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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について
1932
:
犀角独歩
:2008/02/12(火) 19:38:11
顕正会ですか。どうでしょうか。
鮮明な所謂「本門戒壇の大御本尊」写真を公開したことで、大石寺は躍起になって撮影者探しをしているとのことでしたね。もう一方、顕正会の浅井氏もずいぶんと腹を立てているようで、先の1月度総幹部で、以下のように発言していました。
「この男は、元学会員だった。ところが、阿部日顕の河辺メモに触発されたのか、以来、狂気のように、キチガイのように、口を極めて戒壇の大御本尊様を誹謗している大謗法者であります。この犀角独歩という男。実は、この男が先月『戒壇の大御本尊の鮮明なる写真を手に入れることができた』として、得意げにこれを公表しておりました。そして、彼は述べているんですね。『提供者のプライバシーを守る為、出所は敢えて公表しないが、この写真は、正面から至近距離で撮影されたものである』などということを自慢気に、書き記しているんです。
いいですか。このことは、戒壇の大御本尊に敵意を懐く者が、やすやすと奉安堂内に入れることを物語っているでしょ」
「狂気」「キチガイ」、さらに足せば「魑魅魍魎」という侮蔑、さらにことわりもなしに実名を明かしていますが、それらが違法行為であることは言うまでもありません。仮に、わたしが使った写真撮影が富士川さんのご友人の法律判断のようであったところで、撮影者本人ではないですね。そのわたしに対して、宗教信条からして「不敬」であるから、では、こうした悪口雑言をしてよいのか。よいわけはないでしょう。まあ、浅井さんへの鉄槌はこれからどうするかは決めますが、それは置いてさて、本題。
ここで浅井さんは、実はわたしに塩を送っていますよ。何か。この浅井さんの発言は、提供を受けた写真を撮影した場所が奉安堂であり、写っているものが所謂「本門戒壇の大御本尊」であることを、ちゃんと認めているということです。まだ、大石寺は、撮影者探しばかりでこの点を認めていませんが…探しているのは現物だからでしょうが…、顕正会会長がいち早くこれを認めた意義は大きいでしょう(笑)
宗教として認められれば、反対者をどう扱ってもよいことにならない。偽物を本物といってよいことにもなりません。浅井さんは、わたしが使用した写真が彫刻の現物であるというわけですから、この写真に基づいて、どこがどのように本物であるかを示せばよいわけです。
まあ、わたしは真蹟重視ですから使いませんが、『経王殿御返事』の「日蓮がたましひをすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ」から、まず、説明してもらいましょうか。この彫刻のどの当たりに墨が残っているのか。魂を染め流した墨は鉋屑にしちゃまずいですね。以前から、日蓮宗が言う非難の一つです。尤もご意見です。(笑)
尤もと言えば、それ以前に、この文章の前文は「先日のまほり(守)暫時も身をはなさずたもち給へ」が主語ですから、この護本尊のことです。ついでに書かれたのは文永10年ですから、弘安2年作とする彫刻とはまったく無関係でもあるわけでした。
1933
:
顕正居士
:2008/02/13(水) 00:29:47
刑法188条にいう公然不敬行為は通念上不敬な行為であり、当該寺社等が宗義上不敬と
みなすか否かは無関係でしょう。でないと写真撮影の許諾や拒否など所有権に含まれない
権能の行使が事実上無制限にできますから。むろん公序良俗に反しない範囲で宗派などが
特定行為を不敬とし、宗規上の処分を行なうことは可能です。
また同条に「説教、礼拝又は葬式を妨害した者は」とありますが、刑法188条の趣旨は墳墓、
陵墓の保護が目的で、宗派の儀式で喧嘩が起っても怪我人がでない限り警察、検察は介入
しないでしょう。
1934
:
犀角独歩
:2008/02/13(水) 05:58:49
1933の顕正居士さんの解説は、1929に富士川一郎さんが引用された法律の適用範囲を補填していただいた形ですね。
先に「わたしが撮影したわけではない」と記したのは、撮影者に押しつけて、責任逃れをしようとしたからではありません。的外れだと言ったことです。もし、わたしを法律的に批判しようとするのであれば、提供を受けた写真は不許可撮影をされたことを証明したうえで、写真を公開することはどのような罪になるのかと論じられなければならないということです。
また、「不許可撮影だ」という限り、撮影されたものは所謂「本門戒壇の大御本尊である」ことを認めたことになる伏線があることは十分に承知すべきでしょう。大石寺側の言い逃れは、ここでできるわけです。
「あの写真は、戒壇本尊ではない」
「もしくは加筆修正されたもので実際と違っている」
後者の言い訳は、実際に熊田葦城著『日蓮上人』の彫刻写真に、わたしが日教研で発表した折、富士学林の学生が述べたことです。しかし、今回、提供を受けた写真、また金原本に載る写真と比較した結果、致命的な相違はありませんでした。つまり、この言い逃れはつぶせました。
また「盗撮は犯罪」だと法的根拠を示せないまま難癖をつけっぱなしの投稿もありましたが、こうした形で非難をするのであれば、あの写真が盗撮であることをまず証明する必要があるでしょう。他の可能性もあります。例えば、彫刻の修繕に当たり、業者が大石寺の許可を取って修正した、また、万が一に具えて大石寺が撮影したものであるといった可能性です。この可能性の、有無の返答は大石寺のなすことです。「していない。盗撮だ」と大石寺が言うならば、わたしは、こう問います。「そうですか。では、この写真は彫刻そのものを撮影したものに間違いありませんね」
撮影の事件性を問うということは、まさしくこの写真が所謂「本門戒壇の大御本尊」そのものを撮影したものであることを証明することになる仕組みがここにあります。であれば、この写真を使って行うことは“事実”検証として、さらに意味を有することになります。
富士川さんは、どんなお立場でしたか。奉安堂には入れるお立場ですか。もし、そうでしたら、是非とも、あの写真が所謂「本門戒壇の大御本尊」に相違ないかどうかをご教示ください。お願いしておくことにします。また、写真撮影を云々する石山僧俗の皆さんには、同じくお願いしておくこととします。
1935
:
顕正居士
:2008/02/14(木) 05:28:33
板曼荼羅事件(最高裁判決昭和56-4-7)
判決の要旨はこの事件は不当利得返還に関する争訴ではあるが、審判の前提として宗派の
教義の当否を判断する必要があり、裁判所にはそういう能力はないとしたものです。
以下わたしの感想です。
「板曼荼羅の真偽」は「宗派の教義」とは異なる科学的に決定できるものであるというのが
原告の主張であったとして、科学的に決定できるのは古文書学などの学界であって裁判所
ではありません。しかも板曼荼羅に真筆、偽筆は存在せず、真刻、偽刻は存在するが
板曼荼羅の縁起について宗派には明確な主張がありませんから、宗派の教義において
尊ぶ以上の意義を見出すことができない。したがって宗派の教義の問題であり、これを
判断できるのは宗学などの学界であってやはり裁判所ではない。判決はやむを得ないところ
でしょう。「板曼荼羅の真偽」という語法が著しく特殊な語法であり、何を意味するか曖昧模糊
としており、結局、尊いものとおもったがそうでなかったという以上のことがないからです。
1936
:
羽
:2008/02/14(木) 19:27:27
当方は、初心の信徒で、詳しいことは何も語れませんが、
犀角独歩氏という者は、わたしの周りでも非常に話題になっており
到底、同じ日蓮大聖人の信徒として、彼の意見はとうてい受け入れられるものではありません。
客観的に見ても、独歩氏は、誹謗正法者の先鋭を行くものではないでしょうか。
この掲示板でも、上方に独歩氏の書籍を勧めるというのは
富士門流信徒の掲示板として、ふさわしくは無いと考えますが、
皆さんは、どのように考えているのでしょうか。意見を聞かせてください。
1937
:
顕正居士
:2008/02/14(木) 19:30:58
板曼荼羅事件についてさらに考えると、裁判は科学的に調査された事実に基づいて
行なわれはする、だから専門家が参考人として呼ばれ、証拠品の鑑定を研究機関に
依頼もする。日蓮の真蹟曼荼羅と称するものを古物商から購入したがこれが偽作で
あったという事件ならこの範囲でありましょう。ただし古物商自身がほんものであると
信じていた場合は詐欺罪を構成しません。
板曼荼羅事件においてはこれを奉安する建築物の造成に寄進を行なうことにより
功徳とか利益(りやく)と称する対価を得る、あるいは宗派の教義上意義ある建築物
であるから名誉を得るというのであって、さきの場合とは全然異なります。
宗派の信者の間だけで通用する価値感ですから、外側からは当否をいえません。
なんらかの物体を尊崇することにより幸福を招来するなどは迷信であるといっても
迷信などの誰も容易に虚構であると看破できる事柄を述べて対価を得ても詐欺罪を
構成しません。
1938
:
羽
:2008/02/14(木) 19:31:36
にがにがしくて責めたくはないですが
独歩氏に反論させていただきます。
「悪人」を「悪人」と言ってはならない
「きちがい」を「きちがい」と言ってはならないとなりますと
日蓮大聖人の他宗批判も成り立ちませんし、日本の法廷も成立しません。
独歩氏は、実名を晒されて、卑しまれるだけの行為をしている
という自覚がないのでしょうか。
また、この掲示板は、与同罪を畏れずに、
彼のようなものも受け入れてしまうのでしょうか。
1939
:
犀角独歩
:2008/02/14(木) 19:36:26
1937を拝読させていただいて、思うことは、だからこそ、阿部さんは、河辺メモの内容は自分が語ったとは口が裂けても言えなかったわけですね。
認めれば詐欺罪ということになるわけですね。なるほど。
1940
:
羽
:2008/02/14(木) 19:44:41
独歩氏のブログには、今まで合計で五回ほど、忠言という形で投稿させていただきましたが
案の定といいますか、すべて一日のうちに削除されてしまいました。
彼のブログが、中立性に欠けた偏ったものであるか、冨士派の批判のための批判なのか、を
何も知らない人は留意してほしいと、ここで申し上げておきたいと思います。
1941
:
羽
:2008/02/14(木) 19:52:09
繰り返しに成りますが、独歩氏のブログが、いかに中立性に欠けた偏ったものであるか
いかに冨士派の批判のための批判に終始しているのか、を皆さんに留意してほしいと思います。
冨士派の皆さんは、独歩氏を受け入れてしまうのでしょうか。
もしそうなら、日興上人が最も嫌った謗法容認の行為ではありませんか。
1942
:
犀角独歩
:2008/02/14(木) 20:01:31
皆さんの中立のご意見をお聞きするために、敢えて羽さんの投稿にはレスをつけませんでしたが、1940のブログのことは記しておきましょう。
一方的な批判中傷を加えた内容は「荒らし」行為と判断し、削除しました。
ところが、削除したのにもかかわらず、同一文書で5回、投稿をしてきました。
このような態度は、完全な「荒らし」行為ですから、管理人として、IPと投稿名を禁止ワードとして、これに対処しました。すると今度はIPと投稿名を変更し、また同一文書を投稿してきました。(IPと投稿名は、今後、訴えを起こすときの重要な証拠ですので、ここには敢えて曝しません)
内容は以下のとおりです。
「こんばんは。ちまたで話題になっているこちらのブログを拝見させていただいた以上は、日蓮大聖人を信じる一信徒として、犀角独歩氏には、与同罪を免れるために、にがにがしくも強く忠言を申し上げておかなければなりません。犀角独歩氏は、越えてはいけない一線を越えてしまいました。さらに堕地獄への道を突き進んでおられる。なんぞ福を捨てて罪を慕うものがあろうかと、宗祖は仰せられますが、独歩氏の導く結論は、常に福を否定し、悪道に人を誘引しようとするものばかりで、けして見逃すことはできません。仏法が虚妄でなければ、諸天善神は黙ってはいません。「正直捨方便」の経文を仰いで、ただちにこちらのブログを閉鎖してください」
なお、1938の
> 「きちがい」を「きちがい」と言ってはならないとなりますと…
といった文面は、国法、良識に抵触するのみならず、当掲示板の投稿規定にも抵触するでしょう。この点については、おいおい、管理人さんのご判断に委ねるものとします。
1943
:
羽
:2008/02/14(木) 20:08:43
一方的な批判中傷を加えた内容は独歩氏のブログではないでしょうか。
何度も忠言を言上することが「荒し」に該当しますと、
独歩氏の目には日蓮大聖人の折伏も「荒し」に映ってしまうのでしょうか。
もし「きちがい」という文面が、国法、良識に抵触するとなりますと
法華経の経文の「頭破七分」も、独歩氏は忌み嫌うのでしょうか。
管理人さんの良心的かつ信仰心のあるご判断にゆだねるものとします。
1944
:
管理者
:2008/02/14(木) 20:29:48
羽さん
ご主張を拝見しますと、犀角独歩氏が、誹法の人である、と断定されていますが、何ら誹法の人である根拠を示しておられません。当掲示板に投稿されるのならば、当掲示板のルールに従って投稿される事をお願いします。
議論に参加されるのであれば、必ず証拠を示してください。
謗法容認とのご発言が有りますが、独歩氏が謗法の人である、という証明は何らされて無いと考えます。よって、まずそれを証明される事が先決です。
当掲示板のTOPに、犀角独歩氏の書籍申し込みへのリンクが設定して有りますが、これは管理者が勝手にそうしている事で、これが、もしふさわしくないとお考えなら、同じくふさわしくない理由、根拠をお示しいただきたく存じます。
その他にも色々申し上げたい事は有りますが、ひとまず、以上の点をよろしくお願いいたします。
1945
:
管理者
:2008/02/14(木) 20:38:10
羽さん
補足です
>また、この掲示板は、与同罪を畏れずに、
>彼のようなものも受け入れてしまうのでしょうか。
仮に、犀角独歩氏が日蓮聖人に弓引く大謗法の人であったとしても、当掲示板のルールに従って投稿される限りは、その投稿を制限する事は一切いたしません。これは、当掲示板の書込みルールに明記して有るとおりです。ご確認下さい。このルールが気に入らない、とおっしゃるなら、ルールの変更提案をしていただく事も出来ます。そして、その時のご参加の皆様にお計りをして、変更するかどうか、決めさせていただきます。
1946
:
羽
:2008/02/14(木) 21:13:55
日興上人は、宗祖の聖筆を汚すことを恐れ、
五老僧の大曼荼羅本尊のぞんざいな扱いを厳しく叱責しましたが
犀角独歩氏のブログにおける御本尊の扱いは、けして信仰心のあるものとは拝見できません。
もし管理人さんが、独歩氏の主張を容認するようでしたら
「冨士門流信徒」の名折れではないでしょうか。悲しく思います。
1947
:
管理者
:2008/02/14(木) 21:22:51
羽さん
>日興上人は、宗祖の聖筆を汚すことを恐れ、
>五老僧の大曼荼羅本尊のぞんざいな扱いを厳しく叱責しましたが
この主張にも、根拠が示されていません。所謂「五人所破抄」と呼ばれる書物を根拠として言われるのでしょうか。
>犀角独歩氏のブログにおける御本尊の扱い
御文字の比較を言われるのでしょうか。どの点を言われるのか、明確にしていただけませんか。それが議論の入り口だからです。
1948
:
羽
:2008/02/14(木) 21:34:41
一、上の如く一同に此の本尊を忽緒(こっしょ)し奉るの間、或は曼荼羅なりと云ひて死人を覆ふて葬る輩も有り。
或は又沽却(こきゃく)する族も有り。此くの如く軽賤する間多分は失せ畢んぬ。
日興が云はく、此の御筆の御本尊は是れ一閻浮提に未だ流布せず。正像末に未だ弘通せざる本尊なり。然れば則ち
日興門徒の所持の輩に於ては、左右無く子孫等にも譲り弟子等にも付嘱すべからず。同一所に安置し奉り、六人一
同に守護し奉るべし。是れ偏に広宣流布の時、本化国主御尋ね有らん期(とき)まで深く敬重し奉るべし。
一、日興弟子分の本尊に於ては、一々皆書き付け奉る事、誠に凡筆を以て直に聖筆を黷(けが)す事最も其の恐れ有り
と雖も、或は親には強盛の信心を以て之を賜ふと雖も、子孫等之を捨て、或は師には常随給仕の功に酬いて之を授与
すと雖も弟子等之を捨つ。之に依って或は以て交易(こうえき)し、或は以て他の為に盗まる。此くの如きの類い其の
数多きなり。故に賜はる所の本主の交名(きょうみょう)を書き付くるは後代の高名の為なり。
一、御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由諸方に其の聞こえ有り、所謂日向・日頂・日春等なり。
日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る
輩に、忝くも書写し奉り之を授与する者なり。 本尊人数等、又追放人等、頸切られ死を致す人等。
日興上人の御文にまかせますと、御本尊を左右無く譲り、付嘱すべからず、とあり
また不信の輩に授与して軽賤することはもってのほかだと、仰せられていることが伺えます。
いわんや、御本尊をネットにアップロードして、不特定多数の人が閲覧する前で、切り貼りすることは
日興上人の叱責する誹謗正法に他ならないのではないのでしょうか。もし管理人さんがこれを容認するようでしたら
富士門流信徒の看板は潔く下ろしていただきたいと思います。
1949
:
管理者
:2008/02/14(木) 21:59:05
羽さん
文書を提示される場合は、ここは公開の掲示板ですから、もう少し皆さんに判るように書かれてはいかがですか。
御引用の文書は「富士一跡門徒存知事」のようですね。大石寺平成新編日蓮大聖人御書一八七二頁。
先ず、ご質問です。この書物の真跡は何処に有りますか、又は時代写本は何処に有りますか。この書物が日興上人が認められた物かどうか、証明出来ますか。この内容が本当かどうか、貴方はどうやって知りえたのでしょうか。
>御本尊をネットにアップロードして、不特定多数の人が閲覧する前で、切り貼りすることは
ネットに写真をアップする事が誹謗正法になるという理由は何でしょうか。
切り貼りは曼陀羅の映像です。映像を切り張りしたからといって、被写体の御本尊は何ら切り刻まれる訳では有りません。これが誹謗正法になるという理由は何でしょうか。
以上、ご質問致します。ご回答下さい。
1950
:
羽
:2008/02/14(木) 23:12:58
御抄の真偽は初心の信徒のわたしの及ぶところではありませんので
富士門流信徒として、大石寺の裁定に任します。
写真をアップロードすることがなぜ誹謗正法にあたるのか、という問いですが
およそ顔写真にしても、世間では肖像権というものが存在し、
本人の許しがなければ、アップすることはできません。
管理人さんの理屈を借りますと、
ブログに御本尊を晒す犀角独歩氏は、
顔写真のみならず、本人の全裸をネットに晒されてしまっても
誹謗に当たらないと考えますが、いかがでしょうか。
1951
:
羽
:2008/02/14(木) 23:25:01
追記しておきますと、犀角独歩氏のブログに、何回も、
同じ内容の忠言を投稿をしなくてはいけなかったのは、
犀角独歩氏が、投稿するたびに削除して黙殺なさるからで、
けしてコメント欄を荒らすような意図ではありません。
独歩氏が真面目に信行学を貫いているなら、
なんらかの返事があって当然だと考えますが
彼はあまりにふざけているといわざるを得ません。
1952
:
独学徒
:2008/02/14(木) 23:35:50
横レスとなりますがお許しください。
羽さん、犀角独歩さんは、一片もふざけたところなんかありませんよ。
真剣そのものです。すべてをかけてこの問題に取り組んでいるといっても過言ではないでしょう。
そもそも、富士一跡門徒存知之事が、真実日興撰述であったと仮定しても、本門戒壇之大御本尊は「御筆の本尊」では無いので、全く的外れな引用といわざる得ません。
1953
:
独学徒
:2008/02/14(木) 23:38:05
追記ですが、本門戒壇之大御本尊は、「御筆の本尊」ではなく「彫刻の本尊」です。
1954
:
管理者
:2008/02/15(金) 06:32:59
羽さん
>御抄の真偽は初心の信徒のわたしの及ぶところではありませんので
この書は大石寺も認めている通り、真跡も時代写しも存在しないものです。これが日興上人の著述でなくて、後世の仮託だったら、貴方の主張は、後世の作者に踊らされただけになります。確実な資料を用いて議論すべきだと考えます。当掲示板にご参加の方々は、十分この事を弁えて、真跡があるか、或いは、以前真跡が有った事が確定している書を用いて議論されています。
>富士門流信徒として、大石寺の裁定に任します。
これは、信者としては、それで良いかも知れませんが、このような公開の場での議論としては、全く不十分です。議論の足場がぐら付いていては、議論になりません。もう一度お考え直されては如何ですか。
>およそ顔写真にしても、世間では肖像権というものが存在し、
>本人の許しがなければ、アップすることはできません。
曼陀羅に肖像権が存在するというのは初耳です。もう少し詳しく承りたいと存じます。
1955
:
管理者
:2008/02/15(金) 06:38:03
羽さん
ちなみに、肖像権を大辞林で調べてみました。
しょうぞうけん【肖像権】
自分の顔や姿を無断で写真・絵画などに写しとられたり、それを展示されたりすることを拒否する権利。人格権の一部とみなされる。
曼陀羅に肖像権が存する根拠を示してください。
1957
:
管理者
:2008/02/15(金) 15:09:41
羽さん
補足質問を致します。
大石寺本門戒壇大御本尊に人格権が有るということは、大石寺本門戒壇大御本尊は『人格を持つ一人の人間」という意味になります。
それでお伺い致しますが、人格であらせられる「大石寺本門戒壇大御本尊」様の、生年月日と国籍、何処に住んでおられるか、住所地、更に、人で有れば、両親がいらっしゃるはずですので、そのご両親の名前を教えていただきたいと存じます。
1958
:
犀角独歩
:2008/02/16(土) 07:19:54
管理人さん、独学徒さんには、まず、感謝申し上げます。
羽さんには、少し申し上げましょう。
一つ、わたしのブログへの投稿を削除したのは、何ら論証することもなく、自分が信じていることが正しいという前提で、一方的な誹謗を記したからです。わたしは多くの検証を行っているわけですから、それに批判を加えるのであれば、ちゃんと論を立てて行うべきでしょう。1942に投稿文書は挙げましたが、これは単なる悪口雑言と威嚇に過ぎません。もちろん、忠言などといったものとはとらえようがありません。故に削除しました。
一つ。わたしが一方的な批判中傷を加えたと言うことですが、そのようなことはありません。何故ならば、公開のブログで物的証拠を挙げて論じているからです。もし、この内容に不満があれば、物的証拠を挙げて反証すればよい。それが議論というものです。それを内容が気に入らないから閉鎖しろと言うのは言論弾圧以外の何ものでもありません。
また、不適切語ながら「きちがい」というわたしへの侮蔑は、顕正会の浅井さんの言葉で、これを羽さんは擁護しているようですが、日本国内において、このような行為は断じて許されません。釈文であり、漫荼羅本尊にも記される「頭破七分」は書かれていること自体が法律には抵触しませんが、人に向かって誹謗目的で言えば、法律に抵触します。当然のこととして、「きちがい」といえば、法律に抵触します。もし、羽さんがわたしを指して、そのように言うならば、ここに本名と連絡先を通知してください。わたしはあなたを訴えます。法廷で争いましょう。
一つ。写真をアップすることを肖像権に例えて批判を加えています。このような批判は当たりません。なぜならば、漫荼羅本尊に肖像権を論じる種類のものではないからです。そもそも、肖像権云々以前にもっと重要な問題があります。つまり、所謂「本門戒壇の大御本尊」と称される彫刻は日禅授与本尊を原本とし臨模作為された偽造品です。このようなものを「本門戒壇の大御本尊」などと称して、人々を誑かし、ひいては羽さんのように、本物と信じ込まされたうえ、批判者を憎悪憤慨するように暗示を加えられ、実際に事実を証明し述べる者を攻撃するように操作するこの信仰圏の集団の在り方は、偽造品を本物と謀ること、人心を操作することといった社会悪を形成しています。故に事実を糾明し、かつ操作された人々の憎悪操作を解いていかなければなりません。これがわたしも目的です。
もし、所謂「本門戒壇の大御本尊」が本物であるというのであれば、それを証明すればよいだけのことです。しかし、「難しいことはわからないが」などといって議論を避けたうえで、本物であると信じ込まされたうえで、反対者を誹謗中傷するよう操作されている心象は、凡そ正義からかけ離れた暴挙であることを知るべきです。
所謂「本門戒壇の大御本尊」が本物であれば、写真を公開されようが、百万言の追及を受けようがけっしてこれを損ずることはできません。しかしながら、実際は写真公開をすることを悪事のように心理操作をし、かつ、物証として写真を提示し、その過ちを論及することを悪事であるかのように心理操作し、人心の憎悪を煽り、攻撃を加えさせ、その事実究明を封じ込めようとする在り方は、まずは言論の自由の弾圧であり、かつは「悪人」「きちがい」などといって攻撃すれば、名誉毀損になる人権侵害でもあります。
信者をこうした操作でしか信じ込ましておくことができないのはなぜか、「憎悪」「憤慨」という心理を起こさせ、事実究明から、目を遠ざけさせようとするのは、何故か、その底意を考えてみるべきです。
ここで、もっとも重要な争点は、管理人さんが、そして、独学徒さんが記されたとおり、所謂「本門戒壇の大御本尊」が偽物であるところにあります。
羽さんには、「難しいことはわからない」などといわず、十分にこの彫刻の真偽を検証してみることを奨めます。それでも本物であるというのであれば、では物証、文証をもって、論理的に議論をしましょう。
「初心だから」という言葉もありますが、この時点では、ちょっとした出来事や、興奮した場の雰囲気や、説得力のある発言、権威者の存在などで、「嘘を誠」であると信じ込みやすく、かつ、憎悪をもって批判者を攻撃するように思想改造されやすい心理状況となります。いまなら、引き返すことは間に合うでしょう。所謂「本門戒壇の大御本尊」が本物であるかどうかをしっかりと検証してみることをお薦めします。
このスレッドを、はじめからよく読んでみることもよし、「写真を載せることは悪いことだ」という刷り込まれた固定観念は、まず置いて、わたしがブログで行っている検証を熟読玩味してください。事実を述べることは、けっして悪意ではなく、事実究明は銭から出た行動であることは理解いただけるでしょう。
1959
:
犀角独歩
:2008/02/16(土) 07:27:19
【1958の訂正】
誤)事実究明は銭から出た行動
正)事実究明は善意から出た行動
1960
:
きゃからばあ
:2008/02/17(日) 22:04:44
羽さん、はじめまして。
提案ですけど、独歩さんのサイトで削除云々というならば、羽さんが独自のサイトを立ち上げたらどうでしょうか?
私は個人的には楽しみにしていますが…。
もちろん真面目に参加させていただきます。
1961
:
大縫 薫
:2008/02/17(日) 23:16:47
横レス失礼致します。
まず申し上げたいのはブログや談義所に曼荼羅本尊の写真をアップしたからといって
富士一跡門徒存知事に当てはまるかです。
よく考えて下さい興師は不信の輩と言われてますが、仮にブログや投稿写真を態々製版
なりコピーなりに複製して拝むことを不信の者が護持・拝することを憂いた訳であり学術
的に独歩さんが比較・検証をあえて文面に止まらず視覚に訴えた方が判り易いと判断され
写真を使いアップされているのですよ!
羽さんは、それら曼荼羅の写真を安置する方が出るのが気がかりなのですか?
こちらに書き込みをされていられる方々は、その様な事はまずしませんので・・・・
因みに独歩さんは、富士門流の信仰について誹謗・中傷などブログには一切書かれて
はいませんよ!! 板曼荼羅の彫刻における大石寺圏内の姿勢を糺しているだけであり
信仰観などの内面性をむしろ正しく誰よりも評価しています。
1963
:
羽
:2008/02/18(月) 22:34:05
独歩さんが、自身のブログで羽を黙殺なさるのでしたら
独歩さんも、本山に相手にされない、というのも
仕方がないのではないでしょうか。
「頭破七分」の反論に、法廷を持ち出す、というのも、
彼は法華経より日本の法律を信仰しているようで、
これは大乗を小乗で破す、という良観房の過ちに
非常に通じるものがあるように思います。
1964
:
独学徒
:2008/02/18(月) 22:37:24
管理人さん、
>>1962
の投稿文には、極めて不適切な言葉が入っており、削除を希望します。
読んでいて不愉快になります。
どちらの信徒さんか存じませんが、本門戒壇之大御本尊は、犀角独歩さんが鑑別される前に、御隠尊様が鑑定にかけ偽物と談じていたわけで、今さら誰がどう画像を扱おうが、謗法でも何でもないと思います。
一方的な感情から、不適切語を再度持ち出すところは、単なる狂信としか写りません。
1965
:
管理者
:2008/02/18(月) 22:42:55
羽さん
肖像権はどうなりましたか。これは引っ込めたのですか。
引っ込めて、こんどは、諸仏の父母に論点を変えたのですか。
こんなやり方では、どうも貴方は、普通の議論が出来る方とは思えませんね
もう、投稿をお辞めになってはどうですか。恥の上塗りを重ねるだけですよ。
管理者としては、相手の質問に答えず、論点を逸らして、書込みを続ける事は、「話し合いを重んじる」という、当掲示板の基本原則に違背しておられると判断します。
そうでないなら、論点を逸らさずにきちんとお答え下さい。話し合いを重んじないで、勝手に書込みを続けられた場合は、ルールに照らして、以後の書込みを禁止いたしますので、ご承知置きください。
きちんと質問にお答え下さるよう、催告します。
1966
:
管理者
:2008/02/18(月) 22:45:24
独学徒さん
了解です。
羽さん
1964は、ルール違反につき、削除します。
1967
:
羽
:2008/02/18(月) 22:50:58
御陰尊とは日顕上人のことでしょうか。
御本尊は偽物などとは全くいわれていません。
邪を破すことが不適切なら、
日蓮大聖人の金言も狂信でしょうか。
怒りは善悪に通じると
むしろ悪を見ては怒らないといけないと
日蓮大聖人は仰せられています。
1968
:
羽
:2008/02/18(月) 22:54:04
管理人さんに反論します。
およそ自分の父母の人格は誰でも認めるものではありませんか。
父母の人格を認めないものは畜生ではないでしょうか。
書き込みは禁止していただいて結構です。
五老僧と決別した日興上人の後を忍びます。
1969
:
独学徒
:2008/02/18(月) 23:03:43
>日蓮大聖人の金言も狂信でしょうか。
具体的に文証を出して下さい。
仮に聖人のお言葉でも、現代社会にあって不適切なものは不適切だと主張します。
>御本尊は偽物などとは全くいわれていません。
それは私どもには通用しません。
川辺メモの記述は、私には御陰尊様が教学部長時代に、本門戒壇之大御本尊を鑑定にかけ、偽物と断じていた記述と受け止められます。
現に御陰尊様が教学部長時代に、御本尊研究を行っていたことは、松本佐一郎の遺書『冨士門徒の沿革と教義』のあとがきにて、著者の母親が語っている通りです。
1970
:
羽
:2008/02/18(月) 23:09:54
>具体的に文証を出して下さい。
先に実を以て権を破し、権執を絶して実に入るは、釈迦・多宝の十方の諸仏の常儀なり。
実を以て権を破する者を盲目と為ば、釈尊は盲目の人か、乃至天台・伝教は盲目の人師なるか、如何。
笑ふべし、返す返す。『実相寺御書』
>それは私どもには通用しません。
私どもは信じなくても
御陰尊は本門戒壇の大御本尊を本物と仰せられています。
1971
:
管理者
:2008/02/18(月) 23:14:00
羽さん
>管理人さんに反論します。
反論にもなっていませんよ。
父母の事には管理者は一切言及していません。貴方が、「肖像権」と述べた事に対して、管理者は質問しました。それに対して何ら答えることなく、新しい論点「父母」を持ち出すのは駄目ですよ、ルール違反ですよ、とご注意しているのです。
もう一度だけ、貴方が日本語を理解される事を期待して応答を待ちます。
1972
:
羽
:2008/02/18(月) 23:17:44
人法一箇の大御本尊が曼荼羅本尊ではありませんか。
諸仏の父母と仰ぐなら人格も認めるべきではありませんか。
人格が認められたなら肖像権はあるものでは。また世間ではないと言っても
あるものと拝するのが「富士門流信徒」の掲示板のあり方では。
1973
:
羽
:2008/02/18(月) 23:20:48
管理さんに、御本尊の人格をわかりやすく説明するために
諸仏の父母と言われていることを紹介しました。
1974
:
管理者
:2008/02/18(月) 23:23:43
羽さん
それでは、再度質問を繰り返します。
曼陀羅が人ならば、名前は何と言い、その誕生日はいつですか。曼陀羅本尊が人ならば、その両親の名前は何といいますか。お答え下さい。
1975
:
独学徒
:2008/02/18(月) 23:24:28
>>1970
の文証のどこに、「き○○い」とあるのでしょうか?
貴方こそ聖人の御書を勝手に改竄して、貴方の間違った個人的解釈で聖人の御威徳を汚す、大謗法を犯していますよ。
>御陰尊は本門戒壇の大御本尊を本物と仰せられています。
だったら、世間が納得できるように証明すれば良いこと。
それが出来ない以上、御陰尊様が過去に偽物と断じた事実は消えない。
松本佐一郎の遺書『冨士門徒の沿革と教義』の、あとがきの記述はどうしますか?
かつての宗門の僧籍学者ですよ、松本佐一郎は。
1976
:
管理者
:2008/02/18(月) 23:58:11
羽さん
管理者の質問には、当然答える事が不可能であろうと思います。なぜなら、曼陀羅は、人ではないからです。当然、人権も有りません。肖像権も有る筈がありません。
そもそも、肖像権なんぞという、現代の論理を持ち出して、曼陀羅を論ずる事自体がナンセンスなのです。
「曼陀羅は信仰の対象たる尊貴なる存在なので、妄りにその文字を切り刻む事は慎むべきではないか」という意味なら納得です。そして、犀角独歩さんもそんな事は百も承知。敢えて曼陀羅の文字の分析をされたのは、理由あってのこと。妄りに為されている事では決して有りません。それを貴方が理解できないとしても、きちがい呼ばわりすれば、名誉毀損を構成します。当掲示板のルールでは、即刻削除。更に続ければ、書込み禁止になります。もう少し、ご自分の言動を頭を冷やして客観的にご覧になられたら如何でしょうか。
貴方は、顕正会の会員さんでしょうか。浅井さんの言動に振り回されるのは、少しお考えになったらどうですか。貴方は、大石寺戒壇板本尊を拝したことが有るのでしようか・・・・
1977
:
鳥辺野
:2008/02/19(火) 00:01:25
皆さんこんばんは
羽さん、
はじめまして、横レス失礼致します。
>彼はあまりにふざけているといわざるを得ません。
お言葉ですが、犀角独歩さんのブログや、こちらの掲示板でのご発言をすべて読まれましたでしょうか?もしすべてお読みになったのであれば、このような答えは出てこないと思いますよ。犀角独歩さんはこの「彫刻問題」命を削っておられます。独学徒さんもおっしゃっておりましたが、いつも真剣です。また五老門を批判されておりますが、蓮祖は日興師を含め6人共、本弟子と認められているではありませんか?それを批判するということは、蓮祖そのものを批判(すなわち、蓮祖の目は節穴と発言)しているのと同じです。あなたのご発言はあなたの言う「父母の人格の否定」そのものだと私は思います。ちなみに大石寺の碩学といわれております、堀日亨師も曼荼羅本尊の写真撮影をされておりますし、書籍に曼荼羅の写真を掲載されておりますよ。日亨師は謗法ですか?
1978
:
外陣
:2008/02/19(火) 02:23:03
横っちょから大変失礼かと存じますが…。
一万円札をそのままコピーしてホームページに貼り付けても問題はないでしょうか?
友人の家に大切に飾ってある当人の祖父の御影写真を借りてきて、それをホームページに貼り付けても問題はないでしょうか?
羽さんと名乗る方の義憤…わかる気もします。
あまり多勢でいじめないで、この方のような言い分も聞いてあげてはいかかでしょうか。
1979
:
犀角独歩
:2008/02/19(火) 03:13:48
羽さん
一つ。話が少しずれているようなので、1958で記したことを繰り返します。
わたしは、人から「きちがい」と言われる筋合いはありません。
故に、羽さんあなたを訴えます。法廷で堂々と争いましょう。
あなたの実名と連絡先を以下、メールまで連絡してください。
追って、法定代理人である弁護士から連絡をします。
saikakudoppo@rio.odn.ne.jp
一つ。黙殺をするのがいけないそうなので、上記、わたしの訴えを黙殺しないこと。あなたの悪意に満ちた見当外れの文章は、わたしのブログに、あなたの投稿名、IPと共に晒すことにします。
一つ。「法華経より日本の法律を信仰している」との見当外れの言葉がありましたが、では、『瀧泉寺申状』を呈して法律に訴えた日蓮は、法華経より法律を信仰していたのでしょうか。法華経は信仰を、法律は国家における統治(法治)をするもので、その役割が違います。故に日蓮も法華経と法律と両方を使っています。
一つ。「陰尊」とは「隠尊」の間違いですね。こんな間違いをする石山信徒がいるはずはないでしょう。あなたはどこの所属ですか。
また、その「陰尊」が本物であるといったのは、わたしが使用した写真の現物ですか。では、わたしが使用した写真は所謂「本門戒壇の大御本尊」に間違いないのでしょうか。
一つ。「邪を破すことが不適切」と誰が言ったのでしょうか。
邪を破すのは当然のことです。ですから、後世の偽造品に過ぎない彫刻を「本門戒壇の大御本尊」と謀ってあなたを含む人々を騙す邪をわたしは破しています。一方「怒りは善悪に通じる」「悪を見ては怒らないといけない」と、いずれの御書に書いてあるのでしょうか。具体的に挙げてください。
むしろ、日蓮は『開目抄』に「人をあだむことなかれ 眼あらば経文に我身をあわせよ」と言っていませんか。わたしが日蓮作を謀る偽造品の悪を暴くことは、日蓮が仏語を助けるごとく、日蓮を助ける行為です。日蓮に違背するのは日蓮作を謀り、偽造品を人に勧めるあなたのほうでしょう。
以上、法律からも、日蓮からも、わたしは悪などと断定される筋合いはありません。仏語は因果に任し、しかし、人権侵害は法律に任します。速やかに実名と連絡先を通知すること、督促します。
1980
:
管理者
:2008/02/19(火) 05:57:50
外陣さん
>一万円札をそのままコピーしてホームページに貼り付けても問題はないでしょうか?
>友人の家に大切に飾ってある当人の祖父の御影写真を借りてきて、それをホームページに貼り付けても問題はないでしょうか?
通貨をコピーすることは、法に触れます。他人の先祖の写真を無断でインターネットに掲載する事は、法に触れるかどうかは別として、道義的に問題になると思います。
>羽さんと名乗る方の義憤…わかる気もします。
羽さんが憤っているのは、良く理解できますよ。
問題は、ただ感情に任せて、犀角独歩さんの名誉を毀損し、質問に答えず、一方的に捲くし立てる行為は、容認すべきではないし、当掲示板のルールにも違反する訳です。
>あまり多勢でいじめないで、この方のような言い分も聞いてあげてはいかかでしょうか。
管理者は羽さんの言い分は全く容認出来ませんが、発見を封じていません。他のご発言の方々も、信念に基づき、ルールに従ってご発言されていると考えています。どこにいじめが有るのでしょうか。ご発言の趣旨が不可解です。
1981
:
管理者
:2008/02/19(火) 06:10:24
訂正です。
×管理者は羽さんの言い分は全く容認出来ませんが、発見を封じていません。
○管理者は羽さんの言い分は全く容認出来ませんが、発言を封じていません。
1982
:
外陣
:2008/02/19(火) 14:29:20
お返事を賜り嬉しいです。
たしかに羽さんという方の文面にはいささか乱暴で独善的な言い回しが、書き進むなかに見え隠れしています。
信じている対象に刀杖を加えられているような気がして、冷静さを失ってしまうのでしょうか。
信仰というもの、心というものの難しさを感じます。
ただ同じようにいかに冷静で醒めた観点からつづっている文章においてもそれが「いやみ」な「皮肉」めいた
言い方であれば、小生は乱暴な言葉と同じ次元ではないかと感じます。
御掲示板は初期の頃より読ませていただいており、とても勉強になりますし、自身の信仰姿勢に反省をうなが
すことも多々あります。
しかしながら最近の御掲示板での語調といいますかスタンスといいますか、なにか高いところからのおっしゃ
りように感じられるのは小生だけでしょうか。
仏法を学ぶもの同士としてもう少し慈悲のある交流にならないものかと思うのです。
「いじめ」という表現は適切ではなかったですね。謝罪させていただきます。
文意は言語思想の異なる、共通の土台ではない立場の者同士が語り合う場合には、た
とえ真逆の立場の者の発言、少数の意見に対してはなによりも相手を信頼して丁寧に
接することが必要ではないか…多少癖が悪い話し方しか知らぬ人の発言でも堪忍して
あげる優しさが欲しいと。
あやとりがこんがらがってしまっている時に腹を立てたら恥ずかしいだけですよね。
おっかなくて発言しにくい処になってしまったらちょっともったいないと思うのです
よ。池田さんや阿部さんが読んで書き込んでくれるような…そりゃ無理か。
1983
:
富士川一郎
:2008/02/19(火) 14:45:55
>>1980
管理者さんへ
>>通貨をコピーすることは、法に触れます。
とありますが
通過をコピーするだけでは法には触れません。
通貨をコピーすることは、一応、通貨偽造罪(刑法148条)に該当しそうですが、犯罪成立要件である「行使の目的」つまり、真正な通貨として流通に置く目的がない場合は、偽造罪などの犯罪となりません。
ネットで公開するのは「真正な通貨として流通に置く目的」には当たりません。
1984
:
管理者
:2008/02/19(火) 14:55:25
外陣さん
>「いやみ」な「皮肉」めいた言い方であれば、小生は乱暴な言葉と同じ次元
仰る通りだと思います。管理者は元来、キレやすい性分です。お叱りを頂戴して、反省点多々です。又、お気づきになられた事がありましたら、お教え賜りますれば幸いに存じます。
>最近の御掲示板での語調といいますかスタンスといいますか、なにか高いところからのおっしゃりように感じられるのは小生だけでしょうか。
これは、まだ肩の力が抜けていないというか、力みが有るのでしょうね。ご参加の皆様がそんな感じを持たれるというのは、決して好ましい事ではないと思います。
>おっかなくて発言しにくい処になってしまったらちょっともったいないと思うのです
これはひとえに管理者の不徳の致すところです。心して参ります。
>池田さんや阿部さんが読んで書き込んでくれるような…そりゃ無理か。
そんな時代が来ると嬉しいですね。
富士門各派、殊に大石寺各派は、激越な戦闘状態に今も有ると思います。今後も暫くはこんな状況が続くだろうと思います。そして、その戦闘の硲で、信徒同士が罵り合い、酷いときは暴力沙汰にまで発展することがありました。
そんな、富士門、大石寺門の各派方々が自由に議論できる場を設定するというのが、当掲示板の元来の設置趣旨です。
その為、どうしても、交通整理は不可欠であり、交通ルールが無くては運営は不可能です。必要に応じて強制退去とか、書込み削除とか、行わなくてはなりません。この点はご理解賜りたいと存じます。退去命令は、いつも心を鬼にして出しています。
1985
:
外陣
:2008/02/19(火) 14:59:44
続けさせていただきます。
血脈相承、御相伝を固く信じている者にとっては本物であるでしょう。
それを否定する立場の者にとっては坊主憎けりゃ袈裟まで憎しでしょう。
民族紛争、宗教戦争etc.世界中みな同じ混沌の時刻を生きてます。
そんな危険な時代にわたしたち荒凡夫がどう振る舞えばいいか、を教え
てくれたのが釈迦佛であり天台智者であり日蓮大聖人であると小生は信
じているわけです。
あくまで例えばの話。
長い歴史のなかで事故があって燃えてなくなってしまったのかもしれない。
あるいは危険があるので身代わりの本尊を表に出して、大切な宝はどこか
誰にもわからない処に格護してあるのやもしれない。
それやらこれやらのことを決めて采配するのが時の管長の権限でしょう。
偽物とか本物とか詮索する権限権威が小生ら未明のものにありましょうか。
総本山が「これがご本尊様だぞ」「ご本尊様は大聖人様だぞ」と云っている
のであるから、もうそれでいいのじゃないですか。
本物にするか偽物にするかは、小生らのそれこそ「ご信心によるべし」では
ないでしょうか。
そもそもメタ言語の世界がこの信心でしょうから。
こんな考えはだめでしょうか?
1986
:
管理者
:2008/02/19(火) 15:02:11
富士川一郎さん
>犯罪成立要件である「行使の目的」つまり、真正な通貨として流通に置く目的がない場合は、偽造罪などの犯罪となりません。
なるほど。警察に目を付けられる程度、という事ですね。有難うございました。
1980レスの「通貨をコピーすることは、法に触れます。」は謹んで訂正致します。
外陣さん
法律は難しいですね。行使する目的には当たらないので、ホームページに通貨の映像をアップしても犯罪にはならないそうです。
1987
:
外陣
:2008/02/19(火) 15:17:38
管理者さま
いつもかわらぬ真摯で誠実な姿勢に合掌させていただきます。
どの方も必死の構えでやっておられる…こんなに純真に真剣にやっておられる
のに、なかなか春風がふきませんなぁ。
申し遅れましたが小生は創価学会→正信会と風に吹かれて現在は大石寺法華講
の席を汚しております。卑怯ながら「中立」の立場で現況を俯瞰させていただ
いている情けない親父であります。
暫くは「外陣」と呼び捨ててください。
1988
:
問答迷人
:2008/02/19(火) 15:19:54
外陣さん
管理者としてではなく、掲示板参加者として発言させていただきます。
>それやらこれやらのことを決めて采配するのが時の管長の権限でしょう。
>偽物とか本物とか詮索する権限権威が小生ら未明のものにありましょうか。
このご発言は戴けませんね。
日蓮聖人は時の比叡山の権威に対して、真っ向から戦いを挑まれ、その過ちを糺されました。時の権威に従うのが正しいのなら、命を掛けた聖人の御生涯は一体何だったのでしょうか。どうお考えでしよう。
犀角独歩さんが詮索した結果、偽物である、との河辺メモの内容の裏付けが取れたわけです。詮索は有用であり、それをしないのは、逆に盲信であり、日蓮聖人の教えに逆らうと考えます。
1989
:
外陣
:2008/02/19(火) 15:49:20
>法律は難しいですね。行使する目的には当たらないので、ホームページに
通貨の映像をアップしても犯罪にはならないそうです。
なるほどそうなんですか、ちと驚き。富士川一郎さんご教示感謝です。
さてそうしますと、その例えば鮮明な最高級画質でのスキャン画像をウェブ
サイトに掲示したとして、それを誰かがダウンロードする、最高級印刷機で
印刷して裁断し、偽札として使用すると…その犯罪の因はそのサイトとはな
らないのでしょうか。悪因を産みはしないでしょうか。
端的に申しますと、余所さまはともかく大石寺にとっては命よりも重いとし
ているであろう本尊、時の法主にしかその扱いに権限がないであろう本尊を
自己の都合による事情からウェブサイトに掲示いたしては、上述のようにそ
れを印刷して壁に貼って唱題する者も現れましょう。
それでいったいいいのでしょうか。
修行中のものが根本尊敬するものを勝ってしていいものかどうか…。
1990
:
外陣
:2008/02/19(火) 16:08:18
>日蓮聖人は時の比叡山の権威に対して、真っ向から戦いを挑まれ、その過ちを糺されました。時の権威に従うのが正しいのなら、命を掛けた聖人の御生涯は一体何だったのでしょうか。どうお考えでしよう。
ううむ。
たしかに…。
その大聖人の姿勢、生きざまに惚れているわけですが…ううむ。
しかしながらそれは佛様だからこそできたことなんじゃないですか。
凡百の学生がやたらに逆らえばいいというわけでもないでしょう。
なんといっても相手は修行して専門職のプロなんでしょうから。
ただ佛のみがそうした行動を起こせるのではないかと思います。
あるいは菩薩戒に登って、自分を捨て他者のためを常に想うような
そうした素地のできた者にしか、そんなだいそれたことはできない
はずであると…こう考えますが、どうでしょう。
1991
:
問答迷人
:2008/02/19(火) 16:42:08
外陣さん
>それを印刷して壁に貼って唱題する者も現れましょう。
現にアメリカでは、御本尊集がアップされており、それをプリントアウト・表装し、仏壇に掛けている人たちが多数いるとか。
それが、組織の軋轢から逃れて、心静かに信仰したいという目的ならば、それも又可だと僕は思います。少なくとも聖人のお叱りを受ける事は無いと考えています。
>ただ佛のみがそうした行動を起こせるのではないかと思います。あるいは菩薩戒に登って、自分を捨て他者のためを常に想うようなそうした素地のできた者にしか、そんなだいそれたことはできないはずであると…こう考えますが、どうでしょう。
これは、概ね賛同いたします。但し、宗門のプロの言動が聖人の教えからかけ離れていると感じた場合は、「法を破る者を見て置いて責めずんば」という、「置不呵責」の責を免れるために、大いにその過てるプロ達を責めるべきであると考えます。
1992
:
しゅんかん
:2008/02/19(火) 23:07:36
偽物で依然より喧しく問われる物に、偽ブランド品(コピー商品)があります。(ブランドバッグ等)
これを問題にする者(問う側)に製造者と購入者が在りますね。
一、製造者側の論として平たく云えば、利益を損なわれた。
又、ブランドイメージを傷付けられたの類です。
二、購入者側の論は、高価なお金を払って(思ったよりも安価で手に入れた場合も含め)偽物を購入させられた事による精神的苦痛が最も多いのではないでしょうか。
昨今、偽ブランド品で騙された、と苦情を寄せる購入者は依然より少ない様に感じますね、それは売手が偽物として販売し、買い手は偽物と認識して購入している処に起因するのではないでしょうか。
今回、議論に上がっている処がこの問題に似通っていると思われます、二の購入者側に付いて少し記させえて下さい。
ご存知のように、購入者には二通り在り(問う者)と(問わない者)ですね、
(問う者)は真作と思って手に入れたが贋作だった、が最も多い様です。
他方、(問わない者)を大分すると二手に分かれると思われます。
一、贋作と知って手に入れた者
二、未だ真作と思って已まない者
贋作(コピー商品)と知った上で購入した場合、犯罪にあたるのか?
個人で使用する分には罪ではないとあります、詰まり業として行えば犯罪にあたる様です。(専門家によっては見解を異にするかも)
※上記判定は下記HPより
http://www.hou-nattoku.com/consult/634.php
1993
:
しゅんかん
:2008/02/19(火) 23:10:22
続き
ブランド品に頓着しない私は騙される事はないので暢気です[貧乏人で良かった(笑)]
ですが、当事者の怒りは理解出来ます。
その商品の購入は、両親への感謝の気持ち・愛する者へのプレゼント等とさまざまでしょう。怒り心頭に発する者在り、または精神的苦痛を伴い人間不信に陥る者も在るでしょう。
人は他者より在る事物を否定された場合、自我が不安定になる為その事を中々受け入れようと致しませんね、仏教用語で云う処の見惑の見取見ですね。
私は宗教活動(信仰)を致しておりません、よって余り大きい事は云えませんが、通一般的に信仰に至る要素として、生老病死・愛別離苦・求不得苦・怨憎会苦・五陰盛苦があげられますね、人間の内なる物を捉え又、訴えているのだと愚考しております。
石山の云われる処の「本門戒壇之大御本尊」が偽物と云われれば信奉者のお方は穏やかではおられませんでしょう。
(コピー商品のバッグとは知らず、外出先で第三者に贋作と指摘された場合の比でない事は理解出来ます)
石山の云われる処の「本門戒壇之大御本尊」が仮に贋作だったとしたら、貴方は苦痛でしょう、であるなら貴方に依って折伏(入信)された方も同じ苦痛を味わうのです。
※「仮に」としましたが私は贋作と信じています。
個人でコピー商品(贋作)のバッグを持っていて「ア〜!騙された」と云うものではございません、石山の信者であれば折伏をしなければ成りません、折伏は先の例で云う処の「業」にあたると考えられます。
1994
:
しゅんかん
:2008/02/19(火) 23:11:55
続き
私は独歩さんが本板に於いて記した以下の事を知りませんでした。
No1916
>現在も本物であるとし「御開扉」「内拝」と称して、開帳して金銭を徴収しています。偽物であれば犯罪行為でしょう。
石山の云われる処の「本門戒壇之大御本尊」は、なんでも貫首さんの所有物だそうでね、
そしてその「本門戒壇之大御本尊」は広宣流布の暁迄は秘仏で、信徒のお方は貫首さんの大慈大悲のお心によって秘仏である「本門戒壇之大御本尊」にお目通り出来るそうですが、お目通りするのに金銭を徴収するってどうでしょう?
(本堂への参拝に金銭を徴収する寺院が他に多く在るのでしょうか?
石山は個人所有の本尊やから金銭を徴収するのか?う〜ん納得させられそうや)
本当に贋作だとした時、コピー商品を扱う輩よりも悪徳ですよ、だって信者と云う社員の自我の安定と崩壊を講と云う組織を利用し上手くコントロールして金銭を無限連鎖的に徴収する訳ですかね。
ファッション(異文化、団体等も)が正にそうですが、ブーム真っ只中(又はその世界)の時は如何にもいけてますが、ブームが過ぎ去れば(又、その世界に属していなければ)他人事でも、なんとも恥ずかしく赤面してしまう事在りますよね。
もう一人の自分で自身を見つめて見ては如何でしょうか。
1995
:
しゅんかん
:2008/02/19(火) 23:17:41
補足
1992で云う製造者とは知的所有権を有する製造者の事で、
贋作・コピー商品を製造している者を指しません。
1996
:
一字三礼
:2008/02/19(火) 23:44:40
〉宗門のプロの言動が聖人の教えからかけ離れている…
大石寺・身延を問わず、坊さんと法華経や法門について話をしたことがある方ならご存知でしょうが、坊さんは本当に何もしりませんよ。
現在では、僧侶というのは怪しい職業のひとつ、というだけでしょう。
坊さんは、家を持ち、妻子を持ち、貯蓄をして、肉を食い、酒を飲み、スポーツカーに乗って、レジャーに出かけて、そして仕事として檀家の前では、経を読み、少欲知足を勧めるのです。
まあ、閻魔様の前で、抜かれることを見こした上で、舌を二枚用意しているのかもしれませんが。
今の僧侶は、法華経や御書を切文して信者を脅し賺し、飯のタネにしている分、一般の在家の仏教徒よりも仏道から遠く、救い難い人と考えるべきでしょう。
1997
:
外陣
:2008/02/20(水) 10:17:59
問答迷人さん
>御本尊集がアップされており、それをプリントアウト・表装し、仏壇に掛けている人たちが多数いるとか。
この振る舞いについてはちょっとどうかと、小生は、思います。
そもそもが、いつの頃からか印刷した本尊を大量に下付し始めたこと、そのも
のが間違いの元のような気もしています。大慈大悲からのことと理解するよう
にしてますが、日興聖人がそれをお許しくださっているのかどうか…御開扉に
しても、やたらに許していることにも個人的にはちょっと疑念があります。
嬉しいことは嬉しいのですが。
しゅんかんさん
偽ブランド品のお話、言い得て妙です。たしかに怒り心頭があたりまえです。
そうだったら「ただじゃおかないぞ」です。わかります。
でも言葉を返すようですが、その肝心の「偽」かどうかを誰が判ずることが
できましょうか。偽というのであれば「本物」がなくてはなりますまい。
それではその本物の本尊とはなにか、戒壇本尊として本物はどこか、どれか。
それはどのようなものであり誰が決定するのか…。
このあたりが偽モノと主張する方々から提示されていないので、どうしても
信心のない人の難癖にしか感じられないのです。
民主党のことじゃありませんが、対案を知りたいと思うものです。
一字三礼さん
小生もいつも御僧侶にくってかかって迷惑されているようです。
理屈じゃないよ信心だよ、と諭されて…そのつど寂しい想いです。
能化クラスのお方でも浮世離れしたお話ばかりで、御三祖をしのばせるような
何でも聞いてこいという元気の良いかたにいまだ邂逅せず。我が身の福運のな
さに寂しさを感じてはおります。
でも三宝の僧侶と信じて不敬のないようには気をつけている自分です。
良き僧侶も信者が育てていくという面もありはしませんか。
1998
:
富士川一郎
:2008/02/20(水) 13:22:21
>>本堂への参拝に金銭を徴収する寺院が他に多く在るのでしょうか?
一応横レスですが、大石寺の本堂は、御影堂です。
奉安堂は秘仏の藏と言う扱いです。
さて本題ですが、秘仏拝観は寺院により金額の多寡がありますが、ほとんど有料です。
何時でも拝観できる日光東照宮で、一千数百円、京都の寺院などでも、100円〜5000円位まで存在します。
また滅多に拝観できない(善光寺の7年に1度など)で、宿泊費込みで7000円〜10000円までなどです。
また大石寺は入る事自体は入場料がありませんが、他宗寺院では入寺料を取る所もあります。
1999
:
犀角独歩
:2008/02/20(水) 18:46:27
問答さんとの議論なので、わたしは参加しませんが、それにしても、
> 本尊を自己の都合による事情からウェブサイトに掲示
て、これはわたしのことでしょうか?
どんな都合でしょうか。「悪人」「謗法」「魑魅魍魎」と悪口雑言される都合でしょうか(大笑)
わたしには何ら個人的な都合などありません。むしろ、隠蔽して見せないほうにこそ、都合があるのではないですか。
また「偽というなら本物がある」、それはあるでしょう。現存が確認されているだけでも130舗近い、日蓮真筆御筆大漫荼羅があります。それと比較して、大石寺板本尊など、一見して、偽物であることは、日蓮の真筆曼陀羅を見慣れている人であれば、一も二もなくすぐわかることです。
富士川さん
他の寺の拝観料の話は、まあ、そのとおりでしょう。
しかし、「広宣流布の暁まで御宝蔵に秘蔵厳護」と言いながら、お金取ったらまずいだろうというのが批判の声でしょう。
まして、誰かが書いていましたが、所謂「本門戒壇の大御本尊」は「時の法主猊下の所有」なんだそうですが、となると、奉安堂の拝観料は、すべてこの人の懐に入ることになりますね。そうなると、これは税法的には個所得と言うことになります。あと、「奉供養」というのがありますが、この所得申告はどうなっているのでしょうか。「仏様以外、供養は受けられない」というのは学会52年度路線を批判した石山の言い分でした。となると「奉供養」を受ける「猊下」は仏であるといっていることになりますね。しかし、僧宝であるというのが、いまの説明。この矛盾は、どんな言い訳によって成り立っているか、レクチャーいただけませんか。
2000
:
しゅんかん
:2008/02/20(水) 18:58:09
外陣さん
はじめまして、しゅんかんと申します宜しくお願い致します。
>偽というのであれば「本物」がなくてはなりますまい。
◆蓮祖の本物と云われる本尊は123幅と云われているのではないでしょうか。
>戒壇本尊として本物はどこか、どれか。
◆蓮祖の出世の本懐と云われ、日法師作の戒壇之大御本尊は存在しないのではないでしょうか。
ただ、石山が公言して已まない戒壇之大御本尊は奉安堂に奉懸されているのでしょう。
>それはどのようなものであり誰が決定するのか…。
◆公的機関が判断すべきだと考えています。
他方、折伏・布教活動を一切行なわず個人で思い込んでいる分には、いっこう構わないと考えます。
独学徒さんよりご教示戴いた処の別事例ですが、
日法師作と云われる祖師像が私の知る限り31体ございます。
本門寺や宥清寺の其れは文化庁のお墨付き重文ですね(旧国宝)ただ文化庁のデーターベース解説に日法師の名を見出すことは出来ません。
両寺は文化庁も認めていない事を公言している事となり、これは憂慮すべき事ですね、
祖師像はご存知の如く本尊ではなく、戒壇之大御本尊と云われるのは本尊です、石山の行為を同列に論じる事は出来ず、憂慮すべき事では済まされないと思うものです。
2001
:
しゅんかん
:2008/02/20(水) 19:29:57
富士川一郎さん
お久ぶりです。
本堂は御影堂でしたか、勉強に成りました有難うございます。
拝観料の件ですが、京都は観光地ですが京の法華寺院に於いて拝観料を徴収
する寺院は私の知る限りございません(多くには庭園拝観料と云うものがございます)
本堂(本尊)参拝に拝観料を設けている寺院を存じません。
※本堂(本尊)参拝を拒まれる寺院(本圀寺等)はございます。
2002
:
問答迷人
:2008/02/20(水) 19:32:28
外堀さん
>偽というのであれば「本物」がなくてはなりますまい。
それではその本物の本尊とはなにか、戒壇本尊として本物はどこか、どれか。
そもそも、戒壇本尊等と言う物は、日蓮聖人のあずかり知らぬ存在だと思います。真跡御書に名すら出てきません。もっと言えば、大石寺版の御書全集において、御書としているものの中にすら、戒壇本尊等という名目すらありません。
没落して、無住の破れ寺になった大石寺。そのときは堂宇は焼け落ち、全ては灰燼に帰していたと思われます。その時に日精師がでっち上げた、人寄せパンダが、戒壇本尊とお肉牙であった・・・
僕はそのように理解しています。もともと日蓮聖人の教えに「戒壇本尊」など無いし、「これこそが出世の本懐の本尊なるぞ」等と鳴り物入りで認めた曼陀羅など無いわけです。日蓮聖人の認めた曼陀羅に優劣など無い。曼陀羅は妙法蓮華経の五文字を受持させるための道具立てであり、優劣の有ろうはずが無い。なぜなら、どの曼陀羅にも等しく妙法蓮華経の五字が認められているでは有りませんか。何の差別があるというのでしょう。
日精師が人寄せに使った戒壇板本尊が、果たして日精師自身が作ったのか、もう少し前の人が作ったのか、これは定かではありませんが、日禅授与本尊を基にして作った事は河辺メモに述べられ、犀角独歩さんが証明された事です。しかも、性質の悪い事に、この日禅授与本尊は真筆とはされていないことです。御本尊集には入れられずに、外された代物です。おそらくは、贋作と思われます。
勿論、贋作でも、妙法蓮華経の五字が認められていますから、信仰の対象足りうると思います。但し、「この本尊だけが日蓮聖人の出世の本懐で、他の真筆本尊には功徳は無く、却って罰が出る」等と大嘘をツキタクッテ、我田引水を図った大石寺及びその一派は、日蓮聖人の教えを踏みにじった、獅子身中の虫、大悪党であると僕は考えています。
2003
:
偶ロム偶ログ
:2008/02/20(水) 19:42:51
外陣さま、はじめまして、偶ロム偶ログと申します。
>>1985
>> 血脈相承、御相伝を固く信じている者にとっては本物であるでしょう。
信じているから「本物であると思っている」ということですね。
ところで、この場合の「信じている」は、信ずるに足るだけの理由があっての
ことなのでしょうか、私は、日蓮正宗系はこれまでほとんどと言ってよいほど
「信ずるに足るだけの理由」を説明開示してこなかったのではないかと思って
います。
ただ「信じなければ謗法であり墮地獄は必定」などという脅迫的「指導化導」
だけで信徒を呪縛してきただけではないでしょうか。
>> それを否定する立場の者にとっては坊主憎けりゃ袈裟まで憎しでしょう。
そうですね、私も中学生の頃に身延日蓮宗を信仰する叔父とこの問題で大喧嘩
した記憶があります。
>> 民族紛争、宗教戦争etc.世界中みな同じ混沌の時刻を生きてます。
>> そんな危険な時代にわたしたち荒凡夫がどう振る舞えばいいか、を教え
>> てくれたのが釈迦佛であり天台智者であり日蓮大聖人であると小生は信
>> じているわけです。
信仰とは確かに「振る舞い」「姿勢」「生き方」などの指針となるものですね。
>> あくまで例えばの話。
>> 長い歴史のなかで事故があって燃えてなくなってしまったのかもしれない。
>> あるいは危険があるので身代わりの本尊を表に出して、大切な宝はどこか
>> 誰にもわからない処に格護してあるのやもしれない。
おっしゃるとおりであると思います。
そして、お板についても、おそらく似たようなことが何度もあったと私は思っ
ております。
>> それやらこれやらのことを決めて采配するのが時の管長の権限でしょう。
概ね同感ですが、管長が「決める」際にその基準を蓮祖の御書に求めることが
大前提ですね。
蓮祖以外の発言や記述に依拠したり、それすらなく、「法主の権能」なんても
ので「決める」のでは全く意味をなしませんね。
仮に無くなったものを再造したのであれば、「無くなったので貫首の立場とし
て再造した」と公に述べればよいだけのはなしです。
>> 偽物とか本物とか詮索する権限権威が小生ら未明のものにありましょうか。
あると思います。
もしも、無いとするならば、他宗教に対する「折伏」「破折」も、「権限権威」
のある者にしかできないことになり「越権行為」といえます。
>> 総本山が「これがご本尊様だぞ」「ご本尊様は大聖人様だぞ」と云っている
>> のであるから、もうそれでいいのじゃないですか。
叡山が「顯密兼修だぞ」「ご本尊様はお釈迦様だけではないぞ」と言っている
のだから、蓮祖も法華経を広めようとしなくてもよかった、という論理も成り
立ってしまいます。
>> 本物にするか偽物にするかは、小生らのそれこそ「ご信心によるべし」では
>> ないでしょうか。
気持ち的にはわかりますが、客観的事実が明らかでないかぎり、その「信心」
も、とりようによっては「独りよがり」の誹りを免れないかもしれません。
また、薬か毒かわからないものを他人に飲ませようという行為は一考の必要
があるかとも思います。
>> そもそもメタ言語の世界がこの信心でしょうから。
>> こんな考えはだめでしょうか?
けっして「ダメ」だとは思いません。
私は、お板が後世の作であっても信仰は成立すると考えます。
ただし、そのためにはお板について宗門が説明することが不可欠の条件ではな
いでしょうか。
2004
:
一字三礼
:2008/02/20(水) 20:41:09
外陣さん、はじめまして。
〉でも三宝の僧侶と信じて不敬のないようには気をつけている自分です。
ご存知ですか、三宝の「僧」とは、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆を指すのですよ。けっして、‘在家と変わらぬ生活をして、坊主頭で袈裟を着ている人達’のみを言うのではありません。
この掲示板に投稿されている、仏教徒の方々も間違いなく‘僧宝’ですから、ことさら「法華経」も読まず、その内容も知らない坊さんを祭り上げる必要はありません。
〉良き僧侶も信者が育てていくという面もありはしませんか。
これは違います。
よく飼い慣らされた、無知な在家信者が、出家でもなく仏法も知らない坊主を、肥え太らせ、増長させているのですよ。
在家信者が、「法華経」と御書をしっかりと読んで理解し、少しでも自分の頭で考えることができるようになれば、日蓮門下も少しはまともになるのではないか、と思います。
2005
:
犀角独歩
:2008/02/20(水) 21:10:22
2004のご賢察にわたしは賛同します。
2006
:
臨時
:2008/02/20(水) 22:55:46
一字三礼さん
<大石寺・身延を問わず、坊さんと法華経や法門について話をしたことがある
方ならご存知でしょうが、坊さんは本当に何もしりませんよ>
そうでしょうか? 私は時々立正大学の教授でもあり、日蓮宗の寺院住職でも
ある伊藤瑞叡師とお会いして様々なお話をお聞きしておりますが、法華経に対
する知識もさることながら、日蓮仏法に対する大変現代的な課題をお持ちの方
と思っております。
日蓮正宗にも優れた御僧侶がおられるのではないでしょうか、一字三礼さんは
全ての御僧侶とお会いしてお話なさったのでしょうか。
2007
:
一字三礼
:2008/02/20(水) 23:17:16
臨時さん。
はじめまして、でよろしかったでしょうか。
〉法華経に対する知識もさることながら、日蓮仏法に対する大変現代的な課題をお持ちの方と思っております。
その方は、法華経に対するどういった知識をお持ちなのですか。
「日蓮仏法に対する大変現代的な課題」を具体的に示してください。
〉日蓮正宗にも優れた御僧侶がおられるのではないでしょうか
日蓮正宗の優れた御僧侶とはどなたを指すのですか。
〉全ての御僧侶とお会いしてお話なさったのでしょうか。
あなたは、日蓮門下全ての僧俗と面談することが可能であるとお考えなのですか。
2008
:
偶ロム偶ログ
:2008/02/20(水) 23:43:11
臨時さん
横レス失礼いたします。
伊藤瑞叡教授は確かに日蓮宗の僧籍・自坊を持っておられる日蓮宗の僧侶です。
また、法華経についても日蓮仏法についても真面目に取り組んでおられると思
います。
一字三礼さんがおっしゃったのは、そのような学僧ではなく、一般の僧侶を指
してのことだと理解していますが、おそらく舌足らずになってしまわれたので
しょう。
ただ、伊藤教授については、日蓮宗内でも立正学内でも厳しい評価もあります。
ただ、立正の教員でも専門以外の知識が無い方は多いですよ。
論文執筆のために昭和定本引用しても、化導の言葉が薄っぺらという方もいま
す。
しかしそれでも日蓮宗の僧侶は一般的に教学と宗学の区別くらいはしています。
>>日蓮正宗にも優れた御僧侶がおられるのではないでしょうか
なにをもって優れたとするか、ですね。
御用教学、護教教学、印籠教学などで正宗内部においては評価の高い人もいる
かもしれませんが、仏教学・宗教学・歴史学・などで正宗以外で通用している
正宗僧侶は若干名でしかありません。
二十年前であれば、正宗の所化僧も大学で学ぶことが可能でしたが、阿部氏の
代になってからはそれすらも不可能になってしまいました。
つまり教団外の知識に触れさせない、ということです。
じつは、これは所謂カルトの特徴のひとつでもあります。
僧侶に知識を与えると教団として不都合である、それが外部遮断の最大の理由
なのだと言えるでしょう。
2009
:
外陣
:2008/02/20(水) 23:59:39
諸先輩の怒りがどれほどのものか、あらためて感じまして身震いがします。
小生はけっして論を張ろうと書き込みし始めたわけではありませんし、犀角独
歩さんはじめ多くの大先輩がたの骨身を削ってのご研究に対して心底、無学な
頭を垂れております。揶揄する気持ちなどございません。
ただ自分が唱題しながら長いこと学んできた大石寺の日興門流と呼ばれる仏法
からはあまりに異なる話がいくつもいくつも出ていること、あるいは時として
反対意見者に対してなかなか厳しいと申しますか、喧嘩腰といいますか、そん
な雰囲気が残念でもったいないと個人的には思ったものですから、生意気承知
でご寛容願い、推敲もないつたない文面にて御掲示板におそるおそる書き始め
ている次第です。文脈等に誤謬がございましたらお笑い下さい。一所懸命書い
てみますので。
2010
:
臨時
:2008/02/21(木) 00:13:30
一字三礼さん
偶ロム偶ログさんは
<一字三礼さんがおっしゃったのは、そのような学僧ではなく、一般の僧侶を
指してのことだと理解していますが、おそらく舌足らずになってしまわれたの
でしょう>
と申されておりますが、そのように私も受け止めてよろしいのでしょうか。
伊藤瑞叡師の法華経理解は私の及ぶところではありませんので、師の著作をご
覧下さい。『法華菩薩道の基礎的研究』『法華経成立論史』等々があります。
日蓮正宗の御僧侶の中でも花野充道師や昔お会いした藁科菅道(字が異なって
いるかもしれません)師は私から見ると優れたお方とお見受けしております。
また、伊藤瑞叡師の日蓮仏法に対する現代的な課題に関しては、私とは異なる
知見でもあり。ここで申し上げることは控えさせていただきます。
偶ロム偶ログさんに対するお答えは明日は仕事なので、金曜日の夜にさせてい
ただく所存です。
2011
:
偶ロム偶ログ
:2008/02/21(木) 00:21:31
外陣さん
まあ、掲示板のルールを無視して書き込む人たちに対して、こちらの常連の方た
ちは厳しく対応されます。
礼には礼を、而して無礼にも数度の礼を尽くして、それでも無礼な書き込みには
きついレスが集中することになります。
それは、こちらの掲示板が、長年の間、多くの人たちの真摯な考察で論議を進め
てきたからでしょう。
>>おそるおそる
私などは、ちょっと覗いてちょっと書き込む、体のほとんどはすぐにでも緊急
避難できるようにドアの外でいつでも走る体勢でいます(苦笑)。
これからもよろしくお願い申し上げます。
2012
:
外陣
:2008/02/21(木) 00:57:45
諸先輩の怒りがどれほどのものか、あらためて感じまして身震いがします。
小生はけっして論を張ろうと書き込みし始めたわけではありませんし、犀角独
歩さんはじめ多くの大先輩がたの骨身を削ってのご研究に対して心底、無学な
頭を垂れております。ほんとです。揶揄する気持ちなどございません。
ただ自分が唱題しながら長いこと学んできた大石寺の日興門流と呼ばれる仏法
からはあまりに異なる話がいくつもいくつも出ていること、あるいは時として
反対意見者に対してなかなか厳しいと申しますか、喧嘩腰といいますか、そん
な雰囲気が残念でもったいないと個人的には思ったものですから、生意気承知
でご寛容願い、推敲もないつたない文面にて御掲示板におそるおそる書き始め
ている次第です。誤謬がございましたらお笑い下さい。一所懸命書いてみます
ので。
ーーー
犀角独歩さん
>> 本尊を自己の都合による事情からウェブサイトに掲示
>て、これはわたしのことでしょうか?
>どんな都合でしょうか。「悪人」「謗法」「魑魅魍魎」と悪口雑言される都合でしょうか(大笑)
小生がいつ悪人・謗法・魑魅魍魎といいましたでしょうか。
またこの掲示板は貴方個人のものでもありますまい。まるで主人のようなお振る
舞いに感じること多々あります。
恐らく、他の貴方を口汚く攻撃している人たちの眷属と考えられてのことと察し
ますが、小生は一匹狼です。自分の五感で感じたこと以外は申しません。
こうした突然の喧嘩腰の応対が小生から見ておりますと、せっかくの御研究成果
が台無しだと申し上げます。人が馬鹿に見えたらおしまいではないでしょうか。
犀の角のように独り歩まれるならば、もっと虚無的(ニヒル)であって欲しいと
考えます。余計なことですが。お気が短すぎます。
大聖人は相手の話をよく聞いてあげたと思います。
大きなお仕事をなされるのですから、もっと規範を示されては如何か。
御ウエブサイトのコンテンツ内容に関しては、先に書いたとおりの感想です。
ご研究の正邪はさておき、心から大石寺本尊を信じて拝み、日々行じている者も
全国に少なくないでしょう。貴方からみれば無知で化かされている哀れな者に見
えるでしょうが、そのような人間を蔑むような印象を受けるのです。
独歩さんも正宗の法門から仏道に縁をさせていただいたのでしょうから、いくら
なんでも礼儀はわきまえてほしいと思います。裏切り・チックリばやりの恥知ら
ずばかりの世になってまいりました。御受戒を受けた我々ぐらいはもう少し世の
中に手本を示す義務がありませんでしょうか。
育ての親を、長じてから生みの親ではないと知り、言いたい放題の末ぶんなぐり
ますか?
ご本尊を、命が欲しくば踏め、といわれて踏みますか?
貴方のやっていることは理屈がつけば躊躇無く曼荼羅を踏む行為ではないでしょ
うか。
真に日蓮大聖人を尊び、宗門を憂い、正しい組織にしていこうとされているなら
ば、「日蓮」と対等に呼び捨てしたり、本尊をフォトショなどでレイヤー化した
りできるはずはないと考えるのです。
研究者同士ならいざしらず歌舞伎町のどまんなかに本尊を晒しているようで、
顔から火がでます。
ご研究における集中力、その洞察力、精密さなどには敬服して止みません。
酒のせいか言いたい放題になりました。ルールに抵触しましたか?乱文失礼。
2013
:
外陣
:2008/02/21(木) 01:14:47
すみません。アップがダブりました。板を汚してしまいすみません。
2014
:
外陣
:2008/02/21(木) 01:15:35
問答迷人さん
人寄せパンダ…ひどい仰りようで。
小生も先日のお肉牙関連の行事にはどうにも合点がいかずに夢でウンウンうなさ
れました。
おっしゃるとおり宗門にお世話になっていてもいろいろ合点がいかないこと多く、
悩み苦しんでおります。
一度なんとかして同士討ちの原因になった関係者一同呼び出して、それこそさい
たまアリーナあたりで大法論会を催してですね、白黒はっきりさせたいものです。
いや、冗談抜きで。
波旬数匹のおかげで死人がでてるんですからねいっぱい。いいひとばっかり。
2015
:
外陣
:2008/02/21(木) 01:57:04
偶ロム偶ログさん
はじめまして外陣(ゲジン)と申します。宜しく御薫陶くださいませ。
信じる理由について
大石寺三師塔に居並ぶ歴代御正師を信じます。
事実としてあのお方がたが長い間、正宗を厳護されてきたそのご苦労を考えると
き、そう簡単には批判する気になれないのです。ですから一所懸命勉強したいと。
>管長が「決める」際にその基準を蓮祖の御書に求めることが大前提ですね。
まったくもって同感です。応用すら危険ではないかとまで考えます。
それから正直でいてほしいと思います。
それから重要かつ困難な内容を含んだ折伏は、できれば御僧侶にやってほしいと
思います。初心者はお寺やお山にお連れするのが精一杯ではないかと。
上代はそのようではなかったのでしょうか。戸田さんや花野充道師の影響ではあ
りませんが。
>私は、お板が後世の作であっても信仰は成立すると考えます。
>ただし、そのためにはお板について宗門が説明することが不可欠の条件ではな
>いでしょうか。
まったくもって同感であります。そのためになにかしなければと焦燥感を憶えて
おります。
2016
:
外陣
:2008/02/21(木) 02:14:50
一字三礼さん
はじめまして外陣と申します。宜しく御薫陶ください。
>三宝の「僧」とは、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆を指すのですよ。
はい。了解しております。
自分なりに考えますに、日興聖人の言いつけに「若輩なれども云々」のくだりが
あるかと思いますが、三衣の徳をもって一般衆生よりかは上位に位置するお方で
はないかと思っていまして、小生ちと坊さんフリーク気味かもしれません。
白状しますとたしかに妻帯よし、肉食よしとお許しがあったとしても、正宗の昨
今の風景をみますと天台僧のほうがよほど純粋かと憤慨することもあります。
それは正信会あたりも同じであります。
でも我慢します。信じていきたい想いが強くて…。
2017
:
外陣
:2008/02/21(木) 03:43:43
お二人の先輩が大聖人の御筆による真筆本尊が多数存在しており、本物といえば
それだとのお話でした。
ご本尊にも一期一縁の役目のある性質のものもあれば、裏書きしてあるもの無い
もの、様々な目的で図現された各種の性質をもった本尊があると思いますが、一
切衆生を助ける役目の大役を担った本尊、つまり「一閻浮提第一」の大御本尊も
あると思うのです。それの本物偽物のことを指してお尋ねしています。
それだけの役目を帯びた大御本尊ですからそれなりの扱いと取り扱い注意につい
ては秘と密が存在するのではないかとも思います。
御相伝とか血脈とか、門外漢には決して教えることのない秘密、どんなことにな
っても守り抜くという密技の存在も想像できませんか?
ボロン字だの光明点だのと我々は興味津々で詮議したりしてますが、代々の猊下
しか知らない秘法秘術があるんですよきっと。
ちょっと言い方が漫画チックで恐縮ですが。
なんかこんなことを書き散らかすと、四方からお叱りの声が聞こえてきそうです
ね…。
疑わしきは罰せず、とは申しませんが、あまり短慮に偽物と断定しますと、その、
もし惑していた場合の仏罰を考えると。そう考える次第です。
2018
:
犀角独歩
:2008/02/21(木) 06:18:09
外陣さん
まず、一つ。質問をしておきますが、1989に「自己の都合による事情からウェブサイトに掲示」とは、誰の、どのような都合を指しているのでしょうか。具体的に記してください。
所謂「本門戒壇の大御本尊」と写真をウエブサイトにアップしているのは、ほかに誰がいますか。ここで、該当するのはわたし一人です。これが誤解であるというのであれば、そのような曖昧な表現で、だれがしかを批判するような書き付けこそ、「喧嘩腰」ではないでしょうか。あなたは、わたしの背はよく見えるようですが、自分の文章のとげが嫌味を帯びていることには気づけませんか。
> 真に日蓮大聖人を尊び、宗門を憂い、正しい組織にしていこうとされているならば、「日蓮」と対等に呼び捨てしたり、本尊をフォトショなどでレイヤー化したりできるはずはないと考えるのです。
この点について、まず、わたしは「日蓮正宗」の宗門を正しい組織にしていこうなどという意図はまったくありません。集団犯罪組織という認識です。解体して当然という認識です。
わたしが何故、尊称を省くか。実はその意図に既にあなたは乗っています。
2004年来ウエブサイトでこの点は説明しています。
「まず情報操作という点について申し上げたい。
以下の記述では信仰者間で鉄則として遵守される尊称・用語を敢えて一切斥けた。たとえば「大聖人」と呼ぶことが信仰の証と知ることを百も承知で「日蓮」とその尊称を省いた。たぶん、これだけで当文書に腹を立てる信者は多く存するだろう。また、「漫荼羅」とは日蓮自身が認(したた)めるところである。それにも拘わらず、信徒会員は「御本尊様」と呼ばないと何か違和感を懐く。
しかし、考証論考を記す場合、その尊称を略し、一般的用語を使うことは常套なのであって、不敬を目的にしたことにはならない。それ故、ここでは一般常識に準じた。
もし、この記述法に不快感、憤慨を湧き出る人があれば、その内心をよくよく観察してみていただきたい。そして、呼称一つで「信心がある。信心がない」と峻別してしまうことが如何なることであるのかを考えてみていただきたい。尊称一つで感情が動くこと、そこに情報操作、心理操作がはたらいている自己分析を踏まえ、以下、読み進んでいただきたいと思う。
また、一般読者、あるいは他の信仰に属する方々には、「本門戒壇之大御本尊」信奉者の心理構造とは斯くなるものであることを認識していただければ、理解を、さらに助けることになると付言させていただくものである。」
(所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html
)
外陣さんは「日蓮大聖人」と記していますが、日興は「日蓮聖人」と記しています。もし、日興を信じるのであれば、後者を採るのが一般でしょう。また、現在は法華講とのことですが、となれば、真偽・珠玉の混じった大石寺版の御書によるわけですか。このなかに「日蓮御房」(佐渡御書)とありますね。つまり、在世当時は大聖人、聖人といった呼称はなかったことを意味しています。
それにもかかわらず、「日蓮大聖人と呼ばなければいけない」とあなたが思う理由は何か、です。あなたの頭の中で「日蓮大聖人」と呼ばず、日蓮と呼び捨てにすることが悪いというフィルターはどうして構成されたのか、むしろ、わたしは、そこを考えてもらいたいという意図があります。
2019
:
犀角独歩
:2008/02/21(木) 06:19:25
―2018からつづく―
> 本尊をフォトショップでレイヤ処理
実際は違うソフトを使用しています。また、わたしは本尊を処理などしていません。本尊の写真を処理しています。ここは重要です。わたしの信仰観において、手書きの本紙は本尊たり得ても、写真にとって複製されたものは、単に写真であり、複写です。わたしはたぶん、あなたより、はるかにこの真筆御筆大漫荼羅に対しては信仰が深いと思いますよ。しかし、本尊写真に信心があったら、事実究明はできないのです。本尊の真実を糾明するためには複写に過ぎない写真を大いに加工してその事実を探るということです。
わたしが50年間、時には創価学会におり、時には「日蓮正宗」大石寺内事部『大日蓮』編集室、同教学部から仕事を依頼されもしてきたこの集団の実態を究明するためには、この集団とその構成員(石山僧侶)への畏敬は不用です。むしろ、事実を正面から見る目を曇らせます。わたしから、あなたの心理状態は、そうした考証以前の段階で右往左往しているように映じます。
わたしは日蓮を尊敬します。しかし、それは集団や、その集団の教義から「日蓮大聖人」と呼ばなければ信仰がないと心理操作された形とは異なっていると言うことです。この相違が理解できず、受け入れられない外陣さんは、既に「日蓮正宗」の心理操作の罠にかかっているとわたしには映じます。
近代における日蓮伝記の最高峰は、二もなく三もなく、故高木豊師の『日蓮』(太田出版)でしょう。このなかで高木師は一貫して「日蓮」と尊称をつけず、記しています。しかし、実像から見た日蓮に対する深い信頼と思いが紙背行間から伝わります。この高木師の気迫を、「日蓮大聖人と呼ばなければ信心がない」と思うように操作された人々には、けして理解することはできないでしょう。
石山僧俗が言う「日蓮大聖人」と、日蓮門下僧俗が言う「日蓮聖人」と、高木師が言う「日蓮」はまるで別の人物です。そして、わたしが追及して止まない実像としての「日蓮」もまた、外陣さんが考える「御本仏」とは似ても似つかない“人物”です。ですから、わたしが敬愛して「日蓮」と呼ぶことで本仏論者から不信心と言われるのであれば、それはそれ、甘受する意識で臨んでいます。
> 人間を蔑むような印象を受ける
これは、わたしはあなたの文章を読んで、わたしを蔑んでいるという印象を受けました。そう自分が映じているという自意識はないでしょう。
しかし、わたしはあなたが感じた印象はわかりますよ。かつて、わたしがいまのわたしのような人物がいたら、そう思っただろうことは、過去の自分に当てはめて想像がつくからです。
> …正宗の法門から仏道に縁をさせていただいたのでしょうから、いくらなんでも礼儀はわきまえてほしい
この表現は、あなたの立場を反映しています。
あなたはわたしを「正宗」の下に置いて考えているでしょう。
礼儀をわきまえるのはお互い様と言うことです。対等な立場ですから。
2020
:
犀角独歩
:2008/02/21(木) 06:20:08
―2019からつづく―
> …御受戒を受けた我々ぐらいはもう少し世の中に手本を示す義務がありませんでしょうか。
では、わたしのしていることがそうではないと、何故、決めつけますか。
その決め付けはあなたが信じている信仰観からの視点であり、わたしの信仰観を認めないところから発言になっている仕組みに何故気がつけませんか。
> 貴方のやっていることは理屈がつけば躊躇無く曼荼羅を踏む行為ではないでしょうか。
もちろん、わたしにはそんなつもりはありません。
総括して、ここでは述べて置きますが、この文章は先の「本尊をフォトショップでレイヤ処理」するという言葉に掛かるのでしょう。
では、反対にお聞きしますが、本尊から文字を取るとき、薄紙をあてて書き写します。この行為はまさにレイヤでしょう。こうした作る板本尊の製造過程は本尊を踏みつけることになりますか。まして、信者に対して、最高の本尊であるというものが、他の本尊から取った題目の文字、また違う本尊から取った四大天玉、また加筆した不動愛染、讃文、造立縁起文でパッチワークして作り上げたものであるという行為は、日蓮が本尊を記した意図を土足で踏みつける行為であるとは、あなたは思わないのですか。
日蓮は生涯、ただの一度も本尊を複製していません。それにもかかわらず、写真にとって大量印刷して、それを頒布(大石寺では、本尊下付は3000円以上の「御供養」が必要)することは、日蓮が本尊を書した真意を踏みつける行為ではないですか。富士の伝承に以下の文章があります。
「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由諸方に其の聞こえ有り、所謂日向・日頂・日春等なり。日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝くも書写し奉り之を授与する者なり」
あなたが拝む本尊はこう批判される形木のものではないですか。
「曼荼羅なりと云ひて死人を覆ふて葬る輩も有り、或は又沽却する族も有り」
あなたの所属する宗派では棺桶、骨壺に「本尊」を入れてきたのではないですか。また、大石寺には本尊を焼く専用の焼却炉がありますね。これはどうでしょうか。
「沽却」された本尊、すなわち日禅授与本尊を買い取ったことはこれに与同することではありませんか。
あなたは他人の背は見えても、自分が背は見えていない。
では、どうして見えないのか、その真実の相を映す鏡、たとえば、わたしの文章をあなた固有の信仰から蔑んで否定しているからでしょう。ですから、あなたが真実を見るためには操作する都合によってあなたを振り回す嘘の信仰を取り去る必要があるということです。あなたがいう「正宗の法門」とはまさにそうした類のものであるということです。
わたしは人を蔑んでいませんよ、馬鹿にもしていませんよ、また、気が短いと映じたとする冒頭の文章は、大笑いしながら書いた文章です。鷹揚にかまえているからこそ、問答さんとあなたのやりとりをここ1日2日、口を挟まず、見ていました。誤解です。あなたの信仰が、そう見させているのです。
あなたはまだ気づけないのでしょうが、あなたの信仰は、まったく「世の中に手本」にはならない。むしろ、害毒を流しているものであることを、もうお気づきになってもよいのではないでしょうか。
しかし、こうわたしが記しても「見本」になるというのであれば、どの辺が見本になるのか、これまた具体的に記してください。
以上、出がけの走り書きです。打ち間違い等がありましたら、御判読ください。
2021
:
問答迷人
:2008/02/21(木) 08:10:22
外陣さん
>一切衆生を助ける役目の大役を担った本尊、つまり「一閻浮提第一」の大御本尊も
あると思うのです。それの本物偽物のことを指してお尋ねしています。
はて、寡聞にて、そのような曼陀羅の存在は存じ上げません。どこかにそのような曼陀羅を聖人が認められた、という証拠でも有るのでしょうか。少なくとも、聖人の真跡・時代写本には無く、後代の富士門各派に散見されるばかりだと思いますが・・・
2023
:
問答迷人
:2008/02/21(木) 08:39:14
外陣さん
>御相伝とか血脈とか、門外漢には決して教えることのない秘密、どんなことになっても守り抜くという密技の存在も想像できませんか?ボロン字だの光明点だのと我々は興味津々で詮議したりしてますが、代々の猊下しか知らない秘法秘術があるんですよきっと。
開目抄下に聖人は次のように仰せです。
「竜樹菩薩の十住毘婆沙(びばしゃ)論に云はく「修多羅(しゅたら)に依らざるは黒論なり、修多羅に依るは白論なり」等云云。天台大師云はく「修多羅と合ふ者は録して之を用(もち)ひ、文無く義無きは信受すべからず」等云云。伝教大師云はく「仏説に依憑(えひょう)して口伝を信ずること莫(なか)れ」等云云。円珍(えんちん)智証大師云はく「文に依って伝ふべし」等云云。上にあぐるところの諸師の釈、皆一分一分、経論に依って勝劣を弁(わきま)ふやうなれども、皆、自宗を堅く信受し、先師の謬義(みょうぎ)をたゞさゞるゆへに曲会私情(きょくえしじょう)の勝劣なり。荘厳己義(しょうごんこぎ)の法門なり。」
口伝によって法門を伝える、という当時の伝統仏教のあり方を、この通り開目抄において日蓮聖人は痛烈に批判されています。この同じ日蓮聖人が門下に対して秘密口伝を行ったとしたら、それこそ二枚舌ですね。そんな謗りを、貴方は日蓮聖人に負わせるおつもりですか。有り得ない事だと思います、後代に、日蓮聖人の心を踏みにじって口伝法門をでっち上げた輩がいただけだと思います。
2024
:
ワラシナ
:2008/02/21(木) 11:42:53
雑誌「福田」・衝撃の一行
前回この話題を書いた時肝心な事を省いた。それが標題。
「福田」発刊の意図は表向き形木本尊不正疑惑の提出だったが、これに派生した正本堂安置の板御本尊様偽作論への反撃にもあった。「肝心な事」とは、反福田勢力側から飛び出した「宗門は(板御本尊の真偽について)自信がないんだ」との発言を指す。
「福田」後半の記事はこの発言打消しに躍起になった反論であった。
ところでその衝撃の発言にはいつ、どこで、誰が、どういう理由でそう言ったのか、根拠が全く欠けていた。それを埋め合わせる為に反福田勢力側が繰り出したものこそ河辺メモだった(と推測した)。
2025
:
外陣
:2008/02/21(木) 17:32:58
※応接の順序が逆になることお許しください。
問答迷人さん
これは独歩さんにも尋ねるつもりですが、貴方は三大秘法を否定するわけではな
いのでしょう?
日寛上人や日有上人、また日淳上人や日亨上人までも批判の対象になさっておら
れるのでしょうか?
挙げた御尊師がたは皆様、大石寺の戒壇大御本尊を拝せよと仰せになられていま
すよね。本尊に迷ってはならぬと口をそろえて仰せです。
時として癖のお強い管長がお出になることもありましょうが、また信者の代表に
も大変迷惑なお人も出現することもあるのがこの六道世界です。
であるからこそそのような人間まるだしの人の言動に迷わされないで正宗の原点
を守りたまえと口酸っぱく仰せなのではないですか。
そもそも信じられない管長、でたらめな管長と思われるならばその人たちのヒソ
ヒソ話の内容なんでしょう。河辺メモとかその他も。鑑定やらなんやらも。
それは信じてその内容だけに乗っかるってのはちと調子がよくないですか。
金だかなんだかの宗門内の動乱に乗じて、あることないことまで邪推して曲解し
て、しまいにとうとう御本尊まで権能もないのに勝手に作ってしまうに至っては
池田さん方と同じじゃありませんか。それ絶対変ですよ。何様かと。
2017につきましては
口伝というより唯授一人相承ということです。もちろん六老等しく大徳であり、
直弟子であることは間違いないでしょうが、相承にも総別があることはご存じの
通りであり、別付属として興尊お一人に宗祖がお授けになったものがある。
それはなにも大聖人ばかりではなくお調べになればいくつものそうした事例はあ
りますよね。例せば釈迦牟尼だって誰でも彼でもに最重要の法門を授けたわけで
はないのと一緒でしょう。他の弟子にとっては嫉妬がムラムラだったかもしれま
せんが。その方々が寄せては返す波の如くに定期的に法門流布の邪魔をしかけて
くる、というのが当家の歴史に明らかです。
で、その御相承、御相伝こそがそうは簡単に門外には露出させないのではと。
釈迦御在世の時からすでに学び損ないや一知半解の弟子群がいたであろうし、そ
れは宗開両祖の時にもいたので一種警戒なさっておいでであったと想像します。
ましてや大聖人が自らを末法の佛である、などと声高に云おうものならそれは大
変なことになりましょうから。当時鎌倉と石山では相当の温度差があるわけで、
智解深妙・死身弘法・行戒堅固・智徳絶倫の誉れ高き日興開山聖人のみに別付属
されたその内容を知るすべもないわけです、頭に来るものもそれは出るでしょう
な。しかたがない大聖人の御佛智ゆえですから。
つまり三秘に関しても特別なご配慮で御相伝なすったわけです。本尊抄にしても
開目抄にしても本来は「一読したらしまっておけ」「やたらに浅薄なものに話す
なよ」といった超スペシャルな御妙判ではなかったかと推察します。
まあこれは大石寺興門流であれば周知のことでしょう。
ちょっと昔は我々衆生には御書御妙判だって読むことは難しかったわけで、最近
でしょ、ズブの素人でもこうして法門法義の勉強が独習できるようになったのは。
小生が云わんとしているのは、その御相伝のなかには大御本尊の取り回し
(ちと不敬な言い回しか)について、他のあずかり知らぬものもあるのかなぁ、
そうだとすれば親の心子知らずで安直に偽だ本物だと騒ぎ立てるのはどうかと。
気障な演説になってしまったようですが、とにかくも正法誹謗は怖いと思うので
す。
※文体が見苦しく、喧嘩腰にお感じになったら堪忍してください。
※勝手ながら仕事の都合で、あとは夜に御免下さい。
2026
:
問答迷人
:2008/02/21(木) 18:20:32
外陣さん
>貴方は三大秘法を否定するわけではないのでしょう?
真跡遺文に「三つの秘法」と述べられています。日蓮聖人の教えと拝しています。
>日寛上人や日有上人、また日淳上人や日亨上人までも批判の対象になさっておられるのでしょうか?
少なくとも、寛師に対しては批判的に見ています。
>正宗の原点
これは何を指しておられるのでしょうか。戒壇本尊ですか。
>しまいにとうとう御本尊まで権能もないのに勝手に作ってしまうに至っては
池田さん方と同じじゃありませんか。それ絶対変ですよ。何様かと。
これは意味不明です。誰が何時勝手に本尊を作ったのですか。
>口伝というより唯授一人相承ということです。
日興師に唯授一人相承が有ったというなら、それは何か根拠が有るのでしょうか。承りたいと存じます。
>相承にも総別があることはご存じの通りであり、
存知上げません。証拠をお持ちならお示し下さい。
>で、その御相承、御相伝こそがそうは簡単に門外には露出させないのではと。
別付属等と言われるのであれば、先ず証拠をお示し下さい。議論はそれからです。
>小生が云わんとしているのは、その御相伝のなかには大御本尊の取り回し
(ちと不敬な言い回しか)について、他のあずかり知らぬものもあるのかなぁ、
そうだとすれば親の心子知らずで安直に偽だ本物だと騒ぎ立てるのはどうかと。
日達師は、「相伝と言っても、みんな日亨師が表に出してしまわれた。相伝箱の中身は、既に皆が知っている書物なんだよ」(取意)と当時の法華講の三浦教学部長に語られたと聞いています。そんな神秘主義は通用しないと思っています。
外陣さんは、大石寺のアナウンスをそのまま信じておられるようですが、いずれも根拠薄弱だと思います。言わば大石寺の勝手な作り話。日興上人の末流というのもおこがましい姿が今の大石寺の教学だと僕は考えています。動かぬ証拠を以って、論陣を張ってください。期待しております。
2027
:
犀角独歩
:2008/02/21(木) 19:18:42
> 管長、でたらめな管長と思われるならばその人たちのヒソヒソ話の内容なんでしょう。河辺メモとかその他も。鑑定やらなんやらも。それは信じてその内容だけに乗っかるってのはちと調子がよくないですか。
だれがその内容を信じたのですか?
信じないからこそ、創価学会は阿部さんを攻撃したのでしょう。わたしは、阿部さんが、この内容を言っていないと言い張ったからこそ、それを信ぜず、その検証をしたわけです。話に乗ったのではなく、逆です。図形の字画判定とは、少し違いますが、同じく文字の鑑別を行った。つまり追検証です。その結果、河辺メモに書かれていることは、ほぼ合っていることを図形として証明したわけです。違うというのであれば、図形をもってその相違を外陣さんは、挙げるだけで十分です。
石山に本尊相伝など、そもそもなかったことは、こちらの掲示板で、れんさん、独学徒さんをはじめとする皆さんの分析で既にはっきりしています。
かいつまんで記せば、もし、そうした相伝があれば、日興已来早瀬さんに至るまで、同じように本尊を書いてしかりです。ところがそうはなっていない。上古のものとされる本尊相伝とも違った書き方になっている。経年変化があるということです。つまり相伝は時代時代で書き換えられ、継ぎ足され、変わっていった。ということは、その相伝自体、日蓮日興にまるで遡源できないということです。
外陣さんの言葉を借りれば、歴代同士のひそひそ話=口伝・相伝は、変化していると言うことです。
御本尊七箇相承「日蓮在御判と嫡々代々と書くべし」(石山本尊のどこにも「嫡々代々」とはどこにも書かれていません)
もう一つ。三師塔という話がありましたが、いったい、どこまで時代を遡れるのでしょうか。後代に成立したものではないでしょうか。そもそも石山は三師の唯受一人血脈相承を言いながら、日蓮の遺骨は偽物、日興の正墓は隣の北山にあり、日目の正墓すらありません。この三師の墓も遺骨もなく、それを補填するために考案されたのが、三師塔でしょう。こんなものが一体、何の証拠になるというのでしょうか。
五人所破抄「一、 身延の群徒猥りに疑難して云はく、富山の重科は専ら当所の離散に有り。縦ひ地頭非例を致すとも先師の遺跡を忍ぶべきに、既に御墓に参詣せず、争でか向背の過罪を遁れんや云云。
日興が云はく、此の段�H倒の至極なり、言語に及ばずと雖も未聞の輩に仰せて毒鼓の縁を結ばん。夫身延興隆の元由は聖人御座の尊貴に依り、地頭発心の根源は日興教化の力用に非ずや。然るを今下種結縁の最初を忘れて劣謂勝見先の僻案を起こし、師弟有無の新義を構へて理非顕然の諍論を致す。誠に是葉を取って其の根を乾かし、流れを酌んで未だ源を知らざる故か。何に況んや慈覚智証は即ち伝教入室の付弟、叡山住持の祖匠なり。若宮八幡は亦百王鎮護の大神、日域朝廷の本主なり。然りと雖も明神は仏前に於て謗国捨離の願を立て、先聖は慈覚を指して本師違背の仁と称す。若し御廟を守るを正と為さば円仁所破の段頗る高祖の謬誤なり。非例を致して過無くんば、其の国棄捨の誓ひ都て垂迹の不覚か。料り知んぬ、悪鬼外道の災ひを作し宗廟社稷の処を辞す、善神聖人の居は即ち正直正法の頂なり。抑身延一沢の余流未だ法水の清濁を分かたず、強ひて御廟の参否を論ずるは汝等将に砕身の舎利を信ぜんとす。何ぞ法華の持者と号せんや、迷暗尤も甚し。之に准じて知るべし。」(この時点で、砕骨=灰骨は身延に、そして否定していました)
2028
:
犀角独歩
:2008/02/21(木) 19:31:08
ワラシナさん
『福田』、懐かしい名前ですね。
わたしのメディアデビュー(といえるかどうか?)は、南条白山に送った手紙を無断で週刊誌に載せられたのは最初でした。
学会の特別御形木本尊水増し制作と、その頒布で得た利益の話。この学会会館から「下付」された本尊をばらしてみたら、中は新聞紙を使ったお粗末な作りを写真入りで週刊誌に摘発したのもこの頃でした。ところが、この話をうやむやにして「ない」と断定したのは、阿部さんでしたね。その前後でしたか、池田さんが法華講総講頭に返り咲いたのは。
この一連の騒動が『河辺メモ』と1本の意図で繋がっていたというご指摘をたいへんに興味深く拝読しました。
2029
:
れん
:2008/02/21(木) 19:36:48
横レス失礼します。
外陣さん、はじめまして。外陣さんの投稿を拝読させて頂きましたが、敢えて感想を言いますと、「信者さんの希望的観測」というものでした。
別付属の法躰・本門戒壇本尊なる造語が石山文献に顕れるのは日蓮正宗歴代法主全書などをひもときますと十四世日主の「雑録」が初めてですね。それ以前の歴代にはこの“別付属の法躰”“本門戒壇本尊”なる造語を述べた石山歴代住持は一人もいません。
中世の日興門流の文献を読みますと、いわゆる富士山本門寺本堂に安置する漫荼羅とされていたのは、重須に所蔵されていた本門寺大堂本尊という漫荼羅でした。しかし、これは天正年間に北山と西山の紛争の中で二箇相承等の北山文献とともに紛失しました。で、この北山の本門寺大堂本尊が紛失した直後に、日主が「雑録」を書いて本門戒壇本尊ということを言いだしたわけです。ということは、石山の初代お板を作ったのは、私の感触では大石寺十四世住持の日主が限りなくクロであろうと言うことになります。
異説には石山の初代お板を作ったのは九世日有という説もありますが、この説の根拠とされる「重須日浄記」が不明であることと、小泉久遠寺と大石寺の問答を記した“大石寺久遠寺問答事”に文明十四年九月七日の大石寺本尊堂における小泉久遠寺衆(この時、重須日浄も同席)と石山衆との問答を記していますが、この時代にあれば石山本尊堂に安置されていた筈の石山のお板のことには一切触れていないので、この時代ではまだ石山のお板は成立してなかったと見てよいでしょうね。
2030
:
一字三礼
:2008/02/21(木) 21:53:56
臨時さん。
あなたは、挨拶もなし、横レスの断りもなしで話に割り込んでくる人なのですね。
〉伊藤瑞叡師の日蓮仏法に対する現代的な課題に関しては、私とは異なる知見でもあり。ここで申し上げることは控えさせていただきます。
ご自分で伊東さんに言及しておいて、これでは内容がさっぱりわかりません。何が言いたいのですか。
私の質問に答えてください。
①その方は、法華経に対するどういった知識をお持ちなのですか。
②「日蓮仏法に対する大変現代的な課題」を具体的に示してください。
③あなたは、日蓮門下全ての僧俗と面談することが可能であるとお考えなのですか。
〉日蓮正宗の御僧侶の中でも花野充道師や昔お会いした藁科菅道(字が異なっているかもしれません)師は私から見ると優れたお方とお見受けしております。
具体的にどう優れているのかを教えてください。
私の経験を記します。
以前、日蓮宗の坊さん達と立正大の教授との日蓮宗のスローガンである「立正安国・お題目結縁運動」について話をしたことがありました。
この運動は、宗門を挙げてお題目の精神である‘但行礼拝’を社会運動の基幹として展開するものであるとのことでした。
私は‘但行礼拝’は、法華経の中で重要な概念ではないし、日蓮聖人も重視していない、と論拠を挙げて意見を言いました。
その意見の内容を以下に記します。
‘但行礼拝‘は、不軽品に出てくる有名な言葉ですが、この句は、「妙法蓮華経」にのみ、「正法華経」や「梵本法華経」では同様の意味を持つ言葉は出てきません。鳩摩羅什が付け加えた可能性がある言葉のひとつです。
完本の中央アジア系法華経テキストが見つかれば、あるいは‘但行礼拝’の句が見つかるかもしれません。それでもこの一句が、法華経の中では必ずしも必須ではない、ということを覆すほどのことはないでしょう。
‘但行礼拝’とは、自性清浄である‘仏性’を礼拝する、いわゆる「仏性論」の考え方です。しかし、法華経は、‘仏種’を植えることによって‘種・熟・脱’という経過をたどり成道する「仏種論」で成り立つ経典です。
‘但行礼拝’が独り歩きをし、「仏性論」が全面に出てきますと、法華経全体のテーマに反することになります。
また、日蓮自身、真筆御書で一度も‘但行礼拝’に言及しておりません。題目を‘二十四字’と同義とすることはあっても、‘但行礼拝’と同義とすることは一度もありませんでした。
常不軽菩薩の行を日蓮宗では‘但行礼拝’は「仏性論」と捉えていて、日蓮は‘二十四字’の菩薩の行う逆縁の授記、「仏種論」と考えていた。
この大きな違いがスローガンを考えた日蓮宗の坊さん達に理解できなかったようです。
上記の説明をした後で、「法華経にも、日蓮聖人の法門とも違うから、このスローガンを取り下げたらどうか」と提案しましたが、答えを濁されてしまいました。
このような遣り取りを、何度も経験しているので、日蓮宗に人なしと私は考えるのです。
2031
:
外陣
:2008/02/22(金) 00:33:34
犀角独歩さん
自己の都合による事情…とはあくまで小生の立場から見た見解であります。
石山根檀家の古い信者さんのなかには”蓮祖の姿を描くだけで大罰があたる”
などと申して、土俗的非科学的ではあっても、なんとも純真な信仰姿勢で信行た
ゆまず生き抜いておられる爺婆もおいででしょう。そんな人々が万一にでも御サ
イトのビジュアルを目にでもしようものなら悶絶ものです。
そんな見地から見ますれば、巷にこの人ありと云われる碩学であっても、一個人
が石山僧俗皆が大切にしている本尊を写真とは云え、ズタズタに弄くりまわした
無惨な御相貌を、公共の場所に晒して批判の糧とする、商業出版する。
これがサイト設計者の都合、事情でなくてなんでしょうや。
イスラム人のムハンマド似顔絵じゃないんですから。
も少し暴言をお許し願えれば、創価学会での責任あるお立場の経験、日蓮正宗で
も重要なお仕事をなさった経験、敬服いたします。貴重なご経験を敬います。
しかしながらそうしたポストにいた方であるからこそ、随分と酷いことをなさる
なと思ったのです。泥臭い手口だなと思ったのです。スマートじゃない。
川澄さんだってそこまでやらなかったし、その他の方々だって一宿一飯の恩義
ということを忘れることなく、私憤一歩手前で刀を納めているのでは。
弁哲さんらをも超えた過去に例を見ない愚行と感じてます。
取り返しのつかぬことは控えていただきたいし、どうしてもやるという高い志で
あるなら、石山前に持ち込んで御隠尊猊下と対決して欲しいです。
そういう意味でした。
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