したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

質問

41問答迷人:2011/07/03(日) 16:57:18

古沢石日さん

>考えは、何時何処でどの様にして育たれたのでしょうか。

大石寺戒壇板本尊が後世の作であり、日蓮聖人の出世の本懐などと言うものではない、と気付いた時、僕の信仰は一時崩壊しそうになりました。しかし、創価学会在籍中の入信七年目に体験した『御本尊の文字と己とが一体に融合した数日間』に、「必ずや日蓮聖人の教えは真実であり、法華経は真実である」という確信を持ちました。戒壇本尊に対する信仰は見事に崩壊しましたが、この不思議な経験の時に感じた確信は動くことはなかったです。「日蓮聖人が命懸けで伝えかたった世界は実在する。今はまだそれが何なのか不明確なだけだ」と気を取り直し、本尊抄を読み返しました。

『釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う』

この一節の「妙法蓮華経の五字」は日蓮正宗・創価学会では、「戒壇大御本尊」の事だと教えられてきました。しかし、戒壇大御本尊が偽物であることがはっきりとした以上、この一節はありのまま「妙法蓮華経という五つの文字」のことではなかろうか、と漠然と思いました。そのとき、過去の御本尊の文字との融合体験を思い起こし、きっとそうに違いないと思いました。

それから、この「妙法蓮華経の五字」について、日蓮聖人がどのように教えられているのは調べ上げて行きました。

曽谷入道許御書には「爾時に大覚世尊寿量品を演説し、然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属し給ふ。其の所属之法は何物ぞ。法華経之中にも広を捨て略を取り、略を捨てて要を取る。所謂、妙法蓮華経之五字、名体宗用教の五重玄也。例せば九苞淵之相馬之法には玄黄を略して駿逸取る。史陶林之講経之法には細科を捨てて元意を取る等云云。加之、霊山八年之間に、進んでは迹門序正之儀式に文殊・弥勒等の発起影向之聖衆にも列ならず、退ひては本門流通之座席に観音・妙音等の発誓弘経之大士にも交はらず。但此の一大秘法を持して本処に隠居する之後、仏の滅後正像二千年之間に於て未だ一度も出現せず。所詮、仏専ら末世之時に限りて此れ等の大士に付属せし故也。」とあります。又、本尊抄末文には「天晴れぬれば地明らかなり。法華を識る者は世法を得べきか。一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたもう。四大菩薩の此の人を守護したまはんこと大公・周公の成王を摂扶し四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者也。」

さらに、本尊抄には、あの有名な「在世の本門と末法之初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也。」の一文があります。

これらを総合的に考えると、もはや日蓮聖人が「妙法蓮華経の五字」を以て末法の法華経とされた事は動かないと確信するに至りました。そして、立宗の暁から唱えられた「南無妙法蓮華経」という御題目は、この究極の正法たる妙法蓮華経の五字に南無するぞ、という誓願の言葉、祈りの言葉なんだと思いました。

開目抄の「我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず。」と言うお言葉は、菩薩の四弘誓願と取れます。そして、その四弘誓願の根幹こそが「南無妙法蓮華経」という誓願なのではないか、と思い至ったとき、日蓮聖人の教えが簡潔で、しかもなんと見事な三世十方の広がりを持つ広々とした教えなんだと、感嘆するしかなかったです。これほど人の生き方を根源的に指し示した教えは、空前絶後だと思います。

>是非私も末席に加えて頂けませんでしょうか。

僕はいつも末席が好きです。一人で静かに一大秘法を実践して生涯を終えたいと思っています。しかし、もし、同じお考えの方がいらっしゃれば、どれほどか心強いか知れません。そういう意味で、無教会信徒の横の連帯がネットを通じて生まれれば、それが一番日蓮聖人の望まれておられる形に近いのではなかろうか、等と思っております。今後ともご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板