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Charles G. Finneyは1824年にニューヨーク州のOneidaにある長老教会から任命を受ける。リバイバリストとしての彼の評価は、米国東岸の数多くの教会を回るうちに確立された。ニューヨーク市のある教会のパスターを数年にわたり務めた後、1832年Oberlin College(日本の桜美林大学と関係があったはず)の神学教授に就任する。1851年同校学長就任。Finneyはカルバン派の神学のもとで教育を受けたものの、それを否定し、会衆派(Congregationalist)の立場へと移る。
このチャールズFの説教は、松岡修三的な暑苦しさをもった熱のこもった説教スタイルで、また、圧迫面接(新入社員の面接で、相手にガンガン攻めこんで、精神的ストレスをかけ、対応力を見る面接法)のようなスタイルの説教で、回心を迫ったもののようである。この系譜に属するのが、今でいえば、ビリー・グ○ハム(ウィリアム・フ○ンクリン・グ○ハム2世)とか、フ○ンクリン・グ○ハム(ウィリアム・フ○ンクリン・グ○ハム3世)、テッド・ハガードなんかでしょうね。