したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

本門戒壇の大御本尊様の偽作説について

1832管理者:2007/09/05(水) 22:59:22

犀角独歩さん
独学徒さん

ご協力、深く感謝いたします。
今後とも、宜しくお願い申し上げます。

1833アスラン:2007/09/05(水) 23:12:45
独歩氏
私は貴殿の名前を存じ上げております。
一度何かの会議で貴殿の本が取り上げられ、この方を招いて宗門攻撃に一役買って頂こうと予算の計上がありました。
結局反対があり棚上げとなりましたが、まさかこのような形でこんな事を暴露するとは私自身も思いませんでした。

1834犀角独歩:2007/09/05(水) 23:14:33

問答さん

せっかくのご登場ですから、何点か、ご賢察をお伺いいたしたく存じます。

「本門戒壇の大御本尊」が偽物であるとき、それを喧伝し、会員を指導、巨額の献金を受けていた団体についての、責任をどのようにお考えになりますか。

また、その組織の意向に従って、部下、会員、また被勧誘者に、その本尊を本物と語ってしまったことに対する個人的な責任をお感じになっておられますか。

1835犀角独歩:2007/09/05(水) 23:17:16

アスランさん

そうでしたか。そんなアプローチはここかしこから受けてまいりました。

どなかたは存じ上げませんが、種々ご賢察を賜れれば有り難く存じます。

1836アスラン:2007/09/05(水) 23:23:43
独学徒氏
ご家族をご自身を大切に大切にして下さいませ。

1837偶ロム偶ログ:2007/09/05(水) 23:35:18
独歩さんの1834は功罪スレッドで論議してはいかがでしょうか。
また、問答さんというよりも、広くみなさんからの意見をお聞きするのが適当かと。

1838独学徒:2007/09/05(水) 23:35:30

アスランさん、ありがとう御座います。

1839犀角独歩:2007/09/06(木) 00:40:01

偶ロム偶ログさん

功罪スレッドで、ということですが、この問題は、創価学会の、というより、石山、顕正会といった間口の広い話です。むしろ、根本的な責任は、むしろ石山ということになります。

偽物を本物であるいうことはサギ、ペテンの類ですが、この手のものを本物であると信じ込んで勧めた場合、単純にサギ、ペテンの片棒を担いだと言うことではないわけです。

社会心理学で言えば、「代理状態」ということに関連します。
代理状態の主立った心理的な特徴は「責任感の喪失」ということです。(ミルグラム説)

わたしは、本尊検証や、その他の活動を趣味でやってきたわけではありませんから、発言には責任が負うと考えています。言いたい放題言って責任なしという態度は採れません。過去を振り返られないとも言えません。この自己責任を創価学会から、石山を経信徒会員であった自分についても考えてきました。

ご承知のとおり、社会学などでは、現代社会状況を心理主義化と分析され、それぞれ各人の心象を「被害者化」などといわれてきました。

脱会者という自画像は、かつての所属グループから被害を受けた存在であるという認識が典型となります。

このような風潮のなかで、わたしが着目しているのは、加害者としての自分、加害者としての責任という側面です。この意味では、ジャーナリズム的な偶ロム偶ログさんとは見解を異にします。

きゃからばあさんが他で感想を述べていらっしゃいましたが、この加害者であるわれわれから、実際に被害を受けた人々と日々接してくるとき、現役、脱会を問わず、自分を含むこれら人々における“加害者としての責任感”はどうなっているのだろうかと、しばしば疑問を懐かざるを得ないところとなります。

一昨年のことになりますが、小樽問答をオフ会で取り上げたわけですが、この事件の「日蓮正宗創価学会」側は、「本門戒壇の大御本尊」以外は邪宗であり、謗法であるという主張し、他宗への悪口雑言の限りを尽くしたわけです。会員全般もそのように信じていたからこそ、正本堂やら、奉安堂を立てる大きな動機となっていったのでしょう。

つまり、「戒壇本尊」を本物であると信じた共同幻想を取り扱うのに、もっとも適したスレッドはこちらであると、わたしは考えるということです。

もっとも、この内容を取り上げるとき、偽物を本物と騙された自分から、偽物を人に薦めてしまった加害者としての自分と向き合おうという提案ですから、そのような自己分析が希薄な人にとっては興味のないところかも知れません。

仰るとおり、この問題は問答さんお一人に問いかけることではありません。偽本尊を勧めた、加害者としての自分、自己責任と向かい合わないで済ませてよい問題かどうか、皆さんには再考を促したいと思うわけです。

1840問答迷人:2007/09/06(木) 06:26:41

犀角独歩さん

>「本門戒壇の大御本尊」が偽物

1.日蓮聖人が、将来、広宣流布が達成した時に建てる戒壇堂の本尊として、直接認め、彫刻を命じたものではない。
2.日蓮聖人が、出世の本懐として建立したモノではない。
3.後世の日蓮正宗(大石寺門流)が、いわゆる『日禅授与曼荼羅』を元にして、作り上げたもので、日蓮聖人は、その製作過程に直接関わってはいない。
 
「本門戒壇の大御本尊」が偽物とは、まぁ、こんな意味内容で有ろうかと思います。

そして、日蓮正宗、並びに創価学会を初めとする日蓮正宗関連の諸宗教団体が、この「本門戒壇の大御本尊」を根拠として、我田引水し、他宗教を攻撃し、信徒を獲得して来た事は、紛れも無い事実です。

ただ、ここに大きな問題があると思います。それは、宗教がその教義について果たして、社会的責任を負っているのかどうか、という問題です。

「処女懐胎」を喧伝してきたキリスト教、これは現代の科学的判断の上からは、虚偽の教義だと言わざるを得ません。又、法華経が釈尊の金口だとする、日蓮聖人の主張の根幹も、今日の仏教考古学に照らせば、「誤り」ということになり、日蓮聖人の教義の破綻は明らかであると言わざるを得ません。
しかしながら、世間は、日蓮正宗同様、キリスト教、日蓮宗を咎めない上、それなりの存在意義すら認めています。要は、信ずる人の自己責任であるというのが、世間一般の見方ではないでしょうか。

長々と書きましたが、宗教教義は本来、社会的責任を課せられていない、極論ですが、宗教教義自体には社会的責任は本来存在しないと考えます。

無論、これは、道義的責任が無い、ということではありません。

先ず、この、宗教教義に社会的責任が有るかどうかについて詰めてから、次の問題に入りたいと存じます。

1841顕正居士:2007/09/06(木) 09:37:18
問答迷人さんのおっしゃるように宗教上の言説が詐欺罪等に問われることはありません。
健康食品と称して万病が治癒すると宣伝すれば薬事法違反に問われますが、これが
お札であれば問われません。それは宗教上の言説は基本的にフィクションであると
考えられているからで、何人も容易に真実でないことを看破できる言説による金銭の
収受等は詐欺罪を構成しないという判例になっています。詐欺罪を構成するためには
まことしやかさが必要なのです。ただし地獄に落ちる等不快な言説は脅迫罪に該当
する場合があるというのが最近の傾向のようです。まあ、自己責任の世界でありますね。

1842富士川一郎:2007/09/06(木) 11:50:17
問答さん

横レスですが、基督教徒は現代科学とは関係なしに「処女懐胎」を信じております。マリアは神の子を産むに当たり、聖霊により懐胎させられました。
これを何故信じるかは、神の啓示だからです。
基督教は仏教とは違い、因果論にて成り立っていません。神の啓示を善につけ悪につけ全て信じ従う宗教です。
日本に本当の基督教徒がいないと言われるのも、神の啓示を善悪で判断しようとするからだそうです。
神の啓示に善悪も責任も無い。
神と人間の関係は「創造者」と「被造者」の関係であり、そこに善悪など無い。

もちろんこれを支持するものではありませんが、本来啓示宗教とはそのようなものです。
啓示宗教とは社会的な責任はおろか、人類への責任ない教義です。
卵が先か、鶏が先かではありませんが、教義に無答責がうたわれているようなものです。
もしも社会的な責任を認めたら基督教という宗教そのものが無くなるのです。
神は人間に敗北を認めません。

PS。別に私は基督教徒ではありませんよ(笑)。
ただ、仏教徒いや日本人はその意味を理解していない方が多いので、書いてみました。

1843犀角独歩:2007/09/06(木) 16:39:56

問答名人さん

> 宗教…教義…社会的責任を負っているのかどうか、という問題

この点なのですが、原則的には、顕正居士さんが記されるとおりだとは思います。しかし、以下のような事例もあります。

「宗教法人・明覚寺の系列寺院である満願寺の2人の僧は、同教団がやっている“悩みごと相談”で依頼者に悪霊が憑いていると占い、それを祓うためと称して1億円にものぼる謝礼を受け取っていたことがございます。この手口は、新聞折り込みチラシに「3000円で霊視をします」というところから始めていました。自分の身に不幸なことがあれば「3000円ぐらいだったら、ちょっと、頼ってみようかな」となります。しかし、行けば必ず「あなたには悪霊が憑いています」となります。それで1億円を払ってしまった人が出たわけです。
 1996年6月18日、名古屋地裁は、この自称僧侶の両被告に懲役1年2か月と1年(ともに執行猶予3年)の判決を下しました。悩みごと相談を「教団ぐるみの組織的、継続的におこなわれた詐欺行為」と認定したためです。認証を受けた宗教法人の布教活動にはじめて有罪判決が出たものとして注目されました(1996年6月19日、『朝日新聞』朝刊)。詐欺行為に認定について、たとえば東京地方検察庁は法の華三法行を追っかけているわけです。そもそも因縁話をもちかけ、献金しなければ家族に不幸が起こるなどと畏怖させて金銭被害を与える手口は統一協会が先輩格です。山口広先生によれば、全国で400軒、600億円の被害が霊感商法被害弁護団に届けられているとのことでした。」(JDCC第1回公開講座/高橋紳吾)

明覚寺に限らず、もっとも端的な例としては、統一協会を挙げることも出来るでしょう。

ただし、わたしが今回問題にしているのは‘教義が詐欺か’と言うことではありません。

浅見定雄師の言ですが「何を信じているかではなく、何をしているか」です。たとえば、オウム真理教は教義そのものの実否が問題にされたわけではありません。サリン散布に代表される違法性、反社会性に焦点がありました。

先の高橋師の挙げる例でも、教義は詐欺を行うための副次的要素に過ぎません。騙される側は仕掛けに過ぎない教義で操られるわけです。しかし、違法性の判断は、言うまでもなく教義にではなく、教義を用いて何をしたかに争点があるのではないですか。

わたしは、石山本尊の問題も同様の視点で見ているわけです。
不信心者にはただの彫刻板です。信者にとっては、信仰対象でしょう。では、組織にとっては何でしょうか。信者を操る道具ではないでしょうか。

創価学会と大石寺、また、顕正会といった集団と指導者が、この彫刻を本物であると謀って人心を操作し巨万の富を得た、法律で断罪できるか否かは別にして仰るとおり、道義的責任はないのかという視点があります。

しかし、この集団・指導者の罪過を考える前に、わたしはわたし自身のこととして考えたいのです。「個人責任」を問答名人さんと顕正居士さんは騙された側に宛て仰った。わたしが問題にしたいのは、その点ももちろん看過しないものの、さらに実際にその片棒を担がされた“加害者としての自分”という側面です。知らなかったとはいえ・騙されたとはいえ、わたしはその実否をよく確認をしないまま、多くの人に勧めてしまいました。このことにわたしは罪悪感を懐いています。ここで個人的な責任追及することに目的があるのではありません。わたしが懐いてきた加害者としての罪悪感を、ではしかし、他の信念体系下にあった人々は感じないものかという疑問を確認したかったのです。

率直にお尋ねします。問答さんは、“他に嘘を勧めた加害者としての罪悪感”を懐かれてお出でですか。もちろん、懐かなければならないという教誨じみたことをいう気は毛頭ありません。

この問題を、先駆者として、わたしの前に立ち、お考えになってこられた先輩として、その率直なお気持ちをお聴かせいただければ有り難く存じます。

1844問答迷人:2007/09/06(木) 17:28:21

僕は、例の「川辺メモ」を読んだとき、恐らくは、戒壇本尊は偽物に違いない、と思いました。そして、独歩さんの分析を拝見したときに「嗚呼、やっぱりか」と最終的に得心が行きました。
このような経過の中で家内に「戒壇本尊が偽物かもしれない」と話した時、家内は「宗教と言うのはそういうものだよ」と左程驚いた風も無く、ケロリとしていました。僕は、その家内の言葉に愕然としたわけです。

宗教は普通はそういうものでも、日蓮正宗だけは違う、と信じ込んでいましたから、そういう僕を家内は結構醒めた目で見ていたんだな、と感じました。
そして、僕は、日蓮正宗の役員を辞し、更には信徒として寺院に通うことも止めたわけです。

同信だった人たちに、如何に話せばよいか、一番悩んだのは、日蓮正宗の実態を暴くことは良いが、「それでは何を信ずれば良いのだ?」という疑問に答えること無しに実態だけを暴いて信仰を捨てさせる事が是か非か、これに大変悩みました。これについては、今も結論は出ていません。
それ故、僕は「問われたら、知る限りのことは何もかも話そう、問われない場合には、自分から話を切り出すのは止めておこう」こういう方針を立て、これでやってきています。

そして、ご質問の「“他に嘘を勧めた加害者としての罪悪感”」についてですが、これが一番深刻です。
実際に、僕が信仰を勧めた一人に対して、問われて戒壇本尊が偽物で有る事を話しました。彼は、その話を聞くを良しとせず、それから疎遠となってしまいました。問われもしないのに話したことがそれで良かったのかどうか、判断は今も付きませんが、そういう話を聞いたことだけは、彼は忘れはしないでしょう。

日蓮正宗関連の各団体の融和・統一が出来ないものか、という思いで、当掲示板を立ち上げましたが、その当初の目的は、戒壇本尊が偽物であることがはっきりしたて時点で失われ、今は、日蓮正宗から離れて、日蓮聖人の本当の教えは、どうだったのか、それを検証し、啓蒙する役割をこの掲示板が果たすべきであろう、という考えに変わりました。
管理者として掲示板を維持することが、何らかの一定の貢献を為しうるのではなかろうか、そんな思いでおります。
偽物を本物であるかごとくに勧めてしまった者の責任は、何が本物なのかを明らかにすること。これが一つの贖罪であると考えています。そして、何が本物なのかを明らかにすること、これが僕に課せられた重い宿題であると考えてきました。

1845問答迷人:2007/09/06(木) 17:31:46


訂正です

×問われて戒壇本尊が偽物で有る事を話しました
○問われてもいないのに戒壇本尊が偽物で有る事を話しました

1846犀角独歩:2007/09/07(金) 09:07:50

問答さん、ご返答まことに有り難うございます。
関東は昨日からひどい暴風雨です。

7年前、わたしはまだ戒壇本尊が偽物であるとは知りませんでした。過去にも書いたかも知れませんが、両親は熱心で小学校入学までに、わたしを100回も登山させたということでした。一番前の席に座れたとき、あの大きな漆黒の板に刻まれた文字の大漫荼羅がいまもまぶたに浮かびます。しかし、細かい相貌が思い出されるわけではありません。荘厳かつ魂が打ち震えるような感動を子どもながら覚えたことが思い出されるのです。
最後の頃のことであったと思いますが、その大御本尊の前に床から天井に届く防弾ガラスが置かれました。床に接する部分がくり抜かれており、不思議に思っていたところ、「法主上人猊下」が焼香をしたあとの香炉が置かれ、その薫煙が須弥壇にたなびいたことも覚えています。このとき、この彫刻は一点の紛れもなく、わたしどもにとって「本門戒壇の大御本尊」でした。

わたしは昭和30年に東京大田区に生まれたことは過去に記したかと存じます。『人間革命』の舞台である蒲田第一本部の窓からみた近く小学校の校庭が思い出されます。小学校6年で正本堂供養でした。つまり、奉安殿、大化城、大講堂、大客殿と次々と大石寺に建造される新たな建物をその100回の登山でリアルタイムに眺めながら、換言すれば、それら堂宇建立のための「供養」を親がつぎ込み、生活を圧迫されながら、それでも喜びに満ちた学会活動のなかで中学に進みました。あのころ、正本堂は本門事戒壇であると信じて疑いませんでした。ようやく正本堂で御開扉を受けられたのは高校3年のときでした。大噴水に圧倒され、円融閣を見上げ、ふと、振り向くと杉木立の向こうに御影堂の屋根が見えたのを覚えています。意気揚々と入場し、あの1トンもあるブロンド様の大扉が、音もなくゆっくりと開くと、暁を思わせる豪奢な緞帳に閉ざされています。その緞帳が下からゆっくりと上がると、なかは金一色であり、一目で夜明けをイメージして造られたことがわかりました。その黄金の厨子が御開扉されると、ようやくと大御本尊がその姿を現したわけです。

その瞬間、「おや?」と思ったのです。奉安殿のときのように、仰ぎ見るような大きさではなく、5400席からでは、本尊はとても小さく見えました。大きさの違い…、いや、そうではなく、なにか金ぴかでまるで違うものに見えたのです。「そんなことを思う自分は信心がない」、そう疑念を打ち消すことに躍起になったことも覚えています。

そのころ、キリスト教牧師の友人を盛んに“折伏”していました。ある日、森山諭著『創価学会の間違いをただす』をその友人が持参してきました。わたしにとって、はじめて耳にする板本尊偽作論でした。いま振り返ると、この本の底本は安永弁哲著『板本尊偽作論』であり、また日蓮宗宗務院発刊の『創価学会批判』であったことはわかります。それはともかくとして、言葉に詰まったわたしは蒲田にある創価学会が東京オリンピックの年に建立寄進した宝浄寺に出向きました。受付で塔婆書きをしていた僧侶に、この友人との遣り取りを告げたのです。その僧侶はやおら立ち上がると一度、奥に入り、そして1冊の本を携えて戻ってこられた。「ここに書かれていることが本当だから、けっして大御本尊様を疑ってはいけない」、そう言い、手渡してくれたのが『悪書板本尊偽作論を粉砕す』だったのです。恩人としての記憶ですから、敢えてお名前を記すことといたします。佐藤伴道師でした。わたしは、いまでもこの方を終生の恩人であると思っています。しかし、やがて、この方は宗門を去り、離脱僧という汚名を背負い、本日を迎えています。もし、このことがなかったら、いまのような本尊鑑別の道を歩むことはなかったと思います。もちろん、わたしは、所謂「離脱僧」と称される人々と通用をなすことはありません。また、この『悪書板本尊偽作論を粉砕す』を墨守した半生を翻しもしたわけです。しかし、この方がわたしの学恩の仁であることは、我が身の内では何ら変わるところはないわけです。

1847犀角独歩:2007/09/07(金) 09:08:26

―1846からつづく―

前置きが長くなりましたが、以上のような前提を経て、わたしはこちらの掲示板に出会いました。問答さんとの鎬を削る数々の問答はわたしの仏教観を根底から覆しました。

取り分け、そのなかで問答さんが取り沙汰されてお出でであった『河辺メモ』に関しては、ご承知のとおり、当初わたしは懐疑的でした。その後の顛末は既に記してきたとおりです。ここ数カ年は彫刻本尊偽作の急先鋒となりました。その自分にとって、佐藤伴道師に継ぐ、次の学恩の仁は問答さんをおいて、わたしにはありません。

ご質問の趣旨とは違うことを記してしまいましたが、問答さんがお応えのなかで「何が本物なのかを明らかにすること。これが一つの贖罪であると考えています。そして、何が本物なのかを明らかにすること、これが僕に課せられた重い宿題」である仰せになられました。

わたしは、この「贖罪」という点に賛同します。
「被害者化」と言われる世相とは裏腹に、わたしの心を常に占拠しているのは「加害者としての自分」、そして果たすべき責任という2点でした。後者は問答さんのお言葉を借りれば「課せられた重い宿題」に当たるのだろうと思います。

ここ10年余、所謂「カルト問題」を考え、そのグループとリーダーの責任追及を行ってきたわけです。しかしながら、この他者に向けられたことと平行し、自分自身の半生における「加害者としての責任」を等閑にしてよいものかという葛藤が存していました。

これを法華系、もしくは日蓮の教学的態度に強いて当て嵌めるとすると、わたしが標榜することは「其罪畢巳」「転重軽受」ということになります。わたしの愚案は、『開目抄』の影響もさることながら、『佐渡御書』に大きなウエイトがあったことを今さらながら自己分析している昨今です。

「祈りとして叶わざるなし」というキャッチフレーズが横行しますが、日蓮の思惟から考えるとき、「其罪畢巳」「転重軽受」という洞察は、不可欠と思えるのですが、問答さんはご自身に課せられた贖罪と宿題は、この線からお考えになりますか。

1848問答迷人:2007/09/07(金) 10:45:18

犀角独歩さん

>日蓮の思惟から考えるとき、「其罪畢巳」「転重軽受」という洞察は、不可欠

1844で「何が本物なのかを明らかにすること」と述べましたが、ここにしか、自分自身が心から晴れやかになる道は無いと思っています。
それが、「其罪畢巳」に相当するとは思いませんが、その一分に通ずるのでは無いかと思っています。

蓮祖は、あの圧倒的にして壮絶な生き方がなぜ出来たのか。蓮祖が南無妙法蓮華経と自身が唱え、他者に唱えるように勧めた背景。蓮祖の悟りとは何で有ったのか。あのパワーは何処から来るのか。
何が本物なのか、それを突き止めたとき、これらの疑問に対する答えがある程度明確に出来るのではないかと思います。そして、蓮祖が本当に伝えたかったことを今日に一分なりとも伝えることが出来るのではないか、と。
まだまだ分からないことだらけで、道半ばにも達しておらず、如何にも覚束ないですが、もし、何が本物かが把握出来たとしたら、その時点から、それを友に語り、世に問い、その結果、悪口や迫害を受けて、その時初めて、「其罪畢巳」に一歩近づくのではなかろうか、そんな風に考えています。

まぁ、そういうことで、僕の贖罪と宿題は、「其罪畢巳」の前段階、もつと、ずっとずっと手前のことだと思っております。

1849犀角独歩:2007/09/08(土) 07:27:39

問答名人さん

文面から現れる限りで言えば、問答さんのほうが、わたしより、罪責間は弱いのだろうと思えました。

極論すれば、創価学会・顕正会を含む大石寺圏の本尊と教義が、実は日蓮とは無縁であったというのが、こちらでの議論の結論であったわけです。

けれど「蓮祖は、あの圧倒的にして壮絶な生き方がなぜ出来たのか。蓮祖が南無妙法蓮華経と自身が唱え、他者に唱えるように勧めた背景。蓮祖の悟りとは何で有ったのか。あのパワーは何処から来るのか」という真蹟遺文から垣間見られる日蓮の素描は、果てしなく我々に迫ってきます。

この答えを、たぶん、問答さんは「本物探し」の末に発見できると確信されているのでしょうね。重ねてご解答、有り難うございました。

1850波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/09/12(水) 06:27:45
被害者意識とか加害者意識か・・・。
勝手なこと言ってるなぁ・・・。

他宗のぼくらからみたら”すごく勝手”なんだよね。別に煽るわけでもないし、
まして喧嘩売ってるわけじゃアないんで誤解なきよう。

しかしこのスレ読んでいたら無性に腹が立ってきたよ。

1851波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/09/12(水) 06:46:00
お祖師様が好きなのは結構なことだ。

しかし君らは距離感がまるでない。御本尊とか日蓮とかに向き合う時に、
全然距離感がない。ベッタリ!なんだよね。

富士派の人の特徴でもあるんだがね。、このべったり感は。それでいて生活に
全然反映されてない。善行を積むとか、何か人のためにしてあげようとか、
そういうのがぜ〜んぜんないんだよ。

宗教と自分との係り合い方を再度見直したらどうなんだね?

学会員時代の強引なやり方を悔いていて、贖罪の気持ちを持つなら死んだ時、地獄に
背負って持ってってほしい。今から何かしようとしても覆水盆に返らずだよ。

日蓮宗は戦後寺院数が半減し、1万あった寺院が現在は5000加持しかない。
それは元には返らないんだよ。

贖罪の気持ちをヘタに持つなら自分は現世でイッセンダイだったんだ、と観念して、
来世でやり直してくれ。

1852一字三礼:2007/09/12(水) 11:39:00

人間の意識とは非常に・残忍・残酷なもので、社会的に‘非難しても許される’存在を見つけると、その言動には際限がなくなる。

創価学会、日蓮正宗、顕正会などに対しての日蓮宗一門の態度がまさにそうだ。
教義上の、道義的、社会的、さまざまな視点から、一方的な非難をする。

非難はするが、それらの富士門の組織を反面教師として、何かを学んで、自らの宗派を改善していこうとする態度がまるでみられない。

例えば、富士門流は偽書と偽の相伝書を根拠としている、と批判する。
ところが、自分たちは摂受・折伏についての日蓮宗の伝統宗学の誤りを指摘されると、「如説修行抄」のような偽書を論拠とし、感情的な非難に終始する。
本尊の雑乱勧請を指摘されても、「本尊は開会だ」と論拠のないこと主張し、やはり感情的になる。

自らの内省のない他者批判は、一方的な暴力であり、子供の虐めと同じだ。

人の心なんて創価だろうが、日蓮宗だろうが、そんなに違いはない。
日蓮宗の僧侶だって犯罪をする人間は幾らもいる。
賽銭泥棒を追いかけて殴り殺したり、七面山ではお金をごまかしたり、音羽で園児を殺害した女の旦那は、たしか坊主だった。

他者を非難するまえに、考えるべきことがあると思う。

1853波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/09/12(水) 18:19:26
イッセンダイに情けは無用。反面残忍さや残酷さを持つ必要もない。
イッセンダイなんだから反対の意味で、残忍さや残酷さをもつ必要性が
ないからだよ。

おれは富士宮の住民でここで育った。彼らのやってきた行状や言動すべてを
見てきた。俺たち日蓮宗信徒はいつも一方的にやられてきて、いつも常不軽菩薩
だと言われて耐え忍んできた。

しかしおれはもう常不軽菩薩でいるつもりは一切ない。
イッセンダイに常不軽菩薩でいる必要性は全くない。

仏教は慈悲の宗教だがそれはイッセンダイに対して慈悲を説いてはいない。

1854波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/09/12(水) 18:24:02
贖罪だ、なんだ、と言っているなら、あの世に背負って持って行け。
イッセンダイに生まれてしまった現世はそれなりに全うすればよろしい。

地獄の門で日蓮は待っていて法華信者を追い返すと御祖様は言っている。
おれはそれを信じて疑わない。

共に地獄に落ちようぞ。地獄の獄卒の前で白黒はっきりつければよろしい。

1855再挑戦者:2007/09/12(水) 21:09:55
 熱戦の最中、横からお邪魔の虫のネットジャンキ中毒者ですがゴメン下さい。
 そこそこの盛り上がりには少々以上の、?、、過熱感も伝わってきておろまするが、??
 ドーゾ、お気持ちを今一度ほど、お静め戴きたく存知を申しあげますが、、?
 
 時に、波木井さま、誠に何ですが、お隣のスレッドでの「、、携帯型ホログラム3Dの本尊、、云々、、」、、が御座いましたが、?
 此れに関しましての、更なる御詳しいお言葉など、お聞かせ、を、?? 失礼をば致ししました、。

1856波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/09/13(木) 05:52:26
まァ、少し言い過ぎたと思って反省している。

私の場合先祖代々なのでDNAにお題目が刻み込まれている。記憶がある一番
小さい頃、幼稚園に通っていた時すでにお題目を聞いて思わず手を合わせた。
誰にも言われないのに。

前にも書いたが俺は富士宮で育った。かなり創価学会や大石寺には悪い感情がある。
なんたって百条問題に絡んで暴力団まで介入してきて、力ずくで抑えられた経験がある。
犀角独歩氏やその他もろもろの書き込みを読んで、当時俺たちがどんな思いでいたかを
思い出したらたまらなくなったんだよ。

とにかくひどかった。

1857犀角独歩:2007/09/13(木) 07:54:54

1852 一字三礼さん

お書きになった、各集団へのご感想に関しては、わたしも同様に思います。

この「内省」ということが、わたし自体は、加害者意識として言語化されました。また、この自今分析に基づいて、10余年の社会活動への動機ともなりました。

1858犀角独歩:2007/09/13(木) 07:57:06

短い文章なのに打ち間違えてしまいました。

【1857】

誤)自今分析
正)自己分析

1859波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2007/09/18(火) 10:11:05
自らをイッセンダイと悟りその宿業を背負っていくべきだね。

何かにつけて日蓮系の、と批判されるが浄土系やその他の宗教門閥にも
いくらでも原理主義的な立場をとる連中はおるよ。

日蓮宗は丸太だよ。特に俺たち日向門流は。針金宗と言われる富士派とは
俺たちは違うんだ。

1860ラセード:2007/09/19(水) 09:26:35
丸太も角材でも結構。朽ち果てた丸太をホログラムで映し出してもなんでもいいから円実寺を復興しなさい。あんなボロ寺では日蓮も嘆いている。

1861ラセード:2007/09/19(水) 09:57:54
失礼。檀家でも信者でも無い人にそんな事言っても仕方がないか

1862偶ロム偶ログ:2007/12/22(土) 02:23:50
さて、今般、犀角独歩さんがブログに「お板」のかなり鮮明な写真を公開されました。
公開されたものは、解像度を下げてあるとのことですが、それでも、かなりのものの
ようです。
当然、ブログに公開された画像の「編集著作権」は独歩さんにありますから、転載等
する場合には、出典として明記するべきでしょう。
ネット記事を出典とするときの表記のしかたについては、
1・執筆者名
2・記事タイトル
3・記事年月日
4・記事URL
5・ブログ名
は、必ず明示するべきでしょうね。

さて、当該写真についてですが、腰書に金箔が施されているようです。
由比一乗居士が熊田葦城に提供した写真では、霞がかかったような感じで、はっきり
しませんでした。
私が正本堂時代に見ていた「お板」の腰書部分には、金箔は施されていなかったよう
に記憶しています。
金箔は何時施されたと石山はいうのでしょうか。

それからもう一点、今回の画像の「お板」と、かの金原本掲載の「お板」、どこか違う
ような気がするのですが、思い過ごしでしょうか。
金原本掲載の「お板」については、間近で日常的に見ていた僧侶が「違う」と明言され
ましたが、今回の「お板」についてはどう言われるでしょうか。

1863れん:2007/12/22(土) 10:02:22
偶ロム偶ログさん

興門資料刊行会から復刻された松本道本氏著“弘安二年大曼荼羅と日興師”には「日法師が彫刻せられた時は墨漆の御仕揚げであつたが年代を経た為め参詣者には唯だ黒く見受け判明せぬのを慨き石山廿四世日永師の代に腰書以上の御文字へ金箔でおし金装置をせらるたが腰書即ち次に記する『現當二世』云々の記入は初めの墨漆の儘であるから明瞭に拝めない」
とあります。日法師というところは、勿論作られた神話にすぎませんが、石山日永師が彫刻の曼荼羅部分に金箔で金装置したというのは何らかの記録に基づいた記述と思われますね。しかし、日永師時代に金装置した彫刻が現彫刻と同一かどうかは分かりませんが、本書の原書が刊行されたのが昭和五年ですから、その時点の彫刻も“「現當二世」の記入は初めの墨漆の儘”とあり、腰書には金箔を入れてないのは事実の様で、偶ロム偶ログさんの正本堂時代の彫刻に関するご証言を参照しますと、腰書に金箔を入れたのは、比較的近年の事柄に属するということだと思います。

1864偶ロム偶ログ:2007/12/22(土) 14:57:00
れんさん

松本道本氏の資料のご紹介ありがとうございます。
たしかに面白いのは、「石山廿四世日永師の代に腰書以上の御文字へ金箔でおし金装置を
せらるた」という点ですね。
ただ、私もなにげなく「金箔」と書いてしまったのですが、昔、石山の老僧に聞いた話で
は、「金箔ではないよ、金泥だ」とのことでありました。
些細なことですが、気にかかります。

>日永師時代に金装置した彫刻が現彫刻と同一かどうかは分かりませんが

独歩さんのブログ第2弾で見ますと、3体の「お板」は各別のようです。
熊田本は明治時代、独歩さんの画像は平成奉安堂時代、さて、それでは金原本の撮影時期
は何時頃なのでしょうか。
金原本の写真も「大石寺所蔵本門戒壇板曼荼羅」というキャプションがあります(23頁)
から、とにもかくにも、「お板」は最低3体あることが確認できました。

また、今回の独歩さんの画像については、
撮影年月日
撮影者
撮影(画像)データ
が、いずれもはっきりしているそうですので、「お板」の写真としては史上初にして唯一
の、確実な写真、になります。

それにしても、原本と思われるものが、
石山禅師本
北山禅師本
と、2幅あって、模刻が最低3体もある、この事実をどのように表現したらいいでしょう。

石山はオイタが過ぎる、、、おあとかよろしいようで、、、。

1865犀角独歩:2007/12/22(土) 20:28:48

偶ロム偶ログさん

種々ありがとうございます。
わたしの画像と言うより、わたしが提供を受けた画像というのが正しいところです。

これだけ鮮明な写真を見、また、熊田本写真と比較もして見、「南」字ほか、いくつかの違いはあったものの、ほぼ一致したことは、新鮮な驚きと安堵がありました。つまり、大石寺が認めた写真は、考証に耐える範囲であったという意味でです。

腰書きの金箔(金泥)…わたしはラッカーかなにか速乾性の安価な塗料だと類推しますが…については、いかのような富士桜さんの証言がありました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/522

1866マターリ:2007/12/31(月) 15:33:54
ご無沙汰しておりました。

学会の先輩から聞いた話です。・・・正本堂ができる前、奉安殿で御開扉
を受けていたころ、大御本尊様は、木目のくっきりとした木彫だったそう
です。先輩は、前から3列目くらいで拝んでいて、感激したそうです。

しかし、正本堂ができた直後、御開扉を受けたところ、金ピカの御本尊様
だったそうで、とても驚いたとのことです。木彫の御本尊様の方が、威厳
があって良かったと言っていました。

お聞きしたいのは、この金ピカの御本尊様は、奉安殿の御本尊様に金を塗
ったのでしょうか?ということです。また、木彫のままの方が価値がある
と思われるのですが、金の塗装には、保存のため、という他に何か意味が
あるのでしょうか?

1867彰往考来:2007/12/31(月) 22:10:56

「大日蓮」昭和48年2月号に記載の日達上人御指南には、戒壇本尊の衣替について

「この戒壇の御本尊は、先程の正本堂における説法の如く、宗祖大聖人様が身延において本門戒壇の事の御本尊として、弘安二年十月十二日御書写遊ばれた御本尊様でございます。長い間当山に格護しておりましたのでございます。その六百何年の間の御本尊様でございますから、その間に御本尊様の御衣替と申しまして、漆を塗り、中に金箔を入れましたことが再度ございます。
 (中略)
再々宮殿(くでん)並びに御本尊様の御衣替がございまして、享保十五年、日詳上人という方の時にまた修理せられております。今から二百四十二年前のことでございます。それから後、昭和六年大聖人の六百五十年御忌の時にまた金箔を塗り直して衣替を致しました。今回あの大きな正本堂の為に今までの宮殿では小さいので、ここに改めて大きな宮殿となしたのであります。それについて御本尊様に御衣替を願って、漆を塗り金箔を塗ったのでございます」
とあります。
つまり、享保15(1730)年、昭和6(1917)年、昭和47(1972)年の三回金箔を塗ったという説明ですが、金箔は塗れませんので金泥でしょう。
だいたいにおいて御本尊様を御図顕ではなく御書写としている点は、戒壇本尊が後世のものであるというのを認めているような観がありますが、石山(富士大石寺)は日蓮聖人の御真筆本尊でも書写と表現していて図顕と書写の違いが解かっていないようなのでその点はこれ以上議論しません。
日達師の御指南から、明和年間(1764年頃)に作成された戒壇本尊の相貌図である完則図(窪田哲城『日蓮聖人の本懐』所収)は享保15(1730)年の御衣替の後ということになります。
完則図は、慶長5(1600)年頃の「当家門流継図之事」に記載の戒壇本尊と相貌、寸法とも異なることから、戒壇本尊は寛永8(1631)年の大石寺諸堂焼失の際に焼失し再造されたのではないかという私の仮説を「本門戒壇の大御本尊様の偽作論について」のスレッド1347〜1350(2005.9.12)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/1347-1350

ですでに紹介しました。この仮説と併せますと、享保15(1730)年の衣替とは実は戒壇本尊の再造ではなかったかという仮説が導かれます。
またスレッド1350でも触れましたが、正本堂にあった戒壇本尊は昭和40年代にできたレプリカという説があります。そうであるなら上記昭和47(1972)年の衣替も実は再造ではないかということになります。
明治44(1911)年の熊田本記載戒壇本尊写真の相貌と完則図も異なりますので、享保15(1730)年から明治44(1911)年までの間にも再造があったと考えられます。
金原本の戒壇本尊写真は出処不明ですが正本堂時代(昭和47年〜平成2年ごろ)のもののようで、今回犀角独歩さんが公開された写真は奉安堂のようですからスレッド522の富士桜さんの証言
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/522

のように平成13(2001)年ごろに戒壇本尊の御衣替か再造があれば、金原本写真との相貌違いは説明できると思います。

彰往考来

1868マターリ:2008/01/01(火) 08:23:34
>彰往考来さん、レスありがとうございます。詳しくご説明いただき納得
致しました。レプリカの可能性が高いようですね。

何百年も前の木彫物に加工を施したり、長い距離を移動したりすると、
破損したりする可能性が出てきますので、十分に考えられることだと思い
ます。

先輩の話ですと、正本堂の御本尊様と奉安殿の御本尊様とは、何となく雰
囲気が違っていたということでした。

1869偶ロム偶ログ:2008/01/02(水) 07:12:21
板の黒いのは漆ということですが、「衣替」はもとの漆を本体を損傷しないように剥がしてから
塗り直すのが本来のやり方です。
さらに、木目もわからないくらいに塗り重ねているとしたら、大変な作業です。
これまで、数ヶ月もの間、御開扉がなかったことはあったでしょうか?

1870彰往考来:2008/01/02(水) 15:22:05

平成13(2001)年の戒壇本尊の御衣替(お色直し?)は再造(新造)であった可能性があります。あくまで私の推測ですがその推定理由は3点です。1点目は御衣替の場合は塗り直しですから時間がかかるという点です。漆の剥がし・再塗装・乾燥、金泥の塗装・乾燥などで一箇月以上はかかり、さらに搬出、搬入にも時間がかかります。その間は大御本尊様が不在となるということです。もし再造であれば奉安堂で要する日数は入れ替えの1〜数日だけで済むというわけです。

スレッド1869で偶ロム偶ログさんがご指摘されているように、

> 衣替」はもとの漆を本体を損傷しないように剥がしてから塗り直す

のは大変な作業で、新たに板本尊を造ったほうが早くて安いでしょうね。これが2点目の推定理由です。

3点目の推定理由は昭和47年のレプリカ(があるとすればですが)は創価学会御用達の赤沢朝陽製でしょうから、石山(富士大石寺)で創価学会色を嫌い赤沢朝陽ではない仏師による板本尊に換えたのではないかというものです。
昭和53年10月3日付けの「院達」で、「創価学会の板御本尊に関しては一切議論を禁止する」との日達師の厳命に反して、
阿部日顕師は、平成3年11月28日付の「創価学会破門通告書」の中で、
「池田氏は、過去にも、あろうことか何体もの板御本尊を、勝手に模刻するという大罪を犯しております。」
http://checkd.at.infoseek.co.jp/hamontukoku.htm

と記しています。
これにより模刻事件の議論が再燃したわけです。もっとも平成5(1993)年9月15日付けの聖教新聞の「自由座談会」によれば、
「日顕は、今回の問題が起きた直後の平成3年1月6日の本山での会合で、この謹刻問題を学会攻撃のために使っていいという指示を出しています」
という指摘もあります。
http://ranhou.hp.infoseek.co.jp/mokoku.htm

1871彰往考来:2008/01/02(水) 15:23:08

スレッド1870の続きです。

平成4(1992)年4月1日付け『大白法 第360号』に菅野慈雲師の「御本尊模刻の大謗法」が掲載されます。(これは平成5(1993)年の『大日蓮 11月号』に再録されます)
http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/shuki.htm
平成4(1992)年8月28日の全国教師講習会で阿部日顕師から「とにかく池田大作の説明は、大聖人様を無視し、御本尊を蔑ろにし、法を破っておるわけです。やはり、このようなところから本尊の模刻があったともいえるわけです」
http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/goroku17.html

との一連の議論に対する反論として赤沢朝陽会長の赤沢猛氏が平成5(1993)年9月30日付けの聖教新聞の「自由座談会」に出席し
http://nonakashin.hp.infoseek.co.jp/mokoku2.htm
証言されています。

平成9(1997)年8月28日の教師講習会で、「模刻本尊七体のうち、五体の模刻本尊の「ほぞ」に、彫刻した年月日と彫刻師の名前が刻まれていました。これは、本体の板に彫刻が終わった段階で刻字するもので、そのあとで漆と金箔の工程に回します。そのうち、「賞本門事戒壇正本堂建立昭和四十九年一月二日」という模刻本尊のほぞに「昭和四十九年四月 朝陽」とハッキリと刻まれています。
池田大作が、最初に「学会本部の御本尊を板御本尊にしたい」と願い出てきたのは、昭和49年の9月です。しかし実は、その5ヶ月以上も前の同年4月には、すでに無許可で模刻本尊の彫刻を終えていた」と指摘します。
これに対して赤沢朝陽会長の赤沢猛氏は平成9(1997)年10月17日付けの聖教新聞の「自由座談会」に出席し、元・日蓮正宗御用達の仏師と紹介されていて模刻事件について創価学会よりの証言をされています。詳細は下記HPを参照ください。
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_3.html
http://ranhou.hp.infoseek.co.jp/mokoku.htm

このような赤沢朝陽をめぐる事情が働いた可能性があるのではないでしょうか。平成9年末に赤沢朝陽の赤沢猛氏が聖教新聞に再登場し、日蓮正宗宗内外に赤沢朝陽が創価学会御用達であることが明確になったので赤沢朝陽製である戒壇本尊を赤沢朝陽以外の日蓮正宗御用達の仏師のものに差替える必要が生じたのではないかということです。平成10〜12年ごろその決定がなされ、納入されたのが平成13年ということであれば辻褄はあいます。

1872彰往考来:2008/01/02(水) 15:23:57

スレッド1871の続きです。

美濃周人氏は「日蓮正宗としては、池田大作氏の「ニセ本尊」事件(引用者注:本尊模刻事件)を、何らかの理由で、不問にせざるをえなかった。が次のように考えると、この謎は解ける。池田大作氏はわかっているだけで八体のニセ本尊を作ったが、一方で、ニセの戒壇の大御本尊まで作ってしまったのだ」(『日蓮正宗・創価学会50の謎』1994年、三一書房、125頁)と推定されていますが、話は逆でレプリカの戒壇本尊を作成した後、同じ赤沢朝陽で八体の模刻を実施したのだと考えます。同書で美濃氏は「さらにS・H氏は、その証人(引用者注:正本堂にあった戒壇本尊が戦後できたものであるという証人)として、創価学会おかかえの仏具屋であるA・Cで働いていた、一人の彫刻師の名前をあげた。その彫刻師というのはその「ソックリさん」を彫刻した人物だという。S・H氏の証言によれば、「その彫刻師は、ニセ本尊を刻むと発狂すると本気で信じ、それで悩んでいた」という」(『日蓮正宗・創価学会50の謎』118頁)と紹介していますがどこまで信憑性があるかは不明です。ただここでいう「仏具屋であるA・C」が赤沢朝陽を指すことは間違いないでしょう。

こう考えると一つの疑問が湧きます。そうであるなら赤沢朝陽は戒壇本尊のソックリさんを造れるはずで、なぜそれを創価学会が『正本尊』にしないのか?という点です。
私見ですが、戒壇本尊の制作歴史を紐解けば戒壇本尊などニセモノでとても『正本尊』に値するものではないと判断したのか、将来、日蓮正宗と創価学会が和解する時があった場合、そのようなものがあってはマズイと考えたのか、色々考えることはできますがすべて藪の中です。

昭和53年10月3日付けの「院達」で日達師から「創価学会の板御本尊に関しては一切議論を禁止する」と議論を封じられました。私は今でも日達師の御本尊を拝んでいます。よって今日まで模刻本尊の議論をせず、当時の関連資料も大半は処分してしまった状態ですが今、模刻事件を含め戒壇本尊とは、板本尊とは何なのかを改めて問い直す必要がありそうです。

彰往考来

1873犀角独歩:2008/01/02(水) 18:31:46

彰往考来さん

本年もよろしくお願い申し上げます。
いくつか、質問並びに所感を記させていただきます。

(1)金原本写真は正本堂?

この点は、どのような根拠に基づいてのことでしょうか。
差し支えなければお応えください。

(2)戒壇本尊が「書写」は編集の瑕疵

「戒壇本尊を書写した」という日達さんの発言を、彰往考来さんは追及されませんでした。
たぶん、日達さんは、たしかにこう発言したのでしょう。しかし、これは本来、「図顕」とすべきところを言い間違えたのだと思います。編集に携わってきた立場からいえば、こんな言い間違いはよくあることで、しかし、編集者は、これを訂正するのが仕事です。この手の編集は宗務院教学部が携わるわけですから、編集した者の怠慢、もしくは能力不足というのが至当な判断であろうかと存じます。

(3)辻氏の二枚舌

こちらの掲示板では、揶揄・侮辱発言は厳禁ですが、アップされた辻さんと赤沢朝陽の座談会は噴飯物です。辻さんは二枚舌と批判せざるを得ません。

創価学会発行の『特別学習会テキスト』で辻さんは「不用意にご謹刻申し上げた御本尊については、重ねて猊下のご指南をうけ、奉安殿にご奉納申し上げました。今後、御本尊に関しては、こうしたことも含めて、お取り扱い、手続きなどは、宗風を重んじ、一段と厳格に臨んでまいりたいと思います。」(P57)
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/tuji_honzonmokokushogen.pdf
これを要するに「罪をかぶってやった」的な発言をしていますが、これは問題のすり替えでしょう。このとき、問題になったのは、本尊模刻は表に出した糾弾で、この模刻した板本尊に「池田大作」のサインを彫り込んだことが大ごとだったわけでしょう。この点を論及にしなかったのは、石山の監督不行き届け逃れと、せめてもの寛恕だったのではないでしょうか。

もちろん、今回の彰往考来さんのご投稿は学会を庇い立てするようなケチなものでなことを十分承知していますが、単に『聖教新聞』の辻・赤沢発言という一方的なプロパガンダを載せるだけでは、真相が迂ってしまうと思うので、補足させていただきました。

また、昭和50年代のことですが、わたしが信濃町の銀舞会館を訪れたとき、そこの仏壇に安置されていたのは正本堂建立時に大量頒布され、また、創価学会が水増し偽造してばらまいたと騒ぎになった特別御形木本尊の板本尊でした。こうした例は、ほかでも確認されているのであって、実際のところ、模刻本尊は8体どころではなかったというのが真相でしょう。

創価学会が一方的に作文した歴史は、事実と付き合わせて紹介しないと、言いたい放題にねじ曲げられたままになります。そのままでの使用は危険と考えます。

1874犀角独歩:2008/01/02(水) 18:32:46

―1873からつづく―

(4)池田さんの思い、「彫刻本尊が偽物だから、板本尊ぐらい作っても」では?

池田さんが本尊模刻にお手軽に手を染め、かつ、自分の署名まで彫り込ませたのは、正本堂建立時の修繕で、この彫刻が偽物であることを確信したからではないかと、わたしは考えています。この点は、他で述べましたので、ここではこれまでとします。

(5)化粧直しは半年はかかる

彰往考来さんは「漆の剥がし・再塗装・乾燥、金泥の塗装・乾燥などで一箇月以上」とかなり短く見積もっていらっしゃいますが、偶ロム偶ログさんが仰るように「数カ月」はかかるのではないでしょうか。

ところが、こんなに長い時間、御開扉が途絶えたことはなかったように記憶します。この意味で、彰往考来さんのレプリカ再造説には大いに賛同します。

なお、平成2年、わたしは創価学会から末寺に移ったのですが、その頃、本堂の日達さんの板本尊に手が加えられました。
ある日、参詣すると本堂に入れませんでした。入口から中を覗くと、板本尊は厨子から出され、畳に寝かされ作業服を着た人が何か作業をしていました。たしか、次の日には本堂に入れたと記憶しています。

なにに手を加えたかというと、左端にある授与書「願主 法華講総講頭 創価学会々長 池田大作」の彫りを何かで埋めて、表面をならしたうえで黒く塗り消していました。
板本尊は漆・金箔でできていることになっていますが、これをもし漆喰などで埋め、漆をかけたとしたら1日で作業が終わるはずはありません。速乾性のパテと、速乾性のラッカーか何かで安い修繕をしたのでしょう。

「創価学会は日寛上人の御本尊の授与書きを消した。本尊の改竄だ」と大騒ぎしていた時期でしたから、内心、「いいんだろうか?」と、そちらのことのほうが気になったものでした。しかし、いま、考えると、ずいぶんといい加減なことをするものだと改めて呆れます。

以上、(1)のみ質問です。お応えを頂戴できれば有り難く存じます。

1875犀角独歩:2008/01/02(水) 18:35:13

1873のリンクは、直接、ジャンプしません。
アドレスバーにコピペしてください。

1876彰往考来:2008/01/02(水) 21:04:51
犀角独歩さん

1873の(1)のご質問に対する答えは、ここで公開するにははばかれる内容がありますので、追って貴殿にメールいたします。但し聞いた話が多いので確証はありませんよって

>正本堂時代(昭和47年〜平成2年ごろ)のもののよう

という表現で断定はしていません。

>今回の彰往考来さんのご投稿は学会を庇い立てするようなケチなものでな(い)ことを十分承知していますが

ご理解を賜りありがとうございます。双方の言い分を冷静に分析したいと思っています。その意味で宗門側の資料も引用しています。
この掲示板では特定団体の代弁であればひんしゅくをかうのも十分理解しています。もちろん学会の代弁をするつもりはありません。
日達師からは本件の議論を止められていましたが模刻事件から30年、このあたりで冷静に分析しないと、あの激動の時代を生きた自分が何だったのかわからなくなるなあという思いからでした。
従来のけんか腰の議論ではなく、全く違う視点から検証できればと思っていますがなかなか難しいことです。思いつくままに投稿したいと存じます。

ついでに2つ。1873はやはり開けませんでした。
また銀舞会館とありますが初耳です。金舞会館ではありませんか?

1877犀角独歩:2008/01/02(水) 22:37:08

彰往考来さん

> 日達師からは本件の議論を止められていました

こんなことは、まるで関係ありませんよね。日達さんが止めようが、創価学会が出版許可が出ないとか、そんな組織のご都合に合わす理由は何もありません。
ただ、事実を時事として素描するばかりです。
わたし個人としては、彫刻本尊の複造や、模刻問題といった話は、どっちもどっち、両方悪いだろうという思いがまずあります。

前にも記しましたが、戸田さんも、池田さんも、彫刻や、肉牙など、当初から偽物であると知っていた、もちろん、宗門は知っていた、しかし、「金のなる木」であれば、本物であると今日まで言い通してきた「同じ穴の狢」だろうというのが途中経過の結論です。

> 従来のけんか腰の議論ではなく、全く違う視点から検証

ええ、もちろん。こんなただの彫刻のこと、また、創価学会の板本尊にしても、これまた只の板です。けんか腰になる必要もないことですね。
両宗教団体のやり口が明確になれば、これら団体に騙される人は減らすことができます。

> 1873はやはり開けませんでした。

すみません。コピーして、アドレスバーに張ってみてください。

> 金舞会館ではありませんか?

いえ、銀舞会館だったと記憶します。
当時、副会長指導というのがあって、その順番待ちが銀舞会館でした。そこで唱題しながら待たされたとき、「金じゃなくて、銀か」とぼんやり考えていた記憶があります。

ただし、たぶん、金舞会館にも同じように板本尊があったのではないかと想像します。あながち外れていないでしょうね。

1878そううそ:2008/01/04(金) 07:10:53
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。

ttp://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/tuji_honzonmokokushogen.pdf
上記のリンクはIEでないと開けない(?)ようです。

(個人的にはIE以外でも閲覧できると嬉しいです。)

1879彰往考来:2008/01/04(金) 09:51:58

>1878 そううそ さん

貴殿記載のアドレスをコピペし、頭にhを加えるとなぜか開けました。ありがとうございました。

1880彰往考来:2008/01/04(金) 09:56:19

犀角独歩さん

>1873 本尊模刻は表に出した糾弾で、この模刻した板本尊に「池田大作」のサインを彫り込んだことが大ごとだった

なるほど。こういうことであるなら理解できます。

1881犀角独歩:2008/01/04(金) 13:12:53

そううそさん

ご指摘有り難うございました。あいにく、マックは所有していないので、動作確認はしていませんでした。


彰往考来さん

ええ、そうなのです。わたしもこの点は全く知らなかったのですが、東京で在勤し、静岡寺院に移ったとある石山僧侶から聞きました。「御宝蔵で見ました。恐ろしいことです」という短い言葉がいまも耳朶に残っています。ただし、これを撮影した写真の流出はいまのところ聞いていません。情報の提供を望むところです。

なおまた、当時、正信会が本尊模刻について糾弾したのは、無許可制作といった点では、宗規「法主の権限なくして本尊を書写し、または日号を授与した者は擯斥に処する」といった1項を根拠にしたわけでした。しかしながら、模刻が書写に当たるかと言えば、これは違うことになります。まあ、許可を受けていないという点に焦点があったわけです。
この点については昭和53年8月号『大日蓮』で日達さんの言として「学会の方で板御本尊に直した所があります。それを私(日達)が知らなかった」と明言したことを石山宗内僧俗が広く知って反池田・学会運動へと発展していったわけでした。これが学会に言わせれば、日達さんの‘物忘れ’でそれをかぶってやったのが「池田先生、創価学会」という論調ですが、この学会の言い分を石山中枢とは話した経験のある人であれば、絶対に信用しません。

その理由は、大石寺は、創価学会を低く評価しており、絶対にしないと決めていたことが一つあるからです。それはなにか、板本尊の下付です。わたしは複数の僧侶から「創価学会なんかに板御本尊は下付しない」と吐き捨てるように聞いた者でした。
善意的な発言では「板御本尊は寺院に、学会会館には紙幅を」というのが、一つの決め事となっていたわけです。つまり、寺院は板・会館は紙で僧俗の差別化を図っていたということです。

ですから、創価学会に板本尊を許可することなどあるはずはなかったのです。

1882犀角独歩:2008/01/04(金) 13:13:22

―1882からつづく―

では、池田さんが日達さんに板に直すことを申し出たことがなかったかというと、わたしはあったと思います。また、日達さんも「いいですよ」と返事したのも事実だと思います。しかし、この日達さんは‘生返事’。あとで、申請をしてきた段階で種々理屈をこねて認めなければいいという思いがあったのではないかと想像します。ところが創価学会のほうは、たとえ、口約束とはいえ、会長と法主の交わしたことである、だから制作したというのが真相ではないでしょうか。

しかし、俗は紙といいながら、実際のところ、歴代法華の壇信徒で板本尊を家に安置しているところはあるわけで、だいたい、妙観講本部は板本尊が安置されました。それなのに「正本堂建立の功労者・創価学会」には、これを認めない。池田さんが板本尊模刻に執着を見せた理由はここにあったのではないでしょうか。いっぽう、日達さんと坊さんらも意地になっていた、「誰が創価学会なんかに板本尊など下付してやるものか」と。

正本堂以降、宗創の対立はすぐに深まりました。日達さんの池田さん嫌いに箝口令が布かれていたのは創価学会だけです。いっぽう、学会は宗門を冠婚葬祭だけをやる典礼部門として配下に置く、準備が着々と進めていた。指導は「池田先生」で、実質、会員の尊敬は池田さんに重点があったわけです。このことをもちろん、宗門は苦々しく思っていたわけです。

創価学会は否定しますが、当時、「会長本仏論」、より具体的には「池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わり」という池田本仏論はまことしやかに会員に浸透し続けていました。大石寺より学会という論調の基礎となっていったのは、まさにこの池田本仏論であったと大石寺は睨みはじめた時期でした。

口約束を縦にした学会の板本尊の制作。しかし、ここで池田さんは、もうひとつ、坊さん方を怒らせる決定的なパフォーマンスをやって見せたわけです。坊さんが導師となってやるべき、板本尊のお披露目を池田さん本人がやってしまったわけです。

石山化儀からの話です。赤沢朝陽といった仏師職人が制作した板彫刻は、この段階ではまだ彫刻です。この彫刻を、その脇書きに指定された場所に安置し、はじめて本尊となるために「入仏開眼法要」を営むことは石山不動の大鉄則です。
これを石山に依頼することもなく、池田さんが勝手にやってしまったわけです。
これは紙幅から板を造立する以上の大問題です。しかし、石山化儀など、さして重視しない創価学会にとって、このどこが問題なのか理解できなかった、いや、理解したうえで敢えて無視したのか、ともかく、ここに自分たちの占有権を侵犯された坊さん達の堪忍袋は対に切れることになったのでしょう。
模刻するだけならばまだいい、入仏開眼法要という教師僧侶、いや、学会本部でのこと、「法主上人猊下」しか執行できない化儀を、池田さんがやった。

天皇の玉座に総理大臣が座り、詔を下すようなことをやったということです。
まあ、これは石山・坊さんならば怒るだろう、いっぽう、学会ならば、「何でだ」という温度差があることが、今のいままで語られることなく来てしまった観があります。いまとなっては、「覆水盆に返らず」ということです。

彫刻と関連していくだろう、話題として彰往考来さんがご発言くださったので、わたしも少し記させていただきました。

1883犀角独歩:2008/01/04(金) 13:18:20


【1882の訂正】

誤)―1882からつづく―
正)―1881からつづく―

誤)壇信徒
正)檀信徒

1884犀角独歩:2008/01/04(金) 18:06:30

上記、1881-1882については、…題名の付け方等においては大いに問題があると考えますが、いまは資料名なので、その点については言及しないこととします…「池田大作悪業全書(その1)『池田大作の大謗法』―本尊模刻と名聞妙利の実態に、本尊模刻についてはP4〜8から、池田本仏論についてはP11〜12までに宗門側からの視点で記されていました。

ここで本尊模刻の原因については「池田本仏論」が取り沙汰されています。
もちろん、これは石山宗門側から視点ですが、創価学会のアナウンスは、どうもこうし、わたしが当時、学会員として感じたことまでも、まるでなかったように書かれる点で恣意的だと思えます。

本尊模刻
ttp://www.geocities.jp/saikakudoppo02/data/honzonmokoku.pdf
池田本仏論
ttp://www.geocities.jp/saikakudoppo02/data/ikedahonbuturon.pdf
(h を補ってアドレスバーにコピペしてください)

1885彰往考来:2008/01/05(土) 09:36:37

犀角独歩さん

>1881 「板御本尊は寺院に、学会会館には紙幅を」

そうですね。これは理解できます。私が以前住んでいた場所に正宗寺院があります。寺院といっても○○院といって寺号がついていないので出張所でしょうか。
ここはもちろん日蓮正宗の僧侶が在勤しお講、御本尊授与を含め通常の寺院と同じ扱いでありました。
しかし、ここは板本尊ではなく紙幅でした。当時寺と院ではこれほど差があるものなのかと感じさせられたものです。
そうであるなら会館に紙幅はあたりまえであったのでしょう。

1886犀角独歩:2008/01/05(土) 11:31:11

彰往考来さん

今回は、せっかくの複造説のご推論の話の腰を折って、模刻問題にばかり拘った形になり、恐縮です。

本筋のほうですが、昨年末、ブログでやや検証をしてみましたが、サンプルになっている彫刻写真3枚を比較すると、どうも同じものであるとは考えづらい気がします。

わたしは年代順に並べたとき、熊田本写真と金原本写真が同一の物、今回提供写真は別の物と推論を立てて、図を比較したのですが、いまのところ、この当て推量とは裏腹に、全体のレイアウトとしては、熊田本写真と提供写真、金原本写真が違うもの、しかし、「南」字の特徴から見れば、当て推量どおりといったところでした。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51202191.html

もし、複造されているとしたら、このサンプル全てが違うものである可能性まであるわけで、また、完全なレプリカが牧口記念講堂に入るはずだった…本当??…などというまことしやかな話まであります。

現在では三次元スキャンや、立体印刷は既に実用化されているわけですから、表面ばかりを漆塗・金箔‘のよう’に見せれば、かなり短時間でレプリカは制作が可能な時代になっていますね。

オウム真理教のサティアンにあったシバ大神像が発泡スチロール性であったことは夙に有名な話です。

再造、複造に関するご賢察をさらにお伺いしたいと存じます。

1887彰往考来:2008/01/06(日) 15:51:56

日蓮正宗千葉県檀徒会発行の『県報 地湧之友 第14号』(昭和54年5月1日、9頁)に面白い記事が載っています。信憑性はわかりませんが興味深いので、その箇所を全文紹介します。

「ミニ正本堂
善行寺檀徒 ○○ ○○

昭和五十三年二月十六日、学会本部広宣会館にて千葉の日を(学会は二月十六日を千葉の日としている)記念して大B幹部代表による勤行会が行われた。最初秋谷副会長を中心に、中山関東長、大竹県長、高沢県本部長出席の下で進行していたが、突然池田会長が北条理事長はじめ側近の大幹部を率いてあらわれた。
秋谷副会長等の話に、会長がチャチを入れるため式次第も何もなくなり、ただ笑いの中で終了。会長からということで御本尊様にそなえてあった柿がくばられ、その後に学会本部職員から「今日は、会長先生の特別のおはからいで、めったにお見せしないのですが、特別壮年部だけに『ミニ正本堂』を見学させて下さるということです。今回は婦人部の方は御遠慮下さい。壮年部の方は私語を謹しみ静粛について来て下さい」との注意のあと各圏別に並びました。何階であったか記憶は確かではありませんが広宣会館の上の階であったと思います。階段を上ってすぐの部屋で中に入る時は、五、六人づつにくぎられて入りました。題目三唱のあと部屋を見まわしました。先ず仏壇は黒丹の造りつけで、中は約1間半位の所三段ほど段になっており、その上に板御本尊が御安置されていました。御本尊様はお寺の御本尊様よりだいぶ小さめでした。その前は柵でかこってあり、その横に板で作った立札の告示がありました。
その内容は読み取れませんでしたが、右側に告とあり、終わりに創価学会本部、○月吉日とありました。部屋は襖でしきられており、つぎの間の広さ等はわかりませんが御本尊様安置の部屋の広さは、仏壇のある方は中は約四、五間で脇は三、四間位であったと思う、天井は低く窓は一つもない為か密室の感がありました。部屋に入ってからの職員と思われる幹部の話は『大石寺の御本尊様に、もしもの事があった場合、創価学会は、この御本尊様でやっていきます。この事については他言をしないように、又家族にも奥さんにも言わないように』といわれました。私は不信(引用者注: “不信”は“不審”の間違いと思うのですが原文のママ)に思い、もしもの事があってたまるかと思いましたが、妙信講の事も聞いておりましたので、色々御宗門と協議されての内々の事だろうと受け止めて帰ってまいりましたが、どうもすっきりしないので妻にだけは話しをしました。そんなバカなと妻も私と同意見でしたが、私達にはわからない事が沢山あるのだろうと、今考えると大変はずかしい事ですが、そのまゝになってしまいました。現在御宗門との色々ないきさつを知り善行寺檀徒となりまして学会の方向性を考えた時、その答は『ミニ正本堂』〃(引用者注:“〃”は“で”の誤植と思われます)大石寺の大御本尊様にもしもの事があった場合、創価学会は、この御本尊様でやっていくと言われた事が思い出された次第でございます。学会を脱会した今日ではそれを詳しく調べるすべがありません。何卒御宗門に於かれまして調べて頂けましたら幸いと存じます。」

1888彰往考来:2008/01/06(日) 15:52:44

スレッド1887の続きです。

さて、この善行寺檀徒の○○さん(原文は本名が記載されていますがここでは伏せました)はどんな板本尊を見たのでしょうか?
疑問を解く鍵は下記4点でしょう。
(1)『ミニ正本堂』?といわれるところにあった
(2)広宣会館の上の階にあった
(3)お寺の御本尊様よりだいぶ小さめ
(4)大石寺の御本尊様に、もしもの事があった場合、創価学会は、この御本尊様でやっていくと言っていた

昭和53年2月の時点で板本尊であったことから、創価学会が当時模刻したとされる八体の板本尊のうちのどれかではないかというのがまず考えられることですが、ここでの検証は公表された八体以外の板本尊であったかどうかがポイントです。創価学会が当時模刻したとされる八体の板本尊について調査しても今更目新しいことはありません。
ひとつの可能性は(1)と(4)の証言から、ひょっとしたら昭和47年の赤沢朝揚製戒壇本尊(があればの話ですが)の複製ではないか、つまり戒壇本尊のレプリカではないかという疑問が生じます。但し(3)の証言から、戒壇本尊とは同寸ではないということが解かります。

検証してみましょう。
創価学会が当時模刻したとされる八体の板本尊は以下のものです。善行寺檀徒の○○さんの見た板本尊はこの中にあるのでしょうか?
①学会本部安置昭和26年5月19日大法弘通慈折弘宣流布大願成就:64世日昇上人
②関西本部安置昭和30年12月13日:64世日昇上人
③ヨーロッパ本部安置昭和39年12月13日:66世日達上人
④創価学会文化会館安置昭和42年6月15日:66世日達上人
⑤学会本部会長室安置昭和42年5月1日:66世日達上人
⑥アメリカ本部安置昭和43年6月29日:66世日達上人
⑦賞本門事戒壇正本堂建立昭和49年1月2日:66世日達上人
⑧池田大作氏授与の御守本尊昭和26年5月3日:64世日昇上人

この中から①(学会本部安置大法弘通慈折弘宣流布大願成就本尊)は大石寺に没収されずに学会に残った御本尊で、当時から広く紹介されていますので今回は該当しません。
②,③,⑤,⑥は場所が異なりますのでこれも該当しません。⑧はインターネット資料:百禍繚乱 第三項 本尊模刻事件の真実
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_3.html
で、大きさがたて33.6cmとあり、小さすぎますのでこれも該当しないでしょう。
そうすると消去法で④,⑦が該当する可能性があるということになります。

1889彰往考来:2008/01/06(日) 15:54:10

スレッド1888の続きです。

インターネット資料:百禍繚乱 第三項 本尊模刻事件の真実
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_3.html
 
には、大石寺に没収された七体の模刻本尊の概観写真が掲載されています。不鮮明でかつ少し斜めからの写真ですが無理を承知で各御本尊の大きさを算出してみましょう。上記②から⑧が右から順に並んでいるという仮定です。一番左端が特に小さいので明らかに⑧(池田大作氏授与の御守本尊)です。プリントアウトした紙の上の各御本尊の寸法を定規で測り、⑧の寸法を33.6cmとしてその比から求めればよいということになります。
結果は写真では①がありませんので②からですが、
② 120cm ③ 150cm ④ 115cm ⑤ 110cm ⑥ 105cm ⑦ 55cm ⑧ 33.6cm
となりました。「御本尊様はお寺の御本尊様よりだいぶ小さめ」との証言から③以外が該当し、うち⑦はかなり小さいという結果です。但しこれは②〜⑧が上記順にならんでいると仮定しての結果です。個人的には55cmのものは、⑤の学会本部会長室安置本尊ではないかと思いますがわかりません。

インターネット資料:暁闇 断簡十七 錫杖の音
http://www.heianbooks.jp/zenbun/gyouan/017.html

には、「創価文化会館内・広宣会館の御本尊(細井管長書写)」とありますので④が広宣会館にあったことがわかります。「広宣会館の上の階にあった」との証言に一応合致するわけです。但し善行寺檀徒の○○さんは広宣会館の本尊という表現ではなく広宣会館の上の階にあったとしています。よって④が該当するとは言い切れないということです。
『継命』(昭和55年9月15日号)には、⑦(『賞本門事戒壇正本堂建立本尊』)の板本尊が文化会館の七階座しき(引用者注:座敷)に安置してある旨の記載があります。広宣会館は創価文化会館内ということなので、この板本尊も該当することになるでしょう。
そうすると、⑦(『賞本門事戒壇正本堂建立本尊』)が有力ということになります。「『ミニ正本堂』?といわれるところにあった」という善行寺檀徒の○○さんの証言からはどうも⑦であった可能性が高いようです。「題目三唱のあと部屋を見まわしました。先ず仏壇は黒丹の造りつけで、中は約1間半位の所三段ほど段になっており、その上に板御本尊が御安置されていました。御本尊様はお寺の御本尊様よりだいぶ小さめでした。その前は柵でかこってあり、その横に板で作った立札の告示がありました。
その内容は読み取れませんでしたが、右側に告とあり、終わりに創価学会本部、○月吉日とありました。部屋は襖でしきられており、つぎの間の広さ等はわかりませんが御本尊様安置の部屋の広さは、仏壇のある方は中は約四、五間で脇は三、四間位であったと思う、天井は低く窓は一つもない為か密室の感がありました」との件は「七階座しきに安置してある」という表現とも矛盾ありません。

1890彰往考来:2008/01/06(日) 15:54:54

スレッド1889の続きです。

以上の結果をまとめると、善行寺檀徒の○○さんが見たという板本尊が該当すると思われる板本尊は確実ではありませんが公表された八体の中に見当たり、⑦の『賞本門事戒壇正本堂建立本尊』が有力であるという結果になりました。よって、公表された八体以外の板本尊であった証言ということではありません。
ただ疑問があります。もし⑦(『賞本門事戒壇正本堂建立本尊』)であったとすると、小振りの本尊であり、なぜこれが「大石寺の御本尊様に、もしもの事があった場合、創価学会は、この御本尊様でやっていきます」というほどの根本の本尊であるのでしょうか? ①の『学会本部安置大法弘通慈折弘宣流布大願成就本尊』を差し置いてです。
『継命』(昭和55年9月15日号)には、原島嵩氏の証言として創価学会の五つの宝が紹介されています。
五つの宝の要点だけを抄録しますと、
〔1〕本部にある大法弘通の御本尊さま(引用者注:なぜか“さま”が平仮名でした)
〔2〕戸田先生からいただいている刀
〔3〕留言集
〔4〕玉璽(ぎょくじ)
〔5〕本門事の戒壇は正本堂という御本尊
ということだそうです。(創価学会には今でもこんなものあるのかしらん? どなたかご存知ですか?この話ホントなら〔5〕を除けば今でもあるということになりますが、〔1〕以外は信心と関係ありませんね。刀や玉璽などこんなくだらない物(失礼!)にお金使っているんですかね。個人が刀を持とうと勝手ですが、戸田先生の遺品を大切に保管するのとは次元の違う話です。)
〔1〕が①(『学会本部安置大法弘通慈折弘宣流布大願成就本尊』)に、〔5〕が⑦(『賞本門事戒壇正本堂建立本尊』)に相当します。そうすると当時の池田創価学会では、⑦(『賞本門事戒壇正本堂建立本尊』)を相当重要視していたことになり、そうであれば「大石寺の御本尊様に、もしもの事があった場合、創価学会は、この御本尊様でやっていきます」というのもある程度理解できないことではありません。もちろん個人的に納得できる話ではありませんし事実であったかどうかもわかりません。
⑦(『賞本門事戒壇正本堂建立本尊』)が創価学会にとって極めて重要な本尊であったということから、日蓮正宗が創価学会と別れた後に正本堂をぶっ壊したのも何となくですが理解できるような気がしました。もちろん本件詳細は一信徒には藪の中です。ただ言えることは正本堂も日の目をみなかった七体の模刻板本尊も、すべてが信者から供養されたお金であるということです。法主や会長は信者から供養されたものは自分達のものであるからどう使おうとドブに捨てようと勝手であると考えているとしか思えませんが、もしそうなら大きな間違いです。地下の日蓮聖人にこっぴどく叱られるのがオチでしょう。

<参考資料>(本文中のインターネット資料を除きます)
日蓮正宗千葉県檀徒会編『県報 地湧之友 第14号』昭和54年5月1日、日蓮正宗千葉県檀徒会、9頁
継命編集部編『本尊模刻事件のすべて』昭和55年12月1日、継命新聞社
日蓮正宗法義研鑚委員会遍『創価学会『ニセ本尊』破折―100問100答―』平成6年、総本山大石寺内事部
法華講衆有志編『蓮華八十七号の正しい読み方資料』昭和53年、大村一生
佐野知道発行『創価学会言論資料集』昭和53年、浄信寺

by 彰往考来

1891犀角独歩:2008/01/07(月) 22:13:00
彰往考来さん

興味深くご投稿拝読しました。
「賞本門事戒壇正本堂建立」本尊とは、正本堂を建立した願主として、日達さんから、池田さんが下付‘させた’ものでしたね。

もちろん、原本は紙幅で、『池田大作の素顔』で、藤原氏が書いていたエピソードによれば、建立したのにこれだけだといって巻いてあるこの本尊を机かなんかに放って見せたというものでした。この物語と「創価学会は、この御本尊様でやっていく」という口上とは温度差があると思えました。

しかし、さもやありなんと言った内容でした。

1892犀角独歩:2008/01/16(水) 22:06:30

金原さんの本に疑問を呈しました。
ご批正をお願いいたします。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51227995.html

1893偶ロム偶ログ:2008/01/22(火) 04:44:55
>>1891
独歩さん。

>池田さんが下付‘させた’もの

当該本尊の下付を「要求」した、といったところでしょう。
もっとも学会さんは「ご下付を願った」とでもいうのでしょうが。

正本堂ご供養後の、宗門から学会への寄付金の件も、わけありですね。
細井さんが寄付金をなかなか出さなかったのには細井さんなりの理由があります。
もともとは創価大学の資金寄付の話が最初。
その創価大学は、当初は仏教学部を設立して正宗教学の研究研鑽と賞揚をするはずでした。
それが、仏教学部は作らない、と決定した。
細井さんとしては、正宗と直接関係ないものになったのだから寄付も必要ないだろう、そう考えたようです。
で、ほったらかしにしていた。
ところが、名誉さんの考えは、仏教学部への寄付ではなく創価大学への寄付、だから約束どおり寄付してくれ、と。

なぜ仏教学部設置を中止したのか。
おそらく、スレタイの問題とリンクしていると私は思っているのですが。

1894犀角独歩:2008/01/22(火) 16:04:43

1893 偶ロム偶ログさん

有り難うございます。
あの寄付は、創大を目したものであり、かつ仏教学創設中止は、彫刻が偽物であることを、学会が知った結果ということですか。で、日達さんには、一緒に「毒を食らわば皿まで」的に寄付してもいいじゃないといった話だということでしょうか。

1895偶ロム偶ログ:2008/01/23(水) 01:07:31
1894 独歩さん

私はそのように理解してきました。
霧雲仁左衛門が芦屋道満に金をせびった(時代が合わない!)、そんなところでしょうか。

ただ、仏教学部中止は、お板の件だけではなく、相伝書類の真偽問題、日蓮教学のレベル
問題など、宗門がらみでは学的水準にとても及ばないという現実的なものがあったと聞い
たことがあります。
仏教学、宗教学、史学、古文書学、国文学、などは全て外部の研究者・学者を招聘するし
かなく、それでは宗門賞揚などできるわけがありません。
当時、宗門にいたのは学士だけで、修士・博士はいないどころか、大学院生が若干名いた
だけだったと思います。
まあ、大学の教授はなんの資格も必要ありませんから石山僧でも色気のあった御仁はおり、
本人は仏教学部長になれるつもりがダメだった、それが怨念のひとつなのは間違いないの
ではないでしょうか。
井の中の孑孑なら成長して井戸から飛び去り外の生き血を吸うこともできるかもしれませ
んが、、、。

1896犀角独歩:2008/01/23(水) 17:49:38

偶ロム偶ログさん

創大仏教学創設の挫折に関するご考察。なるほどと拝読しました。
よく書くことですが、岩本裕師が『佛教入門』を中公新書から出したときの肩書きは「創価大学名誉教授」でした。こうした学者を置きながら、仏教学部が成らなかった理由は、たしかに石山教学の‘縛り’にあったのでしょうね。

同じく、いま現在、岩波新書から出ている菅野博史著『法華経入門』では「創価大学文学部教授」となっていますが、この本の内容は、そのまま、石山教学批判になるもので、ひいては当然、学会の教学批判に使用できる皮肉さがあります。
創価大学で仏教学部を創設して仏教学をやったら、それはそのまま創価学会の教学否定にもなるわけですね(笑)

で、スレタイにやや戻りますが、いま、わたしはブログで彫刻本尊の再検証を行っているわけですが、ここでわたしども界隈で使用されてきた「複造」という造語を使用しています。要は、複数、彫刻が造立されて併存しているという意味で使っているわけです。

ところが、金原本に載っている写真と、今回ご提供を受けた写真を見比べると、これは「似て非なる物」というより、ぜんぜん別物ですね。
もっとも金原写真の上部はまるで絵のようで、彫刻を撮影したリアリティが欠けています。特に「南」字‘十’は、‘一’‘ノ’‘冂’と書かれなければなりませんから、‘冂’がいちばん上に来なければなりません。次に‘ノ’で一番下が‘一’です。それなのに、この写真ではまったく逆で‘冂’‘ノ’‘一’となっています。まあ、金原写真のように彫られている可能性は、極めて低いでしょう。こうした点からすると、描画した可能性もあるように思えます。
彫りは、ともかくとして、この「南」字の形貌が石山蔵日禅授与と酷似していたとします。しかし、現在、奉安堂にある彫刻は提供写真のとおりですから、違っているわけです。そうなると、別の2体ということで「複造」されたと、いったんは考えたのですが、これはもっと正確に言うと「変造」なのかもしれませんね。

うる覚えの時系列で恐縮ですが、正本堂が解体されたのは平成10年でしたか。川辺メモは、その翌年、『創価新報』からスクープされたのでしたっけ。奉安堂の完成は平成14年でしたか。それで、先に彰往考来さんが引用された富士桜さんのご投稿によれば平成13年頃、彫刻に変化があったということでした。このご記憶がズバリかどうかは別として、正本堂から、いったん、奉安殿に移され、さらに奉安堂にという、2回の場所替えのタイミングは彫刻の入れ替えにはもってこいのチャンスですね。

二つのサンプルが違っており、その間に川辺メモの暴露があった。そこで、遠目からはわからない程度に‘変造’して、この非難から逃れようとしたなどというストーリーは成り立つかも知れませんね、もちろん、現段階ではまだ憶測の域を出ないことは当然ですが。

1897偶ロム偶ログ:2008/01/25(金) 04:06:26
独歩さん

>>遠目からはわからない程度に‘変造’

そんなことは考えてもいないでしょう(苦笑)。
私は、平成19年版のお板の文字はしたものの、阿部氏の筆跡がでただけではないかと思っています。

しかし、腰書に金泥を入れるとは思い切ったことをしたものだと感心します。

あと、今回のお板には、一般の本尊にある脇書部分にも彫刻があるのではないですか?
写真でいえば左下、大増長天の横あたりですが、これは乱反射ではなさそうです。

虫払いでも複製御書を披露しているくらいですから、常時礼拝させているお板が複造でないわけがありませんね。

1898犀角独歩:2008/01/25(金) 06:28:53

偶ロム偶ログさん

そうですか、作為的な「変造」の可能性は少ないですか(笑)

> 虫払いでも複製御書を披露しているくらい

ええ。あと、石山でやった宝物展でも、日興の数珠やらなんらや、みな、レプリカだったと。

ついでに記せば、創価学会で開催した宝物展でも、戸田さんの眼鏡やら、獄中の牛乳瓶の蓋で造った数珠やら、池田さんの片割れの鏡やら、みんなレプリカだったという話でしたね。

どっちもどっち、人を食った話だと思ったものです。

1899日の谷:2008/01/26(土) 23:04:58
初めまして。法華講の日の谷と申します。


昨今の大御本尊様の「盗撮写真」について、犀角独歩さま。

 
本門戒壇の大御本尊様は御法主上人猊下の大慈悲により、日蓮正宗信徒のみに内拝が許されていることは、犀角さまも御存知の事と拝します。

このような「盗撮写真」の提供を受けたとの内容、ブログ等で貴方の御意見を拝受させていただきましたが、これは「著作権」にかかる事になりませんでしょうか。

盗撮は立派な犯罪です。

御開扉前に、奉安堂内での録音または撮影などは禁止されている事は、明確にアナウンスされています。

そのような場所で悪意に撮影された写真を無許可でネット上で公開するのは、人道的にも、法的にも、許せざる行為に当たると思われます。

大御本尊様の偽作論等は、過去、他門他宗に古くから幾度と無く取りざたされて来た事は、我々信徒も重々承知しております。

そこで一つお伺いさせていただきたい事があります。

この度のブログ等で、生前の河辺御尊師のメモを、日顕上人御隠尊猊下が大御本尊様は日禅授与御本尊云々・・・と、このような「偽物だ」と歪曲された噂話を、なぜ、いつどこで御隠尊猊下が偽物と断定されたのでしょうか。

1900日の谷:2008/01/26(土) 23:10:26
>石山でやった宝物展でも、日興の数珠やらなんらや、みな、レプリカだったと。

このお話の根拠も重ねてお聞かせ下されば幸いです。

1901偶ロム偶ログ:2008/01/27(日) 05:18:24
日の谷さま

横レス失礼いたします。

当該写真の「著作権」の件について、ですが、著作権は著作者本人および著作権
継承者の権利です。
石山の言によれば、執筆者は「日蓮」もしくは「日蓮と日興」、彫刻者は「日法」
ということですから、著作権は存在しません。
ただし、近年にいたって石山の僧侶が書写し業者に彫刻をさせたものであるとい
うのであれば著作権は、その石山僧侶と彫刻業者にあると考えることも可能です。
財産権の侵害ということであれば、破損・破壊・盗難などがあったのでしょうか。
板本尊の開扉で大石寺が収入を得ており、独歩さんの考察で収入が著しく減少し
たとでもいうのであれば、その数字によっては「商行為に対する営業妨害」にな
る可能性もないことはありませんが、そのような事実はあるのでしょうか。

>盗撮は立派な犯罪です。

例えば風景写真というものがありますが、これは盗撮でしょうか。
風景といえども、それがビルや家屋、山や田園風景であっても、それらは全て
個人・法人・自治体などが登記しており、それらにいちいち撮影許可をとるこ
とは行なわれているでしょうか。
板本尊については大石寺の所有物だから財産権があるという考え方もあるでしょ
うが、それは俗世間の話で、出世間の世界に所有など本来あるべきものではない
のではありませんか。
また、板本尊は日蓮正宗においては「一閻浮提総与」であると主張しているわけ
ですから、板本尊を私物化している今の日蓮正宗は自語相違していることになり
ます。
撮影許可されていない場所で撮影した、これが問題なるギリギリの線でしょう。
撮影場所は日蓮正宗に籍を置く者しか入れない所です。
また、撮影者に「悪意」があったかどうか、逆に「善意」とも考えられます。
なぜ「悪意に撮影された」とお考えになるのか、理由をお聞かせ願えればと思
います。

河辺メモが河辺氏の書いたものに間違いないことは、河辺氏自身が『大日蓮』
誌上で認めていることですから、その日
時・場所などもメモのとおりであることも河辺氏は認めています。
つまり「噂話」などではなく「事実」だと考えるしかありません。

>>石山でやった宝物展でも、日興の数珠やらなんらや、みな、レプリカだったと。
>このお話の根拠も重ねてお聞かせ下されば幸いです。

独歩さんの前に、私は書き込みにおいて、
「虫払いでも複製御書を披露している」
と記しましたが、これについては取り上げておられないようですから、問題なし
と考えてよろしいですね。

最後になりましたが、私は法華講に籍をおいています。
あと数年で入信50年になります。

1902偶ロム偶ログ:2008/01/27(日) 06:54:55
補足です。

当該写真の「著作権」は、撮影者にあります。
ネット上に公開されている当該写真の画像については、犀角独歩さんに「編集
著作権」があります。
現在、当該写真そのものはネット上に公開されていません。
独歩さんが公開している画像をなんらかのかたちで使用するには、独歩さんの
許諾が必要になります。
これは当該写真の被写体である板本尊を「所有」している大石寺であっても、
独歩さんの許諾がなければネットで公開されている画像を使用することはでき
ない、ということです。

1903犀角独歩:2008/01/27(日) 07:07:45
日の谷さん

はじめまして。

> 盗撮は立派な犯罪です。

法律で言えば、どのような法律に抵触するのでしょうか。
人を犯罪者呼ばわりする以上、この点をまず明確にしていただけませんでしょうか。〔是一〕

また、所謂、盗みどりには二種類あります。一つはあなたが仰る写真であり、もう一つは録音です。
わたしは大石寺宗務院教学部から、当時、創価学会が盗みどりした会合における録音テープを渡され、この文章化を依頼されていました。例えば、池田さんの「戒壇本尊物発言」「創価学会には大聖人直結の究極の本尊がある」そのた創価学会批判に採用してきた池田発言の多くは、わたしがテープ起こしをした文章です。創価学会の会合は、もちろん、録音を禁止されています。となれば、あなたが所属する「日蓮正宗」は犯罪行為である‘盗みどり’で取得したテープに基づいて、わたしに仕事を依頼し、かつ、創価学会池田さんを批判したことになりますが、あなたの論法から言うと、大石寺もまた、この犯罪に荷担したことになりますが、如何がでしょうか。大石寺が盗みどりによったことは犯罪行為ですか。〔是二〕
では、あなたは大石寺が「立派な犯罪」に荷担し、人道的にも、法的にも、許せざる行為に当たると思われますか。〔是三〕

あなたが根拠とされるのは「著作権」ですね。
では、お尋ねしますが、数百年前の作品であるとする所謂「本門戒壇の大御本尊」に著作権があるのでしょうか。〔是四〕もし、著作権があれば、それを本人の許可無く書き写すことは著作権の侵害に当たりませんか。
大石寺の本尊には「奉書写之」と書かれています。では、この著作権を日蓮から継承された物的証拠ととはなんでしょうか。〔是五〕

著作権については、たとえば、以下のような説明があります。

「作品を他の人が勝手に使用しないようにする権利です。 許可と場合によって著作権料が要求されます。
文芸、美術、音楽などの作品を著作権法が保護しています。
作品を作成した時から、作者の死後50年間【多くの外国作品は60年】、保護されます。 それ以降は、人類の遺産です。」
http://www.netlaputa.ne.jp/~gfg/lawj.html

あなたが、わたしが使用した写真を著作権違反であるという場合、所謂「本門戒壇の大御本尊」は過去50年以内の作品であることになりますが、如何でしょうか。

> 奉安堂内での録音または撮影などは禁止…悪意に撮影された写真…無許可でネット上…人道的にも、法的にも、許せざる行為に当たる

まず、法的とは、どのような法律でしょうか。具体的にお願いいたします。〔是一に同じ)

1904犀角独歩:2008/01/27(日) 07:08:47

―1904からつづく―

次に「悪意の撮影」とありますが、これは違います。わたしに写真を提供してくださった方は、大石寺の悪意を止めるため“善意”で行ったのです。
悪意とは、偽物である物を本物であると謀って人を騙すことでしょう。
わたしどもの立場からすれば、大石寺こそ、まさに悪意であり、あなたのような被害者を一人でも減らすために、致し方なく、無許可写真も採用し、その事実究明にと努めていると言うことです。


> 河辺…メモ…日顕…大御本尊…日禅授与御本尊…「偽物だ」と歪曲された噂話…御隠尊猊下が偽物と断定

この質問は、日顕さんが偽物であると断定したかどうかということですね。では、断定していないでしょう。むしろ、いまだに偽物を本物と謀って、あなたのような被害者を生み続けている元凶となっています。

また、噂話ではなく、河辺さん直筆のメモが残っています。この内容に関しては、問答名人さんがいち早く、その内容の弾劾をはじめられ、こちらの過ログにも残っています。ご参考にされればよいでしょう。
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/kawabe.htm


問答さんの分析は明晰で、追って、川辺メモに書かれた内容に沿って、わたしは大石寺が公的に認めた所謂「本門戒壇の大御本尊」写真と、同じく公開されている日禅授与本尊写真をもって鑑別したということです。その結果、所謂「本門戒壇の大御本尊」は日禅授与本尊を原本として臨模・作為された結論せざるを得なかったと言うことです。

宝物展による展示物がレプリカであることは、この開催の場所で、警備に当たっていた青年部員に訊いたことが知るきっかけとなりました。この点も、法廷闘争その他になれば、わたしも、その上人と証拠を挙げます。いまは、あなたからご質問ですから、その端緒を記すに止めます。あなた自身、法華講員ならば、大石寺に直接、お尋ねされ、どのような返答を得るか、確認されては如何でしょうか。

なお、宝物展が展示が、レプリカであるかどうか、以上の問題があります。
たとえば日興所持の数珠というものは、本当に日興所持の数珠なのでしょうか。このように断言し、これを展示する側は、この展示物が本物である証拠を示す義務はあります。では、この数珠が本当に日興所持である証拠とは一体なんでしょうか。〔是六〕

以上、お応えしました。わたしからの質問にもお答えください。

1905犀角独歩:2008/01/27(日) 07:11:36

【1904の訂正】

誤)法廷闘争その他になれば、わたしも、その上人と証拠を挙げます。
正)法廷闘争その他になれば、わたしも、その証人と証拠を挙げます。

1906犀角独歩:2008/01/27(日) 18:44:27

自己レスです。

1903の補足です。

> わたしは大石寺宗務院教学部から、当時、創価学会が盗みどりした会合における録音テープを渡され、この文章化を依頼されていました。

という文章は意味を逆に読めかねませんので、以下のように修正します。

「わたしは大石寺宗務院教学部から、当時、創価学会員が盗みどりをした会合における池田さんのスピーチ録音テープを渡され、この文章化を依頼されていました。」

ほかにもあろうかと存じますが、善意に基づいて判読いただきたくお願いいたします。

では、日の谷さん、ご回答をお待ちします。

1907犀角独歩:2008/01/28(月) 22:10:35

以下の、思いっきり的外れのことを書いているのは、誰なのでしょうか。
本尊彫刻の基礎もわかっていない初心者のようですが?

http://members.at.infoseek.co.jp/netplane2/kaidan-nitizen.htm

1908偶ロム偶ログ:2008/01/29(火) 05:31:50
キャッシュからするとnaohitoつまり直人となっているので東氏です。

1909きゃからばあ:2008/01/29(火) 09:06:34

日の谷さん、はじめまして。
私も法華講に所属しているものです。

大御本尊様についての偽作論は過去からありましたが、近年、達師が書籍として出版された反論以外は、宗門の反論は私は知りません。
今回の犀角独歩さんの論についてはまったく反論がされていません。
何故なのでしょうか?
また以前、日蓮宗の僧侶が「板曼荼羅を科学的に分析し、本物ならば私は大石寺の弟子になる」と言っていた方もいましたが、何故、科学的に分析しないのでしょうか?
たしかに不敬と考えるかもしれません。
だったら同じ木材で作成された「最初仏」を鑑定すればいいわけです。
しかし宗門はそれもやりません。なぜなのでしょうか?
私はきちんと宗門が科学的に本物だと立証して、大声で「大石寺は凄いんだ!」と周囲を折伏したいのです。
と同時に、もし偽者ならきちんと謝罪してほしいと思います。
しかし宗門にはそんなことする気配さえ感じられません。
このままでは私たちの子孫もこの問題に悩まされ続けなければなりません。
そういう意味でも私は犀角独歩さんの行動に期待しています。
私たち法華講員のためだけじゃなく、広宣流布のためにもきちんと大御本尊様の真偽をやらねばならないと思います。

1910犀角独歩:2008/01/29(火) 18:33:02

>問答名人さん

種々ご心配を賜り、有り難く感謝申し上げます。


>偶ロム偶ログさん

「東氏」とは、わたしが『所謂「本門戒壇の大御本尊」の真偽』についてを発表し、日禅授与本尊が原本であり、臨模・作為したという結論に対して、「似ていない。原本ではない」と、川蝉さんなんかと書いていた人ですね。

不思議に思うのは、中央首題の文字の文章で載せているのに、当の両本尊の写真の中央首題と日蓮を消してしまっているわけです。これでは、比較が合っているかどうかの確認もできません。さらに消した理由について、「御不敬の恐れがある」としていますが、そもそも、文字を消し去ってしまうほうが、よほど、不敬といえば、不敬ではないですか。また、漫荼羅の真価を決めるのは、中央首題もさることながら、花押なのであって、書写本尊では題目と日蓮を書いても花押は書かないわけです。その肝心の花押を消さないで不敬云々はナンセンスと思います。いずれにしても、写真は写真なのであって、不敬もあったものではないと思いますが。

>きゃからばあさん

仰るところ、ごもっともと存じます。
どなたであったか、「戒壇の大御本尊の国宝、世界遺産にしよう」という方があって、そのためには、国家関与の科学的な真贋鑑定が不可欠になるので、それを推進しようというブラックユーモアで語っていた方がいらっしゃいました。
わたしも、これが本物であってくれればどんなにかよかったと、いまでも思います。

ついでに「霊宝随一」という御肉牙(御生骨)について、それを信じ込んでいる人にあったので、「歯にくっついた肉ですら生きているのに、亡くなった日蓮の全身を焼いちゃまずいんじゃないのか」というと、憤然とした面持ちになりました。まあ、これもブラックユーモアみたいなことですが、わたしは本気でそう考えますね。

1911偶ロム偶ログ:2008/01/29(火) 19:33:37
>>1910

独歩さん
>>1907 のリンクはおそらく例の自称法華講員のサイトで、東氏の画像を転載
したのでしょう。
リンク下のキャッシュからリンク元へたどってみたらページがなくなっていま
した。
おそらく東氏がページを閉じたのではないでしょうか。
したがって、1907のリンクページの記述と目隠しは東氏によるものではなく、
例の自称法華講員によるものと思われます。
直人氏のページでは目隠しはされていませんでした。

1912犀角独歩:2008/01/29(火) 20:59:14

1911 偶ロム偶ログさん

重ねてご教示、有り難うございます。
「例の自称法華講員」というのは、よくわからないのですが、元のサイトでは、画像の加工はなかったということですね。けれど、「東氏」は、日禅授与本尊が原本ではないとした点は動かないでよろしいでしょうか。

1913日の谷:2008/01/30(水) 00:38:10
犀角独歩さま


>法律で言えば、どのような法律に抵触するのでしょうか。
人を犯罪者呼ばわりする以上、この点をまず明確にしていただけませんでしょうか。〔是一〕

御戒壇様は誰が所有し、今現在も管理しているのかと言う事が大前提だと思われます。

その大御本尊様は御歴代の法主上人に受け継がれてきた御本尊様です。

現在の御戒壇様は、御当代88世日如上人猊下が所有され、本山の最重宝として奉安堂にて御安置、管理されている事になります。

今現在は個人所有の御本尊様です。

その所有されている御法主上人の大慈悲によって、と前にも書きましたが、信徒に内拝を許されている状況です。

この中での撮影は許可無く出来るはずは無いと同時に、そのような状況を理解した上での撮影となるので、私は「盗撮」と銘打ちました。

何度も書きますが「盗撮」は犯罪です。

悪意があろうと無かろうと。

その個人所有の御戒壇様の画像、映像を無許可で扱うことは、著作権もまたしかり、その他の法にも触れる事になります。

詳細にここで法の何に触れているのか書くようにおっしゃりますが、ここで記すつもりはありません。
お知り合いの弁護士さまがいらっしゃるようなので、お伺いくださればおわかりになる事と思われます。



>また、所謂、盗みどりには二種類あります。一つはあなたが仰る写真であり、もう一つは録音です。
わたしは大石寺宗務院教学部から、当時、創価学会が盗みどりした会合における録・・・・〔是二〕


なるほど。ほお、そうですか。

あなたさまが創価学会のこのテープに関わり、そして教学部から任を受けたのですね。

それではこのテープがどのような経緯で流出し本山に届いたのか、の経緯もご存知なのでしょう。

では、このお話の前に一つだけ確認させて下さい。

いつ、どこで、どのような経緯で教学部のどなたから(御僧侶とは言え個人名ですのでイニシャルで結構です)依頼されたのでしょうか。


>では、あなたは大石寺が「立派な犯罪」に荷担し、人道的にも、法的にも、許せざる行為に当たると思われますか。〔是三〕



この返答は先の質問にお答えになられてから記すつもりでしたが、これには当たりません、と申しておきます。




>あなたが根拠とされるのは「著作権」ですね。
では、お尋ねしますが、数百年前の作品であるとする所謂「本門戒壇の大御本尊」に著作権があるのでしょうか。〔是四〕


お答えは保留します。


>もし、著作権があれば、それを本人の許可無く書き写すことは著作権の侵害に当たりませんか。
大石寺の本尊には「奉書写之」と書かれています。では、この著作権を日蓮から継承された物的証拠ととはなんでしょうか。〔是五〕


では大聖人様から受け継がれていないとする、物的証拠はあるのでしょうか?

1914日の谷:2008/01/30(水) 00:38:37
>次に「悪意の撮影」とありますが、これは違います。わたしに写真を提供してくださった方は、大石寺の悪意を止めるため“善意”で行ったのです。
悪意とは、偽物である物を本物であると謀って人を騙すことでしょう。
わたしどもの立場からすれば、大石寺こそ、まさに悪意であり、あなたのような被害者を一人でも減らすために、致し方なく、無許可写真も採用し、その事実究明にと努めていると言うことです。



日蓮正宗がなぜ、どのように我々衆生、荒凡夫に、悪意で人を騙さなければならなかったのかの根拠をまず提示してください。

そして、あくまで善意で行った行為と申されるならば、その盗撮者の氏名までは書かなくても、どこの布教区の所属寺院かを記して下さい。

善意であるとするならば、全く問題はないかと思いますがいかがでしょう。




>この質問は、日顕さんが偽物であると断定したかどうかということですね。では、断定していないでしょう。


わかりました。断定していないのですね。

今後、御隠尊日顕上人猊下は、「断定をしていない」とお話下さい。


>むしろ、いまだに偽物を本物と謀って、あなたのような被害者を生み続けている元凶となっています。


私が被害者かどうかは別として、おそらく、こう言った御質問の裏には、数多の新興宗教を初めとした被害状況を表す例が御座いますが、日蓮正宗が現在の日本にいったい何をしたのでしょう。

これこそ犯罪者呼ばわりする以上明確にして下さい。


>宝物展による展示物がレプリカであることは、この開催の場所で、警備に当たっていた青年部員に訊いたことが知るきっかけとなりました。

わかりました。
ですが、その警備とは輸送班ですか?
そのような方が、レプリカと知りながら警備をしていたのですか。

では、犀角さん御自身で御覧になっていらっしゃらないのですね。

まるで全て見てきたかのような表現はおやめになった方がよろしいのでは。
講談師か!と、たか&としにつっこまれますね。


以上です。

1915犀角独歩:2008/01/30(水) 01:29:33

日の谷さん

> 御当代88世日如

68代の間違いです。

> 今現在は個人所有の御本尊

であれば、わたしが提供された写真に基づいて、その検証を述べるに、早瀬さん本人が異議を申し立てるならばいざ知らず、何の関係もないあなたにとやかく言われる筋合いはないことになりますね。

> 何度も書きますが「盗撮」は犯罪…著作権もまたしかり、その他の法にも触れる

著作権に触れるわけですか。では、あの彫刻は過去50年以内の作品ですか。

> 詳細にここで法の何に触れているのか書くようにおっしゃりますが、ここで記すつもりはありません。

つまり、書けないわけですね。

> いつ、どこで、どのような経緯で教学部のどなたから(御僧侶とは言え個人名ですのでイニシャルで結構です)依頼されたのでしょうか。

平成2年以降、教学部、OJさんから、その担当はTDさんでした。
また、内事部『大日蓮』編集室からの依頼は、WKさんが責任者で、担当は、その後、事件を起こし擯斥になったGSでした。
それらテープの入手経路と当事者が誰であるか、盗み録りという性質から明らかにされることなく、渡されました。ただし、これら受け取ったテープはすべてダビングしてあり、かつ、起こした原稿テキストデータ、その支払証拠(通帳への印字)、また、依頼書などは物的証拠は当然、保管してあります。

> これには当たりません、と申しておきます。

なぜですか。わたしが提供を受けた写真について、盗み撮りは「立派な犯罪である」というのに、いっぽう、大石寺は

> 「著作権」…お答えは保留します。

はて、上記では著作権に触れるといい、今度は保留ですか。

> では大聖人様から受け継がれていないとする、物的証拠はあるのでしょうか?

これは答えになっていません。こんな言い方が成り立つのであれば、たとえば、わたしがあの彫刻を受け継がれていない物的証拠をあなたは示すことができるのでしょうか。物的とは存在にかかることですから、ありもしないことを証明することはできません。こうした詭弁を弄せず、ここでは、日蓮から受け継がれた物的証拠を示してください。できないのであれば、「ない」と判断します。

1916犀角独歩:2008/01/30(水) 01:30:02

―1915からつづく―

> 日蓮正宗がなぜ、どのように我々衆生、荒凡夫に、悪意で人を騙さなければならなかったのかの根拠をまず提示してください。

「騙した」当事者でもないわたしが根拠を提示することはできません。できるのは、当事者でしょう。存命の阿部さん、早瀬さんにお聞きになればよろしいでしょう。ここでは、鑑別・検証の結果、それが偽物であると断定でき、それにもかかわらず、「本物」であるといい、人々の信仰と金銭を集めることを「悪意」と言っているのです。ですから、それが悪意ではないというのであれば、彫刻が本物であることを示せばよいわけです。あなたが、彫刻が本物であるというのであれば、その物的証拠をここに示せばよいわけです。どうぞ。

> 盗撮者の氏名までは書かなくても、どこの布教区の所属寺院

これはお答えしません。提供者のプライバシーに抵触します。
そもそも、所有者でもないあなたにお答えする必要はないでしょう。

> 「断定をしていない」とお話下さい。

いえ、そうはいたしません。わたしが行った検証は、あくまで川辺メモの内容に沿って行ったものです。その結果、大部、メモに記されたことと合致しました。そのことからすれば、阿部さんは当然偽物であったことを知っていたと判断できるからです。つまり、阿部さんは、川辺メモ流出以降、たしかに断定はしなかったが、検証の結果と考え合わせるとき、当然、偽物であったことは知っていただろうと断定できるということです。

>> …日蓮正宗が現在の日本にいったい何をしたのでしょう。

繰り返し記しているように後世の捏造物に過ぎない彫刻を日蓮直造の本物であると謀り、具体的には正本堂建立、奉安堂建立などの献金を強いてきた、また、現在も本物であるとし「御開扉」「内拝」と称して、開帳して金銭を徴収しています。偽物であれば犯罪行為でしょう。

※※ もし、本物であるというのであれば、その証拠をここに示してください。

> レプリカと知りながら警備をしていたのですか。

そういう証言を得ています。

> まるで全て見てきたかのような表現はおやめになった方がよろしいのでは。
講談師か!と、たか&としにつっこまれますね。

この言葉は、そのまま、あなたにお返ししましょう。明らかに偽物であるものを本物であるかのように記しているのはあなたですから。

今回の投稿を通読して直ちに了解できることは、あなたは、こちらからの質問には何一つ答えていないということです。
当掲示板では、よく使われてきた言葉ですが、「鰯の頭」でも、信仰するのは個人の信教の自由に属します。しかし、それを他人に「本物である」というのであれば、その証拠を示す義務は、あなたにもあります。あの彫刻が本物である証拠を示してください。

1917犀角独歩:2008/01/30(水) 01:35:10

【1915の訂正】

〔誤〕

> これには当たりません、と申しておきます。

なぜですか。わたしが提供を受けた写真について、盗み撮りは「立派な犯罪である」というのに、いっぽう、大石寺は

〔正〕

> これには当たりません、と申しておきます。

なぜですか。わたしが提供を受けた写真について、盗み撮りは「立派な犯罪である」というのに、いっぽう、大石寺は「当たらない」というのは、どういうことでしょうか。あなたの論法から言えば、立派な犯罪となるでしょう。

このように相手には罪を問い、自分のほうは頬被りを決め込むようでは、公平を欠きます。

1918偶ロム偶ログ:2008/01/30(水) 02:11:15
横レス失礼します。

>今現在は個人所有の御本尊様です。

これは、88世の私有財産である、ということですか。
さきの私のレスにも記しましたが、それでは「一閻浮提総与」ではないという
ことですね。
88世は、87世から所有権の移転をうけて所有している、つまり個人から個人へ
の財産の贈与ということになるわけですが、財産贈与にかかる贈与税は支払わ
れたのでしょうか。
はっきり申し上げますが、板本尊は「個人所有」のものなどではありません。
宗教法人大石寺の什物です。

>その個人所有の御戒壇様の画像、映像を無許可で扱うことは、著作権もまたしかり、その他の法にも触れる事になります。
>詳細にここで法の何に触れているのか書くようにおっしゃりますが、ここで記すつもりはありません。
>お知り合いの弁護士さまがいらっしゃるようなので、お伺いくださればおわかりになる事と思われます。

著作権に触れるということは、著作権者および著作権継承者がいるのですね。
それは誰ですか?
日蓮が書き日法が彫刻したものであれば著作権は700年前に戻り適用されるとで
もいうわけですか?
盗撮は犯罪、犯罪には加害者と被害者がいることになります。
加害者はどのような害を加えたというのですか。
被害者はどのような害を被ったというのですか。
被害者は誰ですか。
あなたが被害者なのですか。
あなたが板本尊の「所有者」だというのなら88世なのですか。
88世が被害を受けたと思っているのであれば、88世が被害届を出せばよろしい。
あなたが88世でないならば、88世に対して越権の無礼を働いていることになり
ますね。

>その他の法にも触れる事になります
>詳細にここで法の何に触れているのか書くようにおっしゃりますが、ここで記すつもりはありません。

法的根拠をなぜ示されないのですか。
法的根拠がないのに「その他の法にも触れる事になります」と断言されること
は、「不実威力行使」の疑いがありますよ。

あなたは独歩さんの質問に対して答えを保留したり、質問で返したりと、不誠
実な対応をされていますが、なにかまともに答えられない理由があるのですか。

1914のあなたのレスも不誠実ですね。
ここであなたが尋ねておられることは、こちらの掲示板の過去ログで幾度とな
く話題になっています。
まず基本的なことをおさえたうえで質問をされてはいかがですか。

>盗撮者の氏名までは書かなくても、どこの布教区の所属寺院かを記して下さい

犯人探しですか。
この質問にどのような意味があるのですか?

展示物のレプリカの話は、私は僧侶から直接聞いたことがありますよ。
その僧侶が嘘をついたんでしょうかねえ。
その僧侶に嘘をつく理由が何かあるんでしょうかねえ。
そんなことよりも、私は>>1901で、次のように書きました。
 独歩さんの前に、私は書き込みにおいて、
 「虫払いでも複製御書を披露している」
 と記しましたが、これについては取り上げておられないようですから、問題
 なしと考えてよろしいですね。
再度うかがいますが、問題ないですね。
面倒なので1手きますが、このことについては、映像があります。
レプリカを真筆として拝観させていることを示す映像です。
レプリカを真筆として拝観させることは、詐欺ではないのですか?
それともあなたは、僧侶からレプリカであることを知らされ、それをありがた
く拝観しているわけですか?

さらに、日蓮正宗は真筆という諌暁八幡抄の末尾に勝手に日蓮花押を書き加え
ているのですが、これは宗祖に対する冒涜行為ではないのですか。
そんな冒涜行為を行なう日蓮正宗や僧侶をあなたは許すのですか。

宗教法人日蓮正宗は、宗祖の教えとはほとんど関係のない宗教です。
まず、盲信をやめることをお勧めします。

1919犀角独歩:2008/01/30(水) 02:21:20

『諫暁八幡抄』の偽造に関しては、かつて松本修明師が指摘し、近くは独学徒さんが物的証拠を挙げられました。この内容を受けて、まとめたのが以下です。

【検証】諫暁八幡抄に切り貼りされた竜門御書の日蓮花押
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50957710.html

1920管理者:2008/01/30(水) 06:38:39

日の谷さん

当掲示板には、書き込みのルールが有ります。話し合いを重んじると言うのが、その根幹です。あなたの書き込みを拝見しますと、何か、「荒らし」行為に限りなく近いように判断できます。「書き込みのルール」をお読みいただいて、ルールに則った書込みをお願いいたします。

ルールに抵触すると管理者が判断した場合は、削除や書込み禁止措置がとられますので、念のため申し添えます。


「盗撮は犯罪」と声高に叫んでも、どの法律の、どういう条文に触れるのか指摘出来ないようでは、お粗末としか申し上げようがありません。少なくとも、話し合いを重んじているとはとても思えません。先ずこの点を明らかにされることが必要ですね。それが出来ないのなら、書込みを停止させるべきだと管理者は勧告しておきます。

1921顕正居士:2008/01/30(水) 07:10:17
著作権の存在しない所有物の撮影、複製、出版に関しては以下の判決が有名です。

かえでの木事件 東京地裁 平成14年7月3日判決 棄却
http://www.u-pat.com/h-7.htm

「本件かえでに対する所有権の内容は、有体物としての本件かえでを排他的に支配する
権能にとどまるのであって、本件かえでを撮影した写真を複製したり、複製物を掲載した
書籍を出版したりする排他的権能を包含するものではない。そして、第三者が本件かえで
を撮影した写真を複製したり、複製物を掲載した書籍を出版、販売したとしても、有体物
としての本件かえでを排他的に支配する権能を侵害したということはできない」

1924問答迷人:2008/01/30(水) 08:27:02

盗撮は犯罪、と聞くと、なるほど、と頷いてしまう感覚が大抵の人には有ると思いますが、この場合の「盗撮」というのは、更衣室で着替えているところや、入浴中の女性を隠し撮りして、裏ビデオを作って販売したり、まぁ、そう言った類の行為を指している場合が場合が多いですね。これは刑法に触れますね。軽犯罪法違反です。今回の板本尊撮影は、そういう事ではないので、刑法犯とは考えられないと思います。奉安堂には信徒として許可されて入っているわけですから、不法侵入には当たらない。やはり、顕正居士さんがお示しのような、民事にしかならないと思います。

そして、「かえでの木事件」の判例に拠れば、所有者たる宗教法人日蓮正宗は何らの損害を蒙ったということにはならないので、法に触れない、と考えるのが至当かと思います。

なお、この撮影で、板本尊が贋物で有る事がはっきりして、その為に信徒が減って、宗教法人日蓮正宗の収入が減った、という場合は、又、話は別だろうとは思いますが・・・

1925犀角独歩:2008/01/30(水) 17:57:28

>偶ロム偶ログさん

> レプリカを真筆として拝観させていることを示す映像

これはすごい資料ですね。
宝物展に関して、わたしも繰り返せば、実際にここで展示されていたものが、では、レプリカでなかったとします。しかし、それでもこれらが、本当に石山の言うような代物…、たとえば日興所持数珠、本当に日興が所持していたものである証拠をしめしているわけではなく、この点でも真偽鑑定の証拠を示す義務を石山は果たしていません。この数珠に関して、『宗旨建立と750年の法灯』では「伝日興上人所持」(P27)に格下げされています。この写真集平成15年3月28日の発刊ですが、昭和36年7月3日発刊の『日蓮正宗』(聖教新聞社)には、この日興の数珠は載っていません。宝物展でわたしが観たのは、たしか七百遠忌かなにかのときであったと記憶するのですが、そのとき、展示物に付さた説明文には「伝」の一文字も、「レプリカ」という註もありませんでした。

『日蓮正宗』での目玉は「雨乞いの三具足」ですが、前掲本には、これが載りません。因みにこの作品については英語で説明文が付されています。

The three object used by the Daishonin when He challenged the heretic priest Ryokan of the Ritsu sect in praying for rain.…(P26)

いま原本が手許にありませんが、たしか『日蓮正宗聖典』にもこの写真が載っていました。また、昭和45年9月12日発刊の『日蓮正宗大石寺』(東西哲学書院)にも「祈祷三具足(三つ揃)大聖人所持」(P141)と説明文が付されて写真が掲載されていました。ところが平成15年には掲載すらされなくなっています。先の七宝数珠についても「日興上人御所持」(P142)であったところ、上述したとおり、いまでは「伝日興」と書き換えられています。

このような経年変化のなかに、『諫暁八幡抄』の改竄も、日蓮、日興作を騙る板本尊の問題も並びあるわけです。また、このような資料比較によって、大石寺がいう宝物の真贋の底が透けてみえるわけですね。

1926犀角独歩:2008/01/30(水) 17:58:09

>顕正居士さん

いつもながら適切な資料の提示、有り難うございます。


>問答名人さん

> この撮影で、板本尊が贋物で有る事がはっきりして、その為に信徒が減って、宗教法人日蓮正宗の収入が減った、という場合は、又、話は別

この点ですが、しかし、それ以前の段階で、この偽物を本物と謀って、正本堂では800万人から400億近く、奉安堂では30万人から150億円。そのほか、奉安殿、大化城、大客殿、大講堂等々、さらに創価学会の会館に至るまで、この彫刻を本物と信じさせられた故の「供養」であったわけです。将来の、石山の収入減以前に、この戦後最大の宗教詐欺としか思えない悪事についての責任問題が横たわっています。法的には、もはや時効でしょうが、しかし、信仰信条から許されることであるかどうか、700年前の作だと偽りながら、著作権がどうだというのであれば、つい半世紀前の責任は当然、果たすのは道理ということになります。

それにしても、教学部が、創価学会に疑問を懐く人々がその真偽を決しようと石山に持ち込んだ池田さんの録音テープでここまで種々糾弾を行っておきながら、今度、この彫刻に疑問を懐く人が、その真偽を決しようと持ち込んだ写真は「犯罪」だというアンフェアな態度に、わたしは承伏しかねます。

いずれも、わたしが手がけたものではあるにせよ、録音も撮影も、わたしがしたものではありません。わたしは、それら人々の疑念に応えるために誠心誠意を尽くしているに過ぎません。この道念を、しかし、石山僧俗に届かせる困難を感じます。

1927問答迷人:2008/01/30(水) 19:50:35

犀角独歩さん

>この彫刻に疑問を懐く人が、その真偽を決しようと持ち込んだ写真は「犯罪」だというアンフェアな態度に、わたしは承伏しかねます。

当然の帰結だと思います。

確かに、収入が減ったからという理由で、損害賠償請求は出来るでしょうが、『偽物を暴かれたから』という理由では、裁判所は取り上げないでしょうね。偽物を本物と偽って信徒を欺いてきたことが、公序良俗に反するからです。結局、訴えは棄却されることになるだろうと僕は思います。

1928犀角独歩:2008/01/30(水) 21:11:26

問答名人さん

有り難うございます。
分析、まったく仰るとおりであろうと存じます。

1929富士川一郎:2008/02/12(火) 18:49:05
宗教施設の礼拝物の盗撮云々について、法的にはどうなのかを大学の同期の弁護士に検討させてみました。
但し、大石寺の名前は出さずに、例えば輪王寺の三尊像などを例に出し(これも撮影禁止)検討させました。
結構問答になったのですが、以下の通りです。

①著作権は全く問題になりません。

②但し、戒壇の御本尊様を宗教法人の礼拝物として考えますと、ある法律に引っかかるそうです。
礼拝所不敬罪
第一項 神祠、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
第二項 説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、一年以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。

ここでいう“公然と不敬な行為をした”と言う文言に「撮影禁止を知りながら、撮影をした」と言う行為が抵触する可能性があると言う見解でした。

そこで私が『何をもって、「不敬」と言えるかが難しいんでないかい?』
と聞きましたら、
『宗教施設の礼拝物をどのように拝すると正しく(不敬にならず)、どのように拝するのが間違っている(不敬)かは、その施設(宗教)側が定めた形になる。ただし、それは明確に分かる形でなければならない。大概の宗教施設では礼拝物は撮影禁止となっている。つまり撮影自体禁止(撮影は不敬)と明確に定めてある。それに反すれば、不敬罪が成立する。過去に数十の観光施設の寺社などでも立件された例がある。』
だそうです。
さらに『でも寺側が訴えねば関係ないんだろう?』と質問しましたら意外な回答でした。
『本条の保護法益は“公序良俗”であるので、寺院側の感情は基本的に考慮しない。寺側が訴えないとしても、司直がその気になれば立件できる。ただし、基本的には誰かが刑事告発をせねば、そのことを司直が事実を知る事も無いし、今の司直は忙しいので、告発がなければ動かない。』だそうです。

そこで、ここからは危ない問いなのですが
『もしもその礼拝物に真偽の疑いがあった場合はどうなのか?』と一般論で聞きましたら、
『礼拝物を礼拝物となさしめるのは、その真偽では無い。その宗教の教義からであり、何をもって礼拝物とするかは、教団の教義が定めるので真偽などは一切考慮されない。我が国では、日本国憲法にて宗教の自由が保障されており、その中には教義の自由、礼拝物の自由もあり、また逆にそれを礼拝するか否かの自由もあり、その宗教施設に行った以上、そこの作法に従うのが当然であり、もしも嫌なら行かない自由もある。』と言うので
『「礼拝所不敬罪」と言うのは逆に、宗教の自由をおびやかす事にはならんのかね?』
と聞きましたら、
『お前の言っているのは、どこでどのような物をどのように拝そうと宗教の自由だという事だろうが、それはお前の大きな誤解だ。宗教は礼拝物のみを言うのでは無い。礼拝物や教義も含んだ大きな括りを宗教と言うのであり、それを信じようと信じまいと自由であるが、その一部だけ取ってきて、信仰するのは既に、その宗教とは別の物である。もしもお前がそれをしたければ新たに宗教を作って信じることになる。その自由はある。』
等と私に教祖になれと唆しているように感じました(笑)。

結論から言うと、撮影禁止の礼拝物を撮影した場合、礼拝所不敬罪が成立すると言う事でした。もっとも彼もこういった案件を扱った事が無いであろうから、別の結論を出す方もいるかも知れません。

1930犀角独歩:2008/02/12(火) 18:56:55

藤川さん

なかなか参考になるご投稿有り難うございました。

> 別の結論を出す方もいる

わたしの知り合いの弁護士はご承知のとおり、宗教問題を多く扱っている大物が多くいます。仰るとおりで、別の結論ですね(笑)

ついでに「偽物であるとわかって本物であるとし、参拝料を取ることは詐欺に当たる」かどうかも訊いてみてください(笑)

1931富士川一郎:2008/02/12(火) 19:05:32
実は、上記投稿をしたのは、裏の意味があるんです。
私が問答した奴は司法試験講座の講師もやっており、私も奴も理屈っぽいので、学生時代にはこのようなディスカッションをするのが日課でした。
今回の、久しぶりの問答で面白かったのは、次の一文です。

「宗教は礼拝物のみを言うのでは無い。礼拝物や教義も含んだ大きな括りを宗教と言うのであり、それを信じようと信じまいと自由であるが、その一部だけ取ってきて、信仰するのは既に、その宗教とは別の物である。」

これって顕正会ですよね。しかし、これも一つの宗教としては認められるんだなと。
彼はそのような宗教など知らない奴なんですが、自然に一例を出したら顕正会のようになってしまったと言う事でしょうか?


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板