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お気に入りのローマ皇帝

1カイザー:2002/06/13(木) 23:16
人気投票にも、『ごく稀に』参加して頂いてる方もいらっしゃるようで
すので、ここでもカキコしてくれたら嬉しいです。

好き嫌いはともかく、オクタヴィアヌスはやっぱり偉大です。
アントニウスじゃ、どう考えてもライバルとしては役不足。いっそのこ
と、カエサルが暗殺されずに2人が天下を巡って争うという歴史IFの
方が面白そうです。

446マッティアス:2003/02/23(日) 20:59
とはいえ、やはり血縁性というか世襲制が受け入れられ易かったのも、事実なんですけどね。
そうでなきゃ、コンモドゥスの即位が大喜びで受け入れられたりしなかったと思います。
ネロもそうかな?一応、ゲルマニクスの血筋でユリウス・クラウディウス家の流れだし。

義教様って義満が生きてた頃、たしか出家してませんでしたっけ?違った?狂人扱いされてた
気がするんですが。あと、世阿弥の甥っ子(弟の息子)をお稚児さんにしてたとかしか憶えて
ないです(爆)。赤松に殺されたんですよね。どっちかというと、カリグラ系。政治力はあるけど。
ひそかに(?)義満とその父が好きです。何がってわけじゃないけども。

そういえば昨日だか一昨日、放送大学で松本宣郎先生がローマとキリスト教やってたんですが、
コンスタンティヌスってアリウス派の洗礼受けたんですね。知らなかった。

447カイザー:2003/02/23(日) 21:37
コンスタンティヌス朝の皇帝達は全員アリウス派の筈ですよ。だからニケーア信条で
は正統とされたアタナシウス派の御旗となってしかるべき筈の聖アタナシウスがたら
い回しの様に、大帝の3バカ息子の領地を転々としてる訳です。

正統派が権力を持ち始めるのは、聖アンブロシウスがテオドシウスをテッサロニカ事
件を利用して屈服させたことに象徴されるテオドシウス1世時代(西方ではグラティ
アヌス、ヴァレンティニアヌス2世の共同統治)からです。
この頃に以前ここで触れましたが、ローマ古来宗教の女神像がローマ元老院議事堂か
ら撤去されたりしています。

義教様は義満の覇権維持の為に天台宗(比叡山)へ送り込まれていたのですが、4代
将軍義持が後継者を決めなかったので、くじ引きで将軍に選ばれたという経歴の持ち
主です。足利義教は、くじ引き=神仏の意志という信念を持っていたようで、幕府の
敵対勢力(比叡山延暦寺、九州の今川氏、関東公方足利持氏)を執拗なまでの執念で
屈服させ、気にくわない守護大名の後継者争いに介入するなどして、室町幕府中興の
祖(どころか最大級の成功)となる直前に、義教と対立関係にあって隠居していた赤
松満祐が暗殺してしまったという人物です。

井沢元彦の言葉をここに引用しておきます。
「人間つまり生身の人間は実にもろいものだ。どんな健康な人間であろうと武道の
達人であろうと、心臓にナイフを突き立てられれば確実に死ぬ。
ところが神であると錯覚した人間は。これをしばしば忘れてしまう。義教に限らな
い、信長もあるいは西洋史の英雄達も、暗殺された偉大な人物は往々にしてどうし
てこんなに油断したのだろうと思われるような状況で殺されている。
これは神を査証する傲慢な人間に対する神の罰なのだろうか。それとも歴史の法則
の一つと言うべきか。
私にはどちらが正しいのか分からない。」

448マッティアス:2003/02/23(日) 22:44
井沢元彦はどこまで自説なのか、「天皇になろうとした将軍」事件以来、すっかり信頼が
おけず、読んでいないのですが、面白い事は面白いんですよね。文章読みやすいし。
いっそのこと、(塩野さん以外の)受け売りでも良いので、楽しいローマ読み物書いてくれ
ないかなあ。←オニ発言。

アンブロシウス、そうかヤツはそんな人間か。「背教者ユリアヌス」でとっても胡散臭い
人物で、主人公と読者(ていうか私)のキリスト教に対する不信感を大いにあおってくれま
すよ〜。
ていうか、学校で習わないから、アタナシウス派がニケーア公会議で正統派とされながら、
しばらくは勢力を持てなかったなんて、いま初めて知りました(爆)。

449カイザー:2003/02/25(火) 01:05
今、パラパラとギボンを眺めてたらアンブロシウスがメディオラム(ミラノ)司教と
なったのはヴァレンティニアヌス1世時代だという記述がありました。何でも司教に
抜擢されるまで洗礼を受けてなかったとかいう、嘘臭い伝説まであるようです。
「背教者ユリアヌス」では、アンブロシウスはメディオラム司教として登場してるん
ですか?
元老院議事堂の聖像を撤去するかどうかは、ヴァレンティニアヌス1世時代から延々
と異教派議員とキリスト教派議員が政争を繰り返していたので、アンブロシウス個人
の思惑ということはないと思います。あんまり私もこの辺の事情をちゃんと理解して
ないんですが。

井沢元彦の「天皇になろうとした将軍」は持ってますが、特に悪い内容でもないと思
ったのですが。義満が天皇(の父親)になろうとしたというのは、眉唾ではあります
が、仮説としては面白いと思います。「逆説の日本史」でもこの説を展開してました
ね。井沢氏オリジナルの説ではないでしょうが、露骨に他の学者先生の功績をパクっ
てたりしたんですか?

450マッティアス@携帯:2003/02/25(火) 16:30
>『天皇になろうとした将軍』
アレ、ほとんど海音寺のぱくり。ちょっとショック(-_-X)。

『背教者ユリアヌス』は手元にないので、アンブロシウスのこと、確認できません。
やばい狂信者っぽい印象が残ってます。怖かった。コンスタンティヌスとはまた
違ったイミで(>_<)。

451カイザー:2003/02/26(水) 23:34
アンブロシウスもテオドシウス1世も正統派の為に異教異端を弾圧しまくってます
からねえ。ヴァレンス帝時代までのコンスタンティノポリスはアリウス派の都市だ
ったりするんですが、テオドシウス時代に完全に正統派に根絶されてたりします。
大虐殺とかはなかったようですが、武力を背景にアリウス派の聖職者は追放された
りしたようです。

そういえば、ネストリウス派なんかはエフェソス公会議で異端認定されてからも首
領のネストリウス自身はコンスタンティノポリスから追放されたけど、依然として
勢力を持っていたようですね。
カルケドン公会議で単性論と一緒に2回目の異端認定を受けてからはどうなったの
かは良く分からない。

>井沢元彦
海音寺潮五郎の小説は全く読んでないので判断が出来ないのですが、そんなにあか
らさまなんですか?「逆説の日本史」なんかでは時々海音寺先生の著書が引用とか
されてた覚えは何となくありますが。

452マッティアス@携帯:2003/02/27(木) 11:02
>井沢元彦∋海音寺
小説というか、伝記風歴史読み物『武将列伝』『悪人列伝』あたりをずいぶん引用
しているなあ、と。史料の引用も海音寺からの孫引きが多いように思います。
史学科の先輩方の評判はもともと、あんまり良くなかったんですが。

ネストリウス派は、東方には結構広がりましたよね。中国とか。
マニ教もですが、異端扱いされつつも、理論的には説得力がたる宗派は、キリスト教
領域以外の地域に、意外と根強く信者を生んでる気がします。

453カイザー:2003/03/01(土) 22:48
ネストリウス派というと、湾岸戦争の頃にマスコミに良く登場していたイラクのアジ
ズ外相なんかもそうですよね。
アリウス派が西ゴート族の改宗あたりで、歴史の舞台から退場したのと違いネストリ
ウス派はしぶとく現在まで生き残っていますよね。フス派とかカタリ派を正真正銘撲
滅したカトリックより、追放程度で許してくれるギリシア正教会の方が私的には好感
を持ってしまいます。ネストリウス派が生き残っているのは、どっちかと言うとイス
ラム教の寛容性が原因だと思いますが。

キリスト教の異端というのは基本的に正統派の矛盾に対するカウンターパンチな訳で
すから、理論的には正しい(という表現もどうかと思いますが)ことが多いですよね。

454マッティアス@札幌:2003/03/02(日) 13:06
ギリシア正教は、ほかの東方教会にも寛容ですよね。
なんでしょう、意外と知識人が異端の烙印を押されやすい気がします。
無知ゆえの純粋さ→狂信→不寛容 という図式が成り立つような。
正教会なんか、ギリシア語を解する、哲学や古典への理解を持つ人々が
初期に多かったのではないですか?
イスラム(特にスンニ)なんかと共通する精神ですよね。

455カイザー:2003/03/02(日) 17:19
キリスト教の教義や聖書の内容にツッコミを入れるなんてことは、一般庶民には関
心がないからでしょうね。
正教会もユスティヌス1世時代に、対東ゴート族の戦略の一環としてアリウス派を
バシバシ迫害はしてたりします。それをやめさせる為に、東ゴート王テオドリック
1世がローマ教皇ヨハネス1世を使者として派遣したりしてるのは、私の持つカト
リックのイメージからすると妙な違和感がありますね。

反宗教改革運動真っ盛りな時代のスペインの魔女狩りなんかは、庶民知識人関係な
く魔女のレッテルを張られる対象となったそうですね。あえて一貫性を上げれば教
会や民衆が山分け出来る程度の財産を持ってる人の危険度が高かったそうです。

456マッティアス@札幌:2003/03/02(日) 23:33
そういえば、東帝国(正教会)って、初期は結構、偶像破壊みたいの
やってましたよね。イスラムみたく。
イコンが認められるまで、しばらくかかったんですよね。

>スペインの魔女狩り
対象は、ローマの密告とか粛清のの被害者とかぶるんですね。
民衆から胡散臭い目で見られやすいというか、憎まれやすいのかな。
権力者の利害と対立してるとアウトなんですね。
金持ちと教養人って。

457カイザー:2003/03/03(月) 23:35
ローマカトリックではゲルマン人への不況を円滑に行う為に積極的にイコンを利用し
てたのが、東方教会との対立点となってますよね。ゲルマン人と共同生活をせざるを
得なかった西方世界と、ゼノン時代にほぼ蛮族を駆逐してローマ文化を温存したビザ
ンツ世界とは自ずとキリスト教のありようも変わってしまうのでしょうね。

イスラムの圧迫とレオ3世の原理主義運動としてのイコン破壊令に端を発する、カト
リックとギリシア正教との分離は避けることは出来なかっただろうと思います。
最終的にイコン禁止令が破棄されたのは9世紀のミカエル3世時代にイコン破壊運動
は終焉するのですがこの頃には東西両教会の分離は決定的だったようです。

458マッティアス:2003/03/04(火) 00:25
東西の教会分離の原因は、やはり帝国の分離と文化格差(もしくは環境格差)の蓄積なの
でしょうかね。あんまり深く考えた事なかったですが。
イコンがどうこうよりも、文化が違っちゃってたから、もう戻れなかったのかな。

蛮族と自分達が思っている相手と、共存せざるをえず、宗教的なことも彼らに押し付け
ようとする場合、聖書とか律法、説法だけだとなかなか改宗させられないですよね。
別に偶像そのものをあがめるわけでなくても、基本的にアミニズムのほうが理解しやす
いというか、生活と結びついているし。なんていうか、基本的に五感に訴えないと、多
くの人にアピールするのって、難しいのでしょうね。

459カイザー:2003/03/06(木) 23:06
ユスティニアヌス朝以降のローマ教皇の政治的悲願がローマ帝国からの独立だった訳
だから、東西教会の分離は必然でしょうね。その教皇と政治同盟を結んだのがカール
大帝に代表されるカロリング朝フランク王国なんですよね。

イコンが布教にゲルマン人への必須だったというのは良く言われますが、アリウス派
の信徒達はゲルマン人にどうやって布教してたんだろうとちょっと不思議。やっぱり
アリウス派もイコンを使ってたんでしょうか?

460マッティアス:2003/03/07(金) 01:10
どうなんでしょうね。中世以前のキリスト教史も、一度しっかり調べてみると面白い
でしょうね。手が回りきらないですけど。
アリウス派の教義(教科書レベルの理解)のほうが、アタナシウス派より一神教的には
理解しやすいのですが。崇拝すべきは父なる神で、神の子イエスは受肉し地上に降下
した段階で、言うなれば天使とか預言者的に、神よりも格が下がるというのは、筋が
通っていると思うのです。イエスは天上の唯一絶対の支配者ではなくって、ある種、
人間と天の橋渡し的存在とでも言うのかな。そういう話なら、何となく入っていきや
すい気がするのですが。

461カイザー:2003/03/08(土) 01:35
アリウス派はイエスに神性を認めなくて、アタナシウス派はイエス=父なる神という
説なんですよね。ネストリウス派だとイエスに対する解釈はアタナシウス派(正統派)
と同じだけど、イエスの母マリアに対しては神性を認めないという違いがあると、教
科書レベルの認識をしています。

コーランでは、何故かニケーア信条の「父と子と聖霊」を「神・マリア・イエス」と
解釈していたそうです。
正統派の教義によるとイエスに対して父性もしくは中性(聖霊)を投影するのはOK
でも、母性(マリア)をイメージするのは異端の考えだそうです。何か、私これ書い
てても意味があんまり理解出来ていません(汗)。

462マッティアス:2003/03/08(土) 14:23
う〜ん、お互い専門ではないまま、私見・偏見入りまくりでキリスト教についてばかり
語り合ってましたね。ここのところ。
でも、そのコーランの解釈、面白いです。憶えておこうφ(._.;)。
そういえばマリアって、ヨセフとの間にちゃんと子供生んでますものね。イエスの弟。
彼が作ったキリスト教の一派と、パウロたちが対立したとか読みました。

いい加減、知識(らしきもの多量に含む)も尽きてきました。ダメだなあ。

463カイザー:2003/03/09(日) 00:00
正統派はマリアの処女懐胎を主張してても、それ以降の通常の妊娠については気にし
てないんでしょうか?マリアに神性を認めるとすればヨセフもそれに準ずる様な気が
しますね。

コーランの解釈について書いてたのは「キリスト教封印の世界史」という本です。
これ読んで知ったのですが、アルカディウス時代のコンスタンティノポリス創主教の
ヨハンネス・クリュソストモスはギリシア・ローマ古典作品を焚書して喜んでるトン
デモ野郎だったそうです。ちょっと、眉唾な気もしますが。

464マッティアス:2003/03/09(日) 14:36
でも、ギリシア・ローマの古典は有害図書でしょう。焚書くらいするのではないかしら?
ウェルギリウスの「牧歌」でさえ、どれだったかは少年愛らしきものが出てくるから、
中世には無かった事にされてたわけだし。多神教の信仰やら美学やら、腐敗分子はすべて
抹殺しなければならない、というのは自然な感情だと思いますよ。熱心な聖職者として。

ヨセフは一応、あの読むのがツライ新約聖書しょっぱなの系図によると、旧約に連なる
優れた血筋の人ですからね。マリアよりは、普通に由緒ある人物かと。でっちあげかも
知れませんけど。でも、処女懐胎どうこうより、彼女に神性を認めるとしたら、イエスの
弟が正統派から無視されてるのはどういうことか。
いろいろムツカシイ問題があるように思います。腹は借り物なのでしょうかヤハウェよ?

465カイザー:2003/03/10(月) 01:10
焚書して悦に浸っている総主教様というのは、私の持つキリスト教のイメージ通りな
んですけどね。もうちょっと寛容性があって欲しいという希望的観測をついつい考え
てしまいます。

今「イスタンブールの大聖堂」という本を読んでいるんですが、ゾエやイレーネとい
う女帝達は、やはりアウグスタの称号を持っていてもバシレイウス(orそれの女性
形)の称号は有していないようです。モザイク壁画に名前と称号が一緒に書いている
のですが、男性の皇帝達はバシレイウスの称号が一緒に書かれています。
法的にはイレーネやゾエ(&テオドラ)の統治時代は無皇帝と考えるべきなのかもし
れませんね。

466マッティアス:2003/03/10(月) 12:46
そういえば、ギボンの2巻を読んだときバシレイウスの称号について、ちらっと出ていた
気がしますが。ギリシア語で「王」くらいの意味なんですね。ディオクレティアヌス時代
にはもう、東方属州では使われていたようですが。
ギリシア文明では女性が支配者になることはまずなかったですからね。女性形がないのも
仕方ないのかな、とか。
法的には女帝はナシなのか、アリなのかも気になりますね。慣習的にOKにはなっていた
と思うのですが。つなぎ、くらいの位置付けでしかなかったのでしょうか?

467カイザー:2003/03/11(火) 00:21
バシレイウスって王を意味する言葉なんですね。スパルタ王なんかはバシレイウスを
名乗ってたんでしょうか?スパルタはドーリア系だから、また違うのかな?

アウグストゥスの称号は各民族の王位よりも上位の称号と捉えていたんですが、ロー
マ人の認識は必ずしもそうではなかったんでしょうか?それとも後期帝政以降、東ロ
ーマがギリシア化するにつれて、称号の逆転現象が起きてしまったのかもしれません
ね。

女帝の位置付けというのは本当に微妙だと思うんですよね。イレーネにしろ、ゾエに
しろ単独統治を最後まで維持し得なかったから、女帝のシステムは構築されていない
と考えるべきでしょうね。瞬間的に女帝が権力を握った一時的な現象という所でしょ
うか。

468マッティアス:2003/03/11(火) 19:57
やはりつなぎとか、一時的現象ですか。基本的には男子の直系相続が一番望ましかったの
は、元首政期から変わらないのですね。>女帝

ギボンの記述もウロ記憶なので、あとで確認してくださいね。頭がいま、学術モードでは
ないもので(爆)。>バシレイウス
私も、アウグストゥス称号はある種超越的権威の表象かと思っていたのですが。ローマ市
の相対的地位の下降とともに、アウグストゥス称号の価値も下落してしまったのかも。
帝国の中枢が東のギリシア語文化圏に移行してしまったことも、影響しているのでしょうか。

469カイザー:2003/03/14(金) 02:10
ゾエなんかはマケドニア朝の直系の血筋だったんで、コンスタンティノポリス市民に
圧倒的な人気を誇ってましたよ。旦那や養子となった本当の皇帝より、ゾエの人気が
圧倒的だったんですが、それでも単独統治は一時的にしか出来なかったというのがロ
ーマにおける女帝の限界を示している様な気がします。

皇帝の称号にバシレイウスを採用したのはヘラクレイオス1世時代からなんだそうで
す。コムネノス朝の頃にはアウグストゥスの地位はかなり下落してるんですが、ヘラ
クレイオス朝〜マケドニア朝時代はそうでもないのかもしれませんよ。
ゾエがアウグスタとして権力を行使したということは、アウグストゥスの地位はバシ
レイウスとそう変わらなかったかもしれませんね。この辺の称号の変遷を書いた解説
書とかないのかなあ?

470マッティアス:2003/03/14(金) 10:48
皇帝の正式称号としてではなく、東方の人がそう呼ぶのも認可した、というレベルなの
かも知れませんね。>バシレイウス称号@東西分裂(教科書的用法)以前

アウグストゥス、カエサル、バシレイウス、インペラトールetc.称号については、その
元々の意味と変遷について、しっかり考察すれば新書1冊くらいになりますよね。
売れなそうだけど、読みたいですね。気になりますもの。

471カイザー:2003/03/15(土) 20:42
王や皇帝といった君主号も色々ありますよね。そういった各民族や宗教の意味づけ
と歴史的背景を一望できるような本があったら欲しいですよね。
でも称号の本なんて、絶対売れないでしょうね。学生の参考資料には丁度よさそう
ですが。

バシレイウスに関して言えば、ユスティニアヌス朝までは自称してなかったという
ことでしょうね。皇帝を何と呼ぶかなんてことは、別に規制なんて初めからしてな
いような気もしますが。

472マッティアス:2003/03/16(日) 00:48
そうか、称号を強制するのが暴君なんだ!自身を神と呼ばせたりドミヌスと呼ばせたり
しちゃうカンジで。(エラガバルスのアウグスタはひとまずおいといて〜)
カリグラとか、電波系が多いですねえ。ドミティアヌスは電波じゃないけど。

まあ、売れないでしょうね。称号の本なんて。あ、でも5000〜1万くらいは売れる
んじゃないですか?少なくとも。

473カイザー:2003/03/16(日) 12:12
ディオクレティアヌスなんかは自身をヨウィウス、西方帝のマクシミアヌスにはヘラ
クリウスという称号を採用してましたね。どっちもその後の混乱の為か、一代限りの
称号だと思いますが。
バシレイウスについてのギボンの記述読み返しました。ギリシア人から見たペルシア
王に対する呼び名が原典のようで、どうもスパルタとかのポリス国家の王号とは違う
ようです。
バシレイウスが王の中の王シャー・ハン・シャーのギリシア語訳だとすれば、皇帝と
いう意味で使用されても不自然はなさそうですね。

474マッティアス:2003/03/17(月) 00:24
バシレイウス=The Lord of Lords≒可汗みたいな称号なのですね。たしかに皇帝の
意味で使うに相応しい用語かも。
ウィテッリウスがアウグストゥスの代わりにゲルマニクスを採用しようとしたのは、
やはり自身がゲルマニアで擁立されたからなのか、ゲルマニクス(大ドルススの息子)
との関連なのか、も気になりますが。スエトニウスに書いてありましたっけ?

475カイザー:2003/03/18(火) 00:26
へえ〜、ウィテリウスはゲルマニクスの称号に拘りを持ってたんですねえ。皇帝名と
しては、ちょっと縁起が悪そうですけどね。スエトニウスその内、見直しておきます
ね。
それにしても、ゲルマニア軍団は皇帝に擁立さえ出来れば誰でも良かったんだろうか
・・・。せめて、ゲルマニア総督に赴任したウィテリウスを一目見てから反乱を始め
ればよかったのに。

476マッティアス:2003/03/18(火) 12:37
父親は帝室以外の人間としては初めて3度の執政官職についた人ですし、属州アフリカとか
ではかなり良い知事だったようですし。権門の出身でガルバみたくケチでも厳格でもなさそ
うだから、良いかも知れないなあ、と思ったんでしょうね。
ゲルマニクス(ゲルマニア征服者)の称号は、ドミティアヌスもお気に入りでしたよね。ドミ
ティアヌスの月、ゲルマニクスの月とか作っちゃうし。なにげに人気の称号です。
ウィテリウスを擁立するのは、エラガバルス擁立よりはずっとマシな気がします。
いや、別にエラガバルスには何の恨みも嫌悪感もあるわけではないのですが。

477カイザー:2003/03/19(水) 01:18
いやあ、私はエラガバルスに恨みはともかく嫌悪感は感じますけどね(笑)。傀儡
皇帝という哀れな立場には多少同情する気持ちはありますが。

ウィテリウスは仮にもオトとの内戦に勝利した訳だから、皇帝としてまるっきりの
失格ということもないんでしょうね。戦後処理が不味すぎるのと、第2次ベドリア
クム戦の前後のデタラメぶり(フラウィウス家の派閥によるねつ造もありそうだけ
ど)が、私に悪印象を持たせてしまいます。
うん、ということはマクリヌスとの内戦に勝利したエラガバルスも多少は評価しと
くべきなのか・・・歴史って難しい☆

478マッティアス:2003/03/19(水) 10:34
評価しなくちゃいけないんですか?>エラガバルス
とはいえ、一応4年ももったんですよね。そうか、評価すべきかも。母后ソエミアが
頑張った結果かも知れないですけど。
男性はあらゆる意味で身の危険を感じさせられる皇帝ですよね(笑)。

ウィテリウスってお金と食べるものに困った事はないのでしょうね。たとえ若い頃、
ティベリウスのスピントリア仲間だったとしても。財政の建て直しとか、危地からの
脱却とか、そういうのものすごく苦手そう。
ウィテリウスの支持者は当然のことながら、ウェスパシアヌスには冷や飯を食わされた
ようですね。その後おとなしくしていれば、ドミティアヌスあたりにはまた多少は出世
させてもらえたみたいですけど。

479カイザー:2003/03/19(水) 23:36
ウィテリウスは権門の出身者でしょうから、基本的にお金持ちだったんでしょうね。
バカ食いしてるエピソードには事欠かないのは、お金がどうとかよりウィテリウスの
個性でしょうが(笑)。
ウェスパシアヌスに敵対してても、ドミティアヌス時代には出世できた人物もいるん
ですね。ドミティアヌスって、フラウィウス・サヴィヌスと一緒に軟禁されてたりし
たから、普通にウィテリウス派の議員なんかは嫌ってるんだと思ってました。

480マッティアス:2003/03/20(木) 00:44
まあ、子供の世代とかですけどね。執政官にくらいはしてやったり、元老院属州の知事
くらいには任じてやる事で、何とかバランスを取ろうと努力してるんですよ。
大キライなストア派信奉者の議員とかでも、そんなカンジで。そうしないと、実力があっ
てなおかつお気に入りの人を登用しづらいから。彼でも反感を減らす努力してるの。

ウィテリウスの大食いエピソードは笑ってしまうのですが。悪行の数々とかいうわりに、
食いしん坊っていうのが中心でしょう?例の電波発言とかはおいておいて。他の人から
抜きん出てるのはその程度。可愛いもんじゃないですか(笑)。
でも、お金かコネがなきゃなかなか美食・飽食はできないですよ〜。

481カイザー:2003/03/21(金) 17:54
比べる相手が悪すぎる気がしないでもないですが、ウィテリウスの方がエラガバルス
より全然マシですね。

簒奪を成し遂げた下克上皇帝の中でいえば、フォカス帝は酷い皇帝ですよ。ヘラクレ
イオス朝を勉強しようとギボンを読み返している最中なんですが、マウリキウス帝か
ら帝位を奪ったのはともかく、マウリキウスを処刑する時にわざわざ目の前で先帝の
子供達を処刑するのを見せつけるという残虐ぶり。
マウリキウスの悲劇的な死に便乗したホスロー2世(内乱でシリアへ亡命した時にマ
ウリキウスが復位を支援した経緯があります)が、東方を侵略。
更にヘラクレイオス父子(子の方がヘラクレイオス1世)がカルタゴで挙兵して、あ
ぶれたフォカスは船の中に連行されてなぶり殺しにされるという因果応報な最後でし
た。
イスラム帝国の拡大ジハードのプロローグの一つですね。

482マッティアス:2003/03/22(土) 00:15
ホスロー2世が出てくると、まもなくイスラムが台頭してくる時代ですものねえ。
ビザンティンは8世紀にわたってイスラムに直面したんですよね。長いなあ。王朝は
変わりまくりですけれども。
とくに小アジアあたりでは、そうした長い歴史のおかげで、キリスト教側とムスリム
側に共通のサブカルチャーができあがったことが、オスマン支配に良い意味で働いた
といいますね。自分の手持ちはイスラム側のものばかり(そんなに多くはないけど)な
ので、どうしてもこういう言い方になってしまいますが(汗)。

483カイザー:2003/03/22(土) 02:40
コンスタンティヌス4世やレオ3世が、ウマイヤ朝の2度に渡るコンスタンティノ
ポリス包囲を撃退したのは、世界史上特筆すべき出来事なんですが、日本での扱い
は軽いですよねえ。
アッバース朝でもアル・マハディー時代に、皇太子だったハールーン・アル・ラシ
ードが、小アジアを一時的に占領したりもしてましたね。
ビザンツとイスラムの攻防史を綴った本というのもなかなかないのが残念ですね。
本当は世界史的意義も小さくないはずなのに、マイナーですね。

そういえば、マッティアスさんお奨めの「アラブが見た十字軍」を見かけたのです
が、たまたま持ち合わせがなくてGet出来ませんでした。今度こそ!!(笑)

484マッティアス:2003/03/22(土) 12:57
「アラブが見た十字軍」はちくま学芸文庫だと多分、\1200くらいすると思うので、もし
古書店にあればリブロポート版(大きいですが)を買うことをオススメします。そちらのが
図版が多いです。多分。原価も\2000(税抜き)だったので、文庫と値段違わなそうです。
のっけがアレクシオスのコンスタンティノープルに「いつかは!」という野心を持つ、
ニケーアにいる17歳のルーム朝スルタンから始まります。結構どきどき。

オスマン朝によるコンスタンティノープル攻略が大きな事件として扱われるのは、衰退し
つつも千年以上にわたって存続したビザンツの存在と、長年にわたるムスリムとの攻防が
あるからこそ、ですものね。その観点からつづった本はもっとあっても良さそうです。

485カイザー:2003/03/22(土) 15:33
イスラム世界の究極の目標はコンスタンティノポリス征服でしたもんね。
最後のメフメト2世の成功が大事件なのは、ウマイヤ朝やアッバース朝という栄光
の時代でさえなしえなかったことだからという側面もありますよね。
何だかんだいっても、セルジュク朝の頃までのビザンツは小アジアでは強力でした
よね。

イスラムとビザンツの文化融合が始まったのは、セルジュク朝とのマンジケルトの
戦いでの敗北以降のことなんでしょうか?それともアッバース朝(orウマイヤ朝)
時代からの話なんですか?レオ3世なんかは、ウマイヤ朝出身の皇帝ですしね。

486マッティアス:2003/03/22(土) 22:56
いま半身浴の友にしているのはオスマン朝の本(講談社現代新書)なので、そこまで詳しく
書いてはいなかったのですが、マラズギルドの戦いにおけるビザンツ側の敗因に、ムスリム
というか、トルコ系の傭兵がかなりいたことがあると思うので、ルーム・セルジューク朝が
成立した頃には何かしら共通する文化なり、原語なりいろいろ形成されていたのだと
思います。
基本的に、ムスリム国家ではキリスト教でもユダヤ教でも許されていたわけですし、商業
だったり旅だったり、もちろん戦争だったりを通じて、交流はあるわけですよね。
そうして、ビザンティウムは通商上の要地であり、衰退しつつあるとはいえ、絢爛たる
文化の花であるわけで、小アジアまで進出が叶えば海峡をはさんで目と鼻の先ですものね。
やっぱりものすごく惹かれると思うんですよ。

あとはついでに言えば、トルコ民族は9世紀くらいまでは中央アジアにいました。彼らが
シリアや小アジアといった中近東に進出してくるのは、アッバース朝が衰退に向かった頃
からですよね。ゲルマン民族の大移動みたいなものかなあ、とか。
全然、ウマイヤ朝やアッバース朝時代にコンスタンティノポリスを征服できなかった理由
の説明になってないですけど。

487カイザー:2003/03/24(月) 00:36
セルジュク朝の小アジア進出以前から、トルコ人は小アジアにいたんですね。突蕨
の頃から、ペルシアと国境を接してた訳だから不思議はないのかな。

レオ3世即位時のスレイマーンのコンスタンティノポリス包囲について言えば、中
途でスレイマーンが病没してオマル2世に代替わりしたからという理由もあるみた
いです。オマル2世の命により、苦戦しているコンスタンティノポリスからの撤退
が決定され、その追撃線でレオ3世が勝利して小アジアを奪還しています。

ハールーンのコンスタンティノポリス遠征は、あっさり貢納と引き替えにビザンツ
と和議を結んでいるので首都陥落までを企図していなかったのかなと思います。

488マッティアス:2003/03/24(月) 10:57
光栄の「蒼き狼」シリーズで、貢物をよこせ、というのと似た行為だったのですかね。
>ハールーンのコンスタンティノポリス遠征

小アジアに小規模ながらトルコ人が入ったのは、マムルークとしてというのが一番多そう
ですが、セルジューク朝以前にも中央アジアにカラ・ハン朝とかあったわけで。
権力の空白というか、つけこむ隙があったから一部の集団が入り込んできたのでしょう。
ちなみに、セルジュクもオスマンももともとは同じオグズというトルコ系部族です。

オスマン朝に攻囲されるようになった頃は、ビザンツも人口が激減していて、堅固な街の
城塞があったからなんとか持っていたようなものですからね。メフメト2世が大砲を購入
したことと、彼が若くて気力に満ちていた事で、もうアウトだったんでしょう。
コンスタンティノープルの全人口よりメフメト軍のが数多いんですもん。

489カイザー:2003/03/24(月) 22:05
ビザンツの貢納政策(?)は伝統ですからねえ。
フン族、ササン朝の頃からず〜っとですもんね。アッティラ大王が弱腰外交に終始
するテオドシウス2世を小馬鹿にした発言とかを見てると、ハールーンもセルジュ
ク朝のスルタンも思うことは一緒なんだろうなとか考えてしまいます。

メフメト2世時代のコンスタンティノポリスは、いつ陥落してもおかしくない状態
でしたね。仮にメフメト2世が志し半ばで倒れたとしてもビザンツ復活の可能性は
ありえないですね。
最後のチャンスだったアンカラの戦い以降の、オスマン朝分裂期に巻き返しを計れ
なかった時にローマの滅亡は秒読み段階(だいぶ長いけど)に入ったのでしょう。

490マッティアス:2003/03/24(月) 22:29
ていうか、あれだね。第4回十字軍?あれで決定的になったっていうの?(キムタク風)
あのときに壊滅しなかったのが不思議なくらいで、すっかり弱体化したもののムスリム
側につけこまれなかったのは、あっちはあっちでモンゴルやら内部紛争やらに明け暮れ
ていたからですよね。
それでも大規模な攻城機がないと、なかなか陥落させるのは難しかったと思うし。

私のお気に入りのルーム朝スルタン、クルジュ・アルスランが対峙したのはアレクシオ
ス1世でした。その頃はまだそれなりに力もあったのですよねえ、ビザンツも。
しかし、彼らの貢納政策は、兵力の減退もあったにせよ「金持ち喧嘩せず」かも、とか
思ってしまうこともあります。塩野さんが熱く語る名誉を重んじるローマ人ではもはや
ないのですね(苦笑)。

491カイザー:2003/03/24(月) 23:57
フラグ率いるモンゴル軍が中東を席巻→アイン・ジャールートの戦いでバイバルス
率いるマムルーク朝に敗退という一連の流れがなかったら、イスラムかモンゴルの
どちらかにビザンツは滅ぼされてたでしょうね。

ラテン帝国について言えば、シリアの十字軍国家以上に同様に外部からの人的物的
補給を恒久的に必要とする寄生国家ですから、滅んでしまうのは不可避だと思いま
す。ただ、それがギリシア人のニケーア帝国でなく第二次ブルガリア帝国とかセル
ビアなどの他の正教会勢力だった可能性も大きかったですよね。
ミカエル8世のローマ帝国再興は偶然の要素が大きいと言えるのかもしれません。

492マッティアス:2003/03/25(火) 11:46
ミカエル8世がローマを再興できた、ということは他の勢力も内部紛争や他の心配事を
抱えていなければ、当然、コンスタンティノポリスほかを制圧できた、ってことですね。
私的には、モンゴル(フラグ軍)あたりの制圧というのが見てみたかったIFですね。

関係ない(?)ですが、コンスタンティニエ(トルコ側はしばらくこう呼んでいた)制圧前
はオスマン朝の都がエディルネ(ハドリアノポリス)だったのは有名ですか?

493カイザー:2003/03/27(木) 20:57
エディルネ=ハドリアノポリス(アドリアノープル)ということは、かつてのオスマ
ン朝の首都だったことも含めて私的には常識なんですが、世間一般での認知度はちっ
とも高くないでしょうね。ローマ史やトルコ史に多少でも関心があれば、普通に知っ
てる程度の知識だとは思いますけど。

ハドリアノポリスというと、ヴァレンス帝が西ゴート族と戦って戦死した古戦場でも
ありますよね。「その時歴史が動いた」で取り上げたら、私としては素朴に嬉しいで
すけど、きっとマイナーすぎて無理だろうなあ。

494マッティアス:2003/03/27(木) 22:01
トルコ史というかイスラム史は、専攻していたはずなのに、ほとんど知らないし(爆)。
もっと日本でも取り上げて欲しいナリ。ローマも大して扱ってないですねえ。
その時代に興味ある人から見て面白い時代、って意外と教科書には載らない程度の知名度
だったりしますよねえ。

「その時歴史が動いた」は中国語の授業で毛沢東の回を見ただけです(汗)。なんかでも、
宣伝見てるとカエサル、アウグストゥス、ネロあたりならやってもらえても、ほかは厳し
そうですね。たとえやったとしても、塩野さん「ローマ人」シリーズ読解レベルになり
そうだからなあ。私としてはユダヤ戦争とフラウィウス朝を取り上げて欲しいですけどね。
日本での知名度の低さはヴァレンスとさほど変わらないでしょう。

495カイザー:2003/03/29(土) 16:44
マッティアスさんもご覧になってると思いますが、私が大好きな政治評論サイトで
アメリカのネオコンと呼ばれる保守勢力の対イラク政策の最終的な目的は、人口問
題という未来に迫る絶望的な問題の解決である、という説を唱えているのを見て目
からウロコが落ちてしまいました。

【米国の人口戦略】
http://plaza12.mbn.or.jp/~SatoshiSasaki/y2003/pop.html

何かアメリカとローマの対キリスト教、対ゲルマン人の政治的スタンスとの類似性
が見えます。
ローマはキリスト教とゲルマン人の波に飲み込まれて、塩野七生さんが大好きない
わゆるローマ人の存在は歴史から消滅しています。これと同じことがアメリカでも
起き、ピルグリムファーザーズの正当な系譜を持ついわゆるアメリカ人がイスラム
教とアラブ系有色人種に飲み込まれるという未来が垣間見えた気がします。

ローマがキリスト教にもゲルマン人にも有効な手段が取れなかったという歴史が繰
り返される可能性は極めて高いように思います。もしかしたらアメリカでも、ディ
オクレティアヌスとガレリウスの行ったように大規模な(それでいて全然徹底され
ない)イスラム教への迫害が起こるのかもしれませね。

496マッティアス:2003/03/30(日) 00:42
あの回は、妙に得心してしまいましたね。>政治評論サイト(私はメルマ)
ローマのゲルマン人の流入とゲルマン侵攻≒欧米のムスリム移民と米英イラク攻撃は、
言われてみるとその通り。

昔は欧米人ってムスリムよりユダヤ人を迫害していたイメージがあるのですが、彼らは
すでに政治的経済的に深く浸透してしまってますからね。
上の構図にはめると、さしずめユダヤ人≒ガリア人にあたるとみて良いでしょうか?

497カイザー:2003/03/30(日) 12:56
ユダヤ人は現状のアメリカにバカに出来ない影響力を持ってるのが、ローマのガリア
人とはちょっと違う様な気がしますね。ガリア人のコミュニティがローマの政策決定
に何らかの方向性を持って影響力を行使しようとしたことはないように思います。

ソ連がイスラム教徒が多数派となった中央アジアを放棄したのと、東ローマがゲルマ
ン人の巣窟となった西ローマを事実上放棄したのは同じような意図がなんでしょうね。

ゼノン帝からすれば、直接統治で領内にゲルマン人という異分子を取り込んでしまう
より、東ゴート族を経由しての間接統治の方がメリットが高かったんでしょう。仮に
ヴァレンス帝がハドリアノポリスの戦いに勝利して西ゴート族を駆逐しても、ス
ティリコがライン国境を死守してヴァンダル・スウェヴィ族の侵入を阻止できたとし
てもゲルマン人(もしくはスラブ人)がローマ領内に移住してくるという、帝国崩壊
の流れに歯止めがかかることはなかったのでしょうね。

498マッティアス:2003/03/30(日) 13:11
ガリア人は五賢帝時代にはすでに普通に同化されちゃってますからね。コミュニティとして
政策に影響を与えたり、ってカンジではないですね、確かに。そういえばピウス帝はガリア
出身じゃなかったでしたっけ?タキトゥス、プリニウスはガリア系ローマ市民ですね。

最初のうちはともかく、いったん始まっちゃうと、民族流入って歯止めが利かなくなるので
しょうかね。う〜ん…日本はものすごくそのへん閉鎖的ですけど。
ともあれ、蛮族出身と言われつつ、中枢にのし上がれる人ってのは、ものすごく優秀なわけ
ですからねえ。ついつい重用しちゃうのもわからなくはないんですよね。

499カイザー:2003/03/30(日) 17:59
スティリコの様に傭兵から成り上がったゲルマン人をガリア人のように本当の意味で
ローマ化することは可能だったでしょうし、事実スティリコはそうあろうとしていま
したが、アラリックやガイセリックに率いられたゲルマン人コミュニティをローマ化
するということはありえなかったでしょうね。

前者のタイプでも、末期帝国においての対ゲルマン人拒否反応は酷かったぐらいです
からねえ。宮廷で出世して蛮族のくせに好き勝手にローマを動かしていると見られた
であろうスティリコに対する反感は、アルカディウス帝を筆頭に相当のものだったよ
うです。だから、殺されちゃったわけなんですが。

500マッティアス:2003/03/31(月) 13:08
おう、500!続きましたねえ、このスレッド。
優秀ならば異民族であろうと重用したいというのが、君主側の立場ですが、生粋の
ローマっ子で職にあぶれてたり、思うように出世できない人からしたら、何かイヤ
っていうか、ムカつくのでしょうね。
尽くせば尽くすほど、功をあげればあげるほど、嫉妬と「何だよゲルマン野郎の
癖に」という反感が高まってしまうのですから、スティリコとか、可哀想ですね。
しかし、皇帝陛下までそれじゃあいかんでしょう。だから暗君と言われてるのか。

501カイザー:2003/04/02(水) 19:32
500も続いたんですね。
本当に1000まで行くかもしれませんね(笑)。

グータラな皇帝ホノリウスにネチネチ説教するスティリコという、史料の根拠一切ナ
シのイメージがスティリコ暗殺事件の原因という仮説を提唱させて頂きます(笑)。
弓削達先生の本では、ラヴェンナ宮廷の君側の奸がホノリウスにスティリコの悪口を
散々吹き込んで疑心案疑にさせ、兵権がスティリコに集中していることの危険性に恐
怖したからだという感じの説明がありました。

ちなみに、スティリコはテオドシウス1世の姪セレナを娶っており、娘マリアがホノ
リウスの皇后となっています。なのに、ホノリウス童貞説というものがあるというの
が私には未だに良く分からない所です。俗説では異母妹の猛女ガッラ・プラキディア
に横恋慕してたなんて話もあるのに。

502マッティアス:2003/04/02(水) 23:18
いやまあ、その恋とセックスは別問題なので、異母妹に横恋慕してようが童貞はありえる
と思うんですけど。思い込みが激したっかり自意識過剰気味の人間は、最初のセックスが
失敗すると、相手がいると不能になったりするらしいですし。
(↑って、どういう話してるんだ、私は!女性としてこれで良いのかあとで職員室で叱って
ください(笑)。)

ホノリウスに対するスティリコへの反感はわからないでもないですけどね。ネロがコルブロ
に感じていたような、嫌悪というか苦手意識があったような気がします。しかも舅でしょう?
かなりしんどいでしょうね。スティリコの顔がちらついて妃に対して愛情が抱けないとか、
そういう仮想設定もなかなか萌えです(死)。

503カイザー:2003/04/05(土) 13:29
何となく、恋心と性欲は連動してるというイメージを持っていました。
でも、僕はマルクス陛下やユリアヌス陛下の様なプラトニック系ストア派哲学者です
よ。(←大ウソ)

そういえば、マリアってスティリコ粛正事件の時どうしてたんだろうと、ギボンを見
直してみたらその時にはマリアは死んでいてマリアの妹のテルマンティアがホノリウ
スの皇后になっていたんですね。全然、そんなの覚えてなかった(汗)。テルマンテ
ィアはスティリコ一族もろとも殺されちゃったみたいです。
悲しかったのか嬉しかったのかホノリウス陛下の心中がさっぱり伝わってこない所が
、段々怖くなってきました(笑)。

504マッティアス:2003/04/05(土) 22:40
怖いなあ。もしかして情緒欠落してるんじゃ。もしくはすっかり亀になって表に何かを
表さなくなってるんですか?>ホノリウス陛下

マルクス陛下は子供が14人もいる時点で、現代的意味でのプラトニック系とはいいづ
らいのですが。皇帝としてのお努めの一貫なのでしょうか(笑)?
ユリアン(英語だとそう書かれる)陛下も、辻さんの小説では子供できてたので、安心
しました(←何でやねん!)。
まあ、何にせよ、プラトニック・ラヴの出典『饗宴』によれば、肉体関係があっても、
プラトニック・ラヴは成立するそうですから。

505カイザー:2003/04/06(日) 10:21
ホノリウス陛下やばいですね。
私は昨日まで、もうちょっとのほほんとした人物像を思い描いていたんですが、忠臣
と自分の妻が例え自分の命令によってにしろ無惨な死を遂げているのに、平然として
そうな怖い人物に思えてきました。タイプ的には無能なコンスタンティヌス1世とい
う所でしょうか?
ちょっと、ホノリウスファンの名は返上して、精神病を装って帝位を投げ出したユス
ティヌス2世ファンへの鞍替えを検討中です(笑)。

プラトニックという言葉の意味を、私も今ひとつよく分かってなかったりします。
精神的な繋がりを重視するような恋愛関係(に限らないのかな?)のことを言うんで
しょうか?

506マッティアス:2003/04/06(日) 22:54
そういえば、カイザーさんも電波皇帝はニガテなんでしたっけ?無能なコンスタンティヌス
って、サイアクじゃないですか!ほんとにそんななら、私は絶対好きになれないですね。
でも、のほほんと鉄仮面は紙一重だからなあ。判別し難いですねえ。天然は怖いよ〜?

>プラトニック
すみません、私もよくわかってるわけじゃないのですが。ひとつの美しい肉体を愛する事
からどんどん進んですべての真善美を愛し希求するような魂の高みにのぼる、とか何とか
言ってますぜ、旦那!
とりあえず、教育実習(倫理)の授業用レジュメを作成する際、資料集に載ってた文章が、
「一人の美しい少年を愛したとする。はじめはその少年の肉体を愛するのであるが」云々
というもので、目からウロコというか、何と言うかでした。
まあ、要は肉体関係とかそういうのが無いのがプラトニックなわけではない、って事ですね。

507カイザー:2003/04/07(月) 20:49
「背教者ユリアヌス」読み直し始めました。やっと購入した「ローマ人の物語」を読
もうかと考え始めたら、発作的に手がユリアヌス陛下の方へ。もう私は塩野先生のフ
ァンではないのかもしれません(笑)。
今の所は、ユリアヌスくんがケガをしたのに激怒したガルスお兄ちゃんがいい感じで
す。ギボンのザコ扱いよりは、待遇よさそうですね。

教育実習で倫理とは凄いですね。しかも、少年愛?もしかして男同士?授業でそんな
のいいんでしょうか?
私の教育実習は、世界史を希望したのに母校の高校の抽選に外れたので、近所の中学
になってしまいました。自称進学校の高校では数十人の実習生希望者がいたのに、公
立中学では私と短大生の女の子が2人という極端な違いにびっくりでした。

508マッティアス:2003/04/08(火) 00:41
「ユリアヌス」のガルス兄様、意外と弟思いなところもあって、好きでしたね。情けない
ところも多々ありましたが。最初の方では兄様の出番のたびにときめいてました(笑)。
塩野さん、最新巻はそこそこ読みやすかったですよ?私は5〜7巻(ハードカバー)あたり
がかなりニガテでしたが。肖像写真もいいのセレクトしてるし。まあ、特別面白いわけで
はないですけれどね。

教育実習はうちは中学が24人、高校30人(各々クラスに一人)+特殊教科、とかだった
気がします。私も世界史を希望していたのですが、倫理の先生が「あなたは私の下で倫理
を教えなさい」と。あの先生嫌いだったのになあ。ツラかった。
時間があれば余談やってもいい、と言ったくせに、同性愛話とか倒錯系は怒られましたね。
死んだ婚約者に操を立ててるクリスチャンのオールドミスでした。プラトンに夢見てるし。
は!グチになってしまってますね(汗)。

509カイザー:2003/04/08(火) 01:08
>まあ、特別面白いわけではないですけれどね。

いや、そんな突き放した言い方しなくても(笑)。私はカエサルへのスーパー依怙贔
屓以外は、そんなに塩野先生を非難する気もないんですけどね。
偉大なるコンモドゥス陛下へは、カリグラに対して行ったような好意的再評価してま
した?ゲルマニアからの撤退に対する好意的評価は時々聞きますよね。

授業で同性愛の話はやっぱマズイんじゃ(笑)。でも、私の高校の世界史の先生はモ
ーゼの十戒に絡めてオナンという男性の逸話を教えてくれた記憶がありますね★
(知ってますよね?知らなくても説明しませんが(笑))

私は古事記の話を紹介した時と平城京の説明をした時の生徒の反応が良かったのを覚
えています。因幡の白うさぎを演劇風(?)に紹介して爆笑でした。これは、良い反
応何だろうか?(笑)
何故か中2と中3両方教えることになったので、受験の頃より勉強してましたのが思
い出深いです。

510マッティアス:2003/04/08(火) 12:53
コンモドゥスは、北方からの撤退と、その後60年間の対ゲルマン前線の平和を評価した
あとに「ごめん、擁護できるのはここまで」発言していたのが印象的でした。
映画「グラディエーター」への歴史ファン的ツッコミ・ど〜ん!とか(笑)。
どちらかというと、フォローされ再評価されたのはマルクス陛下の皇后ファウスティナ
でしたね。彼女の不貞はコンモドゥスがアホタレだったから後世にでっち上げられた噂、
結婚生活25年で14人も子供を生んだ妻に失礼だろう!としきりに怒っていました。

授業では、でもアリストテレス哲学(ここを任されていた)の話より、同性愛話のほうが、
生徒達は真面目に聞いてくれましたけどね。大学からゼミの先生が見に来てたのですが、
そちらからは「そういう面白い話は、余談でなんかやらずに1時間とるべきだ」と注意
されましたが(笑)。うちのゼミの先生、リベラルだなあ。
オナンは知ってますよ、もちろん。聖書での記述は知らないですが(爆)。

511カイザー:2003/04/09(水) 23:11
「背教者ユリアヌス」通勤電車の中でちょっとずつ読み進めています。マリみての様
な睡眠時間を削ってでも先を読みたいというパワーは感じませんが、古典的名作とし
て数えられている魅力がようやく分かりつつあります。
コンスタンティア様が相当いい性格でちょっとゲンナリしてます。ヴェトラニオ陛下
可哀想(泣)。

ファウスティナの浮気の信憑性なんて考えたこともなかったんですが、根拠に乏しい
話なんですか?事実かどうかはともかく、カシウスの反乱の黒幕だなんてネタもあり
ますよね。
私なんかもそうですが、男性が多い研究者にとって重要性を感じないテーマなんでし
ょうね。はっきり言って結論はどっちでもいいんですが、関心がないから通説の信頼
性を調べたりはしないと。
女性の視点で見ると、こういうテーマに対する関心の持ち方は全然違うんですね。

512マッティアス:2003/04/10(木) 00:41
まあ、私なんかはマルクス陛下が彼女をとっても愛していたんだなあ、という事実以外は
結構どうでもよかったりしますが。あと、14人も子供生んだら、体ボロボロやねんなあ、
とか(爆)。とりあえず、コンモドゥスはげっつ父親似だとは思います。
塩野さんのファウスティナ像は「自省録」に忠実というか、コンモドゥス殺害後のゴシッ
プには批判的という感じでしたね。

>「ユリアヌス」
コンスタンティア様、最期まで迷惑な方ですのでがんばって!ギボンを通読されてるので、
ちょっとネタバレしてしまうと、ガルス兄様もあのご婦人と結婚させられるのが、とても
不憫というか不幸だったなあ、と思いました。

513カイザー:2003/04/10(木) 22:04
ファウスティナも凄いけど、常に戦争ばっかりしてたイメージのマルクス陛下が、そ
こまで子作りに勤しんでおられたというのも、ちょっと不思議なところですね。14
人のうち何人かは浮気相手の子供じゃ・・・とか言ったら七生先生にしばかれそうな
んで、思うだけにしときます(笑)。
そういえば、マッティアスさんは「自省録」を読まれたんですね。その中ではファウ
スティナは理想的なアウグスタとして記述されてるんでしょうか?

早く「背教者ユリアヌス」を読んでしまって「ローマ人の物語」も読み始めないとい
けませんね。

514マッティアス:2003/04/10(木) 22:37
理想的なアウグスタというよりは、理想的な妻ですね。「愛情深く飾らない、貞淑な女」
というように書かれていました。肖像見ても美人ですし。結構ラヴ×2だったのでは?
確か、戦場にも妻を伴う事が多かったようですし。その途上で妻に先立たれて以後は、
再婚もせず愛人を二人持つだけで満足したんじゃなかったでしたっけ?
あれ?それはピウスのほうかな?どっちにしろ、そんな感じ。

私もそろそろギボンにまた取り掛からなければ(汗)。洋書のほうも。

515カイザー:2003/04/13(日) 04:32
そういやアントニヌス・ピウスの妻の名前もファウスティナでしたね。
マルクス帝もピウス帝も妻に先立たれてからは、正式には結婚せず愛人で満足してた
らしいですね。でも、そういうのを亡き妻への愛情の現れというんだろうか?愛人す
ら持たなかったというなら分かるのですが、現代人の私には古代人の感覚というのは、
良く分かりません。

そういや何でローマは一夫多妻が成立しなかったんでしょうね。古代の世界帝国で一
夫一妻なんてのはローマだけじゃ。

516マッティアス:2003/04/13(日) 11:25
いや、アテネとかスパルタもそうじゃないですか?>一夫一妻制
でも、再婚しなかったといえば、ウェスパシアヌスのように、愛人が解放奴隷だったり、
結婚するに相応しい身分の女性じゃないケースも多々ありそうですよね。
まあ、元首のつとめとして嫡出子を残せれば、無理に好みでない名家の婦人と再婚する
必要はないでしょうからね。

ピウス帝はともかく、マルクス陛下の場合、再婚してる暇もなかったような気もします
けどね。ファウスティナが亡くなってから3年くらいで陛下も亡くなってるでしょう。

517カイザー:2003/04/13(日) 17:45
アテネやスパルタはギリシア世界内で完結してるんで世界帝国とは言い難いかなと思
います。
ディオクレティアヌス帝以降、完全なる専制君主制への移行が成立した時に後宮とか
ハーレムに類似するシステムが成立してもおかしくはなかったかもしれませんね。ロ
ーマの文化的背景とキリスト教の蔓延で、実現の可能性はありえないことだとは思い
ますが。

ゲルマン人なんかも一夫一妻制みたいですね。日本や中国とちがって、西欧世界では
古代から一夫一妻のシステムが延々と続いているのは不思議な所です。

518マッティアス:2003/04/13(日) 21:45
>アテネやスパルタは世界帝国ではない
そりゃそうですよね。すみません。マケドニア王国とかどうだったんでしょうね。
これも大帝国になったあとまもなく分裂してるので、世界帝国ではないですが。

キリスト教思想の影響もあるかなあ、と思いますが、なんだろう、離婚が日常茶飯事
だったこととか、奴隷の存在とかで、夫なり妻なりを複数持つ必要がなかったのかな、
とか思わなくもないです。

519カイザー:2003/04/13(日) 22:05
アレクサンドロスが生き残ってたら、一夫多妻のシステムが成立したかもしれません
ね。ペルシア人とギリシア人との合同結婚式を開いたりして、アレクサンドロス自身
もダレイオス3世の娘(だったと思うのですが)と結婚してる筈です。実質的にはそ
の時に一夫多妻制が成立したと言えなくはないですね。
セレウコス朝とかプトレマイオス朝なんかの東方型ギリシア系の王国は、やっぱり一
夫多妻制なんでしょうか?いまいち分からないところです。

520マッティアス:2003/04/13(日) 22:55
アレクサンドロスってロクサーネ(ダレイオスの娘)以外にも妃がいたんですか?
合同結婚式は婚姻を通じて宥和をはかろうという目的なのでしょうが、妻帯者は参加
させてないんじゃないかなあ?よくわかんないけど。
セレウコス朝は知りませんが、プトレマイオス朝では実質的に一夫多妻ですよね。
しかも近親婚アリだし。

もっとも、ほとんどの文明において、一夫多妻が許されてるのは経済的余裕のある、
上層階級の人だけなんですけどね。(庶民は一夫一婦制)

521カイザー:2003/04/14(月) 20:56
私もアレクサンドロスについては教科書レベルのことしか知らないんで勘違いしてる
のかな。てっきり、アレクサンドロスはマケドニア(orギリシア)に奥さんを残し
て東方遠征に出発したもんだと思ってました。
でも、合同結婚式に参加した将兵は独身者だけでなく、既婚者も絶対いた(というか
大半がそうだ)と思います。故郷の妻子を見捨てたのではないでしょうが、帰国でき
るかどうかも定かではない状況では、新しい奥さんに心惹かれるのは普通だと思いま
す。主君の政策でもありますしね。

エラガバルスとかフィリップス・アラブスなんていう東方系外人皇帝なんかは、一夫
多妻の習慣を持ってたんでしょうかね?本名タラコシデッサのイサウリア人ゼノン陛
下なんかも気になる所です。

522マッティアス:2003/04/14(月) 22:29
エラガバルスも愛人(主に男性)はいっぱいいましたが、妻は同時に2人以上持ったことは
なかったはずですよ。すぐ離婚しちゃうだけで(オイオイ)。
アラブス帝も全然フツーにローマ市民風生活してたようなイメージがありますが。

アレクサンドロスはロクサーネとが初婚のはずです。30すぎまで母親以外の女性と関係
したことがなかった、という噂ですからねえ(汗)。この人、ギリシア的趣味ですし。
なんとなく、ギリシア系って王族以外、結婚遅そう(多分、大方は30すぎになってから)
だったので、アレックスの部下も独身者が多かったのかなあ、なんて思ってました。

そういや、あれ?プトレマイオス朝って1世も姉妹と結婚してませんでしたっけ?
2世フィラデルフォスあたりは確実に姉妹を妃にしてるんですけど。

523カイザー:2003/04/14(月) 23:44
アレクサンドロスの遠征とディアドコイ戦争ってちゃんと調べたら面白そうですね。
教科書とかだと、東方遠征はまだしもディアドコイ戦争の粗筋ってさっぱり分かんな
いです。
プトレマイオス朝は、初代からいきなりエジプト化しちゃったんですか?というか、
プトレマイオス1世陛下が元々シスコンだったというだけな気がするんですけど(笑)。

確かに異民族出身の皇帝でも正式には重婚してませんね。ただ、出身地ではどうかな
と思って。
エラガバルスの場合は重婚がどうとかいう小さな器ではないのですが(笑)。

524マッティアス:2003/04/15(火) 00:36
そういえば、わかんないですね。>ディアドコイ戦争
そもそも、教科書だとマケドニアって大王死後すぐにアンティゴノス朝みたいな書き方
ですけど、年表見るとその前にカッサンドロス朝もあったりとか、さっぱりわからない。
プトレマイオス一世が元々シスコンだったという魅力的な見解には一票を投じたいです。

異民族でも、ローマ市民権を持ってる上層の人は一般ローマ人と同じだったり、正妻と
あとは全部妾だったりとかしてるのでは?あとは宗教によりけりだったり。
婚姻の歴史と文化についても調べてみる価値ありですね。
エラガバルスは器の大きい小さいではなく、カッ飛んでる方なので、参考にしないほう
が良さそうですね(笑)。

525カイザー:2003/04/15(火) 21:46
リュシマコス朝なんてのもありましたね。名前しか知りませんが。
確か教科書にも載っているイプソスの戦いで、最大勢力アンティゴノスが負けて帝国
の分裂が確定したという感じの記憶がうろ覚えにあります。ロクサネーとかアレクサ
ンドロスの息子は、もっと前に殺されちゃったんでしたよね。

そういえば、次の日曜からNHKスペシャルでシルクロードに関する世界帝国を特集
するそうですよ。一回目がアレクサンドロスで3回目ぐらいにアウグストゥスが登場
するといったスケジュールでした。十字軍なんかもあって、最後は元のフビライだっ
たかな?

526マッティアス:2003/04/16(水) 00:07
NHKスペシャル、月1ペースでしたよね、確か。十字軍楽しみ〜♪←違うだろ!
それにしても、アレクサンドロスってネームバリューのわりに知られてないですね。
まあ、歴史上の偉人というのはえてしてそんなもんだから、「知ってるつもり」とか
そういう系の知的(?)バラエティが成り立つんですけど。

毎日ちょっとずつしか読んでない洋書(まだ30頁そこそこ)の影響か、ネルウァの野郎が
とんでもない人間に思えて来ました(笑)。ドミティ暗殺後の皇帝に推戴されかかった人
(推定)リストに、ウェルギニウス・ルフスが挙がっていたんですけど。もしほんとなら
皇帝への要請を生涯に二度も断ったなんて、カッコイイ経歴ですね。

527カイザー:2003/04/16(水) 20:35
ルフスがドミティアヌス死後(もしかしたら、トラヤヌスの対立候補としてだった
かも)帝位候補者として考え得る人材だという話は、南川先生も言っておられた記
憶がありますね。
ウィンデクスに勝利した時にはユリウス家が健在で辞退、晩年はお祖父ちゃん過ぎ
て候補から外されたという、ちょっと惜しい人物ですね。

皇帝になんかなっても99%幸せにはなれないんで、それで良かったんじゃないで
しょうか?ネルヴァやマルクス・アウレリウスの経歴を眺めてるとしみじみ思いま
す。

「背教者ユリアヌス」やっと上巻を読破しました。
ユリアヌスってモテモテなんですね。・・・ちょっと、羨ましいです(笑)。

528マッティアス:2003/04/16(水) 23:23
ユリアヌス、あんなぽーっとしたボンボンのどこがいいんだろう?と嫉妬気味に言いたく
なるくらいモテモテですよね。天然お坊ちゃま系アイドル。

ウェルギニウス・ルフスも実はネルウァとそんなに年齢違わないのでは?という噂も。
同じじいさんならば、軍務経歴ある人のほうが良かったんだけど、軍隊事情、属州事情を
知っていると、ドミティがその方面では人物的にはともかく能力的に評価されていたため、
かえって自分が矢面に立つのは嫌だなあ、と思ってしまうそうです。
じいさんといえば、ゴルディアヌス1世とかタキトゥス帝なんて、めっちゃご老体では
なかったですか?皆、老骨に鞭打つようなことを…。

529カイザー:2003/04/16(水) 23:38
「いちご100%」に比べたらユリアヌスがモテモテなのは全然不思議ないですよ(笑)。
でも、「いちご100%」は全然羨ましいとか思わないです。ネギくんは羨ましい
かな(笑)。

ゴルディアヌス1世&2世は悲惨ですよね。というか、3世もですが。
東ローマのアナスタシウス1世は高齢で皇帝となって、レオ1世の娘でゼノンの寡
婦アリアドネと形式的に結婚して安定政権を樹立して国庫を潤してますね。確か死
んだ時には90近かった筈。ユスティニアヌスの再征服の基盤を作った名君です。

530マッティアス:2003/04/16(水) 23:50
あ!そうか!ユリアヌスってネギくん系かも。インテリで可愛くて天然なところが。
ていうか「いちご100%」は比較対照にしてはいけませんよ(笑)。せめて「電影少女」
くらいにしておきましょう。それも何かチガウけれども。

ゴルディアヌス3世というと、何故か肖像のインパクト強いのですが、どうですか?
微妙に坊主頭に見えて、さわやか杯とか全国中学生大会というカンジなんですが。
あのものすごい短髪はどういうことなのでしょう。気になって仕方ないです。

531カイザー:2003/04/17(木) 23:34
マッティアスさんは彫像をよく注目されていますね。確かにゴルディアヌス3世はヤ
ンキーに憧れる中学生みたいな感じですね。仮にも3代(とクラウディウス2世もか
な)も皇帝を輩出した家系なんだからゴルディアヌス朝と名付けるべきなのではと、
瞬間的に思いましたがどうでしょうか?

テオドシウス朝に続くトラキア朝(レオ1世・レオ2世・ゼノン・アナステシウス
1世、おまけでバシリスクスもかな)という王朝名も、あんまり使用しないんです
よね。
こっちは結構メジャーで重要な皇帝が何人もいてるんですけどねえ。

532マッティアス:2003/04/17(木) 23:45
彫像ばかり見てしまうのは、ビジュアル重視の女子だからですv(←死)
そういえば○○朝という名称って、2代でも使用される事もあれば、何人もいるのに
使用されない(もしくは使用がなじまない)こともありますよね。基準は何?

血縁者(形式的には親子か兄弟相続)が複数、「連続して」玉座について、なおかつ、
何十年か(大体20年以上くらいかなあ?)続かないと王朝、って言ってもらえない
気がしますね。

トラキア朝は↑の条件を満たしてはいるものの、日本人の感覚では王朝名って始祖か
家門の名称じゃないといまひとつなじんでない気もします。マムルークとかデリー・
サルタナットのことはひとまずおいておくとして。

533カイザー:2003/04/18(金) 22:12
トラキア朝の皇帝は、もう1人いてました。西帝国最後の正式な皇帝ユリウス・ネ
ポスもそうですね。オレステスの反乱で領地に逃げ帰ってからも皇帝を自称してて
ロムルス帝が廃位されてからもしばらくは健在だったから、考えようによっては本
当に最後の西ローマ皇帝と言えなくもないマイナーな割に無駄に重要な人物です。

レオ3世でおなじみのイサウリア朝(シリア朝)っていうのも、家系=王朝名じゃ
ないですよね。マケドニア朝なんかも家系名ではなさそうですが、語源が良く分か
らない。バシレイオス1世がマケドニア地方の出身だったのでしょうか?

ローマって結構女系の血縁を重視してるんですよね。テオドシウス朝・トラキア朝・
ユスティニアヌス朝・マケドニア朝は、男系が絶えた後はアリアドネとかソフィア
といった女性の皇族が姻戚関係を結んで王朝の存続を計っているというのが、他の
西洋諸国と微妙に違うように思えます。

534マッティアス:2003/04/18(金) 23:19
中世に入ってしまうと、女系ってほとんど意味をなしてないような、もはや嫁入り先の
ほうでしかあんまり名前が出てこないような気もしますが、土地の相続とか後から起こ
った王朝の正統性には、それなりに女系も重視されてますよ。
まあ、女王が出てきたり王女の婚姻で王朝を存続というようには見ていないっぽいです
けどね。あんまり詳しくないので推測で話してます。

イサウリアってシリアという意味なんですか。そういえば、マケドニア朝とか、日本人
がビザンティンは一般的に詳しくないだけで、地名系の王朝名も結構あるんですね。

ユリウス・ネポスって何となく勝手に僭帝だと思っていましたが、西ローマ最後の皇帝
という見方もできるんですね。クリス・スカーの本でもやはり、最後はロムルス・アウ
グストゥルスにしてあったりしましたが。

535カイザー:2003/04/18(金) 23:36
西ローマ皇帝の正式かどうかというのは、一般的には東ローマが公認してるかどうか
が条件になってます。
で、その条件を満たしている皇帝というと、ホノリウス、ヴァレンティニアヌス3世、
アンテミウス、ユリウス・ネポスのたった4人しかいないんですよね。その他の皇帝
は、ロムルス帝も含めてコンスタンティノポリス宮廷が即位を承認していないので、
全員僭帝扱いになってしまいます。
ただ、東ローマ皇帝について西ローマ宮廷が承認するとかしないという話はテオドシ
ウス2世に対してホノリウスが威張ってたらしい、ということしか聞いたことないん
で、凄い不公平な気もするんですが(笑)。

ロムルスが最後の西皇帝というのは、ロムルス→オドアケル→テオドリックという流
れの方がスムーズだというのと、オレステスに敗北して以降のネポスはイリリクムに
限定した地方領主に過ぎなかったから、皇帝と見なすことが出来ないということでし
ょう。

イサウリア=シリアじゃないですよ。イサウリア朝はレオ3世がイサウリア人を自称
したことが語源となった呼称ですが、シリア朝という言い方はこのデタラメな自称を
無視してレオ3世の出身地シリアを名前に使った呼称です。

536マッティアス:2003/04/19(土) 00:08
う〜ん。イサウリアってどこ?どこのあたりにいた人々なんですか?興味を持って調べた
ことさえよく憶えてない今日この頃。調べた事がないあたりは見事なまでの無知ぷりを
発揮してしまいます。

西の正統皇帝は東の承認に基づくんですか〜。ロムルスが承認されてなかったというのも
驚きです。何だろう、じゃあ一般書というかまあそういう本では、教科書的にわかりやす
い方向にそって記述しているのですかね。西洋で出された本でも。

537カイザー:2003/04/19(土) 10:22
イサウリアの詳しい場所は私も分かってないんですが、小アジアの地方名の名前です。
蛮族でありながら、ゼノン陛下を輩出しアナスタシウス時代まで宮廷に一大勢力を築
いていたそうです。
アナスタシウス1世との政争に敗北して以降のイサウリア人は、ゼノン時代にあくど
く稼いだお金を使って、各地に教会を建設しまくってたそうですよ。聖ソフィア寺院
もイサウリア人の設計・監督だった筈です。

私は歴史学会の人間ではないので根拠に乏しいかもしれませんが、基本的にはローマ
のコンテンツで皇帝として扱った人物は西ローマ皇帝と考えていいと思いますよ。
少なくとも私が見た日本のローマ関連本で、ロムルス他のザコな西ローマ皇帝を、僭
帝と見なしている本はないです。古典的な西洋の書物ではどうかは分かりませんが、
ギボンもこの辺の皇帝達(何と東ゴート王テオドリック1世までも!!)を、皇帝と
して扱ってます。
あくまで、コンスタンティノポリスの主張を受け入れるならという条件の元でのこと
でしょう。

末期帝国時代の悪役リキメールは、自分が擁立した傀儡皇帝をレオ1世に承認して
貰う為に、交渉に難儀してたようです。セヴェルスなんかは、この交渉の結果コン
スタンティノポリスから送り込まれたアンテミウスを迎え入れる為に、用済みとし
て殺されたのかなと思ってるんですが、皇帝なしの空白期間が長すぎるのが良く分
からないです。

538マッティアス:2003/04/19(土) 11:25
>イサウリア=小アジアの一地方
それでは蛮族とは言っても、だいぶローマ化された地域ですね。ていうか属州?
小アジア全体が少なくともユリ・クラ朝末期までには属州化されてますからね。

ギボン、ようやくコンスタンティウス2世陛下が単独(?)皇帝になり、ダルマティウス
を倒したあたりです(爆)。もうすぐユリアヌス陛下登場ですね!
それにしても、そうですか。テオドリックも皇帝扱いですか。いや、別にいいですが。
実はギボン、ペルシア王とか好き?ていうかシャープールを書く時、楽しそう?とか。

西帝国末期というと、完全に東の方が優位な時代だから、コンスタンティノポリスの
主張とか許可とかいう話になるのでしょうね。基本的に、東方属州のほうが豊かだったと
言われているし、コンスタンティノポリス遷都以降って、西は激しく衰退気味のイメージ
があるんですけど。

539カイザー:2003/04/19(土) 17:06
ギリシア人から見たらブリトン人の様な蛮族だったにしろ、イサウリア人もカラカラ
帝のアントニヌス勅令でローマ市民権を手に入れたんでしょうね・・・自信ないです
けど(笑)。

確かにギボンは蛮族好きですよね。ゲルマン人の王様なんかも嬉しそうに書いてます
よ。何かローマ皇帝に対して超辛口なのは気のせいでしょうか?

末期帝国時代は衰退がどうとかもありますが、ヴァンダル族が怖くて仕方ないんで、
東ローマの援軍を必死になって待っていたのが実状です。それが失敗したので、ヴァ
ンダル族に屈服してガイセリック派の皇帝(オリュブリウス帝)を選出したりもして
ましたよ。

540マッティアス:2003/04/20(日) 23:38
何だかんだ言って、ギボンも書いてる人物への好き嫌いがはっきり出る著作家ですよね。
基本的に、皇帝に対して辛口ですが、たまにこの人お気に?と思うのが出てきて面白い。
アウレリアヌスとゼノビアはお気に入りっぽいですよね。
コンスタンティウス2世ほかコンスタンティヌスの息子達にはチョ〜辛口(笑)。

>末期西帝国
国力が衰退したから、蛮族に対抗できなくなってきてるのかなあ、とか。
もうボロボロですね。蛮族に屈して皇帝を選出なんてするくらいまでなっちゃったんだ。
東はでも、そういえばあんまり蛮族に苦しむってイメージないなあ。どっちかと言うと、
ペルシアだったりムスリムだったり、ある程度文化レベルの高い国家とぶつかってるイ
メージですね。

541カイザー:2003/04/21(月) 22:57
東ローマでもフン帝国崩壊後は、ゲルマン人(東ゴート族)が結構好き勝手してる
んですよ。

ゼノン時代にはテオドリック・ストラボとテオドリック1世がゴート族の主導権を
巡って内戦を繰り広げ、弟バシリスクスの擁立に失敗したレオ1世の皇后ウェリナ
やバシリスクスに荷担したイサウリア人の部将達が皇帝に推す僭帝マルキアヌスを
巻き込んでゼノン帝の地位を脅かしていました。

結局、テオドリック・ストラボが病死して、新天地を求めるテオドリック1世をイ
タリアに厄介払い出来たので、最終的にはゼノンは帝国の安定を保つことが出来た
のは、マッティアスさんもご存じの通りです。

アルカディウスやテオドシウス2世時代にも、フン族が東ローマの領内に侵入して
略奪とかしてますし、西方と違って東ローマでは、軍事力(とそれを支える経済力)
がそれなりにあったことが、最終的に蛮族の定住を許さなかった原因なのでしょう。

542マッティアス:2003/04/22(火) 12:45
侵入と略奪なら、まあ一過性ですからねえ。定住させてしまうのとだいぶ事情は異なって
きますよね。やっぱり軍事力と経済力は必要アイテム(←ゲームかよ!)ですよね。

そういえば、塩野さんのシリーズって西の滅亡までが範疇でしたっけ?いつもローマ帝国
がいかに長く存続できたかという話をするとき、完全に東の事は度外視しているのが気に
なってるんですが。先年の長きにわたって、って東も入れたら二千年を超すのよ〜、とい
つも思うのですが。ビザンティンだって正式名称としてはローマ帝国なわけで、その辺は
彼女的にどう考えてるのかなあ、なんて思ったりして。

543カイザー:2003/04/22(火) 20:48
そういえば、テオドシウス1世が同盟部族条約を結んで西ゴート族を定住させたの
はトラキア地方でしたね。これもアルカディウス時代にイタリアへ厄介払いされて
います。歴史は繰り返されるということか。

東ローマ帝国は明らかに統一時代からの連続性を持つ政権ですよね。
ビザンツという名前がついてたりして、あたかも別個の存在かのような印象を持つ
かもしれませんが、少なくとも第4回十字軍までは統一時代からのな『変化』はあ
っても『断絶』はないですよね。

気付いておられるかもしれませんが、掲示板とかでは拘ってませんが、私はコンテ
ンツの年表とかではビザンツ(ビザンティン)という名前は絶対に使用せず、全て
ローマとしか表現しない、というどうでもいいポリシーを持っていたりします。

544マッティアス:2003/04/22(火) 23:16
いや、重要なこだわりでしょう。>ビザンティンなどではなく「ローマ帝国」と表現。
私はついつい便宜的にビザンツとかコンスタンティノープルとか言ってしまいますが。
愛が足りないのかな(笑)。

東ローマはオスマン軍による首都陥落と滅亡を除けば、いちばんの脅威は野蛮なフラ
ンク(十字軍)だったのではないかと思ったりします。まあ、やつらもぶっちゃけ、ゲ
ルマン系だけれども(一部はガリアだったりラテンだったりもするけれど)。

東はローマですが、神聖はローマだと認めませんよ。当たり前っちゃ当たり前ですが。

545カイザー:2003/04/24(木) 21:24
私はカール大帝のカロリング帝国はローマと呼んでもいいかなと思ってたりします。
まあ、これといった根拠はないんですけどね。

コムネノス朝以降のローマのガンは実は塩野先生お気に入りのヴェネチアですよね。
「コンスタンティノープルの陥落」の中では、ヴェネチアはローマを守る側として
描かれてましたが、第4回十字軍とラテン帝国が典型的ですが、基本的にヴェネチ
アはローマに依存して東方との中継貿易の利益を吸い上げるという構造を持った寄
生虫政権でしたからね。

この辺に触れるのが嫌だから、塩野先生は東ローマ史は無視してるという可能性、
あるかもしれませんね(笑)。




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