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ネットの議論ってそもそも意味あんの?

50ヤスツ:2006/04/26(水) 19:08:54
GW前なので、随分滞っていました。
おまけにまたまたマシントラブル。
たぶん、まだまだ滞ります(つД`)


さて。
私はインターネットになる前の草の根通信(nifty以前)も知ってる旧世代なんですけど、
ネットの掲示板というのはその規模(参加者の人数と言い換えてもいいです)によって、活用方法や性質は変わると感じています。
小規模で顔ぶれが決まっていて、なおかつそれぞれの常連を直接または直接ではないにせよ、一貫性のある人間(人格)として知覚する「サロン」型の掲示板は、「考えを深める」場所であるけれど、顔ぶれが同じであるが故に、話題はすぐに煮詰まってしまうか、「飽き」を回避するために話題が無意識のうちに転々としてしまいます。これは脱線しまくりの議論を何度も経験された皆様なら、心当たりもあるものと思います。

一方、互いに相手を全く知らない、または「長期間にわたって一貫性のある個として認識しにくい」「参加者の人数が多すぎて、相手を特定できない」ような掲示板だと、サロン型とは違った振る舞いになることがしばしばあります。ポジショントークや人格批判はもちろん慣れないうちは行われたりしますけれども、だんだん「本質論のリレー」になっていったりするんですね。
ただ、長時間同じ話題が続くかと言われると、お題によりますけれどもそんなに長くは続きません。
ですので、もっと続けたい人には「深みが足りない」と思われてしまうところはあるかもしれません。

私は規模の大きい、しかも相手を特定できない(主張の一貫性を証明する必要がない)掲示板は、相手を論破するだの、何かを深めるだのではなくて、「いろいろな観測気球をいっぺんに上げる」
「尻馬に乗る人とその動向を観察する」「自分一人ではフォローしきれない、様々な視点の存在そのものを知る」「自分一人ではフォローしきれない、様々なポジションの主張や正義の存在を知る」
という、【問題そのものを知る】【問題を取り巻く定義や条件の存在を知る】ために、使われるものと思います。一致団結して【答えを求める】ための場としては、特に考えていません。

答えは結局は「並べられた題材を前に、いろいろ考えて自分で出す」ものです。
自分が出した答えが、その場にいる全員に共有する/させられるかというと、それは厳密には重要じゃないんですね。
むしろ、「設問の存在」「設問から解を導くのに必要な諸条件、要素、ヒント、可能性、選択肢の存在」
を知るために、「他人の見解」が無差別に並べられる匿名掲示板というものは便利なんですよ。

例えば、竹島問題。
知らない人は問題の存在すら知らないまま、いきなり「解が正しいかどうか」だけを求められる。
これも、見方によって多くの解がありますし、それに付随する諸条件を知っているかいないかで、
さらに多くの異なる解が見えてきます。
その上でどれが正しいと考えるかは、解を見た個々人が考えること。
さらに、自分で現実が解に近付くようにするのもよいし、自分ができない(例えば生活や子育てで時間が取れないとか)場合は、誰かそれを代表/代行してくれる人間に委託してもいい。
歳末や災害時、困った人を直接助けに行かずに「募金」や「義捐金」という形で金を託すのは、代行者への委託でしょ?
直接行動を取るか委託行動を取るかは、その個人が自分の生活をどの程度「他人に使って大丈夫か」「自分の生活をどこまで犠牲にできるか」という判断の上になりたつものだと思うし。

そんなわけで、「コーヒー飲みながらベトナムの話をする自分に萎える」なら、それがその人の得た(その人が個人として許容できた)最終回答ってことでよろしいんじゃないでしょうか。
その人が出した、その設問への解、または設問そのものに対する評価は、それぞれの個人のものですしね。


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