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貧困スレ
731
:
チバQ
:2017/07/13(木) 19:35:32
年収は900万円から200万円へ
中堅広告代理店の営業社員だったノリオさんは40代半ばで、経営悪化を理由にリストラ。その後、介護の世界へと入った。ちょうど介護保険制度が始まった2000年のことである。年収900万円から、年収200万円へという落差は衝撃だったが、仕事にはすぐなじんだという。
「最初にオムツの交換をしたときには、“こんなことまでやるのか”とショックを受けましたが、もともとおばあちゃん子で、人とかかわる仕事が好きだったので。利用者さんが話してくれる第2次世界大戦時の学徒出陣の体験談や、(移民政策が進められた中国東北部の)満州からの逃避行の話は、臨場感があって聞きごたえがあります。営業マンのころは接待漬けの毎日で、これからもこんな日が続くのかと、ふと疑問に思うこともあったんです」
エリート会社員だったノリオさんがリストラのターゲットにされた当時は、それなりに思うところもあったろう。しかし、高齢者との交流を満足気に話す様子からは、今は介護の仕事に出合えたことを幸せに感じていることが伝わってくる。
問題は労働条件である。
ノリオさんはさまざまな施設で経験を積むため、これまで5〜6回の転職を重ねてきた。結果的にまともだったのは、いちばん初めに無資格で飛び込んだ、設立から40年近い歴史を持つ社会福祉法人が運営する特別養護老人ホームだけ。
その後に勤めた土建業者が運営にかかわる施設では、当然のように「残業をするときはタイムカードを押してからにして」と指示された。また、株式会社によるデイサービス施設は、人員基準を満たしていないのに、行政側に虚偽の報告をして人件費を浮かしていた。現場の介護職員の月収は20万円前後なのに、経営者や役員だけが2倍、3倍の報酬を得ている有限会社もあった。こうした問題を施設内外で問題にしたこともあったが、改善されることはなかった。
この間、ノリオさん自身、介護福祉士やケアマネジャーの資格を取り、「施設長」などの肩書きを得たこともあったが、結局、年収が300万円に届くことはなかったという。
広告代理店を退職時にマンションを買ったため、貯えはほとんどなくなった。リストラのごたごたなどで、結婚の機会も逸してしまった。独り暮らしで家賃負担がないので、なんとか生活できているが、貯金をする余裕はない。
認知症の高齢者への「虐待」が横行
悩ましいのはカネの問題だけではない。ノリオさんは「(被害を訴えられない)認知症の高齢者への虐待が、特に若い職員の間で目立ちます」と打ち明ける。それは殴る蹴るといった暴行というより、たとえば、お笑い芸人のはやり言葉を言わせては皆でゲラゲラと笑ったり、おむつ交換のときに局部についての冗談を言い合ったりといった虐待。劣悪な待遇に対するストレス発散を兼ねた「娯楽のような軽さ」が、かえって闇の深さを感じさせる。
経済的な貧しさが、人権意識や責任感の貧しさ、やりがいの乏しさにもつながっていく。「リーマンショックのとき、介護業界を大量の失業者の受け皿とするような安易な政策が進められるのを見て、自分の仕事が雇用の調整弁にされていると感じました。これではスペシャリストが育つはずもないし、仕事に対するプライドも育たない」。
実はノリオさんは年明け以降、職場でのっぴきならない事態に直面している。
きっかけは、非正規雇用への転換を迫られたシングルマザーが労働基準監督署に駆け込んだことだった。このとき、労基署側は残業代未払いも悪質だとして併せて指導。ところが、これを受けた会社側は、あろうことか就業時間を30分延長して18時とするよう就業規則を変えてきたのだ。これまでは時間外に当たっていた時間帯を就業時間内にすれば、残業代の支払いを少しでも抑えられるとの浅知恵だが、これでは時給換算すると70円の賃下げになってしまう。ほとんどの職員がしぶしぶ了承する中、ノリオさんはこれを拒んだ。
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