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質問

1管理者:2009/02/07(土) 20:42:27

新しいスレッドの提案が有りましたので立ち上げます。提案文は以下の通りです。


「質問」
日蓮、仏教、宗派の教義、歴史などの質問。検索すれば直ぐにわかることを除く。

2hage:2009/02/07(土) 21:08:50
それでは、さっそく質問させて頂きます。
日蓮門下でそれぞれ解釈の違いがあると思いますが
天台宗と高祖日蓮大士との「法華経」の頂き方の違いとは?

富士派の日蓮本佛論もそのあたりから来ていると思うのですが
明確な違いをお聞かせください。

3顕正居士:2009/02/08(日) 01:38:42
天台過時、本化応時、嘱累総付、神力別付等のドグマをおいて法華尊重の仕方でしょうか。

湛然は『止觀義例』に
「況所用義旨以法華爲宗骨。以智論爲指南。以大經爲扶疏。以大品爲觀法。引諸經以増信。
引諸論以助成。觀心爲經。諸法爲緯。織成部帙。不與他同」
(況んや所用の義旨は法華を以て宗骨と爲し、智論を以て指南と爲し、大經を以て扶疏と爲し、
大品を以て觀法と爲し、諸經を引て以て増信し、諸論を引て以て助成し、觀心を經(たて)と爲し、
諸法を緯(よこ)と爲し、部帙を織り成す、他と同じからず)
と自宗を称揚しています。

日蓮は『法華取要抄』(真蹟・中山法華経寺在)にこう述べています。
「日蓮は広略を捨てゝ肝要を好む。所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり」

これは日蓮があれだけ批判した源空の選択(せんじゃく)の思想と同じという評価がありますね。
しかし日蓮は綜合仏教の分解を阻止するために、五字を一切経の総要、「法華弘通のはたじるし」
(日女御前御返事・真蹟不在)として、いわゆる対抗改革をはかったのではないでしょうか。

さて新仏教や対抗改革の動きをよそ目に中国天台が残した密教との綜合を完成した日本天台は
更に進んで「顯説法華教とは妙法華の外、更に一句の經無し」(最澄・守護國界章)の絶待妙の
思想を展開して行きます。浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗は三大宗派に成長しますが、室町時代に
仏教思想を主導するのは依然日本天台であり、日蓮宗は天台新思想に依って教義を形成します。

4hage:2009/02/08(日) 12:34:42
>日蓮宗(一致派?)は天台新思想に依って教義を形成します。

そこには、「所謂上行菩薩所伝」という事に対してどう感得されているのでしょうか?

過去の歴史の中には
文殊菩薩を主体に法華経を信仰するもの、普賢菩薩を主体に法華経を信仰するもの
観音菩薩を主体に法華経を信仰するもの、薬王菩薩を主体に法華経を信仰するもの
弥勒菩薩を主体に法華経を信仰するもの、そしてお釈迦様を主体に法華経を信仰するもの
と、あったと思うのですが、
日蓮聖人の信仰に於ける法華経は上行菩薩を中心とした法華経であることが一番の違いなのでしょうか?

5プーさん:2009/05/10(日) 11:45:04
少々質問です。簡単に述べると

八品派の「一仏二名」とは、本仏である教主釈尊が解脱の時には釈迦として現れ、下種の時には上行(日蓮)として現れるという教義だと思いましたが。

「日蓮本仏」とは、本仏である教主釈尊とは、南無妙法蓮華経のことで、その南無妙法蓮華経は日蓮が説いたものであるから、日蓮が久遠元初の本仏で
あるという教義だと思いましたが。

以上、ご指摘下さい。

6顕正居士:2009/05/10(日) 22:44:47
富士派の宗祖観も八品派のと基本は同じですが、
末法下種の時には名字即本因位の釈尊(=宗祖)がそのまま現れる。
つまり等覚の上行ではないところが特色です(完成した教義では)。
なお繰り返しの顕本は積極的に主張はされません。その辺曖昧です。

7斧不一:2010/01/05(火) 12:19:30
 新掲示板なんですが、メールアドレスを記入しないと書き込みができないようですね。

 これは、アドレスが公開される(=ロボットに拾われる)のでしょうか?

8管理者:2010/01/05(火) 12:27:57

斧不一さん

適当に、例えば、ono 等と書き込めば投稿できます。

9斧不一:2010/01/05(火) 14:19:22
>>8

 管理者様、ありがとうございます。

10学生:2010/03/23(火) 11:34:51
石山の卒塔婆について教えて下さい。

中興入道女房御書には塔婆に南無妙法蓮華経の7文字を書きなさいと
御指南されていますが、石山の卒塔婆は妙法蓮華経の5文字ですよね。
この違いについて教えて下さい。深い意味はないのでしょうか。

11海野:2010/06/27(日) 16:20:04
Web百科事典のWikipediaで「富士門流」や「本門宗」の項目を執筆するためいろいろと情報収集をしていて、この掲示板にたどりつきました。
内部の方からみて、なにかおかしいところありましたら、ぜひ編集に参加していただけたらと思います。

質問は、明治期から昭和前期にかけて存在していた富士門流の統一宗派「本門宗」の歴代管長について紹介された文献をご存知でしたら、ご紹介いただきたい、というものです。
Web上の情報では1998年に就任した第22代までの管長と、1941年に三派合同で「本門宗」が解消したときの管長の名前(由比日光師)を確認しました。

12迷子:2010/07/14(水) 21:04:41
はじめまして。
創価学会元男子部で現況は非活の前進長です。自筆模写御本尊など作成し信仰対象としても良いものですかね?近年の偽物騒ぎに嫌悪してます。

13問答迷人:2010/07/14(水) 21:55:22

迷子さん

>自筆模写御本尊など作成し信仰対象

真心を込めて書けば、僕は何等問題はないものと考えています。あたかも宮沢賢治が曼荼羅を残しているように。

>近年の偽物騒ぎに嫌悪し

いずれも、唯授一人の血脈相承が根拠となっていますね。法主の書写した曼荼羅で無いと功徳がないとか、日顕上人には血脈相承が無いから、日顕上人が書写した曼荼羅には功徳はないとか、最近の論調では67世が偽法主だから68世も偽で、68世の書写した曼荼羅にも功徳がない・・・。

実にばかばかしい、我田引水のオンパレードだと思います。

日蓮聖人は「妙法蓮華経の五字」を「受持」しなさいと教えられて、その「妙法蓮華経の五字」を曼荼羅として多数書かれて、弟子旦那に授与されました。その曼荼羅の形式は多数のバリエーションはあっても、基本的には、中央の妙法蓮華経の五字の左右に釈迦多宝の二仏四大菩薩を書き、両端に愛染明王・不動明王を認め、妙法蓮華経の五字の下に「日蓮」と書かれて「花押」を書かれています。この形式は共通しています。そして多くの曼荼羅の四隅には四大天が書かれています。

また、これ等の曼荼羅の骨子を改変することがなければ、多少の変更は問題ないと思えます。例えば、創価学会草創期の日寛曼荼羅は、かなり列集が省略されています。

極論だと思われるかもしれませんが、唯授一人の血脈相承が日蓮聖人に由来するものではなく、後世の創作で有る事が明らかにされていますから、自分で曼荼羅を書写して本尊とするも何等問題性はなく、本尊抄に日蓮聖人が述べられている通り、釈尊の因行果徳の二法は、迷子さんが自筆された曼荼羅に厳然と具足するものと愚考いたしております。

ちなみに、僕は、日蓮正宗とは縁を切りましたが、日顕上人書写の曼荼羅を本尊としています。

14迷子:2010/07/15(木) 21:16:32
重ねてありがとうございます、問答迷人さん。
貴重な参考御意見として賜りますね、こんな愚問に真摯に答えて下さる方は稀少なので。

16古沢石日:2011/06/23(木) 00:51:30
こんばんは。
読めば「なむみょうほうれんげきょう」なのに
どうして創価学会や日蓮正宗は
「なんみょうほうれんげっきょう」なのでしょうか。
勤行に関しても独自のリズムで読み飛ばしばかりです。
「にじせそん」がどうして「にぃいじぃいせっそん」なのでしょうか。
「ほんまつくきょうとう」が「ほんまっく ょう おう」です。
一言一句正確に読経しなければ読経にならないと思うのですがいかがでしょうか?
唱題・勤行だけでなく葬式などで聞く他宗の坊さんの経も
まったく何いってるかわからないくらい省略したりつなげたり
まるで歌のようなお経もあります。
ご回答宜しくお願い申し上げます。

17問答迷人:2011/06/23(木) 16:35:39

>「なんみょうほうれんげっきょう」なのでしょうか

これは地域性もあるのかもしれませんが、岐阜の住職さんたちは、「なんみょうほうれんげーきょう」だとおもいます。「む」を「ん」と発音するのは音便なのだとか。

経典の読み方については、勤行要典には読みかなが振ってあり、読み記号も有ります。その通り発音する、という事で統一されていると思います。個々の読み間違いや、読み癖については、直した方が良いに決まってますよね。

他宗の事は良く存じませんので、コメントは差し控えたいと思います。


戒壇板本尊については、日蓮聖人が作られたものではなく、原本もパッチワークで作られていることは諸兄の研究によって概ね明らかになっています。担ぎ出したのは、中興の祖とされている日精上人だと僕は考えています。大石寺の宣伝の為に、人寄せパンダとしてこの板本尊を利用したのだと考えています。

出世の本懐は、勿論、板本尊であるはずがありません。

一大秘法たる「妙法蓮華経の五字」を弘められた事が出世の本懐かも知れませんね。七百年たっても、僕を含めて、毎日一時間以上、唱題に日々励んでいる人々が多数存在するわけですから、確実にこの日本に定着していると考えて良いと思います。

疑問点、多数あると思います。どんどんあげてください。細部を詰めて行きたいと思いますから。

18古沢石日:2011/06/24(金) 00:43:57
引き題目では「なーむーみょうほうれんげきょう」ですから
「なむ」と唱題するのが正しいと思います。
以前創価系掲示板で「ナム」を早く、連呼すると「ナン」になる。
問題ないと書かれていたことがありました。
山田さんを「ヤンダ」さんと呼んでも、当人はご自分が呼ばれていると思わない
でしょう。私は小学生の頃から会合で「勤行・唱題の発音」を訴えていたのですが
「住職なんか我々よりもっと聞こえずらいからいいのだ。子供が細かいことを 
 言うな。」と相手にされませんでした。私はこれからもゆっくり細かく丁寧に
 唱題していきたいと思います。

19古沢石日:2011/06/24(金) 00:47:31
ご自身の事をを含めお身内のお葬式はどうお考えでしょうか。
数年前父を亡くしたときは友人葬でした。
今高齢の母がおります。
自身はバリバリの創価学会員ですが、宗門への批判は一切しません。
「学会もお寺もみんな健康。同じ御本尊に題目をあげているから。」が
口癖です。

20古沢石日:2011/06/24(金) 00:55:34
創価学会が御本尊の取替えをしたとき日本全国の
日顕上人の御本尊はどうしたのでしょうか。

21古沢石日:2011/06/24(金) 01:07:23
戒壇の御本尊については、私も問答迷人さんがおっしゃるとおりだと思います。
いつ創価学会の公式見解として出世の本懐は戒壇の御本尊建立ではありませんよと
お話があるかずっと待っておりました。
気がついたら、知らぬ間にHPが書き換えられていました。
ほとんどの会員さんは、気づいてないんじゃないでしょうか。

22問答迷人:2011/06/24(金) 07:58:18

>ご自身の事をを含めお身内のお葬式はどうお考えでしょうか。

現時点では、自身が死んだ場合は無宗教家族葬を考えています。創価学会、日蓮正宗、日蓮宗、既成宗教各派、何処にも葬儀をお願いする気になれませんから。家族が亡くなった場合は、本人が生前希望する形がある場合は、その希望に沿いたいと思っています。特に意思表示がなければ無宗教家族葬にしたいと考えています。

>創価学会が御本尊の取替えをしたとき日本全国の日顕上人の御本尊はどうしたのでしょうか。

宗門に返却するような指導があったとは聞いていませんし、考えにくいですね。当然、本部会館等で焼却処分したのだとかんがえています。

>創価学会は、正本堂建立の時に、板本尊の修理をしています。その時、板本尊の年代測定を実施したという説が流れています。それが事実なら、その段階で、板本尊が七百年前に遡れない事は分かっていた筈です。当然、日精上人の駄法螺に気づいたから、何時かは別れなくてはならないと、時期を狙っていたのだと僕は思います。これは会員が気づかないように秘密裏に実施されなくてはなりません。板本尊を絶対と信じている会員が騒ぎ出しますから。

23古沢石日:2011/06/24(金) 23:21:21
無宗教家族葬ですか。
そうですよね。母は私の題目でおくります。
私は死期が近づいたら自身で唱題し録音して、
それ以外のお経は禁ずるようにいたしましょう。

日顕上人の御本尊を会館で焼却したという噂は
聞いておりました。命が削られる思いでした。
やはり事実なのでしょうか。
不敬とは行為でなく心だと思います。
私は今でも書物に印字された御金言を粗末にできません。
御書が印刷された新聞がゴミ箱に丸めて捨てられるのが許せません。
よって聖教新聞、大白蓮華は購入いたしません。
どうしても捨てる場合は心より唱題してから出します。

24古沢石日:2011/06/24(金) 23:28:08
>板本尊を絶対と信じている会員が騒ぎ出しますから。

騒がないでしょうね。
創価学会には信心がありませんから。

25古沢石日:2011/06/24(金) 23:52:01
もっと早く発表すべきでした。
学会は先生が言えば全てOK
先生でなくても上からの指導があればOK
黙ってて影でコソコソするから騒ぐんですよ。

ためしに民主党と連立してみたらいいですよ。
明日から全員一丸となって民主のために走りまくりますよ。

26問答迷人:2011/06/25(土) 11:50:06

>騒がないでしょうね。創価学会には信心がありませんから。

そうですか。そうかもしれませんね。だけど、一体、創価学会員は何を信じているのでしょうか。逆にご質問して恐縮ですが、どう思われますか。

27古沢石日:2011/06/26(日) 00:35:54
>一体、創価学会員は何を信じているのでしょうか。

様々なご意見があるでしょうが、池田先生でしょうね。
どんなに不合理な矛盾したした通達でも上からの指令は絶対です。

戸田先生は「創価学会が新興宗教だという人にはこういってやりなさい。
富士のお山に来てみなさい。700年前からの木々が生い茂っております。」
そういう歴史ある信徒団体だったのですが、今では聖教新聞販売促進部であり
公明党集票グループです。

「先生が空を飛びなさいと仰せです。」といわれれば
空を飛ぼうとするでしょう。

28問答迷人:2011/06/26(日) 07:32:57

>様々なご意見があるでしょうが、池田先生でしょうね。

了解です。つまりは、創価学会の本質は池田教であると。

もう一点、ご質問させてください。池田氏は、日蓮聖人の教え・一大秘法の信奉者・実践者なのでしょうか。さらに突き詰めると、日蓮聖人の再誕者なのでしょうか。如何お考えになられますでしょうか。

29年中夢中:2011/06/26(日) 19:15:42

古沢石日さん 初めまして

問答迷人さん 御無沙汰しています。

少なくとも、創価学会員は池田先生が御本仏日蓮大聖人さまの教えを正しく信奉・実践している世界で唯一の大指導者であると信じて疑わない。そして、学会員の中でも多くの人々は、池田先生が実は日蓮大聖人の生まれ変わりであると信じています。この強固な信仰で成り立っている創価学会と言う教団は、実に稀有の正統仏教教団であり、その中には日蓮大聖人の仏教の精髄が脈打っていると会員は確信しています。

ですから、仮に池田先生が民主党との連立政権を打ち出されたら、その意味は良くわからなくても、池田先生の為に命を投げ出す覚悟で、民主連立政権の為に走り回るのは当然だと思います。

古沢石日さんのご意見、実に見事に創価学会の実体を捉えておられると思いました。

30古沢石日:2011/06/26(日) 22:06:18
問答迷人様。
創価学会は池田教に間違いないと思います。

>日蓮聖人の再誕者なのでしょうか。
池田大作という方は折伏という観点では世界一だと思います。
日蓮大聖人様の題目を世界に広めた功績は誰が何を言えるレベルではありません。
再誕者?って何処からでた議論なのでしょうか。
ご本人も組織も会員も考えてないのではないでしょうか。

>一大秘法の信奉者・実践者なのでしょうか。
それもご本人でないとわかりませが、同時中継などで拝見する
名誉会長の唱題は「題目」じゃないと思います。
わざと崩しているとしか思えないくらい
「なむみょうほうれんげきょう」と 言えてません。
そこから考えると法華経の信奉も実践も無いのかもしれませんね。

31古沢石日:2011/06/26(日) 22:16:04
年中夢中さん、はじめまして。

>その意味は良くわからなくても、池田先生の為に命を投げ出す覚悟

いろいろな宗教数千年、数万年かもしれません。
長い長い信仰、信心の殉教という歴史を勉強してみてください。
意味がわからなくて命を投げ出す行為は「愚か」だと思います。

不惜身命の意味をしっかりとお考えになられることをお勧めします。

軽はずみに命をとか言わないでください。

意味がわからないまま焼け焦げた鍋を頭から被されたり、耳や鼻をそがれても
心確かに生きれますか?

32問答迷人:2011/07/01(金) 08:27:38

古沢石日さん

多忙で書き込みが遅くなって申し訳ありません。

>再誕者?って何処からでた議論なのでしょうか。ご本人も組織も会員も考えてないのではないでしょうか。

僕が創価学会に在籍していたころは、「池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わり」という話が、組織内のあちこちで囁かれていました。伊豆に指導に行ったときには、『巨木の前で、「懐かしいなぁ」と池田先生が仰った』等と言う話がそれとなく流されていました。勿論、反対する人たちは、「その巨木を調べたら、樹齢約500年だった。」などと言う議論をしていました。

>名誉会長の唱題は「題目」じゃないと思います。

そうでしたか、僕なんかは、池田先生の澄み切った唱題の声に心酔したものでしたが・・・

まぁ、正確には「南無妙法蓮華経」とは唱えていない、と言うことですね。了解しました。

33問答迷人:2011/07/01(金) 08:31:29

年中夢中さん

>古沢石日さんのご意見、実に見事に創価学会の実体を捉えておられると思いました。

同感です。しかし、創価学会の中に、古沢石日さんの様に冷静に判断しておられる方がいらっしゃる事、とても心強いですね。

34管理人:2011/07/02(土) 00:20:57
問答迷人さん。
ご多忙の中ご返事頂き恐縮です。
伊豆の巨木の話はネットで知りました。
都市伝説か、アンチの創作ですよ。

殉教の話が出たのでご意見頂きたいのですが
永遠の生命であらば、信心のために今ある肉体を捧げることなど
簡単なものであろうかと思う反面、死んでしまっては
今を生きる己の存在価値を問えるのかという疑問もあります。
腰に刀や銃をぶら下げていた時代と違い、今はぬるま湯のような時代。
口先ではなんとでも言えると批判されましょうが、口が動くかぎりは
お題目を唱え続けたいと決意しております。

35古沢石日:2011/07/02(土) 00:26:24
失礼しました。
34は私です。
自分の板で書き込みをしましたので「管理人」のままでした。
申し訳ございません。いやぁお恥ずかしい。

36問答迷人:2011/07/02(土) 12:17:16

古沢石日さん

>永遠の生命

これは、確認する術を僕は持ちません。なので、永遠の生命を前提にした思考は僕はしていません。釈尊が「無記」とされた態度に学ぶべきだと僕は考えています。

>殉教

これは南無妙法蓮華経と唱える唱題の最終帰結なんだと捉えています。
己の心身の全てを日々妙法蓮華経の五字に捧げ続けること、そして、己の人生の全てを妙法蓮華経の五字に捧げてしまう事、そこに殉教があるのだと思います。
日々、己の心身の全てを妙法蓮華経の五字に南無し続けることこそが最も大切なことであり、その行為の中に、三世十方に広がる己自身の存在の実感・覚知が在るのではないかと考えています。
殉教は信仰を極めて判りやすく披瀝する形ではあっても、極めて特殊な信仰の形態である事は間違いないと考えいます。誰にでも出来ることでもなければ、それを粋がって真似るべきことでもない。

>口が動くかぎりはお題目を唱え続けたいと決意しております。

全く同感です。最低一日一時間と決めて、唱題に励んでいます。

37古沢石日:2011/07/02(土) 21:14:51
>己の心身の全てを日々妙法蓮華経の五字に捧げ続けること、そして、己の人生の全てを妙法蓮華経の五字に捧げてしまう事、
>日々、己の心身の全てを妙法蓮華経の五字に南無し続けることこそが最も大切なことであり、その行為の中に、三世十方に広がる己自身の存在の実感・覚知が在るのではないかと考えています。

問答迷人さん。
素晴らしいお言葉です。

今まで頂いたどの指導より心にしみました。
お昼に書き込みを読ませていただき、ずっと感動し続けておりました。
ありがとうございます。

38古沢石日:2011/07/02(土) 21:16:20
殉教に対してのご意見でしたが
生きる為のご指導です。

39問答迷人:2011/07/03(日) 07:39:20

古沢石日さん

ご賛同賜り、恐縮いたしております。

舌足らずと思うところがありますので、少し補足させてください。

「妙法蓮華経の五字」について

日蓮聖人は随所に「妙法蓮華経の五字」或いは「題目の五字」と仰せです。この表現を以て表そうとされた内容は何か、それは、『本当に大事なのは法華経二十八品ではなく題目の五字だよ』『帰命する対象は妙法蓮華経という経典ではなく、妙法蓮華経如来神力品で釈尊が地涌の菩薩の上首たる上行菩薩に授与された一大秘法たる妙法蓮華経という五文字なんだよ』という事なんだと思っています。法華経二十八品や、妙法蓮華経という御経に説かれた法門ではなく、単に妙法蓮華経という五つの文字、声に出して読むことが出来、目で見ることが出来る『五つの文字そのもの』を信仰対象として選ばれた所に日蓮聖人の卓見というか、真骨頂というか、深い悟りからの見識があるのだと思います。法華経二十八品と言っても、読める人は限られ、読んでも理解する人はさらに限られ、しかもその人その人によって理解する内容は異なってしまいます。その様な抽象的な内容は信仰の対象には不向きなんだと日蓮聖人は考えられたのだと思います。しかも、この妙法蓮華経の五字は法華経二十八品の経題であり、この妙法蓮華経という五文字で法華経二十八品を代表させることが出来ます。日本という国名が、一都一道二府四十三県を代表するのと同じです。この五文字で法華経の全てを代表させ、しかもこの五文字が神力品付属の正体である、というのが、日蓮聖人の教えの骨髄なんだと思います。

40古沢石日:2011/07/03(日) 15:00:36
問答迷人さん。
ありがとうございます。
お言葉に対しどう返答してよいか
言葉がみつからないくらい感謝感激いたしております。
問答迷人さんの素晴らしいお考えは、何時何処でどの様にして
育たれたのでしょうか。
創価学会・日蓮正宗の仏道修行を経て得られたものでしょうか。
それ以後に何かに出会い得られたものでしょうか。
是非私も末席に加えて頂けませんでしょうか。

41問答迷人:2011/07/03(日) 16:57:18

古沢石日さん

>考えは、何時何処でどの様にして育たれたのでしょうか。

大石寺戒壇板本尊が後世の作であり、日蓮聖人の出世の本懐などと言うものではない、と気付いた時、僕の信仰は一時崩壊しそうになりました。しかし、創価学会在籍中の入信七年目に体験した『御本尊の文字と己とが一体に融合した数日間』に、「必ずや日蓮聖人の教えは真実であり、法華経は真実である」という確信を持ちました。戒壇本尊に対する信仰は見事に崩壊しましたが、この不思議な経験の時に感じた確信は動くことはなかったです。「日蓮聖人が命懸けで伝えかたった世界は実在する。今はまだそれが何なのか不明確なだけだ」と気を取り直し、本尊抄を読み返しました。

『釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う』

この一節の「妙法蓮華経の五字」は日蓮正宗・創価学会では、「戒壇大御本尊」の事だと教えられてきました。しかし、戒壇大御本尊が偽物であることがはっきりとした以上、この一節はありのまま「妙法蓮華経という五つの文字」のことではなかろうか、と漠然と思いました。そのとき、過去の御本尊の文字との融合体験を思い起こし、きっとそうに違いないと思いました。

それから、この「妙法蓮華経の五字」について、日蓮聖人がどのように教えられているのは調べ上げて行きました。

曽谷入道許御書には「爾時に大覚世尊寿量品を演説し、然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属し給ふ。其の所属之法は何物ぞ。法華経之中にも広を捨て略を取り、略を捨てて要を取る。所謂、妙法蓮華経之五字、名体宗用教の五重玄也。例せば九苞淵之相馬之法には玄黄を略して駿逸取る。史陶林之講経之法には細科を捨てて元意を取る等云云。加之、霊山八年之間に、進んでは迹門序正之儀式に文殊・弥勒等の発起影向之聖衆にも列ならず、退ひては本門流通之座席に観音・妙音等の発誓弘経之大士にも交はらず。但此の一大秘法を持して本処に隠居する之後、仏の滅後正像二千年之間に於て未だ一度も出現せず。所詮、仏専ら末世之時に限りて此れ等の大士に付属せし故也。」とあります。又、本尊抄末文には「天晴れぬれば地明らかなり。法華を識る者は世法を得べきか。一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたもう。四大菩薩の此の人を守護したまはんこと大公・周公の成王を摂扶し四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者也。」

さらに、本尊抄には、あの有名な「在世の本門と末法之初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也。」の一文があります。

これらを総合的に考えると、もはや日蓮聖人が「妙法蓮華経の五字」を以て末法の法華経とされた事は動かないと確信するに至りました。そして、立宗の暁から唱えられた「南無妙法蓮華経」という御題目は、この究極の正法たる妙法蓮華経の五字に南無するぞ、という誓願の言葉、祈りの言葉なんだと思いました。

開目抄の「我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず。」と言うお言葉は、菩薩の四弘誓願と取れます。そして、その四弘誓願の根幹こそが「南無妙法蓮華経」という誓願なのではないか、と思い至ったとき、日蓮聖人の教えが簡潔で、しかもなんと見事な三世十方の広がりを持つ広々とした教えなんだと、感嘆するしかなかったです。これほど人の生き方を根源的に指し示した教えは、空前絶後だと思います。

>是非私も末席に加えて頂けませんでしょうか。

僕はいつも末席が好きです。一人で静かに一大秘法を実践して生涯を終えたいと思っています。しかし、もし、同じお考えの方がいらっしゃれば、どれほどか心強いか知れません。そういう意味で、無教会信徒の横の連帯がネットを通じて生まれれば、それが一番日蓮聖人の望まれておられる形に近いのではなかろうか、等と思っております。今後ともご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。


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