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貧困スレ

1チバQ:2009/10/21(水) 21:46:08
労働運動スレより独立
非正規雇用・母子家族などなど貧困にかかわるさまざまな話題を収集するスレ
主にルポ系の記事がメインになりそうな予感

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009102002000236.html
日本の貧困率15・7% 07年 98年以降で最悪
2009年10月20日 夕刊
 厚生労働省は二十日、全国民の中で生活に苦しむ人の割合を示す「相対的貧困率」を初めて発表した。二〇〇七年は15・7%で、七人に一人以上が貧困状態ということになる。十八歳未満の子どもの貧困率は14・2%だった。
 厚労省は国民生活基礎調査の既存データを使い、一九九八、〇一、〇四、〇七の各年にさかのぼり、経済協力開発機構(OECD)が採用している計算方式で算出。〇七年の全体の貧困率は九八年以降で最悪、子どもは〇一年に次ぐ水準だった。
 長妻昭厚労相は同日の会見で「子ども手当などの政策を実行し、数値を改善していきたい」と述べ、同手当を導入した場合に貧困率がどう変化するかの試算も今後公表することを明らかにした。
 政府は六〇年代前半まで、消費水準が生活保護世帯の平均額を下回る層を「低消費水準世帯」と位置付け増減などを調べていたが、その後は貧困に関する調査はしていなかった。相対的貧困率は、全人口の可処分所得の中央値(〇七年は一人当たり年間二百二十八万円)の半分未満しか所得がない人の割合。
 全体の貧困率は九八年が14・6%、〇一年が15・3%、〇四年が14・9%。〇七年は15・7%と急上昇しており、非正規労働の広がりなどが背景にあるとみられる。


関連しそうなスレ
労働運動
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1114776863/l50
社会福祉総合スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1225898224/l50
農業総合スレ(限界集落もこのスレの対象かも・・・)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1060165378/l50
人口問題・少子化・家族の経済学 (母子家庭など)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1148427444/l50
文部スレ (新卒採用問題なども・・・)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1116734086/l50

713チバQ:2017/06/21(水) 22:04:41
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170620-00522744-shincho-soci
「派遣のくせに」「立場をわきまえろ!」非正規で働く中年男性に投げかけられる無慈悲な言葉
6/20(火) 6:20配信 デイリー新潮
「派遣のくせに」「立場をわきまえろ!」非正規で働く中年男性に投げかけられる無慈悲な言葉
「派遣のくせに」
 はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり、とは石川啄木の歌だが、まさにそんな立場の人は、現代の日本でも数多くいる。厚労省が5月30日に発表した4月の有効求人倍率は1.48倍で、1990年7月に記録したバブル期最高数値を突破。しかし、よく言われるように、そうした数値ほどに好況を実感している人は多くない。

 たしかに新卒の学生の就職率は、数年前と比べたら圧倒的に良くなったとされている。一方で、「生まれた時代」や「再就職の時期」が悪かった人は、いまでも理不尽な目に遭っているというのが実態かもしれない。

 自身、中年になってからの再就職で苦労をして、さまざまな非正規雇用の現場を経験してきた中沢彰吾氏は、どんなに成果を上げても認められない非正規雇用労働者の悲惨な実情をレポートしている(以下、中沢彰吾著『東大卒貧困ワーカー』より抜粋、引用)。

 神奈川県に住む山田信吾さん(54歳・仮名)のケースは、理不尽の極みといってもいいだろう。

 ***
  山田さんは、35歳まで中小企業の管理職を務めていたが、会社が倒産。再就職には微妙な年齢で、すぐに仕事ができる人材企業に登録し、翌日から派遣先の企業で働くことにした。

 奇しくもその年、1999年は労働者派遣法が大幅に規制緩和された年だった。

 プロの画家を目指していたこともある山田さんは、色合いを見極める目と感性があり、そして細かい作業が得意だった。その特技を生かし、ほどなくして、神奈川県にあるプラスチック部品製造工場で、パイプなどの色を決める染料の調合や、火災の危険がある電炉の管理を任されるようになった。管理職が出勤しない休日に率先して出勤し、工場長代行のような業務もこなした。社員全員が不在のお盆休みには、中国人研修生7人のめんどうを1週間ひとりで見た。

 当然、勤務表は残業や休日出勤で真っ赤になったが、諸手当は満額支払われ、山田さんの年収は500万を超えた。現場の上司からもねぎらいの言葉をもらった。ただ、3年間働いても正社員化の話は出なかった。山田さんも収入には満足していたので、あえて正社員化は望まなかった。

 しかし、そのことを後悔する日は突然やってきたという。社長が経営効率をアップさせるため、外部のコンサルタントを招き入れ、組織改革の全権を委譲したのだ。そしてそのコンサルタントから、山田さんは思わぬ攻撃を受けることになる。

「派遣のくせに残業が多すぎる」「重要な仕事は正社員がするものだ。派遣のあんたがやってること自体おかしい」「派遣に専用デスクなどいらない」

 残業も休日出勤も禁止され、平日は仕事が終わってから自分のスケジュール管理についての反省文を書かされ、改善策を提示するまで退社できなくなった。
 
 毎晩、終電の時間まで無意味な作文を書かされることに耐えられず、山田さんは自らその会社を去った。

 山田さんは次に派遣として働いた企業でも、実績を上げた。彼の目と技術によって、検品の精度が上り、返品が大幅に減ったのだ。

 ところが、新人の正社員に軽く注意をしたことを根に持たれ、人事部に呼び出され「立場をわきまえろ」と叱責されたことがきっかけとなり、会社にいづらくなり、結局任期切れで雇い止めとなった。

 山田さんを派遣していた人材企業は彼が不当な雇い止めにあった際、法律的には自ら矢面に立って彼を守らなければいけなかった。だが2度とも動かなかった。

714チバQ:2017/06/21(水) 22:04:59
 ***

 中沢氏は、「山田さんが、もし正社員であったなら、前記2社のいずれでも解雇されることなく、業績向上に貢献し、部長くらいに出世したのではないか」と述べた上で、非正規というだけで、優秀で実績を上げても、評価が得られないシステムの問題点を指摘している。

 もっとも、この山田さんのケースには、オチがついている。最初の会社は、業務縮小で一時的に利益率が高くなったものの、結局は売上高がジリ貧に陥って、資産の切り売りでしのいでいるという。

 任期切れで雇い止めとなった2番目の会社は、山田さんを解雇して間もなく倒産した。その一因は、検品のクオリティが下がり、返品が増加したことにあるという。

 正社員だろうが非正規だろうが、人材を大切にしない企業は長続きしないということか。

デイリー新潮編集部

2017年6月20日 掲載

715とはずがたり:2017/06/26(月) 16:43:11
>これまで日本では、女性は未婚時代には親に、結婚してからは夫に養われる前提で、安く働く存在として扱われてきた。
>それは未婚化が進む中で、未婚のまま、不安定な非正規雇用にしかつけず、十分な収入が得られずに貧困状態にある女性が増えている、ということなのだ。

>筆者がかつて勤めていた横浜市役所では、2000年代当初から、話題になりだしていたことがある。それは、「この子は一度も働いたことがないのですが、親が亡くなった後、どうすればいいですか」と、40?50代の娘を連れて、高齢の親が区役所の窓口にくるというのだ。

>だが、30代の間は、本人も親も「結婚すれば問題はなくなる」と、問題を先送りにする場合が多い。ところが、未婚のまま40代になって、いよいよ「このままではずっと未婚・無業のままかもしれない」と親子ともども不安になり、役所に相談に来る、ということだ。
>しかも残念なことに、働いている女性の方が結婚する可能性が高い。

>厚生労働省が独身者のその後の10年間の継続調査を実施している(『21世紀成年者縦断調査』)が、それによると、結婚や出産する確率が高いのは正規雇用の女性だった。

>さらに内閣府の調査(『少子化と未婚女性の生活環境に関する分析』)によると、正規雇用者より無業の女性の方が「特に異性との交際を望んでいない」者の割合が高く、「いずれ結婚するつもり」という意欲を持つ者の割合も低くなっている。
>なぜか無業の女性の方が、交際や結婚への意欲を失っているのである。つまり、無業の女性が結婚によって状況を変える可能性は高くない、ということになる。

>2010年から関西の大学で教員になって驚いたのは、「結婚がゴール」「どうせ結婚するのに、勉強する意味がわからない」と言ったり、就職活動に行きづまると「したいことがわからないから、しばらくアルバイトでもいいかなあ」と、平気で話す女子学生が少なからずいたことだ。

社会保障・雇用・労働人口・少子高齢化格差・貧困ライフ
「一度も働いたことない40?50代大卒娘」を抱えた高齢親が増加中
「花嫁修業」「家事手伝い」弊害も
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51910
前田 正子甲南大学マネジメント創造学部教授
プロフィール

女性活躍の時代に「無業」の女性たち

日本では少子高齢化が進むとともに、現役世代、つまり働き手が減りだしている。

1995年に約6700万人いた労働力人口は、2015年には約6075万人となり、600万人以上減少した。

現在、男性のほとんどはすでに働いているので、新しい労働力として期待できるのは女性しかない。そういう背景もあり、アベノミクスでは一億総活躍・女性が輝く社会の実現が掲げられ、女性の就業継続を図るだけでなく、管理職比率を上げる動きなども見られる。

世はまさに、女性の活躍ブームであるが、ほんとうに社会は活躍する女性で溢れているだろうか?

一方で、最近では「女性の貧困」も社会的な課題として取りあげられるようになっている。

これまで日本では、女性は未婚時代には親に、結婚してからは夫に養われる前提で、安く働く存在として扱われてきた。

その状況はいまでも変わらず、「女性の活躍」と言われながらも、働く女性の非正規雇用比率があがっているのが現実である。実際、2015年の国民生活基礎調査によると、働いている女性のうち半分近くが非正規雇用である。

それは未婚化が進む中で、未婚のまま、不安定な非正規雇用にしかつけず、十分な収入が得られずに貧困状態にある女性が増えている、ということなのだ。

さらに、世の中には働きたくても働けない人や、そもそも働く気のない女性もいる。こうした無業の女性たちは、働く必要のない人たちなのだろうか。彼女たちは、なぜ働いていないのだろうか。例えば、未婚で無業のまま親元にいる「家事手伝い」と呼ばれる女性は、「いずれ結婚すれば問題は解決する」と思われがちだが、本当にそうなのだろうか。

716とはずがたり:2017/06/26(月) 16:43:38
筆者がかつて勤めていた横浜市役所では、2000年代当初から、話題になりだしていたことがある。

それは、「この子は一度も働いたことがないのですが、親が亡くなった後、どうすればいいですか」と、40?50代の娘を連れて、高齢の親が区役所の窓口にくるというのだ。

彼女たちが学校を卒業したころは、就職せず、花嫁修業と称して、家でお稽古などをして過ごし、それなりの時期が来たら結婚することは珍しいことではなかったのだろう。だが、たまたま縁なく結婚せず、就業経験もないまま40?50代になった女性たちは、もはや外に出て働く、他人と交わるということも難しそうな状況だったという。

当時は若者への就労支援が始まりだしたころであったが、無業のまま40代になった女性には支援の仕組みもなかった(いまでもほとんどない。多くの就労支援は30代までである)。

この女性たちが次に公的サービスにつながるときは、親が要介護状態になるときか、親が亡くなって年金収入も絶え、生活に行きづまって生活保護の窓口にくるときだ、という危機感を生活保護課では持っていた。

10年か20年後には、50?60代の就業経験のない未婚女性の生活保護受給者が増えるのは避けられないだろう、とも予測していた。

上がる未婚率

こうした女性たちが見過ごされている中、未婚率は上昇している。

図は生涯未婚率(簡略化して言うと、50歳時点で一度も結婚していない人の比率)をまとめたものである。

2015年の国勢調査を見ると、生涯未婚率は、全国では14.1%、東京都では19.2%、大阪では16.5%となっている。全国で見ると、7人に1人の女性は独身で生きていくということなのだ。

果たしてこの未婚の女性たちは、ちゃんと経済的に自立して暮らしていけているのだろうか?

先に述べたように、未婚で無業のまま40代になってしまった女性も少なくないのではないかと思われる。30代など、もう少し早い時期に、何らかの外部の支援とつながることができていれば、ボランティアから始めて仕事へ移行する、といったその人に合わせたゆっくりとしたペースで自立へのステップを踏めたかもしれない。

だが、30代の間は、本人も親も「結婚すれば問題はなくなる」と、問題を先送りにする場合が多い。ところが、未婚のまま40代になって、いよいよ「このままではずっと未婚・無業のままかもしれない」と親子ともども不安になり、役所に相談に来る、ということだ。

しかも残念なことに、働いている女性の方が結婚する可能性が高い。

厚生労働省が独身者のその後の10年間の継続調査を実施している(『21世紀成年者縦断調査』)が、それによると、結婚や出産する確率が高いのは正規雇用の女性だった。

非正規雇用や無業の女性は結婚する確率も低い。特に無業の場合は、無業状態が長期化する中で、社会的ネットワークも失い、出会いの機会もなくなるからであろう。

さらに内閣府の調査(『少子化と未婚女性の生活環境に関する分析』)によると、正規雇用者より無業の女性の方が「特に異性との交際を望んでいない」者の割合が高く、「いずれ結婚するつもり」という意欲を持つ者の割合も低くなっている。

なぜか無業の女性の方が、交際や結婚への意欲を失っているのである。つまり、無業の女性が結婚によって状況を変える可能性は高くない、ということになる。

無業のまま卒業する女子学生

このように、女性にとっても仕事に就き、経済的な基盤を築くことは、現在不可欠になってきている。仕事に就くことによって、経済的安定と自信を得て、社会的ネットワークを広げることが可能になり、出会いの機会にも恵まれることになるからだ。

親はいつまでも生きているわけではない。無業であることは、女性にも大きなリスクであることを、社会として認識するべきなのだ。

だが、2010年から関西の大学で教員になって驚いたのは、「結婚がゴール」「どうせ結婚するのに、勉強する意味がわからない」と言ったり、就職活動に行きづまると「したいことがわからないから、しばらくアルバイトでもいいかなあ」と、平気で話す女子学生が少なからずいたことだ。

717とはずがたり:2017/06/26(月) 16:43:53

実は大学全体で見ると、大学卒業時に無業で卒業する者は少なくない。

例えば2012年の3月に大学を卒業した女子卒業生の状況を見ると、派遣や契約社員など正規職員でない者が5.8%、アルバイトなどの者が4%、進路が不明のままか、就職もせず進学もせず卒業していった者(その多くが無業者)は15.8%もいた。

その女子学生たちは、2017年には卒業から5年経つ。彼女たちはその後、どうなったのだろうか。新卒一括採用が主流の日本では、卒業時にそのルートを外れると、正規の就職はぐっと難しくなる。

就職状況が好転した2016年3月に大学を卒業した女子でも、派遣や契約社員が4.5%、アルバイトが1.9%、無業者が8.7%であり、人数にすると約2.2万人となる。人手不足だというのに、大卒女子の約11人に1人は進路未定のまま卒業しているのである。

2016年には高校を卒業した女子の57.3%が4年制大学や短大に進学している(この他に専門学校への進学者は約20%)。もはや大学進学者の方が多数派になりつつある中で、その大学を無業で卒業する女子学生がいる。

しかも大学進学率の高い大阪では(2016年に62.6%)、同年の大学卒業生の状況は、派遣や契約社員が5.4%、アルバイトが2.3%、無業者が9.6%と全国平均を上回っている。

実は関西では大学卒業時の無業者の比率が高いだけでなく、女性全体の就業率が低い。2015年の国勢調査から25〜44歳までの女性の就業率を県別に比較すると、神奈川県が最も低いものの、兵庫県・奈良県・大阪府はそれに次いで低い。

未婚無業女性は増えている?

そこで、関西で4年制大学を卒業した後、無業状態でいる20から30代の女性9人にインタビューを試みた。うち3人は若者サポートステーションという就労支援機関の支援を受けている人であったが、他の6人はまったくどこにもつながっていなかった。

最も多かったのは、大学在学時に働くことや将来について深く考えることなく、準備なしに就職活動をしたため、就職できなかったケースである。

そのまま無業状態で30代になっている人もいた。

また初職が非正規であったり、職場環境がひどかったりなどで、仕事を辞めることになり、そのまま無業状態という人たちもいた。中には、30代後半になり、もう働きたくないという人もいた。

高学力であるがゆえに、進路に悩み、転部と転学を繰り返し、12年近く大学に通っていた人もいた。

大学をいったん卒業してしまうと、こうした女性たちを見つけ、支援するすべがない。一方、彼女たちも、無業期間が長期化するにつれ、友人との関係も切れ、社会とのつながりを失っていく。

友人たちが就職・結婚とそれぞれのライフコースを歩むにつれ、例えば「こちらから話すこともないので、メールの返事も返さない間に、連絡も来なくなる。向こうにすればこっちが無視していることになるので」と言う。

そうやって次第に彼女たちは、孤立していき、ますます誰にも相談できないままの状態が続くのである。

じつは、彼女たちのような長期間無業状態にある人たちを支援する機関もあるが、その存在は広くは知られていない。そのうちの一つ、若者サポートステーションという就労支援機関につながった人たちは、偶然のような幸運に恵まれて、支援機関につながったと言っていいだろう。

女性の活躍と言いながら、未婚で無業の女性たちが社会から気づかれないまま、見えない存在になっているのだ。インタビューした全員にはほとんど収入はないが、親元で暮らしているので、生活には困っていない。だが一人でみると貧困状態である。

「将来どうするのか」という問いかけに、「どうせ長生きしないから」、とまで答えた人もいる。しかも、親元が裕福という人はおらず、普通の世帯か、むしろ経済的には苦しい世帯もあった。

これは関西の問題だけでなく、こういう女性が全国的に増えているのではないか、と思われる。

718とはずがたり:2017/06/26(月) 16:45:32
>>715-717
表2は2015年の国勢調査の速報集計から未婚女性の労働力状況をまとめたものだ。未婚女性全体の人口は総数で示されるが、それは大きく3つ、労働力人口と非労働力人口、そして労働力状態不詳に分けられる。さらに非労働力人口は「家事」「通学」「その他」に分けられる。

この「その他」というのが働いてもいないし仕事探しもしてないが、家事もしていないし、学校にも行っていない、「無業」の人たちだと考えられる。

そういった「その他」の人たちは、25?29歳で1.7%の約3万人。30〜34歳で3%の約3.5万人、35?39歳の3.7%の約3.5万人いることがわかる(年齢が上になるほど総数が減っているのは、結婚によって未婚から抜けていくためである)。しかもその比率も人数も2010年の国勢調査の結果より増えている。

「家事手伝い」は問題がない?

さらにここにはもう一つ問題がある。いわゆる自分を「家事」つまり、「家事手伝い」と答えている女性たちである。

『就業構造基本調査』では、「家事手伝い」と答えて、働いていないという人に、さらに「なぜ無業なのか」を聞いている。すると驚くべきことに、「家事や介護のため」と答える15?44歳までの女性は2割前後に過ぎないのだ。

「家事手伝い」と言いながら、働いていない理由が「仕事をする自信がない」人が1割おり、「特に理由はない」という人が3割近くを占めている。最初に述べたように、女性は無業であっても「家事手伝い」と言えば、本人も周りも安心してしまう。だが、それではいずれ、彼女たちの人生が立ち行かなくなる。

実はこの『就業構造基本調査』を見ると、全国では大学・大学院卒で未婚無業の女性が25〜44歳の年代で約12万人いる(短大高専卒は約10万人)。そのうち2割は働くことを希望していない。働きたいという人でも、実際に求職活動をしているのは、就業希望者の7割に過ぎない。

これまで大卒の女性は恵まれた存在だと思われてきた。だが現状では、その人たちが何万人単位で、無業で未婚のまま過ごしている。

彼女たちを「自己責任だから」「見えない存在だから」とほっておかず、社会とのつながりを持てるようにし、就労意欲を持って求職活動に踏み出せるように支援することが必要だ。

あっという間に親も本人も年を重ねてしまう。貧困状態の中高年女性が増えてからでは遅いのである。

人口減少時代に掲げられた「一億総活躍社会の実現」という政策目標。労働力として注目をされ始めた女性たちの置かれた本当の姿とは?
前田正子(まえだ・まさこ)甲南大学マネジメント創造学部教授。1960年、大阪府生まれ。商学博士。1982年早稲田大学教育学部卒業後、公益財団法人松下政経塾を経て、1992年〜94年まで米国ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院に子連れ留学。慶應義塾大学大学院商学研究科後期博士課程修了。1994年〜2003年までライフデザイン研究所(現第一生命経済研究所)勤務。女性の就労や子育て支援の研究を始める。2003年〜2007年横浜市副市長(医療・福祉・教育担当)。2007年〜2010年公益財団法人横浜市国際交流協会理事長。2010年より現職。主な著書に『大卒無業女性の憂鬱』(新泉社、e-honからの購入はこちら、hontoからの購入はこちら)、『保育園問題』(中公新書)、『みんなでつくる子ども・子育て支援新制度』(ミネルヴァ書房)などがある。

719チバQ:2017/06/27(火) 19:43:31
https://www.moneypost.jp/158838
貯蓄なし世帯が30%超 「貧困化ニッポン」の実態
Tweet Facebook 2017年6月25日 17:00
 日本の家計に異変が起こっている。手取り額は過去20年間で月7万円近く減少し、エンゲル係数も29年ぶりの高水準となっている。日本の貧困化はどこまで進んでいるのか? 家計の見直し相談センター・藤川太氏が「貧困化ニッポン」の現状を解説する。
* * *
 収入が減って負担ばかりが増える──そんな「貧困化ニッポン」がひたひたと迫っている実態は、次のようなデータからも窺えます。手取り減少時代に家計で何が削られてきたかを見ると、それは顕著です。

 総務省統計局がまとめている家計調査ではお小遣いを含む「その他の消費支出」という項目があり、1997年は9万4543円でしたが、その後、減少の一途を辿り、2016年は6万1533円と20年前より3万円近く削られています。

 他にも衣服代は2万264円から1万3153円へとカットされています。つまり、お小遣いを減らして衣料品などを買い控えるなど、生活レベルを下げて我慢を強いられているのが現状なのです。

 そうなってくると、貯蓄に回す余裕はどんどんなくなっていきます。金融広報中央委員会の「家計の金融資産に関する世論調査」によると、1997年は10%だった「貯蓄なし世帯」は、アベノミクスが本格化した2013年以降、30%を超える水準で高止まりしています。

 いまや3軒に1軒の世帯で貯蓄のない「貧困化」が進んでいるのが実態なのです。問題は、それに歯止めがかかるかどうかですが、残念ながら、税金や社会保険料が今後も増大するのは人口動態からも明らかといえます。

国立社会保障・人口問題研究所の推計では、日本の総人口は2053年までに1億人を割り込み、2060年には9284万人まで減ると見られています。そうしたなか、65歳以上の高齢者は2015年の3387万人から2040年には3900万人台まで500万人も増えて総人口の3割を超え、2060年には4割近くに上る見込みです。

 一方で15〜64歳の生産人口は2015年の7728万人から2040年に5978万人と1700万人も減り、2060年には5000万人を割り込むと予測されています。このままでは現役世代の負担を増やさない限り、増大する社会保障費を賄うことができないのは必至の情勢です。

 しかも、一人ひとりの負担は着実に増えているのに、国家財政はよくなっていない。2015年度の社会保障給付費(年金・医療・介護など)が116.8兆円であるのに対し、国民から集めた社会保険料収入は60兆円余りにすぎず、その差額は公費負担(税金や借金、資産収入など)で補填しています。

 その差は今後、現役世代の負担を増やすだけでは縮まらないことも確実視されています。これまでは若者を中心に非正規雇用を増やしたり、現役世代の税金や社会保険料負担を増やしたりしてきましたが、それもやがて限界に近づき、今後は社会保障を受ける側、つまりは高齢者がターゲットになる可能性が高いでしょう。年金の支給開始年齢が引き上げられたり、介護や医療費の自己負担が増したりすることも十分に考えられます。

 そう考えていくと、皮肉なことに、その割を食うのも、将来、高齢者になるいまの現役世代となってしまいます。現役時代に大きな負担を強いられたのに、いざ高齢者になっても支払った分がもらえない恐れもあるのです。「貧困化」は今後ますます進むと見て間違いないでしょう。

【PROFILE】ふじかわ・ふとし/1968年生まれ。生活デザイン株式会社代表取締役。「家計の見直し相談センター」(http://370415.com)で個人向け相談サービスを展開する“お金のお医者さん”。『1億円貯める人のお金の習慣』ほか著書多数。

※マネーポスト2017年夏号

721チバQ:2017/06/27(火) 19:52:37
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201706/CK2017062702000243.html
「子どもの貧困」7人に1人 母子家庭「生活苦しい」82%

2017年6月27日 夕刊


写真
 厚生労働省が二十七日発表した二〇一六年国民生活基礎調査で、「子どもの貧困率」は一五年時点で13・9%(七人に一人)だった。三年おきに調査しており、過去最悪だった前回から2・4ポイント下がった。改善は十二年ぶり。厚労省は「雇用状況が良くなり、子育て世帯の所得の増加が主な要因」と分析している。ただ先進国の中では依然として高めの水準。特にシングルマザーなどひとり親を取り巻く状況は厳しく、引き続き対策が求められそうだ。
 子どもの貧困率は、平均的な所得の半分に満たない家庭で暮らす十八歳未満の割合を示す。同じ方法で算出した全世代の「相対的貧困率」も0・5ポイント減の15・6%。世帯類型別では、大人一人で子どもを育てる世帯の貧困率が50・8%と極めて高かった。
 経済協力開発機構(OECD)の直近のデータでは、加盟国など三十六カ国の平均は子どもの貧困率が13・3%、相対的貧困率が11・4%で、日本はこれらを上回っている。
 一五年時点で全世帯の平均所得額は一二年比1・6%増の五百四十五万八千円。子育て世帯は七百七万八千円で5・1%増えた。生活状況は「大変苦しい」「やや苦しい」との回答は計56・5%だった。
 子どもがいる女性のうち、仕事がある人は67・2%で、前回調査から4・1ポイント増。子どもの年齢が上がるにつれ、働く割合は増えるが、非正規雇用が大半を占める。
 調査は全国世帯(震災があった熊本県を除く)を対象に一六年六、七月に実施。世帯構成は約二十二万四千世帯、所得は約二万五千世帯から有効回答を得た。
<解説> 悪化が続いていた子どもの貧困率が十二年ぶりに改善した背景には、景気や雇用状況の好転があるとみられる。だが、ひとり親家庭の貧困率は依然50%を超えており、きめ細かい実態把握と対策が求められる。
 貧困率は所得の状況を表すものだが、今回の国民生活基礎調査でローンを含む借金や貯蓄の状況を見ると、母子家庭では二〇一三年の前回調査に比べ、「借金がある」「貯蓄がない」と答えた割合がいずれも増えた。「生活が苦しい」という割合も母子家庭では82・7%に上り、厳しい状況に置かれていることが分かる。
 政府は一四年に子どもの貧困対策推進法を一五年には生活保護の手前の人向けに生活困窮者自立支援法を施行。対策が進んでいるが、一方で見かけ上は他の子と同じような物を持っていても、百円ショップの商品ばかりといったように、現代の貧困は見えにくいと指摘される。
 経済状況だけでなく、社会的なつながりを持てているか、適切な食事が取れているか、教育の機会は均等に与えられているかなど多角的な視点で取り組む必要がある。 (共同・市川亨)

722チバQ:2017/07/13(木) 18:04:37
https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/life/toyokeizai-180022.html


"" style="background: transparent; border: none; font-size: 13px; font-style: normal; font-weight: normal; margin: 0px; outline: 0px; padding: 0px; text-decoration: none; vertical-align: baseline; opacity: 1; position: absolute; width: 360px; height: 202.5px; top: 0px; left: 0px; z-index: 0; overflow: hidden;">

妻からも見放された34歳男性派遣社員の辛酸 家賃は3カ月滞納、主食はモヤシ

05:00

妻からも見放された34歳男性派遣社員の辛酸

(東洋経済オンライン)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。今回は派遣専門の介護職員として働く、サトシさん(34歳)のケースに迫る。

通過する特急列車に飛び込もうとした。そのときだ。すぐ隣で、影のようなものが一瞬早く身を躍らせるのが見えた。スーツ姿の女性だった。今年4月、関東近郊のあるJR駅構内。まさか、先を越されたのか? 呆然としていると、あっという間に周囲は野次馬たちで騒然となった。彼らは遺体や駆け付ける駅員の様子をスマートフォンで撮影し、SNSへと投稿し始めたという。

朝から雨が降る、肌寒い日の出来事だった。派遣専門の介護職員として働くサトシさん(34歳、仮名)は、この日のことをこう振り返る。「リクルートスーツを着た、たぶん、若い女性でした。自分も自殺していたら、こんなふうにさらし者になるんだと思ったら、(死ぬのは)やめようと……。今はただ生きることを頑張る毎日です」。

貯金通帳の残高は「0円」

サトシさんとは自宅近くのファミリーレストランで会った。見せてくれた貯金通帳の残高は「0円」。今年に入ってからは日々の食費にも事欠く状態で、「主食」はモヤシと賞味期限切れ間近で値引きされた豆腐だという。スーパーの試食品コーナーを回ったり、100円ショップでそろえた釣り具で、近くの海で魚をとったりすることもある。ここ数日は、自販機の下に落ちていた100円で買ったパスタを塩ゆでにして腹を満たしている。

水道代を節約するために、用を足すときは最寄り駅に隣接した商業施設内のトイレを、シャワーは派遣先の介護施設に設置された浴室を使う。そこまでして切り詰めても、現在、アパートの家賃は3カ月滞納しており、立ち退きを迫られている状態である。

「ガスはしょっちゅう止められます。水道は最後まで止められないんですが、以前、止められたときは、警察が(安否確認のために)自宅までやってきました」


自殺未遂の話や壮絶な貧乏暮らしを語っているのに、人懐っこい笑みを絶やさない。昼時だったので、会計はこちらで持つので一緒に食べましょうと誘っても、もう済ませてきましたからと、丁寧に断ってくるところにきまじめな人柄がうかがえる。

関西出身で、元は両親と弟の4人家族。最初のつまずきは、高校卒業後に進んだ介護専門学校の実習先でイジメを受けて退学、それが原因でうつ病を発症したことだ。

ちょうど介護保険制度が始まった2000年。ちまたでは、介護専門学校が相次いで開校し、「未来のある仕事」として多くの学生も集まった。しかし、サトシさんが実習で訪れた施設は、職員のほとんどが中高年女性。事あるごとに「こんなの男のする仕事じゃない」とバカにしたように言われたうえ、さらには、声が小さいとしかられたので声を張ると、うるさいと遮られ、質問をすれば「そんなこともわからないの」と怒鳴られ、見よう見まねでやって失敗すると「こんな簡単なこともできない」と陰口をたたかれたのだという。

「男子学生がターゲットにされがちで、結局、クラスメートの4人に1人が退学しました」

介護保険制度が始まった当初は、今と比べて女性職員が多かったのは事実。それまで自身の経験や技術で現場を切り盛りしてきた彼女たちの中には、新制度に戸惑いを抱く人もおり、時にこうした感情の矛先が若い専門学校生に向かうことは、あったのかもしれない。

723チバQ:2017/07/13(木) 18:05:20
両親とは縁を切り、ひとり上京

うつ病は退学後も悪化し、ついに措置入院をすることになった。学校を辞めることに反対していた両親との関係もこじれる一方。入院中に見下したように「そこまで落ちたのか」と言われたことがきっかけとなり、両親との縁を切り、東京に出ることを決めたという。

ちょうどこの頃、小泉政権によって製造業派遣が解禁。身ひとつで夜行バスに乗り、東京・新宿に着いたサトシさんは程なく工場派遣の仕事に就いた。派遣労働の規制緩和については、不安定雇用を増やすだけだとの批判もあったが、彼は、このときが人生でいちばん楽しかったという。

「収入は(手取りで)15万円ほどでしたが、安定していましたから、仕事仲間と飲みに行く余裕もありました。3年後には正社員になれるという話もあったので、“そのときまでみんなで頑張ろう”と励まし合ったりして。フィリピン人や日系ブラジル人の同僚が“帰国したら商売を始めるんだ”“家族のために家を建てる”と夢を語るのを聞くのも好きでした」

この頃、工場で出会った女性と結婚もした。ただ、彼女の両親は、サトシさんが派遣社員であることを理由に結婚に猛反対したという。妻の実家は代々続く資産家。両親からはひたすら「派遣じゃ、いつ失業するかわからないし、給料も上がらないでしょう。将来厳しいよね」と諭された。彼らはサトシさんの人柄ではなく、「身分」にダメ出しをしたのだ。彼にできたのは、ただ頭を下げ続けることだけ。最後は、彼が妻側の姓を名乗ることを条件に、両親が折れた。後ほど彼女から「(姓が変わることで)娘の結婚を親戚や近所に知られるのが嫌だったみたい」と説明された。理由はもちろん「相手が派遣だから……」。


そして、幸せは一瞬で暗転した。娘が生まれた直後、リーマンショックに襲われたのだ。サトシさんは最悪のタイミングで派遣切りに遭った。やむなく介護の仕事に就いたものの、うつ病が再発。妻の両親からは連日のように責められ、ついには彼女からも「安定した生活がしたい」と離婚を切り出された。条件は、養育費はなし、その代わり、今後、子どもにはいっさい会わないこと。両親からは「娘と孫は責任をもって面倒を見る。孫が大きくなったら、君は死んだと説明するから」と告げられた。

「パパ」という言葉を覚えたばかりだったという娘の写真は1枚もない。未練が残らないようにと、妻がアルバムのたぐいはもちろん、携帯電話の写真データもすべて回収、削除されてしまったからだ。離婚後、1度だけ、彼女の携帯に電話をしたことがある。しかし、すでに番号が変えられていた。このとき「本当に縁が切れたんだな」と実感したという。

「子どもがおカネに困らない暮らしができるならと思って離婚しました。自分は子ども1人育てられない人間なんだと痛感させられました。結局、お義父さんの言うとおりだったんです。嫁にも実家にも迷惑をかけました」。離婚の経緯を語るサトシさんは、最後まで一言も恨み言を口にしたり、周りを責めたりすることがなかった。

難病「ギランバレー症候群」と診断

その後、しばらくはアルコールに頼るなど自暴自棄になったものの、運よく看取りケアを行う介護施設の正社員に。この施設が2年ほどで閉鎖した後は、派遣専門の介護職員になったが、毎日仕事があるわけではないので、年収はわずか100万円ほど。さらに、うつ病の影響からか、時々ひどく身体がだるくなり、思ったように動けない。生活保護の申請は取りつく島もなく門前払いされ、今年初め、ついに下半身が動かなくなり、高熱を出して玄関で倒れていたところを友人に見つかって救急搬送された。異常な状態に最初は危険ドラッグの服用を疑われたが、ほどなくしてギランバレー症候群と診断。これまでの体調不良も、この病気が原因だった可能性があると説明された。「腑に落ちた部分もありましたが、それ以上に将来の不安のほうが大きかったです」。

四肢の麻痺などを伴うギランバレー症候群はいわゆる難病だが、医療費助成の対象となる「指定難病」ではない。医師からは、生活保護を受けられるよう口添えするので、2週間は入院して安静にするよう言われたが、入院費が払えないからと、2日で退院。サトシさんは「生活保護になれば医療費はかからないのに。このときはとにかく働かなきゃ、家賃払わなきゃと、必死すぎて冷静な判断ができませんでした」と言う。

退院後、かろうじて症状は安定しているが、いつまた倒れるかもしれないと思うと、少人数態勢になる夜勤には怖くて就けない。夜勤に入れないと、派遣先を紹介してもらえず、収入は減る一方。ひもじいし、孤独だし、立ち退きの期限は刻々と迫ってくるし――。

724チバQ:2017/07/13(木) 18:06:00
こうした極限状態の中で迎えた今年4月。衝動的に飛び込み自殺を思い立った。気分転換になればと、JR駅に隣接する商業施設に出かけたのに、楽しそうなカップルや家族連れや、何ひとつ手の届かないショーウインドーの商品を見ているうちに、ふいに死にたくなったのだという。結局、すぐそばにいた女性に先を越され、自殺はかなわなかったが、もはや、喜んでいいのか、悲しんでいいのかわからない。

ここで少し政治の話をしたい。私は、リーマンショックで使い捨てにされ、いまだに人生を立て直せずにいる彼が今の政治に何を望むのか知りたいと思い、選挙には行くのかと尋ねた。すると、彼は「必ず行きます。自民党に投票します。以前は維新の党に入れたこともあります」という。工場派遣を解禁した結果、大量の派遣切りを生み出したのは自民党政権ではないのかと問いかけると、彼はこう答えた。「派遣という働き方を選んだのは僕自身ですから。それに、自民党は子どものための政策に力を入れているように感じます。娘のためにも、未来志向の政治を応援したい」。

自分たちに煮え湯を飲ませたかのようにも見える政治に文句を言うわけでもなく、、変わらず支え続ける――。私には理解できないが、実際には、飽きるほどに見かける光景でもある。

「正社員への誘い」という光明

ただひとつ、最近、サトシさんとって一筋の光明とも思える出来事があった。派遣先の施設から正社員にならないかと誘われたのだ。先日、入居者が亡くなったときの落ち着いた対処が評価されたようだという。「前に働いていた看取りケアの施設では、何人もの高齢者の最期を見守ってきました。(吐血による)血を浴びたこともありますし、呼吸困難に苦しむ人への対応も学びました。ここの看護師から“人の死を扱う仕事なんだから、自信を持ってやりなさい”と言われたことを肝に銘じています」

夜勤がこなせるか、まだ自信はない。しかし、かつて実習先でのイジメにおびえていた頃の自分とは違う。光明というには、まだ心もとない兆しだが、再生のチャンスをつかめるなら、もう一度だけもがいてみようか。そんなふうに思っている。

本連載「ボクらは「貧困強制社会」を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

725チバQ:2017/07/13(木) 18:08:01
https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/life/toyokeizai-177772.html
年収200万円、32歳男性を苦しめる「官製貧困」 「生活困窮者自立支援制度」相談支援員の悩み

06月29日 05:00

年収200万円、32歳男性を苦しめる「官製貧困」

(東洋経済オンライン)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。今回は「生活困窮者自立支援制度」の相談支援員、ソウタさん(32歳)のケースに迫る。

「月収20万円? 俺より稼いでるじゃないか」「転職先はボーナスがあるのか……。俺が代わりに行きたいよ」

「生活困窮者自立支援制度」の相談支援員ソウタさん(32歳、仮名)の心の声である。生活に困っている人たちの話を聞き、支援プランを提案するのが仕事だが、彼自身の年収は約210万円。精神保健福祉士という資格に対する手当1万数千円を除くと、毎月の手取りは、自身が暮らす関東近郊の生活保護水準と変わらない。自分より高収入の人に節約のアドバイスをしたり、担当した人の再就職先の待遇が自分より恵まれていたりといったことはしょっちゅうだ。彼はこう言って皮肉る。

「生活に困っている人を助ける仕事が、生活に困る人を生み出しているのです」

自治体は業務を外部委託している

生活困窮者自立支援制度は、生活保護に至る前の「第2のセーフティネット」として、2015年度にスタート。就労支援や家賃補助、家計相談、子どもへの学習支援など、貧困にかかわる問題をワンストップで相談することができ、窓口業務は、福祉事務所を持つ自治体が実施している。

一方、多くの自治体は業務を社会福祉協議会やNPO法人などに外部委託しており、同制度の主事業である「自立相談支援事業」を直営で行っているのは4割に満たない。委託先の窓口で対応する相談支援員の身分は公務員ではなく、委託先事業者の職員。一部は年収200万円クラスで、ソウタさんがそれに該当する。貧困問題を解決するための制度が、新たな官製ワーキングプアを生み出す温床になっているのだ。

ちなみに、官製ワーキングプアには2つのタイプがある。国や自治体が直接雇用する非正規公務員と、自治体の外部委託先の企業や事業者が雇用する社員・職員だ。前者の低賃金や雇い止めも問題だが、後者の実態はさらに劣悪である。財政難にあえぐ自治体は委託費を切り詰める傾向にあるうえ、委託先の労働実態を把握する義務もないため、一部の職場は最低賃金を下回る時給や賃金未払い、不当解雇などが横行する無法地帯と化している。

いずれにしても、生活保護水準でやり繰りしなければならないソウタさんは、1週間の食費は5000円以内と固く決めており、給料日前はコメだけで食いつなぐこともある。出費を減らすため、家賃がより安いアパートへと引っ越しもした。最近、歯の治療で奥歯を抜いたので、本当なら仕上げに「ブリッジ」を付けなくてはならないが、家計のことを考えると到底無理。いっぱい、いっぱいの生活は心の余裕も奪う。

「自分より高収入の相談者が外食をしていることがわかると、“俺のほうが切り詰めてるのに”と腹が立つし、低収入の人が来ると、“俺はまだマシだな”と安心する。担当した人が好条件の会社に就職が決まっても、喜ぶのではなく、ねたんでしまう。福祉の仕事にかかわる人間がこんなんじゃダメだと、最後はそんな自分が心底、嫌になります」

726チバQ:2017/07/13(木) 18:08:50

求人票に「賞与あり」と書いてあったが…

同制度の相談支援員として働く前は、希望する仕事に就けず、事務系の派遣社員をしていた。だから、ハローワークで相談支援員の求人を見つけたときは、ようやく精神保健福祉士の資格が生かせると気持ちが高揚したという。「求人票に“賞与あり”と書いてあったのも、とてもうれしかった。自治体の仕事なので安定しているというイメージもありました」。

ところが、ふたを開けてみると、ボーナスはなし。上司からは「業績に応じて支給する」と説明されたが、同僚でボーナスをもらっている人はひとりもいない。身分は正社員だが、年度末に自治体との委託契約が更新されなければ、自分も即失業する可能性が高い。これでは、細切れ雇用におびえていた派遣社員時代と変わらない。一方で、窓口にやって来る相談者には、ソウタさんも公務員に見えるのだろう。「あんたらだけ賃上げしやがって」などとののしられたことは1度や2度ではないという。

理想と現実のギャップに、自己嫌悪にさいなまれる日々。働き始めてすぐ、夜眠れなくなり、洗髪時に髪の毛がごっそりと抜け、円形脱毛症になった。何回か心療内科に通ったが、こちらも治療費と薬代が続かず、今は通院をやめている。

これでは、医療費が無料になる生活保護を受給したほうがよほど人間らしい生活ができる――。以前、職員向けの研修で「僕たちが生活に困ったら、誰が助けてくれるのですか」と不満をぶつけてみた。うんうんとうなずく参加者が何人も視界に入ったことを覚えている。これに対し、厚生労働省から派遣された講師はにこりともせずにこう答えたという。

「生活保護を申請してください。それから、おカネのためにこの仕事をしているのなら、ほかの仕事を探したほうがいいのではないですか」

最近、ソウタさんの失望に追い打ちをかける出来事があった。

職場の共用パソコンで調べ物をしていたときに誤って開いたファイルの中に、自身の雇用主である受託事業者が自治体に提出した見積書を見つけたのだ。そこには、1人当たりの人件費が年間約350万円、賞与2カ月との趣旨の記載があった。事業者は、実際にソウタさんらに支払っている年収よりも150万円近く高い金額で自治体と契約を交わしていたことになる。

しかし、ソウタさんはこのことを告発するつもりはないという。なぜなら、もし不正と判断された場合、事業者は契約更新ができなくなり、自分は失業してしまう。不当な低賃金に泣き寝入りするか、失業覚悟で告発するか――。そんな究極の選択の末の決断だった。

仕事には「ノルマ」もある

仕事には「ノルマ」もあるという。厚生労働省は、新規相談受付件数の目安を人口10万人当たり月24件としており、自治体からは支援員自らが要支援者を発掘して新規相談につなげるよう、ハッパをかけられるのだ。

「窓口で訪問を待つだけでなく、例えば、引きこもり家庭への訪問や、公園のホームレスとの関係づくりなどを積極的にやってほしいと言われます。自治体にしてみると、年収350万円分の仕事をしてくれ、ということなんだと思います。人手不足の問題もありますが、生活保護水準の待遇では、正直、そこまでの要求に応えるだけのモチベーションは保てません」

貧困の現場を歩いて感じることのひとつは、ハローワークの窓口や自治体の生活保護課などで、相談業務に携わる人々の待遇の劣悪さである。ハローワーク相談員の大半は1年ごとの契約を繰り返す非正規職員でたびたび雇用の調整弁にされてきたし、一部の自治体は生活保護のケースワーカー(CW)に人件費の安い任期付き職員や臨時職員を導入、行政の中でも過酷な業務を非正規公務員に押し付けようとしている。

私には、市民と直接向き合う、専門性の高い大切な仕事が、ないがしろにされているようにもみえる。鳴り物入りで始まった生活困窮者自立支援制度だが、肝心の人材の待遇を生活保護水準に置き去りにしたまま、期待した効果を得られると、国や自治体は本当に思っているのか。

727チバQ:2017/07/13(木) 18:09:30
話をソウタさんに戻す。

待遇への不満が尽きないソウタさんだが、仕事で手を抜くことはない。中でもいったんかかわった相談者への情熱の傾け方は、こちらが少し心配になるほどである。

窓口にやって来るのは、借金を抱えた人やメンタルを患っている人、家賃滞納者、DV被害者、障害者、外国人、刑務所を出所したばかりの人などさまざま。このため、連携先も自治体の福祉部門やハローワーク、不動産会社、医療機関、入国管理局、矯正施設、民間シェルターと多岐にわたる。専門知識よりは、経験と臨機応変な対応が求められるといい、自分のスマートフォンを使い、相談者と一緒に何か使える制度がないか、長時間にわたって探すこともある。職場はWi-Fi環境にないため、携帯電話は月末には決まって通信制限がかかってしまう。

また、ソウタさんは相談者の何人かと「LINE」でも連絡を取り合っている。眠れないという深夜の相談から、冷凍食品の賞味期限まで、さまざまな悩みや質問に、時に丁寧に、時に親密に答えを返している。ごくまれに家計に余裕があるとき、若い相談者を自宅に招き、食事をふるまうこともあるという。

しかし、これでは、公私の区別がつかなくなるのではないか。私がそう尋ねると、ソウタさんは「のめり込みすぎるのはよくないとわかっています。でも、この仕事にはゴールがないなとも思うんです」と言った。条件のよい就職先が見つかるなどのまれなケースを除き、相談者の貧困状態や悩みは24時間続いており、業務時間外だからシャットアウトという線引きは、自分には難しいのだという。

悩んだ末、ソウタさんは、おカネは貸さない、生活保護の不正受給など制度の悪用には加担しないといった約束を自身に課したうえで、いわゆる「共依存関係」に陥らないよう気をつけながら、相談者との交流を続けている。

「中でも、自分と似たような恵まれない子ども時代を送った人を、見過ごすことができないみたいです」

ソウタさんがそれまで避けてきた話題に、さりげなく触れた。言葉少なに振り返った彼の生い立ちは壮絶だった。

親戚の家を転々とし、虐待も受けた

父親の失業をきっかけに両親は離婚。親戚の家を転々とする中で、顔や身体に傷跡が残るような虐待も受けた。彼は多くを語らないが、高校からは生活費も学費もすべて自分で稼がなければならず、賄いがつく弁当店や居酒屋、ファミレスを中心に、時には住み込み仕事も含め、昼夜を問わず、あらゆるアルバイトをこなした。1週間の食費5000円という離れ業ができるのは、この頃に飲食店で覚えた格安レシピが役に立っている。

「荒れた時期もありましたが、大学には進学したかったので、友達と遊ぶのは受験までと決めていました」と言いながら見せてくれた10代半ばの写真。髪の色はど派手で、顔には複数のピアスがついていて、人好きのする笑顔を絶やさない現在のソウタさんとは別人にしか見えない。当時は理系の大学への進学を希望しており、成績は合格水準に達していたが、奨学金の仕組みを詳しく知らなかったという。結局、第1希望は断念、代わりに通信制の福祉系大学に進み、精神保健福祉士の資格を取った。

塾にも行けず、勉強の時間もろくに取れない逆境の下、いくら荒れても決して一線は超えることなく、目標を果たす――。頭がよく、どこか冷めたところのある少年像と、プライベートな時間を削ってまでも相談者とかかわろうとする熱血ぶりは、アンバランスにも見え、なぜか私を不安にさせる。

ソウタさんは人並み外れた意志の力で、貧困の連鎖を断ち切ったかに見えた。しかし、今再び、国と自治体が生み出す貧困に足をすくわれようとしている。現在の年収や両親の離婚のことを考えると、結婚をして子どもを持つことは「怖い」という。

生活困窮者自立支援制度の相談支援員を続ける以上、「明るい未来はひとつもない」と断言する。一方で、いつか「自分の家を持つのが夢」と語った。幼い頃から、親戚の家などをたらい回しにされ、住み込みのアルバイトを繰り返し、最近もまた引っ越しを余儀なくされた。とにかく、ひとところに落ち着いて生活した記憶がないのだ。夢を実現するため、今は毎月3万円を貯金することを目標にしている。もちろん、できる月もあれば、できない月もある。

「アパートでも、戸建てでも、田舎に自分で建ててもいい。将来、安心して暮らし続けることができる自分の家を持ちたい」。その希望だけがソウタさんを支えている。

本連載「ボクらは「貧困強制社会」を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

728チバQ:2017/07/13(木) 19:29:02
https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/life/toyokeizai-175826.html
「追い出し屋」に全て奪われた50歳男性の苦悩 家賃滞納を機に部屋だけでなく家財も失った
06月15日 05:00東洋経済オンライン

「追い出し屋」に全て奪われた50歳男性の苦悩 家賃滞納を機に部屋だけでなく家財も失った
「追い出し屋」に全て奪われた50歳男性の苦悩
(東洋経済オンライン)
現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。今回は家賃滞納で住んでいたアパートから突然、締め出され、家財を撤去されるという被害に遭ったケイタさん(50歳)のケースに迫る。

何かが違っている。家賃滞納でアパートを締め出されて1週間あまり。路上から、2階にある自室の窓を見上げたとき、違和感を覚えた。「あれ、カーテンがねぇな」。慌てて玄関まで駆けつけてみると、以前、入室を阻んでいた特殊な施錠具はすでに取り外されていた。恐る恐る扉を開けると、室内はもぬけの殻。テレビに電子レンジ、食器、掃除機、衣類、布団、すべての家財道具が持ち去れていた。

東京都内に住むケイタさん(50歳、仮名)は2年前、住んでいたアパートから突然、追い出され、家財を撤去されるという被害に遭った。「(亡くなった)両親の写真も、母の形見で僕が普段から使っていたマグカップも。すべてのものを持っていかれました。両親の写真はあれっきりだったのに」。

アルバイトや日雇い派遣で両親の面倒を見ていた
専門学校を中退後、自動車部品やコンピュータ関連などいくつかの工場に勤務。長時間残業で体調を崩したこともあったが、いずれも正社員で、生活に困らない程度の収入はあった。しかし、長引く不況で当時勤めていた工場が閉鎖、遠方への転勤か、退職を迫られる事態に。この頃、母親ががんを、父親が認知症を発症したこともあり、ケイタさんは仕事を辞め、アルバイトや日雇い派遣をしながら両親の面倒を見ることにしたという。そして、相次いで2人を看取った後、遭遇したのがリーマンショックによる派遣切りである。

ちなみに、両親の家は持ち家だったが、この家には兄とその家族が住むことになり、ケイタさんは賃貸アパートへと移った。彼は多くを語らないが、兄は両親の介護に一切かかわろうとせず、そのことをめぐって関係がこじれた。ただ、生来、他人と揉めるのが好きではない性格で、結局は兄の望みどおりに実家を譲り、代わりに一切の縁を切ったのだという。

派遣切りに遭い、賃貸アパートに移った後は、介護の仕事に就いて資格も取ったが、ストレスが多く、2年前、突然、持病の糖尿病が悪化。いったん退職して1カ月ほど自宅療養した後、別の職場を探すつもりだったが、折悪しく、正規採用の求人が見つからなかった。やむなく日雇い派遣で食いつないだが、交通費が自腹のうえ、仕事にありつけない日も多く、あっという間に、水光熱費の支払いにも事欠くようになり、2カ月分の家賃計8万円を滞納する状態に追い込まれたのだという。

追い出し行為は一方的で、性急で、悪質だった。

ある日の夕方、日雇い労働から帰宅すると、玄関に特殊な補助錠が設置され、部屋に入ることができなくなっていた。驚いて、賃貸借契約時に大家側から契約するよう求められた家賃保証会社に電話し、すでに新しい仕事を見つけたことや、分割で家賃を支払う意思を伝えたが、対応した男は早急に8万円全額を払うよう求めるばかりで、それができない場合は家財を撤去すると告げてきた。

「なーんで払えないんですかぁ」「そんなに待てませーん」という、終始こちらを見下した物言いに対し、普段、穏やかなケイタさんは家財の撤去は違法で、弁護士に相談すると語気を強めた。すると、男は「そんなの知らない。勝手にすれば」と言って、一方的に電話を切ったという。「最初から追い出しありきの対応でした」。

こうして着の身着のままでアパートから締め出されたケイタさんは、最初、ネットカフェや24時間営業のファストフード店を利用したが、所持金が底を尽いてからは、コンビニエンスストアや公園で夜を明かした。食事は、スーパーの試食コーナーで空腹を満たし、「1日1食、食べたり、食べなかったりの状態」。季節は初夏で、汗ばむ陽気の日もあったが、替えの洋服も下着も買えない。歯磨きやヒゲ剃りは公園のトイレやデパートの障害者用個室トイレで済ませたが、次第に仕事に行くどころではなくなったという。

729チバQ:2017/07/13(木) 19:33:39
それでも、そのときは「家財までは持っていかれないと思っていました」と言う。ところが、郵便物を確認するためにアパートに立ち寄ったところ、窓にカーテンがないことに気がつき、確認すると、室内は空っぽ。締め出されてから荷物の撤去まで、わずか1週間あまりの出来事であった。

現代の日本で、雨露をしのぐ住まいから突然、放り出され、家財まで奪われる――。「“まさか”という驚きと、“やられた”という怒りが半々でした。このまま路上生活になるしかないのかと思うと、惨めでしたし、不安でした」。

誰もが同じ被害に遭う可能性がある
ケイタさんの経歴を見ると、工場勤務時代の長時間労働や、親の介護のために仕事を辞めた後、なかなか再就職できない「介護離職」問題、リーマンショックによる派遣切りなど、本人の能力や努力ではいかんともしがたい社会的、構造的問題に翻弄されてきた様子がうかがえる。彼自身、「巡り合わせの悪いことが重なったという思いはあります」としたうえで、追い出し被害について「それだけに、(巡り合わせ次第で)誰もが同じ目に遭う可能性があると感じました」と言う。

話は少しそれるが、ここで、ケイタさんがリーマンショック後に就いた介護労働が抱える問題について触れておく。それは、これまでさんざん指摘されてきたサービス残業や低賃金、慢性的な人手不足などではない問題。高齢者から介護職員への「虐待」である。

ケイタさんによると、身体介助などの際、主に認知症の高齢者から蹴られたり、引っかかれたり、かみつかれたり、つばを吐きかけられたりすることは日常茶飯事。「僕ら介護職員の間では、打撲やひっかき傷は珍しくありません。かみつきによる肝炎のリスクもありますが、上司に訴えても、“うちはサービス業だから”の一言で一蹴されてしまう」。認知症ではない人から理不尽に怒鳴られたり、話しかけても手で追い払われたりすることもあるという。

確かに、マスコミなどで話題になるのは、必ずと言っていいほど職員から高齢者への虐待で、高齢者から職員への暴言、暴力に関心が寄せられることはあまりない。

介護業界で働き始めて10年たらず。ケイタさんは両親の面倒をみる中で、介護の仕事を身近に感じるようになったといい、きっかけは派遣切りによる失業だったが、転職は自然な流れだった。身体機能が回復していく入居者を見るとやりがいも感じるという。一方で、心身ともにしんどい仕事なのに、社会の評価は低く、報われない。追い出し被害に遭う端緒となった糖尿病の悪化について、彼は「(入居者による暴言、暴力をきっかけとした)精神的ストレスが原因だったのではないかと思います」と打ち明ける。

話を家賃保証会社による「追い出し行為」に戻す。

はたしてこれは許される所業なのか。結論としては、住まいからの一方的な締め出しや鍵の交換、家財の処分は原則、違法である。確かに、ケイタさんは家賃を滞納したが、関連の現行法には、相対的に弱い立場にある借り主を保護する目的もあり、相当程度の事由や裁判所からの許可などがなければ、貸し主側は借り主を簡単に追い出すことはできない仕組みになっている。もし、「滞納するほうが悪い」という自己責任論だけがまかり通れば、世の中は弱肉強食の無法地帯となり、ホームレスが急増することになりかねない。

一方、家賃保証会社がかかわるトラブルは、リーマンショックの頃から増加しているとされる。家賃保証会社は連帯保証人に代わって滞納家賃を肩代わりするほか、家賃の督促も行う。雇用や収入が不安定化する中で、アパートなどを借りる際、大家側から家賃保証会社との契約も併せて求められるケースが増えており、これに伴い、一部業者による違法行為が横行しているのだ。こうした業者は「追い出し屋」とも呼ばれ、社会問題となってきたが、直接的な法規制や監督制度はないのが実態である。

730チバQ:2017/07/13(木) 19:34:54
https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/life/toyokeizai-171536.html
広告代理店から介護に転職した男性の苦悩 正社員だがボーナスも交通費もナシ
05月18日 07:00東洋経済オンライン

広告代理店から介護に転職した男性の苦悩 正社員だがボーナスも交通費もナシ
広告代理店から介護に転職した男性の苦悩
(東洋経済オンライン)
現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。今回は中堅広告代理店をリストラされ、その後、介護の世界へと入ったノリオさん(64歳)の苦悩に迫る。

典型的な「求人票詐欺」である。

東京都内の高齢者向けデイサービスでケアマネジャーとして働くノリオさん(64歳、仮名)が見せてくれたのは、施設を運営する有限会社がハローワークに掲示していた求人票。

「就業時間」の欄に「〜17:00」とあるが、採用後に捺印を求められた雇用契約書には「〜17:30」と記されていたという。また、「休日」は「土日祝他」とあるが、実際は土日だけ。「年末年始休暇」も「〜1月4日」とあるが、休めるのは1月3日まで。「時間外なし」とあるが、残業は毎月20時間以上で、残業代は一部しか支払われない。

もはや「真実」が書かれている箇所はあるのかと突っ込みたくなる代物だが、「うそ」はまだある。

全社員が最低水準の月収19万円
「月平均労働日数」は「20日」とあるが、実際は「22日」。月平均労働日数は、時間外や休日労働に対する割増賃金を算出する際に必要な1時間当たりの賃金の基となる。労働日数が多いほど労働時間も多くなり、所定賃金から割り出される1時間当たりの賃金は安くなる。つまり、月平均労働日数が多いほど割増賃金は低くなる仕組みなのだ。また、「賃金」は「19万〜30万円」とあるが、ノリオさんが知るかぎり、すべての社員が最低水準の19万円にとどまっているという。

以前、就業時間が求人票と違うことを社長と役員に指摘したことがあるが、「わかっていて(雇用契約書に)ハンコ、押したんでしょ」と言い返された。残業代不払いについても「うちは時間ではやってないから」とかわされた。

「だまされたほうが悪いと言わんばかりでした。時間でやっていないなら、何でやっているのかと聞いたら、“件数だ”と言うんです。要はノルマ。もっとたくさんの利用者を連れてこい、ということです」

正社員とはいえ、ボーナスも、住宅手当も、交通費も出ない。仕事に必要な自転車の購入代も、電話代も自腹なのだ。「これでは生活できない」と辞めていく同僚たちは後を絶たず、ノリオさんは勤続2年半にして5人のケアマネジャーのうち、いちばんの古株になってしまった。

会社側にも社員に長く働いてもらおうとの考えははなからないようだという。最近、同僚で正規雇用のシングルマザーが非正規雇用に転換するよう持ちかけられた。シングルマザーなどの「就職困難者」を継続雇用すると、国から助成金が支給される制度があるが、転換話が持ち上がったのは、まさに支給要件を満たす雇用期間が「満了」するタイミングだった。女性が拒否すると、社長はほかの社員らに「(女性の働きぶりに)問題があったら報告して」と言ってきたという。

ノリオさんは「(解雇の難しい)正社員から非正規に降格し、その後で辞めさせようという魂胆が見え見え。降格する理由を見つけるために、私たちに告げ口させようとしているんです。彼女をクビにした後で別のシングルマザーを雇えば、また助成金がもらえますから」と言い、わが事のように憤る。

守銭奴のような経営者にみえるが、彼を絶望的な気持ちにさせるのは、多くの高齢者介護施設の実態が似たり寄ったりだという現実だ。

731チバQ:2017/07/13(木) 19:35:32

年収は900万円から200万円へ
中堅広告代理店の営業社員だったノリオさんは40代半ばで、経営悪化を理由にリストラ。その後、介護の世界へと入った。ちょうど介護保険制度が始まった2000年のことである。年収900万円から、年収200万円へという落差は衝撃だったが、仕事にはすぐなじんだという。

「最初にオムツの交換をしたときには、“こんなことまでやるのか”とショックを受けましたが、もともとおばあちゃん子で、人とかかわる仕事が好きだったので。利用者さんが話してくれる第2次世界大戦時の学徒出陣の体験談や、(移民政策が進められた中国東北部の)満州からの逃避行の話は、臨場感があって聞きごたえがあります。営業マンのころは接待漬けの毎日で、これからもこんな日が続くのかと、ふと疑問に思うこともあったんです」

エリート会社員だったノリオさんがリストラのターゲットにされた当時は、それなりに思うところもあったろう。しかし、高齢者との交流を満足気に話す様子からは、今は介護の仕事に出合えたことを幸せに感じていることが伝わってくる。

問題は労働条件である。

ノリオさんはさまざまな施設で経験を積むため、これまで5〜6回の転職を重ねてきた。結果的にまともだったのは、いちばん初めに無資格で飛び込んだ、設立から40年近い歴史を持つ社会福祉法人が運営する特別養護老人ホームだけ。

その後に勤めた土建業者が運営にかかわる施設では、当然のように「残業をするときはタイムカードを押してからにして」と指示された。また、株式会社によるデイサービス施設は、人員基準を満たしていないのに、行政側に虚偽の報告をして人件費を浮かしていた。現場の介護職員の月収は20万円前後なのに、経営者や役員だけが2倍、3倍の報酬を得ている有限会社もあった。こうした問題を施設内外で問題にしたこともあったが、改善されることはなかった。

この間、ノリオさん自身、介護福祉士やケアマネジャーの資格を取り、「施設長」などの肩書きを得たこともあったが、結局、年収が300万円に届くことはなかったという。

広告代理店を退職時にマンションを買ったため、貯えはほとんどなくなった。リストラのごたごたなどで、結婚の機会も逸してしまった。独り暮らしで家賃負担がないので、なんとか生活できているが、貯金をする余裕はない。

認知症の高齢者への「虐待」が横行
悩ましいのはカネの問題だけではない。ノリオさんは「(被害を訴えられない)認知症の高齢者への虐待が、特に若い職員の間で目立ちます」と打ち明ける。それは殴る蹴るといった暴行というより、たとえば、お笑い芸人のはやり言葉を言わせては皆でゲラゲラと笑ったり、おむつ交換のときに局部についての冗談を言い合ったりといった虐待。劣悪な待遇に対するストレス発散を兼ねた「娯楽のような軽さ」が、かえって闇の深さを感じさせる。

経済的な貧しさが、人権意識や責任感の貧しさ、やりがいの乏しさにもつながっていく。「リーマンショックのとき、介護業界を大量の失業者の受け皿とするような安易な政策が進められるのを見て、自分の仕事が雇用の調整弁にされていると感じました。これではスペシャリストが育つはずもないし、仕事に対するプライドも育たない」。

実はノリオさんは年明け以降、職場でのっぴきならない事態に直面している。

きっかけは、非正規雇用への転換を迫られたシングルマザーが労働基準監督署に駆け込んだことだった。このとき、労基署側は残業代未払いも悪質だとして併せて指導。ところが、これを受けた会社側は、あろうことか就業時間を30分延長して18時とするよう就業規則を変えてきたのだ。これまでは時間外に当たっていた時間帯を就業時間内にすれば、残業代の支払いを少しでも抑えられるとの浅知恵だが、これでは時給換算すると70円の賃下げになってしまう。ほとんどの職員がしぶしぶ了承する中、ノリオさんはこれを拒んだ。

732チバQ:2017/07/13(木) 19:36:19
ちょうどこの頃、ノリオさんはあらためて福祉学を学ぶため、4月から聴講生として大学に入学する準備を進めており、会社側から短時間勤務への変更許可も得ていた。

ところが、会社側は彼が就業時間の延長に応じないとみるや、短時間勤務は認めないと、手のひらを返してきたという。「初めのうちは社長から“頑張ってください”と言われていましたし、業務の引き継ぎも始めていたんです」。

このままでは入学をあきらめるか、会社を辞めるしかない。しかし、爪に火をともすようにして捻出した数十万円の授業料はすでに納めてしまった後である。堪忍袋の緒が切れたノリオさんは現在、地域ユニオンに加入、会社側と団体交渉を重ねている。

我慢することが美徳という価値観
一連の出来事を通し、あらためて痛感したのは、これまでの職場を含め、介護業界の仲間たちが自らの賃金や待遇改善について声を上げることに及び腰であるということだ。

声を上げないどころか、今回、会社側と交渉を始めたことについて、ある同僚からは「利用者さんのことは考えないのですか」と非難された。そのほかの同僚たちもノリオさんのことを腫れ物に触るようにして遠巻きに見ているだけだという。

いちばん悪いのは法律を守らない一部の経営者だし、それを野放しにする行政の不作為であることはわかっているとしたうえで、ノリオさんは「(介護業界には)利用者のために我慢することが美徳であるかのような価値観が強いと感じます。でも、きちんとした労働条件で働くことこそが、利用者さんのためにもなると、私は信じています」と言う。

幸い、職場で同僚たちから村八分にされ、おしゃべりができなくなったからといって嘆く年頃でもない。「声を上げられる人が上げればいい」。それが、第2の生きる場所を与えてくれた介護の世界への恩返しだと思っている。

733チバQ:2017/07/13(木) 19:37:06
https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/life/toyokeizai-169661.html
47歳難病男性が「障害者手帳」を熱望する事情 難病が原因で転職のたびに条件が悪化した
05月05日 05:00東洋経済オンライン

47歳難病男性が「障害者手帳」を熱望する事情 難病が原因で転職のたびに条件が悪化した
47歳難病男性が「障害者手帳」を熱望する事情
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現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

長年、再生不良性貧血を患っていると聞いていた。しかし、待ち合わせ場所に現れたのは、背が高く、がっちりとした体つきの男性だった。東京都内の学習塾に勤めるマモルさん(47歳、仮名)はこう言って苦笑いする。

「昔、柔道や水泳をやっていたからでしょうか。周りからは病人に見えないみたいで……。実際は、平らな道でもすぐに息切れしますし、地下鉄を乗り換えるだけで貧血で倒れそうになります。いったん出血したら止まらなくなるので、医者からはどんなに小さなケガも絶対にするなと言われています」

いつ脳出血を起こしてもおかしくない
病気がわかったのは20年ほど前。この分野の医療技術が今ほど進んでいなかった当時は、「5年後の生存率は5割」と告げられた。現在は技術が進歩したとはいえ、病状はじわじわと悪化している。最近の血液検査では、赤血球とヘモグロビンが基準範囲を大きく下回ったうえ、血液を固めて出血を止める働きをする血小板は「1万5000/マイクロリットル」と、基準範囲の10分の1に届かなった。医師からはいつ脳出血を起こしてもおかしくないと警告されている。

妻と2人の子どもがいる。主たる家計の担い手として何としても働き続けなければならないマモルさんが、今、のどから手が出るほど欲しいのは「身体障害者手帳」だという。

「ハローワークで仕事を探すとき、手帳があれば専門の相談窓口で条件のよい仕事を紹介してもらえます。でも、血液疾患の場合、手帳はエイズ(患者)にしか交付されません。一般窓口でも求人はありますが、病気のことがわかるとほとんどの会社は採ってくれない。残るのは、誰も行きたがらないブラック企業ばかりです」
障害者の雇用をめぐっては、障害者雇用促進法で企業に対し、労働者の2%に当たる障害者を雇用することが義務づけられている。法定雇用率を達成している割合は大企業のほうが高く、ハローワークのある相談員は「一般窓口に比べ、障害者などを対象にした窓口“専門援助部門”のほうがいわゆる有名企業の求人が集まりやすく、賃金や福利厚生面で条件のよい仕事を紹介しやすいのは確かです」と言う。

長時間労働や低賃金に、体力的・家計的に耐え兼ねて転職するものの、その先にあるのはさらにろくでもない会社ばかり――。「ブラックからブラックへと流され、落とされていく感じ」と嘆くマモルさんはこの20年間、そんな悪循環から逃れられずにいる。

印刷会社の営業社員だったときは、顧客の都合に合わせ、商談や打ち合わせは夕方から深夜にかけて集中したが、月収は約25万円。「残業代も深夜割増手当もほとんどつきませんでした」。塾講師として働いていたときも残業代はゼロ。社会保険への加入義務のある法人だったが、厚生年金や健康保険などは未加入だった。

外資系保険会社では社員と変わらない働かされ方なのに、雇用形態は個人事業主。完全歩合制で、辞める直前の月収は6万円だった。ある検索大手企業の関連会社でもノルマが厳しく、暴言、暴力こそなかったが連日、「もっと単価を上げてください」「できないのは君の能力のせいでしょう」と言われ、真綿で首を絞められるように退職へと追い込まれた。

ある同族経営の会社では、社長がエレベーターから降りてくるたびに社員が拍手で出迎えるという意味不明の習慣があった。お辞儀する社員らの間を歩いていく社長を見送りながら、「ここは北朝鮮かと思いました」と言う。この会社には社員はエレベーターを使ってはいけないとの「規則」まであり、体力的にもたなかった。

現在、勤めている学習塾も、パソコン関係の親会社が税金対策の一環として新たに発足させた一部門だという。正社員とはいえ、学習塾部門が廃止されれば解雇される可能性が高い。何としても採算を上げなければと、休日返上で営業のためのビラ配りに奔走している。

マモルさんが目の当たりにしてきた労働現場は、無法地帯そのものだ。政府は、残業上限「月100時間」をめぐって賛否もある「働き方改革」を進めているが、彼にしてみれば、そんなことより「今そこにある不正」を正してくれと、叫び出したい気持ちである。

734チバQ:2017/07/13(木) 19:37:31
最終面接通過後の健康診断で「不合格」
マモルさんが絶望したのは、ある会社を、最終面接を通過した後の健康診断で落とされたときだ。面接官たちの反応はよかったから、原因は健診結果にあったとしか思えないという。「僕にはハンデがあるんだと痛感しました。(就職活動において)対等な競争ができないのです。それなのに、制度も法律も助けてはくれない」。

身体障害者手帳の交付基準について東京都福祉保健局は「具体的な障害の程度や、生活への支障を見て判断している」とし、再生不良性貧血だからといって除外はしていないという。が、実際に窓口で交付業務に就いているある担当者は「再生不良性貧血の方には原則、手帳は交付していない」と打ち明けるので、マモルさんの思い込みとは言えないようだ。

また、厚生労働省障害者雇用対策課は「手帳の有無に関係なく、再生不良性貧血のような難病の方もハローワークの専門援助部門を利用することはできる」とするが、マモルさんは「求人票に“身体障害者手帳〇級以上”と書いてあるんです。相談員からも“この求人は手帳のない人には紹介できません”と言われました。これでは利用できないのと同じこと」と憤る。

マモルさんは現在、障害年金を受給しているが、支給が決まるまでの経緯も一筋縄ではいかなかった。

「初めて社会保険事務所(当時)に行ったとき、担当者から“あなた、自分の足でここまで来たんですよね。それだけお元気な方に年金をお支払いするわけにはいきません”と門前払いされました。診断書や保険関係の書類も持参しましたが、専門用語をまくしたてられ、とりつく島がありませんでした。その後、あちこち調べたところ、社会保険労務士を通して申請すると認められやすいという話を聞いたので、なんとか依頼料を工面してもう一度申請したんです。そうしたら、あっけないほど簡単に支給が認められました」

行政担当者の話を聞くかぎり、病気や障害のある人は、手厚く、公平に保護されているようにも見える。しかし、現実には、マモルさんは身体障害者手帳を持つことはかなわず、ハローワークの障害者向けサービスを利用することもできない。障害年金の支給をめぐっては危うく泣き寝入りを強いられるところだった。

「生活への支障というなら、(身体障害者手帳が交付される)発症前のエイズの人に比べ、階段の昇り降りにも苦労する僕のほうが、支障が少ないとは思えないんです。不公平だと感じます」。マモルさんは理想と現実のギャップを前に途方に暮れる。

結婚して1年足らずで病気が発覚
再生不良性貧血と診断されたのは、結婚して1年足らずの頃だったという。新婚の妻は「なっちゃったものは仕方ない」とさらりと言っただけで、その後は何ひとつ変わることなく接してくれた。子どもができたときも、どこかで調べてきたのか「(再生不良性貧血は)遺伝はしないんだって。何とかなるよ」と背中を押してくれた。専業主婦になることを望んでいたが、病気がわかってからは共働きで家計を支えている。

当時、親戚や知人が彼女に離婚するよう勧めていたことを知ったのも、ずいぶん後になってからだったという。「彼女にはっきりと言ったことはありませんが、“不良品”をつかませちゃったなという気持ちはあります。(彼女には)感謝――、それしかないですね」。

現在、一家の収入はマモルさんの月収20万円余りや障害年金、妻のパート収入などを合わせても40万円を超える程度。病気がわかる前に購入したマンションのローン月9万円や家族4人分の光熱水費、食費、通信費、各種保険を払うと、生活はカツカツで貯金はできない。最後に家族で旅行したのは6年前の東京ディズニーランド。「東日本大震災の前日だったので、よく覚えています」と言う。

子どもたちは何とか大学に進ませてやりたい。「できればそこそこいい学校に。できれば国立大学に」と希望はするものの、塾に通わせる余裕はない。長女は、地元自治体が貧困世帯などを対象に行っている無料の学習支援を受けることができたこともあり、今春、何とか希望どおりの公立高校に進学した。

735チバQ:2017/07/13(木) 19:37:58
2人の子どもたちがいずれも、遠征費や備品代などの負担が少なくて済む文化系のクラブに入っているのは、「おカネのことで気を使ってくれているのかな」とも思う。

刻一刻と体調が悪化していることは、自分がいちばん、よくわかっている。今は通院と投薬で済んでいるが、輸血が必要になる日まで、そう長くはかからないだろう。

「せめて死ぬときはポックリと逝きたい」
マモルさんは「死ぬときはひと思いに逝かなくてはなりません」と言う。団体信用生命保険に加入しており、死亡時にはマンションのローンが全額弁済されるからだ。「今よりも血液の状態が悪くなったり、脳出血を起こしたりして働けなくなってからも生き続けてしまうと、家族に迷惑をかけてしまいます」。

現在のように問題のある企業でしか働けない以上、長患いする余裕はない。せめて死ぬときはポックリと逝かなければ、というのだ。

マモルさんは駅前の待ち合わせ場所まで自転車でやってきた。自宅からは距離があり、体力的にはスクーターのほうが便利なのだが、ケガが怖くて最近は乗っていないという。帰り際、彼が自転車にまたがると、体格がいいので車両が小さく見えた。かすり傷も致命傷になりかねないので、転倒はもちろん、壁や人にぶつかってもいけない。慎重に、ゆっくりと――。駅前の商店街の人波の中へ、肩幅の広い大きな背中が吸い込まれていった。

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736チバQ:2017/07/13(木) 19:38:49
https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/life/toyokeizai-168102.html
46歳貧困男性が自己責任論を受け入れるワケ 怒りも不満もなければ夢や希望もない
04月20日 06:10東洋経済オンライン

46歳貧困男性が自己責任論を受け入れるワケ 怒りも不満もなければ夢や希望もない
46歳貧困男性が自己責任論を受け入れるワケ
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現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

「苦しまないで死ねる施設をつくってほしいです。たとえば、“何月何日に終わりにしたい”と連絡したら、安楽死とか、尊厳死とかさせてくれるようなシステム。そうしたら、電車に飛び込む人も減るんじゃないでしょうか」

千葉県の派遣社員・カズマさん(46歳、仮名)は、自身が望む「死にざま」について穏やかに語った。その口ぶりからは奇をてらう気配も、かといって絶望に打ちひしがれた様子もうかがえない。

年収は約240万円、貯金はゼロ
180センチ近い身長に、すらりとした体型。デニムとベージュのカットソーという服装には清潔感があり、白髪が目立ち始めてはいるものの、30代といっても通用しそうな見栄えである。

しかし、実際の生活は苦しい。年収は約240万円、貯金はゼロ。親から相続した木造の家屋は気密性が低く、夏は暑く、冬は寒いが、電気代を節約するため、もう何年も冷暖房のたぐいは使っていない。夏は水風呂で身体を冷やす。冬はセーターとダウンジャケットを着て乗り切るのだが、今年も両手がしもやけになったという。

一時、食費を1日300円に抑えることを目標にしていた。そのために、近所の大型スーパーの特売日に、大量の冷凍食品と、2.7リットルのペットボトルに入った1900円ほどのプライベートブランドの格安ウイスキーを買う。昼は「白米8割、残りの2割に冷凍食品のミニハンバーグとかカニクリームコロッケを詰めた弁当」を持参し、夜は夕食代わりにウイスキーを飲んで眠る。「お酒が強いわけではないので、(ウイスキーを)飲む量はそれほど多くありません。だから、1本で2カ月近くもつ。寝つきもよくなりますし、食費の節約にもなるんですよ」。

ところが、1年ほど前に急に抜け毛が増えたほか、前歯の付け根部分が虫歯になるなどの異変が現れ始めた。原因は栄養の偏りである。このため食費1日300円はいったん中断。とはいえ、今も朝はファストフードの100円ハンバーガー、昼は社員食堂の500円のカツカレー、2日に一度は夕食がウイスキーというから、食生活の改善にはほど遠い。

「最近、景気がよくなったと言われているそうですね。それが派遣の給料に反映されることはありませんが、物価が高くなったとは感じます。スーパーの精肉売り場で(値段の高い)和牛売り場のスペースが増えたと思いますし、卵の特売がなくなりました。だから、最近は卵を食べていません」

健康診断はしばらく受けていない。「悪いところが見つかったら、治療におカネがかかるじゃないですか。だったら知らないほうがいい」ということだ。

派遣の給与はよくて横ばい、残業が減った最近は右肩下がりで、自分の生活水準もそれに合わせて切り下げていくしかない。ずいぶん前に新聞の購読をやめ、最近はNHKの受信料を浮かせるため、テレビを捨てた。次は車を手放すしかないが、住まいは千葉の郊外であり、車は必需品でもある。簡単には決断できそうにない。

737チバQ:2017/07/13(木) 19:39:38
「自己責任と言われれば反論できない」
しかし、過酷な現実に反してカズマさん本人に切迫感はないようにみえる。「困っているというより、あきらめているという感じです。(日常生活や働き方への)不満や憤りはありません。自己責任と言われれば、反論できませんし、言われても仕方ないと思っています」。

彼が実年齢より若く見えるのは、あらがうことなく、早々に現実を受け入れてしまったからなのか。とにかく、貧困にあえぐ一部の人たちがまといがちな焦りや陰りを感じさせないのだ。

父親は霞が関のエリート官僚で、どちらかと言えば教育熱心な家庭で、身分証明を兼ねて持参してくれた中学と高校の卒業証書は、いずれも名の知れた進学校だった。しかし、「勉強は高校で燃え尽きた」と言い、大学は私大の夜間に進学。卒業前に就職先は決まっていたのだが、単位が足りずに留年が決まった。ちょうどバブル経済がはじけたころで、次年度の就職活動はあきらめ、卒業後はアルバイトや契約社員として働いた。

私にはそうは見えないのだが、カズマさんは「自分はコミュ障のところがある」と言う。数年間のアルバイト生活の後、人と接する機会の少ない経理業務なら向いているのではと、簿記やビジネス実務法務の資格を取って面接に臨んだが、経験のない20代半ばを過ぎた男性を正社員として雇ってくれる会社はなかった。

ならば、自営業はどうかと、将来は独立開業できるとして社員を募集していた自転車販売・修理会社に正社員として入った。ところが、そこも6年ほどで退社する。業務の一環として各地の販売店で店長として働いた際、「街の自転車屋さんは思ったよりも来店者とのコミュニケーションが必要な仕事だと気づいてしまったから」だという。

30歳を過ぎた後は、通信関連会社の派遣社員として3カ月ごとの契約更新を繰り返した。不安定雇用ではあるが、今まで雇い止めや長時間のサービス残業、パワハラといった被害に遭ったことはない。リーマンショックのときも契約は切られなかったというから、多分、まじめで優秀な人材なのだろう。

とはいえ、必要な人材をいつでもクビにできる非正規雇用で使い続け、キャリアも評価しない、ボーナスなどの福利厚生もゼロといった働かせ方は十分に理不尽だと思う。

当のカズマさんは淡々と「仕方がないことです。どうしても正社員になりたいわけでもない」と言う。彼は取材中、何度も「しょうがない」「受け入れるしかない」と繰り返した。

欲がないというのか、覇気がないというのか――。そんなカズマさんがただひとつ、意志らしきものを持って語って希望は、意外にも家族との縁を切ることだった。

「自分がこんなに欲のない人間になったのは、物心ついた頃から家族に抑圧されてきたからかもしれない」と言うから、具体的な経験を尋ねると、父親から食べ物の好き嫌いをとがめられ、風呂の残り湯に頭を突っ込まれたことが1〜2度あったことや、姉に頼まれたテレビ番組の録画を忘れたときにひどくしかられたこと、テレビのチャンネル争いに負けたことなどを挙げた。

しかし、当時は、善しあしは別にして親による体罰は珍しくはなかったし、姉とのトラブルにいたってはごく普通の兄弟げんかの域を出ないようにもみえる。

738チバQ:2017/07/13(木) 19:39:54
自宅の相続をめぐって兄弟とトラブル
両親はすでに亡く、「2人とも腫瘍っぽいもので亡くなったらしい」と言う。筆者には彼の子ども時代の経験より、親の正確な死因を知らないことのほうが驚きだった。理解できたのは、家族と縁を切りたいという彼の願望が、「憎悪」というよりは、「無関心」からくるものなのだということだけだった。

最近、両親が残した自宅の相続をめぐって兄弟ともめた。カズマさんは3人兄弟の末っ子。自宅には独身の彼が住み、評価額の3分の2に当たる金額を兄弟たちに支払うことまでは決まった。

問題は、この価格算定の基準をどうするか。できるだけ低く見積もりたい彼と、そのほかの兄弟の間で折り合いがつかなかったのだ。結局、調停を経て解決。その後、一括支払いのための銀行ローンを組み、現在は毎月約6万円を返済している。事実上の家賃である。

一連の遺産トラブルを振り返るときもカズマさんが口にするのは、兄弟への恨みつらみではなく、「これで家族の縁が切れると思って(調停を)頑張りました。ようやくしがらみから卒業できました」という安堵の言葉なのである。

家族に関心がないから、結婚願望もまったくない。これまで付き合った女性は皆、彼に結婚する気がないとわかると、自然に離れていってくれたという。

カズマさんは敬語もそつなく使えるし、話を聞いた喫茶店では、店内が込み合ってくると隣席に置いていた鞄を動かして席を空ける気遣いを見せることもできる。自炊もしようと思えばできるし、簡単な家屋の修繕や錠前の交換くらいなら自分でできるという。ただ、家族や自分自身、社会、政治など、あらゆることへの関心が薄いのだ。

海外旅行にも興味がないから、パスポートは作ったことがない。選挙にも1度も行ったことがない。選挙に行かない理由について「僕ひとりが行っても結果は変わらないのだから、やっぱり行っても、行かなくても同じ。もし、僕のような人間が全員、投票に行ったとしても投票率が上がるだけで結果は変わらない。そもそも与党にはうんざり、野党にはがっかりしています」と説明する。

「与党うんざり」の理由を問うと、彼はロッキード事件や東京佐川急便事件を挙げた。しかし、時代は大きく変わっている。そんな大規模な疑獄事件を持ち出されても違和感がある。すべての国民が社会や政治に関心を持ち、投票の権利を行使したとき、本当に結果は変わらないのだろうか。カズマさんの主張はどこかで聞いたことがあるような内容でもあり、空疎な響きがしてならなかった。

「死にたいとも生きたいとも思わない」
怒りも不満もなければ、夢や希望もない――。貧しい暮らしにも早々に順応し、あきらめる。それが、生来の性格なのか、カズマさんが言うように生い立ちに起因するものなのか、それとも、社会でもまれる中で培われたある種の防衛本能なのか。筆者にはわからない。ただ、社会を作る多くの人々は、彼のような考えなのかもしれないとも思った。

カズマさんと会ったのは、サクラが満開を迎える直前の頃だった。すべてに諦観していても、サクラは不思議と人に対して”生き死に”について語ることを促すものらしい。淡くほころび始めた並木の下、彼はこう言った。

「死にたいとも思わない。でも、生きたいとも思わないんです」

本連載「ボクらは「貧困強制社会」を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

739チバQ:2017/07/13(木) 19:40:34
https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/life/toyokeizai-165371.html
母の治療に全て捧げた55歳男性の貧困と苦悩 飲食業界を転々とし身体はボロボロになった
04月04日 11:31東洋経済オンライン

母の治療に全て捧げた55歳男性の貧困と苦悩 飲食業界を転々とし身体はボロボロになった
母の治療に全て捧げた55歳男性の貧困と苦悩
(東洋経済オンライン)
現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

誰かが痛みに身もだえている。たぶん、男だが、顔がよく見えない。「痛い! 痛い!」と訴える声が耳障りで、「やかましい!」と怒鳴りつけたところで、目が覚める――。

東京都23区に住むトオルさん(55歳、仮名)さんが、肩から指先にかけての痛みに悩まされるようになって以来、よく見る夢だ。痛みの原因について、医師からは長年、飲食業界で体を酷使してきたためだろうと言われたが、肝心の病名がなかなかわからない。

自分の声にびっくりして飛び起きる日々
「痛がっているのは僕だったという……。いつも、自分の声にびっくりして飛び起きます。そういうときは、痛みのせいで肩から先が固まった状態になっています。こんなふうに――」。そう言って、まるで手錠をかけられるのを待つ犯罪者のように両手首を体の前でそろえて見せた。

生まれ育った地方都市で調理の専門学校を卒業した後、上京。最初に勤めたそば店では毎日13時間近く働いて、賃金は額面で30万円を超えた。住み込みだったこともあり、趣味の洋服にカネをかけても、まだ、貯金に回せる余裕があった。「しだいに仕入れから仕込みまで任されるようになりました。大変でしたが、自分のペースでできるところが性に合っているとも思っていました」。

第2次オイルショックなどを経てバブル経済の足音が聞こえつつあった時代。何もかもが右肩上がりで満ちていく社会の気配は、厨房にいても感じることができ、将来は自分の店を持てると信じて疑わなかったという。

そんな中、故郷の母親ががんになった。離婚して家を出ていった父親や、長じて後は疎遠になった弟に代わり、治療や看病にかかる費用はすべてトオルさんが負担した。がん治療は上を望めば切りがない。彼は多くを語らないが、かかった費用は合わせて1000万円ほど。そば店の店主からはのれん分けを約束され、見合い相手を紹介されるほど目をかけてもらったが、貯めていた開店資金を取り崩してまで母親の面倒を見ていたことをそれとなく批判されて以後、関係がぎくしゃくするようになり、結局、十数年勤めた店を辞めた。

そういえば、当時、付き合っていた女性からは「優しすぎるんだよね」と言われて振られた。今、振り返ると「母親のことが原因だったのかもしれない」と思う。亡くなる直前、母親からも「あんたの人生を壊してごめんね」と言われた。結局、貯金はほとんど底を突いたが、トオルさんは「僕が後悔していないんだから、それでいいんです」と言う。

740チバQ:2017/07/13(木) 19:40:55
深夜勤務の間は休憩時間もなし
その後は居酒屋や弁当店などで働いた。当初は住宅手当などがつく福利厚生の手厚い職場もあったが、長引く不況とともに労働環境も劣化。ある居酒屋では、経営悪化を理由に、クビになりたくなければ、約10万円の給与カットと、社会保険の適用をなくすことに同意するよう迫られ、やむなく書類に署名したこともある。

また、ある弁当製造会社では、深夜、ミャンマーや中国出身の外国人労働者を指示しながら総菜を作ったが、賃金は12万〜13万円と低く、深夜勤務が明けた後、そのまま別の飲食店でアルバイトをして生計を立てた。ところが、会社側が無理に利益を上げようとしたため、1日の弁当製造個数が突然200個から1000個に増加。注文に間に合わせるため、夕方に追加で数時間出勤しなくてはならなくなったうえ、深夜勤務の間は休憩時間も取れなくなり、土日の休みもほとんどなくなったという。

この頃は、アルバイトも合わせると連日18時間近く働いた。夕方の追加出勤と深夜勤務の間にできたわずかな合間を縫って1日1度の食事を取り、その後、缶チューハイなど酒の力を借りて強引に数時間仮眠する。そんな生活が1年半ほど続いたが、弁当製造会社での給与は据え置き。残業代も休日出勤手当もなし、給与総額を勤務時間で割ると最低賃金をはるかに下回る「無法地帯」である。たまりかねて、同僚1人とともに個人加入できる労働組合(地域ユニオン)に相談したところ、未払い賃金などは約400万円に上ることがわかった。が、結局、会社が倒産。手にすることができたのは、たったの十数万円だった。

体に異変が現れたのは、その後に勤めた別の弁当店でのこと。主な仕事は毎日100キロの唐揚げを業務用フライヤーを使って揚げることだったが、ある日突然、右鎖骨付近がはれ上がり、首筋がつった。次第に痛みとしびれは両肩、腕、指先にも広がり、今では上着を羽織っても、電車の吊り革をつかんでも悲鳴を上げるほどだ。胸鎖関節炎、リウマチ、線維筋痛症――。さまざまな病名を疑われたが、いまだに原因は不明。医師からは「とにかく飲食業界での無理がたたったことだけは間違いないから、飲食店では働かないように」と命じられ、ここ1、2年は生活保護と週2〜3回の清掃アルバイトで生計を立てている。

トオルさんは母親の病気のことや働き詰めの日々を振り返るときも、「人生、何があるかわからないね」などと言って穏やかな表情を崩さない。そんな彼が唯一、ストレスだと訴えるのが、月1回、生活保護費の支給日に行われるケースワーカー(以下、CW)との面談だ。

「いつも“もっと仕事しろ”と言われます。こっちの話はあまり聞いてくれません」

給与明細を見せながら行われる面談は1分ほど。担当CWは同世代の女性だという。

「もっと仕事をしてください」「生活費くらい自分で稼いでもらわないと困ります」「来月は何回くらい、アルバイトに入れそうですか?」「先月、アルバイトの回数をもっと増やすって言ってたのに、約束と違うじゃないですか。どうするんですか?」

言葉遣いは丁寧だし、声を荒らげられることもない。しかし、彼が体の不調を訴えようとすると、女性は書類を閉じて立ち上がり、無言で「面談終了」を告げてくる。あるとき、隣のブースで、窮状を訴えようとしたお年寄りが孫にあたるような若いCWから「困っているのはあなただけじゃないんですよ」と遮られているのを見て以来、CWの話はただ黙って聞くしかないのだと悟ったという。

働けない人にもっと働けと言ってどうするのか――。

741チバQ:2017/07/13(木) 19:41:12
ケースワーカーの対応は「水際作戦」ではないのか?
長らくデフレにさらされてきたうえ、文句を言わずに従うのが美徳であるかのような悪しき習慣が一部に残るともいわれる飲食業界では、低賃金で限界まで働き続ける人も少なくない。トオルさんのケースは業界を象徴する問題だし、ひいてはそれを野放しにしてきた社会の責任ではないのか。何よりCWの対応は、行政が生活保護を受けさせなくする、いわゆる「水際作戦」に当たるのではないか。

私は憤りを覚え、トオルさんに水を向けてみた。が、彼の受け止め方は少し違った。

「僕も何とか働きたいんです。でも、掃除機やモップをかける動作はけっこう肩に負担がかかります。本当に体がついていかないんです。僕の周りにもうそをついて生活保護をもらっている人がいますが、まったくふざけたやつらだと思います。

飲食業界への不満ですか? 性格的に仕事が残っているとやっちゃうんですよ。(こんな働き方は)おかしいと、ちゃんと言わなかった僕も悪い。反省しています」

なるほど、トオルさんの言う「ストレス」とは、生活保護行政に対する憤りというよりは、思うように働けない自分に対するふがいなさからくるもののようだった。

少し話がそれるが、ここで生活保護についての持論を述べたい。

一定の条件下にある国民が生活保護を受けることは憲法で保障された権利であり、国の義務でもある。現在、生活保護受給者へのバッシングは苛烈だが、取材をしていると、確かに不正受給をしている人にも出会うが、一方で、受給条件を満たしているのに生活保護を受けることは「恥」だと考えて申請をしていない人にも出会う。

不正は個別に厳しく取り締まればいい。が、解決すべき構造的な問題は、捕捉率(生活保護を利用する資格のある人のうち実際に利用している人の割合)の低さである。弁護士や研究者、生活保護を受けている当事者らでつくる生活保護問題対策全国会議によると、日本の捕捉率は2割程度で、ドイツの6割、フランスの9割など諸外国と比べて極端に低い。

いくら受給者や制度をたたいても、もともと不正を働くような厚顔な人間が改心するとは思えない。むしろ、バッシングは人々に「スティグマ(世間から押し付けられた恥や負い目)」を植え付け、捕捉率の低下に拍車をかけるだけだ。そして、それは今も各地で起きている餓死や孤立死、心中といった事件を誘発することになるだろう。

「主張する弱者ほどたたかれる」
ふと、以前、ある識者が取材に対し、現在社会を取り巻く空気について「主張する弱者ほどたたかれる」と言っていたことを思い出した。過重労働の末に何百万円もの未払い賃金を踏み倒され、体を壊し、さらには生保保護のCWからもっと働けと迫られて――。それでもなおトオルさんは「反省」と「自己責任」を口にした。まるで、バッシングの標的とならないすべを本能的に知っている「弱者」であるかのように。ろくでもない社会である。

トオルさんと会った日。この日の朝も、痛みと自分の叫び声で目が覚めたという。

深夜1時すぎ、医師から処方された痛み止めや睡眠導入剤を飲むが、だいたい2〜3時間で効果が切れてしまう。そんなときは、いつも厨房に持ち込んでいたという旧式のラジオのスイッチを入れ、ニッポン放送の番組「あさぼらけ」を聞く。アナウンサーの上柳昌彦さんの落ち着いた低音ボイスを耳にすると、心身が静まるのだという。

飲食業界を選んだことも、結婚をしなかったことも、後悔はないという。ただ、生活保護を受けることも、体が動かなくなることも、すべてが若い頃は想像もしなかった、初めての経験なのだという。

「今はとにかく痛みの原因を突き止め、体を治して働きたい」

胸中の不安と戸惑いは消えない。それでも、おぼろに明けていく朝の気配を感じながら、自分の人生にも再び夜明けが訪れることを信じている。

本連載「ボクらは「貧困強制社会」を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

742チバQ:2017/07/13(木) 19:41:44
https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/life/toyokeizai-163070.html
生活保護63歳独身男性を苦しめる腰痛と貧困 定職には付けず週末の日雇いで糊口を凌ぐ
03月20日 05:40東洋経済オンライン

生活保護63歳独身男性を苦しめる腰痛と貧困 定職には付けず週末の日雇いで糊口を凌ぐ
生活保護63歳独身男性を苦しめる腰痛と貧困
(東洋経済オンライン)
現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

※筆者留学の事情により一時中断していた本連載ですが、今回から再開します。

乾燥機の中を紺色のジャージや下着がぐるぐると回っている。週に1度利用する自宅近くのコインランドリー。埼玉県内で生活保護を受けながら、独り暮らしをするタイゾウさん(63歳、仮名)は、単調な動きを眺めながらよくこんな物思いにふける。

「女房がいれば、洗濯はきっとやってくれたんじゃないか。そうしたら、私は(彼女の)そばで好きな本でも読みながら過ごしていたかもしれない。結婚、しとけばよかったなぁ……」

たそがれ時、わずかな洗濯物を抱え、痛めた腰をかばいながら猫背ぎみに歩いていく後姿は、頭髪の白さもあって実際の年齢よりもずっと年上に見えた。

高校卒業後、大学受験に向けた予備校に通うため、故郷の秋田から上京。日本はちょうど高度経済成長期の終わりに差し掛かりつつあった。結局、希望する大学には受からず、そのまま東京で働き始めた。飲食店や健康器具販売、警備会社、運送会社――。20代のころのアルバイトから最近の日雇い労働まで含めると、これまでに20近い仕事に就いてきた。

営業ノルマをこなせずに解雇されたこともあれば、人間関係に嫌気が差して正社員の仕事を自ら辞めたこともある。そうかと思うと、アルバイトとして入った会社の上司から「正社員にならないか」と誘われたことも何度かあるが、いずれも断った。

バブル景気で仕事はいくらでもあった
30代のころはバブル景気真っただ中。往時を「今とは違って探せば、すぐにまともな仕事が見つかる時代でした」と振り返り、正社員になる機会を逃したことについて「働くというのは、大きな建物のきれいなオフィスに出勤するものだという、根拠のない思い込みがあったんです」と後悔をにじませる。

「いくらでも仕事があった」時代の潮目が変わったと実感したのは、2000年ごろ。長年、倉庫整理のアルバイトをしていた会社をリストラされたのだ。気がつけば年齢は40代半ばを超えていた。以降は望んでも正規雇用の仕事は見つからず、さまざまなパートやアルバイトの掛け持ちに加え、複数の派遣会社に登録して日雇い労働をこなした。

几帳面なタイゾウさんはこの頃、勤務先ごとに労働日数や賃金などがわかる自前の「出勤簿」をつけていた。大学ノートの記録を見ると、勤め先には派遣会社のほか、場外馬券場の警備員や公園の巡回監視員、郵便局でのアルバイト、斎場の駐車場などがあり、つねにダブルワーク、トリプルワークの状態だったことがわかる。手取りに当たる毎月の「支給額」は合計でおおむね十数万円にはなったが、日雇い労働しかない月などは「勤務日数」がわずか「3日」「4日」で、手取りが3万円を切ることもあった。

家賃の安いアパートに移り、夏場の暑さは扇風機でしのぎ、冬場は石油ストーブで沸かした鍋の湯で身体を拭いて風呂代わりにするなどして電気代や水道代を節約したが、生活はカツカツ。将来への不安が募る中、ある運送会社の倉庫で、重さ50キロ近い商品のバスタブを持ち上げた瞬間、腰に痛みが走った。いわゆるぎっくり腰である。すぐに病院には行ったものの、クビが心配で会社にはしばらく報告することができず、週末に入れていた別会社の警備員の仕事もだましだまし続けたという。

その後、運送会社の担当者から「腰を痛めたその日に申告しないと労災にはならない」と言われ、困り果てたタイゾウさんは個人加入できる労働組合(地域ユニオン)に相談。言うまでもなく、会社側の説明は虚偽であり、この労組とともに交渉したところ労災は認められた。が、腰痛を抱えながら働き続けることは難しく、契約の更新はかなわなかった。このため、生活保護を申請したのだが、今度は週末の勤務先から「生活保護を受けるなら、そっちで(面倒を)見てもらえばいい」などと言われ、こちらも雇い止めされた。

743チバQ:2017/07/13(木) 19:42:01
毎月の収入は11万円前後
腰痛は完治せず、ここ5年ほどは生活保護を受けながら、週末だけ各地の住宅展示場で案内看板を掲げる仕事をしている。保護費と週末のアルバイト代を合わせて毎月手にできるのは11万円ほど。ぜいたくはできないが、「毎日、温かいシャワーを浴びられるようになった。ぜいたくなことです」。腰痛を押してでも週末に働くのは、「(国民年金の保険料を支払うことができる)65歳まで保険料を払ってできるだけたくさんの年金をもらいたいから」だという。

かろうじて生活が安定する一方で、平日は自宅に引きこもることが増えた。

「1週間くらい誰とも口をきかないことがあります。そんなときは、頭がおかしくなりそうになる。結婚? そりゃあしたかったですよ。でも、手元にまとまったカネもないような男が、結婚なんてできないと思っていました」

これまで、結婚を考えるほど深い付き合いをした女性はいないという。私が、おカネは結婚後に共働きしながら貯めてもよかったのではないか? まとまったおカネを得るためにも、「きれいなオフィス」などと言わずに正社員になればよかったのではないか? そう問いかけると、タイゾウさんはしばらく考えた末、こう答えた。

「“小学生までは女の子のほうが男の子より優秀なこともあるけど、高校くらいになるとだいたい逆転するもの”だって。刷り込みとでもいうんでしょうか。小さい頃、両親からこう言われたことが忘れられないんです」

そういえば、彼はよく「男として」という言葉を口にした。「男として家庭を持つ」「男として経済力があれば」「男としての世間体が」――。現代の若者からは一蹴されそうだが、昭和20年代生まれのタイゾウさんが幼い頃に植え付けられた「男性は女性より優れていなければならない」とも聞こえかねない価値観に縛られたとしても、それは仕方がないことなのかもしれない。一方で、彼は最近、こんなふうにも思うようになったという。

「若い頃に住んでいたボロアパートの隣人で、私よりも稼ぎの少ない男の人でも結婚して子どもを育てている人はいました。あの頃、いくら貧乏でかっこ悪くても、今、彼らには(老後の)面倒をみてくれる子どもがいる。子孫を残してる。世間的に見ても普通。結局は彼らのほうが“勝ち組”だったんだと、この年になってようやくわかりました」

子どもが老後の面倒を見てくれるとはかぎらないし、家族のあり方を勝ち負けで評価することには違和感もあるが、それでも、取り返しのつかない過去を、ただ振り返ることしかできないやるせなさは、少しわかる気がした。

それにしても、タイゾウさんが「まとまったおカネ」を得られず、結婚できなかったのは本当に自己責任なのか。何度かあった正社員になれるチャンスを棒に振ったのは事実だが、彼は決して怠け者ではない。途切れることなく働き続け、特に40歳代半ば以降は複数の仕事を掛け持ちして生きてきた。

744チバQ:2017/07/13(木) 19:42:20
1990年代初めまでは「厚生年金」に加入
タイゾウさんが見せてくれた「年金加入履歴」からは、むしろ「雇用の質の劣化」がうかがえる。1990年代初めまでは転職先ごとに「厚生年金」に加入していたことがわかるが、バブル景気崩壊以後は、国民年金加入を示す「第一号被保険者」という記載だけになるのだ。当時は非正規雇用とはいえ、勤務時間は正社員並みであるなど厚生年金の加入条件を満たしていた職場もあった。にもかかわらず、厚生年金への加入履歴がないのは、タイゾウさんの勤務先が保険料負担を避けるため、非正規労働者を厚生年金に加入させなかった可能性が高い。

その後は、短時間の仕事を掛け持ちせざるをえなくなり、厚生年金どころではなくなるのだが、月によっては合わせて30日近く働いたり、身体に負担のかかる夜勤続きだったりもした。にもかかわらず、ボーナスや住宅手当といった福利厚生はゼロ。タイゾウさんが腰を痛めたのは、こうした無理がたたったせいかもしれないのに、会社側は当初、労災を認めようとしなかった。

国や経済界は非正規労働の増加を「働き方の多様化」だという。しかし、そこまでして非正規労働を増やしたいなら、タイゾウさんが出合ったような社会保険料の負担を逃れたり、労災隠しをしたりするような企業は野放しにするべきではない。そもそも、掛け持ちしなければ生活できないような働き方が「多様化」と言えるのか。

社会や会社から絞り尽くされたようにもみえるタイゾウさんだが、本人は「年金のことも、労災のことも私に知識がなかったんです」と言って身を縮める。彼は自身を「見栄っ張り」と分析するが、私には超がつくほど「まじめ」にも見えた。

秋田に残った兄はずいぶん前に亡くなり、天涯孤独となった。もう何十年も故郷には帰っていない。最近、無性に故郷が懐かしくなることがあるが、「生活保護の身では何かと世間体が……」と言葉を濁す。年金保険料を払い終え、生活保護ではなく、年金で暮らしていけるようになってから、故郷に帰ることが、今の夢だという。

「これをもらってほしいんです」
タイゾウさんには自宅に近い私鉄駅前の喫茶店で話を聞いた。取材を終えようとしたとき、彼が「これをもらってほしいんです」と言って、私に1枚の白黒写真を手渡してきた。

河原だろうか。パーマっ気のない髪に、ずいぶん昔にはやったすその広いパンツを履いた少女たちが座って弁当を囲み、屈託のない笑顔でこちらを見つめている。その後方ではにかむ男の子が1人。太い眉毛にタイゾウさんの面影がある。高校時代の遠足のスナップ写真だという。

「知り合った人に時々、(写真を)お渡ししているんです。私が死んだという知らせを聞いた人のうち、100人に1人でいいんです。ああそんなやつがいたなと、思い出してくれる人がいればいいなと思って」

写真は彼の生きた証しなのか。果たせないことが多かった過去への後悔、朽ちていくだけの将来への怯え――。そんな気持ちが少しでもやわらぐなら、と私は写真を受け取った。

本連載「ボクらは「貧困強制社会」を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

745チバQ:2017/07/13(木) 19:42:51
https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/life/toyokeizai-173830.html
高学歴56歳男性が「孤独な貧困」に陥った顛末 「本当は東大医学部に行きたかった」と後悔
05月31日 05:00東洋経済オンライン

高学歴56歳男性が「孤独な貧困」に陥った顛末 「本当は東大医学部に行きたかった」と後悔
高学歴56歳男性が「孤独な貧困」に陥った顛末
(東洋経済オンライン)
現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。今回は双極性障害があり、生活保護を受給して生活するケンさん(56歳)のケースに迫る。

男は店先の路上にしゃがみ込み、たばこをふかしていた。猫背でひどくやせている。フィルターをつまむ指の爪は長く伸び、黒い汚れがたまっていた。待ち合わせをした人だろうか。多分、違う。なぜかそう思い、男の前を通り過ぎ、約束していたファミリーレストランへと入った。しかし、やや遅れて現れたのは、まさにその男性だった。

障害年金と生活保護費で暮らしている
ケンさん(56歳、仮名)。東京都内の私大を卒業し、何度か仕事を変えた後、介護関連会社で人事・経理の職に就いた。年収は800万円ほどあったが、繁忙期は明け方3時、4時ごろまでの残業が当たり前。40代の頃、ストレスからアルコール依存症と双極性障害を発症して失業した。その後は、ローンが残っていた持ち家を手放し、離婚、自己破産――。1人娘は親族の養子となった。現在、仕事はなく、障害年金と生活保護で暮らしている。

テーブルに着いたケンさんはやおら、元妻への批判を始めた。

「15歳年下なんです。大学の卒論を書くのを、僕が助けてあげたら、うちに入り浸るようになってしまって。できちゃった婚です。好みのタイプじゃない。家事も何ひとつ、やってくれなかったし。一度、(出演料で)小遣い稼ぎでもしようと思ったのか、テレビのゴミ屋敷特集の取材を受けていましたね。リポーターが“ああ、ゴミの中に赤ちゃんがいます!”と言っていました。離婚の原因? 僕が30歳年下の子と仲良くなったから。キャバクラで出会った子です」

元妻とは、インターネット上のQ&Aサイトを通じて知り合った。結婚生活は10年ほど。専業主婦だったが、たびたび子どものせいでキャリアを台無しにされたと不満を口にしていたという。

私「離婚の直接の原因はケンさんの不倫ということですね」

ケンさん「不倫じゃないです」

私「肉体関係はなかった?」

ケンさん「それは、ありました」

私「それは不倫と言うのでは」

ケンさん「倫理って何ですか? 彼女も別の男と関係がありました。(彼女の)SNSを見たときにわかりました。お互いさまじゃないですか」

私「……」

表情や語り口の抑揚が乏しいのは、障害の影響もあるだろう。ケンさんは時々、たばこを吸うために席を立った。いわゆる安煙草のひとつ「エコー」を、1日に2箱吸うという。戻ってきた彼に今度は子どものことを尋ねた。

高校生になる娘の親権は元妻が持つが、さまざまな事情で同居が難しくなったため、ここ1年ほどはケンさんと一緒に暮らしていた。しかし、彼が毎日、料理を作ることは難しく、食事は出来合いの総菜や弁当を別々に取ることがほとんど。会話もない日々に嫌気が差したのか、娘は突然、家を出て母親側の親戚の元に身を寄せると、そのままその親戚と養子縁組をしたという。

「(娘から)1度だけ電話があり、“養子になるから”と言うので、“そうしたければ、そうすればいい”と答えました。僕がおカネを渡さなかったことが原因だそうですが、そういうことは言ってくれないとわからない。(親戚たちが)僕を非難しているのは知ってますが、あんたたちよりは、子どものことはわかってると言いたい。絵が得意でね。将来は東京芸大に入ってほしい。写真? ないです。一緒に撮ったことがないので」

746チバQ:2017/07/13(木) 19:43:09
大事なのは娘より「日本の将来」
娘と離れ離れになって寂しいかと尋ねると、寂しくはないが、生活保護の支給額を減らされたことが不満だという。子どもを親元で育てられなかったことへの後悔や、親戚への感謝の言葉はない。面倒は見られないが、大学の進学先は気にかかる――。ちぐはぐにもみえる主張に戸惑っていると、ケンさんがなぜか突然、森友問題や憲法改正について語り出し、安倍政権の批判を始めた。

たまりかねて「日本の将来と、娘さんの将来、どちらが心配ですか?」と尋ねると、しばらく考えた後にこう答えた。「日本の将来ですね」。

悪いのは自分ではなく、周囲の人たち――。ケンさんの話は終始、そんなふうにも聞こえた。大学卒業後、いくつかの会社を辞めた理由も、上司のパワハラや、サービス残業を告発したことだという。しかし、あらゆる局面において自分だけが正しいなどということはありえない。

生活保護と障害年金を合わせ毎月17万円を超える収入があれば、なんとかやり繰りできるのではないか。足りないと思うなら、なぜ自炊をしたり、たばこ代を節約したりしないのか。年頃の娘と暮らすのに、どうして爪くらい清潔にしないのか――。気がつくと、私の質問はずいぶんと非難がましいものになっていた。

これに対してケンさんは変わらず、淡々と答える。「体調が悪いときは、本当に動けないんですよ。自炊するくらいなら、食事を抜いたほうが楽。格安スーパーで400円の弁当と飲み物を買って、1日1食という日も珍しくありません。そんなときはね、身だしなみなんて、どうでもよくなるんです」。喫煙については、「生活保護を受けていても、たばこを吸う幸せを求める権利はあります」と返された。

反論の余地がない。私には双極性障害のある知人がおり、この病気の過酷さはある程度、知っている。「動けないときは、動けない」というのは決して大げさではない。生保受給者の喫煙については、反論どころか、私の考えとまったく同じである。それに、冷静に考えると、ケンさんは生活保護費が少ないことに文句は言っても、遊興費につぎ込み、生計が立てられなくなっているわけではない。

長時間労働の犠牲者であることは間違いないが…
彼の話がすべて本当だとは思わない。一方で、介護関連会社で明け方まで残業をした後、キャバクラや居酒屋で深酒をしてストレスを発散。気がついたときには肝機能の状態を示すガンマGTP(基準値50以下)が600を超えていたことや、体重が20キロ落ちて最後には布団から起き上がれなくなったという話はリアルだった。彼が異常な長時間労働の犠牲者であることは間違いない。こうした構造的な問題に目を向けず、彼は妻や娘たちにもっと申し訳ないと思うべきで、生活保護の支給額に文句を言うべきではないなどと考えるのは、本末転倒な話だし、取材する側の傲慢だろう。

これらのことを頭ではわかっているのに、なぜこんなにも釈然としないのか。

ケンさんは取材前、私や編集部と交わしたメールの中で「学歴」を詳細に記載してきた。それによると、都内の進学校を卒業後、いったん国立大学に進み、その後で有名私大の法学部に入り直している。卒業証書も持参してくれた。本人は「共通一次(当時)は9割くらいできていたんです。本当は東大の医学部に行きたかった」と言う。「過去の栄光」は輝かしく、懐かしいものなのか。その頃に戻りたいかと尋ねると、彼はこう答えた。

「いいえ。戻れるとしたら、小学生くらいでしょうか。好きな女の子がいたんです。勉強ばかりするのではなく、彼女にきちんと気持ちを伝えていれば――。大切にしたいと思う人がいたら、もっと周りとケンカをしないようにして、体も大切にする、そんな人生を送れていたかもしれない」

ファミリーレストランを出ると、ケンさんが立ち止まり、「僕はここで」と言った。最初にたばこを吸っているのを見かけた場所である。よく見ると、灰皿が設置されている。喫煙スペースだったのだ。それでも、彼がいわゆるヤンキー座りをして煙をくゆらせ始めると、通り過ぎる人が時々、ギョッとしたような視線を投げかけていく。

貧困にあえぐ人や、障害のある人すべてが清く、正しいはずがない。いつも空腹にさいなまれ、住む場所もない――現代の貧困はそんな単純な姿をしていないことも知っている。しかし、娘より、日本の将来と言ってのけるケンさんを、私はいまだに受け入れることができない。貧困とは何か? 障害者とともに生きる社会とは? 私が思っている以上に「答え」は遠いのかもしれない。

本連載「ボクらは「貧困強制社会」を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

747チバQ:2017/07/13(木) 19:45:39
http://toyokeizai.net/articles/-/176507
スマホ販売員が風俗で働かざるをえない事情
3カ月更新の派遣で将来を考えるのは難しい
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中村 淳彦 :ノンフィクションライター 2017年06月21日
この連載では、女性、特に単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。
今回紹介するのは、家電量販店で派遣社員として働く、32歳の女性だ。彼女は足りない生活費を賄うため、風俗で働いている。



この連載の一覧はこちら
ある大手家電量販店で携帯電話販売員をする佐伯百合さん(仮名、32歳)は、清楚でかわいらしい女性だった。年齢より若く、20代半ばにみえる。2年半前に離婚、店舗近くにある県内ワンルームマンションに一人暮らしをしている。

「私は仕事をしているので、世間で言われる貧困ではないかもしれません。ですが、女が単身で自立して生きていける世の中とは思えません。いろいろ厳しすぎます」

26歳で結婚、DVとモラハラで離婚

待ち合わせ場所で会うなり、窮状を訴える。大学を卒業して上京、派遣会社に登録して販売員をする。26歳で結婚、DVとモラハラが原因で離婚し、現在に至る。給与は基本給19万円に固定残業代6万円、社会保険が引かれて手取りは21万円ほど。家賃は7万2000円。手取りから家賃を差し引いても、余裕のない生活だが、相対的貧困には該当しない。

喫茶店に入ると、周囲を見回しながらスマホを取り出す。「おカネをあと少し稼ぐために風俗始めたんです」と言い、携帯画面を見せてくれる。卑猥な単語が重なった店名のホームページに、顔にモザイクのかかったネグリジェ姿の女性が写る。ネグリジェをまくり、ヘアーを見せている。ノーパン姿の艶っぽい女性は、目の前にいる佐伯さんだった。

彼女は本業である大手家電量販店の仕事内容と、その収入に不満を持っているようだった。家電量販店1階にある携帯電話売り場で、ある大手キャリアの担当している。

「休憩がなかったり、トイレにも行けなかったり。立ち仕事で休憩なしでずっと接客。新しいiPhoneが出たときとかは、本当に朝5時から夜11時まで働き詰め。私が働いているところは人員不足もあってキツイ。現場で接客するのはほぼ全員が派遣社員で、量販店社員はレジ近くで監視しています。簡単に言えば、派遣の私たちは奴隷とか部品とか、そんな扱いです」

某家電量販店は販売する商材によって編成が分かれ、量販店社員を頂点にして厳然なヒエラルキーがある。派遣販売員の人事の権限は担当社員にあり、彼女が「奴隷か部品」と感じるように、職場はどこに配属されても総じて人間味はなく、販売店社員によるパワハラの温床となっているという。

「たとえば社員が聞いたことに対して答えられなかったら、もう明日から来なくていいよって即クビになります。私たちは“出禁”って呼んでいます。直接雇用されているわけでないから、そういう扱いが当たり前。社員の命令どおり、言い訳せず、絶対服従して動くしか選択肢がないわけです」

絶対権力のある量販店が彼女ら派遣社員に求めるのは、誠意ある接客ではなく、売り上げだ。携帯電話になると本来の目的である本体にプラスαで、何を買わせることができたかを厳しく問われる。

748チバQ:2017/07/13(木) 19:46:12
高齢者や無知な人に不要な商品を売りつける

「ちょっと前に行政指導を受けて問題になった商品があるのですが、それを売れとか。なるべく高額なSDカード売れとか、量販店のクレジットカードを作らせろとか。お客さんのほうで買いたいなと思ってもらったならいいけど、ノルマがあるのでたとえば“これを買ってくれたら、私が携帯の設定やりますよ”とか、売り場全体が変な方向に進んでいます。携帯とかパソコンに詳しい人には余計な商品を薦めずに契約をすぐ終わらせて、高齢者とか無知な人にはどんどんさまざまな物を売りつけます。私も含めてみんな嫌々売りつけています。正直、すごいストレスです」

無知な客や高齢者に売りつけやすいのは、128GBのSDカードだという。ネット通販などで買えば7000円程度、キャリア経由で買うと倍以上の金額になったりする。高齢者に128GBは必要ないとわかっていても、心を痛めながら適当な言葉を投げかけてどんどん買わせる。

派遣社員と量販店の有期雇用契約は3カ月ごとに更新される。言われたとおりに商品を売らないと、すぐに職を失い生活ができなくなってしまうという。

「無理な販売が多すぎます。クレーム対応に追われているので、数字を出せないスタッフ=結果を出さないスタッフという風に量販店の人間から見られて、みんな無理やり必要ない商品を売り付ける習慣が日常化しています。後日、説明不足だというクレームが多発して、その対応に日々追われて長時間労働になるという悪循環です」

繁忙期になると、トイレにも行けなくなる。多くの派遣販売員たちは、1日トイレに行けないので水分を採らないようにする。

「頭が痛くなって視界が揺れたり、脱水症状っぽくなったり。この前、量販店社員が実績出せなかったキャリアの営業を呼び出して、靴に強力なセメダインをつけて長時間立たせるなんてこともありました。量販店社員からのパワハラはすさまじくて、私はけっこう長く我慢して続けているけど、とても長くできる仕事じゃないです」

現在の職場を語る佐伯さんは、何度も深いため息をつき、表情は終始うんざりしていた。

23歳で社会人になってから、ずっと派遣販売員をしている。家電量販店での現在の日常にはウンザリすることばかりだが、派遣社員はどこに配属されても将来的な展望や希望はなく、日々、心を殺しながら目の前の日常を乗り切るだけとなる。

26歳。結婚すれば、違う風景を見ることができるかもと結婚をしている。たまたま酒場で知り合って、勢いで付き合った5歳上のサラリーマンと入籍。販売員の仕事は継続して、共稼ぎ世帯となった。

「延々とDVされました。記憶がないくらい嫌な思い出で、どうしてあの人と結婚したのかとかは詳しくは覚えていないくらい。結婚して同居初日で、おかしいと思いました。すごくこだわりが強い人で、料理にいろいろ文句つけて、全部手作りじゃないと嫌みたいな。私は仕事をしていて本当に時間がないし、家事も洗濯も文句言われて本当に理不尽だと思いました」

元夫と彼女は同じ週5日勤務で収入も同程度だったが、家事はすべて妻である彼女がやらされた。また、金銭管理は夫で自分の給与は全額夫の通帳に振り込まされた。母親と同じような料理を作れと要求され、給与を取られ、不満が大きくなりすぎ、だんだんと精神的に追い詰められていった。

結婚初日で不満を抱え、1カ月で軽率な選択を後悔した。元夫は結婚生活に満足していたが、だんだんと深い不満を抱える妻と亀裂が生まれる。

佐伯さんは結婚生活のストレスで、体調を崩すことが日常となった。旦那は妻の体調が悪くなると舌打ちして、実家に行くことも病院に行くことも許さなかった。

749チバQ:2017/07/13(木) 19:46:40
土下座させられて朝まで怒鳴られる

「とにかく、怒る。怒ると止まらなくなっちゃう。私はどうして怒られているのかわからなくて、いつもちょっとしたこと。会話をすると、私が発言した意図とは全然違うとらえ方をして、ずっと朝まで怒鳴り続けるみたいな。土下座をさせられる。具体的なやり取りの詳細はどうしても思い出せないけど、要は自分の思いどおりに動かないとキレて怒鳴って、延々土下座をさせるわけです」

フローリングの硬くて冷たい床に正座して頭を下げながら、朝まで怒鳴り声を聞き続ける。病的なモラハラと気づいて、いくら怒られても自分を責めることはなかったが、精神的にはとことん疲弊した。睡眠時間も減り、日常生活にも支障をきたすようになった。

「最後に朝方まで土下座させられた日、“ちょっとお腹痛いからトイレ行かせてください”って携帯を隠し持ってトイレから110番しました。助けてって警察呼びました。すぐに警察は来てくれて、別々の部屋に移されて、朝方だったので私は自分から頼んで警察に保護してもらいました。それが元夫との最後です。事情を話して仕事は何日か休んでいったん実家に戻りました。それで離婚しました。2年半前です」

実家から職場は2時間以上、とても遠くて通えない。元夫に給与全額を振り込む夫婦生活だったので、おカネはない。クレジット会社から50万円を借りて、現在居住する月7万2000円のアパートを借りた。

「もう、結婚はいいです。これから独りで生きていくって考えると、将来のことも考えます。とても人間扱いされない派遣販売員を一生やる気にはなれないし、そんな人生嫌です。何かしようと思って、離婚後からデザイン系のパソコンスクールに通い始めました」

手取りは月21万円。家賃7万2000円、医療費パソコンスクール2万3000円、借金返済2万円、光熱費1万5000円、携帯代1万円、医療費(DVの影響で精神科へ通っているため)5000円を支払うと、6万5000円しか残らない。仕事で疲れ果てるので外食が多くなる。なんの無駄使いをしなくても、おカネが足りない。

「休日にテレアポのバイトを試してみたけど、疲れるし、稼げないしダメでした。それで数カ月前、サイトで仕事を探していたら人妻風俗ってあるのを見つけて、悩んだけどやってみようって応募しました」

佐伯さんは年収300万円。女性の平均年収276万円(国税庁平成27年分民間給与実態統計調査結果より)より若干高い。元夫も含めた性体験人数は5人で、最終学歴は大学卒、今までに風俗や水商売経験はない。どこにでもいる普通の女性といえる。

日本は高齢者優遇や雇用政策の影響で晩婚化が進み、離婚も増えている。現在、働く時間の融通が利く性風俗は、彼女のような普通に働いても普通に暮らせない女性を続々と飲み込んでいる。風俗嬢の8〜9割は正業を持つ女性のアルバイトと言われていて、その多くは佐伯さんのような一般女性なのだ。

「人妻デリヘルですね。指定されたラブホテルに行って、水着とかナースとかセーラー服とかコスチュームの指定があって、男性がシャワー浴びている間にコスチュームに着替えて待つ、みたいな。基本的にもう相手の好きなようにさせています。店長に“未経験だったら相手に任せて、ダメなことはダメって言っていいよ”って言われているので、そのとおりにしています」

彼女は現在、休日のたびに風俗店に出勤して、見知らぬ男性たちと性的類似行為を繰り返している。風俗で稼いだおカネをメモしていた。見せてもらう。4月2日23500円、4月5日22500円、4月11日20500円、4月14日14500円、4月18日22500円、4月26日23500円。4月は12万7000円を稼いでいる。佐伯さんは、なぜか風俗の話になってから表情は明るい。

「本業と違って、風俗は自分が頑張っただけ、明確に収入が増えるのでやりがいはあります。派遣販売員はどんなに自分が、自分たちのコーナーでいちばんの成績を取ったとしても、1円の還元もない。派遣なので昇進も、人脈が広がることはない。ただただ社員に怒られないで、明日も仕事ができるってだけ。そういう意味では、風俗は自分が評価される。楽しいです。勤めているお店は働いている女性が多い。いつも待機所に人が入りきらないくらい女性がいます。みんな普通の女性ですね」

750チバQ:2017/07/13(木) 19:46:50
仕事をしながら働けるのは風俗だけ

現在の収入は、手取り21万円に風俗で稼いだ12万円を加え、月33万円。休日を潰して風俗バイトに勤しみ、性的行為を繰り返して、ようやく男性の平均賃金(520万5000円、国税庁平成27年分民間給与実態統計調査結果より)に近づくという計算だ。

「結婚生活のとき、本当に男女が不平等だと思いました。これから独りで生きていくとなると、女性に与えられる賃金では生活はできません。雇用の保証もないし、何度も絶望的な気分になりました。仕事をしながら働けるのは風俗だけだし、風俗はずっと続けようと思っています」

佐伯さんは、童顔で清楚でかわいらしい。とても30歳には見えない。職場ではまじめなベテラン販売員で通っているようで、風俗勤めをしているとは誰も夢にも思わない。

卑猥な単語が重なる風俗店のプロフィールを、もう一度見せてもらう。「若くかわいらしい若妻、正真正銘の素人さんです。美形でお色気も満点!すぐに吸い付きたくなるようなプルンとしたオッパイはたまりません!!スタイル抜群で甘えん坊♪♪」と書いてあった。

経済的な行き詰まりは、すぐに風俗の女性たちの傾向に現れる。もう10年ほど前から、裸の世界は彼女のような普通の女性ばかりだ。女性の平均年収を稼ぐ佐伯さんが、生活に苦境に感じて風俗で働く――その現実は、現在の日本の苦しい状況を写し出す鏡といえる。

751チバQ:2017/07/13(木) 19:48:05
http://toyokeizai.net/articles/-/166937
一流大卒「官僚の元妻」が貧困に苦しむワケ
15年前の離婚を機に転落が始まった
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中村 淳彦 :ノンフィクションライター 2017年05月25日
この連載では、女性、特に単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。
今回紹介するのは、一流大学卒でキャリア官僚元夫人という経歴をもつ55歳の女性。彼女は離婚を機に貧困に陥った。



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「人生、何もかも、うまくいきません……」

東京下町。植草紀子さん(仮名、55歳)は、待ち合わせ場所で顔を合わせるなり、深いため息をつく。表情は疲れ、「美容院に行くおカネがない」ので毛髪はボサボサ。白髪が多く、年齢よりも老けて見える。15年前に離婚、それから転落の一途をたどっているという。

近くに生活する部屋があるというので、見せてもらう。数分歩き、商店街の外れにある小さな学習塾で立ち止まる。建物は木造。小中学生向けの小さな学習塾の中に入り、教室を通り抜け、はしごを上る。なんと学習塾の屋根裏に6畳ほどのスペースがあり、現在、そこに居住しているという。きれいに整頓されているが、狭すぎて満足に生活できる空間ではなかった。高さは女性がギリギリ立てる程度の160センチほど。さらに屋根の形に沿って傾斜している。

違法建築の「屋根裏」に住む

「学習塾の経営者とたまたま知り合いで、塾の手伝いをすることを条件に住まわせてもらっています。2年前、妹の家を追い出されて路頭に迷っているとき、助けてもらいました。屋根裏の部屋は違法建築、出入口ははしごだけ。天井の斜めに沿って足を向ければ、眠れます」

元夫は、なんとキャリア官僚。離婚前までは世帯年収2000万円を超える富裕層で、長年、海外に赴任していた。部屋に昔の写真があった。色あせた紙焼き写真には、きれいに化粧して着物やドレス姿で華やかに着飾る30代の植草さんの姿があった。

華やかなドレスを着ていた植草さんが違法建築の屋根裏に住んでいることのギャップに驚く。明らかに普通の生活を送れていない植草さんは、本人が言うように本当に「転落」していた。

「今がどん底の状態です。今月も電気代とガス代を払えませんでした。ガスはカセットボンベがあるので、何とかなりますが、情けないです。生活は本当に苦しい。それに苦しさは、誰にも話せない。友達だとどうしても同情されてしまうし、同情されても何も解決になりませんし」

外見は疲れていたが、仕草やしゃべり口調に当時を思わせる育ちのいい品性を感じる。

ビジネスホテルの夜勤と学習塾のダブルワーク

今年1月までビジネスホテルの夜勤と、居候する学習塾でのダブルワークをしていた。夜勤は最低賃金に近い給与で、夜10時〜朝8時勤務で日給1万円程度。週3日で12万円ほどになった。もうひとつの学習塾は学生講師の欠勤の穴埋めや清掃をして、平均して月7万円程度を稼いだ。しかし、3カ月前にビジネスホテルに退職を説得されて仕事を失う。理由は夜勤に若い女性が入職したこと。収入は月7万円のみになり、現在は経済的に窮地に陥る。月々の電気代もまともに支払えなくなった。

「電気が使えないと、屋根裏の部屋は真っ暗。小さな窓がひとつだけで、もう本当に暗闇です。情けなくなります。私の人生、どうしてこんなことになったのだろうって。自分自身ではそこまで転落した理由が、わからないのです。気づいたら転がり落ちて、真っ暗な部屋にいました。ホテルを辞めさせられてからは、食べ物も満足に買うおカネがない。食べないと生きていけないので、閉店間際にスーパーに行って、安くなった食べ物を1日1食とか。ガスボンベを使って野菜を煮るとかしています」

年収換算すると84万円しかない。家賃がかからなくとも、最低限の生活すらできようがない。電気を止められると、暗闇に近い冷暖房のない部屋で何日も過ごす。冬になると凍えそうになり、毛布をかぶって朝を待つ。

生命の危機を感じて、一刻も早く仕事を見つけなくてはと思った。ビジネスホテルの仕事を失ってから3カ月、ハローワークやフリーペーパーで求人情報を探し、手当たり次第に応募している。

752チバQ:2017/07/13(木) 19:48:33
「これ見てください。全部、不採用の通知です。メールもたくさんです」

テーブルの下にА4サイズの書類の山があった。本当にすべてが不採用通知で、メールと合わせると50社は超えていた。履歴は華麗だ。都内にある偏差値70を超える超一流大学を卒業、上場企業に就職。そして、結婚して夫の海外赴任を機に退職する。資格は英検1級。職探しの面接では、そのままの履歴書を提出している。

「最初は得意の英語を生かせる仕事をしたいという希望がありましたが、そんな仕事はありません。だいぶ前にあきらめました。だからホテルの日勤夜勤、近所のスーパーのレジ、コンビニの夜勤、働ければなんでもいいです。でも、全部断られました。本当に全部が全部不採用。年齢以外の理由は、わかりません。もうこのまま死ねってことかもしれません。絶対に採用を断らない風俗店が鶯谷にあるみたいで、最近はそこに応募するか真剣に悩んでいるくらいです」

真剣に「風俗」と言っているので、55歳で風俗嬢になっても何も解決しないことを伝えた。おカネにならない。「……そうですか」とため息をついていた。

「結局、私が積んできたキャリアは、元夫と結婚して海外に行っている間に、ないも同然になったということです。その現実は自覚しているので、キャリアがどうこうより、生きていくおカネを稼ぐ、今望んでいるのはそれだけです。時給換算して、何時間働けば月にいくらになる、来月も生きていけるという安定が欲しい。英検1級すごいね、〇〇大学卒すごいねって言われても、まったく仕事がないので意味ありません」

小さな窓がひとつしかない学習塾の屋根裏に、明日がまったく見えない中年女性の厳しい現実があった。

屋根裏部屋は狭く、暑い。換気もできないので、複数の人間が長居できる場所ではなかった。駅前に戻り、どうして苦しい現状を迎えることになったのか聞く。

「本当に甘やかされて育ちました。バブルでしたし。父親は大企業勤めで、おカネはあって、ピアノが欲しいって言ったら翌日ピアノがあったり。大学も“おまえにぴったりの大学がある”と父親が言うので、そこに進学しました」

同級生の彼氏がキャリア官僚に

大学で同じクラスにいたのが元夫だった。在学中から付き合う。卒業後、彼女は外資系の民間企業に就職、元夫は中央官庁のキャリア官僚となった。結婚し、28歳のときに長女、32歳のときに長男を出産する。海外赴任が決まり、会社を辞めた。

「向こうは家賃が高くて月80万円ほどしました。ただし海外赴任は家賃も含めて手当がたくさんつくので、年収2000万〜2500万円くらいだったと思います。夫婦関係がおかしくなったのは、私の母親ががんになってからです。日本と赴任先を行き来するようになって、私は家庭が不穏になっても母親の看病を優先しました。それで元夫の心が離れちゃったのです」

がんの母親のために何でもしようと、医師が勧める先端医療を全部母親に施した。医療費は極めて高く、2年間で1000万〜1500万円ほどを母親につぎ込んだという。

「全部、夫のおカネです。最初は“手術どうだった?”って心配してくれたけど、だんだん“もう、戻ってきてもいいんじゃないの”って。そのときは、母に何でもしてあげたくてたくさんおカネを使いました。最先端医療と言われるものも試しましたし。夫に甘えて母親の治療をやりすぎて、家庭も二の次にして、最終的に離婚したいと言われました。40歳のときです」

753チバQ:2017/07/13(木) 19:48:56
いくらおカネをつぎ込んでも、がんは進行するばかりだった。最初は見守っていた元夫も、やがて「人間はあきらめることも大切」と言うようになった。それでも夫の元に戻らずに治療を続けた。あらゆる手段を尽くしたが、母親は亡くなった。夫婦仲は戻ることはなく、数カ月後に離婚届けにハンコを押した。

長女は父親と海外に残り、長男は植草さんと帰国して日本で暮らすことになった。日本でシングルマザー生活が始まった。

「前にいた会社の社長がいい人で、戻っていいってことになりました。でも出戻ると、昔と状況が全然変わっていた。とにかく長時間労働で、朝から終電が当たり前。2年間くらい続けましたが、まだ小学生だった長男が“どうして帰って来ないの”“どうして僕ひとりなの”という状態になってしまって、会社は辞めました。家庭の事情を考慮してほしい、ということを言える雰囲気ではありませんでした」

受験戦争に勝って一流大学を卒業し、社会人としても得意の英語を武器に結果を残した。海外経験もあり、それなりに仕事はできる自負はあった。夫に離婚を切り出されたとき、自分ひとりでも働いて長男を育てることができると思った。最初は何も不安はなかった。

東京で家賃8万円の部屋を借り、長男と2人暮らしを始めた。手取り26万円程度の給与に児童扶養手当4万2000円、夫からの養育費月7万円。経済的に困ることはなかった。しかし、子育てと両立できず退社。それから深刻な貧乏、そして貧困が始まる。

英語を生かせる仕事は「学習塾」だけ

「40歳過ぎて正社員の仕事はまったくありません。英語を生かせる仕事は学習塾しかありませんでした。学習塾で講師をするようになって、年収は3分の1くらい。それから生活するおカネが足りなくなりました。小学校の給食費が払えなくて頻繁に小学校に呼びだされたり、家賃を滞納したり。子供の頃から貧乏の経験はないから、おカネがないという生活は初めてです。どうしていいかわかりませんでした」

学習塾は1コマ1500円程度の収入。頑張って働いても月10万円ほどしか稼げない。毎月数万円が日常的に足りなくなった。

「家賃が払えなくなって、追い出された。長男が中学2年のときから妹夫婦と私と長男で一緒に暮らし始めました。月15万円の一軒家で、私は5万円を負担して食費はそのたびみたいな共同生活です。しばらくは普通に暮らしましたけど、長男が公立高校に落ちて私立高校に進学したのです。同時期に元夫から日本に戻って収入が減るから養育費を減らしてほしいと言われて、家計は本当に苦しくなりました」

私立高校の学費は入学時100万円の納入を求められて、授業料は毎月4万円ほど。養育費が7万円から4万円に減り、しばらくすると元夫からの振り込みはなくなった。長男の高校進学から本格的に生活費に困るようになった。入学金は海外時代に持っていたブランドバッグや、母親の形見の宝石を売ってなんとか切り抜けた。しかし、その後に悲劇があった。

754チバQ:2017/07/13(木) 19:49:14
「カードを不正に使用される詐欺のような被害に遭い、借金を背負ってしまった。本格的におカネが足りなくなって、毎月何万円かを妹から借りるようになった。それで姉妹関係はおかしくなりました。最終的にはもう一緒には暮らせないということになって、長男の卒業と同時に追い出されました」

長男は奨学金を借りて、地方の私立大学に進学する。学習塾時代の経営者に家のない苦境を相談したら、屋根裏のスペースを提供してくれた。3年半前のことだ。

長男は親元を離れて大学近くのシェアハウスで生活する。長男が大学に入学してからしばらくした頃、成績が悪かった。執拗に注意をしたら「もう、俺にいっさいかまわないでくれ」と絶縁を突き付きられた。長男とはそれから2年半、会っていない。連絡先も住所もわからないという。日本に戻ってきた長女とも久しぶりに会ったが、弟のことで口げんかになり「親と認めてないから」と突き放された。

「屋根裏で暮らすようになってから、年に数回、電気が止まります。真っ暗なところで自分を振り返るのですが、いったい自分の人生ってなんだったんだろうって、いつも思います。家族は崩壊して、子供にも姉妹にも見放されて、レジ打ちの仕事すらさせてもらえない。こんな生活がこれからずっと続くと思うと、気が滅入ります」

話は終わった。一筋の希望すらない厳しい現状があった。

働く意欲はあっても仕事はない

「屋根裏の生活はツラい。狭くて満足に立ち上がれなくて、冷暖房のない暑いし寒いという生活は、私も人間なのでツラいです」

最低限の生活を送れていない。母親のがんの治療に執拗にこだわったことがきっかけで自分の家庭が崩壊し、最終的には仲がよかった妹にも、懸命に育てた長男にも見放された。

「苦しくても、誰も助けてくれない。それに屋根裏から抜け出したくて、どんなに働く意欲があってもどこにも仕事はない。海外にいるときは、20万円を稼ぐのがこんなに大変なこととは思いませんでした。今は1週間後の想像すらできません」

現在進行形でパートを断られ続けている。一昨日もファミリーレストランから不採用の通知があった。

「学習塾は私が住み込み、講師のピンチヒッターや清掃をしているから都合がいい部分もあります。ですから、外に出て普通の暮らしをしたらクビになるかもしれません。若い頃からそれなりに一生懸命勉強して、成果も残した。社会人になってからも、頑張っていました。日本は専業主婦を経験した女性やシングル家庭に厳しすぎます。最低限の暮らしもできないのですから」

最後、小さな声でそう言っていた。家族を失い、キャリアを誰にも認められず、とにかく苦しい。経済的に追い詰められて、自分自身から表情が失われていくのがわかる。最後に少額だが謝礼を渡すと「これで電気代が払えます」と、今日初めて笑顔を見せてくれた。

本連載では貧困や生活苦でお悩みの方からの情報をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

755チバQ:2017/07/13(木) 19:50:10
http://toyokeizai.net/articles/-/166937
売春で学費を稼ぐ貧困女子大生の悲しい現実
カラダを売らないと学生生活を維持できない
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中村 淳彦 :ノンフィクションライター 2017年04月12日
この連載では、女性、特に単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。
今回紹介するのは、児童養護施設育ちで私立大学に通う20歳の女性。彼女は売春で学費と生活費を賄っている。


東京・池袋。中堅私立大学の夜間部に通う、菅野舞さん(仮名、20歳)と待ち合わせた。文化系サークルに所属し、昼間は中小企業でデータ入力のアルバイトをする。アルバイトは時給1000円だ。後期試験が終わった晩冬は、稼ぎ時となる。いつものように夕方までアルバイトし、さらに20時からお小遣いをくれる中年男性に会う。

「その男性に合わせるからわからないですけど、たぶんエッチもすると思いますよ」


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彼女は当たり前のように、そう言う。風貌は茶髪、地味な服装で、どこにでもいる普通の女子大生だ。大学近くの家賃7万円のアパートに1人暮らし。親はいない。児童養護施設育ちで仕送りはなく、どうしてもおカネは足りない。悩んだ末に大学1年春から性風俗、そして2年から特定の中年男性を相手に売春する。

「仕送り」額は減少を続けている

彼女は今年1月25日にアップされた記事(21歳医大生が「売春」にまで手を染めた事情)を読んで、われわれに連絡をしている。

「あの医大生の女の子の記事に対して非現実的、ウソみたいなコメントがたくさんあった。私もそうですけど、今の大学生とか若い子たちの中では、効率的におカネを稼ぐ、稼がざるえないって環境って普通にあることじゃないですか。全然、特別なことではない。だから、私も今の状況を話したら、作り話とか言われるのかなとか。そういう興味で連絡しました」

現在、私大生の貧困は深刻だ。全学生の51.3%(平成26年度学生生活調査)が奨学金を借り、親からの仕送り額は減少を続ける。自宅外学生の親の仕送り額は、1994年の12万4900円から2016年には8万5700円と減少し(東京私大教連調べ)、仕送り額から家賃を引いた平均生活費は1日当たり790円となっている。

親元を離れる地方出身の大学生、特に私大生はアルバイトをしないと生活どころか、生きていけない状況なのだ。そのような厳しい状況の中で、親世代の世帯収入は下がり続け、学費の上昇は続き、授業の出席は厳しい。経済的に追い込まれている大学生を理不尽に使うブラックバイトが大問題となっている。現在の大学生には、“レジャーランド”と揶揄されたかつてのように遊びほうける余裕はない。

「詳しくはないですけど、コメントされている方々の時代は恵まれていたんですよね。だから、学生が風俗に身を落とす意味がわからないというか。風俗で働いていると、中年のお客さんですごく見下してくる人は多い。“どうして、こんな仕事をするの? ブランド物が欲しいの?”みたいな。そんなのおカネのために決まっているじゃないですか。わからないなら、わからないで別にいいし、理解してほしいとも思わない。けど、違和感はありますよね」

菅野さんには、親はいない。仕送りはゼロ円だ。大学を卒業するためには、4年間の学費と生活費のすべてを自分で稼がなければならない。高校2年生のときに進学を決意して、アルバイトをして貯金した。高校と児童相談所の反対を押し切って、上京。受験して、進学した。夜間部を選んだのは授業料が安いからだ。

756チバQ:2017/07/13(木) 19:51:03
入学してすぐに風俗に行った

一般的な大学生が時給アルバイトで稼げるのは、せいぜい月10万円が限界だ。菅野さんの収入は奨学金と合わせて月16万4000円、家賃を支払ったら残るのは9万円程度。そこから携帯、光熱費、交通費、食費を支払えば、おカネはほとんどなくなる。親のいない彼女は、さらに学費がかかる。

「アルバイトだけでギリギリの生活はできます。けど、どうしても学費が払えない。それは高校生の頃からわかっていたことなので、1年生の春には風俗に行きました。池袋のデリヘルです。1本1万円の店で、出勤は週1日くらい。稼げるのは月6万〜10万円程度かな。風俗で稼いだおカネは、全部貯金して学費にしました」

地元は地方。経済的に無理して上京、進学した。それなりに覚悟があったので、18歳で風俗嬢になっている。その事実を淡々と語るが、知らない男性に性的サービスをする風俗の仕事は精神的に厳しいという。

「1日出勤するだけで精神的にきます。もう、次の日は動けなくなるほど、疲れる。割に合わないです。やっぱり後ろめたさがあって、おカネのためだから仕方ないとか、売れるもの売って何が悪いっていう言い分もあるけど、やっぱり社会的に認められていない一面が居づらくさせるというか。知らない男性を相手に、こういうことしなくちゃ自分は生きていけないって現実が苦しい。あと、カラダが痛い」

デリヘルが提供するサービスは疑似性行為である。知らない男性を相手に会話して愛撫され、欲望の的にされる。精神が削られるだけでなく、10代のまだ成長途上のカラダも疲弊したという。

「つかみ方がひどい人とか、あとヒゲでこすられて痛いとか。胸の上とかすれて、血が出たりすることもあって、すごく疲れるし、1日働いたら次の日はアルバイトに行くのがツライ。カラダを休めたいけど、そんな休んでいる時間はないし。それで、大学の友達からTwitterで男性を探す方法を教えてもらった。まあ、売春ですけど、今はSNSで男性を見つけておカネをもらっています」

この数年、Twitterで援助交際や売春相手を探すことがはやる。未成年の少女が手を染めるケースも後を絶たない。売春防止法違反の容疑で、不特定多数に売春を勧誘した未成年少女が逮捕される事件も起こっている。

「違法ってことは自覚しています。とりあえずTwitterで援助用のアカウントを作る。パパとかパパ活とか援助とか、そういうタグをつけてつぶやく。自然とフォロワーが増えて、どんどんダイレクトメッセージがくる。買いたいって。この人だったら大丈夫かなって人と会う。私だけじゃなくて、そういうアカウントは何千、何万ってありますよ。エッチするときは3万円以上欲しい。1年間くらいやって何人か定期的な人ができました。風俗よりも楽チンです」

彼女はTwitterで3つのアカウントを使い分ける。ひとつは本名で自分の大学名や所属を出す、もうひとつは風俗嬢の名前で愚痴をつぶやく。そして、もうひとつが援助用のアカウントだ。それぞれにまったくつながりはなく、書いている彼女以外には同一人物であることはわからない。

DMの文章を見て「相手」を選ぶ

「メッセージがきたら、言葉遣いをみる。文章がちゃんと書けているかって。普通の人を選びます。あとはおカネを稼ぐことだけが目的なので、10代とか20代前半の若い人は無視。若い人はおカネがないだろうし、値切られたり、恋愛みたいなことを求められるかもしれないから。知らないおじさんと会うのは、嫌だし、怖い。けど、仕方ないことです」

現在、特定の中年男性が3人いる。それぞれ求められる日数が違う。時間を見つけて待ち合わせをする。その日にセックスすれば3万円以上、食事だけならば5000円か1万円をもらう。大学2年以降はTwitter経由の援助交際と個人売春で、10万〜12万円を稼げるようになった。もらったおカネはそのまま学費用の普通預金口座に入金する。4月半ばまでに納入しなければならない数十万円は、もう貯まった。

日本学生支援機構の奨学金が「実質学生ローン」という批判を受けてから、彼女のように風俗や売春に手を染める女子大生はさらに増えている。経済的に追い詰められると稼ぐための手段は、その個人の属性や性格や趣向などを軽く超えてくる。たとえば、処女や彼氏との恋愛を大切にする普通の女子学生が風俗を選択し、普通の男子学生が違法なスカウトや詐欺の手伝いに走ったりする。

普通の女の子が生きるためにカラダを売る――日本の若者の貧困、そして世代間格差、男女格差は深刻だ。現在、風俗客はおカネを持つ層なので中流以上の中年男性がメインとなる。彼女は「違和感はある」とクビをかしげたが、恵まれた時代に育ってさまざまな恩恵を受けてきた中年男性が、学生生活維持のために裸になって必死に稼ぐ若い女の子に説教をしても、その言葉はむなしく響き、相手を傷つけるだけなのだ。

757チバQ:2017/07/13(木) 19:51:19

彼女は2歳から児童養護施設で育っている。両親は何かの理由で育児放棄し、一人娘を施設に入れた。20〜30人の小さな施設で、主に親から虐待された子どもが入所する。

「虐待の子が多い。ひねくれた子が入ってくるので、子ども同士のいがみ合いばかり。虐待された子はヒステリーを起こしやすいとか、怒りっぽかったり、やっぱり自分も殴る、蹴るって乱暴だったり。あと自傷行為。私は親の育児放棄なので、そういう子とはやっぱり自分は違うって感覚はありました。施設の子はほとんどうまく社会生活を送れていません。仕事に就けなかったり、続かなかったり。その日暮らしで転々としている人が多いですね」

菅野さんは小学校に上がった時点で、自分が普通の育ちでないことを知る。習い事ができない、誕生日やクリスマスに何も買ってもらえない、お年玉がもらえないなど、周りと違うことに悩んだ。自立しないと生きていけないことに高校時代に気づいた。高校を卒業したら、もう誰も助けてくれる人はいなくなる。高校1年のとき、児童相談所に里親制度を薦められて施設を出た。

「過保護で厳しかった。子どもが欲しかったけど、流産して子どもに恵まれなかった夫婦。家庭というのはこういうものとか教えられても響かなくて、気遣いとか助け合って生きるとか、まったくわからなかった。今まで自分だけのことをすればよかったのに、いきなりそんなこと言われてもという感じで。買い物とかしたことがないし、家事もわからないし、家電の使い方とかもわからない。いちいち“どうしてできないの?”って責められた。自分が全否定されたみたいな感覚でした」

里親からは生活や態度の隅々まで注意された。褒められることは何もなく、ストレスばかりがたまった。精神的に不安定になって、学校をさぼるようになった。菅野さんは髪の毛をかき上げて、耳を見せてくれる。耳たぶだけでなく、耳全体にピアスの穴が開いていた。

「自傷的なものです。耳にピアスの穴を開けて止まらなくなった。両耳だけだと15〜16くらいで、それと舌の裏の筋とかおへその周りとか。全部で30。ピアス用のニードルを買って、カラダに刺して開けるんですよ。深夜にやっていました。リストカットとか好きじゃなくて、ピアスの穴を開けて人に見せて怖がられたり、すごいとか言われたりして、ちょっと満たされたみたいな感じがありました」

里親とは家族になれない。高校2年のとき、東京の大学に進学すると決めた。児童相談所と高校の進路担当の先生は「無理です、働きなさい」と止めたが、聞かなかった。放課後近所のコンビニで働いて、稼いだおカネを全部貯金して進学と上京の費用にする。おカネを稼がないといけないので受験勉強の時間はそんなに割けない。国公立はあきらめて、私大夜間部を志望校にした。合格して、里親に丁重にあいさつをして上京した。2年前のことだ。

「もう誰も守ってくれない」という不安

「大学生になってからは、もう誰も守ってくれない。誰も知っている人がいない。全部自分でやらなきゃいけないし、健康をちょっと崩しただけで生きていけなくなる。プレッシャーはあるし、普通に精神的に厳しいです」

一番のプレッシャーはおカネのことだ。学費と上京の費用で、2年間のアルバイトで貯めた130万円はほぼなくなった。預金がほぼゼロから東京で学生生活が始まって、半年ごとに数十万円の学費の納入期限がある。家賃は7万円と高く、不安しかない。すぐに風俗嬢になった。知らない男性への性的サービスはできればやりたくないことだが、そんな自分の好き嫌いを言っているような状況ではない。

大学ではある文化系のサークルに入った。そこで知り合った同学年の男子学生と付き合うようになった。菅野さんはカバンからiPhoneを取り出した。画面を見せてくる。男性の名前が書いてあり、LINEで通話がつながっている。なぜか通話中だった。

758チバQ:2017/07/13(木) 19:51:44
「彼氏。1年前から一緒に暮らしていて、離れるときはずっと通話中。はい、共依存です。その人も父親にDVされた経験があって、似たような依存タイプで誰かに必要とされたいみたいな。ずっとつなぎっ放し、向こうがバイトしていたら、終わってからずっと会話する。家に一緒にいる以外は、つなげたまま。もう、ずっとそう。ちょっとでも離れると、自分が不安になっちゃって発作を起こしちゃうし」

自分のことを好きと言ってくれる男性に依存するようになったのは、東京で一人暮らしを始めてから。突然泣いたり、過呼吸が起こるようになった。彼氏と一緒にいるときだけ、不安定が収まる。安心ができる。

「風俗勤めは、すぐバレました。向こうが私の携帯を見た。共依存していると、お互い携帯を見るんですよね。風俗嬢は写メ日記を投稿するじゃないですか。それを見つかって話し合いになったけど、相手も学生だし、辞めたら生きていけなくなる。仕方ないって話して、相手もうつむいて何も言わないので、そのまま無視して働いています。私だって風俗とか売春しないで生きていきたい、でも、今はどう考えても無理です」

彼女がカラダを売ったおカネは、そのまま学費になっている。もし、給付型奨学金があれば、少し不安は取り除かれ、カラダを売らなくてもなんとか学生生活を送ることができる。

同じ境遇の人に「売春やれば」とは言えない

「でも、私みたいな親がいない人間は、たぶん“大学なんかに行くな!”ってコメントでたたかれますよね。たとえば、養護施設出身で大学に行きたいと言った子に、じゃあ、あなたも売春やれば?とか言えないじゃないですか。その子がどうすればおカネを工面して、学費を積み立てられるかを考えたとき、とても自分がやっていることは勧められない。やっぱり給付型の奨学金があればいいのに、とは思いますよ」

大学奨学金が社会問題になり、返済不要の給付型奨学金の必要性が叫ばれた。安倍政権は2017年度から給付型奨学金を新設したが、予算はわずか70億円だった。

カラダを売らないと学生生活を維持できない苦境にいる女子大生は、彼女だけではない。その苦しい状況は、まだしばらく続きそうだ。

本連載では貧困や生活苦でお悩みの方からの情報をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

759チバQ:2017/07/13(木) 19:52:45
http://toyokeizai.net/articles/-/163061
シングル母は「介護業界」にズタズタにされた
「唯一正社員で働ける業界」のはずが…
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中村 淳彦 :ノンフィクションライター 2017年03月24日
この連載では、女性、特に単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。今回紹介するのは、介護業界を渡り歩いてきた、東京多摩地区の団地で暮らすシングルマザーだ。



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東京多摩地区のベッドタウン。駅からバスで坂道を上ると、大きな団地群が見える。篠崎千尋さん(46歳、仮名)はシングルマザー、一角にある団地の最上階で家族と暮らす。決して狭くはない2DK。笑顔で部屋に迎えてくれたが、表情は若干引きつり、正常な状態ではないことはすぐにわかった。

さっそくDV体質だった元夫が暴れて空けた壁と冷蔵庫の穴、勤めている介護事業所からの給与不払いを宣言する内容証明、重度ストレス反応と書かれた診断書を見せてくれる。貧困に加えて、さまざまな不穏が重なって追いつめられた状態だった。整理して順番に話を聞くことにする。

「子どもの年玉を使ってから出直せ」

「先月1月10日まで東京都世田谷区の訪問介護に勤めていました。で、1月25日に給与が支払われなかった。催促したら給与を払わないって。おカネは本当にギリギリ、ずっと綱渡りみたいな生活なのでパニックです。それに重度ストレス反応って診断も出て、働くことはしばらく止められています。仮に今から仕事を探しても、どうしても今月と来月の生活は乗り切れない」

つい1週間前。わらにもすがる思いで、生活保護の申請のために福祉事務所に行っている。

「たまたま4カ月分の児童育成手当が出たばかりでした。“育成手当、それに子どものお年玉も、全部使ってから出直すように”と追い返されました」

現在、収入は児童扶養手当月5万2330円と児童手当月2万円、児童育成手当月2万7000円。それに元夫からの養育費6万円。合わせて15万9330円。それに、手取り月12万円ほどの給与を予定していた。介護事業所の通告によって突然12万円が入ってこなくなり、一家は混乱状態になっていた。当たり前だが、給与の不払いは完全に違法である。

「本当にどうしていいか、わかりません。いろいろなことが、あまりにひどすぎます」

現在、預金残高は10万円ほど。おカネがなくなったからといって、生活保護制度が使えるかわからない。育ち盛りの子ども2人を抱え、混乱する彼女の表情は青ざめていた。

「その訪問介護は2カ月で辞めました。何もかもが異常でした。雇用契約書を5回も6回も書かされたり、契約書の金額と給与が違ったり、メチャクチャ。あと事業所のパソコンは個人情報があるので、絶対にエロサイトとか見ちゃダメじゃないですか。女の管理者とその内縁の夫で運営していて、男のほうが1日中エロサイト見ている。私が“やめたほうがいい”って何度言ってもダメ。書類も請求もヘルパーも私ひとりでやらされて、とても続けられないと思った」

760チバQ:2017/07/13(木) 19:53:11
実態のない勤務表などを作らされた

2000年4月に介護保険制度が始まり、公的機関が担っていた介護が民間に委譲された。特に訪問介護、通所介護の在宅分野の認可基準は極めて低く、介護とはまったく関係ない零細事業者の参入が激増した。素人が高齢者の命を預かる介護事業所を、順調に運営できるケースは少ない。

昨年10月から勤めた訪問介護事業所は、新規参入で立ち上げから数カ月、婚姻関係のない中年カップルが運営していた。介護経験者である篠崎さんに実務を全部押しつける、というマネジメントだった。素人が介護事業所に手を出すと、まず介護保険請求や行政から求められる複雑な書類整備に混乱する。書類に追われて現場の介護がおろそかになる。そして不正請求や虐待、違法労働の温床に、という負の連鎖が起こりがちだ。

「介護だけではなくて、ケアプランの作成から請求まで全部。実際はサービスしていないのに、生活保護受給者にサービスしたという書類を作らされました。あと実態のない勤務表とか。勤務表は常勤7人にしてくれって、知らない人の名前を教えられた。実際に事業所で働いているのはその2人と私の3人だけ、おかしいなって。おそらく訪問介護事業所としての申請から国保連への請求まで、全部不正ってことです。公金詐欺に加担したくないのも、すぐに辞めた理由でした」

書類と請求を担当した彼女の話によると、その訪問介護事業所は人員基準違反に加えて、家族がいない生活保護受給者で不正請求を繰り返したようだ。生活保護の単身世帯は、まずキーパーソンがいない。多くの利用者は、介護事業所が求めればハンコを押す。本人が理解していないので、架空のサービスでも保険請求ができる。介護報酬の50%は国、都道府県、市区町村の税金だ。このように不正する介護事業所に、税金が無限に垂れ流される現実がある。

「辞表を出しても、断固として“辞めさせない”って。脅しみたいに言ってきたのも、常勤の私がいなくなったら誰もいない事業所になるから。それに介護保険だけじゃなくて、雇用系の助成金も不正受給しようとしていたみたいで、私に辞められたらダブルで困る。だから給与払わないって嫌がらせするし、いくら要求しても離職票をもらえない。籍が残ったままなので転職もできない。そんな詐欺のために、自分が利用されて生活がメチャクチャになるとか、本当に耐えられないです」

篠崎さんは崩壊状態の介護事業所に勤めたことでさらに精神状態が悪化し、離職票がないので職探しはできず、給与支払いを拒否されて経済的に追いつめられた。雇用契約書の控えが数枚あった。給与額がすべて異なる。1度だけ支払われた給与は、額面13万3000円。手当はない。東京都の最低賃金割れで、年収換算で159万6000円にしかならない。

「高齢者と介護の仕事は、好き。けど、介護の仕事をしてから、人生がおかしくなりました。負の連鎖がずっと続いています」

彼女は2度結婚に失敗している。10代でできちゃった結婚して、33歳で離婚。離婚理由は旦那の浮気とギャンブル、子どもが高校を卒業するまで毎月養育費はもらえた。離婚をキッカケにヘルパー2級を取得、13年前に大手有料老人ホームに非常勤介護職として入職する。

「介護を始めたキッカケは、子どもにちゃんとした姿を見せたかったから。安定する介護の現場で働いて、子どもをちゃんと育てようと思った。でも、介護がこんな危険な世界とは夢にも思わなかった。今回も含めていろいろな失敗をしています。本当にひどい業界です」

介護は深刻な人手不足が延々と続いている。リーマンショック以降、厚生労働省の雇用政策によって失業者が介護現場に誘導され、昨年からは法務省が主導する刑務所出所者を介護職にするプロジェクトも始まっている。介護保険によって素人経営者が集い、雇用政策によって社会から弾かれた人材が集められ、著しい質の劣化が進むのが現在の介護現場だ。

篠崎さんは有料老人ホームで頑張って介護をした。38歳のとき、同僚の年下の介護職と職場恋愛、妊娠する。再婚、出産となった。そのとき産まれたのが、現在小学3年生の子である。

761チバQ:2017/07/13(木) 19:53:34
「出産でホームは退職した。育児しながら、近くのスーパーで短時間のパートです。出産してから、旦那の浮気がすごくなった。介護の世界は不倫がすごくて、男も女も旦那がいようが奥さんがいようが、すぐ肉体関係になる。夜勤中にやっちゃったりとか。旦那が休憩中、職場の同僚とラブホテルに行っていることを人づてに聞いた。ホームの向かい側にラブホテルがあって、そこにホームの女の子と。不倫カップルは私が在職中も何十組も見たし、もうムチャクチャですよ」

介護現場の不倫は、どこでも耳にする話だ。特に24時間営業の居宅型の施設は時間が不規則、職員たちの生活は閉塞する。多くは家庭もうまくいかなくなる。つねに一緒にいるのは同じ施設の同僚で、ほかに出会いはない。閉じられた中で、恋愛関係になりやすいのだ。不倫で慰謝料を請求される可能性があることを知らない職員も多く、とにかく乱れた関係に走りやすい。

「ひどかったのは離婚調停中に、旦那とホームの男性職員たちとのハメ撮り写真交換が問題になったこと。休憩中に女性職員とラブホテルに行くのがホームの男性の中ではやって、ハメ撮り写真を撮ってメールで交換みたいなことをしていたみたい。ゲーム感覚で過熱して、最終的にひとり女の子が自殺未遂して騒ぎになった。人手不足だからそんな問題を起こしても、誰もクビにならない」

浮気が発覚してから夫がキレやすくなった

介護職の夫の浮気、不貞行為が発覚したのが結婚3年目。子どもが2歳のとき。そこから家庭での壮絶なDVが始まった。

「最初はメールを見ちゃった。夜な夜ななんかやっているので、見たら、女の子とお風呂に入っている裸の写真で。彼に聞いたら、浮気ってわかった。その子を連れてきて、と話をしたら逆切れ。“はあ? てめえ、俺が謝っているのに何様? てめえ、なんだよ、その態度”って始まった。子どもが小さかったから危険と思って、その場でやめたけど。そこから日々の暴力が始まった」

浮気が発覚してから夫はキレやすくなり、すぐに暴力を振るうようになった。成人した前夫との子どもが家に遊びにきたとき、夫が突然暴れたことがあった。

「なぜか私に暴力を振るいだした。子どもが“暴力はダメだよ”って夫に言った瞬間、沸騰して、子どもの髪の毛を引っ張って引きずりまわした。このタンスにガタガタ、ガタガタ頭をぶつけて、私がかぶさってかばっても暴力をやめない。子どもが警察に電話したら“てめえ、俺を警察に売りやがったな”って発狂して連続キック。でも最終的に、ベランダで泣いているんですよ。俺のことをわかってもらえないって」

夫のDVは、やがて保育園に行くようになった子へ向かった。子への暴力が止まらなくなり、そして彼女の精神状態もだんだんとおかしくなる。恐怖に支配されて、不眠が始まる。言葉使いやささいな仕草、家族の何かが気に食わないと、すぐに怒鳴って暴れた。

「子どもは保育園から小学校1年生まで、本当にずっと暴力をふるわれた。夫は体が大きくて、子どもを平気でフルスイングで殴る。殺される寸前みたいなことも何度もあった。理由は本当にささいなこと。薬を飲まなかったからとか。子どもってかわいがってくれると、親に寄っていくじゃないですか。けど、かわいがっていたかと思うと、突然怒鳴りだして殴るんです」

2DKの壁は所々に穴がある。すべて夫が暴れたときにできたものだ。夫は不貞行為が妻にバレた後も、職場でハメ撮り写真を収集、不貞行為ざんまいで、家に帰ると妻と子への暴力で気を晴らした。数年間、手に負えない状態が続いた。

762チバQ:2017/07/13(木) 19:53:57
離婚を申し出て、2年前に成立。夫はこの団地の部屋を出ていき、現在は隣の市のアパートで独り暮らしをする。離婚後、篠崎さんと2人の子は夫には会っていない。毎月6万円の養育費は、今のところ月末には振り込まれている。

殴られなくなると不安になる

暴力を振るう夫、父親がいなくなってから、さらなる不幸が始まった。子の様子がおかしくなり、不安定な状態になった。小学校でクラスメートとのケンカやトラブルが絶えなくなり、親からの苦情が殺到して、篠崎さんは現在進行形で学校に何度も呼び出されている。

「DVをされている間は、恐怖で支配されている。それがなくなると、逆に不安になる。悲惨な生活から平穏になって、なにかポッカリ穴が開いたような。私も似たような感覚がある。だから、子どものことがわかる。怒鳴られようがひっぱたかれようが、子どもにとっては、それが普通の生活だった。“殴られることはないんだよ”って環境になった途端、本当に不安になる。先生から頻繁に電話がかかってくるようになったのは、離婚してからすぐ。子どもはDVの影響で、人の気持ちがわからない。やり過ぎちゃう」

トラブルが頻繁に続き、副校長から「DVを受けた子どもは、将来的に性犯罪者になる確率が高い」とまで言われた。児童相談所に行け、特別学級がある学校に転校してほしいなど、学校はもうお手上げといった状態のようだ。

「テスト用紙にバカとか死ねとか書くとか。先生にひたすら暴言を吐くとか、そんな状態みたいです。私も精神科に行ったら、重度ストレス反応って診断。DVの影響で眠れなくなったことが原因で、子どもだけでなく、私もいろんな人とトラブルが絶えない。人間関係がうまくいかなくて。人のせいにしてはいけないけど……」

小学校の先生たちの辛辣な言葉は、彼女自身が先生との人間関係が悪化した末の状態のようだった。

離婚後、再び経験のある介護現場に戻った。非常勤で入職した特養老人ホームは1年半働いた。半年前、入浴介助で転倒しそうになった高齢者を支えたとき、左足を骨折して働けなくなった。労災をもらいながら実務者研修に通い、そのとき、同じ生徒だった前職の訪問介護の管理者に入職を誘われた。そして、不正請求を手伝わされた。

「今日いちばん言いたかったのは、介護事業所はもっとちゃんとしてほしいってこと。特別な能力のないシングルマザーが、唯一、社員として働ける可能性がある業種が介護だから」

圧倒的に女性が多い「介護業界」

介護職は女性の比率が70〜80%と、圧倒的に女性の職場だ。施設系介護職員の平均賃金は正規職で19万3016円、非正規で13万2221円(日本介護クラフトユニオン2015年3月調べ)と圧倒的に安く、シングルマザーたちのセーフティネットとなる反面、低賃金、違法労働を強いるなど、女性の貧困を牽引する業種となっている。

「私が被害に遭った事業所みたいなところを野放しにしていたら、また同じような境遇の女性が被害に遭う。シングルマザーは本当に大変なの、ほんの少しつまずいただけで生活できなくなる。だから介護現場が普通に働ける場所になってほしいんです」

篠崎さんは最後に強い言葉で、そう言う。介護保険がうまく機能しない介護業界の闇は深い。不正する訪問介護事業所を罰するためには、役所の介護保険担当が監査して、不正の証拠をつかまなければならない。数人がかりで準備、調査、結果を精査するので人員と時間がかかる。さらに不正請求や労働基準法を意図的に違反する事業者はもはや膨大で、キリがないのだ。

3時間くらいしゃべり続けただろうか。窓の外は暗くなり、子どもたちが学童から帰る時間だ。言いたいことを吐き出し、すっきりしたのか何度かお礼を言われた。バス停まで送ってくれて、「私には介護の仕事しかない、今度こそちゃんとした事業所を見つけて頑張る」と、笑顔で言っていた。

763チバQ:2017/07/13(木) 19:55:10
http://toyokeizai.net/articles/-/160604
不倫夫と別れた専業主婦が直面する「貧困」
子どもは小さい、手に職はない
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中村 淳彦 :ノンフィクションライター 2017年03月03日
この連載では、女性、特に単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。今回紹介するのは、2人の子どもがいるシングルマザー40歳。貯金がある彼女は現在は貧困ではないが、「貧困予備軍」だ。



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2人の子どもがいるバツイチシングルマザー渡邊真由美さん(仮名、40歳)の自宅に足を踏み入れた瞬間、不穏な雰囲気にゾッとした。カーテンが閉めっぱなしで薄暗く、家中の壁の所々に穴が開く。そして、リビングに飾られている何枚もの幸せそうな家族写真は、どれも色あせてホコリをかぶっていた。

「上の中学校3年生の子が引きこもりです。もう1年以上、この家から出ていません」

渡邊さんはあきらめきって苦笑をした。自宅は、東京から電車で1時間以上かかるベッドタウン。最寄り駅から20分以上歩くと、農地の奥に突然、華やかでヨーロピアンな住宅が建ち並ぶ。まるで遊園地のようだ。違和感があった。18年前に30棟以上の戸建てが強引に開発され、その1棟が彼女の自宅だった。

「見てのとおりです。うちはこのありさまで、荒れ果てています。うちだけじゃなくて、両隣も家庭崩壊みたいな状態。もう、狂いそうです」

20畳あるリビングには大理石のテーブルに大型テレビ。窓際にある昔の家族の写真。ホコリを払って眺める。ユニバーサルスタジオジャパン、京都、北海道、海水浴など、幸せそうな家族写真だ。どれも渡邊さんと恰幅のいい男性、真ん中に小さな子どもが笑顔で写る。

現在のところは貧困ではないが…

現在、渡邊さんは収入ゼロだ。月2万円の児童手当と月5万2330円(2016年7月までは4万7000円)の児童扶養手当だけが収入である。2年前の離婚のとき、旦那からこの自宅と高級車、600万円の養育費を一括でもらっている。

渡邊さんは切り崩す貯金があるので、現在のところ貧困ではない。しかし、完全に破綻した生活環境だ。小学校低学年の下の子は社交的な性格で、まだ取り返しのつかない家庭崩壊を理解していない。ひとりでも明るい家族がいることが、彼女の救いとなっている。

「元旦那は年収3000万円くらい。たまたまうちに所得証明みたいなものが送られて、年収は離婚してから知りました。義父が地元では有名な会社社長で、家族経営みたいな感じで旦那は役員。月の生活費は70万円くらいもらっていたので、ずっとおカネのことは考えないで普通に生活していました。元旦那には働くのは絶対ダメだって言われていて、結婚以来ずっと専業主婦です」

15年間、専業主婦を続けた。毎月おカネを預かって家事と育児、家族の日常を支えた。家族でいちばん早く起きて、朝食の準備をする。給食のない上の子のお弁当を作って会社と学校、幼稚園に送り出す。掃除、洗濯をして幼稚園に迎えに行き、夕飯の支度と後片付け、それに寝るまでの子どもの面倒をみていれば1日が終わってしまう。離婚するまで、そんな日々が続いた。

「専門学校を卒業して、すぐに結婚しているんです。旦那が見えっ張りな性格で、専業主婦でいてほしいという人。だから働いた経験はほとんどない。突然、離婚を突き付けられて、働けって言われても本当に難しい。下の子は小学校低学年だし、手に職もないし。本当に私、これからどうすればいいのでしょうか。それに子どもがいるから、働けるのはせいぜい9〜14時くらい。そんなんじゃ、パートも雇ってもらえなかった」

2年前に離婚したとき、それまでの余った生活費の貯金と旦那から一括でもらった養育費600万円が通帳にあった。2年間の生活費でその半分近くが減った。毎月減っていく残高を眺めながら、不安ばかりが膨らむ。このペースだと、あと2年でゼロになる。

「最近、怖くてパニックになる。旦那に専業主婦を強制されて、子どもの育児や家事をさせられて、揚げ句に向こうだけの都合で離婚されて30歳台後半で放り出された。それで先月40歳です。働きたくても仕事はないし、専業主婦だったから、何の仕事もできない。離婚してから自分は社会の誰にも必要とされてないし、死んだほうがいい邪魔な存在なのかなとか、よくそう思う」

764チバQ:2017/07/13(木) 19:55:39
減る預金通帳を眺めながら、日々焦る。家も車も維持できるのだろうか。家を売ればあと5年くらいは生きることができるだろうかとか。つねに気分は落ち込んでいる。

「2年前に離婚してから、ずっとそんな感じ。上の子は月に何度かは暴れて壁に穴が開くので、家もいつか壊れちゃう。子どもの部屋はゴミ屋敷みたいな感じで、昼夜逆転していて風呂も歯磨きもたまにしかしない。友達も1人もいなくて、学校もお手上げな感じで高校受験は無理。そんな子ども2人抱えて再婚なんて夢みたいな話だし、働くこともできないし、もうどうしていいのか……」

20代前半の女性と浮気、隠し子も…

ヨーロピアンな自宅は一歩踏み入れれば、不穏な雰囲気が広がる。富裕層の平穏な家庭が暗転したのは、離婚が原因だ。どうして、夫婦と家庭は破綻したのか。

「元旦那は6年くらい前から、20代前半のスナックの女と浮気していた。浮気どころか子どもも作って、家庭が2つある。今は不祥事を起こして会社もクビになって、義父も元旦那がどこにいるかわからないって。本当なのかわからないですけどね」

同じ市内にあるスナックを会社は接待でよく使っていた。元旦那はそこで働く20代前半の女性と恋愛し、やがて頻繁に外泊をするようになった。最初は「出張」という言葉を信じていたが、だんだんと疑うようになった。

「義父が6年前に都内に家を買って、それから“東京にいるから夕飯いらない”とか“大阪に出張”みたいなことが増えた。最初はそうかと思っていたけど、朝帰りが続いた。それまで出張なんてなかったのに、急にそんな感じになった。たまに香水のにおいがするとか、口紅がついていたとか。そんなことが増えて、疑って問いただすと“探偵でもなんでもつけろ!”みたいな恫喝。そこまで言うんだったらと、信用するしかなかった」

朝帰りは外泊になり、最終的には毎週のように金、土、日、月を出張と言って家を空けるようになった。3年前、社長である義父が孫の顔を見に来たとき、出張について尋ねた。会社の業務で出張は一度もないことを聞き、浮気が発覚した。

「浮気がバレてからいっさい帰ってこなくなった。2度、旦那がうちに戻って話し合った。旦那はひたすら離婚したい、離婚したいって。私はどうして?って、やり直そうよって何度も言ったけど、もう“別れたい、別れたい”の一点張り。最後の最後、2度目に戻って来たとき“実は子どもがいる。もう2歳”って。浮気したのは3年前、2歳の子どもがいた。妊娠期間含めたらすぐに子どもを作ったってことですよ。ちょっと、どうですか?」

渡邊さんの口調はエキサイトする。離婚が成立して3年間が経っても、到底、納得がいっていないようだ。

「言われて、びっくりしましたよ。えっ!って大声を上げた。そんな状態じゃ、もう、しょうがないじゃないですか。“じゃあ、私たち家族より、そっちの不倫女のほうを選ぶってこと?”って聞いたけど、“そうだね”だって。もういいやって。浮気相手の女は当時20歳ぐらい、今23歳じゃないですか。元旦那は当時、40代後半です」

4年前に浮気が発覚してから、元旦那が戻ってきたのはたった2度。3年前に離婚が成立してから、携帯はつながらなくなって電話の1本すらなくなった。渡邊さんと2人の子どもは、完全に捨てられた。

765チバQ:2017/07/13(木) 19:56:16
浮気するまでは、まじめな人だった

「浮気するまでは、まじめな普通の人だった。会社のため、社員のため、家族のために仕事していると思っていたのに。不倫して若い女と子どもを作って、二重生活していたなんて。まさかと思いました。当時は現実として理解することに精いっぱいだったし、今も正直信じられない。子どもたちには、まだ本当の理由は伝えていない。“何でパパ帰ってこないの?”って、今でも言う。特に上の子は執着心がすごくて、“パパはどうしたの? パパはどうしたの?”って。それで、またイライラして下の子にあたる」

上の子の異変が始まったのは小学校5年のとき。元旦那が帰ってこなくなった時期と重なる。年の離れた弟へのイジメ、学校での対人トラブルが絶えなくなった。

「上の子は本当にパパっ子だった。元旦那がいたときは怒られるのがこわいから、ブレーキが利いた。いなくなったら、もう好き放題。元旦那はたまにしか帰らなくても、言うこと聞かないと、もう髪の毛ガーッと持って引きずったり。怒る理由は下の子をしつこくイジメるから。嫌がらせばかり。5歳以上離れているのに、自分の機嫌が悪いと本当に徹底的にやる」

上の子は好きだった父親に捨てられた現実を、だんだんと理解した。中学生になって精神的に不安定になる。

「2年前。上の子が中学1年のとき、父親がいなくなったことや、ほかにいろいろ重なって神経性胃炎になり、学校を1週間休んだのがキッカケで、不登校が始まった。学校に行かせたくても、叫ぶし暴れるし、どうにもならなかったです。2学期から行かなくなって、2年生になったら行くって約束したけど、6月くらいにトラブル起こしてまた不登校。だから修学旅行も行ってないし、卒業アルバムにも載ってない」

精神科に行っても、何も好転しなかった。最近1年間、外に一歩も出ないで引きこもる。イライラしっぱなしで家の壁を蹴る、叫び声を上げるなど、状態は悪化の一途となっている。

「暴れても、力は私のほうがまだ強い。ご飯も大して食べないからカラダも小さいし、弱い下の子に当たり散らすだけ。私には歯向かってこない。いや、もう。私は早く自立して出て行ってくれぐらいの気持ち。でも学校すら行けない、外出すらできないのに、自立なんてしようがないですよね。社会に適応できない。普通に自立する妄想すらできない。もう、いろいろあきらめました……。だって、どうにもならないから」

766チバQ:2017/07/13(木) 19:56:31
「孫の面倒は一生みる」と言ってくれた義父も…


渡邊真由美さん(仮名、40歳)は「働きたくても仕事はない」と言う(写真:編集部)
別に家庭を作った元旦那は消えてしまった。同じ市内に住む資産家の義父も、離婚のとき「孫の面倒は一生みる」と言ってくれたが、上の子の深刻な状況を目の当たりにして近づかなくなった。渡邊さんは窮地に陥った現状に絶望し、これから生きることを半分あきらめてしまっている。

「惨めです。本当に惨め。元旦那とか義父とか見返してやりたいみたいな気持ちがあったから、引っ越しはしなかった。でも、もうダメ。すべてを忘れて、この街から出ようかなって」

朝、下の子を小学校に送り出し、昼近くになると引きこもる上の子がイライラして床をたたく。ドン、ドン、ドドドンという音が天井から聞こえてくると、渡邊さんはうんざりして外に出る。高級車でスーパーへ行き、買い物をして、娘が起き出す14時頃に自宅に戻る。

帰路はいつも足が重い。農地を越えてヨーロピアンな街並みが見えてくると、いつも気分が沈む。玄関を開けて、穴だらけの家に一歩入る。そして、深いため息をつく。

本連載では貧困や生活苦でお悩みの方からの情報をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

767チバQ:2017/07/23(日) 18:25:49
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170723-00721413-jspa-life

ユニクロも高くて買えない正社員OL。「実家を出たとたん、生活苦に…」
7/23(日) 8:50配信 女子SPA!
ユニクロも高くて買えない正社員OL。「実家を出たとたん、生活苦に…」
写真はイメージです。
 貧困や賃金格差がニュースで報道されていますが、他人事だと感じている人も多いのではないでしょうか?

 ところが、何不自由なく暮らしていた人であっても、ちょっとしたきっかけで急に貧困状況に陥(おちい)ることもあるようです。詳しく話を聞いてみました。

「中小企業の一般事務として働き11年。なかなか昇給がなく、いまだに手取り月収15万円という厳しい収入ながらも、実家暮らしのためなんとかやってこれました。

 でも、家を出て一人暮らしをしなければならなくなった途端、想像以上に生活が苦しくなってしまって……」と話す、山中沙希さん(仮名・31歳・メーカー/未婚)。

◆母親の熟年再婚きっかけで家を出ることに

 家を出るキッカケとなったのは、母親の熟年再婚だったそうです。

「両親は私が高校生のときに離婚したのですが、『妻と娘が二人で暮らしている限りは無償』という条件で、父親名義のマンションにずっと暮らしていたんです。

 でも、母が再婚しマンションを出ることになったところ、『まだ値が付くうちにマンションを売りたいので、これを機に沙希もマンションを出てくれ』と言われてしまって。

 金銭的に余裕がないので私だけでもマンションに残りたかったのですが、もともとシビアな性格のうえ10年以上ろくに会話をしたこともない父親に甘えることなどできず、仕方のない状況でした」

◆手取り15万円で家賃6万5000円は高すぎた…

 山中さんが引っ越し先として選んだ場所は、勤務先まで電車で40分の郊外ターミナル駅。駅から20分ほど歩くアパートなら家賃6万5000円で1DKの部屋に住めるので、都内に住むよりずっとお得だと思ったとか。

「でも、いま考えれば手取り15万円で家賃6万5000円は高すぎですよね。もっと不便で狭くても、家賃4万円程度の部屋にすべきだったんでしょうが、これまで都内の広めのマンションで生活していたのでいきなり感覚を変えられなかったんです」

 実家暮らしのときは生活費を3万円入れているだけで、そのほかの固定費はスマホ代1万円くらい。贅沢はできずともオシャレも遊びも不自由を感じることなく楽しめていたそうですが……。

「いまは家賃6万5000円に加え水道光熱費とスマホ代で月に8万円以上は飛んで行ってしまうので、自由に使えるのは7万円弱。しかも、これまでは私が入れた生活費と母のパート代でやりくりしていた食費と日用品代も、全部自分で払うとけっこうかかってしまって。

 やれ米だ水だ洗剤だティッシュだと、節約しているつもりでも月に2〜3万円はなくなってしまいます。実家暮らしの頃は母がパート先のスーパーから食材をいろいろもらってきていたので、あれで得しているぶんも大きかったんだなぁと」

◆病気で将来が不安。豆苗を育てておかずに…

 そんな山中さんに追い打ちをかけるように、先日甲状腺の病気が発覚。生活に支障が出るほどの病状ではないものの、2週間おきの通院で月5000円〜1万円はかかってしまうとか。

「通院費も痛いですが、『もし悪化して働けなくなってしまったら』と思うと怖くて怖くて。通院費をのぞいても月に3万円程度は自由になるお金がありますが、少しでも貯金に回したいのでもう外食なんかできません。

 夜はほぼ自炊で、安いうえに2〜3回は再生できる豆苗にめちゃくちゃ助けられてます。食べた後の根と豆を水に付ければ1週間ぐらいでまた食べ頃に育つので、常時4〜5個は同時に育て、サラダや炒め物、みそ汁と何にでも使っていますね」

 また、これまで昼食は月の半分は同僚と1000円程度のランチ、もう半分は500円程度のコンビニご飯で済ませていたそうですが、いまは毎日お弁当だとか。

「中身は豆苗炒めなど夕飯の残り一品に卵焼き、ごましおご飯という毎日同じ質素な内容ですが、『病気になっちゃったから健康のために』というとみんな納得してくれるので助かっています」

768チバQ:2017/07/23(日) 18:26:08
◆洋服代は郊外型の大型古着屋で購入して節約

 そのほか、大幅に節約するようになったのが洋服代。

「以前は月に1〜2万円は洋服代にあてていましたが、いまは無理。プチプラと言われるユニクロすら手が出ないので、家の近くの古着屋で今年流行りの色やデザインの服を血まなこで探し買っています。

 郊外って、“ビンテージっぽい古着”ではないフツーの今風の服が一枚数百円で買える大型の古着屋があるんですよ。この点は郊外に引っ越してよかったですね」

◆もっと若いうちにスキルアップ転職しておけばと後悔

 ただ、このように頑張っても貯金できるのは月にせいぜい1〜2万円。もっと安い家に引っ越したくても先立つものがなく、不安で眠れない夜も少なくないとか。

「派遣のほうが月々の収入はよかったりするので転職も考えましたが、病気になってしまったし、やっぱり給料が安くても正社員の立場を手放すのは怖い。実家暮らしでなんとかなっていたからって、どうしてもっと若いうちにスキルアップ転職をしておかなかったんだろう……と後悔ばかりしています。

 しかも、病気の症状はまだ軽いのに、飲み会も『お酒は病気によくないから』と断り、お金がなくてネイルができないのも『病気で爪が弱ってるから』と言い訳し、何でもかんでも病気のせいにしているうちに鬱々としてきてしまって……。明るい未来を思い描けません」

 たまに母親を頼りたくなるけれど、再婚相手との生活を邪魔するのが申し訳なく頼れないという山中さん。なかなか厳しい状況のようです。

―お金がない…女の生活苦シリーズ vol.5―

<TEXT/丸本彩乃>

女子SPA!

769チバQ:2017/07/23(日) 18:26:52
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170722-01366308-sspa-soci
東京に流れ着いた貧困女子のリアル ネットで出会った男と駆け落ちした末に…
7/22(土) 8:50配信 週刊SPA!
東京に流れ着いた貧困女子のリアル ネットで出会った男と駆け落ちした末に…
※写真はイメージです
「ワーキングプア」や「ネットカフェ難民」という言葉が登場したのが約10年前のこと。その頃、少年少女だった今の「若者」たちは貧困という状況をより身近なものとして育った世代であり、そしてその問題は今、彼ら自身にも降りかかっている。「失われた20年」のなかで生まれ育った世代の苦悩を探った。

◆ネットで出会った男性と駆け落ちした末に……

 樋口美里さん(仮名・28歳)は昼は事務職、夜はスナック、土日はキャバクラという3つの仕事を掛け持ちしている。そんな彼女が東京にたどり着くまでの道は、まさに波瀾万丈だった。

「親とウマが合わず、二十歳のときに東北の実家を出て、ネットで知り合った彼と岡山県で暮らし始めました。でも彼は定職に就かず、私だけがバイトで働き詰めになって……その結果、過労で卵巣が破裂して鬱病も併発。長期入院することになったんです」

 その後、彼と別れた樋口さんは新たな男性に出会い、岡山県から遠く離れた神奈川県で再び同棲を開始。だが結婚も秒読みかと思われた矢先に破局してしまい、着いた先が現在暮らす女性限定シェアハウスだった。家賃は光熱費を含め4万50000円。10代から30代まで10人の女性が暮らしているが、住人同士の仲が悪く「四畳半の個室に寝に帰るだけの場所」だという。

「23時半までスナックで働いて帰るのは深夜なので、住民との会話もないですね。ほぼ毎日スナックの乾き物とビールを夕飯代わりにして食費も浮かせています。岡山時代の借金がまだ残っているし、一人暮らしの資金を貯めたいから。明日は土曜日なので、午後からキャバクラに出勤。昼職だけだと月15万円しか稼げないので」

 これだけ働いても月収が20万円を少し超えるくらいという厳しい生活だが「初めて自由に使えるお金ができたことがうれしい」と樋口さんは話す。取材当日に着てきたワンピースは、水商売の初給料で買ったものだという。

「同世代のコがオシャレを楽しんでいる20代前半に、自分は地獄みたいな生活だった。男は裏切るけど、お金は裏切らないです」

 苦しい生活ながら彼女はどこかふっきれた顔をしていた。

※写真はイメージです

取材・文/SPA!若者の貧困問題取材班

日刊SPA!

770名無しさん:2017/07/23(日) 18:48:02
当事者の自己責任で片付く話ばかりですね。

771チバQ:2017/07/29(土) 20:59:21
>>770
たしかに家賃が高額とか暮らし方を替えれば解決しそうな話もありますね

772とはずがたり:2017/07/30(日) 19:33:10
2017.07.26
早稲田大学で起こった「非常勤講師雇い止め紛争」その内幕
悲鳴を上げる大学雇用
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1116734086/3380-3384
田中 圭太郎 ジャーナリスト

773チバQ:2017/08/06(日) 17:51:28
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170805-01373977-sspa-soci
なぜ特定の街で貧困が生まれるのか? “駅から徒歩7分以内か否か”で二極化する実態
8/5(土) 8:50配信 週刊SPA!
なぜ特定の街で貧困が生まれるのか? “駅から徒歩7分以内か否か”で二極化する実態
時代に取り残されたかのような人けのなさ
これまであらゆる形態の貧困問題を見てきたSPA!だが、今回は貧困を生む“街”の構造を解き明かすべく取材を敢行。なぜ特定の街で貧困が生まれるのか? そこから脱することは可能なのか? 住民の声とともに見ていきたい。

⇒多摩ニュータウン写真ルポ

◆日本全国の郊外で“富の二極化”が拡大

 週末にもかかわらず子供の姿さえ見当たらない無人の公園、人通りもまばらなうえ高齢者ばかりが目につく商店街、画一的に並んだ、空室の目立つ団地――。我々が訪れたのは、’70年代以降、首都圏で有数の新興住宅地として賑わいを見せた多摩ニュータウンの団地群。居住者の大半を占めた団塊世代の高齢化に対し、若い世代の流入は右肩下がり。“世代交代”が行われず、時代に取り残されたかのような物寂しい光景が広がっていた。

「こうしたケースは多摩ニュータウンに限った話ではなく、日本全国で起きつつある問題です。家を買う人も借りる人も絶対数が減っている今、活気があり富が集中するエリアと貧困が集中するエリアの“二極化”が進んでいるんです」

 そう語るのは、不動産コンサルタントの長嶋修氏だ。いわく、二極化の基準は“駅から徒歩7分以内か否か”なのだそう。

「多摩ニュータウンしかり、同じような問題を抱えて地価下落率がワーストとなった千葉県柏市の大室地区しかり、駅周辺は今でも大きなマンションが建ったりと活気があるんですよ。ですが2〜3km離れてバス移動が必須となると極端に人気がなくなり地価は下落する一方。ただでさえ空き家の増加が問題視されている今では、どうしても利便性の高い都心部、駅近の物件へと人口が集中します。こうした傾向が続けば、駅から距離のある郊外の住宅地はどこであれ、スラム化のリスクが高いんです」

 需要が減り、地価が下がると住宅価格や家賃も下落。そうなると新たに流入してくる若い世代はおのずと低所得者層ばかりとなり、その地域に貧困が集中する状態に陥ってしまうわけだ。

「いまや、田園調布のような高級住宅地も油断できない状況です。かつては富裕層が集まる街でしたが、車の送迎が前提じゃないと住めないためお金があっても若い層は寄り付きません。しかも最低敷地面積が定められているため、小さな家を建てられず、中流家庭も入ってきづらいんです」

 さらに、自治体の施策もこの二極化に拍車をかけているという。

「少子高齢化時代においては、自治体の税収はどうしても下がってしまいます。人がまばらにしか住んでいないエリアのためにインフラ施設を修繕・更新するのでは財政がもたなくなるため、コンパクトなエリアに住民を集めようと『居住誘導地域』を定め、そのエリアの開発に注力します。こうした『立地適正化計画』から外れた地域はインフラ修繕などが後回しになり、なかば放置されるように。結果的に、同じ生活圏であっても富裕層と貧困層の“二極化”が色濃くなっていくんです」

774チバQ:2017/08/06(日) 17:51:44
話を多摩ニュータウンに戻そう。この地域に36年住む田中明子さん(仮名・72歳)に話を伺った。

「ご近所さんは亡くなられる人も増えましたし、最近は別の棟で孤独死があったと聞きました。残ったお年寄りはみんな年金生活ですし、今さら出ていけない。ただ、ウチは4階ですがエレベーターがないから階段がツラくて……」

 続いて話を伺ったのは、商店街で買い物をしていた秋山正さん(仮名・36歳)。

「この団地で育ち、今は母親と二人暮らしです。緑は多いし団地内のスーパーで買い物もできるから生活しにくいってことはないんだけど、自分を含めリッチな人は住んでないですよね。新しく入ってくる家族もいますが、正直稼ぎが多そうには見えないし。言い方は悪いですが、新しい人はゴミ出しの仕方とかマナーが悪かったりね。あとはやっぱり建物が古いですよね。でも、建て替えはどうしても無理みたいで……」

 話を聞いた住民たちにはどこか諦観さえ感じられたが、こうした地域は黙ってスラム化するのを待つしかないのだろうか?

「北海道の下川町は人口3000人ほどの田舎ですが、バイオマス発電事業で公共機関の電気代や灯油代を大幅に削減し、浮いた費用を子育て支援に回すことで転入者が増えています。周辺地域の地価が大暴落するなか、昨年ついに下川町だけが下げ止まったんです。同じように千葉県流山市も住民の高齢化の進む街でしたが、駅の構内に子供を保育園まで送迎してくれる施設を造るなど、子育てしやすい街をアピールすることで最近は総人口が右肩上がりの状態です」

 自治体の方針で街の未来を変えることはできる。しかし、多くの地域は「地価の下落→低所得者の流入」という貧困のスパイラルから抜け出ることは困難なのだ。

【長嶋 修氏】

不動産コンサルタント。’67年生まれ。個人向け不動産コンサルを行うさくら事務所の代表取締役社長。近著『不動産格差』(日経プレミアシリーズ)が好評

― [新型貧困を生む街]潜入ルポ ―

775チバQ:2017/08/13(日) 15:04:55
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170811-01373978-sspa-soci
月収13万、ネットカフェに寝泊りする日雇い労働者・30歳「こんな生活続けたくない…」
8/11(金) 8:50配信 週刊SPA!
月収13万、ネットカフェに寝泊りする日雇い労働者・30歳「こんな生活続けたくない…」
(日刊SPA!)
これまであらゆる形態の貧困問題を見てきたSPA!だが、今回は貧困を生む“街”の構造を解き明かすべく取材を敢行。なぜ特定の街で貧困が生まれるのか? そこから脱することは可能なのか? 住民の声とともに見ていきたい。

◆“新たなドヤ街”が都心の外縁部に出現

 労働者に日雇いの仕事を斡旋する「寄せ場」、日雇い労働者のための簡易宿泊施設が立ち並ぶ「ドヤ街」。過去の遺物のように思われがちなこれら地域だが、今も形を変えつつ残り続けているという。

 新宿駅近辺のネットカフェで出会ったのは田島明さん(仮名・30歳)。彼もすでに3か月以上家のない生活を続けている。

「友人とルームシェアをして家賃を折半していたのですが、彼が地元へ帰りひとり暮らしに。家賃の負担ができず、退去して新宿駅徒歩15分で月3万円のシェアハウスに転がり込みました。共用スペース以外はカプセルホテルの一室に近い寝床があるのみ。ただ、ほかの住民から嫌がらせを受けるようになり、2か月で退去。それ以降はネットカフェ生活です。仕事はずっと食品倉庫で働いています。同僚や上司には、家がないことがバレてないと思うんですが……。親を頼ろうにも、母が病気の自宅療養中で僕どころではありません」

 仕事が終わるのは20時頃。その後、ナイトパックが適用される22〜23時まで公園などで時間を潰し、今夜の寝床に入る。

「シェアハウス時代、自分の置かれた状況や寂しさで発狂しそうになっていましたが、今はこの生活にも慣れました。いつまでもこんな生活を続けたくないけど……少しずつ貯金するしかないですね」

 田島さんの月収は約13万円。そこから日々の宿泊費や通信費、生活費を差し引くと手元には毎月1万円が残るかどうかだという。NPO法人・もやい理事長の大西 連氏はこう語る。

「住まいを借りられるよう保証人になったり大家と交渉するなどの支援を我々も行っているのですが、こうした貧困は目に見えづらく、こちら側から積極的にサポートの声をかけにくいのが現状なんです」

 全労働人口における非正規雇用の割合は4割を超えたともいわれる昨今。今後も増加が続けば、それに比例するように“新たなドヤ街”が都心を取り巻くように増え続けていく可能性は高いだろう。

【大西 連氏】

もやい理事長。社会活動家。NPO法人「自立生活サポートセンターもやい」の理事長を務め、生活困窮者への支援のほか現場の声の発信に注力する

― [新型貧困を生む街]潜入ルポ ―

776名無しさん:2017/08/13(日) 18:45:28
東京ならスキル無しでも 寮付・月収13万以上の仕事なんて幾らでも見付かる。
深刻なのはそういう選択すら出来ない地方。

777チバQ:2017/08/16(水) 20:28:21
https://www.nishinippon.co.jp/feature/life_topics/article/313647/
支援団体が「夜の世界白書」 風俗店勤め 限られる高収入 月12日で43万円 徐々に減少
2017年03月10日 14時33分

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 ●知られたくない 進む孤立化

 東京を拠点に、性風俗店で働く女性たちを支援する一般社団法人「Grow As People」(GAP、角間惇一郎代表理事)が、初の報告書「夜の世界白書」をまとめた。若いうちは高収入でも、年齢が上がると減少していくことや、職業が明らかになることを恐れ、孤立しがちな女性たちの姿が浮き彫りになった。

 調査は現状を把握して支援に生かす狙いで、2015年度にインターネット上で実施。女性がホテルなどで客と会う「デリバリーヘルス」といった関東の無店舗型風俗店などに勤める377人から有効回答を得た。

 実際に接客した実働日数と月収の全体の平均は、11・8日で43万995円。年齢別では18〜22歳が16日、81万9200円と最多で、43歳以上では7日で18万2千円と最も少なかった。

 風俗業を始めたきっかけ(複数回答)は生活費や学費、借金返済など金銭的な理由が延べ215人で最多。「仕事がない」(60人)「なんとなく」(47人)が続いた。「なんとなく」は27歳までが半数超、「仕事がない」は33歳以上が6割超を占めた。GAPは「20代でなんとなく始め、30代で他の仕事に移りにくくなり、40代になると収入が減っていくという姿が表れている」と指摘する。

 職業については「誰にも知られたくない」と答えた人が多く、仕事以外では外出を控え、家に閉じこもる傾向も強かったという。

    ★   ★

 GAPは全国の性風俗店で働く女性のトラブル処理や転職支援などに関わっている。

 九州北部の20代後半の女性からは、今年に入り相談メールが届いた。連絡を取ると、出産予定日が数日後に迫っていた。

 昨春から昼間の仕事と掛け持ちをしていて、店にも相手の男性にも妊娠の事実を「話せなかった」。GAPは店に連絡を取り事情を説明。出産後の行政手続きを含め、対応に奔走した。

 女性は「頼れる人がいなかった」と話し、支援に感謝しているという。

 転職支援では12年度以降、GAPを通じて37人が一般企業などに就職した。

 提携する関東のNPO法人でインターンとして働く20代後半の女性は高校卒業後、週3日ほど風俗店で働いていたが、昨夏「このままで大丈夫だろうか」と相談した。電話対応や資料整理などインターン先での経験を通じ「昼の仕事でもやっていけるかも」と自信がついてきたという。

 GAPへの相談はメール=info@growaspeople.org=で。

 ●セカンドキャリアは… 悩む「40歳の壁」 角間GAP代表理事に聞く

 GAPの活動について、代表理事の角間惇一郎さん(33)に聞いた。

 -支援のきっかけは。

 「2010年に風俗店のオーナーと知り合う機会があり、直後に大阪で(風俗店勤務の女性が子ども2人を餓死させた)事件が起きたことがきっかけ。何ができるか、実態を知るために風俗店で2年間働いた」

 -現場で見えたものは。

 「店で働く女性には他人に言えないことがあり、社会的に孤立しやすい。『男に殴られた』『借金でどうしようもなくなった』など、店にはトラブルの情報がある。その情報を行政や弁護士などにつなぐ支援ができると分かった」

 「抱える問題は人それぞれだが、引退する時が来るのは誰しも同じ。店でのキャリアは遅くても40歳ころには終わる。私たちは『40歳の壁』と呼ぶのですが、次の仕事、セカンドキャリアを支援することは活動の軸になると感じた」

 -活動して良かったと思うのは。

 「支援を続けるには、多くの人の関わりが必要。風俗店員やNPO、ボランティアと、いろんな立場で関わってくれる人が増えていくのはうれしい」


=2017/03/10付 西日本新聞朝刊=

778チバQ:2017/08/21(月) 19:52:48
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201708/CK2017080802000159.html
<脱 子どもの貧困>(上)「海水浴」の機会も調べよ 首都大学東京・阿部彩教授

2017年8月8日


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 子どもが、楽しい時間を過ごすはずの夏休み。近年は貧困問題が影を落とす。厚生労働省によると、二〇一五年時点の「子どもの貧困率」は13・9%で、過去最悪だった前回調査(一二年)より2・4ポイント改善したが、国際的にはなお高い水準だ。解決に向け、どのような取り組みが必要か、識者に聞いた。一回目は首都大学東京の阿部彩教授。親の所得だけでなく、「海水浴」などの指標を設け、子どもが経験する機会が奪われていないかにも目を凝らすべきと説く。
 「子どもの貧困率」が2・4ポイント減少したことは大きい。ただ改善は国の貧困対策の影響というよりも、景気が良くなり親の所得が回復したからだ。経済状況が再び悪くなれば、貧困率も悪化する可能性があり、景気に左右されない支援が求められている。
 特に、ひとり親家庭の貧困率は50%を超える状況で、そこに手を打つためには現金支給が欠かせない。政府は昨年、ひとり親家庭に支給する児童扶養手当を引き上げた。だが、対象は二人目以降に限られ、それほどのインパクトはない。
 厚労省の調査は、所得を基に貧困率を推計しているが、欧州では、子どもの具体的な生活状況を把握できる「剥奪指標」を使った調査を取り入れている。「海水浴に行く」「学習塾に通わせる」といった項目を聞き、子どもが経験する機会が奪われていないかを調べるものだ。
 全員が海水浴に行くべきだということではない。一般的な家庭で、少しでも金銭に余裕があれば子どもにしていることができないのは、家計の危機的状況を意味している。子どもの生活がどれほど脅かされているかがストレートに反映される。
 近年、民間団体による子ども食堂や学習支援がメディアで注目されている。重要な活動だが、そもそも公的機関が担うべきこと。週に一回、月に一回という支援よりも、全中学校で給食を始めるなど、継続的で漏れのない取り組みが先決だ。
 なぜ、ご飯を食べられない子どもがいるのか。なぜ、母親とご飯を食べられない状況なのか。子どもたちがそうならないようにするために、社会はどうするべきかという議論に至っていない。労働環境や学校での取り組みなど、社会の仕組みを変えなければ、根本的な解決にならない。
◆都の実態調査 食の困窮は中2で11%
 都は2月、阿部教授の研究室と連携して初めて実施した子どもの生活実態調査の結果を発表。「生活困難層」が2割以上に上った。
 4市区(墨田区、豊島区、調布市、日野市)の小学5年、中学2年、16〜17歳の子どもとその保護者を対象に実施。保護者と子どもそれぞれ約8000人から回答を得た。
 「生活困難層」は(1)所得が一定基準以下(2)家計の逼迫(ひっぱく)(「電気料金」「家賃」「食料」など7項目で支払えなかった経験が一つ以上)(3)子どもの体験や所有物の欠如(「海水浴」「クリスマスプレゼント」など15項目から三つ以上該当)-の三つの要素のうち一つ以上該当している家庭と定義。小5で20.5%、中2で21.6%、16〜17歳で24%に上った。
 中2でみると、食べ物に困窮した経験があるのは11.2%、経済的な理由で過去1年間、海水浴に行けなかったのは4.0%だった。
<あべ・あや> 米・タフツ大大学院で博士号取得。国際連合などを経て、現職。研究テーマは、貧困、社会保障など
<子どもの貧困率> 平均的な可処分所得(手取り収入)の半分を下回る世帯で暮らす18歳未満の子どもの割合。厚生労働省によると、2015年時点は13・9%で、7人に1人の割合になる。過去最悪だったのは12年の16・3%。経済協力開発機構(OECD)の直近のデータでは、加盟国など36カ国の平均は13・3%で、日本はこれを上回っている。

779チバQ:2017/08/21(月) 19:53:45
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201708/CK2017081002000171.html
<脱 子どもの貧困>(下)「あれも、これも」の予算を 兵庫県明石市・泉房穂市長

2017年8月10日


写真
 子どもを核とした町づくりをしている。全ての子どもに対し、行政と地域が連携し、みんなで応援するというコンセプトだ。貧しい家庭の子どもだけでなく、誰ひとり見捨てずに支える。
 親の収入で線を引いて支援をすると、こぼれ落ちてしまう子がいたり、どこで線引きをするかで議論が複雑化したりする。明石市は中学生までの医療費と第二子以降の保育料を無料にしているが所得制限はしていない。
 相談のチャンスが失われると、問題は長引きやすい。支援は早期に、継続的にすることが大事だ。今年一月から、市が把握した妊婦全員への面談を始めた。早くに親の困り事を知り、フォローする。また児童手当は漫然と振り込まず、乳幼児健診などで本人の健康が確認できるまでは支払わない仕組みだ。
 子ども食堂は、小学校区ごとに一カ所できるように整備している。子どもの目線に立てば、市内に一カ所程度では通えない。二〇一九年春、市内に児童相談所を設置する予定で、食堂と連携する仕組みをつくり、子どもの危機にいち早く気付ける拠点としたい。子ども食堂はブームのようだったが、これからは実際の課題に向き合っていく時期に来ている。
 行政の政策で、予算を何に振り分けるかは「選択と集中」と言われる。子どもについては「あれか、これか」ではなく、「あれも、これも」必要だ。子どもの貧困というのは、子どもを貧しさに追いやっている政治の貧しさの表れだと言える。
 明石市では、他の市に比べて、子ども施策に予算を投じている。結果として、人口は増加に転じ、新たに生まれる赤ちゃんが増え、税収も上がった。子どもにしっかりとお金を使うことは町の未来のためにもなる。予算をシフトすることで、子どもたちが救われる。
<いずみ・ふさほ> 53歳。明石市生まれ。東京大卒業後、NHKディレクター、衆院議員、弁護士などを経て、2011年より現職
<兵庫県明石市> 瀬戸内海に面し、大阪市や神戸市に通勤する人のベッドタウン。子どもの医療費の無料化や教育環境の整備など、子育て世代への支援を充実させているほか、障害者施策にも力を入れている。人口は4年連続で増加し、17年7月時点で29万5296人。子どもの出生数も15年以降、2年連続で増えた。市によると、20代〜30代の子育て世代の流入が進んでいる。18年度からの中核市移行を目指している。
◆学習支援で「連鎖」絶つ
 都内で就学援助制度を利用しているのは2015年度で16万2000人余りと、全体の20.4%を占める。13年度の22.3%と比べてやや減少している。首都大学東京の阿部彩教授(貧困・格差論)と都の16年調査によると、授業が分からないと感じる中学2年生の割合は全体で24%なのに対し、生活困窮層は52%と跳ね上がり、経済状況が子どもの学びに大きな影響を与えていることが浮かび上がった。
 都の主な対策は、生活困窮家庭やひとり親家庭の子どもを対象に、学習を支援する事業などがある。生活困窮家庭向けは、16年度は39区市と西多摩福祉事務所で実施され、本年度は46区市に拡大。利用者も年々増えている。
 「貧困の連鎖」を絶つ取り組みとしては、高校卒業程度認定試験の講座受講料を支援している。いずれの事業も、19年度末に都内全62自治体が取り組めるよう体制を整える目標を掲げている。 (木原育子)

780チバQ:2017/08/25(金) 14:03:06
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170825-00185474-toyo-soci
年収100万円「52歳ゲイ男性」の深すぎる苦悩

8/25(金) 5:00配信��
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「最近のLGBT運動は、同性愛者や性同一性障害者の中での勝ち組と負け組をつくり出している」と言うハルオミさん(筆者撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。今回は都内在住で、非常勤や派遣講師で生計を立てるハルオミさん(52歳)のケースに迫る。彼は子どもの頃から、恋愛対象が同性だった。

 都心のビル街が虹色に染まった。横断幕や小旗、うちわが躍る。プラカードには「結婚したい!」「多様性=強み」「自分らしくいられる未来を」のメッセージ。風船で埋め尽くされたフロート(山車)から1970年代のディスコミュージック「セプテンバー」が流れる。若者はもちろん、車いすに乗った高齢者、家族連れといった参加者が沿道の人々とハイタッチを交わしていく。

 2017年5月、東京・渋谷。LGBTなど性的少数者への理解を訴える東京レインボープライドのパレードが開かれた。6回目となる今年は、過去最高の約6000人が参加。企業の出展ブースでは、博報堂DYグループのLGBT総合研究所をはじめ、ブライダルや美容、保険、アパレル、旅行業界などの各企業がLGBT向け商品やサービスを紹介した。

■「年収100万円のゲイには何の恩恵もない」

 ゲイのハルオミさん(52歳、仮名)は今年もパレードには参加しなかった。無精ひげを生やし、帽子からシャツ、パンツまで全身を黒で統一。冷めた口調でこう語る。

 「かつてないLGBTブーム。すてきなホテルで結婚式を挙げることができて、旅行や化粧品におカネをかけられるエリートにとっては、いいでしょうね。でも、私のような非常勤講師で生計を立てている年収100万円のゲイには何の恩恵もありませんよ」

 筆者は性的少数者への偏見をなくすためには、さまざまな手法のアプローチがあっていいと思っている。一方で、年を追うごとに広告代理店や企業の存在感が増していくイベントに対し、「企業は金儲けになるからやってるだけ」「LGBTへの理解が進んでいるとは思えない」といった批判が、当のLGBTたちの間から出ているのも事実だ。

ハルオミさんは続ける。

 「イベントがいくら盛り上がっても、いじめや差別がきっかけで貧困に陥ったり、セックスワークに就かざるをえなかったりするような最底辺の人たちは疎外されたまま。最近のLGBT運動は、同性愛者や性同一性障害者の中での勝ち組と負け組をつくり出してしまっているんじゃないでしょうか」

 ハルオミさんは、1990年に同性愛者の団体が東京都から公共施設の利用を拒絶されたことに端を発する「府中青年の家事件」の当事者の1人でもあった。事件は後に裁判に発展。20代の頃、ゲイやレズビアンたちの権利獲得のための運動に情熱を傾けた彼が、現在のLGBT運動と距離を置き、貧困状態に陥るまでに、どんな曲折があったのか。

 東京で自営業を営む両親の下で育った。比較的裕福な家庭だったという。幼稚園児の頃から、好きになるのは男の子。妹とは、当時の人気アイドルグループ「光ゲンジ」の中で、誰がかっこいいかという話で盛り上がった。深刻ないじめや差別に遭うことはなかったと言い、高校時代には米国に1年間留学。大学卒業後は都内の私立高校で英語教諭の職を得た。

 東京都の宿泊施設「府中青年の家」の利用をめぐる問題に直面したのはちょうどこの頃。ハルオミさんが所属していた同性愛者団体がこの施設に泊まった際、ほかの利用者から「ホモの集団」「またオカマがいた」などの差別発言を受けた。これに対し、都側に適切な対応を求めたところ、反対に「青少年の健全な育成に悪い影響を与える」として、以後の利用を断られてしまったのだ。

 この団体は1991年に損害賠償を求めて東京都を提訴した。ハルオミさんも裁判準備や支援集会への参加、海外の同性愛者団体との連携などに奔走。こうした活動と仕事の両立は難しく、英語教諭の仕事は辞めた。当時はバブル景気で、私塾の教師や翻訳などの仕事はいくらでもあり、収入はさほど落ちなかった。しかし、「身分の保証はありませんでしたから、精神的には不安でした」と言う。

■表に出せる“正しいゲイ”ではなかった

 定職がなくなった分、プライベートと活動の境目はあいまいになった。暇さえあれば事務所の電話番を務め、海外の団体との英語によるやり取りは一手に引き受けたという。一方で、仕事を投げうってまで貢献したのに、団体の中で自分が正当に評価されていないとの思いが、ハルオミさんの中ではくすぶり続けた。

781チバQ:2017/08/25(金) 14:03:54
 「裏方仕事ばかりで、いいように使われるだけ。まるで便利屋。理由はわかってます。私がめちゃくちゃな恋愛ばかりしていたからです。とにかく相手をとっかえ、ひっかえでした。私は、世間や団体が求めるような、表に出せる“正しいゲイ”ではなかったんです」

 いろいろなボタンの掛け違いがあったのかもしれない。公私ともに疲弊したハルオミさんが「少し休みがほしい」と申し出たところ、団体幹部から「(休んだ後に戻ってきても)もうあなたのポジションはない」と言われ、これがきっかけでうつ病を発症したという。

 ハルオミさんはこう言って当時を振り返る。「メンバーは滅私奉公して当たり前と言わんばかりの団体にも問題があったし、僕自身、カルト信者のようにのめり込んでいました。活動への思い入れが強かっただけに、あのとき、“もうお前の帰る場所はない”と言われて、目の前が真っ暗になりました」。

 また、裁判のさなか、母親にゲイであることを知られた。母親からは「せっかく五体満足に産んであげたのに」「こんなふうに育てたつもりじゃなかった」と泣かれたという。

 1997年、訴訟は原告側が勝訴。しかし、ハルオミさんに残されたのは、不安定な仕事と、慢性的なうつ状態と、疎遠になった家族――。団体には所属し続けたが、以前のような濃密なかかわりを持つことはなくなったという。

 そうした中、なんとか中国地方の大学で、正規採用の働き口を見つけた。そして、ほどなくして東京のLGBTの交流会で出会った東北出身の男性と恋愛関係になる。「ピアノを弾いている姿を見て一目でかわいい! と思ったんです」というハルオミさん。相手の実家に遊びに行ったとき、両親が「息子が2人できた」と喜びながら、次々とごちそうを振る舞ってくれ、それとなくゲイカップルを認めてくれたこともうれしかったという。

 ハルオミさんは恋人と東京で一緒に暮らすことを決意。大学の仕事は5年で辞めた。しかし、この頃すでに景気は悪化。東京では非常勤や派遣講師の仕事しか見つからず、500万円ほどあった年収は減り続ける一方だった。

 結局、恋人とは40歳になる直前に破局。ハルオミさんは「彼は私の収入が下がったことに文句を言ったことはありません。彼も喫茶店やパン屋でアルバイトをしていましたし。ただ、私自身に“自分が稼がなきゃ”という古臭い固定観念があって。焦りやイライラが彼に伝わってしまったんだと思います」と言って、かつてのパートナーをかばう。

 幸いだったのは、家族と十数年ぶりに連絡を取ったこと。自営で成功した両親はハルオミさんの窮状を見かね、アパートを買ってくれたという。母親との関係も往時ほど苛烈ではなくなった。ただ、いまだに息子がゲイだと知らない父親だけが「まだ、結婚しないのか」と聞いてくるという。

 「家賃がかからないので、年収100万円でも、病気さえしなければ、飢え死にしない程度には生きていけます。でも、8月いっぱいで今の仕事の契約が切れます。その後は無職。(扶養しなければならない)子どもがいないことが、孤立したゲイの数少ないメリットなのかもしれません」

■最大の後悔は、パートナーと別れたこと

 ハルオミさんは今も、人生で最大の後悔は、このパートナーと別れたことだという。しかし、私には、彼のつまずきは、彼自身も認めるその「恋愛体質」と関係があるようにもみえた。若い頃に全身全霊を注いだ同性愛者団体から認めてもらえなかったのも、安定した仕事を失ったのも、原因は恋愛だったのではないか。

 私は、ゲイやレズビアンに性に奔放な人たちが多いとは思わない。ただ、ストレートに比べて性的マイノリティのカップルは出会う確率自体が低いから、恋愛に積極的にならざるをえない面はあるだろう。また、いじめや差別、家族との不仲などから、精神的に不安定になり、恋愛に依存せざるをえない人も少なくないのかもしれない。

 恋愛をやめられないことと、自身がLGBTであることは関係があると思うかと尋ねると、ハルオミさんは「わからない」と言う。恋愛はやめられないのかと重ねて問うと、「『パリ、夜は眠らない。』という映画を知っていますか」と言ってきた。

 1980年代のニューヨーク・ハーレムを舞台に、黒人ゲイたちの姿を中心に描いたドキュメンタリー映画である。LGBTに対する風当たりは、今とは比べものにならないほど過酷だった時代。ダンスパフォーマンスの様子や、ゲイたちのインタビューで構成されている。中には命を落とす人も出てくるが、バッドエンドではない。

782チバQ:2017/08/25(金) 14:07:40
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170811-00183613-toyo-soci
26歳男性「正社員で年収200万は幸運」の真意

8/11(金) 5:00配信��
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ダイスケさんは、正社員で年収200万円だった過去を「けっこういい給料をもらっていた」と話す(筆者撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。今回は埼玉県に住む、現在は無職のダイスケさん(26歳)のケースに迫る。彼は農業を目指して四国に移住し、挫折した経験を持つ。

 源泉徴収票の支払金額の欄に「給料賞与 217万4200円」とあった。埼玉県在住で、今は無職のダイスケさん(26歳、仮名)。「ガス販売会社の正社員でした。この会社では、けっこういい給料をもらってたんです」と説明する。年収200万円が「いい給料」?  驚く私に対し、彼はこう続けた。

 「僕の同級生で200万円ももらっている人なんていないですよ。そもそもほとんどが非正規(労働者)ですし」

 ダイスケさんが別の源泉徴収票なども見せてくれた。以前、正社員として勤めていた農業法人は「給料 146万2434円」、現在、妻がフルタイムのパートで勤めている介護施設は「給与賞与 135万1277円」、飲食店アルバイト時代のある月は「総支給額 12万5650円」――。確かにこれらと比べると、年収200万円は恵まれて見える。

 「(ガス販売会社で)人生で初めてボーナスというものをもらったんです。うれしかった。住宅手当も家族手当も、交通費まで出ました。週休2日で、好きな本を読んだり、興味のあるイベントに行ってみたりという週末を初めて過ごしました」

■母親の再婚相手から虐待を受けた

 ダイスケさんの夢は農業経営だ。一時期、野菜の栽培と販売で生計を立てていたこともある。現在の失業状態に陥るまでには、想定外のトラブルなどさまざまな曲折があった。

 子どもの頃に両親が離婚。その後、母親の再婚相手から毎日のように虐待された。柔道の絞め技をかけられ、フライパンで殴られ、流血ざたや警察沙汰になったこともある。高校卒業後、学費が安く、寮生活ができる公立の農業専門学校に進んだのは、貧しさと暴力から逃れるためでもあった。

 農業は思いのほか性に合った。専門は野菜全般。中でも得意なのはナスとニンジンである。ダイスケさんは「施肥の管理や、脇芽などを間引くタイミング。頭を使って手間暇をかけると、ちゃんと成果が返ってきます。農業はクリエーティブな仕事ですよ」と言う。

 専門学校を卒業後、農業法人に就職した。正社員で、年収は約145万円。農作業のほかに直売店舗の切り盛りを任されることもあり、このときは、朝3時に起きて市場で野菜を買い付けると、夜9時の閉店まで、休みなく働いた。残業代はなし。はたから見ると、いわゆるブラック企業だが、ダイスケさんは「このときは楽しかったです。1ヘクタールの土地の管理をすべて任されたんですから。ニンジン栽培のコツを教えてくれたのも、ここの社長でした」と振り返る。同僚の女性と結婚したのも、この頃だ。

 2年後、妻とともに知人のツテがあった四国へ移住。地元の農業法人に勤めながら、独立のための資金を貯め、新規就農者向けの国の給付金を受けるための準備を進めた。

 しかし、ここで致命的なトラブルに見舞われた。給付金を受けるには事前に農地を準備することが条件で、通常は自治体や農業委員会などが間に入り、空いている民有の休耕地を紹介してくれる。ダイスケさんも地元の市役所から約1ヘクタールの借地を提示されたが、申請直前になり、そこが、元の所有者が亡くなった後の相続登記手続きが完了していない土地であることがわかったのだ。名義が未変更の土地では、給付金は下りない。

 「会社(農業法人)にはすでに辞めると伝えてしまった後でした。最初、市役所からはすぐに利用できる土地と説明されました。ところが、後になって相続者は複数おり、中には連絡が取れない人もいて、手続きが完了する見通しが立ちそうにない、という話になって……。給付金があれば、年間150万円を5年間にわたって受けることができたのですが、結局、自己資金100万円だけで見切り発車するしかありませんでした」

783チバQ:2017/08/25(金) 14:08:39
■「行政のミス」で貧困に転落

 複雑に入り組んだ土地の権利関係を、所有者でもない個人が整理することは難しい。穏やかな人柄のダイスケさんははっきりとは言わないが、完全に行政側のミスである。これを機に生活は貧困へと転落した、という。

 飲食店などでアルバイトをしながら、当初、予定していた借地でナスとニンジンを育てた。夜間も気温35度を超える四国の夏をエアコンなしで乗り切り、医療費を抑えるために歯痛をこらえながらクワを振るった。しかし、赤字はかさむ一方。貯金が20万円を切ったとき、「このままでは、再スタートも切れなくなる」と、四国からの撤収を決意した。移住からわずか2年後のことだったという。


 2015年2月、雲ひとつない快晴。軽自動車と軽トラックに家財道具を積み込み、東名高速上りをひた走った。正面に山肌の半分ほどが雪で覆われた富士山が見えたとき、「ああ、戻ってきたんだ」と、胸中に安堵と失望が交錯したことを今もはっきりと覚えている。

 関東圏に移った後の目標は、農業で再起すること。収入のことを考えて畑違いの仕事への転職も試みた。しかし、就職活動では、独立のために短期間で農業法人を退社したことや、農業収入の不足分を補うために就いたアルバイトなどの履歴が不利になったという。履歴書を見た面接官から「なんでこんなに転職してるの?」などと批判めいた口調で聞かれるのだ。現在、通っているハローワークの講習会の講師からも「履歴書に一貫性がない」「(四国での)自営業の期間が短いのは印象が悪い」と指摘される。

 「講師はハローワークに天下りした60代の元公務員です。アドバイスをしてくれているのはわかるのですが、あなたたちのときとは時代が違うと言いたくなります」

 ダイスケさんは「履歴書は妻のほうが悲惨なことになっている」という。彼が厳しい中でも正社員の仕事を探したのに対し、彼女は正規、非正規を問わず、働けるところで働いたからだ。履歴書の職歴欄は、薬局のアルバイトや市役所の契約職員、NPO法人の臨時職員など非正規雇用がほとんどで、雇い止めによる転職回数も多い。

 取材では、妻も話を聞かせてくれた。

 「この1年で20社くらいの面接を受けたでしょうか。面接官からはたびたび“あなたの履歴書からは、何の魅力も感じない”“契約社員とか、アルバイトが多いね”“勤続期間が短いね”と言われます。履歴書を見ただけで何がわかるの? と思いますが、不採用が続くと、今まで頑張ってきたことをすべて否定された気持ちになり、落ち込みます」

 夢に向かって挑戦し、努力を惜しまなかったという自負がある。それに、不安定な非正規雇用を増やしてきたのは社会のほうではないのか。たった一度、つまずいただけなのに、再起のチャンスをつかむことも許されない――。疎外感にさいなまれながら、ダイスケさんがなんとか職を得たのが、冒頭の年収200万円のガス販売会社だった。

しかし、ここでもトラブルに見舞われる。

■財布泥棒の「犯人」として疑われた

 入社から1年がたったこの春、職場でアルバイトの財布が紛失する事件が起き、ダイスケさんが犯人として疑われたのだ。盗まれたという時間帯に、事務所には彼しかいなかったなどの不利な状況に加え、事件前、上司から接待用にゴルフセットをそろえるよう言われたときに自腹で買うのかと尋ねたり、営業車のガソリン代は経費で賄えるのかと確認したりしたことも、周囲におカネに執着する人間という印象を与えてしまったようだ、と言う。

784チバQ:2017/08/25(金) 14:09:21
と言う。

 「同期入社の友人から“雇ってくれている会社におカネのことを聞くのはまずかったね”と言われました。でも、それって、ちゃんと確認しないといけないことですよね」とダイスケさんは途方に暮れる。会社からは退職を促され、結局はそれに応じた。

 現在、毎月の手取りはダイスケさんの失業保険と、妻のパート収入を合わせた28万円ほど。失業中につき、家事を引き受けている彼によると「肉類は格安スーパーで買うグラム40円の鶏むね肉だけ。果物はぜいたく品です。飲料水は大型スーパーで、無料でもらえるサービスを利用しています」。相変わらず歯の治療には行けないので、虫歯は抜けるに任せるしかない。

 国の福祉制度の利用も考えたが、生活保護はわずかながら貯金があるので使えない。第二のセーフティネットと言われる生活困窮者自立支援制度の住宅扶助も窓口で「一生に一度しか使えない制度」と説明され、断念。国による生活福祉資金貸付制度も返済時に利子が付くと聞いてやめた。

 せめて健康保険料と住民税の免除を、と役所に相談したが、「そのような制度はありません」の一言で終わり。ダイスケさんの前年の所得に基づき、今年は20万円近い税金を収めなくてはならない。「生活保護以外のセーフティネットはないも同然」と痛感した、という。

 若い夫婦にとって、唯一幸せなのは2人の絆に揺るぎがないことだ。ダイスケさんは「どんなときも否定的なことを言わない。いつも、“どうにかなるよ”と言ってくれます。妻には感謝しかありません」、一方の妻は「面接や職場でどんなに嫌なことがあっても、(夫のいる)家に帰ってくるとホッとします」という。仲のよい夫婦だが、子どもについては「欲しいけれど、今はとうてい無理」と口をそろえる。

 ダイスケさんはガス販売会社を不本意な形でクビになり、「心身ともに疲れ果てました」とうなだれる。ここなら独立資金を貯めるための余裕が持てそうだと、期待した矢先のトラブルだっただけに、なかなか気持ちが切り替えられないのだという。

■福祉関係の仕事に就きたいが…

 今も、工場勤務や飲食店など選ばなければ仕事はある。一方で、今度、農業を再開するときには、障害を持っている人や虐待に遭った子どもたちに就農機会を提供する「農福連携」を目指したいと思っているという。特色のある農業のほうか、生き残りやすいとの期待があるからだ。このため、次の就職先は福祉関係を希望しているが、福祉業界は賃金水準が低すぎて、今度は独立のための資金集めという目的が果たせない。

 「農業では採算が取れるまでに5年はかかります。もう一度、挑戦するのか、それともあきらめるのか。あきらめるなら、仕事は生活の糧を得るための手段と割り切って生きていくことになる。子どものことを考えると、決断までに残された時間はそう多くはないんです」

 この秋には失業保険が切れる。「それまで、もう少しだけ考えさせてほしい」。

 話を聞いている間、ダイスケさんは時々、手のひらを見つめ、指の付け根あたりを指先でなでるような仕草を見せた。触れさせてもらうと硬いマメができていた。

 「毎日、クワを握っていましたから。本当はもっと硬くて、黄色いマメだったんです」

 このマメが日ごとに柔らかくなっていく。そのことが悔しくて仕方ない、という。

本連載「ボクらは「貧困強制社会」を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

藤田 和恵 :ジャーナリスト

785チバQ:2017/08/26(土) 05:14:22
http://toyokeizai.net/articles/-/185051?utm_source=yahoo&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=related
「海外旅行格差」から見える日本の深い分断線
この10年で格差が拡大している
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「ニューズウィーク日本版」ウェブ編集部 2017年08月19日
若者の「海外旅行離れ」が言われるなか、全国の都道府県別の若者の海外旅行の実施率に大きな差異が出ている。世帯収入別に見た子どもの海外旅行の実施率もこの10年で格差が拡大した。


8月のお盆休みを海外で過ごす人も多いだろう。1973年以前の固定相場制の時代では、「1ドル=360円」の為替レートを受け入れられる富裕層しか海外旅行には出かけられなかったが、今では誰もが簡単に国境を越えられる時代だ。

若者の「海外離れ」が進んでいる


当記事は「ニューズウィーク日本版」(CCCメディアハウス)からの転載記事です。元記事はこちら
2016年の総務省『社会生活基本調査』によると、過去1年間に海外観光旅行をした国民の割合は7.2%、およそ14人に1人だ。しかし時系列推移をみると、1996年の10.4%をピークに減少の一途をたどっている。20代前半の若者の経験率も、この20年間で16.4%から12.9%に下がっている。このような変化を指して、国民(若者)の「海外離れ」などと言われている。

不況で経済的ゆとりがなくなった、インターネットで国外の情報が容易に得られるので行く必要性がなくなったなど、要因はいろいろ考えられる。大学生の場合は、学業の締め付けが厳しくなっているので、時間的余裕がなくなっていることもあるのではないかと思う。若者の内向化といった精神論を振りかざす前に、客観的な生活条件の変化に注目する必要がある。

生活条件という点でみると、地域間の違いも見逃せない。同じ若年層でも、都市と地方では海外旅行の経験率に大きな差異がある。15〜24歳の海外観光旅行経験率を都道府県別に出し、高い順に並べると<表1>のようになる。

全国値は9.7%だが、県別にみると東京の18.2%から青森の2.1%までの開きがある。東京は5人に1人で、青森は50人に1人だ。時間的余裕のある学生が占める割合等にもよるだろうが、この違いはあまりに大きい。同じ国内とは思えないほどの格差だ。

高率県の多くは首都圏や近畿圏に位置し、そこから遠ざかるほど率が低くなる傾向にある。海外への玄関口(国際空港)へのアクセシビリティという地理的要因もあるだろう。

経済的要因も関与している

また海外旅行には費用がかかるので、経済的要因も関与しているとみられる。<表1>の海外観光旅行経験率は、各県の1人あたり県民所得(2013年)と+0.5669という相関関係にある。こうした社会的、経済的条件により、若者のグローバル体験の機会に地域格差が生じている。

家庭環境による差も大きい。とりわけ、生活の全面を家庭に依存する子ども世代の格差が拡大している。小学生の海外観光旅行経験率を家庭の年収別に出した統計があるので、それをグラフ<図2>にしてみる。

年収が高い家庭の子どもほど経験率が高いが、注目されるのはこの10年間の変化だ。年収1500万円超の富裕層だけがグンと伸びている(12.0%→22.0%)。その一方で、年収300万円未満の貧困層では減少している。子どもの海外旅行経験の格差が拡大していることがわかる。

近年の学校現場では、グローバルな世界で通用する「生きる力」の育成が重視されているが、富裕層は同様の目的で国際体験を子どもに積ませようという意識が高いのだろうか。

こうした体験格差が、学校でのアチーブメントの違いに転化するであろうことは想像に難くない。大学入試も人物重視の方向に転換されるが、そうなった時、幼少期からの体験の違いがモノを言うようになる。

面接での仕草、立ち居振る舞い、話題の豊富さ……。ペーパーテストにも増して、育った家庭環境の影響を受ける要素だ。学校の特別活動は、こうした体験格差を是正することを目指さなければならない。

海外旅行の経験率という指標から、地域格差や階層格差によって深く分断された日本社会を見ることができる。

786チバQ:2017/08/27(日) 09:13:34
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170826-00000080-jij-pol
生活に満足、最高の74%=「この先悪く」も2割強―内閣府調査
8/26(土) 17:06配信 時事通信
 内閣府が26日公表した「国民生活に関する世論調査」によると、現在の生活に「満足」「まあ満足」と答えた人は合わせて約74%に上り、調査項目に加わった1963年以来最高となった。

 一方、生活がこの先「悪くなっていく」とみている人も2割強いた。

 生活に満足しているとの回答は、前年よりも3.8ポイント上昇して73.9%となり、これまで最高だった95年の72.7%を上回った。所得・収入について満足と回答した人は51.3%(前年比3.2ポイント増)で、不満と答えた人の46.9%(同2.7ポイント減)と逆転した。所得・収入で満足が不満を上回ったのは96年以来。内閣府の担当者は「景気が緩やかに回復しているため」と分析している。

 生活はこの先どうなると思うかとの質問には、「同じようなもの」が65.2%で最も多く、「悪くなっていく」は23.1%。「良くなっていく」は9.4%にとどまった。

 長時間労働是正などを柱とする「働き方改革」に絡み、今回初めて「自由時間が増えた場合にしたいこと」を質問。トップは旅行の47.0%で、趣味・娯楽が34.8%、スポーツが18.7%だった。

787とはずがたり:2017/09/15(金) 13:08:30

米国の貧困率、改善も「数年内に悪化」か
Forbes JAPAN 2017年9月15日 10時45分 (2017年9月15日 12時46分 更新)
http://www.excite.co.jp/News/economy_clm/20170915/ForbesJapan_17725.html

米国勢調査局は9月12日、「米国の所得と貧困」に関する年次報告書を発表した。米国では2016年、貧困率が前年から0.8%ポイント低下、12.7%となった。これは朗報だといえる(ただし、それでも貧困者数はおよそ4060万人だ)。

家計所得の中央値は前年比3.2%増となり、2015年の5万7230ドル(約631万円)から5万9039ドル(約651万円)に増えた。また、医療保険に加入していない人の割合は、9.1%から8.8%に低下した。

さらに、世帯所得のみから貧困率を割り出す際の問題点を補うために政府が採用している「補完的貧困値」で見ても、貧困率は14.5%から13.9%に低下している。

「貧困」の定義の問題点

貧困者数に関する調査については、長年にわたって結果の正確さが問題視されてきた。統計に用いるのはサンプル(約9万5000世帯)であり、例えば税務記録に基づく分析結果などとは異なる。貧困の唯一の尺度として世帯所得に頼るのは、あまりに短絡的だとの批判もある。

米国内では確かに物価が下落しているが、不動産や医療、教育にかかる費用は増加している。貧困世帯の子供が大学を卒業することがどれほど困難か(大学を卒業する人の数は、富裕層では貧困層の8倍)、学費負担の影響の大きさ、医療費の増加の仕方を考えれば、世帯の消費支出を把握するだけでは何を予測するにも十分だと言えるだろう。

「補完的貧困値」は、公式な貧困者支援の対象とはならないものの、「低所得世帯・低所得者を支援するための政府プログラムを利用している人」を考慮し、国勢調査局が発表している数値だ。
つまり、所得が公的貧困ラインを上回っていても、政府の支援が必要な世帯はあるということだ。

この補完的貧困値に基づいて考えると、2016年の貧困率は13.9%。2015年から0.6%ポイント低下しているものの、公式な貧困率をかなり上回っている。

医療費に絡む危機的問題

所得が貧困ラインを下回る世帯のうち、医療保険に加入している世帯の割合は、83.7%だ。貧困ラインを400%上回る世帯の医療保険の加入率は95.6%。そうした中で、トランプ政権は医療保険制度改革法(オバマケア)で定められた保険会社への補助金を突然、大幅に削減すると発表した。

グループ別に見た貧困

貧困率は人種によって大きく異なる。貧困ライン以下で生活する白人の割合は8.8%。黒人とヒスパニック系の割合はそれぞれ、22%、19.4%となっている。アジア系は10.1%だ。

また、人種を考慮しない場合の女性の所得は、男性の約83%。どの年齢層で見ても、貧困ライン以下で暮らしている女性は男性よりも多い。さらに、婚姻の有無を考慮すると男女差は一層拡大する。配偶者どうしが同居する世帯の貧困率は5.1%。だが、世帯主が独身男性の場合は13.1%、独身女性の場合は26.6%になる。

貧困も「循環」

貧困率は歴史的に見て、長期にわたって上昇を続けたことも、下落し続けたこともない。米国では1959年以降、貧困率は最も低かった年に約11%を記録。一方で1980年代以降は、何度か15%に達している。

最新の報告書では13%を下回ったが、再び上昇に向かう時期が来るのはそれほど先のことではない可能性がある。遅くとも数年後には、再び上昇し始めるかもしれない。
Erik Sherman

788とはずがたり:2017/09/17(日) 22:29:55

世界の9人に1人飢える=紛争などで増加―国連報告書
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170917-00000082-jij-int
9/17(日) 20:16配信 時事通信

 【パリAFP=時事】人類の11%、9人に1人に相当する8億1500万人が2016年、慢性的に飢える状況にあったとの報告書を国連がまとめた。

 世界の飢餓人口は過去10年、減少傾向が続いてきたが、報告書は16年について「前年から3800万人の増加に転じた。紛争と(日照りや豪雨といった)気象状況が主な原因だ」と訴えた。

 15日付で公表された報告書は、世界食糧計画(WFP)、国連児童基金(ユニセフ)、世界保健機関(WHO)、国連食糧農業機関(FAO)、国際農業開発基金(IFAD)の国連5団体が協力してまとめた。シリアや南スーダンといった戦闘が続く国々で5300万人が「食べ物に不安を抱きながら」今も暮らしている。

 世界では5歳以下の子供1億5500万人が栄養失調で、その後の人生の健康や学力への影響が懸念される。うち約5200万人は衰弱し、身長にふさわしい体重を伴っていない。その一方で、世界には肥満児が4100万人もいて、増加傾向にあるという。

789チバQ:2017/10/17(火) 20:22:13
貧困とは何ぞやということを誰かこの爺さんに説明してやってくれ
百田尚樹‏
@hyakutanaoki

「俺たちはワーキングプアだ。貧困だ!」と、ネットカフェに寝泊まりしている若者が言う。
しかし、世界のどこに、スマホをいじりながら漫画を読み、ネットカフェに寝泊まりしている貧困層がいるのだ。
17:59 - 2017年10月16日

790チバQ:2017/10/21(土) 10:22:16
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi_region/region/mainichi_region-20171019ddlk08010072000c.html
<この国の片隅から>17衆院選で考える/上 貧困救済したい…「こども食堂」 遠ざけるジレンマ /茨城
10月19日 00:00毎日新聞

 「どうぞ」と差し出されたお盆に、所狭しと並ぶご飯とおかず。湯気と香りを鼻から吸い込み、「いただきます」と手を合わせる。記者の隣では、小学生の男児がみそ汁をかきこんでいた。

 毎月第1、3土曜日、茨城保健生活協同組合(水戸市城南)の一室で開かれている「にこにこ食堂」を訪れた。給食のない土曜日にも子供たちが栄養のある食事を取れるよう低価格の食事を提供する、いわゆる「こども食堂」だ。

 この日の献立は、サケのマヨチーズ焼き▽冬瓜(とうがん)と鶏肉の煮物▽野菜いっぱいみそ汁▽季節のサラダ--など。オープンから毎回通っているという女児(9)が頬張っていたインゲンは、隣に座るボランティアの男性が育てたものだという。女児は「苦手なホウレンソウも食べられるようになった」と喜んだ。

 にこにこ食堂は2016年7月、同生協がオープンした。中学生以下とその保護者は100円、その他は300円でおなかいっぱいの昼食を食べられる。

 長男(10)と共に来ていた水戸市の女性会社員(47)は「安いのがなによりうれしい。忙しくて家では作れない品数や料理が並ぶ。毎週開いてほしい」と話す。家庭環境を詳しく聞くことはできなかったが、夜遅くまで働いているらしく、子供に満足な食事を出せないやりきれなさがうかがえた。

       ◇

 厚生労働省によると、平均的な年収の半分を下回る世帯で暮らす18歳未満の割合を示す「子供の貧困率」は2015年に13・9%。一人親世帯に限ると5割以上になる。03年から悪化傾向で、12年には過去最悪の16・3%に達した。非正規雇用の増加などが背景とみられる。

 「こども食堂」は元々、貧困対策を主な目的に始まった。だが最近は貧困よりも「子供の居場所」や「地域の交流の場」としてアピールしている。

 県内の運営関係者は「食堂に通っていると、『貧しい子』と思われてしまうから」と明かす。だが、それは本来の意義を薄め、かえって貧困に苦しむ子供を遠ざけるジレンマにもなる。関係者は「本当に貧困で苦しむ子供たちのための場所になりきれていない」と声を落とす。

 子供たちが傷つかないよう、家庭環境にはあえて触れないようにしているが、同生協の岡部佳代子理事(63)によると、子供が「親が仕事だから昼食はお菓子で済ませた」「夜は親がいないから食べない」などと、貧困をのぞかせることもあるという。

 子供たちは食べ終わると、自転車にまたがり、「また来るね」と手を振った。こども食堂が根本的な解決にならないことは分かっている。それでも、どこかで泣いている子が救われるかもしれない。【玉腰美那子】

       ◇

 この国の片隅でもがきながら生きている人々の姿を通じ、この衆院選で問われているものが何か、改めて考えたい。

………………………………………………………………………………………………………

 ■ことば

 ◇こども食堂

 保護者の困窮や共働き世帯などの理由で、自宅で満足な食事がとれない子供に、地域住民やボランティアが無料、または低額で温かい食事を提供する取り組み。2012年に東京都大田区内で始まったと言われる。全国のこども食堂の取り組みを紹介する「こども食堂ネットワーク」(東京都)には、今年10月現在で約270カ所が登録されている。自治体が運営するケースもある。

791チバQ:2017/10/21(土) 10:23:47
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201710/CK2017101702000285.html
派遣労働者 描けぬ未来 「雇用改善」は遠い国のこと

2017年10月17日 夕刊


東京湾岸行きのバスを待つ男性。派遣で夜勤の仕事を始めて10年がたつ=千葉県船橋市で
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 大晦日(おおみそか)の東京・日比谷公園に「年越し派遣村」が設けられ、「派遣切り」で住まいを失った人が寝場所を求めて続々と集まったのは九年前。衆院選で安倍晋三首相は雇用の改善を強調するが、不安定な非正規雇用の割合は高止まりしたままだ。東京湾岸一帯の倉庫や工場で働く非正規労働者からは、将来を描けない不安の声が漏れた。 (中沢誠、写真も)
 東京湾岸から近い千葉県船橋市の西船橋駅周辺は、派遣会社の営業所が目立つ。駅南口の通りは午前七時すぎになると、送迎バスを待つ労働者が列をなす。
 仕事を終えた人たちで再び喧噪(けんそう)が始まる午後六時。バスから降りてきた三浦昭寛さん(38)=神奈川県座間市=に声を掛けた。
 日給七千円。この日はレーンを流れるペットボトルや生活用品を商品ごとに振り分ける作業だった。「六千八百円の原付免許の更新料を払わないといけなくて…」。普段は派遣で週五日、神奈川県内の倉庫で携帯電話の部品の仕分けをしているが、給料日は一週間先。蓄えもなく、派遣会社に日雇いバイトの仕事を紹介してもらった。
 高校でいじめを受け、中退してから職を転々としてきた。「四、五年前に比べれば、時給は百円ほど上がったかな」。月の収入は十六万円ほどで生活はギリギリだ。
 人手不足なんだろうな、とは思う。別の派遣会社からは一週間を置かずに「働きませんか」と連絡が入る。外国人も増えてきた。それでも非正規から抜け出せない。
 三年近く付き合っている彼女との結婚を考え、昨秋、正社員の仕事を探した。飲食店や電機メーカーなど、六社の面接を受けたが、いずれも不採用。「企業は必要なときに安く働かせられる人がほしいだけ」と思い知らされた。
 非正規労働者が雇用の調整弁という状況は、今も変わらない。有効求人倍率一・五倍、戦後二番目の景気拡大…。与党の訴えもどこか遠い国のことのように感じるが、衆院選の投票には行くつもりだ。
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 「すぐに金がほしいから」と話す男性(22)は、日雇いで働くようになって二年。衆院選投票日の翌日に誕生日を迎える。「同じ職場で働く四十、五十代を見ると、いつか自分も、と将来に不安は感じる。でも、今必要なのは明日を生きる金」。政治には期待しない。
 人通りが減った夜の八時前、男性が湾岸行きのバスを待っていた。六十四歳。十年前にリストラに遭った。再就職はかなわず、派遣で物流倉庫の夜勤を続ける。
 年金は月五万円にも満たない。重さ二十キロを超える家電製品を運ぶこともあり、「体中ガタガタだけど、生きるためには仕方がない」。いつまでこのまま働き続けるのか。見えない明日を憂い、つぶやいた。
 「今のままでは何も変わらない。どんなかたちでもいい、政治に変化を求めたい。選挙には行く」。この日も、朝五時までの作業が待っている。
<非正規労働者> 1999年の労働者派遣法改正で建設業や警備業など5業種を除くほぼ全業種が対象となり、派遣労働が広がった。2004年には5業種のうち製造業が派遣可能になった。リーマン・ショック後、不況で派遣労働者の契約を打ち切る「派遣切り」が相次ぎ、社会問題となった。その後も非正規労働者は増加し、06年の1678万人から16年は2023万人に。厚生労働省の調査によると、このうち希望しても正社員になれない人の割合は15・6%を占める。

792チバQ:2017/11/17(金) 23:07:51
http://toyokeizai.net/articles/-/196136?utm_source=Twitter&utm_medium=social&utm_campaign=auto
正社員になれなかった56歳男性の厳しい貧困
夕食は毎日、卵かけご飯か納豆ご飯だけ
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藤田 和恵 : ジャーナリスト 2017年11月09日
現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。
おカネがなくて虫歯を放っておいたら…


この連載の一覧はこちら
時々、どうにも言葉が聞き取りづらい。一緒に入ったファミレスで出されたハンバーグも半分以上が残ったままだ。なぜだろう――。不思議に思っていると、キイチさん(56歳、仮名)が教えてくれた。上あごの歯は奥歯数本を残してすべて抜け落ちてしまったことと、数年前に胃がんの手術を受けて胃の3分の2を摘出したことを。

「歯医者は高いから。虫歯を放っておいたら、抜けてしまいました。(口腔内を)見られたくなくて、最近はあまり笑わなくなりましたね。胃がんのときもおカネがなくて。医者から“このままだったら、死にますよ”と言われ、消費者金融で30万円ほど借金をして手術を受けました。以来、一度に食べられる量が減ってしまったんです」

貧困は健康格差を招く――。キイチさんの体がそれを物語っていた。

経済的な事情などで高校を中退。正社員として就職した地元の中小企業の月給は、わずか十数万円ほどだった。もともと車好きだったこともあり、よりよい待遇を求めて長距離トラックの運転手へと転職。稼ぎは倍増したが、労働条件にはさまざまな問題があった。

運送会社の管理の下で出勤時刻も乗車する車両も決められていたのに、雇用形態は個人事業主。走行距離は1回の乗務で往復約1000キロに上ったが、会社側からは経費節減のためにできるだけ高速道路を使わないよう命じられ、やむをえず、睡眠時間を削って一般道路を走った。バブルの崩壊とともに復路は積み荷がないことが増え、それにつれ給与もダウン。20年近く勤めた頃に腰痛が悪化し、退職を余儀なくされた。もちろん退職金はゼロ。

その後、派遣社員として群馬や埼玉などの工場で働いた。給与は、月100時間ほどの残業があれば最大で30万円にはなった。一方で派遣元から用意された寮は、隣の部屋との仕切りが障子1枚きりだったり、部屋干しした洗濯物のほとんどがカビだらけになったりするような物件ばかり。にもかかわらず、家賃5万5000円を天引きされた。あるとき、同じ仕事に就いている正社員にはボーナスがあることを知り、派遣元に正社員になりたいと相談したところ「年齢的に無理です」と言われてあきらめたという。

そして埼玉・上尾にある大手自動車メーカーの工場で派遣社員として働いているときにリーマンショックに遭った。大部屋にキイチさんら派遣社員100人ほどが集められ、雇い止めと退寮の通告を受けた。重苦しい空気の中、誰一人として質問や抗議の声を上げることはなく、失業保険の申請方法の説明に無表情で聞き入る同僚たちの姿を、今もよく覚えているという。

「テレビで『派遣切り』のニュースを見ていたので、不安に思っていました。ショックでした。何年も正社員と同じように働いたのに、おかしいなとも思いました。けど、どうにもならない。1人ではどうにもできないじゃないですか」

793チバQ:2017/11/17(金) 23:08:16
50社以上立て続けに不採用

寮を追い出されたのは冬の最中。カビだらけの服は捨て、残ったありったけのシャツやセーター、コートを着込み、駅前や公園で1カ月ほどホームレス生活を送った。その後、雇用促進住宅に入居。ハローワークに通い、紹介された会社の採用面接を受けたが、不採用が続いた。次第に気分が滅入り、「酒に逃げるようになってしまった」という。50社以上立て続けに落ち、1晩で焼酎2リットルを空けるようになった頃、ハローワークの相談員から医療機関を受診するよう勧められた。うつ病と診断された。

運送会社や派遣会社による理不尽な仕打ちの数々に、さぞ怒っているものと思いきや、キイチさんは意外にも穏やかな表情でこれまでの働き方をこう振り返る。

「トラック運転手の仕事は面白かったです。いったん出発してしまえば、車内で好きな音楽を聴くこともできましたし。どんな曲を聴いていたかですか? 私の世代のアイドル、明菜やキョンキョンですよ。派遣は立ち仕事のうえ、3交代で夜勤もあったので腰はつらかったですが、好きな車にかかわれる仕事でしたから。できるならもう一度工場で働きたいと思っています」

キイチさんはうつ病診断後も就職活動を続けている。給与や雇用形態に特に条件を付けているわけではないが、年齢のこともあるのか、なかなか定職には就けない。そうした中、雇用促進住宅の取り壊しが決定。不動産会社で賃貸アパートを探したが、入居には身元保証人が必要だと言われた。両親はすでになく、ほかに頼れる親族もいなかったので、やむをえず、1年ほど前にインターネットで見つけたNPO法人が運営する知的・精神障害者を対象としたグループホームへと引っ越したのだという。

この施設の入居費用は1日2食付きで月約8万円。ところが、キイチさんに言わせると、食事はすべてレトルト食品で、しかもブロッコリーや白菜の煮物など野菜ばかりだった。さらに職員は世話人1人が夕方から朝にかけて泊まっていくだけで、あとはほったらかし。終始温厚だった彼が珍しく不満をあらわにした。

「(食事は)肉なんて一度も出たこと、ありません。NPOっていうのは非営利なんですよね。なのに、法人の理事長はランクルとか、エルグランドとか、高級車をとっかえひっかえしていましたよ。後になってテレビで『貧困ビジネス』という言葉を知りました。この施設のことだと思いました」

結局、70万円ほどあった貯金は半年余りで底をつき、施設を追い出された。今年に入ってからは、付き合っている女性の賃貸アパートに「居候させてもらっている」。その女性もうつ病でフルタイムの就労は難しい。現在、毎月の収入は、最近支給が認められたキイチさんの障害年金と、女性の生活保護費を合わせて約13万円。いちばんの困りごとは、満足な食事ができないことだという。

うつ病の症状はさまざまだが、体調が悪くなると自炊ができないという人は多い。キイチさんたちも自炊は難しく、食費は割高になりがちだ。食事は基本、朝はコンビニの100円の総菜パン、昼はインスタントラーメン。夜は卵かけご飯か納豆ご飯を交互に食べる。たまのぜいたくが、格安のソーセージか豆腐を付けること。時々、精神障害者向けのデイケア施設に通うのは、無料で提供される弁当が目当てだと打ち明ける。

「総菜パンも、本当はコロッケやソーセージの入ったのを食べたいです。でも、それが買えるのは割引セールのときだけです。野菜を取ったほうがよいのはわかっているのですが、たとえばレタスを買っても、2人では食べきれず腐らせてしまいます」

794チバQ:2017/11/17(金) 23:08:36
おカネか命か、日々選択を迫られる

キイチさんは、自分が胃がんになったのは、失業してうつを患って以降、ろくな食事ができなくなったことと関係があるのではないかという疑念を捨て切れない。また、同居している女性は心臓に持病があり、医師からは塩分などを控えるよう指示されている。しばらく、医師から勧められた宅食サービスを利用したが、「1食500円以上かかるのでとても続けられませんでした」。結果、半年ほど前に心不全の発作に見舞われた。おカネか命か――。彼らの暮らしは日々、そんな究極の選択の繰り返しである。

企業による脱法行為や派遣切り、貧困ビジネス――。キイチさんの来し方から浮かび上がるのは、行政の不作為である。企業が社会保険料などの負担を避けるため、実質的な従業員を個人事業主として扱う手口は今に始まったことではない。しかし、行政が本腰を入れてこの問題の改善に乗り出したという話はついぞ聞いたことがない。また、工場など製造業への派遣は改正労働者派遣法による規制緩和で認められたが、雇い止め対策などに目が向けられることはなかった。貧困ビジネスも社会問題化して久しいが、野放し状態。彼が被害に遭ったと訴えるNPO法人は、今も厚生労働省所管の「福祉医療機構」が運営する情報サイトで入居者の募集を続けている。

不安定雇用を強いられながら社会や会社に貢献したキイチさんは、必要がなくなると簡単に切り捨てられた。戦後最長と称される「いざなみ景気」もアベノミクスも、彼の暮らしにはなに1つ恩恵をもたらしてはいない。

不思議だったのは、社会や政治に対する不満について尋ねたとき、キイチさんが「日本がアメリカに加担して戦争ができる国になってしまったことです。もう1つは、自宅前の道路の車の騒音がひどいので早く対策をしてほしいことです」と答えたことだ。安倍晋三政権下で成立した安全保障関連法と、地域の道路整備についての話である。どこか借り物のような言葉に違和感を覚え、働かされ方に不満はないのですかと水を向けてみると、まるで覚えた「答え」を思い出すように「白髪頭の何とかという総理大臣が……」と話し始めた。小泉元首相による一連の規制緩和政策のことだ。

「好きでこういう状態になったわけじゃない」

こうした「答え」は、雇用促進住宅への入居手続きを手伝ってくれた地元議員や、その議員が所属する政党の人たちが話していたことだという。10月に行われた衆院選でも、頼まれてこの野党政党の候補のビラ配りなどを手伝った。ただ、政策に共鳴したからというよりも、「ホームレスをしていたときに、お世話になったので」という感謝の気持ちが大きいようだった。

もしかすると、キイチさんは卵かけご飯しか食べられない現実に困ってはいても、怒ってはいないのかもしれない。私の戸惑いを気遣うように、彼が言った。

「私だって好きでこういう状態になったわけじゃない。それは確かですよ」

口元を隠した、独特の空気の抜けたようなしゃべり方。その言葉はやはり、耳を澄まさなければ聞き取ることができなかった。

795チバQ:2017/11/17(金) 23:10:10
http://toyokeizai.net/articles/-/193885
年収300万円「非常勤講師」が苦しむ常勤の壁
20年で100以上の大学の公募に応募したが…
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藤田 和恵 : ジャーナリスト 2017年10月25日
現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。



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秋の深まりは慌ただしく、そして唐突だった。前日までの陽気から一転、冷気を含んだ雨が、夏の名残をかき消したその日、JRの駅ホームのベンチでたたずむジロウさん(55歳、仮名)の姿があった。ディスカウントショップで買ったという紺色のジャケット。いつも重たいショルダーバッグをかける左肩部分が白く毛羽立っている。おもむろにバッグからおかかのコンビニおにぎりとスポーツドリンクを取り出した。これがこの日の昼食だという。

「時々、隣で女子高生たちもお昼ご飯を食べています。そんなときは、“なんなの?このおじさん”という視線を感じます」

任期付き教授から非常勤講師へ

ジロウさんは1年前まで、地方にある私大の任期付き教授だった。その後、大学での職を得ることができず、現在は、東京都内の私大と関東近郊の専門学校で非常勤講師として勤める傍ら、子ども向け福祉施設の指導員や高齢者施設の夜間受付などの仕事をかけ持ちしている。500万円以上あった年収は激減。今ではすべての仕事を合わせても300万円に届かない。

夜間受付の勤務を終えて深夜に帰宅した翌日に1時限目の授業が入っているときは、朝6時に出勤しなくてはならない。職場間の移動には2時間近くかかることもある。しかし、仕事によっては交通費も出ない。心身はもちろん、時間的にも経済的にも余裕はなく、昼食は駅のホームでおにぎり1個を食べるのが精いっぱいだ。

ジロウさんはこの20年間で100以上の大学の公募に応募してきたが、採用されたのはわずか5校ほど。採用の過程が不透明なことが、どうにも納得できないと憤る。

「大半が出来レース。公募の段階ですでに合格者が決まっているとしか思えないことがありました」

ある私大では、書類選考を通過し、事務担当者から面接日を指定された直後に担当教授から電話があり、「ご辞退いただけないでしょうか」と頼まれた。納得できずに食い下がると、すでに合格者が決まっていると打ち明けられた。

また、別の私大では、面接までこぎ着けたが、不合格。後になってその大学に勤める知人から「学部長の推薦を受けた人が選ばれた」と教えられた。論文や書籍などの執筆件数では断トツで勝っているのに、教授らと面識のある10歳以上年下の若手研究者にポストを奪われたこともある。

試験を受けても合否の連絡が来ないこともあったという。ある有名私大では、ジロウさんから何度も問い合わせをした結果、ようやく不合格と告げられたが、なぜか不合格通知は出せないと言われた。また、別の大学では採用試験から半年近く過ぎても合否が判明しないので、業を煮やして文部科学省を通して問い合わせたところ、ようやく走り書きのような手書きの不合格通知が届いた。

今年に入ってからも、ある地方の私大の公募の面接を受けた。このときは、模擬授業の手応えもよく、担当者からは業務内容や給与など採用条件について詳しい説明を受けたという。ジロウさんは「(担当者からは)“授業の時間割は、先生のご都合によって組み替えることもできます”とも言われました。十中八九、合格したと思いました」と振り返る。しかし、結果は不合格。理由はわからない。

796チバQ:2017/11/17(金) 23:10:33
研究業績を積んできたという自負がある

ジロウさんの専門は児童福祉で、共著なども合わせると20冊近い著作がある。フィールドワークにも積極的に携わり、児童虐待に関するユニークなアンケート調査を行った際には、テレビ局や新聞社から取材を受けたこともあるという。

相当の研究業績を積んできたという自負のあるジロウさんは「(選考の基準が)実力主義じゃないんです。大学も経費削減を迫られているので、(人件費が低くて済む)若手を雇うという判断はある程度理解できますが、こんなことばかりしていると教員の質は下がる一方だと思います」と訴え、その証拠として、ここ数年、大学教員によるアカデミックハラスメントをめぐる裁判ざたや懲戒処分が相次いでいることを指摘した。


大学の教員ポスト自体が減少傾向にある中、選考過程の不透明さを指摘する声は少なくない。大学院の博士課程を修了したポストドクターらの間では、公募にも、本当に一から選考する「ガチ公募」と、すでに内定者が決まっている「コネ公募」があるといわれる。文部科学省所管の科学技術振興機構が運営する研究者人材データベースで、多くの大学が教員採用の際に利用する「JREC-IN Portal」の求人にもコネ公募があるとされる。「コネをつくるのも実力のうち」との考えには一理あるが、すでに採用される人が決まっているのに、公正性という体裁を整えるためだけに公募をかけるのだとすれば、それは看過できない問題なのではないか。

コネで入ったら自由な研究ができなくなってしまう

ジロウさんは地方の進学校を卒業後、東京の私大に進んだ。大学の研究者になるのが夢だった。大学院などを経た後、全国の大学で任期付きの講師や准教授などとしてキャリアを積んだ。この間、人脈をつくる機会がなかったわけではない。若い頃、学会などに顔が利く教授から公募の際には推薦しようと持ち掛けられたが、断ったという。

「コネで入ったら、お世話になった人に頭が上がらなくなる。自由な研究ができなくなってしまうと思ったんです」

現在、妻と3人の子どもは地方都市で暮らしている。自宅は妻が両親から相続した持ち家だが、東京で生活するジロウさんには別途6万円を超える家賃がかかる。家族と離れて暮らす理由を「自己投資です」と言い、関東圏のほうが非常勤講師や教員の仕事を見つけやすいほか、参加したい研究会なども東京で開かれることが多いからだと説明する。

妻は嘱託の保育士で、年収は200万円足らず。夫婦の収入を合わせても家計は厳しく、ジロウさんは大学での仕事を失って以降、酒とたばこをやめた。食事はコンビニのおにぎりのほか、牛丼などのファストフードで済ませることがほとんど。食費は抑えられるが、代わりに持病の糖尿病の状態を示すヘモグロビンA1c(エーワンシー)の数値は、この1年間で「6.5」から「7.7」に急上昇した。

コネや人脈を利用する機会を拒んできたことに「悔いはない」と語る。その一方で、高校生になる子どもたちがアルバイトに精を出す姿を見たり、大学受験を控えた子どもが「国公立しか受けない」と言っているのを聞いたりすると、申し訳なく思うと言う。また、大学時代の同窓生たちがいわゆる大手企業に就職し、今は年収1000万円以上を稼ぐまでになっていると知ると、「もう少し賢く生きる道もあったのでは」と複雑な気持ちになる。

797チバQ:2017/11/17(金) 23:10:49
話を聞く中で、ジロウさんはこれまで希望するポストを得られなかった理由を「運が悪かったからだ」と嘆いた。一方、別の場面では「運のせいにはしたくない」とも言う。私がそのことを指摘すると、揺れる心の内をこんなふうに語った。

「自分が選んだ道なので、運のせいにはしたくない。運のない、かわいそうな人だとは思われたくないんです。でも、これまで数えきれないほど屈辱的な目に遭ってきたのも事実。運で片付けないとやりきれない気持ちになることもあるんです」

学生らしい理想に燃えた日々は今も彼の中にある

ジロウさんからは、取材場所として東京・高田馬場界隈の喫茶店を指定された。そこから程近い早稲田大学の出身なのだという。その喫茶店はサークル活動や飲み会の後などによく利用した。店内の深紅のじゅうたんやレトロな装飾を見て、学生時代とほとんど変わっていないと喜び、大学の4年間を「人生の中でいちばん輝いていた時代。まさに青春でした」と振り返る。

高校までは受験勉強一色。大学に入ってからはサークル活動の一環で、地域の子ども会でのボランティアに明け暮れた。その中で、発達障害や児童虐待に関するリアルな問題に触れるうちに、生涯の研究テーマとなる児童福祉に興味を持ったのだという。

ジロウさんによると、当時のサークルには「セツルメント運動」の名残があった。セツルメントとは、もともとは宗教家や学生らによる貧民救済活動の一種。日本では1920年代に東京大学の学生らが関東大震災の被災地域などに出向き、さまざまな救済活動を展開したことで知られる。今でいうボランティア活動の走りでもある。学生らしい理想に燃えた日々は今も彼の中で色あせることがない。

コネ公募がまかり通る世界で、理想を追い求めても幸せが待っているとは限らない。しかし、いまやその理想こそがプライドを支える拠り所なのだ。現在も別の大学の選考結果を待っている。絶望の一歩手前。「実力」が評価される未来を信じている。

本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。

798とはずがたり:2017/11/18(土) 10:46:46
>「一般事務なんて贅沢だ。どんな仕事でもいいから働け」と言うなら、それは横暴というものです。「自由」を標榜する新自由主義者は、「田舎に住んでいるから仕事がないんだ。東京で働け」と言い、彼らは他者の自由は認めず、まるで全体主義的な発想です。……
みんなが一般事務しかやらなかったら社会は動いていけないし田舎で住むからカネ寄越せってのに一々答えてられないやろ。
寧ろ安倍は田舎に税金の無駄遣いして人手不足なのに仕事作りまくり。全然自由主義ではない。云ってる事がM,滅茶苦茶だ。

水野和夫 アベノミクスは完全に失敗した
http://gekkan-nippon.com/?p=12704
2017/11/9 水野和夫, 立ち読み

アベノミクスを見直せ

 日経平均株価が約26年振りに2万3千円台を回復したと報じられています。安倍首相はこの間、株価があがったことをアベノミクスの成果だとして強調してきました。しかし、株価があがったからといって国民生活が豊かになったわけではありません。実際、実質賃金は下落傾向が続いており、格差や貧困が拡大しています。こうした状況を転換するためにも、アベノミクスの見直しが必要です。

 ここでは、弊誌(とは註:月間日本)11月号に掲載した、経済学者の水野和夫氏のインタビューを紹介したいと思います。全文は11月号をご覧ください。

日本は階級社会になった

―― 安倍首相は解散総選挙にあたり、アベノミクスがいかに成果を上げてきたかということを訴えていました。この5年にわたるアベノミクスの評価を聞かせてください。

水野 安倍首相はアベノミクスによって企業収益が増加したことを強調しています。確かに企業の当期利益は2001年度をボトムに増加基調に転じ、2017年度の最終利益は過去最高益を更新する見込みです。しかし、その一方で、賃金は1997年から現在に至るまで下落傾向が続いています。国民総所得における賃金・俸給の割合は、1980年度には46・5%ありましたが、2015年度には40・5%まで低下しています。

 これは本来労働者が受け取るべき賃金が企業利益に付け替えられていることを意味します。労働分配率は、働く人の能力が低下しない限り、循環的な変動はあったとしても、大きく低下することはないからです。この労働者の「逸失賃金」はおよそ200兆円を超えるほどの巨額です。経済学者のトマ・ピケティは『21世紀の資本』(みすず書房)で、グローバル企業の経営者たちが「レジに手を突っ込んでいる」と言ったほうがいいと指摘していますが、同じことが日本でも起こっているのです。

 また、日本では金融資産を持たない世帯が急増しています。1987年には金融資産非保有世帯(2人以上世帯)は3・3%でしたが、2016年には30・9%となり、調査開始以来最高水準となりました。このうち40歳代の非保有率は35・0%で、リーマンショック以降の上昇幅を見ると、20歳代に次いで高いという結果になっています。40歳代は子育て中の人が最も多い世代です。この世代で格差が広がっているということは、子供たちの間で生まれたときから格差や不平等が生じているということです。

 このように、現在の日本では格差や貧困が拡大し、階級社会になってしまっています。なぜこれでアベノミクスが成功したと言えるのか、理解に苦しみます。

―― 安倍首相はアベノミクスによって有効求人倍率が上昇したと主張しています。

水野 有効求人倍率が上昇した要因はいくつかあります。一つは、団塊の世代がごっそり退職したことです。団塊の世代の退職者のほうが新卒者よりも多ければ、人手不足になるのは当然のことです。しかし、これは人口構成の変化によって生じたことであり、アベノミクスのおかげではありません。

 もう一つは、建設業で人手不足が生じていることです。これは東日本大震災や熊本地震などの自然災害と、東京オリンピックによるところが大きいと思います。しかし、オリンピックの招致には安倍政権も関わっていますが、自然災害はアベノミクスとは何の関係もありません。

 また、有効求人倍率のデータを細かく見ると、最も希望の多い「一般事務の正社員」の有効求人倍率は1・0を大きく下回っています。つまり、労働者たちが最も希望する仕事は企業からほとんど提供されていないということです。それゆえ、全体の有効求人倍率が上昇したからといって、それほど自慢できることではないのです。

 「一般事務なんて贅沢だ。どんな仕事でもいいから働け」と言うなら、それは横暴というものです。「自由」を標榜する新自由主義者は、「田舎に住んでいるから仕事がないんだ。東京で働け」と言い、彼らは他者の自由は認めず、まるで全体主義的な発想です。……

799とはずがたり:2017/11/27(月) 10:59:36
学校法人潰したから貧乏なんであって国会議員やってたから貧乏ではないやん。

「おカネまったくないねん…」あの小泉チルドレンが貧困を告白!
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171127-00010000-gendaibiz-pol
11/27(月) 7:02配信 現代ビジネス

いまはシェアハウスに住んでいる
「元国会議員でホームレスになったりする方もいる」――。自民党総務会長の発言に世間が驚いた。いったい、ホームレス状態にまで追い込まれている元国会議員は実在するのか。

現在の井脇氏の姿はこちら

本日発売の週刊現代が、小泉チルドレンとして世間の注目を浴びた「あの人」の切実すぎる近況を報じている。

「元国会議員で生活保護を受けたり、ホームレスになったりする方もいると聞いている」

自民党の竹下亘総務会長の発言が話題だ。

国会議員の議員年金は、'06年に廃止されている。だが、

「このままでは有為な人材が集まらなくなる」

と、11月14日に開かれた自民党総務会で、議員年金復活が議題になったのだ。

村上誠一郎代議士が言う。

「国会議員の報酬は年間約2100万円ですが、私設秘書への給与や地元事務の経費でほとんどがなくなる。

議員年金がないと、引退すればホームレスになってしまってもおかしくないのです」

言及された「ホームレスになった元議員」とは誰か。「彼女では?」と記者のあいだで噂になったのが、この女性である。

井脇ノブ子。

「やる気、元気、井脇!」をキャッチフレーズに、'05年の郵政選挙で「小泉チルドレン」の一人として初当選(比例近畿ブロック)。

ピンクのスーツを着込み、中年のオッサンばりのルックスで知られていた。

'09年に落選後は、いつの間にか世間から姿を消していた井脇氏が、本誌の取材に答えた。

「おカネ、まったくないねん。持ち家ももちろんない」

井脇氏は、いま71歳。ホームレス疑惑は否定するが、都内のアパートで、元支援者の女性(76歳)と、「シェアハウス」状態で生活しているのだという。

「いまの収入は国民年金が毎月7万8000円。そこから毎月3万円だけ払って、(元支援者の)部屋に住ませてもろうとんねん。

選挙は何回も出たけど、費用は全部自己負担やった。ポスター代や宣伝カーのガス代といった借金の返済が、やっと来年の3月ごろ終わるのよ。ほっとするわあ」

生活のやりくりは大変のようだ。この日も着ていたピンクのスーツは、かつての教え子に送ってもらったものだという。

議員年金があれば……と思わないか?

「あったほうが助かるわな。私は保険もゼロや。死んでも一銭も出えへん。
だから月3000円の保険、あるやろ。あれを掛けようかなと思うとんねん。そしたら葬式代100万円くらい出るやろ」

井脇氏は、小学4年のとき、兄が殺人容疑で誤認逮捕された。真犯人が捕まるまで地元・大分で村八分同然だったという。

「村の人が通りかかって『殺人犯の妹や』というてくんですよ。私は『大人が何を言うか』と大声で言い返したよ。負けておれるかと思った」

母親に「差別のない社会をつくりなさい」と言われたことが井脇氏の政治家としての原点だ。

地盤も看板もカバンもないなか、代議士になった。

だが'11年には、経営していた学校法人が12億円もの負債を抱える。連帯保証人として、債務の返済に追われた。自宅は差し押さえられ、'15年には競売によって強制売却された。

それ以来のシェアハウス暮らしである。

「二世、三世の議員が多いことはおかしい。そりゃあ選挙は強いよ。だけどそれだけの情熱をみんなが持っているかというと、疑問やなあ。

小選挙区制は、政治家をダメにしたね。ペコペコ頭を下げる議員ばっかりになっちゃったよ」

今は政界引退の身だが、自民党二階派の「特別参与」の肩書を持ち、毎週の会合にも出席している。

今の彼女なら、弱者の視点に立った政治ができるかもしれない。

週刊現代

800とはずがたり:2017/11/27(月) 18:40:48
「低所得層」とは、どのくらいの収入の人たちのことなのか
https://thepage.jp/detail/20160421-00000008-wordleaf
2016.04.25 07:00

 ここ数年、ニュースなどで低所得者あるいは低所得層というキーワードに触れる機会が多くなっています。日本経済は長期的な低迷が続いており、相対的な豊かさが低下してきていますから、こうしたキーワードが目に付くのも無理はありません。しかし、低所得者とはイメージ的には分かりやすくても、実際、どの程度の収入の人のことを指すのかはっきりしていません。ここでは低所得者について少し詳しく解説したいと思います。

低所得層の定義とは?

 実は低所得者に関する明確な定義というものは存在していません。マスメディアなどでは年収300万円以下を指していることが多いようですが、統一された基準ではないと考えた方がよいでしょう。

 所得水準を考える際に注意する必要があるのは、個人の年収と世帯年収の違いです。同じ年収300万円でも、夫婦が仕事を持ちそれぞれが300万円を稼いでいる場合には、世帯年収は600万円となり、平均値は超えることになります。年収500万円で専業主婦の世帯よりも所得は多くなりますから、一概にどちらが豊かとは断定できません。

低所得層の世帯収入はどのくらい?

 厚生労働省など、福祉行政を担当する官庁では、世帯収入が生活保護水準に近いところを低所得者として位置付けることが多いようです。住民税が課税されない所得水準を基準にすることもありますし、相対的貧困率を計算する際の貧困線(可処分所得の中央値の半分)を基準にすることもあります。ちなみに、住民税が課税されない所得水準は、東京で夫婦と子ども一人の場合は200万円程度、相対的貧困率を基準にする場合には122万円となります。

 ただ、この水準では、子どもがいる世帯の場合、現実に生活するのが困難になってきますから、生活保護などの支援が必要となります。実際に生活が困窮している層と、先ほどの年収300万円以下の層を同じ所得階層として位置付けてよいのかは解釈が分かれるところでしょう。厚生労働省も、調査によっては200万円以下を低所得者とするなどケースバイケースの対応をしているようです。

公的支援を受けられる水準は?

 もっとも、税金という面から見た場合、所得水準の解釈は少し変わってきます。日本の所得税は累進課税制度となっており、所得の低い人からはほとんど税金を取らず、所得の高い人からたくさん徴収する仕組みになっています(所得税として徴収される税金のうち半分は、納税者の4%にすぎない1000万円以上の高額所得者からのものです)。累進税率の上昇ペースは、600万〜700万円、1000万〜1500万円を境にして大きく変化します。つまり税制の面では、600万円以下は所得が少ない人、600万〜1000万円を中間層、1000万円以上を高額所得者と見なしていると解釈することが可能です。

 総合的に考えると、世帯年収が300万円以下の場合には、低所得者と考えてよいかもしれません。しかし、公的な支援を受けることができる水準ということになると、200万円以下が基準と考えれば分かりやすいでしょう。

(The Capital Tribune Japan)

801とはずがたり:2017/12/03(日) 22:14:34

どうしたら偽名で年間200万も貰えるんだ?そんなんで行けるならおれだってやりてえぞ。ちゃんと困ってる奴の所へ渡るように制度設計せえや

うっかり実名…6年間で生活保護費1200万円“詐取”
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20171129-00000048-ann-soci
11/29(水) 18:44配信 テレ朝 news

 うっかり実名を書いてしまったことから不正が発覚しました。

 派遣社員の坂田智司容疑者(53)は、東京・江戸川区の福祉事務所で、実在しない「酒田明」という無職の人物になりすまして生活保護費約150万円をだまし取った疑いが持たれています。警視庁によりますと、坂田容疑者は他の給付金を申し込む際に実名を書いた書類を提出し、顔を知っていた職員が嘘に気が付いて不正が発覚したということです。容疑を認めていて、「6年間で1200万円ほど不正に受け取った」と話しています。

802とはずがたり:2017/12/10(日) 09:31:23

生活保護世帯の大学進学、一時金支給へ 政府方針
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171210-00000005-asahi-soci
12/10(日) 3:06配信 朝日新聞デジタル

 生活保護を受ける世帯の子どもの大学や専門学校への進学を支援するため、政府は来年4月から入学時に一時金を支給する方針を固めた。親元を離れる場合は30万円を配る。同居を続ける場合は10万円とし、さらに生活保護費の住宅費の減額ルールをやめる。来年の通常国会に提出する生活保護法の改正案に盛り込む。

 受給世帯の大学などへの進学者は昨年度で4619人。進学率は33%で、全世帯の73%を大きく下回る。この教育格差が親から子どもへの「貧困の連鎖」を生んでいるとして、対応を求める声が広がっていた。

 一時金の名称は「新生活立ち上げ費用」。パソコンや教材のほか、一人暮らしを始める場合は生活用品などに使うことを想定する。

朝日新聞社

803とはずがたり:2017/12/14(木) 21:26:24
生活保護費引き下げへ 都内4人世帯で13%減の試算も
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/politics/ASKDG4WC1KDGUTFL00C.html
20:05朝日新聞

 厚生労働省は14日、生活保護費のうち食費や光熱費などの生活費にあたる「生活扶助費」を、来年度から引き下げる方針を決めた。地域や世帯類型によって増える場合もあるが、都市部や多人数の世帯の多くが減る見通しだ。厚労省が8日に示した原案では減額幅は最大で1割を超す。当事者や支援団体らの反発は強く、厚労省は減額幅を縮小した上で来週に支給水準を正式に決める。

 生活扶助費の支給水準は5年に1度見直されており、この日の社会保障審議会(厚労相の諮問機関)の部会が大筋で了承した。

 生活扶助費は、生活保護を受けていない一般世帯の年収下位10%層の生活費とバランスを保つように決められている。厚労省は、世帯類型ごとに一般低所得世帯と均衡する扶助額を算出。特に多人数世帯や都市部の世帯で現在支給されている扶助額が、同じ類型の一般低所得世帯の支出より高い水準になっていた。

 扶助額は地域別には6段階ある。減額幅が大きい見通しの東京23区や大阪市など上位2段階の受給者が約6割を占めるため、生活扶助全体でも減額となる。

 原案では、東京23区で40代夫婦と中学生、小学生の4人家族は13・7%減の15万9960円、65歳の単身高齢者は8・3%減の7万3190円となる。一方、6段階で最も水準が低い地方に住む30代母と小学生の母子世帯は、13・4%増の10万5020円になる。(佐藤啓介)

804とはずがたり:2018/01/06(土) 16:46:12

中高年の引きこもり初調査へ=政府、40?59歳の実態把握
14:35時事通信
https://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-180106X956.html

 政府は、引きこもりの長期化を踏まえ、40?59歳を対象にした初の全国調査に乗り出す。人数を推計するほか生活状況などを把握し、今後の支援策に生かす。これまでは15?39歳を対象に調べていたが、対象者の加齢に伴い、中高年にも調査を拡大する必要があると判断。2018年度予算案に調査費2000万円を計上した。

 具体的な調査方法は、40?59歳の人が居る5000世帯を抽出。本人や家族に、外出頻度や引きこもりになったきっかけ、家庭状況、必要としている支援などを尋ねることを想定している。政府は調査結果を、まずは家族の支援につなげたい考えだ。

 政府は09年に成立した「子ども・若者育成支援推進法」に基づき、10年と15年に引きこもりの調査を実施。だが、引きこもりの長期化によって、「子ども・若者」に該当しない人が増えている。80代の親と50代の無職の子供が同居し、社会から孤立して困窮する状況は「8050」問題と呼ばれ、公的な支援を求める声が広がっている。

 長期化の傾向は、過去2回の調査結果に表れている。学校や仕事に行かず半年以上、自宅にこもる人は推計で、69万6000人から54万1000人へと減少。だが、引きこもりの期間については、最長の「7年以上」との回答が16.9%から34.7%と大幅に増加した。

805とはずがたり:2018/01/25(木) 19:18:58
これあるよね。高福祉を支持する左翼の一定層は恵まれたインテリ層である。俺はそれを恵まれた層が優しさを持ってるからだと解釈してたけど(逆が貧乏から自力でのし上がった橋下みたいな元貧困層が右翼になる),もっと構造は絶望的なのかも。。
>そのうえ大沢によれば、「負担分を無視して純粋に政府からの所得移転だけをみても、日本は一番豊かな上位二〇%のほうが一番貧しい二〇%よりも多く移転されている」。つまり今の制度は、豊かな層の方が得るものが多く、「低所得層は、負担は相対的に重く、受け取るものは相対的にもかなり貧弱」だ。非正規雇用のひとり親家庭などは、「政府が所得再分配することによって却(かえ)って貧困が深まってしまう層もいる」という。
>そうだとすれば、高所得層が「高福祉高負担」を支持し、低所得層がそれを支持しないのは当然のことだ。現在の制度のまま「高福祉高負担」になったら、自分が得をするのか損をするのかを、人々はよく理解しているのだともいえる。

(論壇時評)福祉の逆説 充実を支持する層は 歴史社会学者・小熊英二
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13328706.html?rm=150
2018年1月25日05時00分

 福祉の充実が、貧しい人に支持されていない。嘘(うそ)のようだが本当の話だ。

 福祉の専門家である大沢真理・宮本太郎・武川正吾が座談会を行った〈1〉。そこで武川は、福祉に関する5年ごとの意識調査の結果を紹介している。

 それによると2000年には55%、2010年には7割近くが、税は高くても福祉が充実した「高福祉高負担」を支持していた。ところが問題は、「高福祉高負担」の支持者が、「比較的所得の高い人、負担を余(あま)り感じていない人」だったことだ。支持が多いのは高所得男性と高齢者で、低所得者、身体労働者、生産労働者、若年層は支持が相対的に低かった。

 これは逆説的な話だ。普通なら低所得層が福祉の充実を支持し、高所得層が福祉の負担を嫌うものだ。だが大沢はこの結果を、「ちゃんと国民は負担と給付の構造を実感していた」と評している。

     *

 どういうことか。高福祉高負担とは、負担は重くなるけれど、そのぶん見返りも大きくなることだ。いまの福祉が、所得の高い人から税や社会保険料を多めにとり、所得の低い人に重点的に給付する制度だったら、所得の低い人は「高福祉高負担」を支持するだろう。ところが、日本の制度はそうなっていない。

 大沢によれば「日本の税・社会保障制度はOECD諸国の中でも最も累進度が低」い。とくに社会保険料は、低所得の人ほど相対的に負担が重い。自営業や非正規雇用の人に多い国民健康保険や年金の一号被保険者の保険料は、「低所得者の当初所得の一〇〇%を超えてしまう状況」まである。また所得が高い傾向がある正社員と専業主婦の世帯は、年金や税控除の面で有利だ。

 そのうえ大沢によれば、「負担分を無視して純粋に政府からの所得移転だけをみても、日本は一番豊かな上位二〇%のほうが一番貧しい二〇%よりも多く移転されている」。つまり今の制度は、豊かな層の方が得るものが多く、「低所得層は、負担は相対的に重く、受け取るものは相対的にもかなり貧弱」だ。非正規雇用のひとり親家庭などは、「政府が所得再分配することによって却(かえ)って貧困が深まってしまう層もいる」という。

 そうだとすれば、高所得層が「高福祉高負担」を支持し、低所得層がそれを支持しないのは当然のことだ。現在の制度のまま「高福祉高負担」になったら、自分が得をするのか損をするのかを、人々はよく理解しているのだともいえる。

     *

 貧しい人が福祉の充実を支持していないという状況は、選挙にも表れる。

 政治学者の西澤由隆は、1993年から2010年の国政選挙のパネル調査データを解析し、階層別の政治意識を検証した〈2〉。それによると、所得が下位30%の層は「福祉よりも減税」を求め、むしろ高所得層の方が「増税しても福祉充実」を望んでいた。そもそも下位30%の層は、福祉を政党選択の基準としていなかったという。

 西澤はこの調査結果をもとに、日本の論壇にみられる議論のあり方を批判している。論壇上には、「保守」「革新」に代わる対立軸として、税が重くとも福祉が充実した社会の是非を争点にできないかという議論がある。その前提は、欧米でそうであるように、低所得層は福祉充実をうたう政党を支持するはずという認識だ。だが西澤は、日本の有権者の意識は「経済学者・政治学者が想定する『前提』とは真逆(まぎゃく)」だというのだ。

806とはずがたり:2018/01/25(木) 19:19:21
>>805-806
 そのうえ近年では、社会全体が余裕を失い、これまで「高福祉高負担」を支持していた高所得層まで、そこから離れ始めた。武川の調査によると、2010年には7割近くあった「高福祉高負担」への支持は、15年には00年の水準である5割台まで下がり、かわって「低福祉低負担」への支持が上昇したという。

 この変化は、雨宮処凛(かりん)の感慨とも合致する。雨宮は09年の「年越し派遣村」には支持が集まったのと対照的に、12年には生活保護叩(たた)きが広がったことへの変化をこう述べる〈3〉。「多くの人がこの国の『格差と貧困』に麻痺(まひ)し、諦め、『そんなもんなのだ』と受け入れていく過程そのものに思えた」

 つまり問題はこうだ。もともと日本の福祉は、貧しい人の支持を得ていなかった。そのうえ近年は、社会全体が余裕を失うなかで、ますます福祉への支持が失われ、格差が拡大しているのだ。

 だが思うに、人々は格差と貧困を肯定しているわけではない。彼らが不信の目をむけているのは、福祉そのものではなく、本当に必要な人に恩恵がまわっていない現在の制度だ。それならば、まず制度の歪(ゆが)みを正すことが先決だろう。

 歪みを正すには、正確な現状認識をもたらす報道が必要だ。小林美希は保育士の待遇が悪いことを問題視し、東京23区内の私立認可保育所の財務諸表を調べ、「園長、事務長、用務員」の人件費率が異様に高い保育所、その保育所での活動以外に収入や補助金が転用されている保育所をリスト化した〈4〉。この調査報道は、23区だけで約85億円の公費が「本業」に使われていないこと、各種の歪みを是正すれば現在の補助金額でも保育士の待遇改善が可能なことを示している。

 働いて税や社会保険料を納めれば、それだけいいことがある。そのような「働いたら報われる」という実感が持てる制度への改革が急務だと大沢はいう。それは福祉だけでなく、日本の政治や社会への信頼そのものを取り戻す道だ。

     *

 〈1〉大沢真理・宮本太郎・武川正吾 座談会「本来の全世代型社会保障とは何か」(世界2月号)

 〈2〉西澤由隆 論文「世論調査による政治的格差の時系列分析」(http://www1.doshisha.ac.jp/~ynishiza/ynishiza2014/downloadables/jpsa16_NIshizawa_v160913_FINALa.pdf別ウインドウで開きます)

 〈3〉雨宮処凛「貧困は誰もが陥る可能性 『流行(はや)りもの』超え、構造解決を」(Journalism1月号)

 〈4〉小林美希「職業としての保育園」(世界2月号)

     ◇

 おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。『生きて帰ってきた男』で小林秀雄賞、『社会を変えるには』で新書大賞、『〈民主〉と〈愛国〉』で大佛次郎論壇賞・毎日出版文化賞、『単一民族神話の起源』でサントリー学芸賞。

808チバQ:2018/02/14(水) 20:03:31
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180214-00000058-asahi-soci
奨学金受けた息子亡くし8年、夫婦に265万円の督促状
2/14(水) 17:41配信 朝日新聞デジタル
奨学金受けた息子亡くし8年、夫婦に265万円の督促状
手元に残る、月々2万円の振込伝票
■奨学金破産

 手元にはA4封筒の束がある。中には奨学金の貸与が決まったことを告げる、日本学生支援機構からの通知。埼玉県立蕨(わらび)高校の仲野研(けん)教諭(59)は高3の生徒たちに配り、呼びかけた。

 「開ける前に、自分が月々、いくら借りることになるのか封筒の端に書いてごらん」

 正しく書ける生徒は約100人のうち7割ほど。「じゃあ、大学を卒業したら、どれぐらいの金額になる?」「毎月、いくらずつ返す?」。ペンをもつ生徒たちの手が止まった。

 仲野教諭らが担う「奨学金」事務は、申請書類を集めて機構に送るなど、手続きを支えるのが役割だ。作業は単純だが、数百万円単位のお金に関わるだけに責任は大きい。

 「私が借りた40年前と違い、いまは利子がつく場合もあるし、回収は厳しい。借りるデメリットも知らせないと、子どもたちを窮地に追いやりかねない」。生徒や保護者には、「奨学金といってもローンです」と伝えている。

     ◇

 0・37%――。

 機構が2016年度、回収が難しいと見込んだ奨学金約1690億円のうち、実際に債権回収をあきらめた割合だ。同じように税金をもとに事業を運営する機関では、教育ローンなどを貸す日本政策金融公庫(国民生活事業)12・3%、個人向けに融資する商工組合中央金庫6・4%。比べると、桁違いに低い。

 機構は、債権放棄の基準をこう定めている。

 〈返還未済額が1万円未満でかつ2年以上無応答〉

 つまり、1万円でも残額があり、2年前まで連絡がついていれば請求を続ける。例外は自己破産、行方不明など。本人が死亡しても、債権を放棄するとは限らない。

 12年秋、北海道の港町に暮らす夫婦のもとに、265万円の一括返還を求める督促状が届いた。39歳の息子を膵臓(すいぞう)がんで亡くし、8年がたっていた。「なんで、いまごろ」。連帯保証人である夫宛ての書類を見ると、息子は借りた185万円のうち80万円ほど返していた。残金と利息の合計123万円に加えて、延滞金が142万円。延滞金は死後の分も含まれていた。

 妻(77)が機構に電話をすると、担当者は言った。「払えなければ裁判になります」。脅されているようだ、と感じた。

809チバQ:2018/02/14(水) 20:06:18
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180212-00000004-asahi-soci
奨学金破産、過去5年で延べ1万5千人 親子連鎖広がる
2/12(月) 5:01配信 朝日新聞デジタル
奨学金破産、過去5年で延べ1万5千人 親子連鎖広がる
国の奨学金の保証制度
■奨学金破産

 国の奨学金を返せず自己破産するケースが、借りた本人だけでなく親族にも広がっている。過去5年間の自己破産は延べ1万5千人で、半分近くが親や親戚ら保証人だった。奨学金制度を担う日本学生支援機構などが初めて朝日新聞に明らかにした。無担保・無審査で借りた奨学金が重荷となり、破産の連鎖を招いている。

【写真】父親「入学した時はこんなことになるとは…」

 機構は2004年度に日本育英会から改組した独立行政法人で、大学などへの進学時に奨学金を貸与する。担保や審査はなく、卒業から20年以内に分割で返す。借りる人は連帯保証人(父母のどちらか)と保証人(4親等以内)を立てる「人的保証」か、保証機関に保証料を払う「機関保証」を選ぶ。機関保証の場合、保証料が奨学金から差し引かれる。16年度末現在、410万人が返している。

 機構などによると、奨学金にからむ自己破産は16年度までの5年間で延べ1万5338人。内訳は本人が8108人(うち保証機関分が475人)で、連帯保証人と保証人が計7230人だった。国内の自己破産が減る中、奨学金関連は3千人前後が続いており、16年度は最多の3451人と5年前より13%増えた。

 ただ、機構は、1人で大学と大学院で借りた場合などに「2人」と数えている。機構は「システム上、重複を除いた実人数は出せないが、8割ほどではないか」とみている。破産理由は「立ち入って調査できず分からない」という。

 自己破産は、借金を返せる見込みがないと裁判所に認められれば返済を免れる手続き。その代わりに財産を処分され、住所・氏名が官報に載る。一定期間の借り入れが制限されるなどの不利益もある。

 奨学金にからむ自己破産の背景には、学費の値上がりや非正規雇用の広がりに加え、機構が回収を強めた影響もある。本人らに返還を促すよう裁判所に申し立てた件数は、この5年間で約4万5千件。16年度は9106件と機構が発足した04年度の44倍になった。給与の差し押さえなど強制執行に至ったのは16年度に387件。04年度は1件だった。

 奨学金をめぐっては、返還に苦しむ若者が続出したため、機構は14年度、延滞金の利率を10%から5%に下げる▽年収300万円以下の人に返還を猶予する制度の利用期間を5年から10年に延ばす、などの対策を採った。だが、その後も自己破産は後を絶たない。

 猶予制度の利用者は16年度末で延べ10万人。その期限が切れ始める19年春以降、返還に困る人が続出する可能性がある。(諸永裕司、阿部峻介)


     ◇

〈国の奨学金制度〉 1943年に始まり、現在は日本学生支援機構が憲法26条「教育の機会均等」の理念の下で運営している。2016年度の利用者は131万人で、大学・短大生では2・6人に1人。貸与額は約1兆円。成績と収入の要件があり、1人あたりの平均は無利子(50万人)が237万円、要件の緩やかな有利子(81万人)が343万円。給付型奨学金は17年度から始まり、新年度以降、毎年2万人規模になる。

 高校生向けの奨学金事業は05年度に都道府県に移管されており、全額が無利子の貸与となっている。大学生向けで給付型を採り入れている自治体もある。

810とはずがたり:2018/03/05(月) 16:24:02
「親が貧しい子」は勉強でどれだけ不利なのか
100点満点のうち「平均20点」も低い現実
http://toyokeizai.net/articles/-/179582
橘木 俊詔 : 京都女子大学客員教授、京都大学名誉教授

教育の経済効果と貧困対策
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/bunka/dai3/dai5/siryou3.pdf
大阪大学 社会経済研究所
大竹文雄

811チバQ:2018/03/05(月) 18:32:15
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180305-00010001-doshin-hok
82歳母と52歳娘、孤立の末に 札幌のアパートに2遺体 「8050問題」支援急務
3/5(月) 10:01配信 北海道新聞
82歳母と52歳娘、孤立の末に 札幌のアパートに2遺体 「8050問題」支援急務
母親と娘とみられる遺体が見つかったアパート居室の玄関には、立ち入り禁止のテープがはられていた=1月、札幌市中央区
いずれも低栄養、低体温症
 80代の親と50代の子どもが身を寄せる世帯が社会から孤立してしまう「8050(はちまるごーまる)問題」―。全国で表面化する中、札幌市内のアパートの一室でも1月、2人暮らしの母親(82)と娘(52)とみられる遺体が見つかった。娘は長年引きこもり状態だったという。道警は母親が先に亡くなり、一人になった娘は誰にも気付かれずに衰弱死したとみている。専門家は「支援策を整えなければ同様の孤立死が増え続ける」と訴える。

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 高層マンションの建設ラッシュが続く札幌市中央区の住宅街の一角。築40年の2階建てアパートの1階の部屋で2人の遺体は見つかった。道警の司法解剖の結果、2人の死因はいずれも低栄養状態による低体温症。母親は昨年12月中旬に、娘は年末にそれぞれ飢えと寒さで死亡したとみられる。捜査関係者は「2人は都会の片隅で誰にも気付かれずに亡くなった。何とか救う方法はなかったのか」と漏らした。

 道警によると、1月6日午後、検針に来たガス業者が異変に気付き、別室の住民が室内に入って遺体を発見した。ストーブには灯油が入っていたが、エラーと表示され停止していた。冷蔵庫は空で、床には菓子の空き袋や調味料が散乱していた。室内には現金9万円が残されていた。

 親子は週に1回だけ近所の銭湯に通っていた。銭湯の女性店主(78)は昨年12月26日、アパート近くの自動販売機でスポーツドリンクを買う娘の姿を目撃した。「ペットボトルを抱えて何度もしゃがみ込み、ふらふらしていた」

 女性店主の息子が駆け寄った。一言も話さなかったが、アパートの前まで送った。「もう少し手を差し伸べていれば…」。息子は今も悔やんでいる。

 近所の住民によると、母親は夫と死別後の1990年ごろに娘とアパートに入居した。当時、収入は年金だけで生活保護や福祉サービスは受けていなかった。娘は高校卒業後、就職したものの、人間関係に悩んで退職し、引きこもり状態になったという。

北海道新聞

812チバQ:2018/04/03(火) 20:10:35
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180403-00000028-mai-soci
<生活保護世帯>かすむ将来、春なのに 進学率3割の壁
4/3(火) 13:00配信 毎日新聞
<生活保護世帯>かすむ将来、春なのに 進学率3割の壁
高校2年の時にスケジュール管理のために女性が持ち歩いていた手帳。大学で学びたいという思いが記されている=大阪市で、大久保昂撮影
 生活保護世帯の子どもが大学に進学するのは、依然としてハードルが高い。小さいころから保護を受けて育った大阪府出身の女性(18)はこの春、関西地方の私立大に進んだ。貧困、虐待、家出--。数々の苦難の末に手にした切符だが、進学と同時に保護の対象から外れるため、台所事情は苦しい。「学校の先生になるのが中学校のころからの夢だった。でも、奨学金を返すの大変だろうな」。その胸には、期待と不安が交錯している。【大久保昂】

 3歳の時に両親が離婚。家計を支えようと、母親は二つの仕事を掛け持ちした。無理がたたったのか、小学校に入るころに母親は精神疾患を患い、生活保護を受けるようになった。母親は家事が手に着かなくなった。満足に入浴できず、何日も同じ服で登校した。学校で虐待を疑われ、小学3年の時、祖母に預けられた。

 待っていたのは「本物の虐待」だった。毎日のように「ブタ」とののしられ、暴力を受けた。約1年後、逃げ出すように母親の元へ戻った。

 小中学校で登校できたのは、通算3年ほど。私立の単位制高校に進んで勉強し直すことにした。将来、教育に携わる仕事に就く夢があったからだ。

 高校2年になると、母親の状態が悪化した。「家から出ないでほしい」と玄関に立ちふさがり、高校にもアルバイトにも行かせてくれなくなった。「きっと寂しいんだろうな」と受け入れた。しかし、携帯電話を止められ、食料も尽きて、児童相談所に駆け込んだ。母親は精神科に入院し、女性は一時保護された。退院した母親と一緒に住むのがつらくなり、家出して知人の家に身を寄せるようになった。

 高校からは授業料を請求されるようになった。出席が足りず、10単位以上も取りこぼしたからだ。大阪府では私立高校の授業料は無償だが、単位を落として追加履修する分は自己負担だ。家出後も母親と連絡を取っていたが、お金のことは聞けなかった。自分で工面しようと、「援助交際」を重ねた。1回2万円。紳士的な相手ばかりでなく、時に暴力を振るわれた。「お金以外は虚無感しか残らない。それでも、高校を卒業したかった」

 昨秋、推薦入試で私立大に合格。春からワンルームマンションで1人暮らしを始め、教員免許や保育士資格の取得を目指す。ただ、お金の心配は消えない。20万円の入学金は、社会福祉協議会から借りた。学費と生活費のために毎月12万円の奨学金を借り、月3万5000円の家賃はアルバイトで稼ぐつもりだ。「光熱費を節約し、自炊をすればきっと大丈夫」。自分を納得させるように言った。

 ◇一時金、識者「不十分」

 生活保護を受けながら大学で学ぶことは、現行制度では原則認められていない。高校卒業後は、自分で働いて稼ぐことが前提となっているからだ。大学に進む場合は保護世帯から独立させ、別世帯として取り扱うことになっている。

 専門学校や短期大学も含めた大学進学率が7割を超える一方、生活保護世帯の進学率は3割強にとどまる。国は今年度から最大30万円の一時金を支給する支援策を決めたが、世帯を独立させる仕組みは維持する。名古屋市立大の桜井啓太専任講師(社会保障論)は「保護世帯から進学した学生の生活苦は卒業まで続く問題で、一時金だけでは不十分。保護を受けながら通えるようにし、自立を目指せる環境を整える必要がある」と指摘している。


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