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無差別級

1 闇夜の鮟鱇★ :2003/11/27(木) 17:34 HOST:122.net061211188.t-com.ne.jp
このスレッドは『万有サロン』という名にふさわしく、
あらゆる意見を語り会う為の場にしたいと思います。
もしよろしければ、私のサイトへの疑問や感想もここにお書き下さい 。

114 闇夜の鮟鱇★ :2012/10/25(木) 11:53:17 ID:???0
  ●●●続・放射線ホルミシス効果は天才を産むか?●●●(2/5)
  〜〜〜原発反対で大騒ぎする残念な人々について〜〜〜

ならば、もう一つの1800年の後はどうかというと、
日本では一茶や良寛が活躍した化政時代に当たる分けですから、
これまた放射線の影響と見なすことも、不可能ではないでしょうね。
もっとも、この辺になると少し、こじつけ臭い感じがなくもないですし、
その前の元禄文化はどうしてくれる、ということにもなりますかね。(^^;)
ところがところが……案外そうでもないようなんです。

以上のデータは、あくまで『放射線が急激に増えた時期が過去に三回ある』
という意味で、超新星爆発との関連も疑われている分けですけどね。
でも『自然放射線の増加が天才を産む』と言う私の観点からすると、
『超新星の爆発で放射線が急増した』という説は余り面白くありません。
というのも、超新星の爆発の場合、放射線の増加はほんの一時ですから、
天才を生み出す効果は、余り大きくないと予想されるからです。

それに比べ、増え方は遅くても量的には更に多かった時代がある分けです。
  http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3729/1226114724/62
つまり、以前に少し触れた太陽黒点の変動に関してですが、
『マウンダー極少期にはテームズ川が凍りついた』という話があります。
そのマウンダー極少期というのは、1645〜1715の70年間に渡るわけですが、
この時代が丁度、元禄時代と重なりますし、西洋ではニュートンや、
大バッハが生み出された時代でもある分けですね。(*^^)v


このケースでは、詳細なグラフも見つかりました。
wikiにあるこのグラフを見ると、1645〜1715の Maunder Minimum と、
1790〜1820の Dalton Minimum という二つの谷が明瞭に分かりますよね。
因みに、太陽黒点の谷は、即ち自然放射線の山を意味する分けです。
  400 Years of Sunspot Observations
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Sunspot_Numbers.png

ここで注目すべきは三回目の急増が、ダルトン極小期にあたることです。
ということは、他の二回の急増にしても、超新星の爆発などではなく、
やはり、太陽黒点の谷の時代にあたる可能性が出てきますよね。
そして、その方が天才輩出の条件としては都合がよい分けなんです。
まとめると『太陽黒点が消える時代には、地球が寒冷化すると共に、
沢山の天才が輩出される』ということになるのではないでしょうか。

因みに、戦後の核実験に伴う放射線の増加に関しては、
以前にビートルズの例を引きましたけど、
改めて日本の場合を考え直してみると、
日本のフォーク・ブームの黄金時代は、
結局、1943年生まれの小室等に始まり、
1965年生まれの尾崎豊に終わった、と言えるような気がします。
これは核実験による放射性物質の降下が続いた期間に該当しますよね。


その関係のグラフはあちこちで見かけますが、例えば、
ここのグラフを見ると、放射線が増え始めた時期は分かりませんが、
1965年頃から急速に放射線が減って来ているのが分かると思います。
右の縦軸は放射性物質の降下量を対数スケールで示していますが、
1965年頃から10の三乗を下回って来ていますよね。
  7/20 今年の米の放射性セシウムによる汚染具合を予想する!  
  http://tsukuba2011.blog60.fc2.com/blog-entry-297.html
  http://www2.tba.t-com.ne.jp/a-z/omake/img/kakujikken.jpg

ついでに、もう一つ例を上げるなら、
昔から私が気になっていたこととして『戦後の日本で何故か、
広島出身者が目立つ』という現象がありました。
それで当時の私が考えていたことは、広島が原爆で廃墟となり、
その中心部が空洞化した結果、戦後にその真空を埋めるように、
周辺から沢山の人々が集まってきただろうということです。

その結果、それが生み出すシャッフル効果が一種の刺激となって、
戦後の広島に沢山の才能が生まれたのではないか。
それが当時私が思いついた仮説でしたが、今になって考え直すと、
それよりも、むしろ『広島では放射線による効果で、
才能が生まれ易かった』と考える方がスッキリしますね。
同様のことは、長崎についても言えるのではないでしょうか。

115 闇夜の鮟鱇★ :2012/10/25(木) 11:56:35 ID:???0
  ●●●続・放射線ホルミシス効果は天才を産むか?●●●(3/5)
  〜〜〜原発反対で大騒ぎする残念な人々について〜〜〜

さてそこで次は、例の原発反対デモの話になるわけですが、
その場合『デモの中心はノーベル賞受賞の某文学者を筆頭に、
理系よりも文系の人が多い』という話を聞きました。
それで思い当たったことなんですが、ここでは結局、
『桁の違いというものを、肌で直感的に理解できるかどうか』
という点が、分かれ目になっているんじゃないでしょうか。

そうした桁の差への一般人の無知に付け込み、
不安を煽るユダヤ主義の工作があるようですが、
我々はそうしたデマゴーグに惑わされるべきではありません。
以前に紹介したビデオでは、福島第一原発の正門前まで、
無防備で出かけた学者がいましたけど、彼にしても、
桁の違いが分かっているから、何の不安も無かったんでしょうね。
  http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3729/1226114724/55

ごくごく大ざっぱに言うと、毎時数シーベルトは必ず死ぬレベル、
それより3桁少ない毎時数ミリシーベルトは、将来の発癌が心配なレベル、
そして、更に3桁少ない毎時数マイクロシーベルトは、
健康増進のホルミシス効果が期待できるレベルということですよね。
少し乱暴かもしれませんが、これを重さの単位に置き換えてみると、
一般の人にも、その差が遥かに分かり易くなるように思います。


1トンの放射線が必ず死ぬレベル、1キログラムの放射線が発癌性のレベル、
1グラムの放射線が健康を促進し、天才を産むレベルと考えてみて下さい。
例えば、毎日1グラムの塩は人が生きるのに不可欠ですが、
毎日1キログラムの塩を食えば、確実に死ぬでしょ!?
3桁の差というのは、それくらい大きなものなんですね。

その点で私が一つ考えているのは、桁の違いの分かる人々が、
率先して範を垂れるべきではないかということです。
例えば、全国の大学の理学部で、そのキャンパスの中心に、
使用済みの核燃料とか、或いは除染作業で出る廃棄物とかを、
置いてみてはどうなんでしょうか。

それにより、毎時数マイクロシーベルトの放射線を、
人々が浴びられる状態を人工的に作り出す分けですね。
今の時点では、それは尚、多少とも、
人体実験的な意味あいを持つかもしれません。
でも、元々マイクロシーベルトなんて、
恐れるに足りないレベルですからね。


それは一方で、健康増進効果が期待できると同時に、
他方では、以上の例からしても、日本の科学界に、
天才を量産することになるのではないでしょうか。
何故、私がこんなことを言うのかというと、
ただでさえ落ち目な日本が、今や原発を動かせず、
宝の持ち腐れ状態になっているわけですよね!?

こうして原発が動かない間は、日本の国は確実に、
それだけ貧しくなっている、ということを忘れてはいけません。
その時、理屈の分かる大学人が、率先してこうした行動を取れば、
結果的に、日本を救うことになるのではないでしょうか。
結局、少なくとも我々が感覚的に理解できる世界においては、
物理現象の連続性という常識が成り立つ分けですね。

つまり、どんな現象でも、いきなり突然に変化することはなくて、
結果に一定の変化を起こすには、原因に一定の変化が必要な分けです。
そうした常識に照らすなら、毎時数マイクロシーベルトの放射線が、
有害なんてことはあり得ない分けですが、一般人の無知につけこみ、
一部のユダヤ主義の御用学者が、不安を煽り立てている分けですね。

116 闇夜の鮟鱇★ :2012/10/25(木) 11:58:47 ID:???0
  ●●●続・放射線ホルミシス効果は天才を産むか?●●●(4/5)
  〜〜〜原発反対で大騒ぎする残念な人々について〜〜〜

あれは今年の2月頃だったと思いますが、
『福島の野鳥が放射線の影響で減った』とか騒いでいましたね。
その後どうなったのか、ユダヤ・マスコミは報じませんが、
『毎時数マイクロシーベルトの放射線で野鳥が減った』なんて、
私なんかからすると、チャンチャラおかしい話なんですよね。

野鳥の減少には、もっと別の要因があるに違いないわけで、
例えば、あの事故の結果、福島原発の周辺では、
色々な工事車両が走り回っていた分けですね。
更に言うと、暫くの間は、放射能を測定する為とか言って、
米軍機が上空を定期的に飛び回っていたようですからね。
それで野鳥が逃げ出さないとしたら、むしろ不思議でしょ!?

何しろ、その野鳥の減り方はチェルノブイリの時より、
福島の方が激しいという分けですからね。
こうした事故の場合、日本では特に大騒ぎする分けで、
その騒ぎ方に比例して野鳥が減ったと考えるなら、
チェルノブイリより福島の方が大きく減るのは、
当然の帰結ではないでしょうか。


それから、そのチェルノブイリに関しては、少し前のNHKで、
ウクライナのコロステンという町の話をしていましたね。
私もあの番組をざっと見てみましたが……
『放射線の影響が癌だけにとどまらない』
という話は、まんざら嘘ではないのかもしれません。

『放射線を浴びると免疫系が劣化して、
様々な病気を引き起こす』という可能性について、
医学に素人の私が、否定すべきではないでしょう。
ただ……その影響を生み出した放射線というのは、
現在も残る毎時数マイクロシーベルトのレベルではなく、
事故の直後に相当ひどい被曝があったんじゃないでしょうか。

何しろ、当時のソ連の秘密主義のせいで、
最初の3年間についてのデータは存在しないそうですからね。
その上、コロステンの人々は、山のキノコなどを採取する、
自給自足の食生活を昔から送っていて、
あの事故の後も、それを続けていたらしいですからね。
内部被曝も、当初は相当ひどかったと予想されます。


『その結果、体の免疫能力が落ちて癌以外の病気にもなりやすい』
と考えれば、今回の話は矛盾なく理解できると思います。
つまり近年になって、過去のひどい被曝の影響が、
現れてきたという分けですから、福島の人々が、
あれを見て不安になる必要は微塵もないでしょうね。

それから『年間100mSvを越すと癌のリスクが増える』
というのが、最近では医療関係者の定説らしいですけどね。
因みに、コロステンの話でも積算500mSv以上が危ないとか、
積算250mSv以上で白内障が問題になるとか言ってましたが、
何度も言うように、問題は積算値ではなく、毎時の放射線量なんですね。

でも、そもそも癌だけを心配しても仕方ないでしょ!?
人間が死ぬのは、別に癌に限らないわけですし『どうせ死ぬなら、
癌で死ぬのがベストだ』という人だっている分けですからね。
というのも『寝たきりで管につながれ何年も生かされる位なら、
癌でスッパリ死ぬ方が楽だ』という理屈も成り立つからです。

117 闇夜の鮟鱇★ :2012/10/25(木) 12:01:28 ID:???0
  ●●●続・放射線ホルミシス効果は天才を産むか?●●●(5/5)
  〜〜〜原発反対で大騒ぎする残念な人々について〜〜〜

その点、例のネズミの長寿化実験が重要なのは、
それが全ての死因を総合した話だからです。
毎日1.1mSv(年間402mSv)を浴びたネズミが、
最も長生きしたという分けですね。
  http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3729/1226114724/66

この話が示唆するのは、微弱な放射線を浴びた場合、
仮に、癌で死ぬ可能性がほんの少し増えるとしても、
それ以上に、他の病気で死ぬ確率が減るということですよね。
その意味では、あの実験の詳細なデータを知りたい所なんですが、
あの実験の元データを探しても中々、見当たりません。

まさかでっち上げではないだろうと思いますが、ここでも、
ネット上のデータ蓄積がまだまだ、不完全なのかもしれませんね。
もっと詳しい実験を国家的にやるべきだ、書いた件では、
以上の観点からすると、その時はきちんと、
死因も含めたデータを取るべきでしょうね。


直近では、ユダヤ・マスコミが『福島と同レベルの原発事故が起こると、
半径30kmを越えた範囲でも避難が必要になる』とか騒いでますね。
でも……何百年も先の事故を今から心配してどうするんですかね!?
そもそも、将来の原発は例の水没式になっているでしょうし、
更には、核融合炉が実現している可能性もありますからね。
福島と同じ事故がまた起こる、なんていう想定自体が間違いですよね。

そんな遠い先の心配より『現在の日本では経済的な苦境の中で、
沢山の自殺者が出ている』という深刻な問題がある分けでしょ!?
その為にも、原発を再稼働し、日本経済を立ち直らせることの方が、
より緊急の課題であるように私には思われます。

最後に、一つ気になっていたことですが、以前に書いた内容に、
ひとつ凡ミスがあったようなので、念の為に訂正しておきます。
つまり、時事放談で皮膚ガンのグラフに線を書き加えた件ですね。
  http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3729/1226114724/62
  http://www2.tba.t-com.ne.jp/a-z/omake/img/hormesis2.png


元のグラフでは3つの仮説に基づく線が書いてあったのですが、
肝心のホルミシス説に基づくグラフがないのが気になって、
その時、ざっと書き加えたように記憶します。
でも、私が書き加えた曲線では、原点との交点が2を越しそうですね。

これは『線量がゼロの場合に比べた相対リスク』ですから、
曲線は、あくまで原点を通らないといけません。(^^;)
但し、元々のグラフが甘く、目盛り軸が原点を通ってませんからね。
正確には『横軸0.0を通る垂線と、縦軸1.0を通る水平線の交点』
を通ると言う必要があるでしょうね。

因みに、このグラフ自体、横軸が線量の積算値で、
毎時線量についてのグラフにはなっていないわけです。
その意味で、目盛り軸を余り気にせずに、
書いてしまったのが、失敗の一因かもしれません。

120 闇夜の鮟鱇★ :2013/07/29(月) 11:56:15 ID:???0
  ●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(1/7)

例の古典講読ですが、去年は平家物語をずっとやっていましたね。
以前には『断絶本』という系統の本を全文講読したことがありますが、
その点、今回の『覚一本』講読は残念ながら抜粋で、
しかもその上に、史実との関連性に重点を置いた内容でしたからね。
文学的な味わいの方は相当、犠牲になっていたように思います。

それで、今年の古典講読もまた平家物語なんですが、
今度は魅力的な人物を中心に取り上げているようですね。
ただ、講師が女性のせいか、武将の華々しい活躍よりも、
女性中心の地味な話になっているのが、少し物足りない気がします。

さて、実を言うと既に去年の講読の段階で、
色々と新たに気づいたことが多かったので、
もっと早く書きたかったんですけどね。
これまた色々な雑用に追われて、書きそびれてしまっていたので、
その分、今回は少し長くなるかもしれません。(^^;)


先ず、最初は例の俊寛の話ですが、去りゆく御赦免船を俊寛が追う場面を、
歌舞伎では足摺の表現までして描くのが、大変に印象的な分けですけどね。
今回の講読では、そうした表現の不自然さに気づかされました。
というのも、俊寛が本気で島から脱出する気なら、
その為の手段は、他に幾らでもあったように思えたからです。

例えば、俊寛たち3人が鬼界ヶ島に流されていた間、実は、
藤原成経の所には、家族から定期的に食料などが送られて来ていて、
3人はそれによって辛うじて、食いつないでいたという話がありましたね。
ですから、俊寛がもし何としてでも島を脱出しようと考えるのなら、
その定期便にもぐり込んで帰ることも、十分にあり得ただろうと思います。

或いは、硫黄を取引する商人船が通う話とか、
付近の小島の漁師が小船をあやつって往来する話もありましたから、
それらの船を使って脱出することも、不可能ではないように思われました。
それなのに、あえて脱出しなかったのは結局、無許可で流刑地を離れた場合、
見つかれば即刻、斬首という事情があったのではないかという気がします。
実際、弟子の有王という人物が一人娘の手紙を届けた時も『有王の船で帰れ』
と書いてあるのを『何も事情が分からない幼さ』と一蹴していますからね。


ですから、問題は船の有無という物理的な要因ではなくて、
都からの御赦免状がないという点に尽きるような気がした分けです。
つまり、真の問題は都から帰還の許可が降りないことであって、
船の調達だけなら、どうにでもなったのではないかということです。
そうした点からすると、歌舞伎のシーンで『船から置き去りにされた俊寛が、
地団駄を踏む』というのも、何かずれている感じがする分けですよね。

他方、俊寛と別れる時の成経が『自分が都に帰ったらなんとかする云々』
と慰める場面も、その後の展開からすると随分、奇妙な感じがしました。
実は、成経自身は都に帰った後、官職に復帰して出世までしたようですが、
一方の俊寛は食うものもなくなり、半ば飢え死にしたみたいな表現でしょ!?
別れ際の言いぐさからすれば、自分が居なくなった後の俊寛の為に、
食料調達の手配位はするのが当たり前ではないか、と思う分けですけどね。

或いは、平家ににらまれるので、それも出来なかったということでしょうか。
それなら、俊寛のみが残されたこと自体、俊寛を飢え死にさせようとする、
清盛の直接的な意図があった、と見るしかないのかもしれませんね。
全体に『どこまでが真相で、どこからが創作かわからない』という点で、
この俊寛の話の信憑性は相当、怪しいように私には思われたのでした。

121 闇夜の鮟鱇★ :2013/07/29(月) 12:02:41 ID:???0
  ●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(2/7)

二つ目の問題として、芭蕉と義仲の関係があります。
松尾芭蕉が、義仲の墓に自分を葬るように遺言したという話は有名ですが、
その結果、芭蕉は実際に大津の義仲寺に葬られて、今も塚が残る分けですね。
しかし、平家物語に登場する多くの人物の中で、芭蕉が最も入れ込んだのが、
木曽義仲だったというのが、私には少し引っかかっていたのでした。
つまり、自分が一緒に葬られたいとまで望んだ相手が、
巷では人気の高い義経ではなくて、むしろ義仲だったということですね。

その点では、去年の講読を聞いていて、少し理由が分かった気がしました。
先ず一つ目に、義仲という人はかなり人情に厚い印象を受けます。
それに比べると、例えば源頼朝の場合などは信賞必罰というのか、
戦さで功績があった人は厚く遇したようですが、
戦さ下手の武将には徹底的に冷たい所がありますからね。

例えば、熊野にいた源行家は、以仁王(もちひとおう)の謀叛の時に、
反平家の令旨を持って諸国を回った人物として有名ですよね。
ですから、彼は源平争乱のそもそもの起点となった重要人物とも言えますし、
その為か自負も強かったようですが、戦場ではからしき駄目だったようです。
その結果として彼は頼朝に冷遇されて、希望する領地をもらえなかったので、
頼朝と対立した末に、甥の義仲の元に逃れる分けですね。


或いはもう一人、志田義広という人も頼朝や義仲の叔父にあたりますが、
やはり大した戦功を残せずに冷たくされ、頼朝軍と一戦まじえた後で、
これまた義仲の所に逃れて行ったようですね。
その時、義仲は頼朝と対立して逃げてきたこの二人を、
叔父として手厚くもてなすので、彼は頼朝ににらまれてしまう分けです。

その結果、頼朝軍に攻められそうになると、大切な嫡男である義高を、
敢えて人質として鎌倉に差し出す、ということまでした分けですね。
それから、倶利伽藍峠の戦いの時も、自分は平家の主力を壊滅させた後で、
別動隊の行家の事が心配になり、援軍として駆けつけたのでした。
すると案の定、戦さ下手の行家軍は散々に蹴散らされていたのですが、
ここでも彼は戦線を立て直し、面倒を見た分けですね。

他方、第二点として、そうした人情家としての側面とは別に、
義仲のもうひとつの魅力は、その茶目っ気にあるような気がします。
ある時、猫間の中納言という貴族が所用で訪ねて来たのを、
田舎料理でもてなす場面は有名ですが、その時の義仲は、
彼を『猫間殿』とは呼ばず、敢えて『猫殿』と呼び続けたんだそうです。
何かふざけているというのか、人をからかっているというのか、
余り『歴戦の勇者』という感じではありませんよね。(^^;)


京都に入った後では『義仲軍が京都の周辺で略奪を働く』というので、
今度は、平知康という貴族がそれを諫めに行く場面がありますね。
その時も義仲は、鼓判官(つづみほうがん)という彼の俗称を捕らえて、
『鼓判官というのは、たくさんの人に打たれたからか、
それとも張られたからか』と、からかったという話がありました。

結局、それで知康は腹を立てて、返事もせずに宮中へ帰ってしまい、
『義仲は馬鹿者ですぐに朝敵となりそうだから、早く追討すべきだ』
と後白河院に上奏されてしまうはめに陥る分けですね。
その結果として起こったのが、例の有名な法住寺合戦で、
ここでも義仲軍は圧勝した分けですが、しかしそのことが、
最終的には、頼朝に義仲を攻める口実を与えてしまった分けですね。

でも、先に述べた人情に厚い点や、こうした茶目っ気のある点が、
義仲という人物に特有の魅力を与えていることも事実ですよね。
芭蕉が、平家物語に登場する人物の中でも特に、義仲を慕った理由は、
案外この辺にあったのではないかと、私には思われたのでした。

122 闇夜の鮟鱇★ :2013/07/29(月) 12:06:09 ID:???0
  ●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(3/7)

そして三つ目のテーマですが……昔から気になっていたのは、
能の『藤戸』でも有名な、例の藤戸の戦いの話なんですね。
一ノ谷で敗れた平家軍がちりぢりに逃れ去った後、
平行盛は改めて、備前児島に陣を構えたようですね。
範頼軍はそれを対岸から攻め落そうとしたのですが、
その時、武将の一人だった佐々木盛綱は地元の漁師から、
『馬で渡れる浅瀬がある』とこっそり教わる分けですね。

しかし、なんとしても先陣の手柄を立てたいと思った盛綱は、
『その男が他の者にも同じことを話すかもしれない』と心配になり、
こともあろうにその恩人を切り殺してしまうという展開でした。
この話はその後味の悪さにおいて、平家物語の中でも、
随一と言って良いのではないかと思います。

そのことがずっと引っかかっていた所、去年の講読の中で、
屋島の戦いの前哨戦として、罵り合いの舌戦の話が出てきました。
その中で、平家方の平盛嗣が義経軍の武将である伊勢義盛を、
『鈴鹿山で山賊をしていた奴』として嘲る場面がありましたね。
それで私が思いついたのは結局、当時の源氏軍の実体というのは、
一種のごろつき集団だったのではないか、ということでした。


その点では、義経軍よりも、もう一方の範頼軍の方が特にそうで、
範頼の軍は京に攻め上る時も、京よりずっと手前の岐阜当りで、
先陣争いから乱闘騒ぎを起こした、という話がありますね。
その結果、範頼は入京した後で頼朝から叱責を食らって、
暫くの間は、謹慎状態だったという話が出ていました。
ですから、範頼軍にいた佐々木盛綱なんていうのも、
その手のごろつきの一種と考えると、スッキリ収まる気がしたのです。

実を言うと、義経の場合にも良く似た話があって、
有名な鵯越えの逆落としでは、木こりの息子が道案内をした分けですね。
その時、義経は彼に鷲尾義久という名前を与え、部下として取り立てたので、
義久は最後の衣川の戦いで、義経と一緒に討ち死にしたという話があります。
ですから、盛綱の場合も恩人の漁師を何も殺さなくても、
少なくとも暫くの間は、自分の部下として一緒に連れて行く、
という選択肢があったのではないでしょうか。

この辺の落差は結局、義経が都で生まれ15歳位までは都で育ったのに比べ、
範頼が田舎の遊女の子で田舎しか知らない、という背景を考えれば、
別に驚くには当たらないことかもしれませんね。
但し……少し調べてみると、この盛綱は一応の家系のようですし、
その意味で、ごろつき説には少し無理があるかもしれません。


まあ、その後の武士の時代にも『城に秘密の抜け道を作った時、
それを作った大工を皆殺しにした』なんていう話を聞きますから、
そういうことは、珍しくなかったのかもしれませんけどね。
ですから、藤戸の話にしても、ごろつき云々ではなく、
あくまで戦争の非情さという範疇で、
捕らえるべきものなのかもしれませんが……。

因みに、ずっと前に引用した日中戦争の『軍隊まんだら』でも、
山中で出会った中国人の集団に道を教わった後で、
『自分たちの隠密行動が敵にばれるとまずい』という分けで、
後ろから撃って皆殺しにした、なんていう無残な話がありました。
  http://www2.ocn.ne.jp/~sukagawa/

改めて捜し直した所『別の部隊が桂林作戦の隠密行動の途中で、
出会った中国人を全て殺した』という少し違う話になっていますね。
当人が書き直したのでなければ、私の記憶違いかもしれません。
『追及梯団』の末尾の『本隊に追及』という所ですね。

123 闇夜の鮟鱇★ :2013/07/29(月) 12:16:29 ID:???0
  ●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(4/7)

似た話としては、義経軍が勝浦から屋島に徹夜の行軍をする途中、
敵将の宗盛の所に書状を運ぶ男と出会った、という話がありましたね。
義経は、その男を騙して道順を聞いたりした後で、その書状を奪うと、
男を殺す代りに、山中の木に縛りつけて去ったんだそうです。

ここでも下手をすれば、自軍の動きを敵に察知される危険がありますが、
『木に縛りつけておけば、男がそこから脱出する頃には、
屋島での奇襲は終わっている』と計算したんでしょうね。
でも、無用な殺生はできるだけ避けようとする点において、
この辺も、やはり義経軍は文明的な感じを受けます。

或いは平家側でも、平知盛が息子の犠牲によって生き延びた時に、
彼を沖の船まで運んでくれた屈強な名馬を乗せる余裕が無くて、
岸へと追い返すという場面がありましたね。
その時、部下は名馬を敵に渡すよりは射殺そうとしたのですが、
自分の命を救った馬を殺すのは忍びないと思った知盛は、
敢えて部下を制して、やめさせたのでした。


或いは、壇の浦の合戦でも、能登守教経がここを最期と孤軍奮闘した時、
知盛から『もう勝敗は決したから、無用な殺生をするな』と諫められて、
『それなら敵の大将と組もう』と義経を追ったという話があります。
この辺にも、文明と野蛮の差が感じられるのではないでしょうか。

因みに、この能登守教経の消息に関して、吾妻鏡には、
『一ノ谷で安田義定の軍に討ち取られた』という記録があるんだそうです。
それで、私はこの教経と義経が最期に戦うという展開も、
例によって良くあるフィクションではないか、と最初は思ったのでした。

というのも、ゴジラ対モスラにしろ、エイリアン対プレデターにしろ、
『誰が再強か』という組み合わせ対決は、大衆受けしますからね。(^^;)
『平家の勇将として名を馳せた能登守教経は、敢えて生かしておいて、
源平合戦の最終局面において、義経との対決を実現させる』というのは、
物語作者なら、いかにもやりそうな創作と思えた分けです。


ところが……一ノ谷の合戦の後、京都で平家の武将の首がさらされた時に、
教経の首が偽物だと判明した、という話が実はある分けなんですね。
それで私が考えたのは、この教経という男は勇将であるという以上に、
策士でもあったのではないかということでした。

つまり、一ノ谷の戦いで大敗した時、彼は影武者を用意すると同時に、
自分は目立たない格好に身をやつして、そこを脱出した可能性があります。
というのも、当時の大将は立派な鎧兜を付けていて、
雑兵との区別は、簡単についたそうですからね。

ですから、安田義定が教経の首を取り違えるということ自体、
影武者がそれなりの格好をしているのでない限り、あり得ませんよね。
ならば、どうして吾妻鏡の記述が訂正されていないのかという点ですが、
それは恐らく『教経に一杯食わされた』ということを、
頼朝が認めたくなかったからではないでしょうか。(^^;)

124 闇夜の鮟鱇★ :2013/07/29(月) 12:19:50 ID:???0
  ●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(5/7)

もう一つ、例の一ノ谷の合戦に関して、平家物語では、
『源平両軍がそれぞれ数万の大軍を擁して対峙した』とありますね。
ところが、当時のある貴族の日記には、
『源氏軍は数千騎に過ぎなかった』という記述があるそうです。

この辺の問題は未だ、未決着らしいのですが、
どうも私には、頼朝軍は一桁少ない数千騎だったとする方が、
信憑性があるように思われたのでした。
というのも、京都で頼朝軍を迎え撃った時の義仲の軍勢は、
既に、実質的には数百騎にまで減っていたという話があるからです。

それなのに、義仲が数万騎の頼朝軍を相手にして、
本気で都の防衛戦をやる、とは到底思えない分けですね。
始めから二桁も多い敵と分かっていたなら、
どう考えても、勝ち目はないですからね。


むしろ一度、自分の本拠地である北陸道に引き、
そこから反攻の道を探る、というのが常道ではないでしょうか。
その点、仮に頼朝軍が噂通りに、飢饉の影響などで、
数千騎しかいなかったのだとすると、話は変わってきますよね。

一桁多い程度の敵なら、義仲得意の戦術を駆使すれば、
何とか打ち破る可能性も、十分ありますからね。
そして、後の一ノ谷では、頼朝軍が法王をも抱き込んだ謀略戦などにより、
一桁多い平家軍を打ち破ったのだ、と考えるのが妥当ではないでしょうか。

因みに、以前には記憶違いで『義経が北陸を経由して京都に攻め登る時、
夜間の照明代りに、道中の家々に火を放った』とか書きましたけどね。
  http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3729/1069922074/113
実はそれは、この一ノ谷の合戦の前哨戦となった三草山の戦いの時に、
義経軍が夜討ちの奇襲をかける為に用いた大松明作戦のことでした。
北陸を経由して攻め上ったのも、義経でなく義仲ですからね。(-_-;)


去年の講読では他にも、いくつか気になった所がありました。
先ず、これはごく最初の頃に出た話ですが『平家物語では、
合戦の前に必ず一息入れるような話をおく』とか言ってましたけどね。
でも、この辺の記述は、単に一息入れるというのではなくて、
『戦いの前には、必ずその結果を予言するような御神託があった』
という描き方が、定型的な構図になっているようですね。

まあ、そうした超自然的な力を想定することは、
近代以前の文学では、ごくありふれた手法ですけどね。
それから『吾妻鏡では寿永2年(1183年)の記録が脱落している為に、
義仲と頼朝とが不和になった経緯が良く分からなくなっている』
という話があって、少し気になりました。
それに関連した記述は、このサイトにもありますね。
  http://kanazawa45.wordpress.com/2005/04/16/%E5%AF%BF%E6%B0%B8%EF%BC%92%E5%B9%B4%E6%98%A5%E3%81%AE%E6%BA%90%E9%A0%BC%E6%9C%9D%E3%81%A8%E6%BA%90%E7%BE%A9%E4%BB%B2%E3%81%A8%E3%81%AE%E8%A1%9D%E7%AA%81%EF%BC%88%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%91%EF%BC%89/

で私が思ったのは、ひょっとすると、ここの記述も、
家康が削除したのではないか、ということでした。
つまり、この辺にも例の家康の親戚の話が書かれていたので、
頼朝の変死の記録を削除した時に、一緒に削除したと考える分けです。
  http://jbbs.livedoor.jp/study/3729/storage/1102295096.html#120

125 闇夜の鮟鱇★ :2013/07/29(月) 12:25:26 ID:???0
  ●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(6/7)

それから、以下は今年度の講読に関して思ったことですが、
例の殿下の乗合事件に関して気になることがありました。
平家物語では、この事件は『祖父の清盛が主導して、
孫の資盛の為に復讐した』ということになっている分けですね。

ところが、歴史の様々な資料からして『実際は、
父親の重盛が息子の為にやったというのが真相である』
という風に考えるのが現代では主流のようです。
つまり、平家物語の中で清盛を悪人として描く上で、
全体の構図を作り変えたのだろう、という話なんですね。

でも、これまた当時のある貴族の日記によると、
『あの温厚な重盛が、本当にそんなことをしたとは、
信じられない』みたいに書いてあるんだそうです。
で、あくまでへそ曲がりみたいですが……私としては、
ひょっとして、ここは平家物語の方が真相に近い、
と考える可能性はないのかと思った分けです。


つまり、当時の清盛は出家して、仏道に励もうとしていた時期でもあり、
自分が起こした悪行を敢えて重盛に押しつけたのではないか、
そして、重盛の方も全てを知った上で、敢えて父の為に、
それを受け入れたのではないか、ということですね。
まあ、その辺は更に資料を集めて分析しないといけないというか……
最終的には証明不可能なことかもしれませんけどね。

それからもう一つ、これは特にネット上の議論ですが、例の鹿ヶ谷事件が、
清盛によるでっちあげである、という説が結構根強い分けですね。
でも、この点にしても、私は平家物語の記述は、
むしろ、十分信頼がおけるのではないかと思います。

というのも『鹿ヶ谷でっちあげ説』の最大の根拠というのが、
『そのタイミングが清盛に取って都合良過ぎる』という点にあるからです。
つまり『法王の命令に従って、このまま山門(比叡山)を攻めれば、
平家一門は仏敵となってしまう』ということを清盛が恐れ、
あんな陰謀事件をでっちあげて山門攻めを中止する一方で、
それを政敵排除にも利用したと考える分けですね。


でも……そもそもの問題として、息子重盛の義弟にあたる藤原成親を、
清盛が何の罪もないのに陥れて殺害する、などということは、
非常に考えにくいことではないでしょうか。
それに実を言うと、これは平家物語にはきちんと書いてないことですが、
むしろ成親の側に取って、そのタイミングは不可欠だったと思われます。

というのも、まだまだ平家の勢力が強いあの時点で平家を倒す為に、
『平家に山門を攻めさせた上で、都の兵力が手薄になった隙をつき、
源行綱たちが清盛宅を急襲して、その首を取る』
という作戦ではなかったかと、私には思われるからです。

因みに、鹿ヶ谷の謀議の時、その内容を初めて知らされた静賢法印が、
『誰に聞かれているとも知れないのに無謀だ』と青くなった、
という話が出て来ますが、恐らく源行綱は、
それを聞いて恐くなり、寝返ったのではないでしょうか。

126 闇夜の鮟鱇★ :2013/07/29(月) 12:32:53 ID:???0
  ●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(7/7)

それから、これは直近の話ですが、祇王の話を詳しく取り上げていましたね。
講師としては『ここに描かれる清盛のような男は顔も見たくない』
とか言ってましたが、男と女の感じ方の差なのか、
私には、それほどの悪人とは思えませんでした。(^^;)
というのも、白拍子というのは基本的に、
その芸と体を売ることを生業(なりわい)にしていた分けですからね。

たとえ一晩で追い出されても文句は言えないわけで、
たまたま清盛が気に入って、三年も囲っていたというのが、
ある意味では異常な例外的状態だった、とも言える分けですよね。
ですから、清盛がたまたま別の白拍子(仏御前)を見初めた結果、
自分が追い出される羽目になったとしても、
全く恨むべき筋合いのものではないように思います。

その点ではむしろ『紫上を正妻格として迎えた後で天皇の娘を娶り、
紫上を隅に追いやった』という光源氏の仕打ちの方が、
はるかに許しがたいし、男としても嫌らしい感じがしますよね。
この祇王の物語では、仏御前が清盛宅に押しかけてきた時に、
清盛が追い払おうとしたのを、同じ白拍子として同情した祇王が、
『とにかく面会だけはしてくれ』と取り次いだことになっています。


『その恩義に反し、仏御前が清盛を奪い取る結果になったのが、たとえ、
仏御前自身の意志によるものではないとしても許せない』というのが、
物語の展開である分けですが……一種の奇譚という感じの話ですね。
これは平家物語の本筋ではなくて、後から付加されたものだろう、
というのが通説のようですが、その場合、当時はやりの仏教説話が、
元になっているという印象を濃厚に受けますね。

つまり『こういう風にすれば女も極楽往生できる』という一つの例として、
どこかの坊主が考え出して広めた話ではないかと思います。
というのも、この話は『女同士が義理を立て合う』という点で、
近松門左衛門の『心中天の網島』の構図と良く似ているからです。
あの場合も『男の愛人である遊女の小春と妻のおさんとが、
互いに義理を立て合って云々』というのが話の主軸になるわけですね。

でも、その展開に、私は何やら違和感を感じざるを得なかった分けです。
というのも私には、いわゆる義理人情というのは、
男の世界に特有の価値観ではないか、と思えるからです。
つまり、男社会が組織として成り立って行く上では、
そうした義理人情の価値観が不可欠だ、ということなんでしょう。


その点からすると、逆に女同士の争いというものは、
もっとずっとドライであるような印象を、私は受ける分けですね。
それは結局、女というものが歴史的には家庭の中だけで生きて来て、
組織というものとは元々、無縁だったからではないかと思います。
ですから、女にとっては自分の家庭と子供を守ることが全てであって、
その為には他人を犠牲にしても、余り意に介さない所がありますよね。

その意味で、心中天の網島にしろ、祇王の物語にしろ、
『これは明らかに男による作り物だ』という印象を受ける分けです。
例えば、仮に仏御前が祇王に受けた恩を裏切るような形で、
祇王のパトロンである清盛を奪う結果になったとしても、
それほど負い目を持つことはないんじゃないか、と思う分けです。
つまり『今までは祇王が清盛の愛人として散々いい目を見て来たのだから、
今度は自分が少しはいい目を見る番だ』と思ってもおかしくないですよね。

その意味では『どうせあんただって、その内、私と同じ目に遇うわよ』と、
捨てぜりふみたいなことを祇王から言われて『確かにそうよね』と納得し、
祇王を追って出家する、なんていう展開はいかにも不自然に映る分けですね。
この辺は、男(坊主)が仏教説話として作り上げた話と見るなら、
なるほど、と納得できるのではないでしょうか。

128 闇夜の鮟鱇★ :2015/01/13(火) 11:48:44 ID:???0
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(1/9)

既に音楽総評でも少し触れましたけど、今年の古典講読では、
『奥の細道』を中心に、松尾芭蕉の話をやっていますね。
で、書きたいことが沢山たまっている分けですが、
先ず最初は、芭蕉の内妻の駆け落ち説から触れてみたいと思います。

伊賀上野から上京した芭蕉は暫くの間、日本橋に住んでいたそうですが、
ある時、突然深川に転居してしまい、句風も大きく変わったらしいですね。
で、日本橋時代には既に宗匠の地位を得て、名声を確立していたのに何故、
わざわざ深川みたいな辺鄙な所に引っ越したのかが不可解な分けですね。
そこで色々な人がその転居の謎を探っているそうですが、
未だに、ハッキリした結論は得られていないようです。

で、私なりに少し考えてみたんですが、先ず一番考えやすいのは、
やはり、派閥抗争みたいなことに嫌気がさしたという可能性ですね。
実は、芭蕉以前の江戸には高野幽山という宗匠がいて、
江戸俳諧に一定の勢力を持っていたらしいですね。
そこへ後から芭蕉が押しかけて、結果的には幽山を押し退けるような形で、
勢力を拡大していった分けですから、ごくごく常識的に考えても、
何らかの派閥的な確執がなかったとは考えにくいと思います。


その時、そうした世俗的な抗争に嫌気がさした芭蕉は、
敢えて自分から、さっさと深川に移ってしまったと考える分けですね。
ただ、もうひとつ興味深い話が出ていて、芭蕉には内妻がいて、
その内妻が甥と駆け落ちしたという説があるんだそうです。

芭蕉が故郷の伊賀上野に帰った時、姉に頼まれたのか、
その息子を江戸に連れてきて面倒をみていたらしいのですが、
その甥が内妻と良い仲になり、駆け落ちした疑いがあるというんですね。
というのも『芭蕉には内妻がいた』という噂がある一方、その甥が、
芭蕉の元から突然、姿を消してしまったという事実があるらしいです。
そこへ更に『内妻とされた女が、後に出家した姿で芭蕉の周辺に戻っていた』
という話などが加わって、駆け落ち説が導き出されるようです。

一般に、芭蕉の句では『奥の細道』に出てくる句が特に有名ですが、
今回の放送では、それ以外にも沢山の秀句があることに気づかされました。
そうした中で、私が最初に衝撃を受けたのが次の句だったんですね。
  櫓の声波を打って 腸凍る 夜や涙
  (ろのこえなみをうって はらわたこほる よやなみだ)


『おいおい一体、何があったの芭蕉さん』と声をかけたくなりますが、
この句からは、芭蕉の嗚咽が聞こえてくるような気がしませんか!?
これは深川移住のすぐ後に作られた俳句のようですが、
彼にこれほどの打撃を与え得るものとして説明が付くのは、
例の内妻駆け落ち説以外にあり得ないように、私には思われたのでした。

まあ、仮に派閥争いに嫌気が差していたのが事実だったにせよ、
深川移住を決断させる直接の要因として、内妻の駆け落ち説は、
最も説得力のある出来事となりうるのではないでしょうか。
因みに、放送では『当時、駆け落ちは死罪に当たるので、
芭蕉としては甥を守るためにも、世間に真相を悟られたくなかった』
というようなことを言っていたと思いますが。

それから、ネット上には芭蕉の全句集も見つかりましたが、
芭蕉句の全体像を知る上で、色々と役に立つと思います。
  芭蕉全句鑑賞
  http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/4128/zennkusakuin.html

129 闇夜の鮟鱇★ :2015/01/13(火) 11:52:06 ID:???0
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(2/9)

次に触れなければならない問題として、捨て子の件がありますね。
『野ざらしを 心に風の しむ身かな』という秀句で始まるのが、
有名な『野ざらし紀行』の旅なんですが、その中に次の句がある、
ということを今回の放送で知りました。
  猿を聞く人 捨子に秋の 風いかに

富士川のほとりで芭蕉が三歳位の捨て子に出会った時、
手持ちの少しの食い物を投げ与えて、その場を立ち去り、
この句を作ったということのようです。
  富士川のほとりの捨て子
  http://www.bashouan.com/Database/Kikou/Nozarashikikou_02.htm

でも……果たして、この捨て子を見殺しにしてよかったのか、
俳句など作っている場合じゃなかったんじゃないかと、
後世の人々からは様々な疑問が投げかけられているようです。
その点で私がひとつ気になっているのは、果たして、
同時代人の批判があったのかどうかという点なんですね。


というのも一方には、現代と比べた場合の当時の圧倒的な貧しさがあり、
それと並行して、命の重さも時代によって大差がある分けですからね。
現代的な感傷から安易に芭蕉を批判するとしたら、
余りに無責任で一方的という気がします。
その意味で大切な事は、当時の社会状況についての深い洞察であり、
当時の貧しさに、どれだけの想像力を働かすことができるかですね。

例えば、奥の細道の旅では、石巻付近で芭蕉がお湯を貰おうとして、
農民たちに断られたという話が出ていましたよね。
芭蕉がこの旅を計画した時、夏に向かう時期を選んだのは、
当然、北国の寒さを計算した結果でしょうが、その夏ですら、
寒くてお湯を欲しくなることがあった、という分けでしょうかね。
でも、水飲み百姓の異名もある当時の農民からすると、
ふらふら出歩いて俳句なんか作っている芭蕉みたいな存在は、
けしからぬ有閑階級としか見えなかったかもしれませんね。

だって、現代のガス・水道のある生活と根本的に違って、
当時は一杯のお湯を作るのにも、大変な労力を必要としたわけでしょ!?
何しろ、どこかから水を汲んで来て器に入れてかまどにかけたら、
次は山で薪を集めてきて火を付けて……という手順な分けですからね。
仮に水や薪のストックがあったにせよ、それらは貴重品だったわけで、
どこの馬の骨か分からない芭蕉に恵むなんて論外だったんでしょうね。


こういう時代には、旅の途中で行き倒れになることも珍しくない分けで、
芭蕉自身、旅先で野ざらしの骸骨を見ることがあったのではないでしょうか。
場合によっては、まだ息がある行き倒れ人を、
見殺しにして行くしかないケースもあったかもしれませんね。
ですから、旅立ち前の句も決して大げさではないわけで、そうした状況から、
『野ざらしを心に』という悲愴な覚悟も生まれたのだろうと思います。

つまり、これから冬に向かうという季節に、紙子一枚で旅に出る事は、
半ば、死ぬ覚悟が必要だったと言えるのではないでしょうか。
現代のようにダウンのジャンパーでも何でもある時代と違って、
当時、幾ら軽いとは言え、紙子という紙で作った衣一つで、
冬の旅に出るというのは無謀と言うしかないですよね。

まあ、あまり立派な身なりだと逆に追剥が心配かもしれませんが。(^^;)
ともかく、そういう状況では、手持ちの食料を投げ与えると言っても、
我々がポケットのスナック菓子を投げ与えるのとは分けが違いますよね。
それは元々、空腹を満たし旅の疲労を回復する為には不可欠なものであって、
それを投げ与えたのは、ギリギリの決断だったかもしれません。

130 闇夜の鮟鱇★ :2015/01/13(火) 11:55:31 ID:???0
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(3/9)

その点で、ちょっと引っかかるのが、芭蕉の回りの風狂人たちなんですね。
例えば、この句を作った後に立ち寄った名古屋でも俳諧興行があって、
そこには裕福な町人階級も在席していたみたいですね。
江戸でも当然、同様の階層の人々が周囲にはいたわけです。
でも、その裕福な町人という概念がもうひとつ、しっくり来ない分けですね。

芭蕉が半ば死ぬ覚悟で紙子一枚の旅をするというのに、
彼が出発する時、彼を宗匠と仰ぐような裕福な町人たちは、
もう少しましな着物を恵んでやろうとは思わなかったんでしょうかね。
実際の所は、芭蕉が衣類を貰って作ったという俳句も散見しますが、
それらは、どうやら野ざらし紀行の旅より後の話のようです。

  ――嵐雪が送りたる正月小袖を着たれば
  誰やらが かたちに似たり 今朝の春
  ――門人杉風子、夏の料とてかたひらを調し送りけるに
  いでや我 よき布着たり 蝉衣
芭蕉が例の捨て子の話を名古屋で語ったのかどうかも良く分かりませんが、
もし例の句を知ったとして、彼らならどういう反応を示したんでしょうか。


もうひとつ気になって調べたのは、中国の詩人が捨て子に関して、
どんな詩を残しているかということでした。
というのも『猿を聞く人』というのは、まさに中国詩人のことですからね。
私が知る限りで最も有名なのは、李白の『早に白帝城を発す』でしょうね。

  早発白帝城(つとにはくていじょうをはっす)
  http://kanshi.roudokus.com/hakuteijyou.html
後半が『両岸の猿声 啼いてやまざるに 軽舟すでに過ぐ 万重の山』
となっていて、川下りの船で猿の鳴き声を聞いた李白は、
子供をさらわれた母猿の断腸の思いを追体験したようです。

でも『たかが猿の鳴き声にそこまでの思い入れをするのなら、
人間の捨て子が寒風の中で実際に泣き叫んでいるのを聞いたなら、
李白さん、一体どうしたらいいんでしょう』というのが、
あの句で芭蕉が言いたかったことでしょうね。
それでネット上を色々と探し回ってみたんですが……
何故か、捨て子を扱った漢詩というものが皆無なんですね。


やっとひとつ見つけたと思ったら、その『棄児行』の作者が実は日本人で、
雲井龍雄だとか原正弘だとか言われているようです。
  詩吟神風流藤が丘支部
  http://home.u06.itscom.net/mitake/newpage62.html
因みに、例の小椋桂がこれを詩吟でうなっている動画もありました。
  詩吟「棄児行」小椋佳
  http://www.nicovideo.jp/watch/sm21367611

こうなると『当時の中国に捨て子はいなかった』と考えるしかないですね。
だって、あれだけ社会問題で鋭い問題提起をしている杜甫などが、
もし捨て子に出会っていれば、それを詩として残さないはずがないでしょ!?
で、少し捨て子の歴史というものを調べて見たんですが……先ず、
中国で有名な寒山拾得の拾得が、実は捨て子だったという話がありました。

西洋にも似たような逸話は色々あって、例えば、
旧約聖書に出てくるモーゼにしても、捨て子ということになっていますね。
でもそれらは、ごくたまに生じた例外的な事件という扱いなんですね。
それが芭蕉の時代には、捨て子が一種の社会現象になっていて、それで、
他にも捨て子を扱った俳諧が色々あると放送では言っていましたね。

131 闇夜の鮟鱇★ :2015/01/13(火) 11:59:13 ID:???0
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(4/9)

で結局、気づいたのは捨て子が社会現象になる為には、
一定の社会的条件が必要だったのではないかということですね。
先ず、第一には十分に温暖な気候でないと、
捨て子はすぐに凍え死んでしまうような気がします。
その点では、中国の華北地方のような寒冷地では、
捨て子は起りにくかったのではないでしょうか。

そして、第二には捨て子を拾って育てられるだけの状況、
つまり、社会的な余裕が不可欠だったかもしれませんね。
例えば、戦乱続きで庶民が食うや食わずの状態の場合、
捨て子を育てるどころではなかったでしょうからね。
そうした条件が揃って、社会に一定の余裕が生まれた時、
『誰かが拾って育ててくれるかもしれない』という期待が生じ、
育てられない子供を捨てる、という風潮が一般化したんでしょうね。

但し、更に調べてみると『ローマ時代の捨て子は、
奴隷として育てられた』という話が出てきました。
他方では、産業革命後のヨーロッパでも捨て子が頻発し、
彼らは修道院で育てられていたという話があります。


その時、プロイセンのフレデリック大王が修道士に命じて、
『赤ん坊と一切目を合わせずに育てる』という実験をした所、
育つ前に皆死んでしまった、なんていう嘘みたいな話もありました。
こうなると、捨て子も単なる実験材料に過ぎなかったようですね。
  フレデリック大王の実験とネグレクト
  http://www.glico.co.jp/boshi/futaba/no71/con05_05.htm

日本の場合は特に、長い戦乱が終わって江戸時代になると共に、
人命を大切にする風潮が急速に高まった、という事情もありそうです。
しかし、産業革命には尚遠い日本で、既に捨て子が頻発したとすると、
ちょっと不可解ですが、何か仏教教義に変化でもあったんでしょうか。

因みに、野ざらし紀行の旅が1684年ですが、その3年後には、
将軍綱吉による生類哀れみの令が出されている分けですね。
そして、実はその一部として捨て子禁止令が含まれていて、
この禁止令だけは、綱吉の死後もずっと維持されたんだそうです。
ひょっとすると、芭蕉のあの句がひとつの引き金となって、
そうした禁止令が生み出された、と考える可能性もありますよね。


それに比べると、少し時代を逆上って、例えば平安時代に、
捨て子禁止令があったという話は見当たりませんからね。
当時は育てられない子供は即、間引きされたんでしょうね。
少し前の戦国時代には、そこいら中に死体がゴロゴロ転がっていても、
何とも思わなかったんでしょうし、捨て子を見殺しにしたと言っても、
現代的な感覚からは、到底たどり着けない時代感覚があった気がします。

ひとつ気になるのは、当時の東海道にどれだけの人通りがあったかですね。
奥の細道でも、北陸道の市振の関では、同宿した遊女から、
『後を付いて行かせてくれ』とせがまれたという話がありました。
その時『自分たちは寄り道が多い。他の通行人に付いて行けば、
何とか目的地に着けるだろう』と諭して断ったという話が出てきます。

幼児を育てるとなれば、母乳の出る母親が必要だった分けで、
芭蕉たちも、他の通行人に捨て子を託したと考えるのはどうでしょうか。
もっとも母乳というなら、食い物を投げ与えるのは矛盾しますかね!?
ただ、もし通行人が十分多ければ、捨て子には既に人だかりが出来ていて、
芭蕉たちは、それを後ろから覗きこんだだけだったかもしれませんよね。

132 闇夜の鮟鱇★ :2015/01/13(火) 12:02:22 ID:???0
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(5/9)

さて、その先の名古屋で開いた句会で芭蕉が披露したのが次の発句でした。
  狂句こがらしの 身は竹斎に 似たる哉
  (きゃうくこがらしの みはちくさいに にたるかな)
『狂句こがらし』という所は『狂句(俳諧)に焦がれる私』の意味に、
『木枯らしに吹かれてきた私』を掛けているのだと放送で言ってましたね。

始めは、ちょっと無理な解釈のような気もしたんですが、
突きつめて考えてみると、これは大正解かもしれませんね。
だって、ここでわざわざ『狂句こがらし』と直接、続けている以上、
そう取る以外に、道はなさそうですからね。

ただ、私がひっかかったのは、むしろ末尾の『似たるかな』なんですね。
つまり『狂句に焦がれつつ、木枯らしに吹かれてやって来た私』と、
『当時、漫画の主人公として有名だった藪医者の竹斎』とを並べた時点で、
両者が似ていると言いたいことは、誰の目にも明らかでしょ!?
そこへ『似たるかな』では、いかにもぬるいという感じがした分けですね。


以前に『春の俳句講座』のところで書いた言い方に従うなら、
『似たるかな』の五文字は、言わずもがなの無駄と言わざるを得ません。
  http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/3729/1123461002/#31
ですから私としては、そこでもうひとひねり欲しかったと思う分けですが、
例えば『身は竹斎の 名残かな』というのも一案でしょうね。

まあ、俳諧興行というものはあくまで、一種の即興ですからね、
その時点で、そこまで詰めて推敲するのは無理だろうとは思います。
でも、後から、それを紀行文としてまとめる段階では、
更に推敲があってもおかしくない分けですね。
例えば奥の細道でも、俳諧興行では『さみだれを 集めて涼し 最上川』
だったのを、推敲して『涼し』を『早し』と直した分けですからね。

ただ……後から更に見直してみると、俳諧興行の時の発句は、あくまで、
芭蕉が自分を漫画の主人公になぞらえて、おどけている感じがありますね。
『似たるかな』を『名残かな』と直す場合、その諧謔味は失われますから、
俳諧興行の時点では、あれ以外の形はあり得なかったのかもしれません。
ならば、芭蕉句の添削はやはり無茶だったのかというと……私としては、
紀行文の段階では『名残かな』でも十分いけそうな気がします。(^^;)


あのう、情報が氾濫するネットでは、とにかく目立つことを書かないと、
誰にも目をとめてもらえない、という困った事情がある分けですね。
ですから『芭蕉句を添削する』なんていう目障りな標題を付けたのも、
まさに、他人の目を引きつけようという私なりの戦術だった分けで……
もし、そこに引っかけられてこれを読み出した人がいたとすると、
その戦術は大成功だったということになります。(*^^)v

まあ私の性格として元々、権威は大嫌いということがあって、ですから、
芭蕉を俳聖などと崇めて祭り上げることには全く興味がない分けですね。
その意味で、幾ら芭蕉でも良い句は良い句、
悪い句は悪い句として扱うことに、全くためらいはありません。
その点では、私が選ぶ芭蕉の三大駄句というのがあります。
つまり、世の中ではやたら有名で、有り難がられているけれど、
私の目には駄作としか思えない、という意味でのワースト・スリーですね。

  古池や 蛙飛びこむ 水の音
  道の辺の 木槿は馬に 喰はれけり
  海暮れて 鴨の声ほの かに白し
因みに、ここでカモ(鴨)と言っているのはカモメ(鴎)のことでしょうね。
江戸時代には、カモとカモメは混同されていたみたいですし、
海岸で良く見かけるのは、カモではなくカモメの方ですからね。

133 闇夜の鮟鱇★ :2015/01/13(火) 12:06:27 ID:???0
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(6/9)

他方、古池やの句は『蛙合』(かわずあわせ)という句集にあるそうですが、
芭蕉さんも、ある意味では商売上手だったと言うべきでしょうか。
この句がここまで有名になったのも、その句合(くあわせ)に参加した、
大衆が広めた結果に違いないでしょうからね。

その点では、芭蕉が杉山杉風に与えたという『あつめ句』にしても、
自薦句とか言われていますけど、何やら大衆迎合の臭いがします。
全体に選句が甘いですし、その名前にしてもぞんざいですから、
これは多分、杉風が好む句を選んで書き与えたものではないでしょうか。

結局、現代のシンガーソングライターにしてもそうですが、
自分が作りたい歌と、売れる歌とは同じではない分けですね。
でも、生きていくには金が必要で、その金を稼ぐ為には、
大衆迎合も必要悪となれば、それをどこまでやるかは、
いつの時代にも、悩ましい問題だったのではないでしょうか。


だからこそ、最後には次のような句も生まれた分けでしょうね。
  この道や 行く人なしに 秋の暮
ここには『自分が目指す道を本当に理解する人は結局いなかった』
という芭蕉の苦い思いが込められているように思います。

この辺で、ざっと言葉の整理をしておきますが、
平安朝の連歌から江戸時代に派生したのが俳諧の連歌で、
どちらの場合も、複数の参加者が 5・7・5 7・7 5・7・5 7・7……
と上句と下句を一定の約束を守りつつ続ける分けですね。
そして、その連歌の最初に来る上句の 5・7・5 を発句と言いますが、
芭蕉の頃からその発句だけが、独立性を強めていった分けですね。

で、明治になってから、俳諧の連歌を連句、
その発句を俳句と呼ぶようになった分けです。
その辺の説明は、ここに分かりやすいサイトがありました。
  連歌の歴史
  http://www.h2.dion.ne.jp/~taki99/history.htm
ですから、ここで発句と言うのは俳句のことで、
俳諧(俳諧の連歌)は連句のことです。


それから『俳諧興行』という言い方が良く出てきますが、
興行という以上は『沢山の観客を集めて料金を取って……』
というやり方をするのかと、当初はいぶかっていました。
でも、色々調べてみると、この興行に観客はいないようですね。
『その地方の俳諧好きが集まり、宗匠を招いて連句の句会を開く』
というのが、実際に行われる俳諧興行の実態のようです。

その場合、宗匠を招く以上は何らかのお礼が必要な分けで、
参加者は一定の参加料を払う、という約束なんでしょうかね。
ならばどの道、一定のお金が動くには違いない分けで、
興行という名前も間違いではない、ということでしょうか。
実は現在でも、地方ではそうした俳諧興行が行われているらしく、
ネットを探せば、色々と見つかるようです。

因みに、先のサイトにもあるように、明治期になると、
正岡子規がこうした連歌形式を『文学にあらず』
と言って否定した、という話は有名ですよね。
まあ、ある意味で、こうした俳諧興行というものは、
前述した『大衆迎合』そのものとも言えますからね。

134 闇夜の鮟鱇★ :2015/01/13(火) 12:08:39 ID:???0
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(7/9)

さて、次に気になったのがこの句の読み方の話でした。
  蚤虱 馬の尿する 枕もと
  (のみしらみ うまのしとする まくらもと)
最近の研究の成果で、ここの尿はシトではなくバリと読むべきだ、
とか言っていたんですが、私にはちょっと信じがたい話でした。

古い書き物を調べる内に、そこをバリと表記したものがあった、
だから芭蕉はバリと読んでいたのに違いない、というんですけどね。
そもそも、そんなことを言いだした奴は、
俳句のハの字も知らないんじゃないか、とさえ思いましたね。

というのも、ここは全体の言葉の響きからして、
シト以外の読みはありえない、と思うからなんですね。
つまり、シラミのしとシトのしが響き合っている分けですから、
バリなどと読んだのでは話になりませんよね。


恐らく、芭蕉が句を推敲する過程で、一時的に、
ここをバリとしたらどうか、と迷ったことがあったんでしょうね。
その場合、ただ尿とかけば『シト』と読まれてしまうので、
あえて『バリ』と仮名書きしたんでしょうけど、暫くして、
やはりそれでは駄目と気づいて、元の尿に戻したんだろうと思います。

芭蕉に『句調はずんば舌頭に千転せよ』という言葉があるそうですが、
この句も、実際に舌頭に千転して見れば、優劣は自明でしょうね。
因みにネット上には、千転は大げさだという人もいましたけど、
私には全然大げさとは思えません。

実際問題として、一日一回口に出すとしても一年で365回ですから、
三年なら優に1000回を越えるでしょ!?
俳句を作るなら、そこまでこだわる位でないと意味がないと思います。
例えば私の個人的な例でも、何年たっても決着しない句がある分けですね。


つまり、江ノ島で見つけた芭蕉句から『本句取り』をやった件ですが、
  疑ふな 潮の波も 浦の春
から、次のような句を作ったという話を以前にしましたよね。
  疑うな 浮世の春も 有為の夢
  http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/3729/1123461002/#30
この句に関しては、後から次のような案を思いついた分けです。
  疑うな 浮世の春も 有為の浜

芭蕉の句が『う』の頭韻を踏んでいるのにならって、
本句取りの方でも『う』の頭韻を踏んでみたわけですが、
『有為の夢』は言うまでもなく、いろは歌から取った分けですね。
でも……芭蕉の句では『う う は う は』という風に、
韻を踏んでいるとも見られるわけで、そこまで合わせようとすると、
『有為の夢』より『有為の浜』の方が良い分けです。

でも、イメージを喚起する力としては、
『有為の夢』の方が上のような気がする分けですね。
つまり、音の響きでは浜、意味からすると夢という分けで、
これは舌頭に千転しても尚、決着がついていません。(^^;)

135 闇夜の鮟鱇★ :2015/01/13(火) 12:11:02 ID:???0
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(8/9)

他方では、俳句の鑑賞でひとつのポイントとなる問題として、
いわゆる字余りの句をどう味わうべきかということがあります。
例えば、野ざらし紀行の芭蕉の句では、
  牡丹蘂深く 分け出づる蜂の 名残かな
  (ぼたんしべふかく わけいづるはちの なごりかな)
も名句だと思いますが、これも随分な字余りなわけですね。

で、この手の字余り句を鑑賞する為の方便として、
私としては俳句を 5・7・5 の字数で理解する代りに、
3・4・3 のリズムで理解することを推奨したいと思います。
通常の 5・7・5 俳句の場合は例えば、
  2-2-1 2-2-2-1 2-2-1
などと区切れば 3・4・3 のリズムになりますよね。


それに対し先の句の場合、字数では 8・8・5 ですから、
  3-2-3 2-3-2-1 2-1-2
  (ぼたん-しべ-ふかく わけ-いずる-はち-の なご-り-かな)
とすれば 3・4・3 のリズムになります。
これは音楽的に言うと、二連音符の代りに、
三連音符を使う感じになりますね。

先に引いた深川の句の場合はもっと大変で 10・7・5 ですから、
  ろのこえ-なみを-うって はら-わた-こほ-る よや-なみ-だ
つまり 4-3-3 2-2-2-1 2-2-1 と4連音符が必要になりますね。
因みに、音楽総評の所で私が作った句にも 10・7・5 がありましたが、
  くまがわに-きり-みちて のぼ-れば-こい-し ゆの-かお-り
として、ここでは 5-2-3 2-2-2-1 2-2-1 と5連音符が入ることになります。


その点では例えば、英語などの外国語で句を作る場合にしても、
私は 3・4・3 のリズムに従うのが良いように思う分けです。
というのも、音節で 5・7・5 とすると、表現できる内容が多すぎて、
日本語では 5・7・5・7・7 の短歌か、それ以上のものになってしまいます。

俳句の本質のひとつは何と言っても、その短さ自体にある分けですね。
その短さの中に、どれだけ豊かな世界を表現できるかという所で、
四苦八苦する点に、俳句の難しさも面白さもあるのではないでしょうか。
ですから、外国語で俳句を作る場合、その短さを体現するには、
敢えて 5・7・5 でなく 3・4・3 の音節構成にすべきだと思う分けです。

136 闇夜の鮟鱇★ :2015/01/13(火) 12:13:29 ID:???0
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(9/9)

それから、この講読では以前から『芭蕉の紀行文では何故か、
後半になると発句ばかりで文章が減る』という話が出ていましたね。
当初の私は『当時の旅の大変さを考えるなら、後半はバテて来て、
文章を残すのもおっくうになるのではないか』と考えていました。
しかし、放送ではその後の種明かしとして、
『芭蕉は序破急に従ったのだ』とか言っていましたね。

能を始め、日本の芸能を貫く精神として、この序破急は有名ですが、
芭蕉が紀行文を書く時も、そうした美学を意識して、
後半はさっと切り上げようとしたんでしょうか。
確かに、紀行文とは言っても長いものも短いものもありますし、
鹿島紀行みたいな短いものでも、同様に後半は文章が少ないとなると、
『旅の後半はバテるから』という説明は無理になるでしょうね。


その点では実を言うと、以前に『荒海や』の句に関して、
『この頃の芭蕉は病気がちで、それで神経が研ぎ澄まされた結果、
こんな名句が生まれたのだ』とか書いた記憶があります。
  http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/3729/1123461002/#30
ところが、実はこの病気も虚構らしいというので、びっくり仰天でした。
曽良随行日記を見ても、俳諧興行の記録はあっても病気の記録はありません。

ということはつまり、実際には色々と文芸活動をしていたのに、
それらの記録をあえてバッサリ切り捨てた、というのが真相のようです。
例えば『荒海や』の句では『銀河の序』という俳文まで作っていたのに、
奥の細道では、芭蕉はそれを意図的にはしょってしまったようですからね。
ここでも、世阿弥が提唱し、当時の芸道で常識とされていた序破急の精神を、
芭蕉が意識した結果、奥の細道もそれに従ったという分けでしょうか。


最後にもうひとつ付け加えると、笈の小文の序文に関して、
直近で少し気になったことがありました。
  http://koten.kaisetsuvoice.com/Kobumi/Kobumi01.html
  見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。
  像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。

これは花と月を並べて風雅論を展開している所ですが、
『おもふ所月にあらず』に対し『心花にあらざる』というのは妙ですよね。
目に対して花、心に対して月と言っている以上、
ここは『心月にあらざる』としないと、バランスが取れません。
その点では『笈の小文は未定稿である』という説が有力ですから、
多分、推敲が進まない段階のミスが、そのまま残されたんでしょうね。

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