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ネットの議論ってそもそも意味あんの?
1
:
うろちい
:2006/04/04(火) 09:58:28
このスレは「 誹謗中傷って、何?(1417) 」から分岐しました。
2
:
うろちい
:2006/04/04(火) 09:59:11
>>1417
イカフライさん
>***ではなく相互***鑑賞会、ではないですか?
ウオッチ掲示板なんてのは開き直って集団オナニーしてるんでしょうね。
議論ならまだ、セックスになる可能性がある。
ちなみに、ここでの「セックス」てのは「相互作用のある対話」を意味するんだけど、
実際のセックスというのは自分よがりの相互オナニーにもなっちゃうわけで、
また、売春のように性的欲求については片利セックスみたいなのもあるわけですし、
要はネットかリアルかというメディアの問題では無くて相互が相手に対してチャンネルを
開こうとしているかどうかが大事、ってことなんじゃないでしょうか。
ネットの論者ってのが特にその態度に乏しい、ってわけではないと思います。
ネットは時空やしがらみに制限され難いので、隔絶していた2つの集団オナニーの
メンバーを引き合わすことに成功したのだと思います。
3
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/04(火) 22:51:39
極論するなら、「ないと思う」「意味がない」という感想が「最終結論である」と自分で断じた瞬間に、それについての思考が終わるのだと思います。
思考停止というのは、目指すベクトルの如何に関わらず、「無視」と同程度の脅威であるわけではないかなと思われます。
そういった意味で、イカフライさんの今のお考えが「意味はない」に落ち着くのであれば、それこそ「ではさようなら、ごきげんよう」ということになってしまうのでは、と思います。
ただ、「意味はないと思うが、どうか?」という問いかけをしている時点で、それは「意味がない、という確信がないので、それをテーマに議論(もしくは返答)を希望している」ということなのかなとも思います。
イカフライさんの意見表明に対して、なんの反論も返答も付かず、否定も肯定もされなければ、それはまさに「意味がない」ということになるのかもしれません。
とりあえず、管理人裁定でスレが分離されましたので、以後の関連議題はこちらで、ということで。
4
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/04(火) 23:09:34
さて、ネットの議論に意味があるかですが、そもそも「議論」に何を求めるかによって、その答えは異なるのではないでしょうか。
現実の議論(ディベートや会議)には、明確な目的があるのと同時に、「時間制限」と「議長」と「採決」と「参加資格」がありますね。
時間制限は「発言の持ち時間」というだけでなく、「会議全体の日程」であったりもします。物別れになったら、二度と顔を合わせるチャンスのない会議もあるでしょうし、毎回物別れなのに顔を合わせることそのものに意義がある会議もあります。日朝協議とか。
ネットの議論には、「いつまでにこれについて採決しなければならない」という時間制限がありません。これは、「急がなくてもいつまでも続けられる」というメリットであると同時に、「結論を急がないため、いつまでも続いてしまう」というデメリットがあります。
また、どういった知識レベル/発言技術/資格があるかどうかといった制限はネットの議論にはありません。誰にでも参加できるという意味では「門戸が開かれrている」というメリットがありますが、「参加者の程度が違いすぎると、話が通じにくくなる(専門家と素人、など)」というデメリットがあり、資格が規定された会議よりも「遠回り」になりがちです。
議長がいないというのもネット議論が、現実の議論と大きく違うところかもしれません。
議長役を掲示板管理者が務める場合もありますが、そういうのはだいたい「掲示板管理者+そのシンパvs対立する発言者群」という図式になってしまい、議長が「削除権」を大盤振る舞いした挙げ句に、議論が成立しなくなって閉鎖、というパターンがよく見られます。
掲示板管理者が、中立的な議長を務めることはほぼ不可能なんですね。
「結論を得ること」が必ずしも目的ではなかったり(反論者の排除が目的なら別ですが)する場合もありますので、ネットの議論において「田原孝太郎のような議長(じゃないな、アレはw)」は不要と言えば不要なのかもしれません。
一般の議論では交互または順番に発言を行う必要があることから、「発言権を振り分ける係」としての議長は必要ですが、発言者が好き勝手に(というより、順番を待たずに)発言できるネットの議論では「発言順を振り分ける係」としての議長はまったく不要なのかも。
ただ、議長役というのが「議事進行の整理」役だとした場合。
かつては緑装薬4さんが、そして私などもごくたまにそれをしますが、「ここまでの議論のまとめ。双方の意見をつきあわせると、合意しているところはここ、対立しているところはここ、考えられる選択肢はこれとこれ、それぞれのメリット・デメリットは……」といった、【まとめ】というのは必要なのかもしれません。議長役がそれをするか、そうでなければそこにいる発言者全員が「まとめ」をする能力を担えるのが理想だとは思います。
私はもともと「ノートを取る人」を自分に課しているつもりなのですが(議論に参加することもあれば、せずに議論の経緯をまとめるだけのこともあったかと思います)、散乱した議論の「合意点と相違点をまとめてみる」という作業をする存在は、ネットの議論ではできればいたほうがいいというか、これがいないとどこまでも話が脱線して散逸していくだけになってしまうのではないかな、と思います。
イカフライさんは疑問を提示して戦線を広げていくタイプの方ですが、「合意点と相違点の再掲」のような作業をされてみるとよろしいんじゃないでしょうか。
自分の意見、人の意見、それぞれの衝突しているところ、いないところ、メリット・デメリットを照らし合わせる作業というものは、一人で考えているだけでは絶対にできませんし、議論が対立し、なおかつ検証が進まなければできませんし。
談話室などもそうですが、適度に立場の違う人が「やりあっている」場のほうが進むこともありますしね。
「採決」についてですが、決を採る必要がないから、ネットの議論は無意味と言うことを、イカフライさんはおぼろげにお感じになっているのではありませんか?
私は、ネットの議論(に限りませんが)は、そこに「最終結論」が出ることがなく、また「結論への恭順を強制できない」という意味においては「ネットの議論は現実の議論に勝てない」とは思います。
これは、「強制以外で相手の意志を変えるスレ」などでもさんざん出てきたことだとは思いますが、他人の意志を変える方法は結局のところ「従わないことによる不利益=罰則を伴う強制」以外にはないんじゃないでしょうかね。
でも、ネットの議論の結果について、それぞれに強制を促すことは当然できないわけで。
となると、ネットの議論というものは「結論を導き出す」「導き出された結論への従属を促す」ためにするものではない、のではないでしょうか。
5
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/04(火) 23:18:17
そういう意味で、私はネットの議論を現実の議論と同列に見たり、単純に比較して「答えが出ないから意味がない」としてしまうのは早計かもと思います。
現実の議論にも「結論を出すことが目的ではないミーティング」ってありませんか?
例えばブレスト。(brain storming)
個人の見解、断片的な知識などを、複数の人間がとりあえず吐き出し、羅列してみる。
三人寄れば文殊の知恵って奴でして、知識を持っていない人間が、知識を持っている人間の思いつかないアイデアを出すかもしれない。
そのために、「わかっていること」「わからないこと」を照らし合わせ、共同で検証作業をするのが「ブレスト」ですね。
ネットの議論というのは、この「ブレスト」の規模と期間が制限されないもの、ととらえるのがよいかと思いますがいかがでしょう。
そして、ブレストから何かを得られるかどうかというのは、その人次第なんですね。
新たな知識を得られるという場合もあれば、知っていることしか出てこないこともある。
その意味でも、価値をどう決めるかというのは受取手の主観に左右される問題でして、価値判断をされる側(この場合は「ネットの議論」というものそのもの)の全体の客観的価値を、一個人の観測で決めてしまうことは難しかろう、とも。
自分と同じ考えを、全然知らない人が持っていることを確認する、であったり。
自分と全然違う考えの人がいるということを確認する、であったり。
自分と全然違う考えの人と、自分自身の考えを照らし合わせて共通点を探すであったり。
また、相違点を探すであったり。それの妥協点を探す、であったり。
そういうことをするのが「議論」ですよね。
議論で得られた結果を、【持ち帰ってどう処理するか】は、議論そのものの価値や責任の問題ではなくて、結局は「そこから得たことを自分でどうするか」という、自分自身の問題に戻ってくるのではないかなー、と。
人と話をすることが「無益」で終わるということは、世の中にはありませんよ。
(反戦平和論について私の考えが当初(もう4年くらいになります?)と今とで変わったかどうかと言われれば、細部での変化はいろいろあるでしょうね。ただ、「持ち続けている問いについて、納得の出来る回答は未だに多くは聞かれないなあ」ということでしょうかね)
6
:
sage
:2006/04/05(水) 20:58:40
意味無いって思うんならやめりゃいいんじゃね?
何でこんなサイトやってるんですか?
7
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/05(水) 21:00:27
>>6
いや、「意味がないのでは?」という意見を最初に提示されたのはイカフライさんで、イカフライさんはこの掲示板の管理者ではありません。
この掲示板の管理者は
>>1-2
で集団オナヌー相互鑑賞会を提案したうろちいさんです。
8
:
うろちい
:2006/04/06(木) 02:10:04
>>6
>意味無いって思うんならやめりゃいいんじゃね?
僕としては、意味があると思って運営してんですよ。
まあ、しかし、なんでここで話をしているのか、改めて問うてみるのも良いかな?って。
>>7
>集団オナヌー相互鑑賞会を提案したうろちいさん
えーと、「集団オナヌー相互鑑賞会」をしよう、って言ってるんじゃないんですよ。
引き合わしたのだから、セックスになる可能性があるわけです。
このとき「折角だから妄想から脱却して交じり合おう」ってのは積極的な言い方です。
「いつまでも独りよがりじゃ、集団オナニーじゃん」というイカさん的な言い方もできる。
これは表裏一体。どの程度交われたかの結果は、参加者次第。
ここの「結果」に愛想を尽かして去っていったぼーんさんとて、議論に意味が無いとは
おそらく考えていないでしょうね。
ただ、他のこととの天秤で、他のより有益だと考えられることに時間を割くことにしたんでしょう。
この価値判断はある程度合理的だけど、僕は少々異を唱えたい。
唱えたいけど、ぼーんさんは、異を唱える者がここに残るのを見越して安心して去っていったのでしょう。
9
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/06(木) 02:40:01
>>8
例えばセックスでも、相手と自分が同じ快感を味わったかどうか(セックスという行為から、定量的に均等な快感が得られるかどうか)というのはまた別の話でして。
男は気持ちよくても女はそうでもないかもしれないし、その逆かもしれない。
つまり、行為としてのセックスがあっても、そこから得られる快感・恍惚感というのは、個々の個人の「感じ方」に大きく左右されます。
そして、どのように感じたか、またはどのような尺度・深さの恍惚感を感じたかというのは、これまたひとそれぞれです。
同じセックスをして気持ちよさを感じる人もいれば、その相手は感じていないかもしれないわけで、それによって感じなかった方は「セックス=議論など無意味だ」と考えてしまうこともありうるでしょう。
このたとえに当てはめると、「ネットの議論は無意味=セックスなんか大してよくないよ」という感じ方だった、ということかな、と。
が、童貞の初セックスが気持ちよかったり、開発された処女のセックスが気持ちよかったりするのと同様に、ささやかなセックスでも大きな快感・恍惚感が得られれば、そのセックスが技巧的に劣っていても「次もまたやろう!」という原動力になるわけですから、それには意味があったと思います。
今まで自分のチンコしか見たことのなかった童貞が、女性器に触れるということだけでも、それはそれなりに意味もありましょう。
そのうちに、互いを開発し合って、より高度な技巧を伴うセックスをするようになり、双方が高い快感を得られるようになればいいね、というようなことをうろちいさんは望んでおられるのだろう、その第一歩として「集団相互オナヌー鑑賞会の合体」を目指したのだろう、というのは理解しております。
と、ネットの議論におよそそぐわないというか、多くの人が参加しづらいたとえで恐縮ですが、セックスがそうであるように「相手のツボを開発するためには、相手の反応をつぶさに観察し、相手についてよく知る」ということが何より重要であろうと思います。
それをせずに、相手が自分を喜ばせてくれるのだけを互いに期待し合うのでは、それはベッドの上に2体のマグロがあるだけとなってしまいます。
ネット議論の話に戻せば、
「よく主張すべきであるが、同時によく聞く耳を持つべきだ。相手の主張を自分の言葉に直して再提示し、相手の同意を得るという作業の繰り返しが議論(相互理解)である。また、相違点の追求だけではなく、妥協のできる合意点の追求もすべきだ。信頼醸成は議論を円滑にさせる効果を持つ」
ということかと。
「サイド6」がそうであり、イカフライさん、百拾四さん、NamelessCultさん、緑装薬4さん他の方々とは、直接お会いして杯を傾け交歓する機会をも得ました。(最近は私が多忙になりすぎちゃってて、不義理をしておりますが)
そうしたことは無益ではなかったと思っていますし、そこから得られることというのもあるでしょう。
ネットの議論とは、ネット以外での人との出会いと何ら変わるところはありません。
自分と似ているところをお互いに探しあい、同時に自分と相手は別の人間だということ、相違点に気づきあう。
そういう場所です。
そこから何を得るかは、その人次第ですよ。
私について言えば、「満たされてはいないが、無益だったことは一瞬たりともない」ということです。
10
:
イカフライ
:2006/04/06(木) 19:52:32
うーん、なんていったらいいのかなあ?
例えば出会いの場としてのネットは、私は非常に価値を見出しているのね(別に男女の出会い系じゃなくても、それも含むけど)。
あと、日常では、まあ、その人の生活形態や交際範囲にもよるけど、ひとつの話をいろいろな人が顔つき合わせてとことん離すってのは、なかなか無いから、その機会ってのもありだとは思う。
たださあ、議論サイトって、結局、議論して何よ?ってこと。
何を得られるのかなあ?って。
議論そのものは楽しくないよね?
いや、それが楽しい人もいるだろうけれど、私は楽しくは無い。
場合によっては苦痛だったりする。
で、その苦痛を経た結果、なにが生まれるか?なんだよな。
ここで言えば、目的は「平和造り」だよね。
パンピーが負うには、大きすぎるテーマだけど、平和について議論する事で、自分がどう考え、何を行動したら、少しでも平和に役たてられるのか?ってことだと思う。
で、ここで何年も議論していて、その目的のためになる何が得られたんだろうか?
なんて、今更考えてしまったわけですよ。
例えば、ネットを通じてできる平和運動、みたいな事を見つけたい、くらいに思っているわけ。
うーん、やっぱ上手くいえないな。
11
:
イカフライ
:2006/04/06(木) 20:51:17
そうだな。
例えば、ホワイトバンドについて議論するとする。
あれ買った人は、多分、「世界の貧しい人々のために、少しでも役に立てば」と思った人が殆どだと思うんだ。
でも、ふたを開けたら、当の世界の貧しい人々には一銭も届かなかった。
最初から寄付とは言っていませんよ、って言うけど、でもさあ、みたいな割り切れなさが残るよね。
で、ホワイトバンドってなんだったの?ッてこと、話す。
その時、周囲の人たちだけじゃなく、ネットで多くの人たちと話せることは、良いと思う。
てか、少なくとも私が学生時代にはそういう話出来るような人は、リアルには殆どいなかった。
で、どういうしくみになっていたのか、主催者はどういう人なのか、いろいろ情報を得られるし、それによって考える事も出来る。
でさ、そこで「じゃあ、自分たちは、本当に世界の貧しさをほっとかないために何をするか?何が出来るか?」と為でしょ、この議論。
とっころがさあ。
ホワイトバンドは製造費が高すぎるとか、プロデユースした人は名うての儲け主義とか、ま、この辺まではともかく。
あれは極左の資金源だとか、嘘か真かわからない話が次々でる。
それは、嘘とホントウを見抜くための訓練としても。
結局「ホワイトバンドに乗せられたヤツはバカ」とか
「俺はホワイトバンドの裏側をこんなに知ってるんだぞ、どうだ」みたいな意見が幅占めて、ネットで言い合っただけで終わり、見たいになる事、多くない?
12
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/06(木) 21:00:51
この板で言えば、「サイド6」という実験は、具体性を持った成果を伴っていると思っています。
・議論に向き合う人々は、それぞれの相違を互いに主張し合うが、自身の主張を相手に優越するものとして主張し、決して譲らないから合意や妥協点が見いだせない。
・では、それらは一度棚上げして、「合意できるものを探す(=信頼醸成)」のはどうか? 例えば、飯・酒・歌・趣味など、「合意点を見つけられる話題」を信頼醸成に使ってみるのはどうか?
そして、「サイド6」というスレが建ったわけですね。
うろちいさんが「それは平和造りとは無関係だから必要ない」といってスレ削除していたら、その後の展開はなかったでしょうね。
が、幸いにも黙認/スレ放置の形で認知されましたので、あのスレは今も続いているわけです。
実は、この平和造りの部屋と言われるうろちい板の中でも、最長の部類に入るスレのひとつとして。
さて、サイド6の効能はと言えば、「他の話題で対立していても、融和的に語れる話題を探る」ということにあったと思います。
不幸な例外を除けば、例えば私とイカフライさんが、その後二度に渡って実際に「会って飲む」「アストロを見る」ということにまで至ったのは、「共通の話題を探す」「接点を探す」というサイド6の効能の延長線上に立ったから、と思っています。
対立していたものが一緒に酒を飲む。
これは「平和」でしょ?
「共通点を知る、相手の興味を知る」という形で腹を探り合うことが、結果的に「その他の対立している議題」を論じるときにも、相手の思惑を考慮する(いい意味で)になったりすることもあるでしょう。
平和にはいろいろな規模があって、「世界平和」は確かにパンピーが扱うのには大きすぎるテーマでしょう。
が、スレ平和ならいけるんじゃないですか?
そして、私が常々申し上げているところの、「マクロな平和論を主張する人は、なぜその方法論をミクロな人間関係に援用させて、ミクロな平和作りに寄与することができないの?」に繋がっていくわけですけれども。
サイド6のような「対立点ではなく、合意できる点を探す」という方法での【平和の作り方】は、むしろ反戦平和論を実践されている方々から、「そうした方法論のミクロな場への援用例」として示されるべきだったのではないか、と思うと少々残念ですが、少なくともこれは「ネットの議論という場を用いて、その主題を実践した実験例」として見て良いと思います。
さんざん書いてたじゃないですか。
「私は、イカフライさんと酒を飲めるくらいには平和になりたいですねえ」と。
で、それは実現されたわけで。
これは成果だと思いますけどねえ。
13
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/06(木) 22:31:41
そして、「意見が合わないから会わない」「こっちの言い分を聞くまでは会わない」とかたくなな態度を取っているのが、中国共産党の胡錦涛主席と、韓国の盧武鉉大統領です。
「とりあえず対立する部分はあるにしても、会って融和できる話題を探して信頼醸成しましょうよ」と持ちかけているのが日本側ですね。
「意見が合わない、必要性を認めないから出向かない」という、胡錦涛・盧武鉉の態度と同じことをサイド6に対して採っていたのは、今は亡きぼーん氏、今は亡き武蔵・吉岡氏、今もいる中葉氏など。
結局彼らとは「相違を認めた上でもう少し踏み込んだ話をするための信頼醸成」はできませんでした。
こちら側が働きかけても、そういう場を用意しても、テーブルに就かなければ効果はない、ということもわかったと思います。
私の場合はうろちいさんの招きに応じて、「すでに相手が就いているテーブルに、招かれて出かけていく」という選択肢を選びましたが、招かれてやってきた先にいた方々は「他人のテーブルには出られない人が多かった」ということもわかりました。
では、テーブルに就かせるための方法はどうすればいいのか。
結局のところ、「相手を疑っている」という態度をとり続けられる限り、この先へは進めないのでしょう。
そのあたりが、「ネットの議論の限界」なのか、「それに携わる人々の限界」なのかはわかりませんけれども。
ネット上で、それを打破する実験を、なぜ「平和を主張する人々自身が」しないのかな? と、これはいつも思うことです。
平和というのは誰かが与えてくれるのを、口を開けて待っているものなんですか?
自分の平和が阻害されたら、激しく抗議すれば平和になるとか、そういった性質のものなんですか?
このあたり、反戦平和主義をミクロな現場に援用しようとなさらない方々の気持ちは、今もってちーともわからんですよ。
14
:
イカフライ
:2006/04/08(土) 09:35:54
>>12-13
良く酒の席では政治の話と野球の話は禁物、といいますね。
サイド6は効果があった、と言うけれど、大人は政治思想が違っても、その話は置いておいて、酒席で雑談くらいできるでしょ。
ただ、サイド6に乗らなかった人はそれをネットでまでやる意味があるのか?って事じゃないですか?
単にネットで楽しく雑談して、時間や場所が合うメンバーを見つけるなら、それこそ雑談サイトで良いと思うんですよ。
あとさ、自分も含めて所詮ネットの議論の重みなんてその程度ってことなんじゃないの?
本当に殺しあわないといけない状況の人間同士。またはかつて殺しあった同士が、そんな風になれるかね?
それこそさ、戦争未亡人とその亭主殺した元兵士とかがね。
そん時に、「戦争ってそういうものなんです」とか「殺さなければ殺されましたから」つー、したり顔の理屈が何の役に立つだろ?
ワシがブログで「あなたは人を殺せますか?」っていいたかったんもその辺なんだけどさ。
15
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/08(土) 15:25:54
>>14
そこまで言ったら、「ネットの議論になにか意味があるの?」じゃなくて、
「殺し合いをせずに、人と話で何かを解決しようなんて、それって意味があるの?」
という問いにしなければ無意味なのでは?
それこそ、「ネットの」ではなくて、「議論の重み」なんてそんなものかもしれませんが。
サイド6を「国連」や「六カ国協議」に置き換えたって同じことですからね。
最後は「話し合いで解決」ではなくて、「力ずくのわからせる」しかない。
つまり今、イカフライさんはこれまで長年訴えてきた「話し合いにによる平和作り」路線の限界をご自身が認めていらっしゃるということに他ならないように思われます。
もしそうだとするなら、「話し合いで平和は、できればそうなったほうがいい。それが可能だと思うならつきあう。が、それが無意味だと思う相手にはつきあわない」とする、これまでここにいらした多くの反戦平和論に懐疑的な方の基本姿勢を、ようやく肯定して頂けたということでしょうか。
ネットに限らず、議論とは本質的に無意味なものなのかもしれません。
ただ、私がこうした議論を通じて一人だけ「正しい答えが出るわけないこともわかっている。が、こうして同じテーブルについて、結論を先延ばしをし続けている間、我々は無限に戦争開始(対立の暴発)に対する時間稼ぎができる。平和とは、時間稼ぎに他ならない」とした、反戦平和論者の方がいらっしゃいました。
結論の出ない議論に辛抱強くつきあうこと、時間の無駄でしかないかもしれないことにつきあうこと、そのものが「平和という時間稼ぎ」への協力なのだというこの意見は、なかなか的を射ていると思います。
そして、「議論なんて無意味。これ以上、話し合いにつきあう必要はない」といって、日本が自ら設立に参加した世界的な話し合いの場から離脱したことがありました。
松岡洋右による国際連盟離脱。
その後、議論という時間稼ぎに意味などないとした日本は「実力で政治目的を守る」という道に邁進したわけです。
話し合いに最初から結論を持ち込み、その結論に至らない議論を許さないという態度は、思想の左右に限らずしばしば硬直した掲示板やかたくなな論者には見られるところです。
そうした柔軟ではない議論につきあっているうちに、「こんな話し合いに意味はない」と絶望してしまう方も少なくはないでしょう。
それでも「議論」というのは平和という時間稼ぎのためには、有効なのではありませんか?
テーブルを立ったら、後は「問題を棚上げし、以後完全に接触を断つ」か、「議論以外の方法で決着を付ける」しかありません。
私は、ネットの議論とは、問題を棚上げすることは出来ても「議論以外の方法で決着を付ける」ということが、おおむね不可能であること(中には例外もありましょうが。反戦平和系市民団体の掲示板の「内輪もめ」で、実力行使になった例がありますので)からすれば、「結論が出ず、時間稼ぎのための議論が延々続く」とされるネットの議論こそ、実に平和的だと思っています。
ですからこうしてつきあいが途絶えずにいるのだろう、とも。
罵倒でカチンと来ることがあっても、それで殺してやる、という気持ちに仮になったとしても、ネットは手が出せない。出されることもない。
決して「物理的暴力(戦争)に訴えることができない」という意味では、これ以上平和に議論ができる場所は他にないのではありませんか。
その無限のモラトリアムを、活用すべきでしょうね。
前述の「平和とは結論を無限に先延ばししつつ、全員をテーブルから立たせないモラトリアムによって延長される」とした意見は、決してベストではないと思います。
が、現時点でベターな案であろうことは、その反戦平和論者の方も、私も認めるところです。その方は、「それ以上の方法はないか」と苦心しておられました。
私は、おそらくそのモラトリアム論の「平和は作るものではなく、先延ばしするもの」という指摘こそがベスト、というか「限界」であり、完全な平和を求めてそれ以上を踏み越えた時点で、圧迫された側がテーブルを立ってしまうんだろうな、とも思います。
ですが、くだんの方が仰っていた、「モラトリアムというベターな選択以上の、ベストな選択」を、もしかしたら他の方が見つけているかもしれないという一縷の期待を抱いて、こうして「無意味かもしれず、時間稼ぎでしかない、ネットの議論」につきあっているのです。
16
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/08(土) 15:36:17
私がサイド6は試みとして成果があったといえる、としているのは、まさにその「対立する話題を棚上げにして、同じテーブルに付かせた」ということを言っているのです。
たとえは不快かもしれませんが、北朝鮮を六者協議のテーブルに付かせたようなもので、結論が出なくてもテーブルに引っ張り出すことが「最初の目的」であったとされています。(当初、北朝は交渉すらも拒否していたわけですから、大きな成果です)
現在の六者協議は「協議に結論を求める」「時間稼ぎが不利益になる」という各国の思惑から、なんらかの結論を求める方向にシフトしはじめているため、それを嫌ってなかなかテーブルにつこうとしない方向になったりしています。
この「テーブルに付く」という点では、中国・韓国も同様で、韓国は「テーブルに付く(シャトル会談)条件として、要望を満たすことを要求。叶えられなければ会談拒否」、中国も同様。テーブルに付くことそのものを条件闘争にし、話し合いではなく「話し合って欲しければ条件を認めろ」というテーブル外交渉をしているわけですね。
こうなってしまっては、「テーブルについて話し合いをする」ということそのものがまったく無意味になります。
我々で言えば、「反戦平和を認めなければ議論のテーブルに付かない」「暴力による対立回避以上の方法が提示されないなら議論のテーブルに付かない」と言い合うようなものです。相手の意見を精査する、相互に検証するのが議論でもあるはずです。
結論を受け入れなければ、それを吟味するテーブルに付かず、当初の結論通りにならない議論なら最初から拒否する、という姿勢が正しいはずがない、ということにはご理解頂けるものと思います。
まずテーブルに付くことが、「平和を延長する」ために必要なことという基本に立ち返れば、「(ネットの)議論は無意味」という結論・議論への絶望は、気持ちはわかりますが松岡洋右的な破滅にしか繋がらないだろうこともご忠告申し上げたいと思います。
ネットの議論から得られる意味は、ないと思ったら何もありません。
あると思ったらいろいろなものが見えてきます。
自らの目を塞ぐかどうかは当人の判断ですから、無理に袖引くことはできませんが、この板が長年テーマにしてきた「平和とはどういう状態を指し、どういう性質のものか」を再考するための思考材料としてはよろしいのではないでしょうか。
17
:
イカフライ
:2006/04/08(土) 18:07:20
>そこまで言ったら、「ネットの議論になにか意味があるの?」じゃなくて、
>「殺し合いをせずに、人と話で何かを解決しようなんて、それって意味があるの?」
>という問いにしなければ無意味なのでは?
それこそ詭弁っしょ。
私のさ「あなたは人を殺せますか?」の問いに、尤もらしく
「そんなの日本だけですよ。戦争を肯定的に評価してる国なんていくらでもあります」とか
「自分がその状況に立てば、人間はそうするもんでしょう」とか、ありきたりな回答があるよね。
それって一見、冷静で論理的なように見えるかも知れないけれど、それこそ安全圏の言葉遊びなんだよな。
まあ、そう問われたらそう問うしかないだろうとは思うけどさ、それをなんの痛痒も無く、それどころか「頭の悪い反戦主義者に、賢い僕らが現実を教えてあげてるんだよ」位のおごりつうのかな。
そのヘンが、オタクのオナニーに過ぎないのかな?とか思えるんだよ。
同じテーブルに付かせた、と言ってるけれど、で、それからどうしたいの、ヤスツさんは。
自分は賢くて正しい、と認めさせたいの?
反戦平和主義者に、その主張を捨てさせないの?
反戦運動なんて無駄だ、と言いたいの?
そこが解らない。
もし、あなたが、反戦平和を認める気が無いのなら、確かに、それについてはもう話す意義はないと思う。
少なくとも、酒飲んで、バカ話して、受だ攻だ萌えだと言っていられる(いや、そりゃ、私だけだが)のは、平和が合ってこそだと思うからね。
そういう意味では、こんな愚にも付かない言葉遊びをしていられるのも、平和が合ってこそだよ。
なら、もう無駄な時間は過ごす意味あるのかなというか。
私は一人でも、なんらかの平和運動、運動って言うと大げさだけど、なんなかのリアクションが出来る事を考えたんだけれどね。
18
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/08(土) 20:26:34
>>17
それからどうするの?
というのは、どうかしたい側が考える問題なのでは?
反戦平和を認めないのではなくて、その手段として有効なモノを、反戦平和を主張する方々から伺ったことが、たいへん残念なことながら「ない」「ほとんどない」と。
そういうことをなのですが。
緑装薬4さんがいつぞや仰っておりましたが、「夜中に角のコンビニで肉まん買える。その途中に拉致されたりしないのが平和」というアレ。覚えてます?
私にとっての平和というのは、「酒を飲むときに命がけでない」「けなしあいになっても命は持って行かれない」という程度の安全保障ですね。
それ以上について何か有効な手段があるかもしれない。
あるとしたら何か?
それは、「相手の意志を、相手のプライドを傷つけずに自分に都合のいい方向に変えさせる」ということにより、「自分と相手の間に共通の利益がある状態を維持しつつ、相手の主張が自分の安全を損なわない」ということです。
反戦平和主義者に主張を捨てさせたいわけではなくて、その主張に基づいて「戦闘的ではない態度で平和を獲得することが可能であることを、実演してみせてほしい」と申し上げてるわけです。
至極シンプルですよ。
反戦運動は、目的として「平和の延長」または「現時点で平和ではないところに平和をもたらしたい」ということなのだと思いますが、別にそのことに積極的である方を【批判しよう】とか、【否定しよう】とは思っていませんよ。
【では、その主張する方法で、今、この場を平和にしてくれ。平和裏に解決してくれ】
という、それだけのことなんですよ。
「それじゃ、とりあえず仲良くしましょう。怒らせないようにしましょう。酒でも飲みましょう」
これはこれで、私にとっては「平和が作り出された状態」なんですよ。
反戦運動が無駄かどうかは、ちょっと稿を改めます。
19
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/08(土) 20:46:06
反戦運動が無駄かどうかというのは、なんとも難しい定義でしょうね。
ひとつのキーワードの中に多くの意味を込めすぎているという意味において。
例えば、「戦争はないにこしたことはない。平和がいいに決まっている」というのは、反戦平和主義者の専売事項ではないと思います。
例えば、大神さんでも柏葉さんでも私でも、もしくは自衛隊の皆さんでも、現場で死ぬかもしれない人、巻き込まれて死ぬかもしれない人は、等しくそう考えていると思いますよ。
でも、「仕掛けられたらどうする?座して死ぬ?殺されるのを黙ってみてる?」という問いをされたら、それこそそこから出てくる回答は千差万別でしょう。
もし、反戦平和主義者というのが無抵抗主義と同義語で、「されるがままに死ぬが、決して殺さない」だとするなら、それはそれで崇高だなと思います。
ただ、それに私を巻き込まないでいただきたい、とは思います。反戦平和運動が、そうした「自殺を決意した無抵抗主義」だとするなら、これは受け入れられません。広められるのも迷惑です。全力で否定します。
反戦平和主義には「武器を捨てよ」というのがありますね。そういう考えをもたれるのは結構ですが、これも私は正しいとは思いません。
一時大戦は「武力均衡主義」が崩れた結果起きた戦争だった、という説がありますね。詳細は省きますが。
冷戦も同様で「脅威の均衡」を高めることで戦争を回避しようとした結果、何度もその脅威が高まってしまった。
これを見ているから「じゃあ、いっそ武器は捨ててしまえばいい!」という反戦平和主義の極端な一思想が生まれてくるのだと思います。
その発生のメカニズムや心情に理解を示しますが、やはりそれもベター/ベストな手段とは思えません。
ベトナム戦争を止めたのは「反戦運動だった」という誤解があるようですが、あれは「やっても終わらないという厭戦気分」が止めたのであって、「反戦運動」「花を巻く運動」が功を奏したとも思っていません。
日本が戦後60年間おおむね平和であったのは、武器を持たないからだという考えが反戦平和運動の一部位にあるようですが、それも誤解を伴っていると思います。
日本は、米軍という圧倒的な武力の庇護下に置かれていたこと、海自という海軍力の保持、この双方が周辺に与える「怯む心」「警戒心」にくるまれたことによって、そのくるみごろもの内側が平和であったというだけにすぎません。
もし、日本的な平和を世界にもたらそうと思うなら、世界を米軍の庇護下におけ、ということになります。
この「米軍の庇護下に置かれることで、平和を獲得する方法」というのは、太平洋の島嶼諸国や、ロシアの影響圏からEUに近づきつつある東欧諸国も採用しようとしていますね。
米軍を駐留させるだけで他国(隣国)を牽制できるならコストは安く済む、という考えなのかもしれません。
日本ではこれを「パクス・アメリカーナ」もしくは「ポチ外交」として快く思っていない方が多いですが、「自力で軍事力(防衛力)の整備を積極的にはしない」のであれば、この方法以外を選択するのは難しいのではないでしょうかね。
なぜなら、「日本一国の都合だけで、相手は武装解除してくれない」ですからね。中国、韓国、北朝鮮の軍事費増大はご存じですよね。
こうしたことを考えた場合に、一言で言うなら「勝ち組を見極めて、勝ち馬に乗り続けること」が平和を維持する方法だということになります。
「武器を捨てて平和になろう」というのは、エデンの外の厳しさを知らずに、世界をエデンにしようとするようなおこがましさなのではないか、とそう思うのです。
私は、国民皆兵のスイスほどになるかどうかはともかくとしても、自分の身柄を差し出す代わりに「経済力(税金)で防衛力(自衛隊)/治安能力(警察)を賄い、それを増強することによって平和を維持する」
という現在のシステムについて、100%ではないにしても満足・信頼し、これを支持しています。
今、自分の仕事をし、自分の考えを語り、選挙で自分の代執行人を選び、決められた規範・法を遵守し、兵を賄うことが、私が現実に寄与している「今考え得るベターな平和の獲得方法」です。
これに異を唱え、それとは別の反戦平和運動を邁進される方がいることを私は無駄だとは思いません。
ですから、「それってどういう効果があるの? 見せてよ」という問いを続けているんですよ。
20
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/08(土) 20:46:20
「あなたは人を殺せますか」についてですが、「必要/必然(理由)があれば。そして自分にその能力と機会があれば」ということでしょうね。
殺す必然がなければ殺す必要はない。
必然があれば殺さなければならないが、能力がなければ殺せない。殺される。
殺す必然と能力があっても、機会がなければ殺せない。
必然と能力と機会がそろえば殺すでしょう。
それだけのことではないでしょうか。
21
:
DR@福岡県民
:2006/04/08(土) 22:42:31
基本的に、議長も聴衆もいない議論をまともに進めるのは難しい。
何をしようと諌める人がいないわけだから、論者の暴走を諌めるのは
議論する各人の自己管理しかないし、話が変な方向に転がったとき
軌道修正するのも自己管理しかない。
これが非常に高いハードルで、自論の痛いところを突かれたときに
冷静に受け止められるか、強弁で返したりしないか、聞く耳を持たない
ような態度をとってはいないか、話しているうちに別の話に変わっていないか、
と考えると、私はできているかどうか…
要するに、田原総一郎と会場の視聴者の皆さんがいない朝まで生テレビが
まともな議論になるだろうか?みたいな感じなんだろうな。
22
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/09(日) 13:48:08
>>21
>田原総一郎と会場の視聴者がいない朝生
難しいでしょうね。テレビタックルみたいになっちゃうんじゃないでしょうか。
その代わり、参加者一人一人に「自分の意見をまとめる」「相手の意見もまとめる」という、議長的な役割が求められることになるかもしれません。
または、議長的な役割のできる人の主張(もしくはその人がまとめたこと)が、その後の議論の前提になるということはしばしば起きているように思います。
議論では声の大きい人の意見が通ると言いますが、ネットの議論では誰でも声の大きさは同じです(たまに文字に色が付けられる掲示板もありますが、あれ見にくいんですよね(^^;))。
例えば私のような過剰に書く人間の書き込みが目立つ(=大きい声)に相当するかと言えば、そうでもありません。短い書き込みは「前後の判断が難しいヤジ」のようなものでしかありません。
そうなると、「議事全体を見回して書かれたまとめ」が、そこに連なる次の議論の前提になり、そうしたまとめによって議論は方向付けられていく=まとめを書く人が議長役を務め、議論の方向を決めていく、ということになるのではないでしょうか。
私はまだまだその点未熟ではありますけれども、「自分の意見と相手の意見の双方を照らし合わせて、合意点・問題点を羅列した中間報告的なまとめ」を提示していけるよう努めたいとは思っています。
それでも、4年、5年前、それよりもっと前に比べれば、「相手の話を整理する」ことができるように、多少なりともなってきたというだけマシかなと思っています。
23
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/09(日) 13:52:50
>>17
それと「一人でも考えられる反戦運動」は、一人で効果があると思うなら、それはそれでやればいいんじゃないかと思いますよ。
誰もソレを「一人でもやるな」とは止めないでしょう。
一人で思いついたことを、人にもやらせようと思う、のであれば、「協力者を募る」「協力者/懐疑的な人への説明」は必要になるでしょう。
人のいるところに行って、その説明をして、理解されなければ「理解されるように説明を続ける」か「説明は諦めて自分一人でやる」かのどちらかでしょう。
一人でやることで最大限の効果が上げられ、他人の協力は必要なく、なおかつそれに協力的ではない人の考えを曲げず、さらに協力的でない人の権利にも干渉しないというのであればなおのことすばらしいでしょうけれども、「平和でない状態」というのは、たいがいそうした「誰かが思いついて善意や正義に基づいて推進しているが、他の誰かには受け入れがたいこと」が張り合う形で発生するわけでしょう。
「じゃあ一人で勝手にやります」というのを認めていったら、結局のところいつかどこかで暴発することになるんじゃないですか。
他人の正義と。
24
:
大神
:2006/04/09(日) 20:56:18
ネット議論もそれを生かすも殺すもその人次第ではないですかね・・・。
他人と話すことで新しい知識を得ることが出来ますし、他人に話すことで
自分の考えを整理することが出来ますから。
25
:
DR@福岡県民
:2006/04/09(日) 22:26:06
問題は、一人一人が議長的な役割を果たせるような人間がどれほどいるか、
ってことでしょうね。
私には、論者でありながら議長にもなれる力量は無いと思います。
私の見る限り、ここに書き込みをしている人を見渡しても、
そんな能力がある人はいないのではないでしょうか。
(「俺は出来てるつもり」と思っている人はいるかも知れませんが…)
だから、ネットの議論はしょっちゅう泥沼になってしまうんだろうな。
でもまあ、自分達が議事進行役件議員であるということを自覚しながら
ネット議論をするだけでも、少しはましになるのかな、とは思います。
まあ、ゴルフの「自分が審判」みたいなもんですかね。
26
:
イカフライ
:2006/04/10(月) 19:11:00
意味あるの?とかいいながら、グダグダ書き続ける私ですがw
まず、ネットで例えば反戦について議論する事が果たして反戦運動と言えるのかな?
ヤスツさんはさ、意見を異にする同士が、オフで酒飲んで盛り上がれるのは成果だっていうけれど、オフ会相手を見つけるための肴にするには、私にとっては重過ぎるテーマなんだよね、反戦平和ってのは。
それが目的なら、サイド6だけで事足りるんじゃないか、っていうのはそこなのよ。
27
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/10(月) 19:25:02
>>26
イカフライさんがそう考えられるなら、イカフライさんにとっての結論はそれでいいんじゃないでしょうか?
誰もが同じテーマから、同じ結論を、同じ重さで受け取れるわけではありませんから。
ただ、「自分が感じた結論を他人に確認するときに、他人が自分と同じ結論を同じ重さで受け取っているとは限らない」わけで。
このときに、自分と違うリアクションをする他人を許容できるかどうかということも、ネットに顔を出し続けている限りは問われ続けるのではないかとも思います。
他人の意見に賛同するのは簡単ですけれども、自分の意見に他人を賛同させるのっていうのは立場をひっくり返しただけなのに難しいんですよね。
何しろ「おまえは俺か!」という感想を相手も確実に持ってくれる可能性は決して高くはなく、やっぱり自分は自分以外の人間と同一人物ではない、という当然の前提からは逃れられないわけですからして。
そういう「自分は自分であるけれども、他人も自分と同じとは限らない」ことを確認し、なおかつ「個人の思惑が世界を変えることは、ゼロではないが希有であり、非常に難しい」ということを知る機会=議論(=ネットの議論)なのではないでしょうかね。
28
:
うろちい
:2006/04/19(水) 00:21:27
>>26
イカさん
>まず、ネットで例えば反戦について議論する事が果たして反戦運動と言えるのかな?
世論というマクロを動かすミクロな活動であり、反戦運動の範疇に立派に入ると思います。
むしろこれがいつも足りていないのでは、と僕は思います。
サイド6のこのサイトでの意義は、議論に際して変な身構えを解きほぐすことじゃないでしょうか。
オフ会の肴として反戦平和、というのは主従がそもそも逆ですね。
ヤスツさんも「反戦平和を肴にオフ会ができた」ことを成果と言っているのではなくて、
「オフ会が開けるのに、反戦平和の議論が続けられる」ことをある種の成果と考えているんじゃないですかね。
いや、本当はもう少し複雑な構造なんですけど、時間が足りないのでご容赦を。
ともあれ、仮にここでの議論が平和の役にたたないとすると、
イカさんは平和のためにはどんな活動が提案できますか?
29
:
イカフライ
:2006/04/19(水) 23:19:53
上手くいえないのですけれどね。
意味があるのか?と否定的なことを言っていますが、私は少なくともここのサイトで話してきた事、ここのサイトで仮想のハンドルとはいえ得た出会いは自分にとって財産だと思っています。
少なくとも、無駄だったとは思いません。
ネットっていうのは、そのものは素晴らしいツールだな、と思っているんですよ。
まあ、私は自分ネット依存症かも知れないと感じる位、ヒマがあればネットに張り付いているんですが、しみじみ思う事は、若いときにネットがあったら、自分はあんなに孤独ではなかっただろうな、って事です。
て、なんか、いきなり話し、ずれてますね。
反戦平和っていうのは、実は非常に漠然としたものですし、個人が背負うにはスケールが大きすぎる問題です。
戦争というものは宇宙怪獣やショッカーみたくはっきりとした形があるわけでもないし、ウルトラマンや仮面ライダーに変身してやっつければよいわけでもないですから(いや、最近のライダーはそこまで単純じゃないですけど)
私はいい歳して青臭いところが抜けませんし、自分がそれがいい、と思っている人間なんで。
ヤスツさんの言っていることは、大人の詭弁だなと思います。森岡なんとかさん言うところの無痛化つうかな。
平和のためになにするの? といわれれば、確かにこれという確実な手段はそうそう見つかりません。
それが解れば、とっくに世界平和になってる筈だもんね。
声高にデモをすることが平和に繋がるのか?と言えば、確かに違うでしょうが、けれど、やはり、なにもやらずに人の揚げ足だけを取る行為は嫌いなんです。
2ちゃんがなんとなくいやなのは、そこかも知れないな。
うーん、ごめん、やっぱ上手くまとまらない。
ただね、私、ネットの議論を続けていくと、その中だけにからめとられてしまって、リアルでの自分の行動がじゃあどうするの?というと、パソの前で理屈を弄しているだけになっているのかな?と感じるんですよ。
そもそも、私が大嫌い(と、はっきり言います)なネット右翼と、自分がやっていることが結局同じだったんだろうか?と。
安全圏の上から、解った様な物言いをしているだけ、という。
だからと言って、紛争地帯に行って人間の鎖になる、なんて現実的じゃないけれどさ。
30
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/20(木) 02:55:43
>>28
おおむねそのような感じです。
以前にも触れましたけれども、
「正義はいつも二つ以上ある」
「それぞれの正義を信奉する双方、もしくは全員が納得する方法はない」
「ないけれども、【あるかもしれない】という前提で、共益を目指すことを【やめない】ことは大切」(やめたら、一方から一方への強制になりますから)
(このあたりは、「議論を無限に続けることで、結論を無限に先延ばしするモラトリアムこそが平和である」とした、Show the Frogのおっとー氏の意見ですが)
となると、「考えることをやめない」「テーブルに就き続ける」ということは、ベストではなにせよベターな方策ではあるのではないでしょうか。
ベターを飛ばして一足飛びにベストの結論を得られるなら、「では、その方法は?」と聞いてます。今までも聞いてきましたけど、答えは出ませんしね。
31
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/20(木) 02:55:55
>>29
大人の詭弁とのことですが、それは心の持ちようでしょう。
もちろん、「青臭いことを言う自分に酔っている」ということではないのだと思いますが、私は「殴り合いになっても真実を求める青さ」よりも、「テーブルの下で足を踏み合っていても、笑ってテーブルに就ける厭らしい大人」であるほうが、平和には近づけると考えている人間です。
平和、真実のために「殴り合いをも辞さない」という、正義の押しつけあいを何より嫌っているのが反戦平和主義の方々だと思いますが、その意味で私は「駆け引きで平和を先延ばしできるなら、それに超したことはない。消費/消耗の多い戦争は、しないに超したことはない。が、したくなくても仕掛けられる可能性が1%でもあるなら、それに備える必要は絶対にある」という前提に立った上での平和主義者なんですがね(^^;)
「2ちゃんねるのいやなところ」とのことですが、それは筑紫哲也が2ちゃんねるを「便所の落書き」と評したのと同様、あまりにも一面的もしくは「凄く狭いところ」しか見ていないのではないか、とも思います。
これは2ちゃんねるに限った話ではありません。
人数の規模が大きいコミュニティというのは、人数が多くなればなるほど「○○○」という一面的な評価で全体をとらえることが難しくなります。
韓国人が言うように、日本人はすべてがウヨか? 違いますよね。
私には確かにミリヲタの遺伝子が少なからずありますが(笑)、ミリヲタはすべてウヨで、ウヨはすべて街宣車で同期の桜を流しながら走るんでしょうか? 違いますよね?
2ちゃんねるについても同様です。
イカフライさんがどこのスレのどんな言い様で傷ついたのかは存じませんが、2ちゃんねるもいろいろですよ。
「何もしないで揚げ足だけを取る」と言いますが、恐ろしくなるほどの行動力を持って大規模イベントを実現したりという前科(笑)もありますからね。あそこは。
嫌いなものについては、厭なところばかりが目に付く。人間は見たくないものは見えず、そうであってほしいという願望ばかりが見えるようになるものです。
イカフライさんの目に2ちゃんねるがなんとなく厭に見えるのは、2ちゃんねるに「なんとなく厭な存在であって欲しい」という願望があるからですよ。
少なくとも、私は「目から鱗」や、「腹を抱えて爆笑」や、「オマエラヲレをナカシスギ」な楽しみ方もしておりますが。
反戦平和に絞って言うなら、「都合のいい夢」ばかり言う人に厳しいんですよ。2ちゃんねるは。
実現性はどうなの、とか。実際に動いたら動いたでうまく行かないこともあるでしょうし、それをとやかく言われるのが厭だから2ちゃんねるは嫌いというのなら、ま、それも人の心の強さ/弱さの問題ですからなんとも言いませんが……。
本来聞こえないはずの「世間の噂」「他人の評判」が、テキストになってぶつけられてくる場所でもあるわけで、場に善悪はありません。
それをどう生かすか、何を得るかは、利用者の意識の問題。
ネットの議論、ネットという場というのは、そういうものなのではないでしょうかね。
32
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/20(木) 03:08:44
ネットの掲示板でも2ちゃんねるでもblogでもいいんですが、そういう場所で何かを言うこと、書くことというのが、まったくの無駄になるとは思っていません。
もちろん、個人の力で世界が簡単に思い通りになるとも思っていません。
が、「態度を表明する」「意見を示す」「賛同を示す」「反対を示す」、そういう「態度を明らかにする」ということができるだけでも、ネットという場はまったくの無駄とは思いません。
今まではできなかったわけですからね。
そこから始まる何かもある。
企業を動かす、大きな市場を作るなんていう例だってある。
「電車男」「生協の白石さん」「嫌韓流」etc,etc,
ネットの個人がまったくの無力、何を言っても無駄というのは、たぶん気のせいでしょう。
ただ、「聞いてもらえない主張」「賛意を集められない主張」には、何らかの理由はあると思います。
訴え方がいかんのか、論旨が同意を得られないのか、それはわかりませんが。
ネットはそういうときに、リトマス試験紙になったりシンクタンクになったり図書館/資料館になったり、いろいろに役立ちます。
ともあれ、「自分の考えを誰もまともに取り合ってくれないから、【おまえらが悪い】」ではコミュニケーションは止まってしまいます。
言い方を変える、相手の考えを自分流にかみ砕いて再提示、問題点を指摘する、されたところを再検討して再提示。
そういうことの繰り返しが議論ですし、またそれを止めることで「説得を放棄する」というのは、相互理解をやめることでもありますね。
理解した上で同じ結論を得ず、距離を取ることで対立から離れていく、という解決方法ももちろんありましょう。
ぼーん氏などがそうされたのは、「距離を取って袖触れ合うことをやめ、縁を切れば対立せずに済む」ということでもあると思います。
これはこれで「平和=自分が傷つかない賢い方法」であったでしょう。
もし地球上のすべての国が島国で、島一個につきひとつの国で、互いに往来する船を一隻も持たず、ひとつの島には一人しか住んでいないのだとしたら、ぼーんさんの取った「距離を取って袖触れ合うのをやめる」というのは、最適な平和の確立方法であるだろうと思います。
残念ながら我々の世界は狭すぎ、我々は過密に暮らしすぎ、ネットの発達は触れ合う袖を多くしすぎています。
PCを窓から投げ捨てることで、少なくともネットと縁を切ることは出来ますが、現実の生活での不満不快の解決には、やはり結びつかないでしょう。
一人で生きられない以上、誰かと袖をこすり合っていかざるをえず、だからこそコミュニケーションが欠かせず、それを欠いたり不完全だったり不満が残ったりした場合に対立が「暴発」に繋がるのだと思います。
「コミュニケーションを否定しない」「相手より先に席を立たない」「相手を席から立たせない」これが、平和を先延ばしするための、今のところ一番マシな最低の方法なんじゃないでしょうかね。
そういえば、先だって嫌韓流発刊の舞台裏(版元側、社内での話)を伺ってきたのですが、なかなかおもしろい話が聞けました。
こちらはまた、近いうちに酒の席で。
33
:
イカフライ
:2006/04/21(金) 21:37:39
>>31
多分、ずっと平行線を辿るだろうな、という不毛な予感100パーセントながら、レス続けるバカなワラシっす。
>、「青臭いことを言う自分に酔っている」ということではないのだと思いますが、
てか、青臭い事を言う自分って、酔えるんですか? むしろ、解ったような事を言って、青臭い連中を見下す自分の方が酔えると思いますよ、人間は。
いや、ヤスツさんがそうだってわけじゃないですけどね。
ただ、ネット厨は、特に議論サイトなんぞにはまる人間は、素朴な善意を嘲笑することによって己の優位性に浸る、ってありがちですよ。
>私は「殴り合いになっても真実を求める青さ」よりも、「テーブルの下で足を踏み合っていても、笑ってテーブルに就ける厭らしい大人」であるほうが、平和には近づけると考えている人間です。
一見、もっともらしい大人の正論、だよね。
でもさ、「テーブルの下で足を踏み合っていても、笑ってテーブルに就ける」のが、対等な関係同士でなければ、その平和は成立しないんじゃないか?
この正論の落とし穴は、解りやすい例で言うと、
「クラスでイジメが行われている、一人のいじめっ子をみんなでしかとすることによってクラスの和が保たれているから、イジメをみすごそう」とか
「自分の属する組織(ま、会社とかさ)で不正が行われている、けれど、それをあからさまにすると勤めている人間の生活が困るから、知らない振りしよう」
にならないかな?
それって、平和でもなんでもなくて単なる事なかれ主義だよね、でさ、その場合、往々にして一番弱い立場の者がワリ食うんだよ。
じゃ、どうできるか?といえば、一人のなんの力も持たない人間ができる事なんてたかが知れている。
何も出来ないし、場合によっては状況をより悪くしてしまう事もあるだろ。
けれど、じゃ、なにもせずに見過ごす事ってはたして良いのか?
未だに私には解らない。
解らないけれど、でも、見過ごしてしまう事、しまったことを「大人の賢さ」と正当化してごまかしたくはないんだよね。
それって、結局、自分が楽になるためだけだもんね。
でさ、ヤスツさん、結局、何したいの?
悪いけど、反戦平和主義者とああだこうだと理屈捏ね回して、で、何のためなの?って。
世の反戦平和運動に疑問があるなら、じゃ、あなたが提示すればいいんじゃないのかな?
それがないから、ネットの議論は、結局、オナニーだって思うんだよな。
34
:
イカフライ
:2006/04/21(金) 21:48:47
あと、2ちゃんに関してだけど。
別にネット右翼の宿敵、筑紫哲也の言い分を受けてるわけじゃないよ。
それに、別に傷つくような事があったわけではないよ。
てか、このイメージ操作はずるいね、イカフライはなんなやなことがあって、感情的になってる、みたいな印象をロム者に植えつけるみたいな。
私は、一時期、結構2ちゃんのあちこちみて、楽しんでました。
実際今でも、常駐スレもあります。
>イカフライさんの目に2ちゃんねるがなんとなく厭に見えるのは、2ちゃんねるに「なんとなく厭な存在であって欲しい」という願望があるからですよ。
あのさあ、なんで、こう決め付けたがるわけかなあ。
私は、2ちゃん信奉者ではないけど、2ちゃんのよい部分も評価していないわけではないよ。
いい加減なウソ情報も多いけれど、マイナーな趣味の情報は、あそこで随分役立っているし。
たださ、なんか、発展性がないんだよね。
確かに、大規模オフとかやってはいる。
でもさ、批判ばかりが強すぎて、じゃあ、自分で何かをしよう、という意識になかなか向かわないんだよね。
例えば、ボランティア関係の話をする、とする。
ボランティアが全て正しく素晴らしいわけではない、いろいろあるわけで、それこそ「甘い夢」みてる人が飛び込んだらボロボロになる現実はある。
そういったことに忠告を与える、それ自体は悪くない。
ただ、ネガティブな情報ばかりを山のように並べて、で、何よ?と。
全てが完璧なことなんてないけれど、人間できることを必死でやるしかないし、やってみて、わかることって大きいと思うんだよね。
35
:
イカフライ
:2006/04/21(金) 22:02:58
>>31
>反戦平和に絞って言うなら、「都合のいい夢」ばかり言う人に厳しいんですよ。2ちゃんねるは。
>それをとやかく言われるのが厭だから2ちゃんねるは嫌いというのなら、ま、それも人の心の強さ/弱さの問題ですからなんとも言いませんが
またまたこれもイメージ操作(藁)
イカフライが都合のよい甘い夢ばっか見て、それを指摘されるのがいやだから、2ちゃんの悪口言ってる弱虫、ですか?
むしろね、反戦平和の困難さから目をつぶって、まあ、それだなら良いです。
てか、実は反戦平和なんてしょっちゅう考えてる人は、早々いません。
私だって、ホンネを言えば、普段考えていることは、自分の身近な生活の事のほうが多いですし、最近では9割「アストロ球団」のことですよw
たださあ、そんななかで少しでも、って人っているし、少しでもってことはあるわけだ。
ここの前身であるくまちゃんのサイトに集まった人たちも、そうだったよ。
世の人がみな、そうそう理屈に長けた人ではない、てか、ワシも実は苦手だ。偏差値低いからね。
でもさ、そんな中で、それなりに頑張っているんだと思う。
それをさ、自分じゃなにもしないで、屁理屈並べて高みの見物して、なんか自分が賢くなったような気分に酔う。
結局、それじゃないか、ネット議論って、って、今更ながら、思ったんよ。
あとさ、
>本来聞こえないはずの「世間の噂」「他人の評判」が、テキストになってぶつけられてくる場所でもあるわけ
というけれど、本来あからさまにしてはいけない他者への悪意みたいなものを開放できちゃっているのが2ちゃんじゃないか?って感じたの。
嫌なところ、ってそれだよね。
人間、ホンネはよきものではない、でも、それをそのままだしてはいけない、としつけられるわけだ、いろいろと。
例えば、車椅子の人が混んだ電車に乗ってくる、当然場所取るよ。そんなとき、「ジャマだな、このかたわ」って思う気持ちは、多かれ少なかれあると思う。
けれど、そこでそういってはいけない、という心のストッパーもあるわけだ。
ところが、カタワ邪魔、といって許される空間が2ちゃんにはあるような気がするのね。
私が常駐している2ちゃんのハンクラ関係の板があるんだが、なんか、レスのものいいが気に食わない、カチンとくる、だけで、それをモロ言うカキコがあって、また、それに噛み付く意見があって。
全く、なんでまったり出来ないんだ、と思うけど、我慢がなくなるのが2ちゃんなんだよな。
まあ、ホンネつやホンネかんかも知れないが。
36
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/22(土) 00:55:18
>>33
「素朴な善意を嘲笑」についてですが、そりゃ人数が集まる場所であればいろいろな人が現れますから、中には嘲笑する人もいるでしょう。
そのことは否定しませんが、それだけを取り上げて「ネットの議論は」と結論づけてしまわれるのだとしたら危険かもと思いますよ。
また別の見方として、「素朴な善意」は、「素朴であるが故に、十分な情報や検討に基づかずに下された善意である可能性が高い」ということでもあるのではないかな、と。
用意周到な「素朴さ」っていうのはあまり聞かないでしょ?
【素朴】(そぼく)
(1)飾り気がなく、ありのままな・こと(さま)。
「―な人柄」「白木造りの―な神社建築」
(2)考え方などが単純で、綿密な検討を経ていない・こと(さま)。
「―な疑問」「其文も亦た―にして、更に味ひなし/日本開化小史(卯吉)」
「素朴な善意」が嘲笑の的になったり、ときにいろいろ論われることになるのは、「十分な検討を経ていない」「一面的な善意にのみ基づいた拙速な行動である可能性が高い」ということにも基づいているのでは、と思います。
ですから、素朴な善意を憂える声の中には、単純な嘲笑の他に「現実主義者からの声」というのも混じっていたと思いますが、「素朴さの絶対性」を信じるが故にそうした声が聞こえなくなってしまう恐れもあります。
嘲笑も混じって聞こえるでしょうけれども、「素朴な善意=拙速な行動」を実現に移す前に、十分に検討すべき、というのが嘲笑に紛れ込んでいる現実主義者からの慎重論なのだと思いますよ。
>対等な関係同士でなければ
いつだったか壱学生さんだったか柏葉さんだったかが仰っておられたような気がしますが、勢力均衡=対等な関係の確立よりも、「圧倒的な勢力の不均衡による安定」のほうが、平和が築けるのでは。私はそちらのほうに説得力を感じます。
例えば、1945年以後の日本の対米関係を言えば、20世紀後半に至るまで「圧倒的な勢力差」「勢力の不均衡による安定」によって、少なくとも「戦争に負けたけど、アメリカを脅かす軍事力をすぐに持つべし!」には、日本は至らなかったでしょう。
アメリカと均衡勢力を保とうとした旧ソ連とアメリカの間で、「勢力均衡を求めるが故の、不安定な冷戦関係」は生まれましたが。
>誰かを村八分にすることによって、1/10の犠牲で9/10が安定を得る
これなんですが、湾岸戦争(先のイラク戦争じゃなくて1991年のほう)のときはイラクを悪者にすることによって、その他のすべての世界が一致団結しましたよね。
10/10が和平を手に入れられるのがもちろんベストでしょうし、それは目指すべきでしょう。
ですが、完璧を目指す前に暫定で凌がなければならないのが現実です。
そうなれば、1/10の犠牲で9/10の和平を得る方法は、渋々であっても支持すべきだと思いますよ。
37
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/22(土) 00:55:29
で、こういう話題をするときに必ず定番で出てくるのが、「あなたの乗った10人乗りの救命ボートに、感染病患者が発生しました。薬はなく、医者はいません。あなたはボートの責任者です。あなたはどうしますか?」という設問。
確か、「沈黙の艦隊」でも政治家の資質を問う設問として登場していましたが、このときに感染病患者を海に投げ込み、残りの9人を助ける判断をするのか、どうにか救おうとして結局全員が感染死亡してしまうのか、それとも、という選択肢が提示されます。
私のいう「10/10の和平は理想だが、現実は9/10しか救えない。ならば、1/10を見捨てるのが9/10のための政治」というスタンスで言えば、「船長として患者を海に投げ捨てる。ただし、投げ捨てる行為は船長自らが行い、その責任を死ぬまで負う」という解となります。
自分が船長でなく、また、感染症患者でなかった場合は、船長に従う。
自分が感染症患者だった場合は、「自分だけが死ぬのではなく全員を巻き添えにする」か「自己犠牲」のどちらかを選ばなければなりません。独裁者は往々にして前者を選ぶんですよね(^^;)
さて、上の「9/10のために1/10を殺す選択」は、事なかれ主義でしょうか?
それとも、10/10の公平な死を選ぶ方が平和でしょうか?
立場が弱い者には気の毒ですが、ボートの中が等しく全滅した方がよいと思いますか?
時間が経てば感染症はどんどん広まるわけで、全滅を避け被害を最小限に食い止めるのが政治だと思いますし、そういう決断を私は支持しますけどね。
38
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/22(土) 01:13:14
>ヤスツさんは何がしたいの?
その問いは前にもされていますし、そのときも答えていますよ。
お忘れですか?
最近も答えたんですけど(^^;)、同じ回答を繰り返すことになるかと思いますが。
私は、「戦争をしないで平和になるのは理想的で結構なことだと思う」ということで、その理念に反対しているんじゃないんですよ。
「では、具体的な方法は?」ということを知りたいだけ。
でも、具体的な方法の多くは「素朴な善意に根ざすもの」だったり、「相手の良心に訴えるもの」だったりしますよね。
「素朴な善意の問題点」は、直近の
>>36
でも触れていますし、これも過去に何度も繰り返しています。
「相手の良心に訴えるもの」の場合、根ざす正義が違ったら、文化やマナーが違ったら、期待通りの良心は通用しない可能性のほうが高いですよね。
実際、イカフライさん、またはその他の方が、それぞれの主張に対して【何かとケチを付けてくるヤスツ】に期待通りの良心を期待しても、期待通りにはならないことのほうが多いのではありませんか?
つまり、「相手の良心に期待する」というやり方では、「戦争をしないで平和になる具体的な方法」には生り得ない、ということの証左だとは思いませんか?
それでも「戦争をしないで平和になる」ということに夢を抱いておられる方が多いので、上記で「難しい」とした相手の良心に期待すること以外に、何か画期的な切り札でもあるんだろうか? 幼稚園児の喧嘩も遺産相続の喧嘩も日韓EEZ問題もwたちどころに解決できるような。
でも、そういう「具体策」について求めても、なかなか理念論以上のものが出てこないので、根気強く意見を聞き続けている、というのが私が「していること」なんですが。
そして、私は「戦争をしないで全員が平和になるのがベストだけど、それは実現できない理想だ」と思っているんですよ。
だから、次善の策、ベターな方法として、「少なくとも、自分は戦争を仕掛けずに済み、なおかつ戦争を仕掛けられないようにし、自分(自分たちの国)だけでも安全であればいい」と考えています。
そのための方法として具体的かつ現実的なのが、「集団安全保障」だと思いますし、実際に政治の世界は1945年以降できるだけその方向で軍事対立を避ける努力をしてきているわけで、それは評価していいんじゃないでしょうか。
世界の警察を自任するアメリカについてどういう感情を持とうが、「アメリカという脅威が、大きくなりすぎる」ことによって、逆にアメリカに依存して軍事力を縮小できた小国群という事例が太平洋と中米にはいくつかありますからね。コスタリカとか(笑)
世の反戦平和運動が、そうした「100%ではないけど90%の実効性を保っている、勢力不均衡による安定システム」を否定しているから、じゃあどういう方法があるの?と私はむしろ訊ねているんですよ。
また、「軍事勢力の不均衡による安定」は、自分(自国)が強大な側と友好関係&共有する利害を持っているときに、その傘の恩恵を受けられるわけで、日本がアメリカというジャイアンの恩恵を受けられるスネオでいられるのは、以前の旧ソ連、現在の北朝鮮などの共通の敵または競争相手をアメリカと共有してきたからでしょうね。
敵(脅威)を共有することが同盟の存在理由ですし、また同時に利益を共有すること(共益)も同盟の理由ですよね。
既存の反戦平和運動はスローガンとして「対立者への罵倒、敵視」が多いように見受けられます。実際、そうですしね。
脅威を共有しよう、とか、共通の利益を守ろう、と呼びかければ、対立者との間に平和は築けるはずですけど、必ず「その犠牲(むしろ、自分の安全のための代償かな)」はどうあっても生まれるわけで。
その「代償をゼロにし、敵と仲良くなろう、でもアメリカ(すでに仲良くできている味方なのに)は嫌いだ」とする【反戦平和主義者】が多いので、その矛盾について首をかしげざるを得ないのです。
39
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/22(土) 01:34:45
>>34
イメージ操作をしているわけではないんですけど、「ネット右翼」という言葉を恣意的に展開したのが筑紫哲也だというのは、今更言うまでもないほど知られていますよね。
類似のリアクションをされ、その原因について本人が十分に説明できていないとしたら、「そういう経験があったが故かな?」と推察するしかありませんよ。
それと、【イカフライさんが2ちゃんねるに何かの「発展性」を求めているが、それに2ちゃんねるは応えないので、2ちゃんねるに対して失望した】ということでよろしいでしょうか?
だとするなら、それは2ちゃんねるに何かを期待しすぎていると思いますよ。
それこそ、自分で旗を振って誰かを尻馬に乗せることで初めて人が動くんです。「誰かがやってくれるのを待っているが、誰もやらない」というのは甘えでしょう?
自分がいるスレを自分は気に入っているけど、そろそろスレが終わりそうだ、「誰かスレたて汁!」と他人に頼ったら「おまいがやれ。人に頼るな」と叱られるのは当たり前。たまたま誰かが立ててくれても、それは相手の善意にまたまた寄りかかっているだけではないですか?
加えて言えば、2ちゃんねるには「2ちゃんねるという総意」は存在しないと思います。ひろゆきが何か言えばみんな付いてくるはずだ、という期待をされている人もいるようですが、ひろゆきは「煽る人」だけど「引っ張る人」じゃないでしょ。
ある規模を超えた集団の【全体】を、誰かの意志に沿うように引っ張り動かすのは、とても難しいということです。
これが、「従う義務を課している国、組織」ならまだしも(それでも従わない自由が日本にはありますが(笑))、そんな義務が存在しない2ちゃんねるに、発展性を期待してもなあ、と思いますよ。
2ちゃんねらーにもし、総意に近いものがあったとしたらそれは「2ちゃんねるがなくなったら困るなあ」というおぼろげな感情だけだと思いますよ。たとえて言えば、「愛国心」または「愛着」のような。それ以外にはないといっていいような。
でもその2ちゃんねるを使って何を誰かがしてくれ、というのではないのだとしたら、「2ちゃんねるから何を得るか」「2ちゃんねるに対して自分は何ができるか」という考えに向くのではないかな、と。
単に利用者として使うもよし、記者、削除人、復帰人、まとめ人(これってボランティアでもあり、ある種の公僕ですよね。報酬ないけど)になるもよし。
むしろ、2ちゃんねるの最大の功績は、「自分が属する、なくなっては困るもの(帰属対象)に対して、自分は何ができるのか?を、個人が考えるようになっていく」ということじゃないですか?
これが、2ちゃんねるが、国に置き換わる場合もあるかもしれないし、地球になる人もいるかもしれないけど、何に置き換えるかは各自がまた考えることですし。
思い通りにならないから、気に入らない人が支配的だから見捨てるというのもひとつの決断ですから止めませんけどね。
批判的な人がいるという状況に対して、イカフライさんはどうしたい/どうしたかったんですか?
自分の言うことを受け入れて欲しかった? 説得や説明はしましたか?
自分の言うことに同意して、誰かに動いて欲しかった? 自分は動きましたか?
……という質問になってしまいますが、どうなのでしょうね。いや、無理にお答え頂く必要はないんですが。
2ちゃんねるは、「やってみせ、いってきかせて」で、「させてみる」は相手の自由に任されてるところなんですよねー。
やってみせ、いってきかせても賛同者が出るとは限らない。むしろ、叩き嘲笑のほうが多いかもしれない。(どの板にいるのかによりますけど(笑))
させてみるのは、まず不可能。
でも、「やってみせたのが受け、いって聞かせたら付いてきた」という例はあるでしょ。
「自分の考えたことを、誰かに打ち明ける場所」であると同時に、「自分という個を主張することに、あまり拘りすぎない」ほうが気楽な場所だとも思います。
というか、2ちゃんねるに限らずネットの議論の多くはそういう場所でよいのではないかな、と。
だから、2ちゃんねる(や、ネットの議論)からイカフライさんが何も見いだせなかったとしても、それはイカフライさんの抱える問題であって、「何も見いだせなかったから、その場が悪い」としてしまうのとは、違うような気がします。
40
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/22(土) 01:50:12
>>35
イメージ操作のつもりはないんですけどねぇ(^^;)
おそらく問題点がわかってきた気がしましたよ。
イカフライさんは「それは自分のことを言っている!」と何でも受け止めすぎなのではないでしょうか?
というか、まじめなんですね。
もっと聞き流せばいいのに。
というか、「聞き流す」「ペルソナを付け替える」「真に受けない」これを会得しないと、辛いと思いますよ。何かと。
そして、ネットという場は実名社会ではなく実社会でのポジションを必ずしも反映させなくてもいい社会であるが故に、「個人として個人をふまえて個人を高らかに掲揚して」何かをしなくてもいい場所なのだと思います。
というかそうでないと保ちません。
ネット/2ちゃんねる評として一般的なのは、「悪意が露出されていて怖い」「腹立たしい」こんなところと思いますが、まあこれはその通りでしょうね。
実生活(立場や肩書き、身分wが邪魔)でできない会話をしているのが、ネットという場であるわけですから。
であるが故に「言いたいことについて、後先を考えずに言える」というメリットを持ち、同時に「遠慮/配慮がない」というデメリットも持つ。
デメリットがあるのは確かですが、そのためにメリットを諦めるべきかと言われたら私はそうは思いません。
また、ネットでへりくつ並べている人は高みの見物をして偉くなったような云々ですが、まあそういう人もいるでしょうね。中には。
だって、今までは手に入らなかった(知らなかった)情報が次々に流れ込んできたら、そりゃ「初めての情報長者体験」という奴で、「俺は何でも知っている凄い奴!」という気持ちになる初心者も大挙して出てくるでしょうし、それは不思議なことではありません。
月100円の小遣いしかもらわなかった小学生に、いきなり10000円のお年玉をやったようなもんですナ。
そういう人が多いように見えるのは、「情報過疎から解放されたばかりのひとが、それだけ多い」ということなのではありませんか?
でも、そうした情報はたくさんあるばかりでなく、嘘もだましもいっぱいある、すべてが本当じゃない、ということに直に気付く段階がくるでしょう。
そうして、またいろいろなものに興味を持ち、学び、教えを請い、試行錯誤して自分の考えを高めていったり、自信を失っていったりwまあ、いろいろ体験していくのではないかな、と。
そうやって「無駄足」を踏んだり、「自分に酔った」り、そのことに気付いて恥じ入ったり、そういうことをいろいろする場ということでよろしいのでは。
いつまでもずーっっと酔いっぱなしって人もそうそういませんよ。同じように見えて、少しずつ変わるものだと思いますし。
私などはまだまだまだまだ、この先もずーっといろいろ学びっぱなしでしょう。ノートを取る人、質問する人、ということで、生涯聴講生ですから。
ただ少なくとも、一昔前ほどには「名を出そう」とはしなくなりましたねえ。
うろちい板ではコテ+トリップを付けていますが、それはここではそうするのがマナーだから。
2ちゃんねるでは普段はほとんど名無しです。
コテを出すのは、まとめページ関連の業務連絡の時くらいじゃないですか。今は。
自分については「集団で思考するアナログな人工無能の素子のひとつ」くらいにしか考えていませんから。
脳みそをシェアしてるというか(笑)
41
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/22(土) 01:58:51
>>35
運スレ([議員・選挙板]小泉総理は運が強すぎるスレ)なんかにも、「テンプレが長すぎる、短くしない奴は糞!」というのを、スレが立つたびに言う人がいますし、また、懲りも飽きもせずに小泉怪文書を貼りまくる人もいますよw
でも、280もやってると、耐性が付いてくるんですよね。
わりと早い段階で「ハイハイワロスワロス」とスルーするようになる。怪文書はNGワード登録であぼーん。厨だな、と気付いたらIDあぼーん。
発信者に黙れ、改善しろ、と言って、相手の良心に期待しても改善なんかされやしなんです。
不特定多数のよくわからん人が絶えず出入りしているわけだから。(運スレ、推定ROMは平常時で1000人前後です。これは、まとめページの過去ログ閲覧者数からの推測)
そうすると、「発信者の善意・良心に訴え、相手が言うことを聞かないから怒る」のは労力の無駄遣いで、「自分でNG登録して、受信者側努力で問題解決。スレの他の住人がどうするかは、それぞれのスレ住人個人が決めること」ということが、わりとすぐに見えてきます。
さっきの「反戦平和に対立する相手の良心に訴えるのではなく、自分たちが対応する」みたいな。
反戦平和系市民運動のサイトなんかで、管理人が言論封殺的削除権行使(笑)をしたり、特定利用者を書き込みできなくしたり、BBSをクローズドにしてしまうのも、あれはあれで一種の「域内平和」を実現させる方法なのかもしれませんね。
ただ、「域外との平和・対話を放棄する」ということで作られる限定的な平和なんで、彼らが本来訴え求めているものとはちょっと違うんですが(^^;)
ともあれ、「自衛」「聞き流し」「受け流し」をし、「相手に過剰な期待をしない」のが、よいかと思いますよ。老婆心まで。
42
:
DR@福岡県民
:2006/04/22(土) 11:43:47
シバラク傍観していましたが…
どうも、どちらさんも相手の反対意見を全て突っぱねる傾向にあるような
印象です。
まあ、それにはそれなりの理由や理屈があってのことではあるのですが、
そうじゃなく、もっとこう、自分の意見に相容れない部分であっても、
ある程度は相手の意見も受け入れつつ、落としどころを模索しないと
不毛な平行線ではないかと思いますよ。
(まあ、相手が詭弁強弁で来るのであれば、何を言っても無駄という部分は
ありますが、この場合はその限りではないでしょう。)
突き詰めると、「ネット議論に意味があるか」に留まらず、
「私達は議論なんて結構なものができる器なのか」という話になるのでしょうが…
↑最近私はこの点に懐疑的になっていまして…で、口数が減ってるんです。
43
:
イカフライ
:2006/04/22(土) 19:44:42
反論はゴマンとあるんですが(藁、いや、笑っている場合じゃねえか)
>「9/10のために1/10を殺す選択」
一見、理性的にこれを支持するっていっとぬ御仁がさ。
果たして、自分がその立場になった時、それを選択できるのか?ってことなんだよな。
例えば、ヤスツさん、まあ、どういう状況かはいろいろ仮定できるけれど、10人を生かすためにあなたの奥さんが死ななきゃならない。
その時に、あなたはハイと承知できるのか?ってことなんだよね。
で、その時、私が「いいじゃん。ヤスツさんの奥さんさえ死ねば、10人助かるんだから」
といって、それを平然と受け止められるか、ってことなんだよな。
結局、その立場に立っていない人間が何言っても、それは無責任な第三者なんではないかね?
44
:
イカフライ
:2006/04/22(土) 19:59:36
>>39
>【イカフライさんが2ちゃんねるに何かの「発展性」を求めているが、それに2ちゃんねるは応えないので、2ちゃんねるに対して失望した】ということでよろしいでしょうか?
これもイメージ操作ですね(藁藁)。
たかが2ちゃんねるごときに夢を持つほどの救いがたい阿呆、みたいな。
うーん、そうじゃないんだよね。ヤスツさんは2ちゃんを結構評価しているようだけれど、私は筑紫さんいうところの便所の落書きその通りだと思う。
あとさ、開かれている場所が必ずしもいいものではない、ってことかな。
>>イカフライさんは「それは自分のことを言っている!」と何でも受け止めすぎなのではないでしょうか?
というか、まじめなんですね。
いえいえ、大神さんほどではありませんわ(藁)。
ネットウヨの典型を書いただけなのに、なんだか自分やそれどころかヤスツさんが言われたように怒っておられたよね、かれは。
その時に、「まじめなんですね、大神さんは」とおちょくりませんでしたね、ヤスツさんは。
ちなみに、ネット右翼という言葉は、自分では丁寧語のつもりで使っています。
ネットウヨじゃあんまりかな、と思っているので。
そもそもさ、ネットの膨大なカキコを見てネットウヨにも一部の理があるのかな、と思っていた部分もあります。
いろいろ話して得た結果が、マイブログにも書いた結論なんですよね。
あとさ、ネットは遊びだ、とはずっと言っているけれど、私がしてきた事って、結局、オナニーのお手伝いに過ぎなかったのかしらん、とも思ってる。
言い方、下品でごめんね。
私が、このサイトに執着してきたのはさ、私まで去ってしまうと、所詮反戦平和なんてやってる連中は、議論じゃ負けるんだ、みたいな前例、作りたくなかったんだよね。
ヤスツさんは否定するかも知れないけれど、そもそも、あなたがたが最初に来たスレは、反戦サイトをつぶしたと自慢している連中の集まりだったわけだから。
ただ、最近、それってどうでもよくなってきた。
ネットで右翼的議論を標榜している人たちって、所詮それが趣味なんだよな。
ウヨった発言を楽しくおしゃべりしたいのよ、だから、相手してくれる人が欲しいってことではないのかな?
ネットでおしゃべりしたいなら、雑談でいいじゃん、それこそアニメの話でもマンガの話でも(それっきゃねえが、私は)。
まあ、これ言うと、また「真面目なんですね」って皮肉いわれるんでしょうけれど、人の切実な生き死にを無責任な雑談の肴にするのは、失礼だよな。
45
:
イカフライ
:2006/04/22(土) 20:07:36
昔、全共闘やってた人に聞いた話なんだけどさ。
「喫茶店でコーヒーを飲みながら、ベトナム戦争について語る」
自分に気がついてしまった時に、冷めた、って。
うん、この感じかな?
まあ、多分、ネット議論は私の趣味には合わなかったってことに今更ながらやっとこ気がついた、ってことでも良いよ。
あのさ、全く関係なさそうな話なんだけど、最近、私、やたらスポーツマンガが読みたいのね、アストロだけじゃなくて(いや、アストロはそもそもスポーツ漫画かと……)
「テニプリ」とか「おお振り」とか、今度「メジャー」に挑戦しようかと。
普段はさ、どっちかっていうと理屈っぽい漫画が好きだったし、自分、運動音痴でスポーツに縁ないので、さほどはまらないジャンルなんだけどね。
どっも、これはネットの後遺症っていうか、反動らしいんだよね。
画面の前で、屁理屈こねまわしてる前に、身体動かせよ、みたいな気になっているのかな、解らないけれど。
(いや、だからといって、スポクラ通い始めたわけじゃないが)
46
:
レームダック
:2006/04/25(火) 18:23:42
↑引退宣言ですか?
47
:
うろちい
:2006/04/26(水) 03:13:10
>イカさん
>>29
>ただね、私、ネットの議論を続けていくと、その中だけにからめとられてしまって、リアルでの自分の行動がじゃあどうするの?というと、パソの前で理屈を弄しているだけになっているのかな?と感じるんですよ。
>>45
>昔、全共闘やってた人に聞いた話なんだけどさ。/「喫茶店でコーヒーを飲みながら、ベトナム戦争について語る」/自分に気がついてしまった時に、冷めた、って。/うん、この感じかな?
おおお、僕も何度同じような感覚に襲われたか。
自分の実は安穏とした状況と最前線の現場とのギャップを考えると、文字列の議論にヒートしたり疲弊したりするのが非常にアホらしく虚しく思えます。
ただ、この嫌(いや)ーな感じ、僕の現在には必要だと思ってるんです。
というのも、例えば、「喫茶店でベトナム」で冷めて喫茶店議論はおろかおそらく他の活動も止めた方は、この「嫌ーな感じ」から逃れることには成功したんでしょうけど、だからといってベトナムの苦難を真に共有することに成功したのではなく、むしろそれからそれから目をもっと逸らしてしまったわけです。
安穏とした状況に棲んでいる我々はそれでも済ませることができるんですよね。
「嫌ーな感じ」は、本当は、活動をもっとより良くするための契機にすべきではないでしょうか。
残念なことに、現状を打破できない僕にとって「嫌ーな感じ」は一つの苦行だと思って今のところ甘受しているところです。それに慣れてしまわないように自分に言い聞かせています。
48
:
うろちい
:2006/04/26(水) 03:21:19
>>42
DR@福岡県民さん
>「私達は議論なんて結構なものができる器なのか」という話になるのでしょうが…
器に至っている人と言えば、有名人ならどの人を言いますか?
49
:
うろちい
:2006/04/26(水) 03:45:22
>>45
イカフライさん
>あのさ、全く関係なさそうな話なんだけど、最近、私、やたらスポーツマンガが読みたいのね、
僕もテニプリ、メジャー、一歩、バギ・・毎週必ずコンビニで立ち読みします。
そして、走ります、自分の足で。
長距離苦手だけど、一回5キロくらを週に1回は全力で。
ときどき運動で激しく苦しくならないと、頭とのバランスがとれなくて。
愛車のSUZUKI Goose350(バイク)でぶっ飛ばすこともたまーに。
それと、えーと、Gガンダム大好きです。
しかし、子供がうまれてからというもの、頭と体のバランスより、そもそも時間をどう捻出するか、の方が切実だったりします。
朝食食べさせて、保育園。
保育園からもらって、晩ご飯あげて寝かしつけ。
他の家事も含めて、一日5時間はくらいかかるんですけど、異常でしょうか(我が家は共稼ぎ)?
おかげでこんな時間に書き込んでますけど、6時起きです。
50
:
ヤスツ
:2006/04/26(水) 19:08:54
GW前なので、随分滞っていました。
おまけにまたまたマシントラブル。
たぶん、まだまだ滞ります(つД`)
さて。
私はインターネットになる前の草の根通信(nifty以前)も知ってる旧世代なんですけど、
ネットの掲示板というのはその規模(参加者の人数と言い換えてもいいです)によって、活用方法や性質は変わると感じています。
小規模で顔ぶれが決まっていて、なおかつそれぞれの常連を直接または直接ではないにせよ、一貫性のある人間(人格)として知覚する「サロン」型の掲示板は、「考えを深める」場所であるけれど、顔ぶれが同じであるが故に、話題はすぐに煮詰まってしまうか、「飽き」を回避するために話題が無意識のうちに転々としてしまいます。これは脱線しまくりの議論を何度も経験された皆様なら、心当たりもあるものと思います。
一方、互いに相手を全く知らない、または「長期間にわたって一貫性のある個として認識しにくい」「参加者の人数が多すぎて、相手を特定できない」ような掲示板だと、サロン型とは違った振る舞いになることがしばしばあります。ポジショントークや人格批判はもちろん慣れないうちは行われたりしますけれども、だんだん「本質論のリレー」になっていったりするんですね。
ただ、長時間同じ話題が続くかと言われると、お題によりますけれどもそんなに長くは続きません。
ですので、もっと続けたい人には「深みが足りない」と思われてしまうところはあるかもしれません。
私は規模の大きい、しかも相手を特定できない(主張の一貫性を証明する必要がない)掲示板は、相手を論破するだの、何かを深めるだのではなくて、「いろいろな観測気球をいっぺんに上げる」
「尻馬に乗る人とその動向を観察する」「自分一人ではフォローしきれない、様々な視点の存在そのものを知る」「自分一人ではフォローしきれない、様々なポジションの主張や正義の存在を知る」
という、【問題そのものを知る】【問題を取り巻く定義や条件の存在を知る】ために、使われるものと思います。一致団結して【答えを求める】ための場としては、特に考えていません。
答えは結局は「並べられた題材を前に、いろいろ考えて自分で出す」ものです。
自分が出した答えが、その場にいる全員に共有する/させられるかというと、それは厳密には重要じゃないんですね。
むしろ、「設問の存在」「設問から解を導くのに必要な諸条件、要素、ヒント、可能性、選択肢の存在」
を知るために、「他人の見解」が無差別に並べられる匿名掲示板というものは便利なんですよ。
例えば、竹島問題。
知らない人は問題の存在すら知らないまま、いきなり「解が正しいかどうか」だけを求められる。
これも、見方によって多くの解がありますし、それに付随する諸条件を知っているかいないかで、
さらに多くの異なる解が見えてきます。
その上でどれが正しいと考えるかは、解を見た個々人が考えること。
さらに、自分で現実が解に近付くようにするのもよいし、自分ができない(例えば生活や子育てで時間が取れないとか)場合は、誰かそれを代表/代行してくれる人間に委託してもいい。
歳末や災害時、困った人を直接助けに行かずに「募金」や「義捐金」という形で金を託すのは、代行者への委託でしょ?
直接行動を取るか委託行動を取るかは、その個人が自分の生活をどの程度「他人に使って大丈夫か」「自分の生活をどこまで犠牲にできるか」という判断の上になりたつものだと思うし。
そんなわけで、「コーヒー飲みながらベトナムの話をする自分に萎える」なら、それがその人の得た(その人が個人として許容できた)最終回答ってことでよろしいんじゃないでしょうか。
その人が出した、その設問への解、または設問そのものに対する評価は、それぞれの個人のものですしね。
51
:
ヤスツ
:2006/04/26(水) 19:19:50
そんなわけで、私は匿名大規模な掲示板で「議論をする」というのは、「解を共有する」ために行うのではなく、「設問の入手」「解を得る前に必要なヒントの入手」のために行われるもので、そこからどういう「個人の結論」として解を導き出すかは別問題じゃないかなと思います。
なので、ネットの議論というのは常に意味はあるんですよ。
我々は常に抱えきれないほどの難題を持っている、という事実を知るために。
問題を知らないほうが幸せだと思うなら、ネットを見なきゃいいわけですし。
問題を知って、なお自分個人の力でそれは解決できると思うなら、個人の所要時間をなげうって努力すればよろしい。
個人では解決できないと思うなら、それを代行する人間/組織に投資するなり、支援するなりすればよろしい。
代行者が見つからないと思うなら、または決めかねているなら、さらに多くの「ヒント」を探せばよろしい。
見ているだけで問題もヒントも羅列される(ばらばらにですけど)スレなどごまんとありますし。
ただひとつ言えることは、「気の毒な人がいて、自分はその人ほど気の毒じゃない」という状態のとき。
相手と自分が公平になるために、「相手を引き上げる」「自分が降りていく」「接触を断ち、一切の交流を持たない」
「もっと良い方法がないか考える」
などの選択肢があるわけですが、「もっと良い方法がないか考える」という【いずれする選択のために、今は拙速な判断は保留する】
というモラトリアム状態もまた、「議論をしている状態」なんじゃないですか?
私は「設問の入手」「設問の解を得るためのヒントの入手」に並んで「判断保留」も議論という行為の「経過状態」だと思っていますけれども。
PS.
先の「唯一の感染者が自分の妻だったら」という設問ですが、投げ捨てるでしょうね。海に。
で、妻の怨みに満ちた眼を忘れられずに、残りの一生後悔し続けるんですよ。それでよかったのかどうかを。
それでも、その役を赤の他人にやらせるわけにはいきませんからねえ。
残りの9人が死ぬよりマシ、と判断するでしょう。自分が「命を預かる立場」だとしたらね。
どちらかというとデジタルな思考をするタイプなのでそうなります。
自分が感染者の場合は、まあサヨウナラになるでしょうねえ。
それが私のしそうな選択です。
52
:
ヤスツ
:2006/04/26(水) 19:38:03
>>44
>「反戦サイトを潰したと自慢している連中の集まり」
これは誤解だと思いますよ。
否定というより、それ以前をよく知っていますので弁明をすべきなんでしょうね(^^;)
あの残党というか生き残りの人たちは、最後まで返答を求めて書き込みをしていたんですよ。
そしたら、向こうが答えに窮して閉鎖しちゃったんですよ。こういう状態をして「潰した」と勝利宣言のように考えている人もいるかもしれませんが、話を継続できなかったのは残念だったと今も思っています。
交渉は、自発的にテーブルを蹴ってしまったらそこで終わりなんだ、ということです。
松岡洋右の判断は間違いだった、と私は今も思っていますよ。
だからあのスレも当初は「潰しちゃいました」みたいなタイトルだったのが、途中でニュアンス変わったんですよね。
勝利宣言のように受け取られてはいけない、という意味で。
今、あの当時の方々は方々に散ってブロガーになっていますね。
それと、「話し相手が欲しい」ですが、それは「相手が出した設問に、自分なりの答えを付けて回答を促した」または「相手の出した答えについての疑問を提示し、回答を促した」というケースがほとんどなので、「話し相手がほしい」というのはちょっと違うかも。
先にも触れたように、「議論に参加せずに、設問とヒントだけを【読む】ために見ているスレ」はいくつもありますし、そういうスレは話し相手がいなくても、得るものは大きいですし。
話し相手が欲しいんだったら、行きつけの飲み屋のカウンターに座りますよ(^^;)
>「所詮反戦平和なんてやってる連中は議論じゃ負けるんだ」という前例を作りたくない
議論は勝ち負けじゃないでしょう?
誰かが掲げた理念なり疑問なりがあり、それに付けられた回答なり主張なりがあり、それについてまた別の疑問があれば、なんらかの反論は出るでしょう。指摘もあるでしょう。
それについて、「その答えは自分は採用できないが、言いたいことはわかる」という形で理解されれば(理解されるということと、相手がその答えを採用するということは別問題ですから)、質問や指摘は収まると思いますが、それは主張した側が【勝った】という状態じゃないし、意味ないでしょ?
「理解はしたけど受け入れられないよ」という人に対して、さらに深追いをして「説得」をするかどうか、というのはまた別のフェーズになるかとは思いますが……
それでも議論を「勝ち負け」で見るのはどうかと思いますね。
議論を勝ち負けで見る人というのは(イカフライさんがそうだ、と言ってるわけじゃありませんよ!)、「言い負かされた」と感じると、次に手が出るんですよ。
「長州人は怜悧」と言いますが、これは「冷酷」という意味ではなくて、「弁が立つが加減を知らない。が故に、相手に逃げ道を作らずに追いつめてしまう」というニュアンスに続くそうです。(その結果、言い負かされた側が逆恨みして、志士狩りの標的にされてしまうわけなんですが)
これと同じで、「議論で相手を言い負かす」ことは、結局相手の暴発を誘うことにしかならないのでは、と思っています。
ただ、「言い負ける」「言い勝つ」ではなくて、「聞かれたことを説明できる」という人であってほしいなー、と思ったりはしますけどね。
>ネット右翼
議会の右側の席に座った保守勢力をして、「right side」、左側に座った革新勢力をして「left side」といったのが始まりでしたっけ。
でも、ネット右翼ということばは、「保守的(=現状を支持し、安定をよしとするのが保守)」というのともかけはなれています。
どちらかというと、右の彼方にいる人と、左の彼方にいる人は基本的に同質ですよね。
これは、右左は関係なくて、「自分の主観に反対するものを力で排除しようとし、過激な発言で煽動する」というスタイル。
おそらく、イカフライさんはそういうスタイルをして「ネット右翼」と認識されているのでしょうけれども、これについては左にも反戦平和主義者にも
民主党にも社民党にも、時には自民党にだって似たようなタイプの人がいますからね。
スタイルを揶揄するつもりでおられるなら、これは思想の左右とは切り離して別の表現を使った方がよろしいのではないでしょうか。
このへん、どう受け取るかは個人の問題だとは思いますけど、私はそのように考えています。
53
:
ヤスツ
:2006/04/26(水) 19:48:32
>>44
>イメージ操作云々
うーん、イメージ操作ではなくて、イカフライさんの出した「断片的な情報」を組み立てると、そのような解を引き出すことができるのですが、これは正しいですか?間違っていますか?別の補完情報がありますか? という確認なんですよね。
イメージ操作じゃなくて「私が言いたいのはそうじゃない」ということであれば、それは「なるほど、解を組み立てるのに必要な情報が不十分でした。もう少しあなたからヒントをいただきたいと思います」ということになります。
そこで席を立てば対話は終了ですし、「そうじゃなくて言いたいのはこういう事」というヒントが続けば、また話は続く、ということです。
コミュニケーションというのは、「自分の言いたいことを相手の口から引き出す」「相手が言いたいことを、自分の口から自分の言葉で告げて、相手に同意(確認)させる」ということで、初めて成り立つものと思いますよ。「俺が言いたいのはソレダ」、と。
それを途中でやめるかやめないか、ということですな。
もちろん、「GW前なんで仕事が!」とか、「子供が病気で!」とか「親が危篤で!」とか、やむにやまれぬ個人の事情というのはどんなときでも存在しますから、「その時間的な余裕の中で優先順を決めてやることのひとつに過ぎない」という理解でよいのではないでしょうか?
これはその他の一切の生産活動/生命活動にも言えることですよね。
寝ないと死んじゃうから寝る。
食わないと死んじゃうから食う。
それよりなにより息しないと死んじゃうから無意識に息する。
寝るためには時間と蒲団が必要、食うためには金が必要。だから働く。
働いて寝る場所があって飯を食えて子供も健やか、それで余暇があったらさらに世界平和を考え、もっと余暇があったら自分にできることをすればよい。
自分の余暇や人生を削って何かをする事が趣味だというなら、趣味としてではなく何かをするというのは「飯食う時間も服を買う金も切りつめるか取りやめるかして、完全滅私になる」のでない限り、何も実現も達成もできません。
それでもグリンピースの人だって寝たり食ったり息したりすると思うんですよね。たぶん。それしないと死んじゃうし。
イカフライさんの場合で言えば、世界平和はアストロより優先順位高いですか?低いですか?
DVD買わないでどっかに寄付すればいいのに、と言われても「それとこれは別問題」っていうでしょう?そしたら、優先順位はアストロのほうが高い訳で、世界平和はその程度の「余暇でする」ことなんだ、ということになると思います。
どっちにせよ、我々は自分以外のすべてに対して(極論すれば家族に対してすら)第三者としてしか接することはできないんですよねー。
自分は自分にしかなれないわけだから。
まー、こうした問題をどう捉えるかという悩みは、小中学生のとき学校帰りに見つけた捨て猫を前にしてする逡巡と何ら変わらないよーな気がしています。
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