[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
「α」についてはここで語ってください
1
:
法の受験人
:2003/05/21(水) 00:37
ぼーんさんが述べられてる「α」なる理論。
これに対しては批判も多いので、
こちらでまとめて話しませんか?
202
:
武蔵
:2003/08/23(土) 10:34
「α」について
ということですから、所得と配分以外のことを語ることも許されるでしょうから
今回は、世襲の廃止について考えたいと思います。
現在、天皇以外の身分や職業に世襲制度はありません。
しかし実質的な世襲、法的ではない世襲が行われていることは確かなことです。
これにメスをいれて、緩和していくことは多くの一般人にとって利益のあることです。
代議士の地盤看板カバン・・・・これをどうしていくか。
医者の子は医者になりやすい。当然の部分もあるが、不当な部分もあります。
特権的職業や権力の、実質的な世襲を見直すことも、「α」については考えることになると思うのですが。
203
:
だよもん星人
:2003/08/23(土) 14:42
武蔵さん
>代議士の地盤看板カバン・・・・これをどうしていくか。
被選挙権は国民全てに与えられるものですから、親が何者であれ子が
一個の独立した個人である限り制度としてどうこうする事は不可能でしょう。
よもや法の下の平等を引っ込める訳にはいきませんし。
>医者の子は医者になりやすい。当然の部分もあるが、不当な部分もあります。
学費補助を手厚くする事はできますが、これは世襲とは関係ありませんね。
親が子に何を期待するのも子がそれに応えるか否かも、当の親子間の問題にすぎません。
社長の後釜が誰になろうと人事の決定権は会社が決めるべき事ですし、
歌舞伎の世界が世襲制であっても社会的には何の意味も無いです。
二世議員の事にしても、有権者が誰を選んだのかという話にすぎませんし、
患者にとってはヤブか名医かが重要であり、病気が治る事が利益です。
結局、法的でない世襲は、公権力が立ち入る事ができない領域、
又は介入しても殆ど無意味な事でしか行われていないのでは?
204
:
武蔵
:2003/08/23(土) 15:52
>>203
>一個の独立した個人である限り制度としてどうこうする事は不可能でしょう。
被選挙権の剥奪なんてことをしては当然人権侵害です。
しかし「地盤看板カバン」という財産贈与については、何らかの制限を加えることが可能ですし
それをして行かなければ、他の人の被選挙権が事実上制限されてしまっています。
この利害の対立のどこに線引きをするかは、匙加減一つなんですよ。
>学費補助を手厚くする事はできますが、これは世襲とは関係ありませんね。
いや、これも世襲と大いに関係ありますよ。
能力はあるが財産のない子が学ぶチャンスを持つということは。
医者ではないですが、
戦前、学校の先生になる「師範学校」は、学費・寮費が無料の上に
小額ながら小遣いまでもらっていました。
それがいいかどうかは議論の余地がありますが、教育の機会均等については考える必要があります。
205
:
ぼーん
:2003/08/23(土) 16:25
>>201
武蔵さん
確かにへんかもしれません。
へんになっている原因は、僕とだよもん星人さんとのやり取りで少し明らかになってきたかもしれません。
私的所有権、私有財産制度、交換・贈与の自由、自由市場経済、そういったものの何をどう否定しているのかが、
僕においても混乱があったように思います。
世襲制を否定するというとき、いくつか誤解する要素があるんです。
親の私有財産をゆずる、ということ、それ自体を否定するつもりなように僕は受け取ってました。
しかし、そうではないようです。
具体的にはどういう意味ということになるんでしょうか?
206
:
ぼーん
:2003/08/23(土) 16:30
所有権を処分権(破棄したりする権利)と使用権(使用する権利)に分離する、という考え方はありますね。
また、処分権と使用権の譲渡性(譲渡可能にするか、不可能にするか)でも、いろいろ帰結が変わってきます。
それぞれ検討すると面白そうです。
207
:
大神
:2003/08/23(土) 16:33
2世国会議員は少なくとも選挙の洗礼は受けている。
208
:
武蔵
:2003/08/23(土) 18:16
>>205
いや、こだわるようですが、相続税の話はひとこともしていないのに
一つの選択肢に過ぎない相続税と言う単語に置き換え、
「相続税を100%にする根拠にはならないのです。」
と、100パーセントという数字まで発生させて否定なさったのは、
どういうことなのかをお聞きしたかったのです。
*例え結果として同じことになったとしてもです。
相続税100パーセントという単語でしか把握できなかったということでしょうか?
>親の私有財産をゆずる、ということ、それ自体を否定するつもりなように僕は受け取ってました。
親の私有財産が、ぼーんさんの言われるような意味では、根拠のある既得権であるのかどうか
もっと他の根拠によると、半分が私有財産として認められるベキかも知れない。
りんごをもぎ取った労働に与えられる権利は、半分が妥当かも知れない。
親の取得にすら疑義があるのに、
子には何の疑いもなくその財産権が譲られてしかるべきか?
子は親から精神面物質面で多くのものを譲り受けて育ちます。
家庭教師を何人もつけられる親と、幼いときから労働分担を引き受けさせざるを得ない親があります。
「子供に残せる財産は教育だけだ」という言葉もよく聞きました。
そういう無形の財産は、私はいま「世襲」という言葉から外しています。
外す根拠は別に無いのですが・・・・
カタチのある財産、土地家屋や地位、権力・・・ひいては地盤看板カバン・・・
こういうカタチある財産の譲渡の事を勝手に世襲と名づけました。
それは、原則として子供が自分の力で稼ぎ取ってもいいのではないかと言うことです。
二十歳以降分割払いをしていってもよし(徐々に買い取って自分のものにする)
全額払えるまでに親が死亡した場合でも、分割できる制度を作ってもいい。(税金の分納?)
具体方法は、人情実情に合わせてきめ細かなルールが必要で
親が死んだとたんに家を放り出されてホームレスになるなんてことは想定していません。
209
:
武蔵
:2003/08/23(土) 18:22
>>207
>2世国会議員は少なくとも選挙の洗礼は受けている。
そんなことを言えば、北朝鮮の金正日でさえ、
このあいだ100パーセントの信任投票を受けています(笑)
選挙に出て、当選するために地盤看板カバンを譲渡するということに
何らかの制限を加えなくては、二世以外の議員にとって非常に厳しいという現実です。
(ん?同じこともう言ったぞ!)
210
:
武蔵
:2003/08/23(土) 18:39
誤解なきように言っておきますが(ぼーんさんは誤解されていないと分かっています)
私は親から子に譲るものに100パーセントの税金をかけ、
全く遺留分を残すべきではないと言っている分けではありません。
上記の無形の譲渡分(教育環境など)はもちろん、最低の居住権などについても
考えたらいいと思っています。
私的所有権が、
もぎ取ったりんごの全てと無条件で考えないような意味で
親の持つ諸権利についても、譲渡が当然と考える必要がないということです。
211
:
ぼーん
:2003/08/23(土) 21:36
>>208
> いや、こだわるようですが、相続税の話はひとこともしていないのに
> 一つの選択肢に過ぎない相続税と言う単語に置き換え、
> 「相続税を100%にする根拠にはならないのです。」
> と、100パーセントという数字まで発生させて否定なさったのは、
> どういうことなのかをお聞きしたかったのです。
どういうことでもありません。
武蔵さんは一言も言っていませんが、その発言から僕が類推したことです。
で、その類推については僕の勇み足だ、ということでかまいませんので、
「じゃ、どういうつもりだったのか」ということを具体的に聞いているのです。
相続税を念頭に置いてなかったのならば、何か別のことをお考えになってたんですよね?
それをお聞かせください、ということです。
> *例え結果として同じことになったとしてもです。
> 相続税100パーセントという単語でしか把握できなかったということでしょうか?
できなかった、ということです。
親の財産を子に譲渡する、という可能性を、それをいかなる制度によるのであれ否定するのであれば、
相続税は100%というキーワードは出てくると思います。
相続税は100%にした上で、実物資産の使用権は留保するとか、
相続税は100%にした上で、他の何か留保をするとか、
控除枠を一定額(たとえば3000万円とか)設定した上で、残りについては相続税を100%にするとか、
いろいろやり方は考えられますが、「親から子への譲渡」を認めないなら、それは相続税100%しかありえないと思います。
# 限界税率の話をしてるのか、平均税率の話をしてるのか明確にしなかったのは、僕の責任かもしれませんが。
が、違うのであれば、どういうことを想定していたのか教えていただければ、
それで納得できるかもしれませんので、教えてもらえませんか?
212
:
ぼーん
:2003/08/23(土) 21:36
>>親の私有財産をゆずる、ということ、それ自体を否定するつもりなように僕は受け取ってました。
>親の私有財産が、ぼーんさんの言われるような意味では、根拠のある既得権であるのかどうか
>もっと他の根拠によると、半分が私有財産として認められるベキかも知れない。
>りんごをもぎ取った労働に与えられる権利は、半分が妥当かも知れない。
>親の取得にすら疑義があるのに、
>子には何の疑いもなくその財産権が譲られてしかるべきか?
相続を、特別なものとみなしてませんか?
相続は、ある個人の死亡を機にスタートする贈与の特別なケースに過ぎません。
どんなルールであれ、とにかく私的所有権の枠組みを決めてしまえば、いずれ、その人の元に
私有財産が発生します。その私有財産は、当然、好きに譲渡できるし、好きに処分できる。
そういうものです。だから、私有財産制を否定しない限り、かならず好きに処分できる私有財産というものは存在するし、
だとしたら、相続の問題は必ず発生します。
ただし、私有財産を認めない(共産主義)なら、その限りではありませんが。
しかし、武蔵さんは共産主義ではない、って言ってましたよね?
だったら、相続は否定できませんよ。
# やはり、私有財産制の否定と、現行の私的所有権の否定と、そういったものが混乱しているように思います。
> カタチのある財産、土地家屋や地位、権力・・・ひいては地盤看板カバン・・・
> こういうカタチある財産の譲渡の事を勝手に世襲と名づけました。
> それは、原則として子供が自分の力で稼ぎ取ってもいいのではないかと言うことです。
権力が、金や地位に関係しているものについては武蔵さんがおっしゃるように問題にできますが、
様々な人間関係にまつわる力(その人間関係を通じて意見を表明したり飲ませたりする力)は、
相続云々の話と一緒にするのは話が混乱するだけではないかと思います。
平行して話をしてかまいませんけど、区別して話した方がいいのでは?
> 二十歳以降分割払いをしていってもよし(徐々に買い取って自分のものにする)
> 全額払えるまでに親が死亡した場合でも、分割できる制度を作ってもいい。(税金の分納?)
してもいいですが、そのようにすべきとする根拠も、やはりありません。
(現行の私的所有権の枠組みに根拠がないのと同じように)
重ねていいますが、相続は贈与の特別なケースに過ぎません。
だから、武蔵さんがおっしゃる話をまともに適用するならば、相続だけでなく、一切の贈与を制限しなければなりません。
が、それはかなり不合理な話になります。
> 具体方法は、人情実情に合わせてきめ細かなルールが必要で
> 親が死んだとたんに家を放り出されてホームレスになるなんてことは想定していません。
もちろんです。そんなこと言っていません。
213
:
ぼーん
:2003/08/23(土) 21:45
大神氏 & 武蔵氏
2世議員が当選するのは、先代の議員を中心に構築された様々な利害関係の絡み合いの構造を、
ほとんど変更しないで引き継ぐことができるからでしょう。
2世議員じゃない場合でも、地盤・看板・カバンを引き継ぐ人は、先代を支えていた利害関係のネット
ワークを裏切らない限りにおいて支えてもらえるだけです。
この問題については、世襲を制限したところであまり効果はないでしょう。
いずれにせよ、構造化された利害関係のネットワークの中から適材が選ばれて出てくるだけです。
この問題には、別のアプローチが必要です。
# で、その意味で、「選挙の洗礼を受けている」かどうかも、問題の本質ではありませんし、
その選挙の洗礼を北朝鮮における選挙の洗礼と比較することもさすがに無茶ではないか、
と思います。
214
:
ぼーん
:2003/08/23(土) 21:51
>>210
誤解があると思うのでしつこいと思いますが、論点を再度指摘しておきます。
贈与一般を否定しないならば、贈与の1つのケースとしての相続を否定できない、ということです。
私的所有権の制限は、その人が自分の労働から自分の物にできる物の範囲を制限し、
その結果、その範囲内でなされるはずの蓄財の規模が制限されます。
で、結果的に、相続される財産の規模も制限されるでしょう。
しかし、その相対的に制限された中で作られた財産を、その後で誰に譲渡したいか、という問題
については、私的所有権の制限は何も語っていません。
それを好きな人に譲渡する自由を否定できません。
だったら、それをわが子にしても問題はありません。
贈与の制限の話と、私的所有権の制限の話は、無関係ではありませんが、
少し丁寧に腑分けする必要があります。
215
:
武蔵
:2003/08/23(土) 21:55
>>211
>親の財産を子に譲渡する、という可能性を、それをいかなる制度によるのであれ否定するのであれば、
相続税は100%というキーワードは出てくると思います。
世襲という言葉で表した「全譲渡」は考え直すべきではないかということです。
相続税0でない、と言うキーワードも出てきます。
控除額を高い目に、あるいは低い目に決める、という選択肢もあります。
突然、相続税100パーセントという単語を自ら出して、否定なさったから驚いたのです。
否定のための否定に思われましたから。
216
:
武蔵
:2003/08/23(土) 22:10
>>212
>ただし、私有財産を認めない(共産主義)なら、その限りではありませんが。
しかし、武蔵さんは共産主義ではない、って言ってましたよね?
だったら、相続は否定できませんよ。
だから、私有財産も相続も全否定するとは言ってないんですが・・・
りんごは全て、もいだものの権利であるということの「全て」に当るものを否定しています。
もっと言うならば、りんごをもいだという行為に対しては、半分にせよ7割または3割にせよ、
当然の権利を受けるものと思いますが、
土地における財産価値のみの偏重で「転がす」だけで手に入れた収入など(株の売買なども)は
労働収入に比べて、多くの税を科するべきであろうとか、個々については別の考えをもっています。
>> 二十歳以降分割払いをしていってもよし(徐々に買い取って自分のものにする)
>> 全額払えるまでに親が死亡した場合でも、分割できる制度を作ってもいい。(税金の分納?)
>してもいいですが、そのようにすべきとする根拠も、やはりありません。
そのように言っているのですが・・・・・(何で突っかかってこられるんかな?)
いろいろの考え得ることのひとつに過ぎません。
217
:
武蔵
:2003/08/23(土) 22:18
>>213
>2世議員じゃない場合でも、地盤・看板・カバンを引き継ぐ人は、先代を支えていた利害関係のネット
ワークを裏切らない限りにおいて支えてもらえるだけです。
これはそうですね。後継者を子供にする場合が多いだけで、他の後継者も確かにいます。
># で、その意味で、「選挙の洗礼を受けている」かどうかも、問題の本質ではありませんし、
その選挙の洗礼を北朝鮮における選挙の洗礼と比較することもさすがに無茶ではないか、
と思います。
さすがに無茶なことを言ったんですが・・・・・
しかし、国民がマスメデイアの流すプロパガンダによって判断して
多いか少ないかの差こそあれ、洗脳のモトで投票している以上
全く並べることが出来ない無茶話とまでは思っていません。
(汚職議員が選挙で禊をしたというような笑えない話を聞くときには)
218
:
ぼーん
:2003/08/23(土) 22:21
>>215
>>216
> 世襲という言葉で表した「全譲渡」は考え直すべきではないかということです。
> 相続税0でない、と言うキーワードも出てきます。
> 控除額を高い目に、あるいは低い目に決める、という選択肢もあります。
ありますね。だから、
「100%と理解したのは僕の勇み足だ、ということでかまいませんので」
と何度か述べているのですが、まだ足りないんでしょうか?
219
:
ぼーん
:2003/08/23(土) 22:30
>>216
> だから、私有財産も相続も全否定するとは言ってないんですが・・・
> りんごは全て、もいだものの権利であるということの「全て」に当るものを否定しています。
もちろん、そうです。
で、「もいだりんごの何割か」をその人のものとしたとする。
その結果が蓄積されてその人の家になった場合、
その家を相続する(贈与される)のを否定することはできません。
武蔵さんは、「買い取らせればいい」という話をしましたよね。
買い取るということは、ここで贈与がなされない、ということです。
贈与されず、たとえば公共のものになったあとで、それを子が「買い取る」。
これは贈与ではありません。
これは贈与の否定です。
贈与の否定ということは、相続を否定していることになってしまっていると思います。
「買い取らせればいい」という話の位置づけについて、
僕の受け取り方と武蔵さんの意図の間でズレがあるのかもしれませんけど。
# でも、僕の誤解なら誤解でいい、と述べているのですから、
それで納得してもらえません?
220
:
武蔵
:2003/08/23(土) 22:37
>219
># でも、僕の誤解なら誤解でいい、と述べているのですから、
それで納得してもらえません?
そういう言われかたになるのでしたら、仕方がないです。
誤解されたままでおきましょう。
221
:
ぼーん
:2003/08/23(土) 22:42
>>217
> しかし、国民がマスメデイアの流すプロパガンダによって判断して
> 多いか少ないかの差こそあれ、洗脳のモトで投票している以上
> 全く並べることが出来ない無茶話とまでは思っていません。
マスメディアは、多くの場合、議員の過去の汚職についてはきちんと言及します。
反対候補からのネガティブ・キャンペーンもありますし、
選挙民がそうしたことを「判断しないで」投票しているとは考えられません。
汚職をした議員が簡単に再選する場合、
それは「洗脳」というよりは、汚職の事実よりも別の何かを優先した、
ととるべきで、そこに判断があると見ることは当然です。
別の何か、ってのは、多くの場合既得権でしょう。
特に自民党の議員はスキャンダルに強いですけどね。
それだけ、道義以外の支持基盤(利権にまつわる支持基盤)が強いってことでしょう。
これを、北朝鮮のようにほとんど完全な情報統制があり、また、暴力による支配も
相当強いところでの話と並べることができるかどうかは、今考えたい論点によるでしょう。
# 「道義的に許容できない代表が代表として選ばれる」という意味では並べることができるでしょう。
222
:
ぼーん
:2003/08/23(土) 22:44
>>220
あのですね。僕にどうしろといいたいので?
誤解なら、誤解だと認めますので、
誤解でない説明をいただけますか?ってことなんですが。
223
:
武蔵
:2003/08/23(土) 23:24
>>222
私に表現能力というか、学問的な適切な言葉をもたないから
理解していただけないのだとは思っていますが、
否定のために否定にかかられると、
ただでさえ困難な問題がよけいに整理がつかなくなるのです。
まず私有財産を否定しません。
しかし、私有されるべき残余分は、りんごをもぐような労働によってに場合と
株や土地を売買することや、金融利殖によるもの・・・不労所得というのですか
そういうものとは区別されていいと思っています(今でも多少は区別されているでしょう)
労働による所得の手元への残余額による財産は、そう大したものではないと思います。
恐らく資産価値より居住価値のほうが大きいものであるでしょう。
この居住価値と資産価値も、正確に線引きされるというよりある程度の丼勘定だと思いますが、
それでもどこかで線を引かれるでしょう。
親の家だとしても、その資産価値の部分は、子供といえども原則として購入するというカタチにしたいと私は思います。
生まれ育った家という、他人にはない思い入れがあるなどで、優遇措置はつけてもいい
それが分割払いなどの方法(他にもあるかもしれません)などです。
まあ、学問的に上手く表現できないので、
厳密さが足りない点を整理表現してくださったり、補ったりしてくださるならともかく
隙間に杭を突っ込んで否定だけにかかられるとお手上げです。
224
:
大神
:2003/08/23(土) 23:54
>>武蔵君へ
選挙もね、秘密投票が出来て公正な選挙なら2世議員も同じ土俵の上で
戦っているでしょう?
だから二世議員も落選する事もあるでしょう?もし、二世で議員を
出す事が気に食わないなら有権者は反対票を投ずれば落選するよね?
そして北朝鮮の選挙のように選挙の形式を装っているだけと違うでしょう?
それに、党の後ろ盾がある人と無所属の人では明らかに組織力やなんやかの違い
があるよね。だから、貴族院のような世襲じゃないんだから、2世というのも
対等な土俵の上で戦っているのだから、バックボーンが有利な点も不利な点も
あるけどそれは、党所属と無所属との違いと同じように別段許容され得る
範疇ではないかな?特に日本の場合は。
ということで書いたんだよ。それにマスコミはどちらかと言うと自民党嫌いで
2世議員にも非好意的ではないかな?
225
:
大神
:2003/08/24(日) 00:08
>>223
の続き
>>213
でぼーん君も触れているけど、二世議員が当選できるのが先代の背景の
引継ぎによるのなら、それは先代が当選する事の延長に過ぎないのではない
かな?
そして日本においては再選を制限しているわけではないから、身内が出る
ことは別に替玉として出るわけではないよね。有権者が先代の延長を望む
形として2世が出てくるのなら、それは先代が最初に当選した時と同じように
公正な選挙という手段により当選するのと同じではないかな。
つまり、日本では
a)再選を禁止していない
b)立候補者の背景に制限を加えていない(全ての立候補者はまっさらな
状態で立候補しないといけないとかね)
というのがないし、
c)選挙に公正が保たれている
という点から
2世が持つ背景と言うのは許容され得るのではないかな。選挙の洗礼を受けてい
るならね。もし、2世や後継者を禁止するなら党所属と無所属との格差も
当然の事ながら是正すべきになるし、そもそも選挙はくじ引きではないからね。
226
:
ぼーん
:2003/08/24(日) 01:53
>>223
> 否定のために否定にかかられると、
人の気持ちを推測して(勘ぐられて)も困ります。
武蔵さんが主張しているにせよ、していないにせよ、「相続税100%」はまったく荒唐無稽
で論ずるに値しないというわけでもないし、それについて考えてみることで、相続税100%
ではないにしても、別のよりよい方法が見つかるかもしれません。
ということで、武蔵さんの主張も、「相続税100%を含意しているのではないか」と読み間
違えたことについても、別に元々非難の意味はありません。「もう少しゆっくりやろうや」
という程度のつもりです。
で、今回のレスの後半でもう一度書いてますけども、やはり武蔵さんはどういうスタンスで
「世襲」を批判しているのかが、いま一つ明確でないです。親子の間では贈与はダメだ、
ということなのか、そこまで言うつもりはないのか、それが分からんのです。
ちょっと説明します。
> まず私有財産を否定しません。
私有財産は否定しない、と明言されているので、武蔵さんが私有財産を否定しない「つもり」
なのはハッキリ分かります。少なくとも。
ただし、別のところでは、「家は一旦公共のものにしてから(現行なら相続する立場にいる人
が)買えばいいので、相続する必要はない」という意味のことを書いてます。贈与の可能性が
まったくないんです。その書き方では。私有財産があるなら、贈与も相続も可能です。
(買取の必要なんかなく、です。)
どっちが主なんですか?というのが、僕の疑問です。
後でもこんな風に書いてますね。
> 恐らく資産価値より居住価値のほうが大きいものであるでしょう。
> この居住価値と資産価値も、正確に線引きされるというよりある程度の丼勘定だと思いますが、
> それでもどこかで線を引かれるでしょう。
> 親の家だとしても、その資産価値の部分は、子供といえども原則として購入するというカタチにしたいと私は思います。
私有財産権が認められ、その中に譲渡の権利があるなら、親が子供に家を「譲渡」することは日常茶飯でしょう。
その譲渡がたまたま親の死をきっかけに発動するなら、それは「相続」です。
もちろん、これを認めるなら、子が「購入する」という形にはなりません。
この場合に武蔵さんがおっしゃるように「原則として」子が「購入する」、という形にするなら、
これは譲渡の否定になりますけども。このような形の譲渡を否定する、ということですか?
> 労働による所得の手元への残余額による財産は、そう大したものではないと思います。
そうですけど、家1件くらいのものになることは、そう珍しくはないです。
家1件が「原則買取」になるなら、そのレベルの私有財産の相続は認めない、ってことでしょ?違うんですか?
> しかし、私有されるべき残余分は、りんごをもぐような労働によってに場合と
> 株や土地を売買することや、金融利殖によるもの・・・不労所得というのですか
> そういうものとは区別されていいと思っています(今でも多少は区別されているでしょう)
区別されていいのか、悪いのかは、今のところ僕は分からんです。
227
:
ぼーん
:2003/08/24(日) 02:00
>>225
民主主義は、普遍的価値の実現「手段」に過ぎず、民主的手続きを経て実現されるものはなんでもオッケイ、
という話ではないんです。(ナチスを思い出してもらえれば簡単に分かることです。)
世襲議員、というよりも、ある特定の利害を代表し、その利害のためだけに活動する議員は、明らかに普遍
的価値を実現しようとはしてませんから、当然に批判されるべき、です。
# ただ、それを証明するのが困難だから、大変なんだけどね。
民主主義に価値があるのは、そういう批判が自由に行えるための前提条件であるから、なんです。
民主的手続きは、その決定内容が正当であるための十分条件ではありません(必要条件ですらない可能性もある)。
# って、自覚なき法実証主義者のあなたにそういう話をしても無駄かな。
228
:
武蔵
:2003/08/24(日) 05:42
>>226
>どっちが主なんですか?というのが、僕の疑問です。
どっちが主なのかといえば、私は相続に否定的です。――財産としては・・・・・
家一軒にはいろいろあります。普通のサラリーマンがローンをかけて住むために買った
マンション一軒というようなものは、居住価値だけのものですから(現行法でもそうですが)そのまま譲り受けてもいいでしょう。
子供が3人いたとしても、(最近程度に値下がりすれば)ほとんど喧嘩もなくほかの二人が別の家を買って出ていくし、
新しい家族構成にふさわしいサイズに次々買い換えていく場合すらあり、問題ないと思っています。
問題なのは、豪邸といえるもの、また、何軒も持っている場合(別荘的なものや、人に貸して家賃を取るためのもの)
親のものだから当然子供のものという考え方に否定的です。
「相続税を取られた」と自分のものを取られたような話し振りをよく聞きますが
相続税を取られるのが嫌だったら相続しなければいいと思います。
どこまでを居住価値とするかの線引きは難しいけれど(私は現行の控除額程度に異論はないです)
それを越す資産価値のほうは、累進課税でいいし・・・・
現行の所得税は、最高税率が70パーセントですか?(60パーセントに引き下げる案、もう通過しましたっけ?)
私は90パーセントでもいいと思うくらいです。
4億円以下なら50%で、いろんな控除を組み合わせると実効税率はかなり低いですね。
基本的に、安サラリーマンが一生かかってつくった家の相続と言うようなものには反対しません。
先祖代々の資産と言うようなものを認めない===こういう感覚で財産の世襲を認めないと表現しました。
「何々村にはいったら、他人の土地を踏まずに家に着く」――これが自慢になった世の中に戻りたくはないということです。
>区別されていいのか、悪いのかは、今のところ僕は分からんです。
絶対正義がどうなのかということなんか、当然私などにはわかりません。
しかし不労所得が区別されなければ(多少の区別がある現在でも)バブリーなものを招聘する勢力が力を持ちます。
株や土地はもてば必ず儲かる右肩上がりの経済を、私は好みません。
229
:
武蔵
:2003/08/24(日) 07:42
>子供が3人いたとしても、(最近程度に値下がりすれば)ほとんど喧嘩もなくほかの二人が別の家を買って出ていくし、
新しい家族構成にふさわしいサイズに次々買い換えていく場合すらあり、問題ないと思っています。
現在はむしろ、全員が親の家を出て行って、親が一人暮らしをしているというケースの方が多いのではないでしょうか?
「相続=親との同居」を天秤にかければ、別居の方を取る。
私なんぞのそのほうなんで・・・・
つまり、現行相続税非課税程度の家の相続というものを問題にはしていなかったのです。
資産の世襲といえそうなものへの批判です。
230
:
武蔵
:2003/08/24(日) 08:14
訂正
私なんぞのそのほうなんで――→私なんぞ、そのほうなんで
231
:
大神
:2003/08/24(日) 11:05
>>227
これはね、法実証主義でも何でもないんだよ。
日本においては 自由な批判が行える 公正な選挙が出来る であるので
その結果選ばれた者は民意を代表している存在となるでしょう?
そして、民意を代表しているはずの存在がそうでないと有権者に判断されたら
知事や市長などの首長などはリコールされうるし、議員も次の選挙で
落選するでしょう?これを2世議員のところで述べた。
で、君の
>>227
に対する反論としては
>民主的手続きを経て実現されるものはなんでもオッケイ、という話ではない
>んです
民主的手続きが存続している限り(この点がよく引き合いに出されるナチスと
違う点だな)はその選出と存続は有権者の責任であるし、
外のために選挙するのではなくて国内の様々な代表を選ぶのであるから、
民主的手続きを経ているのなら
ノープロブレムでしょう?
と言う前提に立っている
のが民主主義でしょう?
そして、君の論理だと党所属と無所属の間に格差が存在しているし、
政党という存在は利害や理念を共通とするものにとっては益する
存在(共通しない者にはその党の主張とその者には益しない存在である)
であるので、グループ間の受益格差を問題にするのなら
全ての政党を解散しないといけないでしょう?
そして、各立候補者間には様々な差異があり、その各立候補者が掲げる
理念や主張も政党の時と同じように、理念を共有し、利益を国民の各グ
ループが等しく受けるものではないから、当然各立候補者の背景や
主張をも均一にしないといけなくなるから、そうなると選挙はただの
ただのくじ引きと同じになるでしょう?
232
:
ぼーん
:2003/08/24(日) 23:26
>>231
>民主的手続きを経ているのなら
> ノープロブレムでしょう?
>
> と言う前提に立っている
>のが民主主義でしょう?
というほど単純な問題ではないのです。
民主主義というのは、その構成員に対する普遍的な正義を発見するための「道具」であり、
手段でしかなく、その決定内容が普遍的正義に適っているかどうかを討議するための「場」
という前提条件でなんですね。
それは正当性の十分条件ではないし、あるとしてもい必要条件です。
このことは、民主的手続きを経てナチス政権が選ばれたことを思い出せば、そう難しくもな
い話です。
> 日本においては 自由な批判が行える 公正な選挙が出来る であるので
すから、その自由な批判を行える権利を武蔵さんが行使している、というのが今回の状況
でしょう。
二世議員、というよりも、特定の集団の利益だけを代表し、その利益のために行動する議
員は、明らかに普遍的価値に奉仕していませんから、その点で批判することは可能だし、
実際にその批判はある程度あたってもいるわけです。
武蔵さんの批判は、元々はそのレベルでの批判です。
そこにもってきて、「その決定は民主的手続きを経たのだから」という理屈で擁護しようとい
うのは、場違いな見解だと言うべきでしょう。それは、「民主的な手続きを経ていない」から
批判されているのではなく、「その内容において問題がある」から、批判されているのです
から。
# まぁ、このあたりは武蔵さんが反論として北の首領様の話を持ち出したので、武蔵さん
も同じ勘違いをしているようなんですけどね。
> 民主的手続きが存続している限り(この点がよく引き合いに出されるナチスと
> 違う点だな)はその選出と存続は有権者の責任であるし、
> 外のために選挙するのではなくて国内の様々な代表を選ぶのであるから、
違いますね。
仮にナチスが民主的手続きを存続させていたとしても、その場合にはその反ユダヤ的政策
は民主的手続きを経たから正当であった、とはいえないのならば(いえないはずですけども)、
それは民主的手続きが存続していたかどうかは関係ないのです。
民主的手続きを存続させなかったという問題は、問題ですが、それは、それ以前の民主的
手続きを経てなされた決定が正当ではない、という問題とは別の話です。
233
:
三毛猫ナナ
:2003/08/25(月) 01:00
)民主的手続きを経ているなら何も問題はない
)これを前提にするものが民主主義である
民主主義における選挙の様な多数決制は多数派と少数派
の意見の間に妥協点を模索するものであり、結果として
少数派の意見を排除する政策は民主的なものとは言えま
せん。
#(法的な)民主的手続きを取れば何も問題はないとする考
え方はナチズムと同じ法実証主義です。
234
:
うろちい
:2003/08/25(月) 20:02
>>226
名前: ぼーん 投稿日: 2003/08/24(日) 01:53
>武蔵さんが主張しているにせよ、していないにせよ、「相続税100%」はまったく荒唐無稽
で論ずるに値しないというわけでもないし、それについて考えてみることで、相続税100%
ではないにしても、別のよりよい方法が見つかるかもしれません。
提案します。
「相続税率と贈与税率に差を設けない」
死亡に伴う贈与の相手を「デフォルトでは」誰にするか、ってのはそんなに重要じゃないと思います。
235
:
イカフライ
:2003/08/26(火) 09:11
あの、話の腰、折るようで悪いのですが。今だ「私的所有権」つ-のが、良く解りません。
つまり、税金は自分のものを取られる、という意識ではなく、たまたま預り金として持っていた、というように意識を改革せよ、みたいなことなのでしょうか?
だとすれば、これは、払う側よりも使う側に問題がある、少なくとも日本の現状ではそうではないですか?
よくよく言われることですが、天下りの際の多額な退職金であるとか、熊しか通らない高速道路とか。
ODAの問題も、熊の高速道路の延長っすよね。日本の企業が工事を請け負って、役にも立たないダムとか作って、みたいな。
それより、本当に現地の人の役にたつ事をするべきではないの?それこそ、井戸が何個掘れるのか?
ただ、こういうことって、むしろ「もともとは私のお金」という意識があったほうが、却って厳しい批判の目が持てるような気はするのですが。
236
:
ぼーん
:2003/08/26(火) 10:05
>>234
おっしゃるとおりと思います。
原理的なレベルでは、贈与税率と相続税率に差を設ける根拠はないと思います。
>>235
使う側の問題は別に議論を立てられるし、別に立てる「べき」ものであると思います。
仮にイカさんのおっしゃるように、
> 「もともとは私のお金」という意識があったほうが、却って厳しい批判の目が持てる
としても、その場合、その人は、その「私のお金」が「私個人の利益につながるように」
使われることにのみ関心を持つでしょう。それでは意味がありませんし、しばしば有害
ですらあります。(有害なので、そのような関心を持つことの正当性は、とりあえずない
ことを言うために、私的所有権を批判し、別様のあり方を据えようとしているわけです。)
もし、その人が、「私のお金」が「公共の利益につながるように」使われることに関心
を持つなら、それは「みんなのお金」ということにしておいたって関心を持つはずです
から。
237
:
ぼーん
:2003/08/26(火) 10:28
>>234
同じく原理的なレベルだけで言えば、
所得に税がかかるなら(あるいは「支出」でもいいんですが)、
資産には課税しなくてもいいはずなんです。
資産は過去の所得、ですから。
話を分かりやすくするために、できるだけシンプルな原理的な話に合わせて考えると、
所得税をきちんと設計した上で、相続税&贈与税を考えることになりますが、その場合、
今までの制度の中で(今後採用する制度下でたまるものと比べれば)たまりすぎの私有財産(もしあれば)を吐き出させるという、
一回限りのものになるんじゃないか、と思います。
238
:
イカフライ
:2003/08/26(火) 19:26
>>236
う-んと、つまり、「みんなのお金」が「公共の利益につながる」という意識改革をするためのものだ、ということでしょうか?
「私的所有権批判」というのは。
なんか、ピンときてないですね、私、まだ。
239
:
大神
:2003/08/26(火) 21:14
>>232
最初の書き方が悪かったのか違った伝わり方をしたみたいで申し訳無いが、
私が最初に武蔵君に2世議員も選挙を経ているとしたのは、それは日本において
は二世議員は貴族院のような世襲によって議員資格が与えられるものではなく
て、再三書いたが
党所属候補者が無所属候補者に優越する(あるいは劣る)背景を持っている
のと同じであり、それは他の様々な候補者が持っている様々な背景の一つとして
先代を議員とすることにすぎないと言うことに目を向けさせるために書いた。
また、2世議員の場合は先に君が
先代の政策や方針を継承していることを条件として原則的に先代の支持基盤
や後援グループの支持を得られる
と書いているように、先代の再選の延長であるのでそれは公正な選挙を
経ているということでもある、他の候補者と同じ土俵の上で勝負をしている、
そして、何よりも後援グループや支持グループは2世ではなくてそもそも先代が
作り上げたという点についても述べている。
つまり、公正な選挙を経ていると言うことを書いたのは他の候補者と同じで
あるので、候補者の背景の格差を問題にするのなら、2世議員だけを抽出しても、
条件的には他の候補者、議員と同じなので意味が無い
と言うことで書いた。
だから、問題にするのなら2世議員だけを抽出しても仕方なく、そういった
背景の格差が出現する事そのものを問題にしないと意味が無い。
が、
そのように背景を問題にするのなら、それは政党というもの解体しないと
いけないし、候補者個人が持つ背景もあるので同様に背景格差を無くすと、
候補者はどれも皆同じ、変化の無い
正にくじ引きの状態の選挙になってしまうと言う点も指摘した。
それと、追加であるがそして国民全体が均一な存在と言うわけではないので
(日本ですら田舎と都市という判りやすい違いがあるが)、このように
様々なグループが出来るのは必然的もであるので、余り背景の格差を
問題にしても、そして、2世議員を問題にしても意味が無いと思うが。
で、もう気付いたと思うが、もともとの話においては民主的な手続きを経て
いれば即それが正当かという話ではない。そもそも正当というのもかなり
主観に左右されるものであるから。
240
:
ぼーん
:2003/08/27(水) 17:24
>>239
ある議員を批判するときには、
1) 公正な選挙を経ていない、という手続きレベルでの批判と、
2) その議員の振る舞いが特定グループの利益への奉仕になっている、という規範レベルでの批判と、
二通りあります。
おっしゃるとおり、1)のレベルでは、批判になりません。そして、そんなことを僕は言っていない。
2)のレベルでは、批判は可能だし、そしてかなり当たってもいる。
# それを「主観に左右される」などと粗雑なまとめ方をするのでは、そもそも2)のレベルの批判は不可能だ、と言うに等しい。
政策も政見も何もない中味空っぽの2世議員に関しては、2)のレベルの批判はまったく当てはまるだろう。
こういう批判まで「主観に左右される」と言って切り捨てるわけ?
> そのように背景を問題にするのなら、それは政党というもの解体しないと
> いけないし、候補者個人が持つ背景もあるので同様に背景格差を無くすと、
>
> 候補者はどれも皆同じ、変化の無い
>
> 正にくじ引きの状態の選挙になってしまうと言う点も指摘した。
背景の利害関係を問題にすることと、背景を問題にすることは違います。
その人の背後関係が基本的に政治信条や政策によるつながりであるならば、それを問題にする必要はないでしょう。
その人の背後関係が、政治家と支持者の間の原則なき相互利益供与に過ぎないならば、それは問題にできるでしょう。
そして、それは「主観に左右される」としても、まったく客観的でありえないわけではありません。
241
:
大神
:2003/08/27(水) 17:49
>>240
そもそもね、これは武蔵君にあてで書いたんだが。武蔵君は2世議員全体を指し
ているのであるからそれに対しての書きこみをしたんだがね。
2世議員だけを抽出しても仕方ないよとね
判るかな?
それに武蔵君の場合は2世議員を世襲と捉えていたから、
貴族院ではない、他の候補者と同じだよとね。
>(2)
(2)に関しては、これについては今までのレスでは本格的には述べてい
ないよ。長くなるから。そして、もともとそれを言うのが目的ではないから。
繰り返すけど2世議員だけを抽出しても意味が無いというのが私が書いたことの
主旨だからね。
>背景の利害関係を問題にすることと、背景を問題にすることは違います。
細かいケースについて話をするなら解るが、2世議員全体には無理があるん
じゃない?それは2世議員だけを抽出すると言った意味でも。2世が引き継ぐ
ものを作り上げたのはそれは1世議員だし、なにも二世議員だけが抱えるもの
ではないよね?君が言っていることは。○○族と言う言葉もあるように。
それとね、ぼーん君、利害関係で繋がったグループが存在したとして、
そのグループの支持を受けた議員が受ける票は選挙民の票だよね。だから、
2世議員も結局は
選ばれたわけだよね?
と言うことを最初に書いたんだよ。
242
:
ぼーん
:2003/08/27(水) 23:08
>>241
(1)のレベルで問題なし、という話をしているのは分かるのですが、大神さんの書き方を見るに、
(2)のレベルをそもそも考えてないんじゃないか、と推測したのでああいうレスをつけてしまったわけなんです。
(これは僕の勇み足)
確認しますが、(2)のレベルでの問題性についてぼーんの議論に賛成するが、
今のところはそのレベルの議論をしているつもりはなかった、ってことでいいですか?
243
:
cathoderay
:2003/08/28(木) 00:20
なんでカネをおおく残して子供にやったらいかんのでしょうか?
>株や土地を売買することや、金融利殖によるもの・・・不労所得というのですか
こういうのも意味がわかりません、なんで不労なんですか
お金を投資してお金を増やすことがなんで不労所得なんですか?
不労所得ってのはバクチでゲットした金のようなことではないのですか?
相続税はもっともっと安くすべきです。
故人が残した財産を、子孫が譲り受けるのは権利でしょう。
相続税は出来る限り安くすべきです。
244
:
大神
:2003/08/28(木) 01:15
>>242
(2)は難しいね。程度問題もあるし。
だからそのことの話をするつもりは無いし、武蔵君あてに書いたことその
事を述べる必要はないからね。
だから(2)の君の意見に賛成も反対もなにもしていないんだ。
245
:
うろちい
:2003/08/28(木) 19:56
>>243
cathoderay さん
>なんでカネをおおく残して子供にやったらいかんのでしょうか?
弊害はハッキリしていますね。
私有財産を前提とした資本主義と血統に基づいた財産相続の結果は事実上の血統に基づく身分制度ですから。
そういう制度を全く放置したら、死ぬか生きるかギリギリの下層階級と、集約した富を持つ一部の上流階級とに分離するでしょう。
互いが富の増殖合戦とその相続を続けたら、結局足の引っ張り合いになって、多くの人の場合が自分の望む結果(子孫により多くの富)を手にできません。
ただしそれは資本主義と相続を「全く」野放しにした場合であって、実際の各国の制度はその最悪の状態は回避するようにいくらかは努力されています(じゃなきゃ革命起こるから)。
このスレッドで最近話し合われていることは、「その努力をどのくらいにしようか?今のままで良いのかな?」ってことだと思います。
>お金を投資してお金を増やすことがなんで不労所得なんですか?
>不労所得ってのはバクチでゲットした金のようなことではないのですか?
言葉の定義上、投資して稼いだ金を「不労所得」って言います。
そんだけのことです。
>相続税は出来る限り安くすべきです。
その「出来る限り」がどの辺か、っていう話し合いをしているのだと思いますよ。
根拠無しには「全くできない」という選択肢もとりあえずは除外できません。
246
:
ぼーん
:2003/08/29(金) 11:33
>>244
> (2)は難しいね。程度問題もあるし。
::
> だから(2)の君の意見に賛成も反対もなにもしていないんだ。
いえ、問題があることを否定しないなら、この場合賛成してもらっているのと同じです。
(別に、あなたの意図を拡大解釈しているのではなく、
元々僕が同意を確認していることの内容がそれだけ少ないという意味です。)
247
:
大神
:2003/08/29(金) 18:46
>>246
なるほど。
248
:
cathoderay
:2003/08/29(金) 19:22
>>245
うろちいさん なるほどよくわかりました。
しかし、私は階級であるとか身分であるとかいうのが
現在でも残ることに反対していません。
それもアリだとおもっています。
全員が等しい身分である というのはあんまり魅力的には思えないのです・・・・
249
:
大神
:2003/08/29(金) 22:36
>>248
身分、階級は文化や伝統とも関ってきますからね・・。
250
:
イカフライ
:2003/08/30(土) 23:29
cathoderayさんへ
もともとは、世界における富の不均衡を軽減するにはどうすれば良いか?
という方向で始まったお話です。
相続税の話も、その流れだとは思うのです。
ただ、私は、今の日本の現況において、現行の相続税が高いのか、安いのか、まだ、判断は出来ません。
また、身分制度についても、全ての階層をなくすべきかどうか?というのは、これからの話だとも思います。
これも度合いの問題だとは、思います。
バングラディッシュの話でもあったように、日本ではホ−ムレスになっても、満足にとは言えないにせよ、最低の医療を受けられる。
けれど、バングラの路上の子供達は重病になってもただ死んでいくだけではないでしょうか?
そういった不均衡をなくしていくにはどうするか?だと思うのですが。
251
:
cathoderay
:2003/08/31(日) 03:18
>>250
なくしてしまうのはどうかな? って考えです私は 不均衡こそが
人間の進歩の根源ではないかと
あと、相続税の高さによって高額な美術品が流失してしまうことが多々あるので
私はどうかなとおもいます、貴重な美術品にかぎっては相続に特例を認めるべきではないかと。
アホたかい相続税がくるので、贋作だったことにして画商とナイナイしてしまう
贋作を用意する・・・・その段階で散逸してしまったり 裏へいってしまったり
故人があつめた有数のコレションがいつの間にか画商にだまされナイナイになったりしては
損失ではないかとおもうのですが・・・
まぁ美術品っていっても、高島屋や三越が売りにくるようなのにはロクなのがないのですが・・・・
おっと脱線・・
252
:
武蔵
:2003/08/31(日) 18:27
長らく留守をしておりました。
土地家屋の問題。
憲法第二十五条【生存権、国の生存権保障義務】
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
その、生存権の一部としての居住権が保証されなければなりません。
生存権の一部である居住権程度の住居は、親の代から住んでいたものであれ、自分が買ったものであれ、いかなる事情によっても取り上げられるべきではないと思っています。
その上に立って考えて、私は、所有者の死去によって所有権があらかた消滅するという制度がいいと思っています。
生前贈与にしろ相続にしろ、相当程度の税負担をした上で残りを取り分にする。
相当程度というのは、このスレに来ている人の中でも割れるところだと思いますが、
私は累進課税にして、最高は90パーセントくらいでもいいと考えています。
253
:
武蔵
:2003/08/31(日) 18:28
>>251
>あと、相続税の高さによって高額な美術品が流失してしまうことが多々あるので
私はどうかなとおもいます、貴重な美術品にかぎっては相続に特例を認めるべきではないかと。
高額な美術品が流出する理屈にはならないと思いますが・・・・
美術館が買い取りやすくなって、個人の所有物(秘蔵品)ではなくなり公共性が増すでしょう。
254
:
cathoderay
:2003/09/01(月) 00:25
失礼ですが・・・・それはタダ単に「持たざるものの僻み」でしかないのでは?
自分の腕一本で財産を築きあげた人が自分の死後に
わざわざ自分の能力で稼ぎ上げた財産を他人に、わけてやる必要など微塵も感じませんが。
どうして財産を持つものが持たないものに強制的に財産を分散してやる必要があるんです?
金持ちは多少の財産を残す もたざるものはもたざるまま
それがあるからこそ、人間は働いてちょっとでもいい暮らしをしようとするのでは?
私はお金持ちはお金持ちのまんま置いておくほうが景気によいとおもいます。
どうせ貧乏人が多少の、おこぼれをもらったとしても、それこそ溜め込むだけなのではないかなぁ・・・
255
:
イカフライ
:2003/09/01(月) 00:35
>>251
>なくしてしまうのはどうかな? って考えです私は 不均衡こそが
人間の進歩の根源ではないかと
これは、私の言い方も不充分だったのですが、全て平等にせよ、なんていう気はありません。
ただ、その不均衡の度合いです。
あなた自身もバングラディッシュのストリ−トチルドレンをみて
「彼らはもっと人間らしい生活をすべきじゃないのか」
と思われたのでしょう。
そういうことです。
256
:
イカフライ
:2003/09/01(月) 01:36
相続税については、確かに難しいです。
私はたいした家の出ではないし、自分の育ったところも、それほそ裕福な地域ではありませんでしたが、東京23区の結構便利はよい場所だったので、バブルの頃はかなりの地価になりました。
昔、田中角栄が東京に3代住めば家なんて国の物になる、と言いましたが、実際、その頃におじいちゃんが死んで家を手放した人も多かったです。
一応、東京に実家がある、ということは、私は持つ者なのかなあ、あまり実感ないですが。
と、脱線しましたが。
>金持ちは多少の財産を残す もたざるものはもたざるまま
それがあるからこそ、人間は働いてちょっとでもいい暮らしをしようとするのでは?
基本的にはこれは間違っていません。
ただ、あまりにも差が大きすぎると、底辺に産まれた人間は彼我の差が大きすぎて這い上がれない。
まあ、これはうろちいさんが言われていますが。
福祉というのも、やりかたを一歩間違えると、勤勉で有能な人間がやるきのない怠け者を養う、という結果になりかねません。
そうなると、頑張って上を目指して努力すること自体、あほくさくなって、その社会自体が衰退します。
かといって、この不景気に例えば年金を下げたり雇用保険を廃止したりすれば、生活不安が募って、ますます景気が悪くなる。
この兼ね合いは難しいのですが。
257
:
武蔵
:2003/09/01(月) 12:38
無主の木というものは、共有財産とも考えられます。
その木から果実をもぎ取ったものに半分の権利があるとして、
その半分を自分で消費する場合は問題がないが、
余剰が出たときの分配(贈与)の権利はどの位あるかということですね。
1.100パーセント所有者にあるか、
2.または分配権も半分であって、残りは共有にするか
3.オノレの必要分以外は共有とするか。
私は 2 の立場ですが、個人所有が多くなれば累進的に多くを公共の場に出すべきだと考えます。
258
:
ぼーん
:2003/09/01(月) 17:38
>>257
自分の物をとって、その残りを分配&贈与にまわす、という言葉の使い方をしてるみたいですが、
そこが多分混乱の元です。
贈与することができるのは、自分の物だけです。
だから、まず、何かを生産したら、自分の物と、残り、に分けます。
贈与したいなら、自分の物の中から好きにすればいい。(自分の物=自己消費+贈与)
生産物−自分の物=残りについては、共有物にし、分配にまわします。
この分配において、生産した人の希望は関係がありません。
# 生産物は、「自分の物」と「共有物」に分けられます。
「自分の物」は、「自己消費」と「贈与」に使われます。
「共有物」は、あるルールにしたがって分配されます。
# 私的所有権の神話とは、「生産物」=「自分の物」という発想を前提することを当然と考えることです。
(「共有物」=0 の場合ですね。)
# 「生産物」=「自分の物」である場合にも、「生産物」=「自分の物」+「共有物」の場合にも、
「自分の物」とされたものについては贈与したければできるし、死んだら相続の対象となります。
259
:
武蔵
:2003/09/01(月) 18:45
>>258
>自分の物をとって、その残りを分配&贈与にまわす、という言葉の使い方をしてるみたいですが、
そこが多分混乱の元です。
分配について、
生産についての分配と、その分配分の再分配を分けているんですが・・・
>贈与することができるのは、自分の物だけです。――1.
>自分の物=自己消費+贈与)――2.
この2の場合にも、無条件100パーセントの贈与は現在でも認められていないのですが
ぼーんさんは、
>>257
の 1.つまり「余剰が出たときの分配(贈与)の権利はどの位あるかということですね。
1.100パーセント所有者にある」
を取られるということですか?
自分の所得から贈与するときには、贈与税を設定しないという説なのですか?
260
:
ぼーん
:2003/09/01(月) 18:58
>>259
原理的なレベルではそうですね。
所得から所得税が引かれ、その残りを処分するときに、またぞろ贈与税がかけられる、というのは、原理的には二重課税だと思います。
そのレベルだけで思考するならば、「生産物をすべて取得することはできない」としても、自分の私的な取得物をどのように処分するかは、
その人の自由であるべきと思います。
# そうなると、贈与税ゼロ、相続税ゼロ、すら視野に入ってきます。
最終的にそう主張する気はありませんけどね。↓に続きます。
原理的レベルの考察を元に制度設計を考える段階になると、話が少しずつ変わってきます。
所得税を引いたあと、完全に所得が均一になってしまうと、いつも話題になっているように、労働のインセンティブをそぎます。
ですから、「ある程度」は、「たくさん働けば、たくさん生み出せば、手元にもより多く残る」というルールが導入される必要があります。
その結果、どうしても不平等は生じます。
# この場合、今の世の中がそうであるように、より多く生み出した人がより多く手にする、わけです。
しかし、「それが当然正当だから」ではなく、「そうしないと別のところで困るから」という風に、
そういうルールを採用する根拠は変わっています。
で、その生じてしまう不平等の程度によっては、贈与税や相続税で調整する、という可能性は出てきます。
# 完全な再分配を制度化することは、労働のインセンティブとの両立が難しいから、そこを緩めて、
贈与税や相続税で調整する、という発想なわけです。
僕も武蔵さんも贈与税や相続税を否定しないとしても、否定しない理由が異なるわけです。
そして、否定しない理由が異なる、ということは極めて重要な違いなのです。
261
:
ぼーん
:2003/09/01(月) 19:07
補足。
> 原理的レベルの考察を元に制度設計を考える段階になると、話が少しずつ変わってきます。
> 所得税を引いたあと、完全に所得が均一になってしまうと、いつも話題になっているように、労働のインセンティブをそぎます。
武蔵さんが「完全均一所得を主張している」という意味ではないです。もっと完全均一所得ではなくても、
生産の成果に応じて十分に取得物が増えていかないならば、やはり労働のインセンティブを大きくそぎます。
ことは、程度問題です。
262
:
武蔵
:2003/09/01(月) 19:16
>>260
>>261
>僕も武蔵さんも贈与税や相続税を否定しないとしても、否定しない理由が異なるわけです。
そして、否定しない理由が異なる、ということは極めて重要な違いなのです。
この異なる点と言うのを具体的に書いてくださいませんか?
私は異ならないと思っているので・・・・誤解されているみたい。
>生産の成果に応じて十分に取得物が増えていかないならば、やはり労働のインセンティブを大きくそぎます。
ことは、程度問題です。
どうしても同じことを述べているように思います。
解説のほうよろしく。
263
:
武蔵
:2003/09/01(月) 19:30
続き。
否定しない理由の違いという点において、
ぼーんさんは「労働のインセンティブ」という方向にバランスを向けられたということでしょうか?
私は、「労働のインセンティブ」ということにおいても、
人生のスタートラインの大きすぎる差異は、労働のインセンティブをそぐものがあると思っています。
頑張ったってどうなるものでもない、という無力感は頑張る意欲をそぎますから。
264
:
イカフライ
:2003/09/03(水) 13:30
あの……今更ながら話を引き戻してしまうようで、本当に悪いのですが。
「私的所有権の神話」というのは、つまり、自分が得たもの(例えば、無主の木から取った果実)は、本来100パ−セント自分のものであるが、そのうち何割かを公共物として提供している。
というどではなくて、本来公共物である果実を、労働した分だけ自分で貰う、ということなんでしょうか?
う-ん、しかし、これって結果は同じじゃないか、と思うんですが、なんか、意味あるんですかね?
あとは、この公共物(現実的には税金ですよね)の割合を何割にするかとか、それをどのように使うか、ということじゃないかと思うんだけれど。
違うのかな?
265
:
武蔵
:2003/09/03(水) 14:41
>>258
># 「生産物」=「自分の物」である場合にも、「生産物」=「自分の物」+「共有物」の場合にも、
「自分の物」とされたものについては贈与したければできるし、死んだら相続の対象となります。
☆「生産物」=「自分の物」――自由主義経済
の上に立って、贈与・相続税を強化しようとしている(100%も視野に入れる)のが、私。
☆、「生産物」=「自分の物」+「共有物」――共産主義経済
の上に立って、贈与・相続税を軽減していく(ゼロ%も視野に入れる)
こういう風な違いを考えておられるのでしょうか?
そういう意味で
>僕も武蔵さんも贈与税や相続税を否定しないとしても、否定しない理由が異なるわけです。
そして、否定しない理由が異なる、ということは極めて重要な違いなのです。
と言われているとすれば
まだその違いが分かるほどには話し合いは進んでいないように思うんですが・・・・
266
:
武蔵
:2003/09/03(水) 14:55
>>265
の、2番目の☆に書き加え
☆、「生産物」=「自分の物」+「共有物」――共産主義経済
の上に立って、「自分の物」については贈与・相続税を軽減していく(ゼロ%も視野に入れる)のがぼーんさん。
267
:
ぼーん
:2003/09/05(金) 08:41
>>266
>>265
> ☆、「生産物」=「自分の物」+「共有物」――共産主義経済
は違います。
共産主義経済は、
「生産物」=「共有物」
です。
268
:
ぼーん
:2003/09/05(金) 08:43
>>264
> あの……今更ながら話を引き戻してしまうようで、本当に悪いのですが。
> 「私的所有権の神話」というのは、つまり、自分が得たもの(例えば、無主の木から取った果実)は、本来100パ−セント自分のものであるが、そのうち何割かを公共物として提供している。
> というどではなくて、本来公共物である果実を、労働した分だけ自分で貰う、ということなんでしょうか?
違います。どういう所有権の割り当て方であれ、「それが正しいから、それ」と言えば、それは嘘(=神話)です。
> 「私的所有権の神話」というのは、つまり、自分が得たもの(例えば、無主の木から取った果実)は、本来100パ−セント自分のものである
が神話です。
じゃ、どれだけが自分のものなんだ?というとき、それが全部であれ一部であれゼロであれ、どれを言うにせよその確固たる根拠はありません。
269
:
武蔵
:2003/09/05(金) 18:05
>>267
訂正します。
―――
># 「生産物」=「自分の物」である場合にも、「生産物」=「自分の物」+「共有物」の場合にも、
「自分の物」とされたものについては贈与したければできるし、死んだら相続の対象となります。
☆「生産物」=「自分の物」――自由主義経済
の上に立って、贈与・相続税を強化しようとしている(100%も視野に入れる)のが、私。
☆、「生産物」=「自分の物」+「共有物」――中国的共産主義改革開放
の上に立って、贈与・相続税を軽減していく(ゼロ%も視野に入れる)のがぼーんさん。
こういう風な違いを考えておられるのでしょうか?
そういう意味で
>僕も武蔵さんも贈与税や相続税を否定しないとしても、否定しない理由が異なるわけです。
そして、否定しない理由が異なる、ということは極めて重要な違いなのです。
と言われているとすれば
まだその違いが分かるほどには話し合いは進んでいないように思うんですが・・・・
270
:
武蔵
:2003/09/05(金) 18:34
>>267
「極めて重要な違い」である「異なる」「否定しない理由」を
教えて下さいというのが、レスの主旨なのです。
271
:
武蔵
:2003/09/05(金) 18:51
>>267
私が
☆「生産物」=「自分の物」――自由主義経済
の上に立って、贈与・相続税を強化しようとしている(100%も視野に入れる)のが、私。
であると解釈していなさるなら少し違うのですが。。。。
ともかく、ぼーんさんがどう解釈なさって
>僕も武蔵さんも贈与税や相続税を否定しないとしても、否定しない理由が異なるわけです。
そして、否定しない理由が異なる、ということは極めて重要な違いなのです。
こう言っておられるのかということをずっとお聞きしているのです。
272
:
三毛猫ナナ
:2003/09/05(金) 19:04
>>268
ぼーんさん(ぽーんさんじゃないのねゴメンなさい)の
お話にチョットだけ付け加えをします。
『どれだけか自分のものなんだ?』
この問いの答えは…
『それは私達が決めていく事なんだ』
ですよね、ぼーんさん?
#私の立場で言えば『所有権割り当ての本質は社会的に
構築されている』となります。
『私的所有権の神話』という現実は事実ではありません
からね。
273
:
ぼーん
:2003/09/05(金) 23:07
>>272
そのとおり。
とだけひとまず述べておきます。
274
:
ぼーん
:2003/09/05(金) 23:11
>>武蔵さん
違うのか、違わないのか、分かりませんが、僕が違うと感じるのは、
僕の出発点が
>>272
にあるのにたいして、武蔵さんの出発点がどこにあるのかがわからないからです。
どういう所有権構造を選ぼうとしてるのか、という意味では、多分違いはないです。
が、なぜ現行の所有権構造を変更できるのか、という理由づけの点ではどうなのかわからんのです。
275
:
武蔵
:2003/09/06(土) 07:22
>>274
>武蔵さんの出発点がどこにあるのかがわからないからです。
分からない場合は「違う」ということになるのでしょうか?
あっちこっちに、以下のようなことを書いています。
>>210
>私的所有権が、
もぎ取ったりんごの全てと無条件で考えないような意味で
親の持つ諸権利についても、譲渡が当然と考える必要がないということです。
>>210
>だから、私有財産も相続も全否定するとは言ってないんですが・・・
りんごは全て、もいだものの権利であるということの「全て」に当るものを否定しています。
つまり、わたしは
「生産物」=「自分の物」+「共有物」
と言っているわけですから、ぼーんさんはそれ以外の主張をなさっているということになるのですか?
つまり
「『それは私達が決めていく事なんだ』」
のなかに、
☆「生産物」=「自分の物」
☆「生産物」=「共有物」
も含めて、私たちみんなで考えていくものなんだよといいたいのですか?
その場合何故わたしの
☆「生産物」=「自分の物」+「共有物」
を排除して、
>僕も武蔵さんも贈与税や相続税を否定しないとしても、否定しない理由が異なるわけです。
そして、否定しない理由が異なる、ということは極めて重要な違いなのです。
という風に、「極めて重要な違いがある」とまでおっしゃるのでしょうか?
276
:
武蔵
:2003/09/06(土) 19:29
私の出発点を書いておきます。
これは経済や税制だけにいえる出発点ではありません。
だから「経済や税制については、どんな具体的なほう方がいいのか」は模索中です。
詳しい方が、税制にはこういういくつかの具体策があり、それぞれにはこういうメリットとデメリットがある
と指摘していただければ考えやすいです。
ハナから、「極めて重要な違いがあります」というのでなく。
---
やる気には2種類あると思います。
上を目指すやる気と底から這い上がるやる気と。
その内、上を目指すやる気は比較的持ちやすいと思うのです。
その気にもなりやすいし、やればやるほど手ごたえもつかめます。
成績でいうと、ちょっと基礎が出来ていれば、やればやっただけの手ごたえがあります。
だけど、子供時代につまづいた子は、まず、やることの手がかりがつかめない。
ちょっと手伝って、基礎的な手ほどきをすると、分かったことの喜びは持つけれど
それが成績には繋がらないし、やる気が継続しないんです。
もちろん血のにじむ努力を継続することも、全くありえないことではありません。
英雄伝に出てくるような人の存在は確かにあります。
だけど、諦めてしまうケース(砂)の中から宝石を探すより少ないのではないでしょうか?
全体を向上させるには、先頭を引っ張ることと、底辺をかさ上げすることの両方があると思います。
先頭を引っ張ろうとする人は嫌ほどいますから、
私は底上げをすることに力を出そうと思って生きてきました。
それがどんな問題に対しても取ってきた私の生きる姿勢です。
男女の格差は、一次的には女性にとってしんどいことですが
男性にとっても、責任の重さというしんどさを押し付けられています。
最近の自殺者の傾向の中にも、責任の重さやプライドの重さに耐えられなくて
ということがあるようです。
トップを目指す種類のやる気をそぐ政策を取るべきだとは思いません。
トップが輝くことは、トップを目指すことが(実質的には)出来ない人にとっても夢です。
しかし、それは基本的にはその人一代で終わってもいいのではないかとすら思います。
現在は3代で食いつぶすと言われているようですが、本来スタートラインはずいぶん優遇されているのですから、2代目3代目が人並みに頑張れば増やすことが出来て当たり前でしょう。
それより、スタートラインから落ちこぼれる人間を減らしていく方が
社会の活性化に繋がると思うのです。
(世界的には教育を、というのもその点からです)
丸っきりの均等化なんてものは、お互い目指していませんね?
わたしとぼーんさんとは
程度の差なんでしょうか?
基本的な考えの違いなのでしょうか?
277
:
ぼーん
:2003/09/08(月) 10:18
>>275
たとえばこれですけどね。
>
>>210
> >私的所有権が、
> >もぎ取ったりんごの全てと無条件で考えないような意味で
> >親の持つ諸権利についても、譲渡が当然と考える必要がないということです。
(1) もぎ取ったりんごの全てに私的所有権を認めない。
(2) 私的所有権を認めたりんごのすべて(すべてのりんごではない)に譲渡する権利を認めない。
武蔵さんの中では、これらがごっちゃになってるみたいなんです。
で、(1)については同意するんだけれども、(2)については同意するかどうかは分からないです。
少なくとも僕の場合、(2)は(1)とは違う論点ですから、(1)とは違う理由で同意すると思います。
武蔵さんの方は、そもそも違う理由で、と考える以前に、(1)、(2)の論点がごっちゃになってる。
だから、「同じではありえない」と思います。少なくとも現時点で。
(1)と(2)が違う論点であることが分かったなら、その上で武蔵さんが(1)と(2)のどっちを主に
批判したいのかが分からないんです。しかし、今までの書き方の印象からすると、(2)の方にずっと
重きを置いているのかな、と思う。だとすると、僕は(1)の方に重きを置いているので、ちょっと違う。
((1)に重きを置いているなら、その点では同じ。)
> 「生産物」=「自分の物」+「共有物」
> と言っているわけですから、ぼーんさんはそれ以外の主張をなさっているということになるのですか?
そこは同じですよ。ただ、武蔵さんにおいてそこに至る道筋が同じなのか分からない。
その上で、
> 「生産物」=「自分の物」+「共有物」
だとして、そこから相続や贈与を制限すべき、という理屈は出てこないんですよ。
で、武蔵さんは相続や贈与を制限することをかなり強く主張なさってる。
結論としては、僕も同意すると思うけど、武蔵さんの場合はどういう根拠で反対するのかな、と思っています。
278
:
反吐が出る
:2003/09/08(月) 10:45
>>277
ありがとうございました。これでだいぶん分かってきました。
2項目をもう少し厳密に書き換えさせてください。
(1) もぎ取ったりんごの全てには、私的所有権を認めない。「生産物」=「自分の物」+「共有物」
(2) 私的所有権を認めたりんごのすべて(すべてのりんごではない)に、無条件では譲渡する権利を認めない。
私はおっしゃるように、(2)の方に重点をおいています。
理由は、100パーセントに近い譲渡(相続)が繰り返されると
富の偏在が固定化するからです。
戦前のように、他人の土地を踏まずに自宅に着くなんて富者が生まれるのは好ましくない。
アメリカのように富者の地域を設けて軍隊並みのセキュリティ―を施してもまだ不安コミュニテイーができるのは好ましくない。
人間の生まれながらにしての不平等が強化される。
これは貧乏人にとっての不満はもちろんのこと、富者にとってすら安全な社会とは言えない。
(1)も問題ですが、公共の福祉に潤沢な金がある限りは、能力と努力に応じた分配がある方が、
やる気が起こるし、能力のないものにとっても夢だけはもてるからです。
279
:
武蔵
:2003/09/08(月) 10:46
ばれちゃったね。
名前って残るんだ!!
280
:
イカフライ
:2003/09/08(月) 14:17
>>272
>『どれだけか自分のものなんだ?』
>この問いの答えは…
>『それは私達が決めていく事なんだ』
その割合は、100パ−セントかも知れない、50パ−セントかもしれない、もしかしたら、ゼロかもしれない。
けれど、その割合のどれもに根拠はない、ということですね。
(やっと解った(^^ゞ)
みんなが、なるべく飢えないように、かといって、頑張って果実を取る人が、その努力が報われないことのないように、ちょうど良い割合を決めていきましょう。
って話ではないでしょうか?
少なくとも、私は、そういう話をするつもりでいるのですが。
で、今度は、ナナさんの
>『所有権割り当ての本質は社会的に
構築されている』となります。
> 『私的所有権の神話』という現実は事実ではありません
からね。
実は、これがよく解りません。
つまり、社会情勢や環境によって、所有権の割り当てが決まっていく、ということでしょうか?
281
:
<未入力>
:2003/09/08(月) 15:29
>>279
な〜んだ!(激藁
282
:
武蔵
:2003/09/08(月) 15:36
はい。な〜んだ!(激藁 です。
もともと武蔵で書いてたんですけどね。最後に反吐が出ると書いたら
看板に上げたくなった(笑)
しかし、続けることもできず静観していたから・・・・忘れてた。
いつもハンドルいちいち書かなくても便利しているのに、気がつかなかった(^^ゞ
283
:
武蔵
:2003/09/08(月) 16:32
>>278
2項目についてもう少し細分化してみましょう。
(1)「生産物」=「自分の物」+「共有物」
と言う場合、もぎ取った果実の何パーセントを共有物にするか
について、私は非課税部分(控除)からはじまる累進課税を考えています。
(2)私的所有権が認められた財産を譲渡する場合にも、
非課税部分(控除)を残し、後は累進課税を考えています。
その上で、自ら得た所得の方が、他の人からの贈与より優先されると言う考え方です。
284
:
281
:2003/09/08(月) 16:56
>>282
いや〜、愛嬌があるよ。(笑
そういうところが、君のいいとこだよ。
285
:
実は
:2003/09/08(月) 17:11
実は野次豚も君でしょう?
286
:
武蔵
:2003/09/08(月) 17:28
>>285
「実は」さんが「野次豚」さんではないのですか!?!
ともあれ、レス違いの雑談はここまでね。
287
:
武蔵
:2003/09/08(月) 19:57
>>277
>だとすると、僕は(1)の方に重きを置いているので、ちょっと違う。
私は(2)の方に重きを置いているから、確かに違いますね。
ぼーんさんが、どういうわけで(1)に重きを置いてられるのか、説明していただけないでしょうか?
私が見たところ、贈与する側に重点を置いて、自分の私有財産なのだから、自分に贈与の権利もある(私もそれは認めているのですが、100パーセントの権利を認めないです)
と言われているようです。
わたしは、贈与を受ける側の権利に重点を置いて考えています。
産まれる子供は親を選べない。
所得の多い親に育てられた子は、教育をはじめ全ての面で恵まれたスタートを切ります。
それ自身が、とっても大きい財産贈与だと思うのです。(もちろんそれを否定する気はありません)
その子が普通に働けば、他の子より大きな収入を得ます。
その子の子は、他の子の2乗の恵まれたスタートを切ります。
そういう意味で、それ以上の形に見える(金や家屋)財産を残されなくっても
すでに大きい財産を受け取っていると思っています。
子孫に美田を残さず。残すのは教育だけ。そういう心意気があってもいいと思っています。
(相続税100パーセントを主張しているのとは違います)
ぼーんさんのお考えを聞かせてください。
288
:
ぼーん
:2003/09/09(火) 14:16
>>287
すべての人に教育を受ける機会が保障されることには基本的に賛成するけど、
すべての人が教育において等しい可能性を持っているわけではなく、
事実として能力の差はあり(あるいは、現在の教育が伸ばすことのできる能力は偏っており)、
教育は万人に等しい何かをもたらすようなシステムではないと僕なんかは考えます。
誰か教育を受けたい、というときに、それが本人には克服できないどうしようもない経済的事
由によって不可能となるならば、それはアカンとも思いますが、教育を提供すべきということ
と、教育以外の何かを提供してはいけない、ということはまったく別の話です。
僕は子供に教育を残してやろう、という親の心と、子供になにがしかの財産を残してやろうとい
う親の心との間に、僕は上下をつけません。
289
:
武蔵
:2003/09/09(火) 16:17
>>288
>すべての人に教育を受ける機会が保障されることには基本的に賛成するけど、
すべての人が教育において等しい可能性を持っているわけではなく、
そりゃあそうですよ。
同じスタートラインから、同時に同条件で走っても、1等もいればべったこもいる。
だから、能力と努力を評価するにやぶさかではありません。
それでも、同じスタートライン(とまですら行っていないですよ、現実のかけっこは)
を保証できる世の中、あるいは、それに近づく世の中でありたいと思います。
>僕は子供に教育を残してやろう、という親の心と、子供になにがしかの財産を残してやろうとい
う親の心との間に、僕は上下をつけません。
この二つの親心は、二者択一のものでしょうか?
教育を一切つけないで、財産だけを残してやろうとする親っているとお考えなのでしょうか?
私には、教育にかかる費用を惜しんで、遺産を残そうとする親って考えられません。
そして、教育を付けた上でなおかつ財産まで残してやれればそれに越したことはないでしょう。
しかし、そのとき100パーセント自由に残せるのか、その何割かは共有財産に組み入れることに賛成です。
贈与税、相続税を累進的に支払うということは、「我が子」だけではなく「社会の子」を育てる大事な資金ですから。
そして、社会の子のレベルが上がることは、我が子にとっても大事な社会が育つことですから。
我が子だけが豊で何不自由ない生活をしても、社会が貧困と無知と暴虐の巷では
我が子の生活は保障されません。
290
:
武蔵
:2003/09/09(火) 16:50
>>289
文の切り方が変でした。
しかし、そのとき100パーセント自由に残せるのか、その何割かは共有財産に組み入れることに賛成です。
→
しかし、そのとき100パーセント自由に残せるのか?
私は、その何割かは共有財産に組み入れることに賛成です。
291
:
武蔵
:2003/09/09(火) 18:03
追加。
もし、親が教育不要論を持っていて、教育をつけない代わりに財産を残したいというなら、
その子の教育にかけるべき金額を贈与財産の課税額から控除するということもできますね。
292
:
三毛猫ナナ
:2003/09/09(火) 20:33
>>280
イカフライさん
混乱させてしまい申し訳ありません(ぺこり)
話の内容はイカフライさんが解釈されている
とおりです。
>>272
の私の発言は同内容を言い方を代えて
二度述べているだけです。
293
:
ハンドレッドソード
:2003/09/17(水) 14:10
朝鮮族に対する真実を知っていますか? (Res:2) All First100 Last100 INDEX SubjectList ReLoad ▲2▼
1 名前: ハンドレッドソード 投稿日: 2003/09/17(水) 13:35
ここに来ている人達の多くが
チョソン捏造に騙されすぎていないでしょうか?
正直彼等の多くが既に嘘を認めている
在日朝鮮人の由来(嘘強制連行)も
民団が既に真実に近いものを発表さえしている
それが現実である。
そして併合も暗殺を利用して
ロシアに拒否されたものを無理やり受け入れさせたに過ぎない
このスレの2以降は自分はこんな嘘に騙されていた!
ってのを時々載っけてくれる人がいると助かる とりあえず以上。
2 名前: ハンドレッドソード 投稿日: 2003/09/17(水) 13:36
http://japanese.joins.com/transboard/jp_bbs/list.html?tname=history&page=1&startpage=1
ここで真実を体得する事を望む
294
:
ヨッサリアン
:2004/07/28(水) 08:07
ご自分で意識されているかどうか分かりませんが、ぼーん氏のα理論はなかなかSFしてますね。
本気でSFを現実化しようとしているらしいぼーん氏はマッドサイエンティストみたいでなかなかカッコいい。
まあぼーん氏は科学者ではないみたいなので「裏庭で作ったタイムマシン」みたいな成果を期待できないのは
ちょっぴり残念・そして大いに安心です。
α理論が現実化する世界を描いたSF作品に
「終わりなき平和」 ジョー・ホールドマン 創元SF文庫
というのがあります。
http://member.nifty.ne.jp/windyfield/peace.html
「終わりなき平和」である。まさに、人類の永遠のテーマにまっこうから挑んだタイトルである。いったい作者はどんな
回答を出すのかと期待と不安を半分ずつ感じながら読んだのだが……実のところ、読後感はかなり複雑である。
この作品の結末をどうとらえればいいのか、私にはいまだに判断できないでいるのだ。
まず誰もが考えるのは、すべての人々に物資が行き渡れば、平和が到来するんじゃないか、ということ。本書の世界
ではナノ鍛造機という無尽蔵にモノを生み出す魔法が実現しているけれど、それでもまだ平和は訪れていない。それ
ではいったいどうすればいいのか。作者の答えはかなり大胆だ。
精神医学に、「自我境界」という概念がある。幼児期には自己と宇宙は一体だけど、成長するにつれてだんだんと自己
と非自己の境界が生まれてくる。ところが、分裂病などではこの自我境界が弱体化してしまい、「自分の考えは自分の
頭の中だけにおさまっていないで、まわり中に広がり、同時に、すべての人々の頭に浮かんでいる」という体験をする
ことになる。
本書で描かれるのは、まさにこの自我境界喪失が日常になった世界である。兵士たちは電子的に脳を結合し、基地に
いながらにして戦場にいる戦闘ロボットを操る。部隊の中で思考は共有され、部隊は特別な絆で結ばれる。そしてこの
技術がやがて世界を変革し、終わりなき平和を導くことになるのだが……。
しかし、境界が消滅した世界に、人は果たして耐えられるのだろうか。そして耐えられるようになったとして、それはまだ
人間といえるのだろうか。「終わりなき平和」が到来するには、人が人ならざるものにならねばならない。これが作者の
回答なのだ。
おそらくこの物語の結末はさまざまな議論を生むだろう。私個人の意見としては、人を殺すことができない新人類の誕生は、
三原則に縛られたロボットを思い出させる。結末に訪れるのは、実は洗脳の楽園なのではないだろうか。そして、そこまで
しないと訪れない「平和」なるものにいったい価値があるのだろうか。
作者の真意がどこにあるかはこの際あまり重要ではない。本書は読み終えた後にさまざまなことを考えさせてくれる作品
である。そして、本当に優れた小説とはそういうものだろう。
私もこの書評に同感です。
すべての人が本心から「全ての人に等しい価値があるものと見なす」ようになれば、
それは私の考える人間らしさを失った(あるいは、もっと良いものに造り替えた)別の生物でしょう。
私はそういう生き物にはなりたくありませんね。なんだか蜂やアリみたいですから。
命の価値が平等な蜂の社会よりも、自分勝手で色々な個性を持った人間が作る社会のほうがずっと面白い。
面白く生きるのためにはある程度のリスクも忍びます、人間らしくあるために。
295
:
ヨッサリアン
:2004/07/28(水) 08:09
「終わりなき平和」の世界の先にあるのは
「アルファ・ラルファ大通り」 コードウェイナー・スミス 早川文庫(「鼠と竜のゲーム」収録)
の世界かもしれません。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~BIJIN-8/fsyohyo/ratdragn.html
天候や病気はもちろんのこと、人々の寿命さえコントロールできるようになった世界において、《人間の再発見》の名のもとに、
古代の文化と古代の言語と、古代の災厄までもわざわざ復活させた、新しい世界を築こうとしている様子が描かれている。
完全な保護によって成立した完全な世界――ユートピアの、さらにその先を表現しようとしたのは、あるいは著者がはじめて
ではないだろうか。
遥か遠未来の人々が「事故や病気の可能性」を新しく手に入れたことを喜び、はしゃぎまわるシーンには驚きますが、
危険なスポーツに熱中し、健康に悪い食べ物を好んで食べたがる現在のわれわれと、実は本質的に同じなのではないでしょうか。
絶対平和のユートピア、ってのはどうも退屈みたいですよ。
「都市と星」 アーサー・C・クラーク 早川文庫
も、超未来の閉ざされたユートピア都市からの脱出を描いた名作です。
そのほかにもSFには平和や戦争について可能性の極限を追求した作品がたくさんあります。
まじめな平和主義者の人たちも頭の体操のつもりで読んでみてください。
視野が空間と時間、さらには人間性の枠をも越えて大きく広がるものと思います。
296
:
三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>
:2004/07/28(水) 20:00
)理論が現実化する
理論は、あくまでモデルであり、ぼーん氏の理論は
ウェーバーの理念型である事を理解されていますか
?
ユルゲン・ハーバーマスの『公共性の構造転換』(社
会学の基礎理論の一つです)に対する批判として『理
論と現実が違う』と指摘する方と同様の的外れな批判
と言えますね。
理論はあくまで理論であり原理主義的・教条主義的に
これを捉えるから、話の要旨を理解出来ないのです。
す。
297
:
吉岡
:2004/07/28(水) 20:43
ヨッサリアン氏
あなたの言う
「自分勝手で色々な個性を持った人間が作る社会のほうがずっと面白い。」と
いうことが、そのまま「α」だと思いますが・・・・
つまり
「己の個性を否定されないためには、他の個性を否定してはならない」
「己の個性が尊重され、同時の他の個性も尊重される」
ということで。
「己の自分勝手が、他の自分勝手を押し殺してはならない」とは言えましょうが・・・・
298
:
イカフライ
:2004/07/28(水) 21:42
>>294-295
ヨッサリアンさん、はじめまして。
コードウェイナー・スミス の「人類補完機構」クラークの「都市と星」懐かしいです。
結構,SF好きの人が多いですね,このサイト。
私もかつてはSFは良く読んだのですが,「終わりなき平和」 は未読です。今度,読んでみよう。
299
:
ヤッス
:2004/07/28(水) 22:20
どうせ「α理論」なんかとっくに破綻してんだから、いいじゃん。
ぐだぐだ言わなくても>猫
結局、「人類全員が同じ価値観と同じ夢を見るのはSFだ」ってことで、
それを改めて既存のSF書を例に感想を述べた人がいたってだけで。
なんでおまえはそうやって、理解されにくい呪文を唱えるのが好きなんだ。
300
:
吉岡
:2004/07/28(水) 22:29
ヤスツ氏
>「人類全員が同じ価値観と同じ夢を見るのはSFだ」
「α」というのは、違う価値観(を持つ相手)を尊重しよう、と言う理論であると読み取れたのだが・・・
つまり、他者の価値観を守ること(己の価値観を守る)が「α」だと思うのだが・・・
まるっきり正反対の読み取りをする方がいるのですね。
301
:
スライムベス
:2004/07/29(木) 00:59
私はα理論というのをはっきり解ってませんでしたが
(今も解ってない)、
確か
「自分の命と他人の命は同価値なので、
二者択一の状況で自分の命を優先するのは
αの理念に反する」
とか言ってたような。
議論には参加しませんでしたが
「α理論がそんなものだとしたら、
これはちょっとついていけんなー」
と思いながら
当時スレを読んでました。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板