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:
闇夜の鮟鱇★
:2013/07/29(月) 12:06:09 ID:???0
●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(3/7)
そして三つ目のテーマですが……昔から気になっていたのは、
能の『藤戸』でも有名な、例の藤戸の戦いの話なんですね。
一ノ谷で敗れた平家軍がちりぢりに逃れ去った後、
平行盛は改めて、備前児島に陣を構えたようですね。
範頼軍はそれを対岸から攻め落そうとしたのですが、
その時、武将の一人だった佐々木盛綱は地元の漁師から、
『馬で渡れる浅瀬がある』とこっそり教わる分けですね。
しかし、なんとしても先陣の手柄を立てたいと思った盛綱は、
『その男が他の者にも同じことを話すかもしれない』と心配になり、
こともあろうにその恩人を切り殺してしまうという展開でした。
この話はその後味の悪さにおいて、平家物語の中でも、
随一と言って良いのではないかと思います。
そのことがずっと引っかかっていた所、去年の講読の中で、
屋島の戦いの前哨戦として、罵り合いの舌戦の話が出てきました。
その中で、平家方の平盛嗣が義経軍の武将である伊勢義盛を、
『鈴鹿山で山賊をしていた奴』として嘲る場面がありましたね。
それで私が思いついたのは結局、当時の源氏軍の実体というのは、
一種のごろつき集団だったのではないか、ということでした。
その点では、義経軍よりも、もう一方の範頼軍の方が特にそうで、
範頼の軍は京に攻め上る時も、京よりずっと手前の岐阜当りで、
先陣争いから乱闘騒ぎを起こした、という話がありますね。
その結果、範頼は入京した後で頼朝から叱責を食らって、
暫くの間は、謹慎状態だったという話が出ていました。
ですから、範頼軍にいた佐々木盛綱なんていうのも、
その手のごろつきの一種と考えると、スッキリ収まる気がしたのです。
実を言うと、義経の場合にも良く似た話があって、
有名な鵯越えの逆落としでは、木こりの息子が道案内をした分けですね。
その時、義経は彼に鷲尾義久という名前を与え、部下として取り立てたので、
義久は最後の衣川の戦いで、義経と一緒に討ち死にしたという話があります。
ですから、盛綱の場合も恩人の漁師を何も殺さなくても、
少なくとも暫くの間は、自分の部下として一緒に連れて行く、
という選択肢があったのではないでしょうか。
この辺の落差は結局、義経が都で生まれ15歳位までは都で育ったのに比べ、
範頼が田舎の遊女の子で田舎しか知らない、という背景を考えれば、
別に驚くには当たらないことかもしれませんね。
但し……少し調べてみると、この盛綱は一応の家系のようですし、
その意味で、ごろつき説には少し無理があるかもしれません。
まあ、その後の武士の時代にも『城に秘密の抜け道を作った時、
それを作った大工を皆殺しにした』なんていう話を聞きますから、
そういうことは、珍しくなかったのかもしれませんけどね。
ですから、藤戸の話にしても、ごろつき云々ではなく、
あくまで戦争の非情さという範疇で、
捕らえるべきものなのかもしれませんが……。
因みに、ずっと前に引用した日中戦争の『軍隊まんだら』でも、
山中で出会った中国人の集団に道を教わった後で、
『自分たちの隠密行動が敵にばれるとまずい』という分けで、
後ろから撃って皆殺しにした、なんていう無残な話がありました。
http://www2.ocn.ne.jp/~sukagawa/
改めて捜し直した所『別の部隊が桂林作戦の隠密行動の途中で、
出会った中国人を全て殺した』という少し違う話になっていますね。
当人が書き直したのでなければ、私の記憶違いかもしれません。
『追及梯団』の末尾の『本隊に追及』という所ですね。
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