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132
:
闇夜の鮟鱇★
:2015/01/13(火) 12:02:22 ID:???0
●●●芭蕉句を添削する●●●(5/9)
さて、その先の名古屋で開いた句会で芭蕉が披露したのが次の発句でした。
狂句こがらしの 身は竹斎に 似たる哉
(きゃうくこがらしの みはちくさいに にたるかな)
『狂句こがらし』という所は『狂句(俳諧)に焦がれる私』の意味に、
『木枯らしに吹かれてきた私』を掛けているのだと放送で言ってましたね。
始めは、ちょっと無理な解釈のような気もしたんですが、
突きつめて考えてみると、これは大正解かもしれませんね。
だって、ここでわざわざ『狂句こがらし』と直接、続けている以上、
そう取る以外に、道はなさそうですからね。
ただ、私がひっかかったのは、むしろ末尾の『似たるかな』なんですね。
つまり『狂句に焦がれつつ、木枯らしに吹かれてやって来た私』と、
『当時、漫画の主人公として有名だった藪医者の竹斎』とを並べた時点で、
両者が似ていると言いたいことは、誰の目にも明らかでしょ!?
そこへ『似たるかな』では、いかにもぬるいという感じがした分けですね。
以前に『春の俳句講座』のところで書いた言い方に従うなら、
『似たるかな』の五文字は、言わずもがなの無駄と言わざるを得ません。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/3729/1123461002/
#31
ですから私としては、そこでもうひとひねり欲しかったと思う分けですが、
例えば『身は竹斎の 名残かな』というのも一案でしょうね。
まあ、俳諧興行というものはあくまで、一種の即興ですからね、
その時点で、そこまで詰めて推敲するのは無理だろうとは思います。
でも、後から、それを紀行文としてまとめる段階では、
更に推敲があってもおかしくない分けですね。
例えば奥の細道でも、俳諧興行では『さみだれを 集めて涼し 最上川』
だったのを、推敲して『涼し』を『早し』と直した分けですからね。
ただ……後から更に見直してみると、俳諧興行の時の発句は、あくまで、
芭蕉が自分を漫画の主人公になぞらえて、おどけている感じがありますね。
『似たるかな』を『名残かな』と直す場合、その諧謔味は失われますから、
俳諧興行の時点では、あれ以外の形はあり得なかったのかもしれません。
ならば、芭蕉句の添削はやはり無茶だったのかというと……私としては、
紀行文の段階では『名残かな』でも十分いけそうな気がします。(^^;)
あのう、情報が氾濫するネットでは、とにかく目立つことを書かないと、
誰にも目をとめてもらえない、という困った事情がある分けですね。
ですから『芭蕉句を添削する』なんていう目障りな標題を付けたのも、
まさに、他人の目を引きつけようという私なりの戦術だった分けで……
もし、そこに引っかけられてこれを読み出した人がいたとすると、
その戦術は大成功だったということになります。(*^^)v
まあ私の性格として元々、権威は大嫌いということがあって、ですから、
芭蕉を俳聖などと崇めて祭り上げることには全く興味がない分けですね。
その意味で、幾ら芭蕉でも良い句は良い句、
悪い句は悪い句として扱うことに、全くためらいはありません。
その点では、私が選ぶ芭蕉の三大駄句というのがあります。
つまり、世の中ではやたら有名で、有り難がられているけれど、
私の目には駄作としか思えない、という意味でのワースト・スリーですね。
古池や 蛙飛びこむ 水の音
道の辺の 木槿は馬に 喰はれけり
海暮れて 鴨の声ほの かに白し
因みに、ここでカモ(鴨)と言っているのはカモメ(鴎)のことでしょうね。
江戸時代には、カモとカモメは混同されていたみたいですし、
海岸で良く見かけるのは、カモではなくカモメの方ですからね。
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