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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について

2020犀角独歩:2008/02/21(木) 06:20:08

―2019からつづく―

> …御受戒を受けた我々ぐらいはもう少し世の中に手本を示す義務がありませんでしょうか。

では、わたしのしていることがそうではないと、何故、決めつけますか。
その決め付けはあなたが信じている信仰観からの視点であり、わたしの信仰観を認めないところから発言になっている仕組みに何故気がつけませんか。

> 貴方のやっていることは理屈がつけば躊躇無く曼荼羅を踏む行為ではないでしょうか。

もちろん、わたしにはそんなつもりはありません。
総括して、ここでは述べて置きますが、この文章は先の「本尊をフォトショップでレイヤ処理」するという言葉に掛かるのでしょう。

では、反対にお聞きしますが、本尊から文字を取るとき、薄紙をあてて書き写します。この行為はまさにレイヤでしょう。こうした作る板本尊の製造過程は本尊を踏みつけることになりますか。まして、信者に対して、最高の本尊であるというものが、他の本尊から取った題目の文字、また違う本尊から取った四大天玉、また加筆した不動愛染、讃文、造立縁起文でパッチワークして作り上げたものであるという行為は、日蓮が本尊を記した意図を土足で踏みつける行為であるとは、あなたは思わないのですか。

日蓮は生涯、ただの一度も本尊を複製していません。それにもかかわらず、写真にとって大量印刷して、それを頒布(大石寺では、本尊下付は3000円以上の「御供養」が必要)することは、日蓮が本尊を書した真意を踏みつける行為ではないですか。富士の伝承に以下の文章があります。

「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由諸方に其の聞こえ有り、所謂日向・日頂・日春等なり。日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝くも書写し奉り之を授与する者なり」

あなたが拝む本尊はこう批判される形木のものではないですか。

「曼荼羅なりと云ひて死人を覆ふて葬る輩も有り、或は又沽却する族も有り」

あなたの所属する宗派では棺桶、骨壺に「本尊」を入れてきたのではないですか。また、大石寺には本尊を焼く専用の焼却炉がありますね。これはどうでしょうか。

「沽却」された本尊、すなわち日禅授与本尊を買い取ったことはこれに与同することではありませんか。

あなたは他人の背は見えても、自分が背は見えていない。

では、どうして見えないのか、その真実の相を映す鏡、たとえば、わたしの文章をあなた固有の信仰から蔑んで否定しているからでしょう。ですから、あなたが真実を見るためには操作する都合によってあなたを振り回す嘘の信仰を取り去る必要があるということです。あなたがいう「正宗の法門」とはまさにそうした類のものであるということです。

わたしは人を蔑んでいませんよ、馬鹿にもしていませんよ、また、気が短いと映じたとする冒頭の文章は、大笑いしながら書いた文章です。鷹揚にかまえているからこそ、問答さんとあなたのやりとりをここ1日2日、口を挟まず、見ていました。誤解です。あなたの信仰が、そう見させているのです。

あなたはまだ気づけないのでしょうが、あなたの信仰は、まったく「世の中に手本」にはならない。むしろ、害毒を流しているものであることを、もうお気づきになってもよいのではないでしょうか。

しかし、こうわたしが記しても「見本」になるというのであれば、どの辺が見本になるのか、これまた具体的に記してください。

以上、出がけの走り書きです。打ち間違い等がありましたら、御判読ください。


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