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闇夜の鮟鱇★
:2015/01/13(火) 11:55:31 ID:???0
●●●芭蕉句を添削する●●●(3/9)
その点で、ちょっと引っかかるのが、芭蕉の回りの風狂人たちなんですね。
例えば、この句を作った後に立ち寄った名古屋でも俳諧興行があって、
そこには裕福な町人階級も在席していたみたいですね。
江戸でも当然、同様の階層の人々が周囲にはいたわけです。
でも、その裕福な町人という概念がもうひとつ、しっくり来ない分けですね。
芭蕉が半ば死ぬ覚悟で紙子一枚の旅をするというのに、
彼が出発する時、彼を宗匠と仰ぐような裕福な町人たちは、
もう少しましな着物を恵んでやろうとは思わなかったんでしょうかね。
実際の所は、芭蕉が衣類を貰って作ったという俳句も散見しますが、
それらは、どうやら野ざらし紀行の旅より後の話のようです。
――嵐雪が送りたる正月小袖を着たれば
誰やらが かたちに似たり 今朝の春
――門人杉風子、夏の料とてかたひらを調し送りけるに
いでや我 よき布着たり 蝉衣
芭蕉が例の捨て子の話を名古屋で語ったのかどうかも良く分かりませんが、
もし例の句を知ったとして、彼らならどういう反応を示したんでしょうか。
もうひとつ気になって調べたのは、中国の詩人が捨て子に関して、
どんな詩を残しているかということでした。
というのも『猿を聞く人』というのは、まさに中国詩人のことですからね。
私が知る限りで最も有名なのは、李白の『早に白帝城を発す』でしょうね。
早発白帝城(つとにはくていじょうをはっす)
http://kanshi.roudokus.com/hakuteijyou.html
後半が『両岸の猿声 啼いてやまざるに 軽舟すでに過ぐ 万重の山』
となっていて、川下りの船で猿の鳴き声を聞いた李白は、
子供をさらわれた母猿の断腸の思いを追体験したようです。
でも『たかが猿の鳴き声にそこまでの思い入れをするのなら、
人間の捨て子が寒風の中で実際に泣き叫んでいるのを聞いたなら、
李白さん、一体どうしたらいいんでしょう』というのが、
あの句で芭蕉が言いたかったことでしょうね。
それでネット上を色々と探し回ってみたんですが……
何故か、捨て子を扱った漢詩というものが皆無なんですね。
やっとひとつ見つけたと思ったら、その『棄児行』の作者が実は日本人で、
雲井龍雄だとか原正弘だとか言われているようです。
詩吟神風流藤が丘支部
http://home.u06.itscom.net/mitake/newpage62.html
因みに、例の小椋桂がこれを詩吟でうなっている動画もありました。
詩吟「棄児行」小椋佳
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21367611
こうなると『当時の中国に捨て子はいなかった』と考えるしかないですね。
だって、あれだけ社会問題で鋭い問題提起をしている杜甫などが、
もし捨て子に出会っていれば、それを詩として残さないはずがないでしょ!?
で、少し捨て子の歴史というものを調べて見たんですが……先ず、
中国で有名な寒山拾得の拾得が、実は捨て子だったという話がありました。
西洋にも似たような逸話は色々あって、例えば、
旧約聖書に出てくるモーゼにしても、捨て子ということになっていますね。
でもそれらは、ごくたまに生じた例外的な事件という扱いなんですね。
それが芭蕉の時代には、捨て子が一種の社会現象になっていて、それで、
他にも捨て子を扱った俳諧が色々あると放送では言っていましたね。
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