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ネットの議論ってそもそも意味あんの?

16ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/08(土) 15:36:17
私がサイド6は試みとして成果があったといえる、としているのは、まさにその「対立する話題を棚上げにして、同じテーブルに付かせた」ということを言っているのです。

たとえは不快かもしれませんが、北朝鮮を六者協議のテーブルに付かせたようなもので、結論が出なくてもテーブルに引っ張り出すことが「最初の目的」であったとされています。(当初、北朝は交渉すらも拒否していたわけですから、大きな成果です)
現在の六者協議は「協議に結論を求める」「時間稼ぎが不利益になる」という各国の思惑から、なんらかの結論を求める方向にシフトしはじめているため、それを嫌ってなかなかテーブルにつこうとしない方向になったりしています。

この「テーブルに付く」という点では、中国・韓国も同様で、韓国は「テーブルに付く(シャトル会談)条件として、要望を満たすことを要求。叶えられなければ会談拒否」、中国も同様。テーブルに付くことそのものを条件闘争にし、話し合いではなく「話し合って欲しければ条件を認めろ」というテーブル外交渉をしているわけですね。
こうなってしまっては、「テーブルについて話し合いをする」ということそのものがまったく無意味になります。

我々で言えば、「反戦平和を認めなければ議論のテーブルに付かない」「暴力による対立回避以上の方法が提示されないなら議論のテーブルに付かない」と言い合うようなものです。相手の意見を精査する、相互に検証するのが議論でもあるはずです。
結論を受け入れなければ、それを吟味するテーブルに付かず、当初の結論通りにならない議論なら最初から拒否する、という姿勢が正しいはずがない、ということにはご理解頂けるものと思います。

まずテーブルに付くことが、「平和を延長する」ために必要なことという基本に立ち返れば、「(ネットの)議論は無意味」という結論・議論への絶望は、気持ちはわかりますが松岡洋右的な破滅にしか繋がらないだろうこともご忠告申し上げたいと思います。



ネットの議論から得られる意味は、ないと思ったら何もありません。
あると思ったらいろいろなものが見えてきます。
自らの目を塞ぐかどうかは当人の判断ですから、無理に袖引くことはできませんが、この板が長年テーマにしてきた「平和とはどういう状態を指し、どういう性質のものか」を再考するための思考材料としてはよろしいのではないでしょうか。


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