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素朴な疑問
562
:
犀角独歩
:2002/11/02(土) 09:12
> 561 TGSさん:
お悩みのところはよくわかります。少しだけ、補足しましょうか。
このような公開の掲示板は、誰でも見ることができます。
特に大石寺系グループに所属している人であれば、閲覧する可能性は高いと思います。
たぶん、この点はTGSさんご自身、理解されているでしょう。もしかしたら、匿名で自分たちのことを記すことによって、パートナーが自分のこととはわからず、「自分と同じような事例」としてとらえ、考えてくれるのではないのかという思惑をお持ちなのかも知れません。(これは私の憶測です)
しかし、以上のような楽観的希望とは裏腹にまったく逆の結果となることも予想されます。私が心配するのはこの点です。もし万が一、パートナーが記述されたことが自分のことであったと知れたとき、どんなふうに感じるか、私はけっして良い感情は抱かないであろうと思います。
実は、こう記すには過去の反省があります。他のスレッドで奥様が大石寺信仰についた方の悩みを語るスレッドが立ったことがありました。その時に、私はそれなりの管見も記したのです。ところが何通か現役のパートナーである信仰をしていないことを悩む信者さんからメールが寄せられました。TGSさんとは逆のお立場の方と言うことになります。その内容については個人的に寄せられたものですから、他に示すことはルール違反なので記しませんが、ともかく内容は批判でした。私はその抗議を通じて、「問題にされる人の感情」というものを考え直してみました。
たしかにもし、私がパートナーであったら、こうした形で自分のことを公開で記し、意見を求めるようなことをされたと知ったとき、たぶん、ひどく傷つくと思います。けっしていい気持ちはしないと思います。相手に対する不信感につながるかもしれません。この自分に当て嵌めて想像してみるところから、私は548の自分の立場を示しました。
また、パートナー間における、これは友人間、親子間、その他の人間関係でも共通ですが、ここにおける不和、あるいは確執は、実は宗教の問題ではないというのが私の経験則です。しかし、その原因を宗教に求め、殊に正邪を言い争うことになだれ込むとき、原因は宗教にばかり求められるようになっていきます。けれど、簡単に言い表すことはできませんが、しかし、この本質は実は宗教問題ではありません。
宗教をしていない人からすると、相手が宗教の話になると別人のようになり、話が合わなくなる。そこで常に使われてしまうのがマインド・コントロールということです。(これはTGSさんのことを記しているのではなくて、一般論です)
極端な場合、その信仰に熱中している相手に対して、感情的に「あなたはマインド・コントロールされている」とまで言い放ってしまう人がいます。しかし、これは逆効果になることはあってもけっして、よい結果は生みません。言われた本人は不快感を感じ、そして、傷つくだけでしょう。極端な場合、その一言が深い傷となって、場合によってPTSDの原因となり得ることも多くあります。(実際、このような事例からマインド・コントロール論批判が展開する人々は存在します)
けれど、勧誘を仕掛ける相手は、常に“強者”と見做されていますから、大概、マインド・コントロールと言い放ったほうは、その信仰者が傷ついたことには気付かないものです。結果、信者ははさらに自らの信仰に答えを求めようとしてさらに深みにはまっていきます。批判言い合いすることがさらに信念を深める原因になるということです。いわば、マインド・コントロールを溶こうとする人が、さらに相手のマインド・コントロールを強める役割を演じているのです。深刻なことに、通常、そのような人は自分の過ちに気付いていません。
以上のように記してしまうと、実際にいま悩んでおられるTGSさんとしては、どうしてよいか困ってしまわれるでしょう。
私が重要であると思うのは、「どうしてよいかわからない」のは何故か、を考えてみることです。どうすることもできない自分の分析です。そこでは「相手の宗教のせいにしない」という前提で、まずこの分析作業を行ってみることです。たぶん、この作業を終える頃、TGSさんは、いまご自分が悩まれていたことが宗教問題ではなかったことに気付かれるはずです。
ここで私が記してきた富士門流に係る記述は、はっきりと申し上げて信仰をしていない人にとってはまったく無意味の、役に立たないことに属するでしょう。ただし、仏法の本質論である慈悲・菩薩道という一面のみが社会とのただ一つの接点となっています。こればかりはTGSさんの問題と解くキーワードとなり得るかも知れません。
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