初期にはデータが無いので分かりませんでしたが、今は、はっきり間違いだと言えます。
それは自分の実人生で身をもって体験しました。
この世は、掛け値なしに美しく、本質的に何の問題も無いのですが、親や教師のような人の心配が問題を作り出し、世界を地獄にする。
そんな構造があります。
勿論、親や教師のような存在を作り出しているのも、自分の精神だから、より本質的には自分のせいとも言えます。
悟ったら親も自分も無くなりますから、卵が先か鶏が先かのパラドックスの解答は、悟りが先です。
つまり、前の書き込みとも関連しますが、親が性懲りもなく、今度は結婚しないと不幸だと言う論法で十分幸せな自分を追い込んで来るのですが、そのような追い込みを含めて、自分の心が作り出している自作自演ではなかろうかと思ったりもしています。
私が悟りを求めるから、私の心の一部分が、両親と言う形をとり、煩悩まみれの要求をしてきて、私を苦しめ、はやく悟らせようとしているのか?
悟らないと切り抜けられないような状況を作り出し、悟らせようと私の心はしているのだろうか。
鬼和尚と言う形を取る私の精神に相談することまで計算に入れて、全てが悟りに一直線の構造が作動しているような気もします。
両親とは長年離れて暮らしていましたが、生きてこの世には人間と言う形で生活する限りは、その縁は消えることなく続き、結局、距離の問題ではなく、意識の問題なのでした。

918長文失礼します:2015/09/05(土) 19:02:32 ID:OdDNzuM60
私は自分のやりたいことを生業にして生きていきたい。しかし、それは親の安定志向とは矛盾します。
しかし、私の直観が、やりたいことをやって生きることが結局は安定にも、良き伴侶を得ることにも繋がることだと教えているのですが、それが分からないと思われる。
安定を求めて学歴を手に入れる為に努力した事で私の精神は崩壊寸前まで行ったし、人生全体のバランスも非常に悪くなりました。
仕事もそうで、目先の安定を求めて、自分の適性を考慮しないで仕事を選んでも、結局続かない。
急げば廻れなのですが、全く理解されず、貴方の為を思って言うのです攻撃を仕掛けられ閉口してしまいます。
しかし、これは、親に仮託した私自身の安定志向の表現なのか?
私自身の安定志向を親に代弁させて、私から切りはなそうとしている欺瞞があるのではないか?
そのような疑いもありますが、私の直観、素直な感情として、自分のやりたいことを仕事にして生きていきたいと言うのがあります。
やりたくないことで成功しても苦痛だし、そもそもやりたくないので成功しません。

919長文失礼します:2015/09/05(土) 19:24:02 ID:OdDNzuM60
独身で両親と同居されていると言う鬼和尚も、悟る前にはこの手の「親の愛」には苦労したはずだと私は睨んでいますが、鬼和尚の場合はどのようにしてこういった問題を切り抜けたのでしょうか。
もっとも、かなり若くして悟られたようなので余り問題にならなかったのでしょうか
悟った後も、人間であるご両親は、結婚してくれとか言ったのではないかと思いますが、悟ってからは、上手にあしらっているのでしょうか、或いはもっともっと深い愛情で受け止めているのでしょうか
ある意味ではそのような事を言う両親すらも菩薩のような心境で受けいられれば、怖いものなしと言うか、自他に不幸をもたらしませんよね
うんうん、有り難うね。頑張ってみるよといいながら、自分のやるべきことをやると言うような

920長文失礼します:2015/09/05(土) 19:43:25 ID:OdDNzuM60
話は変わりますが山口組の六代目って、恐ろしく頭が切れますね。
ちょっと人間離れしているくらい。
離反した親分衆だけでなく、警察の存在すら利用しているのではないかと言うくらい鮮やかなやり方ですね。
反対勢力の組長だけをパージして、その組員と地盤はそのままごっそり吸収しちゃうと言う。
明らかに孫子とかそう言うレベルの戦略家です。
抗争を起こしても起こさなくてもアウトと言う状況下で、表立っては戦わずして、しかも権威を落とさず、実利もしっかり得ると言う離れ業を成功させそうです。

921鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/05(土) 20:28:00 ID:arkQZP/20
>>909 そのようなものじゃ。
 本当は涅槃さえも無によってのみ表されるものであるがのう。
 対象も無く主体も無い意識のみなのじゃ。

>>910 そうかもしれん。
 そう考えれば苦から一時的に逃れられるからかもしれん。
 さらに心を観察してみるのじゃ。

>>911 どういたしまして、またおいでなさい。

>>912 気づいたからじゃろう。
 知識ではなく気づく事で実感できるのじゃ。
 そのようにして謬見は厭離されるのじや。

>>913 傷つけるという事も無いのじゃ。
 傷も無いのじゃ。
 自他も無いのじゃ。
 まだ自他があればそのように思うのじゃ。

>>914 そうじゃろう。
 人間は50年で死ぬとか思っていたのじゃ。
 100年と思っていたらもっと長生きできたじゃろう。

 おぬしがそう思うことで環境もそうなるじゃろう。
 
>>915 本当にそう思えば妨害は無いじゃろう。
 執着が残っていればそれもあるじゃろう。
 
>>916>>919 自分の好きなことをやればよいのじゃ。
 本当は親に何も言う必要は無いのじゃ。
 親に言うことで、楽な道を選ぶように自分に薦めているのじゃ。
 自ら決意して断じて行えば鬼神も避けるというのじゃ。
 親から離れて自分の道を行くと良かろう。

922避難民のマジレスさん:2015/09/05(土) 21:35:27 ID:V2/moIC.0
>>921
お答えありがとうございます。

対象も無く主体も無いということは主客がないということですよね。
認識は主体と対象という主客があって成り立つものと思いますので、
「対象も無く主体も無い」という認識がどうして存在でき、
その記憶が残っているのかがよくわかりません。

それが和尚さまがよく仰っている認識自体も消えるということなのでしょうか?
対象も無く主体も無い間、「対象も無く主体も無い」という認識のようなものはあるのでしょうか?
それとも対象も無く主体も無い間は何も無く、再び自我というか主客が生じて、その間の認識が生じるのでしょうか?

そういったことは言葉で説明することはむずかしく、
結局自分で悟るまではわからないことなんですかね

923避難民のマジレスさん:2015/09/05(土) 21:45:59 ID:V2/moIC.0
仏陀が涅槃について下記のように説明したとありますが、涅槃とはそのようなものでしょうか?
鬼和尚さまなら涅槃をどう説明されますか?
「対象も無く主体も無い意識のみ」ということでしょうか?

http://d.hatena.ne.jp/pali/20120918/p1
「比丘たちよ、このような状態があります、そこには地も、水も、火も、風も、

空無辺処も、識無辺処も、無所有処も、非想非非想処も、この世も、あの世も、月と太陽の両者もありません。

さらに、また、比丘たちよ、私は[誰かが、そこから]来ることを、[そこへ]行くことを、[そこに]住むことを、

[そこで]死ぬことを、生まれ変わることを説きません。

これ(涅槃)は、[何ものにも]依存せず、[何ものにも]作用せず、[つまり縁起の]対象になりません。

これ(涅槃)こそが苦の終り(滅)です」

924そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/09/06(日) 14:18:19 ID:IELU7IwE0
鬼和尚
ストレスや不安を感じることはありますが、それは一時的なもので、しばらくすると霧消していきます。
そのせいか、何かこれをやりたい、こうなりたい、これはやりたくない、なりたくない
という気持ちがとても弱くなってきています。
このままでいいのでしょうか。

925鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/06(日) 21:15:36 ID:arkQZP/20
>>922 主客も本来観念であり、実体無く幻想のみなのじゃ。
 観念の無い時、全ては一つとして認識されるのじゃ。
 心身の全てを含む一つなのじゃ。
 そのような認識こそ本来のものなのじゃ。
 悟りを得て真に実感できるじゃろう。

>>923 そのようなものじゃ。
 涅槃もアートマンと同じく無によってのみ表されるものじゃ。
 観念を超越しているから言葉では無としか表されないのじゃ。
 本来いかなる名前もイメージも無いのが涅槃なのじゃ。

>>924 それでよいのじゃ。
 囚われが少なくなってきたのじゃ。
 本当に必要な事だけをするようにすればよいのじゃ。
 二度と戻らぬ希少な時間を必要な事をするのに費やすが良いのじゃ。

926避難民のマジレスさん:2015/09/06(日) 22:16:59 ID:AAlSkTLM0
やりたい事をやろう→会社辞めよう→無職になったらかかる費用を計算する。→無理じゃん→仕事に行こう→やりたい事をやろう→繰り返し

何かこの循環を打破する方法は無いでしょうか

927避難民のマジレスさん:2015/09/06(日) 22:26:52 ID:AAlSkTLM0
三年くらい前にも相談したのですが、当時と違うのは、金持ち父さんの本を読んで、資産を買って資産収入があることなのですが、それが年間三百万近くの収入になっている。つまり、収入はさておき、利益は大したことないのに無職になったら保険料も住民税も容赦なくかかることになるし、下手すると、いや確実に、所得税もかかる。
このパラドックスはどう解決すればいいのだろうか

928避難民のマジレスさん:2015/09/07(月) 03:21:23 ID:V2/moIC.0
>>925
お答えありがとうございます。
認識が主客から成り立っているというというのも観念というか錯覚かもなと思えました。
涅槃に関してのお話ももありがとうございました。
お答えを参考にして実践していきたいと思います。
ありがとうございました。

929鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/07(月) 20:53:02 ID:arkQZP/20
>>926>>927 そこまで出来たのならばあせらず資産を増やすと良いのじゃ。
 収入を生む資産が多くなれば収入も増えるのじゃ。

 法人になればいろいろ得をすることもあるのじゃ。
 金持ち父さんも言っているように政府が助けるのじゃ。
 重商政策によって稼ぐ者を助けるように法が出来ているのじゃ。
 税金が安くなるとか、金を貸してくれるとかじゃな。
 そのような利点を利用して資産を増やしていくと良いのじゃ。

>>928 そうじゃ、観念に囚われずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

930避難民のマジレスさん:2015/09/07(月) 21:54:35 ID:/.l8.AEQ0
わかりました。
もう少し資産を増やしてみます。
ただ、私が求めているのは、資産そのものではなく、悟りや芸術に費やす時間が欲しいのであり、その手段として資産を作ったわけで、資産を管理する時間が余り多くなっても本末転倒してしまいます。
まあ、年間三百万も資産収入があれば十分じゃないかと言う気もするのですが、この程度だと税金で持っていかれて、結局働かねばならんと言うことになりそうなので、資産による収入は1000万を目処にしたいと思います。
やはり法人を作って管理した方がよいのでしょうか。
財団法人になるのか。なんか仏陀になりたいのに、財閥になりそうで怖い。

931避難民のマジレスさん:2015/09/07(月) 22:21:59 ID:RKrUXRoI0
鏡で自分の顔を見るという修行はあり得ますか?

932避難民のマジレスさん:2015/09/07(月) 23:58:13 ID:tXmdxJWE0
信念を持って善行為をするのと何の信念も見解もなく善行為をするのとでは
何かしらの差がありますか?

物事は心によって創りだされるのであれば偽善行為は善であってもやはり
それなりの結果にしかなりませんか?
それとも偽善であっても結果救われる人はいるので行為のほうが重要でしょうか?

933素人A:2015/09/08(火) 07:31:20 ID:gOqWUDAs0
信念をもつて行う銭行為 時は金なり ああ金が無く只空見上げる
うそ小金はある私 悲しい空の色がアート観れないのか

934避難民のマジレスさん:2015/09/08(火) 16:01:49 ID:Elpwrbn.0
鬼和尚、
例えば手を目で見て観察することにより、自我の投射が止み厭離することができます。
そこで、座っているときの足の感覚や、思考などの心の各機能に関しても同様に観察による厭離ができるのではないかと思って試してみたのですが、なかなかうまくできません。

足の感覚の場合は目で見ずに、その感覚を詳細に観察しようとするのですが、厭離されません。
思考の場合、観察していると自我が厭離される前に思考自体が消えてしまいます。
そもそも、このような方法では厭離が難しいのでしょうか?
それともやり方に何か問題があるのでしょうか?

935鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/08(火) 21:17:47 ID:arkQZP/20
>>930 そうじゃ、法人にして管理するものを雇い、自分は報告を受けるだけにすれば良いのじゃ。
 そうすれば時間も出来るのじゃ。
 他の会社に外注しても良いのじゃ。
 いろいろ考えてやってみるのじゃ。

>>931 おぬしがやってみて何か効果があれば在り得るじゃろう。
 効果が無ければ無意味なのじゃ。
 それでも無意味であったという知識は得られるのじゃ。
 自ら実践によって確かめるのじゃ。

>>932 信念の有無に関わらず報いはあるじゃろう。

 偽善ならば報いは無いじゃろう。
 すでにそれによって名声とかを得ているからのう。
 動機が大事なのじゃ。

>>934 それは未だ触感や思考の観察が出来ていないからなのじゃ。
 眼で見る観察は出来ているのじゃ。
 更に集中と観察の修行が必要なのじゃ。
 観察する意識と思考が争っているのじゃ。
 集中力が上がれば思考はそのままに観察が出来るように成るじゃろう。

936グルジェフファン:2015/09/09(水) 19:55:04 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さま

ここ数日、過去の出来事に対して、起きたこと起きてないことが
妄想として浮かんできて、過去の記憶が書き換わってしまい、
過去の記憶で、何が真実だったのかわからなくなりました。

私は、頭がおかしくなってるのでしょうか?

937避難民のマジレスさん:2015/09/09(水) 19:58:05 ID:Elpwrbn.0
>>935 ありがとうございます。
自我が投射されている対象の観察が正しくできれば、それがどのような対象であっても自我の投射は止まるのでしょうか?

938鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/09(水) 20:55:58 ID:arkQZP/20
>>936 記憶は実は相当入れ替わっているものじゃ。
 過去の日記や写真を見れば、自分の記憶とかなり違うのがわかるじゃろう。
 それがわかるようになってきただけなのじゃ。
 大事な事ならば日記に書いておいたりすると良いのじゃ。
 囚われなくて良いのじゃ。

>>937 投射が観察できれば対象を問わず、厭離ができるじゃろう。
 大抵は自分が最も自分と感じている物事への投射を観察して厭離するのであるがのう。
 ただの感覚でも起こるのじゃ。
 一休がカラスの声を聞いて悟ったとかじゃな。
 それが起こるまで精進あるのみなのじゃ。

939グルジェフファン:2015/09/09(水) 23:46:50 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さま

「苦」と「恐怖」の違いは何ですか?

940避難民のマジレスさん:2015/09/10(木) 16:31:08 ID:WWQkaV3A0
苦は苦しい、恐怖は怖いじゃ。

941避難民のマジレスさん:2015/09/10(木) 17:02:54 ID:B063L1XQ0
>>938 ありがとうございます。
これまでは、縁起によって対象に自我が投射される瞬間を観察できないと厭離は起こらないと思っていたのですが、対象に既に自我が投射されている場合でも、観察によって厭離できるということでしょうか?

942鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/10(木) 21:04:16 ID:arkQZP/20
>>939 苦は縁によって起こるものじゃ。
 恐怖は予見する事で起こるものじゃ。
 苦が起こるとか、痛みが起こるとか予見すると恐怖が起こるのじゃ。

>>941 特に強い集中力があればそれも可能じゃろう。
 大抵はそこまで強い集中力が無いから起きた瞬間を観察するしかないのであるがのう。
 縁起の法を強い集中力で限りなく繰り返せば可能になるかもしれんのじゃ。

943避難民のマジレスさん:2015/09/11(金) 18:44:42 ID:Roos6ddg0
過去に起こしたことで今でも罪悪感に苛まれます。
2度と会わない、会えない人たちなので謝ろうにも謝れず
ふとした時にフラッシュバックでしばらく落ち込みその繰り返しです。

どうすれば解消できますか?
そもそも罪悪感は持たなくてもいいのですか?
反省して二度としないと思えばそれで報われるのでしょうか?

944グルジェフファン:2015/09/11(金) 20:24:26 ID:7.whBBmU0
鬼和尚さま

1日中ずっと苦が止まらず、苦しいです。
瞑想できません。

どうすれば良いですか?

945鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/11(金) 21:05:30 ID:arkQZP/20
>>943 罪悪感は持たなくて良いのじゃ。
 懺悔告白し、二度としないと誓えば許されるのじゃ。 
 それでも常に罪悪感があるならば、それも囚われとなるのじゃ。
 過去の記憶に囚われているのであるからのう。
 日常でも気をつけて二度としないようにすればそれで良いのじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

>>944 その苦を観察するのが修行なのじゃ。
 どのような苦であるか観察によって明らかにするのじゃ。
 そして苦の原因を探すのじゃ。
 原因から苦が起こり、原因が無ければ苦が無いことを観察するのじゃ。
 そのように観察すれば苦は滅するじゃろう。

946避難民のマジレスさん:2015/09/11(金) 21:42:19 ID:WWQkaV3A0
>原因から苦が起こり、原因が無ければ苦が無いことを観察するのじゃ。

鬼和尚、それは普通の人間には難しすぎます。

947鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/12(土) 21:23:48 ID:arkQZP/20
>>946 何度も行えば出来るようになるのじゃ。
 苦があればそうせずにはいられないからのう。
 大抵は執着が苦の原因なのじゃ。
 何かに執着している自分が、執着が無くなったらどのように感じるのかイメージしてみるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

948避難民のマジレスさん:2015/09/13(日) 21:13:39 ID:LC3de7YgO
>>947
「苦」から逃れるためにを執着なくす。

究極の「苦」である「死」(に対する恐怖)から逃れるために、「生」への執着をなくす。

で、それができたら、執着なく、目の前のことごとに取り組む。

執着そのこと自体が悪いのではなく、「苦」を逃れるための近道、方法として有効だよという理解でよいのでしょうか?

それとも、「執着」そのものが悪いのでしょうか?

(´・(ェ)・`)ゞ

949避難民のマジレスさん:2015/09/14(月) 11:36:28 ID:RdZHtgyQ0
和尚さま、こんにちは。

瞑想中に歌が頭の中でループする時は、
他に意識を向けて無理にでも止めようとした方が良いのでしょうか。

それとも、
ただ流れるままに放って置いた方が良いのでしょうか。

950避難民のマジレスさん:2015/09/14(月) 18:18:29 ID:P0cvDc7Y0
>>原因から苦が起こり、原因が無ければ苦が無いことを観察するのじゃ。
そのように観察すれば苦は滅するじゃろう。

原因がないことになるにはどうしたらいいのですか?
記憶から抹消するのでしょうか?ただ原因を観察し厭離するのですか?
そこのあたりがよくつかめません。

記憶に依存するから執着が起こる、苦が起こるのなら
今までの経験、記憶はどのように扱えばいいのでしょう?

記憶と経験に依存しないと何度も同じことを繰り返しそうですが。
又バカなことやった、とか。又同じ悪い子としてる、とか。

951避難民のマジレスさん:2015/09/14(月) 19:10:37 ID:DR8a3KFQ0
>>942
自我が起きる瞬間を観よというのは、弱めの集中力でも自我が厭離できる方法なのですね。
最短の道を説いてくださり、ありがとうございます。
日常から自我の働きに気をつけるようにして、引き続き励みます。

952鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/14(月) 20:46:41 ID:arkQZP/20
>>948 そのような理解で良いのじゃ。
 執着もまた心の現われの一つであるからのう。
 ただそれが苦を生むから観察によって滅したら良いのじゃ。
 そのように実践していくのじゃ。

>>949 他の雑念と同じく放っておくが良いのじゃ。
 それに意識を向けないで置くと、自然に止まっていくのじゃ。
 止まってきたとか思うとまた始まるのじゃ。
 何事にも囚われず自然のままに流していけば、より深い瞑想に入れるのじゃ。
 それが瞑想のコツなのじゃ。

>>950 原因が無い事になろうとしなくてよいのじゃ。
 ただそれを観察すれば自然に滅するのじゃ。

 例えば執着の対象を思い浮かべれば、苦も生じるじゃろう。
 その対象への執着が無い自分をイメージして、執着の対象を思い浮かべても苦は生じない事が判るじゃろう。
 そのようにイメージして、執着が無ければ苦が生じない事を観察するのじゃ。

 記憶はそのままあるのじゃ。
 今執着が無ければ、今の苦は生じないだけなのじゃ。
 記憶が変化したりなくなったりするのではないのじゃ。
 過去の記憶にも今執着があれば苦が起こるのじゃ。
 記憶は変わらなくとも、執着が無ければ苦は起こらないだけなのじゃ。

>>951 そうじゃ、止観の道が一番の近道なのじゃ。
 実践あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

953避難民のマジレスさん:2015/09/15(火) 03:18:43 ID:nrG11Fgg0
>>952
>その対象への執着が無い自分をイメージして、執着の対象を思い浮かべても苦は生じない事が判るじゃろう。

対象への執着がない自分をイメージ。。すごく難しい気がします。
執着がないってことはつまりどういうことなのかが自分はわかってないようです。
好きも嫌いもなく関心も無関心もない、ただ見るのみってことですかね。
例えば私はお酒呑まないのでなんの関心も無関心も好きも嫌いもないのですが
好きな人はお酒に関心ありまくりなのでないと困る。
これが執着している という感じかな?中毒や依存とは違いますか?

954避難民のマジレスさん:2015/09/15(火) 09:46:39 ID:KWwZX6uI0
和尚さま、ありがとうございます。

>それに意識を向けないで置くと、自然に止まっていくのじゃ。

今までは歌にしろ雑念にしろ、
何か浮かんだら川を眺めるるように、それに意識を当てて見ていたのですが、

そうではなく、意識を当てない方がよいということでしょうか。
川に例えると、川の方に目は向けているけど、意識は川に向けていないという感じの方が良いのでしょうか。

955そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/09/15(火) 20:53:56 ID:.5ANVfuM0
鬼和尚
心に大きな不安がある人と接すると
自分の心も影響されて不安が大きくなり、防衛反応として攻撃的になります。
つまり、相手と同じようになります。
このような場合はどうすればいいのでしょうか。

956鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/15(火) 21:43:41 ID:arkQZP/20
>>953 集中力が身に付けば容易になるのじゃ。
 観念を自在に操れるからのう。

 今ある執着が無い事をイメージすれば良いのじゃ。
 女子に執着があるならば、その女子への執着が無い自分をイメージするのじゃ。
 好きではない、好きになってもらいたい願望がない状態なのじゃ。

>>954 そうじゃ、呼吸に集中しているならば呼吸にのみ意識を向けるのじゃ。
 歌や雑念は流れていくままにするのじゃ。
 そのようにしていれば自然に止まる時が来るのじゃ。
 自然に止まれば瞑想もより深い境地に入れるのじゃ。
 意識して止めていればいつまでも浅いままなのじゃ。
 そのような違いがあることを知って実践に励むのじゃ。

957鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/15(火) 22:11:21 ID:arkQZP/20
>>955 それを観察するのじゃ。
 自分も影響されている事を観察するのじゃ。
 影響されていれば影響されていると観察するのじゃ。
 観察して影響が離れれば、影響が離れたと観察するのじゃ。
 観察する立場を離れないようにするのじゃ。
 数息観を常に行っていれば何にも動揺しない不動心が養えるじゃろう。

958避難民のマジレスさん:2015/09/16(水) 15:15:51 ID:aA/cwlyI0
>>956 
>集中力が身に付けば容易になるのじゃ。観念を自在に操れるからのう。
今ある執着が無い事をイメージすれば良いのじゃ。

好きでも嫌いでもない、対象に対する願望が何もないのが執着がない 
ということでいいのですかね。

嫌い、嫌だということも執着なんですね。

観念を自在にコントロールできる、嫌いにもなれるし好きにもなれるけど
その必要もない、観自在なんですね。

ありがとうございます。難しそうですが実践してみます。

959避難民のマジレスさん:2015/09/16(水) 16:33:15 ID:RdZHtgyQ0
>>956
和尚さま、ありがとうございました。

引き続き実践に励みます。

960鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/16(水) 19:46:33 ID:arkQZP/20
>>958 そうじゃ、言葉とイメージによる観念が操れれば心も操れるのじゃ。
 日々続けていけば出来ない事も出来るように成るじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

>>959 どういたしまして、またおいでなさい。

961避難民のマジレスさん:2015/09/18(金) 17:29:20 ID:1doIMXqQ0
生き物を殺生しなければ生きていけないというのも業のうちなのですか?
弱肉強食は避けられないのでしょうか?
知性が高くなれば弱肉強食は克服できるようにも思えますが。
人は少なくとも先進国では一応食べ物を選択できるまでにはなってますし。

962鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/18(金) 20:14:18 ID:dGpDObYM0
>>961 そうじゃ、それもまた報いの一つといえるじゃろう。
 そのような環境に生じるのが報いなのじゃ。
 それでも慈悲によって殺生を減らせば善事になるものじゃ。
 そのような食べ物を選択すると良いのじゃ。

963避難民のマジレスさん:2015/09/19(土) 12:18:01 ID:1doIMXqQ0
>>962
この環境に生じるのはかなりの報いですね。
食べなければ死ぬしかも生き物を、というのは。このためだけにかなりの苦を生じなければならないですよね。
この環境は結構当たり前なのでしょうか?それともまだレベルとしては下の方なのでしょうか?
天の者に生じれば又違うのですか?

964鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/19(土) 20:28:41 ID:dGpDObYM0
>>963 動物の一つ上なのじゃ。
 天では食べなくても生きられるのじゃ。
 意識だけならばもはや生死も無いのじゃ。
 それら全てが本来は全て意識であるがのう。

965避難民のマジレスさん:2015/09/19(土) 23:37:22 ID:HOGgyE920
>>964
お答えいただきありがとうございました。
食のためとはいえ無益な殺生はせず慎みを忘れないようにします。

966避難民のマジレスさん:2015/09/20(日) 08:18:06 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、おはようございます(´(∀)`)/
新しい職場で2ヶ月が過ぎました。

一日8時間半座っての仕事であり、集中力を持続することが求められるので、身体は使わなくもけっこう疲れます。
しかし、運動不足解消のため、職場か自宅近くの公立体育館のトレーニング室にでも通おうかと、昨日ユニ●でトレパンを買ってきました。

集中しても、疲れない方法とかありましたら教えてください。

無我夢中になれば、疲労も感じないものなのでしょうか?

967鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/20(日) 21:35:45 ID:dGpDObYM0
>>965 そうじゃ、善いことを心がけるのじゃ。
 そうすれば善い報いがあるじゃろう。
 またおいでなさい。

>>966 ほんの少しの時間でも休むのじゃ。
 数息観などをするとよいのじや。
 目を閉じて10秒数えるだけでも良いのじゃ。
 呼吸法も良いのじゃ。
 いろいろ実践してみると良いのじゃ。

968避難民のマジレスさん:2015/09/20(日) 21:56:51 ID:LC3de7YgO
>>967
鬼和尚、ありがとうございます。
(´・(ェ)・`)/
出勤時には歩きながら不動明王の真言を唱え、下丹田を意識しながら腹式呼吸を行ってます。
始業前には2〜3分ですが、意識的に数息観を行い、昼休みには近くのお寺さんで線香をあげ、般若心経を唱え、神社にもお詣りしています。
以上は再就職後今のところ一度も欠かしたことはありません。

精神的な疲れだけであり、身体は疲れてないはずなのですが、倦怠感が重くのしかかるのは一種の錯覚みたいなものかとも思い、無視しようとするのですが、なかなかしぶといです。

そこで、禅、瞑想を知る前に実践していた自分なりストレス解消法なのですが、ストレスには別の種類のストレスをぶつけて解消するという、チョピっと野蛮な方法なのでありますが、仕事おわりに体育館に行き筋トレをはじめてみようかと思案中であります。

969鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/21(月) 21:20:19 ID:arkQZP/20
>>968 なにやらやり過ぎのようじゃ。
 何もせず休むのも大事なのじゃ。
 スポーツもやり過ぎなければ良いのじゃ。
 お金を貯めて資産を築くのじゃ。

970避難民のマジレスさん:2015/09/21(月) 21:56:19 ID:LC3de7YgO
>>969
鬼和尚、ありがとうございます。

過ぎたるは及ばざるが如し、でありますね。(´・(ェ)・`)ゞ

そうなのであります。長期にわたる失業中に預貯金を使い果たしてしまったので、これから懸命に資産を作らないと、大変なのであります。

そのためにも、疲れてる場合ではないのでありますが、なかなかうまく行かないものでありますね。

971避難民のマジレスさん:2015/09/22(火) 16:52:11 ID:Q9ukOLtI0
お金を節約してる時に何故か不意の出費が多いです
逆にあまり節約考えてない時のほうが出費が少ない気がします
節約してるのになんで貯まらないのかわかりません
単なる気のせい、偶然でしょうか?

972避難民のマジレスさん:2015/09/22(火) 16:54:50 ID:Q9ukOLtI0
>>971に付け加えて

お金が無いときに何故か不意の病気や身内の不幸やら
赤字でも出費しなければならないことが多いです。

973鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/22(火) 21:04:14 ID:dGpDObYM0
>>970 必ずうまくいくと確信すれば全てがうまく行くのじゃ。
 お釈迦様もものごとは心で作られるといっているのじゃ。
 成功した理想の自分の姿をイメージするのじゃ。
 瞑想中でも良いのじゃ。
 そうすれば本当に成功するじゃろう。

>>971>>972 偶然ではないのじゃ。
 お釈迦様もものごとは心で作られるといっているのじゃ。
 心の中にうまくいかない自分のイメージがあるのじゃ。
 それがあるとその通りに環境を選び、行動したりするのじゃ。
 言葉やイメージには行動への指針が含まれているからのう。

 全てがうまく行った理想の自分をイメージするのじゃ。
 言葉で成功した自分を褒め称えるのも良いのじゃ。
 成功した事に感謝の言葉を先に唱えるのも良いのじゃ。
 そうすれば全てがうまく行くじゃろう。

974避難民のマジレスさん:2015/09/22(火) 22:33:03 ID:LC3de7YgO
>>973
鬼和尚、ありがとうございます(・(ェ)・)/

>必ずうまくいくと確信
>成功した理想の自分の姿をイメージする


今までは神仏を詣る時頼みごとはせず、ただ感謝の念を捧げるという思いでしたが、これをまだ未実現のことを実現したこととして、神仏に感謝するというようなことでもよいのでしょうか。

それとも、そのような間接的なことではなく、直接的に自分の成功した姿を具体的に詳細にイメージする方が良いのでしょうか?

975避難民のマジレスさん:2015/09/23(水) 06:13:06 ID:.vQAh9KI0
>>973

節約しているときは金銭に余裕が無い時ばかりなので
「お金が無い」という心が反映されてしまうのですね。
マイナスイメージがもともと強いのでプラスのイメージを
瞑想など併用して心がけていきます。

お答えありがとうございます。偶然でないとわかってよかったです。

976避難民のマジレスさん:2015/09/23(水) 17:14:21 ID:NqcJFTOc0
>>483
求職の件で質問した者です。ご回答頂き大変ありがとうございました。
ご助言を参考に探していますがまだ決まらずにいます。
少し変わった形で決まるとの事なのですが、どういった形なのでしょうか?
何とか今年中に決めたいのですがどうすれば良いでしょうか?
何度も申し訳ありません。宜しくお願い致します。

977鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/23(水) 20:29:16 ID:arkQZP/20
>>974 両方やると良いのじゃ。
 感謝するのも良いのじゃ。
 成功して感謝している自分をイメージするとか両方を一度にイメージしても良いのじゃ。
 毎日続ける事で力になるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>975 そうじゃ、成功した自分をイメージするのじゃ。
 そうすれば次は善い偶然が起こるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>976 おぬしも就職が決まって感謝している自分を詳細にイメージすると良いのじゃ。
 確信がわくまで何度もイメージするのじゃ。
 そうすれば早く決まるじゃろう。

 例えば野球が好きでも誰でも野球選手になれるわけではなく、能力に応じて野球用品の販売員になるというようなことじゃ。
 能力に応じて出来る事が決まり、願う事も少し変化して叶うのじゃ。
 現実では妥協も必要なのじゃ。
 全てが自分の願う通りではなくともやがてよくなることもあるからのう。
 少しでも良いと思えば広い気持ちで受け入れるのじゃ。

978避難民のマジレスさん:2015/09/23(水) 21:08:29 ID:LC3de7YgO
>>977
鬼和尚、ありがとうございます。
(´・(∀)・`)/
毎日お寺さんと神社にお詣りしてるので、そこで
成功して感謝している自分をイメージするとか両方を一度にイメージしてみます。

どうも、へんに謙虚になってしまい、神仏に願い事をしないだけでなく、「今あることだけで十分です」的な思いがありましたが、もっと積極的に、「こうありたい」というイメージが実現していることとして心底感謝するようにしてみます。

どうもそのようなイメージを抱くことは、強い執着になるような気がしていたのですが、これは、「苦」を引き寄せるものとしての「執着」とはちがうようでありますね。


私は、長期にわたる失業中、特に再就職決定までの半年間はギリギリの究極の耐乏生活で、不安はあったはずなのですが、鬼和尚に教えていただいた、修行の実践で不思議なほど、不安も苦も感じずに乗り越えることができました。

今は、瞑想を休んでしまっておりますが、いずれ近いうち再開しようと思っております。

979避難民のマジレスさん:2015/09/23(水) 23:05:52 ID:NqcJFTOc0
>>977
ご回答ありがとうございます。はい、何度も就職したイメージをしてみます。
なるほど、分かりました。広い気持ちを持って行動して行きます。

修業の実践も精進して参ります。
また何かありましたら宜しくお願い致します。

980避難民のマジレスさん:2015/09/24(木) 18:18:31 ID:5FwZ1I3g0
普段の生活で、ボーッと思考にふけっていることがおおくて、現実を過ごすことができていないです。
例えば、ご飯をたべるときに、いつのまにか他のことを考えていて、本当にはご飯を食べていないようなことです。
読んだ本に、ご飯を食べるときは、ご飯を食べることに集中するとかいうこたが書いてあったんですが、集中するのがまた難しいです。
ご飯を食べるときに、どうせ他のことを考えるんだったら「いま、お箸でご飯をつかんだ、噛んだ。甘さがある。」
とか、心の中で実況中継したほうがマシですか?それならできそうですけど、それで思考が観察できるようになるのか不安です。
それとも、やっぱり思考を観察するということに集中できるようになったほうがいいですか?

981避難民のマジレスさん:2015/09/24(木) 20:02:17 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、ありがとうございます。
(´(ェ)`)/

既に望む結果が出たかのように強く思い、感謝する。
これを、出勤途上と昼休みにやってみたところ。

そうなりました。

狐につままれたくまのようであります。

毎日やってみます。

毎日実現したら、うぅぅ・・・たいへんなことになりそうでありますが。


ここは落ち着いてがんばります。

982避難民のマジレスさん:2015/09/24(木) 20:25:45 ID:V7QCtwwo0
鬼和尚
死の不安・恐怖は何故起るのでしょうか?
死を受け入れたいのですが、凄く死から逃げてしまっています
死を受け入れいれるための思考方法と修行方法を教えて頂けますでしょうか?

983鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/24(木) 21:12:37 ID:arkQZP/20
>>978 そうじゃ、生活に必要なものは手に入れて良いのじゃ。
 執着しなければ苦にはならないのじゃ。

 良かったのじゃ。
 実践する者だけが進歩していくのじゃ。

>>979 どういたしまして、またおいでなさい。

>>980 そのようなやりかたで良いのじゃ。
 意識的に成れるじゃろう。

 瞑想をすればさらに心をコントロールし易くなるじゃろう。
 いろいろ試して自分に合った方法を見つけると良いのじゃ。
 それが自分の道に鳴るのじゃ。

>>981 良かったのじゃ。
 日々続ければ確実に成功に近づいていくじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>982 それは自分が一つの個体であるという観念が有るからなのじや。
 個体であるという観念があれば、個体の消失である死が怖くなるのじゃ。
 しかし個体があるという観念も、実は記憶によって作られた謬見に過ぎないのじゃ。
 実際には他の存在から離れた個体は無く、呼吸とか食べ物とか空間によって全ては繋がっているのじゃ。

 瞑想を続けていれば個体という観念を忘れるサマーディに入るのじゃ。
 其処まで行けば死の恐れもなくなるのじゃ。

 初めのうちの努力して集中する状態をダーラナというのじゃ。
 瞑想が深くなって努力しなくとも集中が続く状態をディヤーナというのじゃ。
 さらに深くなって自分を忘れるとサマーディに入るのじゃ。

 努力しなくとも瞑想が続けられるディヤーナの状態まで行ったら、自分は自分の名前とイメージを忘れると、強く念じればサマーディにも速やかに入れるのじゃ。
 死の恐れの無い境地を見る事が出来るじゃろう。

984避難民のマジレスさん:2015/09/24(木) 22:07:41 ID:C/T5ZDdo0
いつも回答有り難うございます。質問です。
集中しながら寝ようとすると転ぶ夢とか落ちる夢とか怖い夢をみます
三昧に入った夢を見ましたが、そのあとオッサンにぼこぼこにされる夢をみました
これはとても怖いです。あえて自分で見ているのでしょうか。なにを観察すればいいでしょうか。

985避難民のマジレスさん:2015/09/24(木) 22:22:34 ID:hJKgMYzg0
>>983
>>980です。
坐禅で数息観もしてます。それも続けます。
とりあえず、ボーッとする時間を少なくするために、なんでも実況中継することをやろうと思います。
ありがとうございました。

986避難民のマジレスさん:2015/09/25(金) 09:40:15 ID:hWBSAWBE0
和尚さま

食欲を満たしすぎると向上心が低くなり、
性欲を発散しすぎると精神力が弱くなるような気がします。

食欲の方は消化エネルギーを考えると何となく理由がわかるのですが、
性欲の方はよくわかりません。

やはり性エネルギーというのは存在するのでしょうか。

987避難民のマジレスさん:2015/09/25(金) 10:07:05 ID:hWBSAWBE0
和尚さま
もうひとつ、ご教授ください。

例えば食べ過ぎてやる気が起きない状態のとき、

①この感情は記憶の刷り込みにすぎない。
 消化に忙しく体を休めたい状態になっているため、だるいという感情を想起させているだけだ。
 だから本当はだるくない。

と思うようにしてスパルタ的に自己イメージを変えた方がいいのか、それとも

②いま自分はだるい思っている。

とだけに気づいて、その時の感情を感覚するだけにした方がいいのか、
どちらが良いのでしょうか。

988避難民のマジレスさん:2015/09/25(金) 10:19:31 ID:mtQe6ZPo0
鬼和尚さま

自分の根っこの執着などに気づくと、自分なんていないんだなと思える状態になり、
その間は死が怖くないというか、死の意味自体わからなくなって死を考えることができなくなりますが、
時間がたつと、また自分という観念や自我が芽生えるのでしょうけど、死や消滅が怖くなります。

死が怖くなくなった状態から何をすべきでしょうか。
ただ観察を続けて、その状態に留まれるようにするしかないのですかね。

「自分は自分の名前とイメージを忘れると、強く念じれば」とのことお話がありましたが、
そういうこともするときがあるのですが、そういう新たな自己イメージ(自分などないというイメージ)を作る、
自己催眠になるだけのような気もしてしまいます。
そう思ってしまうこと自体、自我の消滅の恐怖心なのでしょうか。

「自分の名前とイメージを忘れると、強く念じる」ようなことを日常普段から行うことは、
自己催眠にはならず、悟りの修行としてよいですかね?

989避難民のマジレスさん:2015/09/25(金) 10:36:13 ID:V7QCtwwo0
>>983
ありがとうございます
参考にさせて頂きます

990善慧:2015/09/25(金) 19:05:06 ID:WMhPM6lU0
鬼和尚さま、おかげさまで修行が少しずつ進んできました。
「自分」の理解は安らぎに繋がっていたのですね。
ただ最近エネルギー不足を感じるようになりました。
元々小食なので、気功やヨガを色々試してみたのですが、
かえって疲れてしまい、なかなか続きません。
どうも受入れるのが苦手なようで治療で触れられることにも抵抗を感じます。
こちらからお世話をする分は大丈夫なのですが、
気などエネルギーを受け取ることへの苦手意識を変えるには
どうすればいいでしょうか?何か良い方法があれば教えてください。

991鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/25(金) 21:55:17 ID:arkQZP/20
>>984 それはおぬしが夢を制御すべき事を教えているのじゃ。
 集中力があるならば夢の中で意志を持って夢を変えられるのじゃ。
 落ちるのは飛ぶ夢に変えるとか親父は棍棒で退治するとか、善い夢に変えると良いのじゃ。
 実践してみるのじゃ。

>>985 どういたしまして、またおいでなさい。

>>986 あるのじゃ。
 ボクシングの選手なども試合の一ヶ月前は性生活を控えるというのじゃ。
 それができないとろくに動けないで負けるというのじゃ。
 クンダリニーも性エネルギーを変換したものといわれるのじゃ。
 長く座るだけでも性エネルギーは頭脳のエネルギーなどに変わるのじゃ。
 試してみるのじゃ。

>>987 ②なのじゃ。
 それは精神ではなく肉体の反応であるから無理に変えないほうが良いのじゃ。
 ありのままに観察すると良いのじゃ。

992鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/25(金) 22:20:46 ID:arkQZP/20
>>988 その状態を観察すると良いのじゃ。
 それに完全に気づいたならば、無我になるじゃろう。
 その状態に留まろうとしなくて良いのじゃ。
 ただありのままに何度も観察するのじゃ。
 
 ただ名前とイメージを忘れるだけなのじゃ。
 自我の消滅などは思わなくて良いのじゃ。
 初めから無いものが消滅する事も無いからのう。
 忘れてもいつでも思い出せると、思っていて良いのじゃ。
 ただ自分の名前とイメージを忘れる事だけを試してみると良いのじゃ。

>>989 どういたしまして、またおいでなさい。

>>990 朝の日の光とか、善い気分のする樹木とかからエネルギーを受けてみると良いのじゃ。
 気にも相性があるというのじゃ。
 いろいろな樹とか、場所から受けるエネルギーを感じてみて、善い気分になるエネルギーを感じたら受け入れるのじゃ。
 ただ自分の中に善いエネルギーが入ってくるとイメージすると良いのじゃ。
 体が暖かくなってきたら本当にエネルギーが入っているのじゃ。
 ヨガや気功も続けてみるのじゃ。
 疲れるのは体力が不足だからなのじゃ。
 続ければ体力も上がって疲れなくなるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

993988:2015/09/25(金) 23:33:27 ID:mtQe6ZPo0
>>992
お答えありがとうございます。
名前やイメージを「忘れる」というような自然な感じで行うのはいいですね。
たしかに、自分をどうこうしようとしたら別の自己イメージを作りそうですし、
「忘れる」という感じでやるとよさそうだと思いました。
実践に関して力んでしまってる自分の内面にも気づきました。
お答え参考にやってみます。
ありがとうございました。

994避難民のマジレスさん:2015/09/26(土) 10:52:24 ID:hWBSAWBE0
>>991
和尚さま、いつもありがとうございます。
実際に試して確認したいと思います。
また肉体の反応は肉体の反応として観察しておくことにします。

あと気になっていたことでもあるのですが、
クンダリニーと禅定とは同じ状態のことを指しているのでしょうか。

995避難民のマジレスさん:2015/09/26(土) 16:04:19 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんにちは(´・(ェ)・`)/
長期にわたる失業は、修行実践にはむしろ好環境だったようで、修行実践により不安や恐怖、恥ずかしさや悲しさに苦しまず、究極の耐乏生活もむしろ粗食と計画的食習慣によるダイエットにより健康増進に繋がりました。

再就職し、一所懸命に目の前の仕事に打ち込み、目の前の経済的処遇ではそれなりに報われても、その他の点では小さい組織であることと、新人の悲しさで相変わらず理不尽な処遇を受けます。

失業中に客観的に存在していたはずの不安等に比べて遥かに小さいはずの対人関係における不快感や怒りなどに対して、堪え性のない自分に気付かされます。

しかし、後がないので絶対に我慢し、望む結果の実現をありありとイメージし、感謝を捧げ、成功を諦めずに50%の可能性をつねに信じて邁進します。
今の私には、その事が実社会における修行として適しているような気がします。

996善慧:2015/09/26(土) 18:43:13 ID:2C4soC9o0
鬼和尚さま、アドバイスありがとうございます。
体感できるのはわかりやすくていいですね。
このところの長雨で樹木は元気がなさそうなので、
早起きして良い気持ちになれる場所などを探してみようと思います。

ヨガや気功も継続が大切ですか…そうですか…
(鬼和尚さまのいけず!オニ!)という心の叫びも聞こえますが
志半ばで倒れて後悔しないように、自分に合った方法を見つけて、
気力体力UPを真面目に頑張りたいです。
季節の変わり目ですが、鬼和尚さま、皆さまもどうかご自愛ください。

997避難民のマジレスさん:2015/09/26(土) 18:54:56 ID:V7QCtwwo0
鬼和尚 
私は苦を受け入れる瞑想をやりすぎて極度に自我に執着した時に激しい死の恐怖を感じて(それがきっかけで)
死にそうになる症状(説明しづらいですが死にそうになる肉体的感覚や思考がこみ上げてきます)を発症しました。その症状によって自分は死ぬと確信していましたが
今まで死ななかったのでただのパニック障害か何かと気づき始めました。
しかしこの症状では絶対に死なないという確信がほしいのですが、どういう考え方をすればそう思えるでしょうか?

998避難民のマジレスさん:2015/09/26(土) 18:55:46 ID:V7QCtwwo0
鬼和尚 
私は苦を受け入れる瞑想をやりすぎて極度に自我に執着した時に激しい死の恐怖を感じて(それがきっかけで)
死にそうになる症状(説明しづらいですが死にそうになる肉体的感覚や思考がこみ上げてきます)を発症しました。その症状によって自分は死ぬと確信していましたが
今まで死ななかったのでただのパニック障害か何かと気づき始めました。
しかしこの症状では絶対に死なないという確信がほしいのですが、どういう考え方をすればそう思えるでしょうか?

999鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/09/26(土) 20:01:21 ID:arkQZP/20
>>993 そうじゃ、実践してみるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>994 そうじゃ、観察してみるのじゃ。

 クンダリニーと禅定とは同じ状態ではないのじゃ。
 クンダリニーは体の中にあるエネルギーが上昇した事なのじゃ。
 禅定は自然な集中状態なのじゃ。
 よく見極めて進むのじゃ。

>>995 そうじゃ、忍耐が大事なのじゃ。
 そのうち環境が変えられるように成るじゃろう。
 辛抱が肝心なのじゃ。
 それがおぬしの道になるじゃろう。

>>996 そうじゃ、鬼のように続けてやってみるのじゃ。
 おぬしも気をつけるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>998 事実を観察するのじゃ。
 実際にそれによって死ななかったという事実を受け入れ、それに気づくまで観察するのじゃ。
 死ぬと思っていて、実は死ななかった自分をも観察するのじゃ。
 そうすればそれがただの思い込みであったと気づくじゃろう。
 死なない確信ももてるじゃろう。

1000避難民のマジレスさん:2015/09/26(土) 20:54:44 ID:V7QCtwwo0
>>999
ありがとうございます
最近ただの思い込みだと少しは思えるようになりましたが
さらに死なない確信がもてるようにがんばります

1001偽和尚★:2015/09/26(土) 21:55:16 ID:???0
こちらはストップします。

鬼和尚に聞いてみるスレ part6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1443272058/


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