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:
闇夜の鮟鱇★
:2013/07/29(月) 12:16:29 ID:???0
●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(4/7)
似た話としては、義経軍が勝浦から屋島に徹夜の行軍をする途中、
敵将の宗盛の所に書状を運ぶ男と出会った、という話がありましたね。
義経は、その男を騙して道順を聞いたりした後で、その書状を奪うと、
男を殺す代りに、山中の木に縛りつけて去ったんだそうです。
ここでも下手をすれば、自軍の動きを敵に察知される危険がありますが、
『木に縛りつけておけば、男がそこから脱出する頃には、
屋島での奇襲は終わっている』と計算したんでしょうね。
でも、無用な殺生はできるだけ避けようとする点において、
この辺も、やはり義経軍は文明的な感じを受けます。
或いは平家側でも、平知盛が息子の犠牲によって生き延びた時に、
彼を沖の船まで運んでくれた屈強な名馬を乗せる余裕が無くて、
岸へと追い返すという場面がありましたね。
その時、部下は名馬を敵に渡すよりは射殺そうとしたのですが、
自分の命を救った馬を殺すのは忍びないと思った知盛は、
敢えて部下を制して、やめさせたのでした。
或いは、壇の浦の合戦でも、能登守教経がここを最期と孤軍奮闘した時、
知盛から『もう勝敗は決したから、無用な殺生をするな』と諫められて、
『それなら敵の大将と組もう』と義経を追ったという話があります。
この辺にも、文明と野蛮の差が感じられるのではないでしょうか。
因みに、この能登守教経の消息に関して、吾妻鏡には、
『一ノ谷で安田義定の軍に討ち取られた』という記録があるんだそうです。
それで、私はこの教経と義経が最期に戦うという展開も、
例によって良くあるフィクションではないか、と最初は思ったのでした。
というのも、ゴジラ対モスラにしろ、エイリアン対プレデターにしろ、
『誰が再強か』という組み合わせ対決は、大衆受けしますからね。(^^;)
『平家の勇将として名を馳せた能登守教経は、敢えて生かしておいて、
源平合戦の最終局面において、義経との対決を実現させる』というのは、
物語作者なら、いかにもやりそうな創作と思えた分けです。
ところが……一ノ谷の合戦の後、京都で平家の武将の首がさらされた時に、
教経の首が偽物だと判明した、という話が実はある分けなんですね。
それで私が考えたのは、この教経という男は勇将であるという以上に、
策士でもあったのではないかということでした。
つまり、一ノ谷の戦いで大敗した時、彼は影武者を用意すると同時に、
自分は目立たない格好に身をやつして、そこを脱出した可能性があります。
というのも、当時の大将は立派な鎧兜を付けていて、
雑兵との区別は、簡単についたそうですからね。
ですから、安田義定が教経の首を取り違えるということ自体、
影武者がそれなりの格好をしているのでない限り、あり得ませんよね。
ならば、どうして吾妻鏡の記述が訂正されていないのかという点ですが、
それは恐らく『教経に一杯食わされた』ということを、
頼朝が認めたくなかったからではないでしょうか。(^^;)
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