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無差別級

133闇夜の鮟鱇★:2015/01/13(火) 12:06:27 ID:???0
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(6/9)

他方、古池やの句は『蛙合』(かわずあわせ)という句集にあるそうですが、
芭蕉さんも、ある意味では商売上手だったと言うべきでしょうか。
この句がここまで有名になったのも、その句合(くあわせ)に参加した、
大衆が広めた結果に違いないでしょうからね。

その点では、芭蕉が杉山杉風に与えたという『あつめ句』にしても、
自薦句とか言われていますけど、何やら大衆迎合の臭いがします。
全体に選句が甘いですし、その名前にしてもぞんざいですから、
これは多分、杉風が好む句を選んで書き与えたものではないでしょうか。

結局、現代のシンガーソングライターにしてもそうですが、
自分が作りたい歌と、売れる歌とは同じではない分けですね。
でも、生きていくには金が必要で、その金を稼ぐ為には、
大衆迎合も必要悪となれば、それをどこまでやるかは、
いつの時代にも、悩ましい問題だったのではないでしょうか。


だからこそ、最後には次のような句も生まれた分けでしょうね。
  この道や 行く人なしに 秋の暮
ここには『自分が目指す道を本当に理解する人は結局いなかった』
という芭蕉の苦い思いが込められているように思います。

この辺で、ざっと言葉の整理をしておきますが、
平安朝の連歌から江戸時代に派生したのが俳諧の連歌で、
どちらの場合も、複数の参加者が 5・7・5 7・7 5・7・5 7・7……
と上句と下句を一定の約束を守りつつ続ける分けですね。
そして、その連歌の最初に来る上句の 5・7・5 を発句と言いますが、
芭蕉の頃からその発句だけが、独立性を強めていった分けですね。

で、明治になってから、俳諧の連歌を連句、
その発句を俳句と呼ぶようになった分けです。
その辺の説明は、ここに分かりやすいサイトがありました。
  連歌の歴史
  http://www.h2.dion.ne.jp/~taki99/history.htm
ですから、ここで発句と言うのは俳句のことで、
俳諧(俳諧の連歌)は連句のことです。


それから『俳諧興行』という言い方が良く出てきますが、
興行という以上は『沢山の観客を集めて料金を取って……』
というやり方をするのかと、当初はいぶかっていました。
でも、色々調べてみると、この興行に観客はいないようですね。
『その地方の俳諧好きが集まり、宗匠を招いて連句の句会を開く』
というのが、実際に行われる俳諧興行の実態のようです。

その場合、宗匠を招く以上は何らかのお礼が必要な分けで、
参加者は一定の参加料を払う、という約束なんでしょうかね。
ならばどの道、一定のお金が動くには違いない分けで、
興行という名前も間違いではない、ということでしょうか。
実は現在でも、地方ではそうした俳諧興行が行われているらしく、
ネットを探せば、色々と見つかるようです。

因みに、先のサイトにもあるように、明治期になると、
正岡子規がこうした連歌形式を『文学にあらず』
と言って否定した、という話は有名ですよね。
まあ、ある意味で、こうした俳諧興行というものは、
前述した『大衆迎合』そのものとも言えますからね。


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