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素朴な疑問

539やーこ。:2002/10/29(火) 16:25
この宗教ではひとつしかないので
この回答に表現上の誤りがありました。独歩さんのご指摘通りです。
宗教上では複数あるものの、組織内では「日本の大石寺の奉安殿にのみ存在」と教えられているので
と訂正させて頂きます。失礼致しました。
尚、海外信徒の方は信仰については国内信徒より純粋で厚いようです。
ただ、この表現は裏を返せば「凄い狂信」ととらえることが出来ます。国内信徒に対しては、海外信徒に負けてる!と組織内で各方面から言われています。

540TGS:2002/10/30(水) 23:17
やーこ。さんありがとうございます。

大御本尊の参詣にはなにか特別な意味があるんでしょうね。私には理解しにくいのですが。
信じていない私としては参詣する時間と金があるならほかに大事なことができるんじゃないかと考えてしまいます。
遠藤周作の「深い河」のラストで、マザーテレサの修道女が言う「それしか・・・この世界で信じられるものがありませんもの。わたしたちは」という言葉が全てなのか。

しかし、同じものを信じる人たちがお互いを正しあえないのはおかしいと思いました。
「教え」自体に「こうしなきゃだめですよ」っていうのはないのかな?

Aさんのお母さんがちょっと変わってるのかな?Aさんの姉は教会で式を挙げたんですけど両親は参加せず。Aさんも披露宴のみの参加。
ほかにも鳥居はくぐれないとか。

541TGS:2002/10/30(水) 23:38
鳥居がくぐれないといのはほかの宗教でも見かけることですし、あまり批判か

HP創価学会独立独歩の「1時間でわかる日蓮仏法入門」なら結構共感しやすいんですけどね。

Aさんは親しい方なので完全に理解を放棄するのはできないので、みなさんの話も参考に少しずつ話し合っていきたいと思います。

542菊水護国:2002/10/31(木) 09:35
鳥居は、神社のものではありません。
清浄と不浄の間に立てる、門です。
ですから、大石寺では、鳥居を管理してた時期があります。
学会以降の誤解がたくさんあります。

543菊水護国:2002/10/31(木) 09:40
それに、本来の大石寺信仰は、キャパシティが広いですから、あまり何がいけないという制約は少ないです。
ただし、現在の法華講信仰は、お堅い所が少なくありません。
その方も、何で娘の婚式に出ないのかな。こんな教義じゃないんだけどね。

544菊水護国:2002/10/31(木) 09:41
訂正。「婚式」は「結婚式」の誤りです。

545犀角独歩:2002/10/31(木) 11:52

そうですね。石山も以前は四手(垂)はしなかったけれど、注連縄はしていたんでしたね。
浅間神社は石山がみていたわけですから、当然、鳥居なんかに否定するはずもないでしょう。

垂迹堂というのも考えようによっては寺院敷地内の祠みたいなものと言っていいかもしれません。

546やーこ。:2002/10/31(木) 13:38
菊水護国さん
私のレスは、化儀抄のやさしい解説からですが、寛容でない部分もありまして、中には、子供が信仰を捨てたときには勘当しなければならない、出来なければ親が師匠に処分される事があったような。

547TGS:2002/10/31(木) 23:16
やっぱり結婚式に出ないのはちょっと変わっているようですね。

Aさんの話では浅間神社が富士山の頂上に鳥居を建てていて、非常に迷惑だと言っていました。
犀角独歩さんの話からするとAさんの発言は何を意味するんでしょう。
大石寺信仰の中でも派閥があって、その中での発言が広まっているしょうか。

勘当とか処分とか穏やかでないですね・・・
確かこの掲示板だったと思いますが「人が伝え、人が理解する教義が完璧なはずがない」という言葉を思い出します。

信仰のもち方が千差万別っていうのが日本人ぽいって言えば日本人ぽい気がする。偏見かな?

548犀角独歩:2002/11/01(金) 00:52

TGSさん:

はじめまして。
私の名前が出ましたので、レスします。

> 浅間神社が富士山の頂上に鳥居を建て

鳥居が建っているのは富士宮の駅前でした。
これは現在、取り壊されてしまいました。
どこぞの圧力によるものだと言います。

富士山の頂上に鳥居があるかどうかは私は知りません。

結婚式に出ないのはもちろんおかしいでしょう。
ところが反対にまだ自前の墓園を持たなかったときには、強烈な布教から警戒され、墓地埋葬を拒絶されたことが会内の深刻な問題になった時期がありました。昭和30年代頃からのことでした。これを不服として、墓埋法を根拠に他宗派と争っていたものでした。こんな歴史は今の人たちは知らないでしょう。このような自身の信仰上の矛盾に気が付いていくことは大切なことであろうかと思います。


なお、一点、私の考えを記しておきます。
私は、本人の考えに直接、意見を述べることは是であると思いますが、公開の掲示板で、匿名であれ、第三者を題材にして、議論をすることは好ましいと思いません。

「○○会の○○という人がこういった。この人はこうあるべきだ、あああるべきだ」という議論には私は参加しません。何故ならば、万が一、その方がこのような公開の場で自分が題材にされ、批判されていると知ることになれば、絶対に良い気はしないと予想が付くからです。フェアではないし、第一、人権侵害に抵触すると考えるからです。

これは、もちろんTGSさんを批判するために申し上げるのではなくて、私の立場を闡明にするばかりに記すことです。ですから、その他のTGSさんご自身が、ご自身のことと、所属される団体について、あるいは個人の責任を踏まえたうえで考えられることであれば、そのような議論には参加させていただこうと思います。これは他の参加者の方々に対しても同様に私は考えます。

以上、僭越ながら、一言、申させていただきました。

549ガンコ:2002/11/01(金) 05:55
ちょっと失礼します。
わたくしの文章は(厳密に見て)独歩さんの考えに抵触するのでしょうか?
わたくしは独歩さんから教えていただくことが多いものですから、つい関係ないところで名前を出したり、文章を(意訳的に)引用してしまっています。
好ましくないのであれば、以後気をつけたいと思います。

550菱村正敏:2002/11/01(金) 06:27
>Aさんの話では浅間神社が富士山の頂上に鳥居を建てていて、非常に迷惑だと言っていました。

 富士山山頂はたぶん浅間神社の所有地です。神社の境内地ということで
考えれば鳥居があるのは自然かもしれませんね。
 
 ご参考までに、江戸時代は大日堂と薬師堂というお堂があったそうです。
それぞれ大日如来と薬師如来が祀られていたとのこと。明治期の廃仏毀釈で
壊されました。富士山頂の外輪は8つあると言われてます。いちばん高い
ところが剣が峰ですね。そのほか「大日岳」と「久須志岳」というのが
あります。それぞれ大日堂と薬師堂の名残です。日蓮さんが生きていたころの
富士山はお堂があったかどうか分かりませんが、密教あるいは神道関係の
行者が修行する場だったと思います。

551菊水護国:2002/11/01(金) 09:42
江戸時代まで、浅間神社は大石寺が管理してました。
神社には出家がおりません。ほとんどが、在家の掛け持ちでした。
職としての宗教儀礼執行者がいないのです。故に職としての執行者(僧侶)が神社の面倒も見てました。
神仏分離令が出るまでは神社には、僧官と神官が並列してました。
神官は神様のお食事を運び、僧官は各種祈念を申し上げました。
神天上の法門とは「邪宗の僧侶(なかんずく真言僧)がその神社に在籍しているから諸天が去る」と言う意味であり「邪宗の僧侶在籍しない神社には、法華守護の神は戻る。もっと進めると、正法の執行者入ることが好ましい」という意味があるように思われます(堀上人の神社論にも類文があります)。

そして、僧官を派遣していた寺が、その神社を管領してました。
寺院に本地堂(本堂)があれば、垂迹堂があるのも当然です。
浅間神社が大石寺の下に入った時、大石寺内の垂迹堂が無くなったと思われ、その後は浅間神社自体が、大石寺の垂迹堂になったのでしょう。
当宗でも他宗でも同じ事が全国末寺にあります。旧寺院の傍に結構神社があるんです。
間違いなく、垂迹としての神社勧請はどんな宗派にも維新期前まであったのです。
神仏分離令はその伝統を壊しました。

552犀角独歩:2002/11/01(金) 11:29

549 ガンコさん:

私のサイト、書いたこと、考えを、他で披露し、また引用し、題材されることを痛痒はありません。

むしろ、その目的をもって、公開の掲示板に書いているわけです。私は私の意志でそのようにしております。ですから、どうぞ、ご遠慮なくなさってください。

もっと、赤の他人と間違われて論われるのは御免ですが(笑)

553いちりん:2002/11/01(金) 11:37
>550
おお、菱村さん、登場。
元気で、生きておられましたか。

554犀角独歩:2002/11/01(金) 11:53

> 550〜551

富士山頂が浅間神社の所有地というのは、そのとおりなのですが、実際はニュアンスが違うように感じます。元々は富士山そのものが御神体なのでしょう、山岳信仰であれば。

そこに神仏が習合し、時代時代で敬われ方が変わり、さらに政との関わりで扱われ方も変化したということで、その流れのなかで大石寺との関わりも生じたと言うことなのでしょうね。

> 浅間神社が大石寺の下…垂迹堂が無くなった…その後は浅間神社…垂迹堂

これは卓見ですね。説得力があります。
そして、神仏分離令で、石山と浅間神社は別の宗教団体と見做されるようになったけれど、石山には垂迹堂は再建されず、さらに、いま見られるような極端な神社忌避に陥ったという推移と言うことになるのでしょうか。

555菊水護国:2002/11/01(金) 17:21
でも今ほどの神社忌避って戦前までは無いんですよね。
これも学会イデオロギーの影響だと思います。
だって、旧信徒って、そんな忌避観持ってませんもん。

556犀角独歩:2002/11/01(金) 17:46

> 555

これはそうでしょうね。
私も、そんなつもりで賛同もし、554も記しました。

557犀角独歩:2002/11/01(金) 17:49

あっと、一つ。
菊水護国さんは、もちろん、そんなつもりで使っているはずはありませんが、「旧信徒」は学会が法華講に使っていた蔑称なんですね。

558菊水護国:2002/11/01(金) 18:59
>「旧信徒」は学会が法華講に使っていた蔑称なんですね。
知ってますよ。
若き日に、この言葉にもっとも、過敏に反応した方が、現在法華講の最高位におります。
もっとも、現在は名誉職だがね。

559マシンX:2002/11/01(金) 19:51
みなさま、はじめまして。いつも楽しく(笑)拝見させていただいております。私は、現在学会に所属しておりますが、かれこれ10年以上も非活動を貫いております。今の学会の信仰方針には納得できない点がたくさん出てきたからであります。ところで今回書き込みをさせていただいたのは、私自身の今後の事も含めて、95年に日蓮正宗から離脱した保田妙本寺のことでお伺いしたいのであります。妙本寺では現在、いつの時代の、どなたが書写された御本尊を下付されているのでしょうか?どなたかご存知ありませんでしょうか。

560知りたがり屋:2002/11/01(金) 22:45
はじめまして、
学会にも真剣に信仰ついて悩んでいる人がいて、実は驚いて書いてしまいました。当寺にまいりましたが、不在でしたので参ってはいません。
文永11年12月に書き表わされた万年救護の本尊とされています。
参道に積まれた石垣に、古い墓石が無頓着に使用されているのを見て、何故か歴史を感ずるとともに、ほっとしたものです。
広い駐車場もゆったりして、人気がなくのんびりしていました。

561TGS:2002/11/02(土) 01:02
独歩さんへ

私は何処にも所属しておりません(このような表現が間違っていたらごめんなさい)。しかし自分なりに宗教に対して「こうあったほうがいいんじゃないかな?その考えは矛盾してるんじゃないかな?」という思いがあります。

Aさんというのは実は私の付き合っている人です。Aさんが自分の宗教を語ったとき、とても違和感を感じました。慣習的で、自分の経験に基づかず、盲目的で一種洗脳的なものだと思えました。

私のその気持ちが偏見からくるものかどうか分からなかったのです。

もしも良識で見て、Aさんの考えや行動に問題があるなら教えて上げたい。
こんな考え方もあるんだと知って欲しい。

残念ながら私の言葉は聞き入れてもらえないようです。
Aさんにとって私は「なにも知らない人」なのです。

そして、皆さんの言葉ならと考えたのです。

悩みました。
こんな個人的なこと誰に相談すればいいのか。

私の発言で不快を感じる方がいらっしゃったならば、真に申し訳ありません。


独歩さんのご意見は真摯に受け止め、以後気を付けたいと思います。
ありがとうございました。

562犀角独歩:2002/11/02(土) 09:12

> 561 TGSさん:

お悩みのところはよくわかります。少しだけ、補足しましょうか。

このような公開の掲示板は、誰でも見ることができます。
特に大石寺系グループに所属している人であれば、閲覧する可能性は高いと思います。
たぶん、この点はTGSさんご自身、理解されているでしょう。もしかしたら、匿名で自分たちのことを記すことによって、パートナーが自分のこととはわからず、「自分と同じような事例」としてとらえ、考えてくれるのではないのかという思惑をお持ちなのかも知れません。(これは私の憶測です)

しかし、以上のような楽観的希望とは裏腹にまったく逆の結果となることも予想されます。私が心配するのはこの点です。もし万が一、パートナーが記述されたことが自分のことであったと知れたとき、どんなふうに感じるか、私はけっして良い感情は抱かないであろうと思います。

実は、こう記すには過去の反省があります。他のスレッドで奥様が大石寺信仰についた方の悩みを語るスレッドが立ったことがありました。その時に、私はそれなりの管見も記したのです。ところが何通か現役のパートナーである信仰をしていないことを悩む信者さんからメールが寄せられました。TGSさんとは逆のお立場の方と言うことになります。その内容については個人的に寄せられたものですから、他に示すことはルール違反なので記しませんが、ともかく内容は批判でした。私はその抗議を通じて、「問題にされる人の感情」というものを考え直してみました。

たしかにもし、私がパートナーであったら、こうした形で自分のことを公開で記し、意見を求めるようなことをされたと知ったとき、たぶん、ひどく傷つくと思います。けっしていい気持ちはしないと思います。相手に対する不信感につながるかもしれません。この自分に当て嵌めて想像してみるところから、私は548の自分の立場を示しました。

また、パートナー間における、これは友人間、親子間、その他の人間関係でも共通ですが、ここにおける不和、あるいは確執は、実は宗教の問題ではないというのが私の経験則です。しかし、その原因を宗教に求め、殊に正邪を言い争うことになだれ込むとき、原因は宗教にばかり求められるようになっていきます。けれど、簡単に言い表すことはできませんが、しかし、この本質は実は宗教問題ではありません。

宗教をしていない人からすると、相手が宗教の話になると別人のようになり、話が合わなくなる。そこで常に使われてしまうのがマインド・コントロールということです。(これはTGSさんのことを記しているのではなくて、一般論です)

極端な場合、その信仰に熱中している相手に対して、感情的に「あなたはマインド・コントロールされている」とまで言い放ってしまう人がいます。しかし、これは逆効果になることはあってもけっして、よい結果は生みません。言われた本人は不快感を感じ、そして、傷つくだけでしょう。極端な場合、その一言が深い傷となって、場合によってPTSDの原因となり得ることも多くあります。(実際、このような事例からマインド・コントロール論批判が展開する人々は存在します)

けれど、勧誘を仕掛ける相手は、常に“強者”と見做されていますから、大概、マインド・コントロールと言い放ったほうは、その信仰者が傷ついたことには気付かないものです。結果、信者ははさらに自らの信仰に答えを求めようとしてさらに深みにはまっていきます。批判言い合いすることがさらに信念を深める原因になるということです。いわば、マインド・コントロールを溶こうとする人が、さらに相手のマインド・コントロールを強める役割を演じているのです。深刻なことに、通常、そのような人は自分の過ちに気付いていません。

以上のように記してしまうと、実際にいま悩んでおられるTGSさんとしては、どうしてよいか困ってしまわれるでしょう。

私が重要であると思うのは、「どうしてよいかわからない」のは何故か、を考えてみることです。どうすることもできない自分の分析です。そこでは「相手の宗教のせいにしない」という前提で、まずこの分析作業を行ってみることです。たぶん、この作業を終える頃、TGSさんは、いまご自分が悩まれていたことが宗教問題ではなかったことに気付かれるはずです。

ここで私が記してきた富士門流に係る記述は、はっきりと申し上げて信仰をしていない人にとってはまったく無意味の、役に立たないことに属するでしょう。ただし、仏法の本質論である慈悲・菩薩道という一面のみが社会とのただ一つの接点となっています。こればかりはTGSさんの問題と解くキーワードとなり得るかも知れません。

563犀角独歩:2002/11/02(土) 09:15

【562の訂正】

誤)奥様
正)パートナー

(ジェンダーが取り沙汰される現在において、不適切な語彙を使用した点を反省します)

564菊水護国:2002/11/02(土) 14:47
万年救護の本尊といわれる本尊も、複数あるんですよね。
大日本国護衛曼荼羅、蒙古調伏曼荼羅、これらも複数あります。
どれが本物かは、決定しにくいんだよね。

565犀角独歩:2002/11/02(土) 15:30

日禅授与の漫荼羅も万年救護本尊の名で呼ばれていましたね。

566マシンX:2002/11/02(土) 15:48
>しりたがり屋さん ありがとうございます。実は私は先月妙本寺の鎌倉日櫻上人にお手紙を書いて「現在の教義について」と「万年救護本尊の御形木の下付について」お伺いしたところ、早速ご本人による直筆のお葉書にてご返事いただきました。教義に関しては、石山と大差なく、大本尊の御形木は現在出していないとのことでした。そして文末には、「毎年10月15日のお虫払いの時に大本尊を拝する事が出来るからいらっしゃい。」と締めくくられていました。私はこのご返事に大変感激しました。しかしながら、私は肝心な事を聞き忘れてしまい(現在のどなたが書写された御本尊を下付されているかについて)後悔しているところです。もし妙本寺で御本尊の下付が行われていれば、近い将来同寺に改宗しようか?等、考えております。日蓮正宗創価学会入信から現在に至るまで、「正義」と思って信仰してきましたが、最近の当局機関紙の必要以上の宗門批判、携帯本尊乱発、強引な会則変更など全く尋常ではないと思います。学会は日顕氏ら現宗門のことを「極楽寺良寛だ」等と騒ぎたてていますが自分たちも同罪、否それ以上であるとわたしは思います。

567マシンX:2002/11/02(土) 16:06
>しりたがり屋さん、菊水護国さん、犀角独歩さん、昨年の大河ドラマ「北条時宗」の最終回で身延山でのシーンで日蓮大聖人(奥田瑛二氏)の後ろに、妙本寺の万年救護本尊(もちろんこの場合レプリカというべきか?)が掲げられていましたネ。最初はきずかなかったのですが、ビデオに撮っておりましたので、後日見て大変驚きました。

568犀角独歩:2002/11/02(土) 16:15

> 567 マシンXさん:

私はテレビは見ないので、ご指摘の番組は存じ上げません。
この場面の年月は何時のことの設定でしょうか。

石山の伝説では弘安2年に興師に授与したことになっておりますので、身延に懸からないことになります。もちろん、これは石山側の伝説です。郷門の伝説となるとどのようなものか、むしろお教えいただければと思います。

なお、櫻師自ら筆を執ってくださったとのこと、ご立派な姿勢であると感心しました。

569マシンX:2002/11/02(土) 16:41
>犀角独歩さん 私は浅学で教学もないない者ですので詳しいことは存じませんが、ドラマのこのシーンは池上に行かれる直前(出発される時)でしたので、時代参考的にはオカシイと思います。ただ万年救護本尊がテレビに映ったことはスゴイことだと思います。

570菊水護国:2002/11/02(土) 23:14
あのドラマには問題がありましたので、時代考証は滅茶苦茶です。
だって、やたらと元気な大聖人が身延を離れるんだもん。
「病気で湯治に向かうため身延を下山する」のでは無く「身延から布教に向かうため離山する」に変わってました。
だから、本当の時代考証は不明です。

571犀角独歩:2002/11/03(日) 08:31

マシンXさん:

菊水護国さんのご指摘も併せると、番組上の時代設定は弘安5年となりますね。
まあ、万年救護本尊が懸かっていた可能性は低いでしょうね(笑)

> 万年救護本尊がテレビに映ったことはスゴイこと

この点で感激されているということですか、なるほど。
保田については、もっと研究されるべきであると思います。

572犀角独歩:2002/11/03(日) 12:29

571の記述、読み直すと誤解を生じかねない表現になっていました。

私が「この点で感激されているということですか、なるほど」と記したのは、肯定。それで、その前提で、富士門信徒においては、もっと「保田については、もっと研究されるべきである」という意味で記しました。

たぶん、日蓮本仏論に関しては石山より先行していたでしょうし、万年救護のみならず、不動愛染感見記など、興味は尽きません。

私も大量の保田に関する資料を入手しましたので、これからゆっくり読もうと思っているところです。

573TGS:2002/11/05(火) 01:11
>独歩さん
インターネットは嫌いらしく見ることはないはずです。

盲目的に思いこんでしまったのは私でした。

考えてみます。

574犀角独歩:2002/11/05(火) 01:56

> 573 TGSさん:

ええ、ぜひ考えてみてください。
「出口」は必ずあります。

575マシンX:2002/11/05(火) 16:00
>菊水護国さん 犀角独歩さん
ですよね〜なんと言ってもフィクションですもんね。ちなみに佐渡以前のお話では、草庵には題目七文字の紙が貼ってあって、その下に小さな釈迦像のような物が置いてありました。(所用によりレスが遅くなりました。申し訳ありません。)

576マシンX:2002/11/05(火) 16:11
犀角独歩さん、菊水護国さん、いちりんさん、そして問答迷人さん他の博学の皆様の書き込みには正直勇気ずけられております。10数年余りたった一人(家族もですが)で今の信心を貫いてきてよかったと思っています。今後も私の不勉強によりわからない点などどうか御教示ください。挨拶が随分と遅れてしまいましたが、今後もどうぞよろしくお願いします。

577マシンX:2002/11/05(火) 16:29
576誤・・・勇気ずけ 正・・・勇気づけ

578マシンX:2002/11/05(火) 16:55
>犀角独歩さん、
>私も大量の保田に関する資料を入手しましたので
是非とも、この掲示板でご紹介ください。私は日興門流のなかで日蓮正宗だけが正義だとは思えなくなりました。(もちろんこの掲示板を読みはじめてから一段と(笑))そう考えますとやはり北山、西山、日郷門流、要山、に興味が、湧いてくる訳であります。特に日郷上人は目師のお骨を持って帰られた重要なお方ですし。

579三学無縁:2002/11/05(火) 18:55
保田の資料については、千葉県史最新刊に妙本寺文書の大半が収録されました。
正信会の坂井法ヨウ師の一連の論文も同書に収録された文書を資料として使ったものですね。
千葉県史はT堂では高いですが、千葉県に問い合わせればT堂よりも2、3千円は安く買えるはずです。

580マシンX:2002/11/05(火) 19:38
>三学無縁さん
 有難うございます。

581ケン:2003/03/04(火) 19:43
いきなりで申し訳ありません。
このサイトのことは、つい最近知りました。
30〜40年以上前に創価学会の活動をしていた者です。
少なくとも最近25年間は、創価学会系の出版物を1点も
読んでいませんが、このサイトをざっと拝見し、若干、
質問をさせていただきます。
「過去の記録」に飛ぶことができなかったので、すでに
話題になっているかもしれませんが、その場合は、
お許しください。

1.創価学会の正当性の「教学的」な理論構成
創価学会が大石寺と離れた場合に、創価学会の宗教的な正当性を
説明可能な理論構成が、ボクには想像することができません。
創価学会の正当性を教学的に説明している書籍(簡単なもの)を
ご紹介ください。

2.池田さんの宗教的立場の「教学的」な理論構成
大石寺と離れた後の池田大作さんの宗教的立場は、
変化しているのでしょうか。変化している場合、「教学的」な
説明はどうなっているのでしょうか。
例えば、池田本仏論的な議論が、組織内で浸透しているのでしょうか。
書籍があれば、ご紹介ください。

なお、創価学会では、外部に公表している出版物の内容とは
ニュアンスの異なる内容を座談会などで説明する傾向が
あったように思います。
池田さんの宗教的立場について、書籍類などの内容とは
異なることが組織内部で、口頭で語られている場合には、
池田さんの宗教的立場を「教学的」にどのように
説明しているのか大変興味があります。
その内容をお教えください。

3.ポスト池田の「教学的」な理論構成
池田さんには、ご子息がいらっしゃったと思います。
宗教的指導者の立場の世襲が、予想されているのでしょうか。
あるいは、宗教的指導者の立場を引き継ぐ方が、
別に予想されているのでしょうか。
ポスト池田に関する「教学的」な理論構成を紹介している
書籍があれば、お教えください。

582みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/03/07(金) 20:59
>>581 ケンさん
1ですが、『教学の基礎』(創価学会教学部編 聖教新聞社 2002年)952円が参考になるかと思います。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4412011771/
また、カトリックと対話した、『カトリックと創価学会』(南山宗教文化研究所編 第三文明社1996年)2136円も参考になると思います。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4476032001/

2ですが、三代会長論(牧口、戸田、池田の三代会長を絶対視する)という論理構成になっているようです。『教学の基礎』をご覧下さい。

口コミレベルのことについては、私にはわかりませんので、現役創価学会員が多い掲示板で聞いて頂くのが良いと思いますが。

3については、創価学会側にはそういうことについての書籍や資料はないと思います。

583ケン:2003/03/09(日) 22:31
みかんさん
とりあえず、『日蓮の真実』(小林正博 第三文明社 2003年)と、『教学の基礎』(創価学会教学部編 聖教新聞社 2002年)を入手しました。
有難うございました。

584ケン:2003/03/11(火) 22:22
創価学会にとって(及び他の富士門流にとっても)、偽書あるいは疑書問題(二箇相承、日蓮本仏論など)は、重要な問題であるとボクは思っていました。少なくともボクにとっては、創価学会を信じられるか否かの重要なポイントでした。

みかんさんの解説から想像するに、少なくとも創価学会は、現在でも、この問題に組織的には取り組んでいないようですね。創価学会は、大石寺との差別化が必要なハズですので、いずれは、この問題に踏み込んでくるかもしれないと想像しているのですが、どうでしょうか。この問題を、一般信徒に対して、或る程度は正面から取り上げているグループが、富士門流に存在するのでしょうか。もし、取り上げているグループがあれば、どのように乗り越えようとしているのか、その内容に興味があります。

585福田里敏:2003/03/28(金) 22:55
本門法華堂が、本仏論の否定をし、正しい信心をしていますよ。また、偽書に関しても、関慈謙師が教えて下さいます。
僕は、学会員ですが、先日、法華堂の法座に行きました。とても、御書講義が判りやすく、質問にも、丁寧に答えてく
れました。

586ケン:2003/04/02(水) 21:35
福田里敏さま
情報を有難うございます。「本門法華堂」のことは、名称もまったく知りません。どのような経歴の団体でしょうか。ホームページはないようですが、関連のサイトがあれば教えてください。
なお、ボクは、今は無神論者なので、正しいか否かには関心がありません。日蓮教学を多少かじった者として、偽書・疑書問題をプロ(創価学会などの各教団の幹部や富士門僧侶)がどのように克服していくのかに興味を持っているだけです。

587地獄しか知らぬ者:2003/04/02(水) 21:40
この世は本当に「無情そのものです」。 何をやっても「失敗ばかりの落ちこぼれの連続の地獄野郎」です、。
 自分の人生には絶望的ですが「人間の世界には、まだ少々未練が残存している」者です。
 人間界所具の「仏」というものは「いかなる心理と体現」が可能なる「状態」なのでしょうか、、??
 「悪に屈しない精神なのか、苦悩には埋没しないで前向きになれるのか、?
 弱者への応援精神豊富なのか、、?、、」 どの対境ならば「仏」を体現可能でしょうか、、?? 何とか知りえたいものですが、、。

588みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/04/02(水) 21:45
>>586 ケンさん
http://web.archive.org/web/20020204094633/http://www.hokkedo.org/index.html

法華堂のHPの跡地。法華堂は正信会の分派です。

589福田里敏:2003/04/02(水) 22:34
みかんさん。HPの紹介、ありがとうございます。僕も、近々、HPを開設しようと、考えています。

590ケン:2003/04/04(金) 23:03
みかんさん
いつも有難うございます。
色々な分派ができているようですね。
大石寺系の分派の系統図を掲載しているHP又は書籍はありませんか。
もしなければ、みかんさんに作成をお願いするというのは虫がよすぎますか。

591みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/04/05(土) 21:58
ちょっとわかりません。
また私は、そういったテーマには詳しくないので、他の方の方が適任かと思います。
一応作ってみましたが、間違っていたり足らなかったりすると思います。一応ご参考まで。


日蓮正宗
創価学会
顕正会
正信会

日蓮正宗に併呑されたが独立した古刹
富士山本門寺(西山)
保田妙本寺

日蓮実宗(大阪・蓮華寺)

正信会から別れた派閥
本門法華堂
大阪・蓮華寺(久保川法章)

第二次宗門問題で日蓮正宗を離れた僧侶グループ
憂宗護法同盟
日蓮正宗改革同盟
青年僧侶改革同盟

その他
本門正宗・富士山本門寺(小野寺日了(小野寺直))
妙法蓮華宗・光寺(玉井日禮(玉井禮一郎))
正理研究会、平和神軍(中杉弘)

592ケン:2003/04/06(日) 21:34
みかんさん
いつも有難うございます。半分近くは初めて見る名称です。
ところで、「第二次宗門問題」は、何時ごろ起きたどのような騒動でしょうか。
「憂宗護法同盟」の方々は、自分達の方から出て行ったのでしょうか。

593みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/04/07(月) 01:21
追加。中杉弘氏の本名は、黒須英治氏です。

第二次宗門問題は、日蓮正宗宗門・阿部日顕氏が、池田大作氏および創価学会を破門にした一連の騒動です。(第一次は細井日達氏晩年の、正信覚醒運動のころ)
http://www.uranus.dti.ne.jp/~yuugeki/nitiren-kiso.html#f 参照。

憂宗護法同盟の人たちは、自分から宗門離脱したのだと思います。
よくわからないのは、改革同盟とのちがいです。日蓮正宗改革同盟および
青年僧侶改革同盟は、100%親創価学会のようですが、憂宗護法同盟は
かならずしもそうではないようです。

594妙薬:2003/04/07(月) 12:28
 みかんさんご無沙汰しています。また、折を見てオフ会を開いてください。
 さて、第二次宗門問題(宗創抗争)ですが、平成3年頃でしたね。私は法華講信徒の立場でしたが、創価破門に驚かされた覚えがあります。あれから10年余、早いものです。
 個人的にはその時こそ、弘安2年の大御本尊を信奉する顕正会、正信会は宗門に復帰すべきだったと今も思います。「小異を捨てて大同につく」、言葉は簡単ですが現実には難しいことなのですね。
 ケンさんはじめまして。HPや書籍は知りませんが、その辺の事情に詳しい人はたくさん知ってます。もう少し関連書籍などで勉強されてから、知識豊富な方をたずねられたらよいと思いますが。

595ケン:2003/04/12(土) 20:28
みかんさん
教えていただいた「創宗戦争の基礎知識 北のりゆき」を読みました。説得力のある文章で大変参考になりました。

妙楽さん

勉強不足ですみません。少しは自分でも調べようと思って「憂宗護法同盟」で検索したら、以下の論文「顕正会とは何か」がピックアップされ、その論文の末尾に「日蓮正宗系教団系統図」が掲載されていました。とりあえずご報告まで。
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho34/s34_140.htm

596仲村 英彰:2003/04/24(木) 21:37
宜しく、、::。実は実母・実妹が学会のガリガリで「実母は友人葬でまかせてくれ、、」といわれ「葬式はアマではなくプロにまかせるべき、、」と「家庭内宗教戦争」の状態です、、。
 学会の「ダマシのテクニックですっかりだまされてワシの言い分も聞きません、、」、、。 「友人葬」は「宗教的には、どのように判定されるものでしょうか、、??」。 宜しく、、。

599無明者:2003/04/29(火) 18:22
略:: これは120%で「洗脳結果状態」でしょう、、。 「ある方を990%褒め称え、自民党とガッチリの”公明党”の支配者は、、、??」。そうです「大?先生サマに”身も心”も捧げるように”誘導”された方々ほど」「コワイ方々外にはおりません、、」「今や権力の中に入り”国税をクイモノに出来る地位”を確保したようです」。 これからは「キビシイ弾圧が強行」されましょう、、、か、、??。 「家庭内宗教戦争」では「済まない」でしょうか、、?? 恐ろしい「団体」が「すでに99%制圧」したようです、、??

600聞いてくれます?:2003/05/12(月) 00:27
ちょっと聞いてくれますか。(愚痴を)
宗教とは関係ないのですが。
私は都内に神奈川から通勤しているサラリーマンです。
10年前に社会に出て依頼、不況を実感してます。
宗教から見て今の日本をどのようにすれば良くなるのでしょうか。
日蓮さんの時代は難といって、時の権力と戦っていたようですが。
90年の年末、宗門問題が起こり、時同じ頃バブルがはじけてしまって。
就職した頃からいいことはありません。
日本の景気回復と日顕宗の問題は同じくらい先が見えません。
絶対的な幸福とよくいいますが、絶対的ではなく絶対な景気回復と宗門の解決を教えて下さい。
どうすれば・・・。

601孤独な迷子:2003/05/12(月) 06:49
おはようございます。

「妙とは蘇生の義なり」という御文がありますが、かつて死んだ人間でも息を吹き返すのだと聞いたことがありますが、本当にそのようなことがあるのでしょうか。

602問答迷人:2003/05/12(月) 08:14

孤独な迷子さん こんにちは

日蓮聖人が、母親の重病を祈って、命を延べたという事は、有名ですが、僕は、30数年信仰してきましたが、残念ながら、実際にはそのような事例に一度も出合ったことはありませんし、そのような具体的な話を聞いたこともありません。

603福田里敏:2003/05/17(土) 13:16
現在、Yahooオークションに、大聖人の真筆の御書のレプリカの巻物が、数点出品されていますが、出品者に聞いても、出所不明との事ですが、これらは、どこで出されたものか、ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。お願い致します。

604孤独な迷子:2003/06/09(月) 17:28
問答迷人さん、こんにちは。

超遅レスになってしまいまして申し訳ございません。

>601,602

やはりそのようなことはないのですね。

この話は、所属する寺院のご住職が、5,6年前の御講の席で話されたものです。あまりにも突飛なことだったので記憶に残っていたのですが、私の聞き間違いだったかも知れませんね。

お騒がせしてすみません。

605いちりん:2003/06/14(土) 13:21
日蓮さんも、自分が死んだ後、ここまで信徒が増えるとは思いもよらなかったでしょうか。
そうして、これだけの信徒らしき人たちのありさまをみて、喜ばれたでしょうか。
あーだこーだと自分をめぐって日夜、各地で論議されていることを、どう感じられるでしょうか。

606いちりん:2003/06/14(土) 13:28
たぶん、ですけど。
おもしろいなあと思うのは、いろんな日蓮さんを信奉する教団がありますが、それぞれホンモノの日蓮さんがあらわれたら、きっと困ることになるんじゃないかと思いますね。

だから、もしもあらわれたら、どこかに閉じこめてしまうんじゃないかと。
自分たちの教団にとって、ホンモノの日蓮さんがいたら具合が悪いので。

これはもう、すべての宗教に通ずることかも知れませんですね。
キリスト教の教団にとって、ホンモノのイエスがあらわれたら都合が悪い。
真言宗に、空海があらわれたとら、とても困る。

宗祖でなくても、まあ創価学会にもとも戸田さんがあわれたら、やはり具合が悪いので、どこかに閉じこめて衆目にさらさせないようにすることでしょう。

宗教って、祖師をものすごく敬うわけですけど、それはすでに死んでしまっているので、自分たちに都合のいいふうにとらえた祖師を大切にしているわけでしょうね。
だから、生きたホンモノの祖師があらわれると、ものすごく都合が悪い。とても危険です。

祖師を敬い、拝みながら、その祖師の心を殺してしまうということも、ありえるんでしょうね。
それがけしからんということじゃなくて、宗教ってそういうものかなあとも思うのです。

607地獄境涯 脱出希望者:2003/06/14(土) 17:45
 ムムッ、!! 「祖師を、、拝み、、心を殺してしまう、、」とは??  ある方は「久遠の本門の教主釈尊様の流れを引き継ぐ=本文且つ事(実)の南無妙法蓮華経様」を「第一に御発見された方と思い深く”尊敬”」は致しますが「祖師=日蓮サン」を「拝む必要を感じない、、」人も、居るのでは、、??

608いちりん:2003/06/14(土) 19:53
久遠実成の釈迦というのは、歴史的に実在していた人格ではありませんよね。
いわば「抽象概念」です。まあ、観念の産物。

ということになると、どうもリアリティ、親近感がなくて、拝むというのは難しいんでしょうね。
まあ、真言宗でも、仏は「大日如来」ですが、この久遠実成の釈迦あるいは、さらに抽象概念です。
浄土系の阿弥陀さんにしても、かなりの抽象概念ですね。

で、なかなかそういうものは、拝みにくいというか、実感とした伝わらないので、とくに日本では祖師信仰になっていくんでしょう。
大日如来よりは、弘法大師。阿弥陀さんよりは、親鸞、法然と。久遠実成の釈迦よりは、日蓮さんと。

まあ、わけても、祖師信仰がもっとも強いのは、日蓮系の宗教でしょうね。そして、日蓮本仏論にまでなってしまう。

そして、こんどは、日蓮さんは歴史的な実在だしお手紙なども残っていて、とても親近感がありますですが、やはり死んでしまった人だから、なかなか強烈な出会い的な共振が難しい。

ということで、生きている教祖、リーダーに対する崇拝がいちばんハマりやすいのかなあと思います。
まあ、生きている人間は、生きている人間に感化されやすいし、それが学びの近道ということかもしれません。けど、その人格に対する依存もまた強烈だから、そこは大きな落とし穴があったりするわけですよね。まあ、落とし穴に落ちることも、大切な学びであったなあと、わたし自身は思っていますけど。

609地獄境涯 脱出希望者:2003/06/14(土) 20:42
ナルホド、、、。 さすが、 御深い御洞察、、、。 有り難うございます、、。

610アネモネ:2003/06/14(土) 23:24
>まあ、落とし穴に落ちることも、大切な学びであったなあと

私も全くそのような思いです。いや、まだ学びの最中です…。

611いちりん:2003/06/14(土) 23:31
たぶん、無駄なことは、決してないんだと思いますね。
すべてが学びになるなあと、思いたいというか。
まあ、自らにそういい聞かせて、日々、生きています。(ちと無理しているかなあ)

612真じゃ:2003/06/22(日) 17:19
先日身延の祖廟に参詣しました。
御真骨が本物であれ、馬の骨であれどうでもいいことなのです。
そこに魂があるかか否かなのです。
熱心な信者ですが、友人に無理矢理謗法の身延に連れて行かれました。
久遠寺は別ですが、祖廟は、言葉で言い表せない神秘的な感じがしました。
奉安堂に御開扉を受けたときと同じ気持ちだったのです。

祖廟の左端に小さな五輪塔がありました。日興聖人のお墓です。
もちろん身延の二世ですからあるはずでしょうけど・・・
祖廟の右には身延の歴代墓がありそっちには安置されていません。
身延では日興聖人は歴代に入っていないとのこと
なぜなのでしょう???

613アンタッチャブル:2003/06/23(月) 01:55
>いわば「抽象概念」です。まあ、観念の産物。
いい加減な宗教オタクの発言だな、こりゃ。

614いちりん:2003/06/23(月) 14:22
アンタッチャブル さん
ならば、お聞きしますが、久遠実成の釈迦というのは、「抽象概念」で観念の産物じゃないんですか?
具体的な事実として、存在してるものなのですか?
どなたかこれまでに、久遠実成の釈迦というものに、出会ったことがあるのですか?
インドのお釈迦さんのことじゃありませんよ、久遠の釈迦ですよ。

615アンタッチャブル:2003/06/25(水) 00:57
当たり前でしょ。久遠実成の釈尊とは、実在であるのが法華経の教えであり、日蓮聖人の御指南です。「一心欲見仏不自借身命」は空言ではないですよ。忠告させて頂ければ、いちりんさんの勝手解釈の仏教は人々を惑わしますね。

616いちりん:2003/06/25(水) 08:45
>久遠実成の釈尊とは、実在であるのが法華経の教えであり、日蓮聖人の御指南です。

わたしは、それが正しいとか間違っているというのではありません。
久遠実成の釈尊をたてるのが、天台宗やら日蓮宗やら日蓮正宗の「教義」ですね。

日蓮正宗では、日蓮本仏。
真言宗では、大日如来。
浄土系は、阿弥陀如来。
キリスト教は、ゴッド。
イスラム教は、アッラー。
神道は、あめのみなかぬし。

……というように、ある「観念」を立てるのが信仰だというのです。
それは、繰り返すけど、正しいとか間違っているというのじゃありません。
「信仰」「教義」ですから。

わたしが言っていたのは、そういうものはやはり「観念」であって、だれも出会ったことのないものである。
リアリティがないものである。
だから、「実在」していた日蓮とか空海とか、親鸞とか、イエスとか、マホメットとか、そういう人を通して、信仰に没入しやすいということを言っているだけです。

日蓮系の人は、久遠実成の釈尊などという存在は、ほとんどの人がリアリティがないでしょう。

617アンタッチャブル:2003/06/25(水) 12:33
いちりんさんは、知ったかぶりの通仏教だから、哲学用語で語っても話にならないんだよね。素人と同じなんだけど、自分は詳しいと勘違いしているから始末が悪いなあ。かといって、信仰も定まらないから、何も把握できない。自分が把握できないからって、把握できるものが無い訳じゃないないのよ。

618アンタッチャブル:2003/06/26(木) 08:18
ちなみに、いちりんさんの使っている「観念」であるとか「実在」の用語は、通俗的なもの。これと、仏教などの哲学用語と同等の意味に使うと全く仏教が理解できなくなります。いちりんさん、通俗的な意味でない本来の意味をしっかり調べて御覧なさいよ。

619ガンコ:2003/06/26(木) 11:08
アンタッチャブルさん、はじめまして。わたくしはガンコともうしまする。

>久遠実成の釈尊とは、実在であるのが法華経の教えであり、日蓮聖人の御指南です。「一心欲見仏不自借身命」は空言ではないですよ。

あなたは顕本の方だったと思いますが、わたくしは文底読みの流儀ですから手放しで賛同するわけにはまいらないのですが、まあ、上記のご意見はおおむね宜しかろうと思います。ただ、なんでいちりんさんにそんなにカラムのか理解できないです。いちりんさんのおっしゃることは世間一般の最大公約数的な考え方であろうし、そのことは日蓮大聖人御自身が仰せであります。

「寿量品に我は過去五百塵点劫のそのかみの仏なりと説き給ふ。我等は凡夫なり、過ぎにし方は生まれてより已来すらなをおぼえず。況や一生・二生をや。況や五百塵点劫の事をば争でか信ずべきや。・・・されば過去未来を知らざらん凡夫は此の経は信じがたし。又修行しても何の詮かあるべき。」(法蓮抄)

仏様の御悩みというのはどうやってわたくし達にわからせるか、信じせしむるか、にあるのですから、あなたはちゃんとその点を考慮して説明しなければならないと思います。

620アネモネ:2003/06/26(木) 21:51
>ただ、なんでいちりんさんにそんなにカラムのか理解できないです。

私も同感。

621アンタッチャブル:2003/06/27(金) 20:52
別にあっしは、顕本ではないですんけど?まあ宜しい。答えは簡単です。仏教に詳しいと自ら思い、評論するならば最低限のものは学んで欲しい。それをしないで、「久遠釈尊は、抽象的観念だ、実在じゃない」と言うのは、日蓮聖人からすれば「謗法」ざんしょ。
要は簡単、仏教思想からすれば俗用語と本来用語の意味を並べて、違いを見れば何を学べばよいのか分かるはず。それを放棄して、あたかも自分的なことが素晴らしいかのように気取って宣えば折伏されるでしょ。ど素人なら許されるけど、説明もこちらから出来るけど、いっぱしに宗教者気取りになってしまっているのだから、厳しく批判されても仕方ないでしょ。
貴方達の集まりが、信仰心がないか、信じれば何でも良いと言うカルト系なら、議論するのも無駄だけどね。

622アネモネ:2003/06/27(金) 21:39
>日蓮聖人からすれば「謗法」ざんしょ。

仰りたいことはわかります。

>宗教オタク…知ったかぶりの通仏教…いっぱしに宗教者気取り…

仰りたいことはわかるのですが、でも、これって個人攻撃が過ぎているというか、人格攻撃になってませんか?
相手を侮辱する言葉と一緒に仏教を語られてもねえ…。なんか語るに落ちるような…。
失礼だったら、すみません。
これ、私の個人的な感想です。

623論議歓迎支隊員:2003/06/27(金) 22:36
 :: このHPでは百戦錬磨の猛者が多いようですので「この程度でビビルようなヤワなお方は御不在、」かと存じまするが、、?

624アンタッチャブル:2003/07/01(火) 22:25
日蓮聖人が、議論を臨む時に何故あのようにされたのか、そしてその心中を察することのできない人には分からないかもね。みなさんのことではないけれど、偽善者と狂信者ばかりの宗教ではね〜。

625葛根湯:2003/09/03(水) 13:16
はじめまして。本尊についてなのですが
五字七字の題目は、法華経を本尊としつつ、法華経に帰依するという在り方に
仏の姿をみて、法華経に帰依するという在り方も本尊とするということでしょうか。
突然の質問ですいません。

626ガンコ:2003/09/03(水) 16:49
葛根湯さんの質問は、素朴な疑問というよりはかなり高度な疑問、いや、わたくしから見ると相当にご自身で思索せられて、その結論みたいな部分をお書きになっていらっしゃるように思えるので、その思索の過程をもう少しお書きにならないと、何を質問していらっしゃるものか、ちょっとわかりにくいです。
よろしければもう少し質問の仕方を工夫されてはいかがでしょうか? もっともわたくしがお答えできるかどうかわかりませんが、質問の意味が明瞭であれば、諸先生方がお答えになられることと思います。

627苦悩乱者:2003/09/03(水) 22:37

625 葛根湯さん 

始めまして、苦悩乱者です。よろしくお願い致します。
h.ネームの如くですので、あまり真に受けずに参考程度に聞いておいてください。

>法華経を本尊としつつ
とは「法本尊」を意味して、おっしゃていますね。

>法華経に帰依するという在り方に仏の姿をみて、
とは「人本尊」のこと

>法華経に帰依するという在り方も本尊とするということでしょうか。
は「人法一箇の本尊」という事でしょうか。

そういうことであれば、現在の富士の「本尊観」と同じだと思います。

628愚鈍凡夫:2003/09/03(水) 22:50

>>625: 葛根湯さんへ

始めまして、愚鈍凡夫です。

以下の論文は、早坂鳳城氏が日蓮宗の立場で日寛師の『六巻抄』を破折した論文です。
参考になると思うので、読んでみて下さい。

『六巻抄』の構造と問題点(一) 「三重秘伝抄」を通して
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/01/01_031.htm

『六巻抄』の構造と問題点(二) 「文底秘沈抄」本門の本尊編を通して
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/02/02_060.htm

629苦悩乱者:2003/09/04(木) 17:21

628 愚鈍凡夫さん

貴重な資料を有難うございます。

630右往 左往子:2003/09/04(木) 19:10
、、素朴なる疑問の一つ。 日蓮サンの本義とは?、 日蓮サンの大儀とは? 今更ながらおしかり覚悟で御提起、再考察を御要望をたいが、? 日蓮サンの本筋が果たして、後続の僧侶方に??%位が伝授されたのでしょうか、?
私見ですが”仏陀様”も”日蓮様”も”お堅い事に拘泥されませず””今のIT情報時代こそ破言門理〜核心(成仏)達成への啓蒙”の最適時ですので、ドーゾ”再度御誕生されまして、御指導”を切願したいが。(カルトでは無く)。 それとも「すでに成仏への方途は申し付けた、」、不理解なのは”マツゲが見えないのと同じジャヨ”と言う事でしょうか、? 、。

631a:2003/09/04(木) 19:19
http://jbbs.shitaraba.com/school/14/

632愚鈍凡夫:2003/09/04(木) 20:16
>>629:苦悩乱者さんへ。

読んで頂けましたか。有り難うございます。

633眠りの小五郎:2003/09/06(土) 09:20
それにしても、ここに書き込む人は、よく勝手に「真偽未決だ」とか、
「偽書だ」とか言ってるけど、何を根拠にそんなこと言ってるのやら。
まさか、

「現代に真蹟が残ってないから」

なんて単純且つ間抜けな理由じゃないでしょうね!?

634右往 左往子:2003/09/06(土) 16:27
No.633 小五郎様    >、、、間抜けな、、。
 とは、手厳しい、。 事実〜真実を完全に未来長く伝達するのは”世界的にも至難のわざ”でしょうか。 普通の歴史(通史)でさえも”その時の有力な権力者の意向に添って作為的に伝えられる”様です。
 心の分野の宗教や哲学なども、ヤハリ”時の有力者の影響”は避けられませんでしょう。 その悪影響は”思考停止を容認し〜狂信〜カルトへの移行”もあり得ます。 その予防、防止にも”真跡は意義が在る”かと存じます、。

635葛根湯:2003/09/06(土) 20:12
レス遅れてすいません。この質問は、色々難しいところがあるようですね。
もう少し自分でいろいろ調べてみます。レスを下さったみなさん、ありがとうございました。

636眠りの小五郎:2003/09/07(日) 03:13
所詮、生活の片手間にしか仏法を学んでいない在家の如き連中が、自らの浅識
も省みず、好き勝手に「真偽未決」だの「偽書」だのと、御法門を軽々に云々
する事は、僭越の至りであると知るべきですよ。

それとも、
「自分は御法主上人以上に専一に仏法を学んでいて、大聖人の御法門を、一切
隈なく考証し、その上で、『真偽未決』や『偽書』と言ってるのだ」
なんて、臆面もなく本気で言う御仁が、この中にいるんでしょうかネ。

637問答迷人:2003/09/07(日) 10:40
眠りの小五郎さん

初めまして。

> 「現代に真蹟が残ってないから」

その通りですよ。現代に真跡が残っていない物は、本当に日蓮聖人の真跡であるとは断定出来ないわけですから、当然ですよ。なお、身延曾存の書については、真跡は失われて存在しないけれども、克明な研究記録が存在するので、真跡に準じて扱う、というのが基本的な有るべき態度だと考えています。

> なんて単純且つ間抜けな理由じゃないでしょうね!?

どこが間抜けなのでしょうか、ご説明戴きたいと存じます。

> 所詮、生活の片手間にしか仏法を学んでいない在家の如き連中が、

こういう発言に接すると、日蓮正宗僧侶の、信徒に対する傲慢不遜な姿が丸出しのように感ぜられ、暗澹たる心地です。

> 自らの浅識も省みず、好き勝手に「真偽未決」だの「偽書」だのと、御法門を軽々に云々
> する事は、

僧侶が説明責任を果たしていない現実があるから、こういう掲示板のニーズが有るのですよ。

>僭越の至りであると知るべきですよ。

では、この掲示板の参加者が「なるほど」と理解できるように説明して上げて下さい。

> 「自分は御法主上人以上に専一に仏法を学んでいて、大聖人の御法門を、一切
> 隈なく考証し、その上で、『真偽未決』や『偽書』と言ってるのだ」

論理が逆転していますね。逆立ちの論理です。日蓮聖人の御法門を正しく学びたいと願うからこそ、真跡書に拘るのです。当然のことです。宗門の、欺瞞的な説明に、癖壁としているからに他なりません。

> なんて、臆面もなく本気で言う御仁が、この中にいるんでしょうかネ。

今度は、人身攻撃ですか。程度の低い喧嘩を吹っかける閑がお有りでしたら、信徒が良く理解できるように、
説明されるべきです。

638右往 左往子:2003/09/07(日) 16:55
637:迷人様に共感です。 小五郎様の言は「、、信徒の分際で、何を抜かすか、僧侶こそが一番」という「僧侶最優先主義(これが混迷の因なのに)を未だにガンコに所持、、」とは、時代錯誤と布教者側の負うべき「布教責任の無自覚、無責任さが100%」もある実体が暴露されました様です。これは「貴重な投稿」でしょうか? 現今では「権威、権力で庶民を押さえつけることは”お隣の某国”以外」では御無理でしょうから。 今までの疑義が「少しでも解明され、次なる善後策(改善策)の方向が示唆されない限り」は「旧信徒は愛想を尽かし、新信徒は警戒を持続」でしょうか。


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