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 佛教の經典・祖録・禪語等の保管庫

612避難民のマジレスさん:2015/09/02(水) 13:40:28 ID:jDggCKfs0
アンドリュー・マーレー
キリストの十字架
アンドリュー・マーレー著
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3294/book27.html
謙遜
http://healingisours.com/humility_marray_Jpn.pdf

アンドリュー・マーレー(1828〜1917年)のことば(『内なる生活―密室の祈り―』より抜粋)
D・L・ムーディのような福音主義者たちは、神のみことばである聖書を直接引用され、みことばの力を信ずる信仰によって鼓舞された説教にどれほどの力があるかを実証しました。
神の真理についてのすべての人間的な記述は、たといどんなに正確なものであっても欠点があります。また、ある程度の人間的な権威を持っています。みことばの中では、神の声が私たちに直接語りかけるのです。神の子どもたちは、ひとりびとりみな、みことばを通して父なる神と直接的な関係を持つように招かれています。神が、ご自身のすべてのお心と恵みをみことばの中に啓示される時、その子どもは、もしみことばを神から受けるなら、みことばからすべてのいのちと力を自らの心の存在の中へ取り入れるのです。私たちは、メッセージや事件のまた聞きの報告のうち完全に信頼できるものがどんなに少ないかを知っています。自分たちが聞いたことを正確に報告している人は非常に少ないのです。信者はひとりびとりみな、神と直接交わる権利と召しを持っています。みことばにおいて、神は各人にご自身を啓示してこられたし、今もなお啓示しておられるのです。

真理についての人間的表現は、真理の単なる概念あるいはイメージにすぎないことがしばしばあります。頭脳にアピールするものであっても、ほとんどあるいは全く効果がありません。真理は、神ご自身のことばなるお方を通して、その臨在と御力を通して有効とされるのです。すべてのいのちあるいは霊は、それ自身のために、それによってそれ自身が表わされるような形式を作り出します。神がそれによってご自身の聖なる思想を表現しようとして選ばれたみことばは、神によって霊感されており、神のいのちがそのみことばの中にとどまっているのです。神は死んだ者の神ではなく、生きた者の神であられます。みことばは、最初に与えられた時に霊感されていただけではありません。神の御霊は、今もなおその中において息吹いておられるのです。神は、今もなおご自身のことばの中におられ、ご自身のことばとともにおられます。クリスチャンは、そして特にクリスチャンの教師は、このことを信ずる必要があります。それは、人々を導いて、単純な神のことばに対し、どのような人間的教えによっても持つことのできない信頼を置かせることになるでしょう。


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