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ネットの議論ってそもそも意味あんの?

32ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/20(木) 03:08:44
ネットの掲示板でも2ちゃんねるでもblogでもいいんですが、そういう場所で何かを言うこと、書くことというのが、まったくの無駄になるとは思っていません。
もちろん、個人の力で世界が簡単に思い通りになるとも思っていません。

が、「態度を表明する」「意見を示す」「賛同を示す」「反対を示す」、そういう「態度を明らかにする」ということができるだけでも、ネットという場はまったくの無駄とは思いません。
今まではできなかったわけですからね。
そこから始まる何かもある。
企業を動かす、大きな市場を作るなんていう例だってある。
「電車男」「生協の白石さん」「嫌韓流」etc,etc,
ネットの個人がまったくの無力、何を言っても無駄というのは、たぶん気のせいでしょう。

ただ、「聞いてもらえない主張」「賛意を集められない主張」には、何らかの理由はあると思います。
訴え方がいかんのか、論旨が同意を得られないのか、それはわかりませんが。
ネットはそういうときに、リトマス試験紙になったりシンクタンクになったり図書館/資料館になったり、いろいろに役立ちます。
ともあれ、「自分の考えを誰もまともに取り合ってくれないから、【おまえらが悪い】」ではコミュニケーションは止まってしまいます。
言い方を変える、相手の考えを自分流にかみ砕いて再提示、問題点を指摘する、されたところを再検討して再提示。
そういうことの繰り返しが議論ですし、またそれを止めることで「説得を放棄する」というのは、相互理解をやめることでもありますね。

理解した上で同じ結論を得ず、距離を取ることで対立から離れていく、という解決方法ももちろんありましょう。
ぼーん氏などがそうされたのは、「距離を取って袖触れ合うことをやめ、縁を切れば対立せずに済む」ということでもあると思います。
これはこれで「平和=自分が傷つかない賢い方法」であったでしょう。
もし地球上のすべての国が島国で、島一個につきひとつの国で、互いに往来する船を一隻も持たず、ひとつの島には一人しか住んでいないのだとしたら、ぼーんさんの取った「距離を取って袖触れ合うのをやめる」というのは、最適な平和の確立方法であるだろうと思います。

残念ながら我々の世界は狭すぎ、我々は過密に暮らしすぎ、ネットの発達は触れ合う袖を多くしすぎています。
PCを窓から投げ捨てることで、少なくともネットと縁を切ることは出来ますが、現実の生活での不満不快の解決には、やはり結びつかないでしょう。
一人で生きられない以上、誰かと袖をこすり合っていかざるをえず、だからこそコミュニケーションが欠かせず、それを欠いたり不完全だったり不満が残ったりした場合に対立が「暴発」に繋がるのだと思います。
「コミュニケーションを否定しない」「相手より先に席を立たない」「相手を席から立たせない」これが、平和を先延ばしするための、今のところ一番マシな最低の方法なんじゃないでしょうかね。



そういえば、先だって嫌韓流発刊の舞台裏(版元側、社内での話)を伺ってきたのですが、なかなかおもしろい話が聞けました。
こちらはまた、近いうちに酒の席で。


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